『小原庄助さん』という反逆児
福島に伝わる民謡『会津磐梯山』に、小原庄助さんというぐうたら男が登場する。
映画『小原庄助さん』は、てっきりこの男を主人公にした作品だろうと思っていたら、主人公は杉本左平太、小原でも庄助でもない。ただ、杉本左平太は、民謡に唄われる小原庄助のような生き方を目指しているダメ男だ。
小原庄助とはどのような人物なのか。民謡の歌詞のすべては知らないまでも、次の箇所を耳にした方は多いだろう。
「小原庄助さん 何で身上潰した
朝寝朝酒朝湯が大好きで
それで身上潰した
ハー モットモダー モットモダ」
朝寝して、朝から酒を飲んで、朝から湯に浸かってのんびりしていれば、それは資産を食いつぶすのももっともである。
一般的にはとても生き方の目標にはならない人物像だが、大河内伝次郎演じる杉本左平太は、毎日朝寝、朝酒、朝湯をしている。
しかも頼みごとに弱く、村に足りないものがあると聞くと、何でも買って寄付してやる。
そのため、村の名家で資産家だったのに、急速に没落していくのだ。
映画『小原庄助さん』は、この主人公の飄々たる暮らしぶりをユーモアたっぷりに描きながら、なぜ敢えて没落の道をたどるのか、その想いを少しずつ滲ませる。
劇中、印象深いエピソードがある。
ある日、村長選が行われることになり、村人たちが杉本左平太を訪ねてくる。候補者が不甲斐ないので、ぜひ杉本に立候補してくれというのだ。
杉本左平太はいつも暇そうにしているが、何しろ名家で、代々村長を輩出した家柄である。村人たちは、杉本こそ適任だと持ち上げる。いつもどおり、おだてと頼まれごとに弱い杉本なのだが、村人が口にした「なんといっても家柄が違う」という言葉には鋭く反応した。
「いや、家柄より人柄だ。」
昨今の、二世、三世の政治家が多い世にも響く言葉だ。
映画が公開されたのは1949年(昭和24年)。
1947年まで、日本には華族・士族という階層があった。法の下の平等を謳い、この制度を禁止したのが日本国憲法である。同年、農地改革が実施され、地主層も姿を消すことになる。
『小原庄助さん』は、朝から晩まで酒を飲んでいる男を主人公にしているが、その実は、裕福な家柄でありながら日本国憲法に賛同し、みずから資産を払底させてみんなと平等になる気高さを描いているのだ。
杉本左平太が村長出馬を断る理由について、「すでに対立候補の応援を約束してしまったから」と解説されることが多いが、そんな約束がなくても家柄を背負っている限り杉本は出馬しなかったろう。
逆に、資産をとことん潰し裸一貫になったところを、人柄を見込まれて出馬要請されるなら、杉本は必要と感じれば出馬するはずだ。
朝寝、朝酒、朝湯が大好きな男は、そんな人物なのである。
「小原庄助さん 何で身上潰した?」
小原庄助さんは、身上から解放されたかったのだ。
『小原庄助さん』 [あ行]
監督・脚本/清水宏 脚本/清水宏、岸松雄 制作/岸松雄
出演/大河内伝次郎 風見章子 坪井哲 飯田蝶子 清川虹子
日本公開/1949年11月8日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ]
映画ブログ
映画『小原庄助さん』は、てっきりこの男を主人公にした作品だろうと思っていたら、主人公は杉本左平太、小原でも庄助でもない。ただ、杉本左平太は、民謡に唄われる小原庄助のような生き方を目指しているダメ男だ。
小原庄助とはどのような人物なのか。民謡の歌詞のすべては知らないまでも、次の箇所を耳にした方は多いだろう。
「小原庄助さん 何で身上潰した
朝寝朝酒朝湯が大好きで
それで身上潰した
ハー モットモダー モットモダ」
朝寝して、朝から酒を飲んで、朝から湯に浸かってのんびりしていれば、それは資産を食いつぶすのももっともである。
一般的にはとても生き方の目標にはならない人物像だが、大河内伝次郎演じる杉本左平太は、毎日朝寝、朝酒、朝湯をしている。
しかも頼みごとに弱く、村に足りないものがあると聞くと、何でも買って寄付してやる。
そのため、村の名家で資産家だったのに、急速に没落していくのだ。
映画『小原庄助さん』は、この主人公の飄々たる暮らしぶりをユーモアたっぷりに描きながら、なぜ敢えて没落の道をたどるのか、その想いを少しずつ滲ませる。
劇中、印象深いエピソードがある。
ある日、村長選が行われることになり、村人たちが杉本左平太を訪ねてくる。候補者が不甲斐ないので、ぜひ杉本に立候補してくれというのだ。
杉本左平太はいつも暇そうにしているが、何しろ名家で、代々村長を輩出した家柄である。村人たちは、杉本こそ適任だと持ち上げる。いつもどおり、おだてと頼まれごとに弱い杉本なのだが、村人が口にした「なんといっても家柄が違う」という言葉には鋭く反応した。
