『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』 最大の弱点を克服した!

 【ネタバレ注意】

 パズルのピースがはまるように、『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』とピタリと合う、その構成の妙が心地好い。
 テレビシリーズ全26話のうち第24話までのストーリーをまとめた(だから総集編ではない)『追憶の航海』に続いて公開された『星巡る方舟』は、第24話と第25話のあいだに位置する物語だ。
 コスモリバースシステムを受け取り、イスカンダルを後にしたヤマト。沖田艦長はまだ健在で、バラン星の亜空間ゲートに向かい、大マゼラン銀河を航行していた(だから『追憶の航海』では沖田の死が描かれない)。ガミラスではデスラーが死亡したと思われており、バラバラになった軍を掌握する必要に駆られていた。
 ともかくガミラスとヤマトとの戦いは終わり、一路地球を目指すだけだと考えていたヤマトクルーを襲う危機。それが『星巡る方舟』の大事件だ。

 これは作り手にとって危険な挑戦だ。
 第24話と第25話のあいだでは、誰が死ぬわけでもない。ヤマトが大きく損傷するわけでもない。地球を目指す状況に変わりはない。テレビシリーズの1エピソードと同列の位置付けになってしまうから、ダイナミックな展開は難しい。
 けれども映画として公開するからには、112分の上映時間をもたせるだけの大きな事件が必要だ。観客も劇場映画には"テレビ以上"のものを期待する。
 作品全体で一つの大きな物語になっている『宇宙戦艦ヤマト2199』で、この相反する課題を解決する難しさたるや、一話完結の刑事ドラマの劇場版とは比べ物にならないだろう。

 本作公開に合わせて放映された『劇場公開記念!!「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」発進SP』において、出渕裕総監督は困難に挑戦した心情を語っている。
 「あくまでテレビシリーズのときの、『2199』のときのお話の中に納まって破綻のない形にするっていうのがこだわったとこです。ヤマトの映画っていうと、どうしても次の話、次の話っていう、翌年に巨大な敵がまた攻めてきて、それをやっつけてみたいな形じゃないですか。」
 「昔からご覧になってるファンの方には、驚きというか、こういう作り方ってあるのっていう、今までのヤマトの映画の作り方とは違う形になっていますけど、それはそれで新鮮な驚きとして捉えていただいて楽しんでいただければ幸いです。」

 宇宙戦艦ヤマトシリーズを見てきたファンならば、出渕総監督の気持ちが痛いほど判るはずだ。
 大マゼラン銀河からの侵略者ガミラス帝国を倒したら、アンドロメダ銀河から白色彗星帝国がやってきて、次には二重銀河の暗黒星団帝国と戦い、そうかと思えばいつの間にやら天の川銀河はガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦に二分され、にもかかわらずディンギル帝国なんて勢力もちゃっかり存在している。
 新作のたびに、どこにいたのか不思議なほどの大帝国が出現し、次から次へと地球を、ヤマトを襲う繰り返しに、シリーズ全体を通しての世界像が破綻していると感じたファンも少なくあるまい。
 だから敢えて『宇宙戦艦ヤマト2199』の世界の中で新作をつくる。新たな大帝国は出さないし、『宇宙戦艦ヤマト2199』の大きな物語から逸脱しない。時系列的にも題名の2199年の範囲に留める。そういうことをやってみたかったのだろう。
 たしかにヤマトの映画としては、とても新鮮な作り方だ。

■謎は明かされた!

 この目論見を実現するため、出渕総監督はテレビシリーズの制作中から周到に準備を進めた。
 新作映画の制作が決まったのは第五章(第15話~第18話)を上映している頃だったので、第六章(第19話~第22話)で『星巡る方舟』に向けた種まきをはじめたという。それが第20話での桐生美影の登場であり、フォムト・バーガーの生死不明の描写だ。
 しかし、もっとも大きな仕込みは、テレビシリーズで張り巡らせた伏線を回収しなかったことに違いない。『宇宙戦艦ヤマト2199』には第七章(第23話~第26話)まで観ても語られない部分があった。

 私は第四章(第11話~第14話)の感想にこんなことを書いていた。
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 ましてや、前述したように旧ヤマトシリーズ全体を勘案しての再配置が行われているとすると、地球人やガミラス人の来歴についても深い配慮が期待される。
 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のディンギル人が1万年前に地球から移住した地球人類であることや、ガミラス人が天の川銀河に栄えたガルマン民族の一支族であることからも判るように、ヤマトシリーズの世界観には、はるかな過去に行われた恒星間・銀河間の移住によって現在の星間国家が成立したという考えがある。

 第四章では、ガミラス人と地球人に生物としての違いはないことが示された。
 「我々はどこから来てどこへ行くのか。」
 本作は、ゴーギャンの言葉を模したセリフをガミラス人に語らせている。
 これからガミラス人について、地球人について、どのような由来が明らかにされるのか期待は高まる。
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 第五章(第15話~第18話)の感想ではこうも書いた。
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 これまで地球とガミラスの星間戦争を描くミリタリーSFのカラーが強かった『宇宙戦艦ヤマト2199』は、はるかな過去へと時間軸を伸ばし、文明の栄枯盛衰まで視野に入れた宇宙史の様相を呈してきた。
 思えば、『宇宙戦艦ヤマトIII』には伝説の古代国家シャルバートが登場し、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』には銀河を回遊しながら星々に生命の恵みと試練を与える惑星アクエリアスが出現した。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは、人類の起源に遡るほどの時間的スケールを持つ作品だった。
 続編ができるたびに未知の文明が登場するのはいささか辻褄が合わなかったが、ヤマトの世界を熟考した上でつくられた本作は、これら超古代文明をも包含するのだろう。
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 そのため、最終章となる第七章に大いに感動しながらも、地球人やガミラス人の来歴が語られないことに、超古代文明の謎に触れていないことに、いささか拍子抜けした。
 だが、それは作り手の計算だった。
 超空間ネットワークを構築したといわれる古代文明アケーリアス、アケーリアスの末裔を称するジレル人。テレビシリーズでは詳しく語られなかった謎の数々が、遂に『星巡る方舟』で明かされた。
 『星巡る方舟』まで観ることで、はじめて『宇宙戦艦ヤマト2199』は完結する。ようやく胸のつかえが下りた気分だ。

 『2199』のアケーリアス文明は、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の回遊惑星アクエリアスに相当しよう。回遊惑星アクエリアスが複数の輪に取り巻かれていたように、『星巡る方舟』に登場する「静謐の星」も幾つもの輪に取り巻かれている。その「静謐の星」の正体が、アケーリアス文明の超巨大恒星間播種船であるという設定には膝を打った。生命の芽を与えるアクエリアスの役回りを汲み取りつつ、巨大建造物を好むアケーリアスらしさもちゃんと備えているからだ。

 加えて地球人もガミラス人もジレル人も(おそらくイスカンダル人もザルツ人も)アケーリアスの蒔いた種を起源とすることが明らかにされ、宇宙のあちこちに(生殖できるほど)酷似した生物が存在する謎も解明された。
 科学的に説明がつく話ではない。アケーリアスの「種」とは具体的に何を指し、地球人やガミラス人やジレル人がいつ、どのように分岐したのか、厳密に考えれば辻褄は合いそうにない。たかだか七万年前に分岐した日本人とヨーロッパ人ですら外見が異なるのだ。科学考証の半田利弘氏がパンフレットに寄せたコラムで「ただし、ガミラス人と地球人のようにDNAまで全く同じというのは偶然が過ぎる感じです。しかも、うり二つの人物が何組もいるなんて!」と書いているのももっともだ。

 だが、本作はそれで構わないのだ。
 同根のはずの地球人やガミラス人やジレル人が対立したり差別し合うのは、ほんの一握りの人間を祖先とする私たち人類が、今さら異国とか異民族などと呼び合ってしまう現状のメタファーだからだ。人類は過去何度も絶滅の危機に瀕してきた。全人口が一万人くらいまで激減したこともあるといわれる。今や70億人を超えて世界中で増殖し続ける人類だが、絶滅の危機を乗り越えてきた私たちはみんな同根なのだ。
 地球人とガミラス人とジレル人が種を一つにする仲間であることを認識し、文字どおり手を取り合って輪になる構図は、いささか芝居臭いけれどクライマックスに相応しい。

