『宇宙戦艦ヤマト2202』とは何だったのか 第七章「継承篇」

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 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』の企画の初期段階で、羽原信義監督と福井晴敏氏は「今の時代にあった新しいことをやるべき。ただし、観客が『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶は随所に入れよう」と語り合ったという。
 その言葉どおり、沖田艦長の命日にかつてのヤマトの乗組員たちが「英雄の丘」に集まって、上空のアンドロメダを見上げる場面など、旧作の印象的な場面が2202では再現されていた。
 第1話こそ『宇宙戦艦ヤマト2199』の後を受けた内容だったが、第2話からしばらくは「『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶」が散りばめられ、旧作の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』や『宇宙戦艦ヤマト2』を尊重して作っているように思われた。

 しかし、ズォーダーがガトランティスの設定を古代に教えるあたりから、物語は『さらば――』とも『ヤマト2』とも違うものになっていく。旧作のファンはずいぶん戸惑ったのではないだろうか。
 波動実験艦「銀河」の登場やヤマトの最終決戦仕様への改装が行われるに至って、旧作の面影はすっかりなくなった――と思いながら観ていた私は、最終回の直前、第25話「さらば宇宙戦艦ヤマト」が映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のラストにそっくりなので驚いた。『ヤマト2』と同じく森雪が死んでいなかったりと多少の違いはあるにしろ、かつての「映像的な記憶」が呼び起こされる内容だった。

 あれほど大胆に改変し、旧作から乖離させていたにもかかわらず、いまさらなぜ……。
 しかし私は、すぐに作り手の意図を呑み込んだ。
 旧作そっくりのこの場面を用意したからこそ、途中で乖離できたのだろう。旧作ファンの脳裏に残る、一番印象的な場面。それをちゃんと再現するから、そこに戻ってくるから、途中の道筋がどんなに逸れているようでも安心してください、期待してください。そう云える自信があったから、道を逸れることができたのだ。


■継承された『宇宙戦艦ヤマト2199』

宇宙戦艦ヤマト2199 7 (最終巻) [Blu-ray] それは、2199がやったことでもあった。

 2199の第1話は、旧作『宇宙戦艦ヤマト』の第1話を本当によく再現していた。沖田艦長のセリフ「バカメ」に始まり、サーシャの亡骸の美しさと神秘的なBGM、夕陽を浴びてそびえる大和の残骸まで、痺れるほどよく似ていた。
 ところが、回を重ねるに連れて、2199は旧作から離れていった。岬百合亜の謎めいた行動、アケーリアス文明の遺跡、森雪の拉致等、予想だにしない展開の連続だった。
 それを私たちが大歓迎したのは云うまでもない。何より嬉しかったのは、宇宙戦艦ヤマトシリーズ全体を俯瞰して、作品世界の再構築がなされていたことだった。旧作の第1話で地球艦隊が全滅したのなら土方や山南はどこから出てきたんだとか、次元潜航艇を開発できるほどのガミラスがなぜヤマトとの戦いでは投入しなかったんだといった、場当たり的にシリーズを継続したために生じていたひずみを、2199は手当てして、全体の整合性を図ってくれた。

 「『ヤマト』の迷走を見直し、俺たちの世代でケジメをつける」
 そう決意してリメイクに臨んだという出渕裕総監督は、言葉どおりに素晴らしい世界を見せてくれた。

 だから2199では旧作からの逸脱も楽しくてならなかったが、驚いたのは、すっかり旧作から逸れてしまったと思われた物語が、最後にきっちり旧作の再現に戻ってきたことだった。ベッドに横たわって地球を見つめる沖田艦長。「地球か…何もかも、みな懐かしい」という名ゼリフ。
 ああ、これだ。私が好きなヤマトはこれだった。
 私は心の底から感動した。

 懐かしい場面の再現から始めることで旧来のファンを歓喜させ、途中では旧作から逸脱して「脱線なのか上書きなのか」とハラハラさせながら、最後は再び懐かしい場面を再現してビシッと締める。
 2199のこの構成を、2202は踏襲した。
 私は、2199と2202とのあいだに断絶を感じ、その思いを記事にしたが、両作を俯瞰して物語の構造に目を向ければ、2202は2199と同じパターンを実践したのであり、2199の方法論の継承者であった。

 それでは、2202の逸脱ぶりは何だったのか、という疑問が湧く。
 2199の場合は単なる脱線ではなく、宇宙戦艦ヤマトシリーズ全体を俯瞰して作品世界を再構築する壮大な志が感じられた。
 一方、2202は、波動実験艦「銀河」やら最終決戦仕様のヤマトやらを出してみたり、すっかりオカルトファンタジー化してしまったりと、2199とは似ても似つかぬアプローチに思える。


■メカデザインの系譜

 この疑問に関して、まずはメカデザインの面から考えてみよう。

 私は第一作のヤマトのデザインが大好きで、これこそは何も足さなくていいし何も引かなくていい完璧なものだと思っている。
 だから、1980年の『ヤマトよ永遠に』や『宇宙戦艦ヤマトIII』での、ヤマト艦首への錨マークのペイントでさえ、ヤマトじゃない気がして好きになれなかった。

 まして、唯一無二の存在たるべき宇宙戦艦ヤマトと似て異なる「銀河」は、その存在もデザインも納得しがたかった。
 アンドロメダをはじめ『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に登場した地球防衛軍の主力戦艦や巡洋艦が、ヤマトで培った技術を踏まえて建造されたはずなのにヤマトから距離を置いたデザインなのは、物語上もデザイン上もヤマトとの違いを感じさせて、ヤマトの唯一絶対の存在感を侵さないようにとの配慮だったはずだ。[*1]
 それを侵した「銀河」。公式サイトに掲げられた「次世代航宙艦艇開発の研究を行なうために、ヤマトの波動システムを含む本体をコピーした同型艦」という「銀河」の説明や、第19話の「ヤマトを継ぐもの、その名は銀河」というサブタイトルは、あたかもヤマトが旧世代として葬られる日が来るかのようだ。

宇宙戦艦ヤマト2199 7 (最終巻) [Blu-ray] 2199におけるメカデザインの考え方はシンプルだった。2199の出渕総監督は次のように語っている(意訳)。
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オリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』のメカデザインは、こんにちでも通用します。少しブラッシュアップするだけで、現代の視聴者の期待に応えるでしょう。少々古風な雰囲気が、かえってデザインに深みを与えるのです。だからメカデザインに関して云えば、ほんの少しブラッシュアップするだけでした。オリジナルの『ヤマト』を知っているファンは、『2199』のデザインに満足してくれるでしょう。新たなファンは、『ヤマト』のデザインが未だ魅力的であることを発見するでしょう。
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 まったく同感だ。ヤマトファンが期待したのは、昔のデザインを今の技術・技法で甦らせてくれることだった。2199で新たにデザインされたメカもあるが、オリジナルのメカとの地続き感がとても大事にされていて違和感がなかった。
 『宇宙戦艦ヤマト』で作られたものは、ほんの少しブラッシュアップするだけで、こんにちでも通用する――この考え方は、2199という作品全体を貫いている。

