スター・ウォーズに見る黒澤明5: ダース・ベイダーとは何者なのか?

(前回「『ファントム・メナス』の主人公は誰?」から読む)

スター・ウォーズ コンプリート・サーガ ブルーレイコレクション これまで見てきたように、スター・ウォーズ・シリーズの主要な登場人物は黒澤映画の中にモデルを求めることができる。にもかかわらず、シリーズ随一の悪役で人気の高いダース・ベイダーについては、黒澤映画の誰に当たるのか敢えて考察してこなかった。考察するまでもないからだ。

 アクション映画やサスペンス映画の傑作をものにしてきた黒澤明監督は、多くの悪役も創造してきた。腹黒いヤツ、ずるいヤツ、臆病なヤツ等々、様々な悪役が登場したが、総じて人間的には薄っぺらで存在感に乏しかった。ヒューマニストの黒澤監督は、あまり悪役の描写に注力する気がなかったのだろう。そんな時間があるなら、優しさや勇気や哀しみを描くほうが大事だったのだ。
 その中で唯一、武芸に秀でて頭脳明晰、行動力もあって主人公に勝るとも劣らぬインパクトを与えるのが、『椿三十郎』の室戸半兵衛だ。

 室戸半兵衛の立場はダース・ベイダーとほぼ同じである。部下を率いて追跡や攻撃の前面に出て活躍するが、黒幕は別にいて、今は黒幕の一人の懐刀に収まっている。主人公の腕を見込んで、黒幕を倒してすべてを自分たちで牛耳ろうと持ちかける。

 『スター・ウォーズ』を観ただけだと、皇帝とデス・スターの司令官グランド・モフ・ターキンとダース・ベイダーの主従関係、指揮命令系統がいま一つ判りにくい。
 けれども、室戸半兵衛が大目付の菊井の懐刀であり、菊井には共謀する次席家老の黒藤らがいることを思えば、帝国側の複雑な構成にも合点がいく。日本の時代劇の観客は、いちいち説明されなくても城主とか次席家老とか大目付の位置付けが、例えば企業の代表取締役、取締役、監査役のようなものだと判る。本来なら命令系統から離れたところで家老たちを牽制すべき大目付(監査役)までが悪事に加担しているから『椿三十郎』の陰謀は根が深いのだが、『スター・ウォーズ』ではこの人間関係を何の説明もなく再現しようとして判りにくいのだ。
 幸いにもシリーズ化できたから帝国側の複雑な設定を活かせたが、『宇宙の7人』が悪のキャラクターを独裁者セイドアに集約したように、単発の映画はシンプルに作るのが一般的だろう。

Yojimbo & Sanjuro - The Criterion Collection (用心棒 & 椿三十郎 クライテリオン版 Blu-ray 北米版) 『椿三十郎』のファンなら、『スター・ウォーズ』のデス・スターにおけるオビ=ワン・ケノービとダース・ベイダーの一騎打ちを観てニヤリとするに違いない。
 これもよく考えると不思議な場面だ。剣を持っているのはオビ=ワン・ケノービとダース・ベイダーの二人だけ。他の人物は銃を撃ったりするものの、実際には一騎打ちの傍観者と化している。銃を撃ち合う相手はストーム・トルーパーであり、ルークもハン・ソロもベイダーを狙って一騎打ちに割り込んだりしない。『スター・ウォーズ』は息もつかせぬストーリー展開で、並行して幾つもの事件が起きながら次から次へと場面が変わっていくのに、ここだけストーリーの流れが止まったようにみんなが一騎打ちの終りを待っている。そもそも、ジョージ・ルーカスがオビ=ワン・ケノービを単独行に出させたのも、ダース・ベイダーとの一騎打ちに持ち込みたかったからだろう。それほどルーカスが重視した、描きたい場面だったのだ。
 これは明らかに『椿三十郎』の一騎打ちの再現だ。若侍たちが見守る中、椿三十郎と室戸半兵衛が対決する、あの有名なシーンである。ルーカスの希望どおりオビ=ワン・ケノービ役のオファーを三船敏郎さんが受けていれば、三船敏郎さんが演じた椿三十郎と仲代達矢さんが演じた室戸半兵衛の一騎打ちの完璧な再現になるはずだった。


 黒澤映画には珍しく、弱みも愚かさも見せない悪役、室戸半兵衛。彼は主人公椿三十郎の個性を浮き彫りにするための、三十郎の対になる存在だから、三十郎と同じく生い立ち等は一切明かされていない。そんなものは明かさなくても、三十郎と半兵衛がいれば映画を進行する両輪になる。

