『マグニフィセント・セブン』 トランプを大統領にする国(その2)

(前回「『沈黙‐サイレンス‐』 トランプを大統領にする国(その1)」から読む)

 「もし神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」
 ――「ローマ人への手紙」8:31――

Seven Samurai - The Criterion Collection (七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版)[Import]■『マグニフィセント・セブン』と『荒野の七人』と『七人の侍』の関係

 2016年10月、『七人の侍』の4Kデジタルリマスター版が公開された。改めて『七人の侍』を絶賛する声が上がり、「観ていない人はぜひ観るべき」と云われる中、私はいささか異論があった。
 黒澤明監督の『七人の侍』は世界最高の映画の一つだし、本物を求める人ならいつか必ずたどり着く作品だろう。観ればきっと満足するはずだ。
 けれど、いかに精緻に作られた映画であっても、公開から60年以上も経てば考証や社会観等の面で見直す余地が生まれるものだ。だから、名作『七人の侍』を観るのもいいけれど、それ以上に大事なのは、『七人の侍』にインスパイアされたクリエイターが時代に即した新作を世に送り出すことだと考えていた。

 1954年公開の『七人の侍』に関しては、百姓の描き方がしばしば指摘の対象になる。
 『七人の侍』では、武器を取って戦ったことのない百姓たちが、侍の指導の下で野武士と戦う訓練をする。偉くて強い侍と、弱くて下層の百姓の、身分や気質の違いがはっきりした中でのドラマだった。
 だが、現実には戦国時代の百姓は武器を手に殺し合うことも辞さない者たちだったから、こんなに弱々しく受け身のはずがなかった。この点については、呉座勇一氏の「戦う戦国の村~『七人の侍』のウソとマコト~」を参照されたい。
 フィクションだから現実と違っていても構わないのだが、そもそも物語の前提となる社会の捉え方に、労働争議が激しかった公開当時の社会情勢や考え方が色濃く影響しているように思う。

 もちろん『七人の侍』の映画としての価値は不滅だが、一方で『七人の侍』にインスパイアされることで、時代に即した優れた作品が生み出されてもいる。
 もっとも成功した例はスター・ウォーズ・シリーズだろう。『七人の侍』にベトナム戦争の経験を織り込んだこのシリーズは、70年代、80年代の『七人の侍』ともいえる作品だった。

Amazon.co.jp限定】マグニフィセント・セブン(初回生産限定)(2枚組)(A4 ビジュアルシート付き) [Blu-ray] そして今、2010年代の『七人の侍』として誕生したのが、アントワーン・フークア監督の『マグニフィセント・セブン』だ。
 本作はオマージュとかインスパイアとかではなく、『七人の侍』の正統なリメイクだ。プロデューサーのウォルター・ミリッシュが東宝から『七人の侍』の権利を買ってリメイクした1960年の西部劇『荒野の七人』、これを踏まえてミリッシュ自身が再びリメイクしたのが2016年の『マグニフィセント・セブン』である。『七人の侍』の脚本家黒澤明、橋本忍、小国英雄は、『荒野の七人』ではノンクレジットだったが、本作では原作者としてクレジットされている。

 だから登場人物やエピソードの多くは『七人の侍』に準じているが、ジョン・スタージェス監督の『荒野の七人』で加えられたアイデアも活かされており、その上、現在ならではのアレンジも施されている。
 ここで、『マグニフィセント・セブン』と『荒野の七人』と『七人の侍』の主人公七人に関して、私が考えた対応表を載せておこう。必ずしも全員が一対一で対応するわけではなく、複数人の特徴が一人に束ねられたり、逆に一人の特徴が複数人に分散されたりしているから、参考程度にご覧いただきたい。

登場人物 対応表 (括弧内は演者)
マグニフィセント・セブン荒野の七人七人の侍
サム・チザム(デンゼル・ワシントン)
リーダー、黒ずくめのガンマン、家族を奪われた過去を持つ
クリス・アダムス(ユル・ブリンナー)
リーダー、黒ずくめのガンマン
島田勘兵衛(志村喬)
リーダー

菊千代(三船敏郎)
家族を奪われた過去を持つ
ジョシュ・ファラデー(クリス・プラット)
ギャンブラー、サブリーダー格、二番目に参加
ヴィン(スティーブ・マックイーン)
サブリーダー格、二番目に参加
片山五郎兵衛(稲葉義男)
参謀役、二番目に参加
グッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク)
PTSDの狙撃手、町の住民の教官役、リーダーとは旧知の仲だが袂を分かつ
リー(ロバート・ヴォーン)
凄腕だが心的外傷を負っている

ハリー・ラック(ブラッド・デクスター)
リーダーとは旧知の仲だが袂を分かつ
七郎次(加東大介)
リーダーとは旧知の仲、村人の教官役
ジャック・ホーン(ヴィンセント・ドノフリオ)
狩人、防戦のため罠を仕掛ける、町の女性と親しくなる
チコ(ホルスト・ブッフホルツ)
村の女性と親しくなる
片山五郎兵衛(稲葉義男)
参謀役

岡本勝四郎(木村功)
村の女性と親しくなる
ビリー・ロックス(イ・ビョンホン)
暗殺者、ナイフの達人
ブリット(ジェームズ・コバーン)
ナイフ投げの達人
久蔵(宮口精二)
居合の達人
バスケス(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)
無法者のメキシコ人、ムードメーカー
ベルナルド・オライリー(チャールズ・ブロンソン)
メキシコ人とアイルランド人の混血、ムードメーカー
林田平八(千秋実)
ムードメーカー
レッドハーベスト《血の収穫》(マーティン・センスマイヤー)
戦士、ガンマンではない、ネイティブ・アメリカンと白人の架け橋、最後に参加
チコ(ホルスト・ブッフホルツ)
農民とガンマンの架け橋
菊千代(三船敏郎)
なかなか侍とは認められない、農民と侍の架け橋、最後に参加


荒野の七人 [Blu-ray] 各作品の登場人物が一対一に対応しないだけでなく、本作では人物とエピソードの組み替えも行われている。たとえば、隠れ潜んでいるところをリーダーに見つかって仲間になる流れは、『荒野の七人』ではロバート・ヴォーン演じるリーのエピソードだが、本作ではリーに当たるグッドナイト・ロビショーではなく、バスケスのエピソードとして描かれる。
 そのバスケスはムードメーカーという点でベルナルド・オライリーや林田平八と一緒に括ったが、ベルナルドや平八が柔和な人柄で場の緊張をほぐすのに対して、バスケスは野卑な軽口で盛り上げるタイプだったりする。

 興味深いのは、『七人の侍』では重要な位置にありながら『荒野の七人』にほとんど引き継がれなかった参謀役の片山五郎兵衛が、本作ではマウンテンマンのジャック・ホーンとして復活していることだ。
 やはり、大勢の敵と戦うには優れた戦略・戦術が必要になる。『荒野の七人』はガンマンたちの銃の腕で乗り切ったが、本作ではより大勢の敵を相手にするために、策を練り、罠を張る人物を必要としたのであろう。

 十代の頃に『荒野の七人』と『スカーフェイス』(1983年)を観たのが映画監督を目指すきっかけで、本作の監督をオファーされたとき『七人の侍』の偉大さを思って躊躇したというアントワーン・フークア監督だけあって、過去の作品をよく理解した上でパワーアップを図っている。


■神の是認の声

 アントワーン・フークア監督といえば、『エンド・オブ・ホワイトハウス』の衝撃は今でも忘れられない。こんにちの米韓同盟の危機をいち早く取り上げ、2013年の時点で映像化した感度の高さは尋常ではない。
 そのフークア監督だけに、『マグニフィセント・セブン』も現在の社会のあり様を鋭く投影した作品になっている。

 当初、本作は2017年1月13日の公開とされていたが、ソニー・ピクチャーズは公開日を2016年9月23日に変更した。的確な判断だと思う。2017年1月13日といえば、第45代アメリカ大統領に選出された人物が就任式を行う一週間前だ。そこにぶつければ盛り上がったかもしれないが、もっと盛り上がるのは2016年7月に共和党と民主党の大統領候補が確定してから2016年11月8日の一般投票で大統領が決まるまでの、両党候補が激突する三ヶ月半だ。そのド真ん中に公開日をもってきたことが、本作の狙いを端的に物語っている。

 第45代大統領を選ぶ選挙は、米国が真っ二つに分かれての熾烈な戦いだった。渡辺由佳里氏はこれを「トランプがはじめた21世紀の南北戦争」と呼んでいる。
 今の私たちは、大富豪ドナルド・トランプが第45代大統領に就任し、難民の受け入れ停止や他国からの入国制限を命令し、とりわけ隣国メキシコとのあいだに壁を作り、人々の往来を制限するように命じてメキシコと険悪になったことを知っている。しかし、本作の作り手たちは大統領選の何年も前からこの映画を計画し、2014年にはキャスティング等も詰めていたわけだから、その思いと眼力に驚かされる。

 物語は、西部にある白人の町ローズ・クリークの教会からはじまる。住民はここで集会を開き、大富豪バーソロミュー・ボーグに与するか、ボーグに逆らうかで対立していた。それはまさに共和党候補の大富豪ドナルド・トランプに投票するか、反対票を入れるか、米国を真っ二つに割った対立の縮図といえる。
 この西部の教会は、現代の米国で多数の信者を集めるメガチャーチに相当しよう。2016年の調査ではテキサス州のレイクウッド教会が礼拝出席者数5万2千人で全米最大規模を誇るが、ここのカリスマ牧師ジョエル・オスティーンはドナルド・トランプを称賛したことで知られるという。
 本作は教会にはじまり教会に終わる。途中でも、たびたび教会の場面が挿入される。それは、ボーグに従うか否か(トランプを支持するか否かに相似する問題)が信仰の問題でもあるからだろう。

「マグニフィセント・セブン」オリジナル・サウンドトラック 森本あんり氏は宗教をウィルスに例えている。ウィルスが感染して増殖すると、宿主である身体にさまざまな影響を及ぼすが、同時にそのウィルス自体も宿主に適応して変化し、「亜種」が生まれる。宗教も同じようなものだというのだ(誤解してはいけないが、ウィルスは宿主に悪い影響を及ぼすばかりでなく、宿主が生きていく上で欠かせない働きをするものもある。)。
 米国のキリスト教は大きく様変わりした亜種だという。氏はこう述べる。
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その変容ぶりを示すのが、この世の成功に対する考え方である。アメリカでは、成功は神の祝福の徴(しるし)と考えられている。神が幸運を与えてくれなければ、どんなに努力しても、成功することはない。逆に、成功していれば、それは神が祝福してくれたことの証である。
(略)
トランプ氏も、その価値観の中で評価されている。あれほどキリスト教の理念とかけ離れた言動を続ける人物を、何と白人福音派の8割が支持したという。なぜか。彼らはこう考えるのである。

「たしかに彼は人間的に見て困ったところもある。だが、神の目はどこか違うところを見ているに違いない。彼には、人の知らないよいところがあって、それを神が是認しているのだ。だから彼はあんなに成功しているのだ」

トランプ氏本人も、彼の支持者も、大観衆の声を通して聞いているのは、神の是認の声なのである。
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 第45代大統領が決まったとき、一枚の写真が出回って話題になった。大喜びしているトランプ陣営の中、一人だけ嬉しそうではない人が写っていたのだ。ドナルド・トランプ本人である。神妙な顔つきで、じっと座ったままの彼は、莫大な富を彼に与え、今また彼を大統領にした神の声に耳を傾けていたのかもしれない。

 トランプ政権の人事も神がかっている。閣僚に大富豪たち――神に祝福された人たち――を指名し、なかでも教育長官には、宗教を教えることが禁じられている公立学校よりもキリスト教的教育を推進できる私立学校を重視する人物を据えた。
 テキサス州の白人の主婦は、トランプ大統領に期待する。
 「今、何が私の身の回りに起こっているか、ですって。私の住んでいる田舎町にまで、肌の浅黒い見知らぬ外国人がどんどん入ってきて、治安が悪くなっているんですよ。トランプさんはこんな状況から私たちをきっと救い出してくれると信じています」。
 外国人の増加と治安の悪化は必ずしも因果関係で語れるものではないのだが、こういう思いを抱いている人もいるわけだ。


 成功を目指すのは悪いことではないし、成功した人が神に感謝するのは大切なことかもしれない。しかし、成功を神の祝福の証と捉え、成功しないのは神に見放されているからだと考えるなら、それははなはだ危険である。
 『マグニフィセント・セブン』の中で、入植者を殺したことを責められた大富豪ボーグはこう云い放つ。

 「神が彼らを生かすつもりなら、弱い人間にはしなかった。」
 (If God didn't want them to be sheared, he wouldn't have made them sheep.)

