『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』の後はどうなる?
(前々回、前回から読む)
【ネタバレ注意】
平成ガメラ三部作のスタッフの方々が、「ゴジラにフラストレーションが溜まっていた」とおっしゃるのが印象的だった。2016年7月、「平成ガメラ4Kデジタル復元版Blu-ray BOX」の発売を記念して三回にわたり開催されたトークショー[*1]での発言だ。
三回とも面白い話が満載で楽しませてもらったが、特に印象に残ったのは、スタッフが平成ゴジラシリーズ(vsシリーズ)に関わる中で溜めた不満を平成ガメラへの情熱に転化させていたことだ。
観客とて同じだろう。多くの観客が平成ガメラ三部作に快哉を叫んだのは、当時のゴジラ映画に多かれ少なかれ不満があったからに違いない。
平成ゴジラシリーズにも面白いところはあるのだが、私が嫌だったのはゴジラが名所巡りをすることだった。『男はつらいよ』シリーズの寅さんが全国を旅して回り、新作のロケ地がどこになるかで話題作りをしたように、ゴジラも新作のたびに旬の観光スポットに現れた。長寿シリーズの宿命とはいえ、『ゴジラ』第一作ではゴジラがB-29の空襲経路をなぞって歩き、街を炎上させるという意味深い演出がなされていたことを思うと残念だ。
それはともかく、作る側の人たちもゴジラ映画にフラストレーションを溜めていたとは興味深く、平成ガメラがこれほどのパワーを持ちえた理由の一端が窺えた。
まず広大なセットを作り上げ、そこで怪獣が戦ったり爆発したりするゴジラ映画に対して、平成ガメラでは絵コンテに基づいてカメラアングルを決め、そのカメラから見て最高の絵になるようにミニチュアを配置して飾り込みをしていく。ゴジラ映画とはまったく違う方法論が先の記事に書いたような驚くべき映像を生み出し、平成ガメラを成功に導いたのだ。[*2]
予算面ではゴジラ映画よりはるかに厳しい状況だったに違いないが、平成ガメラのスタッフは「大映を騙しながら」(神谷誠特撮助監督(当時))それまでにない映画を作っていった。
「三部作」という云い方も、ガメラ映画を作るための方便だったのだろう。単に「続編を作りましょう」では三作目をつくれるかどうか未知数だが、「これは三部作なんです」という風に持ち掛ければ三作目をつくれる確度は上がるかもしれない。ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』(1977年)のヒット後に「実は三部作の一作目なのだ」(しかも「三つの三部作からなる全九部作なのだ」)と云いはじめ、実際に二作目、三作目を作って大ヒットさせてからというもの、単なる続編ではなく三部作構想をぶち上げるのが映画業界の一つの定番になったように思う。
インディ・ジョーンズシリーズ(1981年~1989年)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(1985年~1990年)の成功に続けとばかり、三部作にした平成ガメラシリーズだが、では三作目をつくり終えたらどうするか。
もちろん、四作目をつくるのだ。
なにしろ『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』が公開された1999年の時点でゴジラシリーズは22作に及んでおり、同年12月には第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』の公開が控えていた。それに比べてガメラシリーズは昭和時代の作品を合わせても『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』でやっと11作。過去作品の映像を再編集した『宇宙怪獣ガメラ』を除けば、わずか10作にしかならない。作り手たちは、高い評価を得ている平成ガメラシリーズをたった三作で終わらせるつもりは毛頭なかったはずだ。
