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『ブレードランナー 2049』 流れよ我が涙、と警官は言った

ブレードランナー 2049(初回生産限定) [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 『ブレードランナー 2049』は2017年に発表されるべき作品だった。前作『ブレードランナー』のテーマと作品世界を受け継ぎながら、本作は来るべき未来を見据えている。

 「実はSFって、現実から離れて人間の感情の描写に集中できるという意味で、とても優れた表現形式なんだ。」
 本作の主人公を演じたライアン・ゴズリングはこう語る。[*1]


■「人間とは何か」とは何か

 前作に主演し、本作にも出演したハリソン・フォードは、『ブレードランナー』が「人間とは何かという問いに答えようとしている。だから文化の違いを超えて世界で成功した」と述べている。
 人間とは何か――確かに『ブレードランナー』はその問いを取り上げていよう。だが、考えておかねばならないのは、「人間とは何か」とは何かということだ。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) 『ブレードランナー』の原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』には、人間と区別がつかないほど精巧な人造人間(アンドロイド)が登場した。主人公デッカードは、人間か人造人間かを判定しながら、人造人間と結論づけた相手を次々に殺していた。
 ここでデッカードを悩ませたのは、自分は本当に人間と人造人間を区別できているのかということだ。人間と人間でないものは、客観的に識別できるものなのか。作中では、感情の動きを測定して「人間らしい」反応かどうかを検査するヴォイト=カンプフ・テストが編み出されていたが、デッカードの直感と検査結果は必ずしも一致しない。人間に人間と感じられなかった人間でも、検査結果が人間と出れば人間扱いすれば良いのか。人間のことを人間と感じなかった人間は、人間といえるのか。

 この小説が発表されたのは1968年だ。ゲノムの解読など及びもつかず、「人間とは何か」という問いに対してしばしば科学よりも哲学や宗教が答えようとした時代だった。ドラッグやセラピー技法が人間性を変革し、人間の無限の可能性を拓いてくれる、そう思われた時代だった。


 1982年公開の映画『ブレードランナー』[*2]は、原作から宗教や人間性の変革に関する部分を削ぎ落とし、シンプルな追跡劇になっている。ここでもデッカードはレプリカントと呼ばれる人造人間を追っているが、彼は人間とレプリカントを正確に識別できており、自分が人造人間ではないかと悩むこともない。一方で、みずからレプリカントと見破ったレイチェルと恋に落ちてしまう。
 原作が「周囲や本人が人間だと思っているそいつは本当に人間なのか」という形で「人間とは何か」という問いを突きつけたのに対し、映画は「人間ではないと思われているそいつも人間なのではないか」という形で「人間とは何か」と問いかける。
 さらに、人間か否かという問題以上に映画が打ち出すのが、人間ならどう行動するかということだ。

ブレードランナー ファイナル・カット 日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ(3枚組) [Blu-ray] 思えば、『ブレードランナー』は愛の物語だった。あれほどのカリスマ性をまとった映画をそんなひと言で要約したら、大雑把過ぎるとお叱りを受けそうだが、私はそう思っている。
 映画ではレプリカント(ネクサス6型)の寿命が四年と定められている。製造から数年経つとレプリカントも感情を持つようになるので、従順な下僕が欲しいだけの人類は四年で機能停止するように安全装置を仕込んだのだ。ところが、映画の後半に至ると、レプリカントの寿命を伸ばすことは技術的にできないことが明らかになる。彼らレプリカントは、どうやっても四年で死ぬのだ。
 この映画の肝は、レイチェルが人間かどうかではない。レイチェルも人間と同じように考え、感じられるかではない。レイチェルとの愛を貫こうとするデッカードの気持ちの問題なのだ。たった四年しか生きられなくて、もうすぐ死んでしまうレイチェル。そんな彼女とのわずかな時間のために、デッカードは仕事も暮らしもすべてを捨てて、レイチェルとの逃避行を選ぶ。お尋ね者として追われることが判っていながら、彼は愛のために生きるのだ。なんと強烈なラブストーリーであることか。

