『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を応援します

どこから褒めればいいだろう。
『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』は、そう悩んでしまうほど素晴らしい。
■驚異の映像
まず目をみはるのが映像の美しさと迫力だ。制作会社ライカの過去の作品、『コララインとボタンの魔女 3D』や『パラノーマン ブライス・ホローの謎』も素晴らしかったが、『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』はそれらさえ凌駕する。
その魅力の源が、ストップモーション・アニメーションにあることは間違いない。
2010年代は3DCGのアニメーション映画が盛んだった。3DCGの映像は年々緻密になり、リアリティを増していた。しかし、本作の質感や奥行の広がりを前にしては、まだまだストップモーション・アニメーションの映像に軍配を上げざるを得ない。
何より題材の選び方が秀逸だ。『コララインとボタンの魔女 3D』がボタンや布を取り上げて質感を訴求したように、本作が扱うのは折り紙だ。折り紙の侍が歩き回り、折り紙の小鳥が群れをなす。あたかもそこにあるような、手に触れられるような存在感には舌を巻く。
そも、アニメート(animate)とは、「動かす」「生命を与える」という意味だ。本来動かないはずのものが、アニメーターによって命を吹き込まれ、生き物のように動き出す。そこにアニメーションの感動がある。実写と見まがう精緻な3DCGの素晴らしさもさることながら、折って飾るだけの折り紙が生き生きと動き出す様にはワクワクしてしまう。もちろん、人形たちの織り成す人間ドラマが魅力的であることは云うまでもない。
トラヴィス・ナイト監督は、主人公クボは自分たちアニメーターの分身であると述べている。辻講釈で食べているクボは、過去の出来事を語るストーリーテラーであり、折り紙を操る芸術家であり、三味線を弾くミュージシャンだ。彼は折り紙に命を吹き込み、物語を演じさせる。それはストップモーション・アニメーションの制作と同じことだ。

『コララインとボタンの魔女 3D』や『パラノーマン ブライス・ホローの謎』が現代の奇妙な町を舞台にしていたのに対し、本作が中世を舞台にしたファンタジーなのも嬉しい。作品が現代を離れるほどに、作り手は多くのものを考案し、作り上げねばならないだろう。だから作り手の苦労はたいへんになるだろうが、その分だけ観客にとっては見応えが増す。
本作で描かれるのは、日本のような国である。侍が闊歩するファンタジーといえば、『47RONIN』のように幻想的な世界をこしらえた作品もあるけれど、本作は平安時代の日本を調べた上で作られている。パンフレットによれば、日本の皇室の衣装、特に江戸時代のものも調査したそうだ。必要に応じて、日本文化のコンサルタントを招くなどして、本作は日本の建築や服や町並みを再現している。劇中の祖先崇拝や灯籠流し等の描写は、調査が日本人の精神風土にまで踏み込んでいたことを示している。
8歳のときに日本を訪れ、日本の文化に魅入られたというトラヴィス・ナイト監督は、「子供の頃にみんながサッカーやミニカーで遊んでいるだろ?そんな時に僕は、黒澤(映画)が描いた侍たちのことを想像して、遥か遠い日本を夢見ていたよ」と語る。[*1]
ナイト監督のオススメの映画は、黒澤明監督の『用心棒』、『七人の侍』、『蜘蛛巣城』と『羅生門』だ。なるほど、平安時代の宮中の女性のような衣裳[*1]に身を包んだクボの母サリアツや、笠をかぶって顔を隠した叔母たちのイメージは、『羅生門』の京マチ子さんから来ているのだろう。強力無双の武芸者であり、また一城の主でありながら、ひょうきんでおっちょこちょいの父ハンゾウは、三船敏郎さんが源流だ。パンフレットには「『七人の侍』の三船敏郎に敬意を表し、彼に似せ」たとしか書かれていないが、半人前でおっちょこちょいの『七人の侍』の菊千代だけでなく、凄腕の用心棒や蜘蛛巣城の城主のイメージも重ねられたに違いない。
ナイト監督は、「本作はライカから日本へのラブレターのつもりで制作した」とまで云う。
しかし、私は、本作が日本を取り上げているから応援しようとは思わない。舞台が日本だったり、日本の人々を描いていても、それは単に映画の素材だ。
