『許されざる者』 オリジナルとここが違う!
【ネタバレ注意】
なんと稀有なことだろう。
クリント・イーストウッドが監督・主演した1992年の映画『許されざる者』は、まごうことなき傑作だ。アカデミー賞の作品賞をはじめ、多くの賞を受賞してるが、賞の有無は関係ない。『夕陽のガンマン』等で数々のガンマン役を演じてきたクリント・イーストウッドならではの、ストイックで神々しいほどの世界がここにはある。
そんな傑作をリメイクしようなんて、身の程知らずと云われても仕方がない。他の監督であったなら。
しかし、これが『フラガール』や『悪人』の李相日(リ・サンイル)監督となれば、話は別だ。
そして目にした日本版『許されざる者』は、なんと傑作のリメイクがやはり傑作になるという、まことに稀有な作品だった。
時は1880年。クリント・イーストウッド版も李相日版も同じ年を舞台にしている。
場所をアメリカの西部から北海道に移しながら、李相日版はきわめてオリジナルに忠実であり、オリジナルへの強いリスペクトが感じられる。
国は違えど、同じ年の設定で同じ物語が成立するということに、まずは驚かされる。
とはいえ、両作には違う点も少なくない。
その違いをたどれば、李相日監督がイーストウッド版『許されざる者』のテーマをさらに深化・発展させ、オリジナル以上にくっきりした輪郭を描き出した軌跡が見えてこよう。
(1) 主人公が「悪人」ではない。
イーストウッド版の主人公ウィルは悪人だった。列車強盗や殺人の罪を重ねた無法者だ。それが今では改心し、牧畜に精を出している、と設定することで、イーストウッド版は悪人と善人の境界を曖昧にした。悪人でも善人になれる。善人ぶった人間が本当に善人とは限らない。それがイーストウッド版の人物像だ。
イーストウッド版の記事でも述べたように、これはクリント・イーストウッドが主演してこその設定だ。死体の山を築くことに何のためらいもない賞金稼ぎを演じ続けたイーストウッドだから、銃を封印して人生をやり直そうとする主人公役にグッと来る。
これに対して李相日版の主人公は、はなから悪人ではない。
本作の主人公・人斬り十兵衛は伝説の人殺しではあるものの、それは倒幕・佐幕を巡る抗争、ひいては戊辰戦争でのことであり、私利私欲に駆られた悪事ではない。
前作『悪人』で「悪人とは何か」を問いかけた李相日監督らしく、本作における善悪はイーストウッド版以上に曖昧で、そこで描かれるのは人を殺しても生きていく人間の業の深さだ。
これは李相日監督が、オリジナルの『許されざる者』を観て感じたものを増幅した結果だろう。李監督は、イーストウッド版について次のように語っている。
---
今と比べて、当時のほうが白黒はっきりさせた映画が多かったですよね。悪い奴は悪い、正義は正義。その中でこの作品は、悪人といわれる人と善人といわれる人の境目がきわめて曖昧で、それがすごく新鮮でした。悪人善人の前に、力とか暴力があって、それをどう使うかで結果がまるっきり変わってくる。力があっても使わないという選択肢もあるし、どんな形であれ、使えば自分が思ってもみなかった結果に行き着いてしまう。人間はそういう力や暴力をコントロールできるつもりでいるけれど、いったん使いだしたら制御できないのが、力であり、暴力なのだ、と。それが、あの映画の本当のテーマなんじゃないか
---
(2) 主人公を引き擦り込むのが若い賞金稼ぎではない。
イーストウッド版で主人公ウィルを人殺しに誘うのは、昔の仲間の甥っ子で賞金稼ぎを目指す若造だった。それを受けてウィルは旧友ネッドも仲間に引き込む。
他方、本作で主人公を誘いに来るのは旧友の金吾だ。オリジナルのネッドに相当する。若造の五郎は、後から二人にくっついてくる設定だ。
この改変には二つの目的があろう。
一つは、主人公の行動を自然に見せるため。オリジナルのウィルのように見ず知らずの若造の話に乗ってしまうよりも、主人公の業の深さを見透かした金吾に誘われる方が、背負った過去から逃れられない哀しさを感じさせる。
もう一つは、若い五郎をアイヌに設定するためだろう。
公式サイトによれば、アイヌはもともと李監督が描きたい題材のひとつだったという。
---
アメリカの西部開拓期と同様、日本にも先住民に対する迫害と駆逐の歴史があり、それが、オリジナルの時代設定と同じ1880年、明治新政府下の蝦夷地開拓期と重なった時点で、あらゆる要素がカチリと嵌まった。借り物ではない日本映画としての全体像がはっきりと見えた。
---
イーストウッド版の相棒ネッドは、インディアンを妻にした黒人であり、マイノリティを象徴していた。だが、本作におけるマイノリティは、もっと大きな扱いである。
先日の記事にも書いたように、日本も他国と同じく多民族・多文化国家である。この国にはアイヌ、コリアン、華人華僑等々、様々な出自・ルーツを持つ人々がひしめき合って暮らしている。
にもかかわらず、多民族・多文化であることを打ち出した邦画にはなかなかお目にかからない。これはとても奇妙なことだ。
本作には、理解できないアイヌの文化を「野蛮」の一言で切って捨てる野蛮な「和人」や、文化の多様性を認めない偏狭さが存分に描かれている。
それに加えてアイヌを主要登場人物として登場させようとしたら、出自を大きくいじれる役は若い賞金稼ぎだけだろう。
でも、五郎をアイヌにしつつ、物語をオリジナルのままにすると、アイヌの五郎が「和人」の十兵衛を探し出し、「和人」殺しをそそのかすことになってしまう。劇中に、アイヌによる「和人」殺しは反乱と見なされるとの説明があるように、登場人物をアイヌ出身とするためには相応の改変が必要だ。それが「主人公を引き擦り込むのは誰か」という問題に直結したのだろう。
本作を見ればお判りのように、この改変でオリジナルの魅力が損なわれることはない。
その一方、日本が多民族・多文化国家であることを描かないという奇妙な現象が解消し、ごく自然な日本の姿が描き出されることになった。
(3) 地獄で待つのは誰か。
イーストウッド版『許されざる者』では、ウィルに撃ち殺される保安官ダゲットが死の直前に「地獄で待ってる」と云い残す。
さんざん残虐なことをしてきた自分はどうせ地獄に堕ちるしかないが、それはお前も同じだぞ、ウィル。このセリフはそういう意味だ。
ところが李版『許されざる者』の警察署長大石一蔵は、このセリフを口にすることなく十兵衛に斬り殺される。
「地獄で待ってろ。」――本作では、なんと去り際の十兵衛が、女郎たちにこのセリフを口にする。
ここで私は李監督の容赦のなさに恐れ入った。
女郎たちは虐げられる立場であり、この物語のそもそもは、横暴な男たちに復讐する手段を持たない女郎が賞金稼ぎを雇うところからはじまっている。女郎は主人公を助け、慰める弱者であった。少なくともイーストウッド版では。
けれど李監督は、女郎たちの業をも暴き出す。
男たちに酷い目に遭わされたのはたしかだけれど、女郎たちは殺されたわけではない。男たちがまったく罰せられないわけでもないし、彼らなりの反省も見せている。
にもかかわらず、復讐のために賞金稼ぎに人殺しをさせようとする女郎たちが、単なる被害者として描かれるだけで良いのか。
李監督は、『悪人』で人間の中にある善悪と対峙したことの延長上に本作があると語っている。