 これは『荒野の七人』で無法者たちの首領カルヴェラが口にしたのと同じセリフだ。
 残酷な言葉に聞こえるが、誇張があるとはいえこれは米国の信仰の行き着く先ではないだろうか。

 ボーグが臆することなく攻めてくるのも、神の後ろ盾があると信じるからだ。米国のキリスト教シオニズムでは、中東戦争でイスラエルが勝利してきたのは、イスラエルが神に守られ、神から祝福されているからだと考えるそうだが、それと同じことだ。
 20世紀の極東にも神州不滅を唱えて戦争した(そして滅亡した)帝国があったから、日本人にとっても他人事ではない。

 追いつめられたボーグが教会に逃げ込むのも、彼を生かすかどうかは神が決めることだからだ。神に祝福されている彼は、神の庇護を受けられるはずだからだ。


Amazon.co.jp限定】マグニフィセント・セブン(初回生産限定)(2枚組)(A4 ビジュアルシート付き) [Blu-ray]■神話の創出

 映画の冒頭、教会の集会で、バーソロミュー・ボーグに立ち向かおうと呼びかけた男性は、この土地に移ってきてようやく生活できるまでになったのに、ボーグの云いなりになるのかと訴える。
 この言葉は、移民を嫌がる現代の白人たちも、元をたどれば移民だったことを思い出させるものだ。

 そんな反対派の呼びかけに応じて集まったのが、マグニフィセント・セブン――崇高な七人――である。
 前述の表で判るように、本作の七人は過去作の七人におおむね対応しているけれど、それだけに留まらない新鮮さと素晴らしさがある。たった七人なのに、多様性に満ち満ちているのだ。

  • サム・チザムは南北戦争で北軍に所属した黒人ガンマン。
  • そのチザムにとっては敵だった元南軍の白人がグッドナイト・ロビショー。
  • ジョシュ・ファラデーはメキシコ人を中傷する米国人。
  • 中傷の対象となる(現代でもトランプに中傷される)メキシコ人がバスケスだ。
  • ビリー・ロックスは長年にわたり白人に差別されてきた東洋人。
  • ジャック・ホーンはネイティブ・アメリカンのクロウ族を大量に殺し、頭の皮を剥いだ白人キリスト教徒。
  • レッドハーベストは、白人の支配に頑強に抵抗したコマンチ族の一員。

 人種も違えば宗教も違う。敵味方の間柄だったこともある。実に工夫を凝らしたメンバー構成だ。
 そんな彼らが白人の町を守るために協力し合い、命懸けの戦いに身を投じてくれる。外国人が入ってくるのが嫌だなんて云っている白人たちの狭い了見を一蹴するような、マグニフィセントな七人なのだ。
 しかも、黒人はもとより、メキシコ人の役者がメキシコ人を演じ、東洋人の役者が東洋人を演じ、ネイティブ・アメリカンの役者がネイティブ・アメリカンを演じている。これがハリウッドではなかなかできないことなのは周知の事実だ。

 フークア監督がスタジオの幹部と会ったときに最初に見せられた俳優のリストも白人ばかりだった。それを引っくり返したフークア監督は、歴史的事実を反映させただけだと云う。「黒人のカウボーイはたくさんいたし、ネイティブ・アメリカンもたくさんいた。鉄道建設で働く東洋人もたくさんいた。本当の西部は、これまで映画が描いてきたよりもずっと現代的だったんだ。」
 フークア監督のこの言葉は、かつては白人だけの「古き良き米国社会」があったのに、という思い込みを粉砕してかっこいい。


Seven Samurai - The Criterion Collection (七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版)[Import] 七人の中でも特に重要なのが、ネイティブ・アメリカンのレッドハーベストだ。
 『七人の侍』の中であえて主人公を一人に特定するなら、リーダーの勘兵衛ではなく、三船敏郎さん演じる菊千代であることは以前の記事で述べたとおりだ。したがって、菊千代に相当すると思われるレッドハーベストは、菊千代同様、主人公級の重い物を背負っているはずだ。
 セリフこそ少ないものの、彼が菊千代と同じものを背負っているのは一目で判る。レッドハーベストは、ここ一番というときに星条旗の化粧をするのだ。顔を赤と青に塗り分け、青地の部分に白い斑点をあしらう化粧が表しているのは、アメリカ合衆国の国旗に他ならない。

 米国の映画には、しばしば星条旗が登場する。旗に国家を象徴させることもあるが、もっと重要なのは国家や国民が掲げるべき理念や目的を象徴させる使い方だ。映画のテーマや、作り手がもっとも伝えたいことを語る場面で星条旗を映すことで、星条旗に意味を持たせ、今後星条旗を見るたびに観客が作り手のメッセージを思い出すように仕向けるのだ。
 代表的な例が、クリント・イーストウッド監督の『許されざる者』だろう。イーストウッド演じる主人公が「娼婦を傷つけるな」と叫ぶところで星条旗がはためく。娼婦が国家を象徴するわけではない。この旗を掲げる国は、国民は、他者を傷つけるようなことをしてはならないと訴えているのだ。

 レッドハーベストが星条旗のような化粧をするのも同じことだ。黒人や白人やラティーノや東洋人やネイティブ・アメリカンが仲間になって一致団結するなんてことが、19世紀の米国であったはずはないのだが、こういうことを米国は、米国民は目指すべきだと、最後に加わったレッドハーベストの星条旗の化粧が訴えている。『七人の侍』が侍と農民の身分差を背景とする中で、侍でも農民でもない菊千代に身分違いの克服を象徴させたのと同じなのだ。

 森本あんり氏は云う。「移民国家アメリカは、目的をもつことで統一を作り出してきた国である。アメリカを動かしてきたのは、自分で自分に課した使命である。」
 その使命とは何か。
 その一番大切なことをレッドハーベストは体現している。

 さらにレッドハーベストの特異な位置づけを強調するため、フークア監督は白人男性ばかりのボーグの軍勢にネイティブ・アメリカンの戦士を加えている。全員が侍の中にただ一人農民出身の菊千代が交じっていた『七人の侍』とは異なり、七人の人種や出自がバラエティ豊かな本作では、ネイティブ・アメリカンのレッドハーベストが埋もれてしまいかねない。それを避けるために、ネイティブ・アメリカンだけは敵側にも配することで、レッドハーベストが人種や民族の違いを乗り越えてマグニフィセントな側についたことを目立たせているのだ。


 しかも本作では、ヘイリー・ベネット演じる未亡人のエマも大活躍する。さすがにマグニフィセント・セブンの一員にはならないものの、『荒野の七人』や『七人の侍』の女性のようにならず者の襲撃から隠れてばかりではない。
 戦うのは男、女は銃後で隠されているだけという前世紀の観念に囚われない作品にすることも、現代にリメイクする意義だろう。

 南北戦争当時、南部の男性たちは徴兵反対運動を起こしたが、南部の女性たちの「戦争に行かない男とは私たちは結婚しない」キャンペーンにより、強力なダメージを受けたという。徴兵反対運動をした男性たちは「男のくせに情けない」「意気地なし」「とても結婚相手にできない」と罵倒され、その後、運動は挫けてしまう。
 本作のエマは銃を取って戦うだけではない。ガンマンたちを集めて戦わせるのもエマなのだ。


 そして彼ら、ボーグに立ち向かう者たちがよりどころにするのも教会だ。
 劇中、教会は戦いの要所となり、クライマックスの対決も教会で迎えることになる。
 ここで戦うことで、両者は神の審判を仰いでいるのだ。白人ばかりで固まり、富と権力を追い続けるボーグと、マイノリティも含めて助け合い、力を貸しあうマグニフィセント・セブンと町の住民たちの、どちらを神は祝福するか。どちらが神に祝福されるべきなのか。それを映画は神に、観客に問うている。
 米国では2044年に有色人種の人口が50%を超え、白人のほうがマイノリティになると予測されている。そんな中、本作は米国の新しい神話として語り継がれるべき作品だ。


 しかし――私は懸念する。映画全体を見渡せば、町の住民の側もまた、戦いに勝利するのが神に祝福された証と考える構造になっていることを。勝利しなければ祝福されたと感じられない構造になっていることを。
 結局、敗者――弱き者――に居場所はあるのだろうか。

 第45代大統領を決する選挙戦は、ドナルド・トランプの勝利に終わった。


Amazon.co.jp限定】マグニフィセント・セブン(初回生産限定)(2枚組)(A4 ビジュアルシート付き) [Blu-ray]マグニフィセント・セブン』  [ま行]
監督/アントワーン・フークア
脚本/ニック・ピゾラット、リチャード・ウェンク、ジョン・リー・ハンコック(ノンクレジット)
原作/黒澤明、橋本忍、小国英雄
出演/デンゼル・ワシントン クリス・プラット イーサン・ホーク ヴィンセント・ドノフリオ イ・ビョンホン マヌエル・ガルシア=ルルフォ マーティン・センスマイヤー ヘイリー・ベネット ピーター・サースガード マット・ボマー ルーク・グライムス ヴィニー・ジョーンズ
日本公開/2017年1月27日
ジャンル/[アクション] [西部劇]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : アントワーン・フークア 黒澤明 デンゼル・ワシントン クリス・プラット イーサン・ホーク ヴィンセント・ドノフリオ イ・ビョンホン マヌエル・ガルシア=ルルフォ マーティン・センスマイヤー ヘイリー・ベネット

『沈黙‐サイレンス‐』 トランプを大統領にする国(その1)

【映画パンフレット】 沈黙 サイレンス 【ネタバレ注意】

 「神が彼らを生かすつもりなら、弱い人間にはしなかった。」

 刺激的な宗教映画が相次いで公開された。一つは一世紀半ほど昔の話、もう一つは四世紀近く昔の話だが、どちらも極めて今日的な作品だ。

 マーティン・スコセッシ監督の『沈黙‐サイレンス‐』は、波乱万丈の展開と観客の心をキリキリ締め付ける緊張感で、抜群に面白い。
 文明人の鑑たる前任者が、世界の果ての秘境に行って変節してしまったという報が届く。『アメイジング・スパイダーマン』のアンドリュー・ガーフィールドと『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のアダム・ドライヴァーが演じる二人の若者は、自分たちこそが秘境に文明をもたらし、前任者を救出するのだと意気込んで、世界の果てにあるという、野蛮で不思議に満ちた国・日本に向かう。そこで彼らを待ち受ける、冒険、冒険、また冒険。
 さすがは『ヒューゴの不思議な発明』のマーティン・スコセッシというべきか、実話に基づくとは思えないほど、ファンタジー・アドベンチャーの定石を踏まえている。

 モデルになったのはイタリアのイエズス会宣教師、ジュゼッペ・キアラ神父だ。1643年、彼は仲間とともにキリシタン弾圧が激しい日本に潜入し、イエズス会の管区長代理クリストヴァン・フェレイラ神父の救出を試みる。なんとフェレイラは、キリスト教を広める宣教師でありながら、弾圧下の日本でキリスト教を棄ててしまったらしい。
 本作はクリストヴァン・フェレイラ役に『ギャング・オブ・ニューヨーク』の神父や『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』の偉大なジェダイ・マスターを演じたリーアム・ニーソンを配し、ジュゼッペ・キアラ神父を架空のポルトガル人セバスチャン・ロドリゴ神父に置き換えつつ、おおむねジュゼッペ・キアラの生涯をそのままたどっている。

 ファンタジー・アドベンチャーらしい描き方ではあるものの、本作は愉快で楽しい映画ではない。棄教させられるほど恐ろしい目に遭ったフェレイラ神父を救出するはずのジュゼッペ・キアラ神父もまた、日本人の過酷な拷問に苦しめられ、遂には棄教したとされるからだ。本作の中心をなすのは、肉体的、精神的な拷問の描写である。

 162分の上映時間のほとんどが拷問に次ぐ拷問だ。来日した神父や隠れキリシタンたちは、熱湯を浴びせられたり、すまきにされて海に放り込まれたり、逆さ吊りにされたり、問答無用に首をはねられたりするが、その多くは信仰を棄てることなく責め苦の末に死んでいく。
 「なぜ彼らはこれほど苦しまなければならないのだ。」ロドリゴ神父は問い続ける。
 肉体的な拷問以上に主人公を苦しめるのが、精神的な拷問だ。幕府は、ロドリゴ神父に見せつけるように多くの者を拷問し、殺していく。彼が棄教しない限り、それは終わることがない。そのうえ幕府側の井上筑後守や通辞から、キリスト教は日本に根付かないと繰り返し諭される。

 やるせないのは、命を捨てて信仰を貫くキリシタンたちこそが、キリスト教が日本に根付かないことを証明してしまっていることだ。

 ロドリゴ神父は、日本のキリシタンたちがロザリオの珠や十字架を欲しがることに不安を覚える。ロザリオはカトリック教会でよく使われるものだから、それを持ちたいと思うのはもっともだ。だが、ロザリオは数珠状に連なる珠を使って次にどの祈りを唱えるか確かめるための道具だから、バラバラになった珠を一つだけ持っても意味がない。にもかかわらず、隠れキリシタンたちはたった一つの珠をもらうだけで喜び、ありがたがっている。もはや祈りを唱える道具を欲しているのではなく、珠や十字架といった物を信仰の対象にしているとしか思えない。これは、カトリック教会が教えていることとはまったく違う(プロテスタントはロザリオすら持とうとしない)。


映画チラシ 沈黙 サイレンス アンドリュー・ガーフィールド■外来宗教が根付かない日本

 また、ロドリゴは隠れキリシタンに「死んだらパライソ(天国)に行くんですね?」と問われてビックリする。キリスト教では必ずしも死んだら天国に行くとは教えていないのだが、日本人は「死んだら成仏する」というのと同じノリで天国に行くものだと思っているらしい。
 彼らが信仰しているのはたしかにキリスト教のはずなのだが、少し異質で、日本独自に変化してしまっているのだ。

