『汚れた心』 心は清くなければならないか?

 「この出来事はガイジンでなければ語れない

 ヴィセンテ・アモリン監督が第二次世界大戦直後のブラジル日系人社会について取材した際、日系移民の子孫の多くがこう云ったそうだ。
 アモリン監督は、『汚れた心(けがれたこころ)』の公式サイトに寄せたメッセージでこのことを紹介し、「これは、この作品を作る上で肝となる言葉でした」と述べている。
 この言葉には、私も考え込まざるを得なかった。
 おそらくこれこそが、私たち日本人が映画『汚れた心』を必要とする理由である。

 すでにブラジル人である日系移民の子孫が云う「ガイジン」とは誰だろうか。
 国籍だけを論じるのなら、ブラジル国民の彼らにとっては、ブラジル外の国の人が「ガイジン」だ。この論法なら日本人も「ガイジン」だろう。
 けれど、もちろん彼らの意図はそんなところにはない。「ガイジンでなければ語れない」とは、日系移民の彼らみずからは口にできないということだ。日本人には――日本人の精神を引きずっている者には、この出来事を客観的に語れないのだ。
 それは裏を返せば、日本人の精神に引きずられないヴィセンテ・アモリン監督に語って欲しいということである。

 そしてヴィセンテ・アモリン監督は、彼らの期待に見事に応えている。
 『汚れた心』はブラジル映画だ。監督のみならず、原作者もブラジル人、脚本家もブラジル人であり、ブラジルを舞台に、ブラジルの実話にインスパイアーされて撮った作品だ。
 それでもこの作品が切り込むのは、日本人の精神である。主要キャストを日本人で固め、「ガイジンでなければ語れない」切り口で日本の文化と精神を解体することで、日本人が語りたがらない本質をえぐりだしている。
 いったい、戦後70年近い時が流れても、日系移民の子孫たちの口を閉ざしてしまう日本人の精神とは何なのだろう。


 本作は、第二次世界大戦後のブラジル日系人社会における「勝ち組」と「負け組」の抗争を描いている。
 情報の乏しい日系移民たちの多くは、日本が第二次世界大戦に勝ったと信じていた。中には連合国側であるブラジル政府の「日本は戦争に負けた」という云い分を受け入れる者もいたが、勝ったと信じている者からすれば彼ら「負け組」の言動は許せるものではなかった。

「勝ち組」は「負け組」を攻撃し、それはすぐにテロ事件に発展した。
 その対立は深く根を張り、10年以上も続いたという。

 そして劇中、テロの際に負け組に告げるのが「お前の心は汚れている」という言葉だ。勝ち組の人々は、負け組に向かって、日本の負けを受け入れるのは心が汚れているからだとを責める。その彼らが自分たちの精神的支えとするのは大和魂である。
 

 本作の原題は『CORACOES SUJOS』(英題『DIRTY HEARTS』)、邦題『汚れた心 (けがれたこころ)』は、その直訳だ。大和魂と汚れた心の対比から思い浮かぶのは、日本古来のキヨキココロ(清き心)とキタナキココロ(邪き心)の対である。
 それは、はるか『古事記』の中にも見てとることができる。
 父イザナギの云いつけを守らなかったスサノヲは、イザナギに国を追放されてしまう。それでスサノヲは、去る前にせめて姉のアマテラスに会おうと思い、アマテラスが治める高天ヶ原にやってくる。ところがアマテラスは、「スサノヲが来るのは善い心からじゃないだろう。私の国を奪うつもりかもしれない」と警戒し、戦争の準備をして待ち受けた。これに対してスサノヲが「自分に汚き心はない」と弁明したので、スサノヲとアマテラスは、スサノヲが清く明き心の持ち主であるかどうか白黒つけようとする。

 このように日本では、心が清く明るいことが重視され、汚き心だと思われるのは神々ですら恐れるのだ。
 ここでのポイントは、問われているのが実際の行動やその結果ではなく、清く明るい心だけであることだ。
 これに関連して、池田信夫氏は次のように述べている。
---
そういう日本の伝統を丸山眞男は「動機の純粋性」と呼んだ。日本人が倫理の基準にするのは、その行動が何らかの客観的基準に照らして正しいかどうかではなく、その動機が純粋かどうかである。それを記紀などではキヨキココロと呼び、これと対立する邪悪な動機をキタナキココロと呼んだ。ここで問われているのは行動の結果ではなく、そのもとになる感情である。
---

