スター・ウォーズに見る黒澤明3: 『ジェダイの復讐』の終りはあれでいいの?

(前回「『帝国の逆襲』の沼地の意味」から読む)

スター・ウォーズ エピソードVI/ジェダイの帰還 スチールブック仕様 [Blu-ray]■銀河大戦が森の村祭で終り!?

 シリーズ化できるかどうか判らない中でつくった一作目『スター・ウォーズ』(エピソード4『新たなる希望』)が、単体の映画としてはもっとも面白くて完成度が高いと私は思う。だが、シリーズ中で一番好きな作品はどれかと問われれば、エピソード6『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』を挙げたい(DVD-BOXの発売以降、『Return of the Jedi』の邦題は『ジェダイの帰還』に改められているが、当ブログでは初公開時の題名にならって『ジェダイの復讐』と表記する)。

 なにしろここには私が好きなSFの要素がたっぷり入っているのだ。惑星タトゥイーンの砂漠をセール・バージが飛ぶ様は、飛行艇が飛び交うE・R・バローズの火星シリーズそのものだし、森の星エンドアの巨木の世界は同じくE・R・バローズの金星シリーズを彷彿とさせる。
 もちろん『フラッシュ・ゴードン』ファンのジョージ・ルーカスのことだから、巨木の世界は『フラッシュ・ゴードン』のアーボリアにならったものだろう(ついでにいえば、『帝国の逆襲』のクラウド・シティは『フラッシュ・ゴードン』の空中都市、氷の惑星ホスは同じく『フラッシュ・ゴードン』のフリージアであろう)。
 しかし、『フラッシュ・ゴードン』の作者アレックス・レイモンドはE・R・バローズの作品をなぞっており、そこからルーカスは影響を受けたのだから、ルーカスの作るものがバローズファンの私の好みに合うのはとうぜんだ。
 その上『ジェダイの復讐』は、ルークが主人公のオリジナル三部作の完結編だけあって、派手な宇宙戦にもこと欠かない。E・E・スミスやエドモンド・ハミルトンのスペースオペラが好きな私には、これまた嬉しい内容だ。

 宇宙軍大元帥こと野田昌宏氏も『ジェダイの復讐』がよほど気に入ったのだろう、月刊スターログの誌上座談会だったと思うが、それはもう大はしゃぎで絶賛していた。
 ところが、だ。座談会の席上、別の出席者から「トランターが出ないのはおかしい」と文句を付けられてしまう。トランターとはアイザック・アシモフのSF小説ファウンデーションシリーズ(銀河帝国興亡史)に登場する銀河帝国の首都のことで、SFファンには「銀河帝国の首都」を指す普通名詞として通じるくらいよく知られたものだ。さすがの野田大元帥も「なぜトランターを出さないのか」という指摘に答えられず、『ジェダイの復讐』は「面白いけど玉に瑕」みたいな結論で座談会が終っていた記憶がある。

 たしかにそれは疑問だった。
 というより、スター・ウォーズ・シリーズの構成にはおかしいところがあり、『ジェダイの復讐』にはそのおかしさが端的な形で噴出していた。
 『ジェダイの復讐』はタトゥイーンの荒地で幕を開ける。いつも三つの星を舞台にして観客を飽きさせないこのシリーズは、『ジェダイの復讐』でも先例にならった。
 
『新たなる希望』砂漠の惑星タトゥイーンデス・スター秘密基地ヤヴィン
『帝国の逆襲』氷の惑星ホス沼の惑星ダゴバ雲の惑星ベスピンのクラウド・シティ
『ジェダイの復讐』砂漠の惑星タトゥイーン森の月エンドア第2デス・スター

 『新たなる希望』が辺境のタトゥイーンではじまるのは判る。映画の舞台を生まれ故郷から戦いの中心であるデス・スターやヤヴィンに移していくことで、青年ルークの成長を演出したのだ。
 『帝国の逆襲』では登場人物の気持ちの揺れを表すように、いろんな星をふらふら巡った。極寒のホス、泥沼のダゴバ、形の定かでないべスピンと、どの星も登場人物の心情と立場を表現する上で効果的に配置されていた。