 棄教するようにロドリゴを説得する井上筑後守は、「この国は沼だ」と云い、「キリスト教は根付かない」と説明する。そして太陽を指差して云うのだ、「日本人が信仰しているのはあれだ」と。沼に木を植えても根付かないが、沼を照らす太陽のような自然物なら信仰の対象たり得るのだ。
 自然崇拝は世界各地に見られるし、とりわけ太陽の神格化は多くの神話・信仰に見られるところだが、先進国になってもこれほど自然物への崇拝が濃厚なのは日本の特徴かもしれない。日本各地には、太陽を神格化した天照大御神を祀る神社があり、今も多くの参拝客を集めている。

 本作の原作者、遠藤周作氏が意識したのも、日本におけるキリスト教の変容と自然崇拝の濃厚さだろう。
 何もキリスト教が弾圧された江戸時代だけのことではない。憲法第20条で信教の自由が保障された現在の日本でも、キリスト教は日本の風土と折り合いをつけて変化している。
 キリスト教徒が行う地鎮祭はその一例だろう。日本には家を建てたり土木工事に取り掛かる前に地鎮祭を行う風習がある。これはその名のとおり、土地の神を鎮める祭りのことだ。土地の神を信仰していなければ必要ないはずなのだが、家を建てるときに地鎮祭を行うキリスト教徒は珍しくない。さすがに地鎮祭とは呼ばずに起工式と呼んだりするが、同じことである。


 キリスト教だけの話ではない。劇中、浅野忠信さんが演じる通辞は、キリスト教のみを信奉するロドリゴ神父に「日本には仏教がある。我々は仏教徒だ。」と主張するが、仏教とて日本の沼の深さにはかなわない。現に仏式の地鎮祭(起工式)を行う人がいる。土地の神への信仰は、仏教とは関係ないにもかかわらずだ。

 仏教が日本に伝来して千五百年ほど経つが、仏教の基本となる組織「僧(サンガ)」が日本に成立したことはないという。それどころか、「僧」という言葉はサンスクリット語で「集団」を意味する「サンガ(samgha)」が語源なのに、日本では仏門に入った個人を僧と呼んで済ませたりする。

 そもそも日本の伝統仏教は、釈迦の入滅から数百年経ってからサンスクリット語で書かれた仏典を、さらに中国語に訳したものを輸入し、その過程で翻案・解釈された教えに基づいている。だから、釈迦が語った言葉に近いパーリ語を学び、パーリ語の仏典を集め、パーリ語仏典に通じたミャンマーやスリランカの高僧に教えを乞うたオウム真理教のメンバーに「日本の仏教はすべてニセモノだ」と云われても反論できないという。カルト集団の伸張を止められないのだ。

 こんな日本の自称「仏教徒」が、イエズス会からじきじきに派遣されたロドリゴ神父に向かって「日本には仏教がある」と主張するのだから、とんだお笑いぐさだ。


■土着化する宗教

 もっとも、宗教が変容してしまうのは日本だけのことではない。
 典型的なのがクリスマスだろう。イエス・キリストが12月25日に誕生したわけでもないのに、世界各地のキリスト教徒はこの日にイエスの降誕(誕生)を祝っている。

 キリスト教化する前から、欧州北部ではこの日にゲルマン神話の主神オーディンに豚などを捧げていたし、欧州南部もギリシャ・ローマ神話に登場するワインの神バッカス(ディオニッソス)の生誕を12月25日として祭りを行っていたという。ゾロアスター教やミトラ教の神ミトラの生誕祭も12月25日だ。
 この日は、北半球で日照時間が短くなっていく日々が終わり、これからは日が伸びるめでたいときなのだ。だから、キリスト教に関係なく、まず12月25日頃にお祝いをする冬至祭の習俗が世界中にあり、新興のキリスト教はその影響を受けたというわけだ。

 19世紀になると、オーディンが起源とも云われるファーザー・クリスマスが、ローマ帝国の司教・聖ニコラオスと同化されるようになり、現在のサンタクロース像が形作られていく。

 クリスマスツリーもキリスト教とは何の関係もなかった。あれはゲルマン人の樹木信仰を受け継いだもので、冬でも緑を保つ常緑樹を生命力や繁栄の象徴として祀っているのだ。その意味では、日本の松飾りと同じである。樹木信仰と関係ないはずのキリスト教徒がツリーを飾るよりも、自然崇拝が濃厚な日本人が飾るほうがまだ似合っているかもしれない。


 そして宗教の変容は、マーティン・スコセッシ監督が生まれ育った米国でも起きている。
 マーティン・スコセッシ監督が『沈黙』を映画化したのは、何も四世紀も昔の、遠い日本の出来事を撮りたかったわけではないだろう。この物語が信仰や生き方といった普遍的なテーマを抱えているのはもちろんだが、宗教が土着化し、本来信仰していたものとは違ったものになってしまう状況が、スコセッシ監督を取り巻く米国社会に似ていたからではないだろうか。

 マーティン・スコセッシは1942年にニューヨークで生まれた。彼の祖父母はイタリアのシチリア島からの移民であり、彼は敬虔なカトリックの家庭で育った。カトリックの司祭を目指して15歳で神学校に入った彼は、けれども1年で退学してしまう。[*1]

ギャング・オブ・ニューヨーク(Blu-ray Disc) 10年以上前、すでにスコセッシ監督は宗教の変容と宗教的弾圧を扱った映画を撮っている。2002年公開の『ギャング・オブ・ニューヨーク』だ。19世紀のニューヨークを舞台にギャングの抗争を描いたこの映画は、米国生まれのWASP(アングロサクソンでプロテスタントの白人)による、アイルランドから移民してきたカトリックの虐殺を背景にしており、イエズス会司祭のリンチ事件カトリック教会焼き討ち事件を起こしたカトリック排斥運動ノウ・ナッシング実在の指導者をダニエル・デイ=ルイスが演じていた。
 同じキリスト教徒なのに、なぜそこまで争うのか――と傍からは思ってしまうが、松本佐保氏によれば、「カトリックではその頂点である教皇がトップなので、英国やアメリカでは、国王や大統領より教皇に忠誠を誓うカトリックを、裏切り者で国家主権を脅かす者」とみなしたのだという。

 自身が非WASP、すなわちイタリア系のカトリックの子だったスコセッシ監督が、『ギャング・オブ・ニューヨーク』で非WASPのリーダーとして戦いの先頭に立ったがために殺されるヴァロン神父を演じたリーアム・ニーソンに、本作ではカトリック教会の指導的立場にありながら拷問に屈して棄教してしまうフェレイラ神父を演じさせたのは象徴的だ。『ギャング・オブ・ニューヨーク』ではヴァロン神父の命懸けの抵抗がレオナルド・ディカプリオ演じる息子に受け継がれ、カトリックによるプロテスタントへの復讐が行われるのだが、本作のフェレイラ神父は、かつての教え子ロドリゴ神父に棄教するよう説得する側に回る。

 フェレイラは単に本作の中で棄教するだけではないのだ。同じリーアム・ニーソンが演じることで、『ギャング・オブ・ニューヨーク』でカトリックの仲間のために死ぬまで戦った神父像をも打ち砕いてしまうのだ。[*2]
 信仰とは何なのか。ここにはマーティン・スコセッシの深い苦悩が刻まれている。


 とりわけ米国のキリスト教の変容ぶりを示すのが、この世の成功に対する考え方であるという。森本あんり氏は次のように要約する。
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アメリカでは、成功は神の祝福の徴(しるし)と考えられている。神が幸運を与えてくれなければ、どんなに努力しても、成功することはない。逆に、成功していれば、それは神が祝福してくれたことの証である。
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 20世紀、プロテスタントのマーブル協同教会で60年以上にわたり牧師を務めたノーマン・ヴィンセント・ピールは、ポジティブシンキングを唱えて米国に大きな影響を与えた。1952年に出版したポジティブシンキングの本は一躍ベストセラーとなり、今も世界中で読まれている。

 ポジティブシンキングには良い面もあるだろう。ポジティブシンキングを実践することで幸せに暮らす人もいるかもしれない。
 しかし、成功を神の祝福の徴(しるし)と考えることに、危うさも感じてしまう。神が祝福したのは、成功者だけなのだろうか。現に苦しみ、成功からほど遠い人は、神に祝福されていないのだろうか。神に祝福されないのなら、弱者は何をよすがに生きていけばよいのだろうか。ピールの教えは、弱者に対して極めて残酷になりかねない。

 ピールは、米国の第37代大統領リチャード・ニクソンや第40代大統領ドナルド・レーガンと親しい間柄だったという。2017年に第45代大統領に就任した大富豪のドナルド・トランプはピールの信奉者であり、最初の結婚式をこの教会で、ピールの司式で挙げている。トランプは大統領に就任するや否や、難民の受け入れ停止やいくつもの国からの入国制限を命令して、大騒ぎを引き起こした。

 興味深いことに、かつてあれほど対立した米国のカトリックとプロテスタントは、20世紀に入ると反共産主義で一致し、妊娠中絶やフリーセックスを肯定する60年代のカウンター・カルチャーへの反発を強めていく。
 そんな中、まさに60年代に青春時代を過ごしたマーティン・スコセッシは、聖職者になるのではなくロックや映画にのめりこんでいた。
 スコセッシ監督は、本作の公開に際して今の世相や時代を意識しているかを問われ、こう答えている。
 「私としては、時代に対して響くことを願っています。否定するのではなく、受け入れるということを描いている映画ですので、それも伝わるといいなと思っています。まさに映画の中で、キチジローが「このような世の中において弱き者が生きる場はどこにあるのか?」と問うたように、この作品は弱き者をはじくのではなくて、彼らを受け容れ、抱擁するものでなくてはならない。弱き者が強くなっていくこともあれば、そう上手くはいかない場合もある、しかし、人が人として生きることの真価とは何なのだろうかということについての議論を、この映画は少なくとも触発することが出来るのではないか。必ずしも、社会に生きる誰もがバットを振り回すことが出来るような、強き者でなければならないということはない、強くあることが、文明を維持していく上で唯一必要な手段であるということはないのです。」

 この言葉を聞けば、『沈黙‐サイレンス‐』が遥か昔の遠い異国の物語ではなく、今現在の米国に向けた作品であることが判るだろう。
 これは遠藤周作氏が、そしてスコセッシ監督が神の声について物語る作品なのだ。どんなに拷問を受けても棄教を迫られても、信仰を持ち続けたロドリゴ神父の姿を通して、スコセッシ監督はすべての弱き者と強き者に真摯に問いかけている。

 「強き者」「弱き者」という言葉が様々な意味を含んでいることにも留意が必要だろう。それは富者と貧者や、権力者と隷属する者を意味するだけでなく、確固たる信仰を持ち、強く主張できる人と、信心が揺らぎ、ときに懐疑心を抱く人をも指している。本作のキチジローのように。神学校に進んだりやめたりするスコセッシ監督のように。


Silence CD, Import■遠藤周作の二つの後悔

 劇中、踏み絵を迫られた隠れキリシタンたちは絵を踏むことができない。十字架に唾を吐くことができない。物を信仰の対象にしてしまう彼らだから、女や男の像がかたどられた木や金属版を差し出されて、これが聖母マリアだ、イエス・キリストだと云われれば踏めなくなってしまうのだ。ただの木や金属の板なのだから踏んでしまえば良いものを、死の苦しみを味わってもそれができない。

 はじめはロドリゴ神父も絵踏みができなかった。しかし、「踏むがいい」というイエスの言葉を聞くことで、遂に彼は踏み絵を踏めるようになり、感極まって泣き崩れる。それからの彼は絵を踏むことに抵抗を覚えなくなるし、紙に「棄教します」と書いて提出するのも平気になる。それらはただの絵や文字でしかなく、彼の心の中の信仰とは何の関係もない物体だったからだ。

 遠藤周作氏の弟子・加藤宗哉氏によれば、この点に関して遠藤周作氏には後悔があったという。
 ロドリゴが信仰を棄てていないことが日本の読者には判りにくかったと、遠藤周作氏は気にかけていたそうだ。ロドリゴが「私は転びます」という書を何度も書く場面は、そのたびに彼が信仰を取り戻していたことを読者に知らせる意図だったそうだが、それを汲み取れない読者が多かったという。

 映画の観客も、ロドリゴが絵踏みして泣き崩れる場面を観て、もしかしたらロドリゴが棄教したと思ったかもしれない。しかし映画は、ロドリゴがキリスト教のしるしを死ぬまで手放さなかったことを映像で示し、彼の信仰の深さを表現している。
 スコセッシ監督は語る。
「信じるということは、おのずと享受できるものではないと思っています。自らが欲して勝ち取らなければならないものです。日々考えたり、書いたり、映画を作ったりして人間とはなんなのか、人間とは良いものなのか、悪しき存在なのか」
 そして、信仰に迷い、ときには信仰を棄ててみせるキチジローについて、「キチジローは我々を代表しているキャラクターだ」とまで述べている。
 スコセッシ監督も、神父を目指したり、神学校をやめたり、信仰をテーマにした映画を撮ったりすることを通じて、信じるということをみずから欲して勝ち取ろうとしているのだろう。 


沈黙 (新潮文庫) もう一つ、遠藤周作氏が後悔したのは、出版社が勧める「沈黙」という題で刊行するのを受け入れてしまったことだという。
 踏み絵を前にしたロドリゴ神父が「踏むがいい」というイエスの言葉を聞くように、本作の神は沈黙していない。なのに、題名で多くの読者に誤解を与えてしまったことを遠藤周作氏は悔やんだそうだ(遠藤周作氏が用意していた題は『日向の匂い』)。