■ダガーム大都督は知的じゃいけなかった

 とはいえ現実に目を向ければ、同根だから仲良くできるものでもない。人類最初の殺人は、カインとアベルの兄弟で起きた。相互の理解が進んでも、利害が対立したら争いは起きる。

 本作では地球人とガミラス人が七日間の試練を乗り越えて協同することに成功したが、これはフォムト・バーガーが望むヤマトとの戦いに必然性がなかったからだろう。
 七色星団海戦で多くの仲間を失ったバーガー少佐は、ガミラス本国の停戦命令を無視してヤマトを討とうと考えていた。その動機は復讐心という感情だから、古代進と苦楽をともにして生まれた連帯感が強まれば、復讐心は消えてなくなる。もはや戦う意味はない。
 もしもヤマトとの戦いにガミラスの命運がかかっていたなら、個人的に地球人と親しくなってもバーガーは戦いを止めなかったに違いない。

 「異星人とも理解し合える」――古代進が口にする理想を踏みにじるように戦いを仕掛けてくるのが、ゴラン・ダガーム大都督の率いるガトランティス軍だ。
 パンフレット掲載のインタビューで、出渕総監督は作品のテーマに反するようなガトランティスの振る舞いをこう説明する。
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どうしても敵となる存在は必要ですからね。彼らだって同根のはずだし、野蛮で好戦的な民族だからといって戦って倒していいという理屈にはなりませんが、問答無用で襲いかかってきた以上どうしようもないということで、お目こぼしください(笑)。
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 総監督は"お目こぼしを"などとへりくだるが、大いなる和(Great Harmony ~for yamato2199)を主題歌とする本作だからこそ、和を築くことの難しさを理解して臨まねばならないのだろう。安易な理想論で思考停止しては、真の調和は築けない。

 ガトランティスの小マゼラン遠征軍大都督たる"雷鳴"のゴラン・ダガームは、宇宙戦艦ヤマトシリーズには珍しいキャラクターだ。
 これまでの敵は主義主張こそ違えども、それなりに知的で洗練されていた。愚鈍そうなゲールでさえ、狡猾さを備えていた。だがダガームは野蛮で凶暴で、あまり知的には見えない。サーベラーに叱責される様は、まるで『勇者ライディーン』で妖魔大帝バラオに叱られる激怒巨烈や、『超電磁ロボ コン・バトラーV』で女帝ジャネラに叱られる将軍ダンゲルだ(ダンゲルも隻眼だし)。ダガームがこのような人物像にされたのは、問答無用で襲いかかるタイプとして描くためだろう。

 加えてダガーム麾下のガトランティスの面々もこれまでにないタイプだ。出撃の際に太鼓を打ち鳴らしたり、豊かな髭を蓄えたり、頭に剃り込みを入れたりと、ガミラスには蛮族に見えるような異質な習俗が強調された。
 この異質さはどこから来るのだろうか。

 ヤマトシリーズの星間国家には、しばしばモデルとなる国があった。ガミラスはドイツ第三帝国、ボラー連邦はソビエト連邦、大ウルップ星間国家連合のSUSは米国を模しており、地球は日本そのものだった。
 一方、本作のガトランティスは、ダガームが『三国志』の陸遜でお馴染みの大都督を称していたり、サーベラーが諸葛孔明と同じ丞相だったり、キスカ遊撃隊を指揮する"疾風"のイスラ・パラカスがフー・マンチューのような口髭であったりと、中国を連想させる要素が多い。これまでのヤマトシリーズでは、わずかにディンギル帝国の固有名詞がシュメール文明から採られていたり、大ウルップ星間国家連合のアマールが中近東を模していたりしたものの、アジア、特に中央アジア以東が主要敵国のモデルになるのははじめてのことだ。

 本作においてガミラス、地球の共通の敵となるガトランティスは、ガミラスからも地球からも異質に見えなければならない。
 その答えが中国とはたいへん面白い。本来漢民族は頭に剃り込みを入れたりしないから、ガトランティスのモチーフはモンゴル、満州を含めた東アジア・北アジア全般なのだろう。
 そもそも『宇宙戦艦ヤマト2』(本作に火焔直撃砲が出てくるということは、『さらば宇宙戦艦ヤマト』ではなく『ヤマト2』を想起すべきだろう)のガトランチスの特徴は、一ヶ所に定住せず、宇宙を巡りながら資源を勝ち取ることだった。これは遊牧民の暮らし方に似通っている。ガミラスはガトランティスを蛮族呼ばわりしていたが、かつて遊牧民がユーラシア大陸全域にまたがるほどのモンゴル帝国を打ち立てたことを思えば、ガトランティスこそもっとも恐るべき敵なのかもしれない。

 そう考えてハッとした。
 これはまるで梅棹史観ではないか!?

 世には西洋、東洋という言葉がある。西洋といえば欧米、東洋といえばトルコ以東(あるいは東アジア)を思い浮かべる人が多いだろう。このような分け方からすると、ユーラシアの東端に位置する日本は同じく東の中国に似ており、西の端に近いドイツは遠い存在ということになる。
 梅棹忠夫氏は『文明の生態史観』及びそれに続く論文で、このような分類を一蹴した。「東南アジアの旅から―文明の生態史観・つづき」(1958年)では、下のような概念図で表現している。

 生態史観B図


 ユーラシア大陸の中央には乾燥地帯があり、ここでは遊牧民が跋扈している。遊牧民の脅威にさらされる乾燥地帯の周辺では、中国(I)、インド(II)、ロシア(III)、イスラム(IV)といった専制国家が成立し、遊牧民に対抗している。ユーラシア大陸の端にある日本や西ヨーロッパは、遊牧民と専制国家の争いに巻き込まれることもなく、ゆっくりだが着実に文明を発達させてきた。したがって日本と西ヨーロッパは同様のポジションにあり、似た者同士なのである。

 文明の生態史観を念頭に置けば、遊牧民と専制国家を模したガトランティスに対して、日本とドイツを模した地球とガミラスの方が連携しやすく見えるのはとうぜんだ。ガトランティスに比べれば、地球とガミラスは似た者同士なのだ。
 ガトランティスの出現が梅棹史観を想起させるとは驚きだ。『宇宙戦艦ヤマト2199』の作品世界は一層骨太になったと思う。

■沖田を超えた古代進

 『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』の工夫は細部にも至る。

 まず注意を引かれるのは、オープニングの主題歌がインストゥルメンタルになったことだ。さすがである。
 宇宙戦艦ヤマトシリーズの特徴であると同時に弱点なのは、第一作の主題歌『宇宙戦艦ヤマト』を超える曲を作りえなかったことにある。もちろん素晴らしい曲が数々作られはしたけれど、『宇宙戦艦ヤマト2』でも『宇宙戦艦ヤマトIII』でも主題歌は変えられず、もうイスカンダルは出てこないのに「♪銀河をはなれ イスカンダルへ」と歌われ続けた。
 イスカンダルに到着した後を描く『星巡る方舟』でも、悪びれずにささきいさお氏の歌声を流すのかと思いきや、ボーカル部分を葉加瀬太郎氏のヴァイオリンで置き換えるとは考えたものだ。おかげで、馴染み深い主題歌を楽しみつつ、物語から乖離した歌詞に違和感を覚えることもなくなった。

 私は第七章の記事で沖田艦長の戦術の変化に触れ、敵の前で逃げなくなったことを肯定的に受け止めたが、実をいえば一抹の寂しさがあった。『宇宙戦艦ヤマト』の素晴らしさの一つは、撤退をためらわないことにあったからだ。敵を前にしても撤退できることの大切さは、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の記事に書いたとおりだ。
 本作では艦長、副長に変わって指揮を執る古代進が、敵を前にして逃げろと命令してくれた。テレビシリーズで我慢していたつかえが取れたような爽快さだ。

