『セデック・バレ』 これが抗日事件の着地点か!?

 日本一高い山はどこだろう?
 今では誰もが富士山と答えるだろうが、68年前までは新高山(にいたかやま)――現在の玉山(ユイシャン)だった。台湾中央部のこの山は、標高3,952mで富士山の3,776mを凌いでいる。
 日本を云い表すのに、しばしば「四方を海に囲まれた島国」という表現があるけれど、第二次世界大戦が終わるまでは島もあれば大陸の一部もある、複雑な地理の国だった。

 したがって、戦前、戦中、そして戦後しばらくの日本映画を、現在の日本国を念頭に観ると作品の意図を見誤る。
 そう指摘したのが、與那覇潤著『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』だ。この本では、中国戦線への従軍経験を持つ小津安二郎監督が、現在の日本に相当する内地とその他の外地に離ればなれになった家族(あるいは久しぶりに再会した家族)を通して描こうとしたものを解題している。

 ウェイ・ダーション監督もまた、日本との関係の中で捉えた台湾を撮り続けている人だ。
 初監督作『海角七号(かいかくななごう)/君想う、国境の南』(2008年)は、日本人と台湾人の恋を歴史を絡めて描き出し、台湾歴代映画興行成績の第2位を記録するヒットを飛ばした。この映画は甘いラブストーリーで、日本人がこそばゆくなるほど親日感たっぷりだった。

 ところが同監督の新作『セデック・バレ』では、台湾の原住民族のひとつセデック族が1930年に起こした抗日暴動事件を取り上げたという。
 前作とはあまりにもギャップが大きい題材に驚いたが、それ以上に注目したのは、いち早く台湾で鑑賞した福島香織氏の「抗日事件を題材にしながらも反日映画ではなかったと思う。誤解を恐れずに言えば、むしろ親日映画かもしれない。さらに言えば、ひょっとすると反中華映画かもしれない。」という記事だ。
 抗日事件を題材にしながら親日映画とはどういうことか。

 本作が大ヒットした台湾の世相や、本作に対する中国(大陸)メディアの反応については、福島香織氏の記事『日本人を文明人として描きすぎた? 台湾発「セデックバレ」は反日映画か』に詳しい。
 映画を完成させるのは作り手の情熱の大きさだろうが、それがヒットして、あまつさえ多くの映画賞を受賞するのは、社会に受け入れる下地があればこそだ。その政治的な解釈については同記事を参照されたい。


 台湾での公開から1年半、待ちわびていた『セデック・バレ』がようやく日本でも封切られた。
 抗日事件を題材にしながら反日映画でないことは、たしかに冒頭から感じられる。
 映画は清国と日本が下関条約を締結するところからはじまる。台湾が日本に割譲されたこの出来事を描くに当たり、判りやすくストレートな演出が持ち味のウェイ・ダーション監督は、日清戦争の敗者・清をひどく惨めに、勝者・日本を壮麗に描写する。
 その後の日本軍が台湾を制圧するシークエンスでも、日本軍の犠牲となるセデック族らを描くと同時に、伝わってくるのは日本の圧倒的な軍事力と段違いの文明の力だ。残虐な描写もあるものの、日本を卑しめようとする意図は見られない。

 4時間36分に及ぶ映画は二部構成となっており、第一部は日本の圧制に耐えかねたセデック族が蜂起するまで、第二部は日本の警察及び軍隊と激突したセデック族の運命を描いている。
 とうぜん映画が強調するのはセデック族の気高さ、勇猛さなのだが、セデック族が強ければ強いほど、勇敢であればあるほど、そのセデック族ですら倒せない日本の凄さも強調される。
 抗日事件を題材にしながらこんな描き方があるのかと、私はとても驚いた。

 この映画を実現するために10年以上を費やしたウェイ・ダーション監督は、事件の描き方にずいぶん悩んだそうだ。パンフレット掲載のインタビューで、その苦労を吐露している。
---
これは絶対映画にしなくてはと脚本に取りかかりましたが、そこで台湾と日本の歴史の中で誰が善人で誰が悪人なのか、分からなくなってしまいました。(略)自分の立場はどこなのか、どう描いていいか悩んでしまった。そして、広い視野でこの霧社事件を捉えようと決めました。それは文化と信仰の衝突という描き方です。太陽と虹をそれぞれ信仰する者たちが山の中でぶつかったという描き方ならできると思いました。
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 映画の第一部と第二部には、それぞれ『太陽旗』と『虹の橋』という副題が付いている。
 太陽旗とはすなわち日章旗や旭日旗のことであり、太陽神アマテラスを信仰した日本人を表す。
 他方、虹の橋はセデック族の信仰を表す。彼らは虹の橋の向こうに祖先が待っていると信じており、死後は勇者として虹の橋を渡ることを夢見ている。

