『サイボーグ009』の秘密と「天使編/神々との闘い」の正体 【前編】

生誕80周年記念読本 完全解析! 石ノ森章太郎 ある本に書かれた疑問が、別の疑問を呼び起こした。

 その本とは、2018年に発行された『生誕80周年記念読本 完全解析! 石ノ森章太郎』。
 2018年は、1938年1月25日に生まれ、1998年1月28日に没した、石ノ森章太郎氏の生誕80周年にして没後20周年である。そのため、石ノ森氏に関する本がいくつも発行されたり、氏の半生を描いたテレビドラマ『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』が放映されたりした。『サイボーグ009』を軸にしながら、石ノ森作品全般の紹介や関係者へのインタビュー等で構成されたこの本もその一つだ。

 この本の「『009』誕生、そして最初の完結」と題された記事において、幕田けいた氏は、1961年に石ノ森章太郎氏が世界SF大会の取材の名目で行った世界一周旅行に言及し、次のような疑問を投げかけている。
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香港から東京に戻る飛行機の機内で、たまたま目にした雑誌「LIFE」に掲載されていた記事「Man Remade To Live In Space」を読み、アメリカで研究されている概念"サイボーグ"を知ったという。
ただし、この石ノ森がのちに語っている逸話にはちょっとした謎もあって、当該の「LIFE」は1960年7月発行。時期的には世界旅行と1年のずれがある。宇宙空間での活動のために体を改造するという記事内容は、実際に『009』作中でも言及された設定なので、石ノ森が読んでいるのは確実。もしかしたら、SF大会で入手した古雑誌だったのだろうか?
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 雑誌『LIFE』の記事がサイボーグのヒントになり、それが『サイボーグ009』に結実したということは、石ノ森章太郎氏が小学館の文庫版第1巻のあとがきや秋田書店の四六版上製本第5巻のあとがきその他で述べているから、009ファンにはよく知られた話だ。

 けれども、私が疑問に感じたのは、『LIFE』の記事がヒントになった話はいつまで紹介され続けるのだろうということだった。その話は、もういいのではないだろうか。


サイボーグ009 (第1巻) (Sunday comics―大長編SFコミックス)■『サイボーグ009』の元ネタ

 私は、石ノ森章太郎氏が『LIFE』の記事をヒントにサイボーグの構想を得たという話は、ジョージ・ルーカスが『千の顔を持つ英雄』に影響を受けたという話と同じようなものだろうと考えている。

 ジョージ・ルーカスはスター・ウォーズ・シリーズを構想するに当たって、神話学者ジョーゼフ・キャンベルが著した神話の構造に関する理論書『千の顔を持つ英雄』に大きな影響を受けたという。たしかにスター・ウォーズ・シリーズには神話的な要素が多々見受けられるので、ルーカスはかなり意識して神話を研究し、創作の参考にしたのかもしれない。
 だが、スター・ウォーズ・シリーズを作る上で影響を受けたものについて話すなら、神話に関する理論書に言及する前に、ルーカスには挙げるものがあるはずだ。黒澤明監督の映画やレンズマンシリーズといった、スター・ウォーズ・シリーズに先行する数々の娯楽作だ。

 ルーカスは、さすがに黒澤映画を完全に無視することはできないと考えたのだろう。『隠し砦の三悪人』に影響を受けたことは認めている。
 けれども、ルーカスが黒澤映画からいただいたアイデアはその程度ではない。『隠し砦の三悪人』に留まらず、『姿三四郎』からも『七人の侍』からも『椿三十郎』からもたくさんのアイデアの借用が見られる。『隠し砦の三悪人』は、黒澤映画を代表して名前を挙げられたに過ぎないだろう(詳しくは「スター・ウォーズに見る黒澤明」参照)。

 善悪の勢力が銀河を二分して戦う設定や大まかなストーリーラインは、E・E・スミスの名著レンズマンシリーズを下敷きにしたと思われる。「フォース」とか「シールド」とか「トラクタービーム」とか通貨単位の「クレジット」といったスター・ウォーズ世界で使われる用語も、E・E・スミスの作品に登場するものだ(詳しくは「『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』 それは新しい考えか?」参照)。

 だからジョージ・ルーカスには、神話の構造などという抽象的な話をする前に、まずストーリーは何に基づいており、キャラクターはどこから持ってきて、メカデザインやコスチュームデザインは何を真似たのか等を明らかにし、その上で全体に磨きをかける際に神話の理論を援用したんだといった具体的な話を聞きたいものだ。
 もちろん、ルーカスにそんなことを話す義務はない。どんなに他者のアイデアをパクろうが真似ようが、どのアイデアをどう組み合わせるのか、その裁量がルーカスにある以上、完成したスター・ウォーズ・シリーズはルーカスだから作れた唯一無二の作品だ。
 それに、元ネタになった諸作品にはそれぞれの著作権者がいるので、下手なことを云って権利問題に発展するのは避けたいはずだ。

サイボーグ009 (第2巻) (Sunday comics―大長編SFコミックス) だから、『千の顔を持つ英雄』に学びながら神話のパターンを踏襲しましたという説明は、とても無難な回答であろう。世界の神話は特定の個人に属するものではなく、誰もその権利を主張できないから。


 『サイボーグ009』に関しても『LIFE』の記事がヒントですと云われたら、海外の雑誌にまで目を通す作者のアンテナの高さに感心こそすれ、それにケチをつける人はいないだろう。

 けれど、多くの方がお気づきのように、『サイボーグ009』にはもっと直接的な元ネタがある。アルフレッド・ベスターのSF小説『虎よ、虎よ!』(別題『わが赴くは星の群』)だ。
 この小説の主人公は、謎の科学者集団によって身体を改造されてしまう。改造人間となった彼は科学者集団のアジトを脱出し、奥歯に隠されたスイッチで起動する加速装置を駆使して、孤独な戦いを続けていく。

 『LIFE』誌なんか関係なく、『虎よ、虎よ!』を読んでいればサイボーグ009の設定を作れることはお判りいただけるだろう。
 それどころか、「奥歯に隠されたスイッチで起動する加速装置」という009の特徴は、『LIFE』を読んだだけでは絶対に出てこない。『虎よ、虎よ!』をパクればこそだ。

