『小さいおうち』 原作を離れて「失敗作」を撮る理由
【ネタバレ注意】
山田洋次監督の『小さいおうち』を鑑賞して、こんなことがあるのかと驚いた。
本作は中島京子氏の小説に基づいて山田洋次監督と平松恵美子氏が脚本を書き、山田洋次監督みずからメガホンを取った作品だ。決して山田洋次監督のオリジナル企画ではない。
にもかかわらず、山田洋次監督と原作のシンクロぶりはどうだろう。私はこれが山田洋次監督のオリジナル作品と云われたら信じたに違いない。
それほど、本作は山田洋次監督が撮るべくして撮った映画であり、『東京家族』の次はこれしかないと思わせる映画だった。
それどころか、『東京家族』は本作を撮るための習作だったのではないかと思えるほど、本作は『東京家族』の延長上に(しかも『東京家族』を超えた高みに)ある。
山田洋次監督が原作に惚れ込んで映画化を熱望したのもとうぜんだ。この原作に接したときの山田監督の喜びと興奮はいかばかりか。まさに山田監督のために書かれたかのような原作!
いや、正確に云えば、小津安二郎監督のために書かれたような小説なのだ。
『東京家族』は小津監督の『東京物語』をモチーフにした映画だった。かつて小津映画に批判的だった山田洋次監督は、時とともに小津監督への尊敬の念を強めた。そして「真似して恥じるところはない」と宣言して、『東京物語』を再現した『東京家族』を撮り上げた。その山田監督にとって、小津安二郎の世界を思わせる小説『小さいおうち』は、次なる取り組みに恰好の題材だったろう。
いったいこの小説の何が小津安二郎を思わせるのか。
登場人物の多くが中流以上の家庭に属することや、日本人の上品な所作を写し取っているところ、物語が家族の範囲から逸脱しないこと等、戦後の小津映画に通じるところはいろいろあるが、なんといってもコレだ。小さいおうちを訪れて一家に波風を立てる男の存在だ。こう書くと、『東京物語』にそんな男はいなかったじゃないかとそしられそうだが、ここは男の名に注目していただきたい。
この男、名前が正治(ショウジ)なのである。
■さらに徹底した真似
『小さいおうち』は、山形から出てきた女中タキの回想録の形で進む。
原作では東京へ向かう列車内で交わされる言葉を、映画では雪深い山道を歩きながらの会話にすることで、東京とは違う山形の特徴を視覚的に示すあたり、映画らしい置き換えで心地好い。
同時に、『東京家族』に続いて徹底的に小津監督を真似した作りにはニヤニヤさせられる。
小津監督お得意の赤いヤカンが『東京家族』ではベンチの上の赤い空き缶に化けていたが、本作ではそのものズバリ赤いヤカンが家庭内に登場する。ヒロインが差す傘まで赤い。原作でも舞台となる家は「赤い屋根の洋館」と描写されているから、山田監督にしてみれば赤いものを出す大義名分を得たようなものだ。
そして家族が日本間でやりとりする際の落ち着いた色調や、「子供の視点」と云われるロー・ポジションからのアングルや、話してる人物を正面から捉えて話者が変わるたびにショットを切り返すテクニック等、またもや小津安二郎を真似している。
家の中で物語のほとんどが進行する本作は、まるで室内劇のような後期小津映画を彷彿とさせて、山田監督としても真似のしがいがあっただろう。
しかし、『男はつらいよ』シリーズに見られるように、庶民の元気の良さや温かさを活写してきた山田洋次監督にとって、裕福な家の人々が乙に澄ました小津映画は対極にあると云っていい。
演技指導も対照的だ。渥美清さんのような芸達者に思う存分はじけてもらうのが山田流なら、役者をロボットのように思いどおりに動かし、アドリブを許さないのが小津流だ。山田洋次監督の代表作の一つ、『幸福の黄色いハンカチ』で武田鉄矢さんが思いっきりコケる場面は、勢い余って本当に転んだものだそうだが、それをそのまま採用してしまうのが山田洋次監督らしい。
そんな山田監督がいくら小津安二郎を真似しようと、なかなか小津映画っぽくはならない。『東京家族』ではまだそう感じるところがあった。
だが、小津のようなショットと小津らしくないショットの混在にいささかの居心地悪さを覚えた『東京家族』に比べると、本作は小津らしいショットの度合いが増したように思う。小津の真似も板についてきたということか。
それでも山田監督は庶民の味方だ。その演出は判りやすいことこの上ない。
登場人物の気持ちが高まる場面では、ピーッと警笛が響き、列車の進む音がゴゴゴゴゴゴと大きくなる。
ショックを受ける場面では、稲光と雷鳴で登場人物の心情を表現する。
小津安二郎監督はカメラアングルを固定して偶発的な動きを許さないのに、山田監督はタキが動揺する場面でカメラを手持ちにして揺らしてしまう。
これらを見ると、山田監督は小津安二郎の真似*だけ*に終始したのではなく、小津安二郎のような演出と自分なりの演出の融合を試みたと思われる。『東京家族』以上に。
これほど小津安二郎を意識している山田洋次監督が、本作を映画化したのはなぜだろう。
再び小津安二郎の作品をモチーフにしても良いのではないか。
それを考えるときに欠かせないのが、吉岡秀隆さん演じる板倉正治(イタクラ ショウジ)だ。
以前も書いたように、小津安二郎作品においてショウジは特別な存在だ。詳しくは『東京家族』の記事に譲るが、ショウジは戦争を語るキーなのである。『戸田家の兄妹』のヤスジロウならぬショウジロウは大陸へ進出する男、『麦秋』や『東京物語』のショウジは戦死しており、『早春』のショウジは戦友会で羽目を外す。いずれのショウジもその名を口にするときに戦争を思い出さずにいられない。
それはなんと『小さいおうち』でも同じだ。
当初は戦争の話題が苦手な芸術家肌の男として登場する正治は、物語が進むにつれて戦争の激化を感じさせる存在になる。兵役検査で丙種合格(現役には不適)だった彼は、健康な甲種や乙種の男たちが戦場に赴いても一人内地に残り続ける。けれども、一方で戦局は着実に悪化し、正治も戦争に駆り出されるのはいつかという緊張が映画を覆う。そして正治への召集令状をもって本作はクライマックスを迎える。
戦争なんてどこか他人事だったタキや奥様にとって、正治の召集こそが生活を破壊する戦争の象徴なのだ。
小津映画と同じくショウジが戦争の影を落とす本作は、まさに小津映画に傾倒した山田洋次監督が撮るべくして撮った作品だ。
■原作とはまったく違う映画
とはいえ、実のところ映画と原作はかなり違う。
原作小説において、板倉正治は映画ほど大きな存在ではない。原作が描くのはタキが奥様に忠実に仕えた12年以上の歳月であり、その中で板倉正治はいっとき波風を立てるにすぎない。
明らかな相違点は、原作で水木しげる氏を彷彿とさせる漫画家だった板倉正治が、映画では画家に変えられたことだろう。
これは映画と小説の違いを考えれば判らないでもない。
小説では板倉正治が描いた漫画や紙芝居の内容を紹介することで彼の心情を読者に伝えているのだが、映像でパッと見せねばならない映画において漫画や紙芝居の内容をいちいち説明してはいられない。画家であれば、絵を映したワンショットで作品を紹介できる。かくして、原作では紙芝居だった作中作『小さいおうち』は、本作では一枚の絵になってしまった。
もちろん、16枚の紙芝居で描かれる内容を、一枚の絵だけで表現できるはずはない。そのため、紙芝居で明かされるべき板倉正治の心情は、映画の各シーンに散りばめられることになる。
奥様に横恋慕していた板倉正治が、一人奥様のみならず、息子さんやタキも含めた洋館の住人を大切に思っていたことは、原作では紙芝居を通して明らかになる。
けれども映画は、出征を控えた正治が「僕が死ぬとしたら、タキちゃんと奥さんを守るためだからね」とストレートなセリフを口にしてタキを抱きしめるシーンを挿入する。
さらに山田洋次監督と平松恵美子氏は暴走し(?)、タキと正治が奥様抜きで会っていたらしいことを示唆する。倍賞千恵子さんが演じる老後のタキの部屋には、赤い屋根の洋館を描いた絵が飾られている。おそらく正治が美大生だった頃に描いたものを、タキが譲り受けたのだろう。タキが年老いても大事にし続けたこの絵は、劇中何度も大写しになり、正治の存在を常に観客に意識させる。
だが、原作小説にこのような絵は登場しない。原作のタキは奥様だけを一途に崇拝しており、原作の正治はそんなタキを含めて洋館の人々を大切に思っているだけだ。