「地獄で待ってろ。」
物語の最後にこのセリフを旧友金吾とその亡骸を取り囲む女郎に叩きつけることで、李監督は弱者と強者を引っくり返した。
結局人殺しに戻ってしまった十兵衛は、彼を引き込んだ金吾も、殺人を教唆した女郎も地獄堕ちだと告げるのだ。
この無残な宣告は、イーストウッド版以上に情け容赦がない。
(4) 国旗がはためかない。
イーストウッド版で印象的なのは、主人公ウィルが敵を打ち倒し、街の住民たちに「娼婦を人間らしく扱え」と諭す場面にはためく星条旗だ。
二世紀半ほど前に建国したアメリカ合衆国のこの旗は、赤が勇気、白が真実、青が正義を表すという。
たとえ汚れても、雨に濡れても、この旗が象徴する勇気、真実、正義は不滅であることを強調するように、ウィルの背後に星条旗が映し出される。
だが、李相日版にそんな旗はない。
そもそも日本は、四万年ほど前に人が渡来して住みついた土地であり、意図して建国した国家ではないから、アイヌと和人、勝った官軍と負けた幕府軍、女郎たちや男たち等、さまざまな人間が交差する中で、全員を象徴するものなんてありはしない。
十兵衛の背後には、火のついた女郎宿があたかも地獄の業火のごとく燃えるばかりだ。
(5) 十兵衛の行方
事件の片がついた後、ウィルは子供たちと堅気な暮らしを送ったらしい。
重い十字架を背負いつつも、善なるものを併せ持つウィルは、穏やかな晩年を過ごしたのだろう。
だが、李相日監督は、本作の主人公にそんな安堵を味わわせない。
十兵衛は子供たちの許に帰ることもままならず、大罪人として姿を隠すしかない。
その行く先は、どこまでも凍てつく原野だ。

クリント・イーストウッドの『許されざる者』は、無情な物語とは裏腹に、晩秋の美しい自然をスクリーンいっぱいにたたえて、ウィルの妻への愛がしみじみと感じられる作品だった。
だが李監督の『許されざる者』は、晩秋の大自然を寒々とした雪景色に置き換えて、主人公の過酷な人生を掘り下げた。
本作は、オリジナルとはテイストを異にするけれど、その真摯なつくりにオリジナルを愛する人も感嘆するに違いない。
クリント・イーストウッドは本作に対して、「作品を拝見し、素晴らしい出来で非常に満足しています」と賛辞を寄せた。
[*] コメントのご指摘を受けて、十兵衛のセリフを訂正した。
『許されざる者』 [や行]
監督・アダプテーション脚本/李相日(リ・サンイル)
オリジナル脚本/デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
出演/渡辺謙 佐藤浩市 柄本明 柳楽優弥 忽那汐里 小池栄子 近藤芳正 國村隼 滝藤賢一 小澤征悦 三浦貴大
日本公開/2013年9月13日
ジャンル/[時代劇] [ドラマ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
なんと稀有なことだろう。
クリント・イーストウッドが監督・主演した1992年の映画『許されざる者』は、まごうことなき傑作だ。アカデミー賞の作品賞をはじめ、多くの賞を受賞してるが、賞の有無は関係ない。『夕陽のガンマン』等で数々のガンマン役を演じてきたクリント・イーストウッドならではの、ストイックで神々しいほどの世界がここにはある。
そんな傑作をリメイクしようなんて、身の程知らずと云われても仕方がない。他の監督であったなら。
しかし、これが『フラガール』や『悪人』の李相日(リ・サンイル)監督となれば、話は別だ。
そして目にした日本版『許されざる者』は、なんと傑作のリメイクがやはり傑作になるという、まことに稀有な作品だった。
時は1880年。クリント・イーストウッド版も李相日版も同じ年を舞台にしている。
場所をアメリカの西部から北海道に移しながら、李相日版はきわめてオリジナルに忠実であり、オリジナルへの強いリスペクトが感じられる。
国は違えど、同じ年の設定で同じ物語が成立するということに、まずは驚かされる。
とはいえ、両作には違う点も少なくない。
その違いをたどれば、李相日監督がイーストウッド版『許されざる者』のテーマをさらに深化・発展させ、オリジナル以上にくっきりした輪郭を描き出した軌跡が見えてこよう。
(1) 主人公が「悪人」ではない。
イーストウッド版の主人公ウィルは悪人だった。列車強盗や殺人の罪を重ねた無法者だ。それが今では改心し、牧畜に精を出している、と設定することで、イーストウッド版は悪人と善人の境界を曖昧にした。悪人でも善人になれる。善人ぶった人間が本当に善人とは限らない。それがイーストウッド版の人物像だ。
イーストウッド版の記事でも述べたように、これはクリント・イーストウッドが主演してこその設定だ。死体の山を築くことに何のためらいもない賞金稼ぎを演じ続けたイーストウッドだから、銃を封印して人生をやり直そうとする主人公役にグッと来る。
これに対して李相日版の主人公は、はなから悪人ではない。
本作の主人公・人斬り十兵衛は伝説の人殺しではあるものの、それは倒幕・佐幕を巡る抗争、ひいては戊辰戦争でのことであり、私利私欲に駆られた悪事ではない。
前作『悪人』で「悪人とは何か」を問いかけた李相日監督らしく、本作における善悪はイーストウッド版以上に曖昧で、そこで描かれるのは人を殺しても生きていく人間の業の深さだ。
これは李相日監督が、オリジナルの『許されざる者』を観て感じたものを増幅した結果だろう。李監督は、イーストウッド版について次のように語っている。
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今と比べて、当時のほうが白黒はっきりさせた映画が多かったですよね。悪い奴は悪い、正義は正義。その中でこの作品は、悪人といわれる人と善人といわれる人の境目がきわめて曖昧で、それがすごく新鮮でした。悪人善人の前に、力とか暴力があって、それをどう使うかで結果がまるっきり変わってくる。力があっても使わないという選択肢もあるし、どんな形であれ、使えば自分が思ってもみなかった結果に行き着いてしまう。人間はそういう力や暴力をコントロールできるつもりでいるけれど、いったん使いだしたら制御できないのが、力であり、暴力なのだ、と。それが、あの映画の本当のテーマなんじゃないか
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(2) 主人公を引き擦り込むのが若い賞金稼ぎではない。
イーストウッド版で主人公ウィルを人殺しに誘うのは、昔の仲間の甥っ子で賞金稼ぎを目指す若造だった。それを受けてウィルは旧友ネッドも仲間に引き込む。
他方、本作で主人公を誘いに来るのは旧友の金吾だ。オリジナルのネッドに相当する。若造の五郎は、後から二人にくっついてくる設定だ。
この改変には二つの目的があろう。
一つは、主人公の行動を自然に見せるため。オリジナルのウィルのように見ず知らずの若造の話に乗ってしまうよりも、主人公の業の深さを見透かした金吾に誘われる方が、背負った過去から逃れられない哀しさを感じさせる。
もう一つは、若い五郎をアイヌに設定するためだろう。
公式サイトによれば、アイヌはもともと李監督が描きたい題材のひとつだったという。
