スター・ウォーズに見る黒澤明6: 物語の終りと後日譚

(前回「ダース・ベイダーとは何者なのか?」から読む)

スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐 スチールブック仕様 [Blu-ray] 前回見たようにスター・ウォーズ・シリーズのオリジナル三部作と前日譚三部作は表裏の関係にある。そこには黒澤映画の表裏も見て取れる。
 ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を発表した1977年は、まだ認識されていなかったかもしれないが。


■三船敏郎 vs. 仲代達矢

 ルーカスが何度も出演を望んだように、黒澤映画の顔といえば『隠し砦の三悪人』『椿三十郎』等々その半分以上の作品で主演を務めた三船敏郎さんだ。三船敏郎さんは、あるときは志村喬さん演じる師の下で、あるときは加山雄三さん演じる若者の師として力強い男性を演じ、黒澤映画のヒューマニズムを象徴する存在だった。

 ところが、黒澤監督が三船敏郎さんを起用したのは、黒澤ヒューマニズムの集大成にして師弟物語の頂点ともいうべき1965年の『赤ひげ』が最後だった。
 このあと、複数の黒澤映画に主演したのは仲代達矢さんしかいない。三船敏郎さんと決別した黒澤明監督は、『椿三十郎』の強烈な悪役・室戸半兵衛(=ダース・ベイダー)で三船敏郎さんと表裏を成した仲代達矢さんを創作の中心に据えた。

 ルーカスが『帝国の逆襲』(1980年)、『ジェダイの復讐』(1983年)でオリジナル三部作を完成させつつあるのと並行して、黒澤明監督は『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)で仲代達矢さんが主演の悲劇を撮り続けた。そこで黒澤監督が描いたのは、周囲の反対にもかかわらず分不相応な立場に就かせてもらいながら、一瞬にしてすべてを失う哀れな男の物語、身近な者に裏切られ、誰も信じられない中で正気を失ってしまう男の物語だ。
 スター・ウォーズ・シリーズを通して黒澤映画をなぞってきたルーカスの前で、師と仰ぐ黒澤明が狂気と絶望に満ちた悲劇の世界を見せはじめたのだ。

 それを目にしたルーカスが発表した、『ファントム・メナス』の少年アナキン(『七人の侍』の勝四郎)が『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー(『椿三十郎』の室戸半兵衛)に変貌する物語――『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』――は、まさにヨーダの反対にもかかわらずジェダイの騎士に就かせてもらいながら、師であり親友であるオビ=ワン・ケノービも愛する妻パドメも信じられなくなって、正気を失い、すべてを失う男の物語だった。
 オリジナル三部作が三船敏郎さんに象徴される1960年代までの黒澤映画であるとすれば、前日譚三部作は仲代達矢さんに象徴される1980年代の黒澤映画といえよう。転換点に位置する『ファントム・メナス』は、1960年代までの黒澤映画の総決算であると同時に、1980年代の黒澤映画の導入部となっている。


Kagemusha - The Criterion Collection (影武者 クライテリオン版 Blu-ray 北米版) 先の記事で、騎馬武者たちが鉄砲隊に圧倒される映画として『乱』を挙げたが、黒澤明には他にも同様のシチュエーションの映画がある。無敵を誇った武田軍が織田・徳川の連合軍と激突し、鉄砲隊の前に無残な敗北を喫する『影武者』だ。『乱』で描かれた草原の合戦(=ナブーの戦い)とは異なり、荒れ果てた土地で騎馬武者や歩兵が討ち取られていく『影武者』の合戦は、『クローンの攻撃』の惑星ジオノーシスの戦いでジェダイの騎士たちがドロイド軍の銃火を浴びて倒れていく様に似ている。『影武者』の合戦が武田家の終りを印象づけたように、ジオノーシスの戦いはジェダイに守られた共和国の終りを予感させるものだった。