 アケーリアス文明とジレル人の関わり方も愉快である。
 ジレル人のセレステラとミレーネルが暗躍した第14話「魔女はささやく」に関連して、私はC・L・ムーアのSF小説や処女戦士ジレルについて記したが、『星巡る方舟』ではいよいよC・L・ムーアの代表作ノースウェスト・スミスシリーズでも名高い『シャンブロウ』が登場した。なんとジレル人が生き残っていた星の名がシャンブロウなのだ。
 C・L・ムーアの『シャンブロウ』は、妖艶な宇宙の魔女に魅入られて取り込まれてしまう話だが、さすがに本作はそこまで艶っぽい展開にはならない。
 代わりにシャンブロウに降り立った古代進たちは、奇妙なホテルに閉じ込められ、殺し合いへと駆り立てられる。スタンリー・キューブリック監督のホラー映画『シャイニング』を彷彿とさせる展開だ。『シャイニング』では閉ざされたホテルで次々怪現象が起こり、人々は狂気に蝕まれていった。本作では狂気を振り払い、いかに試練の七日間を乗り切るかが見どころである。
 ちなみに『シャイニング』の主人公格の少年が超能力で意思の伝達を図ったり、霊的な存在を感知できたりするように、『星巡る方舟』の語り部となる桐生美影はクルー随一の言語学の専門家で、異星人の言葉にも反応できる。他者とのコミュニケーションがキーである本作において、多言語を操れることは超能力にも匹敵しよう。

 かように『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、世界の映画やSF小説に目配せしつつ、これまでにも増して旧シリーズを見事に再現・変奏している。
 『宇宙戦艦ヤマト2199』の作品世界は、ますます豊かになったのだ。
 

宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 (初回限定版) [Blu-ray]宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』  [あ行]
総監督・脚本/出渕裕  原作/西崎義展
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 諏訪部順一 中村繪里子 近木裕哉 園崎未恵 大塚芳忠 大友龍三郎 久川綾 麦人 鈴村健一 桑島法子 千葉繁
日本公開/2014年12月6日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199
【genre : アニメ・コミック

tag : 出渕裕 西崎義展 菅生隆之 小野大輔 諏訪部順一 中村繪里子 近木裕哉 園崎未恵 大塚芳忠 大友龍三郎

⇒comment

No title

ナドレックさん

こんにちは。いつもながら鋭い考察恐れ入ります。
宇宙戦艦ヤマト2199は、星巡る方舟で完結を迎え、今回の作品で出渕監督もやり残してきた部分を全て
埋めた映画となった感あります。
ナドレックさんのおっしゃるように、ガトランティス艦隊から逃げる古代の姿を描いたのは、今回見ていて本当
に新鮮でした。あの場面で敵の規模や戦闘能力の情報が全くない状況で戦っていたら、無駄に戦力はダウンし、艦内では
正面から火焔直撃砲と対峙し戦死者多数となっていたことでしょう。
スターシャさんから頂いたコスモリバースシステムも艦首共々破壊してしまう可能性を秘めていました。
こんな時時を稼ぐ意味からも、さっさと逃げるが正しい判断です。
さて今回の見所は、なんといっても被害最大と言われた七色星団の戦いを大きくしのぐガトランティスとの大迫力の艦隊戦
でしょう。
 私個人の意見としては
  ロケットランチャーを敵艦にぶち込む為使用したこと
  後方第三主砲での後方発射を尾翼に当たりそうな状態で使用したこと
  ラストのとどめは三式弾を使用したこと
 があり、もう大満足です。
 特に、敵のとどめを刺す接近戦からの三式弾は素晴らしかった。
 2199から出現した実体弾の存在は、ヤマトの世界を広げました。ショックカノンだけでは戦闘に深みはでませんね。

また新たなヒロインとなった桐生美影の登場。彼女は空間騎兵の斉藤始とも仲が良いみたいだし、航空隊の沢村との三角関係もまた面白い。そういえば桐生は、突如七色星団から登場するんですよね。星巡る方舟への複線でしょうか?

オープニング(第二章)とエンディング(第七章)の部分をつけた映画版がでるかも?順番に見ていくとまたまた大発見が。。第七章はイスカンダル旅立ち→星巡る方舟→デスラーとの死闘→エンディングかな

そしてついに出ましたね!大帝の存在。これで「さらば~」につながるし、敵の技術を盗み、兵器に転用する野蛮な存在は
地球の復興と共に国連宇宙軍の早期立ち上げにも少なからず貢献したということでしょう。

No title

「さらば」でパンタロンなズボンを穿いてたオシャレなガトランティスがみんなモンゴル相撲の力士が宇宙コスプレしてるみたいになって出てきてビックリしました。

作品としては好きな部分も嫌いな部分もあります(そこは自分のブログで書きます、という釣りも仕掛けつつ)。

とりあえず紅い口紅がエッチなガミラス姉さんが好きだなあ。

Re: No title

やまとおやじさん、こんにちは。
今回はロケットアンカーが大活躍でしたね!
旧シリーズに比べれば『2199』ではロケットアンカーの出番が多かったように思いますが、それでもやり足りなかったのか、本作ではロケットアンカーならではの戦い方が描かれていました。作り手のロケットアンカーへの愛が感じられます。

出渕総監督のインタビューを読むと、新作映画のアイデアとしてはオルタリアの生き残りの話とか、ゴルバ登場とかも検討されたようですが、この話になって良かったと思います。今回の映画で人類の起源やアケーリアス文明に触れられなかったら、悶々とし続けたことでしょう。

ガトランティスの再登場は拡大ファンサービスといったところでしょうか。
アケーリアス云々よりガトランティス登場に喜び、この続きを欲するファンも多いでしょうが、私としては本作をもって『2199』がきれいに終わったように思います。

欲を云えば、地球人と同じDNAを持つガミラス人が何ゆえ青い肌なのか、明確な説明がほしかった。青い肌なのはまだしも、血が紫色なのはなぜなのか。これが最後に残った謎ですね:-)

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
そういえば、女性キャラを大量生産した『2199』でも、これまでネレディア・リッケのような姐御キャラはいませんでしたね。メルダ・ディッツやセレステラにはそういう方向もあったと思うのですが、みんな姐御に達しませんでした。

本作の続きをつくって欲しいとは思いませんが、ネレディアが戦功を立てた<チタベレーの戦い>の話とかだったら、見たいなぁ。

出渕総監督のこだわり?

出渕総監督は、以前『ラーぜフォン』でも、「ムーリアン」を“青い血”の異人類として描いているので、異なる色の血に対して、独特の美意識があるのかも知れません。

あるいは、“青い血”は、邦画『ブルークリスマス』へのオマージュであり、“紫の血”は、劇場版『スタートレック6』における「クリンゴン」へのリスペクトとも考えられますね。

これに対して、科学的な推測をしてみるのも、野暮な気がしますが、敢えて想像してみますと、“血色素”自体は他の人類とは変わらないとして、「血漿」中に、色を紫色に見せる“何か”が存在していると考えるならば、一応の辻褄は合うと言えましょう。

して、その何かとは、「共生してる微生物」か、「ナノマシン」の類(たぐい)が適当かと。(おそらくは、「ムーリアン」の場合は、「ナノマシン」説が濃厚!?)

No title

ナドレックさん、こんにちは。

星巡る方舟は歴代のヤマトシリーズを見た人であれば、
なるほどと思うような仕掛けが結構ありましたね。

アケーリアスの遺跡は本編で出てきてから、意味深でずっと気になっていましたが、映画のための布石だったとは。

2199 におけるヒューマノイド種族が全てアケーリアス人から派生したとすれば、
ジレルだけでなく他の種族もみな末裔ということになりますね。
その中でもジレル人やイスカンダル人は特にアケーリアス人に近いのではないかと思っています。
ジレル人は心を読む特殊な力を持っていますし、遺跡を自由に使うこともできます。
イスカンダル人はユリーシャのように百合亜に憑依したりといった精神系の能力をもっているようですし、波動エンジンやコスモリバースのようなテクノロジーも持っています。
さらにガミラス人より上位種と考えられるイスカンダル人が、アケーリアスの遺産である超空間ネットワークの管理をガミラスに託したと考えるとしっくりきますので。
アケーリアスの人々は星巡る方舟に乗ってさらに遠い銀河に旅立っていったのかもしれないと考えるとちょっとロマンを感じます。

あと今回ヤマトがとりあえず危機を脱出するためにワープを行って、出た先で不思議空間に迷い込むというのが、実にヤマトシリーズっぽい展開でよかったと思います。

Re: 出渕総監督のこだわり?