 だが、ヒーロータイプの人物ばかりの黒澤映画にあって、半兵衛は異色のキャラクターだ。いったいどうしてこれほど悪に染まった人間ができあがったのか、知りたくなるのは人情だ。

 残念ながら、そのヒントはどこにもない。
 ――と私は思っていた。多くの人がそう思ったに違いない。
 しかし、ルーカスの目のつけどころは違った。


七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版■『ファントム・メナス』の分岐点

 1954年の発表から半世紀以上を経て、今なお高く評価される黒澤監督の『七人の侍』。それは世界の映画人を魅了してきた。1960年の『荒野の七人』をはじめ、リメイクや亜流は数知れない。
 それほど愛される作品だから、続編を見てみたい人も多いはずだ。あの侍たちのその後を映画にしたら、どんなに面白いだろう。黒澤監督は続編を作らなかったが、リメイク作『荒野の七人』は次々に続編が作られ、第四弾『荒野の七人/真昼の決闘』まで発表された。いずれも、『七人の侍』のリーダー島田勘兵衛に相当するガンマンのクリスが、新たな七人を集めて戦う話だ。

 そうなのだ。『七人の侍』でかっこいいのは島田勘兵衛なんだから、彼のさらなる活躍を見たい。そう発想するのが普通だ。
 七人の中で一番の若輩者、戦いの場では感情に任せて取り乱し、恋の試練におたおたする岡本勝四郎のその後を描こうなんて考える映画人は、世界中でジョージ・ルーカスただ一人だろう。

 『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』で『七人の侍』に再挑戦したもう一つの理由。それは新たな三部作の主人公として、岡本勝四郎を引っ張り出すことだったに違いない。
 前回の記事で、『ファントム・メナス』と『七人の侍』の登場人物が一対一に対応すること、中でも岡本勝四郎はアナキン・スカイウォーカーに相当することを述べた。であるならば、岡本勝四郎こそダース・ベイダーに、室戸半兵衛のような悪の剣士になるはずだ。ルーカスにはそういう発想があったはずだ。

 私は『七人の侍』を何度も観たが、前日譚三部作を通してルーカスに指摘されるまで、そのことに思い至らなかった。岡本勝四郎がダース・ベイダーのようになるほどひどいヤツには見えなかったからだ。
 たしかに勝四郎は未熟者だ。感情に任せて取り乱すことがある。恋をするのもはじめてなのだろう。あとさき考えず突っ走りがちだ。だが、勘兵衛を尊敬する勝四郎は、勘兵衛の指導を受ければ立派な侍になりそうだった。勘兵衛という重しがあるから、勝四郎は心配なさそうだった。

 勘兵衛さえいてくれたら。
 勘兵衛――クワイ=ガン・ジンは死んでしまった。ジョージ・ルーカスは『ファントム・メナス』で島田勘兵衛に当たるクワイ=ガン・ジンを殺してしまった。感情的になって突っ走りやすい若者を、一人で放り出してしまった!

 『ファントム・メナス』でクワイ=ガン・ジンを死なせた意図はそこにあったのか、と私は得心した。
 「ファントム・メナス(The Phantom Menace)」、訳して「見えざる脅威」とは、密かに陰謀を巡らせるダース・シディアスを指しているといわれる。たしかにそれはそうなのだが、ダース・シディアスの計画はアナキンがダークサイドに堕ちることにかなり依存している(メイス・ウィンドゥがダース・シディアスを追い詰めたとき、アナキンがメイス・ウィンドゥ側についていればダース・シディアスの命運は尽きていたかもしれない)。アナキンを見守り、その重しとなり、ライトサイドに導く者がいれば、アナキンも共和国も違う運命をたどったかもしれない。『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』を観たあとなら判る。『ファントム・メナス』のクワイ=ガン・ジンの死が、大きな岐路だったのだ。アナキンのマスターを務めるはずだったクワイ=ガン・ジンの死によって、アナキンを抑える者はいなくなってしまった。それこそが「見えない脅威」だったのだ。

 クワイ=ガン・ジンの遺志を継いでアナキンの師になったのはオビ=ワン・ケノービである。オビ=ワンは『七人の侍』の七郎次に当たる。優れた侍だし、勘兵衛の思いにもっとも忠実な男だが、勘兵衛ほどの器ではない。七郎次に勝四郎を御せるとは思えない。