私が本作を応援したいのは、素材を活かしながら極めて高い完成度の作品に仕上げているからだ。そして、本作が訴える格調高いテーマに共感するからだ。
だいいち、そんなに日本映画が大好きで、日本に人を送ったりコンサルタントを招いたりして日本のことを調べているのに、本作の時代考証はゆるゆるだ。
クボの母が平安時代の着物を着ている一方で、村人たちは帯の大きい江戸時代のような着物を着ている。しかも、庶民の身でありながら、色鮮やかで凝った模様の着物ばかり。誰も彼もがこんな上等な着物を着ているなんて、まるで日本の時代劇ドラマのようだ。
これは仕方のないところかもしれない。日本でさえ、NHKの大河ドラマ『平清盛』が時代考証を重視して昔の日本のみすぼらしさ、不衛生ぶりを誠実に描いたら、「画面が汚い」などと文句を付けられたのだ。当時は裸同然の人もいただろうから、服を着ているだけマシなほうだと思うのだが、きれいで清潔な服を着られるようになった現代人は、過去の人にも今のスタンダードを求めてしまう。
そんな現実離れした作品が期待される世の中だから、本作の世界の住人が時代錯誤の美しい服を着ていても、日本の時代劇並みと思えば問題あるまい。
とはいえ、村の祭の盆踊りで、「炭坑節」が流れるのには笑ってしまった。今でこそ盆踊りの定番となった「炭坑節」だが、これは昭和期にはやった曲だ。近世以前の祭に流れているはずがない。
おそらくは、これも意図的なのだろう。盆踊りすらなかった平安時代の歌や踊りの再現に努めたところで、日本人でさえそれがなんだか判るまい。それに「月が出た出た、月が出た♪」という「炭坑節」の歌詞は、《月の帝》と戦う主人公の運命を示唆することにもなる。あえて「炭坑節」を選んだのは、優れた選択といえるだろう。
また、平安時代風の母からクボに受け継がれるものは、三味線より琵琶のほうが似合いそうだが、『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』では弦の数が重要な伏線になっているから、あえて三味線にしたのだと思う。
リアリズムを重んじる黒澤明監督の『七人の侍』でさえ、戦国時代が舞台なのに鎌倉時代の武具を付けたりしている。[*2]
この自由奔放さを、トラヴィス・ナイト監督はしっかりと受け継いでいる。

クボは赤ん坊のときから片眼がない。冷酷な祖父《月の帝》に取られたのだという。
残りの眼も奪おうと、祖父と配下の叔母たちがクボを付け狙っている。
クボの隻眼の設定は、独眼竜政宗と柳生十兵衛に敬意を表したものだ。[*1]
体の一部が奪われるのは、怪談『耳なし芳一』のようでもあるが、なによりクボが障碍を持っていることが重要だったのだろう。『ヒックとドラゴン』の主人公ヒックには片足がない。クボもまた障碍を持つ主人公の系譜に連なっている。障碍があっても、差別されたり不利益を被ったりすることなく生活できる世の中であるべきだという作り手の信念が、このような人物像を世界に発信させているのだろう。
黒澤明を神のように崇めるトラヴィス・ナイト監督は、黒澤映画から多くのものを学んだ。それは、カメラの動きや構成、構図、照明等の多岐にわたるが、それ以上に欲したのは、黒澤が映画を通じて探求したテーマを本作でも探求することだったという。それは、ヒューマニズム、ヒロイズム、実存主義、大胆な理想といったものだ。
本作は、まぎれもなく黒澤明のヒューマニズムを継承している。
それは題名にも表れていよう。
『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』の原題は『Kubo and the Two Strings』である。「クボと二本の弦」という意味だ。
邦題だと「クボ」と「二本の弦の秘密」が分かれていて、別々のことを指すように見えてしまうが、本来は一つ、つまり「クボ」と「二本の弦」が一緒に並んでいるわけで、「クボと二本の弦」はすなわち「三本の弦」ということだ。
クボが三味線使いであることからも、クボを含めた三本の弦が一緒にいることが本作のテーマとなっている。
もちろん、三本の弦とはクボと父と母であり、両親の愛が共にあるとき、クボは最強の力を発揮する。
けれどもそれは、必ずしも親子三人で仲良く暮らすことではない。映画を最後まで観た方はお判りだろう。人間はいつかは一人で生きていかなければならない。だが、どんな人間にだって、彼/彼女を産み、育んでくれた人がいるはずだ。その人たちの想いがあれば、人は孤独ではないのだ。