 だから、完結編となる『ジェダイの復讐』では首都惑星コルサントをはじめ帝国の中心部を舞台にして、物語を華々しく締めくくって欲しかった。銀河文明の粋を極めた映像を見せて欲しかった。いつまでも辺境を舞台にしていては帝国に決定的なダメージを与えられないだろうし、物語としても不自然だ。
 観客の多くがそう思いながら『ジェダイの復讐』に臨んだはずだ。
 ところが、あろうことか舞台は物語の起点である辺境の地タトゥイーンに戻ってしまう。そしてタトゥイーンよりもっと辺鄙な、銀河文明から隔絶された密林のエンドアに突き進み、ここで大団円を迎えてしまう。

スター・ウォーズ エピソードVI/ジェダイの帰還 スチールブック仕様 [Blu-ray] あれ? 帝国の首都は、中心部はどうなってるの? と疑問に思った人も多いはずだ。1997年の特別篇以降はほんの一瞬首都の様子が挿入されたが、本来オリジナル三部作にコルサントはまったく出ていなかった。

 これではまるで、富と名声を夢見てテキサスを出たのにニューヨークに行かなかった『真夜中のカーボーイ』、歌手になりたくてアイオワを出たのにロサンゼルスに行かなかった『バーレスク』だ。『スター・ウォーズ』は青春映画だと先に述べたが、あんなに出たがっていた故郷に舞い戻り、都会で夢に挑戦しないなんて、ちっともハリウッドの青春映画らしくない。
 銀河帝国と反乱同盟軍との銀河大戦を描いた一大叙事詩としても、その掉尾を飾るのがクマの縫いぐるみのような連中の村祭でいいのだろうか。
 座談会の出席者が野田氏のはしゃぎっぷりに水を差したのも、そう感じたからだろう。私も当時、辺境だけで終ることに首をひねった。

 もっといえば、スター・ウォーズ・シリーズはバランスがおかしくて、タトゥイーンを取り上げすぎている。タトゥイーンは『新たなる希望』、『ジェダイの復讐』、そしてエピソード1『ファントム・メナス』の主要な舞台であり、エピソード2『クローンの攻撃』でも重要な位置づけで登場する。エピソード3『シスの復讐』のシーンも印象的だ。要は、全六部作のうち『帝国の逆襲』を除くすべてで重要な舞台になっている。
 いくら主人公の故郷でも、銀河大戦の行く末に(そしてクローン戦争にも)関係のなさそうな辺境の星がなぜ星間戦争の物語"スター・ウォーズ"でこれほどクローズアップされるのか。


■ルークと他のSFヒーローとの違い

 もちろん、こうなったのはジョージ・ルーカスに構成力がないからではない。物語作りが下手なのでもない。
 設問の立て方が間違っているのだ。
 「首都が出ないのはおかしい。」誌上座談会で話題になったこの疑問には、こう切り返すべきだった。「首都が重要なのだろうか?」

 ここで、ルーク・スカイウォーカーの出自の特徴を思い返してみたい。
 父がジェダイの騎士だったとか、強力なフォースの持ち主だとか、そんなことはどうでもいい。レンズマンシリーズのキムボール・キニスンも、デューンシリーズのポール・アトレイデスも、スター・ウォーズ・シリーズに影響を与えたといわれるSFのヒーローはたいていルークと同じような特徴を持っている。

 ルーク・スカイウォーカーが際立っているのは、彼が農夫だったことだ。物語の都合上、ルークは機械いじりが得意で優秀なパイロットということになっているが、彼は家の農業を手伝って暮らしていたのだ。
 農夫のSFヒーローとは珍しい。キムボール・キニスンは(おそらくレンズマン一家の出身で)レンズマン養成校の首席卒業生だし、ポール・アトレイデスは大公家の世継ぎだった。火星シリーズのジョン・カーターは軍人で、金星シリーズのカースン・ネイピアは大富豪だ。冴えないサラリーマンが実は……という作品もあるものの、SFは科学技術の発展を背景としたジャンルだから、田舎の農家の青年を主人公に立てる発想はあまりなかったのだと思う。

 では、ジョージ・ルーカスはどこから農夫をヒーローにする着想を得たのか。
 先例があるのだ。農村から旅立って、激しい戦いの末に農村で大団円を迎える物語が。史上最高の映画を選べば必ず上位に入る名作中の名作、黒澤明監督の『七人の侍』である。