 他方、波動実験艦「銀河」や最終決戦仕様のヤマトには違和感しか覚えない。
 しかし、思えば波動実験艦「銀河」のデザインは、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット』(2012年)に一瞬だけ登場した波動実験艦「ムサシ」のデザインを踏襲したものである。そして「銀河」も「ムサシ」も、艦橋部分のデザインを見ればお判りのとおり、そのエッセンスは『YAMATO2520』(1995年)の第18代宇宙戦艦YAMATOから来たものだろう。
 2202に「銀河」を登場させたのは、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット』及び『YAMATO2520』への言及といえそうだ(『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(2009年)の監督を務めた西崎義展氏の死亡後に、残ったスタッフが完成させたバージョンをディレクターズカットと呼ぶことに疑問もあるが、ここでは公開時の作品名のまま「ディレクターズカット」と表記する)。

ヤマト2520 シド・ミードがデザインした『YAMATO2520』のYAMATOはカッコイイと思う。とても洗練されており、ヤマトの無骨な感じとはまた別の魅力に溢れている。

 だが、『YAMATO2520』のYAMATOがカッコイイなどと云ってられるのは、『YAMATO2520』が宇宙戦艦ヤマトシリーズとはまるで繋がりのない作品で、第18代YAMATOを我が愛する宇宙戦艦ヤマトとは切り離して見ていられるからだ。
 『新 宇宙戦艦ヤマト』の名で企画され、今風に云えばリブート作である『YAMATO2520』は、宇宙を本拠地に選んだ者たちの国、セイレーン連邦と、地球中心の国、地球連邦との、人類同士の戦争を背景にしており、異星人と戦った宇宙戦艦ヤマトシリーズの世界を示唆するものは何もない。主役メカの名前こそ、かつての大ヒット作にあやかってYAMATOと付けられているが、作品世界の設定は、明らかにスペースコロニーを本拠地とするジオン公国と地球連邦の戦争を背景にした『機動戦士ガンダム』にならっている。

YAMATO 2520 Vol.1 明日への希望 [Laser Disc] 『宇宙空母ブルーノア』(1979年)も『オーディーン 光子帆船スターライト』(1985年)も失敗し、1990年代に入ると80億円以上の個人負債[*2]を抱えていた西崎義展氏にすれば、新作をつくるにしてもヤマトブランドに頼るしかなかったのだろう。
 だから私も、『YAMATO2520』に関しては、ヤマトの存在感を侵すとか、ヤマトを改変されたと思わずに、シド・ミードのデザインもこれはこれでいいもんだと呑気に構えていた。

 けれども、2202の作り手にとっては、『YAMATO2520』も捨ててはおけない作品なのだろう。2202の副監督を務め、メカデザインも行った小林誠氏は、『YAMATO2520』にメカニックデザイナーとして参加していた(VOL.1でのクレジットはメカニックデザイナー。最終作となったVOL.3では、助監督、メカニックデザイン・設定デザイン、美術設定デザイン、コンピューターグラフィックデザインでクレジットされている)。

 『YAMATO2520』を視野に入れると、「銀河」やら最終決戦仕様のヤマトやらの位置づけが見えてくる。私にとって――おそらく少なからぬヤマトファンにとって――宇宙戦艦ヤマトは唯一無二の大事な存在だが、2202の作り手にとっては18代もあるヤマト(YAMATO)のうちの単なる一つ、初代の1番艦に過ぎないのだろう。
 『YAMATO2520』には、第18代YAMATOとその設計の基になった第17代YAMATOが登場する。これらのYAMATOと『宇宙戦艦ヤマト』のヤマトとを同一世界の存在と考えるのは、メカデザイナーにとって楽しいことに違いない。方や世界的に有名なデザイナー、シド・ミードがデザインしたこの上なくカッコイイ第18代YAMATOがある。もう一方には、やはり世界で知られるマンガ家松本零士氏のスケッチをメカデザイナーの宮武一貴氏がまとめ上げた偉大なヤマトのデザインがある[*3]。両者のいいとこ取りをしながら第2代から第16代までの15ものバリエーションをデザインできるなんて本当に楽しそうだ。世代交代の際には、新世代の設計を活かして前世代が改装されることもあるだろうから、さらに豊富なバリエーションを考えられる。それぞれの世代交代に際して、どのようなコンセプトが新世代への移行を促したのか、その変遷の歴史を考えるのも楽しいに違いない。こんな仕事は、やらずにいられないだろう。
 その取り組みはすなわち、宇宙戦艦ヤマトシリーズの世界と『YAMATO2520』の繋がりを太くすることになる。

 ファンにしてみれば、シド・ミードのデザインと旧作のデザインという異質なものを混合されても違和感しか覚えないだろう。
 松本零士氏及び宮武一貴氏のデザインが魅力的なのは、手描きのマンガやアニメではあり得ないようなゴチャゴチャ感にあり、そのゴチャゴチャしたものが全体としては流麗なフォルムを形作る奇跡のような塩梅にある。
 シド・ミードのデザインがかっこいいのは、工業デザイナーらしいシンプルさと現実感に貫かれているからで、松本ヤマトとは対極といえよう。第18代YAMATOは、ゴチャゴチャした松本零士らしさをいったん取り払い、ヤマトのフォルムの本質を突き詰めた上で再構成してデザインされている。だから、紛れもなくシド・ミードのデザインなのにヤマトっぽくもあると思う。
 この対極に位置する両デザインのいいとこ取りをするのは、やり甲斐があるだろうが、はたからは無謀に思える。
 それでも、おそらく2202の作り手は、『YAMATO2520』と宇宙戦艦ヤマトシリーズを繋げるつもりで臨んでいる。

宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット [Blu-ray] それはすでに、小林誠氏が副監督とメカニックデザインを務めた『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(2009年)で試みられていた。『YAMATO2520』にチラリと映った地球連邦軍第7艦隊のブルーノア(『宇宙空母ブルーノア』とは別物)が、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』冒頭で活躍するのだ。『YAMATO2520』の打ち切りに伴って見せ場を用意できなかったブルーノアのため、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』にデザインを流用したのかもしれない。ともあれ、両作に共通項ができたのは確かである。

