『KANO 1931海の向こうの甲子園』は親日映画なの?

KANO 1931海の向こうの甲子園 【ネタバレ注意】

 凄いものを観てしまった。
 それが『KANO 1931海の向こうの甲子園』を観た正直な感想だ。ウェイ・ダーション(魏徳聖)が監督した『セデック・バレ』を観てからずっと期待し続けてきた本作は、期待を裏切らないどころか、期待を遥かに上回る作品だった。

 上映時間は185分と長めだが、アニメ『エースをねらえ!』を一気に観たり、マンガ『柔道部物語』を一気に読むような話だから、185分でも長いとは感じない。面白さと感動が目一杯つまった、充実した映画なのだ。
 しかも、判りやすくてストレートなドラマでありながら、現在の台湾ならではの深い考察もうかがえる。
 爽やかな青春映画として楽しむのもよし、燃えるスポーツ映画として楽しむのもよし、師弟愛や夫婦愛に涙するもよし、その志の高さに共感し、台湾と世界の未来に思いを馳せるのもよい。観客それぞれが、それぞれに受け止められる懐の深さに驚いた。


■圧倒的に後れを取っているところ

 台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』は、甲子園を目指す野球少年たちの2年にわたる物語だ。
 1929年、台湾南部。一度も勝ったことのない嘉義(かぎ)農林学校野球部に、松山商業を甲子園優勝に導いた名監督近藤兵太郎(ひょうたろう)がやってくる。野球といえば台湾北部の日本人チームばかりが活躍していた頃に、近藤監督は蕃人(ばんじん: 台湾原住民)、漢人(漢族系住民)、日本人からなる三民族混成チームを鍛え上げ、みんなで夢を実現していく。
 実話に基づくこの映画を作るに当たって、ウェイ・ダーションは脚本とプロデュースに回り、少年野球の経験のあるマー・ジーシアン(馬志翔)を監督に抜擢。高校、大学の野球選手を中心に野球経験者をキャスティングし、本格的な野球映画を作り上げた。

 ウェイ・ダーションといえば、長編監督デビュー作『海角七号/君想う、国境の南』で日台のラブストーリーを描き、日本人を驚かせた人物だ。
 70年前、東アジアには日本列島から朝鮮半島、台湾にまたがる帝国があった。「帝国」とは複数の国、地域を統治する国家のことだ。帝国は崩壊し、日本と台湾は別々の国になったが、ウェイ・ダーションは今でも人の心は繋がっていることを『海角七号/君想う、国境の南』の男女の恋を通して描いてみせた。
 続く監督作『セデック・バレ』では一転し、大日本帝国の圧政に対して徹底的に戦う台湾原住民を描いた。帝国軍対原住民の戦いは凄惨を極め、双方の残虐さは目を覆うほどだった。
 表面的な印象はまったく異なる両作だが、一貫するのは過去・現在・未来における日本との関係を重視する姿勢だ。

 『KANO 1931海の向こうの甲子園』のパンフレットを読んだら、金原由佳氏が『セデック・バレ』について「日本公開時には一部から「反日的」という声があがり、大きい展開にならなかった側面がある」と書いていたので驚いた。『セデック・バレ』は、反日どころか親日的ともいわれる映画なのに。反日呼ばわりした人は、映画をちゃんと観ていないのだろう。
 抗日事件を描いた『セデック・バレ』が親日的な理由については、以前の記事をお読みいただきたい。

 一作目で日台間のラブストーリーを描き、二作目で日台の激戦(正確には台湾原住民の戦いであり、漢人は傍観者を決め込んでいた)を描いたウェイ・ダーションのことだから、三作目では振り子が大きく戻ってまた日本との連帯・親愛を前面に出した映画を撮るに違いない。そう予感していたところに登場したのが、三民族が協力して甲子園を目指すこの清々しい映画だった。その題材選びのセンスには脱帽するばかりだ。

 本作が日本で封切られたのは、ちょうど一ヶ月前に公開のディズニーアニメ『ベイマックス』が大ヒットしている最中だった。
 『ベイマックス』が持つ多くの素晴らしさのうち、その政治的正しさ(political correctness)に感心した観客も多かったと思う。政治的正しさとは、差別や偏見を含まず、公平であることだ。
 かつて、女性は王子様に選ばれて、彼に寄りかかるのがハッピーエンドという作品を量産していたディズニーは、激しい批判にさらされて、徐々に自立した女性を描くようになった。王子様の存在感を低下させていった。その変化は緩やかなものだったが、大ヒット作『アナと雪の女王』の話題性につられて1950年代の『シンデレラ』や『眠れる森の美女』の世界から一足飛びに『アナ雪』に接した観客は驚いたことだろう。
 『ベイマックス』もその延長線にあり、アジア系の少年を主人公に据えて、黒人、白人をバランスよく配置したチームが活躍する。『ベイマックス』の原作マンガは日本が舞台なので、そちらでは黒人や白人がぞろぞろ出てくることはないが、それでも人種・民族のバランスには気を使っている。映画でマンガ好きな白人として描かれたフレッドは、原作ではアイヌの設定なのだ。