 数々のアクション映画を撮った黒澤監督だが、大規模な合戦を描いたのは『影武者』と『乱』だけだ。『クローンの攻撃』、そして『シスの復讐』も、オリジナル三部作には見られない規模の大戦争を展開する。
 物語に『ジェダイの復讐』のような子供向けの要素はかけらもない、沈鬱な悲劇の映画なだけに、観客を惹きつけるには激しい戦闘とアクションのてんこ盛りが必要と考えたのだろう。

 しかし、『クローンの攻撃』『シスの復讐』と『影武者』『乱』を重ねてみれば、もうひと工夫あったのではないかと察せられる。


■悲劇の中の道化師

 『』はシェイクスピアの悲劇『リア王』を下敷きにして、戦国の武将・一文字秀虎と息子たちの愛憎を描いた作品だ。
 銀河共和国の要職にありながら奸計を巡らして共和国を滅ぼすパルパティーンは、一文字家の長男の正室でありながら奸計を巡らして一文字家を滅亡に追いやる楓の方を思い出させる(楓の方は『リア王』の野心家エドマンドに当たろうが、悪党としてのスケールや悪事を後悔しない点で、パルパティーンはエドマンドより楓の方に近い)。
 パルパティーンの仲間でありながら捨て駒にされたドゥークー伯爵は、楓の方に踊らされた挙句に命を落とす一文字太郎であろうか。

 アナキンを愛し続けたパドメが『シスの復讐』の最後で唐突に死んでしまうのも、一文字家でただ一人秀虎を愛し続けた三郎の唐突な死を模したと考えられる。その源流は、ただ一人リア王を愛し続けたコーデリアの突然の死だ。オリジナル三部作のときはレイアに実母の記憶がある(レイアが幼い頃はパドメが生きていた)と設定されていたのに(だからレイアは『ジェダイの復讐』で「本当のお母さん」について語っている)、その設定を撤回してまで『シスの復讐』でパドメを死なせたのは、このタイミングでの死が悲劇の完成に欠かせないからだろう。
 アナキン最大の悲劇は、一文字秀虎やリア王が自分を愛してくれた者(三郎、コーデリア)の死に接してみずからも息絶えるのに対して、彼の場合は瀕死の重傷を負ったのにパルパティーンの手で生かされてしまうことにある。ダース・ベイダーの黒いマスクの下には、三郎の死に接しても死ねなかった一文字秀虎、コーデリアの死に接しても死ねなかったリア王がいるのだ。何たる苦痛!何たる悲劇!
 ここにスター・ウォーズ・シリーズは、シェイクスピア悲劇を上回る悲劇として完成された。


乱 4K Master Blu-ray BOX 『乱』の中盤、主人公一文字秀虎は、身近な者に裏切られた衝撃と悲嘆から狂気に蝕まれてさまよい歩く。とうぜんのことながら、狂気に取りつかれた男の姿を追いかけるだけでは映画にならない。男が正気を失ったなら、その思いを言葉にしたり、降りかかる不幸や気持ちのすれ違いを説明してくれる人間が必要だ。
 『乱』では、ピーター演じる道化の狂阿弥がその役を果たしていた。『リア王』の道化師に当たるキャラクターだ。狂阿弥は芸を見せたりお喋りするだけで戦いの役には立たないが、いつも秀虎のそばにいて不満をぶちまけたり世をはかなんだりすることで、秀虎の状況を観客に知らしめる。

 狂阿弥を見ていると気づくのだ。前日譚三部作にも、戦いの役に立たなくてベラベラ喋っているだけの道化のようなキャラクターがいたことに。あまりの不人気に出番がなくなったジャー・ジャー・ビンクスだ。

 パドメから妊娠を告げられ、困ったような、無理して笑顔を作ったようなアナキン。親友と妻の不義を疑うアナキン。――実験精神に富むルーカスは、『シスの復讐』でスペースオペラに大人の愛憎劇を織り交ぜることに挑戦している。大人向けの恋愛映画だったら何ということもない三角関係も、子供も観に来るスター・ウォーズ・シリーズで取り上げるのは、とりわけ男女関係の描写が得意とは思えないルーカスには苦労があったはずだ。わずかにC-3POのまぬけぶりが場を和ませるが、そこにジャー・ジャー・ビンクスの破壊的なおしゃべりがあれば、もしかしたら狂阿弥に匹敵するポテンシャルでこの一大悲劇をまとめてくれたのではないか。

