『百円の恋』+(?)=百八円の恋
![百円の恋 特別限定版 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/81rhKmxiTdL._SL160_.jpg)
斉藤一子(いちこ)は死んでいた。
黒澤明監督の名作『生きる』になぞらえれば、「彼女には生きた時間がない。つまり彼女は生きているとはいえないからである。駄目だ。これでは死骸も同然だ。」というありさまだった。
『百円の恋』が描く「死骸も同然」な暮らしはズルい。
公式サイトのストーリー紹介には「32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた」と書かれている。その自堕落な日々とは、マンガを読んだりゲームをするばかりの毎日だ。
脚本の足立紳氏も監督の武正晴氏も、ちょっとズルい気がする。自堕落の表現としてマンガを読むことやゲームをすることを持ち出すくらいなら、映画館に入り浸ってるとか、映画のDVDを借りてばかりいるシークエンスを描いた方が、映画を見ている客たちにもっとガツンと来ただろう。
マンガやゲームを悪者にしつつ、自分たちが関わる映画には手を突っ込まないのが人間らしいかもしれない。
もちろんマンガやゲームは比喩だから、本当はテレビでも映画でも何でもいい。
要は、一子は受け身でしかないということだ。マンガを読む、ゲームをする、それらを消費するだけだった。
一子の死にっぷりは強烈だ。
劇中、一子が「このブス!」と罵られるように、一子を演じる安藤サクラさんは本当にブスなのだ。
自堕落な日々を描く映画は珍しくない。そこでは美しくも可愛くもない女性の、だらだらした毎日が綴られる。だが、多くの女優さんは美しいし可愛い。自堕落な主人公を演じても、その美しさ可愛らしさは隠しようもない。冴えないヒロインは、しょせん美人女優が冴えないメークをしてるに過ぎない。映画の主演を張る女優さんはとうぜん華があるし、彼女を目当てに足を運ぶ観客は、美人女優の自堕落な演技を楽しむのだ。
ところが斉藤一子のブスはリアルだ。ブスな主人公を「ブス!」と罵倒する映画がとても新鮮だ。
誤解のないように書いておくが、素の安藤サクラさんはブスではない。インタビュー記事の写真や舞台挨拶の映像を見てもお判りのように、見目麗しい女性である。
けれども『百円の恋』の斉藤一子は、罵倒されてとうぜんなほどのブスなのだ。
安藤サクラという女優を得て、『百円の恋』は類を見ない映画になった。

ロックバンドのクリープハイプが主題歌『百八円の恋』で「誰かを好きになる事にも消費税がかかっていて 百円の恋に八円の愛」と歌った時代。大幅な税収不足が指摘されながら、税率を5%から8%へ増やすだけで大騒ぎになり、さらなる徴税が先送りされた時代。
百円のものを買うと、煩悩と同じ百八になる。『百円の恋』はそんな時代に公開された。
一子がブスな理由の一つは、自分に自信がないからだ。家の中でこそデカい態度だが、外では誰に対してもへりくだっていた。
そんな彼女と周囲との会話がやたらめったら面白い。百円ショップの深夜労働をはじめた一子は、変な店員や変な客のおかしな発言をへりくだってやり過ごす。店員たちは一子を人間だと思って話しかけるが、彼女は"死骸"だから、生きた反応を返さない。脚本の妙と演技の妙とが相まって、奇妙な会話劇が続く。
物語はありがちだ。生きているとはいえない一子が、他者との触れ合いを通して懸命に生きるようになる。その展開は珍しくないけれど、盛り上がり方が尋常ではない。
一子が取り組むのはボクシングだ。
『百円の恋』なんて題だから、どうせヒロインがちょいときれいになって、素敵な恋をするんだろうくらいに思っていた私は、完全にノックアウトされた。これは気合の入ったボクシング映画だ。試合の場面にこれほど熱くなれる映画は、そうそうあるものではない。
しかも素晴らしいのは、試合の勝敗がどうでもいいことだ。
死骸も同然だった一子がボクシングに打ち込むようになると、観客はぐいぐい彼女に引き込まれていく。勝利を目指す一子に感情移入していく。パンチの痛みを我がことのように感じ、一緒に悔しさを覚える。
そんなにも主人公と一体になりながら、味わうのは勝利のカタルシスではない。
「立てよ、この負け犬!」試合で転倒した一子に、いがみ合っていた妹が声援を送る。
一子にとって、これは確かに声援なのだ。これまで一子は負け犬ですらなかったのだから。何の勝負もせずに生きてきた一子は、負けることすらなかった。試合で劣勢になることで、はじめて負けを感じられるようになったのだ。
『大脱走』が脱走の成否を主眼としていないように、『ショーシャンクの空に』が刑務所を出られるか否かを主眼としていないように、本作もまた試合の結果は重要ではない。そこで描かれるのは、勝利を目指して「今日に全力を尽くすこと」の充実感だ。観客はその充実感を共有するからこそ、本作にカタルシスを覚える。