ICAさん、こんにちは。
なるほど、紫色に見せる“何か”の存在とは巧い考えですね。
地球人と同じく赤色素のヘムはあるけれど、“何か”のために全体としては紫に見える。その上でカロテンやメラニン等の色素が少なければ、肌は青く見えるかもしれません。

ナノマシンだとすると、その侵入を受ければ地球人でもザルツ人でも血が紫に(肌が青く)なりかねず、青い肌を純血の象徴とするガミラス人のプライドを傷つけかねません。
「共生してる微生物」説はとてもしっくり来ますね。ガミラス人が地球人やイスカンダル人といつごろ分岐したか判りませんが、分岐後に微生物との共生がはじまり、ガミラス人に特化した共生関係を築いたと考えれば辻褄が合いそうです。親から子へ共生関係が受け継がれる垂直伝播ではあるものの、微生物がガミラス人のゲノムに潜りこむまでには至っていないため(似たような事例として、人体には必ずミトコンドリアがあるけれど、ミトコンドリアゲノムはヒトの染色体に含まれていないことが挙げられます。核移植でクローンを作るとミトコンドリアは受け継がれない。)、メルダ・ディッツを調べた佐渡先生は「ガミラス人のDNA配列は地球人と同じ」と発言したと。

ICAさんのご意見で説明がつきそうですね。
たいへんありがとうございました!

日本インターネット映画大賞投票受付開始しました

昨年度日本インターネット映画大賞に投票頂きましてありがとうございます。今年は20日より投票を開始しました。一部改正しましたので概要(http://bit.ly/1x6OlzL)を読んで頂きまして締切の1月22日までに投票のほどよろしくお願い致します。

やっと鑑賞しました。

ここを見ずになんとか鑑賞することが出来ました。

第1印象としては「新たなる旅立ち」観たような気分でした。
空洞惑星、共闘するガミラス戦闘空母、敵はちょい役。ガトランティスとの戦いは始まったばかり等。
だから見終わった感想は楽しいとか良かったとかではなく、是非新作をお願いします!でしたね。
しかし皆さん深く映画を読みますね。ここを読んだ感想も期待通りでした。
ガトランティスとは分かり合えないの?という突っ込みあるだろうなぁと思っていましたが、ナドレックさんの話を読んでなるほど、そうだよねと納得。

ただ、残念なのはTVシリーズをきちんと観ていなければ話について来れなくなっていることです。
BDで何回か観た私には楽しいシーンが多かったものの一緒に観た友人は話が分かり辛いということでした。
それでも面白かったので次作があれば観たいということでしたので安堵しましたが。

きっとあると信じたい次回作ですが、今度は森雪ヒロインでお願いしたいですね。本作はちょい役すぎました。

Re: No title

オブチ1号さん、こんにちは。
古代に栄華を誇ったアケーリアス文明がどうなったのか、説明のないところがいいですね。
滅亡したのか、新天地に旅立ったのか、観客の想像に任されていて、たしかにロマンを感じます。

ユリーシャが百合亜に憑依したのは、ユリーシャが持つ能力によるものでしょうか。
そこはよく判りませんが、アケーリアスが精神文明に重きを置いていたのではないか、というのは面白い考察ですね。
異次元からやってきた大ウルップ星間国家連合のSUSは、アケーリアスのなれの果てだったりして(^^;

> 出た先で不思議空間に迷い込むというのが、実にヤマトシリーズっぽい展開でよかったと思います。

異次元断層にはまり込むのがヤマトの得意技ですからね。
でも、どうしてみんなあそこに引き寄せられたのでしょう?

Re: やっと鑑賞しました。

はーしゅさん、こんにちは。
たしかに『新たなる旅立ち』を思わせるところがあります。戦闘空母とヤマトの共闘は象徴的です。
出渕総監督は新作映画にゴルバを出すことも考えていたそうですから、『新たなる旅立ち』は念頭にあったのかもしれませんね。

本作は独立した話ではないので、TVシリーズを観ていない人には判りにくいところがあるでしょうね。せめて『追憶の航海』を観ていれば良かったのでしょう。
ただ、判り易いか否かと作品の出来は別問題なので、判りにくくても面白けれ構わないと思います。判りにくさが、かえってTVシリーズをちゃんと観ようという意欲に繋がるかもしれませんし。
本作をきっかけに、ご友人がヤマトの世界に親しんでくれるといいですね。

アコースティック・ヤマトを聞きながら

初めまして、ナドレック様

 これまで7章+「追憶」+「方舟」と楽しくレビューを読ませていただいてました。
 まずは、安易にガトランティス編に走らなかった製作陣に拍手を送りたい。もしかしたら2199はN氏とM氏が直接的に参加していなかったのが成功要因かもしれませんね。

 2199は完結しましたが、そこはかとなく続編制作の空気が漂っている感じがしますので、以下は、2199ビジネスにそれなりに貢献してしまった古参のファンの独白というか制作陣へのお願いであります。仮に、今のスタッフのまま続編が制作されるのであれば、釈迦に説法かもしれませんが、「さらば」で商業ベースに乗った後の凋落ぶりの轍を踏まぬためにも、次の点をお願いしたいです。
 極めて抽象的で曖昧な表現ですが、原典第1作の精神を尊重していただきたい。できるだけ、ご都合主義は排除していただきたい。この2つは矛盾してるもしれませんが。
 「方舟」では根本とメルヒが死んでしまいましたが、絶対にお涙頂戴目的にキャラを殺さないで欲しい(もちろん美化された特攻も無し)。せっかくのご新規のお客さんをドン引きさせるであろう死んだキャラを復活させることも絶対にダメ。それと、いくら2百年後とはいえ、「さらば」「2」のような、たったの1年で超高層ビルが林立するような復興描写なんて東北の皆さんを侮辱することになります。
 3国間和親条約を遵守し、地球側の戦闘行為はあくまで自衛のための最低限度の実力行使に留めて欲しい。艦隊戦での波動砲の使用(ジェノサイド)も基本的に禁止。

 声優の配役などからスタートレック志向なのでは(スポック、ピカード、ライカー、データが重複、沖田艦長も航海日誌を録音)と思ってましたが、方舟ではっきり具体化しましたね。毎年のように敵が攻めてくるのもドラマ的に持たないので、ある意味スタートレックのようになっていくのはむしろ自然の流れかもしれません。そう言えばスター・ウォーズの新シリーズでスポックがオビワンにジェダイの修法を学ぶなんていう噂もありますが、そのうち実写版アーゴも絡んでくるなんてこともあるかも…?。

 でも、2199の続編の前に復活篇の第2部を制作してほしい。できればDC版の続きで。

 長々と駄文を失礼しました。

Re: アコースティック・ヤマトを聞きながら

LeeTaxonさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

制作陣へのお願い、まったくの同感です。
2199のスタッフが名声を保つにはここでスッパリ手を引くのが最善だと思いますが、バンダイとしては「ヤマト」をつくり続けてガンダム並みにブランド化・産業化を図りたいでしょうし、ファンとしては今後も新作がつくられるのならこのスタッフでなければ納得しないでしょうね。

私としては続編よりも前史・前日譚・外伝を観たいです。レンズマンシリーズやスター・ウォーズシリーズが、シリーズの進行に伴って前史を扱ったように。
副題は『恐怖の疫病宇宙船』とか『暗黒界の妖精』とか、いろいろ考えられますね。『星巡る方舟』も本当は『異次元の女王』と名付けたかったのではないでしょうか:-)

スタートレック志向が具体化とおっしゃるのは、単発エピソードのカラーが強まったということでしょうか。未知の星のホテルに閉じ込められてしまう本作は、さしずめTNGの「ホテル・ロイヤルの謎」に相当しましょうか。
そういう方向性もあるかもしれませんが、スタートレックもまた主要人物が死んだり、復活したりと危ない展開だったりします(^^; 2199のクルーがエネルギー・リボンを通り抜けて、2520の世代に出会ったりなんかして。

復活篇の第2部を制作してほしいというのはごもっともです。
観たいかどうかじゃなく、ファンには見届ける義務がありますからね。

ところで、スター・ウォーズの新シリーズでスポックがオビ=ワンにジェダイの修法を学ぶという話は……ありません。
ごめんなさい。あれはエイプリルフールの記事なので、笑って受け流していただきたいと存じます<(_ _)>