 道化師のいない悲劇は語りにくい。
 ジャー・ジャー・ビンクスを退場させることになったのは、ルーカスにとって大きな誤算だったかもしれない。


■スター・ウォーズが描いたもの

 黒澤明は「過去の人」になっていた。
 監督デビュー以来、1965年の『赤ひげ』まで毎年のように新作を発表してきた黒澤監督だったが、古巣東宝と対立し、海外進出に失敗し、身近な者に裏切られ、気違い扱いされた挙句、自殺未遂に至る。60年代後半から70年代にかけて発表した映画はわずかに二本。小品『どですかでん』とソ連映画の『デルス・ウザーラ』だ。もはや日本国内で映画を作ることはできなくなっていた。

 『赤ひげ』が三船敏郎さんの出演する最後の黒澤映画になったが、三船さんはその後も黒澤監督と仕事をしたがったといわれる。
 おそらく黒澤監督はかつてのような力強いヒューマニズムに満ちた映画を撮れなくなっていたのだろう。黒澤ヒューマニズムの象徴である三船敏郎さんとは、もう仕事ができなかったのではないだろうか。

 『どですかでん』から10年ぶりの日本映画、時代劇としては『赤ひげ』から15年ぶりに発表された『影武者』は、人々から尊敬され畏怖された武田信玄が実はただの替玉でしかなかったことを描いて、まるで世界の映画祭で賞を取まくった大監督の素顔が無力な老人であることをさらけ出したような映画だった。
 その五年後、1985年にようやく公開できた『乱』は、黒澤監督が製作発表の席で「天の視点から、人間のやっていることを俯瞰の目で描きたい。」と語った作品だ。「天の視点から」ということは、黒澤明はもう地上にはいないのだ。かつて小さな命を救うために市井の人に交じっていくヒューマニストを描いた黒澤明は、今やはるかな高みから愚かで醜い人間界をただ見下ろしている。黒澤監督は、『乱』の主人公秀虎は自分だと漏らしたそうだが、たしかに名声を轟かせた老人が身近な者に裏切られ、発狂し、死んでいく様は、ここ20年の黒澤自身の人生を振り返るようだった。
 ここには、人間の力強さを高らかに謳った黒澤明のヒューマニズムは微塵もない。


 黒澤明を師と仰ぎ、その映画を徹底的になぞることでみずからの作品を生み出してきたジョージ・ルーカスは、師黒澤の変わりようをどう思ったのだろう。「人間の道」を説き、勇気と希望に溢れた映画で世界の映画人に影響を与え、自分の映画人生を変えた人物が、今は厭世観でいっぱいになっている。なぜ人間はこうも変わってしまうのか。

スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐 スチールブック仕様 [Blu-ray] そしてルーカスは前日譚三部作を作りはじめた。オリジナル三部作を三船敏郎さん主演の力強い黒澤映画とすれば、仲代達矢さん主演の悲劇の黒澤映画にあたる前日譚三部作を。表と裏、陽と陰、対照的な物語。"選ばれし者"アナキンが変貌していく物語だ。
 以前、私は『ジェダイの復讐』までのオリジナル三部作を「黒澤映画の集大成」だと書いた。しかし、前日譚三部作までを含めてみれば、これは単に黒澤映画の影響とか再現ではない。師弟物語スター・ウォーズ・シリーズは、ルーカスが師黒澤明その人を描いたものなのだ。


■スター・ウォーズの後日譚

 「過去の人」になっていた黒澤明。
 その窮地を救ったのはジョージ・ルーカスだった。
 白井佳夫氏、早川光氏との座談会で、尾形俊朗氏はこう語っている。[*]
---
『どですかでん』から『デルス・ウザーラ』当時には、"過去の人"的なニュアンスで語られる気分が世間にあったと思う。ところが『影武者』になると、今をときめくルーカスやコッポラがこぞって黒澤さんを訪ね、手をさしのべた。そこから黒澤明という神話が復権して、今日に至っているわけです
---

