『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』のヒミツ

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ Soundtrack(前回「『ウォルト・ディズニーの約束』 原作者が出した驚きの条件」から読む)

 『ウォルト・ディズニーの約束』の公開後、またも実在の人物を取り上げた映画の監督をオファーされたジョン・リー・ハンコックは、二度それを断っている。だが、脚本を読んで彼は考えを変えた。そして作り上げたのが、『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』だ。

 映画が描くのは世界的なハンバーガーチェーンのマクドナルド。誰もが知るこの企業の名前が「マクドナルド」なのは、ハンバーガーレストランを考案し、営業しはじめたのがマクドナルド兄弟だからだ。ではマクドナルド兄弟とその一族は、世界的なハンバーガーチェーンの経営で成功し、富と栄光を得られたのか。
 答えは否だ。マクドナルド社の公式サイトに書かれた会社の歴史は、レイ・クロックなる人物の成功物語だ。そこにはわずかに、地方都市でマクドナルドという兄弟が効率的なレストラン運営をしていたこと、彼らが代理人を探していたことが記されている。あとはマクドナルドコーポレーションを創業したレイ・クロックが、いかに素晴らしい仕事をしたかという話ばかりだ。

 しかし、マクドナルド兄弟が本当に代理人を探してまでハンバーガーレストランをチェーン店化したいと考えていたなら、彼らはその後も創業家としてマクドナルド社にかかわり続けたに違いない。マクドナルド社とは無関係な「ザ・ビッグM」というハンバーガーレストランを細々と営むことにはならなかったはずだ。
 『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』は、画期的なハンバーガーレストランを考案し、仕事に誇りをもっていたマクドナルド兄弟が、他人にアイデアを利用され、不本意なものに作り変えられ、あろうことかマクドナルドのビジネスから追い出される過程を描いている。

 マクドナルド兄弟が考案したのは、早くて安くて手軽に食べられるレストランの運営方法だった。後にファーストフードレストランと呼ばれることになるそれは、味と品質とサービスにこだわるマクドナルド兄弟ならではのものだった。
 日本マクドナルドの創業者、藤田田氏の回顧録だったと思うが、はじめてマクドナルドの店舗を見たとき、厨房の床が濡れていないことにとても驚いたという話を読んだことがある。日本では、料理店の厨房といえば水やら汁やらが飛び散ってビショビショなのが当たり前。料理人は長靴を履いて仕事をする。ところがマクドナルドでは床が乾いており、店員が長靴を履くこともない。それを目にして、これまでにないレストランだと実感したそうだ。

 さて、1954年、マクドナルド兄弟が数店舗のレストランで堅実な経営をしていたところに、セールスマンのレイ・クロックが現れる。様々な商材を扱ってきたこの男が、ミルクシェイク用ミキサーの販売で苦戦しているときに、ミキサーを八台も買いたいと連絡してきたのがマクドナルド兄弟だったのだ。
 ここから映画は、マクドナルド兄弟と契約して巨大なレストランチェーンを立ち上げていくレイ・クロックと、地方都市にとどまってマクドナルドの名に恥じないレストランを営もうとするマクドナルド兄弟との攻防戦になっていく。マクドナルド兄弟はレイ・クロックに様々な注文をつけて、マクドナルドというレストランはどうあるべきかを説き続ける。チェーンを拡大して利益を上げたいレイ・クロックは、兄弟の細かい注文がわずらわしい。いちいち兄弟の承認を得ていたら、彼の思い描く偉大なレストランチェーンは実現できないのだ。

ウォルト・ディズニーの約束 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray] この攻防は、『メアリー・ポピンズ』の世界を厳密に守るように注文を出す作家P・L・トラヴァースと、自分が作りたい映画を実現するためにあらゆる手を使うウォルト・ディズニーの戦いに似ている。
 『ウォルト・ディズニーの約束』ではあまり描かれなかった契約の問題が、本作では焦点となる。契約の文言がレイ・クロックの暴走を抑え、あるいはマクドナルド兄弟の足をすくう。

 『ウォルト・ディズニーの約束』のような甘いラストは待っていない。最終的にマクドナルド兄弟がマクドナルドから追い出され、レイ・クロックが富と栄光を独り占めにすることは、多くの人の知るところなのだから。
 ここには、自分が苦労して生み出し、大切にしていたものを、他人に好きにされてしまう不条理がある。自分が考えた「マクドナルド」(あるいは「メアリー・ポピンズ」)が変質し、違うものになっていくのに、世間の人々はそれを「マクドナルド」(あるいは「メアリー・ポピンズ」)として受け入れ、喜んでいる残酷な事実がある。
 そこには同時に、他人が考案したものを取り上げ、勝手にいじってでも成功しようとする人間の貪欲さがある。