それゆえ、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』は三部作の完結編としてシリーズの総仕上げをする一方で、四作目に向けた仕掛けを組み込んだ壮大な作品になっている。
■『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』の大博打
この仕掛けが面白い。「大映を騙しながら」とは云い得て妙で、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』には罠が仕掛けられている。それは先例にならったものだ。
『シン・ゴジラ』を作った庵野総監督と樋口監督が、何をお手本にしたか映画の中でちゃんと明かしているように、平成ガメラシリーズの金子修介監督と脚本家・伊藤和典氏も映画の冒頭でこれから何をするつもりか宣言している。
本作はこんなはじまりだ。
赤道附近の小さな村。調査に来た鳥類学者・長峰真弓の目の前で、鍬を手にした老婆が駆けだしてくる。痩せこけてよぼよぼの老婆のどこにそんな力があるのか、大声で叫びながら鍬を勢いよく振り下ろす。老婆が打ち据えたのは、村の真ん中に横たわるギャオスの死骸だった。彼女は孫と息子をギャオスに食い殺されたのだ。憎しみに満ちてギャオスを打つ老婆を、茫然と眺めるしかない長峰。
この描写に既視感を覚えた人も多いだろう。これは黒澤明監督の『七人の侍』の有名な場面の再現だ。野武士軍団に息子を殺された婆様が、一人だけ捕らわれてがんじがらめに縛り上げられ村の真ん中に転がされた野武士を殺そうと、鍬を持って出てくる場面である。
この婆様を演じた老婆は本職の俳優ではなく、B-29の空襲で家族を亡くした素人だという。そういう人を連れてきて、恨みに凝り固まった婆様を演じさせたのだから、凄まじい迫力を発するのもうなずける。
この強烈な場面をいきなり再現することで、本作の作り手は二つのことを宣言している。
一つは、復讐のためなら手出ししてこない相手を傷つけてもいいのかというテーマ。
そしてもう一つは、黒澤明がやったのと同じ仕掛けに取り組むということだ。黒澤明が『七人の侍』で仕掛けた罠と同じことをするつもりだと。
1954年公開の『七人の侍』は、題名のとおり七人の侍たちが農村を守って野武士軍団と戦う物語だ。
脚本の執筆がはじまったのは1952年、翌1953年に撮影が開始されたが、完璧を目指す黒澤明の映画作りは予算とスケジュールの大幅な超過を招いてしまった。いつまで経っても終わらない撮影に業を煮やした映画会社は、遂に撮影中止を宣告するに至ったという。
ともあれ、すでに膨大な予算を注ぎ込んでいたから、できてるところだけでも公開したい。撮影が済んだフィルムを繋いで、東宝の重役らを集めた試写が行われた。
『七人の侍』は野武士たちが馬を駆る光景からはじまる。農村を見下ろし、襲撃を企てる野武士たち。
野武士の集団に襲われることを知った村人たちは、侍を雇って野武士に対抗しようとする。どうにか腕の立つ侍を見つけて村に連れてくるが、村人たちと侍たちはうまくいかない。侍たちは村を守るために来たというのに、村人たちは警戒して、出迎えにも出てこない。村人にとっては雇った侍も野武士たちも変わりないのだ。いずれもいつなんどき乱暴狼藉を働くか判らない、恐ろしい存在に見える。
現実には、戦国の頃の百姓は積極的に武器をとり、土地や用水をめぐって近隣の村と殺し合いをしていたそうだから、たった七人の侍を恐れて身を隠すような意気地なしではなかったかもしれないが、ともあれ映画では侍たちを超人集団、農民たちを哀れな大衆に描き分けている。
『七人の侍』が延々と描写するのは、侍たちと村人の不信と対立だ。村人は隠しごとをしたり、和を乱したり、憎しみを侍に向けたりする。侍と村人が争っている場合ではないというのに。
悲しい犠牲を出しながら、村人と侍たちがようやく結束できたと思ったそのとき、遂に野武士軍団が姿を現す。地を埋めるほどの軍勢が村に押し寄せてくる。
『七人の侍』を振り返ると、驚くほど『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』と似ていることに気づく。