 西崎義展氏の死後、小林誠氏が監督代行に就任して完成に漕ぎ着けた『宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット』の波動実験艦「ムサシ」とデザインを共有する「銀河」を2202に配したことは、2202年に建造された「銀河」の同型艦が2220年を舞台とする『復活篇』の世界にも存在することを示唆しており、『復活篇』と2202を繋げるものだ。

 2202年を舞台とする本作と、2220年を舞台とする『復活篇』と、2520年を舞台とする『YAMATO2520』が、メカデザインを通して繋がったのである。


■リアリティの水準

 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』と2202が共通するのは、メカデザインだけではない。

 『復活篇』は、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(1983年)の17年後を描いており、古代進が地球を救った伝説的な英雄として人々に知られていたり、雪とのあいだに生まれた美雪が佐渡先生の手伝いをしていたりと、17年の歳月に相応しい設定がなされていた。
 一方で、原案作成に石原慎太郎氏が加わったためか、『復活篇』は、1930年代の大日本帝国と他国の関係を宇宙に投影し、日本軍が連合国(になぞらえた敵)をこてんぱんにやっつけるという、身も蓋もない話であった。

 とはいえ、そういう要素はシリーズ過去作にすでに見え隠れしていたので、『復活篇』だけを捉えてここでどうこう云うつもりはない。

リング (Blu-ray) 驚いたのは、終盤で明かされた敵の正体だ。
 ヤマトに敵対する大ウルップ星間国家連合の中でも、中心的存在の星間国家SUS。その代表であるメッツラー総督は、ヤマトとの戦いに敗れると突如人間の姿に化けるのをやめ、目が吊り上がり口が裂けた化け物の正体を現すのだ。第一艦橋のスクリーン越しに会話していたはずなのに、突然スクリーンから飛び出して宙を舞う様子は、まるでホラー映画『リング』の貞子である。空間的な距離をものともせず、壁があっても通り抜けて出現するメッツラーは、異次元からやってきた巨大な化け物なのであった。

 いやはや、さきほどまでの宇宙要塞や宇宙戦艦を使った戦闘はなんだったのか。こんな凄い化け物なら、要塞のハイパーニュートロンビーム砲なんぞに頼らすに、とっととヤマト内に乗り込んで大暴れすればよかったのに。
 これまでヤマトが戦った敵は、肌の色や文化が違っても地球人のような姿形で、地球人と同じような言動をしていたのだが、メッツラーは悪魔のようなとんでもなく異質な存在だった。

 第1テレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』を作る際に、西崎義展氏は非ヒューマノイド型エイリアンの登場を嫌い、敵ガミラス人の正体がヒューマノイド型ロボットでは感情移入できないと云ってロボット案を却下してしまったそうだ。あの頃の西崎氏はどこにいったのか。
 異次元から化け物がやってくる作品があっても、牙の生えた敵が壁を通りぬける作品があってもいいのだが、どの作品にもその作品らしさを保つ上でのリアリティの水準というものがある。ファンタジーにはファンタジーなりの、SFにはSFなりのリアリティがある。『復活篇』は、これまで宇宙戦艦ヤマトシリーズが保ってきたリアリティの水準を乱してしまった。
 メッツラーが異次元妖怪に変化してスクリーンから出てきたときが、ミリタリーSFとしての宇宙戦艦ヤマトシリーズが木っ端微塵に打ち砕かれ、つぎはぎとはいえ35年にわたって保ってきた世界観がブチ壊しにされた瞬間だった。

 さすがの西崎氏も、一作ごとに新たな星間帝国が地球に襲いかかることの繰り返しに、限界を感じたのだろうか。
 ともあれ、あそこから宇宙戦艦ヤマトシリーズのオカルトファンタジーへの変貌は始まっていたのだ。

 『復活篇』のラストを念頭に置いた上で2202を観てみれば、2202のオカルト臭さはまだ穏やかなものだった。
 ガトランティス人は人間ではないといいながらも、牙もなければ、巨体でもなく、その外見は人間そのものだし、ズォーダーが古代に語りかけるときは地球人の蘇生体の口を借りており、時空を超えて姿を現し、宙を舞うわけでもない。
 2202の穏やかなオカルト臭さは、『復活篇』と他の宇宙戦艦ヤマトシリーズとのあいだにあって、オカルトファンタジー路線への導入役を担うかのようだ。


■迷走する『ヤマト』

 メカデザインの変遷や、宇宙戦艦ヤマトシリーズのオカルトファンタジー化の流れを考えれば、2202もまたシリーズ全体を俯瞰して作品世界の再構築を試みたといえそうだ。2199がやったことをここでも踏襲した2202は、やはり2199の方法論の継承者と云えようか。

 では、2199も2202も同様のことをしたとするならば、両作に対する評価の違いは何だろう。
 2199のことを絶賛していた私の友人たちが2202に関しては揃いも揃って否定的で、にもかかわらずネット上では2202に肯定的な意見も見受けられる。こうした意見の違いはなぜ生まれるのだろうか。

宇宙戦艦ヤマト2199 Blu-ray BOX (特装限定版) この疑問に答えるには、出渕裕氏が『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク版の制作を決意した言葉に立ち返るのがよいだろう。

 「『ヤマト』の迷走を見直し、俺たちの世代でケジメをつける」
 『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズのファンで、氷川竜介氏が会長を務めるファンクラブ「ヤマト・アソシエーション」にも所属していた出渕氏は、こんな覚悟で『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督に就任したのである。

 出渕総監督のこの言葉に私は感動した。
 出渕総監督は言葉どおりのことを実践してくださった。
 2012年4月7日、『宇宙戦艦ヤマト2199』の第1話を見た私は、さっそくブログに喜びをこめてこう綴った。
 「『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズから38年を経て、遂に私たちの前に我慢も諦めもいらない「ヤマト」が登場した!」
 長らく迷走する『ヤマト』を見てきた身としては、迷走なんて微塵もない2199の第1話は宝物だった。

 だが、ここには大きな問題が潜んでいる。「迷走」とは何か、ということだ。
 『ヤマト』が迷走していたというのなら、宇宙戦艦ヤマトシリーズは「迷走」の部分と「迷走」でない部分に分けられるということだ。