 1977年に『スター・ウォーズ』が公開され、世界的な大ヒットを記録した。
 一躍時の人になったルーカスが口にしたのは、黒澤明へのリスペクトであった。これは世間の目を黒澤明に向けさせるのに大きな効果があっただろう。
 ルーカスはフランシス・フォード・コッポラとともに『影武者』の制作に協力し、久しぶりの黒澤映画を実現させた。『乱』ではフランスのプロデューサー、セルジュ・シルベルマンが協力した。次の『夢』の実現には、スティーヴン・スピルバーグが尽力した。黒澤監督は世界の映画人に助けられた。

 黒澤明は1993年に30本目の監督作品『まあだだよ』を発表した。随筆家内田百間を題材に、多くのものを失い、経済的にも困窮した師が、弟子たちのおかげで心安らかな日々を取り戻す様子を描いた作品だ。主人公は黒澤明本人だといわれる。この映画が、黒澤明の遺作となった。
 師弟物語『姿三四郎』でデビューした黒澤明は、師弟物語『まあだだよ』で監督人生を終えた。しかし、弟子を導く力強い師を描いた『姿三四郎』とはうって変わり、『まあだだよ』の師は慕ってくれる弟子たちの力添えでようやく日々を過ごしている。師弟の関係はすっかり変わってしまった。

 スター・ウォーズ・シリーズを通して黒澤明を追いかけたルーカスが最後に直面したのは、老い衰えていく師だったのだ。
 ルーカスはスター・ウォーズ・シリーズの後日譚を作らなかった。作れなかったに違いない。師弟物語を作ってきたルーカスにとって、師の衰えはあまりにも酷なテーマだ。
 1998年9月、黒澤明は88歳で没した。
 翌1999年1月、かつてシリーズは全九作と話していたルーカスは、前日譚三部作の公開に当たって全六作と云い直した。このあとはないと断言した。そして『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』の公開がはじまった。


 実は、ルーカスはスター・ウォーズの後日譚を作ろうとしたことがある。「最近の数作品には非常にコストがかかってしまい、従業員にも会社にも申し訳ないと思い、スター・ウォーズの新作に取り掛かろうと考えた。」と2015年末のインタビューで回想している。公開までに四半世紀を費やした戦争映画『レッド・テイルズ』(2012年)が興行面でも評価の面でも惨敗だった頃だろう。
 結局、『レッド・テイルズ』の公開から九ヶ月後にルーカスは自分の会社とスター・ウォーズ関連の諸権利をウォルト・ディズニー社に売り渡した。それでもルーカスは新作に関与し続けるつもりだったが、ディズニーにストーリーの案を拒絶され、手を引かざるを得なくなった。

 実験映画出身のルーカスのことだから、過去スター・ウォーズ・シリーズが世界に衝撃を与えたように、新作もまた見たこともない映像と見たこともない表現で新しい世界を切り開いたかもしれない。それを観られないのは残念だが、会社のために、申し訳なさから無理に後日譚を作ることもないだろう。

 「何であれ、『ジェダイの復讐』の先に語りたい物語はない。語るべきものは本当に何もないんだ。」
 『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』公開の2008年の時点で、ルーカスはきっぱり云い切っている。
 「スター・ウォーズはアナキン・スカイウォーカーとルーク・スカイウォーカーの物語だ。ルークが銀河を守り、アナキンを救ったときが、この物語の終りなんだ。」

 ルーカスはアキラ・クロサワを悲劇から救い、1990年にはスピルバーグとともにアカデミー名誉賞のオスカーを手渡した。
 これ以上、何を語ることがあるだろう。スター・ウォーズ・シリーズは完全無欠の六部作なのだ。