 このことを知ったとき、私はやられたと思った。
 米国に負けず劣らずスーパーヒーローを輩出している日本だが、圧倒的に後れを取っている部分がある。現実世界の多様性を作品に反映することだ。毎年たくさんの新ヒーロー、新チームが誕生しているのだから、アイヌや在日コリアン、華人華僑等のヒーローもドンドン出てくればいいと思うのに、なかなかそうはいかないようだ。
 作品は少なからず世相を映すものだから、現実世界の多様性を作品に反映できないのは、日本社会が多様性にきちんと目を向けていないからだろう。


KANO 1931海の向こうの甲子園 (日本語) 単行本■対立を解消する理論

 『ベイマックス』を観てからそんなことを考えていた私は、『KANO 1931海の向こうの甲子園』を観てガツンと殴られたようだった。
 台湾原住民と漢人と日本人が一緒になってチームワークを発揮する、私が観てみたい作品がそこにあったからだ。
 しかも映画を観ているあいだは、誰が何人かなんてよく判らない。みんなが清々しく、笑顔でプレーする描写の連続に、人種も民族も関係なかった。
 映画の中盤、三民族混成チームが勝てるわけないと日本人紳士から揶揄される場面がある。その言葉に近藤監督は激怒する。「蕃人は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない。必ず最強のチームになる!」近藤はそう反論する。

 ここにはダイバーシティ経営に注力する現代の企業にもヒントになることがたくさんある。
 たとえばダイバーシティ(人材多様性)のあり方だ。
 ダイバーシティには能力・職歴・経験などの「タスク型の多様性」と、性別・出身国・年齢などの「目に見える属性」からなる「デモグラフィー型の多様性」があるという。組織は「タスク型の多様性」を必要としているのに、女性を増やしたり外国人を増やす施策が「デモグラフィー型の多様性」をもたらしてしまうことがある。
 「デモグラフィー型の多様性」が組織に与えるマイナスの効果を、入山章栄氏はソーシャル・カテゴリー理論から次のように説明する。
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同理論によると、組織のメンバーに目に見える属性の違いがあった場合、メンバーそれぞれに、「自分と同じ属性のメンバー」と「それ以外」を分類する心理作用が働き、同じ属性を持ったメンバー同士の交流のみが深まってしまうのです。そうなると、いつの間にか、男性は男性だけ、女性は女性だけ、あるいは外国人は外国人だけで固まり、「男性vs女性」「日本人vs外国人」といった軋轢が生まれ、組織のパフォーマンスを停滞させてしまうのです。
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 これを解消する方法として同氏が注目するのが、フォルトライン(組織の断層)理論だ。
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たとえば、日本人男性が30人いる組織に「30代の女性」が5人入っても、同じ属性を持つ彼女たちだけが固まってしまい、日本人男性との間に「断層」が形成され、タスク型の多様性が実現しません。そうではなく、50代、20代、外国人、といった多様な「デモグラフィー次元」で女性を加えると、先ほどのように一元的なグループ分けが不可能になるため、断層効果が弱まり、組織のコミュニケーションがスムーズに進むのです。

さらに男性側も年齢の幅を広げ、さらに外国人も加えれば、断層がなくなり、「組織内組織」が生まれにくくなります。このように、デモグラフィー型の多様性を進めるなら、中途半端ではなく、複数次元で徹底的に行うべきなのです。
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 嘉農(かのう)野球部の場合は、三民族の混成であることが肝だったかもしれない。日本人と漢人、あるいは日本人と台湾原住民だけだったら、チームがふたてに分かれて軋轢が生じたかもしれない。たった11人のチームに三つの民族(台湾原住民からはアミ族、プユマ族が参加したことを考えれば、さらに多様な構成だ)が入り混じったことが、断層効果を弱めたのだろう。
 そこに近藤監督が「甲子園」という共通の目標――しかも誰にとっても高い目標を設定したことで、全員のベクトルを一致させた。

