『天地明察』 宇宙に流れ星はない?

 滝田洋二郎監督は大きな勝負に出てきたな。
 『天地明察』を観て一番に感じたのはそこだった。
 『天地明察』は勝負を描いた作品である。算術の設問を出し合う勝負、囲碁の勝負、暦の勝負、蝕の勝負。賭け事が好きな庶民の様子も取り入れながら、主人公安井算哲(やすい さんてつ)が次々に勝負に挑んでいく様を描いている。
 だが、本作で一番の見どころは滝田洋二郎監督の勝負だろう。

 2008年公開の『おくりびと』で数々の賞を受賞した上、第81回アカデミー賞の外国語映画賞も受賞し、さらに映画芸術科学アカデミー会員に選出された滝田洋二郎監督が、アカデミー賞受賞後に手がける作品を、多くの人が注目していたに違いない。
 滝田監督が選んだ題材は、まさに全世界に向けて発信するに相応しい作品だ。

 日本が誇る題材といえば、何と云ってもサムライとニンジャである。
 近年は、日本の大手映画会社よりも、『るろうに剣心』や『最後の忠臣蔵』のワーナー・ブラザース映画の方が時代劇に積極的な印象を受ける。その『るろうに剣心』が64ヶ国で公開することが決定したように、サムライ映画のアピール力は侮れない。
 安井算哲は剣戟こそしないものの、天体観測に勤しむサムライたちの姿は、サムライの新たな面を世界の観客に知らしめよう。
 本作は、ニンジャの要素も欠かさない。暦作りの物語にニンジャの出る幕はないのだが、史実を曲げてまでニンジャのような黒装束の一味を登場させて、コンテンツの強化に余念がない。

 しかも主人公は棋士である。日中国交正常化10周年記念映画が棋士を主人公にした『未完の対局』(1982年)であったように、囲碁は2000年以上にわたって東アジアで親しまれており、今では国際囲碁連盟に71ヶ国が加盟するほどの国際的競技になっている(日中国交正常化40周年に当たる本作公開年に、中国で大規模な反日デモが起こるとは想定外だったろうが)。
 そして本作が扱う天体観測と暦作りは、人類にとって重大な関心事である。農耕においても宗教においても、太陽や星の動きを知ることは重要であり、およそ文明のあるところならばどこでも天体観測や暦作りをしていたはずだ。

 『おくりびと』が日本的な習俗を中心にしていたことに比べると、『天地明察』は世界にアピールする要素をたっぷりと盛り込んでいる。
 これぞ世界に打って出る勝負作といえよう。


 とはいえ、人類にとっての重大な関心事が、映画人にとっても関心事であるとは限らない。
 はたして、映画人は宇宙や天体に興味を持っているのだろうか。天体の運行を考察するような科学全般や天体観測の精度を上げる技術全般について関心があるのだろうか。
 こんなことを書くのも、2011年度のわずか半年のうちに3本も公開された「はやぶさ映画」への失望があるからだ。

 2010年6月に帰還した小惑星探査機<はやぶさ>は、日本中を賑わした。地球を離れて60億kmを巡る宇宙の旅の雄大さや、他天体の物質を持ち帰るロマンは多くの人を魅了した。さらに検討開始から25年を要し、ロケット打ち上げから数えても7年を経て、幾多の困難に遭遇しながら遂行されたプロジェクトに、人々は称賛を惜しまなかった。
 その<はやぶさ>を題材にした映画が続々と作られたのも当然だろう。

 ところが出来上がった映画は、期待とは異なるものだった。
 松竹の『おかえり、はやぶさ』は、親子の物語だった。父との関係を上手く築けない息子や、病気の母を気遣う子供の心情を描いた作品だった。
 東映の『はやぶさ 遥かなる帰還』は、学術的なプロジェクトと営利事業との狭間に置かれた人間の葛藤や、名もなき町工場の苦闘を盛り込み、社会性を強めようとしていた。
 そこに宇宙の雄大さやロマンは希薄だった。