 第1テレビシリーズは原点だから別格としても、ではスターシャが死んでいたり生きていたりといくつもの結末が作られた劇場版第一作はどうだろうか。
 登場人物をあらかた殺してしまった続編『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』は?
 二時間半の映画の内容を全26話に引き延ばし、映画とは異なる結末にした『宇宙戦艦ヤマト2』は迷走だろうか。
 古代守とスターシャは新生イスカンダルのアダムとイブになったはずなのに、そのスターシャをあっさり殺し、一作目における希望の象徴だったイスカンダルさえも爆発させてしまった『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』はどうだろう。
 古代守まであっさり殺し、赤ん坊だったサーシャがたった1年で17歳相当になったり、さらにはそのサーシャも死んでしまう『ヤマトよ永遠に』は。
 大量に新キャラクターをヤマトに乗艦させたかと思えば、一部を下艦させたりと、キャラクターの使い方がふらついた『宇宙戦艦ヤマトIII』は。
 あるいは、とっくに死んだはずの沖田艦長がまた登場する『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、ヤマトとは名ばかりで「ブルーノア2520」でも「スターライト2520」でも通用しそうな『YAMATO2520』、そしてオカルトファンタジー路線に踏み出してしまった『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』は、いかがなものだろうか。

 「『ヤマト』は迷走していた」と云われれば、頷くファンは多いだろう。では、どこまでが良くてどこからが迷走なのかを問われたら、議論百出して、意見が収束しないかもしれない。
 ただ、ヤマト映画の興行成績が右肩下がりだったことからも、後年の作品になればなるほど支持する人が減るであろうことは想像にかたくない。


■シリーズを再構築するということ

宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海 [Blu-ray] 2199は、さすがにヤマトファンの誰もが認める作品であろう第一作を主軸に、『さらば――』及び『ヤマト2』の要素(土方、斉藤)や『新たなる旅立ち』の要素(山崎、北野)、『ヤマトよ永遠に』の要素(山南)、『ヤマトIII』の要素(平田、次元潜航艇)、『完結編』の要素(アクエリアス)等を少しずつ追加したものだった。追加した要素はわずかであり、その出典は1980年代までの作品に限られよう。盤石の人気を誇る第一作をベースにしていることとも相まって、多くのファンが2199には納得感があったはずだ。
 2199が行った作品世界の再構築は、宇宙戦艦ヤマトシリーズを第一作中心の世界観に整え直すことであった。
 後年の作品の要素は、厳選した上で、第一作との整合性を図れる範囲で使用する。それらは贅沢なデコレーションだ。
 これが出渕総監督の云う「『ヤマト』の迷走を見直す」ということだったのだろう。

 2202では、『さらば――』をリメイクするという基本的なコンセプトが、そもそも2199の第一作中心主義と衝突していた。かといって『さらば――』中心主義にしたら、主人公を死なせてシリーズに終止符を打つことになってしまう。『ヤマト2』が中心では、大ヒットした『さらば――』のリメイクを謳うほどのインパクトは与えられまい(それに、『さらば――』を好きな人と『ヤマト2』を好きな人は必ずしも重ならないはずだ)。
 主軸を定めることのできない2202は、必然的に2199よりも緩い態度で旧作に接することになる。

 2202が行った作品世界の再構築とは、前述したように1990年代以降の『YAMATO2520』や『復活篇』(ディレクターズカット版を含む)への橋渡しを兼ねている。
 『YAMATO2520』はOVAとして売り出すも売上が伸びず、西崎義展氏の会社ウエスト・ケープ・コーポレーションの倒産もあって、少なくとも七巻以上発売する予定だったのに三巻で打ち切りになってしまった。『さらば――』の制作助手や『ヤマトIII』のプロデューサー等を務めた山田哲久氏は、松本零士色を排したこのOVAについて「西崎は松本さん抜きでも成功すると実証したかったのでしょうが、ファンの共感は得られなかったのです」と述べている。
 同様に松本零士氏が関わらなかった『復活篇』の興行収入は、それまでヤマト映画史上最低だった『完結編』の17億円を下回り、5億円に届かなかった。[*2]
 このように人気のない作品をあえて取り上げて、しかも良いところを抽出して2202の素材として活かすのではなく、わざわざ類似するメカを押し込んで共通点を作り、それらの作品も同じ宇宙戦艦ヤマトシリーズの一部であるとファンに認識させる。2202を優れた作品にするための取り組みというよりも、乱暴な云い方ではあるが『YAMATO2520』や『復活篇』の地位向上のために2202を利用したようにも思われるのだ。ヤマトファンにもあまり相手にされていない作品に橋渡しするということは、つまりはそういうことになろう。

 大のヤマトファンで「『ヤマト』に関わりたくてしょうがなかった」[*2]という出渕裕氏がアニメ業界に入った後に参加できたのが『ヤマトIII』や『完結編』であり、『YAMATO2520』や『復活篇』には関わっていないこと、他方、「突き放してる風にしておきながら実は本当にヤマトが大好き」といわれる小林誠氏が参加したのは『YAMATO2520』や『復活篇』であることも影響しているかもしれない。人間誰しも、自分がやった仕事は肯定的なものとして残していきたいだろう。
 『YAMATO2520』や『復活篇』を含めたヤマト関連の権利者からすれば、『YAMATO2520』等の過去の資産を埋もれさせず、新作を機に過去作にも日を当ててその資産価値を向上させる方策があるなら、大歓迎に違いない。

 

 これまで、「ヤマト」や「YAMATO」の名を冠した作品がたくさん作られてきた。
 松本零士氏が才能を注ぎ込んだ作品もあれば、同氏がまったく関わらなかった作品もある。ヒットした作品もあれば、ヒットしなかった作品もある。
 はたして、宇宙戦艦ヤマトシリーズは迷走していたのか否か。どこからが迷走で、どこまでは迷走ではないのか。リメイクするならどこを取り上げるべきで、どこは捨てるべきなのか。新たな橋渡しを許すのか、拒むのか。
 その判断の違いが、すなわち2199と2202の評価の違いに表れているのだと思う。

 45年にわたるシリーズのどこにあなたは魅了されたのだろうか。
 あなたにとっての「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」とは何なのか。

 答えは、ファンの数だけあろう。
 リメイクを見るときに問われているのは、あなたのヤマト観なのだ。


[*1] アンドロメダのデザインは、松本零士氏より先に『宇宙戦艦ヤマト』への参加を要請されていたマンガ家小沢さとる氏が、『宇宙戦艦ヤマト』に先行して企画した『ギンガ、ギンガ、ギンガ』のヤマトワンダー号に近い気がする。

[*2] 参考文献 牧村康正・山田哲久 (2015年) 『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』 講談社

[*3] スタジオぬえの加藤直之氏によれば、ヤマトのデザインは、松本零士氏が独自に描いたヤマトのスケッチに宮武一貴氏が波動砲のアイデアを出して付け加え、松本零士氏が考えた細部の設定を宮武一貴氏が小沢さとるマンガのフォルムにならってまとめ上げたものだそうだ。