[*] 『異説・黒澤明』 文藝春秋編 (1994) 文春文庫ビジュアル版

スター・ウォーズ コンプリート・サーガ ブルーレイコレクションスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』  [さ行]
監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス
出演/ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ジミー・スミッツ フランク・オズ テムエラ・モリソン ピーター・メイヒュー ジェームズ・アール・ジョーンズ オリヴァー・フォード・デイヴィス アーメッド・ベスト
日本公開/2005年7月9日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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【theme : スター・ウォーズ
【genre : 映画

tag : ジョージ・ルーカス ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ジミー・スミッツ

⇒comment

No title

すごく深い考察をなさっていて素直に感心させられてしまいました。黒澤明とジョージルーカスという二人の巨匠の生い立ちから映画を紐解く見方に管理者様の深い造形を感じました。
そして何より読んでいてとても面白かったです。

IMAXで観てきました…

ナドレックさん
明けましておめでとうございます。
深い考察、いつも楽しませていただいています。

恥ずかしながら、私はスター・ウォーズのヒットのお陰で、
黒澤監督のすごさを知ったのですが、本作も、黒澤監督へのオマージュ的な
ストーリーになるのではと、密かに楽しみにしていました。
七人の侍の様に、散り散りになったジェダイの仲間たちが結束するとか、
用心棒のような中立の凄腕ジェダイの物語とか…。ベタすぎますね。
ルーカス氏が、映像だけでなく巧みに黒澤作品を参考にしていたのを
読ませていただいて納得しました。
スター・ウォーズが大ヒットしなかったら、影武者も撮れなかったし
私も隠し砦…など観ることはなかったかもです。SW感謝です。
ただ新作は、何か(誰か)に影響を与えるのでしょうか。
ファンとしては懐かしいシーンにニヤっとしましたが、空中戦の目まぐるしさと
ライト・セーバー戦はちょっと不満があるかなぁ…。

今年もよろしくお願いいたします。

ルーカスは黒沢になりうるか(笑)

ナドレックさん、ども。
 毎回毎回、楽しみに読ませていただきました。
 文字通りの、ナドレックさんのスターウォーズ愛と、その裏の思い(笑)とで、至福の思いでした。
 ナドレックさんの裏の思い、と勝手に言いましたが、それは、いかに、今までの過去作をふりかえつつ、この新作への言及を、なるべく(笑)遅延しようという、まあ、とっても切ない思いを感じつつ(笑)、いや、それは、ぼくの勝手な妄想なんですけどね。

 ぼくは、もう、割り切りました(笑)。
 ぼくは、この映画のスタッフたちが、ルーカスならこう作るだろうという、発想で、作っていたように感じました。
 いわばファン小説? 二次元創作小説?の、ノリ?を、感じました。
 ルーカスは、この映画をどういう思いで見たのだろう。
 勝手に妄想すると、黒沢が森谷司郎を見るように、逆に言えば、今回の新作の監督は、森谷司郎として(笑)映画を作っているのでは、と感じました。

 ファン小説なら、それはそれでよい出来なんでしょう。
 ぐだぐだになった後期の橋本忍はさておいて、全盛期の橋本忍が「いなかった」脚本のずさんさ、が今回の新作というところでは(笑)。
 ルーカスが、最初の一作目で黒沢「隠し砦の三悪人」を、マルパクリしたように、今回の新作は、「ホントウの、最初の、一作目のスターウォーズ」を、丸パクリして、せいぜいブラッシュアップした、というところでしょう。
 いわばスターウォーズの、ウィンドウズ10ですかしら(笑)。
 次回作こそ期待、という間抜けな落ちですが、それにしても、ナドレックさんの新作批評が、読みたい!(笑)


痒いところには手が届いてたけれど。

初めて書き込みさせていただきます。
黒澤明監督の影響を深く受けているSWシリーズですが、ここまで詳細に構成面、思想面において比較、分析した考察は初めて目にして、一気に読んでしまいました。
EP7については、SWシリーズのファンが練り込んだ完成度の高い二次創作物という印象です。
二次創作の中には、読み手によっては原作よりも自分の望んでいるものに近いものがある為原作よりも面白く感じてしまうものもままあります。タイトルの通り痒いところに手が届いてるというやつです。
けれども、反面ルーカスであればどんな意欲的な試みを持ち込んだのか?そんな物足りなさのようなものも感じてしまいました。