 秘密の科学者集団に改造されたサイボーグが彼らのアジトを脱出し、孤独な戦いに身を投じる展開は、『サイボーグ009』のみならず『仮面ライダー』にも共通する。
 しかも、『虎よ、虎よ!』の主人公は、改造の際に、顔に虎のような模様を彫られている。怒りがつのると顔の模様が浮き出るという設定は、『仮面ライダー』のマンガ版にも受け継がれている(マンガ版の本郷猛は、この"傷痕"を隠すために仮面をかぶる)。


■『LIFE』の記事をヒントにしたという伝説

 『サイボーグ009』の開始に当たっては、もう一つのエピソードがある。アイデアが時代の先を行き過ぎて、なかなか出版社に受け入れられなかったというものだ。
 少年画報社の『週刊少年キング』で『サイボーグ009』の連載がはじまる前のことを、石ノ森章太郎氏は次のように語っている。[*1]
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サイボーグのアイデアは、アメリカのグラフ雑誌『LIFE』の記事からだった。集英社の『日の丸』という月刊誌の編集者に話したのだが、ムズカシスギルと断られ、代わりに『テレビ小僧』が生まれた。
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サイボーグ009 (第3巻) (Sunday comics―大長編SFコミックス) サイボーグ物が受け入れられなかったから『テレビ小僧』が誕生したというのだが、この話は疑問視されることがある。集英社の『日の丸』で『テレビ小僧』の連載がはじまったのは1959年の6月号。これは、1961年の世界一周旅行どころか、1960年7月の当該『LIFE』誌発行よりも前なのだ。だから、『テレビ小僧』連載前に集英社とサイボーグの話ができるはずがない、と云われる。

 人の記憶はあやふやだから、記憶食い違いが生じるのは仕方がないが、このエピソードに関しては、私は逆にサイボーグ(改造人間)のヒントが『LIFE』の記事によるものではない傍証だと考えている。現在では『虎よ、虎よ!』の題で知られるベスターの小説が、『わが赴くは星の群』の邦題で講談社から発行されたのは1958年だからだ。『テレビ小僧』連載の前年には、サイボーグが活躍する小説が日本で入手可能だったのだ。

 『サイボーグ009』のプロトタイプと云われる作品に、1963年発表の短編『敵 THE ENEMY』がある。この作品では、宇宙空間での活動のために改造されたサイボーグ37号が、次々に襲い来る敵と戦う様子が描かれている。これはたしかに、宇宙空間での活動のための肉体改造に関する『LIFE』の記事の内容に近い。
 『LIFE』誌の記事「Man Remade To Live In Space」によって石ノ森章太郎氏が知ったのは、サイボーグの概念そのものではなく、おそらく「CYBORG(サイボーグ)」という用語だ。この記事は「CYBORG」という用語を考案したマンフレッド・クラインズとネイザン・S・クラインに取材し、「CYBernetic ORGanism」の略称である「CYBORG」という語を紹介している。

 時系列でいえば、次のような経緯だったはずだ。

(1) 1958年 『わが赴くは星の群』、講談社から発行(『虎よ、虎よ!』の題で早川書房から発行されるのは1964年6月)。

(2) 1959年 改造人間(サイボーグ)の話が集英社に受け入れられず、代わりに『テレビ小僧』を連載開始。

(3) 1960年~1963年 1960年7月発行の『LIFE』の記事「Man Remade To Live In Space」を目にして、「CYBORG(サイボーグ)」という用語と、サイボーグなら真空中でも宇宙服なしで活動できるというアイデアを知る。

(4) 1963年 宇宙空間での活動のために改造されたサイボーグ37号を主人公とする『敵 THE ENEMY』を発表。

(5) 1964年 『週刊少年キング』1964年30号(7月19日号)にて『サイボーグ009』連載開始。はじまりは、ジョーが少年鑑別所を脱走するところから。

(6) 1964年末 『別冊少年キング』1965年1月号に読み切り短編『サイボーグ戦士』掲載。サイボーグが作られた目的・背景を考えるように少年キングの山部徹郎編集長から要請された石ノ森章太郎氏は、「反戦をテーマに」据えることとし、ブラック・ゴーストの「未来戦計画」――成層圏戦争用兵士としてサイボーグを開発する構想――や、001~008が拉致・改造された経緯を、後付けの短編として執筆する。この短編は、『サイボーグ009』単行本化の際に、「誕生編」の冒頭部に位置づけられた。[*2]

 こう考えれば、『LIFE』の記事をヒントにしたという話も、サイボーグ物が受け入れられず『テレビ小僧』がはじまったという話も両立する。

サイボーグ009 (第4巻) (Sunday comics―大長編SFコミックス) ジョージ・ルーカスが『千の顔を持つ英雄』に影響を受けたと云うのが嘘ではないように、石ノ森章太郎氏が『LIFE』の記事を読んだのも嘘ではなかろう。
 ただし、『LIFE』の記事が直接ヒントになったのは短編『敵 THE ENEMY』のほう。『サイボーグ009』は、「サイボーグ」という用語を受け継いだに過ぎない(連載開始時は、成層圏戦争用兵士としてサイボーグを開発する背景はなかったから)。
 『千の顔を持つ英雄』をいくら読んでも血沸き肉躍る大宇宙の冒険活劇はできないように、『LIFE』の記事を読んだだけでは奥歯のスイッチで加速するサイボーグは誕生しない。サイボーグ物の発想の原点は、『虎よ、虎よ!』(『わが赴くは星の群』)なのだ。

 そして、ジョージ・ルーカスが具体的なネタ元を説明しないように、石ノ森章太郎氏もあえて『虎よ、虎よ!』からのパクリに触れたりはしない。『LIFE』の記事をヒントにしたという説明は、とても無難な回答であろう。


