スター・ウォーズに見る黒澤明1: 『スター・ウォーズ』とは何なのか
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スター・ウォーズ・シリーズほど人口に膾炙する作品はないだろう。世界中のファンが、スター・ウォーズ・シリーズのありとあらゆることを語り合い、語り尽しているはずだ。もう語る余地があるとは思えない。
それでも私がスター・ウォーズ・シリーズについて書きたいと思ったのは、エピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を観たからだ。ジョージ・ルーカスが監督せず、脚本を書かず、制作総指揮も務めない新作には、百人百様の受け止め方があるだろう。観客が抱く思いの違いは、先行する六作に対する思いの違いでもある。『フォースの覚醒』に喜ぶにせよガッカリするにせよ、それは六部作のどこが好きでスター・ウォーズ・シリーズに何を求めてきたかによるだろう。
かくいう私も『フォースの覚醒』を観て様々な思いを抱いたが、それは六部作への思いから引き起こされたものだった。
『フォースの覚醒』について語るには、まず六部作をどのように見て、どんな受け止め方をしているかを明らかにするべきだ。それが明らかであれば、改めて『フォースの覚醒』について語るまでもない。私はそう思う。
私ごときが考えることはすでに誰かが書いているだろうし、異論・反論も出ているに違いない。とはいえ、『フラッシュ・ゴードン』と並ぶSF映画の金字塔『スター・ウォーズ』とそのシリーズのことは、やはりきちんと整理して書き留めておきたい。
以下、愚説にお付き合いいただければ幸いだ。
■『隠し砦の三悪人』にどこまで似てるのか
よく知られているように、ジョージ・ルーカスが作りたかったのは『フラッシュ・ゴードン』だった。
『フラッシュ・ゴードン』は1934年からアレックス・レイモンドが新聞に描きはじめた連載マンガだ。流麗かつシャープな絵柄のアレックス・レイモンドは、その驚異的な画力において世界最高のコミックアーティストだと思う。『フラッシュ・ゴードン』はE・R・バローズのSF小説火星シリーズをそのままなぞったような話だが、アレックス・レイモンドの絵のおかげで極めて魅力的な惑星冒険もの(異国情緒に溢れた異星で繰り広げられる冒険物語)に仕上がっている。

多くの異星種族が同盟して悪の皇帝に反旗をひるがえすという『フラッシュ・ゴードン』の設定は、そっくり『スター・ウォーズ』に受け継がれている。
その上ルーカスは、『スター・ウォーズ』で連続映画のスタイルも踏襲しようと試みた。
連続映画とは、20分程度の続編映画を毎週一本ずつ公開し、十数週かけて一つの物語になる形式のことだ。テレビが誕生すると、テレビ業界は連続映画の真似をして、一つのドラマを毎週数十分ずつ放映した。現在のテレビドラマやテレビアニメと同じことを、昔は映画館でやっていたのだ。しかし、テレビに取って代わられて、連続映画はもう何十年も作られていなかった。
連続映画は、ヒーローとヒロインが前回の危機を脱するところからはじまり、新たな危機に陥るところで終わる。毎週この繰り返しだ。映画『スター・ウォーズ』でも、はじまった時点ですでにヒロインが危機に陥っている。レイア姫の乗った宇宙船タンティヴIVが帝国軍の戦艦スター・デストロイヤーに追撃されているところから映画がはじまるのだ。
これは型破りな作劇だった。連続映画だって一本目は主人公の紹介からはじまるものだ。連続映画の真ん中の一本を取り出すならいざ知らず、単体で楽しませるべき長編映画が主人公の紹介も事件の背景も経緯も端折っていきなり事件の渦中からはじまるなんて、それまでのハリウッドでは考えられなかっただろう。1966年、いきなり列車の暴走からはじまる映画『暴走機関車』を撮ろうとした黒澤明は、主人公の背景や暴走に至る経緯を書き込むべきだと主張する米映画会社と対立し、制作を中止する破目に陥っている。
十数週にわたる連続映画の真ん中の一本を取り出したような『スター・ウォーズ』のはじまり方は、天皇と呼ばれた偉大な映画監督・黒澤明ですらできなかった野心的な試みだ。
それだけではない。
連続映画では、親切にも冒頭にそれまでのあらすじを出してくれる。前回の内容を忘れた観客や、途中の回から観に来た客への配慮だろう。やはりバスター・クラブが主演したSFヒーローもの『バック・ロジャース』(1939年~)は、このあらすじもひとひねりしてあった。『バック・ロジャース』はまずタイトルが画面全体にバーンと出て、そのあと話数やあらすじが画面手前の下側からせり出し、画面の奥に消えていくのだ。ジョージ・ルーカスはこのあらすじの出し方までそっくりスター・ウォーズ・シリーズに取り入れた。
1977年の『スター・ウォーズ』初公開時はまだシリーズ化できるかどうか判らなかったから、副題やエピソード数を付けられなかったけれど、シリーズ化してからはエピソード数を付けてより一層『バック・ロジャース』に近づけた。
しかし、連続映画のスタイルに合わせると決めても、異星種族が同盟して皇帝と戦うという大枠の設定を用意しても、それだけでは映画にならない。『フラッシュ・ゴードン』の映画化権を押さえられなかったジョージ・ルーカスには、描くべきキャラクターとストーリーがなかったからだ。
ジョージ・ルーカスが凄いのは、別作品の映画化権を取りにいったりせず、自分が作りたい映画に合うストーリーを見つけてパクる方向に進んだことだ。好きでもない原作を基に映画を撮るより、パクるほうがずっといいと思う。