 本作の「勝ち組」の者たちも、目指すは心の純粋さだ。
 「大和魂」なるビラを熟読して、清き心を育み、汚れた心の持ち主を断罪する。そこに行動の良し悪しや結果の妥当性を考慮する気持ちはない。「日本が負けたのは真実なんだ」と云われても、真実は心の中にあるとして取り合わない。

 これは神話の時代と同じ感情だ。
 占いによって清く明き心であることが証明されたスサノヲは、嬉しさのあまり羽目を外して田んぼを滅茶苦茶にしてしまう。だがアマテラスは、スサノヲが高天ヶ原に来たときにはまだ何もしてなくても攻撃せんばかりだったのに、スサノヲの心が汚くないことが判れば、暴れ回る彼を愛しい弟だと云って大目に見ている。
 行動やその結果より、心が清いか汚いかが重要だからだ。


 そして、それは神話の時代や、第二次世界大戦直後のブラジルに限らない。
 今でも「心がきれい」「心が汚い」という言葉を、私たちは平気で使う。そして「動機の純粋性」を重視する日本映画に心酔し、その結果の合理性は気にしない。
 使命のためならどんな無茶でも厭わない主人公を称賛し、必ず勝利する映画を喜ぶ気持ちは、日本の勝利を信じて疑わない「勝ち組」に通じるものがあろう。もしも「負け組」のような考え方の映画――たとえば純粋な動機があっても望ましい結果が出なかったり、勝利を信じる人に水を差す映画が公開されたなら、ヒットはおぼつかないだろう。

 ブラジルの日系移民の子孫が、「この出来事はガイジンでなければ語れない」と云うのはもっともだ。神話の時代から今に至るまで、日本人は清き心を重視してきた。70年前に清き心のために引き起こされた事件に対し、いまだ清き心を重視する日本人が客観的に切り込むことなどできるはずもない。
 それはすなわち、日系移民の子孫たちが戦後70年近くを経ても日本人らしい「清き心」に呪縛されているということでもある。
 第二次世界大戦のとき、日系アメリカ人が「祖国アメリカ」の役に立とうと兵士に志願した一方で、ブラジルでは「勝ち組」と「負け組」の抗争があり、いまだみずからは語れないことに驚かされる。

 ヴィセンテ・アモリン監督は、新作のテーマに「適応とアイデンティティ」という問題を織り込みたいと考えていたという。本作の題材に出合ったのはそんなときだ。
 人は誰しも、住む環境が変わればそれに適応する必要があるだろう。けれども、真実が世の中になく、心の中だけにあるのなら、どこに住んでも何が起きてもアイデンティティは変わらない。
 本作は、それが悲劇であり愚かでもあることを示している。

 私たち日本人は、これからも清き心を大切にし、動機の純粋さを称賛し続けるのだろうか。
 客観的事実に基づいて行動のゆくえを考えるのが汚れた心なのであれば、私たちは汚れた心をこそ持つべきではないだろうか。


参考文献
 校注者 青木和夫、石母田正、小林芳規、佐伯有清 (1982) 『日本思想体系1 古事記』 岩波書店
 梅原猛 (2001) 『古事記』 学研M文庫

汚れた心【完全版】(初回限定生産) [DVD]汚れた心』(けがれたこころ)  [か行]
監督・制作/ヴィセンテ・アモリン  撮影/ホドリゴ・モンチ
脚本/ダヴィド・フランサ・メンデス  原作/フェルナンド・モライス
アソシエイト・プロデューサー/奥田瑛二
出演/伊原剛志 常盤貴子 奥田瑛二 菅田俊 余貴美子 大島葉子 エドゥアルド・モスコヴィス
日本公開/2012年7月21日
ジャンル/[ドラマ] [戦争]
ブログパーツ このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録