なのに、映画ではタキと正治のあいだに、タキと奥様、奥様と正治とは別の関係があるように匂わせる。
映画化に当たって正治がクローズアップされる一方、描写が薄められたのが旦那様とぼっちゃん、そして奥様の学友睦子だ。
原作小説の特徴は、戦前の楽しく温かい暮らしが徐々に軍国主義に染まっていく様を丁寧に描写したことにある。
日米開戦に否定的な立場だった旦那様がすっかり翼賛体制の走狗になってしまい、愛くるしかったぼっちゃんは好戦的な愛国少年と化す。彼らの変化は享楽的な奥様との対比で一層強調され、奥様と彼らは激しく衝突する。
だが、その奥様ですら、やがて「日本人の魂」だの「火の玉の心」だのと精神論をぶつようになる。
出版社に勤める睦子は、大衆受けを狙って戦意を高揚させる記事ばかり書き散らす。
ここには、一般庶民が戦争を歓迎し、戦争を推進したことへの痛烈な批判がある。
タキと奥様は政治にも経済にも外交にも興味がなく、翼賛的なことはほとんど何もしないけれど、そのイノセンスすらも消極的な戦争推進として批判の対象になることを、作者は板倉正治の漫画を通して訴える。
にもかかわらず、映画ではこれらの描写がばっさりカットされている。
庶民の味方の山田洋次監督は、庶民すらも(庶民こそが)戦争への片棒を担いだ事実は取り上げず、大切な人を戦争に取られる被害者としてのみ描いている。わずかに、映画オリジナルのキャラクターである酒屋のおやじが日米開戦に万歳するぐらいだ。
山田監督は産経新聞のインタビューに応えて、『小さいおうち』で描きたいのは「戦前の昭和のサラリーマンの家庭の穏やかな暮らし方を思い返したい、見つめてみたいということ。これは僕の少年時代の思い出でもあるわけだ」と述べており、1964年生まれの原作者が取材の蓄積から『小さいおうち』を著したのに対し、1931年生まれの山田監督はノスタルジーを込めて過去を振り返っていることが判る。
そのため、ラストの平井のセリフの矛先も、原作と映画ではまったく異なる。
---
あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられたと、平井氏は言った。
「強いられてする人もいれば、自ら望んだ人もいて、それが不本意だったことすら、長い時間を経なければわからない。そういうことがあるものです。」
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これはタキの行動を説明しようと平井が口にする言葉だが、原作ではこの後、平井自身の行動が語られて、自分の行動への弁解にもなっている。
その上、タキの行動に対して平井とは異なる健史の解釈がかぶさることで、この言葉のインパクトはずいぶんと弱められている。
ところが映画では平井の弁解の部分が削られ、健史の解釈も削られているので、誰もが「不本意な選択を強いられた」被害者である印象を残して本作は幕を閉じる。
山田洋次監督にとって、市井の人々はあくまで善良で、あくまで被害者なのだろう。
これを山田洋次監督らしさと見るか、山田洋次監督の限界と見るかは人それぞれだろうけれど。
そんな善良な人々の物語でありながら、本作が扱うのは人妻の不倫だ。
旦那様やぼっちゃんの描写が薄い分だけ、本作は原作以上に正治を巡る不倫劇の比重が高まった。
「監督生活50年で初となるラブストーリー」と宣伝される本作だが、『男はつらいよ』シリーズはすべて寅次郎もしくは満男の恋物語なのだから、もちろんそんなことはない。ただ、女性の視点から不倫を描くのは、山田洋次監督には珍しい。
原作からの取捨選択により、映画『小さいおうち』はすっかり不倫劇と化しているが、山田洋次監督はなぜそうまでして不倫劇を撮ったのだろうか。
■「失敗作」への挑戦
與那覇潤氏による小津安二郎監督の研究書『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』に、面白い表が載っている。
戦中・戦後における小津安二郎監督作品の公開年月日とキネマ旬報ベスト・テンの順位だ。キネマ旬報ベスト・テンの評価が必ずしも映画の良し悪しを表すわけではないが、そこには奇妙な規則性が見て取れる。
1948年 7位 『風の中の牝鷄』
1949年 1位 『晩春』
1950年 7位 『宗方姉妹』
1951年 1位 『麦秋』
1952年 12位 『お茶漬の味』
1953年 2位 『東京物語』
1956年 6位 『早春』
1957年 19位 『東京暮色』
この評価は今も変わることがない。小津の代表作として誰もが思い浮かべるのは、『晩春』『麦秋』『東京物語』のいわゆる紀子三部作であり、『風の中の牝鷄』や『宗方姉妹』や『お茶漬の味』や『早春』『東京暮色』を挙げる人は少ないだろう。
ということは、小津監督はベスト・テンで1位、2位を取り、時代を超えて愛される傑作と、当時も今もあまり評価されない「失敗作」とを、ほぼ交互に発表していたことになる。
なぜ小津ほどの監督が傑作を連打せず、定期的に「失敗作」を撮ったのか?
その謎の答えは『帝国の残影』をお読みいただくとして、その「答え」を知ってもなお、私は世間同様に紀子三部作が好きであり、『風の中の牝鷄』や『宗方姉妹』や『お茶漬の味』『早春』『東京暮色』はあまり好きではない。それは前者の作品群が、家族といえどもいずれバラバラになってしまうことを知りつつ、調和のある生活を送ろうとする大人の処し方を描くのに対し、後者の作品群が取り上げるのが、*不倫や夫婦の危機*だからだ。それらの辛気臭い話は、ただただ観るのが辛いのである。
だが、小津監督ですら傑作を連打できずに「失敗作」を撮ってしまうのではなく、與那覇潤氏が指摘するように後者の作品群こそ小津安二郎の本音であり、あいまに発表された「傑作」は小津が人々の求めに応じて作った「嘘」だとしたらどうだろう。
小津を目標とする映画人は、どちらの作品群に切り込むべきだろうか。
山田洋次監督が『東京物語』を世界一と称えつつ、その哲学に共鳴していないらしいことは、以前の記事に書いたとおりだ。
こうしてみると、『麦秋』を舞台化し、小津同様に歌舞伎の映像化を手がけ、『東京物語』を徹底的に真似して『東京家族』を撮った山田洋次監督の次なるターゲットが、小津の「失敗作」と云われる作品群、それも『東京物語』の次に発表された『早春』になるであろうことは想像に難くない。
そして小津映画でも異色作といわれる『早春』は、戦争の影を引きずるショウジの不倫により、家庭に危機が訪れる映画なのだ。
ただし、名作の誉れ高い『東京物語』とは違って、『早春』は知名度も評価も『東京物語』に数段劣る。いかに山田洋次監督といえども、『早春』のリメイクなんて企画を通せるはずもない。
そんなときに、戦争と不倫とショウジが揃い、直木賞受賞のベストセラーとして話題性も満点の小説に出くわしたら――。
『小さいおうち』は山田洋次監督が撮るべくして撮った映画だ。
遂に山田洋次監督はここまで来たのである。
『小さいおうち』 [た行]
監督・脚本/山田洋次
脚本/平松恵美子
出演/松たか子 黒木華 片岡孝太郎 吉岡秀隆 妻夫木聡 倍賞千恵子 橋爪功 吉行和子 室井滋 中嶋朋子 林家正蔵 ラサール石井 米倉斉加年 木村文乃 夏川結衣 小林稔侍 笹野高史 螢雪次朗 松金よね子
日本公開/2014年1月25日
ジャンル/[ドラマ] [ミステリー]
山田洋次監督の『小さいおうち』を鑑賞して、こんなことがあるのかと驚いた。
本作は中島京子氏の小説に基づいて山田洋次監督と平松恵美子氏が脚本を書き、山田洋次監督みずからメガホンを取った作品だ。決して山田洋次監督のオリジナル企画ではない。
にもかかわらず、山田洋次監督と原作のシンクロぶりはどうだろう。私はこれが山田洋次監督のオリジナル作品と云われたら信じたに違いない。
それほど、本作は山田洋次監督が撮るべくして撮った映画であり、『東京家族』の次はこれしかないと思わせる映画だった。
それどころか、『東京家族』は本作を撮るための習作だったのではないかと思えるほど、本作は『東京家族』の延長上に(しかも『東京家族』を超えた高みに)ある。
山田洋次監督が原作に惚れ込んで映画化を熱望したのもとうぜんだ。この原作に接したときの山田監督の喜びと興奮はいかばかりか。まさに山田監督のために書かれたかのような原作!
