『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 日本人はひ弱になった?
私は、鑑賞した映画すべてをブログの記事にしているわけではない。
この『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』についても、すでに多くの人が語っており、今後も多くの人が語るであろうから、私が語る余地などないと思った。
しかし、この映画を取り上げた「切通理作 中央線通信」で目にした次の記述が気になった。
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「あの問題を『イジメ問題』に矮小化している」(略)といった声が耳に入ってきていた。どちらかというと批判的な声が大きく聞こえていた。
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切通理作氏は映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を肯定的に受け止めているのだが、それにしても「あの問題を『イジメ問題』に矮小化している」という批判的な意見のあることが気になった。
この映画は、1972年2月19日から10日間にわたる浅間山荘での立てこもりをクライマックスに据え、そこに至る道程を描いているのだが、映画の緊張が最も高まるのは山岳ベースでのリンチ殺人である。
山岳ベース(という掘立小屋)に29人がこもり、1ヶ月半のあいだに12人も殺した恐るべきリンチは、映画ではたしかにイジメ問題のようにも見える。
だがそれは「矮小化」なのだろうか。
逆にイジメ問題のようであることが、問題の根深さを表しているのではないだろうか。
山岳ベース事件には次の特徴がある。
(1) 外部から隔離された閉鎖社会(外集団認識の低下)
(2) 委員長をトップとしたメンバー内の序列
(3) 法規範・社会規範を超えた思想、信条
(1)と(2)に関していえば、程度の差こそあれ学校でも企業でも地域のコミュニティ(ムラ社会)でも見られる特徴だ。
イジメやパワハラによる自殺者を出すこともしばしばである。
特に(2)の序列の存在は、上位者による力の誇示や下位者の抑え込み、競合者との対立など、必然的に内部抗争を生み出す。
さらに(3)が加わった例として、オウム真理教による一連の事件を想起する人も多いだろう。革命を志向するグループは法律に縛られないし、独自の宗教観を持てば一般社会の規範は通用しない。
法規範以上に人間の行動を制約するのが、幼少のころから使ってきた言葉だが、これさえも「殺し」を「総括」や「ポア」と云い換えることで乗り越えてしまう。
とはいえ、学校や企業や地域コミュニティはいくら閉鎖社会といっても完全な密室ではなく、社会規範や国家の定める法律が及んでおり、イジメやパワハラが殺人に発展することは稀である。
しかし自殺するまで追い込む行為には、山岳ベース事件やオウム真理教事件と通底するものがあるのではないか。
もしも、激しいイジメが行われている集団を社会規範の及ばないところに隔離したら、イジメはどこまでエスカレートするだろうか。殺されない保証はあるだろうか。
人は革命の理想に燃えるとリンチするわけではない。信仰を深めるとサリンを撒くわけでもない。
(3)の思想、信条は、ときに集団を隔離する装置として機能してしまうのだ。
河合薫氏は、自殺者が急増している企業において、社員の健康増進を図るための1次予防よりも、自殺者が出た"後"の対応に力を入れている状況を嘆く。
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某大手企業に勤める知り合いから聞いた話では、一月に1、2回は「自殺告知」が職場にあり、公にはなっていないが自殺をする従業員は急増しているという。そして、その対策としてトップが最も力を入れているのが、3次予防(健康問題が発生した場合に行われる専門的治療、再発防止策の対処)とも、4次予防とも言われるもの。つまり、自殺者が出た“後”の会社側の対応だ。
遺族への所属部長や役員、トップの対応だけでなく、それまでどれだけ会社側が「そうならないような努力とケアをしてきたか」を主張する問答集を作るなど、“事件”が起こった後の対応を完璧にし、訴訟を起こされないようにするというのだ。
(略)
余裕がある時でさえ、「本当は、1次予防が必要なんだよね」と考えるリーダーは全体数からいえば圧倒的に少ない。
そして、1次予防に関心を示さないリーダーは、決まって「最近の日本人はひ弱になったね」と言うのである。
前述の知人の会社のトップもそうだった。
そのトップは、一代で小さな小売業者を大企業に躍進させた名経営者として経済界でも名の知れた方だ。その人が「なんで最近のヤツラは仕事が多くなって、ウツだのなんだのってなるのかね。普通は仕事がたくさんあるとうれしいんじゃないのかね」と平気で言うのだそうだ。
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「最近の日本人はひ弱になったね」という企業トップと、「共産主義化できてない」とメンバーをなじる連合赤軍リーダーとに、いかほどの違いがあるだろうか。
どちらの発言も事実に即した根拠などなく、自己の行為を正当化しているだけだ。