 複数の民族が一つの目標に向かって力を合わせる。チームメイトに民族は関係ない。
 本作はそこが徹底できているから、純粋に野球の試合が面白い。試合を盛り上げるのは好プレーの応酬であって、民族問題ではないからだ。


セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【豪華版 3枚組】 [Blu-ray]■これは「親日映画」ではない

 本作が描くのは、日本人監督に率いられた嘉農野球部の活躍ばかりではない。
 当時世界最大だった烏山頭(うさんとう)ダムと地球の直径より長い水路網からなる大規模な灌漑施設・嘉南大シュウ(かなんたいしゅう)の工事や、噴水池を建設する様子が随所に織り込まれ、学校の授業では日本人教師の口から台湾の自然環境や灌漑施設建設の重要性が語られる。農業振興に努める日本人教師から、子供たちは精神的な強さを学ぶ。
 併せて、灌漑施設の建設を指揮し、「嘉南大シュウの父」と呼ばれる水利技術者八田與一(はった よいち)も魅力たっぷりに描かれる。八田を演じる大沢たかおさんが、最高に輝いて見える。

 これらの描写は、嘉農野球部が勝ち進む姿にシンクロするとともに、台湾が日本の統治下で発展したことを示している。
 それどころか、映画は野球部のパレードそっちのけで嘉南大シュウの完成を取り上げており、日本人監督に率いられて強くなった嘉農野球部そのものが、なんだか日本統治の恩恵を強調するための仕掛けのようにも見えるのだ。

 本作に対して、台湾の一部識者から媚日(日本に媚びている)映画と批判が出たのも、なるほどと思う。
 映画を制作したウェイ・ダーションとしては、日本の統治に徹底抗戦する『セデック・バレ』を発表した後だからバランスが取れると踏んだのかもしれない。長年にわたり『セデック・バレ』を準備してきたウェイ・ダーションにしてみれば、『海角七号/君想う、国境の南』や本作は天秤の片側なのだろう。
 だから『セデック・バレ』が反日映画ではないように、『KANO 1931海の向こうの甲子園』は親日(媚日)映画というわけではない。

 映画がヒットするには、作品の出来ばかりでなく、作品を受け入れる下地が大衆にあるか否かも関わるだろう。
 興行収入が1億台湾ドルを超えれば大ヒットといわれる台湾で、本作は3億台湾ドル(約10億円)以上を叩き出した。
 台湾での封切りは2014年2月27日。そこから3ヶ月ものロングランになったが、この時期は「ひまわり学運」、すなわち立法院を占拠した学生運動の時期にピタリと重なる。

 3月18日、台湾(中華民国)と大陸(中華人民共和国)が結ぶ「海峡両岸サービス貿易協定」に反対する学生たちが立法院(国会)に進入し、政府・与党が譲歩するまで24日間にわたって占拠し続けた。
 2008年に中華民国総統に就任したマー・インチウ(馬英九)は親中政策を打ち出し、着々と中国に接近していた。サービス貿易協定が批准されれば、台湾企業が中国資本に乗っ取られ、中小小売店の息の根が止められて、台湾は「中国の経済植民地」になるのではないか、と懸念されたという。また、マー・インチウ政権は文化・精神面での脱日本化・親中国化を図り、高校の国語、社会科の教科書にある日本や中国に関する記述を変えて、台湾が中国の一部であると強調させる教科書要綱に改訂したという。
 「ひまわり学運」は、このような政府の動きの中で起きた。世論も学生を支持し、全国から集まる支援物資が長期に及ぶ占拠を支えた。

 この時期、台湾の人々は親中国化に反対する学生運動を応援するとともに、中国(大陸)とは異なるところに文化的精神的ルーツを求める映画に足を運んでいたわけだ。
 立法院の占拠が終わっても、ほとぼりは冷めなかった。2014年6月、中華人民共和国の建国以来はじめて台湾を訪問した中国閣僚は、抗議デモで追い返された。同年9月25日には本作を見逃した人のために台湾映画史上初のアンコール上映が行われ、11月29日の統一地方選挙では与党・国民党が惨敗した。こうして並べると、すべてが一つの流れのように見えてくる。

 だから本作が日本統治下での台湾の発展や、日本人チームとの激戦を描いても、あぶり出すのは台湾人のことなのだ。
 映画の構造は『セデック・バレ』と同じである。
 嘉農の弱小野球部は猛特訓を経て強くなるが、それでも日本人チームは強敵だ。どうにか勝っても、もっと強いチームが現れる。巨大な甲子園球場や灌漑設備を作り上げる日本の技術、文化の力も素晴らしい。だが、日本の強さ、凄さを繰り返し強調することで浮かび上がるのは、その日本に一歩も引けを取らない、否、日本勢をも震撼させる嘉農野球部、台湾勢の凄まじさだ。
 映画の前半でこそ日本人の監督にしごかれる球児たちだが、やがて判断に悩む監督に意見を申し出るようになり、みんなでチームを引っ張っていく。日本人監督によって台湾のチームが甲子園に行ったのではない。台湾の若者たちが日本人監督を甲子園に連れて行くのだ。