【theme : 洋画
【genre : 映画

tag : ヴィセンテ・アモリン 伊原剛志 常盤貴子 奥田瑛二 菅田俊 余貴美子 大島葉子 エドゥアルド・モスコヴィス

⇒comment

No title

>日本では、心が清く明るいことが重視され
>日本人が倫理の基準にするのは、その行動が何らかの客観的基準に照らして正しいかどうかではなく、その動機が純粋かどうかである
今は特に、ただただこの方向だけが大事にされていますが、薄ら寒いものを感じます。
清く正しいことでも、果たしてそのなかに汚れたものがないと誰が言い切れるのか。70年経ってもなお自国の中で語れないことがあることの方が問題だと思いました。その意味で本作は大きな意義があるのでしょうね。

Re: No title

rose_chocolatさん、こんにちは。
おっしゃるとおりと思います。
自分たちの動機が純粋だと思うほど、他者は汚れて見えて、攻撃したくなるものです。
でも、自分が真実だと思っていることを虚心坦懐に棚卸して、懐疑心をもって吟味したときに、私たちの言動はどれほど事実に基づいていると云えるのか。汚れて見える他者にも、実は理があるのではないか。
現代は、インターネットとソーシャルメディアが発達して誰もが情報発信できるだけに、流言飛語も飛び交いやすい世の中です。本作が描くものは、決して遠くの国の昔の出来事では済まないのだと、心したいものです。

Re: 清き川には魚は住めず

プチ不眠症さん、こんにちは。
おっしゃるとおり、利害も立場も多様な人間が善悪や正邪について統一見解を出すことは難しいから、共通的な規範として神や宗教が必要とされるのだと思います。さらに宗教や道徳から区別されたものとして、法が整備されたのでしょう。

けれども多くの人が指摘するように、日本には法治主義も法の支配も根付いていません。一応、明治期に形だけドイツの諸制度を輸入しましたが、とても日本に浸透したとはいえないでしょう。
だから、法があるにもかかわらず、権力者が法を無視してその場限りの解決策を示すことを人々は歓迎してしまいます。これを娯楽として毎週提供し続けたのがテレビドラマ『水戸黄門』ですね。犯罪の証拠を評定所に持ち込みもせず、もはや何の権限もない老人が威光だけをかさに裁定を下し、対処を命じるこのドラマは、三権分立の精神を踏みにじるものでありましょう。
テロ行為も、このような感情の延長上にあると思います。自分たちは高邁な思想と清い心から行動しているのだから、法律で定めた制約なんぞ無視して実力行使するのも許される、という発想ですね。

たとえ正義を標榜しても、法によらない行為はしょせん私刑でしかない、という問題意識が『ダークナイト ライジング』にはありますが、私たち日本人は遂に水戸黄門を弾劾することができませんでした。
1969年からはじまったTBSの『水戸黄門』は2011年に幕を閉じました。しかし、あのドラマが最後の『水戸黄門』とは思えません。もしその場限りの解決が続けて行われるとしたら、あのドラマの同類がまた日本のどこかに現れてくるかもしれません。