■帝国のヒミツ

 ハンバーガー帝国を築く礎が、不動産にあるのも面白い。レイ・クロックは、チェーン店を支配するために土地を押さえた。
 それまで、フランチャイジーが店を出すときは、土地を借りてその上に店舗を構えていた。土地を買うのに比べればそのほうが手元の資金が少なくて済むからだ。
 ところがレイ・クロックは、不動産会社を立ち上げて店舗用の土地を購入し、それをフランチャイジーに貸し出した。こうすることでクロックは、マクドナルドのフランチャイザーとしてロイヤルティーを得るだけでなく、マクドナルド社とは別の大地主として地代を稼ぎ、そのうえ発言力を増すことに成功した。

 外食産業で伸びていると思わせながら、実は不動産業で権力を握るレイ・クロックのやり口に、私は中内功氏が率いたダイエーグループを思い出した。
 かつて大手スーパーとしてその名を轟かせたダイエーは、小売業でありながら他業種企業のM&Aを繰り返し、「戦略なき拡大」と揶揄された。そのM&Aの目的が、実は相手企業そのものよりもその企業が持つ不動産であると喝破して、ダイエーの本質が不動産業であると論じたのが山根節氏[*1]だ。土地所有にこだわることなく小売業として急成長したイトーヨーカ堂(現セブン&アイ)とは対照的に、ダイエーは土地を所有し、それを担保に借入れをした。ダイエーの店舗ができると生活のインフラが整ったことになり、周辺を含めて地価が上がる。地価の上昇分が担保余力を生み、さらに店舗投資をするときの資金を生み出す。そしてまた、新しく投資した土地の地価が上がっていく。この好循環により、"不動産業"のダイエーは成長した。
 不動産を背景にした権力構造について、山根節氏は次のように説明している。
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不動産による含み益はフローの利益と違って、経営効率の追求の結果としてもたらされるものではない。株主や従業員などに分配される実現利益でもない。資金に困ったときなどに企業が売却でもしない限り、表面に現れない。しかし不動産の実質的所有者(つまりオーナー)の権力の支えになる。何故ならばたとえフローの利益の上で業績が悪くても、十分な含み資産を持っていれば、銀行などがオーナーの経営権に介入することはできない。経営能力に難があっても、オーナーの地位は安泰である。したがって拡大の証しとして、含み資産を築き上げることができれば、オーナーの存在を世の中にアピールすることができる。不動産の含み益は、まさに「所有権」を誇示する論拠となる。
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 こうして建設された巨大な企業グループは、「ダイエー帝国」と呼ばれるまでになった。バブル崩壊後の地価の暴落により、この帝国は瓦解してしまったが、本作の副題に「ハンバーガー帝国のヒミツ」と名付けたのは、創業者(ファウンダー)の野望と権力志向を上手く表していると思う。


■成功のヒミツ

 マクドナルド兄弟の目から見れば、とんでもないオオカミ野郎で許しがたいほど強欲なレイ・クロックだが、米国人が共感し、応援するのはマクドナルド兄弟ではなく、レイ・クロックのほうではあるまいか。
 劇中のクロックがクラレンス・フロイド・ネルソン博士の『(The Power Of The Positive(積極性の力)』のレコードに耳を傾けて自分を鼓舞する姿に、共感・共鳴する人は少なくないはずだ。この架空の学者の架空のレコードは、あきらかに1952年にノーマン・ヴィンセント・ピール博士が発表した本『The Power of Positive Thinking(積極的考え方の力)』をモデルにしている。マーブル協同教会で60年以上にわたり牧師を務めたピールは、ポジティブシンキングを唱えて多くの人に影響を与えた。
 また、朗読を吹き込んだレコードを販売して人々を啓発するネルソン博士のスタイルは、アール・ナイチンゲールが1956年に発表した『ザ・ストレンジスト・シークレット』にならっているともいわれる。