なぜ戦争に行かなかったのでしょうか

黒澤明は、1910年生まれ、1945年には35歳だったのに戦争に行っていません。
自伝では、徴兵検査の時、担当者が父親の部下だったので、特別に配慮してくれたと書いています。1930年の検査の時は、そうだったでしょう。「宇垣軍縮」で、一番兵隊が少なかった時代ですから。しかし、1941年の太平洋戦争開始以後は、兵士が不足し、黒澤の助監督で乙2だった堀川弘通も徴兵されています。

黒澤が徴兵されなかったのは、東宝の力だと推測しています。
東宝は、社の内部に「航空教育資料製作所」を持ち、多数の軍事マニュアル映画を作るなど、実態は「軍需企業」だったので、それができたのです。
この航空教育資料製作所は、戦後は東宝ストを経て新東宝撮影所になります。

戦後の黒澤明は、自分が戦争に行かなかったことの「贖罪意識」をモチーフとして作品を作ることになります。
『わが青春に悔いなし』の異常な反戦、民主主義賛美がそうです。
それは、基本的には『生き物の記録』まで続きますが、これが当たらなかったことで古典に転換してしまいます。

晩年は、菊島隆三等がいなくなり、自分で脚本を書くようになり、再び「贖罪意識」が現れてきます。
『乱』『影武者』がそうです。
遺作の『まあだだよ』は、余計でしたが。

黒澤明の戦後の作品の本質は、『平家物語』のような、近代の戦記物だと私は考えています。

Re: No title

未記入さん、コメントありがとうございます。
返事がたいへん遅くなり申し訳ありません。

映画(に限らず多くの創作)は、最終的には作り手の人間性を見るものだと思います。作品を通してこぼれてくる作り手の思想、信念、人生観等に共感し、感銘を受けるから、記憶に留まるのだと思います。ですから、作り手にどんな背景があってその作品を作るに至ったのか、作り手の人生でその作品がどんな位置を占めるのか等を考えると映画がますます楽しめるように思えます。
思い付きを書き連ねてみた文章ですが、楽しんでいただけて何よりです。

Re: IMAXで観てきました…

annyob1さん、こんにちは。
新年のご挨拶をいただきながら返事がすっかり遅くなってしまいました<(_ _)>

>七人の侍の様に、散り散りになったジェダイの仲間たちが結束するとか、
>用心棒のような中立の凄腕ジェダイの物語とか…。

それは観てみたかった:-)
『フォースの覚醒』の監督J・J・エイブラムスは、黒澤監督の『天国と地獄』から「シーンの構図とキャラクターの立ち位置」を学んだと語っていますが、黒澤の影響というほどのものは見られませんね。エイブラムス監督が影響を受けたのは、あくまでルーカスやスピルバーグなのでしょう。
http://eiga.com/news/20151201/20/

>ただ新作は、何か(誰か)に影響を与えるのでしょうか。

ルーカスは、過去の映画に学ぶだけでなく多くのSF小説やSFアート、コミック等から映像化されたことのない(映画ファンには未知の)イマジネーションを持ってきて、それを旺盛な実験精神で映像にしてみせたから斬新な映画が生まれました(SFファンは、それまで頭の中でイメージするだけだったものがやっと映像で見られたことに喜びました)。
画期的な新しさがあったからスター・ウォーズ・シリーズは多くのフォロワーを生み出したのだと思いますが、『フォースの覚醒』が狙ったのはオリジナル三部作の再現ですね。新シリーズの作り手は、ルーカスがスター・ウォーズ・シリーズを構想するに至った思考過程や源流となった多様な作品に思いを馳せるのではなく、自分たちがオリジナル三部作に見て取ったものの再生産に専心しているようです。ここから誰かに影響を与えたりフォロワーを生み出したりといった動きは生まれにくいように思います。 それよりも、(二作目以降のガンダムや仮面ライダーのように)長寿コンテンツとして継承されていくのではないでしょうか。