【Amazon.co.jp限定】宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 7 (初回限定生産) (福井晴敏(シリーズ構成・脚本)書き下ろしドラマCD付) [Blu-ray]宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章「新星篇」』  [あ行][テレビ]
第23話『愛の戦士たち』
第24話『ヤマト、彗星帝国を攻略せよ!』
第25話『さらば宇宙戦艦ヤマト』
第26話『地球よ、ヤマトは…』

監督/羽原信義  副監督/小林誠  原作/西崎義展
シリーズ構成/福井晴敏  脚本/福井晴敏、岡秀樹
キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 山寺宏一 神谷浩史 手塚秀彰 甲斐田裕子 田中理恵 麦人 千葉繁 楠見尚己 江原正士 柴田秀勝 赤羽根健治 神田沙也加 内山昂輝
日本公開/2019年3月1日
ジャンル/[SF] [アクション] [戦争] [ファンタジー]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2202
【genre : アニメ・コミック

tag : 羽原信義 小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 山寺宏一 神谷浩史 手塚秀彰 甲斐田裕子 田中理恵

⇒comment

2202が残したもの

ナドレックさん

7章に渡る分析と深い考察、とても参考になりました。また、私の拙劣なコメントにもお返事して下さってありがとうございました。
記事の中で特に目を見張ったのは作劇篇の「生まれる「時間」」です。静止画ではOKでも動画にすると違和感が生じることもあるのだと。
オカルト篇と継承篇は読んだ後で共通の疑問が残りました。制作者側はそこまで深く考えていたのか? 10年後くらいに当事者から真相が語られたら……などと妙な期待をしています。

私にとって2202はヤマトの中で最低の作品でしたが、ムッとした分、オリジナルシリーズ & 2199を改めて分析、考察することが出来ました。そして、いろいろとサーチする中で、このブログにも出会えました。そう考えると、酷い作品だったけれど、得られたものも多かったと思っています。

No title

今迄の記事の中でも最大級の読み応えのある大作の記事というか、内容・量共に最高の映画・作品論だと思います。
見る前は期待でいっぱいで楽しみにしていた2202を見始めるうちに感じた違和感と、それを超えて見ていくうちにどんどん高まった嫌悪感の正体を解りやすく考察・解説して下さってありがとうございます。
そして読んでくうちにどんどんと怒りが再燃してます。
出渕裕氏(他多数のスタッフ・キャスト)が見事に現代版としてアップデート・リブートしたヤマトをこんな無様な結果にしてくれた2202のスタッフは万死に値します。

あのYAMATO25ナンタラ(未見)や口に出すのもはばかられる復活編に関わってる連中がその愚作を抱き合わせ商品の様にまたぞろ引っ張り出して来たのは怒りと悲しさと絶望でいっぱいです。
とにかく2202はまず、小林誠を筆頭にする「差別主義者」「隔たった思想」の人間によってここまでダメな作品になってしまった事実を踏まえ2205をやるならまずこういった連中を永久に追放する事です。

復活編は底抜けボンクラ映画として楽しめるきらいもありましたが、例え詰まらない最低映画としてもタイトルに宇宙戦艦ヤマトの名を冠し、小林誠始め関わってる人間が2109の成功を利用して、この最悪の幸福の科学制作のアニメの様な反米オカルト映画を又引っ張り出して来たのはゾッとします。

いま百田等の極右思想に支配されたエンターテインメント作品を「あんなものを見るのはバカだけ」と野放しにしておくのは絶対に止めるべきです。
今のこの日本のヘイトや多民族への憎悪を煽るマスコミ、愛国ポルノが氾濫する状況を見ると、初めはナチスを鼻で笑ってバカにして野放しにしていた為に政権を取られ破滅に進んだ戦前のドイツやまた戦前の大日本帝国と全く同じ状況にあると思います。

2109の成功を利用した「人の褌で相撲をとる」
「手柄を横取りする」様な2202の有り様には反吐が出る思いです。

既視感

大ボリュームな大変読み応えのある2202考察と批評、とても楽しめました。ありがとうございます。
何と言いますか2202に対する批判の声といい、某副監督へのネットの反応といい、どこかで既視感があるな〜と思ったらアレだ。
これまんま「けものフレンズ2」だ!
前作の成功に満足せず、むしろ「俺たちならもっとできる」と根拠なきマウントで前任者を追放し、さらに前作を無かったことにした好き勝手した挙句、新たなファンを獲得するどころか総叩きに合うって、まったく同じ図式で目眩がします(笑)

すっごーい!きみは愛が必要なフレンズなんだね!

舞台裏で愛を盛大に履き違えた連中がしたり顔で愛を語ってもそりゃこちらには刺さりませんわな。

商業作品としての2202

初めまして。
コメントをさせていただくのは初めてですが、こちらのブログは数年前から毎回の更新を楽しみに拝読しております。ナドレックさんの深く鋭く、それでいて映画という表現方法に寄せる深い愛情を感じながら時に頷き時に新鮮な驚きを味わっております。

さて、最初にお詫びしなければなりません。
実は私、「宇宙戦艦ヤマト2202」を観ておりません。「宇宙戦艦ヤマト2199」「星巡る箱舟」はディスクを購入し劇場に足を運び、TV放映もきっちり視聴、設定資料集やキャラデザインの結城信輝氏の原画集も入手するレベルの熱の入れようでした。
「2199」の”続編”が製作されるという一報を聞いた当初は大興奮したものです。出渕氏を始めとするスタッフさんたちの苦心と情熱の結晶「2199」のその後のお話が観られると。思えば無邪気な期待を抱いていたものです。
ですが、新監督さん含む一新された制作陣のご発言の数々に次第に期待は「あれ?」という妙な違和感に代わっていきました。
最初に「えっ?」と思ったのは「主人公の古代進の性格変更」をはっきりと公言したことでした。
いや待って、同じ時間軸・世界観で展開する創作ものでそれはちょっと…物語構成の段階でやむなくとか脚本家が筆を滑らせちゃったとかなら…いやそれでも駄目でしょ仮にもプロが作る商業作品でそれやっちゃ。
それでもトレイラー第一弾が公開されたときはドキドキしながらマウスをクリック・・・・して違和感を更に強くしただけでした。
このガトランティスの面々は本当に”前作”や”番外編”で大暴れしていた”宇宙を駆け巡る蛮族”なの?
何か変、何だろうこの胸の奥で小骨みたいに引っかかる妙な不快感は。
その後続々と公開されるトレイラーや”冒頭10分映像”、劇場用ポスターで海軍式敬礼でなく”例”の松本式敬礼(?)できりっと立つ古代君などを見るたび、自分の中の「警戒音」が大きくなっていきました。
そして決定打だったのが、あの芹沢の復権でした。お前前作で失脚したんじゃなかったんかい!何で地球側のお偉いさん達の真ん中にふんぞり返って座ってるんじゃぼけぇ!よし鑑賞取りやめ!新作トレイラー?もう見ないわ時間の無駄!