 ピール牧師の人気は、米国におけるキリスト教の変容を表している。森本あんり氏によれば、変容の最たるものが成功に関する考え方であるという。
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アメリカでは、成功は神の祝福の徴(しるし)と考えられている。神が幸運を与えてくれなければ、どんなに努力しても、成功することはない。逆に、成功していれば、それは神が祝福してくれたことの証である。
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 この論法でいけば、どの町にもマクドナルドの看板を立て、世界中にチェーンを拡大して大成功するのは、神に祝福されることなのだ。他方、素晴らしいレストランの運営方法を考案しておきながら、それを広めず、儲けようとしないのは、せっかく神が与えてくれたチャンスをふいにしている。
 レイ・クロックがマクドナルドを世界に広めてくれたおかげで、世界中の人々が早くて手軽でおいしい食事にありつけるようになった。その結果、彼は富と栄光を手に入れた。
 みんなを幸せにして、神に祝福されたのは、レイ・クロックか、マクドナルド兄弟か。


フィリックス・ザ・キャット AAM-401 [DVD] 映画の世界も同様だ。
 オットー・メスマーの創造したフィリックス・ザ・キャットを真似して、ウォルト・ディズニーはジュリアス・ザ・キャットを作った。猫ばかりじゃまずいと、ディズニーはウサギのオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットを考案するが、その権利をユニバーサルに握られて悔しい思いをする。ウサギがダメならネズミだとばかり、ディズニーはオズワルドによく似たミッキーマウスをデビューさせて、対抗する。
 幸いにもミッキーマウスは人気を得るが、ミッキーマウスの開発の中心であり、アニメーション作りでも中心人物だったアニメーターのアブ・アイワークスが、映画の成功にもかかわらず自分は称賛されないことに不満を抱いてディズニーの許から去ってしまう。

ミッキーマウス/B&Wエピソード Vol.1 限定保存版 (初回限定) [DVD]オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット 限定保存版 (期間限定) [DVD] そんな食うか食われるかの世界で生きてきたウォルト・ディズニーは、『メリー・ポピンズ』の原作者を怒らせようとも原作からの改変を辞さなかった。もしも原作者P・L・トラヴァースの意見を聞き入れて、アニメーションのペンギンを出さず、ミュージカルにはせずにエドワード朝時代の音楽を使い、バート役をディック・ヴァン・ダイクではなくリチャード・バートンかローレンス・オリビエにしていたら、ヒットしたかどうか判らない。映画を大ヒットさせたディズニーは、やっぱり自分の判断が正しかったと考えたことだろう(だから、ぬけぬけと続編の映画化をトラヴァースに打診できたのだろう)。トラヴァースが、『メリー・ポピンズ』の舞台化に米国人が関わることを許さなかったのは、そんな米国人気質が嫌だったのではないだろうか。
 P・L・トラヴァースがウォルト・ディズニーの改変に怒ったのは、レイ・クロックがマクドナルド兄弟の意向を無視してミルクの入っていないミルクシェイクもどきを売り出し、ディック・マクドナルドを激怒させたことを思わせる。[*2]


 『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』のエンディングでは、クロックの妻が莫大な財産を寄付に注ぎ込んだことが紹介される。その慈善的精神は称賛されようが、同時に考慮しておくことがある。『熱狂する「神の国」アメリカ』の著者、松本佐保氏は次のように語る。
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聖書には多くの財産を持っていると天国の門を入れないとあり、その財産を捨てる「喜捨」(仏教やイスラム教とも共通)を奨励する教えがありますが、それは「喜んで捨てる」のであって、強制的にお金を徴収される税を忌み嫌うのです。
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 病に倒れたマック・マクドナルドを見舞いに来たレイ・クロックが、病室の壁の十字架を目にして気圧される場面は、この映画のテーマが米国の変容した宗教と、ひいてはそれが引き起こす社会の歪みであることを示している。
 成功が神の祝福の徴と考えられている米国で、大成功したレイ・クロックと、クロックに追い込まれて兄が病気になってしまったマクドナルド兄弟の、どちらが神に祝福されているかは明白だ。だが、本当にそう判断して良いのだろうか。ここまで人を追い詰めて、他人の持ち物をむしり取ることが、本当に神の意に適っているのだろうか。病室の十字架は、マクドナルド兄弟が敬虔なキリスト教徒であることを示すとともに、十字架を見て気圧されるレイ・クロックが敬虔さを忘れていたことを知らしめる。