いや、正確に云えば、小津安二郎監督のために書かれたような小説なのだ。
『東京家族』は小津監督の『東京物語』をモチーフにした映画だった。かつて小津映画に批判的だった山田洋次監督は、時とともに小津監督への尊敬の念を強めた。そして「真似して恥じるところはない」と宣言して、『東京物語』を再現した『東京家族』を撮り上げた。その山田監督にとって、小津安二郎の世界を思わせる小説『小さいおうち』は、次なる取り組みに恰好の題材だったろう。
いったいこの小説の何が小津安二郎を思わせるのか。
登場人物の多くが中流以上の家庭に属することや、日本人の上品な所作を写し取っているところ、物語が家族の範囲から逸脱しないこと等、戦後の小津映画に通じるところはいろいろあるが、なんといってもコレだ。小さいおうちを訪れて一家に波風を立てる男の存在だ。こう書くと、『東京物語』にそんな男はいなかったじゃないかとそしられそうだが、ここは男の名に注目していただきたい。
この男、名前が正治(ショウジ)なのである。
■さらに徹底した真似
『小さいおうち』は、山形から出てきた女中タキの回想録の形で進む。
原作では東京へ向かう列車内で交わされる言葉を、映画では雪深い山道を歩きながらの会話にすることで、東京とは違う山形の特徴を視覚的に示すあたり、映画らしい置き換えで心地好い。
同時に、『東京家族』に続いて徹底的に小津監督を真似した作りにはニヤニヤさせられる。
小津監督お得意の赤いヤカンが『東京家族』ではベンチの上の赤い空き缶に化けていたが、本作ではそのものズバリ赤いヤカンが家庭内に登場する。ヒロインが差す傘まで赤い。原作でも舞台となる家は「赤い屋根の洋館」と描写されているから、山田監督にしてみれば赤いものを出す大義名分を得たようなものだ。
そして家族が日本間でやりとりする際の落ち着いた色調や、「子供の視点」と云われるロー・ポジションからのアングルや、話してる人物を正面から捉えて話者が変わるたびにショットを切り返すテクニック等、またもや小津安二郎を真似している。
家の中で物語のほとんどが進行する本作は、まるで室内劇のような後期小津映画を彷彿とさせて、山田監督としても真似のしがいがあっただろう。
しかし、『男はつらいよ』シリーズに見られるように、庶民の元気の良さや温かさを活写してきた山田洋次監督にとって、裕福な家の人々が乙に澄ました小津映画は対極にあると云っていい。
演技指導も対照的だ。渥美清さんのような芸達者に思う存分はじけてもらうのが山田流なら、役者をロボットのように思いどおりに動かし、アドリブを許さないのが小津流だ。山田洋次監督の代表作の一つ、『幸福の黄色いハンカチ』で武田鉄矢さんが思いっきりコケる場面は、勢い余って本当に転んだものだそうだが、それをそのまま採用してしまうのが山田洋次監督らしい。
そんな山田監督がいくら小津安二郎を真似しようと、なかなか小津映画っぽくはならない。『東京家族』ではまだそう感じるところがあった。
だが、小津のようなショットと小津らしくないショットの混在にいささかの居心地悪さを覚えた『東京家族』に比べると、本作は小津らしいショットの度合いが増したように思う。小津の真似も板についてきたということか。
それでも山田監督は庶民の味方だ。その演出は判りやすいことこの上ない。
登場人物の気持ちが高まる場面では、ピーッと警笛が響き、列車の進む音がゴゴゴゴゴゴと大きくなる。
ショックを受ける場面では、稲光と雷鳴で登場人物の心情を表現する。
小津安二郎監督はカメラアングルを固定して偶発的な動きを許さないのに、山田監督はタキが動揺する場面でカメラを手持ちにして揺らしてしまう。
これらを見ると、山田監督は小津安二郎の真似*だけ*に終始したのではなく、小津安二郎のような演出と自分なりの演出の融合を試みたと思われる。『東京家族』以上に。
これほど小津安二郎を意識している山田洋次監督が、本作を映画化したのはなぜだろう。
再び小津安二郎の作品をモチーフにしても良いのではないか。
それを考えるときに欠かせないのが、吉岡秀隆さん演じる板倉正治(イタクラ ショウジ)だ。
以前も書いたように、小津安二郎作品においてショウジは特別な存在だ。詳しくは『東京家族』の記事に譲るが、ショウジは戦争を語るキーなのである。『戸田家の兄妹』のヤスジロウならぬショウジロウは大陸へ進出する男、『麦秋』や『東京物語』のショウジは戦死しており、『早春』のショウジは戦友会で羽目を外す。いずれのショウジもその名を口にするときに戦争を思い出さずにいられない。
それはなんと『小さいおうち』でも同じだ。
当初は戦争の話題が苦手な芸術家肌の男として登場する正治は、物語が進むにつれて戦争の激化を感じさせる存在になる。兵役検査で丙種合格(現役には不適)だった彼は、健康な甲種や乙種の男たちが戦場に赴いても一人内地に残り続ける。けれども、一方で戦局は着実に悪化し、正治も戦争に駆り出されるのはいつかという緊張が映画を覆う。そして正治への召集令状をもって本作はクライマックスを迎える。
戦争なんてどこか他人事だったタキや奥様にとって、正治の召集こそが生活を破壊する戦争の象徴なのだ。
小津映画と同じくショウジが戦争の影を落とす本作は、まさに小津映画に傾倒した山田洋次監督が撮るべくして撮った作品だ。
■原作とはまったく違う映画
とはいえ、実のところ映画と原作はかなり違う。
原作小説において、板倉正治は映画ほど大きな存在ではない。原作が描くのはタキが奥様に忠実に仕えた12年以上の歳月であり、その中で板倉正治はいっとき波風を立てるにすぎない。
明らかな相違点は、原作で水木しげる氏を彷彿とさせる漫画家だった板倉正治が、映画では画家に変えられたことだろう。
これは映画と小説の違いを考えれば判らないでもない。
小説では板倉正治が描いた漫画や紙芝居の内容を紹介することで彼の心情を読者に伝えているのだが、映像でパッと見せねばならない映画において漫画や紙芝居の内容をいちいち説明してはいられない。画家であれば、絵を映したワンショットで作品を紹介できる。かくして、原作では紙芝居だった作中作『小さいおうち』は、本作では一枚の絵になってしまった。
もちろん、16枚の紙芝居で描かれる内容を、一枚の絵だけで表現できるはずはない。そのため、紙芝居で明かされるべき板倉正治の心情は、映画の各シーンに散りばめられることになる。
奥様に横恋慕していた板倉正治が、一人奥様のみならず、息子さんやタキも含めた洋館の住人を大切に思っていたことは、原作では紙芝居を通して明らかになる。
けれども映画は、出征を控えた正治が「僕が死ぬとしたら、タキちゃんと奥さんを守るためだからね」とストレートなセリフを口にしてタキを抱きしめるシーンを挿入する。
さらに山田洋次監督と平松恵美子氏は暴走し(?)、タキと正治が奥様抜きで会っていたらしいことを示唆する。倍賞千恵子さんが演じる老後のタキの部屋には、赤い屋根の洋館を描いた絵が飾られている。おそらく正治が美大生だった頃に描いたものを、タキが譲り受けたのだろう。タキが年老いても大事にし続けたこの絵は、劇中何度も大写しになり、正治の存在を常に観客に意識させる。
だが、原作小説にこのような絵は登場しない。原作のタキは奥様だけを一途に崇拝しており、原作の正治はそんなタキを含めて洋館の人々を大切に思っているだけだ。
なのに、映画ではタキと正治のあいだに、タキと奥様、奥様と正治とは別の関係があるように匂わせる。
映画化に当たって正治がクローズアップされる一方、描写が薄められたのが旦那様とぼっちゃん、そして奥様の学友睦子だ。
原作小説の特徴は、戦前の楽しく温かい暮らしが徐々に軍国主義に染まっていく様を丁寧に描写したことにある。
日米開戦に否定的な立場だった旦那様がすっかり翼賛体制の走狗になってしまい、愛くるしかったぼっちゃんは好戦的な愛国少年と化す。彼らの変化は享楽的な奥様との対比で一層強調され、奥様と彼らは激しく衝突する。
だが、その奥様ですら、やがて「日本人の魂」だの「火の玉の心」だのと精神論をぶつようになる。
出版社に勤める睦子は、大衆受けを狙って戦意を高揚させる記事ばかり書き散らす。