 加藤宗哉氏は、スコセッシ監督が「踏むがいい」を「It's all right.…… Step on me」と訳したことを絶賛している。踏みにじるようなニュアンスではなく、「踏んでもいいんだよ」という優しいイメージを打ち出したスコセッシ監督の感性に感嘆したという。
 これがスコセッシ監督の人間を見る目の根底にあるものなのだろう。本作が描くのは強き者の決断ではなく、圧力に屈しない強い信念でもなく、弱き者がおずおずと一歩前へ踏み出す、そのささやかな(それでいて大切な)瞬間なのだと思う。
 スコセッシ監督はこうも云っている。[*1]
 「20歳か21歳のころ、神父を題材とした映画を撮りたいと考えていました。神父はエゴやプライドを捨てて、一歩を踏み出そうとする人を導くのです。映画『沈黙』に取り組みながら、これがまさにその話だと気づきました。別の映画で触れてはきましたが、若いころから自分の中にあったテーマを60年たってやっと作品にできたのです。」


 『沈黙‐サイレンス‐』は、キリスト教徒であるとないとに関わらず、人生について、人の世について考えさせる見応えある作品だ。

 だが……この映画は、成功は神の祝福の徴と考える人に響くだろうか。そんな考えを是とする社会を変えられるだろうか。
 現に成功している人は、こう云い放つのではないだろうか。

 「神が彼らを生かすつもりなら、弱い人間にはしなかった。」

 まるで本作から抜き出したようなセリフだが、これは『沈黙‐サイレンス‐』の一節ではない。
 『沈黙‐サイレンス‐』に続けて公開された映画『マグニフィセント・セブン』は、この言葉を巡る宗教戦争を描いていた。

(「『マグニフィセント・セブン』 トランプを大統領にする国(その2)」につづく)

[*1] マーティン・スコセッシ監督インタビュー BS1スペシャル「巨匠スコセッシ“沈黙”に挑む~よみがえる遠藤周作の世界~」 NHK BS1 2017年1月2日 21時00分放映

[*2] フェレイラ神父役には、当初ダニエル・デイ=ルイスが予定されていたという。たび重なる撮影延期のため降板することになったが、『ギャング・オブ・ニューヨーク』でカトリックを虐殺しまくった彼がフェレイラ神父を演じていたら、やはり大きなインパクトがあったに違いない。


【映画パンフレット】 沈黙 サイレンス沈黙‐サイレンス‐』  [た行]
監督・脚本・制作/マーティン・スコセッシ
脚本/ジェイ・コックス  原作/遠藤周作
出演/アンドリュー・ガーフィールド 窪塚洋介 アダム・ドライヴァー リーアム・ニーソン イッセー尾形 浅野忠信 笈田ヨシ 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 キアラン・ハインズ
日本公開/2017年1月21日
ジャンル/[ドラマ] [時代劇]
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【theme : 洋画
【genre : 映画

tag : マーティン・スコセッシ アンドリュー・ガーフィールド 窪塚洋介 アダム・ドライヴァー リーアム・ニーソン イッセー尾形 浅野忠信 笈田ヨシ 塚本晋也 小松菜奈

【投稿】ガミラス第二帝国の戦争準備―ガトランティス軍とガデル・タラン(その2)― 『宇宙戦艦ヤマト2199』ガミラス考察補論集1 小説~ガトランティス戦争編~

宇宙戦艦ヤマト2199 Blu-ray BOX (特装限定版)
 T.Nさんから『宇宙戦艦ヤマト2199』に関する投稿の続きをいただいたので、以下に公開する。これは、先の投稿「イスカンダルの王権とデスラーの人物像について」の一部を構成するものだ。
 本稿もまた、前回と同じく二人のタラン――軍需国防相の兄ヴェルテ・タランと参謀本部参謀次長の弟ガデル・タラン――の対話形式を取りながら、ガミラスの軍政と用兵の実像に迫っている。特に今回は、ガミラスとガトランティスの戦争を考える上での五つのポイントの二番目、戦争に変化をもたらした敵、ガトランティス軍の姿が明らかにされる。
 一読されれば、これまで公表されたわずかな手がかり――艦艇の形状等――から、ここまで考察できるのかと驚かれることだろう。

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『宇宙戦艦ヤマト2199』 ガミラス考察補論集1

思考実験としての続編小説~ガトランティス戦争編~

前回から読む

2. ガミラス第二帝国の戦争準備
 ――ガトランティス軍とガデル・タラン(その2)――


メカコレクション 宇宙戦艦ヤマト2199 No.06 ラスコー級 プラモデル ヴェルテは弟が表示したガトランティス艦のそれぞれを身じろぎもせずに見つめている。ラスコー級突撃型巡洋艦、ククルカン級襲撃型駆逐艦といったガトランティスの小型艦艇が窓状のホログラム中に表示されていた。二人にとって生涯忘れ得ぬ数多くの苦い思い出を持つそれらを、ガデルは一瞥すると兄の方に視線を移す。

 ガデルの今夜の講義の第二項目、「ガトランティス軍の姿」は、最初にその概要を述べるところから始まった。

メカコレクション 宇宙戦艦ヤマト2199 No.07 ククルカン級 プラモデル 「…まず最初に、ガトランティス軍の顕著な特徴について述べよう。彼らの戦い方と兵器システムは、従来の我が軍のシステムとはおよそ共通点が無いまでに異なっている。おそらくはアケーリアス時代の戦いの様式から独自の発達を遂げたものだろう。大まかには次のような特徴を有している。
 まず第一に、彼らは古代的な横隊戦列を好んで用いる。縦隊を基本とする我々とは全く異なり、彼らは横隊を基本隊形として陣形を構築し、各種の作戦行動を行っている。(※25)
 続いて第二に、彼らは艦隊戦において航空機の使用を重視している。詳細は後で述べるが、彼らは航空機を我々の実体弾(※魚雷とミサイルの事)と同じ用途に活用している。(※26)
 そして第三に、彼らは大兵力が正面から激突する“会戦”に対応した兵器システムを有している。彼らはその一連の兵器を用い、会戦において横隊戦列と縦隊戦列を組み合わせた用兵を行う。これは彼らの戦いの際立った特徴であり、我々の(大小マゼラン)世界では見られないものだ。そして“小マゼランと大マゼランの会戦”での悲惨な体験によりはじめて明らかになった事でもある。このガトランティスの用兵については後で詳しく言及する。
 …以上、ここではガトランティス軍の特徴について特筆すべき三つを挙げた。ここからはそれぞれについて、小官の見解を交えつつ詳細を述べていきたい」

 ガデルはガミラスから見たガトランティス軍の特徴について述べた。

(※25)映画「星巡る方舟」において、ガトランティスは五隻程度の艦を横一列に並べた隊形で作戦行動を行い、横隊を縦横に連ねた陣形を敷いて戦っている。この事からこの文章では、ガトランティスは大規模な戦いでは(銀河英雄伝説で見られるような)横隊戦列を形成して戦うと想定している。

(※26)宇宙で活動する艦載機とその母艦をそれぞれ「航空機」「空母」と称するのは、本来なら不適切であると考えられる。(SF小説では、宇宙を航行する機械に「空」という字を用いることは一般的ではない。)しかしながら、ヤマト2199では「航空機」「空母」という用語が劇中で用いられている為、この文章においても「航空機」「空母」という用語をそのまま用いる事としている。

 その話を聴くヴェルテは、弟が「俺」「自分」ではなく「小官」と自らを指して述べたのに気付くと一瞬だけ軽く笑みを浮かべた。弟は完全に参謀次長としての話し方をしている。ならばこれから聴く話は軍需国防相としての自分の職務に極めて有益なものとなるだろう。やはり弟との会話は得るものが多い。弟はどのような兵器システムの姿を語ってくれるのか。そう考えたヴェルテは、内心では久しぶりに期待と好奇心で心を躍らせていた。

 ガデルは「ガトランティス軍の横隊戦列」について言及を始めた。

 「…では、第一の特徴である『横隊戦列』について説明しよう。これまでの戦例から、ガトランティスは小競り合い程度の小規模な戦いでは我々と同じ縦隊で戦う事もあるが、大規模な戦闘では横隊戦列を好んで使用する事が分かっている。彼らの横隊戦列は古代、具体的にはイスカンダル帝国以前のそれと比べ次のような違いがある。
 一つは規模が極めて巨大である事だ。古代の横隊戦列が多くの場合、数百隻程度の規模だったのに対し、彼らの横隊戦列は数千隻から数万隻もの規模であり、展開する範囲も古代と比べ桁違いに大きい。
 そしてもう一つは、火力だけではなく機動力も重視している事だ。古代の(横隊)戦列が火力重視の艦艇で構成される鈍重な集団だったのに対し、ガトランティスの横隊戦列は機動性に優れた艦艇で構成され、火力を必要とする地点に迅速に移動できるようになっている。これはおそらくは戦列の巨大化に対応した措置であると思われるのだが、ともかく彼らの横隊戦列は次のような構造になっている」

 そのように言うとガデルはガトランティスの横隊戦列の立体モデルをホログラムボードに表示した。既に表示されていたガトランティス艦の立体モデルが小さくなり、反対に横隊戦列の立体モデルが膨れ上がるように広がり表示される。ガデルは更にそれをゆっくりと回転させて見せた。一枚の大きな戦列の背後にいくつかの小さな正方形が控え、更にその背後に小さな正方形を幾何学状に並べた図形が控えている。(※図26参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図26

 ガデルは自らが表示したモデルについて説明を始めた。

 「見ての通り、ガトランティス軍の(横隊)戦列は三つの構造から成り立っている。
 この内最前面の“第一戦列”は、百隻程度の“中隊”をいくつか束ねた“大隊”が縦横に連なる事で形成されている。その背後には小さな部隊がいくつか控えているが、これは第一戦列を形成する各大隊の予備と考えられている。(※図27及び図28及び図29参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図27

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図28

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図29
 そして第一戦列の後方には同程度の規模の“第二戦列”が控えている。この戦列は第一戦列の背後を自由に機動し、第一戦列の任意の箇所に投入され局所的な火力を飛躍的に増強する役割を果たす。第二戦列が投入された箇所の砲火は極めて強烈で、小マゼランと大マゼランでの会戦では我が方の縦隊戦列の実体弾(※ミサイル・魚雷)をことごとく防ぐ威力を見せた。(※図30及び図31参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図30

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図31
 なお、この第二戦列はガトランティスの大侵攻以前には見られなかったものだ。我が軍は小マゼランと大マゼランの会戦で、万を超える彼らの軍勢と対峙した時に初めてこれを目撃した。おそらく“第二戦列”は、複数の軍団(※ここでの軍団は編制の単位としての軍団である。)が動員される事ではじめて可能になるシステムであると考えられる。その理由については第三の話題、『ガトランティスによる戦争の変化』の所で述べる。(※27)(※28)
 では、今度は装備の面から見たガトランティスの横隊戦列の性質について説明しよう」

(※27)文中でガデルが述べるガトランティス軍の姿は、あくまでガミラス側の認識であり実際の姿とは異なる事もあり得るとこの文章では想定している。ガトランティス人自身が考えるガトランティス軍の姿は、後日別記事にて記述する予定でいる。

(※28)ヤマト2199第18話で示されたように、ガミラスは万単位の巨大な艦隊を動員する事ができる。これと正面から戦争できるガトランティスは、ガミラスと同様に万単位の艦艇を動員し、更には巨大な戦列を形成するとこの文章では想定している。(※図32参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図32

 ガトランティスの横隊戦列の基本構造について説明した後、ガデルはホログラムボードの方を向き図を変化させた。小さく表示されていたガトランティス艦が再び大きく表示され、横隊戦列は単純な図形から多数の艦が整列するモデルへと変化する。

 ガデルは話を再開した。

 「ここに示したラスコー(級突撃型巡洋艦)とククルカン(級襲撃型駆逐艦)を見てもらいたい。良く知られているように、ガトランティスの小型艦艇は艦首砲を装備せず、防御も簡易シールドのみと貧弱である。これは我々と同様に艦の量産性を高める為であると考えられる。そうすることで彼らは横隊戦列の巨大化を実現し、艦首砲の不使用による火力の低下を補っている。
 次にラスコーとククルカンの砲塔配置を見てもらいたい。図から明瞭なように、ガトランティスの小型艦艇は艦の正面に最大の火力を投射できるようになっている。これは我々の(大小マゼラン)世界の古代型艦艇と共通した特徴である。しかしその一方で、ラスコーとククルカンは副砲塔を多数設置し、艦の横方向にもそれなりの火力を発揮できるようになっている(※図33参照)。このガトランティスの小型艦艇の砲塔配置は、横隊戦列の機動性を高める為の措置であると考えられる。
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図33
 …この図を見てもらいたい。これは横隊戦列の機動の一例を示したものだ」

 そのように言うとガデルはホログラムボードの横隊戦列の図を変化させた。横隊戦列を構成する各艦が一斉に向きを変え、横隊戦列は横にスライドするような機動を始めた。真横、斜め、垂直方向とガデルが艦の向きを変える度に、横隊戦列はその方向へスライドするように動く。(※図34参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図34

