『劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』でトレーニングをしよう!

劇場版 FAIRY TAIL -鳳凰の巫女- [初回版] [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 うかつなことに『劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』はノーマークだった。
 しかし、『おまえうまそうだな』や劇場版アニメ『忍たま乱太郎 忍術学園 全員出動!の段』の藤森雅也監督の作品であることに気がついて、『FAIRY TAIL』のマンガもテレビアニメも目にしたことがないにもかかわらず、あわてて劇場へ足を運んだ。
 2006年からマンガ連載が続き、2009年からはテレビアニメも放映されている『FAIRY TAIL』の世界をまったく知らないのに劇場用映画を観に行くのは無謀かと思えたが、『劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』はそれに値する作品だった。

 驚くのは、『劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』の内容が宣伝とは矛盾していたことだ。
 その惹句は「オレたちは、永遠に仲間だ!!」というもので、いかにも少年マンガやそのアニメ化作品らしい文言だ。あたかも、みんなで仲良く団結して勝利する物語を期待させる。
 しかし、映画をご覧になった方はお判りだろう。この文言はレクイエムであり追悼の言葉なのだ。

 『劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』は、仲間をも切り捨てねばならない過酷な物語だ。主人公が「誰か助けて!」と叫んでも、その声を聞き届ける者はいない。そんな無情な事態を見せられる作品なのだ。
 私はそのアジェンダ設定に舌を巻いた。

 これまでもたびたび書いたように、西洋の作品ではたとえ娯楽作であっても容易に正解を出せない問題に直面することがある。
 それはマイケル・サンデルが『これからの「正義」の話をしよう』で提示した次のような問いに似ている。
---
 あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
 ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
 どうすべきだろうか?
---

 これは軽々しく答えを出せる問いではない。しかし、人は個人としても、組織としても、あるいは国家としても、こういう問題に直面することがあるかもしれない。
 マイケル・サンデルはその本の中で「こうしたジレンマについて考えることによって、個人生活や公的場面において、道徳に関する議論がどう進むものかがわかってくる。」と述べている。

 そして、この問いのバリエーションを含んだ作品を、私たちは幾つも見ることができる。
 たとえば『ナバロンの要塞』では、目の前の怪我人一人を救うか、遠くの2,000人を救うかという葛藤が描かれた。また『ギャラクティカ』では、親しい少女を含めた数隻の船を救うのか、5万人の大船団を危険にさらすのかという葛藤が描かれた。
 そしてそれらの作品は、答えを出すのが難しくても判断しなければならない者の苦悩と責任までも描写した。

 ところが本邦では、このような問いを立てた作品にはなかなかお目にかからない。
 観客が殺到する作品は、諦めないで頑張ればあちらもこちらも助かる奇跡のようなハッピーエンドだ。
 そこに命題があろうとなかろうと、たかが映画の話だし、あくまでフィクションの中のできごとではある。しかしだからこそ、そこには人々が共感するものや、気分がいいと感じるものが端的に表れるのではなかろうか。

 上に挙げた西洋の作品の特徴は、感情と論理を分けて考えていることだ。誰だって目の前の人を助けたいし、親しい人を見捨てたくはない。けれどもその感情に流されず、ここにはいない人や、まだ表立って見えてはこない未来の出来事にも考えを及ばせている。
 それは、感情を司る脳の古い部分と理性を司る脳の新しい部分のどちらに従って行動するかという違いかもしれない。
 ヨーロッパで、カトリックとプロテスタントがお互い「正義の戦争」を掲げて虐殺しあった宗教戦争の末にたどり着いたのが、道徳的な価値判断を政治行為から切り離す政教分離であるという。その歴史の積み重ねが、このような娯楽作を成り立たせているのだろう。