それは同時に、孤独な人を放っておいてはいけない、想いを伝えなければいけないということでもある。

ストーリーテラーのクボを主人公に据えた本作は、物語の力も重要なテーマとしている。
もちろん、本作のストーリーもべらぼうに面白い。
『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』の原型は、キャラクターデザイナーのシャノン・ティンドルが、紙彫刻家の妻ミーガン・ブレインのために作ったお話だ。若くして認知症になり、車椅子の生活を余儀なくされた母を介護しながら生きてきたミーガンのために、シャノン・ティンドルは彼ら親子の関係をモデルにした絵物語を描いてプレゼントしたのだ。
それから十余年を経て、物語の構想が膨らんだシャノン・ティンドルは、日本の説話に触発されながら、クボと母のお伽ばなしを壮大な叙事詩に仕立て上げた。妻ミーガンもスタッフに加わり、紙彫刻家としての腕を振るって、折り紙の造形を行った。
「この家族の物語は、(全部とは云わないけれど)私の家族で作りました」とシャノン・ティンドルは綴っている。本作には、並々ならぬ想い入れがあるのだろう。
完成した『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』は、一種の貴種流離譚になっている。
クボは何があっても日暮れまでに洞窟に戻らなければならない。夜になると、一族の住む月の世界からクボの姿が見えてしまうからだ。
本作は『かぐや姫の物語』に通じるところがある。高貴な人々が住む月の世界と、卑しい者たちが住む地球。月の人が地球の人間に接して、心を通わせてしまったことから生じる波乱。
『かぐや姫の物語』と違うのは、かぐや姫が月の人々に抗しきれず月に還って行ったのに対し、本作のクボや父母は地球で暮らすために徹底的に戦い続けたことだ。クボの父ハンゾウは炎を吐く怪鳥《波山(ばさん)》と戦い、クボは妖怪《がしゃどくろ》らと戦った。
その波瀾万丈の物語は、冒頭でクボが披露したハンゾウの武勇伝を前史とすることで親子二代にわたる年代記となり、たった103分の映画とは思えないほどの奥深さと広がりを見せる。
国枝史郎の伝奇小説を彷彿とさせる、極上の娯楽作だ。
だが、私がもっとも心惹かれたのは、その結末だ。
怪人、妖怪が跋扈する冒険譚で、こんな終わり方があっただろうか。
《月の帝》との決戦の末にクボがたどり着いた結論は、《月の帝》を殺すことではなかった。《月の帝》を捕らえることでもなかった。謝罪させることでも、罪を償わせることでもなかった。
《月の帝》に村を破壊され、怯えていた人々がやったのは、《月の帝》を褒めることだ。《月の帝》がいかに優しい人か、思いやりがあるか、気前がいいかを説き、口を揃えて褒めそやした。
ラスボスを褒めたてて終わる映画は珍しいだろう。
中国ではこのように皇帝を扱ってきたと、与那覇潤氏は著書『中国化する日本』で説明している。
宋朝以降の中国では、皇帝なり官僚なりの権力基盤の正統性が朱子学思想に置かれており、それゆえ権力者は朱子学の理念に相応しい振る舞いを求められた。朱子学では、世界普遍的な道徳の教えをもっともよく身に付けた聖人こそが権力者として選ばれるという理屈になっているので、権力者の行動は常に朱子学の理念により統制されるというのだ。
同様の扱いは、現代社会でも目にすることができる。就任間もない米大統領バラク・オバマのノーベル平和賞受賞が、その好例だろう。
ノルウェー・ノーベル委員会は、世界最強の軍事国家アメリカ合衆国の最高権力者を、もっとも平和に貢献する人物として称えることで、エールを送るとともに縛りをかけた。ノーベル平和賞受賞者となったオバマ大統領は、その任期中に現職大統領としてははじめて広島を訪問し、原爆死没者慰霊碑に献花した。
日本国の象徴天皇制も 外国から見たら同じように感じられるかもしれない。かつては天皇が国の統治者とされた時代もあったが、20世紀の大戦争の後に誕生した日本国では、天皇が日本国民統合のシンボルとされている。すべての日本国民から国のシンボルとしての期待が天皇に向けられており、天皇はそれに応えていかなければならない。
