『宇宙戦艦ヤマト2199』の総括と『2202 愛の戦士たち』

 以前の記事「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』対談 第二章までを巡って」に、オブチ1号さんからコメントをいただいた。
 返事を書いたらあまりにも長くなったので、別の記事にすることにした。
 以下は、オブチ1号さんのコメントへの返信として、2202第二章上映後の時点で書いたものである。

2017年8月15日にいただいたオブチ1号さんのコメント】(抜粋)
タイトル: 2202は失われた未来を取り戻せるのか?
(前略)
これは私の印象でしかありませんが、作り手は「さらば」の衝撃に引きずられている面が強いかと思います。私は「さらば」が公開された当時は生まれてすらいなかったので皆さんが映画館で号泣したという話を聞いてもピンときませんが、その衝撃がすごかったということだけはわかります。その体験が名場面(英雄の丘や発進シーンなど)を完全に再現するという部分に現れている気がします。こうした場面はひどく感情を揺さぶるシーンであって作品の核となる部分でもあると思います。
ただ2199ではたとえこうした名場面であってもただ再現すればいいという作りではなかったと思います。熟考した上で再構築し、シーンとしてまとめる形です。2202では、作品を制作する時間的猶予の問題なのかあえて再現することにこだわっているのかわかりませんが(後者な気もしますが)、再構築する段階まで至っていない気がします。そのため皆様が議論されているような説明できない部分が多く残っていて違和感があるのではないでしょうか。
(後略)

宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX 豪華版 (初回限定生産) [Blu-ray] オブチ1号さん、こんにちは。
 コメントありがとうございます。

 オブチ1号さんは『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開当時まだ生まれていなかったとのことですので、少々昔ばなしなど交えながら思うところを書かせていただきます。
 これまで『宇宙戦艦ヤマト2199』の記事をいくつも書いてきましたが、近頃、まだまだ大事なことが書き切れていなかったと感じています。


■『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代

 一つは、『宇宙戦艦ヤマト2199』のサブタイトルの付け方です。
 たとえば第2話のサブタイトル「我が赴くは星の海原」は、明らかに私の好きなSF小説『我が赴くは星の群』(The Stars My Destination)(別題『虎よ、虎よ!』(Tiger! Tiger!))のもじりです。第3話の「木星圏脱出」は『宇宙戦艦ヤマト』の元ネタになったSF小説『地球脱出』(別題『メトセラの子ら』)のもじりでしょうか。第8話「星に願いを」はもちろんディズニーの長編アニメーション映画『ピノキオ』の主題歌ですが、第9話『時計仕掛けの虜囚』はSF小説――というよりスタンリー・キューブリック監督の映画で有名な『時計じかけのオレンジ』です。
 このように、2199のサブタイトルにはSF小説、それも70年代に本屋に並んでいたSF小説のタイトルからの借用もしくはもじりが見受けられます。
 この傾向は終盤まで続き、第20話「七色の陽のもとに」(=スタニスワフ・レムのSF小説『ソラリスの陽のもとに』)、第21話「第十七収容所惑星」(=ストルガツキー兄弟のSF小説『収容所惑星』)を経て、第25話のサブタイトルは「終わりなき戦い」(=ジョー・ホールドマンのSF小説『終りなき戦い』)となります。

 ハヤカワSF文庫(現・ハヤカワ文庫SF)の創刊が1970年で、ハヤカワ・SF・シリーズ(いわゆる「銀背」)が刊行されていたのが70年代中盤までです。1974年にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放映され、その後、数年にわたる再放送の繰り返しを経てヤマトが大ブームになったあの時代、SFやアニメが好きな人は本屋に行くたび、あるいは自分の本棚で、これらのタイトルを目にしていたのです。


宇宙戦艦ヤマト 2199 (1) [Blu-ray]■松本零士色

 もう一つ重要なのは、松本零士氏へのリスペクトです。
 第三章の記事で触れたように、第10話のサブタイトル「大宇宙の墓場」は<太陽の女王号>シリーズの同名タイトルからの借用です。また、第四章の記事に書いたように、第14話「魔女はささやく」は、主人公が"魔女"にたぶらかされて生命の危機に瀕するところから『大宇宙の魔女』へのオマージュと考えられます。いずれも松本零士氏の流麗なイラストに飾られた本でした。セレステラ宣伝情報相のキャラクターデザインが『処女戦士ジレル』に酷似し、ミレーネル・リンケが『大宇宙の魔女』の絵に似ているように、本作は随所で松本零士氏の画業を意識して作られています。


 はるか未来の、宇宙の物語でありながら、漢字が多用されているのも松本零士氏らしいですね。林立する摩天楼の中に、デカデカと「中央大病院」という文字が掲げられているのを見たときは、ニヤリとしてしまいました。2199では、佐渡酒造先生が勤務する病院の名前はもとより、計器類の表示にも漢字が溢れていました。

 かつて日本には、英語やカタカナ語を多用するほうが先進的という雰囲気がありました(今もそうかも知れません)。
 しかし、1982年の映画『ブレードランナー』が人気を博してからは、未来を舞台にしたSF映画の背景等に漢字を散りばめるのは珍しくなくなり、日本でも(オリエンタリズムを込めてか)中華風の未来世界が描かれたりしました。ですが、それ以前から漢字表記が存在する未来世界を頑固に描き続けていたのが松本零士氏です。
 劇中に漢字が多々現れる2199は、SF映画としても松本零士氏へのリスペクトとしても、よく考えられていると思います。
 もちろん、計器類に漢字が表示されるのは合理的でもあって、現代のパソコン等の電子機器ですら多言語対応しているのに、22世紀末のヤマトのコンソールで、極東管区の乗組員が日本語を選択できないわけはないでしょう。


さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち [Blu-ray]暗黒界の妖精―ノースウェスト・スミス (ハヤカワ文庫 SF 82 ノースウェスト・スミス) ストーリー上は不要と思われる第24話「遥かなる約束の地」の美女たちの水泳大会も、この延長線上にあるのでしょう。
 松本零士氏の魅力といえば、美しい女性画も忘れてはなりません。今でこそ松本美女の代表はロングコートのメーテルですが、松本零士氏がイラストレーターとして腕を振るった70年代、氏が描くのはもっぱら女性のヌード画でした。『暗黒界の妖精』のカバーアート――祈るように手を組み、顔を上げた裸の女性――は、ほとんどそのままの構図で『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のテレサのポスターに転用されました。