この映画で連合赤軍事件がイジメ問題に見えても、それは矮小化ではなく汎化である。
池田信夫氏は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に関連して次のように述べる。
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こうした「日本的」な中間集団の性格は、今も変わらない。都市化して個人がバラバラになると、人々は自分の所属すべき集団を求めて集まる。それが学生運動が流行したころは極左の党派であり、その後は原理であり、またオウムだったというだけだ。創価学会や共産党も同じようなもので、さらにいえば会社も中間集団だ。この意味で団塊世代は、学生運動というカルトが挫折したあと、日本株式会社という巨大なカルトに拠点を移しただけともいえる。
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老若男女、時と場所を選ばず、集団があるところにはいつでも山岳ベース事件に至る萌芽がある。
映画での、リンチ殺人事件を生き残った16歳の少年の叫びは、観客に向けられている。
「みんな勇気がなかったんだ! あんたも、あんたも!」
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』 [さ行]
監督・製作・企画・脚本/若松孝二 脚本/掛川正幸、大友麻子
出演/坂井真紀 ARATA 並木愛枝(あきえ) 奥貫薫
日本公開/2008年3月15日
ジャンル/[ドラマ]
映画ブログ
この『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』についても、すでに多くの人が語っており、今後も多くの人が語るであろうから、私が語る余地などないと思った。
しかし、この映画を取り上げた「切通理作 中央線通信」で目にした次の記述が気になった。
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「あの問題を『イジメ問題』に矮小化している」(略)といった声が耳に入ってきていた。どちらかというと批判的な声が大きく聞こえていた。
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切通理作氏は映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を肯定的に受け止めているのだが、それにしても「あの問題を『イジメ問題』に矮小化している」という批判的な意見のあることが気になった。
この映画は、1972年2月19日から10日間にわたる浅間山荘での立てこもりをクライマックスに据え、そこに至る道程を描いているのだが、映画の緊張が最も高まるのは山岳ベースでのリンチ殺人である。
山岳ベース(という掘立小屋)に29人がこもり、1ヶ月半のあいだに12人も殺した恐るべきリンチは、映画ではたしかにイジメ問題のようにも見える。
だがそれは「矮小化」なのだろうか。
逆にイジメ問題のようであることが、問題の根深さを表しているのではないだろうか。
山岳ベース事件には次の特徴がある。
(1) 外部から隔離された閉鎖社会(外集団認識の低下)
(2) 委員長をトップとしたメンバー内の序列
(3) 法規範・社会規範を超えた思想、信条
(1)と(2)に関していえば、程度の差こそあれ学校でも企業でも地域のコミュニティ(ムラ社会)でも見られる特徴だ。
イジメやパワハラによる自殺者を出すこともしばしばである。
特に(2)の序列の存在は、上位者による力の誇示や下位者の抑え込み、競合者との対立など、必然的に内部抗争を生み出す。
さらに(3)が加わった例として、オウム真理教による一連の事件を想起する人も多いだろう。革命を志向するグループは法律に縛られないし、独自の宗教観を持てば一般社会の規範は通用しない。
法規範以上に人間の行動を制約するのが、幼少のころから使ってきた言葉だが、これさえも「殺し」を「総括」や「ポア」と云い換えることで乗り越えてしまう。
とはいえ、学校や企業や地域コミュニティはいくら閉鎖社会といっても完全な密室ではなく、社会規範や国家の定める法律が及んでおり、イジメやパワハラが殺人に発展することは稀である。
しかし自殺するまで追い込む行為には、山岳ベース事件やオウム真理教事件と通底するものがあるのではないか。
もしも、激しいイジメが行われている集団を社会規範の及ばないところに隔離したら、イジメはどこまでエスカレートするだろうか。殺されない保証はあるだろうか。
人は革命の理想に燃えるとリンチするわけではない。信仰を深めるとサリンを撒くわけでもない。
(3)の思想、信条は、ときに集団を隔離する装置として機能してしまうのだ。
河合薫氏は、自殺者が急増している企業において、社員の健康増進を図るための1次予防よりも、自殺者が出た"後"の対応に力を入れている状況を嘆く。
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某大手企業に勤める知り合いから聞いた話では、一月に1、2回は「自殺告知」が職場にあり、公にはなっていないが自殺をする従業員は急増しているという。そして、その対策としてトップが最も力を入れているのが、3次予防(健康問題が発生した場合に行われる専門的治療、再発防止策の対処)とも、4次予防とも言われるもの。つまり、自殺者が出た“後”の会社側の対応だ。
