『レゴ ムービー2』 またもやサイコー!!

凄いことだ。傑作『LEGO ムービー』の続編『レゴ ムービー2』もまた傑作だった。『レゴバットマン ザ・ムービー』、『レゴニンジャゴー ザ・ムービー』と並んで、レゴ映画にハズレがないことを立証したのだ。
『LEGO ムービー』は一回こっきりしか使えない仕掛けをほどこした重層的なメタフィクションだった。『シュガー・ラッシュ』がゲーム中のキャラクターを擬人化した映画だったように、『絵文字の国のジーン』が絵文字を擬人化した映画だったように、てっきりレゴの人形を擬人化した映画だと思って見ていたら、現実世界のフィン少年(日本語吹替版ではエメット少年)の物語になってしまったので仰天した。この突拍子もないストーリーをバカバカしく感じさせず、爽快感と感動に満ちた映画に仕上げてしまうのだから、作り手たちの手腕はたいしたものだった。
けれども、同時に思ったものだ。この手は二度と使えないだろうと。種が割れてしまった以上、続きを作るのは無理だろうと。
だから、『LEGO ムービー』のヒットを受けて続編制作が報じられたとき、どうやって物語の続きを成立させるつもりだろうかと首を捻ったものだった。
まったくの杞憂であった!
レゴ社が幼児向けに販売している、パーツが大きいデュプロブロック。そのデュプロで作られたデュプロ星人の登場で終わった前作のラストシーンから『レゴ ムービー2』ははじまる。
前作のラストから途切れることなく話が続くのは『インクレディブル・ファミリー』等でも見られる手法であり、前作のラストが気になっていた観客の興味に応えてくれる誠実な続け方だ。
本作の背景にあるのは、フィン少年と妹ビアンカの抗争だ。その結果、あの整然としたブロック・シティは崩壊し、荒れ果てたボロボロシティになってしまう。
長い戦いと膠着状態の後、カラフルなパーツの宇宙船とスマートな人形が登場したことで、物語は大きく転がり出す。成長したビアンカがデュプロを卒業し、女児向けの玩具レゴ フレンズを手に入れたのだ。

中盤から登場する新キャラクターのレックスは、クリス・プラットが声を当ててるものだから、銀河の守護者(それはマーベルの映画だ)である上にヴェロキラプトルを手なずけてもいる(それはユニバーサルの映画)。コナーやリプリー(20世紀フォックス)も出てくるし、『ダイ・ハード』(これも20世紀フォックスの映画)でブルース・ウィリスが演じた主人公ジョン・マクレーンを実際にブルース・ウィリスに演じさせたり、アクアマンをジェイソン・モモア本人に演じさせたりと、もうやりたい放題だ。
さらにはスターゲイトならぬステアゲイト(階段の出入口)を通って外宇宙に飛び出すわ、前作のワンダーウーマンに加えてデザインが異なるレゴ フレンズのワンダーウーマンやデュプロのワンダーウーマンまで参入するわで大騒動になっていく。
しかも、エメットたちを待ち受ける"わがまま女王"といったら!
主人公エメットもヒロインのルーシーもワンダーウーマンらヒーローたちもレゴブロックのセットに付いてくる人形なのに、"わがまま女王"は自身もブロックなのだ。
子供の頃、レゴではなくダイヤブロックで遊んでいた私は、レゴに小さな人形があることを羨ましく思いつつも、なぜキャラクターもブロックで組み立てないのか不思議に思ったものだ。
"わがまま女王"――英名Queen Watevra Wa'Nabiは、まさにそんな疑問に答えるキャラクターだ。"Watevra Wa'Nabi"とは"Whatever I wanna to be(私がなりたいもの何でも)"のもじりであり、ありし日のフィン少年がビアンカにブロックを渡したときの言葉"It can be whatever you want it to be(これはお前が望む何にでもなるんだよ)"の具現化したものであった。自在に姿を変える彼女を前にして、次々に軍門に降っていくエメットの仲間たち。

