『ふがいない僕は空を見た』 美形を好きにならなくていい

 前回説明したように、女性の浮気には相応の理由がある。
 『ふがいない僕は空を見た』の主人公も積極的に浮気しており、そのシチュエーションは『テイク・ディス・ワルツ』によく似ている。
 主人公里美はパッとしない夫との結婚生活に満たされず、『魔法少女マジカル☆リリカ』のコスプレをして同人誌即売会に出没している。彼女の憧れは『魔法少女マジカル☆リリカ』に登場する美形キャラ「むらまささま」。ある日、「むらまささま」を思わせる青年・卓巳と出会った彼女は、卓巳とのコスプレ情事に耽溺する。

 本作では、夫を頼りなく不甲斐なく描くとともに、卓巳のカッコ良さを強調することで、卓巳に惹かれる里美の心理を自然に見せている。だが、『テイク・ディス・ワルツ』のように夫が優しく良い人であっても妻は浮気するのだから、里美が卓巳との生殖行為に励むのは当然だ(劇中では里美と夫の組み合わせでは子孫を残せないことも説明されている)。
 しかも、卓巳は里美の憧れの男性「むらまささま」を髣髴とさせる二枚目なのだ。卓巳役は永山絢斗さんなのだから、そりゃあカッコイイ!

 私たちは繁殖に適した異性を見分ける機能として、審美眼を有している。スティーブン・ピンカーは『心の仕組み 人間関係にどう関わるか』において次のように述べている。[*1]
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なにが性的魅力になるのだろう。男女とも、正常に発育した、病原体に感染していない配偶者を望む。健康な配偶者は元気で、人に病気をうつさず、生殖能力が高いが、それだけではなく、寄生者に抵抗する遺伝的な素質が子供に受け継がれる。
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 そしてピンカーはいくつもの例を挙げる。容貌の整った人は、歯と顎が咀嚼にもっとも適した配置をしている。顔の造作の大きさや形が平均的な範囲に収まり、男女の特徴を適切に備えているのは、ホルモンのバランスが良く、自然淘汰された最適デザインに近いことを示している。たっぷりした髪は、現在の健康のみならず、毛髪が弱くなるような栄養不良や病気に見舞われず、これまでずっと健康だった記録である。
 人類が誕生してから300万年のあいだ、私たちは過酷な生存環境を生き抜かねばならなかった。長い狩猟採集の時代を生き残れたのは、少しでも健康で頑強な子供を作れた者の子孫である。私たちの体には聴診器や舌圧子は備わってないが、より健康で頑強な子供を作れる異性を選別する審美眼という機能が発達した。生後三ヶ月の赤ちゃんでさえ、きれいな顔を好んで見るという。

 だから美容整形で顔かたちを変えることには意味がない。人工的に外見を整えても、遺伝子が向上するわけではないからだ。
 とはいえ、私は外科的・非外科的な美容処置で外見を変えることを否定するつもりはない。
 そもそも私たちの審美眼は、今でも必要なのだろうか。
 近年、衛生環境は改善され、人々の栄養状態も向上している。医療は発達し、ほんの100年前なら救えなかった命が救えるようになりつつある。
 顔の造作が平均より多少逸脱していて、その原因がもしもホルモンの微妙なアンバランスにあったとしても、そんなものは気にならないほど私たちの生活環境は良くなっている。歯と顎が咀嚼に適した配置でなくても、何の不自由もないほど食べやすい物を選ぶことができる。
 私たちの文明は、審美眼を通した異性の選別を不要とするほど生存しやすい環境を作り出した。
 にもかかわらず、300万年かけて培った審美眼は今も機能してしまう。ほとんど意味を失っているのに。

 ならば美容整形で審美眼を欺くのもアリだろう。
 文明がもたらした現在の環境と、狩猟採集の時代に備わった機能とにギャップがあるのなら、何らかの方法でそのギャップを埋めても良いはずだ。

