スター・ウォーズに見る黒澤明4: 『ファントム・メナス』の主人公は誰?

(前回「『ジェダイの復讐』の終りはあれでいいの?」から読む)

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』を公開したのち、ジョージ・ルーカスには思うところがあったのだろう。
 『七人の侍』をベースに三部作をつくることで、黒澤明をリスペクトしつつ、自己のテーマを前面に打ち出した、はずだった。しかし時間が経てば、やり残したこと、足りなかったことが気になるものだ。そして以前は見通せていなかったものも見えてくる。

 九部作構想を打ち上げたにもかかわらず、スター・ウォーズ・シリーズに関しては休眠同然になってしまったルーカスが、再びこのシリーズに向き合うことにしたのは、相応の問題意識があったからに違いない。その問題を解消することが、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』を作る意義の一つだったはずだ。

 すなわち、『ファントム・メナス』にはじまる前日譚の三部作を観れば、先行するオリジナルの三部作に欠けていたものが浮き彫りになるはずだ。ルーカスをして、オリジナル三部作だけで終わらせるのは片手落ちだと危惧させたもの。オリジナル三部作に加えて前日譚三部作を作れば、(たとえ後日譚三部作がなくても)シリーズは完成だと考えさせたもの。それらがルーカスを突き動かして、新たな三部作を、全六部作を作らせたはずだ。

 単にスター・ウォーズ・シリーズを観るだけでは判りにくいが、これまで述べたようにこのシリーズが黒澤映画をベースにするなら、特に『七人の侍』の再現を目指したならば、『七人の侍』とオリジナル三部作の違いを知ることで、ルーカスのやり残したこと、足りなかったことが見えてくるだろう。

 そう考えて改めて眺めると、オリジナル三部作の問題点に気づく。


■ルークはそこにいなかった

 ジョージ・ルーカスは(米国の他の映画人同様)とても思慮深く、世の中の政治的・社会的側面への関心も強い人だと思う。それは何も政治活動をしているとか、実生活がどうだということではなく、映画の題材の選び方や、作品に込められたメッセージから感じるのだ。そんな人でなければ、人間性と管理社会の問題を取り上げた『THX 1138』のような映画は作らないだろう。興行面での憂いがなければ、ルーカスはこのデビュー作のような映画をずっと作り続けたのではないか。
 そんなルーカスだから、娯楽作のスター・ウォーズ・シリーズといえど政治的にも社会的にもきちんとさせたかったはずだ。手本にした『七人の侍』が、切れのいいアクション映画でありながら、人間性の掘り下げにおいても社会の洞察においても優れた映画であったように。

 それだけに、『ジェダイの復讐』にはいささか気になるところがある。イウォーク族の扱いが、未開種族を見下しているようなのだ。イウォークがC-3POを神様と思い込んだのを利用するのは相手の無知と愚かさにつけ込むようだし、レイアが食べ物を与えて仲良くなるのは動物の餌付けのようだ。そんなつもりではないのだろうが、原始的なパワーを強調しようとしてイウォーク族を未開に描き過ぎている。

七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版 『七人の侍』の農民と侍の関係はまるで違う。もちろん立場や技能の違いはあるが、農民と侍それぞれの至らないところや浅はかなところを描いた上で、両者の溝を埋める過程が丁寧に描写されていた。だから侍の「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」という言葉に重みがある。

 ルーカスもはじめは判っていたはずだ。ルークがウーキーの部族長と決闘し、相手に勝って種族の信頼と支持を勝ち取るという初期構想は、未開種族の無知につけ込んで焚き付けるのではなく、相手の文化を異質だが対等のものとして尊重することだったに違いない。
 背景にベトナム戦争があるというなら、最後は二つの社会の融和を描かなければならなかったのに、『ジェダイの復讐』はそこまで踏み込めなかった。


 ルークの扱いも上手くない。
 初期構想ではルークがウーキーの信頼と支持を勝ち取り、帝国攻撃を率いるはずだった。けれども『ジェダイの復讐』ではルークとイウォーク族にほとんど交流がない。複数の事件が並行して進む緊迫感を好むルーカスは、『ジェダイの復讐』でもエンドア上のシールド発生機破壊作戦と第2デス・スター内のルークとダース・ベイダーの対決を並行して描いたからだ。このためルークは、イウォーク族がシールド発生機を襲撃する場からいなくなってしまった。