紆余曲折はあるものの、日本国が70年以上にわたり平和を保ってこられた要因の一つには、この象徴天皇制もあるかもしれない。
そう考えると、敵が《月の帝》であることも象徴的だ。日の丸を掲げる日本は、太陽を信仰する国とも云われる。クボの母が逃げ出した月の世界とは、日本の裏返しなのだろう。そして、戦いを経た《月の帝》が、みんなの期待に応えつつ地上で平和に暮らしていくのは、シンボルとなった天皇の下で平和を念願する日本国を表しているかのようだ。
廃墟と化した村の住人たちが、《月の帝》ことライデンとともに平和な暮らしに踏み出す様を見て、私は涙が止まらなかった。

最後に音楽に触れておこう。
外国映画が日本で公開される際に、しばしば日本版の主題歌が付けられてしまうことがある。その良し悪しはともかく、できれば制作された本国と同じものを鑑賞したい私にとって、日本版で異なる曲が付けられるのは残念だった。
ところが、本作ばかりはそうではなかった。
本作の主題歌は、ジョージ・ハリスン作詞作曲の「While My Guitar Gently Weeps」。ビートルズが1968年に発表した作品だ。それをレジーナ・スペクターの歌とケヴィン・メッツの三味線演奏でカバーした曲が本作のエンディングに流れるのだが、日本語吹替版では三味線奏者の吉田兄弟がカバーしたバージョンに変えられている。これがとびっきりにいいのだ。三味線の音色の力強さと物悲しさが、実に映画に合っている。元の主題歌もいいけれど、吉田兄弟の演奏はそれに勝るとも劣らぬ素晴らしさだ。
制作会社ライカからの「吉田兄弟とタッグを組みたい」とのラブコールにより実現したというこの組み合わせ。
日本語吹替版が優れている稀有な例として、日本で聴けることを存分に楽しみたい。
[*1] パンフレットより
[*2] 三船敏郎さん演じる菊千代が最終決戦で被っていたカナ面(メン)について、黒澤明監督と宮崎駿監督はこんな会話を交わしている。
宮崎 あれはちょっと時代が違いますよね。
黒澤 ちょっと違います。鎌倉ですね、あれは。
宮崎 全部ご存知で嘘ついてるから(笑)。
――黒澤明・宮崎駿 (1993) 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』 徳間書店

監督・制作/トラヴィス・ナイト
原案/シャノン・ティンドル、マーク・ヘイムズ
出演/アート・パーキンソン シャーリーズ・セロン マシュー・マコノヒー レイフ・ファインズ ルーニー・マーラ ジョージ・タケイ ケイリー=ヒロユキ・タガワ
日本語吹替版の出演/矢島晶子 田中敦子 ピエール瀧 羽佐間道夫 川栄李奈 小林幸子
日本公開/2017年11月18日
ジャンル/[ファンタジー] [アドベンチャー]

【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
tag : トラヴィス・ナイトアート・パーキンソンシャーリーズ・セロンマシュー・マコノヒーレイフ・ファインズルーニー・マーラ矢島晶子田中敦子ピエール瀧羽佐間道夫
⇒comment
No title
そこまでトラヴィス監督が黒澤ファンだったとは知りませんでした。彼の手掛けた本格的なチャンバラ映画が観たい気もしますが、血しぶきや手足が飛んだりするような作品は作らなそうな気も。
最初はまるで浄瑠璃か川本喜八郎の人形劇のようだと思って観てましたが、この動きのなめらかさはもはや別の次元に突入しておりますね…
最初はまるで浄瑠璃か川本喜八郎の人形劇のようだと思って観てましたが、この動きのなめらかさはもはや別の次元に突入しておりますね…
日本が推しである理由
いろんな意味で感激、感動させてもらえる素敵な作品でした。でも、あまりアメリカではヒットしなかったそうですね。日本では是非ともヒットして欲しいなぁと切に願ってしまいます。
日本すごい!、の風潮はちょっと食傷気味になってきた昨今、この監督さんが、日本の、亡くなった方の魂を大事に思う文化をメッセージにしてくれた事は、もっと再確認されていいのに、と思います。
さらには、時間と手間暇かけて作り上げられたこの作品に込められた日本愛に、私達日本人は、もっと襟を正して自省すべきだと頭を垂れる思いになりました。
外国の方々に叱咤激励されることが多くなってきた昨今、ある意味、深いメッセージをこの作品は私達日本人につきつけてくれていますね。