東京国際映画祭の舞台挨拶で、出演の動機を尋ねられた安藤サクラさんは、「戦いたいと思ったからです、私自身が」と答えた。映画前半のたるんだ体から後半の引き締まったボディへの変化に観客は驚きを禁じ得ないが、安藤サクラさんはその肉体改造をたったの十日で成し遂げたという。
仕事がなかった足立紳氏と武正晴監督は、仕事がないなら自分で作ろうと本作の脚本を書き上げたものの、映画化できずに四年の歳月が流れたという。それでも諦めきれずに、新設された松田優作賞に脚本を送り、見事受賞に輝いた。「僕らも実は戦いたかったんで」武監督は云う。「何か勝負できるシナリオを作りたかった。」
今日に全力を尽くしたのは劇中の一子だけではないのだ。驚異の肉体改造を施した安藤サクラさんも、まったく実現の当てがないところから本作をスタートさせた足立紳氏も武正晴監督も、日々力を尽くしてきた。
その作り手の情熱がにじみ出るから、観客は本作に感動する。リングに向かう一子の闘志、その鋭い眼差しは演技を超えて圧巻だ。
ボクシングに打ち込む一子に対して、父は「お前、変わったな」と口にする。一子がうっすら笑ったからだ。死骸同然だった頃の一子は、笑うことがなかった。
映画の終盤で一子は悔し涙を流す。悔しがったり、泣いたりできるようになったのも、彼女が生きた時間を過ごしたからだ。
実は一子が泣くシーンは、2テイク撮られている。
相手役の新井浩文さんの舞台挨拶によれば、1テイク目でグッと来る演技ができたのに、監督はOKを出さなかったという。新井浩文さんがもらい泣きしてしまったからだ。新井さんも、自分が泣いちゃダメだと悟って2テイク目に臨んだという。
ボクシングを通して「生きた時間」を味わった一子がはじめて悔しさを感じて泣くシーンだから、長年ボクサーとして試合してきた狩野(新井浩文さん)が一緒に泣いてしまっては一子の涙の意味が薄れてしまう。
父との会話のシーンで一子だけが笑顔を見せたように、泣くのも一子だけなのだ。満足そうに笑ったり、悔しくて泣いたりするのは、能動的に生きた人間の特権だから、ここでは一子のものなのだ。
「痛い痛い痛い……居たい居たい居たい……」
エンドクレジットが流れる中、クリープハイプのリフレインが映画館に響く。
一子の痛みが、熱さが、観客に突き刺さる。
![百円の恋 特別限定版 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/81rhKmxiTdL._SL160_.jpg)
監督/武正晴
出演/安藤サクラ 新井浩文 根岸季衣 稲川実代子 早織 宇野祥平 坂田聡 重松収 伊藤洋三郎 沖田裕樹 吉村界人 松浦慎一郎
日本公開/2014年12月20日
ジャンル/[ドラマ] [スポーツ] [ロマンス]

⇒comment
No title
こんばんは。
これ、すごく良かったです。
恥ずかしながら安藤サクラさんも武正晴監督もこの作品で初めて知りました。
悲惨なシーンでも、どこかおかしみが感じられるバランスがよかったと思います。
「マジっすか!」連呼のシーンは劇場中が爆笑してました。(私も含め)
これ、すごく良かったです。
恥ずかしながら安藤サクラさんも武正晴監督もこの作品で初めて知りました。
悲惨なシーンでも、どこかおかしみが感じられるバランスがよかったと思います。
「マジっすか!」連呼のシーンは劇場中が爆笑してました。(私も含め)
No title
分厚い肉は健康な時に食いたいと思いました。
Re: No title
大外さん、こんにちは。
> 「マジっすか!」
可笑しかったですね。
店員役の吉村界人さん、他にはあまりセリフもありませんでしたが、強烈な印象を残しました:-)
新井浩文さんが本作に出演した理由は、安藤サクラ主演だからだそうです。
そう思わせるほどの女優さんですね。
> 「マジっすか!」
可笑しかったですね。
店員役の吉村界人さん、他にはあまりセリフもありませんでしたが、強烈な印象を残しました:-)
新井浩文さんが本作に出演した理由は、安藤サクラ主演だからだそうです。
そう思わせるほどの女優さんですね。
Re: No title
ふじき78さん、こんにちは。
90才近くても元気溌剌な大御所の先生に聞きましたら、健康の秘訣は肉を食べることだそうです。
歳を取ると肉を敬遠しがちだけど、それじゃダメだと。
でも、劇中の肉は固さが強烈ですね。
割り箸が折れちゃって、演技をどう続けるのか心配しました。
90才近くても元気溌剌な大御所の先生に聞きましたら、健康の秘訣は肉を食べることだそうです。
歳を取ると肉を敬遠しがちだけど、それじゃダメだと。
でも、劇中の肉は固さが強烈ですね。
割り箸が折れちゃって、演技をどう続けるのか心配しました。
安藤サクラを
世に送り出した、奥田さんと、和津さんに、バンザイですわ。
スイッチの入り具合が、絶妙!