 「…この(横隊戦列の)機動は主に、戦列が機動する敵を高速で捕捉する際に使用される。これを行うと、例えば古代型艦艇は艦首砲を敵に向けられない為火力が大幅に減少してしまう。これに対しガトランティス艦は艦首砲を装備せず、かわりに副砲を多数装備するため火力はそれ程減少しない。つまり、高速で機動し敵を横隊戦列の正面に捉えるという行動を採っても、その過程で常に砲火が劣勢にならないようにしているのだ。(※図35参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図35
 艦首砲の不使用と副砲の装備、そして船体の殆どをエンジンとする機動性能の重視(※図36参照)。こうしたガトランティスの小型艦艇の特徴は、本来高速の機動を行えば火力を発揮できない、即ち射撃戦が始まれば鈍重な動きしかできない横隊戦列に高い機動性を与える為のものであると考えられる。
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図36
 従ってガトランティスの横隊戦列は、古代の横隊戦列とは異なり、火力と機動力の両立を図っていると言う事ができるだろう。それでは火力については、ガトランティス艦の装備はどのような貢献をしているのか」

 “火力と機動力の両立”というガトランティスの横隊戦列の特徴についてガデルは述べると、次に彼はホログラムボードに表示していたガトランティス艦を更に拡大し、輪胴砲塔の辺りを指で指し示した。彼は話を続ける。

 「…ここに示したガトランティス艦の輪胴砲塔に注目してもらいたい。このガトランティス特有の装備は非常に広い射界を持ち、しかも射撃の方向を瞬時に変える事ができる(※図37参照)。これを利用する事で、ガトランティスの横隊戦列は火力に関し独特の効果を発揮する事ができる」
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図37

 ここまで言ったところでガデルはホログラムボードのガトランティス艦を小さくし、代わりに横隊戦列の図を再び変化させた。横隊戦列を構成するガトランティス艦の数がどんどん増えていき、ホログラムボードを埋め尽くす巨大な戦列となった。

 ガデルは火力の面から見たガトランティスの横隊戦列の性質について言及を始めた。

 「今ここに巨大な横隊戦列があるとしよう。この戦列がある一つの標的に集中射を行うとする。この一見簡単な行為を行うのに、例えば古代型艦艇ならいくつかの難題に直面するだろう。
 まず、標的が往々にして艦の真正面からあさっての方位にいるため、艦首砲を標的に向けるのに艦を大きく回転させねばならない。また、個々の艦は多くの場合自艦の真正面に敵がいるため、それと戦いつつ艦首砲を向けねばならない。これでは多数の艦首砲を向けるのに時間がかかり、目標を次々に変える迅速な集中射を行うのが難しくなる。多数の標的に高速で機動されると、その覆滅が困難になるのだ。
 これに加え、正面の敵を無視しあさっての方位へ艦首砲を向ける事自体が難しい事を考えると、集中射には旋回砲しか使用できず、戦列の規模の割に大した火力を集中できないという事態すら生じるだろう。つまり戦列が巨大化すると、古代型艦艇は状況に対応しづらくなるのだ。(※図38参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図38
 これに対しガトランティス艦は、その装備によりこうした問題に容易に対処する事ができる。
 まず第一に、輪胴砲塔の効能でどの方位にいる敵に対しても、瞬時に目標を切り替え集中射を行う事ができる。
 また、多数の輪胴副砲塔を装備し、艦の横方向や斜め方向にもそれなりの火力を発揮できるため、正面の敵と戦う最中に瞬間的にあさっての方位へ大量の砲火を浴びせ、すぐ正面の(敵との)戦いに戻るという芸当も可能である。(※図39参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図39
 これによりガトランティスの巨大な横隊戦列は、その規模に見合った大火力を集中する事ができる。戦列の局所的な火力を瞬時に高め、高速で機動する敵部隊を次々に粉砕できるのだ。結論としてガトランティスの小型艦艇は、『巨大な戦列における火力の効率的運用』という課題を、達成していると言う事ができるだろう。
 …以上、ここでまとめておこう。ガトランティスの横隊戦列は古代のものと比べ、規模が巨大で戦闘中も高い機動性を発揮する。また、巨大な戦列にもかかわらず、戦列前面のいかなる場所に対しても猛烈な砲火を素早く集中できる。そして集中射を行う標的を瞬時に切り替え、次々に砲撃する事ができる。これによりガトランティスは、巨大な戦列が持つ大火力を有効利用する事ができる。艦艇の機動と“火力の機動”により、必要な箇所に必要な火力を的確に供給できるのだ(※図40参照)。これは古代型艦艇では難しかった事だ。従って、ガトランティスの小型艦艇の『量産性や高い機動性能、輪胴砲塔と多数の副砲』という諸々の性質は、アケーリアス時代から横隊戦列が抱えていた課題を克服する為に発達したものであると考えられる」
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図40

 「ガデル、質問しても良いか」

 ガトランティスの横隊戦列について総括したガデルに、それまでずっと弟の講義を聞いていたヴェルテが口を開いた。

 「“輪胴砲塔と副砲のシステム”の脅威についてだが、それはガトランティスの大侵攻後に認識された事なのか?
 ガトランティスの大侵攻以前に兵器開発局で行われた調査では、輪胴砲塔と副砲のシステムが我々の旋回砲よりも有用であるという見解は示されていない。論拠は次のようなものだ。
 第一に、多数の砲身を持つ輪胴砲塔は、我々の旋回砲よりも構造が複雑で高コストである事。
 第二に、砲塔を多数備えるガトランティス艦のシステムは、艦首砲ほどではないが少なくないエネルギーを消費するため、機動性能と両立させるのにエンジンの大型化が必須である事。
 そして第三に、こうした構造の艦に我々の艦隊が大損害を受けたという報告が前線から寄せられなかった事だ。
 これらの事から兵器開発局は、輪胴砲塔と副砲のシステムについて『高コストな割に効果は低い』と結論づけている。
 ガトランティスの小型艦艇が我々のものよりも高コストであるのは、例えばククルカン(級襲撃型駆逐艦)とクリピテラ(級駆逐艦)を見ればはっきりしている事だ。どちらも両軍の中で最も小型で最多の艦艇だが、ククルカンはクリピテラよりもずっと大きい船体とエンジンを有している。当然ククルカンは生産コストも高いと考えられていて、もし我々が同じ仕様の船を作れば、クリピテラの三倍近いコストを要するだろうと兵器開発局は試算している。(※図41参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図41
 こうした艦艇がコストに見合うだけの脅威になるというのは、ガトランティスの大侵攻で判明した事なのか?参謀次長としての見解を聞きたい」

 軍需国防相としての知見を交えたヴェルテの質問に対しガデルは答えた。

 「輪胴砲塔と副砲のシステムの効能は、兄さんの言う通りガトランティスの大侵攻によって判明した事だ。ガトランティスの横隊戦列のシステムはそもそも、規模が巨大になった時に初めてその真価を発揮する(※図42参照)。その為我が軍は(ガトランティス軍の)大侵攻で敵の大軍と対峙するまで、その脅威に全く気付かなかったのだ。更に言えば、我が軍は大侵攻以前の戦いでガトランティス軍に容易に勝利していた為、なおさらその装備に注意を払わなかった。その結果我々は正に、大侵攻を受けた際に大きなツケを払う事となった。それについては後で話すとして、講義を先に進めたい。よろしいだろうか」
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図42

 ガデルは兄に確認を取った。兄が話の続きを促すと、ガデルは再び講義を再開する。

 ガトランティス軍の特徴について語るガデルの講義は、「横隊戦列」の話から次に「航空戦力」の話へと移っていった。

 「…それでは次に、ガトランティス軍の第二の特徴である『航空戦力』について説明しよう。ガトランティスは我々とは異なり、艦隊戦において航空機の使用を重視している。現代の我々が惑星の制圧や拠点防衛にしか航空機を用いないのに対し、彼らは広大な星間空間での艦隊戦においても、航空機を大々的に使用しているのだ。何故このような違いが存在するのか。それは、彼我の戦闘様式の違いに理由があると考えられる。(※29)
 まず、我々の側から見てみよう。一般に、高速の機動とゲシュタムジャンプを駆使する我が軍にとって、航空機は扱いづらい兵種である。艦艇を上回る機動性能を持つものの空間跳躍できない航空機は、我々の艦隊が多用する長距離の連続機動に追随する事ができない。また、母艦からの発進と収容に時間がかかるため、艦隊に航空部隊を随伴させると作戦のテンポが落ちてしまう。こうした欠点が機動戦の行われる戦場で致命的である事は、戦史を紐解くまでも無くガトランティスとの戦いで度々示されてきた。
 …次の図を見てもらいたい。これは(ガトランティスの)大侵攻以前の小マゼランで行われた典型的な戦いを示したものだ」

(※29)「ヤマト2199」や映画「星巡る方舟」の描写を見ると、ガミラスとガトランティスの航空機の扱いには顕著な違いが認められる。
 まずガミラス側の場合、第1話の冥王星沖海戦や第11話冒頭のガトランティス討伐戦にガミラス軍は空母を全く随伴していない。さらにドメル軍団で「航空戦隊長」の肩書きを持つライル・ゲットーは、ヤマト2199第15話において何故か巡洋艦や駆逐艦の部隊を率いてヤマトを攻撃している。これらの描写から、ガミラスは艦隊戦に航空機を用いていないと考えられる。
 一方、ガトランティス側はそれとは全く対照的に艦隊に空母を随伴し、航空機を積極的に使用している(※ヤマト2199第11話及び映画「星巡る方舟」の描写より)。

宇宙戦艦ヤマト2199 1/1000 ナスカ級キスカ 艦隊戦に航空機を用いないガミラスと大々的に使用するガトランティス――。対照的な両者の姿について言及するとガデルはホログラムボードに図を表示し、かつてガトランティスが大小マゼランに大挙侵攻する以前に行われた両者の戦いについて説明を始めた。

 「…この図の中央にいるのが我が軍の艦隊、そこから少し離れた宙域にいるのがガトランティス軍だ。ガトランティスは航空機を艦隊の前方に進出させ、我が方の艦隊に攻撃を試みる(※30)。対する我が方は敵機の接近を確認すると退却し、敵機を遠くへと釣り出す。敵機と敵艦隊が十分に離れた所で我が方はゲシュタムジャンプし、敵機の追撃を振り切る。離脱した我が方はすぐに再びゲシュタムジャンプし、敵艦隊のいる宙域に舞い戻る。敵艦隊を捜索し捕捉・撃滅した後(のち)、我が方はその場に留まらず離脱する。敵機は味方のいた宙域に戻った時には母艦が失われており、そのまま宇宙を漂流する他無くなり戦わずして全滅する。(※図43参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図43
 ここに示した戦例で留意すべき事は、航空機を発進させると、収容するまで母艦と艦隊は遠くへ移動できなくなるという事だ。たとえ航空機の発進後移動したとしても、航空機に空間跳躍能力がない以上、彼らを収容する為母艦と艦隊は必ず航空機の近辺に留まらざるを得ない。つまり、航空機を発進させると、艦隊は作戦レベルの機動性を喪失してしまうのだ。我が方からすれば、ゲシュタムジャンプで航空機を翻弄しつつ、敵艦隊を探し出し襲撃を仕掛けるのは容易な事であった。(※31)
 …次にこの図を見てもらいたい。これは先程述べた戦例の一局面で、敵艦隊を捜索する我が方の艦隊が空母を擁する敵部隊と遭遇した所だ。この時敵は空母を我が方から遮る様に横隊戦列を展開し、戦列の裏で空母は航空機を発進させようとする。これに対し我が方は実体弾(※ミサイル・魚雷)の集中射で戦列に突破口を開けると、一隊を突入させ空母を護衛部隊ごと包囲して撃滅する。(※図44参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図44
 (ガトランティスの)大侵攻以前の戦いにおいて、我が軍は航空機を使用しようとするガトランティス艦隊をしばしばあっさりと全滅させている。何故そうなったのか。それはひとえに、彼らが空母を持つ故に『動けなかった』からだ。我が方と接敵し、積極的に機動を仕掛けねばならない局面で彼らは航空機を発進させる為に“静止”し、我が方をただ受身となって待ち受けた。我が方は『有利な位置への機動』(※32)を仕掛け、この時期の敵が小兵力であった事もあり、容易に戦列を突破し空母を直接衝いた。敵は空母を護衛する為これまた動く事ができず、殆ど静止状態で我が方の射撃を浴びる事となった。(※33)
 この戦例が明瞭に示すように、空母を艦隊戦で積極的に活用しようとすると、艦隊は機動を仕掛ける時機を逸してしまう。有利な位置を巡り互いに高速の機動を駆使しあう機動戦において、これは正に致命的な事であった。
 …ここまでで我が方にとっての航空戦力についてまとめておこう。空間跳躍できない航空機と、艦隊機動の妨げになる空母のシステムは、高速の機動とゲシュタムジャンプを多用する現代の機動戦に適さない。その為機動戦を用兵の根幹とする我々は、艦隊戦に空母を用いていない。空母と航空機は専ら、動き回る事のない惑星の制圧や、向かって来る敵を迎撃するだけの拠点防衛にのみ使われている。広大な星間空間で機動戦を繰り広げる我々にとって、空母と航空機は補助的な存在でしかありえないのだ。(※34)(※35)
 …では、今度は立場を変えて、ガトランティスの側から航空機について見てみよう。彼らの戦いの様式では、航空機は一体どのような存在となるのか」