のっぽの農夫・太平と小柄な農夫・又七の凸凹コンビはC-3POとR2-D2になり、太平と又七が愚痴りながら荒野を歩く出だしは惑星タトゥイーンの砂漠をC-3POとR2-D2が愚痴りながら歩く序盤のシーンになった。やがて彼らは、人目を避けるように僻地に暮らしている髭づらの剣の達人・真壁六郎太(="オビ=ワン・ケノービ")と遭遇し、気の強いお姫様・雪姫(="レイア姫")を守って、敵中横断の旅に出る。
ルーカスはオビ=ワン・ケノービ役をまず三船敏郎さんにオファーしたそうだが、真壁六郎太に当たるオビ=ワン・ケノービは六郎太を演じた三船敏郎さんにやって欲しかったのだろう。
1977年当時、ただ助けを待つだけのか弱いお姫様ではなく、負けん気が強くて銃をぶっ放すレイア姫は新しいヒロインと云われた。今でこそ女性が主役のアクション映画も珍しくないが、当時の米国では『結婚しない女』のヒットが示すように、女性が男性に依存しないことはまだまだ新しいテーマだった。しかし、気の強いレイア姫のルーツは、お家再興のために決死の覚悟の雪姫にあったのだ。
少しの手勢が高貴な人を守って逃避行する『隠し砦の三悪人』は、同じ黒澤監督の『虎の尾を踏む男達』のセルフリメイクとも云える。『虎の尾を踏む男達』は歌舞伎の『勧進帳』の映画化だ。とすると、敗軍の生き残りオビ=ワン・ケノービのルーツは武蔵坊弁慶、彼に守られて旅するレイア姫の真のルーツは源義経なのかもしれない。
また、『スター・ウォーズ』を魅力的にしているのが密輸業者ハン・ソロの存在だ。反乱同盟軍に共感することもレイア姫に忠誠を尽くすこともなく、金さえもらえば袂を分かつドライな男――でありながら、土壇場になると颯爽と登場して危険から救ってくれる頼れる男。あわやというところで再登場するハン・ソロのカッコよさったらないが、これもそっくりそのまま『隠し砦の三悪人』の田所兵衛(たどころひょうえ)の再現だ。いったんは敵側について六郎太や雪姫を見捨てた兵衛が、「裏切り御免!」と叫んで六郎太たちを助けてしまう爽快さ。
お姫様から大判を貰うラストまで(『スター・ウォーズ』ではメダルを貰う)、ジョージ・ルーカスは『隠し砦の三悪人』の面白さを本当に丁寧にすくい取っている。
■ルーク・スカイウォーカーはどこから来たのか
さらにジョージ・ルーカスは工夫を凝らし、『スター・ウォーズ』を『隠し砦の三悪人』のパクリに終わらせなかった。『用心棒』をパクった『荒野の用心棒』のセルジオ・レオーネ監督らが著作権侵害で訴えられたことを知ってか知らずか、ルーカスは『隠し砦の三悪人』に別の黒澤映画を混ぜ合わせることで少し毛色を変えている。黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』(1943年)から主人公を拝借したのだ。

故中島梓氏が、『スター・ウォーズ』の魅力は青春映画であることだとコラムに書いていたが、私も同感だ。進路に悩むルークの、家を出たい、故郷を出たいという葛藤が観客を引きつけるのだ。ルーカスが当初の希望どおり、力強い大人のヒーロー、フラッシュ・ゴードンが活躍する冒険映画を撮っていたなら、これほど人気を博したか疑問である。
かくして『隠し砦の三悪人』の主人公真壁六郎太、すなわちオビ=ワン・ケノービは脇にまわり、師匠の下で柔道を学ぶ姿三四郎がルーク・スカイウォーカーとして主人公になった。オビ=ワン・ケノービには剣の達人にして敗軍の将・真壁六郎太だけでなく、三四郎を教え導く柔道家・矢野正五郎も重ねられることになった。『スター・ウォーズ』は『隠し砦の三悪人』にはない師弟の要素を備えたのだ。