■はじまりだけではない

 よく知られているように、石ノ森作品にはパクリと思われるものが多い。たとえば、

・『漫画少年』1955年1月号から連載されたデビュー作『二級天使』の、二級天使(Angel Second Class)が一人前になるために人間界で人助けをする設定からして、フランク・キャプラ監督の映画『素晴らしき哉、人生!』(日本公開は1954年2月6日)そのままだし、
・会うたびに成長している謎の少女とのロマンス『昨日はもうこない だが明日もまた…』(1961年)は『ジェニーの肖像』(本邦初訳は1950年発行、映画版の日本公開は1951年7月3日)に*想を得た*ものだし、
・異星の知的生命体に取りつかれた主人公が、その生命体の力を得て犯罪捜査を行う『アンドロイドV』は、ハル・クレメントの『20億の針』だし(同アイデアを使った作品では『ウルトラマン』が有名)、
・人間の刑事とロボットの刑事がコンピを組む『ロボット刑事』のアイデアは、アイザック・アシモフの『鋼鉄都市』のパクリだし、
・人類文明の後を犬とロボットが受け継ぐ『ドッグワールド』は、クリフォード・D・シマックの『都市』が元ネタだし、
・新人類の主人公がサナギマンに変身する『イナズマン』は、ジョン・ウィンダムの『さなぎ』からの着想だろうし、
・サナギマンがさらに蝶のようなイナズマンに変身するのは、額に特殊な触毛が生えた新人類が活躍するヴァン・ヴォークトの『スラン』がベースだろう。

サイボーグ009 (第5巻) (Sunday comics―大長編SFコミックス) 『サイボーグ009』の最高傑作と評される「地下帝国ヨミ編」だって、翼竜のような知的生物ザッタンが原人やヒトを支配し、相手を催眠状態に陥れて食べてしまう(特にヒトが大好物)という地底世界の設定は、まるまるエドガー・ライス・バローズのペルシダー・シリーズ(1914年~)からのものだ。
 ペルシダー・シリーズでは、そんな地底世界に勇敢な地上人がやってきて、ヒトを解放し、帝国を建設する。それを「地下帝国ヨミ編」では、地上人がブラック・ゴーストだったら、という形で取り入れている。[*3]
 また、「地下帝国ヨミ編」のラストシーンが、レイ・ブラッドベリの短編小説『万華鏡』をベースにしていることは、つとに有名だ(「地下帝国ヨミ編」の『週刊少年マガジン』連載は1966年30号~1967年13号、『万華鏡』を含む短編集『刺青の男』の日本での発行は1960年)。

 こんなことをくどくど書いたのは、パクリばっかりでけしからんと云いたいからではない(私は、パクリは創作活動の大事な要素だと考えている)。はたまた、こんなに元ネタに気がつきましたと自慢したいのでもない。
 『LIFE』の記事をヒントに『サイボーグ009』が構想された――という建前的な話よりも、石ノ森作品を考察する上では、先行作品の何をどう取り込んで成立したか、どこが流用でどこが石ノ森章太郎独自のヒネリなのかを探求することが大切だと思うからだ。

 特に未完のままで作者が他界してしまった『サイボーグ009』の完結編を考える上では。
 『虎よ、虎よ!』を元ネタにして『サイボーグ009』がはじまったように、とうぜんのことながら『サイボーグ009』の終わりにも元ネタがある。

(つづく)


[*1] 「あとがき」 『サイボーグ009』小学館 文庫版第1巻 1976年6月20日発行

[*2] 桑村誠二郎氏(少年キングの『サイボーグ009』担当編集者)のインタビューから 『サイボーグ009コンプリートブック』収録 2001年10月19日発行

[*3] ただし、ペルシダー・シリーズの本邦初訳は1971年であり、「地下帝国ヨミ編」(『週刊少年マガジン』1966年30号~1967年13号)執筆の前。石ノ森氏は、海外SFの紹介記事等でペルシダー・シリーズの設定を知ったのかもしれない。「地下帝国ヨミ編」執筆後、ペルシダー・シリーズは複数の出版社から競って発行されたり、映画が公開されたりして注目を集めるようになった。


サイボーグ009 (第6巻) (Sunday comics―大長編SFコミックス)サイボーグ009』 [本]
作/石ノ森章太郎
初出/1964年~1992年
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [スーパーヒーロー]
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【theme : 漫画
【genre : アニメ・コミック

tag : 石ノ森章太郎 ジョージ・ルーカス

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と『サニー 永遠の仲間たち』、少し『タクシー運転手 約束は海を越えて』

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track Soundtrack 2018年公開の日本映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は、韓国映画の傑作『サニー 永遠の仲間たち』を、『モテキ』『バクマン。』の大根仁監督がリメイクしたのだから鉄板だ。歌あり、ダンスあり、恋と喧嘩と友情あり。懐かしい1990年代のヒット曲に乗せて、ついホロリとさせられる、とても素敵な作品だ。

 ストーリーは原作映画とほぼ同じである。主人公たち六人組の暮らす現代と、彼女らが回想する高校時代を並行してたどりながら、ままならない人生の切なさと仲間たちとの輝かしい日々を描き出す。
 映画冒頭のテレビ番組で安室奈美恵デビュー25周年を報じていたから、劇中の「現代」は2017年だ。主人公・奈美が淡路島から転校してきた理由が、阪神・淡路大震災で父の職場が壊滅したためなので、「高校時代」は1995年であろう。これは2017年に40歳になった女性たちの物語なのだ。

 韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』は、映画公開の2011年を現代として、25年前、すなわち1986年の高校時代を振り返っていた。
 両作品は同じような設定で、時代もそれほど異なるわけではないが、映し出される光景はまるで違う。『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は必ずしも1995年でなく前後2~3年でも構わなかっただろうが、『サニー 永遠の仲間たち』が振り返るのは、どうしても1986年でなければならなかったはずだ。


タクシー運転手 約束は海を越えて [Blu-ray] かつて、軍事独裁政権に支配され、民主制からほど遠かった韓国では、民主化運動が盛んだった。
 特に全斗煥(チョン・ドゥファン)将軍がクーデターで実権を握った後に起きた1980年の光州事件は、諸外国にも衝撃を与えた。韓国南部の光州市で、民主化を要求する市民たちと軍・警察が衝突、激しい抗争に発展し、多くの民間人が殺されたのだ。
 韓国は戒厳令下にあったため、何が起きているのかはっきりしたことが判らない中、危険を冒して光州市に潜入し、軍に武力鎮圧される市民の姿を映像に収めて日本国に脱出したのが、ドイツ公共放送連盟東京支局の特派員ユルゲン・ヒンツペーターだった。彼の活躍により、光州市の惨状を世界が知ることになる。