社会モデル考案と近況

ナドレックさん

T.Nです。
考察文を興味深く読ませて頂きました。
特典目当てで何回か見た感想をざっと書くとこんな感じです。


>加えて地球人もガミラス人もジレル人も(おそらくイスカンダル人もザルツ人も)アケーリアスの蒔いた種を起源とすることが明らかにされ

ヤマト2199シリーズは、この映画においても視聴者が想像を巡らすことを過度に制限せず逆に自由に膨らませることを可能にする情報や設定の提示の仕方をした、と思いました。何もかもを厳密に説明していないからです。例えば、アケーリアスの蒔いた種を起源とするとしたら、「外宇宙から来た」ガトランティス人はどうなるのか。また、22話のデスラー演説の「太古の昔に分かれた二つの民族」というのはどう説明するのか。こうした疑問が後から後から出てくるようにあえてすることで、視聴者がそれを説明づけるための想像をいろいろできるようにしていると感じました。ちなみに私がした想像は以下のようなものです。


――自らを創造したアケーリアス文明を滅ぼし宇宙の覇者になった古代イスカンダル帝国は、種の創造を行ったアケーリアスの事績をまねて、自らの忠実な僕として大マゼランや銀河系にガルマン氏族を創造していった。それは惑星表面の陸地面積が少なく人口 も必然 的に少なくなるイスカンダル人が人員不足を補うために行ったことだった。そして彼らは、自らの帝国が滅んだ後、自らの星のすぐ隣に最後の種族を創造した。それがガミラス人の起源である。帝国時代のイスカンダルは、かつて自分達が行ったように創造した種族が反旗を翻すことを恐れたが故に、自らの膝元であるサレザー恒星系には種族を創造しなかった。しかし帝国が滅んでしまった後の時代になると彼らは、かろうじて支配の及んだすぐ隣の惑星に、ほとんど死に絶えてしまった自分達に仕える忠実な僕を創造することにしたのだった――。


>本作では艦長、副長に変わって指揮を執る古代進が、敵を前にして逃げろと命令してくれた。テレビシリーズで我慢していたつかえが取れたような爽快さだ。

本作で見せたヤマトの戦いぶりは、「ようやくごくまっとうな戦い方をするようになった」という印象です。旧作ヤマトシリーズは多数の敵に1隻のみで突っ込み、無理のある戦いを無理やり波動砲で解決する、ということを繰り返していましたが、今作のヤマトはあからさまに不利な場合はさっさと逃げるし、ガミラス艦隊が味方して勝てる可能性が出来た時にはじめて正面切って戦っている。今までのヤマトシリーズには見られなかった戦いの合理性を感じました。なお、余談ですが今作のヤマトの戦いぶりは「ヒュ ーリー」と著しく対照的であるように見えました。ヤマトは無駄な戦いは極力避けるというアメリカ的な姿を見せたのに対し、ヒューリーに出てくる戦車長は重火器の支援もない高々300人の歩兵(つまりアメリカ軍にとって差し迫った脅威にならない)を相手に故障した戦車を放棄して後退しようとする部下を制止して無駄な戦いを行い、主人公を除き皆死んでしまうという旧日本的な姿を見せていました。昔の日本とアメリカがひっくり返ったような2つの映画の違いに何故こんなことが生じたのかと少し考え込んでしまいました。


> 文明の生態史観を念頭に置けば、遊牧民と専制国家を模したガトランティスに対して、日本とドイツを模した地球とガミラスの方が連携しやすく見えるのはとうぜん だ。ガトランティスに比べれば、地球とガミラスは似た者同士なのだ。

ガトランティスの習俗は見た限りでは日本、中国、遊牧民の混合に見えます。彼らの服装を見ると、彼らは月代のような剃り込みを作り、髻を結い、陣羽織を羽織っているように見えます。出撃の際にドラムを叩くのは遊牧系の習俗であり、酒宴の様子も遊牧民のそれを想起させます。一方で彼らの役職は古代中国風です。

製作者達がこのような造形を行ったのは、宇宙戦艦ヤマト2199ぴあ (ぴあMOOK) の「ガミラスとは異なる国家体系や組織を持つ事を想起させるイメージ」という記述から考えて、私達の社会やガミラスと全く異なる社会を描写しようとしているからというのは確かだと思います。個人的には、日本をはじめとする東アジアをごちゃまぜにした習俗の造形を行い、手っ取り早く「考えやすい(異世界の社会を考えるときに多大な勉強を強いられずに済む)」中国のイメージを用いているあたりに異なる社会システムを考える事がいかに難しいかを感じました。

とはいえ、考えてみると、ヤマトが今回の映画で足を踏み入れることになった「異質でしかも相応に機能する社会システムを考案し提示する(電脳とか宇宙人とかロボットとかのギミックを使わず)」という試みはSFの分野においてもあまり見られないものであるかもしれません。追及していけば現代の国民国家に代わる国家モデルと市場経済に代わる経済モデルを考案するに等しい行為となるからです。もしヤマトが表現分野として新しい境地を切り開くことがあるとすれば、こういった社会論の分野で成され得るだろうと個人的に思っています。

仮に続編があったとしても作中の描写からしてもはや「さらば」や「ヤマト2」を単純にリメイクする物語になることはありえず、完全オリジナルストーリーになると思っていますが、ガンダムサーガがよくできた続編(Zガンダム)で一気に物語世界に奥行きを持つようになったように、ヤマトも新時代を築けるに足るものになって欲しいと願っています。


ちなみに、今現在私は同人小説を書くためにガトランティスの国制について考えているのですが、簡単に書くと現時点では次のように考えています。


・劇中の呼称や宇宙を漂流する遊牧民的なガトランティスの性質を見るとその国家体制は王朝中国の、遊牧民が雪崩込んだ五胡六国時代の「西魏二十四軍」の如きものではないかと思われる。つまり、このような支配序列になっているの ではないか。

(詳しくはwikipediaの「府兵制の前身」を参照の事)
丞相-柱国-開府(諸侯)


・ガトランティスの「奴隷」はおそらくマムルークに代表される「スルタンの奴隷」の如きものなのではないか。ガトランティスは「奴隷」がいるという点で私達の社会と著しく異なる一方、ガミラスよりもむしろ我々の社会に類似した特長をいくつか持っていると個人的には思われる。(詳しい姿は来年に書く予定です。また、ガトランティスの国制について簡単にまとめた図を作成したので、リクエストがあればお見せできます。)


P.S 今書いている同人小説の続き部分ですが、内容的にはガデルとヴェルテの活動にかこつけて次のような事柄に言及したものになっています。

・ガミラス軍が再建されて行く過程
・ガミラスの同化政策の内容
・大小マゼラン世界の軍事と波動砲の歴史

特に3番目については、ガミラスがなぜ波動砲を持たなかったのかという疑問について「波動砲が役に立たない兵器だったから」という発想で考えてみたものにしています。現在三万字弱程度ですが、最終的には五万字弱ぐらいになると思います。もう少しお待ち頂ければと思います。よろしくお願い致します。

Re: 社会モデル考案と近況

T.Nさん、こんにちは。

>アケーリアスの蒔いた種を起源とするとしたら、「外宇宙から来た」ガトランティス人はどうなるのか。

ガトランティスが「外宇宙から来た」というのはガミラスから見ての発言ですから、「大小マゼランの外から来た」くらいの意味合いでしょうね。地球人から見ればガミラスも外宇宙から来た侵略者ですし。
超空間ネットワークを構築できるほどのアケーリアス文明が、空間的・時間的にどれほどの広がりを持っていたのかは想像だにできません。


ヤマトの戦いぶりに関しては、『星巡る方舟』の制作が発表される前に出渕総監督がこんなことを述べています。
「仮に製作するとすれば、戦うことよりもむしろ、引くべき局面では男らしく引き、命の尊さを訴えた旧作(1作目)のメッセージを重視したものにしたいですね」
http://www.sankei.com/west/news/131012/wst1310120095-n5.html

本作ではこの言葉を実践してくださいましたね。
改めて第1テレビシリーズの沖田艦長のセリフを思い出します。
「ここで今全滅してしまっては、地球を守る為に戦う者が居なくなってしまうんだ。明日の為に今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ。」
出渕総監督も判ってらっしゃる。

>昔の日本とアメリカがひっくり返ったような2つの映画の違いに何故こんなことが生じたのかと

本作を『フューリー』と並べてみるとは面白いですね。
たしかに『星巡る方舟』は日本らしくありません。それは本作がきちんと原点回帰しているからでしょう。本作は出渕総監督がおっしゃるように第1テレビシリーズのメッセージを重視したものになっています。だから不利な状況では「男らしく」逃げる。

