『ハンナ・アーレント』が発信するのは何か?

 巧いな。
 『ハンナ・アーレント』を観て、そう感じた。
 この映画から、ドイツ国民の思慮深さと立ち回りの巧さを改めて思い知らされた。
 それはもちろん、一観客である私が勝手に感じたことであり、作り手の意図は違うところにあるのかもしれない。もしも私が感じたことと作り手の狙いが一致したとしても、作り手がそれを認めることはないだろう。
 だから、ここに書くのは単なる妄言でしかない。まぁ、いつものことだ。

 映画『ハンナ・アーレント』で目を引くのは、ドイツ、ルクセンブルク、フランスの合作でありながら、英語のクレジットが添えられていることだ。
 合作といっても、ドイツ人監督がドイツ人キャストとともに撮った本作は、実質的なドイツ映画である。
 にもかかわらずクレジットに英語を使い、劇中の会話も頻繁に英語に切り替わる。主人公ハンナ・アーレントの米国時代を描いているから、セリフが英語になるのはおかしくはないが、ドイツ系ユダヤ人が集まるシチュエーションでも米国人キャラクターを立ち会わせることでわざわざ英語の会話にしている。

 近頃は映画発祥の地フランスですら、セリフの多くを英語にしている。
 これは、言語別の人口で英語を使う人が世界でもっとも多いからだろう。セリフを英語にするかどうかで、リーチできる人口がまったく異なる。
 ただ、フランスのアクション映画やサスペンス映画で英語を使うのが商圏を拡大させるためだと思われるのに対し、『ハンナ・アーレント』はいくら英語にしても世界で大ヒットするような映画ではない。ドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントが「悪」や「全体主義」について語る本作が動員できる観客には限界がある。
 それでもこの映画が英語にこだわるのは、本作の目的が作り手の創作意欲を満足させたり、ドイツの観客を喜ばせることではなく、国を問わず一人でも多くの人にメッセージを届けることにあるからだろう。とりわけ、世界の動向に一番影響の大きい米国に届けるには、英語での提供が欠かせない。

 先日、ポーランド人監督による『ソハの地下水道』やフランス人監督による『黄色い星の子供たち』を例にとり、ナチス・ドイツの戦争犯罪を非難する映画にドイツが資金提供していること、それが現在のドイツにもたらすメリットについて説明した(こちらの記事を参照)。外国人にこれらの映画を作らせるところに、ドイツの深謀遠慮があるだろう。
 『ハンナ・アーレント』は、さらに遠い先のことを考えて制作された映画である。

 本作が描くのは、ナチス・ドイツの迫害を逃れて米国に移住していたハンナ・アーレントが、1961年に行われた元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、その記録[*1]を発表した顛末だ。
 第二次世界大戦当時の戦犯を、ナチス・ドイツの"被害者"であるユダヤ人が裁く。判決はとうぜん死刑。1962年、このドイツ人は異国イスラエルの地で絞首刑になった。
 たとえ映画とはいえ、ホロコーストの残酷さを思い起こさせるアイヒマン裁判は、ドイツ人にとって扱いづらい題材に違いない。
 だが、本作をユダヤ人ハンナ・アーレントの目を通して描くことで、ドイツ人には困難なアプローチが可能になった。

 本作でハンナ・アーレントが主張するのは二つのことだ。
 (1) アイヒマンは悪魔的な人物ではなく、単に職務に忠実な平凡な人間であったこと。[*2]
 (2) ユダヤ人自治組織の指導者がナチス・ドイツのホロコーストに協力していたこと。

 一点目は、アイヒマンのみならず他のドイツ人――これからを生きるドイツ人にかかわる問題だ。1,000万人以上と云われるホロコーストの犠牲者は、アイヒマン一人に殺されたわけではない。官民多くのドイツ人の行動が、これほどの犠牲を出したのだ。
 アイヒマンは悪魔か異常者か変質者か。その評価は他のドイツ人に敷衍されないとも限らない。
 世界の人々がアイヒマンを悪魔のような人物だと考えていた当時、彼を単に職務に忠実な凡人であるとしたハンナ・アーレントの主張は、この世界でのドイツ人全般の立場に関わり、今も関わるのではないだろうか。

 二点目も重要だ。ユダヤ人指導者がナチス・ドイツに協力していたことは、加害者のドイツ人と被害者のユダヤ人という単純な構図を崩すものだ。それによってホロコーストの事実が消えるものではないものの、ドイツ人を一方的に加害者として非難する見方を和らげる材料になるのではないか。

