『声をかくす人』 「現代と何の関係があるんだ?」

 「魅力的な物語だが、現代と何の関係があるんだ?」
 みんなにそう云われたと、脚本家のジェームズ・ソロモンは述懐している。18年前に『声をかくす人』の脚本を書きはじめた頃のことだ。
 公式サイトは次のような彼の言葉を紹介している。
 「18年前に脚本を書き始めた頃、それを見せた人たち全員が驚いていた。リンカーンの暗殺が大きな陰謀の一部だったこと。その夜に複数の襲撃があったこと。軍法会議が行われ、被告の中に一人の女性がいたこと。でも皆に『魅力的な物語だが、現代と何の関係があるんだ?』と言われたよ。だが、2001年9月以降、そういう言葉を聞くことはめったになくなったね」

 この物語は、現代人にこそ観て欲しい。ロバート・レッドフォード監督をはじめとするスタッフ、キャストには、そんな強い思いがあったはずだ。
 その対象はもちろん米国民だろうが、私は日本国民もまた本作を是非とも観るべきだと思う。
 1865年に米国で起きたこと、2001年9月以降に起きたこと、そして現在日本で起きていること、そこには共通性が感じられるからだ。

 本作は、1865年にリンカーン大統領暗殺に加担したとして軍法会議にかけられた女性と、彼女の弁護士の物語だ。
 長かった南北戦争がようやく終結し、平和な国家を築こうとしていた矢先の南軍支持派による大統領暗殺に、人々は憎しみの炎を燃やした。誰もが犯人に対する早急な死刑を望んでおり、政府は事件の決着が遅れて北米大陸を二分する戦争が再燃することを恐れた。被告となった女性を、すみやかに死刑にすべきと誰もが思った。

 主人公の弁護士も、北軍で活躍した一人として同じ気持ちだったが、あいにく女性の弁護を引き受ける破目になってしまう。ところが嫌々弁護をはじめた彼は、やがて女性のために真摯に弁護をするようになる。
 女性が無実だと思ったからか?
 そうではない。弁護側の証人もいない中で一方的に進められる軍法会議が、適切ではないと考えたからだ。たとえ女性が犯人だったとしても、女性に有利な証言や証拠をきちんと吟味し、適切な手続きにのっとった上でなければ、軽々しく裁いてはいけないと考えたのだ。
 被告を死刑にしようと結論を急ぐ会議は、弁護士から見れば充分な審理を尽くしていなかった。憲法の謳う正義が実践されているとは思えなかったのだ。
 しかし、人々は弁護士を批難した。大統領暗殺の一味を弁護してやるなんて、まるで犯人に味方しているように見えたのだ。弁護士は法の正義を尊重しようとしただけなのに、人々から爪はじきにされ、最愛の恋人にも去られてしまう。

 被告を死刑にすれば、人々の溜飲が下がるだろう。世の中は落ち着いて、国家に平和が訪れるだろう。
 政府が民衆の思いを汲もうとしているときに、一介の弁護士が慎重な審理を求めるのは許されないのだろうか。


 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件は多くのものを破壊した。
 事件への報復を訴えたジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率は急上昇し、その支持を背景にブッシュ大統領はアフガニスタンへ、そしてイラクへ攻め込んだ。
 アフガニスタンのタリバン政権には宣戦布告のないまま戦闘を仕掛け、イラク戦争には根拠がなかった
 西洋諸国は何世紀にもわたる戦争を通して、国家間の戦争にも一定のルールを築いてきた。それが国際人道法等に結実し、交戦者の定義や、非戦闘員の保護等が定められてきたはずだった。だが、「テロリスト」との戦いでは、戦闘員と非戦闘員との区別すらうやむやだ。イランでは、相手がテロリストかどうかも確かめずに銃を乱射する事件が頻発した。
 米国大統領がオバマに変わっても、「戦争」は終わらない。米国にとって対テロ戦争の「パートナー」であるはずのパキスタン領内でも攻撃は行われ、誤爆により多数のパキスタン兵が亡くなっている。そして「テロリスト」の周辺にいる人々も「テロリスト」という論法なのだろう、殺害された「テロリスト」の葬式に集まった人々にミサイルを撃ち込んで、多数の「テロリストの仲間」を殺害している

 同時に米国では、異種族・異民族との対立を強調し、米軍が敵陣を粉砕するのを称賛する映画が続々と公開された。人々はそんな映画を観て溜飲を下げたかもしれない。
 だが、さすがに本作の脚本を読んで「現代と何の関係があるんだ?」とは云わないだろう。
 レッドフォード監督は、本作に関してこう述べている。「歴史は素晴らしい物語の情報源であり、現代と関係しているものだ。」