でもこれは日本では――少なくとも大日本帝国ではなかなかできない判断でした。今でも、引くことを「男らしい」と考える人は多くはないかもしれません。
シリーズの原点、第1テレビシリーズが先の沖田艦長のようなセリフを発しえたのは、松本零士氏によるところが大きいと思います。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の記事に書いたように、第1テレビシリーズは松本零士氏の参画を得て独特の死生観を持つに至りました。その松本イズムとでも呼ぶべきものが脈々と受け継がれて、『星巡る方舟』の日本らしからぬ作風に昇華したのでしょう。

この「日本らしからぬ」特徴を本作で終わらせてしまうか否か、私たち観客の受け止め方が問われるところでもありましょう。


一方の『フューリー』。
5人で300人を迎え撃つ戦いをクライマックスに持ってきたのは、一つには商業性のためでしょう。多勢に無勢ながら戦い抜く物語は、客寄せにはうってつけです。少しぐらい合理性に欠けたって、大音響や迫力の映像でもって人の生き死にを描けば、観客は感極まって満足してくれるものです。100万人の大軍勢に300人で戦いを挑んだ『300 <スリーハンドレッド>』がヒットした前例もありますし。

ただ、あまりに無茶な内容だとスタッフ・キャストが本気になれません。
『フューリー』では、完成した映画を観るだけだと「無駄な戦い」に身を投じる理由が説明不足に思えますが、脚本段階では車長の過去や動機がもっと描かれていました。
IMSDb(インターネット・ムービー・スクリプト・データベース)に公開された脚本(第何稿か判りませんが)を訳した方がいらっしゃいます。→ http://blogs.yahoo.co.jp/unseen_movies/13523434.html

これを読むと、自分の愚かさから愛する者を死なせてしまった車長の胸には、「贖罪のために身を投げ出そう」という思いがあるらしいことが判ります。
『フューリー』の記事でも述べたように、これはかなり宗教がかった映画です。
(参考:『フューリー』 悔しいほどの3つのこと http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-516.html )
たくさんの罪を背負って、十字架に見立てた十字路の真ん中で贖罪のために死んでいく。これはそういう映画です。勝利を目指す戦争映画としては合理性に欠ける展開でも、宗教映画としてはアリなのだと思います。
イエスは自分が捕らえられることを知っていながら、逃げもせず逮捕されました。でも、おとなしく捕まって十字架にかけられたイエスはバカだなぁとは誰も云いません。

先ごろ公開された『ノア 約束の舟』といい、近々公開される『エクソダス:神と王』といい、『プロメテウス』といい『インターステラー』といい、宗教映画が続々と公開されています(宗教映画じゃないというご意見もありましょうが)。たぶん、日本未公開の映画の中にもたくさんあることでしょう。『フューリー』もそういう流れの中で捉えた方がいいのかもしれない、と考えています。
(「そういう流れ」については、こちらの記事で少し触れてみました。→ http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-398.html )


ところで、「異質でしかも相応に機能する社会システムを考案し提示する」という試みは、SFの重要なテーマであると思います。経済学者のノア・スミスは、ほとんどのSFは経済学についてのものだとまで云ってます。
ただ、SFの場合は国家モデル、経済モデルに留まらず、生物種や生態系も異質なシステムを考案するところまで行ったりしますが。
ノア・スミスは「経済学者のためのSF」なんてリストを発表しています。
http://okemos.hatenablog.com/entry/20130513/1368373058

とはいえ、

>もしヤマトが表現分野として新しい境地を切り開くことがあるとすれば、こういった社会論の分野で成され得るだろうと個人的に思っています。

これは大いに期待したいですね。
同根でありながら何万年も前に分岐して、並行して文明を発達させてきた異星人たちが接触するとき、どのような驚きが待っているのか。面白い展開になりそうです。


次の投稿も楽しみにしております。
よろしくお願い致します。

宗教映画

ナドレックさん

T.Nです。
ご返信ありがとうございます。

ヤマトの行動が第一作の精神を汲んだものとは考えが及んでいませんでした。確かにヤマト単艦ではそのようにいえますね。旧作シリーズではヤマトが他の船と共同して合理的に戦うというシーンは殆ど見られなかったのでそのようの事まで考えが思い至りませんでした。

とはいえ、そうなると地球全体ではヤマトのような行動がとれるのか、というのが続編が作られる場合の焦点となってきそうに思われます。あまりにも強すぎるのが分かっている相手に地球人の矜持を示すとか波動砲を作ってこれで戦えるとか愚かな事を言い出して自ら滅亡の道に進む、といった話になるかどうかが焦点になってくると思いました。(旧作は得てしてそんな方向に行きがちだった)

ヒューリーについては、これが宗教映画だという視点は考えだにしていませんでした。これはまさしく、アメリカ人と私の文化的背景の違いが現れた瞬間だったのですね。私は個人的に、第二次世界大戦のドキュメンタリーや本や雑誌記事をよく見るのですが、そこでよく目にした戦車戦の記述とヒューリーの最後の荒唐無稽な対歩兵戦闘の違いに違和感を感じていました。単純に「真に迫った無残な戦場」という今頃の戦争映画的カタルシスを追求するなら、もっと派手で無惨な戦闘が西部戦線でも東部戦線でも行われていたのに何であんな戦闘シーンを作ったのか。(例えばティーガーとの戦車戦では両戦線とも数台のティーガーに数十台の連合軍戦車が攻撃していて、それらには必ず周囲が禿山になるような絨毯砲撃が伴っていた)

ヒューリーは「現実らしい」兵士のどこまでも荒んだ日常(兵隊の狼藉振りや、ほとんど強姦に近い主人公のラブシーンなど)をこれでもか、というほどに描写しているのに何で戦車長たちはBBCのドキュメンタリーで見られるようなアメリカの戦車兵達らしからぬ行動をとったのか。(昔見たBBCのドキュメンタリーでは、アメリカの元戦車兵がアルデンヌの戦いの体験談で「戦車が壊れて孤立してしまったから、砲身をダラリと下げて撃破されたように見せかけ、周りのドイツ兵たちがゾロゾロと歩き去るのを見計らってから味方のいる所へ逃げた」と語っていた)

本やドキュメンタリーの記述からしてどうにも違和感を感じていたあの対歩兵戦闘は「罪の贖罪」という意味合いがあるというご指摘に驚きました。プラトーンとかフルメタル・ジャケットとはまた違った映画のトレンドがアメリカで起きていると言う事なのでしょうか?

SFで社会が云々というのは、あらためて私の浅学さとしょうもなさに気付かされました。これからはもう少し考えてから発言したいと思います。

最後に、「並行して文明を発達させてきた異星人たちが接触するとき、どのような驚きが待っているのか」という事についてですが、私の同人小説でも、あくまで戦争による両者の違いという形ではありますが、いろいろ描写していこうと思っています。書けた暁にはまたご意見をください。

長々と書きましたが、またよろしくお願い致します。

返信ありがとうございます

ナドレック様、返信ありがとうございます。

 もしも、商業ベースに載せたい版権者やスポンサー側の意向と制作スタッフ・クリエイター側の意思が合致しなかった場合、スタッフが差し替えられるという可能性は十二分に考えられますね。そうならないことを祈ってますが。

 スターウォーズの新シリーズでは、エピソードⅠ~Ⅲはなかったことにするという噂も聞いたこともありますが(これもエイプリルフール?)、ヤマトの場合、前日譚だと地球側は恒星間航行もできていないという状況となり、かなり舞台が狭まってしまい壮大なスケール感がなくなってしまうのではと思います。それはそれで作り方があるかもしれませんが。

 「方舟」では、ガトランティス駆逐艦が発射していたキラキラ光りながら飛ぶ兵器は、あれは完全に光子魚雷ですよね。また、恒星日誌のように録音する桐生ですとか、これまではなかった惑星重力圏内でのワープとかまるでスタートレックではないかと感じました。

 ホテルのシーンの源流は、なんと言っても「2001年宇宙の旅」ではないでしょうか?神のようなモノリスが人にとって快適であるであろうと用意した空間、あのシーンも壁にたくさん絵画が飾られてましたよね。

 2199の続編が制作されるのであれば、過去の「さらば」「2」以降のストーリーに縛られることなく創って欲しいと思います。単に地球が攻められて応戦するような単調な話ではなく、スタートレックのように、ガミラスやイスカンダル、ガトランティスといった惑星国家間の紛争を解決する(新たちか?)とか、未知なる未開の宇宙を探索するとかという方向に行くしかないんじゃですかね。真田さんに、至急スーパー・チャージャーを開発してもらわらないとダメですが。