KANO〜1931海の向こうの甲子園〜オリジナル・サウンドトラック■パパイヤの根っこの釘

 抗日事件を題材にした『セデック・バレ』が、日本をおとしめるのではなく台湾人の何たるかを描いたように、本作もまた日本を持ち上げるのではなく、台湾人とは何かを考察する映画である。
 「なぜ、台湾で『KANO』がこんなに話題になったのか」福島香織氏は問う。「答えを先にいってしまうと、この映画の中で描かれる台湾アイデンティティというものが、今の台湾人にもっとも問われているテーマだからだろう。」
 「ひまわり学運」を取材した福島氏は、運動のレポートに続く記事『映画「KANO」と台湾アイデンティティ』で、次のように述べている。
---
 この大ヒットと批判は、今の台湾の状況を反映しているのだと思う。今の台湾人の中でも、自らのアイデンティティを原住民、漢人、そして日本統治時代の影響の融合によって形成されてきたものであると考えるグループと、台湾人のアイデンティティの根っこは中華民族意識にあるとするグループにおおむね分かれている。
(略)
 日本統治から国民党独裁時代の白色テロの記憶を持つ老人たちが徐々に減っていき、政策的に中華民族回帰が喧伝される中で、台湾アイデンティティの定義も揺らいでいる。国際情勢から言っても、台湾の社会・経済の実態から言っても、独立の目がなくなり、流れに身を任せていれば、ほぼ間違いなく中国に併呑されると予測される中で、台湾人がそれぞれ自分の立ち位置を確認したい気持ちが募っているのではないかと思う。それが、「KANO」など魏徳聖映画がヒットする背景であり、またそのヒットを批判する論調の盛り上がりではないかと推測するのだが、どうだろう。
(略)
 「KANO」の中で「パパイヤは根っこに釘を打ち込むと、もう自分は死ぬと思って、最後の力を振り絞って大きな甘い実をつける」という挿話が何度も出てくる。もうだめだという危機感による必死さが大きな果実を実らせ、希望を次世代に託す、という例えだ。この挿話がまさしく今の台湾の気持ちにあっている気がする。

 台湾のアイデンティティの根っこに刺さり痛みを与えている釘が日本統治の過去なのか、中国併呑の未来なのか。(略)いずれにしても、その痛みの危機感の中で、自力で民主化を遂げ小さくも豊かな「国」を形成してきたのが台湾であり、これからもその苦悩が台湾らしさの本質かもしれない。
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 当の台湾ですら媚日との批判が出た本作だから、『セデック・バレ』を「反日的」と勘違いする人がいる日本では、今度は日本が持ち上げられたと思われるかもしれない。たしかに日本への親しみが込められた映画ではあるけれど、あまりそこに注目されるのは作り手の本意ではあるまい。
 マー・ジーシアン監督は来日時のインタビューで「作品のテーマは『野球の物語』であることに尽きる。背景には日本の統治があったが、魏さん(ウェイ・ダーション)が言う通り、当時の日本を美化しているわけではない。ただ悪く描いていないだけ」と強調したそうだ。

 パンフレット収録の金原由佳氏の記事で、ウェイ・ダーションの言葉が紹介されている。
 「なぜ、日本統治下にあった台湾の記憶を美化するような映画を作ったのですか」と質問された彼は、こう断言したという。
 「僕が嘉農に興味を持ったのは、『セデック・バレ』で描いた霧社事件の翌年に、嘉農が甲子園で準優勝した事実でした。たった1年で、一方に台湾の近代史上最も凄惨な出来事が起き、一方に最も輝かしい栄光が起きていた。この差は何だったのか? それを考える中で、霧社事件は現地の日本人警察官たちの上からの目線が原住民たちの怒りに火を付けたと知り、逆に近藤監督は常に選手たちに同じ目線で接したと聞きました。つまり、僕が映画で描きたかったのは、台湾と日本の政治的な歴史や背景ではなく、人が人を動かすときの目線なんです。」