 相手が人間かどうかにかかわらず、愛のためならそんな行動が取れるのが人間だ。この映画はそう締めくくられている。


■「人間とは何か」

 そして『ブレードランナー 2049』。人間を含めた多くの生物のゲノムの解読が進み、人間が神を創造するメカニズムすら解明された2017年に、この映画は公開された。本作ではもはや人間かどうかを問うこともない。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、自分なりに前作を解釈しながら、現代に相応しく前作のテーマを推し進めている。

 当初本作を監督する予定だったリドリー・スコットは、『エイリアン:コヴェナント』(2017年)の監督に専念し、そちらで人造人間テーマを取り上げた。『プロメテウス』で信仰の大切さを説き、『エクソダス:神と王』で旧約聖書の世界を映画化したリドリー・スコットは、『プロメテウス』の続編となるその映画で、神でもないのに創造するのは邪悪なことであるとした。だが、ヴィルヌーヴ監督に引き取られた本作は、およそ正反対の方に向かった。

BLADE RUNNER 2049 (SOUNDTRACK) [2CD] CD, Import 続編作りに当たって行なわれたのは、いったんすべてをリセットすることだった。
 前作の舞台は2019年。『ブレードランナー 2049』はその30年後を舞台にするが、その間、2022年に大停電が起こって多くの記録が失われたことにした。
 さらに、レプリカントを製造していたタイレル社が倒産したことにして、新たなレプリカントの製造会社ウォレスを設定する。前作で目を潰されて殺されたタイレル社長に変わり、盲目のウォレス社長を登場させ、タイレル社長のそばにレプリカントのレイチェルがいたように、ウォレス社長のそばにレプリカントのラヴ(Luv)を配する(luvとはloveの視覚方言だが、これがひどく皮肉な命名であることは後で判る)。
 こうして、本作は『ブレードランナー』の続編の態をとりながら、前作の開始地点に戻って『ブレードランナー』を語り直す。両作のあいだを取り持つために、わざわざ三つの短編――『ブレードランナー ブラックアウト2022』、『2036: ネクサス・ドーン』 、『2048: ノーウェア・トゥ・ラン』――まで用意して。
 もちろん、前作を愛するヴィルヌーヴ監督の心には、タイレル社長が目を潰される場面が焼きついているだろうから、レプリカント製造会社の社長は目が見えてはいけない。本作は続編としてもリメイクとしてもリブートとしても見ることができる、極めてユニークな作品になった。


 前作のテーマを掘り下げるため、あえて変えたところもある。
 最大の変化は、主人公がレプリカントであることだろう。前作が「人間ではないと思われているそいつも人間なのではないか」と問う物語であったとすれば、本作は「もはや人間(とされているもの)に属するか否かは問題ではない」という事実を突きつける。しょせん人間といえども、細胞内で化学反応が起こり、神経細胞を電気信号が駆け巡る、炭素化合物や水の塊にすぎない。充分に複雑に作れば、人間と同じように反応するものが作れないはずがない。非実在のバーチャルアイドルが人気を博し、AIの棋士が人間のプロ棋士を打ち負かす2017年ともなれば、そのことを現実感をもって受け入れられよう。
 では改めて、現代において「人間とは何か」という問いにはどう答えるべきか。主人公はレプリカントであることを自覚しつつ、自分もまた人間(と同じもの)であることを確かめるべくさまよい歩く。

 前作を上回る複雑なストーリーは、前作以上に原作者フィリップ・K・ディックの作品世界に近づいたと思う。レプリカントと彼らを狩る捜査官のシンプルな対決だった前作とは異なり、本作ではロサンゼルス市警察と大企業ウォレス社とレプリカント解放運動メンバーの三つ巴の争いが描かれる。それは、人間と超能力者と不活性者の三つ巴の争いを描いた『ユービック』のように、ディック作品にお馴染みの構図だ。