 ジョン・リー・ハンコック監督は、みずから脚本も手掛けた『しあわせの隠れ場所』でも、短いが重要な場面を挿入していた。
 この映画は、米国南部の裕福な白人家庭がホームレスの黒人少年を引き取り、共に暮らしていく感動物語だ。教養があり、社会的にも経済的にも成功している白人一家は、ホームレスの少年よりも圧倒的に神に祝福されているはずだった。だが、はじめて少年と食卓を囲んだとき、白人一家がすぐに食事に手を付けようとするのに対し、黒人少年は手を組んで感謝の祈りを捧げはじめた。白人一家はあわててフォークを元の位置に戻すと、一緒に祈りを捧げるのだった。
 成功者である自分たちは、神に祝福されているし、その行為はことごとく正しい。傲慢にもそう思い込んで、敬虔さを、真の信仰を置き去りにしてきたのではないか。そう気づかせる場面だった。

 レイ・クロックは、こんな言葉を残している。
 「勇気を持って、誰よりも先に、違ったことをしよう。チャレンジしない限り、決して成功は無い。あきらめず頑張り通せば、夢は必ず叶う。」
 素晴らしい言葉だ。こんにちに至るまで、マクドナルドコーポレーションの創業者(ファウンダー)レイ・クロックを尊敬し、人生の手本にしてきた人は多いはずだ。

 彼はこんな言葉も残している。
 「もしも競争相手がおぼれていたら、そいつの喉にホースを突っ込んでやる。
 これが成功するということなのか。神に祝福された者のすることなのか。

 映画のラスト、レイ・クロックは成功者としてスピーチするために、身支度を整え、去っていく。その後ろ姿が鏡に映っている。
 だが、鏡の像はピントがボケて、誰の姿なのかはっきりしない。自身の成功を誇りながら他人を踏みにじっているその人物は、レイ・クロックなのかもしれないし、彼の後に続こうとする有象無象の野心家たちかもしれない。ひょっとすると、それは客席にいるあなたなのかもしれない。


[*1] 山根節・山田英夫・根来龍之 『「日経ビジネス」で学ぶ経営戦略の考え方』 日本経済新聞社、1993

[*2] 後年、シェイクはミルクを入れたものに戻されたという。


ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ Soundtrackファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』  [は行]
監督/ジョン・リー・ハンコック
出演/マイケル・キートン ニック・オファーマン ジョン・キャロル・リンチ リンダ・カーデリーニ パトリック・ウィルソン B・J・ノヴァク ローラ・ダーン
日本公開/2017年7月29日
ジャンル/[ドラマ] [伝記]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

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『ウォルト・ディズニーの約束』 原作者が出した驚きの条件

ウォルト・ディズニーの約束 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 そんな条件を出したのか! それはあんまりじゃないの!?
 映画『メリー・ポピンズ』が大好きな私は驚いた。


ウォルト・ディズニーを描いたはじめての映画

 『ウォルト・ディズニーの約束』は、オーストラリア出身で英国を拠点に活動する児童文学作家P・L・トラヴァースと、アニメーション映画の巨人ウォルト・ディズニーの攻防を描いた作品だ。攻防とは穏やかではないが、これはまさに原作者と映画制作者の戦いといえる映画なのだ。

 P・L・トラヴァースが書いた児童文学作品『メアリー・ポピンズ』を映画にしようと考えたウォルト・ディズニーは、トラヴァースに何度も映画化を申し入れた。だが、彼女はまったく相手にしてくれない。一徹なディズニーは20年以上も打診し続け、頑固なトラヴァースは徹底的に断り続けた。
 しかし、何年も新作を発表できずにいたトラヴァースは、金銭的な必要に迫られて、とうとう映画化を認めてしまう。そこから名作映画『メリー・ポピンズ』が完成するまでを描いたのが『ウォルト・ディズニーの約束』だ。

 ウォルト・ディズニー・カンパニーの映画が、しばしば原作から大きく乖離してしまうことはよく知られている。ディズニーにはディズニーのやり方があるということなのだろう。ディズニーが作りたい映画と原作とのあいだに齟齬があれば、原作のほうがディズニーに合わせるべきと考えるのが、ディズニーなのかもしれない。
 ハンス・クリスチャン・アンデルセンの扱いはその最たるもので、悲恋物語『人魚姫』はハッピーエンドの映画『リトル・マーメイド』に変えられてしまうし、『アナと雪の女王』に至っては原作との共通点を見つけるほうが難しい。ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン原作の『美女と野獣』やE・R・バローズ原作の『ターザン』は、ステレオタイプの悪者が登場して、そいつをやっつける物語になってしまった。原作で描かれた主人公の苦悩や葛藤は影を潜め、あるいは変質してしまう。
 アンデルセンにしろバローズにしろ、映画を観たら怒り出すに違いないが、幸いというべきか、これらの原作者たちはとっくの昔に亡くなっている。だから、映画の内容についてディズニーと対立することはなかった。