 一方、日本では、2010年9月に尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こった。海上保安庁が公務執行妨害で逮捕した中国漁船の船長を、那覇地方検察庁が釈放した事件である。
 この事件において日本が取るべきだった対応については様々な声があるだろうが、とりわけ加藤嘉一氏の「中国側も呆気に取られるほど、日本のハンドリングは一貫していなかった」という意見が印象深い。
---
 日本は今回の問題に関して対応が一致していませんよね。最初から「司法は独立だ」というなら最後まで貫くべきだったでしょう。それなのに、那覇の地方裁判所は処分保留で船長を釈放したわけですから、政治介入があったのは明白です。
(略)
 僕はこれまで中国で言論活動をしていく中で、日本人として1つのよりどころがありました。それが「日本は法治国家である」ということでした。

 様々な問題について中国人と議論する中で意見が合わない人はたくさんいます。それでも「独裁国家よりも法治国家の方が社会や国民のためになる」と言うこの1点に関しては、誰もが認めてくれることだったのです。
(略)
 だけれど、金輪際、僕は「法治国家」と言う言葉を中国で口にすることはできなくなりましたね。日本が法治国家であるという前提が崩れてしまったのですから、当然です。
---

 また2011~2012年には、内閣総理大臣が民間企業に操業停止を「要請」し、この圧力によって民間企業の業績が悪化、コストは消費者が被るという事態が発生した。内閣総理大臣の「要請」には法的根拠がないのだから、圧力としか云いようがない。全国の原子力発電所は、役所の醸成する「空気」によって運転を停止した
 原子力発電所の稼働についてもまた様々な意見があるだろう。だがそれとは別に、適切な審理も手続きも経ずに政府が民間に圧力をかけるということが、一つの問題である。

 大辞泉は、「法治主義」を次のように解説する。
 「絶対君主の支配を否定し、国家権力の行使は議会の制定した法律に基づかねばならないとする近代市民国家の政治原理。」
 たとえ国家権力といえども、その行使は法律に制限される。何らかの施策を推進するには、根拠となる法律を議会で制定する必要がある。それでこそ、法は国家権力の恣意的な運用から国民を守る社会的なバリケードになるという。
 もしも、為政者や民衆の思いを遂げるために審理や手続きをおろそかにすることがあれば、それはもはや法治国家ではない。

 リンカーン大統領暗殺に加担した罪で告訴されたメアリー・サラットは、弁護士フレデリック・エイキンの努力にもかかわらず処刑され、彼女は米国史上はじめて死刑になった女性として名を残した。
 法というバリケードが失われることこそ、国民にとって最も恐ろしい事態である。


声をかくす人 [DVD]声をかくす人』  [か行]
監督・制作/ロバート・レッドフォード  脚本/ジェームズ・ソロモン
出演/ジェームズ・マカヴォイ ロビン・ライト ケヴィン・クライン エヴァン・レイチェル・ウッド ダニー・ヒューストン ジャスティン・ロング アレクシス・ブレデル ジョニー・シモンズ コルム・ミーニイ トム・ウィルキンソン
日本公開/2012年10月27日
ジャンル/[ドラマ]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : ロバート・レッドフォード ジェームズ・マカヴォイ ロビン・ライト ケヴィン・クライン エヴァン・レイチェル・ウッド ダニー・ヒューストン ジャスティン・ロング アレクシス・ブレデル ジョニー・シモンズ コルム・ミーニイ

⇒comment

かなりの

時間を要して書かれた脚本なのですね。
やっと公開され、じっくりパンフを読みたいと思ったら、売り切れでこっちまで入ってこなかったというもんです。
あとで、ネットで探そうっと。

どんな異常な状態であっても、戦時であろうと、冷静な判断を下すことができ、公正なことができたなら、それに越したことはないのですが、人間の不完全さをまざまざと見せられたような。
法は、感情の生き物の人間に必要なアイテムなのかもですね

Re: かなりの

sakuraiさん、こんにちは。
そうか、地域によってはパンフレットの販売がなくなってしまうんですね。残念ですね。

私にとって本作は、去年鑑賞した映画の中でとりわけ重要なものでした。
現在、ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』が公開されています。『声をかくす人』で描かれたメアリー・サラットとは事情が異なるのでしょうが、ウサーマ・ビン・ラーディンを裁判にかけることはできなかったのかと、『ゼロ・ダーク・サーティ』を観ながら思いました。

私も

これ見て、間をおかずに「ゼロ・・」見たのですが、二つの作品から、似たような感覚を覚えました。
人を人が裁くということは、どういうことなのか、そこに絶対的に必要なのは何なのか!みたいなもんを。
なんともざわーーとしたいやな読後感がありました。

Re: 私も

ちなみに、『ゼロ・ダーク・サーティ』はパキスタンでは上映禁止だそうです。当然ですね。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37196?page=4

パキスタンが抗議する中、米国はパキスタン領内でのテロリスト攻撃を続け、テロリストと間違えてパキスタン兵を殺したりしています。
そういうところに目を向けずに映画を作る感覚には驚きます。

同じ米国で『声をかくす人』が作られたことの重要性をますます感じました。

No title

「勝ったのは我々じゃない。一般大衆だ」みたいな。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
本作を『リンカーン』に続けて観るのも一興でしょうね。いずれも民意と戦う話ですが、片や歴史に残る勝利、片や……。
Secret

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