ブログの更新が滞りがちですが、ぼちぼち記事を書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

Re: ルーカスは黒沢になりうるか(笑)

昔の映画さん、こんにちは。
新作映画をちっとも取り上げられず、面目次第もございません。

>ぼくは、この映画のスタッフたちが、ルーカスならこう作るだろうという、発想で、作っていたように感じました。

ここが興味深いところですが、スター・ウォーズに対する(一部の)ファンとルーカスの思いにはかなり乖離があるようです。平たくいえば、ルーカスはスター・ウォーズを判ってない、俺たちの思いこそ本物だ、と考えるファンが相当数いるらしい。それらのファンは、特別篇や前日譚三部作を作ったのはルーカスが血迷ったからだ考えています。ファンとルーカスの対立を扱った『ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス』なんてドキュメンタリー映画もありましたね。ルーカスがスター・ウォーズを手放したのも、「映画を撮っても、受けるのは批判ばかり」で「(スター・ウォーズを作るのが)以前ほど楽しくなくなったから」だとこぼしています。また、「自分が判断する前に、周囲の人間がどうすべきか決めようとする」「それではつまらない。実験も何もできないし、なんでも決められたようにしなきゃならない」と嘆いています。
http://japanese.engadget.com/2015/11/19/sw/
スター・ウォーズの権利を手に入れたディズニーの方針は明確で、「ファンのための映画」だったそうです。ファンとルーカスが対立するなら、ファン側に立つということですね。新作に向けてルーカスが出した案はディズニーによって潰されています。ちなみにJ・J・エイブラムス監督が参加したのは「ディズニーがルーカスのストーリーを捨てた後だった」とのこと。
http://japanese.engadget.com/2016/01/04/sw/

『フォースの覚醒』の商業的成功の要因の一つは、特別篇や前日譚三部作に不満を抱いていたファンに歓迎されたことでしょう。
『フォースの覚醒』について書き出すと何万字でも書けそうですが、そうそう時間も取れないので控えておくことにします;-)

Re: 痒いところには手が届いてたけれど。

未記入さん、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、『フォースの覚醒』は莫大な予算を投じて作った二次創作と見なせますね。ファンがファンに向けて作っているので、思いを同じくするファンには堪えられないでしょう。舞台となる諸惑星も、砂漠の惑星、森の惑星、氷の惑星……と、あえて既視感のあるものにしてますし。
このように過去作と同じ趣向を繰り返すことにルーカスは批判的です。「[ディズニーは、]レトロ調の作品にしたいと思っていましたが、それはわたしの好むところではありません。わたしは、作品ごとに惑星や宇宙船を変えて、それまでとは違う作品にしようと懸命に取り組んだのですから」
http://wired.jp/2016/01/04/lucas-criticizes-new-star-wars/

はたから見れば映画ビジネスの成功者に見えるルーカスですが、実際には強烈な個性を持った映像作家なのだと思います。
黒澤明監督が毎回違う趣向の作品を作ったように、宮崎駿監督がどんなに乞われても続編を作らないように、ルーカスも同じような作品を量産するのは嫌なのでしょう。しかし、あまりにも商業的に成功したシリーズを有するがゆえに、強い作家性を帯びた人物であると認識してもらえないのがルーカスの悲劇なのかもしれません。

Re: なぜ戦争に行かなかったのでしょうか

さすらい日乗さん、コメントありがとうございます。
黒澤について、戦争に行かなかったことの影響を考察するとは興味深いですね。
黒澤のデビューは1943年の『姿三四郎』。戦中はデビューしたての新人だったわけですが、東宝ではどのように評価されていたのか、黒澤はどう感じていたのか。たいへん面白い観点だと思います。

これからもよろしくお願い致します。
Secret

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