 三つの勢力はそれぞれの思惑から行動しているが、いずれの勢力も重視することが一つある。
 生殖だ。製造されるのではなく、生殖により増えていくレプリカント。能力においても容姿においても人間とレプリカントに差はないのに、この上レプリカントが生殖までできるようになったら、人間と何が違うというのか。
 人間が支配する社会の永続を図るロサンゼルス市警察は、生殖できるレプリカントの存在が許せない。そんなレプリカントを排除し、そのすべての痕跡を抹消しようとする。
 ウォレス社は、人間の発展のために、生殖できるレプリカントが必要だと考える。奴隷の主人と同じ発想だ。奴隷が死に絶えたら主人が困る。だから奴隷の持ち主は、奴隷が最低限の健康を保てるようにして、奴隷同士が生殖し、増えることを望んだ。増えすぎたら売ればいいのだ。レプリカント製造会社のウォレスにとって、生殖できるレプリカントは、製造設備に投資しなくても勝手に増えてくれる商品だ。レプリカントが生殖するメカニズムを何としても手に入れたい。
 レプリカント解放運動のメンバーにとって、生殖できるレプリカントは希望だ。その存在を推し立てることで、レプリカントが人間と遜色のない存在であることを証明し、隷属を強いられた今の境遇からの解放を目指そうとする。

 本作は、「人間とは何か」という問いに対して、表面的には生殖できることを挙げる。『灼熱の魂』で悲劇の中にも失われない親子の愛を描き、『プリズナーズ』では子供のために何もかもなげうつ親を描き、『メッセージ』ではいずれ死ぬと判っている我が子を精一杯愛し、育もうとする親を描いたヴィルヌーヴ監督だから、本作でも親子の情愛を中核に据えてもおかしくない。

 しかし、それは必ずしも答えではない。本作の主人公が生殖できないロボット(自動機械)であることが、「それだけではない」と語っている。


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 本作の主人公に名前はない。KD9-3.7というシリアル番号があるのみで、普段は単に「K」と呼ばれる。
 ロボットの刑事にアルファベット一文字が付けられるのは、アイザック・アシモフ著『鋼鉄都市』のロボット刑事R・ダニール・オリヴォーに連なる伝統だ。特撮テレビ番組『ロボット刑事』の主人公も「K」だった。『鋼鉄都市』のRはROBOTの頭文字、『ロボット刑事』のKはKIKAI(機械)の頭文字であろう。
 では、本作の主人公の名は何を意味するのか。

 警察官KD9-3.7、すなわち Policeman KD9-3.7 は、フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick)と同じ頭文字PKDであり、原作者へのオマージュであるといわれる。
 一方で、Kのガールフレンドのジョイは、彼のことをジョーと呼び、あなたは特別な存在だという。ジョーとはジョゼフの短縮型で、ジョゼフ(Joseph)とは聖書に登場するヨセフのことだ。ヨセフはラケルがはじめて産んだ子であり、カナンの人々の血を引きながらエジプト側に立ち、それでも飢えに苦しむカナンの人々を救った人物だ。ラケル(Rachel)を英語風に発音すればレイチェルである。主人公がジョーと呼ばれるのは、彼がレイチェルの生殖によって生まれた子供であり、人間側(ロサンゼルス市警察)に立っているものの、レプリカントを苦しみから解放する役割を担っていることを示唆している。
 ジョイは恋愛をするようにプログラムされたAIであり、無垢な女性の立体映像を出現させてKに尽くしてくれる。プログラムと判っていても、Kはジョイに癒される。それはまさに萌えキャラの進化形だ。

 とてもメタファーとは思えない。少なからぬ人々が、実在の人間との恋愛ではなく恋愛ゲームやアニメやマンガのキャラクターに夢中になり、現実には非力な自分でも実は重要な何者かであると夢想したくなる実社会のような展開が、切なくてやるせない。人間ではなくレプリカントを恋愛対象とした前作から、本作では実体すらないAIを恋愛対象とするまでに変化した。まさに現代の、そしてこれからの社会のラブストーリーといえよう。
 映画中盤の、男性(K)が入れ込んでる萌えキャラ(ジョイ)をリアルな女性に否定され、(ラヴに)踏みにじられる展開は涙を誘う。しかもその「リアルな女性」はレプリカントなのだ。