 ダーション監督は両者の衝突を描くべく、セデック側、日本側ともに多数の人物を配置し、きめ細かいエピソードを織り込みながら重層的にドラマを展開した。
 劇中には、原住民族を蔑視する日本人や卑しい日本人が登場する一方で、友好に努めようとする日本人もいる。原住民族も一枚岩ではないし、その殺戮は日本人に劣らず残虐だ。
 4時間36分という長尺は、映画が一面的にならないためにどうしても必要な時間だったのだろう。

 この歴史ドラマのため、セデック族のキャストに実際の原住民族を起用し、日本側にも多数の日本人俳優を配しているのも特徴だ。本当にそれぞれの文化を背負った人が演じているから、その言動に嘘がない。少なくとも、こんな日本人いるもんかと思うことはない。

 日本人のキャラクターで特に印象的なのが、安藤政信さん演じる小島源治巡査だ。
 『海角七号/君想う、国境の南』の「小島」なる人物があまりにも抒情的に表現されていたので、日台関係史の重要な位置に「小島」という人が実在したのだろうかと気になっていたが、本作でその疑問が氷解した。
 多くの日本人が原住民族を蔑視する中、小島源治巡査は担当域の原住民族と良好な関係を築き、抗日暴動事件では原住民族を味方に付けた。
 『海角七号/君想う、国境の南』の制作前から本作の完成に向けて努力していたウェイ・ダーション監督にとって、日台交流を象徴する人物に「小島」と名付けるのはごく自然なことだったに違いない。


 面白いのは、日本側の登場人物だけでなく、セデック族の登場人物にも私たち日本人が大いに感情移入できることだろう。
 もちろん、どこの国の映画を観たって、主人公には感情移入できるものだ。
 だが本作では、異なる文化と信仰の衝突が題材と云いながら、セデック族の文化や信仰が日本のそれとよく似ているのだ。
 一見すると、日本とセデックの習俗は違って見えるのだが、セデック族の祖先崇拝や、掟を重視する「動機オーライ主義」や、すぐに集団自決すること、入れ墨や首狩りの風習等が、まるで日本人のようなのだ。

 祖先崇拝については説明するまでもないだろう。
 日本人は、寺にお参りに行ったりして仏教徒の真似をしているが、家では仏像よりも肉親や祖父母の位牌を目立つように置き、うら盆だの彼岸だの仏教用語を口にしながら祖先の霊を祀っている。最高神アマテラスだって、皇室の祖先という位置付けだ。
 セデック族の「祖先に恥じないように」というセリフは、日本人が「死んだお祖母ちゃんが見ているぞ」と云うのと何ら変わることがない。

 そして、勝ち目がなくても立ち上がるセデック族の戦いは、まさに「動機オーライ主義」だろう。
 動機がピュアであるならば結果の成否を問わない「動機オーライ主義」は、日本人を第二次世界大戦へと突っ走らせ、悲惨な結果をもたらした。その源流を陽明学に求める説があるけれど、陽明学を知るよしもないセデック族が古くからの掟を重視して無謀な戦いに飛び込んでいく姿を見ると、東アジアに広がる「動機オーライ主義」の根深さを感じずにはいられない。

 いかにセデック族が勇猛で機略に富んでいても、300人の戦士では日本軍に敵わないことは火を見るよりも明らかだ。
 本作で凄惨なのは、勝ち目のないセデック族が次々と集団自決するところだろう。
 集団自決は、バンザイクリフや沖縄や樺太で日本人も経験してきた。セデック族が自決する心情は、日本人にもよく判るのではないか。

 また、戦いで敵を倒したセデック族が勇者として入れ墨をするシーンにも、日本人は親近感を抱くだろう。
 縄文時代の土偶の全身が文様で覆われていることや、『魏志倭人伝』に倭人は入れ墨していると書かれていることからも判るように、古来から入れ墨は日本人に馴染み深いものである。
 今でこそ入れ墨は暴力団員の特徴のようにみなされているが、桜吹雪を彫った遠山の金さんはいまだ庶民のヒーローだ。
 セデック族が敵の首を狩るシーンも、時代劇で首実検やさらし首を見慣れている日本人にとっては野蛮でも何でもない。


 かように日本人によく似た文化・習俗を持つセデック族と対峙して、河原さぶさんが演じる鎌田陸軍少将は、日本人が100年前に忘れた武士道をセデック族の中に見出す。
 現実に鎌田少将が武士道のことを口にしたかどうかは判らないが、これはウェイ・ダーション監督からセデック族への、そして日本人への賛辞であろう。