日本すごい!、の風潮はちょっと食傷気味になってきた昨今、この監督さんが、日本の、亡くなった方の魂を大事に思う文化をメッセージにしてくれた事は、もっと再確認されていいのに、と思います。
さらには、時間と手間暇かけて作り上げられたこの作品に込められた日本愛に、私達日本人は、もっと襟を正して自省すべきだと頭を垂れる思いになりました。
外国の方々に叱咤激励されることが多くなってきた昨今、ある意味、深いメッセージをこの作品は私達日本人につきつけてくれていますね。
No title
ブログ主様が書かれている通り、ラストシーンが印象的でした。
怨霊を鎮めて(持ち上げて?)御霊にする、という信仰を持つ我々には馴染めると思うのですが、アメリカだとどうなんだろう。
最近のMARVELでも「罪を憎んで人をに憎まず」的な表現も出ているので、理解はしてくれるのかも。
日本語のDVDが出たら、購入してもう一度しっかり見てみたいです。
怨霊を鎮めて(持ち上げて?)御霊にする、という信仰を持つ我々には馴染めると思うのですが、アメリカだとどうなんだろう。
最近のMARVELでも「罪を憎んで人をに憎まず」的な表現も出ているので、理解はしてくれるのかも。
日本語のDVDが出たら、購入してもう一度しっかり見てみたいです。
Re: No title
SGA屋伍一さん、こんにちは。
本作、結構本格的なチャンバラ映画だと思います:)
動きの滑らかさは驚異的ですね。ゴーモーションの映画をはじめて観たときも驚きましたけど、本作の動きと質感は格別です。
本作、結構本格的なチャンバラ映画だと思います:)
動きの滑らかさは驚異的ですね。ゴーモーションの映画をはじめて観たときも驚きましたけど、本作の動きと質感は格別です。
Re: 日本が推しである理由
梅茶さん、こんにちは。
先日、地上波のテレビを見ていたら、外国で日本が好きという人を探し出し、日本に連れてきて日本を褒めてもらう番組をやっていました。日本の安価な日用品を外国に持っていき、その便利さを褒めてもらって、日頃安価な品で済ませている日本の暮らしを相対的に持ち上げる番組を目にしたこともあります。なんだかいたたまれなくて、見続けることができませんでした。
バブルの崩壊後、国全体が意気消沈している時期が長く続きました。その頃なら、日本を褒める番組等にも日本人を元気づけるという意義があったかもしれません。国内では軽んじられてる産業が、実は海外では競争力があることを認識させる意義もあったかもしれません。しかし今では、もう変わらない・変われない日本を外から慰めてもらおうとしているようで、痛々しさばかりが感じられました。
クラーク博士は、「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」と云いました。褒めてくれる人を探したり、褒めるように仕向けたりしなくても、人類発の成果を出したり、世界的な偉業を成し遂げたりすれば、おのずと称賛されるはず――そんな風に思うことしきりです(日本の日用品が安価なのは、日用品業界の優れた効率化・IT化があるからで、そこに着目して紹介するなら意義もあろうと思いますのに)。
映画に関しても同様で、来日した映画監督たちは、インタビューに応えて黒澤明監督や宮崎駿監督へのリスペクトを口にしてくれます。それは嘘偽りないのでしょうが、彼らの映画を観ると、しばしば日本映画の影響は限定的だったり表面的だったりします。プロモーションのための来日ですから、リップサービスもあるのでしょう。日本の日用品を「便利だね」と云ってくれる外国人のようなものかもしれません。
そんな中、ジョージ・ルーカスや本作のトラヴィス・ナイト監督からは、筋金入りの黒澤ファン、黒澤のフォロワーであることがひしひしと伝わってきます。日本の芸術や文化への入れ込みようも半端ではありません。
これはひとえに、黒澤明という偉大な監督とそのスタッフ・キャストが、比類のないマスターピースを送り出してきたからでしょう。
それだけに、本作には日本文化の美化といいますか、過剰なまでの肯定感があるような気がします。
本作は日本の祖先崇拝を尊いものとして描きますが、これは一歩間違えれば『永遠の0』の記事に書いたような死者のサンクコストへの拘泥に繋がりかねません。ジョージ・ルーカスは、スター・ウォーズ・シリーズにフォースというアイデアを噛ませることで、死んだ父や師匠が見守ってくれるという信仰を上手に作品世界に折り込みましたが、本作の取り上げ方はストレートです。日本の映画監督が日本映画で同じようなことを描いたら、鼻持ちならない作品になったかもしれません。