 彼はNHKのインタビューに答えて、原住民族の誇りを踏みにじった日本人警察官と、民族で差別しない近藤監督が同じ時代にいたと知って驚いたとも述べている。
 民族で差別しないこと、上からではなく同じ目線で接すること。それは過去の日本だけでなく現代の日本人も真摯に受け止めるべき言葉だろう。
 ウェイ・ダーションのメッセージは、国を超えて時代を超えて普遍的だ。それはもしかしたら、中国大陸へも向けられているのかもしれない。

 多民族が混在するからこそ理想的なチームなんだ。私たちは今こそ近藤兵太郎に学びたい。


KANO 1931海の向こうの甲子園KANO 1931海の向こうの甲子園』  [か行]
監督/マー・ジーシアン  脚本/ウェイ・ダーション、チェン・チャウェイ
制作/ウェイ・ダーション  日本語セリフ手直し/林海象
出演/永瀬正敏 坂井真紀 ツァオ・ヨウニン 大沢たかお 吉岡そんれい 伊川東吾
日本公開/2015年1月24日
ジャンル/[ドラマ] [スポーツ]
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【theme : 台湾映画
【genre : 映画

tag : マー・ジーシアンウェイ・ダーション永瀬正敏坂井真紀ツァオ・ヨウニン大沢たかお吉岡そんれい伊川東吾

⇒comment

こんばんは

「セデック・バレ」を観た後でこれですもんね。
同じ時代、同じ島で起こった事と考えると、余計に感慨深いです。
400年前の大航海時代の台湾を描くというウェイ・ダーションの次回作が凄く楽しみです。
たぶん、なんらかの形でこの時代の日本も関わってくるんでしょうね。

同じですね。

『セデック・バレ』と同様、史実に対して媚びもせず、またへつらいもせず、
真摯なんですよね。そこがよかったです。

Re: こんばんは

ノラネコさん、こんにちは。
なんと、400年前の台湾といえば、国姓爺合戦とその前史に当たる時代ではありませんか!
台湾の歴史の黎明期、倭寇の根拠地でもあった頃ですね。
英雄、鄭成功は日本生まれで、日本人とのハーフだし。
いよいよウェイ・ダーションは台湾の「建国神話」を作りにかかるのかも!!
すっごく楽しみです。

Re: 同じですね。

rose_chocolatさん、こんにちは。
そうなんですよ。
不遇をかこっていた台湾原住民にスポットライトを当て、原住民の役を原住民自身に演じてもらうことで、映画の中でも外でも原住民を表舞台に立たせる。しかも、しかつめらしい映画にはせず、娯楽作としても弾けさせる。
ウェイ・ダーションの作品に引き込まれるのは、彼の真摯な姿勢が伝わってくるからでしょう。

NHKのインタビューでの言葉が印象的です。
「私は映画を娯楽のために作っているわけではありません。"真実を伝える"という使命感を持ち、こだわって映画を作っています。」

台湾の根っこ

現地の台湾に行って見て感じたことは、台湾は「中国」ではないという事です。台湾の多くの人たちは、大陸の中国人を嫌っており、無理やり併合される事態を恐れていました。たとえ、住民の多くが漢族系であっても、既に独自のアイデンティティを確立していて、大陸とは違うという認識を持つに至っています。民族は同じでも、長らく別の国家として独自の道を辿って来た「ドイツ」と「オーストリア」のような例もあり、台湾を「中国」とは別の扱うとするべきなのではないか?、との印象が強いです。また、原住民族の扱いも進んでいて、日本よりも遥かに先を行っている感じです。日本においては、日系以外の先住民族は、今だに理不尽な扱いを受けている感が強いです。沖縄人(うちなんちゅー)への扱いも、最近酷いように思われるし、アイヌ系のキャラも、『シャーマンキング』の「ホロホロ」ぐらいしか、思い浮かばないです。まだまだ、「単一民族」幻想の呪縛が、強いのでしょうか?「

No title

先日見て、最近こんなにさわやかな感動の涙を流した映画があっただろうか?と単純に感動してきました。

しかしこちらのブログを読んで、台湾の置かれた状況等々を知り、ナドレックさんのおっしゃる「様々な見方のできる、それでいて面白さと感動のつまった懐の深い映画」とのご指摘に、あ〜そういう見方のできるナドレックさんが心底羨ましいと思ってしまいました!
実はお恥ずかしい話ですが、初め日本語を話しているのを「吹き替え版」を見ているとずっと勘違いしていました。
初めに日本統治の説明があったにもかかわらず…

最近、歴史を知らないことは、その作品の本当の面白さが分からないままで、もったいないことだとしみじみ思い始めました。
特に日本を含めたアジアの近現代史には極端に疎く、遅まきながら歴史本でも読んでみようと思ってます。