ここには、一般庶民が戦争を歓迎し、戦争を推進したことへの痛烈な批判がある。
タキと奥様は政治にも経済にも外交にも興味がなく、翼賛的なことはほとんど何もしないけれど、そのイノセンスすらも消極的な戦争推進として批判の対象になることを、作者は板倉正治の漫画を通して訴える。
にもかかわらず、映画ではこれらの描写がばっさりカットされている。
庶民の味方の山田洋次監督は、庶民すらも(庶民こそが)戦争への片棒を担いだ事実は取り上げず、大切な人を戦争に取られる被害者としてのみ描いている。わずかに、映画オリジナルのキャラクターである酒屋のおやじが日米開戦に万歳するぐらいだ。
山田監督は産経新聞のインタビューに応えて、『小さいおうち』で描きたいのは「戦前の昭和のサラリーマンの家庭の穏やかな暮らし方を思い返したい、見つめてみたいということ。これは僕の少年時代の思い出でもあるわけだ」と述べており、1964年生まれの原作者が取材の蓄積から『小さいおうち』を著したのに対し、1931年生まれの山田監督はノスタルジーを込めて過去を振り返っていることが判る。
そのため、ラストの平井のセリフの矛先も、原作と映画ではまったく異なる。
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あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられたと、平井氏は言った。
「強いられてする人もいれば、自ら望んだ人もいて、それが不本意だったことすら、長い時間を経なければわからない。そういうことがあるものです。」
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これはタキの行動を説明しようと平井が口にする言葉だが、原作ではこの後、平井自身の行動が語られて、自分の行動への弁解にもなっている。
その上、タキの行動に対して平井とは異なる健史の解釈がかぶさることで、この言葉のインパクトはずいぶんと弱められている。
ところが映画では平井の弁解の部分が削られ、健史の解釈も削られているので、誰もが「不本意な選択を強いられた」被害者である印象を残して本作は幕を閉じる。
山田洋次監督にとって、市井の人々はあくまで善良で、あくまで被害者なのだろう。
これを山田洋次監督らしさと見るか、山田洋次監督の限界と見るかは人それぞれだろうけれど。
そんな善良な人々の物語でありながら、本作が扱うのは人妻の不倫だ。
旦那様やぼっちゃんの描写が薄い分だけ、本作は原作以上に正治を巡る不倫劇の比重が高まった。
「監督生活50年で初となるラブストーリー」と宣伝される本作だが、『男はつらいよ』シリーズはすべて寅次郎もしくは満男の恋物語なのだから、もちろんそんなことはない。ただ、女性の視点から不倫を描くのは、山田洋次監督には珍しい。
原作からの取捨選択により、映画『小さいおうち』はすっかり不倫劇と化しているが、山田洋次監督はなぜそうまでして不倫劇を撮ったのだろうか。
■「失敗作」への挑戦
與那覇潤氏による小津安二郎監督の研究書『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』に、面白い表が載っている。
戦中・戦後における小津安二郎監督作品の公開年月日とキネマ旬報ベスト・テンの順位だ。キネマ旬報ベスト・テンの評価が必ずしも映画の良し悪しを表すわけではないが、そこには奇妙な規則性が見て取れる。
1948年 7位 『風の中の牝鷄』
1949年 1位 『晩春』
1950年 7位 『宗方姉妹』
1951年 1位 『麦秋』
1952年 12位 『お茶漬の味』
1953年 2位 『東京物語』
1956年 6位 『早春』
1957年 19位 『東京暮色』
この評価は今も変わることがない。小津の代表作として誰もが思い浮かべるのは、『晩春』『麦秋』『東京物語』のいわゆる紀子三部作であり、『風の中の牝鷄』や『宗方姉妹』や『お茶漬の味』や『早春』『東京暮色』を挙げる人は少ないだろう。
ということは、小津監督はベスト・テンで1位、2位を取り、時代を超えて愛される傑作と、当時も今もあまり評価されない「失敗作」とを、ほぼ交互に発表していたことになる。
なぜ小津ほどの監督が傑作を連打せず、定期的に「失敗作」を撮ったのか?
その謎の答えは『帝国の残影』をお読みいただくとして、その「答え」を知ってもなお、私は世間同様に紀子三部作が好きであり、『風の中の牝鷄』や『宗方姉妹』や『お茶漬の味』『早春』『東京暮色』はあまり好きではない。それは前者の作品群が、家族といえどもいずれバラバラになってしまうことを知りつつ、調和のある生活を送ろうとする大人の処し方を描くのに対し、後者の作品群が取り上げるのが、*不倫や夫婦の危機*だからだ。それらの辛気臭い話は、ただただ観るのが辛いのである。
だが、小津監督ですら傑作を連打できずに「失敗作」を撮ってしまうのではなく、與那覇潤氏が指摘するように後者の作品群こそ小津安二郎の本音であり、あいまに発表された「傑作」は小津が人々の求めに応じて作った「嘘」だとしたらどうだろう。
小津を目標とする映画人は、どちらの作品群に切り込むべきだろうか。
山田洋次監督が『東京物語』を世界一と称えつつ、その哲学に共鳴していないらしいことは、以前の記事に書いたとおりだ。
こうしてみると、『麦秋』を舞台化し、小津同様に歌舞伎の映像化を手がけ、『東京物語』を徹底的に真似して『東京家族』を撮った山田洋次監督の次なるターゲットが、小津の「失敗作」と云われる作品群、それも『東京物語』の次に発表された『早春』になるであろうことは想像に難くない。
そして小津映画でも異色作といわれる『早春』は、戦争の影を引きずるショウジの不倫により、家庭に危機が訪れる映画なのだ。
ただし、名作の誉れ高い『東京物語』とは違って、『早春』は知名度も評価も『東京物語』に数段劣る。いかに山田洋次監督といえども、『早春』のリメイクなんて企画を通せるはずもない。
そんなときに、戦争と不倫とショウジが揃い、直木賞受賞のベストセラーとして話題性も満点の小説に出くわしたら――。
『小さいおうち』は山田洋次監督が撮るべくして撮った映画だ。
遂に山田洋次監督はここまで来たのである。
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監督・脚本/山田洋次
脚本/平松恵美子
出演/松たか子 黒木華 片岡孝太郎 吉岡秀隆 妻夫木聡 倍賞千恵子 橋爪功 吉行和子 室井滋 中嶋朋子 林家正蔵 ラサール石井 米倉斉加年 木村文乃 夏川結衣 小林稔侍 笹野高史 螢雪次朗 松金よね子
日本公開/2014年1月25日
ジャンル/[ドラマ] [ミステリー]

⇒comment
タキと正治の関係
原作には、嵐の晩に正治と協力して窓に板を打ち付けたのが「心躍る」作業だったこと、正治に肩を叩かれたときのことを思い出すとうしろめたいというタキの気持ちが綴られている(文庫版p116)。
原作のこのような描写に対する山田監督の解釈が、映画における二人の描き方だろう。
原作のこのような描写に対する山田監督の解釈が、映画における二人の描き方だろう。
小津作品
ほとんど見てないんで、比較や、真似とかは全然わかりません。
この映画を見る多数の人が、そんなことは知らないで見るんだろうな~と思いますです。
そんな目で拝見したのですが、素直に面白かったです。
妙な地元映画的なとこがあって、テンションあがりました。
この映画を見る多数の人が、そんなことは知らないで見るんだろうな~と思いますです。
そんな目で拝見したのですが、素直に面白かったです。
妙な地元映画的なとこがあって、テンションあがりました。
はじめまして
記事を読ませていただいて、原作本・東京家族と、この映画との相違点がよくわかりました。
すごく納得しました!(^.^)
両方とも読んでない、観てなかったものですから。。
すごく納得しました!(^.^)
両方とも読んでない、観てなかったものですから。。
三角関係?