 松本零士氏のマンガに登場する女性はよく脱ぎます。脱ぐシチュエーションは様々ですが、ヒロインの女神のような裸体を前にして、男性が圧倒されることが多いように思います。
 『宇宙戦艦ヤマト』の女性キャラは森雪ぐらいでしたが、彼女も服が透けたり、アナライザーにスカートめくりされたりとエロチックな場面がありました。2199の作り手たちは、スカートめくりを再現するのは避けつつ、松本零士作品を貫くエロチシズムを現代なりに表現しています(現代の作品らしく、男性陣の水着姿も披露してバランスを取っています)。

 『宇宙戦艦ヤマト』以前の松本零士氏の代表作の一つに、『セクサロイド』があります。ヒロインのユキをはじめとするセクシーな美女が入り乱れるとともに、宇宙に移住する「カミヨ計画」や、その計画が頓挫すると新エネルギー物質コスモナイトを巡る「ヤヨイ計画」が描かれるあたり、宇宙に移住する「イズモ計画」や波動エネルギーを利用する「ヤマト計画」が描かれる『宇宙戦艦ヤマト2199』への影響は大きいでしょう。


 その他『宇宙戦艦ヤマト2199』では、松本零士氏のもう一つの特徴である戦記物を思わせるドラマも展開されました。

 『宇宙戦艦ヤマト2199』の制作に松本零士氏は参加していません。しかし、2199のスタッフは、松本零士氏を『宇宙戦艦ヤマト』の監督として捉えるだけではなく、70年代から80年代にかけてのアニメブーム、SFブームの立役者としての氏へリスペクトを込めて、氏の多方面にわたる仕事を作中で表現しているのだと思います。

 そして、これらの趣向は、名作SFを示唆するサブタイトルとともに、ハヤカワSF文庫や『セクサロイド』や松本零士氏の画集やムックが本屋に並んでいた"あの時代"を思い出させてくれるのです。


宇宙戦艦ヤマト (ソノラマ文庫 4-A)■『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した時代

 それはまた、『宇宙戦艦ヤマト』が起爆剤となって生み出した時代でもありました。
 現在盛んに出版されているライトノベルの源流ともいえるソノラマ文庫が創刊されたのは1975年のこと。その一冊目は石津嵐氏のノベライズ『宇宙戦艦ヤマト』でした。この小説がどれだけ売れたのかは存じませんが、さぞかし好評だったのでしょう。このあと石津嵐氏はソノラマ文庫から『宇宙潜航艇ゼロ』や『宇宙海賊船シャーク』等を刊行し、同じくソノラマ文庫では吉津實氏の『宇宙巨艦フリーダム』も刊行され、ひと頃は『宇宙○艦○○○』と題された作品が花盛りでした。もちろん、『宇宙戦艦ヤマト』のノベライズ、コミカライズも複数の著者の手によりあちらこちらの出版社から刊行されていました。

 1977年には『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版第一作が公開され、興行収入21億円のヒットを記録。映画会社にアニメの興行価値を知らしめ、出版社にアニメ雑誌の創刊に踏み出させるなど、数々の伝説を生み出します。
 翌1978年は、『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』が日本に上陸して「SF元年」と喧伝されました。これらハリウッド発のSF映画に対して、日本映画界からは(『惑星大戦争』、『宇宙からのメッセージ』という露払いとともに)『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が迎え撃つ形でした。

 同時に『宇宙戦艦ヤマト』は爆発的な松本零士ブームを巻き起こし、テレビには松本零士氏が監督や原作やキャラクターデザイン等でかかわるアニメ作品が溢れ、劇場でも1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』に続いて、1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、1979年の『銀河鉄道999』、1980年の『ヤマトよ永遠に』、1981年の『さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-』、1982年の『1000年女王』と松本零士氏がかかわる映画が毎年公開され、そのいずれもがヒットするという未曾有の状況になりました(さすがに1982年後半の『わが青春のアルカディア』で息切れしますが)。

 『宇宙戦艦ヤマト』をリメイクすること、しかも松本零士氏の仕事やSFの出版状況に言及しながらリメイクすることは、"この時代"も思い出させてくれます。


宇宙戦艦ヤマト2199 1 [Blu-ray]■『宇宙戦艦ヤマト』と『宇宙戦艦ヤマト2199』

 これらのことから窺えるのは、2199が単に宇宙戦艦ヤマトシリーズを再構築した作品ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代、そして『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した時代の空気をも再現した作品であるということです。
 2199を観ることで、当時を懐かしく思い出してまたSFを読む人がいるかもしれません。2199を手掛かりにして、往年の名作SFや松本零士氏の作品に触れようとする人がいるかもしれません。2199は、時代が生み出し、時代を生み出した『宇宙戦艦ヤマト』の足跡をたどり、同じ役割を果たすことを企図されていたのでしょう。

 2199を観ているあいだ、私はたしかに"あの時代"の息吹を感じました。それがゆえに、とても気分が高揚しました。2199に時間も金も惜しまず付き合い続けたのは、2199が優れた作品であるばかりでなく、この興奮があったからです。


■2199に目を向けなかった人を呼び戻すための2202

 他方、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』を作るスタンスは全く違います。
 第一に、2199を成功例とは考えていない、という点があるでしょう。2202のシリーズ構成・脚本を手掛ける福井晴敏氏は、2199がBlu-rayとDVDで50万枚を越えるヒットになったことについて意見を求められ、次のように答えています。
---
この点についていうと、今回の「2202」のもとになった「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(以降、「さらば」)は観客動員数が400万人を突破しているんですよね。
(略)
そう考えると「実はまだ潜在顧客の10分の1も取れていない」という考え方もあるわけで、そこを掘っていかないといけないな、というのが今回の作品です。
(略)
「2199」はBD・DVDが50万本売れているとおっしゃいましたよね。
(略)
「ガンダムUC」は190万本でした。一方で「機動戦士ガンダム」、いわゆる「ファーストガンダム」の映画3部作は、「ヤマト」には最後まで勝てませんでした。ということは、「ヤマト」の方がパイが大きいということです。「ガンダムUC」が200万本近く売れているということは、「『2199』の50万本では足りないのではないか、もっと伸びしろがあるのではないか?」と、我々は考えているわけです。
(略)
つまり「さらば」で止まっているような休眠層が相当数いるわけです。
---