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アメリカの西部開拓期と同様、日本にも先住民に対する迫害と駆逐の歴史があり、それが、オリジナルの時代設定と同じ1880年、明治新政府下の蝦夷地開拓期と重なった時点で、あらゆる要素がカチリと嵌まった。借り物ではない日本映画としての全体像がはっきりと見えた。
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イーストウッド版の相棒ネッドは、インディアンを妻にした黒人であり、マイノリティを象徴していた。だが、本作におけるマイノリティは、もっと大きな扱いである。
先日の記事にも書いたように、日本も他国と同じく多民族・多文化国家である。この国にはアイヌ、コリアン、華人華僑等々、様々な出自・ルーツを持つ人々がひしめき合って暮らしている。
にもかかわらず、多民族・多文化であることを打ち出した邦画にはなかなかお目にかからない。これはとても奇妙なことだ。
本作には、理解できないアイヌの文化を「野蛮」の一言で切って捨てる野蛮な「和人」や、文化の多様性を認めない偏狭さが存分に描かれている。
それに加えてアイヌを主要登場人物として登場させようとしたら、出自を大きくいじれる役は若い賞金稼ぎだけだろう。
でも、五郎をアイヌにしつつ、物語をオリジナルのままにすると、アイヌの五郎が「和人」の十兵衛を探し出し、「和人」殺しをそそのかすことになってしまう。劇中に、アイヌによる「和人」殺しは反乱と見なされるとの説明があるように、登場人物をアイヌ出身とするためには相応の改変が必要だ。それが「主人公を引き擦り込むのは誰か」という問題に直結したのだろう。
本作を見ればお判りのように、この改変でオリジナルの魅力が損なわれることはない。
その一方、日本が多民族・多文化国家であることを描かないという奇妙な現象が解消し、ごく自然な日本の姿が描き出されることになった。
(3) 地獄で待つのは誰か。
イーストウッド版『許されざる者』では、ウィルに撃ち殺される保安官ダゲットが死の直前に「地獄で待ってる」と云い残す。
さんざん残虐なことをしてきた自分はどうせ地獄に堕ちるしかないが、それはお前も同じだぞ、ウィル。このセリフはそういう意味だ。
ところが李版『許されざる者』の警察署長大石一蔵は、このセリフを口にすることなく十兵衛に斬り殺される。
「地獄で待ってろ。」――本作では、なんと去り際の十兵衛が、女郎たちにこのセリフを口にする。
ここで私は李監督の容赦のなさに恐れ入った。
女郎たちは虐げられる立場であり、この物語のそもそもは、横暴な男たちに復讐する手段を持たない女郎が賞金稼ぎを雇うところからはじまっている。女郎は主人公を助け、慰める弱者であった。少なくともイーストウッド版では。
けれど李監督は、女郎たちの業をも暴き出す。
男たちに酷い目に遭わされたのはたしかだけれど、女郎たちは殺されたわけではない。男たちがまったく罰せられないわけでもないし、彼らなりの反省も見せている。
にもかかわらず、復讐のために賞金稼ぎに人殺しをさせようとする女郎たちが、単なる被害者として描かれるだけで良いのか。
李監督は、『悪人』で人間の中にある善悪と対峙したことの延長上に本作があると語っている。
「地獄で待ってろ。」
物語の最後にこのセリフを旧友金吾とその亡骸を取り囲む女郎に叩きつけることで、李監督は弱者と強者を引っくり返した。
結局人殺しに戻ってしまった十兵衛は、彼を引き込んだ金吾も、殺人を教唆した女郎も地獄堕ちだと告げるのだ。
この無残な宣告は、イーストウッド版以上に情け容赦がない。
(4) 国旗がはためかない。
イーストウッド版で印象的なのは、主人公ウィルが敵を打ち倒し、街の住民たちに「娼婦を人間らしく扱え」と諭す場面にはためく星条旗だ。
二世紀半ほど前に建国したアメリカ合衆国のこの旗は、赤が勇気、白が真実、青が正義を表すという。
たとえ汚れても、雨に濡れても、この旗が象徴する勇気、真実、正義は不滅であることを強調するように、ウィルの背後に星条旗が映し出される。
だが、李相日版にそんな旗はない。
そもそも日本は、四万年ほど前に人が渡来して住みついた土地であり、意図して建国した国家ではないから、アイヌと和人、勝った官軍と負けた幕府軍、女郎たちや男たち等、さまざまな人間が交差する中で、全員を象徴するものなんてありはしない。
十兵衛の背後には、火のついた女郎宿があたかも地獄の業火のごとく燃えるばかりだ。
(5) 十兵衛の行方
事件の片がついた後、ウィルは子供たちと堅気な暮らしを送ったらしい。
重い十字架を背負いつつも、善なるものを併せ持つウィルは、穏やかな晩年を過ごしたのだろう。
だが、李相日監督は、本作の主人公にそんな安堵を味わわせない。
十兵衛は子供たちの許に帰ることもままならず、大罪人として姿を隠すしかない。
その行く先は、どこまでも凍てつく原野だ。

クリント・イーストウッドの『許されざる者』は、無情な物語とは裏腹に、晩秋の美しい自然をスクリーンいっぱいにたたえて、ウィルの妻への愛がしみじみと感じられる作品だった。
だが李監督の『許されざる者』は、晩秋の大自然を寒々とした雪景色に置き換えて、主人公の過酷な人生を掘り下げた。
本作は、オリジナルとはテイストを異にするけれど、その真摯なつくりにオリジナルを愛する人も感嘆するに違いない。
クリント・イーストウッドは本作に対して、「作品を拝見し、素晴らしい出来で非常に満足しています」と賛辞を寄せた。
[*] コメントのご指摘を受けて、十兵衛のセリフを訂正した。
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監督・アダプテーション脚本/李相日(リ・サンイル)
オリジナル脚本/デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
出演/渡辺謙 佐藤浩市 柄本明 柳楽優弥 忽那汐里 小池栄子 近藤芳正 國村隼 滝藤賢一 小澤征悦 三浦貴大
日本公開/2013年9月13日
ジャンル/[時代劇] [ドラマ]


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⇒comment
こんばんは
まことに見事な換骨奪胎ぶりでした。
イーストウッド版のプロットを忠実に、しかし日本と北海道の歴史を組み込んで、完全に独自の作品にしてしまいましたね。
十兵衛の呟く「地獄で待っていろ」には背中がゾクッ。
星条旗の意味にはなるほどです。
イーストウッド版のプロットを忠実に、しかし日本と北海道の歴史を組み込んで、完全に独自の作品にしてしまいましたね。
十兵衛の呟く「地獄で待っていろ」には背中がゾクッ。
星条旗の意味にはなるほどです。
待つ身も待たれる身も辛いが(笑)
ナドレックさん、ノラネコさん、ども。
>「地獄で待ってる。」――本作では、なんと去り際の十兵衛が、女郎たちにこのセリフを口にする。
>十兵衛の呟く「地獄で待っていろ」には背中がゾクッ。
ぼくは「地獄で待っていろ」という風に、聞きました。当然、柄本明に言ったものだとばっかり、思っていました。ちがうのかな。
ちなみに、この映画の感想駄文は、まだ書いてません(笑)。