 "青い目の目撃者"と呼ばれるヒンツペーター記者と、彼を乗せたタクシーの運転手キム・サボクの決死行をモデルに映画にしたのが『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)である。
 外信記者を乗せて民主化のために走り回っていたというキム・サボクが、映画では金に困った冴えない親父キム・マンソプとして描かれたり等の違いはあるが、独裁者朴正煕(パク・チョンヒ)が倒された後の民主化ムードを一瞬で吹き飛ばし、新たな軍事独裁政権の幕開けを告げた光州事件の衝撃を、この作品はよく表している。
 (相対的に)自由と民主主義に溢れる隣国日本を対置させることで、独裁政権下の韓国の危険と不自由さを感じさせたのも印象深い。

サニー 永遠の仲間たち デラックス・エディション Blu-ray 光州市民を弾圧した後、オリンピックの誘致等で国民の目をくらましていた全斗煥政権であったが、激しい反政府運動に押され、遂に1987年6月に与党側から民主化宣言を出すことになる。
 『サニー 永遠の仲間たち』の舞台である1986年は、民主化宣言が出る直前だ。この映画では、民主化運動の闘志たる兄が登場したり、少女たちの喧嘩が政府と民衆の抗争に重ね合わされたりして、少女たちの生き様と、自由と民主主義を渇望する国民の戦いが重なる構図になっている。

 すなわち、『サニー 永遠の仲間たち』は、主人公の女性たちが高校時代を懐かしむだけの映画ではないのだ。彼女たちの回想を通じて、韓国の市民一人ひとりが軍事独裁政権下の生活と圧制に抗した日々を想い起し、あるいは当時生まれていなかった若者は政府と戦う勇気と先人の苦労を知り、いま手にしている平和と民主主義の大切さを噛みしめる作品なのだ。
 だからこそ、40代女性の回顧映画に留まらず、国民みんなの共感を得て、韓国で740万人を動員する大ヒットになったのだろう。

 

 日本版リメイクの『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と同じく2018年に公開されたベトナム版リメイク映画『Thang Nam Ruc Ro』(眩しい五月)も、韓国版の構図に似ている。
 ベトナム版は、時代を2000年と1975年に設定している。25年を隔てた二つの時代を描くのは韓国版と同じだが、ベトナムで1975年といえばベトナム戦争最後の年だ。こちらの映画は、1975年4月30日にサイゴン政権が崩壊する前の南ベトナムを舞台に据えて、ゴ・ディン・ジエム大統領の圧制に対抗するべく結成された南ベトナム解放民族戦線とサイゴン政権が戦った動乱の時代を振り返る。南北ベトナムの統一後、経済発展を続ける平和な現在と対比しながらだ。

 このように両国版とも国民すべてに関係する社会の変化を踏まえた作りになっているが、日本版はそのような歴史的・社会的な視点を持ちえない。日本国には、よりよい社会にしようと皆が立ち上がり、自由と平和を獲得した国民共通の思い出がないからだ。
 代わりに『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描くのは、1990年代の風俗ファッションだ。本作は、"コギャル"と呼ばれた当時の女子高生の生態図鑑になっている。

 とはいえ、それこそが大根仁監督の狙いであろう。
 本作をつくるに当たり、大根仁監督は「90年代後半、20世紀最後のどんちゃん騒ぎを象徴する存在である“コギャル”のことはいつか物語にしたいと思っていました。彼女たちがアラフォーになる今、機は熟したのかなと。」と述べている。

 原田眞人監督のテレビ映画『盗写 1/250秒 OUT OF FOCUS』(1985年)を愛し、映画『SCOOP!』(2016年)としてリメイクしたほどの大根監督にとって、いつか物語にしたいと思っていたコギャルのこととは、原田監督がコギャルを描いた1997年の『バウンス ko GALS』に返歌を送ることだったのかもしれない。
 いくらコギャルの映画を撮りたくても、1990年代ならともかく21世紀にそんな機会がそうそうあるはずがない。しかし、40代の女性が高校時代を振り返る『サニー 永遠の仲間たち』の手法を使えば、そしてコギャル世代が40歳前後になる"今"ならば、コギャル映画を世に送り出すことが可能だろう。大根監督はそう考えたのではあるまいか。

 

【チラシ付き、映画パンフレット】SUNNY 強い気持ち 強い愛  本作が描くのも「革命」なのだと大根仁監督は云う。
 「日本版で描かれるのは、女子の革命。決して周りに合わせることなく、ギャル自らが自分たちのルールと価値観を作った“ガールズ・ブラボー”な時代です。オヤジたちにNOを突き付けて波風を立て、男社会の中でアイデンティティを確立しようとした彼女たちが、女子の在り方を変えたとも言えます。」

 残念なのは、よしんば90年代がガールズ・ブラボーな時代だったとしても、女子の革命であったとしても、それが国民みんなの共通の思い出ではないことだ。

 たとえば本作は、韓国版の七人組「サニー」を六人組に減らしている。転校生のナミを奈美へ、リーダーのチュナを芹香に、保険の外交員になる太っちょのチャンミを不動産営業の梅に、金持ちと結婚するジニを裕子に、ミス・コリア志望のおしゃれ好きなポッキを美容師志望の心(しん)に、モデルの美少女スジを奈々に置き換え、原作に忠実に対応させながら、本作はメガネの文学少女クムオクだけを消してしまった。原作の個性的なメンバーを一律コギャルに置き換えた中に、コギャルらしからぬ文学少女の占める場所はなかったのだろう。
 90年代にもメガネの文学少女はいたと思うが、本作は女子高生の物語にするだけでなく、女子の範囲をも狭めてしまった。