(※30)映画「星巡る方舟」にはガトランティス軍が空母を艦隊の前方に進出させる描写が出てくる。この描写から、攻撃機のデスバテーターには空間跳躍能力は無いと考えられる。もしデスバテーターが空間跳躍できるなら、対艦能力に乏しく格好の標的となる空母をわざわざ艦隊の前方に進出させる必要が無いからである。

(※31)ガミラス軍の索敵能力の高さを証明する事例として、ドメル軍団が極めて広大な銀河間空間をただ一隻で航海するヤマトの動向を把握し続けた事が挙げられる。およそ1万5千光年の広がりを持つ大小マゼラン銀河や、十数万光年の距離のある銀河間空間で活動するガミラス軍にとって、ワープ能力を持たない有人機が活動できる範囲内(狭いコクピットで操縦する事から、パイロットの体力の限界上艦隊からせいぜい数時間程度の距離内でしか活動できないと考えられる)にいる敵艦隊を捕捉するのは容易な事ではないだろうか。

(※32)「有利な位置への機動」とは、ガミラスの「機動戦」を構成する三つの戦闘形態の内の一つである。詳しくは前々回の記事「ガミラス第二帝国の戦争準備―イスカンダル帝国の興亡史―」の図7を参照の事。

(※33)空母は航空機の発着時に激しい機動を行えない為、この時に攻撃されると殆ど回避運動もできずに護衛部隊ごと全滅する可能性が高いと考えられる。従ってドメルのように創意工夫に富んだガミラスの指揮官は、航空機の発着の瞬間を衝いてワープ・襲撃を仕掛ける事もあったと考えられる。ヤマト2199でドメルが見せたガトランティスへの鮮やかな勝利は、そうした戦例の一つであったと想像する事もできるのではないだろうか。

(※34)文中でのガデルの発言のように、ガミラスでは航空機が主要な戦力と見なされていない事を窺わせる描写が劇中には幾つか存在する。
宇宙戦艦ヤマト2199 メカコレクション 大ガミラス帝国軍艦載機セット ~太陽圏の攻防編~
  • ガミラスの戦闘機が科学技術の遅れた地球の戦闘機と互角に戦っている事。ガミラスの艦艇が地球艦に対し絶望的な程の性能差を見せ付けたのに対し、ガミラスの戦闘機は不思議にもイスカンダルの技術供与を受ける以前の地球で作られたコスモファルコンと同等の性能しか持っていない。もっともこの件に関しては、地球の戦闘機はガミラスだけではなくガトランティスのデスバテーターとも互角に戦えている事から、ヤマト2199の世界では航空機に用いられる技術レベルはそもそも決して高くないと考える事もできるだろう。
     しかしながら、ヤマト2199第1話でコスモゼロを一気に振り切る機動を見せたスマルヒ偵察機の存在を考えると、ガミラスはその気になれば地球機を懸絶する戦闘機を開発・量産できるはずである。にもかかわらず“低性能”な機体しかガミラスに存在しないのは何故なのか。それはガミラスが元々航空機に技術や資源を投じる程の価値を認めていなかった為ではないだろうか。

  • 冥王星沖海戦やドメルのガトランティス討伐戦のような“正規の艦隊戦”に航空機が使用されていない事。

  • 宇宙戦艦ヤマト2199 メカコレ 大ガミラス帝国軍艦載機セット ~銀河の果て編~
  • 艦上爆撃機のスヌーカや艦上攻撃機のドルシーラが二線級の兵器とされてしまっている事。「宇宙戦艦ヤマト2199全記録集 vol.2」及び「公式設定資料集[GARMILLAS]」の記述によると、両機は辺境宙域が“主な活躍の場”とされ名実共に一線を退いた存在となっている。
 以上の描写から、筆者はこの文章において「ガミラスにとって航空戦力は補助的な存在でしかない」という想定を行った。

1/1000 ガイペロン級多層式航宙母艦「ランベア」 (宇宙戦艦ヤマト2199)(※35)スヌーカやドルシーラが“旧(ふる)い兵器”とされている事やガイペロン級空母にシュデルグのような“老朽艦”が存在している事から、ガミラスにおける“空母と航空機のシステム”は、元々ガミラスが帝国を形成する以前から存在していたと考えられる。当時のガイペロン級空母やスヌーカやドルシーラは、専らサレザー恒星系を侵略しに来る外敵を迎撃する(用兵的には“拠点防衛”に該当する)のに使われていたと思われる。
 一方、ポルメリア級空母は艦底部に地上掃射用の大口径レーザー砲を持つなど惑星制圧に適した仕様である事から、ガミラスが大小マゼランを征服していった時代に“惑星制圧用の兵器”として新規に開発されたと考えられる。(※図45参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図45

 ガミラスにとって航空戦力がどのような存在であるのかを丁寧に解説すると、ガデルは続いてガトランティス軍のシステムにおける航空戦力の姿について言及を始めた。

 「…この図を見てもらいたい。これは大侵攻以前の戦いと大小マゼランでの会戦から推定した、ガトランティス軍の用兵である。
 図の両端にそれぞれガトランティス軍と敵軍が布陣している。両軍は共に横隊戦列を敷き接近を開始する。ガトランティス軍は空母を先行させ、航空機でまだ本隊の遥か前方にいる敵軍を攻撃する。空母は敵を打撃すると同時にその数と動向を本隊に伝え、敵が予想外の位置に移動しないように牽制する。
 続いてガトランティス軍は、空母からの情報を元に前進を続け、空母と合流後に会敵する。彼我の横隊戦列が接触し射撃戦が始まる直前、ガトランティス軍は再び航空機を発進させ、遊撃隊として待機させる。戦列同士の射撃戦が始まると、ガトランティス軍は航空機に敵戦列の翼側を攻撃させ、自らの戦列も敵の側面に回り込むように機動を開始する。敵軍は航空機の妨害でガトランティス軍の機動に追従できず、ガトランティス軍に側面へと回り込まれる。こうして敵軍の横隊戦列は、弱点である側面に集中砲火を受けて崩壊する。(※図46参照)(※36)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図46
 この図のように、ガトランティス軍の用兵は横隊戦列同士が正面からぶつかり合う戦場を想定していると考えられる。こうした戦いの様式であれば、航空機は有用な存在になるだろう。戦闘の展開が緩慢で、空母の欠陥が問題にならないからだ。この様式は機動戦とは対照的に、彼我の戦列がゆっくりと接近して戦闘が始まり、戦闘中も戦列が激しく動き回らない。よって空母は航空機を発進させる時間を得られ、空母が艦隊機動の妨げになる事も無いのだ。
 空母から無事に発進する事さえできれば、航空機は丁度我々の実体弾と同じ役割を果たす事ができる。味方の戦列と交戦中の、敵戦列の機動を妨害する事だ。
 一般に航空機は、極めて貧弱な火力ゆえに敵戦列との正面切った撃ち合いには耐えられない。また、大量の数がなければ艦隊に大損害を与える事もできない。(※37)(※38)
 しかし、艦艇を上回る機動性能で敵戦列の端に回り込み、攻撃を加え敵の機動を妨害するだけなら、比較的少数(の兵力)でも任務を達成する事が可能である。従って、横隊戦列同士が戦うのであれば、航空機と空母のシステムは艦隊戦で有用な存在になると考えられる。
 …以上、ここでまとめておこう。ガトランティス軍は我々とは異なり、艦隊戦で航空機を大々的に使用している。我々が行う機動戦では航空機は足手まといにしかならないのに対し、彼らが想定する横隊戦列同士の戦いでは、航空機は効果的な戦力に成り得るからだ。航空機と、高い機動性を持つ彼らの横隊戦列を組み合わせる事で、彼らは古代的な横隊戦列を用いる敵を圧倒してきたのではないかと考えられる」

宇宙戦艦ヤマト2199 1/1000 ナスカ級キスカ
(※36)ガトランティスの航空機運用に関して、映画「星巡る方舟」ではナスカ級空母の前衛打撃群がヤマトに攻撃を加え、ヤマトの情報(艦種と行動)を本隊に連絡している。またヤマト2199第11話では、ドメル軍団と対峙したガトランティス艦隊が航空機を発進させようとしている。筆者はこれらの描写を元に文中におけるガトランティス軍の用兵を想定した。

(※37)「戦力の迅速な展開」という観点から見ると、空母のシステムは艦隊戦の規模が大きくなればなる程戦力としての効率が悪くなると考えられる。空母一隻あたりの艦載機数を多くすれば(カタパルトの数の制約から)航空部隊の発艦に時間がかかり、逆に艦載機数を少なくすれば多数の空母が必要となり部隊のコストが跳ね上がるからである。
 したがって航空機の使用を重視するガトランティスといえども、大量の艦艇で艦隊戦を行う以上、航空機のみで敵艦隊を覆滅する運用は行っていないと考えられる。

(※38)余談となるが、ガミラスは航空機だけではなくワープ能力を持つ宙雷艇も艦隊に随伴させていない。これは宙雷艇の武装が正面切った艦隊戦に堪えられないほど貧弱である為と考えられる。(逆に言えば、クリピテラ級駆逐艦の「貧弱なビーム兵装」や160mというサイズは、「敵艦と正面切って戦える最小限の仕様」であると想像する事もできるのではないだろうか。)

 「ガデル、また質問しても良いか」

 ガトランティスの航空戦力について総括した弟に、再びヴェルテが質問を始めた。

 「今説明してくれたガトランティス軍の用兵は、敵が空間跳躍を多用しない事が前提となっているのか?
 我々やかつての(大小マゼラン)諸国軍のように(ゲシュタム)ジャンプによる急襲と撤退を多用する相手には、航空機は索敵や(本隊の)会敵前の牽制攻撃に使えないのではないか。不意討ちの危険を考えれば、空母を艦隊から先行させる運用も為されないだろう。ガトランティスのエンジンは我々のものとは異なり、短時間の休憩を挟んでの連続ジャンプはできない性質を持つが、相手も同様のエンジンであるとの前提でこの用兵は成り立っているのか?」

 ヴェルテはガトランティスのエンジンの特徴について少し触れた。

 兄の問いかけに対し、ガデルが答える。

 「ご指摘の通り、ゲシュタムジャンプを多用する機動を行えば、航空機は翻弄されるばかりとなり索敵や牽制攻撃の役に立たなくなる。艦隊から先行する空母も、格好の標的となるだけだろう。従って、今述べたガトランティスの用兵は、まさしく敵が空間跳躍を多用できない事を前提としていると考えられる。
 それと、ガトランティス軍の航空戦力の重用ぶりを見る限り、彼らが低出力系統波動エンジンのような性質のエンジンとの戦いを、元々想定していなかった可能性は高いだろう」

 「つまり、彼らと我々の戦い方の相違は、採用している技術の相違からも生じているという事なのか」

 「そういう事になるな、兄さん」

 畳み掛けるように質問した兄に、ガデルは少し考えを巡らせると兄の見解に同意した。

 航空戦力に関するガミラスとガトランティスの違いは、両者の戦闘様式の違いから生じている。そして両者の戦闘様式の違いは、両者が用いる技術と関係している――。

 思いがけず技術と戦いの関係について話を振ってきたヴェルテに、ガデルは詳細な回答を始めた。

 「…そもそもガトランティスのエンジンは、以前兄さんが講義してくれたように次のような性質を持っている。
 第一に、出力が大きく空間跳躍距離に優れる。そして古代アケーリアスやイスカンダルとは異なり、大部隊が一斉に空間跳躍する事が可能である。この性質は、兄さんの言を借りれば『宇宙を漂流する帝国』であるガトランティスが、大軍団で外宇宙から飛来するのに必要不可欠なものであっただろう。(※39)
 続いて第二に、大出力であるが故に、大部隊が空間跳躍する際の空間負荷が大きい。その為大部隊が跳躍する際は、時空震や空間断裂等の事故を防ぐため整然とした隊形をとる必要がある。(※40)
 そして第三に、低出力系統波動エンジンとは異なり、短い休憩を挟んでの連続跳躍ができない。(※41)
 以上挙げた三つの性質の内、第二と第三の性質は、おそらくは我が方との戦い方の違いを決定的なものにしただろう。
 我々の行う機動戦が、そもそも古代に低出力系統波動エンジンが生まれた結果発達した事を思い返してもらいたい。大部隊の連続ジャンプが可能な低出力系統波動エンジンは、彼我の戦列が激しく動き回り、戦いの展開も素早い機動戦を生み出した。
 一方、大部隊の一斉跳躍が可能だが迅速な機動には制約のあるガトランティスのエンジンは、戦列の動きが少なく、戦いの展開も緩慢な横隊戦列同士の戦いという、アケーリアスや古代イスカンダルの時代の戦い方を継承させた。彼らは独自に生み出したエンジンを元に、古代の戦い方を改良する道を選んだのだ。
 従って、『採用している技術の相違も戦い方の違いに関わってくる』という、日頃兄さんが話している事はガトランティスについても当てはまると言えるのではないだろうか」

(※39)この文章では、イスカンダルとアケーリアスのエンジンは大部隊が一度に空間跳躍できないとしている。詳細については前々回の記事「ガミラス第二帝国の戦争準備―イスカンダル帝国の興亡史―」を参照の事。