清き心と汚き心

本作についても様々な見方があって当然でしょう。浅学なクマネズミには、とてもナドレックさんのように歴史的に見る力はなく、現時点に立って「国」ということに関心を持ちながら見てしまいました。それで、本作は、最近見た『かぞくのくに』にも繋がるのではと思ったところです。
そして、いつもながらの鋭いご指摘をされている貴エントリですが、誠に恐縮ながら、クマネズミの貧弱な頭に思いついた点を書き並べますと、
イ) 「この出来事はガイジンでなければ語れない」と日系移民の子孫の多くが言ったそうですが、この場合の「ガイジン」とは、日本でいう“外国人(日本人ではない人)”というよりも、あるいはむしろ“他所の人”くらいの意味合いではないか、ヴィセンテ・アモリン監督が取材した日系人については、身内にこの事件にかかわりを持った人を持っている場合が多いでしょうから、とても自分らではこの事件について語れない、くらいの意味合いでそう言ったのではないかとも考えられるのですが。
ロ)「日本古来のキヨキココロ(清き心)とキタナキココロ(邪き心)の対」についてですが、
a.「日本古来」という点について、やや引っ掛かるものを感じます。
貴エントリにおいては、「神話の時代から今に至るまで、日本人は清き心を重視してきた」などと述べられているところ、8世紀に成立したとされる『古事記』にスサノヲの神話が掲載されていることをもってそのように言い切れるでしょうか(『日本書紀』に掲載の同一神話のヴァリアントからすると、必ずしもスサノヲの勝ちともいえないようですし)?
b.アマテラスが、当初スサノヲが「汚き心」を持っているとしたのは、「「私の国を奪うつもりかもしれない」と警戒し」たからであって、そうした利害に絡んだ事情を抜きにして「清き心」かどうかを云々してみても余り意味がないのではと思われるところです。アマテラスが「暴れ回る彼を愛しい弟だと云って大目に見」たのも、自分の国が奪われないと分かったからではないでしょうか?池田信夫氏が言う「動機の純粋性」とこのスサノヲの話との関係性が今ひとつよく理解できないところです(丸山真男の言葉だとのことですが、彼はどこでそう述べているのでしょうか?あるいは、「心情の純粋性」?)。
c.「勝ち組」が、自分たちは「清き心」の持ち主で相手は「汚き心」の持ち主だと規定するのは、彼らの勝手でしょうが、武器を持たない「負け組」を武器を持って粛清することは、「動機の純粋性」につながるのでしょうか?自分たち「勝ち組」の勢力が「奪われない」ようにしただけのことではないでしょうか?むしろ、そこには「行動の良し悪しや結果の妥当性を考慮する気持ち」が働いているのではないでしょうか?
d.日系人社会は、「勝ち組」の行動を、「清き心」に基づくものだとしてアマテラスのように「称賛」してきたでしょうか?仮にそうならば、関係者が皆長い間口を閉ざしてきたのは少々おかしな感じがします。「日系移民の子孫たちが戦後70年近くを経ても日本人らしい「清き心」に呪縛されている」というよりも、むしろ身内が起こしたトンデモナイ事件と言うことで口を噤んできたのではないでしょうか?

Re: 清き心と汚き心

 クマネズミさん、こんにちは。
 ご指摘いただいた点につきまして、以下にコメントいたします。返事が遅くなって申し訳ありません。
 クマネズミさんのおっしゃるとおり作品の受け止め方は様々であり、これはあくまで私としてはこう考えたというだけのことですのでご承知置きください。

イ)
 「ガイジンとは、他所の人くらいの意味合いではないか」という点については、私もそう思います。ここでの「ガイジン」に、「外国籍の人」という意味合いは薄いでしょう。
 そして日系人社会の人がいう「他所の人」とは、すなわち日系人ではない人を指すのであろうと考えた次第です。
 単に「身内のことは語れない」という意味であれば「ガイジン」という言葉を持ち出すのは(日本語としては)不自然に思いますし、身内について語りたがらないのはどこの社会にも見られることでしょうから、ヴィセンテ・アモリン監督も特に注意を向けることはなかったろうと思います。

ロ)
a. たかだか8世紀に成立した文書の記載で古来と云えるのか、という疑問ですね?
 これはもっともな疑問だと思います。ただ、日本には記紀より遡れる史料がないので、ここを議論しても仕方がないところでしょう。たしかに記紀が成立したのは8世紀ですが、そこに記載されていることが記紀成立の何世紀前から伝えられたことなのかは、私たちには判りません。たしかに古事記と日本書紀とで記述に相違がありますし、原型となる神話にはそもそも誓約(うけい)のエピソードがなかったのではないかと考える人もいます。
 ただ確かなのは、太安万侶は古事記の内容が天皇に献上するに足る記録であると考えていたことでしょう。
 新たな発見がない限り、ここを出発点とするしかないのだろうと思います。