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では、序盤で早くもガメラとギャオスたちの戦いが描かれる。ギャオスはシリーズ第一作『ガメラ 大怪獣空中決戦』以来の仇敵だ。それが大量発生しているのだから、本作の敵がギャオスたちであることが判る。
ところが舞台は山間の村に移ってしまい、ガメラを憎む少女の話が延々と続く。ガメラは、人間を含む地球生物みんなの守護者だというのに。少女だけではない。人間たちは乱暴すぎるガメラを恐れ、自衛隊機でガメラ攻撃に打って出る。守ろうとしている人間に恐れられ、憎まれるガメラ。
さらに少女の憎しみは怪獣イリスに宿り、ガメラと「少女+イリス」の争いにまで発展する。本作ではガメラを恐ろしい存在に見せるため、ガメラ役のスーツアクターを第一作の真鍋尚晃氏や第二作の大橋明氏のような小柄な人ではなく、巨漢の福沢博文氏に交代させている。トークショーで勢ぞろいした三人を見ると、福沢博文氏が群を抜いて大きいことがよく判る。第二作でガメラだった大橋明氏は本作ではイリスを演じ、イリスが華奢な体つきであることを強調している。
運命の巡りあわせか、少女綾奈、少女を守ろうとする少年龍成(たつなり)、長峰、浅黄、大迫元警部補、政府機関の朝倉、天才プログラマー倉田の七人が一堂に会し、犠牲を出しながらもようやく結束できたそのとき、遂にギャオスの群れが姿を現す。空を覆うほどの大群が日本に押し寄せてくる。
■終わらない未来を
試写を観た東宝の重役らは唖然としただろう。侍たちと村人が結束して、さあこれから合戦というところでフィルムは終わってしまうのだ。黒澤はこの後を撮っていなかったのだ。
ここまで盛り上げておきながら後が見られないなんてあんまりだ。東宝は撮影中止を撤回。黒澤の目論見どおり追加予算が認められ、『七人の侍』は大決戦のシークエンスを加えて無事完成する。
この先例を踏まえ、平成ガメラの作り手たちは大博打に出たに違いない。『七人の侍』の試写版のような構成にして、同じように大決戦の直前でぶった切る。唖然とした観客の耳に響くのは、主題歌の「もういちど出来るなら……終わらない未来を」という歌声だ。
このラストは圧巻だ。とても勝ち目のない敵の群れを前に、それでも戦いを挑むガメラと、観客動員数でも配給収入でも平成ゴジラの三分の一しかない中、それでもシリーズを続けようと戦いを挑む作り手たちがオーバーラップする。
残念ながら、平成ガメラはこの大博打に勝てなかった。『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』は大ヒットとはいかず、大映は続編の予算を認めなかった。
だが、本作が『七人の侍』の試写版を意識していたとすれば、この続きがどのような展開になったか察しがつくというものだ。
それは、これまでの登場人物が総結集しての大決戦だ。かつて対立していた者たちも、手を携えて共通の敵に立ち向かう。
ガメラは四神の一つ、北の守護神玄武に当たり、イリスは南の朱雀に当たることが示されていたから、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では言及のなかった残りの二神、青龍と白虎も戦線に加わるかもしれない(龍成とその妹・美雪が本作で出番が多いわりに活躍しないのは、彼らの見せ場が次回作に予定されていたからかもしれない)。東西南北を護る四神に加え、中央を護る大地の神・黄龍も出現するかもしれない。ガメラの巫女としての役目を終えた浅黄が、新たな役割を果たすかもしれない。
結束した仲間たちはギャオスの大群を前によく戦うが、やはり多勢に無勢、一人、二人と犠牲になっていく。一人の独断が仲間を危機に陥らせもする。そして
[*1] 「平成ガメラ4Kデジタル復元版Blu-ray BOX」の発売を記念して、週替わりで4K版三作の上映とトークショーが行われた。
登壇者は以下のとおり。文中のトークショーの内容は記憶を頼りに書いているので、思い違いがあったらご容赦願いたい。