という極めて個人的な事情というか感覚・感情で、私はこの記事にコメントを寄せる資格はないのかもしれませんが、一つだけ自分なりの考察というか視点で語らせていただくことお許しくださいませ。

前置きが大変長くなってしまいましたが、前作「2199」は全体的には成功作品といえるかもしれませんが、日本アニメ界に輝くビッグタイトルのリメイクだけあって、一部の層からは圧倒的なアンチ反応を受けた作品でもあります。
それはキャラデザイン・シナリオ・声優・作曲家の宮川氏・そして出渕監督に至るまで。私の「芹沢嫌ーい!」など足元にも及ばぬ程の批判という名の罵倒の嵐が吹き荒れました。
特に印象が強かったのは「そもそも俺は出渕が嫌いだ」という反応をする方が少なくなかった事でした。
そして、かの”層”は所謂「オールドファン」と言われる世代。今のご時世日本で最も懐が豊かな世代の一つです。
商業作品は「利益」を出すことが最優先事項です。いかにして相手の財布のひもを緩ませるか。これにつきます。
「2202」の制作陣が狙ったのがまさに、「2199にそっぽを向いた層の財布」だと推測すると、ナドレックさんの仰る、今作のわやくちゃ感がおおよそ説明できるような気がしてなりません。
「2199」にはあれがないだのこれが足りないだのああしろこうしろという文句、否、ご意見をていねいに拾い上げ、現代のテクノロジーでこってこてに飾り立てぎゅうぎゅうと詰め込んだ結果、なんじゃこりゃな作品になってしまった。という。
しかも、他のコメントを寄せていらっしゃる方も仰っている通り、彼らの狡猾なところは「2199」のファン層までついでに引き入れようとした事です。いっそ潔く純粋な「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たちのリメイク」を作ったのなら、ナドレックさんがこのようなブログをお書きになることもなく、私がコメントを寄せる事も無かったでしょう。
欲をかいたばかりに、しくじっちゃったね、という感想しか出てきません。

本編を見ていない人間が何を言う、と思われるかたもいらっしゃるとは重々承知です。ですが少なくとも私は「2199」のトレイラー第一弾で心を鷲掴みにされました。正直「2199」には不満もいくつかあります(キャスティングとかシナリオとか)
それでもそれを補って余りある「愛」が「2199」には溢れていました。それは正に「2202」でしつこくしつこくズオーダー帝が古代進に問いただしていた「愛」そのものではないかと。

長々と大変失礼いたしました。

Re: 2202が残したもの

Pinさん、こんにちは。
長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

>制作者側はそこまで深く考えていたのか?

作り手が一丸となって深く考え、こう作ったというよりも、作り手側のいろんな人のいろんな思惑が重なった結果として、こうなってしまったというところではないかと考えています。福井晴敏氏のニューエイジ・ジュニアっぽい発想と小林誠副監督のファンタジー志向、そしておそらくは羽原信義監督の批評性のなさが、結果的に2202という作品をここに連れてきてしまったのではないかと。
云い方を変えると、福井氏のトンデモストーリーが、小林氏のファンタジー性や『復活篇』等で培ったものにつけ入る隙を与えてしまい、手綱を取るべき監督が手綱を取るどころか解放してしまったのではないかと思うのです。

2199で小林誠氏が手がけたガミラスやビーメラの美術は、微妙な異世界風味が地球文明との差異を感じさせ、とても良かったと思います。総監督の出渕裕氏ご自身が優れたデザイナーですから、複数のデザイナーを適材適所に配置しながら、見事に全体のバランスをとったと思います。
同時に、出渕総監督はシリーズ構成もやれば脚本も書くし、絵コンテもみずから切るわで、自分の意志を画面の隅々にまで伝えるために大活躍されました。ですから2199の素晴らしさは、出渕総監督が深く考えた成果だと申せましょう(多くのスタッフ・キャストがみんな素晴らしい仕事をしたのは云うまでもありません)。

けれども2202は、スタッフが各自のやりたいことを持ち寄ってごった煮にした感があります。
しかも、羽原監督が「スタッフ一同『大戦艦推し』なんです。(略)ホン読みの初期から、みんなついついプラモの話をしてしまうんですよ。『メカコレの大戦艦って作りにくいよね。フィンが斜めについてるから折れちゃって』なんて話でものすごく盛りあがる(笑)。それで「じゃあ、大戦艦出すか」みたいな話になっていったんです。」と云うように、スタッフ間に通じ合うところもあるものだから、なんとか完成に漕ぎ着けたのかなと。
https://www.b-ch.com/contents/feat_creators_selection/backnumber/v44/p03.html
そこに深みは感じられませんでした。


Pinさん同様、私も2202をきっかけにオリジナルシリーズと2199を振り返り、その魅力の数々を改めて認識することができました。
そしてまた、こうして皆さんと語り合うこともできました。
これらはとても貴重なことでした。

Re: No title

ブタさん、コメントありがとうございます。

宇宙戦艦ヤマトシリーズを観た人にどの作品が好きかアンケートを取ったら、2202に肯定的な人と『復活篇』に肯定的な人は結構重なるのではないかと思います。
現実の世界を踏まえて藤堂平九郎を行政職とし、文民統制を体現させた2199に反して、藤堂平九郎を軍人と設定した2202。古代たちがヤマトを強奪して勝手に発進したのを良しとする展開も含めて、2202は、世の中は軍人に任せておけ感が強いです。『復活篇』が、寄港した異国で勝手に宣戦布告して戦争を始める古代を良しとしたのに通じるものがあります。
戦前の日本人は、政争を繰り返す政治家にうんざりして、(相対的に)軍人が高潔に見えてしまい、軍がやることを肯定した結果、亡国の憂き目を見たというのに、2202の作り手は歴史に何も学んでいないように感じます。

2202というのは、要約すると
軍備の増強に反対し、核兵器の禁止を唱えていた青年が、
やっぱり強い軍事力が必要だ、他国には核を含めた軍事力で対抗すべきだと考えるようになり、
積極的に戦争する中で、かつての理想と今の現実とのギャップに悩むけど、
外国人を殺して追い払ったお前は偉いよと自国のみんなが褒めてくれるからいいや、
と開き直る話なんですよね。
2199はこういった単純な図式に陥らないように慎重に計算されていたのに、まったく大違いです。