>「地獄で待ってる。」――本作では、なんと去り際の十兵衛が、女郎たちにこのセリフを口にする。
>十兵衛の呟く「地獄で待っていろ」には背中がゾクッ。
ぼくは「地獄で待っていろ」という風に、聞きました。当然、柄本明に言ったものだとばっかり、思っていました。ちがうのかな。
ちなみに、この映画の感想駄文は、まだ書いてません(笑)。
地獄で待つ
ノラネコさん、昔の映画さん、こんにちは。
再見してきました。
十兵衛のセリフは「地獄で待ってろ」ですね。本文を訂正しました。
このセリフ、第一義的には金吾に向けたものでしょうが、私はその場の女郎も含めたものだと思います。
それは、イーストウッド版に比べて女郎たちの印象が異なるからです。
たとえば、イーストウッド版のネッドが鞭打たれる場面で、保安官は部下に娼婦を連れてくるように命じます。部下は命令を実行したのでしょうが、連れてこられた娼婦がどう振舞ったのか、具体的な描写はありません。場面は別の娼婦とウィルの賞金受け渡しに切り替わり、金を持ってきた娼婦の口から、娼婦仲間が保安官をごまかしていることが語られます。娼婦たちはウィルのために時間稼ぎをしており、これはつまり主人公の立場では「良いこと」と受け取れます。
ところが李相日版では、女郎のお梶が金吾の折檻の場に同席する場面が挿入されます。白状しない金吾に業を煮やした大石署長は、金吾ではなくお梶の口を割らせるために金吾を拷問します。お梶に見せるため、金吾を痛めつけるわけです。
その結果、金吾が死んだということは、お梶はしらを切りとおりしたのでしょう。お梶が賞金の受け渡し場所を白状すべきだったかどうかはともかく、金吾をみすみす見殺しにしているわけです。なつめが金吾の最期の詳細を十兵衛に伝えることができたのも、その場にいたお梶から伝え聞いたからでしょう。これは「良いこと」とは受け取りがたい。
劇中の出来事は両作とも同じなのですが、描き方の違いから李相日版では女郎のずるさ、残酷さが強調されていると思うのですが、いかがでしょう。
再見して改めて感じたのは、無駄のない、リズミカルな場面運びの上手さです。
好きなのはイーストウッド版ですが、本作はイーストウッド版よりもアップテンポで、何度観ても飽きません。
再見してきました。
十兵衛のセリフは「地獄で待ってろ」ですね。本文を訂正しました。
このセリフ、第一義的には金吾に向けたものでしょうが、私はその場の女郎も含めたものだと思います。
それは、イーストウッド版に比べて女郎たちの印象が異なるからです。
たとえば、イーストウッド版のネッドが鞭打たれる場面で、保安官は部下に娼婦を連れてくるように命じます。部下は命令を実行したのでしょうが、連れてこられた娼婦がどう振舞ったのか、具体的な描写はありません。場面は別の娼婦とウィルの賞金受け渡しに切り替わり、金を持ってきた娼婦の口から、娼婦仲間が保安官をごまかしていることが語られます。娼婦たちはウィルのために時間稼ぎをしており、これはつまり主人公の立場では「良いこと」と受け取れます。
ところが李相日版では、女郎のお梶が金吾の折檻の場に同席する場面が挿入されます。白状しない金吾に業を煮やした大石署長は、金吾ではなくお梶の口を割らせるために金吾を拷問します。お梶に見せるため、金吾を痛めつけるわけです。
その結果、金吾が死んだということは、お梶はしらを切りとおりしたのでしょう。お梶が賞金の受け渡し場所を白状すべきだったかどうかはともかく、金吾をみすみす見殺しにしているわけです。なつめが金吾の最期の詳細を十兵衛に伝えることができたのも、その場にいたお梶から伝え聞いたからでしょう。これは「良いこと」とは受け取りがたい。
劇中の出来事は両作とも同じなのですが、描き方の違いから李相日版では女郎のずるさ、残酷さが強調されていると思うのですが、いかがでしょう。
再見して改めて感じたのは、無駄のない、リズミカルな場面運びの上手さです。
好きなのはイーストウッド版ですが、本作はイーストウッド版よりもアップテンポで、何度観ても飽きません。
両作の違い
ナドレックさん、ども。
わざわざ再見されてまでの確認、申し訳ない(笑)。
でも、二度目も楽しまれたとの由、こちらの肩の荷?も、軽くなりました。
>劇中の出来事は両作とも同じなのですが、描き方の違いから李相日版では女郎のずるさ、残酷さが強調されていると思うのですが、いかがでしょう。
たぶん、私見では、イーストウッドにとっては、娼婦も、また自分の仲間である、自分の側の人間である、という意識があるんだろうと思います。
李相日は、客観的に、たぶん顕微鏡のなかを覗くように、女郎を描いている?
その違いを、ナドレックさんにスルドク?見抜かれたのか、も。
というような駄文を自分のブログにも、かきました。
わざわざ再見されてまでの確認、申し訳ない(笑)。
でも、二度目も楽しまれたとの由、こちらの肩の荷?も、軽くなりました。
>劇中の出来事は両作とも同じなのですが、描き方の違いから李相日版では女郎のずるさ、残酷さが強調されていると思うのですが、いかがでしょう。
たぶん、私見では、イーストウッドにとっては、娼婦も、また自分の仲間である、自分の側の人間である、という意識があるんだろうと思います。
李相日は、客観的に、たぶん顕微鏡のなかを覗くように、女郎を描いている?
その違いを、ナドレックさんにスルドク?見抜かれたのか、も。
というような駄文を自分のブログにも、かきました。
こんばんは。
またまた素晴らしいレビューをありがとうございます。
惚れ惚れしながら読ませていただきました。
記憶、読解力、そのいずれも大切ですが、
やはり、根底にあるのは映画への深い想い。
それを感じずにはいられませんでした。
これからもよろしくお願いします。
惚れ惚れしながら読ませていただきました。
記憶、読解力、そのいずれも大切ですが、
やはり、根底にあるのは映画への深い想い。
それを感じずにはいられませんでした。
これからもよろしくお願いします。
Re: 両作の違い
昔の映画さん、こんにちは。
たしかに、イーストウッド版には誰であっても同じ人間として見つめる包容力を感じるのに対して、李相日監督はすべての人物を細部まで分析し、悪いところをえぐり出しているような気がします。『悪人』の次に本作を撮った狙いはそこにあるのでしょう。
両監督のスタンスの違いから、鑑賞後の味わいもずいぶん変わってきますね。
たしかに、イーストウッド版には誰であっても同じ人間として見つめる包容力を感じるのに対して、李相日監督はすべての人物を細部まで分析し、悪いところをえぐり出しているような気がします。『悪人』の次に本作を撮った狙いはそこにあるのでしょう。
両監督のスタンスの違いから、鑑賞後の味わいもずいぶん変わってきますね。
残された謎
見終わった後に感じたのは、圧倒的な映像美。人の営みを全て呑み込む、厳しくも神々しい北海道の大自然でした。主人公の家が建っ、うら寂しい海辺の情景が、スゴ過ぎ! ラストの白い吹雪は、罪も業も、全てを浄化するかのように感じました。
それにしても、主人公が最後まで語らなかった、夕張での隠れキリシタン惨殺事件の真相が、気になります。話しに尾ひれがついた誇張なのか、それとも? 巻き込んで死なせてしまった村人たちへの悔恨から、真実を語れなかったのでしょうか?