 ここには、生殖が伴わなくても愛はあり得るというシンプルな主張がある。実体がないジョイとKとの恋愛に、心を通わせるだけだからこそ純粋なものを感じる人もいるはずだ。
 そもそも、生殖できることだけが人間の価値であるはずがない。たとえば同性で愛し合っても子供は生まれないし、何らかの事情で子供を作らない/作れない人もいる。では、これらの人々は人間ではないのかといったら、とうぜんそんなことはない。生殖できないレプリカントを主人公に据えた本作は、はじめから親子の愛や家族の素晴らしさに帰着するつもりはないのだ。

               

映画 ブレードランナー 2049 ポスター 42x30cm Blade Runner 2049 それでも映画の作り手は、Kを何者かにはしてくれない。彼の部屋に置かれた愛読書は、ウラジーミル・ナボコフの『青白い炎』だった。この本は、キンボート(Kinbote)博士、つまり頭文字「K」の人物が、今でこそ一般市民として暮らしているが実は本国を追放された王なのだという妄想に取りつかれた物語だ。
 自分は生殖によって誕生した特別なレプリカントであり、レプリカントと人間の立場を覆すほど重要な存在なのだ。そう思いたいKの発想の源流は、彼の愛読書にあったのだろうか。なんと哀れなK。ジョイはKの本の内容を知っていて、彼が喜びそうなことを云っただけなのかもしれない。
 「K」とは「キンボート」に由来したのか――。

 『ブレードランナー 2049』は、誰も彼も、右も左も生殖できることに価値を置く中で、バーチャルな恋愛と妄想に耽っている中二病の僕に何ができるのか――そういう物語だ。
 子供を作らないからといって、子供を慈しまなくていいわけじゃない。世界を変える特別な存在じゃないからといって、何もしなくていいわけじゃない。
 Kは行動を起こす。自分なりにできることを。次の世代のためにできることを。レプリカントか人間かなんて、もう彼には問題ではない。親子を引き裂いたり、人を殺したり、そんなことを許さないだけだ。相手が人間かどうかにかかわらず、自分が人間かどうかにもかかわらず、彼は行動する。
 ここに至って、もはや「人間とは何か」という問いは空虚でしかない。いわんや、人種、民族、国民をや。そんな問いにこだわるよりも、やるべきことが、やれることが、こんなにもたくさんあるのだから。

 自分なりにできることをやって、力尽きるK。
 横たわる彼に最後に残るのは、――愛だ。
 誰への愛?
 誰でもない。世界への、それは愛。


[*1] 月刊シネコンウォーカー No.142/2017年10月14日発行

[*2] 『ブレードランナー』の七つのバージョンのうち、『ブレードランナー 2049』を作る上でドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が意識したのは、オリジナル劇場公開版(US劇場公開版)とファイナル・カットだそうだ。
 たとえば、デッカードが隠し持っていたスピナー(空飛ぶパトカー)は、ファイナル・カットにはないオリジナル劇場公開版のラストでレイチェルとの逃避行に用いたものだろうし、タイレル社長が目を潰される場面はオリジナル劇場公開版(US劇場公開版)にはないから、ファイナル・カット等のバージョンを見ていないと盲目の社長というイメージの出どころが判らない。
 本稿もこの両パーションを踏まえて執筆する。


ブレードランナー 2049(初回生産限定) [Blu-ray]ブレードランナー 2049』  [は行]
監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演/ライアン・ゴズリング ハリソン・フォード アナ・デ・アルマス シルヴィア・フークス ロビン・ライト マッケンジー・デイヴィス ジャレッド・レトー レニー・ジェームズ カルラ・ユーリ デイヴ・バウティスタ ショーン・ヤング エドワード・ジェームズ・オルモス バーカッド・アブディ
日本公開/2017年10月27日
ジャンル/[SF]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : ドゥニ・ヴィルヌーヴ ライアン・ゴズリング ハリソン・フォード アナ・デ・アルマス シルヴィア・フークス ロビン・ライト マッケンジー・デイヴィス ジャレッド・レトー レニー・ジェームズ カルラ・ユーリ