小津作品との比較はよく分からないのですが、原作よりもいろいろな点で(連れ子の事とか夫婦関係とか)単純化しているように思えました。人々が戦争の被害者という描き方も含めて、分かりやすいものに。
原作では、南京陥落時のうきうき気分は、まるでワールドカップで勝って大喜びする我々と同じように感じ、当時の人々の喜びがよく伝わったので、そこはぜひ映像で見たかったです。
映画では甥っ子に「なんという悪夢」とあっさり台詞で説明されてしまったことにも、ちょっとガッカリしました。
私も、当時の普通の人々が戦争に向かって「日本人」という一色に収斂されて行く様子をもっと映像で見られたら…という気がしました。
それから映画ではラストの手紙のエピソードが三角関係を示唆しているようで、あれっ??っと思いました。(もしかしたら私が原作を読み違えていたのかもしれませんが、タキの奥様に対する気持ちはもはや恋愛感情のように思っていたので)
でも黒木華はぴったりでしたね。松たか子も本当にきれいで、当時のファッションが見ていてとても楽しかったです。
原作では、南京陥落時のうきうき気分は、まるでワールドカップで勝って大喜びする我々と同じように感じ、当時の人々の喜びがよく伝わったので、そこはぜひ映像で見たかったです。
映画では甥っ子に「なんという悪夢」とあっさり台詞で説明されてしまったことにも、ちょっとガッカリしました。
私も、当時の普通の人々が戦争に向かって「日本人」という一色に収斂されて行く様子をもっと映像で見られたら…という気がしました。
それから映画ではラストの手紙のエピソードが三角関係を示唆しているようで、あれっ??っと思いました。(もしかしたら私が原作を読み違えていたのかもしれませんが、タキの奥様に対する気持ちはもはや恋愛感情のように思っていたので)
でも黒木華はぴったりでしたね。松たか子も本当にきれいで、当時のファッションが見ていてとても楽しかったです。
Re: 小津作品
sakuraiさん、こんにちは。
「田舎から出てくる」といえば、なぜか山形ですからね(^^)
北関東より遠く、北東北ほど遠くない距離感が良いのでしょうか。
原作には山形の暮らしもけっこう描かれていて、とくに戦争中に、
「鈍重なること牛の如き山形人の粘りこそが、我が日本を勝利へ導く」
といった、威張っているんだか卑屈になってるんだかわからない住職の演説にうんざり
するエピソードには笑ってしまいました。
この映画をきっかけに小津映画に接する人が増えるといいなぁ。
「田舎から出てくる」といえば、なぜか山形ですからね(^^)
北関東より遠く、北東北ほど遠くない距離感が良いのでしょうか。
原作には山形の暮らしもけっこう描かれていて、とくに戦争中に、
「鈍重なること牛の如き山形人の粘りこそが、我が日本を勝利へ導く」
といった、威張っているんだか卑屈になってるんだかわからない住職の演説にうんざり
するエピソードには笑ってしまいました。
この映画をきっかけに小津映画に接する人が増えるといいなぁ。
Re: はじめまして
夏さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
原作はお勧めです。
記事に書いたことの他にも原作には様々な要素があって、奥深いものになっています。
あと、原作は意外にコメディ調なのです。そこはかとなくおかしみが漂っていて、そんなところも映画との違いでしょうか。
原作はお勧めです。
記事に書いたことの他にも原作には様々な要素があって、奥深いものになっています。
あと、原作は意外にコメディ調なのです。そこはかとなくおかしみが漂っていて、そんなところも映画との違いでしょうか。
Re: 三角関係?
mi~yaさん、こんにちは。
そうなんですよね。南京陥落が嬉しくて楽しくて、世の中がパッと華やいだ様子が映画にあれば、ずいぶん印象が変わったでしょうね。そこに現代の場面での「当時南京では……」という突っ込みがあるから、グサッと来るのですが。
でも、そこだけで制作費が跳ね上がりそうですから、映像化は難しいのでしょうね。
いかんせん、二時間強の映画に収めねばなりませんし。
映画は三角関係を示唆してますね。
ラストの平井のセリフからは、タキと正治と出かけたことを伺わせますし。タキと正治もそれなりに仲が良かったのでしょう。
原作での正治は、タキにとって奥様とのあいだに割り込んでくる闖入者ですけどね。
とうぜんのことながら、映画には山田洋次監督と平松恵美子氏の解釈が多分に入っていると思います。
黒木華さん、松たか子さんはじめ、素晴らしいキャスティングでしたね。
松たか子さんの奥様らしさは板についてました。
そうなんですよね。南京陥落が嬉しくて楽しくて、世の中がパッと華やいだ様子が映画にあれば、ずいぶん印象が変わったでしょうね。そこに現代の場面での「当時南京では……」という突っ込みがあるから、グサッと来るのですが。
でも、そこだけで制作費が跳ね上がりそうですから、映像化は難しいのでしょうね。
いかんせん、二時間強の映画に収めねばなりませんし。
映画は三角関係を示唆してますね。
ラストの平井のセリフからは、タキと正治と出かけたことを伺わせますし。タキと正治もそれなりに仲が良かったのでしょう。
原作での正治は、タキにとって奥様とのあいだに割り込んでくる闖入者ですけどね。
とうぜんのことながら、映画には山田洋次監督と平松恵美子氏の解釈が多分に入っていると思います。
黒木華さん、松たか子さんはじめ、素晴らしいキャスティングでしたね。
松たか子さんの奥様らしさは板についてました。
小さいおうのう
ナドレックさん、どうも。
「小さいおうち」は、公開時にスルーし、この間のTV放送で、ながら見しました。
どうでもよいことですが、「地上波初放送」という毎度のあおりには、疑問で。宮崎さん以外に、二度も三度も放送する例は、余りないように思いますが(笑)。
ところで、個人的に、あのたきさんと、奥様との関係が、いまいち、わからないのでした。むろん手紙を渡さなかったのは、大好きな松たか子と吉岡君に、不倫をさせては、いけない、という、ケナゲな心だったのでしょうが、そこに同性愛的心情が、あったのか、と。
というのも、松たか子の学友が、どうやらそういう傾向があり、黒木華に、いささか過剰なボディタッチ。松の結婚にがっかりした旧友もいた(明らかに自分?)ということで、松も女学生時代には、いわゆるエス関係だったのかもしれません。
黒木華が、松を「好きだった」ということでないと、倍賞千恵子の悔恨が理解できませんし。
また、初めて吉岡君の下宿に行って、帰って来た時には、松たか子の帯が、一度解いた形跡があり、二度目以降は着脱容易な(笑)洋装で行った、とありますが、純情吉岡君が、初回からそういう早業を出来るでもないのですから、松たか子が相当ホンポウであったと、言うことなのでしょうか(笑)。いずれにしろ山田洋次のぬるい演出は、隔靴掻痒ですな。
うーん、よくわからない映画でした(笑)。ながら見のせいかな?
「小さいおうち」は、公開時にスルーし、この間のTV放送で、ながら見しました。
どうでもよいことですが、「地上波初放送」という毎度のあおりには、疑問で。宮崎さん以外に、二度も三度も放送する例は、余りないように思いますが(笑)。
ところで、個人的に、あのたきさんと、奥様との関係が、いまいち、わからないのでした。むろん手紙を渡さなかったのは、大好きな松たか子と吉岡君に、不倫をさせては、いけない、という、ケナゲな心だったのでしょうが、そこに同性愛的心情が、あったのか、と。
というのも、松たか子の学友が、どうやらそういう傾向があり、黒木華に、いささか過剰なボディタッチ。松の結婚にがっかりした旧友もいた(明らかに自分?)ということで、松も女学生時代には、いわゆるエス関係だったのかもしれません。
黒木華が、松を「好きだった」ということでないと、倍賞千恵子の悔恨が理解できませんし。
また、初めて吉岡君の下宿に行って、帰って来た時には、松たか子の帯が、一度解いた形跡があり、二度目以降は着脱容易な(笑)洋装で行った、とありますが、純情吉岡君が、初回からそういう早業を出来るでもないのですから、松たか子が相当ホンポウであったと、言うことなのでしょうか(笑)。いずれにしろ山田洋次のぬるい演出は、隔靴掻痒ですな。
うーん、よくわからない映画でした(笑)。ながら見のせいかな?