現実の国際情勢や過去の歴史を考えれば、スタッフの誰か一人くらいこの展開はおかしいと気づいてしかるべきでした。
たとえば、世界各地を植民地にした16世紀のスペインが日本を植民地にしなかったのは、日本が戦国時代で武力を有していたからではありません。高校で社会科教諭を務める浮世博史氏は、この時代について次のように説明しています。
---
日本に「軍事力」があったから植民地にならなかったというのは大きな誤解で、当時の外交・国際環境を無視した説明です。

そもそも東南アジア・東アジアとラテンアメリカでは、スペインは政策を使い分けていました。ラテンアメリカ・東南アジアは原料供給地として植民地化し、中国・日本は市場(マーケット)としていました。

人口も多くて「経済力」が高く、購買力のある日本を植民地にはしません。
---
https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12430156616.html

現実の歴史に反した世界観が2202に蔓延するのを、誰も諌めなかった/諌められなかったところに、2202スタッフの不勉強と志の低さがうかがえます。

単に出来が悪いのなら、しようがないなで済ませることもできるのですが、2202は後世に残したくない、子供には見せたくないというのが正直なところです。

Re: 既視感

かずさん、こんにちは。
つたない感想をお読みいただき、ありがとうございました。

いまさらですが、私は2202にも良いところはあると思っておりまして、作画、特にズォーダーやサーベラーの作画は湖川友謙氏の煽り構図のおかげもあって、巧さに感心しながら見ておりました。
私が第七章まで鑑賞することができたのは、ひとえにアニメーター諸氏の頑張りのおかげです。

2199と同じ会社で制作し、少なからぬアニメーターに残留してもらえた2202は、『けものフレンズ2』とは事情が違うようにも思いますが、続編のあり方の難しさを露呈した点で似ていますね。

Re: 商業作品としての2202

ふうふうさん、はじめまして。
当ブログをお読みいただいているとのこと、たいへんありがとうございます。

2202をご覧にならなかったとは、賢い選択ですね。
ヤマトの名を冠した作品がつくられれば、「ヤマトは税金」(by 岡田斗司夫)などと自虐的につぶやきながら、とりあえず観てしまう、金を払ってしまう。そんなファンがヤマトをダメにしているのかもしれません。

2199への否定的な意見を目にして、2199以上にオールドファンが喜ぶ作品をつくれるはずと思い込んでしまったがゆえに、2199が大切にしたものを削ぎ落とし、2199が削ぎ落としたものを拾い上げて2202をつくってしまった……という面はあると思います。
以前の記事「『宇宙戦艦ヤマト2199』の総括と『2202 愛の戦士たち』」で紹介したように、福井晴敏氏は2202に取り組むに当たり、「(2199では)「実はまだ潜在顧客の10分の1も取れていない」という考え方もあるわけで、そこを掘っていかないといけないな、というのが今回の作品です」と述べていますからね。

しかし、本当に残念なことをしたものです。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の世界には、無限の可能性がありました。いくらでもシリーズを続けられる(儲け続けられる)可能性に満ちていたと思うのです。そのことを理解できずに2202をつくってしまったがために、早くもシリーズは袋小路に入り込んだようです……。
2199がスタートレックシリーズを意識していることは随所にうかがえます。スタートレックシリーズでは、一作ごとに敵国を殲滅したりしません。主人公たちが属する惑星連邦の版図の外には、クリンゴン帝国やロミュラン帝国等の星間国家が存在し、ときに対立し、ときに友好関係を築きながら、緊張感のある国際情勢を形成しています。そんな緊張の中で、様々な物語が紡がれるのがスタートレックシリーズの特徴です。2199はこれにならって、銀河系間にまたがる大帝国ガミラスや、その辺境に出没するガトランティス等、複数の星間国家が並存する世界を描きました。2199の最終回において滅亡した国は一つもありませんでしたから、スタートレックシリーズのように複数の星間国家の緊張関係を背景に様々な物語を展開することができたはずです。
あるいは、2199の前史である内惑星戦争や火星沖海戦を舞台にすることもできました。2199の世界にはそれほどの厚みがあり、豊かな物語性があったのです。
なのに2202は、一作ごとに一国家を壊滅させる昔ながらのパターンに逆戻りしてしまいました。物語とは多かれ少なかれ現代を映す鏡にならなくては意味がないと思うのですが、未知の国家と接触したら一年を経ずしてその国家が滅んでしまうなどということは現実にはあり得ないのですから、現実離れもはなはだしい。2199の豊かな世界観を離れて、新たな敵性国家と出会っては絶滅させるパターンに入り込んだからには、今後も暗黒星団帝国やディンギル帝国を絶滅させていくだけの袋小路が待ち受けていることでしょう。
かえすがえすも残念です。

2199と2202

ナドレックさんこんにちは

ナドレックさんが7章立てになるほどのおかしな部分の論点を挙げなければならないほどの作品となってしまった2202にはめまいがします。
2202が2199の続編であるという立ち位置を取らず別物として作られていれば、まだここまでショックを受けなかったと思い残念でなりません。

今回結城先生の同人誌、2199星巡る方舟修正原画集下巻の出渕監督との対談あたりを読み返してみると、2199と2202では画面、作劇作り、ターゲット層でも真逆のスタンスをとっていることがあらためてわかりました。

2199では出渕監督は「寄り」のカットをなるべく入れず艦内等を映すように「引き」の構図にしたようです。これは「寄り」のカットはある意味逃げで使うにしても効果的に使用するべきだと考えていたようです。
これが2202になると第一話からアップのカットの連続で効果的に使うどころの話ではなくなっていました。あまりに多用しすぎていてどこを切り取っても同じような画面になってしまって、結果的につまらない画面になっていたと思います。
一応狙いとしては、感情芝居をやるためにはアップのカットが表情を強調するために効果的であるというのはわかるのですが。

また、出渕監督はアニメっぽい流感になりそうな場面や、やたら叫んでいるだけのシーン、絵柄だけかっこ良くするようなシーンを極力削っていったとも言っています。
各話担当の脚本の方もプロなのでオーダーに応えてそうったシーンになりそうな場面を少なくしたようなのですが、それでも残ってしまうので、それを出渕監督がコンテチェックでできるだけ削っていった。
そういったシーンを削っていくと、キャラクターはどんな時もできるだけ冷静に最善を尽くすように見えてカッコいいし、場面の雰囲気のごまかしがきかないため説得力のあるシーンを作らなくてはなりません。
2202は真逆で感情芝居のみで場面が構成されていて合理性に欠けているため主人公たちが、軍人であるという設定が絵空事のように思えます(たまたまMSを操縦できてしまった民間人設定のガンダムじゃあるまいし...)。
これでいくと作中では芹沢が一番冷静で、少なくとも自分の立ち位置がぶれない、まともな判断をしていたように見えてしまいます。