やる気スイッチってのは、どっかにあると信じられます。
この作品の後、ショートカットになったサクラさん、似合ってますね。
おじさんには、受けが悪いそうですが・・・。
スイッチの入り具合が、絶妙!
やる気スイッチってのは、どっかにあると信じられます。
この作品の後、ショートカットになったサクラさん、似合ってますね。
おじさんには、受けが悪いそうですが・・・。
Re: 安藤サクラを
sakuraiさん、こんにちは。
「世に送り出した」って、普通は埋もれた才能を発掘したとか、職業人として育て上げた意味で使うと思うのですが、ここでの用法は……(^^;
サクラさんのショートカット、受けが悪いんですか。似合ってますけどねぇ。
「世に送り出した」って、普通は埋もれた才能を発掘したとか、職業人として育て上げた意味で使うと思うのですが、ここでの用法は……(^^;
サクラさんのショートカット、受けが悪いんですか。似合ってますけどねぇ。
⇒trackback
トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。『百円の恋』 (2014)
負け犬人生を吹き飛ばす“痛い”一撃!
予定調和なスポ根ものとは違う異色の味わいながら、最後にしっかり感動が心に刻まれる得難い一本であった。
本作は、松田優作の出身地である山口県周南映画祭で、2012年に新設された脚本賞『松田優作賞』第一回グランプリの映...
百円の恋
『百円の恋』をテアトル新宿で見ました。
(1)『0.5ミリ』で大活躍した安藤サクラの主演作ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)は、出戻りの妹・二三子(早織)の子供・太郎と一緒になってボクシングのテレビゲームに興じる姉・一子(安藤サクラ)の後...
「百円の恋」:安藤サクラのKO勝ち!
映画『百円の恋』は作品の出来もさることながら、安藤サクラに完全にノックアウトされ
「百円の恋」
2014年・日本/東映ビデオ配給:SPOTTED PRODUCTIONS 監督:武 正晴 脚本:足立 紳 製作:間宮登良松企画・監修:黒澤 満エグゼクティブプロデューサー:加藤和夫プロデューサー:佐藤
『百円の恋』
----この映画って、
東京国際映画祭で話題になった作品だよね。
安藤サクラの演技がスゴイって…。
「そうだね。
共演の新井浩文が激賞していることでも話題に。
実はぼくはこの前に『0.5ミリ』という、
やはり安藤サクラ主演の映画を観ていて、
ここでの彼女の演技ですで...
安藤サクラ主演 『百円の恋』 「一生懸命って素晴らしい」なんて……
監督には『イン・ザ・ヒーロー』の武正晴。主役には『0.5ミリ』も公開中の安藤サクラ。
脚本は足立紳で、2012年に新設された第一回「松田優作賞」という脚本賞を受賞しているとのこと。
主人公の一子(安藤サクラ)を中心に、登場人物は負け組ばかりである。弁当屋を切り盛りする母親はともかく、影の薄い父親は仕事もせずに、いまだに「自分に自信がない」などと言ってみたりもする。一子が...
「百円の恋」
安藤サクラは、やっぱり凄い。全盛期のロバート・デ・ニーロのように肉体を劇中で変化させるという役柄へのアプローチだけではなく、それと共にヒロインの内面が新しい次元にブレイクスルーしていく様子をヴィヴィッドに表現している。こういう力量を持った俳優が存在...