Re: 小さいおうのう
昔の映画さん、こんにちは。
返事が遅れて申し訳ありません。
実は……映画を観たのは1年以上前なのでよく憶えていません(^^ゞ
映画を観た後に読んだ原作小説があまりに傑作で、その印象が強いせいもありますが……。
タキに同性愛的心情があったのかと云えば、それは映画の作り手も示唆していますね。
タキが奥様をマッサージしながら気持ちがたかぶってしまうところなど、かなり露骨な描写です。
原作ではそのものズバリの記述があって、本文でも紹介した「あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられたと、平井氏は言った。」という文の後に、「しかし」と健史の異なる解釈が続くのです。「大伯母は、あるいは、この美しい人妻に、恋をしていたのか」と。
映画はそこを削ってしまいました。
一応エンドクレジットの際に、仲睦まじく寄り添う奥様とタキの映像を出してはいますが。このショットは、原作での板倉正治が描いた紙芝居の最後の絵に相当し、正治から見た「聖なるもの/守られたもの」を意味します。
映画ではたくさんのものが削られていて、その最たるものは奥様が再婚であるということです。
恭一は色男の前夫との子供で、タキも前夫の時代から奥様に仕えていたのです。奥様が二度目の結婚をすることになって、タキも一緒にお嫁に行ったようなものなのです。タキにとっては前夫も今度の旦那様も板倉正治も、奥様に相応しいか品定めする対象でしかなかったのかもしれません。
映画では旦那様が不能らしいことも描かれませんでした。
色男の前夫と子供を作った奥様にしてみれば、いくら今度の旦那様が裕福で多少の贅沢ができたとしても、満たされないものがあったのでしょう。そこを踏まえての「奔放さ」なわけですが、これらの背景が映画からは読み取れないので、ちょっと判りにくいですね。
もちろん映画と原作は別物ですから、映画は映画として楽しめば良いのですが、丁寧に書き込まれた原作を読むと映画とは違う印象を抱きます。
返事が遅れて申し訳ありません。
実は……映画を観たのは1年以上前なのでよく憶えていません(^^ゞ
映画を観た後に読んだ原作小説があまりに傑作で、その印象が強いせいもありますが……。
タキに同性愛的心情があったのかと云えば、それは映画の作り手も示唆していますね。
タキが奥様をマッサージしながら気持ちがたかぶってしまうところなど、かなり露骨な描写です。
原作ではそのものズバリの記述があって、本文でも紹介した「あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられたと、平井氏は言った。」という文の後に、「しかし」と健史の異なる解釈が続くのです。「大伯母は、あるいは、この美しい人妻に、恋をしていたのか」と。
映画はそこを削ってしまいました。
一応エンドクレジットの際に、仲睦まじく寄り添う奥様とタキの映像を出してはいますが。このショットは、原作での板倉正治が描いた紙芝居の最後の絵に相当し、正治から見た「聖なるもの/守られたもの」を意味します。
映画ではたくさんのものが削られていて、その最たるものは奥様が再婚であるということです。
恭一は色男の前夫との子供で、タキも前夫の時代から奥様に仕えていたのです。奥様が二度目の結婚をすることになって、タキも一緒にお嫁に行ったようなものなのです。タキにとっては前夫も今度の旦那様も板倉正治も、奥様に相応しいか品定めする対象でしかなかったのかもしれません。
映画では旦那様が不能らしいことも描かれませんでした。
色男の前夫と子供を作った奥様にしてみれば、いくら今度の旦那様が裕福で多少の贅沢ができたとしても、満たされないものがあったのでしょう。そこを踏まえての「奔放さ」なわけですが、これらの背景が映画からは読み取れないので、ちょっと判りにくいですね。
もちろん映画と原作は別物ですから、映画は映画として楽しめば良いのですが、丁寧に書き込まれた原作を読むと映画とは違う印象を抱きます。
小さいおうち
初めまして。
興味深く読ませてもらいました。
本を先に読んだので、板倉さんと時子奥様とのことが大きく
取り上げているのにびっくりしました。
私も板倉さんの登場は台風のようなもので。
日常のこまごまとした描き方が好きで当時の時代背景が目に
浮かぶようで楽しく読みました。
映画を見てから原作をの方にとこれからはしたいと思います。
女性の監督さんだと又違っていたのかとも。
難しいことは解りませんが、小津さんを彷彿させる映画の撮り方というのは私も思いました。
それでもタキがあそこまで、後悔するというのは謎です。
やはり戦争がそうさせるのでしょうか。
興味深く読ませてもらいました。
本を先に読んだので、板倉さんと時子奥様とのことが大きく
取り上げているのにびっくりしました。
私も板倉さんの登場は台風のようなもので。
日常のこまごまとした描き方が好きで当時の時代背景が目に
浮かぶようで楽しく読みました。
映画を見てから原作をの方にとこれからはしたいと思います。
女性の監督さんだと又違っていたのかとも。
難しいことは解りませんが、小津さんを彷彿させる映画の撮り方というのは私も思いました。
それでもタキがあそこまで、後悔するというのは謎です。
やはり戦争がそうさせるのでしょうか。
Re: 小さいおうち
ショウさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
私は映画を観ても何だかスッキリしなかったので原作を読んだのですが、原作を先に読んでいると映画のアレンジにビックリしそうですね。
> それでもタキがあそこまで、後悔するというのは謎です。
> やはり戦争がそうさせるのでしょうか。
原作の文庫本に収録された原作者中島京子氏とフリー編集者船曳由美氏の対談でも、タキがなぜ泣いたのか、何を後悔していたのかが話題になりますね。
中島氏は「私が考えている理由はあるんですけれども、読んでくださったかたが自由に想像してくださったらうれしいですね」と答えてらっしゃいます。
戦争なのかもしれませんね。恋する人と運命を共にできなかったことなのかもしれません。
自由に想像してみるのが楽しいですね。
コメントありがとうございます。
私は映画を観ても何だかスッキリしなかったので原作を読んだのですが、原作を先に読んでいると映画のアレンジにビックリしそうですね。
> それでもタキがあそこまで、後悔するというのは謎です。
> やはり戦争がそうさせるのでしょうか。
原作の文庫本に収録された原作者中島京子氏とフリー編集者船曳由美氏の対談でも、タキがなぜ泣いたのか、何を後悔していたのかが話題になりますね。
中島氏は「私が考えている理由はあるんですけれども、読んでくださったかたが自由に想像してくださったらうれしいですね」と答えてらっしゃいます。
戦争なのかもしれませんね。恋する人と運命を共にできなかったことなのかもしれません。
自由に想像してみるのが楽しいですね。
No title
はじめまして。
『小さいおうち』が、原作・映画とも大好きで、検索して参りました。
映画に関しての話ですが、タキちゃんの後悔は、
私は、最初に女中をした作家の先生のセリフ
(女中の賢い判断により、家内安全が守られる というような。)
を受けてのことなんだと思っています。
手紙を渡すか渡さないか、自分の判断によって…
女中としてどうするのが、平井家のためになるのか…
それを必死で考えた結果、手紙を渡さないことにした。
が、戦争で死んでしまった奥様。
自分の判断は、正しかったのかどうか?
会わせてあげたら良かったのではないか?という後悔のように感じました。
『小さいおうち』が、原作・映画とも大好きで、検索して参りました。
映画に関しての話ですが、タキちゃんの後悔は、
私は、最初に女中をした作家の先生のセリフ
(女中の賢い判断により、家内安全が守られる というような。)
を受けてのことなんだと思っています。
手紙を渡すか渡さないか、自分の判断によって…
女中としてどうするのが、平井家のためになるのか…
それを必死で考えた結果、手紙を渡さないことにした。
が、戦争で死んでしまった奥様。
自分の判断は、正しかったのかどうか?
会わせてあげたら良かったのではないか?という後悔のように感じました。
Re: No title
ヨウコさん、初めまして。
そうですね、冒頭の作家先生のセリフは重要ですね。
ここでタキは、勝手に先回りして判断することが主人のためという考え方を植え付けられます。
大切な人を亡くすと、あれをしてあげれば良かった、これをしてあげれば良かった(あんなことはしなければ良かった、こんなことはしなければ良かった)と後悔するものです。短い人生と判っていれば、先々のことなんか考えずに好きにさせてあげるべきだった。そう思わずにいられないでしょう。自分が勝手に判断したことだけに、後悔は重い。
タキの気持ちはそんなところにあるのかもしれませんね。
奥様が長く存命であったなら、事情は違ったのでしょうが……。
そうですね、冒頭の作家先生のセリフは重要ですね。
ここでタキは、勝手に先回りして判断することが主人のためという考え方を植え付けられます。
大切な人を亡くすと、あれをしてあげれば良かった、これをしてあげれば良かった(あんなことはしなければ良かった、こんなことはしなければ良かった)と後悔するものです。短い人生と判っていれば、先々のことなんか考えずに好きにさせてあげるべきだった。そう思わずにいられないでしょう。自分が勝手に判断したことだけに、後悔は重い。
タキの気持ちはそんなところにあるのかもしれませんね。
奥様が長く存命であったなら、事情は違ったのでしょうが……。
No title
奥様と板倉の関係が数度に渡っていたと察せられるため、最後のチャンスに逢えなかった二人…ってとこで、別段気の毒ともかわいそうな恋とか、あんまり感じませんでした。
奥様が、旦那と抱き合って亡くなった…奥様は、不本意だったんでしょうかね。いちおう女冥利につきたって感じでしょうか…。
奥様が、旦那と抱き合って亡くなった…奥様は、不本意だったんでしょうかね。いちおう女冥利につきたって感じでしょうか…。
Re: No title
にゃおすさん、こんにちは。
奥様の最期も考えさせられますね。
原作の奥様は「あぶなっかしくて、誰かの庇護が必要な人だった」と説明されています。
「誰か」が旦那様であることに、いかほどの必然があったのか。板倉なら「誰か」の座を占められたのか。
原作に「抱き合って亡くなった」との記述はありません。そこは映画の作り手が敢えて追加したんですね。
奥様の最期も考えさせられますね。
原作の奥様は「あぶなっかしくて、誰かの庇護が必要な人だった」と説明されています。
「誰か」が旦那様であることに、いかほどの必然があったのか。板倉なら「誰か」の座を占められたのか。
原作に「抱き合って亡くなった」との記述はありません。そこは映画の作り手が敢えて追加したんですね。
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トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。【小さいおうち】小百合のおうち
小さいおうち 監督: 山田洋次 出演: 松たか子、倍賞千恵子、吉岡秀隆、黒木華、妻夫木聡、片岡孝太郎、橋爪功、吉行和子、室井滋、木村文乃、夏川結衣、中嶋朋子、松金よね子、笹野高史、ラサール石井、林家正蔵、螢雪次朗、市川福太郎、秋山聡、あき竹城、…
映画「小さいおうち」を観ました!!(2014-01)
映画「小さいおうち」を観ました!!