 ルークを農夫出身にしたことが活かされていない。『七人の侍』では、菊千代が侍と農民のあいだを取り持ち、彼の農民出身という設定が欠かせないものになっていた。『七人の侍』に照らして考えれば、お姫様育ちのレイアは未開種族との接し方が判らず、裏街道で生きてきたハン・ソロも勝手が判らず、辺境の諸種族とやりとりして暮らしていたルークだけがイウォーク族と交流できる……という展開が期待されるところだった。


 『七人の侍』の三部構成、すなわち仲間が集まり敵との戦いに盛り上がる第一パート、旅を経てキャラクターの心情や悩みを掘り下げた第二パート、戦いの中で人々の命運が決まる第三パートを、そのまま当てはめて三部作にしてみたものの、総じて『七人の侍』の緻密で完璧な構成には及ばなかった感がある。
 ルーカスほどの人が、これらの問題に気づかないはずはない。

 そこでルーカスは『七人の侍』に再挑戦した。
 『ファントム・メナス』で。


スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス■メイス・ウィンドゥがハゲてる理由

 ジョージ・ルーカスが前日譚三部作の脚本執筆に取りかかったのは1994年である。『ジェダイの復讐』の特別篇が公開された1997年には『ファントム・メナス』を撮影しているから、特別篇の改変は『ファントム・メナス』の内容を固めた上で行われたのだ。
 『ジェダイの復讐』の特別篇でいったん『七人の侍』らしさを薄めたのは、この後でルーカスなりの『七人の侍』を提示する目途が立っていたからだろう。

 『ファントム・メナス』はとても丁寧に『七人の侍』をなぞっている。
 『ファントム・メナス』と『七人の侍』のストーリーを簡単に追ってみよう。

『七人の侍』『ファントム・メナス』
野武士集団に狙われた農村。村人たちは相談の上、侍を雇うため町に向かう。通商連合の攻撃対象にされた辺境の惑星ナブー。アミダラ女王らはナブーの窮状を訴えるために銀河共和国の首都コルサントに向かう。
村人は、町で雇った侍を村に連れて帰る。旅の途中で加わった者も入れて、侍は七人だった。アミダラ女王らは、護衛の名目のジェダイの騎士クワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービをナブーに連れて帰る。旅の途中で加わったアナキンらも一緒だった。
七人の侍は、侍を警戒する農民たちの理解を得て、ともに戦う準備をする。一行は、ナブーの水棲人グンガンの理解を得て、ともに戦う準備をする。
野武士集団に比べれば貧弱な装備ではあるが、農民たちは善戦し、雇った侍とともに勝利する。バトル・ドロイド軍団に比べれば貧弱な装備ではあるが、グンガンたちは善戦し、ジェダイの騎士や地上人とともに勝利する。
戦いの犠牲になった者を弔い、村人たちは賑やかに田植え唄をうたう。戦いの犠牲になった者を弔い、グンガンの賑やかな音楽に乗せて水棲人と地上人の平和共存を宣言する。


 こうして俯瞰してみると、『ファントム・メナス』の奇妙な構成にも得心する。
 クワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービは『ファントム・メナス』の冒頭で惑星ナブーに到着しているのに、いったん首都コルサントに戻り、また惑星ナブーに赴く。なんだか銀河を行ったり来たりしてるように感じるのは、本来は首都コルサント(町)で登場すればよいジェダイの騎士(侍)を最初に出してしまったからだ。
 『新たなる希望』では映画開始から20分も主人公を出さないという斬新な手法に踏み切ったルーカスも、さすがに映画開始からアミダラ一行が帰途につくまでの一時間半もクワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービを出さないわけにはいかなかったのだろう。

 しかもオリジナル三部作でオビ=ワンが「アナキンと出会ったとき、彼はすでに名パイロットだった」と口にしてしまっているから、九歳なのに名パイロットという不合理を説明するためにポッド・レースのシークエンスを必要とした(オビ=ワンは「戦闘機の名パイロット」とは云ってないから、ポッド・レースでもOK)。となると、映画の前半が盛り沢山になるので、ますますクワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービを早く出しておかねばならない。
 スター・ウォーズの世界と『七人の侍』を融合させようとするルーカスの苦労がしのばれる。


スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 登場人物も『七人の侍』にならっており、両作での行動やラストの立ち位置を見れば、登場人物がほぼ一対一で対応していることが判る。
  • 優れた知恵者で武術も一流、リーダー格の島田勘兵衛は、ジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジン。
  • 島田勘兵衛と付き合いが長く、その片腕となって活躍する七郎次は、クワイ=ガン・ジンのパダワン(弟子)であるオビ=ワン・ケノービ。
  • 一行の中の最年少、まだ未熟者で員数外として扱われもしたが、戦いではちゃんと役に立つ岡本勝四郎は、ジェダイになることを反対されたアナキン・スカイウォーカー。村に逗留した勝四郎が、村の娘と恋仲になるところも、アナキンとアミダラの恋に反映されている。
  • 寡黙ながら腕が立ち、いつもそばにいて敵を倒してくれる久蔵は、ナブー王室警備隊のパナカ隊長であろう。
  • アミダラは勝四郎と恋仲になる現地の娘でもあるが、道中や戦いにおいては、思慮深く人望の厚い片山五郎兵衛。
  • 戦いの腕はいま一つだが、ムードメーカーとして存在感のある林田平八はR2-D2。

 面白いのは、私がもっとも好きなキャラクター島田勘兵衛が、『ファントム・メナス』では二人の人物に投影されていることだ。知恵が回り、包容力もあり、誰からも信頼される人格面はクワイ=ガン・ジンに、侍たちのリーダーとしての立場や剃髪、服装等の外形的な面はメイス・ウィンドゥに託されている。
 おそらくルーカスも島田勘兵衛に思い入れがあり、勘兵衛に相当する人物を是非とも出したかったのだろう。だが、勘兵衛ほどの人格者がジェダイの騎士たちの中心にいれば、アナキンがダークサイドに堕ちるはずがない。そこでルーカスは、勘兵衛の人格面と外形的な面を分離し、人格面のキャラクターは存分に活躍させた上で重要な伏線として丁重に葬り(この伏線については次回述べる)、外形的な面のキャラクターを勝四郎(アナキン)に厳しく当たる存在として残したのではないか。

 時代劇を見渡しても、出家せずに剃髪している武士のヒーローは島田勘兵衛くらいだろう。武士は髷が結えないほどハゲてきたら隠居するのが慣わしだったそうだから、ハゲ頭のまま活躍したらおかしいのだ。それなのに躊躇なく剃髪するところに勘兵衛の凄さがある(勘兵衛がなぜ剃髪したかは『七人の侍』の序盤で明らかになる)。
 スター・ウォーズ・シリーズには無毛のエイリアンもいるから判りにくいが、人間(地球人型)のジェダイでハゲているのはメイス・ウィンドゥだけだ。『ファントム・メナス』の撮影時は毛があったサミュエル・L・ジャクソンに、わざわざ頭を剃らせたところに、勘兵衛の影響が見て取れる。

 さて、前回説明したように、『七人の侍』の主人公は三船敏郎さんが演じた菊千代だ。
 登場人物の対応を見ていくと、もう彼しかいないだろう。
 『ファントム・メナス』の真の主人公はジャー・ジャー・ビンクスなのだ。


■ジャー・ジャー・ビンクスは三船敏郎!?

 もちろん前日譚三部作を通しての主人公はアナキン・スカイウォーカーだ。
 しかし、九歳の彼にもそれなりの見せ場はあるものの、こと『ファントム・メナス』に限れば、物語を引っ張るのはクワイ=ガン・ジンやアミダラだ。そしてルーカスが重要なテーマという「発展途上の社会が先進社会に立ち向かう様子」を体現しているのがジャー・ジャー・ビンクスだ。

ブロマイド写真★『スター・ウォーズ/EP1』ジャー・ジャー・ビンクス/驚く 『ファントム・メナス』におけるジャー・ジャー・ビンクスの位置づけは、『七人の侍』における菊千代にそっくりだ。
 菊千代は侍ではない。だから勘兵衛は菊千代を仲間にするつもりではなかったのだが、なりゆきから行動をともにすることになる。へらず口をたたいてばかりの菊千代は、とんだ邪魔者だ。
 勘兵衛たちは農村に到着するが、農民にすれば勘兵衛たちも野武士と同じ侍。容易に打ち解けるものではない。そこで両者のあいだを取り持ったのが菊千代だ。農民と侍の接点となる菊千代がいたおかげで、生き方も考え方も違う両者が共闘することになる。
 この内容は、勘兵衛をクワイ=ガン・ジンに、農民をグンガンに、菊千代をジャー・ジャー・ビンクスに置き換えれば、そのまま『ファントム・メナス』になるだろう。