 遠く離れた小惑星に探査機を飛ばし、サンプルを持ち帰るのは難事業である。
 もちろん同じように難しい事業はたくさんある。巨大ダムを作ることも長大なトンネルを掘ることも難事業だろう。そして多くの事業には、人々の暮らしを向上させる目的がある。海底トンネルを通せば海難事故を防げるし、ダム等の発電所があれば電力を確保して産業の発展に資することができる。程度はどうあれ、そこには具体的に人々の生活に役立つ意味合いがある。
 一方、小惑星に探査機を飛ばしても、サンプルを持ち帰っても、私たちの生活の役には立たない。人命が助かるわけでもないし、誰かが豊かになるわけでもない。
 なのに、なぜ科学者や技術者たちは長い年月をこのプロジェクトに費やしたのか。人々はこの偉業を称えたのか。
 それこそが、<はやぶさ>を特徴付ける点だと思うのだが、前述した映画にそのような切り口は見られなかった。

 映画の作り手は、天文学や工学にはドラマを感じなかったのかもしれない。<はやぶさ>そのものにはあまり興味がなかったのかもしれない。映画の出来や面白さとは別に、<はやぶさ>を題材にする必然性が感じられないのは残念だった。

 かろうじて20世紀フォックス映画の『はやぶさ/HAYABUSA』が、プロジェクト立ち上げからの苦労を通して関係者の思いを丁寧につづっていた。松竹、東映の作品が<はやぶさ>打ち上げ以降の工学系のエピソードに重きを置いたのに対し、フォックス作品は理学系の人物を中心に据えた違いもあろう。
 とはいえ、宇宙に興味を抱く主人公を、まるで変わり者のように描いたことには賛否両論あるだろう。


 はやぶさ映画が次々に公開された頃、テレビでも宇宙をテーマにした『仮面ライダーフォーゼ』が放映されていた。
 だが劇場用映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』の冒頭における、フォーゼと仲間たちの会話には驚いた。月面に立つフォーゼたちが、宇宙を見上げて流れ星に祈りを捧げるのだ。
 ご存知のように、大気のない宇宙では流れ星は生じない。流れ星とは、宇宙の塵が地球の大気圏に飛び込み、周囲の大気をプラズマ化させて発光する現象だからだ。
 だからフォーゼたちの会話はてっきりギャグだろうと思ったら、フォーゼたちは大真面目に流れ星を見上げている。わざわざ宇宙をテーマにした作品でありながら、作り手たちの宇宙への関心の薄さに驚いた。

 昔からテレビや映画では零下1000度に凍りついたり、宇宙で星が瞬いたりしたものだが、今日日、宇宙に流れ星がないことは子供でも知っていよう。
 子供向け作品に限らず、『劇場版 SPEC~天~』での慣性の法則を無視したシーンも記憶に新しい。
 なにも科学考証のために専門家を招いたりしなくても、中学や高校で学んだ範囲で気づくことだろう。
 にもかかわらず、映画のように脚本家や監督や撮影技師や編集者、特殊効果・視覚効果の担当者等々、多くの人が関与するメディアにおいて、このようなけったいな描写が訂正されずにお客様の前にさらされてしまうとは不思議である。

 映画とは、科学技術の進歩によって1世紀前に生み出され、3Dに代表されるように絶えずその進歩を取り込んできたメディアなのだが、そのコンテンツに関わる人はあまり科学技術に関心がないのかもしれない。


 そんな思いを払拭してくれたのが、他ならぬ『天地明察』だ。
 本作は、主人公安井算哲の算術好き、星好き、神道・陰陽道好きを生き生きと描いており、そこから科学する喜びや楽しさが伝わってくる。
 こんにちの私たちは神道を宗教の一つと捉えがちだが、安井算哲の時代、神道と陰陽道は密接に関わっており、暦作りや日蝕の予測は政府機関である陰陽寮が担当していた。天地の仕組みを体系的に知ろうと思えば、神道や陰陽道を学ぶことは欠かせない時代であった。