小さいおうち
小さいおうち@歌舞伎座
「小さいおうち」
老いても果敢に新しい題材に挑む、山田洋次監督の“気合い”が感じられる一作。もちろん監督のリベラルな姿勢が変わったわけではない。ただ、いわゆる“クセ球”を採用したアプローチは、今までにはない意欲的なものだと言えるだろう。その意味でも観る価値はある。
大...
小さいおうち (2013) 136分
現在の感覚では決して小さくはないんだけど(笑)
「小さいおうち」 (2014 松竹)
原作はミステリ的色彩が濃いものだった。それは…… ・主人公である山形出身の女中、
小さいおうち
公式サイト http://www.chiisai-ouchi.jp/
予告編にはピンとくるものが無かったんだけど、山田洋次監督作品ならばハズレはないだろうと思い、鑑賞してきた。
原作の第143回直木賞を受賞した中島京子の小説は未読。
健史(妻夫木聡)の親類であった、タキ(倍賞...
映画『小さいおうち』観てきたよ〜
山田洋次監督最新作。
公式HPはコチラ。
あ、なんと、私、山田洋次監督作品を劇場で観るの初めてだ・・・・(;゚∀゚)
いつも地上波で放送されてから見てるな。
原作の記事はコチラ。
今回は妻夫木聡くんは大伯母のタキさん(倍賞千恵子)の自叙伝の中へ導く役割で、
ダメブキじゃなかったよ〜(..◜ᴗ◝..)
しかし、昨夜のTVでやってた『東京家族』と同じ顔ぶれが次々...
映画・小さいおうち
2014年 日本原作 中島京子
物語の時代背景は1935年(昭和10年)から終戦直後、そして2000年(平成12年)から2009年(平成21年)頃ふたつの時代が交差しながら、やがてひとつにつながっていく様が描かれる
東京郊外のモダンな家で起きた、ある恋愛事件の秘密を...
『小さいおうち』
□作品オフィシャルサイト 「小さいおうち」□監督 山田洋次□脚本 山田洋次、平松恵美子□原作 中島京子□キャスト 松 たか子、黒木 華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木 聡、倍賞千恵子■鑑賞日 1月25日(土)■劇場 TOHOシネマズ川崎■cyazの満足度 ★★★☆(5★...
小さいおうち/松たか子、黒木華
第143回直木賞を受賞した中島京子さんの同名ベストセラー小説を山田洋次監督が映画化したラブ・ミステリアスなドラマです。劇場予告編や宣伝チラシの印象は山田洋次監督っぽくない ...
「小さいおうち」
これ、「家政婦は見た!」的なシチュイエーションではあるのだね。ただし、表面は立派に取り繕っている家も内部から覗いたらどろどろ、というばかりではなく、お手伝いさんの目を通して不倫を表面には出さず、非常に間接的に含みを持たせて描いているのが、節度ではある。...
『小さいおうち』
小さいおうち。それはタキちゃんが守りたかった大切な時間。
第143回直木賞を受賞した中島京子先生の原作を山田洋次監督が映画化したこの作品は、「さすが名匠!」と言わんばかり ...
小さいおうち
この世は小さいおうちの集合体なんだな。
『小さいおうち』 2013年12月26日 歌舞伎座
『小さいおうち』 をプレミア試写会で鑑賞しました。
新しくなった歌舞伎座で映画上映は初めてとのことでした。
登壇者は豪華絢爛大勢でした。
松たか子、黒木華、吉岡秀隆、倍賞千恵子、橋爪功、吉行和子、室井滋、
ラサール石井、小林稔侍、夏川結衣、中嶋朋子、子役2名、山田洋次監督と総勢14名という多さ。
妻夫木聡が居ないのは残念だった。(彼が居たらいじられるのに)
【ストーリー】
健史(...
『小さいおうち』 (2014)
激動の時代、中流家庭のひみつが投げかけるメッセージ!
新しい視点で過去に切り込み、現代を照射する意欲的な一作ではあるのだが…。
本作は、直木賞を受賞した中島京子女史の同名小説の映画化。メガホンをとったのは、82作(!)もの作品を連綿と紡いできた生ける伝...
『小さいおうち』 (2014) / 日本
監督・脚本: 山田洋次
原作: 中島京子
出演: 松たか子 、黒木華 、片岡孝太郎 、吉岡秀隆 、妻夫木聡 、倍賞千恵子
公式サイトはこちら。
昭和11年、田舎から出てきた純真な娘・布宮タキは、東京郊外に建つモダンな赤い三角屋根の小さな家で女中として働...
山田洋次監督『小さいおうち』松たか子、黒木華、吉岡秀隆、倍賞千恵子、妻夫木聡、片岡孝太郎、他
2010年・第143回直木賞を受賞した中島京子の同名小説を山田洋次監督が映画化『小さいおうち』(脚本・山田洋次、平松恵美子)。音楽・久石譲物語・健史(妻夫木聡)の大伯母で、先日亡くなったばかりのタキ(
小さいおうち
2014年 日本 136分 公式サイト 原作:中島京子「小さいおうち」(文春文
小さいおうち
中島京子の直木賞受賞作の
小説を映画化。
監督は山田洋次。
小さなおうちの主婦、
時子には松たか子。
小さなおうちの女中で、
昭和のタキには黒木華。
後の平成のタキには倍賞智恵子、
家の主人、雅樹に片岡孝太郎、
雅樹の部下の板倉正治には吉岡秀隆、
タキの親...
映画「小さいおうち」
2014 松竹 136分
小さいおうち
製作年度 2013年
上映時間 136分
原作 中島京子 『小さいおうち』(文藝春秋刊)
脚本 山田洋次/平松恵美子
監督 山田洋次
音楽 久石譲
出演 松たか子/黒木華/片岡孝太郎/吉岡秀隆/妻夫木聡/倍賞千恵子/橋爪功/吉行和子
健史(妻夫木聡)の親類であった、タキ(倍賞千恵...
小さいおうち ★★★★
第143回直木賞を受賞した中島京子の小説を、名匠・山田洋次が実写化したラブストーリー。とある屋敷でお手伝いさんだった親類が残した大学ノートを手にした青年が、そこにつづられていた恋愛模様とその裏に秘められた意外な真実を知る姿をハートウオーミングかつノスタル...
小さいおうち
『小さいおうち』を、吉祥寺バウスシアターで見ました。
(1)山田洋次監督の新作ということで映画館に行ってきました(注1)。
本作は、中島京子氏が直木賞(2010年上期)を受賞した同名の小説(文春文庫)に基づくもの。
戦前の山の手(注2)の丘の上に建てられた...
『小さいおうち』('14初鑑賞11・劇場)
☆☆☆☆☆ (10段階評価で 10)
1月25日(土) 109シネマズHAT神戸 シアター9にて 16:05の回を鑑賞。
「小さいおうち」:謎解きではなく・・・
映画『小さいおうち』は山田洋次らしくもあり、らしくもなしという佳作。まあ客席に身
[映画] 小さいおうち 感想(少しネタバレ)
中島京子さん原作、山田洋次監督映画『小さいおうち』を観てきました。原作のモダンな雰囲気がよく現れていた映画でした。
・原作「小さいおうち」感想→
あらすじ
昭和初期の東京。山形から奉公に出たタキは、赤い屋根の小さなおうちで、美しい時子奥様のもとで働くことになる。モダンな家での奉公はタキにとって幸せな日だった。けれど、旦那様の部下である板倉が、家に来るようになり、奥様の様子が変わ...