宇宙戦艦ヤマト2 DVD MEMORIAL BOX 2199で掘り起こせなかった休眠層。彼らをいかに呼び戻すかを考えた結果が、より一層旧作(『さらば―』『ヤマト2』)に忠実に作ることなのでしょう。観客動員数400万人、興行収入43億円を記録した『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の動員力を信じて再現すること、それが2202制作の基本にあるのだと思います。
 『千と千尋の神隠し』(2001年)の観客動員数2350万人や興行収入308億円、あるいは『君の名は。』(2016年)の観客動員数1898万人以上、興行収入250.3億円といった記録に比べれば、400万人の動員や興収43億円は大きな数字ではなさそうに見えますが、アニメーション映画を観るためにわざわざ映画館に足を運ぶのが珍しかった時代(せいぜい、子供にせがまれた親が小さな子を連れていく程度だった時代)にこれだけの観客を動員したのは画期的なことでしたし、このブレイクスルーがなければ今の日本のアニメーションの興盛はなかったかもしれないのですから。

 2202の企画の初期段階で、羽原信義監督と福井氏は「今の時代にあった新しいことをやるべき。ただし、観客が『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶は随所に入れよう」と語り合ったそうです。
 福井氏は、「基本的には観た人が「懐かしい!」、「 久しぶりにこれ観た! やっぱこれだよ!」と喜んでもらえる部分と、でも大きな筋の部分で「これどうなっちゃうの?」と先が知りたくなる部分がほどよくブレンドされているのが理想だと思う」とも語っています。
 自身、『さらば―』で大泣きしたという羽原監督は、「英雄の丘」のシーンを例に挙げ、「このシーンは、『さらば』と同じカット割で忠実に再現しました。しかも、新しいシナリオで、乗組員の心情はより深く描けていると思います」と述べています。

 2199も現代風にアレンジしつつ、『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶が随所に入っていました。その上でシリーズ全体を再構築し、宇宙戦艦ヤマトシリーズとは直接の関係はない名作SFや松本零士作品にまで言及するという壮大なことに取り組んでいました。
 2202は、そういう「余計な味付け」はせず、素材本来の味わいで楽しませる。大きな筋の部分で先が知りたくなるものをブレンドしても、作風は旧作からはみ出さない。2202の作り手は、そんなスタンスで臨んでいるのでしょう。


宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 1 [Blu-ray]■『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』らしさ

 だから、たとえばサブタイトルの付け方ひとつ取っても、より旧作に忠実です。
 旧『宇宙戦艦ヤマト』のサブタイトルは、第1話の「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」に見られるように、感嘆符の多用と命令形が特徴でした。「2201年ヤマト帰還せよ!」ではじまる『宇宙戦艦ヤマト2』も同様です。2202はこれらにならって感嘆符と命令形を採用し、「西暦2202年・甦れ宇宙戦艦ヤマト」(第1話)、「激突!ヤマト対アンドロメダ」(第5話)といった付け方をしています。

 私は感嘆符と命令形を多用したサブタイトルが好きではありませんでした。旧作が放映されていた頃は、『マジンガーZ』のサブタイトルが「幻の巨砲ガレンを爆破せよ!!」だったり、『グレートマジンガー』のサブタイトルが「鉄也よ!! 地獄の闇から這い上がれ!!」だったりしました。タイトルにまで感嘆符と命令形を採用した『エースをねらえ!』や『ゼロテスター 地球を守れ!』が作られ、そのサブタイトルにも「鬼コーチにぶつかれ!」や「ゼロバギー変身せよ!」などと付けられていました。私は、やたら感嘆符が多いネーミングに飽き飽きして、無味乾燥に感じていました(だからこそ、ロボットアニメなのに「イセリナ、恋のあと」なんてサブタイトルが出てくる『機動戦士ガンダム』が衝撃的でした)。

 ですから、2199の詩情豊かなサブタイトルが、(名作SFへのオマージュを抜きにしても)気に入っていました。
 2202でサブタイトルを旧作のような付け方に変えたのは、2202が2199のセンスを受け継ぐよりも旧作のリメイクを目指したものであるという意思表示なのでしょう。


 2202からは、松本零士氏を思わせるものも影を潜めました。もともと『さらば―』は『宇宙戦艦ヤマト』に比べて松本零士色の薄い作品でしたが、2202では計器類の漢字表記もめっきり減って、エロチシズムも見られなくなりました。
 計器や標識を英語表記にしたのは、そのほうが先進的に見えるという判断なのかもしれませんし、海外セールスに有利であろうとの考えなのかもしれません(『ブレードランナー』や『月に囚われた男』を例に出すまでもなく、英語を使わないほうがカッコイイ・未来的という感覚は、海外発のものなのですが)。エロチシズムの許容範囲や許容量は意見が分かれやすいところですから、幅広い層へアピールするには手を出さないほうが無難なのかもしれません(第三章以降、テレサが服を着てるかどうかが注目ポイントかもしれません)。
 その他、アーチストとしての松本零士を想い起させるものが、2202には見当たりません。旧作にないものはリメイク作にもないのが当たり前、なのかもしれませんが、こんなところも2199との断絶を感じさせます。

---
最初は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)のリメイクをただ担当してほしいというオファーだったんですけど、せっかくアニメで『宇宙戦艦ヤマト2199』(2012年)を劇場上映したばかりですし、そちらのお客さんを繋ぎとめずに1から単品で作るのはリスキーだろう……というわけで、続編という形で描かせてもらうこととなりました。
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 福井晴敏氏はこう述べていますが、続編といっても2199の設定をいくつか残しているだけで、すっかり別の作品になった印象です。


宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 2 [Blu-ray]■『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』のゆくえ

 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の大ヒットは、時代とシンクロした結果といえるでしょう。ヤマトブームに松本零士ブーム、さらにSFブームが重なって、それらの熱狂が最高潮に達したときに投入されたのが『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』でした。多くの人が宇宙のロマンに酔いしれた時代――1977年12月から1978年2月の『未知との遭遇』の公開直前まで、ピンク・レディーの『UFO』が10週にわたってオリコンチャートの1位をとり続ける、そんな時代でした。

 『機動戦士ガンダムUC』のBD・DVDが190万枚以上売れたのは、ガンダムシリーズが30年以上連綿と作られ続け、ファンの裾野が世代を超えて広がっていたためでもあるでしょう。

 いかに『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』がヒットしたとはいえ、たびたびのブランクがあるヤマトシリーズが、時代の援護射撃なしに再びヒットできるのか。2199の作風を離れて旧作に近づけることが、本当によりヒットさせる方策になるのか。私には判りません。2202を観ていても、(2019から)変えてしまって良かったのか、(旧作から)変えなくて良かったのか等々、疑問ばかりが浮かんできます。私はまだ2202を咀嚼できていないのかもしれません。