 もしも復活篇第2部が制作されれば、もちろんヤマトファンの義務ですから税金を納めるように鑑賞すると思います。

 それにしても、スタートレック、スターウォーズ、スターブレイズの3つの世界が融合するようなことは夢のまた夢なのは残念。生きているうちにその夢のような世界を見てみたいです。

 またまた駄文を失礼しました。

Re: 宗教映画

T.Nさん

>波動砲を作ってこれで戦えるとか愚かな事を言い出して自ら滅亡の道に進む

こんな展開でしょうか(^^;
http://twitpic.com/dixlv8

宗教といえば、『星巡る方舟』でダガーム大都督が「天佑神助」と口にしていたのが印象的です。
大日本帝国の「宣戦の詔」は、日清戦争のときも日露戦争のときも第一次世界大戦のときも太平洋戦争のときも、必ず「天佑…」ではじまっていました。ガトランティスも戦いに神風を期待するような神がかりな国なのでしょうか。
興味がかき立てられますね。

Re: 返信ありがとうございます

LeeTaxonさん

>前日譚だと地球側は恒星間航行もできていないという状況となり、かなり舞台が狭まってしまい壮大なスケール感がなくなってしまうのではと思います。

作り手が大好きらしいノースウェスト・スミスシリーズは火星、金星、木星あたりを舞台にしていましたから、太陽系内が舞台でも面白くはできるかと。『宇宙のスカイラーク』が1928年に発表されるまで、すべての小説は太陽系内が舞台でしたが、面白い作品はたくさんありますし。

ホテルのシーンの源流ということであれば、まずは『惑星ソラリス』を挙げたいです。訪問者の記憶を読み取り、その者にとって懐かしい世界を構築する星。『ヤマトIII』の惑星ファンタムに続いてのお目見えですね。

続編を作るなら惑星国家間の紛争を解決する話というアイデアには、なるほどと思いました。新作のたびに新たな星間国家に攻められて、それを絶滅させて、の繰り返しは無理がありますからね。
絶滅させるのではなく、調停するとか睨み合いに持ち込む方が知性的でもありますね。

No title

ナドレックさん

T.Nです。

「天佑神助」については私はドイツ映画の「スターリングラード」のドイツ兵達のお祈りの場面を想起しました。その場面では従軍牧師が「”神は共にあり”。全ての兵士のバックルに刻まれている」と説いていました。それに太平洋戦争のアメリカ軍も上陸戦の前に従軍牧師がお祈りを流していたので、ダガーム大都督が「天佑神助」という事自体には私個人はそんなに珍しいものであるとは感じませんでした。

ガトランティスと日本とアメリカとドイツで違いが生じるのは、習慣の有無ではなく負け戦になった時だと思います。

日本の場合作戦立案の場で神風だの何だのと盛んに言うようになったのはマリアナ沖海戦で日本の敗北が完全に確定して以降の事だと思います。皆頭ではもう完全に負けると分かってるのに矜持だの面子だのにしがみつき神がかりになってみんな死んでしまう。ドイツでも特にヒトラーがそんな状態になったと思います。では、アメリカやガトランティスは負け戦になったらどうなるのか。どちらも現場の部隊は状況が絶望的になったら玉砕せず降伏していますが、国家はどうなのか。私の場合はそこに興味を持ちます。(ガトランティスは捕虜が大勢いることから多分玉砕するという風習はないと思われる)

ヤマト2199の地球はどうでしょうか?実は土方も藤堂も芹沢も、半分神がかった精神状態だったのではないか、と個人的に思っています。彼らはあと1年で絶滅するという惨状になっても最後まで降伏しようとしなかったのだから・・・。ギャグ漫画の報復への出撃シーンですが、実は地球人の多くが冗談でもなんでもなくこんなことを夢想し実行してやろうと考えているのではないか、と想像しています。戦争で追い詰められ異常な精神状態になっている地球ならこういうことを考えてもおかしくないのではないでしょうか。

問題はこれが文字通りただの夢想に過ぎないということで、現実には波動砲を多数作れる可能性もなければなけなしの波動砲で報復が成功する可能性もない。にもかかわらずそれをやろうとする人間が出てきかねないのではないか、というのが私が地球について想像している事です。

・・・どうも私が想像すると重苦しい事になってしまいますが、来年はもう少し考え方を明るくしたいと思います。よろしくお願いします。

Re: No title

T.Nさん

宗教は、構成員の集団への忠誠心を高め、集団の結束を強固にするのに役立っていると云われます。戦争においては戦士たちに命を捨ててでも集団を守ることを促すのですから、戦いに臨んでお祈りするのはとうぜんであり、国や文化によらないでしょう。イスラームのような「現世はあくまで仮のもので、本当の人生は死後にはじまる」という死生観は戦争に当たって強力に作用するかもしれませんし、日本のように集団への忠誠心が高い社会はキリスト教やイスラームほど強烈な教義がなくても戦士の背中を押せるのかもしれません。

集団のために死ぬことと宗教とは密接な関係があると思うのですが、お祈りを「習慣」で済ませてしまうとはT.Nさんらしい:-)

>矜持だの面子だのにしがみつき神がかりになって

矜持・面子と神がかりは違うように思います。矜持だの面子だのにしがみついた面もあるでしょうが、負けが込んできたからこそ、いよいよ神がかりな本性が表面に出てきたのかもしれません。
神風特別攻撃隊の名称は「神風を吹かせなければならん」と云って決められたそうですが、これはすなわち特攻すれば神風が吹く(人事を尽くせば神が助けてくれる)という信仰のあらわれではないでしょうか。あんな攻撃で戦況が挽回できるわけがない、というのは後知恵で、天佑を信じて神風が吹くまで人命を捧げ続ける覚悟だったのかもしれません。それは異常な精神状態ではなく、信仰の強さの問題でしょう。

私がダガーム大都督のセリフに注目したのは、まさに戦闘の場で「天佑神助」が口にされたからです。
旧シリーズでもマザー=シャルバート信仰やディンギル帝国の大神官制度等、宗教的な要素はありましたが、宗教と戦争とを結びつけた描写は見られませんでした。
架空の社会を考案するとしたら、国家モデル・経済モデルのみならず、本来は宗教(死生観)についての考察も欠かせないはずです。特に戦争においては死と向き合わねばならないので。

本作の作り手がそこまで考えて「天佑神助」と云わせたかどうかはともかく、興味深いセリフが飛び出したものだと思います。

2199から2202へ

過去に幾つか2199関連でコメントさせて頂いていた住人という者です。

公私共に色々ありまして途中からコメントするのを差し控えておりましたが、毎回論評を楽しく拝読させて頂いておりました。
2199を見る上でのもう一つの楽しみであった事は紛れもない事実です。その節は本当にありがとうございました。

「星巡る方舟」に関しては、全くおっしゃる通りだと思いました。
沖田イズムを継承しつつある古代の成長。
それを彩るヤマトクルーの成長、ガミラスとの共闘。
宇宙のロマンを科学的に裏付けし、拡大していくであろう世界観の拡がりの提示。
そして何よりも、敵の強さのインフレを否定しながら、制限された中で駆使される「知恵と工夫と勇気と勢い」を最大限発揮した戦闘シーン…。

卓抜したスタッフィングと、それを信頼し力を発揮する場を与えた出渕監督の絶妙な采配が産み出したブレンド効果。これまた第一作目のヤマトを彷彿とさせます。本当に、この映画によって2199は完成したと確信しました。


さて、ようやく公私共々落ち着きを取り戻したところで2202が公開されました。

子供心に違和感として感じていた「ヤマト」と「さらば」「2」との魅力の違いを、大人になって自意識が確立してからようやく明確に理解することが出来た上で、新たなリメイクを見ることが出来るのは果たして良かったのか悪かったのか…。

内心思うことは多々ありますが、まずはここに来て現時点の考えをまとめてみよう…と来てみた所、なんとその評論自体が無い。

その事実に、かなりの衝撃を受け、恥も外聞も構わず、つい書き込んでしまった次第です。

未だに素晴らしい評論クオリティとペースを保ちつつ、どんなヤマトにも暖かさと冷静さを併せ持ちながら評論が為されていたのに…。
「掲載していない事」自体に何かしら意味や意図があるのではないか?とすら考えてしまいます。

この「星巡る方舟」の記事自体、かなり前のものとなり、今さらここをご覧になる機会も無いかもしれません。が、ぜひ2202に関しても鋭い解釈や見解をお聞かせ願いたく、書き込まさせて頂きました。


Re: 2199から2202へ

住人さん、お久しぶりです。
コメントありがとうございます!