300ピース ジグソーパズル 宇宙戦艦ヤマト2199星巡る方舟 ヤマトxガトランティスxガミラス(26x38cm)(※40)映画「星巡る方舟」では、ヤマトがシャンブロウに逃げた事を(空間航跡の解析で)探知したゴラン・ダガームが、旗下の艦隊に「全艦、空間跳躍の陣を敷け」と命じるシーンがある。筆者はこの描写を元に「ガトランティスのエンジンは空間跳躍の際に整然とした隊形をとる必要がある」という想定を行った。

(※41)ヤマト2199劇中では、ガミラス軍は大部隊で敵の直近にワープアウトして攻撃を仕掛け、さらにはごく短時間の休憩を挟んでの連続ワープを行っている。(ヤマト2199第10話、第15話)
 このようなワープを多用できる相手にワープ能力の無い航空機を使用することは、文中でガデルが述べたように敗北の原因にもなりかねないと考えられる。にもかかわらずガトランティス軍が艦隊戦に航空機を大々的に使用しているのは、ガトランティスのエンジンが短い休憩を挟んでの連続ワープの能力を持たず、それ故に上記の「航空機の問題」を認識する事が無かったからではないかと考えられる。

 「…古代アケーリアスに古代イスカンダル、そして我々。どれも皆、自らが持つ技術を最大限に生かす為に独自の用兵を発達させた。ガトランティスも例外ではなかったという事だな。よく分かった、ガデル。
 ところで、今まで話を聞いてみて思ったのだが、ガトランティス軍は様々な面で古代的な特徴を残した軍隊なのだな。だが彼らの大型艦艇は、中でも最も古代的な特徴を持つ存在ではないのか?それについての言及はこれから行うのか?」

 「無論そのつもりだ、兄さん」

 技術の話に続き、ガトランティスの大型艦艇の話を振ってきたヴェルテにガデルは短く応えた。

 「これから話す事は、ガトランティス軍のシステムと古代の戦いの関連性を強く意識させるものになるだろう。彼らは確かに、古代アケーリアスや古代イスカンダルの時代の戦いから、我々の(大小マゼラン)世界とは全く異なる進化の過程を辿ったんだ。
 では、話を再開しよう。これより、ガトランティス軍の第三の特徴、『会戦に対応した兵器システムと用兵』について説明を行う」

 ヴェルテの質問で多少くだけた口調となっていたガデルは、再び講義の為の改まった口調に戻ると、ガトランティス軍の第三の特徴について言及を始めた。

 「ガトランティス軍は従来の我が軍とは異なり、万を超える大軍が正面から激突する“会戦”に対応した兵器システムを有している。これまで解説を行った、ガトランティスの巨大な横隊戦列、それに対応した小型艦艇の装備、そして航空機。これらは全て、会戦に対応したシステムの一環である。我々はガトランティスの大侵攻によって初めて、彼らのシステムの本当の姿を目にしたのだ。
 それに加え、彼らは更に、会戦での使用に特化した特別な兵器を有している。それこそが彼らの大型艦艇であるのだ。『会戦に対応した兵器システム』の中核とも言うべきそれらは、用兵の観点から見れば次のような特徴を有している」

コスモフリートスペシャル 宇宙戦艦ヤマト2199 メダルーサ級殲滅型重戦艦 メガルーダ 多少熱のこもった口調で話を始めると、ガデルはホログラムボードにガトランティスの大型艦艇の立体図を表示した。メダルーサ級殲滅型重戦艦と、ガトランティス人が“大戦艦”と称する大型戦闘艦のホログラムが空中に浮かび上がる(※42)。ガデルはそれらに手をかざし、ホログラムボードから引き出すようにしてヴェルテの目の前へと持っていった。ヴェルテはホログラムを“受け取る”と、あたかも模型を観賞するかのように手でグルグルと回転させる。

(※42)ガトランティスの大戦艦はヤマト2199や映画「星巡る方舟」の資料に全く登場しない。その為、筆者は文章を書くにあたり大戦艦の仕様をメカコレクション・モデルの形状や他の艦艇との比較を基に独自に設定する事とした。(※図47と図48、及び図49と図50参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図47

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図48

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図49

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図50

 兄が少しの時間をかけ二つの大型艦艇の形状を細部まで確認したのを見届けると、ガデルは話を再開した。

 「…図をよく見て頂けただろうか。図からも明瞭なように、ガトランティスの大型艦艇は大威力の艦首砲を装備し、艦の前方に最大の火力を投射できるように武装を配置している。また、強大な火力を有し重防御な半面、機動性能はそこそこでしかない。即ち、古代世界の大型艦艇と同じ構造を有しているのだ。(※図51参照)(※43)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図51
 更にガトランティスの大型艦艇は、部隊としては古代と同じく小規模な横隊戦列を敷いて戦う事が確認されている。つまるところガトランティスは、我々の世界では古代に消えた様式の兵器を現代でも使用していると言う事ができるだろう。この事実は、ガトランティスの兵器システムがそもそも、古代アケーリアスの時代に起源を持つのではないかという想像を可能にしている。
 では、ガトランティスの大型艦艇は会戦においてどのように使用されるのか。大小マゼランでの会戦から判断する限り、それらは小型艦艇や空母と組み合わされて“突撃縦隊”を形成し、敵戦列を突き破り破砕する役割を与えられていると考えられる。…この図を見てもらいたい。これはガトランティスの突撃縦隊を表したものだ」

(※43)ガトランティスのメダルーサ級には「盗掘」した異星文明の大口径ビーム砲が装備されている(「星巡る方舟」パンフレットより)。こうした事例から、筆者は古代アケーリアスや古代イスカンダルの時代の戦闘艦艇、特に波動砲を装備する古代イスカンダル艦と戦っていた諸種族の大型艦艇はこのような巨大火砲を装備していたのではないかと想像している。

 そのように言うとガデルはホログラムボードに突撃縦隊の立体モデルを表示した。一本の図太い直方体の表面に数千隻もの艦艇が配され、直方体の内部に小さな艦隊が配されている。ガミラスやかつての大小マゼラン諸国軍の縦隊戦列とはおよそ異なるその姿に、ヴェルテはうむ、と小さく唸った。(※図52参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図52

 ガデルは説明を続ける。

 「この彼ら独自の隊形は次のような構造になっている。まず、縦隊の先頭に大型艦艇の横隊戦列が配される。この戦列は古代の標準的なものと同じく、数百隻程度の小規模な戦列であり、敵の陣形に大火力を投射し突破口を開ける役割を持つ。これを構成する艦艇は大戦艦が殆どであり、メダルーサはごく少数だけ配されている。
 続いて横隊戦列の斜め後ろにラスコー(級巡洋艦)の部隊が配される。これらは大型艦艇の横隊戦列の側背を守り、横隊戦列が空けた突破口を広げる役割を果たす。
 ラスコーの部隊の後ろにはラスコーとククルカン(級駆逐艦)の混成部隊が追随し、突撃縦隊の側面を固める。
 尚、突撃縦隊の内部にいる部隊はナスカ(級打撃型航宙母艦)を中心とする空母部隊だ。この部隊は突撃縦隊が敵戦列を突破し敵を壊滅させる段階で大きな役割を果たすが、それについてはまた後で述べる。(※図53と図54、及び図55と図56参照)(※44)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図53

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図54

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図55

  ガトランティス軍とガデル・タラン 図56
 …以上が、ガトランティスの突撃縦隊の概要だ。この隊形は我々の世界の縦隊戦列と比べ、規模が格段に大きくそれ故に方向転換に時間がかかり、機動性に大きく劣る。しかし直進時の速度には優れ、何より絶大な衝撃力を発揮する。この隊形は純粋に、正面から対峙する敵の大軍を粉砕する為のものなのだ。
 それ故に、小兵力同士が戦っていた(ガトランティスの)大侵攻以前の戦いでは、ガトランティス軍は突撃縦隊を全く用いなかった。万を超える大軍同士が激突した大小マゼランでの会戦において初めて、ガトランティス軍は大型艦艇を投入し、我々はそれらが作る突撃縦隊の威力を目の当たりにした。
 それでは次に、会戦におけるガトランティス軍の用兵について説明しよう。巨大な横隊戦列や突撃縦隊といった、彼らの『会戦に対応した兵器システム』は、戦場でどのように組み合わされて運用されるのか」

(※44)図53にて記述したパンツァー・カイル(戦車の楔)の出典については以下を参照の事。
――歴史群像アーカイブVol.2 「ミリタリー基礎講座 戦術入門」 Gakken P.38

 ガトランティスの突撃縦隊の概要を説明すると、ガデルはホログラムボードに一枚の図を表示した。色の異なる二つの軍隊が向かい合っている。両者はそれぞれ二重の横隊戦列と思しき陣形を敷いていた。ガデルが解説を始める。

 「この図でこれから示すのは、小マゼラン及び大マゼランの会戦から推定した、会戦におけるガトランティス軍の用兵である。この図では、ガトランティス軍と敵軍が横隊戦列を形成して正面から向かい合い、激突しようとしている。
 ガトランティス軍は第一戦列の背後に第二戦列を配置し、突撃縦隊は後から空間跳躍で投入するべく戦場から離れた場所に置いている。対する敵軍も同様に、第一戦列の背後に予備の戦列を設け、更に別の予備戦力を戦場から離れた場所に置いている。(※図57参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図57
 まず、第一戦列同士の射撃戦が始まると、ガトランティス軍の戦列は積極的に機動を仕掛け、敵の戦力を浪費させる。具体的には敵の側面に回り込むように動き、敵がそれへの対処の為予備戦力を投入するように仕向けるのだ」

 解説を続けつつ、ガデルは図を変化させた。ガトランティス軍の第一戦列と、第二戦列の半分が横にスライドするように機動を始める。同時に、航空機と思しき小さな記号がガトランティス軍の戦列の背後に現れると、それらは敵戦列の側面に急速に回り込んだ。(※図58参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図58

 「図のようにガトランティス軍の第一戦列は、射撃戦を行いつつ敵戦列の左翼側面に回り込むように機動する。同時に第二戦列もまた、一部を残し第一戦列に追随して機動する。機動しない第二戦列の部隊は敵への押さえとして、敵が移動する第一戦列の左翼側背に回り込むのを防ぐ。そして空母部隊はガトランティス軍の巨大な戦列の背後で、航空機を安全に発進させ敵戦列の左翼側面に送り込む。
 一方、敵軍は自軍の左翼側面に回り込んだガトランティス軍の航空部隊の妨害により、ガトランティス軍の機動に追従できず側面に回り込まれる。(※図59参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図59
 その結果、敵軍は側面の防御の為に予備戦列の投入を余儀なくされる。ここでガトランティス軍は第二戦列を投入し、敵軍側面に更に圧力をかける。こうして敵軍は半包囲の態勢で著しく不利な状況となる」(※図60参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図60

 ヴェルテに背を向け解説を続けていたガデルは、ここで兄の方を向き図の一部を強調するように指で指し示した。

 「…ここで敵軍の配置に注目してもらいたい。ガトランティス軍にとって、戦いを左右する重要な地点が二ヶ所あるのに気付くだろう。一つは手薄となった敵軍右翼。もう一つはガトランティス軍が半包囲し攻め立てている敵軍左翼側面。こうした地点を戦いの“焦点”であると定義すると、ガトランティス軍はこの“焦点”に突撃縦隊を空間跳躍で投入し、敵軍を決定的に崩壊させる。(※図61参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図61
 では、ガトランティス軍はどちらの“焦点”に(突撃縦隊を)投入するのか。もし敵に予備戦力が残されていなければ、彼らは敵軍右翼に突撃縦隊を突入させるだろう。しかし、最初に想定したように敵軍が予備戦力を後方に置いている場合はどうなるか」

 ガデルはヴェルテに問いかけるように言うと、ホログラムボードの図を同じ二つの図に分けた。それぞれに敵部隊の記号を付け加える。

 図の一つ。ガトランティス軍右翼側面に敵軍の記号が現れ、ガトランティス軍の側面を攻撃する態勢となる。もう一つの図。ガトランティス軍右翼後方に敵軍の記号が現れ、ガトランティス軍の背後を襲う態勢となる。(※図62参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図62

 ガデルは図の解説を再開した。

 「反撃の為の戦力を有する敵軍は、味方が不利になった時点で形勢を逆転させる為、図で示した位置のいずれかに予備戦力を空間跳躍させるだろう。ガトランティス軍右翼側面、あるいは右翼後方。いずれの位置に空間跳躍させても、敵軍はガトランティス軍右翼を崩壊させて形勢を一気に逆転させる可能性がある。
 それ故ガトランティス軍は敵が予備戦力を投入後、それを撃破するべく突撃縦隊を敵軍左翼側へと投入する事となる」

 そのように言うとガデルはホログラムボードの二つの図を変化させた。

 図の一つ。ガトランティス軍右翼側面を脅かす敵軍予備戦力に対し、その側背を襲うようにガトランティスの突撃縦隊がワープアウトする。突撃縦隊は敵軍の予備戦力を横殴りに粉砕するとそのまま敵軍本隊の左翼側面に突入し、敵の戦列を崩壊させてしまった。(※図63参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図63