⇒comment

No title

Kについて言えば随分タチの悪い事をやるなあ、と。持ちあげておいて落とす奴の最上級じゃないですか。世界でもっとも価値のある存在だ、うっそぴょーんみたいな、ねえ。

他の方々に関しては、随分マナーいいな、と。レプリカントが生殖できようと、できまいと、そういう事実が必要なら嘘を付けばいいんですよ。それはばれない。その嘘を否定するための証明はムチャクチャ大変なのだ。言って宣伝したもの勝ち。流布した噂を封じ込めてゼロにはできない。レプリカントの反乱活動の希望になる。そんなあやふやな空気を鼓舞するのなら嘘で充分。

Re: No title

fjk78deadさん、こんにちは。
たしかに、嘘を吐けばいいんだという例は目にしますね。特段の危険がない設備を、危険であるかのように煽り立てて与党への攻撃材料にする野党とか、我が国の政治シーンでは珍しくありません。
ただ、その戦略で野党が高い支持を得ているかというと、いかがでしょうか。野党を支持していた人からさえ、疑問の声が出たりして、人心が離反するばかりのような気がします。
与党は与党で、問題が発覚しても75日経つのを待ってるような時間稼ぎの答弁に終始している印象があります。

英国のEU離脱の経緯等から、今は「ポスト真実」の時代と呼ばれます。"嘘でもいい"と考えて行動する人が世界中にいるわけですが、それを映画の中でも見せられたら、たぶんみんなうんざりしてしまうのではないでしょうか。
日々、嘘の応酬を見せられているからこそ、事実の有無を巡って争う映画が気持ちがいいと感じられる気がします。

No title

嘘がうんざりだから、映画の中でくらい嘘を否定したいというのは分かるのですが、人間は嘘を付く生き物だし、自分に利益があるならここぞとばかり無自覚に嘘を付く。なので、あえて、嘘を排除してしまうと物凄く慎重に組み立てたパズルの最後の1ピースでガタカタみたいにリアルさを欠きかねないと思っています。出来るなら、双方、情報戦略として嘘はつくが正しい事実が最後に明らかになるという作りが望ましい。

「女神の見えざる手」がそんな作りでしたね。あれは「嘘」その物が題材だからそうなったのかもしれないけど。

No title

嘘について、書かれていたので、コメントさせていただきます。

レプリカントの持つ愛情(性愛、親子、自己愛、無償の愛)が真実か(プログラムではなく)、が重要な題材になっているんで、生殖関係で嘘を入れてしまうとテーマがぶれます。
Kの記憶はプログラム(そうでないことが今作の肝)、生死記録も偽装(自己を疑える)、デッカードの行動も計画されたもの、Kの従順(嘘でも真実でも従ってしまう)、ジョイの言葉(全てプログラム)、と嘘と真実について、いくつも仕込んでいるので、真実がある程度最初に提示されないと物語を牽引するものがなくなってしまう。
嘘(人工計画)を信じるか自分(自然発生)を信じるかのテーマの部分が見えなくなってしまうと思われます。

人間(ジョシ)は嘘(レプリカントは子どもを産めるという真実を隠す)をつき、レプリカント(フレイザら反乱軍)は嘘(レプリカントの子どもが存在するという真実を隠す)をつく。
 
今作は、レプリカントのKが人間の嘘のためにレプリカントの嘘を暴く物語ともいえる。

ウォレスとラヴは人間の嘘を暴き、レプリカントの嘘(生殖は奇跡ではなく、人工の機能に過ぎない)を暴く。

デッカードはどっち?

ナドレックさん、こんにちは。
久々のコメントよろしくお願いします。

IMAX3D・ULTIRA(天井にもスピーカが!)・IMAX2Dと、3回観てきました。
学生の頃読んだ「アンドロイドは電気羊…」が
35年前映画化され、当時は燃えよドラゴンリバイバルの
付き合わせで観たのが始まりでした…(もちろん私はブレラン目当て)
その後のじわじはと注目され、まさか続編を観ることになろうとはです。
映画は総合芸術。絵・音・本の順番で鑑賞する私は
映画人生ベスト2の作品です。