 たしかに七人組は多すぎかもしれない。韓国版は124分の中にエピソードがぎゅう詰めで、かなり目まぐるしい展開だった。日本版同様118分のベトナム版も、六人組に改変している。余裕をもって描くなら六人がいいとこなのだろう。
 だが、一人でも多くの観客に共感してもらうには、できるだけ多くの人生模様を描きつつ、共通項を見出したほうがいいはずだ。
 コギャル文化の掘り下げに集中した本作は、韓国版のスタンスとはまるで逆だ。


 クムオクを削ったことで弱まったものは他にもある。
 貧困の描写だ。
 奈美(=ナミ)は高給取りの夫と暮らす主婦、芹香(=チュナ)はビジネスに成功した大富豪、裕子(=ジニ)は金持ちと結婚して玉の輿と、大人時代の彼女たちは裕福な暮らしぶりを見せつける。本作には生活にゆとりがない梅(=チャンミ)や、転落人生を歩む心(=ポッキ)も登場するが、心がアルコール依存症を病んでいるせいもあり、貧困問題より生活のすさみ方が気になってしまう。
 韓国版では、ここに家族の厄介者になっている無職のクムオクが加わることで、否応なしに貧富の差が浮かび上がるようになっていた。

 日本で90年代に高校生といえば、就職氷河期に直面した、いわゆるロスジェネ世代だ。思うように就職できず、低収入を強いられる人が多かった世代である。
 この二十数年、日本国で起きているのは貧困層の増加と格差の拡大、そして階級社会化だ。
 韓国版に負けず劣らず、日本版でも貧困問題を取り上げる余地はあったと思うのだが。


 かように、韓国版と日本版では、ストーリーがほぼ同じでも印象が大きく違う。
 少女たちの喧嘩が政府と民衆の抗争に重ね合わされ、国民みんなが一体となって戦う様子を演出した韓国版の乱闘シーンは、日本版では遊園地のプールの出来事になった。水着姿ではしゃぐ客たちに交じって、水鉄砲を撃ったりする少女たちは、喧嘩というより楽しいじゃれ合いのようだ。とても国民みんなの戦いには感じられない。

 韓国の観客は、老若男女誰もが『サニー 永遠の仲間たち』の少女たちに、その後ろで民主化のために戦う学生・市民たちに声援を送り、拍手喝采したに違いない。
 日本映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を観ながら、日本国には皆で社会をこんなに良くしたんだと振り返る思い出がないのかと、さみしさを噛みしめた。


「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track SoundtrackSUNNY 強い気持ち・強い愛』  [さ行]
監督・脚本/大根仁
出演/篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 小池栄子 ともさかりえ 渡辺直美 池田エライザ 山本舞香 野田美桜 田辺桃子 富田望生 三浦春馬 リリー・フランキー
日本公開/2018年8月31日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [音楽]
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【theme : 日本映画
【genre : 映画

tag : 大根仁 篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 小池栄子 ともさかりえ 渡辺直美 池田エライザ 山本舞香 野田美桜

『インクレディブル・ファミリー』 世界は女で回ってる

【チラシ付き、映画パンフレット】 インクレディブル ファミリー 【ネタバレ注意】

 2004年公開の『Mr.インクレディブル』は、スパイアクションの傑作だった。ジョン・バリーが音楽を手がけた頃の007シリーズ、その音楽にそっくりな曲に乗せて、アクションと秘密兵器をてんこ盛りにした映画だった。
 ちょうど本家007シリーズの空白期間に公開されたこともあり(『007/ダイ・アナザー・デイ』を最後にピアース・ブロスナンがジェームズ・ボンド役のシリーズが終わり、ダニエル・クレイグが『007/カジノ・ロワイヤル』でジェームズ・ボンド役に就く前の時期だった)、痛快スパイアクションを渇望する観客を楽しませてくれた。
 ブラッド・バード監督が大作スパイアクション映画『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の監督に招かれたのも、もっともな面白さだ。

 その上『Mr.インクレディブル』は、超人的な能力を持つスーパーヒーローチームの物語でもあり、親子、夫婦の不和を乗り越える家族の物語でもあった。


■インクレディブル・ファミリーの原型

ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] [Blu-ray] インクレディブル一家が、アメコミ史上初のスーパーヒーローチームである『ファンタスティック・フォー』(テレビアニメの邦題は『宇宙忍者ゴームズ』)を模しているのも楽しい。

 Mr.インクレディブルのネーミングは、もちろんファンタスティック・フォーのリーダー、Mr.ファンタスティックが元ネタであろう。けれども体が頑丈で怪力を持つところは、ファンタスティック・フォーのメンバー、ザ・シングからのものだ。

 Mr.ファンタスティックのゴムのように伸び縮みする能力は、こちらではMr.インクレディブルの妻イラスティガール(弾力女子)のものになっている。

 ファンタスティック・フォーの紅一点、インヴィジブル・ガールの透明化能力とエネルギーシールドを作る能力は、Mr.インクレディブルとイラスティガールの娘ヴァイオレットに受け継がれている(ヴァイオレットの名は、Mr.ファンタスティックとインヴィジブル・ガールの娘ヴァレリアのもじりだろうか)。

 Mr.インクレディブルとイラスティガールの長男ダッシュの「若い男の子がスーパーヒーロー」というコンセプトは、ファンタスティック・フォーの最年少メンバー、ヒューマン・トーチに通じる。ただし、ヒューマン・トーチの能力、すなわち全身から火を放ち、空中浮揚するところは、ダッシュの弟ジャック・ジャックが再現していた(ダッシュの超高速で動ける能力は、DCのフラッシュ又はマーベルのクイックシルバーから)。
 ジャック・ジャックが多様な能力を秘めているところは、Mr.ファンタスティックとインヴィジブル・ガールの息子フランクリンのようでもある(ちなみに、「ジャック」はバード監督の息子の名)。

 Mr.インクレディブルの友人であるスーパーヒーロー、フロゾンは、そのツルンとした外見や、みずから発生させた氷の上をスノーボードで疾走する姿から明らかなように、ファンタスティック・フォーの友人で、サーフボードで空中を疾走するシルバーサーファーに相当しよう。フロゾンがインクレディブル一家にあそこまで肩入れするのは、ファンタスティック・フォーとシルバーサーファーの関係が下敷きにあればこそだ。