 しかし、『メリー・ポピンズ』は違った。原作者がまだピンピンしており、自分の作品を改変するなど許さないと息巻いている。一方、ディズニーはいつもの調子で、歌と笑いが満載のハッピーな映画にする気でいっぱいだ。両者が衝突しないわけがなかった。

メリー・ポピンズ 50周年記念版 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray] なにしろ、原作者P・L・トラヴァースが出した条件ときたら!
 ・アニメーション映画の制作会社であるディズニーに対して、アニメーションはダメと云い渡す。
 ・数々の楽曲でアカデミー賞を受賞し、歌が自慢のディズニーに対して、ミュージカルはダメと云い渡す。
 ・脚本には原作者の承認を得なければならないと云い渡す。

 映画『メリー・ポピンズ』を好きな私は、本作の展開に興味津々だった。映画が完成することは判っている。1964年に公開された『メリー・ポピンズ』は、たくさんの賞を受賞し、長きにわたって世界中の人に愛されてきた名作だ。劇中で歌われる「チム・チム・チェリー」や「2ペンスを鳩に」や「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」は、無意識に口ずさんでしまうほど素晴らしい曲だし、アニメーションと実写を組み合わせたシークエンスの楽しさは抜群だ。つまり、完成した映画は、トラヴァースの出した条件をことごとく反故にしたものになっているのだ。

 『ウォルト・ディズニーの約束』は、ウォルト・ディズニーがあの手この手でP・L・トラヴァースに心を開かせ、譲歩を引き出し、誰もが知る名作映画の完成にこぎ着けるまでの長い道のりを描いている。あの名曲や名場面がどのようにして生まれたのか。どうやってトラヴァースに認めさせたのか。頑固なトラヴァースでさえ受け入れてしまうほど素晴らしい映画の制作秘話は、映画『メリー・ポピンズ』を好きな人はもちろん、そうでない人にも興味深いに違いない。

 映画は二人の偉大な創作家のぶつかり合いを通して、創作とは何か、創作物の意義とは何かを問い、さらには生きていく上でフィクションの手助けを必要とする人間というものを掘り下げていく。
 完成した映画に涙するトラヴァースの姿を目にして、観客も大きな感動に包まれるに違いない。
 トラヴァース役のエマ・トンプソンと、ウォルト・ディズニー役のトム・ハンクスの名演技もあって、『ウォルト・ディズニーの約束』はとても素敵な映画に仕上がっている。

 ところが、そんな調和のとれた結末とは裏腹に、P・L・トラヴァースが現実に申し入れた条件は厳しかった。


■描かれなかった後日談

 米アカデミー賞の13部門にノミネートされ、うち5部門を獲得。主演のジュリー・アンドリュースはアカデミー賞だけでなくゴールデングローブ賞や英国アカデミー賞までも受賞。作詞作曲のシャーマン兄弟はアカデミー賞の作曲賞も歌曲賞もとった上に、グラミー賞まで受賞した。世界中で大ヒットし、1964年の公開以来、数十年のときを経ても愛され続ける『メリー・ポピンズ』。
 そんな名作が放っておかれるわけがない。

 『キャッツ』や『レ・ミゼラブル』、『オペラ座の怪人』等で知られるロンドンミュージカル界の大プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュが、『メリー・ポピンズ』を舞台化しようとP・L・トラヴァースに接触したのは、映画公開から30年を経た1994年のことだった。すでにシャーマン兄弟による素晴らしいミュージカルナンバーがあるのだから、ロンドンやブロードウェイでも充分に通用すると考えたのだろう。
 だが、トラヴァースは舞台化を拒否した。映画『メリー・ポピンズ』を引き合いに出し、もう二度と自著を原作として提供することはないと断ってきたのだ。長く粘り強い交渉の末、マッキントッシュはトラヴァースに舞台化を認めさせることに成功するが、そのときトラヴァースが出した条件は厳しいものだった。
 ・舞台化に際して米国人は参加させないこと
 ・特に映画版に関わった人間は――シャーマン兄弟が存命中にもかかわらず――参加させないこと