2016年7月6日 主演女優&監督トークショー
金子修介監督、中山忍さん
2016年7月13日 スーツアクタートークショー
第一作ガメラの真鍋尚晃氏、第二作ガメラと第三作イリスの大橋明氏、第三作ガメラの福沢博文氏
特撮助監督でギニョリストも務めた神谷誠氏
2016年7月19日 「ガメラ時代と現在~特撮表現の移り変わり~」
撮影の村川聡氏、視覚効果の松本肇氏
平成ガメラ三部作公開時は中高生だったという田口清隆氏(『ラブ&ピース』特技監督、『劇場版 ウルトラマンX』監督)
[*2] vsシリーズの特技監督を務めた川北紘一氏は、平成ガメラと違ってゴジラ映画は視点(カメラアングル)の統一よりもドラマを優先させたと述べている。
「『ガメラ』は、あくまでもリアルに撮ろうとしていたんじゃないかな。リトルゴジラの可愛さを出すためには視点の統一を崩してもいいんだというのが東宝特撮で、ある意味でリアルな表現をするために視点を統一することはないと思っている。」
―― 冠木新市 企画・構成 (1998) 『ゴジラ・デイズ―ゴジラ映画クロニクル 1954~1998』 集英社文庫
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』 [か行]
監督/金子修介 脚本/伊藤和典、金子修介 特技監督/樋口真嗣
出演/中山忍 前田愛 藤谷文子 螢雪次朗 山咲千里 手塚とおる 小山優 安藤希 堀江慶 八嶋智人 渡辺裕之 上川隆也 石丸謙二郎 津川雅彦 清川虹子
日本公開/1999年3月6日
ジャンル/[SF] [特撮]
![ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 デジタル・リマスター版 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/91vem%2BT1n4L._SL160_.jpg)
平成ガメラ三部作のスタッフの方々が、「ゴジラにフラストレーションが溜まっていた」とおっしゃるのが印象的だった。2016年7月、「平成ガメラ4Kデジタル復元版Blu-ray BOX」の発売を記念して三回にわたり開催されたトークショー[*1]での発言だ。
三回とも面白い話が満載で楽しませてもらったが、特に印象に残ったのは、スタッフが平成ゴジラシリーズ(vsシリーズ)に関わる中で溜めた不満を平成ガメラへの情熱に転化させていたことだ。
観客とて同じだろう。多くの観客が平成ガメラ三部作に快哉を叫んだのは、当時のゴジラ映画に多かれ少なかれ不満があったからに違いない。
平成ゴジラシリーズにも面白いところはあるのだが、私が嫌だったのはゴジラが名所巡りをすることだった。『男はつらいよ』シリーズの寅さんが全国を旅して回り、新作のロケ地がどこになるかで話題作りをしたように、ゴジラも新作のたびに旬の観光スポットに現れた。長寿シリーズの宿命とはいえ、『ゴジラ』第一作ではゴジラがB-29の空襲経路をなぞって歩き、街を炎上させるという意味深い演出がなされていたことを思うと残念だ。
それはともかく、作る側の人たちもゴジラ映画にフラストレーションを溜めていたとは興味深く、平成ガメラがこれほどのパワーを持ちえた理由の一端が窺えた。
まず広大なセットを作り上げ、そこで怪獣が戦ったり爆発したりするゴジラ映画に対して、平成ガメラでは絵コンテに基づいてカメラアングルを決め、そのカメラから見て最高の絵になるようにミニチュアを配置して飾り込みをしていく。ゴジラ映画とはまったく違う方法論が先の記事に書いたような驚くべき映像を生み出し、平成ガメラを成功に導いたのだ。[*2]
予算面ではゴジラ映画よりはるかに厳しい状況だったに違いないが、平成ガメラのスタッフは「大映を騙しながら」(神谷誠特撮助監督(当時))それまでにない映画を作っていった。