b. スサノヲの行動については、スサノヲを何者と考えるかで解釈が異なるところでしょう。スサノヲを地方の族長と見て、彼が高天ヶ原へ向かったのを進軍とする考え方もあれば、スサノヲを嵐や暴風の象徴とする考え方もあるでしょう。
 ただいずれにしろ、スサノヲが暴れてやったことは天津罪です。アマテラスがスサノヲを大目に見たのは、自分の国が奪われないと分かったからではないかとおっしゃいますが、スサノヲの行為は数ある罪の中でも、古代人にとって大切な農耕を妨げる最も重い罪です。その罪の大きさのため、遂にはアマテラスが隠れてしまうほどです。太陽の消滅という大事件を引き起こすスサノヲが、なぜ諌められなかったのか。
 それは「自分の国が奪われないと分かったから」というだけでは済まないように思います。

c. 主人公は勢力争いのために「負け組」を粛清したのでしょうか。この主人公の行動は、ヤクザの縄張り争いと同列なのでしょうか。
 映画の中には、日本の勝ちを信じる者を詐欺に引っ掛ける人間も登場しますので、このような人間にとっては、日本の勝ちを信じる者がより多くより長く存在する方が都合がいいかもしれません。
 しかし主人公の行動原理は違うでしょう。主人公の思いを勢力争いに根差すものとするのは、私の見方とは異なります。

d. 関係者は皆長い間口を閉ざしてきたのでしょうか? ブラジルにおける勝ち組、負け組の抗争は昔からよく知られたことですし(私は小中学校の社会科の授業で学びました。先生のアドリブだったかもしれませんが)、本文からのリンク先にもあるように、歴史上の出来事として広く共有されています。負け組が別名「認識派」と呼ばれるのは、事実をきちんと認識しようという運動を展開したからで、こういう運動は口をつぐみながらできるものではありません。
 原作本の執筆者も、ヴィセンテ・アモリン監督も、無理に関係者の口を割らせて秘密のことがらを聞き出したわけではないでしょう。
 私の記事が説明不足だったようで申しわけありませんが、「この出来事はガイジンでなければ語れない」とは、「口外できない」という意味ではなく、「物語れない」つまり「客観的な出来事として、他者に伝達するような形に整理できない」といった意味であろうと思います。

ご回答に感謝

お早うございます。
大層ご丁寧なご回答を心から感謝申し上げます。
このところ、ブログのエントリに書かれている内容はそっちのけのコメントがあちこちで横行していて、コミュニケーションの場の提供という意味ではそれでいいのかもしれないものの、折角のエントリが無駄にもなりかねませんから、むしろエントリを読んだことを通知する意味を込めてクマネズミはこれまでコメントを行ってきたつもりのところ、今回のコメントもそんな観点から差し上げた次第です。
ですから、ナドレックさんからご回答をいただければそれで十分なのですが、折角ですからいくつか申し述べさせてください。
まず、先のコメントのaで申し上げたかったのは、8世紀に作成された書物に書かれていることをもって、それよりはるか昔の人々の心性を正確に言い当てられるのかどうか疑問ではないかということです。むろん、津田左右吉のように記紀の神話はすべてでっち上げにすぎないと考えるわけでは決してありませんが、そこから歴史的事実を抽出するには相当の手続きが必要なのではないでしょうか?
また、先のコメントのbで申し上げたかったのは、「清き心」「汚き心」の内実は何なのかという点です。例えば、ナドレックさんが引用されている『古事記』上巻-3の最初のパラグラフにある「無異心」について、次田真幸氏の『古事記(上)全訳注』(講談社学術文庫)では、「謀反の心など抱いてはおりません」と現代語訳されており、ここらあたりの物語は国土を巡る争いに係わるものと読めるのですが(「清き心」が「汚き心」との関係なしに存立するというのは疑問のような気がします)。
さらに、先のコメントのcで「勝ち組」と申し上げたのは、主人公タカハシに話を限定しないためで、むしろ、ワタナベ一派とでも言えばよかったのかもしれません。集団として彼らがなしたことは何だったのかということを申し上げてみたかったわけです。
なお、タカハシ個人についてみれば、確かに、その「思いを勢力争いに根差すものとする」わけにはいきますまい。でも、いくら「思い」(神国日本が負けるわけがない!)に紛れがなくとも、そのことと武器を持たない相手を日本刀で殺すこととの間には大きな溝があるのではないでしょうか(その溝を跳び越したなら、彼は自決するなど責任を取るべきではなかったでしょうか)?
最後に、先のコメントのdで「「勝ち組」の行動」と申し上げたのは、舌足らずで申し訳ありませんが、「ブラジルにおける勝ち組、負け組の抗争」という一般的なことではなく、この映画が取り上げた「臣道連盟事件」という陰惨極まる特殊な出来事のことです。この事件については、決して「歴史上の出来事として広く共有されてい」るものでもなく、関係者が長い間口を噤んできたのだと思います。