 いずれも、現在及び未来のドイツ人にかかわることであり、ドイツ人にとって重大だ。
 けれども、それをドイツ人の主張として展開しても、誰の賛同も得られないだろう。それどころか、こんなことを主張したら、ユダヤ人をはじめ世界中から袋叩きにされるに違いない。人間は感情で動く生き物だから、事実がどうかは問題じゃないのだ。
 そこでハンナ・アーレントの登場だ。ユダヤ人ハンナ・アーレントの主張として展開するからこそ、世界は耳を傾ける。本作を観てもらえる。

 映画『ハンナ・アーレント』が、アーレントの人生を描くものでも、アーレントの主張のすべてを紹介するものでもないことは、アーレントが著作で述べた他のこと、すなわちイスラエル諜報特務庁がアルゼンチンからアイヒマンを連行したことの是非や、イスラエルに裁判する権利があるのかといったことを取り上げない点からも明らかだろう。
 裁判そのものの是非を蒸し返すのは、アイヒマンの擁護にしか見えない。それでは現在及び未来のドイツ人の立場を良くすることには寄与しない。

 もちろん、映画が取り上げた二つの主張に反発する人は存在する。特にユダヤ人の反発は大きいだろう。
 そんな反発を防ぐため、映画は先回りしてハンナ・アーレントに徹底的に反論する。映画は、抗議の電話や手紙が殺到し、ユダヤ人の友人も失ってしまうアーレントを丁寧に描写する。映画に反発しかねない人々も、劇中に自分たちの代弁者を見つけ、非難の嵐に見舞われるアーレントを見れば、溜飲が下がるだろう。
 対立意見をきちんと取り上げることは、本作がアーレントを(通してドイツ人を)擁護する映画ではなく、中立の立場から作られたものであることを演出する。

 加えて、抗議が出版社に及んだり、アーレントが大学教授の職を解かれそうになるエピソードは、観客にホロコーストとは別の問題意識を植え付ける。
 表現の自由である。
 表現の自由を守ろう、という主張に反対する人はいない。特に、米国は人権や自由に敏感な国だ。表現の自由が侵されそうなときは、米国民は必ずや表現者に味方する。ハリウッドのみならず米国社会に少なくないユダヤ系の人々も、表現の自由を守ることには反対できない。
 見事な論理のすり替えだ。ナチス・ドイツの戦争犯罪を取り上げた映画は、一転して表現の自由を守る戦いに変わり、観る者すべてをアーレントの側に付けてしまう。どんなに認めがたい不愉快な意見でも、感情的に反発するのではなく、冷静に受け止めて考えなければならない。そういう思いが観客の胸に残る。


 本作はホロコーストを肯定するものでも、ナチス・ドイツを擁護するものでもない。間違っても過去に郷愁を滲ませたり、戦争犯罪人を人間臭く描いたりはしない。
 他国を不快にする要素は一切排除した上で、現在及び未来のドイツ人が一方的に非難されることを緩和する狙いが、本作にはあると思う。
 どのように立ち回れば子孫の立場を良くしてやれるか、慎重に計算しているのだと思う。

 ドイツと並ぶ戦犯国日本では、残念ながらこのような配慮が希薄だ。
 2013年、日本人も英語中心の戦争映画『終戦のエンペラー』を制作した。英国人を監督に迎え、ハリウッドスターをキャスティングしたこの映画は、空襲で焼け野原になった日本を米国311館のスクリーンに映し出し――334万ドルの興行収入しか上げられなかった。米国人に相手にされなかった。

 とうぜんだろう。
 この映画には米国人が共感する要素がまるでないのだから。日本を焼け野原にしてしまった米国人、石を投げられ嫌われる米国人。その姿を見て、米国人が共感するはずがない。
 ましてや、この映画では大日本帝国と戦後の日本国の区別も、戦犯とそれ以外の者の区別も曖昧だ。
 ドイツ資本で作られる映画が、ナチスを徹底的に悪く描くことで現在のドイツへの矛先をかわす役割を果たしているのに比べ、日本映画はややもすると大日本帝国と現在の日本国が地続きであるかのように描いてしまう。
 実際には地続きだったとしても、それは云わない約束で、すべての罪を大日本帝国と一部の戦犯に帰すことで、他の国民一般を罪から解放する。それが東京裁判と日本国憲法の機能だと思うのだが、その連合国の配慮が肝心の日本人に理解されていないのではあるまいか。