「三部作」という云い方も、ガメラ映画を作るための方便だったのだろう。単に「続編を作りましょう」では三作目をつくれるかどうか未知数だが、「これは三部作なんです」という風に持ち掛ければ三作目をつくれる確度は上がるかもしれない。ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』(1977年)のヒット後に「実は三部作の一作目なのだ」(しかも「三つの三部作からなる全九部作なのだ」)と云いはじめ、実際に二作目、三作目を作って大ヒットさせてからというもの、単なる続編ではなく三部作構想をぶち上げるのが映画業界の一つの定番になったように思う。
インディ・ジョーンズシリーズ(1981年~1989年)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(1985年~1990年)の成功に続けとばかり、三部作にした平成ガメラシリーズだが、では三作目をつくり終えたらどうするか。
もちろん、四作目をつくるのだ。
なにしろ『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』が公開された1999年の時点でゴジラシリーズは22作に及んでおり、同年12月には第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』の公開が控えていた。それに比べてガメラシリーズは昭和時代の作品を合わせても『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』でやっと11作。過去作品の映像を再編集した『宇宙怪獣ガメラ』を除けば、わずか10作にしかならない。作り手たちは、高い評価を得ている平成ガメラシリーズをたった三作で終わらせるつもりは毛頭なかったはずだ。
それゆえ、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』は三部作の完結編としてシリーズの総仕上げをする一方で、四作目に向けた仕掛けを組み込んだ壮大な作品になっている。
![ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71Uwe7vtFBL._SL160_.jpg)
この仕掛けが面白い。「大映を騙しながら」とは云い得て妙で、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』には罠が仕掛けられている。それは先例にならったものだ。
『シン・ゴジラ』を作った庵野総監督と樋口監督が、何をお手本にしたか映画の中でちゃんと明かしているように、平成ガメラシリーズの金子修介監督と脚本家・伊藤和典氏も映画の冒頭でこれから何をするつもりか宣言している。
本作はこんなはじまりだ。
赤道附近の小さな村。調査に来た鳥類学者・長峰真弓の目の前で、鍬を手にした老婆が駆けだしてくる。痩せこけてよぼよぼの老婆のどこにそんな力があるのか、大声で叫びながら鍬を勢いよく振り下ろす。老婆が打ち据えたのは、村の真ん中に横たわるギャオスの死骸だった。彼女は孫と息子をギャオスに食い殺されたのだ。憎しみに満ちてギャオスを打つ老婆を、茫然と眺めるしかない長峰。
この描写に既視感を覚えた人も多いだろう。これは黒澤明監督の『七人の侍』の有名な場面の再現だ。野武士軍団に息子を殺された婆様が、一人だけ捕らわれてがんじがらめに縛り上げられ村の真ん中に転がされた野武士を殺そうと、鍬を持って出てくる場面である。
この婆様を演じた老婆は本職の俳優ではなく、B-29の空襲で家族を亡くした素人だという。そういう人を連れてきて、恨みに凝り固まった婆様を演じさせたのだから、凄まじい迫力を発するのもうなずける。
この強烈な場面をいきなり再現することで、本作の作り手は二つのことを宣言している。
一つは、復讐のためなら手出ししてこない相手を傷つけてもいいのかというテーマ。
そしてもう一つは、黒澤明がやったのと同じ仕掛けに取り組むということだ。黒澤明が『七人の侍』で仕掛けた罠と同じことをするつもりだと。
1954年公開の『七人の侍』は、題名のとおり七人の侍たちが農村を守って野武士軍団と戦う物語だ。