■三部作全体で一本の映画をなぞったルーカス

七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版 武者修行中の武士はどうやって食べていたのだろう。そんな疑問から文献を調べ、武士が農村の警護のようなことをして食べさせてもらう例があることを知った黒澤明監督と脚本家陣が、トルストイの『戦争と平和』を根底に、ファジェーエフの『壊滅』のエピソードを織り込んで構想したのが『七人の侍』だ。その素晴らしさはどれほど言葉を尽くしても語り足りない。1954年の公開から半世紀以上を経ても、この作品を超えるアクション映画があろうとは思えない。

 話は田舎の農村からはじまる。凶暴な野武士集団が略奪に来ると知った村人たちは、侍を雇い、村を守ってもらおうとする。町に出て侍を探すが、遠い農村まで行って野武士と戦う者はいない。ようやく集まったのは、わずか七人。農村にやってきた七人の侍と農民たちは、力を合わせて野武士集団との戦いに臨む。

 主人公はもちろん七人の侍たちだ。いずれも個性的で、映画を観たあとは全員のファンになってしまう。私が一番好きなのは志村喬さんが演じたリーダー格の島田勘兵衛だが、あえて主人公を一人に特定するなら三船敏郎さん演じる菊千代だろう。クレジット上の扱いも、三船敏郎さんが一番だ。
 そしてスター・ウォーズ・シリーズとの関連で注目すべきは、菊千代が侍ではない点だ。『七人の侍』という題に反するようだが、農民出身の菊千代は侍に憧れて侍になりたくて仕方がない男なのだ。侍に交じって一緒に戦うことが嬉しい彼は、勘兵衛の指示の下で大活躍する。
 この位置づけは、農家の手伝いよりも戦闘機のパイロットになりたがっていたルークと同じだ。そしてルークはオビ=ワン・ケノービの指導によって、戦闘機乗りどころか伝説のジェダイとして活躍する。

 『七人の侍』は、決して侍だけが活躍する物語ではない。他からやってきた腕っこきの侍たちの協力を得つつ、武器や罠を工夫して重装備の野武士軍団と戦うのは地元の農民だ。百戦錬磨の侍たちに比べれば、農民の戦いぶりは素朴であり、滑稽ですらある。けれども彼らの必死さこそが最後には野武士を撃退し、勝利をもたらすのだ。
 このシチュエーションは、そっくりそのままハン・ソロやレイアたち反乱同盟軍の兵士たちと、エンドアの原住民イウォーク族に投影されている。第2デス・スターを破壊するには強力なシールドを止めねばならないし、シールドを止めるにはエンドアのシールド発生機を破壊しなければならない。そしてエンドアの帝国軍兵士に勝てたのはハン・ソロやレイアだけの力ではなく、帝国軍が未開の原住民として歯牙にもかけなかったイウォーク族の奮闘があったからだ。帝国に勝ったのはイウォークなのだ。

 『七人の侍』の野武士集団も、農民なんて略奪し放題だと思っていた。まさか彼らが歯向かうとは、侍を連れてきてまで自分たちを負かすとは思いもしなかった。民衆を蔑み、己の力を過信する者は、民衆に打ち負かされるのだ。
 しょせんは切った張ったばかりの侍と違い、戦いが終れば農民たちは田畑に戻る。彼らには戦いよりも大切なことがあるのだ。総出で田植えにいそしむ村人たちを前に、生き残った侍は「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」とつぶやく。ここには、大地に根差して生きていく民衆への畏敬の念がある。
 『七人の侍』のこの強烈なメッセージを、ジョージ・ルーカスは三部作の最後で見事に再現した。死したジェダイたちに見守られて祭ばやしを奏でるイウォークたちは、農村を見守るように建てられた墓の前で田植え唄をうたいながら田んぼに入る『七人の侍』の村人たちに他ならない。