 もう一つの図。ガトランティス軍右翼の背後を脅かす敵軍予備戦力に対し、その背後を襲うようにガトランティスの突撃縦隊がワープアウトする。突撃縦隊は敵軍の予備戦力の隊列を突き破り崩壊させると、敵軍本隊の左翼正面に猛然と突進した。突撃縦隊は既に押し込まれ圧迫されていた敵の戦列を容易に突き破り、敵軍を崩壊へと追い込んだ。(※図64参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図64

 ガデルが解説を加える。

 「図のように、ガトランティス軍は投入された敵の予備戦力を粉砕できる位置に突撃縦隊を空間跳躍させる。投入された突撃縦隊は、敵の予備戦力を撃破するとそのまま敵軍左翼に突入し、敵の戦列を突き破り崩壊させる。
 敵戦列の崩壊後、ガトランティス軍の戦列は総突撃に移り、敵軍全体を覆滅にかかる。その際突撃縦隊は隊形を解いて散開し、壊乱状態の敵の包囲を行う。ここで、突撃縦隊が隊形内部に随伴させていた空母部隊が大きな効果を発揮する。それらは航空機を発進させ、逃げようとする敵部隊の動きを妨害する。航空機は味方が敵に追いつき包囲する手助けを行うのだ。高い機動性を持つガトランティスの小型艦艇は、より機動性の優れる航空機が足止めする獲物に群がり、敵を順次覆滅する事となる」(※図65参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図65

 敵の戦列を崩壊させた後、突撃縦隊はどのように敵を壊滅に追い込むのか。ガデルはそれについて言及すると、続いてガトランティス軍の用兵の特色について言及を始めた。

 「以上が、実戦から想定した『会戦におけるガトランティス軍の用兵』である。この用兵で留意すべき事として以下の点が挙げられる。
 第一の点。彼らは突撃縦隊を、戦いを左右する地点である“焦点”に投入し、勝利を決定付ける存在としている。その意味で突撃縦隊の中心たるガトランティスの大型艦艇は、正に彼らの兵器システムの中核であるのだ。
 第二の点。彼らは機動と大火力の併用により、戦いの“焦点”を作り出している。彼らの巨大な横隊戦列が戦闘中も高い機動性を発揮でき、しかも必要な箇所に大火力を投射できる事を思い返してもらいたい。彼らの戦列はその特性を用い、敵の布陣の弱点に移動し大火力を浴びせ、敵に予備戦力の投入を強要している。そうする事で、彼らは“焦点”を作り出し、更には敵の戦力を枯渇させ、突撃縦隊が戦いを決定付けられる状況を作り出しているのだ。
 第三の点。突撃縦隊が投入される“焦点”は、敵の配置の弱点とは必ずしも一致しない。図で解説したように、それは敵戦力が脆弱な場所であったり、逆に戦力の集中する場所であったりする(※図66参照)。何故そうなるのか。それは“焦点”が戦いを左右する重要な場所であるが故に、敵も多くの場合戦力を次々に投入して来るからだ。殊(こと)に大兵力同士が激突する会戦では、突撃縦隊はどの“焦点”に投入されても敵の大部隊と遭遇する可能性が高くなる。従って、ガトランティス軍は戦いの“焦点”を制する為、いかなる抵抗も排除できる大威力の大型艦艇を保有している。実にこれこそが、彼らが古代的な大型艦艇を現代でも用いる理由なのだ。
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図66
 …以上、ここでまとめておこう。
 ガトランティス軍は従来の我が軍とは異なり、万を超える大軍が正面から激突する“会戦”に対応した兵器システムを有している。巨大な横隊戦列、小型艦艇の独特な装備、航空機、更には大型艦艇。これらは全て、会戦に対応したシステムの一環である。中でもガトランティスの大型艦艇はシステムの中核と言える存在であり、その装備と運用は古代世界の大型艦艇のそれをそのままの形で継承している。この事からガトランティスのシステムは、そもそも古代アケーリアスの時代に起源を持つのではないかと考えられる。彼らは我々の世界と全く異なる進化の過程を辿り、最終的に戦いの“焦点”といった、我々と全く異質の用兵概念を持つに至ったと推測される」

 「一つ質問しても良いか、ガデル」

 ガトランティスの「会戦に対応した兵器システムと用兵」について総括した弟に、ヴェルテが質問を投げかけた。

 「お前が解説の中で言及していた戦いの“焦点”は、我々の世界の機動戦には無い概念なのか?」

 「そうだ、兄さん」

 兄の問いかけにガデルは回答する。

 「今し方述べた戦いの“焦点”は、小官がガトランティスの用兵を説明する為に設けた概念だ。我々の世界の機動戦にこの概念は存在しない。
 従来の我が軍やかつての(大小マゼラン)諸国軍は、敵の配置の弱点を迅速に攻撃する事を追及して来た。その一方、“焦点”のように敵の戦力が集中し得る地点については、そのような場所を攻撃するという発想を持たなかった。逆にそうした行為は極力避けられていたのだ。
 従って、ガトランティスの大型艦艇が見せた、“敵の集中する箇所を火力で強引に粉砕する”という戦いは、我が軍にとって全く思いもよらない事だった。それは機動戦の概念とは全く異質であり、“焦点”という概念を導入しなければどうにも説明し難い事だった。こうした事実から、小官はガトランティスが我々の世界と全く異質の用兵概念や思想を持っていると確信している。
 これまで述べてきたように、彼らは我々と全く異なる装備を持ち、全く異なる戦いを行う。当然、我々が持たない全く異質の用兵概念や思想を持っていると考えるのが自然ではないだろうか」

 ガデルの回答に、ヴェルテは腕組みをして考え込んでしまった。

 “ガトランティスと我々はこうも異なるものなのか――。”

 自分達の世界とまるで異なる装備、用兵、そして思想。もし彼らの軍隊とシステムが、弟の言う通り古代アケーリアスの時代に起源を持つとすれば、その時代の“小規模な横隊戦列”のシステムがここまで異なる姿に変貌し得るとは。ヴェルテは弟から教えられた大小マゼラン世界の戦争史を思い返し、その戦いの姿の変遷とまるで異なる道を辿ったであろうガトランティスの歴史に、少しの間考えを巡らせたのだった。

 いくばくか時間が経過し、ヴェルテが何かしらの考えを纏めたのを見届けると、ガデルは兄に声をかけた。

 「…考えを整理して頂けただろうか。ここまでは、ガトランティス軍の姿について、その特筆すべき特徴を解説してきた。彼らのシステムは、その装備、用兵、思想のいずれもが従来の我が軍のシステムとおよそ共通点の無いまでに異なっている。
 それでは、彼らのシステムを俯瞰して見た場合、何が我々との最大の違いであり、特徴となるのか。最後にその事について述べておきたい」

 ガデルの今夜の講義の第二項目、「ガトランティス軍の姿」は、その数々の特徴を詳細に述べた末に最後の纏めへと入っていった。

 「ガトランティス軍のシステムと、従来の我が軍のシステム。両者はあらゆる面で異なるが、究極的には何が最大の相違となるのか。それは、ガトランティス軍のシステムが本質的に火力を重視し、『速度』を追求していないという事だ。
 この事は会戦での彼らの用兵を見れば明瞭となる。会戦において、彼らは戦力の展開に時間のかかる航空機を使用し、大火力で機動性の高くない大型艦艇により戦いを決定付ける。そして彼らは敵に予備戦力の投入を強要するのに時間をかけ、突撃縦隊を決して早急に投入しない。
 今一度、会戦での用兵について述べた辺りを思い返してもらいたい。ガトランティス軍は敵側面への機動に成功した後、すぐに突撃縦隊を投入せず、第二戦列で更に圧力をかけるという回りくどい手順を踏んでいたはずだ。彼らはそうする事で敵に更なる戦力の投入を強要し、(敵が)持てる戦力の大半を投入したと見定めてから突撃縦隊を投入するのだ。(※図67参照)
  ガトランティス軍とガデル・タラン 図67
 これに対し、従来の我が軍のシステムやかつての(大小マゼラン)諸国軍は、高速の機動やゲシュタムジャンプを駆使し、速攻による敵の弱点の打撃や包囲を行う事で敵を壊滅に追い込んできた。機動戦を行う我々の(大小マゼラン)世界は、作戦を遂行する『速度』を伝統的に競ってきたのだ。そして従来の我が軍のシステムは、より高速の機動戦を実現する為、大火力の航宙戦闘艦の放棄すら行った。
 ガトランティス軍のシステムは、こうした我々の世界の姿とは著しく対照的である。彼らは作戦の『速度』を重視せず、大型艦艇の大火力で敵戦列を突き破り、崩壊させる事を追及している。何故そうしているのか。それは、彼らが行う会戦という戦いの様態そのものに理由を求められる。
 そもそも、万を超える大軍同士が激突する会戦は、我が軍と(大小マゼラン)諸国軍が行ってきた規模の戦いとは全く異なる性質を持つ。その広大な戦場と巨大な兵力は、高速の機動を行うのであれ、空間跳躍を使うのであれ、速攻で敵の弱点の打撃や包囲を行う事を困難にする。それらを成すのは時間を要するようになるのだ。しかも、仮に弱点の打撃や包囲を成せたとしても、巨大な敵軍は簡単には壊滅しない。敵軍はかなりの長時間にわたり組織的抵抗を維持し、それで得た時間で反撃の態勢すら整える事ができる。従って、会戦で敵を撃滅するには、それとは別に何らかの手段で敵の抵抗を瓦解させる、即ち敵の隊列を崩壊させる方法論が必須となるのだ。
 ガトランティス軍のシステムは、正にこうした問題への解答である。彼らは巨大な横隊戦列の大火力と機動により、敵に戦力の投入を強要する。敵が戦力を枯渇させ新たな攻撃への対応力を失った所で、彼らは大型艦艇を投入し、その大火力で敵の隊列を突き破り崩壊させる。そうする事で、彼らは敵の大軍の撃滅を容易にしているのだ。
 …結論を述べよう。ガトランティス軍のシステムは、作戦の『速度』を追求せず、火力を重視する事で会戦に勝利している。これは会戦という戦いの様態そのものに適応した結果である。これに対し、従来の我が軍のシステムは会戦という戦いの様態に対応できなかった。我が軍は火力に欠け、機動の有効性も失われ、会戦に最初から適応したガトランティス軍に敗れる事となったのだ。その具体的な過程を、これから次の項で話していく事となるだろう」

 ガデルは今夜の講義の第二項目、「ガトランティス軍の姿」について総括を終えた。

1/1000 ガミラス艦セット1 (宇宙戦艦ヤマト2199) イスカンダル帝国の滅亡以降、戦いに「速度」を追及して来た大小マゼラン世界の軍隊。それとは正反対に速度ではなく火力を重視するガトランティス軍。このガトランティス軍の姿とは、実に「会戦」という戦闘形態への適応なのであり、従来のガミラス軍のシステムはこの戦いの様式に適応する事ができなかった――。

 大小マゼラン世界の戦争史から会戦という新しい戦場の姿まで網羅した解説を終えると、ガデルは講義を小休止した。

 部屋に束の間の静けさが戻る。それまでずっと長広舌を振るっていたガデルは、座椅子に身を沈め大きく息をつくと、物思いにひたるように静かに目を閉じ、そのまま動かなくなった。

 一方、椅子に座り弟の講義を聞いていたヴェルテは、ずっと腕を組み何かしらの考えを巡らせている。

 今夜のガデルの講義は最初の山場に差し掛かろうとしていた。ヤマトのバレラス襲来後、大小マゼランに大挙侵攻したガトランティスに何故ガミラスは敗れたのか。それまでは彼らが小マゼランに侵攻する度に勝利してきたにもかかわらず、何故彼らの仕掛けた大規模な戦争に大敗北を喫したのか。これから語られるガデルの答えは、おそらくは二人にとって少なからず心の痛む話であるに違いなかった。

 少しの時間が過ぎた。やがてガデルは、心の整理を付けたかのような表情で立ち上がった。椅子に座り相変わらず思索に没頭するヴェルテに、兄さん、と声をかける。弟に気付いたヴェルテが講義の再開を促すと、ガデルは頷き、兄の求めに応じた。

 「それでは講義を再開しよう。これより第三の話題、『ガトランティスによる戦争の変化』について解説する」

 ガデルは今夜の講義の第三項目について話し始めた。

 「…かつて、ガトランティスの仕掛けた大侵攻により、我々の世界は史上稀に見る戦争の変化を経験する事となった。それは、一言で言えば『火力戦の復活』という、イスカンダル帝国の滅亡から数千年ぶりに起きた巨大な変化だった。大小マゼラン諸国に勝利し、大侵攻以前の戦いでガトランティスに勝利を重ねてきた従来の我が軍のシステムは、この変化に対応する事ができなかった。大挙侵攻するガトランティス軍の前に、従来の我が軍のシステムは次々に問題を露呈し、ついには小マゼランの会戦において破滅的な敗北を喫するに至ったのだ。そしてそれに続く大マゼランの会戦では、我々はかろうじて勝利したものの、敵に対するシステムの劣勢ぶりが明らかとなった。
 それまで勝利を続けていた我が軍に何が起きたのか。その詳細について、これから解説を行う」

 そのように前置きを述べると、ガデルはホログラムボードに文字と図表を表示した。

(「ガミラス第二帝国の戦争準備―ガトランティス軍とガデル・タラン(その3)―」につづく)

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総監督・シリーズ構成/出渕裕  原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広  キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/山寺宏一 井上喜久子 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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