まず絵は、ヴィルヌーブ監督の世界観・デザインには大満足。
前作をうまく引き継ぎ、今回は!大活躍するスピナーにワクワクでした。
日本語で応えるレトロなデザインの情報端末機や、
盲目の作務衣の彼に、ラヴが選んだチップには
「市」とプリントされていました(盲目で市といえば…)
Kのアパート名は、カタカナで「メビウス」でしたし
柿のたねとか、日本へのファンサービスも嬉しかったです。
折り紙の「羊」もきっと意味深ですね。

音は、ヴァンゲリスからジマーに変わり残念でしたが
お約束のシンセでブレラン感をあおり、これはこれで良かったのではないかと。
前作最高シーンのメロディが、今回もエンディングで流れ、涙です。
前回はフランケン、今回はピノキオと言った方がいますが
Kが証拠を発見するとき、ピノキオのメロディーかと思ったんですが
ピアノで白雪姫「口笛吹いて働こう」の一節を弾いたような…
だったら、ちょっと笑えます。

本は、観る方によってテーマが変わるのか、もうわかりません…。
私なりの解釈は、ウォレスが言ったようにデッカードとレイチェルは
出会うように仕組まれていた…が気になっています。
二人はネクサス7(欠番になっている。二人に共通することは
レイチェルは姪の記憶で、デッカードも本物の記憶かも)で、
生殖機能を備えたプロトタイプだったのでは。(他のレプリカントに比べて弱いし)
そうなると…前作バッティが最後助けた理由も納得がいきますし、
お前たち見たことのない地獄…のくだりも、今回サッパーが新型に
奇跡を見たことがないからだ…に繋がります。
結局バッティも、Kも人間を助けていません(そういえばロボット三原則は?)
スコット監督はデッカードはレプリカントと言ってるようですし
どっちかで、解釈が変わると思うので興味深いです。
久々のコメント、長々とすみません。

No title

「流れよ我が涙」という題名の本をつい最近読み終えました。

サンフランシスコ市のマリーナのホテルに2週間ほど缶詰だった時、トラムに乗って友人と中心部まで出かけました(2両連結のトラム)。途中から、アジア系と思しき人たちが様々な服装で次々に乗り込んできて、世紀末ではという雰囲気を感じてしまい、「これってブレードランナー?」と友人と顔を見合わせました。
この新作は冒頭の10分間を見逃したのであらためて鑑賞しようと思っていますが、hersを思い出しながら鑑賞しました。
別の方へのコメントに「女神の見えざる手」について言及されておられますが、「女神」の映画を見た後で脚本を読んでみました。映画の時に味わった緊張感がよみがえり、テンポの良い映画だったと改めてそう思いました。

Re: No title

fjk78deadさん、こんにちは。
人間は日常的に嘘を吐く生き物です。さる研究によれば、だいたい1日に1回か2回は嘘をついているそうです。
ですが、

> 無自覚に嘘を付く

この記述は矛盾していると思います。
嘘の研究者・村井潤一郎氏は、嘘とは「意図的にだます陳述をさし、単なる不正確な陳述とは異なる」と説明しています。すなわち、「虚偽性」と「意図性」が揃っているのが嘘であると。
したがって、「意図性」が伴わない「無自覚」な行為は嘘と云えるか疑問です。

こちら↓の連載が、「嘘」や「欺瞞」のことを簡潔に説明していて参考になります。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/053100009/

それはともかく、fjk78deadさんがおっしゃるように「『レプリカントは生殖できる』という嘘を吐いている」映画にしたとして、それが映画のテーマを掘り下げるのに資するでしょうか。
Kにとっては、レプリカントが生殖できようとできまいと、もっと大事な「自分は特別な存在である」ことを取り上げられてしまったので、もう葛藤がピークに達しています。すでに主人公の葛藤がしっかり描かれているのに、その後に「レプリカントが生殖できるのは嘘だった」というエピソードを付け加えても、それは蛇足にしかならないでしょう。また、そちらに重きを置いたら別の映画になってしまいます。
それに、Kがショックを受けたのは、特別な存在は自分じゃなくて別人だったからですが、そこに「そもそも特別な存在なんていなかった」という事実が出てきてしまうと、それはKにとってショックを和らげる救いになってしまいます。物語上、特別な他人と無価値な自分との落差に直面することが重要なのに、特別な他人の存在が嘘となると、「最初からいないのだから仕方がない」とKが自分を慰める余地ができてしまいます。それは作り手の望むところではないでしょう。
「情報戦略としての嘘」も興味深いテーマではありますが、本作の作り手が描きたかったのはそこではなかったのだと思います。