Re: 台湾の根っこ

ICAさん、こんにちは。
ウェイ・ダーションが『セデック・バレ』を撮ることになったきっかけは、原住民のデモを目にしたことだそうですね。そこからあんな大作を、しかも社会派ぶらずにアクションたっぷりの娯楽作をつくってしまうのが大したものだと思いました。
本作はその延長にありながら、さらに娯楽色を強めた痛快作になっています。この着眼点が素晴らしいです。

本記事で紹介したフォルトライン理論にあるように、集団のコミュニケーションをスムーズにするには様々な属性の人々がごった煮になった方がいい。その点で、原住民の諸民族もいれば、古い時代に大陸から移り住んだ人もいれば、第二次世界大戦後に大陸からどっと移ってきた人もいる上に、ほんの数世紀のあいだにオランダ統治や鄭成功の建国や清、大日本帝国、国民党の統治を経験してきた台湾は、現在の日本よりもはるかに多様で豊かな視点を持っているのかもしれませんね。
そこを踏まえて本作は、野球という政治的に無害なもので一つになる人心を描きます。本作が感動的なのは、作品の背後に、現実の多様性への肯定が感じられるからなのでしょう。

Re: No title

mi~yaさん、こんにちは。
球児たちのたどたどしい日本語が、かえってリアルさを生んでましたね。
今どき日本でも云われないような精神論がビシバシ飛び交うのが興味深いです。

映画に限ったことではありませんが、どんな作品もその国・地域の文化や歴史と無縁ではないと思います。
おっしゃるとおり、文化的・歴史的背景を知ると、より深く作品を楽しめますね。
私もアジアの近現代史はよく知らないのですが、日本も当事者だったりするので面白いです。

日本で学生運動といえば1960年の安保闘争や1970年頃の全共闘が思い出され、凄惨な殺し合いに堕してしまった記憶がありますが、台湾では1990年の三月学運(野百合学運)と呼ばれる学生運動が民主化への道を切り開きました。そして2014年にひまわり学運の盛り上がりを経て、統一地方選挙での野党圧勝を経験した台湾の、次の焦点は2016年1月の総統選挙でしょう。

本文では省略しましたが、福島香織氏の体感としては、台湾人の中で「自らのアイデンティティを原住民、漢人、そして日本統治時代の影響の融合によって形成されてきたものであると考えるグループ」の割合は七、「台湾人のアイデンティティの根っこは中華民族意識にあるとするグループ」の割合は三ぐらいだそうです。割合では日本統治影響派の方が多いようですし、東日本大震災の後に台湾から寄せられた義捐金の多さは驚くほどでした。
一方で、少なからぬ台湾企業が中国に進出することで成長したのも確かです。国民党には中国と一緒に抗日勝利を紀念することを提案している議員もいるとか。

そんな中で、ウェイ・ダーションは台湾人の文化的精神的ルーツをたどる映画に繰り返し取り組んでいるわけですね。
ノラネコさんのコメントで教えていただいたウェイ・ダーションの新作は、四百年前の台湾を三つの視点で並行して描く三部作になるそうです。第一がオランダ人の視点、第二が漢民族の海賊の視点、第三が台湾の平地に暮らす原住民の視点。三本同時撮影で、三本を別々に見てもいいし、一緒に見てもいい。
http://eiganomori.net/article/356012817.html
台湾には、四百年前のオランダ統治より前に記録に残る歴史はないので、ウェイ・ダーションの新作はまさに台湾の「建国神話」――歴史のはじまりを描くものになるのでしょう。


余談ですが、東アジア――日本周辺の特徴は、若い国が多いことだと思います。
明星食品の中華三昧のCMでは「中国四千年の味」なんて宣伝されましたし、たしかに中国文明は数千年の歴史がありますが、中華人民共和国は1949年に建国してから66年しか経っていません。朝鮮民主主義人民共和国も大韓民国も1948年に成立した新しい国です。
日本国だってGHQの統治から独立したのは1952年なのですが、天皇制が存続したからか、戦前はもとより江戸時代も平安時代も飛鳥時代も、ずーっと昔から同じ国が続いているような気がしています。だから他の国も同じように見てしまいがちですけど、日本の周辺は、文化・文明は古いけれど建国の歴史は浅い国ばかりなのですね。