姿三四郎もさらなるルーツをたどれば実在の人物にたどりつく。姿三四郎のモデルは会津藩士の子にして講道館四天王の一人と呼ばれた西郷四郎であり、矢野正五郎のモデルは講道館柔道の創始者・嘉納治五郎である。彼らがルーク・スカイウォーカーとオビ=ワン・ケノービのルーツといえよう。
『隠し砦の三悪人』が、おそらく『虎の尾を踏む男達』とジョン・フォード監督の『三悪人』(1926年)を混ぜて作ったのだろうことを思えば、『隠し砦の三悪人』と『姿三四郎』を混ぜたジョージ・ルーカスは(期せずして)映画の作り方においても黒澤明を踏襲したのだ(さらにいえば、みずから映画化したくて脚本まで書いた『敵中横断三百里』を他の監督に撮られてしまった黒澤監督が似たようなコンセプトの『隠し砦の三悪人』を発表したことと、『フラッシュ・ゴードン』を撮れなかったルーカスが似たようなコンセプトの『スター・ウォーズ』を発表したこととに、なにやら符合を感じてしまう)。
■日本映画に近づけるためのフォースとダークサイド
さて、ルーカスは『隠し砦の三悪人』と『姿三四郎』からキャラクターとストーリーを調達したので、娯楽映画を作るために必要な材料はほぼ揃ったはずだ。
ところが彼はこれで終わりにしなかった。もっと内面的な、精神的なものまで自作に反映しようとした。日本の映画やテレビの主人公は、しばしば奇妙なことをする。敵に囲まれて絶体絶命の一番危ないときに、目を閉じてしまうのだ。これじゃあ敵にやられちまうじゃないか、と驚いてると、エイヤとばかりに敵を一掃してしまう。超能力者でもないのに、日本の武道家はこんな離れ業を披露する。日本人には不思議でも何でもない、心眼というものだ。視覚や聴覚に頼るのではなく、相手の気配を察し、動きを見切るのが優れた武道家なのだ。黒澤監督の『七人の侍』では、壁の向こうの気配を察する場面がある。
でも、敵を前にして目を閉じるなんて米国の観客に理解させられるだろうか。単に怖気づいていると思われやしないだろうか。そんな心配を払拭するために考案されたのがフォースであろう。ジェダイの騎士はフォースなる特殊な力を身につけているから、目をつぶっても敵を倒すことができる。
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ダークサイド(暗黒面)という説明も、上手いアイデアだと思う。
オビ=ワン・ケノービはルークにフォースのダークサイドがあることを教え、ダークサイドに堕ちることの恐ろしさを語る。これは矢野正五郎が姿三四郎に教えた柔術と柔道の違いと同じだ。戦いに強くなり、相手を倒すだけなら、それは柔術だ。人間の道を忘れず、力を律してこそ柔道だと正五郎は説く。
人間の道の大切さ。日本人にはすんなりと腑に落ちる説明だろう。人間の道ってなんですか、といちいち質問するまでもない。『姿三四郎』から半世紀以上を経た2014年の時代劇『蜩ノ記』でも「自然のままに、武士本来の生き方をしたい」というセリフがある。ここで、本来の生き方とは何だろうと考え込む観客はおるまい。人間には素直なまごころがあるのだから、心を曇らせず、まごころをそのまま発揮すれば、すべては調和して秩序が成り立つ。陽明学が大流行した東洋では、こうした考え方を自然に受け入れられる。
陽明学が流行していた17世紀に『リヴァイアサン』が刊行された西洋では事情が違うという。人は人に対して狼であり、放っておいたら人間同士が争い続ける。それを防ぐためには、秩序の構築に努めなければならない。
よく聞くと矢野正五郎が云っていることとダークサイドとは少し違う。矢野正五郎は、修行によって力を手に入れた三四郎に対して人間本来の道を踏み外すな、ということを述べている。一方、スター・ウォーズ・シリーズで強調されるのは、掟に従い、修行を重ねてダークサイドに陥らないように自己を律することだ。
おそらくルーカスは矢野正五郎の云う柔術と柔道の違いを理解している。その上で、ダークサイド(暗黒面)とライトサイド(光明面)という概念を考案し、米国の観客に判るように日本映画の精神世界をアレンジしたのだ。ルーカスはなんて凄い人物なのだろう。
こうしてルーカスは『隠し砦の三悪人』と『姿三四郎』とその背後にある東洋の文化を徹底的にパクることで、従来のアメリカ映画とは違う、もちろん日本映画のままでもない唯一無二の映画を作り上げた。
この成功がありながら、ルーカスは次に『帝国の逆襲』という実験作を発表する。
(次回「『帝国の逆襲』の沼地の意味」につづく)

監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス
出演/マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード アレック・ギネス ピーター・カッシング アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ピーター・メイヒュー デヴィッド・プラウズ ジェームズ・アール・ジョーンズ フィル・ブラウン
日本公開/1978年6月30日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]

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【theme : スター・ウォーズ】
【genre : 映画】
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