ワイルド・ガールことルーシーや他の住民たちが荒涼としたボロボロシティに適応して、すっかり粗暴でネガティブな言動になってしまっても、エメットは相変わらずマイペースで凡庸なまま生きている。いや、「凡庸」と書いたけれど、みんなが粗暴になって力を張り合っているときに、一人だけ昔どおりの平々凡々な生き方をしているエメットは、もはや特異な存在だ。
世間のみんながいきり立っても同じほうには流されず、平凡であり続けること。それは巷に溢れる処世術には反するかもしれないが、その生き方こそがこのシリーズ最大の魅力だ。
ところが、本作のエメットは柄にもなくスーパーヒーローのごとき大活躍で事態を変えようと試みる。
その心意気や良し。
だが、結果は裏目に出て、みんなを絶望の淵に突き落とすことになる……。
前作に続いて脚本を担当したフィル・ロードは、次のように述べている。
「前作では“すべてはサイコー”というメッセージを伝えることが出来たが、本作では“すべてがいつもサイコーなわけじゃない”ということを認めているんだ。続編ではあらゆるものにトライして、素晴らしいものにしていこうというメッセージが込められている。」
さて、『レゴ ムービー2』がなんといっても最高なのは、そのエンドクレジットだ。最高に楽しくて、膝を叩きたいほどだった。エンドクレジットに合わせてベックが歌う「Super Cool」は、こんな歌詞なのだ。
「クレジットの部分が最高だ。一番魅力的なのは映画のクレジットだ。偉業をなした人の名を見逃さないようにしよう。」そしてプロデューサーやスタッフの名を上げて「あなたが作ったから見たかったんだ……。」
そうそう、本当にそのとおりだ。
私はエンドクレジットを読むのが大好きだ。誰が出演していたのかクレジットを読んではじめて気がつくこともあるし、重要な役に思えた名前がクレジットの登場順では後のほうであるのを知って劇中の印象が変わることもあれば、スタッフ名や献辞から裏事情に思いを馳せたり、ロケ地や物品提供の協力者を知っていろいろ納得することもある。もちろん、エンドクレジットに興味がない人は場内に長居しないで帰れば良い。だが、エンドクレジットを最後まで読みたいのは私だけではないだろう。
エンディングの曲は、そんな「明るくなるまで場内に残る派」の気持ちを歌い上げてくれて大いに共感する。
その上エンドクレジットのあいだスクリーンに映し出されるのは、人形ではなくブロックで組み立てられたキャラクターたちだ。エメットもルーシーも、どんなスーパーヒーローも可愛いキャラクターもブロックで表現できる。まさに"Whatever I wanna to be(私がなりたいもの何でも)"だ。
本作が行き着くのは、あなたがなりたいもの作りたいものは、なんだってきっとできるという肯定感だ。地位や職業のことではない。エメットのように明るく生きることも、ルーシーのように勇気をもって毅然と生きることもできる。心の持ち方は自由自在。前作で自由に創造する素晴しさを謳ったこのシリーズは、本作で自由に生きる素晴しさを謳い上げる人間讃歌となったのだ。

監督/マイク・ミッチェル 脚本・制作/フィル・ロード、クリストファー・ミラー
出演/クリス・プラット エリザベス・バンクス ウィル・アーネット ティファニー・ハディッシュ ステファニー・ベアトリス ウィル・フェレル
日本語吹替版の出演/森川智之 沢城みゆき 山寺宏一 斉藤貴美子 坂本真綾
日本公開/2019年3月29日
ジャンル/[コメディ] [アドベンチャー]

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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
tag : マイク・ミッチェルフィル・ロードクリストファー・ミラークリス・プラットエリザベス・バンクスウィル・アーネットティファニー・ハディッシュ森川智之沢城みゆき山寺宏一
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No title
「♪スケベがサイコー」が
「♪スケベがサイコーじゃない」に変わる映画?
「♪スケベがサイコーじゃない」に変わる映画?
Re: No title
fjk78deadさん、こんにちは。
「♪スケベもサイコー」にすれば良かったですね。
「♪スケベもサイコー」にすれば良かったですね。