「小さいおうち」
2014年・日本/松竹=住友商事=テレビ朝日他配給:松竹 監督:山田洋次原作:中島京子脚本:山田洋次、平松恵美子撮影:近森眞史音楽:久石譲名匠・山田洋次の82作目となる監督作で、第143回直木賞を受賞
小さいおうち
え?なかなかよくできてるじゃありませんか。素直に面白かった。
小さいおうち
山田洋次監督「小さいおうち」2時間余。長さをまったく感じなかった。わりとサラッと観終えたのですが、この映画、あとになって相当じわじわ、じわじわ来ました。まずなんといっても松たか子が凄い。出てきた瞬間からモワモワ匂いたつようなワケあり感。爆発か破滅か、...
小さいおうち
大学生の健史は、大伯母のタキが大学ノートに綴る自叙伝を読むのを楽しみにしていた。 …60年前の昭和11年(1936年)、田舎娘のタキは、東京郊外の平井家の女中になる。 モダンな赤い三角屋根の小さな家では、玩具会社役員の雅樹と妻・時子、幼い息子・恭一が暮していた。 平井家をしばしば訪れる雅樹の部下・板倉と時子が心を通わせていくのを、タキはハラハラしながら見守っていた…。 女中だけが知っていた、...
「小さいおうち」
山田洋次監督作品
私は・・・ 「たそがれ清兵衛」のエンディングのときのような静かな感動がありました
特に盛り上げる作りでもなく、なんつぅんでしょ、ごくごく淡々と・・・ なんですが泣けてくる。。 みたいな
平井家に女中として勤めたタキさんの
死ぬ...
小さいおうち 完成披露試写会
タキの選択公式サイト http://www.chiisai-ouchi.jp2014年1月25日公開原作: 小さいおうち (中島京子/文春文庫)監督: 山田洋次 健史(妻夫木聡)の大伯母タキ(倍賞千恵
小さいおうち/映画
小さいおうち公式HP
名匠・山田洋次の82作目となる監督作で、第143回直木賞を受賞した
中島京子の小説を映画化。昭和11年、田舎から出てきた純真な娘・布宮タキは、
東京郊外に建つモダンな赤い三角屋根の小さな家で女中として働き始める。
家の主人で玩具会社勤務の平...
静かに反戦を謳う~『小さいおうち』
昭和初期、山形から東京へ女中奉公に出されたタキ(黒木華)は、赤い屋根瓦
がかわいい山の手の 「小さいおうち」 に雇われる。そこには、まだ若く美しい
時子奥様(松たか子)がいた。
山田洋次監督の映画を初めて観た。感動しました。
原作は、直木賞を受賞した中島京子の同名小説。読後数日間は、作品世界か
ら現実へ戻るのが難しかったほど、ここ数年読んだ小説の中でもずば抜けて印...
ショートレビュー「小さいおうち・・・・・評価額1650円」
彼女が、本当に隠していた事。
ある老女の心の内に70年間秘められていた秘密を巡る、ミステリアスな心理ドラマだ。
山田洋次にとっては、挑戦的な新境地と言っても良いと思う。
舞台は昭和10年代、東京山の手の住宅地に建つ赤い屋根の小さな洋館。
山形の寒村から上京した少女・タキは、この家で女中として働きはじめる。
玩具メーカーの重役を務める旦那様と都会的で垢抜けた時子奥様は優しく、幼い...
小さいおうち
大伯母・布宮タキ(倍賞千恵子)が亡くなり、晩年つづっていた自叙伝を託された大学生の健史(妻夫木聡)は、若かりしタキの秘密を知ることになる。
昭和初期。
山形から東京に出てきたタキ(黒木華)は、赤い三角屋根のモダンな屋敷を構える平井家の女中として働くことになった。
玩具会社の重役である主人の雅樹(片岡孝太郎)と妻の時子(松たか子)は、一人息子と穏やかに暮らしていた。
心温...
小さいおうち
松たか子が面白そうだったので『小さいおうち』を観てきました。
★★★★
切な過ぎるわー。
こんなに切なくなる話は、主人公のお婆ちゃんと同じ年代の方はご覧になられない方が良いかも、むちゃくちゃ重い気持ちになりそうで。
うちの婆ちゃんが観に行くとかって言ってたの...
小さいおうち
山田洋次監督の戦前の中の上の家庭を舞台にした恋愛ドラマ。ストーリーそのものはたいしたことがなかったのですが、今と大して変わらない当時の家庭に結構、驚きました。黒木華さんはベルリンの主演女優賞おめでとうございます。 作品情報 2013年日本映画 監督…
小さいおうち
『小さいおうち』2013年(日本)監督: 山田洋次出演:松たか子、黒木華 、片岡孝太郎、吉岡秀隆 、妻夫木聡、倍賞千恵子、橋爪功 、吉行和子
中島京子の第143回直木賞受賞作を「男はつらいよ」シリーズ、「東京家族」の名匠・山田洋次監督が映画化した感動ド...
「小さいおうち」おうちの秘密を知った先にみた暗黙の了解の守秘義務を守り通した女中の中の女中
「小さいおうち」は中島京子原作の作品を山田洋次監督で映画化した作品で、田舎から都会に出てきた女性が女中としてある小さなおうちに奉公し、そこで起きた出来事を亡くなる直前 ...
『小さいおうち』
----『小さいおうち』−−。
“山田洋次監督が挑む、新しい世界”って、どういうこと?、
山田洋次監督の前作って『東京家族』。
その前も
『母べえ』だの『おとうと』だのって
“家族”の話ばかりのような気がするけど…。
「う〜ん。
ぼくも観る前まではそう思っていたんだけ...
『小さいおうち』をトーホーシネマズ府中8で観て、黒木華ええのうふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★黒木華だなあ】
もちろん、断然タキちゃん派です。
器量が悪いなんて本人に言わせるのは酷なシナリオだなあ。
確かに整っていると言うよりは、昔風 ...
映画「小さいおうち」と「ネブラスカ」
最近観た2本の映画,邦画の「小さいおうち」とアメリカ映画の「ネブラスカ」,どちらもいい作品でした.福岡近辺では両方とももう終了間際です.観た直後にフェイスブックにちょこっと書きましたが,こちらにも,それをほぼ転載します.応援のクリック歓迎 山田洋次の「小さいおうち」は,戦中の日常を描いた多くの作品の一つ.「南京陥落」= 南京大虐殺 の時も,東京ではふつうの平和な日常があり,危機感もありま...
『小さいおうち』の絵の疑問
山田洋次監督『小さいおうち』を見ました。
映画館にちょっと遅れて着き出だしが見れなくて、何か肝心なところを見逃したような気がして、その後二度みることになりました。
それで疑問点がすっきりしました。それは亡くなったタキさん(女中だった人)の部屋に、「小さなおうち」の絵が何故あるのかという疑問です。
西へ一時間半の映画館からの帰り道、そのことで相方と話が盛り上がりました。
自...
小さいおうち
今年の初め劇場公開された山田洋二監督の作品で、黒木華さんがベルリン国際映画祭で
最優秀女優賞銀熊賞受賞です。
直木賞を受賞された中島京子さんの小説の映画化だそうです。
テレビで何度もCMが流れたので気にはなっていたのですが…やっとDVDにて鑑賞。
**...
小さいおうち
監督:山田洋次 出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子、橋爪功、吉行和子、室井滋、中嶋朋子、林家正蔵、ラサール石井、あき竹城
【解説】
第143回直木賞を受賞した中島京子の小説を、名匠・山田洋次が実写化したラブストーリー。とある...
映画 小さいおうち
JUGEMテーマ:邦画 
 
昭和初期の不倫を扱ったちょっと暗い感じのする映画でした。
 
見ているだけでちょっと滅入ってしまうのが難点ですね。
 
暗い時代が舞台なので当たり前かもしれませんが
 
もう少し華やかな部分があっても良かったのではと...
小さいおうち ~ 幸せな暮らしのゆくえ (2014/2/13)
中島京子の第143回直木賞受賞作を、山田洋次が映画化した作品。
元女中だったタキが、親類の青年 健史(たけし)に勧められ、自身の回想を書き留めるうちに、かつて奉公していた平井家の人々を振り返り、そこでのある 「秘かな恋愛」 について思いを巡らせる物語・・・
昭和初期から、次第に戦況が悪化していく東京の中流家庭の庶民の生活が、きめ細やかに描かれます。
健史の大叔母...