 Mr.インクレディブルの敵シンドロームも、かつて敵ではなかったのにMr.インクレディブルを逆恨みして敵対したり、超能力がなくても各種の科学兵器を発明して強敵たり得るところなど、Mr.ファンタスティックを逆恨みした天才科学者ドクター・ドゥームを踏襲したキャラクターに違いない。


Mr.インクレディブル MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]■「途方もない家族」の物語

 さて、『Mr.インクレディブル』という題名だとMr.インクレディブルだけが主人公のようだが、原題は『The Incredibles』。「途方もない人たち」という意味と、「インクレディブル一家」という意味を掛けたものだろう。ブラッド・バード監督がかつて手掛けたアニメ番組『ザ・シンプソンズ』(シンプソン一家)と同様のネーミングだ。
 だから続編『Incredibles 2』の邦題が『インクレディブル・ファミリー』になったのは、より原題の意味に近くなって喜ばしい。これなら「インクレディブル一家」という意味にも取れるし、「途方もない家族」と解釈することもできる。

 そして『インクレディブル・ファミリー』は、前作に負けず劣らず充実したスパイアクションだ。
 21世紀を代表するスパイアクション映画『ミッション:インポッシブル』シリーズでも最大のヒット[*]となった第四作『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』を監督しただけあって、ブラッド・バードのスパイアクションの腕は冴えている。冒頭から前作のクライマックスを凌ぐほどのアクションが炸裂し、そこから一転、陰謀がインクレディブル一家を巻き込むサスペンスを経て、最後は一大スペクタクルが待ち受ける。主演がトム・クルーズでもおかしくない、豪快なアクション大作だ。

 『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の次にブラッド・バード監督が手掛けた『トゥモローランド』(2015年)は、これまた面白くて素晴らしい作品だったのに、興行的に振るわなかったのは残念だ。
 シリーズ物よりオリジナル作品を優先するブラッド・バード監督は、『ミッション:インポッシブル』シリーズ第五作のオファーを断り、『スター・ウォーズ エピソードVII/フォースの覚醒』の監督も断って『トゥモローランド』に専念したのに、結果的にディズニーに大赤字を負わせてしまった。
 『トゥモローランド』の次に監督したのが、シリーズ化された『インクレディブル・ファミリー』なのは皮肉な巡り合わせだが、本作がブラッド・バード監督最大のヒットとなり、ディズニー/ピクサーに莫大な利益をもたらしたのはめでたいことだ。


The Art of Incredibles 2 (英語) ハードカバー■14年の歳月は状況を変えた

 しかし、前作『Mr.インクレディブル』公開からの14年は、続編制作を困難なものにしかねなかった。
 1960年代風のスパイアクションは後発の『怪盗グルー』シリーズが何度も繰り返してしまったし、方々の映画会社に自社作品の映画化を持ちかけていたマーベルはマーベル・シネマティック・ユニバースを成功させてスーパーヒーロー映画の大量生産を成し遂げた。前作の特徴であったものが、今や珍しくもなんともなくなってしまったのだ。


 1960年代風といえば、本作の中でインクレディブル一家が見ているテレビにアニメ番組の『科学少年J.Q』(原題『Jonny Quest』)の第8話「The Robot Spy」が映っていることから、その日が1964年11月6日であることが判る。再放送の可能性もあるけれど、『科学少年J.Q』だけでなくテレビドラマ『アウター・リミッツ』(1963年~1965年)を見ている場面もあるから、本作の時代設定が1964年であることは間違いあるまい。

インクレディブル・ファミリー オリジナル・サウンドトラック Soundtrack 1960年代を舞台にした『怪盗グルー』シリーズの『ミニオンズ』が、当時のヒット曲を散りばめて60年代らしさを醸したのも良かったが、本作は負けず劣らず60年代そのものとしか思えないテーマソングをみずから発信して楽しませる。
 劇中でも使用されるMr.インクレディブルのテーマソング『たたかえMr.インクレディブル』、フロゾンのテーマソング『アイツはフロゾン』、そしてイラスティガールのテーマソング『ゴーゴー・イラスティガール』は、いずれも名曲揃い。これらを収めたサウンドトラック盤は必聴だ。

 とはいえ、前作と同じくマイケル・ジアッチーノが担当した音楽は、全体的には前作ほど60年代らしく感じない。前作の楽曲はジョン・バリーが甦ったかのようだったが、本作ではそれほどジョン・バリーの再現に努めてはいないようだ。映画全体が、『ミニオンズ』のような徹底した60年代らしさを訴求しようとは考えていないようなのだ。


 スーパーヒーロー映画としては、前作同様に充実した内容で楽しませてくれる。
 Mr.ファンタスティックのエピゴーネンであるイラスティガールは、ドアの隙間から手を差し込んで錠を開けたり、冷凍室に閉じ込められて伸び縮みできなくなったりと、2005年の映画『ファンタスティック・フォー [超能力ユニット]』と同じことを繰り返してみせる。

 対する敵のスクリーンスレイヴァーが催眠技術で人々を操るのは、ファンタスティック・フォーの敵パペット・マスターを模したものだろうか。このスクリーンスレイヴァーというキャラクター、1960年代らしくテレビ受像機や各種モニターを介して人々を操るのだが、これはスマホのスクリーンを見て下を向いてばかりいる2010年代の大衆への痛烈な皮肉であろう。パソコンの画面で勝手に立ち上がる「スクリーンセイバー」と、奴隷商人を意味する「スレイヴァー(slaver)」を掛け合わせたネーミングも秀逸だ。

 しかも、前作ではインクレディブル一家とフロゾンくらいしか登場しなかったスーパーヒーローが、今回は新世代のメンバーを加えてわんさか登場し、敵味方に分かれて大暴れ。
 敵の陰謀も、個人的な満足を得ようとした前作のシンドロームの悪事よりも社会的に影響の大きい企みとなり、はるかにスケールアップした。