 三部作を通してのオビ=ワン・ケノービの変化は、よく計算されていると思う。エピソード1の頃はようやくパダワン(弟子)を卒業する若者。エピソード2ではアナキンの師たろうとするも、アナキンとの衝突が目立った。エピソード3でようやく包容力のある人格者になっている。エピソード3での成熟を観れば、オビ=ワン・ケノービといえどもエピソード2では成長過程にあったのだと感じるし、ましてエピソード1でアナキンの教育を引き受けた頃はさぞや未熟だったのだろうと察せられる。成熟したあとのオビ=ワン・ケノービに師事できたルークは幸せだ。
 もちろんアナキンを御しきれなかったのはオビ=ワン・ケノービだけが悪いのではない。ダース・シディアスが一枚も二枚も上手だったのだ。

 ここで、黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』の命題が思い出される。
 誤った者に師事すれば、誤った道に堕ちてしまう。
 オリジナル三部作で姿三四郎の師・矢野正五郎の教えを再現したルーカスは、前日譚三部作を通して正五郎に出会う前の三四郎を、すなわち柔道(ライトサイド)ではなく柔術(ダークサイド)の弟子のままだった場合を突き詰めていく。強いことに慢心し街で大暴れした三四郎に、矢野正五郎が「人間の道」を説かなかったら、この青年はどうなっていたのか。『姿三四郎』冒頭の命題が、スター・ウォーズ・シリーズ全編を覆っている。


スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃 スチールブック仕様 [Blu-ray]■二重らせん構造のスター・ウォーズ

 『ファントム・メナス』の少年アナキン(『七人の侍』の勝四郎)がどのようにして『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー(『椿三十郎』の室戸半兵衛)に変貌したのか。それを描くために、ジョージ・ルーカスは前日譚三部作とオリジナル三部作を対照的なものにした。

 師の違いばかりではない。ルークが成人になるまで家族の許で暮らせたのに対し、アナキンは幼くして母から引き離されてしまう。そして二人は正反対の環境で育つ。

 環境の違いで目に付くのがコルサントだ。オリジナル三部作では頑として登場させなかった銀河の中央、首都惑星コルサントを、前日譚三部作では主な舞台としている。ルーカスが描くコルサントは、多くの場合、緊張を強いる夜だったり、没落を予感させるたそがれだったりする。
 そこは故郷を後にした若者が夢に向けて邁進するところではない。腐敗と怠慢に覆われ、権謀術数が渦巻く世界だ。都会のねじれた生活を強調するため、ルーカスはエピソード1に飛び切り美しい惑星ナブーと賑やかで活気のある惑星タトゥイーンを登場させた。それら辺境の星にいるときのパドメやアナキンは(重責や自由の制限はあるものの)健全だった。エピソード1の明るい二人を見ているだけに、エピソード2や3の都会暮らしがいかにも辛そうに感じられる。

 都会が人間性を歪め、不健康な社会を作るという考えは、多くの創作物に見られる。
 高畑勲氏が演出を務めたテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』では、自然豊かな地方でのびのび育った少女が、都会に行って精神を病んでいく様子が描かれた。『アルプスの少女ハイジ』に場面設定・画面構成とクレジットされた宮崎駿氏は、自身の監督作『未来少年コナン』において、人間性を奪う都市インダストリアと農漁業で大らかに暮らす村ハイハーバーを対比した。高畑勲、宮崎駿両氏の作品では、「都会」と「反都会的な理想の共同体」の対比が重要なモチーフだった。
 故郷を出たがっていた田舎の青年ルークが、遂に都会に行かなまま辺境で過ごすうちにハッピーエンドを迎えるオリジナル三部作。対して、幼いうちに都会に出る機会に恵まれたアナキンが、最悪の悲劇を迎える前日譚三部作。スター・ウォーズ・シリーズでは、二つの三部作が揃うことでルーカスの文明観が明確になる。

 とはいえ、「反都会的な理想の共同体」を夢見た高畑勲氏が、そんなものはない現実に気づいて『かぐや姫の物語』を作ったように、都会の歪みを描いたルーカスも単純に辺境を称賛するわけではない。そこは原始的なパワーがあるかもしれないが、同時にタスケン・レイダー等が跋扈する危険な場所でもある。ルーカスはどちらがいいとは主張せず、六作を通して都会と辺境の性質の違いをあぶり出している。