スター・ウォーズ・クロニクル 大型本 このアイデアは『ジェダイの復讐』を作る段になって思いついたものではない。『スター・ウォーズ・クロニクル』からイウォークのコンセプトについての解説を抜粋しよう。[*]
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原始的なパワーが近代テクノロジーを打ち負かすという図式は、ルーカスのいわば根本理念とでも言うべきものであった。『ジェダイの復讐』を構成する基本プロットの一つは、すでに1作目の企画当初に検討されていたものである。1作目の原案では、ルークはチューバッカの星でウーキーの部族長と決闘し、相手に勝って種族の信頼と支持を勝ち取る。ルークはウーキー族に宇宙戦闘機の操縦法を伝授し、一斉に帝国の要塞に総攻撃をかけることになっていた。
ウーキー族はチューバッカに代表される知的な種族に昇格してしまったため、この基本プロットは手直しされ、イウォークという未開種族の新設定と共に『ジェダイの復讐』で復活を遂げたのである。
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 「部族長と決闘し、相手に勝って種族の信頼と支持を勝ち取る」というくだりは火星シリーズや『フラッシュ・ゴードン』にも見られるお馴染みのパターンだが、これらの作品がどちらかというと高度なテクノロジーを持っていながら分裂している勢力を糾合して帝国に立ち向かう(=反乱同盟軍)のに対して、「操縦法を伝授し、…総攻撃をかける」のは七人の侍が農民に戦い方を教える展開に近い。

 『ジェダイの復讐』に――それどころかオリジナル三部作全体を通して銀河帝国の首都が出てこない理由はもうお判りだろう。スター・ウォーズ・シリーズのオリジナル三部作のベースには、黒澤映画『七人の侍』があるのだ。『七人の侍』の舞台は辺境に終始し、都は出てこない。戦いの場は農村とその周辺だけだ。戦いに勝った侍たちは都に凱旋したりもしない。農民の力強さを描くのに都は関係ないのだ。
 だから、オリジナル三部作も最後まで銀河の中心部は描かなかったし、ラストは村祭でなければならなかった。『七人の侍』という偉大な映画の中に『隠し砦の三悪人』や『姿三四郎』を包含し、みずからの手で黒澤映画の集大成を作り上げる。それがスター・ウォーズ・シリーズだったのだ。


■『スター・ウォーズ』を構想したのはベトナム戦争中だった

 ここにはジョージ・ルーカスが見てきた現実の世界も影響している。
 日本や米国の戦争観には似通ったところがある。対戦国の首都を陥落させたり元首を降伏させれば戦争は終ると考えがちなのだ。大日本帝国は中華民国の首都南京を陥落させれば日中戦争が終ると考えたし、米国はイラクの首都バグダードを占拠し現地政権を倒せばイラク戦争は終ると考えた。ところがそう考える国ばかりではない。南京が陥落しても中華民国の蒋介石政権は首都を武漢や重慶に移して戦争を続けたし、バグダードを占拠してもフセイン大統領を捕まえてもイラクでの戦闘は収まらなかった。

 60年代から70年代にかけて泥沼化したベトナム戦争も同様だ。世界最強の軍事大国アメリカが長年にわたり最新鋭の装備と軍隊を投入したにもかかわらず、ジャングルでゲリラ戦を展開するベトナム人たちに勝利することができなかった。エピソード1『ファントム・メナス』のDVDに収録された音声解説で、ジョージ・ルーカスは述懐している。
 「ベトナム戦争中に育ったので、発展途上の社会が先進社会に立ち向かう様子が印象に残っている。大学生の頃はそういう時代だった。人間の強い信念と精神力は優勢な軍隊に打ち勝つ力がある。人間としてとても感動するよ。一連の作品の中での重要なテーマの一つでもある。」
 『ジェダイの復讐』の音声解説でもルーカスは同様のことを繰り返している。

 ベトナム戦争では米国の首都ワシントンも商都ニューヨークも戦場にはならなかった。戦闘が行われたのは米国から遠く離れたジャングルだ。にもかかわらず超大国アメリカは敗れた。それがルーカスの知る戦争だった。
 この現実と『七人の侍』を前にしたとき、三部作がエンドアの森で締めくくられるのは必然だろう。


 加えて、舌を巻くのがジョージ・ルーカスの原住民の描き方の巧さだ。
 『七人の侍』は3時間27分の大作だ。映画は農村ではじまり、農民の苦悩や決断、麦の刈入れや侍との交流を描いて、農民たちの存在を観客に感じさせた。
 しかしイウォーク族は前二作に登場しておらず、あまりに唐突に出現した。その彼らがクライマックスの戦いで主役になるのを観客は受け入れてくれるだろうか。作り手なら誰しも案じるところだろう。