あと、映画の冒頭に、レプリカント解放運動のメンバーが「奇跡を見た」と述べる場面がありました。レプリカント解放運動は、メンバーたちが「レプリカントの誕生」という「奇跡」に接したことが原動力になっているのではないかと思います。『ブレードランナー』のレプリカントは自分の短すぎる生をなんとかしたくて行動していただけですが、本作のレプリカントたちはレプリカントの解放という壮大な理想のために団結します。マリエットのように食うに困っているわけでもないレプリカントを巻き込むには、みんなを奮い立たせ、心を一つにさせる「奇跡」が必要だったろうと思うのです。

Re: No title

ひしさん、コメントありがとうございます。
前作はシンプルなストーリーで、真実と虚構の境目が溶けていくようなディックらしさはあまり感じられませんでした。
本作は、前作のトーンを残しつつも、主人公が信じていたこと(信じたかったこと)が次から次へと覆され、振り返ると虚構しか残っていない切なさがありますね。
どんな嘘を配置して、どんな真実を垣間見せるのか。その点がよく練られた映画だと思います。

No title

> 自分に利益があるならここぞとばかり無自覚に嘘を付く。

> 嘘とは「意図的にだます陳述をさし、単なる不正確な陳述とは異なる」と説明しています。すなわち、「虚偽性」と「意図性」が揃っているのが嘘であると。したがって、「意図性」が伴わない「無自覚」な行為は嘘と云えるか疑問です。

成り立たないだろうか?
論理的には成り立たなくても文学的には成り立つとかないだろうか?

A子ちゃんがB子ちゃんの事を心の中ではブスと思ってるけど、本人には「可愛いよ」と言ってる場合、A子ちゃんはB子ちゃんから嫌われたくないから真実を曲げて発言する、その発言自体は嘘なのだけど、それは「さあ、嘘を付くぞ」と自覚的に考えてる訳ではなく、ごくごく自然なプロセスの中で付いてる嘘である。そこには「虚偽性(正しくない)」も「意図性(嫌われたくないから)」もあるけれど、嘘を付く事自体に自覚的ではない。「無自覚な嘘」という曖昧な物は成立しうると思うのです。そこは「正しくない事を言ってるのだから嘘に対して無資格な筈がないだろう」と言われると瓦解してしまうのですが、そんなに正確に嘘の事ばかり考えて会話とかしてないので~と言うのが「文学的」ではないのかなあ、と。いや、ニュアンスで使ってるだけで「ほんまの文学」を突き詰めるとこの言葉も怪しいんですが。

ただ、それ一つを楯にして物語を見なおすとテーマがぶれると言うのはその通りでしょう。でも、小者だから思い付いたら言っちゃうんですねえ、対案なしでも。

Re: デッカードはどっち?

annyob1さん、こんにちは。
細かいところまでよくご覧になっていますね!

『ブレードランナー』に関しては何度も続編の噂が現れては消えてきたので、本当に続編を拝める日が来るとは思っていませんでした。しかも、私が絶大なる信頼を寄せるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がメガホンをとったのですから、それだけでも感慨深いです。ヴィルヌーヴ監督の次回作は『デューン/砂の惑星』の映画化とのことですが、本作の砂漠のシーンや、コートに身を包んだKが荒れ果てた地を歩くシーンは、そのまま『デューン』のワンシーンと云っても通じそうです。『メッセージ』もそうでしたが、この監督は本当に魅せる絵を作れる人ですね。


さて、長年続くリドリー・スコット監督(デッカードはレプリカント派)とハリソン・フォード(デッカードはレプリカントじゃない派)の論争。映画を作る責任者はプロデューサーですし、主演俳優に対して主人公の設定に係るディレクションがなされていなかった以上、監督の頭の中にだけ思い付きがあったとしてもそれだけでは正式な設定足り得ないでしょう。