思えば、私がヤマト2199について連綿と書き続けられたのは住人さんのおかげです。

私はブログを書くに当たって一作品一記事を基本にしていました。しかし、ファミリー劇場で放映された2199の第1話があまりにも素晴らしく、思わず感想を書いてしまいました。
それでも、特別上映に足を運ぶつもりはなく、テレビで全話が放映された後にでもゆっくりと総括的な記事を書こうと思っていたところ、ヤマト2199に関する最初のコメントを書き込んでくださったのが住人さんです。書き込みの中で、上映中の第一章(第1話と第2話)を観たほうが良いこと、今後もヤマト2199の感想を読みたいことを述べていただいたので、そのコメントに背中を押されるようにして2199の上映館に足を運び、第二章以降の感想もしたためることになりました。
それがあって、素晴らしい作品の公開にリアルタイムで立ち会うことができた上、ブログを通じて多くの方々と交流できたのですから、本当に感謝しています。
いつも真っ先に書き込んでくださる住人さんのコメントは、とても大きな励みでした。

『星巡る方舟』は、記事本文に書きましたように、いろいろな点でこれまでにないヤマト映画に挑んだ作品だと思います。ヤマト2199の世界を拡充させ、完成へと導く重要な作品になりましたね。全26話できれいに完結していたヤマト2199の掉尾を飾る作品として、絶妙な作りではないかと思います。


さて、大恩ある住人さんに「ヤマト2202の記事は」と問われると、心苦しいところです。2202の第一章も第二章も観てはいるのですが……。
2202については、何と申しましょうか、"よく判らない"のです。いずれ得心できるかもしれませんが、今は作り手の考えが、その方向性が、私には呑み込めていません。そのため、何かを書くに至らずにいます。
せっかくご訪問いただいたのに、面目ないです。

ご返信、ありがとうございます。

ナドレック様

住人と申します。
「お?今日はカーズが上がってる。読まなきゃ…」といういつもの感じで覗いてみた所、正直返信されているとは夢にも思っておらずビックリしました。

あくまでも一コメントのつもりだったのですが、丁寧にご返答頂き恐縮しかありません。ありがとうございます&申し訳ありませんでした…。

一作品一記事を基本とされている事。自分でもヤマト2199に関しては「26話の一テレビシリーズ」の前提で話をしていた事。
それにも関わらず、こちらに来ると無意識に「一章一映画」として認識していた自身に唖然となりました。重ね重ね大変失礼しました。

ですがご返信頂き大変安心させても頂きました。
まず2202の第一章も第二章もご覧になられている事。
あと、現時点において何かを書くに至らずにいる事。


・ヤマト新作として見るか、ヤマトシリーズリメイクとして見るか?

・2199と2202(ヤマトとさらば&2)を別物として見るか、ヤマトサーガの中の一本として見るか?

・2199と2202の各スタッフの狙う先の違いとは?

私の中でも視点を可能な限り絞ってもこれだけの見方の違いが存在し、大層とっちらかっております。

ただ「初代ヤマトと、さらば&2の、面白さの構成要素は全く異なる事」、
更には「2199における監督の仕事とは、構成要素のバランス比率を、初代ヤマトと同じように調整する事だったのではないか?」という二つの考えから、
2202に関しては比較的冷静に受け止められる姿勢だけは確保する事が出来ました。

これも、ナドレック様が書かれている通り「2199がきっちりと見せたいものを完結してくれた事」の効果故の物。

今までのヤマトとは異なり、余裕…いや良い意味での「諦念」をもって2202を迎える事が出来ます。


私としてはこれで充分な答えを頂けました。本当にありがとうございます。

後は、ナドレック様が「何か」を明確に捕まれた時のコメントを楽しみにするのみ。

今後は他映画に関しましてもこれからはコメントさせて頂こうと思っておりますので、引き続き鋭い解説をよろしくお願いいたします。

Re: ご返信、ありがとうございます。

住人さん、こんにちは。

『宇宙戦艦ヤマト2202』についてはよく判らず、モヤモヤしたままですが、そのモヤモヤの一端を記事にしてみました。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-605.html

住人さんが読みたかったこととは違うかもしれませんが、お知らせ致します。
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劇場鑑賞「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」

異星人とも、理解しあえるということ… 詳細レビューはφ(.. ) http://plaza.rakuten.co.jp/brook0316/diary/201412070000/ 【レビュー書いてポイント2倍】 8000円以上ご購入で送料無料!31%OFF▼ ジグソーパズル300ピー...価格:1,192円(税込、送料別)

【感想】映画「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」

ヤマト2199の劇場版を観て来ました!

[映画『宇宙戦艦ヤマト 2199 星巡る箱舟』を観た(2:野蛮人)]

☆・・・「1:新銀河誕生」も、名曲へのリンクなどを追加したので、今一度見直して下さいな^^ ◇ ◇ さて、今作の敵はガトランティスの大都督「雷鳴のゴラン・ダガーム」!! 予告編では、その全貌は隠されていたが、いざ、姿を表わすと、その言動とともに「野蛮人」の...

映画「宇宙戦艦ヤマト 2199 星巡る方舟」

評価:B 公式サイトはこちら。 劇場版完全新作ではあるが、テレビ・シリーズの第

『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』 (2014)

共存のテーマを深める本編付随の劇場版! TVシリーズ本編を補完しながらも、単体として新たな奥行を与える意欲作であった。 1974年に放送され、今日に至るまで熱狂的な支持をうける不朽のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』。しかし、長らく権利闘争でなかなか復活を果たせ...

宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟  総監督/出渕 裕

【声の出演】  小野 大輔 (古代 進)  中村繪里子(桐生 美影)  久川 綾  (新見 薫)  諏訪部 順一(フォムト・バーガー)  園崎 未恵 (ネレディア・リッケ) 【ストーリー】 西暦2199年、イスカンダルで「コスモリバースシステム」を受領したヤマトは、地...

[映画『宇宙戦艦ヤマト 2199 星巡る箱舟』を観た(3:キューブリックの呪縛・前編)]

☆・・・今回、ヤマトは、ガトランティスから逃れようと逃げ込んだ空洞惑星で、エネルギーを吸収する群体生物(注1)に襲われ、それから逃れるために惑星内部での強行ワープを行い、亜空間から脱出できなくなった。 その鈍色の空間には、不思議な惑星があり、古代ら数人は、...

『宇宙戦艦ヤマト2199星巡る方舟』ネタバレ注意!

ついにこれが最後になってしまうのだろうか?    2012年4月、宇宙戦艦ヤマト

『宇宙戦艦ヤマト2199/星巡る方舟』(2014)

昨秋放送を終了した『宇宙戦艦ヤマト2199』、その最終回で驚かされたのが新作劇場版製作決定の報。噂レベルでは色々と囁かれていたものの、初めて公にされた瞬間でした。企画そのものは遡ること半年近く、劇場で『第五章』が公開されていた頃には決まっていたようですが、誰もが考える「続編」ではなく、シリーズ24話と25話の間――イスカンダルからの帰路、そしてデスラーの逆襲が行われる前――という時間設定は、...

映画「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」感想

12月6日から公開されている劇場版「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」を 観賞してきました。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】宇宙戦艦ヤマト2199(星巡る方舟) [ 豊田巧 ]価格:1,404円(税込、送料込) 公式はこちら♪ あらすじは公式より抜粋します。 時に西暦2199年。 苦難の航海を経て、目的地イスカンダルで〈コスモリバースシステム〉...

「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」 新たなる旅たちを期待

テレビシリーズをリファインして成功したアニメーション「宇宙戦艦ヤマト2199」の

宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟/小野大輔

新シリーズ『宇宙戦艦ヤマト2199』の続編を描く完全新作劇場版です。コスモリバースシステムを入手し地球へ帰還するヤマトが突如現れた敵ガトランティスと遭遇し繰り広げられる壮絶 ...
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