タイトル: 2202は失われた未来を取り戻せるのか?
(承前)
翼くんは遊星爆弾症候群にかかっているし、(略)いいところがありません。

 劇中のセリフによれば、加藤翼が発症しているのは遊星爆弾症候群ではなく「宇宙放射線病の二次発症」ですね。
 パンフレットや公式サイトには「遊星爆弾症候群」と書かれているのに、誰が、いつ、なんのために「宇宙放射線病」にしたのか、なぜパンフレット等との乖離が生じたのか。詳細はこれから解明されていくでしょうが、私はこのことをとても注視しています。
 これについて書き出すと長くなるのですが、もう充分長い文になってしまいましたので、ひとまず筆を置かせていただきます。


宇宙戦艦ヤマト2199 Blu-ray BOX (特装限定版)宇宙戦艦ヤマト2199』  [あ行][テレビ]
総監督・シリーズ構成/出渕裕  原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広  キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 赤羽根健治
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』  [あ行][テレビ]
監督/羽原信義  副監督/小林誠  原作/西崎義展
シリーズ構成/福井晴敏  脚本/福井晴敏、岡秀樹
キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 麦人 千葉繁 てらそままさき 神谷浩史 田中理恵 久川綾 赤羽根健治 菅生隆之 神田沙也加
日本公開/2017年2月25日
ジャンル/[SF] [アクション] [戦争]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199
【genre : アニメ・コミック

tag : 出渕裕 西崎義展 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁

⇒comment

2202はどの世代に向けた作品なのか?

ナドレックさん

こんにちは
私のコメントに対してのお返事を別の記事にまでしただいて恐縮です。
ありがとうございました。

記事を読んでいて思ったこととして、商業作品であるという観点が自分の中からは抜けていました。
その上で、2202の制作陣が2199から色々なものを受け継がなかった理由としては2199がそこまで成功しなかったという思いがあるというのは納得できるところです。
福井さんなどは舞台挨拶などに立つたびに興行収入について言及していたりしたので、もっと「売る」ということが念頭にあるのかもしれません。
確かにお金に余裕のある世代は高年齢層であり、そこに対して売って行くために懐かしさを前面に出していくというのはある意味正しいのかもしれません。
しかし、私などからすると2202の方がより古臭いと感じてしまい辛さがあります。2199はナドレックさんのおっしゃる通り、宇宙戦艦ヤマトの生まれた時代の空気感をも再現する形だったのかもしれませんが古臭いという感じはしませんでした。この感覚をうまく言葉にできないでいましたが、記事のサブタイトルの事などが確かに一因なのかもしれません。
2199は私などにとってヤマトを知らない年下の後輩などに堂々と勧められる作品でしたが、2202を素直に勧められるかというとちょっとためらってしまいます。
ガンダムとは違って世代間隔絶がありすぎるヤマトでは新たな世代のファンを獲得しようとしても心理的ハードルが上がりすぎている気がします。2199でそれに挑戦しようとしてうまくいかなかったと制作陣が判断して、新たな世代のファンを獲得しようとする試みは特にしないと思っているとしたら残念かなと思います。

第三章の予告が公開されました。この章は2202を語る上では大きな分岐点になるような気がしています。

Re: 2202はどの世代に向けた作品なのか?

オブチ1号さん、こんにちは。

> 私などからすると2202の方がより古臭いと感じてしまい辛さがあります。

そこなのです。
かつてあれだけヒットしたのだから、できるだけ忠実に再現するというのは、判らないではありません。
しかし、一つ重要な点は、40年の時を経て、当時熱狂した青少年たちは成長しているということです。もちろん世の中も変わりました。
子供の頃は気にならなかったこと、あるいは当時はあまり知られておらず問題視されなかったことも、40年経てば扱いが変わります。

みなさん、それぞれに仕事に就かれて、その分野のベテランになられているでしょう。ヤマトがきっかけで軍オタになった人もいるでしょう。宇宙や宇宙旅行に憧れて科学者や技術者になった人もいるでしょう。ビジネスや観光で世界を巡ったりしてるでしょう。
そんな現代の私たちから見れば、訓練生だった古代がちょっと艦長に気に入られたくらいで艦長代理に任命されるなんて異常な出世ですし、地球全体の危機なのに日本人しか出てこないのは、外国人と会うのが珍しかった当時の時代性を引きずっているように感じられます。「放射能汚染のためにあと一年で滅亡する」なんて、何を云ってるのかわけが判りませんね(「放射能汚染」という設定の背景には、土壌汚染や大気汚染等の公害が問題になっていた当時の状況や冷戦下での核兵器の恐怖があるのでしょうが、実のところ放射性物質は時間と共に崩壊してどんどんなくなりますから、一年経てば今より安全になっていそうなものです)。

旧作のリバイバル上映ならいざ知らず、新作なのにそういうおかしいところ、時代遅れなところが残っていると、ノイズになって作品を楽しむのを邪魔してしまいます。2199の出渕総監督は、旧作の良かったところはキチッと残しながら、そういう「いくらなんでも今見たらそれはないだろう」というところを丁寧に取り除き、あるいは手直ししてくれました。古代よりキャリアが長く階級も上の真田さんが副長となり、ヤマト発進に際しては日本以外の国々の状況が描写され、放射能汚染という設定はなくなりました。

2202は、旧作に忠実であろうとするあまり、おかしいところ、時代遅れなところを残したままになっています。それも古臭いと感じさせてしまう原因でしょうね。
懐かしさとして昇華できれば良いのかもしれませんが。

No title

いつも映画のブログを楽しく拝読させていただいております。懐の事情でいつもDVD観賞後に記事を読むので旬が失われ過ぎて書き残す事は出来ないのですが、今回は扇情的な記事ネタなのでついつい誘われてしまいました。

彼の方の発言は、金銭的数値は貨幣経済上の物ですからそりゃ普遍的ですが極端な例ですと金払って文句を言ってやろうとか内容を確認するために金ぐらいは払うよという方々のも、好きで鑑賞する方の金銭と同一になってしまうという事を看過しているかのようで改めて彼の方に失望してしまいます。

彼の方の作品、(アニメですが)ガンダムUCの最終場面は大変なトラウマになっています。いい歳こいた大人が時間を掛けて「あれだけ話題なんだから鑑賞作品としてこの先大ブレイクがあるに違いない」と鑑賞中疑念が増す中耐えて見続けた結果迎えたものは、自分の選択眼の無さを過去の人生の失敗までも呼び戻し落ち込むものでした。ガンダム好きだったからこそこまで傷が深くなったと言えますが、自分の全鑑賞歴の中でワースト1の事件です(作品の評価とは違いますが)。