 『Bushido: The Soul of Japan(武士道)』は、米国在住の新渡戸稲造が日本にも西洋の騎士道に対比できるものがあると欧米人に説明するために、1900年に英語で刊行した本だ。新渡戸稲造は農学者のキリスト教徒であり、武士でも何でもなかったが、新興国日本への関心が高まっていた当時、この本は各国でベストセラーになった。ここから「武士道」は世界の知るところになる。[*]

 武士道の実態はいざ知らず、日本人の精神性を表すものとして知られる武士道のことを本作で語らせたのは、セデック族が繰り返し口にする「セデック・バレ(真の人)」を観客に判りやすく伝えるためだろう。新渡戸稲造が騎士道になぞらえて武士道を説明したように、ウェイ・ダーション監督は武士道になぞらえてセデック・バレを説明したのだ。
 日本人がセデック族を武士道に例えて称賛するのは、両者が同じ精神性を有することの表明に他ならない。それは称えられたセデック族のみならず、称えた日本人をも尊重することになるだろう。

 これが抗日暴動事件を描いた映画の着地点かと、私は驚くとともに感銘を受けた。
 なるほどこれは親日映画と云っても過言ではない。
 この映画を完成させたウェイ・ダーション監督以下スタッフ・キャストの努力に応えるためにも、本作の日本でのヒットを切に願う。


 なお、早くもウェイ・ダーション監督は次回作の制作を進めているという。
 新作『KANO』は、1931年の夏の甲子園を舞台に、日本人、漢族、原住民族からなる台湾の農林学校野球部の大活躍を描くという。
 今から完成が楽しみだ。


[*] 「武士」像や「日本人論」の成立と普及については、次の文献を参照されたい。
   橘玲 (2012) 『(日本人)』 幻冬舎


セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【豪華版 3枚組】[Blu-ray]セデック・バレ』  [さ行]
監督・脚本/ウェイ・ダーション
出演/リン・チンタイ ダー・チン 安藤政信 ビビアン・スー シュー・イーファン 田中千絵 木村祐一 河原さぶ 春田純一 マー・ジーシアン ルオ・メイリン ランディ・ウェン ティエン・ジュン リン・ユアンジエ スー・ダー
日本公開/2013年4月20日
ジャンル/[ドラマ] [アクション] [歴史劇]
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【theme : 台湾映画
【genre : 映画

tag : ウェイ・ダーション リン・チンタイ ダー・チン 安藤政信 ビビアン・スー シュー・イーファン 田中千絵 木村祐一 河原さぶ 春田純一

⇒comment

No title

これ、4時間を越える大作ですので、席があまりよくない上映館での鑑賞をためらっています。DVDで観るつもりです。
KANOは、1931年嘉義農林が甲子園で優勝したエピソードですね。

No title

こんちは。

セデック・バレに「真の人間」とルビが振られたのを見て「ああ、ノンマルトだなあ」と思いました。

キリヤマ隊長に「台湾も日本の物だああああ」と踏み外した絶叫をしてもらいたかったです。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
私は渋谷のユーロスペースで鑑賞しました。席の良し悪しはあまり気になりませんでしたが……。
劇場でご覧いただくと、DVDとは違った感慨があると思います。

『KANO』も面白そうですね。チームが優勝できるかどうかは観てのお楽しみかと。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
本作からノンマルトを連想するとはさすがです。
「ノンマルトの使者」は『ウルトラセブン』屈指の名作ですね。
セブンの地球訪問が数千~数万年早ければ、侵略怪獣として退治されたのはホモ・サピエンスだったのでしょうか。

>「台湾も日本の物だああああ」

小島の息子がこれに近いことを口にしますね。ギラギラした大人ではなく、子供の言葉なのでインパクトがありました。
こんなことを云う子はきっと罰が当たると思っていたら、罰どころじゃ済みませんでした。本作で描かれた過剰すぎる因果応報の連鎖から、監督の思いが伝わってきます。

観ました

私が好きなのは品川、恵比寿(消滅)、文化村あたりです。

さて、DVD観終えました。ナドレックさんの素晴らしい解説に感謝して、私は別の視点からつまらない感想を。

世界各地で起きてきた先住者と後発でやってきた人間たちとの戦い。それが、良く分かる例で提示されたように感じています。

さらに、脱亜入欧を掲げて必死に先進国入りしてきた日本ですが、入欧したらライバル視されてしまい急速に馬鹿にしている亜細亜からの搾取を始めた。まだ和服を着ていた江戸の名残のような精神性。その矛盾というか日本の必死な姿も見事な演出で理解できました。セデック族の若者の一言一言、族長の態度と言葉、それら全てがよく練られているのも分かりました。