 とはいえ、あの手この手でスーパーヒーロー映画が繰り出される昨今、スーパーヒーローの増員や多少の陰謀では差別化は図れない。
 前作は、スーパーヒーローが非合法化され、その上スーパーヒーローが次々抹殺されるというマンガ『ウォッチメン』をその映画化の前に先取りしたが、本家『ウォッチメン』の映画が2009年に公開され、さらに公的機関の管理下に置かれそうになったスーパーヒーローたちが敵味方に分かれて戦う『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)まで公開された後となっては、本作の今さら感は拭えない。


 だが、本作の真価は、1960年代風のテイストやスーパーヒーローの活躍ではない。


■「他に例がないもの」

 長年、ピクサーへ来るようにジョン・ラセターから誘われていたブラッド・バードが、ようやく入社を決めたときにラセターから出された要求は一つだけ。「ずっと作りたかった映画を作ること」だった。
 10年以上にわたり、スーパーヒーローの家族に関する作品を作りたいと思っていたブラッド・バードは、さっそく『Mr.インクレディブル』に取り組んだ。その背景には、『ザ・シンプソンズ』等の制作に追われた90年代、三人の子宝に恵まれながらブラッド・バード自身が仕事と家庭のバランスに悩んだ経験があったという。

 『トゥモローランド』が完成し、本作の脚本執筆に取りかかっていた2015年当時のインタビューで、ブラッド・バード監督はスーパーヒーロー物の興隆が長続きするとは思えないとして、時代を超えたものを作る重要性を強調した。
 「スーパーヒーローの部分には興味がないのです。より興味を抱くのは、家族のダイナミックな関係や、スーパーヒーロー的なものがそこにどう関わるかということです。この方向性はとても興味深いと思うし、他に例がないものです。」

ファンタスティック・フォー:銀河の危機 [Blu-ray] なるほど、だから『ファンタスティック・フォー』なのか。
 ファンタスティック・フォーの特徴は、アメコミ史上はじめてのヒーローチームということだけでなく、同時に家族でもあることだ。Mr.ファンタスティックとインヴィジブル・ガールは夫婦であり、ヒューマン・トーチはインヴィジブル・ガールの弟だ。他のスーパーヒーローも結婚したり親族関係が語られることがあるけれど、もっとも古く、たった四人のヒーローチームのうちの三人が家族であるという点で、ファンタスティック・フォーの特異な地位は揺るがない。
 ブラッド・バード監督がファンタスティック・フォーをモデルにインクレディブル・ファミリーを創造したのは、個々の特殊能力を真似したかったわけではなく、家族でありながらスーパーヒーローチームというファンタスティック・フォーが提示したモチーフを掘り下げたかったからなのだろう。

 バード監督は『Mr.インクレディブル』において、会社をクビになった上にそれを家族に打ち明けられず、何とか稼ごうとしてあがく父親という、およそスーパーヒーローらしからぬ切ない中年男を描き出した。この作品の結論は、家庭のことは妻に任せきり、その代わり稼ぐことについては夫だけが悩むという"役割分担"はもうやめて、みんなで悩みと苦労を分かち合おうという新たな家族像を提示することだった。

 そして本作――。
 Mr.インクレディブルことボブと、イラスティガールことヘレンが、働き手と家事の役割を交替するアイデアは、前作公開時からバード監督の中にあったという。しかし、完璧なストーリーを思いつくのに何年も要したのだった。
 このストーリーが実に面白く、「他に例がないもの」になっている。スーパーヒーローのはずのMr.インクレディブルが家事に専念し、悪との戦いが繰り広げられるのをテレビで見ているだけだなんて、そんなスーパーヒーロー映画が他にあろうか。

 スーパーヒーロー映画として見た場合、本作は完全にイラスティガールが主人公になっている。これがまた本作を際立たせる点だ。
 2010年代、マーベル・シネマティック・ユニバースの名の下にスーパーヒーロー映画が量産されたにもかかわらず、『キャプテン・マーベル』が公開された2019年まで女性が主人公の映画はなかった。ライバルといえるDCエクステンデッド・ユニバースに目を向けても、女性の主演映画は『ワンダーウーマン』(2017年)とその続編(2019年)しかない。スーパーヒーロー映画に欠かせない天才科学者も、2018年に『ブラックパンサー』が公開されるまで男性に占められていた。

 スーパーマンが受ければ『スーパーガール』(1984年)、英雄コナンが受ければ『レッドソニア』(1985年)、バットマンが受ければ『キャットウーマン』(2004年)、デアデビルはそれほど受けなかったが『エレクトラ』(2005年)等、男性ヒーローの人気にあやかる形で女性が主人公のアメコミ(スピンオフ)映画が作られたこともあったけれど、興行的にも批評的にも成功した女性スーパーヒーロー映画は『ワンダーウーマン』が初めてだろう。そんな状況でブラッド・バード監督は、『ワンダーウーマン』公開のはるか前から女性を主人公に据えたスーパーヒーロー映画を作ろうとしていたのだ。
 しかも『ワンダーウーマン』でさえ、女性が男性と並んで戦う話であり、男性が家庭を守る映画ではなかった。現実の世界では、妻が稼ぐ一方、夫が家事に専念する家庭だって少なくないと思うが、ことスーパーヒーロー映画では前代未聞の設定だ。
 たしかに、本作は時代に縛られない、時代を超えた映画といえよう。


インクレディブルファミリー ポスター 60x90cm■世界の真実

 ただ、これは米国においてのこと。日本ではいささか事情が異なる。
 なにしろ、日本にはセーラームーンやプリキュア等の女性スーパーヒーローがたくさんいるし、彼女たちの主演映画も山のように作られている。日本の観客にとっては、イラスティガールが前面に出て大活躍しても、さほど新鮮ではあるまい。