 一方、東洋では宗教戦争なんてなかったし、まして日本は産業革命ならぬ勤勉革命で生産性を向上させたお国柄だ。勤勉革命とは、江戸時代の農村に見られる生産革命に速水融氏が名づけたもので、機械も家畜も使わずにひたすら人手で頑張ることだ。
 イギリスが産業革命による機械力で生産性を向上させて、人力だけではできないことを実現したのに対し、日本では家畜にやらせていたことまで人間が取って代わり、人間の頑張りだけで生産活動を行った。たとえば最新のパソコンの導入を見送って、ひたすらサービス残業とデスマーチで修羅場を乗り切るようなものだ。
 こうして勤勉性を培い、農村全体の収穫を向上させてきた日本人には、必ずしも全員は救えない中で解を出そうと苦悩する物語よりも、頑張ればみんながハッピーになる話の方が性に合うのかもしれない。

 もちろん、洋の東西で優劣があるとか、善し悪しがあるということではない。
 だが、地域の歴史や文化の上に作られた作品は、地域の人々に共感や感動を引き起こすことで、その文化をますます強化するだろう。
 それはもしかすると、脳が味覚を処理するようなものかもしれない。
 人間が感じる五つの味、すなわち甘味、旨味、塩味、苦味、酸味のうち、甘味、旨味、塩味の三つは誰もが本能的においしいと感じる。なぜなら甘味を感じさせる炭水化物と、旨味を感じさせる蛋白質(アミノ酸)と、塩味を感じさせるミネラル(ナトリウム・塩)は、母乳に含まれるものだからだ。
 それに対して残りの苦味、酸味は、食事経験を積み重ねることではじめておいしいと感じられる。経験を積み、脳に情報を蓄積しないと、いつまでも苦味や酸味を受け入れることはできず、母乳やミルクのような味を好み続けるだろう。

 同じように、勤勉革命を成し遂げた日本人には、頑張ればみんなハッピーになる作品が心地好いが、苦味や酸味にも対応するには、全員は救えない中で解を出そうと苦悩する物語で心のトレーニングを積まねばならないのではないか。


 その点、『劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』は周到に考え抜かれた作品だ。
 本作のクライマックスは、恐るべき怪物・鳳凰との壮絶な戦いだ。鳳凰を倒さなければ、世界は滅ぼされてしまう。しかし鳳凰を倒せば、一緒に旅した少女エクレアに死が訪れる。エクレアはフェアリーテイルのメンバーではないものの、苦難をともにして、今やフェアリーテイルの仲間同然の連帯感で結ばれている。彼女を犠牲にしなければ他の人々を救えないとは、いったいどうしたらいいのか!
 その葛藤が本作の肝である。
 傷ついたエクレアを抱えながら、主人公の一人ルーシィは叫ぶ。「誰か助けて!」
 だがその声も虚しく、フェアリーテイルのエルザは鳳凰に矢を向ける。

 感心するのは、映画の作り手がこの葛藤を主人公に負わせるに当たり、ストレートすぎないように配慮していることだ。
 『FAIRY TAIL』は週刊少年マガジンに連載されている作品であり、観客の中心は青少年だろう。そこには苦味や酸味を充分に味わってきた人ばかりでなく、苦味や酸味はちょっぴり舐めたことがあるだけの観客も多いはずだ。そこにいきなり『ナバロンの要塞』の将校が直面するような試練を味わわせても、きちんと受け止められないおそれがある。
 そこで本作では、葛藤すべき内容を複数人に分担させ、観客の抵抗感を軽減している。
 ルーシィは鳳凰を倒すためにエクレアを犠牲にしなければならないことを知り、心が引き裂かれるような思いをするが、彼女自身が鳳凰を倒すわけではない。
 行動するのはエルザの役割だ。フェアリーテイルでもリーダー格のエルザは鳳凰を倒そうとするが、それがエクレアの犠牲を伴うことは知らない。彼女はただマスターの指示に従うだけだ。
 そして決定を下すのはフェアリーテイルのマスター、マカロフだ。この爺さんが、誰もが嫌がる苦痛を伴う判断を引き受ける。
 こうして本作では、ルーシィが感情を、エルザが行動を、マスターが理性を象徴することで、葛藤の重みを分散させている。