そして一番の違いはターゲット層でしょう。少なくとも2199製作陣はリブートをやるなら新規ファンを獲得しなければならないと考えていたようです。今の若い人に切らないで見てもらうためできるだけ今風のキャラクターデザインやフックのかかる設定、旧作からの改変を行った。
それは宇宙戦艦ヤマトの素晴らしさを新たな世代に知ってもらい継承してもらおうという意気込みでもあったかと思います。
一方の2202は、福井さんが言っているように新規は捨てて、往年のファンを取り込もうというスタンスではありましたが、中途半端に2199の表面的な要素を取り込み、それでいて2199の多くの設定はなかったことにして、逆の懐かしさのみに重点を置いたシーンをこれでもかと盛り込んで作りました。
そのため2199を好きな人ほど反感を買う内容になってしまった。
2199で頑張って宣伝を担当してくれていた内田さんの役である百合亜の出番をなくし、宣伝にはいいように使っている中村さんの役である美影の重要な設定である斉藤との関係を1秒たりとも使わなかったのは正気を疑いました。
そして、2199を見なかった人を呼びもどすことが狙いにあったようですが、2199の続編をうたった時点でその人達が見るかと言われれば疑問です。
それなら、松本零士色を強くしたキャラデザで全くの新規設定でやり直した方が狙いにはあっていたように思います。
2202の一部の制作陣がわずらわしいと思っていた波動砲問題などもいちいち考えなくてもよかったでしょうし、中途半端で安直で絶対してはいけないような回答を用意されるよりよほどましだったでしょう。
もし波動砲封印問題を描くなら現実の世界での核廃絶と抑止力としての核との議論をからめて、侵略を行ってくるガトランティスへの抑止力として封印を解いた、または、新たに波動砲搭載艦を建造した結果、イスカンダル、ガミラスとの外交問題に発展するところまで描かなければ全く意味がない気がします。(波動砲の封印はイスカンダル、ガミラス、地球間での「条約」として2199で設定されているためです)

個人的には2199の続編は「さらば」にも、2に続く系譜のヤマトにも、縛られない全く新しいヤマトを作る方向性を取れるチャンスだったと思います。
2202の方向性を取ったがためにヤマトは完全に閉じたコンテンツになってしまった感があり新規ファンの獲得は絶望的かもしれません。
今からでも遅くないので2205の制作をとりやめて2202をなかったことにして2199の新たな続きを作ったらいいのではと思います。
幸い2202のテレサも「なんでもありえる、なんでもありえた」といってくれていることですし。

しかし、長々と書いてしまいましたが2202は冷静に接するにはなかなか難しい作品ですね。
胸のうちのモヤモヤを言語化して頂いたナドレックさんには感謝しかありません。
ありがとうございました。

拝見させていただきました。

はじめまして、ツイッターでリンクが貼られていましたので読ませていただきました。

私はどちらかと言えば2202肯定派です。
一番の理由は多分「これもヤマトだ」という精神が根底にあるからです。
なので、私が肯定する根拠(論拠)は極めて感情的なのであるとブログを読みながら思ってました。

何故、そのような全てを受け入れるような精神が生まれたか。
忘れもしない「さらば〜」での感動を消し去る「ヤマト2」の存在。
「わしの誤診じゃった」で済まされた沖田艦長の死。
そして、ブログでも指摘されいました「復活篇」の存在。
あげれば他にもありますが、2202という作品は上記3点を超えるようなひどい作品であったか、と自らに問いた結果は「No」であったのです。

 実は福井氏は2202のオファーの時に「さらばをリメイクしたい。でも主要キャラは殺しちゃダメ」という無茶苦茶なオーダーを受けています。
果たして、そのオーダーを受けた結果の答えが25話での特攻〜26話の高次元からの帰還です。
そして、その「高次元」という存在、一見荒唐無稽(SF的解釈なんか無理でしょうね)な設定、というか宇宙観、これはとある世界観が基にあると思います。

それは仏教の宇宙観です。

元々作中のセリフに出てた「大いなる和=縁の力」というのは仏教の宇宙観に通じるものがあります。
禅宗のお寺にある水墨画などに描かれてる「円」これは宇宙を示してるそうです。
円=縁。円=和 大いなる和=ヤマト
26話の高次元の世界は「賽の河原」です。水辺は「三途の川の河原」です。そしていくつもの金色の線が纏まっていた巨大な樹のようなヤツ、あれは菩提樹なのでしょう。

一旦死んだ人間が賽の河原から帰ってくる。

これが26話であり、迎えにいく船、ヤマト=和=縁という組み合わせ。
テレサは薬師如来か大日菩薩か。高次元体=神という解釈なのかな?と思います。
よって、現世に干渉しないスタンスであり時間にも干渉されない存在。

26話の舞台装置をこう考えたので、私の中の死生観では至極納得できるものとなってます。
とまぁホントSF的考証からはかけ離れた宇宙観をぶっ込んでくる人が構成した作品なのですから、多少の辻褄が合わない部分なんて全く気にしてないんですよ。

ナドレックさんのような客観的かつ理路整然とした考え方で読み解く2202は非常に不格好な作品に見えるでしょう。
しかし、この仏教的思想が福井氏の根底にあることを踏まえて作品を見直して欲しいです。
そこは確かに科学的に辻褄が合わなく、旧作のようなやんちゃな主人公もいない作品ですが、一人の人間が思い悩みそれでも自らの信念を持って事態に対処する姿を描いてます。
それぞれの「愛とは」に向かい合った姿、それこそが福井氏が描こうとしたモノであり、氏にとっては「サイエンスフィクション」でなく「スペースファンタジー」なのでしょう。

人それぞれの「俺ヤマト」があるので、2202の製作陣にとっての「俺ヤマト」が2202という作品であった。こう解釈します。

最後に、個人的には2199の路線で外伝的作品を見たい。それだけ2199という作品はヤマトワールドを広げてくれたエポックメイキング的いや、ルネッサンス的というべき作品でありました。だからこそ2202のような科学的考証をしないで人間ドラマに焦点を当てたヤマトを描くことができたのだと思います。

ダラダラとまとまりのない長文失礼しました。




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