脚本の執筆がはじまったのは1952年、翌1953年に撮影が開始されたが、完璧を目指す黒澤明の映画作りは予算とスケジュールの大幅な超過を招いてしまった。いつまで経っても終わらない撮影に業を煮やした映画会社は、遂に撮影中止を宣告するに至ったという。
ともあれ、すでに膨大な予算を注ぎ込んでいたから、できてるところだけでも公開したい。撮影が済んだフィルムを繋いで、東宝の重役らを集めた試写が行われた。

野武士の集団に襲われることを知った村人たちは、侍を雇って野武士に対抗しようとする。どうにか腕の立つ侍を見つけて村に連れてくるが、村人たちと侍たちはうまくいかない。侍たちは村を守るために来たというのに、村人たちは警戒して、出迎えにも出てこない。村人にとっては雇った侍も野武士たちも変わりないのだ。いずれもいつなんどき乱暴狼藉を働くか判らない、恐ろしい存在に見える。
現実には、戦国の頃の百姓は積極的に武器をとり、土地や用水をめぐって近隣の村と殺し合いをしていたそうだから、たった七人の侍を恐れて身を隠すような意気地なしではなかったかもしれないが、ともあれ映画では侍たちを超人集団、農民たちを哀れな大衆に描き分けている。
『七人の侍』が延々と描写するのは、侍たちと村人の不信と対立だ。村人は隠しごとをしたり、和を乱したり、憎しみを侍に向けたりする。侍と村人が争っている場合ではないというのに。
悲しい犠牲を出しながら、村人と侍たちがようやく結束できたと思ったそのとき、遂に野武士軍団が姿を現す。地を埋めるほどの軍勢が村に押し寄せてくる。
『七人の侍』を振り返ると、驚くほど『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』と似ていることに気づく。
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では、序盤で早くもガメラとギャオスたちの戦いが描かれる。ギャオスはシリーズ第一作『ガメラ 大怪獣空中決戦』以来の仇敵だ。それが大量発生しているのだから、本作の敵がギャオスたちであることが判る。
ところが舞台は山間の村に移ってしまい、ガメラを憎む少女の話が延々と続く。ガメラは、人間を含む地球生物みんなの守護者だというのに。少女だけではない。人間たちは乱暴すぎるガメラを恐れ、自衛隊機でガメラ攻撃に打って出る。守ろうとしている人間に恐れられ、憎まれるガメラ。
さらに少女の憎しみは怪獣イリスに宿り、ガメラと「少女+イリス」の争いにまで発展する。本作ではガメラを恐ろしい存在に見せるため、ガメラ役のスーツアクターを第一作の真鍋尚晃氏や第二作の大橋明氏のような小柄な人ではなく、巨漢の福沢博文氏に交代させている。トークショーで勢ぞろいした三人を見ると、福沢博文氏が群を抜いて大きいことがよく判る。第二作でガメラだった大橋明氏は本作ではイリスを演じ、イリスが華奢な体つきであることを強調している。
運命の巡りあわせか、少女綾奈、少女を守ろうとする少年龍成(たつなり)、長峰、浅黄、大迫元警部補、政府機関の朝倉、天才プログラマー倉田の七人が一堂に会し、犠牲を出しながらもようやく結束できたそのとき、遂にギャオスの群れが姿を現す。空を覆うほどの大群が日本に押し寄せてくる。

試写を観た東宝の重役らは唖然としただろう。侍たちと村人が結束して、さあこれから合戦というところでフィルムは終わってしまうのだ。黒澤はこの後を撮っていなかったのだ。
ここまで盛り上げておきながら後が見られないなんてあんまりだ。東宝は撮影中止を撤回。黒澤の目論見どおり追加予算が認められ、『七人の侍』は大決戦のシークエンスを加えて無事完成する。
この先例を踏まえ、平成ガメラの作り手たちは大博打に出たに違いない。『七人の侍』の試写版のような構成にして、同じように大決戦の直前でぶった切る。唖然とした観客の耳に響くのは、主題歌の「もういちど出来るなら……終わらない未来を」という歌声だ。