 ルーシィはその判断に関わっていないから、苦味や酸味に慣れていない観客に嫌われることはない。
 エルザも知らずにやっただけなので、観客に嫌われないだろう。
 マスターの判断には、抵抗を覚える観客がいるかもしれない。だが、直接手を下したわけではないので嫌悪感は薄れるだろうし、マスターならば長年積み重ねた知識と経験によって若者にはできない判断をするものだということを、観客も受け入れやすいはずだ。さらには、ルーシィやエルザのような若者にはまだ求められない判断を、大人は引き受けなければならないことも理解するだろう。
 まことに本作は、苦味や酸味のトレーニングとしてほどよく味付けされているのだ。

 加えて本作は、辛い決断を描きながら、後味は決して悪くない。
 葛藤を複数人に分散させて観客の負担を減らしたのも、希望が感じられるエピローグを配したのも、後味を悪くしないためだ。
 映画の作り手は、口当たりの良い甘味、旨味、塩味ばかりを詰め込むのは避けつつ、同時に苦味や酸味が尾を引くこともしなかった。
 そのさじ加減は見事である。


劇場版 FAIRY TAIL -鳳凰の巫女- [初回版] [Blu-ray]劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女』  [か行]
監督/藤森雅也  脚本/十川誠志  原作/真島ヒロ
出演/柿原徹也 平野綾 釘宮理恵 中村悠一 大原さやか 佐藤聡美 堀江由衣 羽多野渉 遠藤綾 かないみか
日本公開/2012年8月18日
ジャンル/[アクション] [ファンタジー]
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【theme : アニメ
【genre : 映画

tag : 藤森雅也 柿原徹也 平野綾 釘宮理恵 中村悠一 大原さやか 佐藤聡美 堀江由衣 羽多野渉 遠藤綾

⇒comment

No title

うっうっう、

涙でスクリーンが霞む。

この映画その物も日の目を見てほしいですが、藤森監督自身にもう少しスポットライトが当たってほしいですね。

歩くエクレアの、あのカットが凄い。

推測

フェアリーテイルの映画は原作者の協力もあったそうです(総指揮)。
http://closeup-nettube.livedoor.biz/archives/7392768.html
http://cinema.pia.co.jp/news/158158/47678/

そして、映画の監督自身が特に拘った部分はラストシーンや重い決断の部分だそうです(ナツとルーシィの図では原作者が描いたキービジュアルと同じような構図あります)。
この部分ってナドレックさんの言う、苦味や酸味だと思いますが、実は藤森監督は「口当たりの良い味」等にはそれほど思い入れがないのかな、と思いました。そう思った理由は、この映画で本人が特に拘った部分とか、インタビューでの発言の雰囲気とか、本人の過去の映画への態度で何となくそう思いました。どちらかというと真面目な所に拘る事が多いと思いました。(長編ものは単発・ギャグとは違いますし)

過去の映画では「おまえうまそうだな」と「忍たま」がありますが、「おまえうまそうだな」は下スタッフの堀剛史さんのツイッターの発言を見る限り、バトルシーンでそれなりの指示があったそうです。
「忍たま」は映画のインタビューで原作者から「私がこだわってきた時代考証も室町時代は江戸時代に比べて描写が難しいのに服飾や住まい、武器など細かい部分にまで藤森監督はこだわってくださいました。」といわれたそうです。このように過去の映画でも、どちらかというと真面目な部分に拘ってるというイメージが付きました。

しかし、「おまえうまそうだな」は原作者から「絵本とは違う物にしてください」という要望、「忍たま」は原作者から「ギャグで突っ走れ」という要望があったそうで、最終的にはそういう意向も受け入れたかと思います。

Re: それと

ギモンさん。コメントを多々いただいておりますが、他者の著作物からの引用を主とする投稿は、著作権を侵害するおそれがありますのでご遠慮くださいますようお願いいたします。