 主人公里美が、子供のできないことを姑に責められていることも、ギャップの一つかもしれない。
 姑は子供を作ることだけが最優先だ。それもそのはず、子作り以外のことを優先するような人間は生存競争を生き残れなかったろうから、姑の言動は生存競争の勝者の末裔として当然のものではある。
 だが、世界人口が70億人を超えた時代に、極東のカップルが子供を作らないくらいで人類が滅亡することはない。
 ほんの7万年前は、世界人口が1万人しかいなかった。このときは、大いに繁殖しなければ人類が絶滅したかもしれない。
 だが今はそんな時代ではない。まして、子供を産み育てる以外にも、人類の繁栄に貢献する方法はいろいろある。文明の発達は、子供を作れない人にも居場所を提供したといえる。
 それなのに、子孫を残すことを最優先する心――生物として生き残る過程で身についた心は強力で、現在の環境とのギャップが存在することを本作は描いている。

 そして、それは里美が美形の「むらまささま」に憧れてしまう心と、実は同根なのである。

               

 さらに、私たちの心はときに過剰に働いて、私たちに疑問を抱かせる。
 卓巳の母・寿美子は、助産師として出産にかかわる中でこんなことを口にするのだ。
 「神様がいるなら、産まれてすぐに死んだ子供が何のために生まれたのか教えて欲しい。」

 これは、実に文明社会らしい疑問――現代日本らしい疑問といえよう。
 人類の歴史の大部分を占める狩猟採集時代、大人になるまで生き延びるのはたいへんなことだった。大正時代でさえ死産率が7%程度もあり、新生児(出生後28日未満)の死亡率も7%程度、乳児(出生後1年未満)の死亡率は15%以上[*2]という状況で、10歳までに約25%が死亡していた[*3]。縄文時代には10歳までに50%以上が死亡していたという説もある[*3]。
 衛生・栄養の知識も医療技術もない狩猟採集の時代、子孫を残すには少しでも健康そうな異性と交接して子供を作るしかない。産んでもどんどん死んでいくのだから。
 
 「神様がいるなら、産まれてすぐに死んだ子供が何のために生まれたのか教えて欲しい。」という疑問は、産まれた子供のほとんどが生き延びる社会――新生児死亡率が0.1%、乳児死亡率が0.2%[*2]の現代日本だから出てくるもので、産まれてすぐに死ぬのが珍しくない時代にはわざわざ考えることもなかったろう。


 問題は、なぜ私たちは生まれて来ることに目的や理由を求めるかだ。
 ものごとに目的があると思うのは、人間の生得的な性質だと考えられている。デボラ・ケルマンの研究によれば、幼い子供は、滝、雲、岩といった自然界の個々の無生物に目的と理由を付与する。[*4]
 なぜ山が存在するのかと訊かれた7~8歳児は、親が宗教を信仰しているかどうかに関係なく、「噴火した火山が冷えて山になる」といった物理的あるいは機械論的な因果的説明よりも、「動物に登る場所を提供するため」といった説明の方を圧倒的に好む。

 ジェシー・ベリングは著書『ヒトはなぜ神を信じるのか――信仰する本能』において、事物が特定の理由の「ために」存在していると推論してしまう「目的-機能論的推理」を紹介している。
 7~8歳の子供が、岩がとんがっていることにも目的を与え、岩を人工物のように扱ったり(「動物の体が痒くなったときに、それを体に当てて掻くため」)、岩が進化的適応をする生き物であるかのように扱う(「動物が上に乗ったり、叩かれたりしないようにするため」)のも、目的-機能論的に推理しているのだ。
 そしてデボラ・ケルマンの研究は、子供が小学4年から5年頃になってやっと科学的に正確な説明(「山が存在するのは、噴火した火山が冷えて形成されたから」)の方を取るが、基礎的な科学教育を受けないと、大人になっても目的論的な思考(「自然物が、ある目的のために存在する」)をしてしまうことを明らかにした。