このラストは圧巻だ。とても勝ち目のない敵の群れを前に、それでも戦いを挑むガメラと、観客動員数でも配給収入でも平成ゴジラの三分の一しかない中、それでもシリーズを続けようと戦いを挑む作り手たちがオーバーラップする。
残念ながら、平成ガメラはこの大博打に勝てなかった。『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』は大ヒットとはいかず、大映は続編の予算を認めなかった。
だが、本作が『七人の侍』の試写版を意識していたとすれば、この続きがどのような展開になったか察しがつくというものだ。
それは、これまでの登場人物が総結集しての大決戦だ。かつて対立していた者たちも、手を携えて共通の敵に立ち向かう。
ガメラは四神の一つ、北の守護神玄武に当たり、イリスは南の朱雀に当たることが示されていたから、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では言及のなかった残りの二神、青龍と白虎も戦線に加わるかもしれない(龍成とその妹・美雪が本作で出番が多いわりに活躍しないのは、彼らの見せ場が次回作に予定されていたからかもしれない)。東西南北を護る四神に加え、中央を護る大地の神・黄龍も出現するかもしれない。ガメラの巫女としての役目を終えた浅黄が、新たな役割を果たすかもしれない。
結束した仲間たちはギャオスの大群を前によく戦うが、やはり多勢に無勢、一人、二人と犠牲になっていく。一人の独断が仲間を危機に陥らせもする。そして
[*1] 「平成ガメラ4Kデジタル復元版Blu-ray BOX」の発売を記念して、週替わりで4K版三作の上映とトークショーが行われた。
登壇者は以下のとおり。文中のトークショーの内容は記憶を頼りに書いているので、思い違いがあったらご容赦願いたい。
2016年7月6日 主演女優&監督トークショー
金子修介監督、中山忍さん
2016年7月13日 スーツアクタートークショー
第一作ガメラの真鍋尚晃氏、第二作ガメラと第三作イリスの大橋明氏、第三作ガメラの福沢博文氏
特撮助監督でギニョリストも務めた神谷誠氏
2016年7月19日 「ガメラ時代と現在~特撮表現の移り変わり~」
撮影の村川聡氏、視覚効果の松本肇氏
平成ガメラ三部作公開時は中高生だったという田口清隆氏(『ラブ&ピース』特技監督、『劇場版 ウルトラマンX』監督)
[*2] vsシリーズの特技監督を務めた川北紘一氏は、平成ガメラと違ってゴジラ映画は視点(カメラアングル)の統一よりもドラマを優先させたと述べている。
「『ガメラ』は、あくまでもリアルに撮ろうとしていたんじゃないかな。リトルゴジラの可愛さを出すためには視点の統一を崩してもいいんだというのが東宝特撮で、ある意味でリアルな表現をするために視点を統一することはないと思っている。」
―― 冠木新市 企画・構成 (1998) 『ゴジラ・デイズ―ゴジラ映画クロニクル 1954~1998』 集英社文庫

監督/金子修介 脚本/伊藤和典、金子修介 特技監督/樋口真嗣
出演/中山忍 前田愛 藤谷文子 螢雪次朗 山咲千里 手塚とおる 小山優 安藤希 堀江慶 八嶋智人 渡辺裕之 上川隆也 石丸謙二郎 津川雅彦 清川虹子
日本公開/1999年3月6日
ジャンル/[SF] [特撮]

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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
⇒comment
No title
> ガメラの巫女としての役目を終えた浅黄が、新たな役割を果たすかもしれない。
ぼく、ボンクラなので浅黄ちゃんの代わりに、よりガメラと巫女巫女してる深黄ちゃんが出てくるのかなと文章読んでて思ってしまいました。
いやまあ、黄色はイエロー・モンキーで日本人全員で受け持ちませう。
ぼく、ボンクラなので浅黄ちゃんの代わりに、よりガメラと巫女巫女してる深黄ちゃんが出てくるのかなと文章読んでて思ってしまいました。
いやまあ、黄色はイエロー・モンキーで日本人全員で受け持ちませう。