日本で建国神話というと神武東征とか、本当に神話の時代の話になります。イワレビコが数多の敵を平らげて、即位する話ですね。
明治政府がこれを史実のごとく扱ったように、新しい国は往々にして求心力を神話に求めます。アメリカ合衆国では、南北の分裂を制して国をまとめ上げた南北戦争とリンカーンの物語がいまだに熱心に語られます。
で、まだ若い中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国や大韓民国にとって、敵を平らげた建国神話は何かといったら、抗日戦争、抗日武装闘争しかないんですね。大日本帝国が神武天皇の実在に異を唱えることを許さなかったように、これらの国は抗日神話を手放すわけにいかないのでしょう。
しかも、2015年2月3日、対日戦勝70周年を記念する軍事パレードを予定している中華人民共和国に対して、台湾の国防部(国防省に相当)が、抗日戦争で勝利したのは中華民国国軍であるとして、歴史を正しく認識するように呼びかけたように、中華人民共和国が抗日戦争に勝利したといえるのか、その正統性は実は疑わしい。大韓民国にも、抗日武装闘争の闘士が建国したのは朝鮮民主主義人民共和国の方じゃないの、という正統性の問題があります。だからますます抗日神話を強化しなければならないのかもしれません。

日本人は、神話というのは遥か昔に成立したものだと思ってますが、近隣国はいまだ神話を成立させている最中なのではないでしょうか。
ウェイ・ダーションの映画もまた、現代の台湾人の心情に合った神話として位置づけられるのではないか。
そんなことを考えながら鑑賞するのも一興かと思います。

作品が

世に出た時に、「反日だあ!」とか、「親日!!」なんて論争が起きない世界になってもらいたもんだとつくづく思うんですが。
この作品が作られて、もしや日本では上映ができないかも・・の報道を聞いたときに、きっとどっかに腹の座った配給会社があるだろうと、勝手に信じてました。
いやいや、世の捨てたもんじゃない。素晴らしかったと思いますです。
「台湾アイデンティティ」はご覧になりましたか?
多くの日本人の方に見てほしいと痛感しました。

No title

まとまってるなあ。

私は単に人格のない狂人の集団のようにかかれがちな「日本帝国国民」が「良さげな人たち」として描かれていた事だけでも嬉しかったですね。単純なんです。

ふと、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を思いだして、永瀬に実は漢人と蛮人の血が、などと無駄に連想を重ねたりもするのですが、永瀬の娘役二人が可愛すぎて日本人らしくはなかったてすね。あの時代の「父さん」なら、家庭でも「もっとちゃんとしなさい」みたいに躾けした気もするけど、今それをやると虐待みたいに見えて、外でも家でも単に粗暴な監督みたいに見えかねない。そう言えば、永瀬は怖い監督だけど手をあげたりはしなかったなあ。

Re: 作品が

sakuraiさん、こんにちは。
『台湾アイデンティティー』は観てないんですよ。残念。

反日、親日という議論はなくならないでしょうね。人間は何かにレッテルを貼って盛り上がるのが好きですから。

世界には反日的とみなされたり、反日的とみなされるかもしれないと危惧されて、日本に配給されない映画がたくさんあるんでしょう。
最近ではアンジェリーナ・ジョリー監督の『Unbroken』が話題ですね。映画を観た人は口々に「これは反日映画ではない」とおっしゃいますが、いまだ日本公開の目途は立たず。この映画を観た独在住の福田直子氏は、「今後、いくつもの作品が日本だけで見ることが不可能になるのだろうか。(略)日本が映画関係でも『情報鎖国』にはならないでほしいと思っている。」と述べています。
http://www.huffingtonpost.jp/naoko-fukuda/unbroken_b_6674774.html

反日映画のレッテルを貼って日本で上映させない「情報鎖国」には、右翼側からも懸念の声がありますね。
右翼団体代表の河原博史氏は「見もせずに風評で反日と決めつけるなど論外だ。仮に反日作品だとしても、日本人だけが内容を知らず、反論もできない。上映阻止は卑劣。見た上で論理的に批評すべきだ」と、筋の通ったことをおっしゃってます。
http://digital.asahi.com/articles/ASH376H1WH37UTIL01D.html

日本未公開作を紹介する反日映画祭とか開催したら、面白い作品がたくさん集まりそうです:-)