2199の評価はナドレックさんの今までの記事を見て大変興味が湧いて再挑戦したいところですが、旧作見てから見るべきなのか悩んでしまいます。ヤマトに限らずあの時代のアニメはいつかもう一度見たい欲求もずっとくすぶっていますし。
そこへ2202の存在が耳に入るようになり旧作に置ける松本零士氏の関わり具合の変遷から2202は大丈夫なのかという不安はナドレックさん方が書き記していただいたお陰で概略はつかめました。また時間を掛けて最後の最後でトラウマにトラウマを重ねるなんて事態は避けられそうです。

なんか残念ですね。2199はアニメ史において略史レベルなら取るに足りない事でしょうが編者となれば誰もが一筆加えたい衝動に駆られるような稀有な作品と思います。それが2202では凡庸な作品として埋没していくのが透けるように見えるのは、当時旧作を熱中してしていたお兄さん方の心中を察すると本当に痛まれます(当時私は幼稚園生から小学校低学年でアホでしたので何でも楽しかった)。
皆様の心が私と違い、どんな物にも負けない強い物である事を心から祈ります。
この場に似つかわしくない場を乱すような内容かもしれませんがもしそうであればお目こぼしいただければ幸いです。

Re: No title

TGさん、コメントありがとうございます。
扇情的な記事のつもりはなかったのですが……(^^;

2202を見ると、作り手がいかにしてヒットさせようかと考えていることはよく判ります。
商業的な成功は大切なことですから、誰もがそれを心掛けるわけですが、具体的な方法論の違いが作品のカラーを分けることになりますね。

2199には往年の名作SF・名作映画の香りが漂っていましたが、2202は近年のヒット作、たとえば海猿シリーズの脚本家・福田靖氏あたりのやり方に学ぼうとしているように思えます。
ただ、福田靖氏の脚本とその映像化作品にはいくつかの大事な要素があって、それらすべての組み合わせの結果として辛うじてヒットに繋がるという微妙なバランスの上に成り立っているのですが、2202ではそれらの要素のいくつかが欠落しており、それを別のもので補完することで独自性を出そうとしているように感じられます。
しかし、微妙なバランスはその組み合わせだから成立するのであって、別のもので置き換えられるかというと、それはなかなか難しいのではないか。
……なんてことが気になっています。

それでも、かつてのアニメブーム、ヤマトブームの洗礼を受けた身としては、見ないわけにはいきません。
岡田斗司夫氏曰く「ヤマトは税金だよ。見たいじゃなくて、見なくちゃいけないから見るんだ。」
https://twitter.com/ToshioOkada/status/6598364370

納税の義務は果たさなければならないと思うわけです。


ガンダムUCはいつか見ようと全話録画してあったのですが、そうですか、トラウマになってしまわれましたか。見るのがちょっと怖くなってきました……。

No title

ナドレックさん、こんにちは。
以前2199でコメントを投稿させて頂いたはーしゅです。

やはり同じ思いですかと・・・・。
第1部第2部と強引な設定あれどそれでもまだ期待を持って劇場に足を運びましたが、第3部を観た後での第4部への気持ちはまさしく「義務」という気分です。

私は2199で浮遊大陸の回を観たときの楽しさから2199は成功すると期待しました。
またヤマトの新クルー達も敵ガミラスも魅力あり癖ありでキャラも立っていました。
魅力的だったクルーの一部は大人の事情か排除され、10話になっても魅力的な敵キャラは存在しない。
あろうことか、白色彗星帝国の設定があんなものになり、期待した斎藤はうるさいだけで、古代のキャラだけが目立つ作品になってしまっています。
戦闘は戦艦の数だけが誇張され、危機は超展開で切り抜ける。
バラン星の時も超展開だったのですが、なぜあの時は楽しく、今回はチープに思えるのか。

2199は子供や友人に勧めたい作品でしたが、2202はそんな作品ではないようです。
この気持ちを第4部が晴らしてくれることも期待しつつ1月を待ちます。

2202について

ナドレックさん こんにちは
私はヤマト世代です。 旧作は小学生、さらば宇宙戦艦ヤマト上映時は中学生で 当時あった早朝ロードショーに観に行きました。私にとってさらばは確かにインパクトのある作品でした。
 しかしその後の作品、特に劇場作品は今一つなものが多く、特に復活編についてはこれだけ世の中にいろいろなアニメ作品が作られるようになった現代で、いまだにこんな物語をつくるとは とがっがりしたものです。 2199の存在を知った時もまたあの残念感を味わう事になるのかと思いました。(観なきゃいいんですがそこはやはりヤマトファンの義務ですから)
 でも2199には残念感を味わうどころかどっぷり浸かりました。 BDを何度も見ているので妻にはあきれられています。
ですから続編の2202がさらばやヤマト2をどう再構築してくれるのかすごく楽しみにしていました。 ですが1章・2章と観ていくうちにどうも違和感を感じるようになり、この3章で違和感がMAXになりました。
 ナドレックさんが以前に2199を熱く語っておられたので、2202についてどういう感想をお持ちなのか気になりこの記事を読ませていただきました。 
新しい制作陣の方向性を知り成る程と納得しました。 
 これは私の感想ですがさらばのシーンの再現と2199からの設定変更、伏線へのこだわりでかえって物語が破綻しかかっているように思えます。 一機動艦隊の戦力が大型戦艦だけで250万隻!それではガトランティス全体でいったいどれほどの戦力になるのか。地球どころかガミラスでさえ簡単に征服できるでしょう。 おまけにガトランティスがマクロスのゼントラーディーの様な戦闘人種であると・・・・ そのほかにも昔のようなそれはないだろうということのオンパレードで初めてBDを購入するか迷っています。 次章ではデスラー総統が登場するようですが今までを見る限りどこまで期待できるか。 
希望として是非いままでのもやもやを払拭するもであってほしいと思います。
乱文乱筆で失礼いたしました。

Re: No title

はーしゅさん、こんにちは。
2202はお子さんに勧めにくいというお気持ち、よく判ります。子供が見るときは、大人がガイダンスしてあげたほうがいいかもしれませんね。

2199の浮遊大陸の回は最高でした。ロケットアンカーを打ち込んでの船体制御や、ガミラス艦船とのスピーディな戦いは手に汗握りました。
バラン星の戦いも抜群の面白さでした。あれは、ヤマトやガミラスの描写の積み重ねがあって、さらに偵察のエピソードを入れることでバラン星の状況を観客に理解させた上での急展開だから、驚きつつも納得感があったのだと思います。また、対シュルツ戦や対ドメル戦を経ることで、観客の頭の中にガミラスの艦隊規模とヤマトの戦力についてのイメージができていたからこそ、一万隻を超える艦船という物量に驚愕できたのでしょう。