それにしても、主人公が最後まで語らなかった、夕張での隠れキリシタン惨殺事件の真相が、気になります。話しに尾ひれがついた誇張なのか、それとも? 巻き込んで死なせてしまった村人たちへの悔恨から、真実を語れなかったのでしょうか?
Re: こんばんは。
えいさん、コメントありがとうございます。
イーストウッドの『許されざる者』をリメイクするとは、なんて大胆な挑戦だろうと思いましたが、見事に李監督なりの『許されざる者』を完成させていましたね。
優れた映画を観ると、感想を書くのも楽しいです。
何かしたためずにはいられなくなる。それも作品の力のように思います。
今後ともよろしくお願い致します。
イーストウッドの『許されざる者』をリメイクするとは、なんて大胆な挑戦だろうと思いましたが、見事に李監督なりの『許されざる者』を完成させていましたね。
優れた映画を観ると、感想を書くのも楽しいです。
何かしたためずにはいられなくなる。それも作品の力のように思います。
今後ともよろしくお願い致します。
Re: 残された謎
ICAさん、こんにちは。
夕張のキリシタン惨殺について、あえて主人公に語らせないのが憎い演出ですね。真相を知れば観客の主人公を見る目が変わると思うのですが、そこを伏せたまま映画を終わらせてしまう。
観客がそこを自由に解釈することで、主人公の人物像や彼の行く末を自分なりに考えられるわけですね。
イーストウッド版では主人公ウィルが同時に何人殺せたかという腕自慢でしかないエピソードを、巧い具合に膨らませたものだと思います。
公式サイトのインタビューを読むと、李監督は判らないものがあることが大切だと考えているようですね。
http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/staff1.html
---
できれば若い人に観てほしい。自分がそうだったように、そのときはわからなくても、あるとき、気づくものがあるのがこの映画だと思うので。観てすぐ全部理解できる映画は、すぐに忘れてしまう。すべてわかって、手に入れてしまうと、取っておく必要がなくなるので。だから、何か引っかかるものがあるという、ある種の違和感は、実はすごく大切で、その違和感こそが共感に繫がると思うんです。
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インタビューで作品の意図等をぜ~んぶ喋ってしまう監督もいますが、李監督にはぜひ沈黙を守っていただき、観客の「気づく自由」を奪わないで欲しいと思います:-)
夕張のキリシタン惨殺について、あえて主人公に語らせないのが憎い演出ですね。真相を知れば観客の主人公を見る目が変わると思うのですが、そこを伏せたまま映画を終わらせてしまう。
観客がそこを自由に解釈することで、主人公の人物像や彼の行く末を自分なりに考えられるわけですね。
イーストウッド版では主人公ウィルが同時に何人殺せたかという腕自慢でしかないエピソードを、巧い具合に膨らませたものだと思います。
公式サイトのインタビューを読むと、李監督は判らないものがあることが大切だと考えているようですね。
http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/staff1.html
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できれば若い人に観てほしい。自分がそうだったように、そのときはわからなくても、あるとき、気づくものがあるのがこの映画だと思うので。観てすぐ全部理解できる映画は、すぐに忘れてしまう。すべてわかって、手に入れてしまうと、取っておく必要がなくなるので。だから、何か引っかかるものがあるという、ある種の違和感は、実はすごく大切で、その違和感こそが共感に繫がると思うんです。
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インタビューで作品の意図等をぜ~んぶ喋ってしまう監督もいますが、李監督にはぜひ沈黙を守っていただき、観客の「気づく自由」を奪わないで欲しいと思います:-)
なるほど~
先日映画を観に行きました。
渡辺謙や佐藤浩市、その他の役者の演技と映像に圧倒されて
物語の部分まで目が行きませんでした。
レビューを見て改めて『なるほど、そうだったのか!』と膝を叩きました。
素晴らしいレビューをありがとうございます。
とにかくこの映画、映像とセリフ1つに情報量が多すぎです(笑)
上記のレビューを含めて観るとまた違った感想が出てくるでしょうね。
いい映画です。よし、オリジナル版も早速観てみよう。
渡辺謙や佐藤浩市、その他の役者の演技と映像に圧倒されて
物語の部分まで目が行きませんでした。
レビューを見て改めて『なるほど、そうだったのか!』と膝を叩きました。
素晴らしいレビューをありがとうございます。
とにかくこの映画、映像とセリフ1つに情報量が多すぎです(笑)
上記のレビューを含めて観るとまた違った感想が出てくるでしょうね。
いい映画です。よし、オリジナル版も早速観てみよう。
イーストウッド版
見直しされたのですか?それともかつての記憶で?
わたしは、30そこそこでイーストウッド版を見ましたが、それほどの鮮烈さはなく、いまいち強い印象が残ってはいませんでした。
あれ見るのは、やっぱまだ若かったかな。
なもんで、比較と言うよりも、この作品単体ととして、見事なもんを見してもらった!と言う感でした。
うまい時代背景ですよね。
ほんとに、同じ年代を持ってきて、これほどピタッとはまるとは!
そして、こっちの方がしっくりくるという。いや、お見事でした。
一つだけ不満としたら、小沢征悦の似顔絵。あれは五郎にしか見えなかった。
わたしは、30そこそこでイーストウッド版を見ましたが、それほどの鮮烈さはなく、いまいち強い印象が残ってはいませんでした。
あれ見るのは、やっぱまだ若かったかな。
なもんで、比較と言うよりも、この作品単体ととして、見事なもんを見してもらった!と言う感でした。
うまい時代背景ですよね。
ほんとに、同じ年代を持ってきて、これほどピタッとはまるとは!
そして、こっちの方がしっくりくるという。いや、お見事でした。
一つだけ不満としたら、小沢征悦の似顔絵。あれは五郎にしか見えなかった。
Re: なるほど~
未記入さん、こんにちは。
考え抜かれた映画ですね。
渡辺謙さんも佐藤浩市さんも単純な悪人善人には見えず、観る人の経験や思いによって何通りにも解釈できるでしょう。その幅の取り方が素晴らしい。
オリジナル版もいい映画です。
基本は同じ物語なのに印象は大きく異なり、それがまた面白いと思います。
考え抜かれた映画ですね。
渡辺謙さんも佐藤浩市さんも単純な悪人善人には見えず、観る人の経験や思いによって何通りにも解釈できるでしょう。その幅の取り方が素晴らしい。
オリジナル版もいい映画です。
基本は同じ物語なのに印象は大きく異なり、それがまた面白いと思います。
Re: イーストウッド版
sakuraiさん、こんにちは。
イーストウッド版はだいたい憶えていたのですが、この記事を書くために改めて見直しました。
先日『オール・ザ・キングスメン』のDVDを観て感想を書いたのに味をしめまして。DVDが手許にあると気になる場面やセリフを何度でも再生できるので、感想を書きやすいですね。
おっしゃるように、同じ年代を持ってきてこれほどピタッとはまるとは驚きです。まるで日本版のために考案した設定のようです。見事な翻案ですね!