 そこでルーカスが採用したのが、「可愛い」という要素だ。縫いぐるみのクマのようなイウォークの愛くるしさったらない。イウォークの暮らしぶりとか苦悩とか理念とかは知らなくても、観客はイウォークに親しみを覚え、イウォークを応援するだろう。イウォークを差し置いて帝国軍に肩入れするはずがない。イウォークを可愛らしくしたことにより、ルーカスは黒澤明が3時間27分かけて観客に感じさせたことの大半を省略し、2時間13分の『ジェダイの復讐』にまとめ上げた。凄いぞルーカス。


スター・ウォーズ エピソードVI/ジェダイの帰還 Soundtrack■残念な終り方

 『ジェダイの復讐』のラストはシリーズ随一の名シーンだと思う。
 イウォーク族の原始的なパワーと村の活気を表現した名曲「イウォーク・セレブレイション」はリズミカルでノリがよく、ラストを締めくくるに相応しい。『七人の侍』のために早坂文雄が作曲した田植え唄の「ドッコイコラコラ、サーッサッ」という土俗的で力強いはやしことばに対抗できる曲を作るため、ジョン・ウィリアムズは苦労したことだろう。
 この曲をバックに、反乱同盟軍もイウォーク族も、先進国も発展途上国も、侍も農民も関係なく、祭を極限まで盛り上げたところで軽快なエンドタイトルに切り替える。この編集は実に素晴らしかった。

 ところが1997年、オリジナル三部作は化粧直しの上で特別篇として公開された。映像、音響の質が向上し、技術的予算的な制約で実現を見送られていたシーンが新たに加えられた。
 それで良くなった点も多々あるのだが、残念なのは『ジェダイの復讐』の終り方だ。

 ここまで述べたように、三部作の結末では、
 ・原住民の力強い村祭で締めくくる
 ・首都をはじめとする帝国の様子は敢えて見せない
ということが重要だ。ここを踏み外したら『七人の侍』にならないし、ルーカスの理念にも反するだろう

 ところが『ジェダイの復讐』の特別篇では、「トランターが出ないのはおかしい」という声に応えるように、帝国の首都をはじめ他の星々で皇帝の死と帝国の崩壊を祝う様子が映し出される。映像に合わせて音楽も、宇宙全体の祝祭のように包容力のある曲「勝利のセレブレーション」に替えられてしまった。DVDやBlu-ray Disc、テレビ放映等は改変後のバージョンを基にしている。

 1983年に『ジェダイの復讐』が初公開された頃は、ルーカスの胸にシリーズを全九作とする気持ちが――オリジナル三部作のあとにいずれは後日譚三部作をつくる気持ちがあったのだろう。エンドア以外の帝国の様子はそこで描けばよい、という考えもあったはずだ。だが、特別篇を公開した1997年には、その気持ちはなくなっていた。だから銀河系をあげての祝祭を描いて、長い長いシリーズの終幕であることを印象づけたに違いない。

 これはこれで一つの終り方だと思うけれど、当初の『ジェダイの復讐』とはまるで印象が異なっている。
 これではイウォーク族の祭ではない。「ドッコイコラコラ、サーッサッ」という田植え唄の力強さが失われている。
 『七人の侍』らしさを薄めてしまったジョージ・ルーカスは、変節したのだろうか。

 そうではない。
 このときすでにルーカスには、新たなプランがあったのだ。

(次回「『ファントム・メナス』の主人公は誰?」につづく)


[*] 『スター・ウォーズ・クロニクル』 (1995) 竹書房

スター・ウォーズ エピソードVI/ジェダイの帰還 スチールブック仕様 [Blu-ray]スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』 (DVD-BOX発売時に『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』に改題)  [さ行]
監督/リチャード・マーカンド  制作総指揮・原案/ジョージ・ルーカス
脚本/ジョージ・ルーカス、ローレンス・カスダン
出演/マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード ビリー・ディー・ウィリアムズ アレック・ギネス アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ピーター・メイヒュー フランク・オズ デヴィッド・プラウズ ジェームズ・アール・ジョーンズ セバスチャン・ショウ イアン・マクディアミッド
日本公開/1983年7月2日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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