2202の第三章は、危機に陥るのも超展開、危機を乗り越えるのも超展開で、そのたびに真田さんが早口で何か説明しているのですが、私には何を云っているのかよく判りませんでした。

物量については、羽原信義監督が第二章上映直前の段階でこうおっしゃっていました。
---
やっぱり物量を見せてあげるのがいいのかなと考えました。「2199」の時は、わりと艦隊の並び方とかきちんとやっていて、今回どうしようかなと思ったんですけど、そこはなるべくケレン味と迫力が出るようにしました。
---
http://gigazine.net/news/20170621-yamato2202-nobuyoshi-habara-interview/

その結果が、250万隻の大戦艦や、ヤマト一隻を沈めるためにわらわら出てくる惑星間弾道弾なのでしょう。ですが、天下の惑星間弾道弾も、こうまで多いと雑魚メカと変わらないような気がします……。


キャラについては、意図的に整理したのだろうと思います。
2199には、旧作にいなかった新キャラクターが多数登場しました。これは地球の命運を握る一大事業をほんの一握りの熱血人間で成し得たかのような旧作を反省し、各部署に相応のキャラクターを配置して群像劇にするためでしょう。特に、一人で何役もこなしていたスーパーウーマン森雪の役割を分割し、普通の人間の集まりにしていました。
これに対して、2202では新見薫、原田(加藤)真琴、星名透ら2199のオリジナルキャラクターを地球圏に置き去りにし、残った2199オリジナルキャラクターにもほとんどセリフを与えないことで、群像劇を廃しています。『さらば―』と『ヤマト2』をリメイクする上で、2199オリジナルのキャラクターたちは扱いづらい存在だったのでしょう(わずかに山本玲には出番がありますが、本来彼女は火星人として地球人とは違う発想をすることが期待されたキャラのはずなのに、2202では加藤三郎の補助的存在に留まっています)。こうすることで、古代進と森雪の物語として焦点を絞り直したのですね。脚本の岡秀樹氏は、「古代進をあらためて主人公に戻す」という云い方をしています。
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1507785245

はーしゅさんが「10話になっても魅力的な敵キャラは存在しない」とお嘆きなのは判ります。
2199ではヴァルケ・シュルツとザルツの兵たちが第三章までを盛り上げてくれました。旧作のシュルツは単に初期の敵としてヤマトにやられるだけのキャラでしたが、2199では二等ガミラス人という設定が追加されたこともあって、観客はシュルツたちに感情移入し、娘ヒルデをも愛おしく感じるようになりました。
けれど、残念ながら2202では今後も魅力的な敵キャラが登場することはなさそうです。
2202のシリーズ構成を担当する福井晴敏氏は、『さらば―』をリメイクするに当たって次のように述べています。
---
福井:『さらば』はいろいろとセンセーショナルな作品じゃないですか。戦中を知る当時の大人世代の人たちから「特攻賛美じゃないか」という批判も受けていましたし。
(略)
あの時代にそう受け取って眉をひそめる人がいたのもわかります。しかし改めて今観ると、あれって国家のためにやってることではないなと思えたんです。結果としてヤマトによって地球は救われたわけですが、あれは「地球を救うため」というより、古代進という人間が、自分を納得させるためにやってることなんだなと。
(略)
順を追って話しますと、前作の『宇宙戦艦ヤマト』はガミラスと地球という星間、ありていにいうと国家間の戦争を描いていました。しかし『さらば』の敵勢力である帝政ガトランティスは国家としての描写がほとんどなく、半ば形而上的な存在として描かれているんです。だからあれは若者が希望とか理想とかを抱いて生きて行く時に「いや、現実はこうだ」って突きつけられる現実のメタファーなんですよ。それでその人間性を削ってくる動かし難い現実に対して「いや、俺は人間としてありたい」と抗ってみせたのが『さらば』の本当の構造なんじゃないかと。
(略)
息苦しい時代に人間がどうやって納得して生きていくことができるか、自分の生をどうしたらまっとうすることができるのか。古代はそのことに対して自分の命を使っているんです。だから彼が命をかけてでも守りたかったものは、国ではないし、森雪との生活ですらない。だって森雪はあの時点でもう死んじゃってるわけですからね。彼が守ろうとしたものって何だろうって考えると、すごいフワッとした言葉になっちゃうんですけども「ヒューマニズム」そのものだなと。
(略)
ヒューマニズムの極地として、大きな意味での人間を人間たらしめている愛。それこそがこの作品の中核となっているものだと掴んだ感触はありました。
(略)
そして古代が感じていた息苦しさはこの今の時代にも通じます。むしろ生きていく上での息苦しさが増していく時代、「現実ってこうだろ」と人間性を押し潰すようなものの比率が大きくなっていく今のような時代でこそ、この作品に込められたテーマがより切実に響くのではないかと思いました。
---
http://hobby.dengeki.com/reviews/327462/

このような認識から福井晴敏氏の構想はスタートしているわけです。
2202の敵は、希望とか理想とかを砕いて、人間性を削ってくる現実のメタファー。対する古代は、ヒューマニズムを守って戦う。
となると、ガトランティス側にヒューマニズムが描かれることはないのでしょう。
「動かし難い現実」のように見えても、本当はそこにいるのも人間のはずです。「動かし難い現実」とは、無理解な教師や、強圧的な上司や、近視眼的な政治家かもしれません。しかし、彼らとて一皮剥けば、子煩悩な親だったり、孤独で臆病な人間だったり、仲間想いの情熱家だったりするわけです。だからこそ2199では、敵側にもヒューマニズム――娘を愛するシュルツ大佐や、シュルツに希望を託して身代わりになるヤレトラー少佐や、軍人としての理想を貫こうとするドメル司令のようなキャラ――が描かれました。
しかし、2202のガトランティスが形而上的な現実のメタファーと位置づけられるなら、こうした魅力的な敵キャラの出る幕はありません。

福井晴敏氏が述べていることを、一足早く作品で表現したのが映画監督の山崎貴氏です。
山崎監督は『SPACE BATTLESHIP ヤマト』で、『宇宙戦艦ヤマト』の実写映画化の振りをして実は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』をモチーフにしました。それは、「必ず、生きて還る」と云っていた主人公が、大切なものを守るために特攻を決意する物語でした。この映画の敵は、人間とは異質な鉱物生命体の集合体で、個人としての敵キャラは登場しません。
これをさらに推し進めたのが同監督の『永遠の0』です。舞台を太平洋戦争に置き換えた他はほぼ同じに、「必ず、生きて還る」と云っていた主人公が大切なものを守るために特攻を決意する物語でした。この映画では敵がまったく姿をみせず(特攻の瞬間に、チラッと米兵の後ろ姿が映るくらい)、そこに人間がいることは考えないようになっています。
人間性を押し潰すようなものと、それに抗う主人公を描こうとするときに、「人間性を押し潰すようなもの」に人間性があったら、物語の根本が成り立ちません。ヒューマニズムを描きたいがために、相手側のヒューマニズムを描かない。この自縄自縛ともいえる矛盾に、2202も囚われているのではないでしょうか。