ところで、五郎って誰ですか?
イーストウッド版はだいたい憶えていたのですが、この記事を書くために改めて見直しました。
先日『オール・ザ・キングスメン』のDVDを観て感想を書いたのに味をしめまして。DVDが手許にあると気になる場面やセリフを何度でも再生できるので、感想を書きやすいですね。
おっしゃるように、同じ年代を持ってきてこれほどピタッとはまるとは驚きです。まるで日本版のために考案した設定のようです。見事な翻案ですね!
ところで、五郎って誰ですか?
No title
はじめまして。大変興味深くレビューを読ませていただきました。
はっきりとした極悪人は出てませんでしたね。
元映画はうろ覚えですが、敵役の警察署長でさえ自分のテリトリーを守るためだけなら女郎に賞金撤回させるように痛めつければいいのに何の咎めもせずに、集まってくる賞金稼ぎのみを凹って放り出している。
刀を持って最後のセリフ「重てぇ」にはカッコ良さを感じました。
「地獄でまってろ」の件ですが、まず金吾のアップが写り十兵衛のアップになり「地獄でまってろ」次にまた金吾のアップになりました。
金吾に向けて言ったものだと思いましたので女郎に向けてのセリフと書かれてあり正直驚きました。
女郎がずるいのであればあっさり口を割ったほうが楽です。金吾はもう助かる見込みもなく、十兵衛、しかも差別されてるアイヌを危険にさらすことを避けるために、ただ一方的に痛めつけられてる人を見殺しにするのはかなりの精神力だと思います。(大抵の映画は女はここで辛さに負けて口を割りますが、頑張って白を切りとおしたんだと感心しました)賞金稼ぎに恩を感じてないのならその場しのぎで簡単に口を割るのではないでしょうか?
復讐も済んでいるので、金の受け渡し場所を伝えればそれこそお金も支払わないで丸儲けです。それでも約束通り傷を負った女郎に賞金を持たせ警察から逃がそうとしてるのです。
さらし者にされていた金吾を縄からはずし服をかけて大事そうに憐れんでいた女郎たちが「悪いもの」として十兵衛の目に映ったとは思えないのです。
はっきりとした極悪人は出てませんでしたね。
元映画はうろ覚えですが、敵役の警察署長でさえ自分のテリトリーを守るためだけなら女郎に賞金撤回させるように痛めつければいいのに何の咎めもせずに、集まってくる賞金稼ぎのみを凹って放り出している。
刀を持って最後のセリフ「重てぇ」にはカッコ良さを感じました。
「地獄でまってろ」の件ですが、まず金吾のアップが写り十兵衛のアップになり「地獄でまってろ」次にまた金吾のアップになりました。
金吾に向けて言ったものだと思いましたので女郎に向けてのセリフと書かれてあり正直驚きました。
女郎がずるいのであればあっさり口を割ったほうが楽です。金吾はもう助かる見込みもなく、十兵衛、しかも差別されてるアイヌを危険にさらすことを避けるために、ただ一方的に痛めつけられてる人を見殺しにするのはかなりの精神力だと思います。(大抵の映画は女はここで辛さに負けて口を割りますが、頑張って白を切りとおしたんだと感心しました)賞金稼ぎに恩を感じてないのならその場しのぎで簡単に口を割るのではないでしょうか?
復讐も済んでいるので、金の受け渡し場所を伝えればそれこそお金も支払わないで丸儲けです。それでも約束通り傷を負った女郎に賞金を持たせ警察から逃がそうとしてるのです。
さらし者にされていた金吾を縄からはずし服をかけて大事そうに憐れんでいた女郎たちが「悪いもの」として十兵衛の目に映ったとは思えないのです。
Re: No title
ふじこさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。この物語からはコメントのように解釈するのが自然だし、そう描かれているものと思います。
ただ、オリジナル版はまったくそのとおりだと思うのですが、本作では節々で女郎の描き方がオリジナルと違うのですね。おっしゃるように描くのであれば変える必要はないと思われるのに、これほどオリジナルに忠実なリメイクにおいて、なぜ女郎の描き方を変えるのだろう。そこに李監督なりの含みがあるのではないか。そう考えたことから、この記事を書いてみました。
何年かすれば別の解釈に思い当たるかもしれません。そのときはまた追記したいと思います。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。この物語からはコメントのように解釈するのが自然だし、そう描かれているものと思います。
ただ、オリジナル版はまったくそのとおりだと思うのですが、本作では節々で女郎の描き方がオリジナルと違うのですね。おっしゃるように描くのであれば変える必要はないと思われるのに、これほどオリジナルに忠実なリメイクにおいて、なぜ女郎の描き方を変えるのだろう。そこに李監督なりの含みがあるのではないか。そう考えたことから、この記事を書いてみました。
何年かすれば別の解釈に思い当たるかもしれません。そのときはまた追記したいと思います。
イーストウッド版の娼婦たちが単なる被害者として描かれていたいうのは少し違う気がします。
特にリーダー格のアリスは直接の被害者ではないにも関わらず執拗に断罪を迫る姿に、加害者のカウボーイの死で娼婦としての日頃の鬱憤をこれ幸いと晴らそうとしているような、性根の曲がった印象を持ちました。
特にリーダー格のアリスは直接の被害者ではないにも関わらず執拗に断罪を迫る姿に、加害者のカウボーイの死で娼婦としての日頃の鬱憤をこれ幸いと晴らそうとしているような、性根の曲がった印象を持ちました。
Re: タイトルなし
未記入さん、こんにちは。
そうですね。アリスが娼婦たちの持ち金を取りまとめて賞金を懸けるなんてことをしなければ、そもそもこの物語は成立しないので、娼婦たちは(特にアリスは)泣き寝入りするだけの弱い被害者ではありません。それは性根が曲がっているというよりも、必要なときには誰もが立ち上がらねばならないというイーストウッドの人生観や政治的主張の発露のように思います。
イーストウッド版の包容力に満ちた味わいや、「娼婦を人間らしく扱え」と諭すセリフからは、娼婦たちへの慈愛のようなものを感じるのですが、いかがでしょうか。
そうですね。アリスが娼婦たちの持ち金を取りまとめて賞金を懸けるなんてことをしなければ、そもそもこの物語は成立しないので、娼婦たちは(特にアリスは)泣き寝入りするだけの弱い被害者ではありません。それは性根が曲がっているというよりも、必要なときには誰もが立ち上がらねばならないというイーストウッドの人生観や政治的主張の発露のように思います。
イーストウッド版の包容力に満ちた味わいや、「娼婦を人間らしく扱え」と諭すセリフからは、娼婦たちへの慈愛のようなものを感じるのですが、いかがでしょうか。
No title
両方見た後で、それぞれの作品の違いに、一種の違和感のようなものを感じていました。
こちらを拝見して、自分の中である種の納得感が得られました。
ありがとうございます。
こちらを拝見して、自分の中である種の納得感が得られました。
ありがとうございます。
Re: No title
名無しの権兵衛さん、コメントありがとうございます。
忠実にリメイクしてもこれほど味わいを変えられるものなのかと、とても驚かされますね。
それぞれに、それぞれの良さがあっていいですね。
忠実にリメイクしてもこれほど味わいを変えられるものなのかと、とても驚かされますね。
それぞれに、それぞれの良さがあっていいですね。
美しき顔の深傷と形見とて許されざるも行くか雪道
Re: タイトルなし
春日さん、コメントありがとうございます。
お見事です。
お見事です。
⇒trackback
トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。許されざる者
クリント・イーストウッド監督主演でアカデミー賞を総なめにした名作を、李相日監督、渡辺謙主演で異例の日本リメイクした『許されざる者』を観てきました。
★★★
渡辺謙、佐藤浩...