だから私は、本作が日本(のような国)を舞台にしていることや、日本の文化に敬意を表していることを、用心深く受け止めたいと思います。外から褒められたことに舞い上がって、映画の評価を誤ってしまうかも知れないからです。
日本の文化を調べ上げたこだわりや、それを作品づくりに活かしたセンスは素晴らしいです。でも、中国やインドが舞台だったとしても、このスタッフなら素晴らしい作品をつくったに違いありません。
もちろん、私は日本の文化を知っていたからそのこだわりを汲み取れたわけで、それは幸せなことだと思います。
本作が日本で公開された2017年、創業から120年にならんとする折り紙・和紙製造の老舗、大与紙工が倒産しました。折り紙を作りたくても紙がない。本作を楽しむ一方で、私たちはそんな寂しさにも直面しています……。
先日、地上波のテレビを見ていたら、外国で日本が好きという人を探し出し、日本に連れてきて日本を褒めてもらう番組をやっていました。日本の安価な日用品を外国に持っていき、その便利さを褒めてもらって、日頃安価な品で済ませている日本の暮らしを相対的に持ち上げる番組を目にしたこともあります。なんだかいたたまれなくて、見続けることができませんでした。
バブルの崩壊後、国全体が意気消沈している時期が長く続きました。その頃なら、日本を褒める番組等にも日本人を元気づけるという意義があったかもしれません。国内では軽んじられてる産業が、実は海外では競争力があることを認識させる意義もあったかもしれません。しかし今では、もう変わらない・変われない日本を外から慰めてもらおうとしているようで、痛々しさばかりが感じられました。
クラーク博士は、「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」と云いました。褒めてくれる人を探したり、褒めるように仕向けたりしなくても、人類発の成果を出したり、世界的な偉業を成し遂げたりすれば、おのずと称賛されるはず――そんな風に思うことしきりです(日本の日用品が安価なのは、日用品業界の優れた効率化・IT化があるからで、そこに着目して紹介するなら意義もあろうと思いますのに)。
映画に関しても同様で、来日した映画監督たちは、インタビューに応えて黒澤明監督や宮崎駿監督へのリスペクトを口にしてくれます。それは嘘偽りないのでしょうが、彼らの映画を観ると、しばしば日本映画の影響は限定的だったり表面的だったりします。プロモーションのための来日ですから、リップサービスもあるのでしょう。日本の日用品を「便利だね」と云ってくれる外国人のようなものかもしれません。
そんな中、ジョージ・ルーカスや本作のトラヴィス・ナイト監督からは、筋金入りの黒澤ファン、黒澤のフォロワーであることがひしひしと伝わってきます。日本の芸術や文化への入れ込みようも半端ではありません。
これはひとえに、黒澤明という偉大な監督とそのスタッフ・キャストが、比類のないマスターピースを送り出してきたからでしょう。
それだけに、本作には日本文化の美化といいますか、過剰なまでの肯定感があるような気がします。
本作は日本の祖先崇拝を尊いものとして描きますが、これは一歩間違えれば『永遠の0』の記事に書いたような死者のサンクコストへの拘泥に繋がりかねません。ジョージ・ルーカスは、スター・ウォーズ・シリーズにフォースというアイデアを噛ませることで、死んだ父や師匠が見守ってくれるという信仰を上手に作品世界に折り込みましたが、本作の取り上げ方はストレートです。日本の映画監督が日本映画で同じようなことを描いたら、鼻持ちならない作品になったかもしれません。
だから私は、本作が日本(のような国)を舞台にしていることや、日本の文化に敬意を表していることを、用心深く受け止めたいと思います。外から褒められたことに舞い上がって、映画の評価を誤ってしまうかも知れないからです。
日本の文化を調べ上げたこだわりや、それを作品づくりに活かしたセンスは素晴らしいです。でも、中国やインドが舞台だったとしても、このスタッフなら素晴らしい作品をつくったに違いありません。