ヒューマニズムを封じても、魅力的な敵キャラを描く方法がないわけではありません。バットマンの宿敵ジョーカーや『無敵超人ザンボット3』のキラー・ザ・ブッチャーのように、常軌を逸してブッ飛んでる悪役には相応の魅力があります。
しかし、こういうキャラクターに軍隊を編成したり、大帝国を治めたりはできないので、ヤマトシリーズの敵にはなり得ません。

ガトランティスで魅力的なキャラが描けないなら、ガトランティス以外の敵キャラを出すという手もありますが、その場合はあくまでガトランティスの影が薄くならない程度の敵に留めなければならないでしょう。
結局、どうやっても魅力的な敵キャラは出せないのです。


実際、第三章に登場したガミラスの反乱軍の司令官は、ビックリするほど魅力がありませんでした。旧作を含めた全シリーズにおいて、彼はもっともしょぼいキャラクターではないでしょうか。

これまでのヤマトシリーズのキャラクターは、たとえ敵であっても、出番が少なくても、それなりに魅力がありました。その人なりの立場や背景があるのだということ、個性を感じさせてくれました。「総統も相当冗談がお好きで」と口にしたために殺された下品なガミラス将校ですら、憎めない人物だったと思います。

ところが、このたびの反乱軍の司令官は、言動もしょぼければキャラデザインもしょぼく、作り手の愛情がまったく感じられません。政府のやることなら何でもかんでも文句を付けずにいられない左翼崩れの老人が、たまたま大量の爆弾を手にしてしまったような描かれ方で、まったくどうでもいい人物になっていました。自作のキャラクターをこんなにも冷淡に扱えるものかと驚くほどで、そこには、どんな人間でも世界を構成する一員なのだという感覚が欠如しているように思いました。

これでヒューマニズムを描けるのだろうか。
また一つ、疑問が増えてしまいました。

Re: 2202について

マグノリアさん、コメントありがとうございます。

250万隻の大戦艦には参りましたね。
数多くの戦艦を揃えるためには莫大な生産力が要りますし、運用する人材も要りますし、維持するための兵站も必要です。カラクルム級戦闘艦一隻の乗員がヤマトの半分程度の450名だとしても、第十一番惑星上空には11億2千5百万人ものガトランティス兵がいたことになります(第2話で、撃沈された戦艦の生き残りが捕虜になっていますから、全自動の無人艦ではないはずです)。たかだか地球方面の尖兵にこれほどの人員を割けるとは、いったいガトランティスの人口はどれほどで、どのような構成になっているのでしょうか。彼らが帰還したら、どこにどうやって収容するのか(現在の中華人民共和国の全人口が到着するようなものですからね)。250万隻を何人がかりでどのようにメンテナンスするのか……。

しかも、こんなにも大掛かりな動員をしながら、やっていることは『機動戦士ガンダム』のソーラ・システムのようなもの。それを構成するパーツが大戦艦である必要性が判りません。
人間、歳を取るといろんなことが気になってくるものです。


『超時空要塞マクロス』を例に出されたのはさすがですね。
たしかに、戦闘用に生み出された感情のないガトランティス人という設定は、知能を抑えられた戦闘用生物のゼントラーディ人を彷彿とさせます。2199が到達した宇宙播種説的な世界観(世界は一つ、異星人もみな兄弟という理想世界)を揺るがす設定です。

一艦隊だけで250万隻という数字も、ゼントラーディ軍を思わせます。ゼントラーディ軍の規模は、互角の勢力である監察軍との50万年にわたる戦争によりエスカレートした結果なのですが。

加えて第9話「ズォーダー、悪魔の選択」での、上空から落下する雪を、古代が飛行中の戦闘機のキャノピーを開いてキャッチする場面。背景が異空間のような不思議な世界になってしまったのは、古代も雪も空中に浮かんでいるようなあまりにも非現実的な展開に、ああいう魔空空間のようなものにしなければ描きようがなかったのかもしれません。
しかし、もともと作り手の念頭にあったのは、『超時空要塞マクロス』第2話の一条輝がリン・ミンメイを空中でキャッチする場面じゃないかと思うのです。戦闘機で女性をキャッチする場面を描くのに、『超時空要塞マクロス』が念頭にないはずはないですよね。落下して、強風に髪が乱れるミンメイ。キャノピーを開いて、必死に手を伸ばす輝。ミンメイを収容するとキャノピーに飛びついて閉めるまでの一連の動きは、短いながら見応えたっぷりでした。
あのスリルとスピード感を2202で再現しなかった(できなかった?)のはどうしたことかと、首を捻ってしまいます(『マクロス』を意識せずにたまたま同じことをやって、35年前の作品に及ばなかったのならそれこそどうかしてますが)。


>さらばのシーンの再現と2199からの設定変更、伏線へのこだわりでかえって物語が破綻しかかっているように思えます。

第三章を見た後に、違和感を覚えたところや疑問点を書き出したら、長大なリストになってしまいました。
いずれ回収する伏線として敢えてぼかした描写にしているのか、物語が破綻して説明できなくなっているのか、今は見当がつきません。セリフを一つ聞くと疑問が一つ湧き出し、違和感が増していく状態です……。

No title

はーしゅです。

ナドレックさん、こんにちは。
お時間をかけて一つ一つ丁寧に回答され恐縮しております。
ありがとうございます。

>こうまで多いと雑魚メカと変わらないような気がします……。

2202に少し期待したのは第1話の大戦艦の扱いです。
古代の船だがけが活躍するシーンにがっかりしていましたが、
旧作では本当の雑魚扱いだった大戦艦が質量という重さ演出で扱われ、これは案外面白くなるのかもと・・・。
それが250万隻であっという間に軽くなってしまいました。
戦術を演出出来ないから数や超兵器でごまかしていると誤解されることになっても仕方ありません。