許されざる者/渡辺謙、佐藤浩市
あのクリント・イーストウッドの監督・主演による1992年の名作西部劇を『悪人』の李相日監督が開拓時代の北海道に舞台を移し江戸幕府最強の刺客として恐れられた男を主人公の物語に ...
『許されざる者』 2013年8月30日 よみうりホール
『許されざる者』 を試写会で鑑賞しました。
評価はわかれるんでしょうね。こういう映画は評論家はいい評価なんでしょう
【ストーリー】
1880年、開拓が進む江戸幕府崩壊後の北海...
許されざる者
評価:★★★☆【3,5点】(F)
重厚な時代劇に渡辺謙はピッタリ合うね
映画「許されざる者」@ヤクルトホール
テレビ東京さん主催の試写会だ。客入りは85%くらい、客年齢は高い。
「許されざる者」☆和服を着た洋画
1992年にクリント・イーストウッド監督・主演でアカデミー賞他数々の賞を総なめにした「許されざる者」を日本を舞台に焼きなおした作品。
これ以上のキャストはいない、これ以上の壮...
許されざる者
試写会で見ました。 【私の感覚あらすじ】 北海道で賞金目当てに人殺しに出かける謙
『許されざる者』 (2013年)
蝦夷地に逃げ延びた江戸幕府側の
残党が極貧の末、再び賞金稼ぎとして
戦いに身を投じるさまを描く...
【個人評価:★★★ (3.0P)】 (劇場鑑賞)
クリント・イーストウッド版
映画:許されざる者 凄い迫力! だが「なぜ今、日本でリメイク?」の疑問は解消されない。
1992年クリント・イーストウッド監督・主演の西部劇(アカデミー賞作品賞受賞)のリメイク。
まず特筆すべきは、北海道でのオールロケ。
これがとても美しく、映画の醍醐味のひとつ
『許されざる者』 (2013) / 日本
監督: 李相日
出演: 渡辺謙 、柄本明 、佐藤浩市 、柳楽優弥 、忽那汐里 、小池栄子 、國村隼 、近藤芳正 、滝藤賢一 、小澤征悦 、三浦貴大
試写会場: ヤクルトホー...
許されざる者
1880年(明治13年)、北海道。 かつて“人斬り十兵衛”と恐れられていた江戸幕府軍の残党・釜田十兵衛は、人里離れた僻地で細々と暮らしていた。 妻に先立たれ、幼い子供たちと極貧...
劇場鑑賞「許されざる者」
終わりのない、負の連鎖…
詳細レビューはφ(.. )
http://plaza.rakuten.co.jp/brook0316/diary/201309140001/
メール便限定配送料無料!メール便による紛失、傷、汚れは商品を無料交換します
許されざる者
許されざる者@よみうりホール
[W侍映画『許されざる者』『ウルヴァリン SAMURAI』を観た]
☆本日公開作の、本来の時代からズレた「侍」をフィーチャーした2作品を観てきましたよ。
いやはや、どちらも面白かった。
とりあえず、夜の仕事を終えて帰宅してから感想を
許されざる者
殺生な人生ってツライね。。
許されざる者 ジャパン・プレミア
その男 人斬り十兵衛 公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru9月13日公開1992年のクリント・イーストウッド監督・主演作のリメイク監督: 李相
許されざる者(2013)
2013/09/13公開 日本 PG12 135分監督:李相日出演:渡辺謙、柄本明、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子、近藤芳正、國村隼、滝藤賢一、小澤征悦、三浦貴大、佐藤浩市
人は、どこまで許される
『許されざる者』(李相日監督版)
----『許されざる者』って、
クリント・イーストウッドが監督としてオスカーを受賞した
最初の作品だよね。
それを日本で李相日監督がリメイクなんて、
最初聞いたとき、ニャんか違和
『許されざる者』
人斬り十兵衛、あまりにもストイックすぎる男。
アカデミー作品賞にも輝いたクリント・イーストウッドの代表作であり、西部劇の傑作である『許されざる者』を李相日監督により日 ...
許されざる者
試写会で観て来ました。もう何回目かの試写だったせいか人も少なく、映画紹介のアナウンスもないとういう愛想のない試写会だったにゃ。空いてる方がゆったり見れるから嬉しいけど。試写会でお会いする方の評価がかなり高かったので、めちゃくちゃ期待度大で行きました。舞...
『許されざる者』
□作品オフィシャルサイト 「許されざる者」□監督・脚本 李相日□キャスト 渡辺 謙、柄本 明、佐藤浩市、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子、 國村 隼、近藤芳正、滝藤賢一、小澤征悦、三浦貴大■鑑賞日 9月14日(土)■劇場 TOHOシネマズ川崎■cyaz...
「許されざる者(2013)」 背中に負う十字架
クリント・イーストウッドの「許されざる者」が公開されたのは日本では1993年で、
許されざる者・・・・・評価額1750円
“許されざる者”は誰か?
クリント・イーストウッドが1992年に監督・主演した「許されざる者」は、西部劇のマスターピースにして、映画史にその名を刻む傑作中の傑作である。
テレビの「ローハイド」からマカロニウェスタンを経て、数多くのガンマンを演じてきたイーストウッドが、10年以上企画を暖めて作り上げた“最後の西部劇”は、もはや勧善懲悪的な二元論が説得力を持たなくなった20世紀末に、老ガ...
許されざる者 暴力の本質に迫る!
【50うち今年の試写会5】 クリント・イーストウッドが監督と主演を務め、アカデミー賞作品賞などに輝いた西部劇をリメイクしたとういうこの作品。
このクリント・イーストウッド版がテレビで放送されていたけど録画し忘れて観れなかった、観ておかなくて良かったのかどうかは分からんけど。
明治維新の際に北海道に落ち延びた幕府軍の生き残りである釜田十兵衛は、僻地で幼子と暮らしていた。そんな十兵...
許されざる者
監督:李相日出演:渡辺謙、佐藤浩市、柄本明、柳楽優弥、・・・
許されざる者(2013年)
クリント・イーストウッドのあの名作を李相日監督が渡辺謙主演で創り上げた日本版リメイクです。 オリジナルは観たことがあるのですけど、あまり覚えていないので、 新鮮な気分で観られるかなと楽しみにしていました。 大自然の厳しい環境の中でぎりぎりの生活を送る人々の痛みが真っ直ぐに伝わってくるような作品でした。
李相日「許されざる者」
まず、非常に見ごたえがある映画だ。見て損はない。むしろ、お得だ。
いやらしい言い方だが、年度末の映画賞の本命クラスだろう。そういう映画だから、見て、損はない、という言い方はいやらしくて仕方ないが、とにかく、画面の充実感、相変わらず映画の快に満ちた、渡辺謙、佐藤浩市、小池栄子の素晴らしさ。
忽那汐里、國村準、滝藤賢一の好演も、見逃せない。
ぼくは、オリジナルのクリント・イーストウ...