ということで、台湾のような支配者がこの100年の間で3回も代わった国では、どのせりふもきわめて政治的キャラを帯びざるを得ないのね、と思いつつ画面に見とれました。監督や政策側はそれをあまり意図していないのでしょう、きっと、生まれたときから身についたその島の人間がもつDNAなのでしょう。

賞の競争には短縮版を出してきたようですが、短縮版(インターナショナル版とかいうやつ、2時間?)じゃなくてこのオリジナル版がお勧めですね。鑑賞には時間がかかりますが、私は3回ほどに分けてみました(DVDでしたのでその芸当が可能)。

No title

大陸中国の視点からこの映画を解読した福島香織氏の記事を読みました。台湾だからこそ日本人を普通に、そして宗主国である日本のよさも悪さも淡々と描けたのでしょう。

さて、動機オーラい主義を取る民族は歴史の表舞台に登場する時間が極めて短いか、表に出してもらえない、ということかもしれませんね。どこの国とかどこの民俗とは言いませんが、お察しください。

私個人は、武道をしていた時期もありましたが、武士道は好きになれず、(この映画でもしてますが)武士道を前面に出されたり、リーダーが武士道云々を口にだされると、この極めて政治的利用が容易な言葉をつかうその人の意図にドン引きします。

武士道の定義には、武士と主人との間にまたはその集団に存在する道徳体系および武士個人の社会的振る舞い、藤堂高虎の言うような個人と一族の発展(職業人(武士)の仕官、よりよき主に仕える)、戦いで勝つ生き延びるための戦術、の3種類があり、それらが単独独立でまたは一緒になって語られているようです。

この映画でも司令官の言葉は、最初の定義でしょう。武士道は滅びの美学も内在してしまっているようですが、武道は滅びの美学に意味を見出してないように思うのです。

でもセデック族は2つ目、3つ目の定義の武士道だったのではないかと思います。3つ目は通常、武道、と呼ぶほうがはっきりするものです。宮本武蔵は武道の人でしたが(勝つためには何でもする)、彼に惨敗した吉岡道場は武士道の人でした。

あまり政治的になりたくは無いのですが、今のような混迷、暴走の時代、武士道は最初の定義を暗にそして露骨に含めてしゃべることが多い統治する側(リーダー)に都合がいいだけのような気がします。それは、壇上から(かの有名な)ケネディの言葉をしゃべられるとしらけるのと同じです。

無論、台湾では、よき統治などなきに等しくく(清朝は名目支配していましたが、実際には住民の福利厚生などしていなかった)そのときにやってきた日本、そして、台湾という島を普通に生活できるようにし経済も教育も伸ばした日本が去ったとき、清朝の再来のような人たちがまたやってきたこと(今度は搾取も加わって)。

台湾の人たちに刻まれた日本支配時代へのプラスの記憶が(マイナスを打ち消して)、武士道で律された日本を高く評価し、それと同様に集団を見事に率いて生きてきたセデック族を再評価しているのではないでしょうか。

昔から武士道はなんとなく胡散臭く思っていましたし、今も変わりません。でも武道は個人の修行の道ですから違和感はありません。よって武士道でくくられてしまうと、ちゃんと日本を見てないじゃん、と苦言のひとつも呈してしまいたくなります。

ただ長く一党独裁が戦後続いてきた島内そして海峡の政治的状況を鑑みると、武士道が輝いて見えるのもむべなるかなとは思います。

ということで、司令官が吐くせりふのシーンをアンビバレントな気持ちで眺めました。小島の最後はこっけいですが、まだ一貫性があって個人としては共感できます。

ただ、司令官の性格や傾向も途中でちゃんと描いて見せているので、この監督さんよく観ているなあ、と思います。そして、福建からもっぱらやってきた(一部は客家ですから広州もいたときいてます)漢族が原住民(セデックのような人たち)を山岳地帯に追い込んでしまったことは、いつか総括するのか、いつか再評価するのか、そこら辺もこの監督世代にはできるかと思い、日本にモデルを求めることを充分にやった後に、次に、取り組んでほしいものだとも思ったりします。

だいたい、こういうレスを書いてしまうことが政治的なのですが、つい筆が滑りました。御寛容くださいますと幸甚です。





新渡戸稲造も

Re: 観ました

魚虎555さん、こんにちは。
たしかに武士道という言葉には胡散臭さがありますね。おっしゃるとおり様々な意味を持ち得ますから、この言葉が登場するときはどういう文脈で使われているのかよくよく注意しなければいけないと思っています。
ただ、この映画の場合は外国から見た日本の象徴として用いられており、日本人が懸念するような多義性はあまり意識していないのかも知れません。