 日本には過去を水に流す習慣がある。日本人は時間が経てばすべてを水に流してしまうが、以前の記事で述べたように他国ではそんなことはしない。当時の人間が死に絶えようが、どれほどの時間が経とうが、非難は残り続ける。
 だからこそ、過去の行為をどのように位置付けるのか、現在の人間が問われるのだ。
 その点、『ハンナ・アーレント』は実に巧みにアーレント(を通してドイツ人)への共感を喚起する。
 作り手の思慮深さと立ち回りの巧さを、この映画から思い知らされる。


[*1] ハンナ・アーレントによるアイヒマン裁判の記録はザ・ニューヨーカー誌に連載され、後に『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』として出版された。

[*2] 悪魔のような心の持ち主ではなく、職務に忠実な平凡な人間であっても残虐な行為を行うことは、後年アイヒマン実験(ミルグラム実験)スタンフォード監獄実験で示される


Hannah Arendt [Blu-ray] [Import]ハンナ・アーレント』  [は行]
監督・脚本/マルガレーテ・フォン・トロッタ  脚本/パム・カッツ
出演/バルバラ・スコヴァ アクセル・ミルベルク ジャネット・マクティア ユリア・イェンチ ウルリッヒ・ヌーテン ミヒャエル・デーゲン
日本公開/2013年10月26日
ジャンル/[ドラマ] [伝記] [戦争]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : マルガレーテ・フォン・トロッタ バルバラ・スコヴァ アクセル・ミルベルク ジャネット・マクティア ユリア・イェンチ ウルリッヒ・ヌーテン ミヒャエル・デーゲン

⇒comment

No title

それにしても、ナドレックさんが語ってる映画に付いてもそうなんだけど、ドイツ人って物凄く緻密な計画を立てて、それを物凄く緻密に実行していくんですよね。

日本は物凄く大雑把に計画を立てて、ともかくその大雑把が正しい正しくないを問わずにやり遂げてしまう。似てるようで違うなあ。日本は誰かに命令されるのに向いてるんでしょうね。命令する誰かも頭悪いとひどい目、見ちゃうんだろうけど。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
この映画を観ていると、今年とか来年及ぼす効果ではなく、子、孫の時代を見据えて石を打っているように思います。たいしたものですね。

> 日本は誰かに命令されるのに向いてるんでしょうね。

同感です。
江戸時代の職業は、ものごとの判断・決定を担う行政職たる武士階級と、判断・決定にはタッチしない百姓たちに分かれていました。明治以降、武士階級が消滅すると、日本は判断・決定にはタッチせず誰かに決めてもらう百姓だけの国になってしまった。
……と述べていたのは與那覇潤氏だったか。

今も日本には反対運動(百姓一揆)をする人はいても、自分が責任を持って決定する人は少ないように思います。
外国人カルロス・ゴーン氏をトップに迎えた日産自動車は、理想的な組み合わせなのかも。

TBありがとうございます

今年もよろしくご指導のほどを!!

今年も楽しみにしています

友人の付き合いで見てきました。
なんだか難しそうで、絶対寝ちゃうだろうな…と思いつつ。
しかし、自分でも意外なことにラストで涙が流れました。
なぜなのか?自分でも分からないのですが。

おそらく彼女が言うアイヒマンの「思考停止」、「平凡」、すべて自分にも当てはまるように感じたからかもしれません。(もちろんアイヒマンはすごく優秀で有能だったのでしょうから、その辺は違いますが)
ただ疑問に思ったこともあります。
西欧人の言う絶対的な「善」ははたして日本でも同じものを指すのか?もしそれがないとしたら、何を拠り所に考えたらいいのか?

彼女が旧友(兄?)の見舞いに行き、「ユダヤ人を国を愛していないのか?」と責められると「ユダヤを愛したことはない。友人を愛するだけだ」といいます。
私的なことで申し訳ないですが、身近に最近、妙に愛国的な人がいて、私は「日本を愛してる」なんて考えたこともない、としか言えなくて困っていたのですが、ハンナのこのセリフを聞いて、「そうそう!そうなのよ!」と膝でも打ちたい心境になったのです(笑)