しかし、本作に関するインタビュー記事を読むと、脚本家マイケル・グリーンはその論争に巻き込まれることを巧妙に避けているようです。
本作では、デッカードがレプリカントであるとは、表立って主張してはいません。ハリソン・フォードはあくまで人間としてデッカードを演じ、ヴィルヌーヴ監督もそれを許したのでしょう。
他方、annyob1さんがおっしゃるように、本作は敢えてネクサス7型に言及しません。そして赤目現象の映像等を散りばめることで、デッカードがレプリカントかもしれないと感じさせる、思わせぶりな演出を施します。
こうすることで、リドリー・スコット派の人も、ハリソン・フォード派の人も、本作を楽しめるようにしているのですね。
まことにずるいというか、巧いやり方だと思います。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
フィリップ・K・ディックの小説の特徴の一つは、タイトルがかっこいいことですが、中でも『流れよ我が涙、と警官は言った(Flow my Tears, the Policeman Said)』は名タイトルだと思います。そして、本作の警察官Kの心情にピッタリの文句ですね。脚本家ハンプトン・ファンチャーは、この言葉に導くために本作のストーリーを考えたんじゃないか、と思いたくなってしまいます。

本作のヒロイン・ジョイは、『her/世界でひとつの彼女』のサマンサを連想させますね。結論の持っていき方は対極にある両作ですが、どちらにしろ人類が抱えた宿題の大きさを感じます。

Re: No title

>fjk78deadさん

ここでの「文学的」の意味が判りませんが、どうもfjk78deadさんのおっしゃる「嘘」に関しては「悪意の有無」「罪悪感の有無」「計画性の有無」といった概念が混入しているような気がします。
先のコメントで紹介した記事が、「嘘」と「欺瞞」と「欺瞞的コミュニケーション」とそれらのあいだのグラデーションについて説明しているので、一読されることをお勧めします。
Secret

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2017/11/9、109シネマズ木場、5番スクリーン。 中央通路直後のG列を選択。 10/27の公開で、まだ2週間しか経っていないが、5番は138席と 木場の中では中規模シアターに当たる。 席数が倍のIMAX3D版もあるにはあるが上映回数は1回/日だけ。 ...

映画:ブレードランナー 2049  大変残念なことに、本年度ワースト候補。何でコウナッタ?!?

まず行く前に見直した第1作。 時代設定にまず驚き!だったのが、たった 2年後の 2019年(笑) なぜこのタイミングで、リドリースコットが続編を公開したかったワケがわかったような(笑) 時代に追い抜かれてしまう前に、先に行きたかったのででは?! で内容。 当時うっすら記憶していたイメージに近く「雰囲気を楽しむ映画」という感想。 あと前のアップでは書かなかったが、ク...

「ブレードランナー 2049」

映像、雰囲気(ムード)は、よく創ったと思う。

ブレードランナー 2049

人間と人造人間レプリカントの闘いから30年後の2049年。 レプリカントの製造元タイレル社を買い取ったウォレスは、従順な新型レプリカントの製造を開始した。 旧型で寿命制限のないネクサス8型の残党を追跡し“解任”している捜査官ブレードランナーのKは、ある事件をきっかけに、30年間行方不明となっている元捜査官デッカードを探し始める…。 SFサスペンスアクション

アンドロイドは電影少女の夢を見るかもしれない リドリー・スコット&ドゥニ・ヴルヌーヴ 『ブレードランナー2049』

カルト映画の大傑作としてその手のベストには必ず名を連ねる『ブレードランナー』が、

「ブレードランナー 2049」

すごく好き!アメリカでの興業が大コケだったという噂なんか私には関係ない。設定30年前の世界観を損ねることなく、更に情緒的だ。極めて情緒的だ。「奇跡を見たことがないからだ。」作中で出て来たキーワードが胸に沁みる。そして作中でも折に触れてだし、その後の実生活でも時折脳裏をよぎる。奇跡を見たことがない人間が奇跡について語ることは適切ではないにしても。その奇跡が何かを冒涜しようとしているのかもしれな...
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