 そんな安井算哲の嗜好を、ズバリと表現しているのが映画冒頭の場面である。
 ここで算哲は屋根に登って星空を観察している。誰が見ても算哲の星好きが感じられる光景だ。
 しかも観察の対象が北極星であることから、神道や陰陽道を知る人ならば、算哲が単に星を見上げるだけの男ではないことが判る。北極星(北辰)は天に座して不動であり、他の天体の運行の中心にある。太陽や月ですら東から昇って西へ沈むのに、北極星は動かずに悠然としていることから、古代中国においては北極星が天帝とされ、神道では最初の神・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、陰陽道では宇宙根源の神とされた。宇宙のすべては北極星から生じたと考えられたのである。
 その北極星の観測に寸暇を惜しんで集中している算哲こそ、宇宙の仕組みを解き明かすに相応しい見識と情熱の持ち主であることを、この映画は一瞬にして観客へ伝えている。
 見事なオープニングである。

 そして映画は、安井算哲の勝負を通して、科学的探究が伝統的な固定観念を破壊し、既得権にまみれた文化的・宗教的な足かせから人々を解放していく様を描く。天文現象が人間社会の因習を引っくり返す痛快さは、良質のSFを読むようなダイナミズムだ。
 私は原作を未読だが、本作の原作者冲方丁(うぶかた とう)氏は多くのSFを手がけた御仁であり、その精神が時代小説にも貫かれているのだろう。

 同時に、安井算哲と和算家・関孝和が強調する理論と観測の両輪の大切さは、観測を置き去りにした言説を戒めるものとして、多くの観客の納得するところだろう。
 インターネットの発達した現代は、誰もが情報を容易に発信できるが、だからこそ根拠となるデータを示しているのか、もっと掘り下げる必要はないのか、異なる角度からの検証を怠っていないかが問われよう。江戸時代の偉才二人の葛藤が、情報の受け手であり送り手でもある私たちに強く響く場面だ。


 本作が公開された2012年は、金環日蝕や金星日面経過、金星蝕といった珍しい天文現象が目白押しの上に、閏日、閏秒も存在した。
 このような年に、天体観測と暦作りをテーマにした映画を公開するのも、上手い配剤である。


天地明察 ブルーレイ豪華版 [Blu-ray]天地明察』  [た行]
監督・脚本/滝田洋二郎  脚本/加藤正人
出演/岡田准一 宮崎あおい 佐藤隆太 市川猿之助 横山裕 笹野高史 岸部一徳 中井貴一 松本幸四郎 市川染五郎 白井晃 渡辺大 徳井優 染谷将太
日本公開/2012年9月15日
ジャンル/[ドラマ] [時代劇]
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【theme : 時代劇映画
【genre : 映画

tag : 滝田洋二郎 岡田准一 宮崎あおい 佐藤隆太 市川猿之助 横山裕 笹野高史 岸部一徳 中井貴一 松本幸四郎

⇒comment

先に

本を読んでしまってたもんですから、そのダイナミックな世界観は本からひしひしと伝わってきました。
映画から伝わってきたのは、どちらかというと、愛情物語と、人情物語の感の方が強かったです。
ぜひ本を読んでみてください。
ナドレックさんの本の感想が聞きたいです。

「おくりびと」の後に「釣りキチ三平」ってのがありましたなああ、そういや。

Re: 先に

sakuraiさん、こんにちは。
この原作は面白そうですね。
早稲田大学でのトークショーを見ると、冲方丁氏が映画について「あの本を2時間ちょいでよくまぁ収めたなと、素晴らしい努力だと思います。」と好意的な発言をしているので、なんだかホッとしました。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200911-06/
滝田洋二郎監督作品だと、『眠らない街 新宿鮫』で原作の一番大事なところ(だと私が思っている部分)がカットされていて、愕然とした覚えがあるので。

滝田監督がアカデミー賞受賞後に作ったのは本作ですが、アカデミー賞の発表が『釣りキチ三平』の公開直前だったために、受賞後に公開された最初の作品は『釣りキチ三平』になりますね。
私は観ていないのですが、題名に「キチガイ」という言葉を含んだまま公開したことは評価されるべきかと思います。
Secret

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