>2199ではヴァルケ・シュルツとザルツの兵たちが第三章までを盛り上げてくれました。

2199の成功の一つは仰る通りザルツ人の設定ですよね。
初代ヤマトですらシュルツと副官たちには思い入れがありました。
2199はザルツ人の設定で死ぬことが分かっていても彼らの最期は敬礼したいくらいの出来に仕上がっていました。
ドメル出陣前のザルツ人の設定も素晴らしく、特に彼ら自身がそれぞれどんな想いで歌ったかの国家斉唱は鳥肌ものでした。
物語の厚みは入念な設定からの色んな人と人のつながりこそだと思います。

>となると、ガトランティス側にヒューマニズムが描かれることはないのでしょう。

ナドレックさんのご説明でよくわかった敵側のヒューマニズムの欠落により魅力的な敵も期待できないとなれば、
この先の展開はヤマト2以上につまらないかもしれませんね。
個人的に駄作なヤマト2でも好きなシーンがあります。タランのデスラー救出シーンです。
タランの忠誠心も好きな理由ですが大帝がサーベラの嘘を見抜いたセリフが良いのです。
うる覚えですが、本物の男で無ければ部下が決死の覚悟で救いに来るはずがない、とかだったと思います。
脚本の岡さんの文面にも「彼の人気の半分ぐらいは「武人に対する情を知る男」というニュアンスがあってこそ」とあります。
こんな発言が折角あるのにあの設定では武人に対する情を知る男のエピソードは2202には存在しないかもしれません。
いえ、敵側どころかヤマト側をみても個性あふれる新見さんや保安部の伊東のようなありがちな人物すらいない今のヤマトで
もう人のドラマは期待できないのかもしれませんが。
もし期待出来るとすれば部下(子供?)を教育するシーンですね。なんとか活かして欲しいものです。
マグノリアさんやナドレックさんが言われるようにゼントラーディぽいので目覚めのような展開ぽいでしょうけど。

ナドレックさんの文と紹介された現スタッフの話を読んで見えるのはさらばとヤマト2の再現であり、
それは2199からの切り離しであり否定なのでしょう。
他にも2199はヒットしたがガンダムを考えるともっと売れていいはずだ、というスタンスということらしいので
2199と同じ事をやっていてもファンは増えないと思ったのかもしれませんし、スタッフは2199で取れなかった層が
2202からみても大丈夫なように2199キャラを切り離したのかもしれません。
ですが、数や超兵器による敵戦力の描き方や旧キャラ達と平坦な敵キャラのみからの何か場違いな重くて厚みがない
ドラマ展開を見せられるとスタッフの準備不足、力量不足を感じざるを得ません。
感動とかいうものを単純に仲間や自身の死によってしか狙えない作品にならない事を祈るばかりです。

次章はなんとかして...

ナドレックさん、こんにちは

みなさんのコメントを見てもそうなのですが、第3章は見ていてしんどいというのが一番の感想でした。

>新作なのにそういうおかしいところ、時代遅れなところが残っていると、ノイズになって作品を楽しむのを邪魔してしまいます。
まさに、第3章はこのノイズが極端に大きかったと思います。ノイズを極端に感じる作品としては他にスターウォーズ・フォースの覚醒を思い出しました。あれも旧作に対する思い入れが強く、おかしな描写をおかしなまま再現するという点では2202に似ている気がします(びっくりするほど魅力のない敵という面でも似ているかもしれませんが)。
「さらば」や2に特に思い入れがない身としては、別にツッコミをいれるネタを提供してもらいたいわけではなく、作品の完成度を上げる納得できる素晴らしい描写をしてほしいところです。

他に2202で非常にまずいと感じる部分は、古代を主人公にするために他を下げる描写を行っていることです。古代を無理やり主人公にするために、土方、徳川さん、真田さん、佐渡先生といった本来であれば古代に代わって決断する、もしくは相談役となるべき人物がその役割を放棄してしまっていることで、2199で感じられていた大人のカッコよさや魅力が完全になくなってしまっています。2199で魅力的だった部分は、こうしたカッコいい中年以上の世代が敵味方合わせて数多く出てくることでした。本来有能であるべきキャラを無能であるように描くことは、ファンを失望させる結果につながりよろしくないと思います。

そして、2202の制作陣がとらえるヤマト観で気になった部分を表していたのが、斉藤と土方かなと思いました。斉藤はヤマトを戦うための艦であると定義し、それをしないヤマトは臆病であると批判し土方もそれに同意しているふうな描写でした。ヤマト建造の経緯からすれば、ヤマトは戦うためではなく自衛手段を持った星間航行船と捉えるべきであるし、実際2199ではあくまで身を守るため兵器を慎重に使い、時には戦わない覚悟が必要である、というスタンスを崩していなかったように思います。2202スタッフはヤマトをどうとらえているのでしょうか?(古代が波動砲について思い悩んでいたり、斉藤につっかかっていくところを見ると戦うための艦ではないと思っていなくもないのでしょうか?)
「さらば」が戦うことを迫る物語であり、それに準拠しているとすればそれまでかもしれませんが、2199でわかり合うことの大切さを説いてきたのだから、それをもとにした2202はそれをあっさり捨てるものではあってほしくなかったという思いです(せっかく「さらば」でも2でもないという意味をこめて∅の文字を使っているのですから)。
少なくとも土方は、沖田の親友でありヤマトの理解者とするなら安易に波動砲を撃ってしまう人物として描くべきではなかったと思います。あとは斉藤が敵討ちを優先するような人物なら、ヤマトに乗ったわけでもないのに、ガミラスをあっさり許しているというのも矛盾する部分だなあと感じます。

見ていて感じることは、こうも違和感や矛盾が大量にでてくるということは、キャラクターや世界観といったものを魅力的しようという意識はなく、ただ思いついたシナリオやネタ、感覚的な感情を動かすためのただの舞台装置としてか見ていないのではないか、という疑問です。
大量の大戦艦は波動砲を撃たざるをえない状況を作り出すためだけだし、2199の新キャラクターは旧作を再現するには邪魔なのでしょう。キャラクターの印象が薄くなってしまうのもそうです。
自分としては、波動砲を使わない決断をしてピンチを乗り越えるヤマトが見たかった(現に星巡る箱舟ではできていた)し、桐生が乗っていたとしたら斉藤とどんな話をしただろうかと思いますし(もしかしたら斉藤につっかかっていく役は彼女だったかも)、キーマンや透子を怪しんで探りを入れる新見さんとか、百合亜がテレサにまた憑依されてしまって星名がヤキモキするなんて展開もあったかも、とか妄想してしまいます。2202にはワクワクや魅力、ロマンが足りないのではないかと思うのです。

どうせ納税するなら2199みたいに喜んで納税したいものです...
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