No title

ウエイ・ダン・ショー(KANOプロデューサー)は、次回作は台湾の歴史400年を描いた三部作、と明言しています。日本は、これで一応終わり、とのこと。
そう、原住民が暮らしていた島だった台湾に大陸からの移民が入り込んで400年、その間にはスペイン、ポルトガル、はたまたフランスも来たし、清朝も最後には行政を送り込んでいる。次回策にもこれまで以上に期待しています。
台湾の歴史を台湾人に知って欲しいという願うこのプロデューサーの快進撃はまだまだ続くことを願っています。そして、自分たちは何者なのかを知る努力を始めている台湾社会(それにたいしてゆれ戻しや決め付けもあるようですが-最近の自治体選挙に如実に出てました)はダイナミックで目が離せないとも思います。
ナドレックさんがおっしゃる「若い国」がもつダイナミズムから私たちも学べると良いな、とも思います。ただ、「坂の上の雲」を見てしまった国にとっては、いま雲をつかもうとしている他国の若さをうらやむだけで精一杯なのかもしれません。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。

> 私は単に人格のない狂人の集団のようにかかれがちな「日本帝国国民」が「良さげな人たち」として描かれていた事だけでも嬉しかったですね。

国によって大日本帝国との関わり方はいろいろですからね。
台湾のように四世紀の歴史のうち半世紀を大日本帝国の統治時代が占める国もあれば、中国(大陸)のように戦争くらいしか関わりがない国もありますから。

1941年に示達された戦陣訓は、中国戦線での日本兵の無茶苦茶を戒めようと「盗むな」「殺すな」「犯すな」と記載するためのものだったそうで、なにしろ北支那方面軍では毎年数百名の将兵を処刑せざるを得ず、1939年から1942年にかけてだけでも強姦で108名、掠奪で243名が処刑されてますからね。処刑まで至らない例はどれだけあったのか。対上官犯(上官暴行、脅迫、殺傷、命令違反等)でも171名が処刑されていますから、軍部も軍紀の乱れに手を焼いたのでしょう。
ましてや、家を焼かれ、盗まれ殺され犯された方からしてみれば、狂人の集団なのかもしれません。

本作が興味深いのは、登場する大日本帝国の国民たちが、今の日本国民とはちょっと違って見えることですね。それは映画の作り手の解釈によるのか、台湾人の抱く日本人像なのか。
近藤監督の人物造形もよく考えられていると思います。

『HK/変態仮面』が台湾でヒットし、『艦これ』が中国でウケる今、現代の日本人がどんなイメージで捉えられているかも気になります:-)

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。

>「若い国」がもつダイナミズムから私たちも学べると良いな、とも思います。

まったくです。
『中国化する日本』の著者與那覇潤氏は、学生に「今の中国を知りたかったら明治の日本を調べろ」(「明治の日本がわからなかったら今の中国を見ろ」)と教えているそうです。何しろ日本の周辺国は、日本における明治維新と戦後復興と高度経済成長を一緒くたにやっているようなものですから、ダイナミックですね。

他方、日本がそのダイナミズムにならえるかというと疑問です。
子供の頃、アイザック・アシモフの『銀河帝国興亡史』を読んだ私は、今ひとつ話が判りませんでした。エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』にインスピレーションを得て書かれたこの小説は、強大な銀河帝国が徐々に衰退する歴史を扱っているのですが、そもそもの衰退の原因が書かれていないので、衰退に抗えない人々の葛藤がピンと来なかったのです。
今では判ります。衰退とはどういうことなのか、なぜ衰退してしまうのか、日々実感しています。

>「坂の上の雲」を見てしまった国にとっては、いま雲をつかもうとしている他国の若さをうらやむだけで精一杯なのかもしれません。

ひとたび絶頂期を過ぎた国が再び絶頂期を迎えることは、歴史を見渡してもほとんど例がありませんからね。
ウェイ・ダーションが日本の歴史を題材にしたら、どんな映画を作るでしょうか。

こんにちは。

>『セデック・バレ』が反日映画ではないように、『KANO 1931海の向こうの甲子園』は親日(媚日)映画というわけではない。

まさに。
親日だ、反日だ、で映画を観ることほどつまらないことはないです。
ナドレックさんのこの言葉は本作に限らず
映画全般を観る時に心に留めおきたいです。
でも、そういう観点から映画を作る人がいるのも確かなんだろうな…。

Re: こんにちは。

えいさん、こんにちは。

> 親日だ、反日だ、で映画を観ることほどつまらないことはないです。

本当につまらないことだと思います。
挙句の果てには、先のコメントで紹介した『Unbroken』の例のように見もしないで拒絶したり。

> でも、そういう観点から映画を作る人がいるのも確かなんだろうな…。

そうですね。
同じことが、戦後70年にわたって日本人がせっせと作ってきた反米的な作品にも云えるでしょう。
実は米国が裏で糸を引いていたとか、米国人のせいでこうなったという映画やドラマがどれほど作られてきたことか。
人の振りを見て我が振りを顧みたいものです。
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