「いや、家柄より人柄だ。」
昨今の、二世、三世の政治家が多い世にも響く言葉だ。
映画が公開されたのは1949年(昭和24年)。
1947年まで、日本には華族・士族という階層があった。法の下の平等を謳い、この制度を禁止したのが日本国憲法である。同年、農地改革が実施され、地主層も姿を消すことになる。
『小原庄助さん』は、朝から晩まで酒を飲んでいる男を主人公にしているが、その実は、裕福な家柄でありながら日本国憲法に賛同し、みずから資産を払底させてみんなと平等になる気高さを描いているのだ。
杉本左平太が村長出馬を断る理由について、「すでに対立候補の応援を約束してしまったから」と解説されることが多いが、そんな約束がなくても家柄を背負っている限り杉本は出馬しなかったろう。
逆に、資産をとことん潰し裸一貫になったところを、人柄を見込まれて出馬要請されるなら、杉本は必要と感じれば出馬するはずだ。
朝寝、朝酒、朝湯が大好きな男は、そんな人物なのである。
「小原庄助さん 何で身上潰した?」
小原庄助さんは、身上から解放されたかったのだ。
『小原庄助さん』 [あ行]
監督・脚本/清水宏 脚本/清水宏、岸松雄 制作/岸松雄
出演/大河内伝次郎 風見章子 坪井哲 飯田蝶子 清川虹子
日本公開/1949年11月8日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ]
映画ブログ
⇒comment
No title
TBありがとうございます。
「小原庄助さんは、身上から解放されたかった」、なるほど、そこまで気がつきませんでした。ありがとうございます。
「小原庄助さんは、身上から解放されたかった」、なるほど、そこまで気がつきませんでした。ありがとうございます。
Re: No title
シーラカンスさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
この映画で洒落ているのは、やはり最後に「終」ではなく「始」と出ることでしょうか。
名家として酒ばかりのんでいる日々は、『生きる』で志村喬がハンコを押す日々のようなものだったのかも知れません。
没落を描いていながら明るい終わり方なのが、良かったと思います。
コメントありがとうございます。
この映画で洒落ているのは、やはり最後に「終」ではなく「始」と出ることでしょうか。
名家として酒ばかりのんでいる日々は、『生きる』で志村喬がハンコを押す日々のようなものだったのかも知れません。
没落を描いていながら明るい終わり方なのが、良かったと思います。
子ども
本編のラストシーン。身上を潰し裸一貫になった駄目男だったがー。夢の様なサプライズ。前途多難な放浪紳士の足取りは軽く明るいー。家柄の枷から解き放たれた小鳥のように…。チャップリン級のラストシーン!遠く小さくなって寄り添う二人の背中が印象的だ!本当の人生はこれから始まるのかも知れない…。
Re: 子ども
PineWoodさん、こんにちは。
放浪紳士とは云い得て妙ですね。まさにチャップリン映画のような明るさが感じられます。
放浪紳士チャーリーも、実は没落したブルジョワジーなのかも。そんな想像も楽しいです。
放浪紳士とは云い得て妙ですね。まさにチャップリン映画のような明るさが感じられます。
放浪紳士チャーリーも、実は没落したブルジョワジーなのかも。そんな想像も楽しいです。
最近になって初めてこの映画を見ました。
ラストは感動モンでした。
大河内傳次郎さんの演技も「小原庄助さん」という人物を、見る側に見事に伝えてますよね。
ところで、この映画のOPとEDの歌詞が聞き取れない部分があり、あちこち検索したけど1コーラス、2コーラスとも全て載ってるとこはないですかね。
ラストは感動モンでした。
大河内傳次郎さんの演技も「小原庄助さん」という人物を、見る側に見事に伝えてますよね。
ところで、この映画のOPとEDの歌詞が聞き取れない部分があり、あちこち検索したけど1コーラス、2コーラスとも全て載ってるとこはないですかね。
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富士山麓に住む“小原庄助さん”こと杉本左平太は、先祖伝来の家屋敷や田畑を村で、一番持っていた。村人は次から次へと寄附金や頼みごとをし、左平太は生来の人の良さから彼の財産を人々に分け与えた。村人から村長選挙に立候補することを頼まれればしぶしぶ承諾し、演説...