 これは、私たちの中にある「心の理論」という機能が働くためである。
 「心の理論」は、他者の心を類推したり、他者の行動を予測する機能であり、私たちはこの機能を働かせることで他者と協調して社会生活を営んでいる。
 ところが「心の理論」は、他人だけでなく、他の生物や無生物が対象でも働いてしまう。そして人形のような無生物にも心があると類推する。自然さえも擬人化され、意図を持った行為者がみずからの目的のために動物等を造ったと考える。
 「心の理論」は、その創造的な心(通常これを神と呼ぶ)が私たち一人ひとりの存在する目的まで考えて生命をデザインしたと、推理してしまうのだ。


 『ふがいない僕は空を見た』には、寿美子が神社にお参りするシーンが頻繁にある。何人もの死んだ子を目にしてきたからだろう。
 劇中、寿美子の許を訪れた妊婦が、自然分娩にこだわりたいとか、肉は食べないように気をつけてると云って助産師を辟易させるが、神社にお参りすることが何かの役に立つと思いたい寿美子も、その妊婦と変わらない。

 だがジェシー・ベリングは、自著の「目的なき生」と題した章で、ジャン=ポール・サルトルの言葉を要約している。
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サルトルは言う。むしろ、このように神がいないことを喜ぶべきである。なぜなら、いまや私たちは、好きなように自分を定義する自由を手にしているからだ。つまり、神は特定の役割に私たちを縛りつけたり、私たちというこのはかない存在に運命として定められた仕事を押しつけたりしていないのだから、私たちは、度しがたく変えようのない運命を心配するだけの正当な理由をもたない。その代わりに、自分の目的は完全に自分で決めなければならない。自分が何者かは、神が決めるのではなく、私たち自身が決めるのだ。
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 本作が示すのは、私たちがまだ神を想像し、何かのために生まれてきたという目的論的な思考から解放されていない事実である。
 私たちの文明は、自分の目的を自分で決める自由があることに気づかせたが、生き残る過程で身についた心の機能とのギャップはここにも存在するのだ。


参考資料
[*1] スティーブン・ピンカー (2003) 『心の仕組み(下) 人間関係にどう関わるか』 NHK出版
[*2] 厚生労働省 平成23年人口動態統計月報年計(概数)の概況
[*3] 環境研ミニ百科 第30号 縄文人は、短命だった?
[*4] ジェシー・ベリング (2012) 『ヒトはなぜ神を信じるのか――信仰する本能』 化学同人


ふがいない僕は空を見た [DVD]ふがいない僕は空を見た』  [は行]
監督/タナダユキ  原作/窪美澄
出演/永山絢斗 田畑智子 原田美枝子 窪田正孝 小篠恵奈 田中美晴 三浦貴大 銀粉蝶 山中崇 梶原阿貴 吉田羊 藤原よしこ 山本浩司
日本公開/2012年11月17日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [ロマンス]
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【theme : 日本映画
【genre : 映画

tag : タナダユキ 永山絢斗 田畑智子 原田美枝子 窪田正孝 小篠恵奈 田中美晴 三浦貴大 銀粉蝶 山中崇

⇒comment

本作最大の魅力

一番肝心な、田畑智子さんのコスプレ姿がとっても素敵だということを書き漏らした。

結構

衝撃的な、かつ印象深い作品で、こりゃ原作を読みたい!と思い、昨日立ち読みで、つらつら読んできました。
立ち読みでつらつら読めてしまう作品だったでした。
これは映画がかなり出来がいい。映画であらわされた光、色、心模様がいかに見事だったのかということを思いました。

ちゃんと、この話が前提で、あれがあったのですね。
なぜか匂ってました。私の嗅覚もなかなかでしょ!

Re: 結構

sakuraiさん、こんにちは。
いやあ、鋭い。
『テイク・ディス・ワルツ』のコメントで『ふがいない僕は空を見た』を取り上げられたときは驚きました。まさにこの記事を書くところでしたので。
実はこのあと『映画 妖怪人間ベム』に絡めて進化心理学ばなしを続けるつもりだったのですが、とても手が回りません。この続きはいずれまた。

この映画の原作は読んでいませんが、連作短編を長編映画に仕立てるのは難しいですね。
でもなかなか面白く、とても切なく思いました。
R18+だけど、青少年にも大いに薦めたい映画です。
Secret

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