 『ジェダイの復讐』と『ファントム・メナス』との違いは、同じように原住民の力を借りて戦いながら『ファントム・メナス』が相手の文化を尊重し、二つの社会の融和を強調していることだ。『ファントム・メナス』がグンガンの族長ボス・ナスの「Peace!」という言葉で締めくくられることからも、ルーカスがこれを重視しているのが判る。
 その大事なテーマの体現者であり、かつて出演を熱望した三船敏郎さんに相当するキャラクターが、主人公でなくてなんだろう。


 しかし、ジャー・ジャー・ビンクスは大失敗だった。架空のキャラクターなのに第20回ゴールデンラズベリー賞の最低助演男優賞を受賞した上、2006年のアンケートでは映画史上もっとも不愉快なキャラクターの1位に選ばれてしまった。これほど嫌われるキャラクターも珍しい。
 『七人の侍』の菊千代は嫌われるどころか人気者なのに、いったいこれはどうしたことか。

 失敗の理由は、ジャー・ジャー・ビンクスがブロンだったからだ。
 ブロンといっても、エスエス製薬のクスリでもフランスの地名でもない。ここでいうブロンは、星新一氏の小説『リオン』に出てくる果物のことだ。植物学者がブドウとメロンを掛け合わせて、メロンのように大きな実がブドウのようにたくさんなる果物を作ろうとしたが、できたのはブドウのように小さな実がメロンのように少ししかできない果物だった、という切ない話だ。與那覇潤氏が「二つのもののいいとこ取りをしようとして、悪いところの組合せになってしまう」ことの例えとして、しばしば持ち出す話である。

 ジャー・ジャー・ビンクスが何からできているかというと、一つはもちろん『七人の侍』の菊千代だ。もう一つはルーカスがDVDの音声解説で明かしている。喜劇王バスター・キートンだ。
 なるほど、ジャー・ジャー・ビンクスの滑稽な動きは、バスター・キートンそのものだ。特にクライマックスの戦いで、斜面を転がる大きな玉に追いかけられるシーンは、『キートンのセブン・チャンス(キートンの栃麺棒)』の再現だ。キートンが斜面を逃げ回るところは抱腹絶倒の名場面。高畑勲・宮崎駿コンビも『ルパン三世』第20話「ニセルパンを捕えろ!」でそっくりそのまま再現している。

 ルーカスとしては、三船敏郎さんが演じて強烈な印象を残した菊千代と、喜劇王と呼ばれたバスター・キートンを混ぜることで、最強の人気者を誕生させようとしたのだろう。
 しかし、へらず口をたたきながらも戦いではしっかり活躍する菊千代と、普段は寡黙で目立たないが失敗続きで笑わせるバスター・キートンを混ぜた結果、お喋りがうるさい上に失敗ばかりで役に立たない最悪のキャラクターができてしまった。これほどひどいブロンの例はまたとあるまい。

 エピソード2以降になると、ジャー・ジャー・ビンクスの出番は哀れなほど減ってしまう。
 不人気ゆえの処置だろうが、少々擁護しておくと、二つの社会の架け橋となる彼の(菊千代としての)役割は『ファントム・メナス』をもって終わっていたから、もとより出番は削減可能だったのだ。


隠し砦の三悪人■さらなる黒澤映画への傾倒

 『ファントム・メナス』の下敷きになった黒澤映画は、『七人の侍』だけではない。

 アミダラ一行の脱出行では、一作目『スター・ウォーズ』と同じく『隠し砦の三悪人』を取り入れている。
 『隠し砦の三悪人』の雪姫は正体を隠して村娘に扮し、身代わりを立てて行動したが、『スター・ウォーズ』のときはこの要素だけ取り入れていなかった。『ファントム・メナス』のアミダラは雪姫を真似て侍女に扮し、影武者を立てて行動する。