Re: No title
ふじき78さん、こんにちは。
玄武を意識したのでしょうが、本作のガメラはすっかり黒くなってしまいましたね。
で、黄色い龍といえばアレですよ。東宝からキングギドラを借りてきましょう。
玄武を意識したのでしょうが、本作のガメラはすっかり黒くなってしまいましたね。
で、黄色い龍といえばアレですよ。東宝からキングギドラを借りてきましょう。
こんばんは。
トークショーでは色々なお話があったのですね。いつかBlu-rayボックスを買って確認してみたいです。
この作品の続きが気になって、待っても待っても作られないから、ついには自分でこれの続編小説を作りました。(訳あって死闘の経過はたった一言で片付けてしまってますが)
ガメラだけでなくゴジラ、そして新たな怪獣も出現します。
因みにガメラ3、ゴジラファイナルウォーズの続編という位置付けです。
トークショーでは色々なお話があったのですね。いつかBlu-rayボックスを買って確認してみたいです。
この作品の続きが気になって、待っても待っても作られないから、ついには自分でこれの続編小説を作りました。(訳あって死闘の経過はたった一言で片付けてしまってますが)
ガメラだけでなくゴジラ、そして新たな怪獣も出現します。
因みにガメラ3、ゴジラファイナルウォーズの続編という位置付けです。
Re: タイトルなし
宮武さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
トークショーは毎回充実していて、興味深い話の連続でした。
Webに公開するのは少々ためらわれる発言も飛び出すのが、生のトークショーの醍醐味ですね。
『ガメラ3』の続きがどうなるかは気になりますよね。
2015年にガメラ生誕50周年記念として作られた石井克人監督の『GAMERA』は、『ガメラ3』の後日譚に位置づけられるのでしょうが、たった四分半の映像ではかえって飢餓感が増すばかり。あの四分半を長編映画にして欲しいものです。
トークショーは毎回充実していて、興味深い話の連続でした。
Webに公開するのは少々ためらわれる発言も飛び出すのが、生のトークショーの醍醐味ですね。
『ガメラ3』の続きがどうなるかは気になりますよね。
2015年にガメラ生誕50周年記念として作られた石井克人監督の『GAMERA』は、『ガメラ3』の後日譚に位置づけられるのでしょうが、たった四分半の映像ではかえって飢餓感が増すばかり。あの四分半を長編映画にして欲しいものです。
No title
雑誌にガメラの特集が組まれ、それを機に平成ガメラ三部作を見た。yはり195f4年ゴジラの次に続く日本の怪獣映画の傑作は平成ガメラ三部作で、世界に出して恥ずかしくない作品だと思った。ネットフリックスやアマゾンプライム等の海外の配信会社で、『米版ゴジラ』『パシフィックリム』などの怪獣映画宣伝をした上で、ぜひともこの『平成ガメラ三部作』を配信してもらいたいものだ。20年以上も前の作品でありながら、大人の鑑賞に堪えうるこれほどおもしろい怪獣映画が日本で作られたていたことに驚くのではないだろうか。
⇒trackback
トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。『ガメラ3 イリス覚醒』をUCT4で観て、エロいが惜しいぞふじき★★★★
▲映画見終わってから見るとバックの大群ギャオスがかっけー。
五つ星評価で【★★★★エロいところは好き。嫌いなのはイリスのデザインとED】
ファースト・ランの時にエロ ...
ガメラ:平成(金子)版視聴記など 2016/09/03
本日二本目の更新です。一本目「 ライヴガメラ /09/03 」はこちら。
前回「 /08/30 」でのご紹介 に続いて、
本項では、「大怪獣空中戦」から「邪神<イリス>覚醒」まで、平成(金子版)ガメラ三部作の鑑賞記事などを、まとめてご紹介しております。
関連で、「GⅢ上映会レポ(ユナイテッドシネマ豊洲編) /07/23 」にはこちらから。
平成三部作推し:
『 蒼色茶房...