ウォルト・ディズニーの約束 オリジナル・サウンドトラック -デラックス・エディション- (2枚組ALBUM) Double CD この条件を知って、そんなにもあの映画が嫌だったのか、と私は衝撃を受けた。
 トラヴァースは、映画『メリー・ポピンズ』をこう評している。「あの手の映画としては魅力的で良い作品でしょう。でも、私の本とは似ても似つきませんね。」

 完成した映画以上に、彼女は映画を作る過程が許せなかったのだろう。
 アニメはダメと云ったのに結局アニメのキャラクターが続々登場し、ミュージカルはダメと云ったのにメリー・ポピンズもバートもミスター・バンクスさえも歌い出し、バート役にディック・ヴァン・ダイクは認めないと云ったのにディック・ヴァン・ダイクがキャスティングされ、脚本は原作者の承認を得ることと云ったのに、ウォルト・ディズニーは最終決定権は自分にあるといって彼女の意見を却下した(トラヴァースは、映画制作では脚本の承認権限よりも、編集権のほうが重要であることが判っていなかった)。
 ウォルト・ディズニーは、必ず『メアリー・ポピンズ』を映画化するという娘との約束は果たしたかもしれないが、P・L・トラヴァースとの約束を守ったとはいえない。

 彼女はこの仕打ちを忘れなかった。トラヴァースの原作小説には何冊もの続編があったから、ウォルト・ディズニーはそれらも映画化したいと懇願したが、彼女は金輪際映画化を認めなかった
 挙げ句の果てに、彼女がマッキントッシュに出した条件が「米国人は参加させないこと」だったのだ。ディズニーはダメとか、ハリウッドの映画人はダメとかではない。米国人はダメ。
 30年以上前のロサンゼルスでの経験が、いかに嫌なものだったのかが察せられる。


 『ウォルト・ディズニーの約束』は商業映画だから、観終わった観客をいい気分で送り出さねばならない。映画を観たトラヴァースがショックと怒りのあまり泣き出したことを、感動で泣いているかのように描くことも必要だったのだろう。
 だが、現実はそんな風に調和的ではない。そこには、真に描かれるべきことがあるはずだ。

(つづく)


ウォルト・ディズニーの約束 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]ウォルト・ディズニーの約束』  [あ行]
監督/ジョン・リー・ハンコック
出演/エマ・トンプソン トム・ハンクス ポール・ジアマッティ ジェイソン・シュワルツマン ブラッドリー・ウィットフォード コリン・ファレル ルース・ウィルソン B・J・ノヴァク メラニー・パクソン アニー・ローズ・バックリー キャシー・ベイカー レイチェル・グリフィス
日本公開/2014年3月21日
ジャンル/[ドラマ] [伝記]
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【theme : ディズニー映画
【genre : 映画

tag : ジョン・リー・ハンコック エマ・トンプソン トム・ハンクス ポール・ジアマッティ ジェイソン・シュワルツマン ブラッドリー・ウィットフォード コリン・ファレル ルース・ウィルソン B・J・ノヴァク メラニー・パクソン

『ダンケルク』

これは映画か。
あまりに激しい緊張を強いられた私は、気持ちが悪くなるほどだった。いや、気持ちが悪くなった。

そのとき、確かに私は戦場にいた。絶望的な浜辺にいた。水没する船倉にいた。墜落する飛行機にいた。銃弾が降り注ぐ中にいた。死体が転がるあいだを歩いた。

そして、わずかに美しいものを見た。海の冷たさにもかかわらず、暖かいものがながれていた。勇気が閃いていた。暗く、荒れ果てた世界に、わずかだけれど確かにあった。

これが映画か。


Dunkirk: Original Motion Picture Soundtrack Importダンケルク』  [た行]
監督/クリストファー・ノーラン
出演/フィオン・ホワイトヘッド トム・ハーディ マーク・ライランス キリアン・マーフィ ケネス・ブラナー トム・グリン=カーニー ジャック・ロウデン ハリー・スタイルズ アナイリン・バーナード バリー・コーガン ジェームズ・ダーシー
日本公開/2017年9月9日
ジャンル/[サスペンス] [戦争] [ドラマ] [アクション]
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【theme : サスペンス・ミステリー
【genre : 映画

tag : クリストファー・ノーラン フィオン・ホワイトヘッド トム・ハーディ マーク・ライランス キリアン・マーフィ ケネス・ブラナー トム・グリン=カーニー ジャック・ロウデン ハリー・スタイルズ アナイリン・バーナード

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