 『スター・ウォーズ』の初期の草稿では、雪姫が村娘から姫らしい格好に戻ったように、見違えるようにきれいになったレイア姫が登場するラストが考えられていたようだが、完成した『スター・ウォーズ』では少々着飾っただけだった。身分を隠さないレイア姫に、雪姫のような劇的な変化は難しかったのだろう。
 『ファントム・メナス』ではこの構想も復活して、映画の最後に美しく着飾ったアミダラが登場する。

Kagemusha - The Criterion Collection (影武者 クライテリオン版 Blu-ray 北米版) 1977年公開の一作目のときは影武者の設定を使わなかったルーカスが、1999年の『ファントム・メナス』から積極的に使うようになったのは、プロデューサーとして関わった1980年の『影武者』の影響も考えられる。黒澤監督にカンヌ国際映画祭グランプリ(現パルム・ドール)をもたらした『影武者』によって、ルーカスは影武者というモチーフの重要性、すなわち身代わりを立ててでも我が身の保全を考えなければならない権力者の責務と、権力者のように振る舞っても実際には何の力もなく使い捨てになる影武者の悲哀を認識したのではないか。『スター・ウォーズ』のレイア姫は銃をぶっ放して活躍するだけだから影武者なんていらないが、アミダラの政治家としての側面を強調するには効果的なモチーフだ。


 また、起伏の激しい草原におけるグンガンの騎馬武者たちと通商連合のドロイド軍の戦いも、時代劇映画の合戦シーンの再現だろう。のぼりや羽をつけた騎馬武者たちが鉄砲隊と対峙する時代劇は幾つもあるが、合戦の場が草原であることや、ロケ地になかった丘をわざわざ合成して丘に囲まれた合戦場を演出していることから、これは1985年の黒澤映画『』を意識したに違いない。槍や投石で戦うグンガンたちが、大小の火器で武装したドロイド軍に圧倒されていく様は、騎馬武者たちが鉄砲隊に圧倒される『乱』を見事になぞっている。

乱 4K Master Blu-ray BOX 『七人の侍』のストーリーを追いながら、クライマックスの戦いを大軍が激突する『乱』に差し替えるなんて、ルーカスの発想には恐れ入る。
 『七人の侍』は、題名のとおり七人の侍が農民と協力して四十人の野武士集団と戦う話だ。四十という数は、手強いけれど、もしかしたら七人で食い止められそうな気がして絶妙だ。ただし、『七人の侍』の内容ならこれでいいが、七人対四十人ではスケールの広げようがない。そこをわきまえずにリメイク作『宇宙の7人』(1980年)のようにわずか七人のおかげで悪の帝国を倒せたりすると、不自然さが目立ってしまう(それなりに面白い映画だったが)。
 その点、ルーカスのバランス感覚はさすがである。

 VFXスーパーバイザーのデニス・ミューレンは、丘の上にドロイド軍が出現するシーンの音声解説で「ジョン・フォードの映画が元だ」と述べている。同じような映像は黒澤明監督の『七人の侍』や『乱』にも見て取れる。優れた着想は時代を超えて受け継がれているということだろう。


 『ファントム・メナス』は『七人の侍』に再挑戦した上に、『隠し砦の三悪人』や『乱』や、おそらく『影武者』をも織り交ぜて、黒澤映画のエッセンスを凝縮した作品だ。エピソード4~6の三本でやったことを一本にぎゅう詰めにした、実に面白い映画なのだ。

 ところが、『ファントム・メナス』で『七人の侍』をおさらいしたことには別の意味もあった。
 「ファントム・メナス(The Phantom Menace)」、訳せば「見えざる脅威」とは、密かに陰謀を巡らせるダース・シディアスを指しているといわれるが、おそらく題名の意味するところはそれだけではない。

(次回「ダース・ベイダーとは何者なのか?」につづく)


スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』  [さ行]
監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス
出演/リーアム・ニーソン ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ジェイク・ロイド サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド ペルニラ・アウグスト ヒュー・クァーシー ブライアン・ブレッスド アーメッド・ベスト アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー テレンス・スタンプ レイ・パーク フランク・オズ キーラ・ナイトレイ オリヴァー・フォード・デイヴィス ワーウィック・デイヴィス
日本公開/1999年7月10日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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