 夫と妻が役割を交替するのも、日米では受け止め方が異なるだろう。
 多くの国では、家の外に出る稼ぎ手が経済力を持っている。だから夫だけが稼ぎ手であれば、世帯収入すべてが夫の手中にあることになる。ところが日本では、夫が稼いだ金は妻の管理下に置かれ、夫は妻から小遣いをもらうケースが少なくない。この場合、夫が自由にできるのはわずかな小遣いに限られ、稼ぎ手ではない妻のほうが経済力を持つことになる。深尾葉子氏は、このような夫婦の関係を、水生昆虫タガメがくちばしをカエルに挿して肉を吸い取る様になぞらえ、「タガメ女」と「カエル男」と名付けている。カエルがあちこちで獲物を捕らえ、自分の養分にしようとしても、すべてはタガメに吸い取られてしまうのだ。
 家事をボブに任せたイラスティガールことヘレンは、社会に活躍の場を得て生き生きして見える。だが、カエルに取りついて養分を吸うタガメの場合、わざわざカエルの立場になって喜ぶかは疑問である。

 もちろん、日本にだって「タガメ女」「カエル男」でない男女はたくさんいよう。女性みずから稼ごうとすると、有形無形の障害が立ちはだかるのが問題であることは云うまでもない。

 ともあれ本作は、夫婦や親子のあり方を問うて家族に変化を促す物語であり、スーパーヒーロー映画にありがちな都合のいいアジェンダ設定――宇宙からの侵略者や悪の秘密結社との闘いにかまけて、目の前の家族との良好な関係構築というもっと難しいことを後回しにする――を打ち破る、特筆すべき作品といえよう。


 さらに云えば、本作が提示するのは単なる男女の役割交替ではなく、圧倒的に女性中心に回っている真の世界像だ。

 本作の悪役イヴリンは、幾重もの意味で新しいキャラクターだ。007シリーズには登場したこともない女性の黒幕であること、『ブラックパンサー』のシュリ王女に続く女性の天才科学者であること。そして、映画に出てくる女性の黒幕といえばせいぜい魔女とか欲望の塊のおばさんとか、あまり知的な人物ではないことが多いのに、本作のイヴリンは天才的頭脳を駆使して、世界の人々のメンタリティを変えようとする。

 イヴリンには、大金持ちだがお人好しの兄ウィンストンがいるけれど(ウィンストンのほうが黒幕だと考えた観客もいることだろう)、初期段階の構想ではネルソンという悪い兄がいて、兄のほうが真の黒幕とされていた。そしてイヴリンは電気を操るシェレクトリック(Shelectric=彼女(she)+電気(electric))となってインクレディブル一家を襲うはずだった。
 しかし、女性――それも超能力を持ち出したりせず、頭脳を駆使して悪事を働く女性――の黒幕が好ましいという作り手の判断から、現在のイヴリンが創造されたという。
 おかげで、彼女の兄はただの善良な脇役となり、電気を操るスーパーヒーローとして別途ヘレクトリクス(He-Lectrix=彼(he)+電気(electric))が誕生した。

インクレディブルファミリー  Mrインクレディブル ポスター 60x90cm イラスティガールがスーパーヒーローに復帰したのも、戦いのたびに街を壊してしまうMr.インクレディブルよりイラスティガールのほうが市民生活に与える損害が少なく、スーパーヒーローに相応しいとの分析結果が出たからだ。
 事実、Mr.インクレディブルが大暴れすると訴訟沙汰になったのに、イラスティガールの活躍には誰もが拍手喝采する。そしてテレビに出演したイラスティガールは、「ヒーローを男に任せてはおけません」と演説まではじめてしまう。
 Mr.インクレディブルことボブはといえば、これまでヘレンが完璧にこなしていた家事に挑戦して、まったく手も足も出ないことが判明する。
 家事労働者としても、家の外での稼ぎ手としても、女性のほうが男性に勝ることを本作は強調する。

 今後の政策のキーパーソンとなるヘンリエッタ・セリック大使も女性、スーパーヒーローのスーツを作る凄腕デザイナーのエドナ・モード(007シリーズのQに相当する)も女性、新世代スーパーヒーローの中で唯一個性的に振る舞うのももちろん女性のヴォイドだけ。一方で、社会の底辺でうごめく性根が腐ったアンダーマイナーは男性である。
 こうしてイラスティガール対イヴリンの、女性対女性の戦いを中心に据えた本作は、男性の出る幕がほとんどなく、それどころか男性はトラブルメーカーにしかならないことを示しながら展開する。

 「他に例がないもの」を作ろうとするブラッド・バード監督の意気や良し。
 ただ、ここまでくるとミサンドリー(男性嫌悪)のように感じなくもない。
 劇中では、突然動き出したインクレディビールに驚いた男性が女性の陰に隠れたり、調理器を前にした男性が女性から「あなたにもできる」と諭されるテレビコマーシャルが流れたりもする。
 男性はそこまで役に立たない生き物でもないと思うが、家父長制を肯定するような傾向が見られるピクサーにおいて(一例として、こちらの記事の2016年5月16日のコメントを参照されたい)、本作はとても挑戦的で、「時代を超えたもの」と云えるだろう。


 こうして、前作時点で構想していたことを見事作品に結実させたブラッド・バード監督だが、2018年に公開されるはずだった『トイ・ストーリー4』の制作が遅れ、代わりに2019年に公開予定だった本作が2018年に前倒しされることになったため、本作に盛り込むのをあきらめたアイデアがたくさんあるという。たとえば、本作の敵スクリーンスレイヴァーは、AI絡みの複雑なプロットをあきらめて急遽こしらえたキャラクターだそうだ。
 是非ともシリーズ第三弾を作って、また我々を楽しませて欲しいものだ。


[*] 『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の興行成績は、本記事公開後に中国のものが加わり、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』を上回った。

インクレディブル・ファミリー オリジナル・サウンドトラック Soundtrackインクレディブル・ファミリー』  [あ行]
監督・脚本/ブラッド・バード
制作総指揮/ジョン・ラセター
出演/クレイグ・T・ネルソン ホリー・ハンター サラ・ヴォーウェル ハック・ミルナー サミュエル・L・ジャクソン ソフィア・ブッシュ イーライ・フチーレ ジョン・ラッツェンバーガー ジョナサン・バンクス イザベラ・ロッセリーニ ブラッド・バード マイケル・バード
日本語吹替版の出演/黒木瞳 三浦友和 綾瀬はるか 山崎智史 斎藤志郎 木下浩之 加藤有生子
日本公開/2018年8月1日
ジャンル/[アクション] [スーパーヒーロー] [ファミリー]
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