この映画で面白かったのは、男の同僚や旧友が彼女を非難するのに対して、女性の友人たちは彼女を理解します。
男と女を単純に分けるのは前述に矛盾しますが、もしハンナが男だったら、同じ考えを世間に公表しただろうか?とも思いました。
男の人って所属団体(国とか民族)が大事すぎて、けなされると必要以上に頭に血が上るようにも思えます。







Re: TBありがとうございます

別冊編集人さん、こんにちは。
ご丁寧にありがとうございます。
こちらこそよろしくお願い致します。

Re: 今年も楽しみにしています

mi~yaさん、こんにちは。今年もよろしくお願いします。

>「そうそう!そうなのよ!」と膝でも打ちたい心境になったのです(笑)

そうそう!そうなんだ! と、私も膝を打ちたくなりました:-)

劇中の男女で反応が異なるのは、監督が女性だからでしょうか。
『もうひとりの息子』の女性監督も、事態を受け止める女性と取り乱したり反発する男性を意図的に描き分けていましたね。

>男の人って所属団体(国とか民族)が大事すぎて、けなされると必要以上に頭に血が上るようにも思えます。

男性はそういう生物なので、ある程度は仕方がないですね。狩猟とか戦闘を役割とする生活を何十万年も送ってきましたからね。
攻撃的なハチが覚悟ウイルスに感染しているように、もしかすると男性の脳もウイルスに侵されているのかもしれません。

ただ、『ホワイトハウス・ダウン』の記事にも書きましたが、所属団体(国とか民族)が大事すぎる人は、自己の評価が低いとも考えられます。
学問でも芸術でもスポーツでも経済力でも、何かに秀でている人はそれを誇りにできます。対外的な業績ではなくても、周りから愛され称賛される人はそれを糧に生きていけます。
所属団体、たとえば日本国民であることが大事すぎる人は、自慢できるものが何もないのかもしれません。そういう人が日本国民になったのは、親が日本国民だったからでしょう。そこに本人の努力はまったくありません。生まれついて(自分の努力とは無関係に)備わったものを大事にするのは、自分自身には見るべきものがないと感じていることの裏返しかもしれません。
すみません、身近な人に対して失礼かもしれませんが、そんな見方もあり得ます。


絶対的な善については、おっしゃるとおりアブラハムの宗教の影響下にある人には判りやすい話でも、そうでない人(大多数の日本人)にはピンと来ませんね。
劇中の善と悪を巡る議論は、私には時代がかっているように感じられました。半世紀前の雰囲気を伝えるにはいいかもしれませんが、近年の進化心理学や社会心理学等の知見が加わればもっと違う議論ができるはずだと思いながら聞き流してました:-)
ただ、彼女の指摘した「思考停止」「平凡」を、私たちは重く受け止めるべきでしょうね。

かなりの

時間差ですが、当地でも見ることができて、重畳でした。

英語の使い方に関しては、ドイツ映画の常のような気がします。
昔からドイツ映画って言うと、英語のクレジットが出てきて、以前はそれをなんだかなあ~と思っていたんですが、それも深慮遠望だったのかなあ。今となったら、さすがだわ。
フランスは、いまさら英語にすり寄せられませんもんね。

映画はうまいアプローチだったと思いますが、私はよほど煙草が受け入れられない性質になってしまったようです。やばい。

Re: かなりの

sakuraiさん、こんにちは。

本作の見どころは何といっても終盤のハンナ・アーレントの講演ですが、ここで彼女が云う「深く考えろ」ということとほぼ同じ内容を『宇宙戦艦ヤマト2199』の沖田艦長も語っていました。
日本のアニメもやるわい、と思いました。

英語での発信については、最近では『さよなら、アドルフ』の例が興味深いですね。
オーストラリア人が書いたドイツの話をオーストラリア人が監督したオーストラリア映画ですが、そこにドイツが資金提供しています。内容は、ナチス高官の子供たちが戦後悲惨な目に遭う話で、たとえナチスを憎む人でも「子供世代は悪くない」と庇ってあげたくなるでしょう。
「子供」という最強の素材がドイツへの同情を誘う。そんな映画がドイツじゃなく英語圏から出てくる。――これを資金面から実現に導くドイツは凄いと思います。

一昔前を舞台にした映画では、現代ではないことを強調するためか過剰に喫煙シーンが多い気がしますね。
私もスクリーンの中とはいえタバコを吸われるのは気分が良くありません。
でも、時代を演出する必然性があるなら仕方がないのですが、邦画は現代が舞台なのに無意味な喫煙シーンがあって困ってしまいます。
Secret

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