あの名作を日本の手で
3日のことですが、映画「許されざる者」を鑑賞しました。
試写会にて
あのイーストウッド監督作
「許されざる者」の日本リメイク
渡辺謙、柄本明、佐藤浩市、監督は李相日
期待できるメンバーながら、元が素晴らしい作品だけに 不安もあったが・・・
全体としては 悪...
映画「許されざる者」
映画「許されざる者」を鑑賞しました。
「許されざる者」 (2013)
2013年・日本 配給:ワーナー・ブラザース映画 監督:李 相日原作:デビッド・ウェッブ・ピープルズアダプテーション脚本:李 相日撮影:笠松則通製作総指揮:ウィリアム・アイアトンゼネラルプロデューサー
[映画][☆☆☆★★]「許されざる者」感想
「悪人」の李相日監督、「硫黄島からの手紙」の渡辺謙主演。第65回アカデミー賞作品賞を受賞したクリント・イーストウッド監督(及び主演)作品を、舞台を明治初期の北海道に移してのリメイク。 ちなみに1960年に公開された、オードリー・ヘプバーン主演の同名作品と
許されざる者
『許されざる者』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)本作は、イーストウッド監督が制作し、アカデミー賞作品賞等を受賞した同タイトルの作品を、すべて日本に置き換えてリメイクしたものです。
元の作品では、マニー(クリント・イーストウッド)、昔の相棒・ロー...
許されざる者(渡辺謙)
あらすじはほとんど西部劇版と同じなのだけど、日本の明治維新をはさんだ時代設定にしたので独特の風味が加わった。ロケーションがすばらしいので、日本の自然を見直すこともできた。渡辺謙の鬼のような演技に注目だ。
もう誰も殺さなくていい~『許されざる者』
1880年、北海道。幕末に 「人斬り十兵衛」 と恐れられていた釜田十兵衛
(渡辺謙)は、痩せた土地で二人の子を抱え、極貧の生活を送っていた。そこ
へかつての仲間・馬場金吾(柄本明)が現れ、賞金稼ぎの話を持ち掛ける。
クリント・イーストウッド監督/主演のアカデミー賞受賞作品 『許されざる者
(UNFORGIVEN)』 のリメイク。有名過ぎるオリジナルは未見だが、本作を
観...
許されざる者
今朝、
テレビで「大人のラジオ体操」ってのが流行ってる。って言って何かと思いきや「大人のラジオ体操」っいう"本"でした。
で、
それにならってテレビの人が体操をするので
私もみっちり「大人のラジオ体操」をやってみました。
ふぅ~
汗だくでした。
(^^;
と、
前置きが長くなりましたが
今回は今月観に行った映画『許されざる者』を書きます。
この『...
「許されざる者」
渡辺謙の妻がアイヌという設定にしたわけだが、そうすると二人の小さな子供は和人とアイヌとの混血という設定の柳楽優弥と同類ということになって、そのことに十兵衛が気にする様子がなく、柳楽を人殺しにやらせるというのがわからなくなる。さらにあんなに小さな子供二人...
許されざる者
公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/
基ネタのアカデミー賞作品賞をはじめ4冠に輝いたクリント・イーストウッド監督・主演の同名作品は未鑑賞。
主演が渡辺謙なら観ないわけにはいかない。
1880年、開拓が進む江戸幕府崩壊後の北海道。
人...
「許されざる者」みた。
クリント・イーストウッドが監督・主演した西部劇『許されざる者』(1992)の日本版リメイク作品。役者が揃っているとはいえ、ハリウッド作品の日本版はいかがなものかと思っていたが、これが意外にもマッチして
許されざる者
見応えある作品だった。
『許されざる者 (2013日本版)』
幕末の北海道、人斬りだった過去を捨て、子供と貧しく百姓暮らしをしていた十兵衛(渡
「許されざる者」再び刀を握った先にみた幼子を依頼人に託して全ての罪を背負って生きる決意をした許されざる者の覚悟
「許されざる者」(PG12指定)は1992年に全米で公開された許されざる者の日本版によるリメーク作品で、開拓地時代の北海道の蝦夷で暮らすかつて幕府軍切っての殺し屋だった男がある依頼 ...
「許されざる者」
クリント・イーストウッドのあまりにも有名な同名作品の日本版リメイク。期待して、満を時して、男節(オトコブシ)満開の息子を連れて鑑賞。
…正直、期待した程ではなかった。つまらなかった訳ではないけど…普通。
「人斬り十兵衛」(渡辺謙)が覚醒するまでがちょっと長くないか?オーラスの人斬り十兵衛切りまくるの図、も、スローモーションの多用でテンポ悪し。そう、全体的にテンポが悪く、もっさりし...
許されざる者
柄本明のモーガン・フリーマン度に脱帽。
許されざる者
2013年9月25日(水) 18:45~ 丸の内ピカデリー2 料金:1250円(チケットフナキで前売り購入) パンフレット:未確認 完コピかと思ったよ 『許されざる者』公式サイト クリント・イーストウッドの「許されざる者」の日本でのリメイク。 子供二人との貧乏生活。 年寄りの友人。 気取った賞金稼ぎが、ケチョンケチョンにされる。 主役が病気で死にかける。 年寄り抜けるも、つかまり拷...
「許されざる者」 (2013 WB)
クリント・イーストウッドの西部劇「許されざる者」を日本でリメイク。脚本と監督は「
『許されざる者』を109シネマズ木場4で観て、日本で許されないのは誰かふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★こんなに緊張感を持って見れる物になってるとは思わなかった】
あの一本筋の通ったオリジナルを向こうに回して
ちゃんと見応えのある作品になってるのが ...
許されざる者
2013年
日本
135分
ドラマ/時代劇
PG12
劇場公開(2013/09/13)
監督:
李相日
アダプテーション脚本:
李相日
出演:
渡辺謙:釜田十兵衛
柄本明:馬場金吾
柳楽優弥:沢田五郎
忽那汐里:なつめ
小池栄子:お梶
近藤芳正:秋山喜八
國村隼:北大路正春
滝藤...
映画『許されざる者』を観て
13-73.許されざる者■配給:ワーナー・ブラザース■製作年、国:2013年、日本■上映時間:135分■料金:1,800円■観賞日:9月16日、TOHOシネマズ渋谷(渋谷)
□監督・アダプテーション脚本:李相日□アダプテーション脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ◆渡...
許されざる者
【概略】
かつて「人斬り十兵衛」として恐れられた男は、刀を捨て極貧生活を送っていたが、昔の仲間から賞金首の話を持ち掛けられ…。
アクション
クリント・イーストウッドの名作「許されざる者」を邦画でリメイク。これだけでもうイタタタターなんですが。
渡辺謙さん主演。
ほとんどコピーです。「省略」とアイヌを交えてはいるけど。
大雪山を回って、ってどこに住んでんだ?と北海道在...