もちろん、私は日本の文化を知っていたからそのこだわりを汲み取れたわけで、それは幸せなことだと思います。
本作が日本で公開された2017年、創業から120年にならんとする折り紙・和紙製造の老舗、大与紙工が倒産しました。折り紙を作りたくても紙がない。本作を楽しむ一方で、私たちはそんな寂しさにも直面しています……。
Re: No title
もどきさん、コメントありがとうございます。
たしかに本作の結末は御霊信仰に通じるものがありますね。
アメコミではヴィランがヒーローになったり、ヒーローがヴィランになったりは珍しくないので、本作の結末は日本以上に受け入れやすいのではないかと思いますが、どうなのでしょう。
気になるところですね。
たしかに本作の結末は御霊信仰に通じるものがありますね。
アメコミではヴィランがヒーローになったり、ヒーローがヴィランになったりは珍しくないので、本作の結末は日本以上に受け入れやすいのではないかと思いますが、どうなのでしょう。
気になるところですね。
怖さも持つ日本…
ナドレックさん、いつも深いコメント、ありがとうございます。
やっぱり、ナドレックさんもそんな風に感じてらっしゃると知って、なんとなくもやもやした感じがスッキリしました。
外国の方々が日本を愛してくれているのは本当に嬉しいのですが、日本人のこの長所は、時と場合によって怖い短所にもなってしまうものだと思ってしまうのは考えすぎなのかも知れません。けれども、真面目で器用で亡くなった人々の魂を尊び…、と、このような日本人の性質が、太平洋戦争での悲劇を手繰り寄せたような気がするのも考えすぎなのかも知れません。
けれども、いい加減で、怠けることを愛し、死んだものより生き続けることに執着する自己中な人間が日本人だったなら、世界中の人々に尊敬されることはないかも知れませんが、神風特攻隊のような悲劇は起きることはなかったでしょうね。
日本、いや、日本人、大丈夫かな…?なんてよく思う今日この頃です💦。
やっぱり、ナドレックさんもそんな風に感じてらっしゃると知って、なんとなくもやもやした感じがスッキリしました。
外国の方々が日本を愛してくれているのは本当に嬉しいのですが、日本人のこの長所は、時と場合によって怖い短所にもなってしまうものだと思ってしまうのは考えすぎなのかも知れません。けれども、真面目で器用で亡くなった人々の魂を尊び…、と、このような日本人の性質が、太平洋戦争での悲劇を手繰り寄せたような気がするのも考えすぎなのかも知れません。
けれども、いい加減で、怠けることを愛し、死んだものより生き続けることに執着する自己中な人間が日本人だったなら、世界中の人々に尊敬されることはないかも知れませんが、神風特攻隊のような悲劇は起きることはなかったでしょうね。
日本、いや、日本人、大丈夫かな…?なんてよく思う今日この頃です💦。
Re: 怖さも持つ日本…
>梅茶さん
いい加減で、怠け者で、自己中心的な私は、毎日ただゴロゴロして過ごすことで世界の平和に貢献できればと思います。
世界中のみんなが怠け者で毎日ゴロゴロしていれば、世界は平和なのかもしれません……。
いい加減で、怠け者で、自己中心的な私は、毎日ただゴロゴロして過ごすことで世界の平和に貢献できればと思います。
世界中のみんなが怠け者で毎日ゴロゴロしていれば、世界は平和なのかもしれません……。
⇒trackback
トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。KUBO/クボ 二本の弦の秘密
三味線の音色で折り紙に命を与え、意のままに操る少年クボ。 闇の魔力を持つ祖父・月の帝に狙われた彼は、片目を奪われ、父親を亡くし、更には母までも亡くしてしまう。 クボは月の帝と戦うことを決意し、厳しいが面倒見のよいサル、ノー天気なクワガタの姿をした元ニンジャ侍と共に旅に出る。 戦いに勝つためには、3種の武器が必要だった…。 アニメーション。
まんが2本昔話 トラヴィス・ナイト 『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』
『コラライン』『パラノーマン』などで知られるストップモーションアニメの雄・ライカ
「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」(1回目)
日本人の映画ファンには、うれしい作品でしょう!