『百円の恋』 (2014) / 日本
監督: 武正晴
出演: 安藤サクラ 、新井浩文
鑑賞劇場: テアトル新宿
映画『百円の恋』 公式サイトはこちら。
実家でひきこもり生活を送る32歳の一子は、離婚して出戻ってきた妹とケンカしてしまい、やけになって一人暮らしを始める。100円ショップで深夜勤務...
百円の恋
★★★★☆ 製作:2014年日本 上映時間:113分 監督:武正晴 ミニシアター系の映画で、上映館は全国でたった三館しかない。だが低予算でも、ここまで面白い映画が創れると言う見本のような映画であり、第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品賞
ショートレビュー「百円の恋・・・・・評価額1700円」
100円玉のリアル。
今年の日本映画は、安藤サクライヤーだ。
先月公開されたばかりの「0.5ミリ」に続いて、ネガティブダウナー系女子の目覚めを演じ、圧倒的な存在感で物語を引っ張る。
足立紳による脚本は、山口県周南映画祭で、故・松田勇作の志を受け継ぐクリエイターを発掘すべく、2012 年に新設された脚本賞、第一回「松田優作賞」グランプリ作品。
なるほど、明らかな低予算ながら、ハード...
百円の恋
32歳の斎藤一子は働きもせず実家に引きこもってゲーム三昧の毎日を送っていた。 ある日、離婚して実家に戻っていた妹・二三子と大ゲンカになり、一子がアパートで独り暮らしをすることに。 行きつけの100円ショップで深夜のアルバイトを始めた一子は、近くのボクシングジムで練習する中年男・狩野からデートに誘われる。 なぜ自分を誘ったのかと聞くと、情けない返事が返ってきた…。 ラブ・ストーリー。
Hangry,Angry~『百円の恋』
32歳実家暮らし、無職。部屋に籠ってゲーム三昧、深夜に百円ショップで買い
物。自堕落な生活を続けていた齊藤一子(安藤サクラ)は、ある日息子を連れて
出戻った妹と取っ組み合いの大喧嘩となり、アパートで一人暮らしを始める。
共演の新井浩文が 「安藤サクラが凄い!」 と手放しの大絶賛。パイセンが
そこまで言うなら、、と、観て来ました。確かに、確かに凄い。ヒラリー・スワンク
が...
百円の恋
百円の恋 テアトル新宿 2014/12/20公開
32歳の一子(安藤サクラ)は実家でだらしない毎日を過ごしていたが、
離婚して実家に戻ってきた妹の二三子といざこざを起こし、一人暮らしをすることに。
100円ショップで深夜労働にありつき、相変わらずな日々を送っていたものの、
ボクサーの狩野(新井浩文)と恋に落ちる。
狩野との幸せな日々はすぐに終わってしまうが、ある日、たまたま始め...
『百円の恋』をテアトル新宿で観て、そら安藤サクラを激賞せずにはいらないだろふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★主演安藤サクラが頭抜けている】
演出とか脚本とか言う前に一人の主演俳優の存在感だけが際立っている特殊な作品。つまり、この映画その物が安藤サクラの ...
映画『百円の恋』
2本目は、りんこちゃんが「いち押し」してくれた 『百円の恋』 (公式サイト) を、観ました。
百円の恋
無理が通っちゃう。
『百円の恋』
百円の恋
自堕落な生活を送る引き籠もり女が、家を出
一人暮らしを始め、百円ショップでバイト。
中年プロボクサーと知り合い、自らもボクシングに目覚めていく...
【個人評価:★★☆ (2.5P)】 (自宅鑑賞)
脚本:足立紳 「第一回松田優作賞」グランプリ受賞作
百円の恋
安藤サクラが日本アカデミー賞主演女優賞を受賞した作品。
30歳を超えても実家で引きこもり同然のニートな生活を送っている一子(安藤サクラ)。子供を連れて出戻ってきた妹の二三子と大喧嘩し、一人暮らしを始めることになる。毎日買い物に行っていた24時間営業の100円...
百円の恋
安藤サクラつながりでみた本作も彼女の演技にやられました。しかし、ストーリーに余計なものをいれて、話の流れを壊す邦画の悪癖は本作でもあり、根岸季衣のシーンは大部分をカットしたほうがよかったのでは。 作品情報 2014年日本映画 監督:武正晴 出演:安藤さ…