 両三部作は恋愛においても対照的だ。
 恋愛映画を盛り上げるのは何といっても三角関係だが、ルークとレイアとハン・ソロの三角関係が、ルークとレイアが兄妹だったことで都合よく解消されてしまうオリジナル三部作に対し、前日譚三部作ではオビ=ワン・ケノービとパドメの不義を疑ったアナキンが(現実には不義密通がないにもかかわらず)自分たちを破滅に追い込んでしまう。アナキンの悲劇を観たあとでは、兄妹話で三角関係を解消するオリジナル三部作はいかにも喜劇である。

 恋愛については、ジェダイの掟も障害となる。ジェダイの掟が恋愛を禁じていることが、アナキンとパドメを悩ませるのだ(もちろん障害があればかえって恋は燃え上がる)。
 面倒なジェダイの掟が『クローンの攻撃』で突然出てきたように感じられるが、この設定も『七人の侍』の影響だろう。『七人の侍』では良家の武士岡本勝四郎と農村の娘志乃との、身分・立場が違う中での密かな恋が描かれた。これをスター・ウォーズの世界に反映させるために、ルーカスは恋の邪魔になるジェダイの掟を考案したのだろう。


スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐 スチールブック仕様 [Blu-ray]■「これで自由は死んだわ。万雷の拍手の中でね。」

 対照的な二つの三部作だが、ジョージ・ルーカスの考えは一貫している。それどころかルーカスは、学生時代の1967年に撮った短編映画『電子的迷宮/THX 1138 4EB』から、それを長編化したデビュー作『THX 1138』、そして2005年の『シスの復讐』まで、その訴えるところは変わらない。管理社会の拒絶と人間性の解放だ。

 『THX 1138』は未来の超管理社会で主人公が人間性に目覚める話だった。
 『スター・ウォーズ』と二つの続編の根底にあるのは、画一的な支配を強要する<帝国>からの人々の解放だ。

 一方で前日譚三部作は、徐々に自由を失っていく恐怖を描いている。この三部作で特に重要なセリフは、元老院の採決を目にしたパドメのつぶやきだ。

 So this is how liberty dies, with thunderous applause.
 (これで自由は死んだわ。万雷の拍手の中でね。)

 圧政で人々を苦しめるパルパティーンは、暴力で権力を奪ったのではない。策は弄したが、あくまで多くの人に望まれ歓迎されて、正規の投票を経て銀河帝国皇帝に就任したのだ。人々がみずから自分の自由を奪い、戦禍を招いてしまう。これは過去、そして現在の、現実の世界で起きていることだ。
 このひと言を聞くためにも、前日譚三部作を世界中の人に繰り返し観て欲しいと思う。


 ルーカスはスター・ウォーズ・シリーズ全編を通じて、他者を管理し、自由を奪う者には冷たく、他者を愛しむ者は丁重に扱っている。
 一作目『スター・ウォーズ』で、ルークのおじさん、おばさんが本シリーズには珍しくむごい死に方をするけれど、おじさんはルークの自由を奪い管理する、ルークにとっての最初のハードルだった。

 前回、『七人の侍』の島田勘兵衛がクワイ=ガン・ジンとメイス・ウィンドゥに投影されていると書いたが、劇中での両者の扱いは正反対だ。
 勘兵衛の人格面を反映させたクワイ=ガン・ジンは、その死をみんなに惜しまれ、手厚く葬られる。他方、勘兵衛の指導的な立場や外形的な面を反映させたメイス・ウィンドゥは、アナキンの意志を抑えつけて命令する存在だったから、劇中で極めて冷淡に扱われる。ダース・シディアスとの戦いに敗れた彼は窓の外に吹き飛ばされ、ただ小さく消えるだけなのだ。ジェダイ評議会の長という重要な人物でありながら、その死は誰にも顧みられない。

 ルーカスの一貫性を考えるとき、オリジナル三部作と前日譚三部作はどこも欠かせない大きな物語の一部なのだと痛感する。

(次回「物語の終りと後日譚」につづく)


スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃 スチールブック仕様 [Blu-ray]スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』  [さ行]
監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス  脚本/ジョナサン・ヘイルズ
出演/ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド ペルニラ・アウグスト クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ジミー・スミッツ フランク・オズ テムエラ・モリソン ダニエル・ローガン ジャック・トンプソン オリヴァー・フォード・デイヴィス アーメッド・ベスト
日本公開/2002年7月13日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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【genre : 映画

tag : ジョージ・ルーカス ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド ペルニラ・アウグスト クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー

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