遺族への所属部長や役員、トップの対応だけでなく、それまでどれだけ会社側が「そうならないような努力とケアをしてきたか」を主張する問答集を作るなど、“事件”が起こった後の対応を完璧にし、訴訟を起こされないようにするというのだ。
(略)
余裕がある時でさえ、「本当は、1次予防が必要なんだよね」と考えるリーダーは全体数からいえば圧倒的に少ない。
そして、1次予防に関心を示さないリーダーは、決まって「最近の日本人はひ弱になったね」と言うのである。
前述の知人の会社のトップもそうだった。
そのトップは、一代で小さな小売業者を大企業に躍進させた名経営者として経済界でも名の知れた方だ。その人が「なんで最近のヤツラは仕事が多くなって、ウツだのなんだのってなるのかね。普通は仕事がたくさんあるとうれしいんじゃないのかね」と平気で言うのだそうだ。
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「最近の日本人はひ弱になったね」という企業トップと、「共産主義化できてない」とメンバーをなじる連合赤軍リーダーとに、いかほどの違いがあるだろうか。
どちらの発言も事実に即した根拠などなく、自己の行為を正当化しているだけだ。
この映画で連合赤軍事件がイジメ問題に見えても、それは矮小化ではなく汎化である。
池田信夫氏は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に関連して次のように述べる。
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こうした「日本的」な中間集団の性格は、今も変わらない。都市化して個人がバラバラになると、人々は自分の所属すべき集団を求めて集まる。それが学生運動が流行したころは極左の党派であり、その後は原理であり、またオウムだったというだけだ。創価学会や共産党も同じようなもので、さらにいえば会社も中間集団だ。この意味で団塊世代は、学生運動というカルトが挫折したあと、日本株式会社という巨大なカルトに拠点を移しただけともいえる。
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老若男女、時と場所を選ばず、集団があるところにはいつでも山岳ベース事件に至る萌芽がある。
映画での、リンチ殺人事件を生き残った16歳の少年の叫びは、観客に向けられている。
「みんな勇気がなかったんだ! あんたも、あんたも!」
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』 [さ行]
監督・製作・企画・脚本/若松孝二 脚本/掛川正幸、大友麻子
出演/坂井真紀 ARATA 並木愛枝(あきえ) 奥貫薫
日本公開/2008年3月15日
ジャンル/[ドラマ]
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非常に陰惨な映画です。陰惨なのは陰惨な史実を描いた映画だから。
連合赤軍が出来る頃に関わる人物達と彼らの起こした事件のうち、テレビというメディアを通して一般家庭に立て篭もりの恐怖の事件として記憶されたあさま山荘事件。
そしてそこに到るまでの、特に「総...
映画評「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2007年日本映画 監督・若松孝二
ネタバレあり
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
その昔、連合赤軍の若者たちがあさま山荘にたてこもった事件は、一応、知識としては知ってます。映画では当時現場で指揮を執った佐々淳行さんを主人公に警察が目線で描いた原田眞人監督の『突入せよ!「あさま山荘」事件』が有名ですし、実際のニュース映像も近代の犯罪史
【DVD】実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
▼状況
レンタルDVDにて
▼動機
レア物鑑賞
▼感想
劣等感を抱えた幼きイデオロギーの暴走
▼満足度
★★★★☆☆☆ そこそこ
▼あらすじ
ベトナム戦争、パリの5月革命、中国文化大革命など、世界中が大きなうねりの中にいた1960年代。日本でも学生運動が熱を
函館山荘
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
「パコダテ人」
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD](2009/02/27)坂井真紀ARATA商品詳細を見る
監督:若松孝二 CAST:坂井真紀、ARATA 他
196...
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
監督・製作: 若松孝二
キャスト
遠山美枝子☆坂井真紀
永田洋子☆並木愛枝
森恒夫☆地曵豪
フランス革命記念日 / 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(07・日)
7 月 14 日は「フランス革命記念日」。