それとともに、本作は原住民族を正面から取り上げた点で注目すべき作品でしょう。
パンフレット掲載の監督インタビューによれば、そもそも監督がこの事件に興味を持ったきっかけは、原住民族の「自分たちの土地を返せ」というデモに遭遇したことだったとか。もちろんデモの相手は68年も前に敗退した日本ではありません。この映画は、原住民族が自分たちの土地を守るために命がけで戦った歴史を、いま現在の台湾の人々に知らしめることに第一義があるのでしょう。
映画が公開されると原住民族の人たちは民族衣装で劇場に足を運び、「やっと私たちの物語、歴史、心情が理解された」と満足してくれたそうです。
これから台湾の歴史がどのように総括されていくのか、興味は尽きません。

最後に

「映画が公開されると原住民族の人たちは民族衣装で劇場に足を運び、「やっと私たちの物語、歴史、心情が理解された」と満足してくれたそうです。 」

もし、映画の中での台詞、立場が異なっても原住民が発していた台詞が彼らの心情、物語、主張なのであれば、自然と対峙して真摯に生きてきたためなのか、自分の頭で考えている台詞だとおもいました。それが、持続可能な形で狩猟をし子孫を残してきた森の民の偉さなのでしょう。
敵対する新支配者の台詞と比較すると一目瞭然です。支配者=役所的。。。

それにしても、よく練られた台詞、カメラアングル、堪能いたしました。
(お返事は不要です。有難うございました。)

鑑賞中に

前編中には地震、後編中には停電と、セデックの怨念かなあ~と思ってみました。
こういう作品が、時間をおかずに田舎でも見れたことがとってもありがたかったです。
納得入ったのは、ヘンテコ日本人がいなかったというのが、監督の理解力の広さでしょうか。
あとは、町山さんも言ってましたが、中国語が一個も出てこない、と。
あ、そうかも、でした。
やっぱ、モーナをやった俳優さん、もとい牧師さんの存在感がすべてだったかなあと思います。
あの役者さんじゃなきゃ、ああまでの映画にはならなかったのでは。

Re: 鑑賞中に

sakuraiさん、こんにちは。
停電は参りますね。電気が止まると映画は手も足も出ませんから。
ヘンテコ日本人がいないことは大きいですね。嫌な奴、卑しい奴も含めて、「いるいる」と思わせます。『モネ・ゲーム』のように、ヘンテコ日本人を逆手に取るケースもありますけど。

本作の特徴は、おっしゃるとおり中国語というか漢族がほとんど出てこないことですね。あくまでセデック族の戦いに焦点を絞っている。圧倒的多数を占めるはずの漢族が登場しないことにより、かえってこのとき漢族は何をしていたのか(何をしていなかったのか)を浮き彫りにしている。
上手いと思います。

No title

始めまして。
この映画の評判を聞いていたので、是非見たいと思っていました。
二部に分けて上映されたので、通してみた方と若干印象が違うかもしれません。

前半については、”あまり”おかしな日本人も出ず、「文明と土着」との出会い・矛盾が上手く描かれていたように思います。

でも、後半は、”ミニ・ランボー小僧」が出たりして、歴史的な背景を伝えた前半と異なるアクション映画のように感じました。

「文明が力(?)を見せるなら、未開は誇りを見せてやる!」

アマリカインデイアン、アボリジニ、アイヌの歴史を思い出しました。

霧社事件のドキュメントみたいな殺戮シーン、日本軍との前後2回にわたる戦いを、もう少しカットすれば判りの良い映画になったような気がしました。

でも、立派に歴史に残る名画だと思います。

安定した関係がなければ、このような映画は作れない訳で、日台関係の成熟度を示す映画だと思います。

Re: No title

QQQQさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
たしかに本作はところどころアクション映画と化していました。
ただ、娯楽性を疎かにしないのがこの映画の良いところでもあるのかなと思います。
残虐な殺戮シーンも、どちらが善でどちらが悪なのか判らなくする意味で必要だったのではないかと。

> 「文明が力(?)を見せるなら、未開は誇りを見せてやる!」

部族の誇りの下に結束して、他部族に対抗するのが人類の元来の姿でしょうから、平和を築くには何をしなければ(捨てなければ)ならないかを考えさせますね。
セデック族は日本軍が来る前から部族間で殺し合いをしていました。そこもしっかり描いているのはさすがです。

このような映画作りを日本が資本参加で後押しできれば良いのにな、と思います。
Secret

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