No title

ナドレックさん、どうもすみません。コメントを何度も投稿したのはエラーが出たのかと思ったからです。中々反映されなかったので・・・。
それと引用投稿もすみません(証拠として載せたつもりです)。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
藤森監督はもっとブランド力があってもいいと思うのですが、やっぱりテレビシリーズの劇場版ではアピールに限界があるのでしょうか。
まぁ、まだ映画は三作目なので、これからですね。

Re: No title

ギモンさん、ご理解いただきましてありがとうございます。
藤森監督は甘味とか苦味に偏ることなく、いろんな味を満遍なく取り入れる方のように思います。
もちろん作品と客層によってブレンドの仕方は違いますけど。
今後はオリジナルの企画を手がけることもあるでしょう。そのときどのような味わいの作品とするのか、今から楽しみです。

No title

追記して大変申し訳ありません。言い忘れてた事があります。

藤森監督は自分自身の個性には癖があっても最終的には、上の意向も受け入れるタイプなのかもしれないと思いました。少なくとも過去2作では低学年以下の子供向けだった事もありそれっぽく感じました。

そこでですが、フェアリーテイルの映画を知った後では「多分藤森監督は過去の2作ではあれでも随分ソフトに抑えて、手加減をしたのでは?」と思いました。理由はフェアリーテイルの映画では過去2作より過激な演出があったからです。推測ですが、下手をすると過去2作ではフェアリーテイルより演出に苦労したのかもしれません。過去2作のはフェアリーテイルより低年齢向けなので、幼い子でも見れるようにある程度デフォルメ、マイルドにせざるを得なかったのかもしれません。本来、過激な描写になるはずのものを、幼い子でも見られるようにする演出は難しいと思いますから。どこまでデフォルメ、マイルドにすれば良いかって問題もあると思います。真面目にしすぎるとそっぽ向かれかねない、かといってふざけると真摯さに欠けたりしますからね。

幼い子供向けの映画やアニメは他のジャンルと比べるとシリアス描写の制約が厳しいと言われています。その制約は昔と比べても厳しいでしょう。

Re: No title

ギモンさん、こんにちは。
幼い子供向けだから制約が厳しいというよりも、対象に応じて作り手に求められる当然の配慮だと思います。
最終的にはプロデューサーが判断するのでしょうが、市場とのミスマッチを起こさないように気をつけるのは、すべてのスタッフの責務かと。
その上で自分の表現したいことをどこまで織り込ませるか、ですよね。

そんな

いろんなもんが含まれていたとは思いもせず、あの絵のタッチの妙な肉感になじめず、今風の萌ぇえ~的な絵に相容れず見ておりました。
やっぱアニメってのは、本来絵を見せるもんだと思ってます。あとは、アニメでなければ表現できない何かがあるか。そこに目を奪われ過ぎてたかも・・・ですかね。

最近、やけに劇場版なんとか!!ってのが多くて、ヘタすると、劇場の半分近くアニメで埋まってたりして。
需要があるからでしょうが、もっとあちらの国の良作、小品をかけて欲しいなあと思ってます。

Re: そんな

sakuraiさん、こんにちは。
これは「今風の萌ぇえ~的な絵」なのでしょうか……。
いずれにしろ、私は日本のマンガやアニメから遠ざかって久しく、特に少年マンガ誌に載る作品には縁遠いので、私の方こそ本作には馴染めませんでした。
ですが、それを乗り越えると、どうしても語りたいものが本作にはありました。藤森雅也監督を追いかけるのは、当面止められそうにありません。

アニメ市場は縮小傾向なので、劇場版ナントカを繰り出すのは、固定ファンをグッズ売り場に連れ出すための苦し紛れの手なのかもしれません。
私は次々公開される新作映画の量に付いていけずにヒイヒイ云ってるので、映画館が劇場版ナントカで埋まっているとホッとしてしまいます(^^;
Secret

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