Re: ご回答に感謝

 クマネズミさん、こんにちは。
 またお返事が遅くなりまして申し訳ありません。
 いただいたコメントを受けて幾つか補足させていただきます。

ロ)のaについて
 人々の心性を正確に言い当てられるのかと云われれば、はるか昔の人々どころか現代人についてすら正確だとは断言しかねますね。それは何世紀に書かれたことをもって述べようと、付いて回るところかと思います。
 また、古事記が書かれたのは8世紀ですが、その記載内容を考案したのが8世紀というわけではありますまい。成立当時の事情が及ぼす変質もあるかもしれませんが、少なくとも8世紀までにこういう内容を伝承する文化が育まれていたことは考慮に値すると思います。

bについて
 アマテラスとスサノヲが話している「心」には、おっしゃるように忠誠心と謀反の心の意味もありましょうが、それを踏まえましても本作において「大和魂」に忠実であることを強要し、異なる言動を弄する者を「汚れた心」と断罪する行為に通じるところがあるのではないでしょうか。
 なお、本文で「キタナキココロ(邪き心)」と書いたように、私が参照してるのはクマネズミさんのおっしゃる「異心(ケシキココロ)」ではなく、その前の「邪心」の方のつもりでした。梅原猛氏はこれを「悪い心」と訳し、『日本思想体系1 古事記』では「よこしまな心」と注釈しています。「異心」については梅原氏も「謀反の心」と訳しています。

cについて
 約20万人の日系移民のうち、実に8割が勝ち組に与し、勝ち組の中心団体である臣道連盟は50を超える支部を作っていたそうですから、勝ち組を単純にひとくくりにはできないでしょうね。中には個人的な利益や権勢が欲しくて、デマを飛ばしたり搾取した者もいたかもしれません。
 それだけが動機であれば、ヤクザやマフィアと同じであり、どんなにか判り易いことでしょう。
 けれどもこの映画の作り手が伝えたいのは、日系移民の8割がヤクザまがいだったということではないでしょう。満洲事変以降、ブラジルでは排日的な政策が打ち出され、サンパウロ福音教会の小井沼國光宣教師はこれを「日本人性の根が絶たれること」[*1]と述べています。このような抑圧に抵抗する気持ちや、ブラジル政府と一緒になって日本が負けたと云う者を政府の手先と見てしまう気持ちも、考え合わせなければならないのかもしれませんね。

 なお、主人公が生きて責任を取ることを選んだのは、日本人(日系人)らしくなくて感心したところです。監督や脚本家が日本人だったら、主人公を自決させてしまったでしょう。
 かつてブラジルで排日的な政策が打ち出された理由の一つに、日本移民に同化性がないことが挙げられていますが[*2]、主人公は自決しないことで日本人性を乗り越えたようにも思います。

 [*1]小井沼國光 『ブラジル通信 第11号 サンパウロの中心から』
  http://www5b.biglobe.ne.jp/~ykchurch/sgc/brasil/brasil_11_011228.htm

 [*2]ブラジル移民の100年 第5章 ナショナリズムの昂揚と日本人移民の排斥(1)
  http://www.ndl.go.jp/brasil/s5/s5_1.html#k5_1_2

dについて
 先に紹介した『ブラジル通信 第11号 サンパウロの中心から』には、2001年に開催されたこの映画の原作者フェルナンド・モライス氏の講演会の模様や、小井沼國光氏の体験が載っています。
 そこには、80年代後半であっても日系移民が「いまは、日本が負けたことは認めるが、精神的には決して負けていないのだ」と語気を荒げたことが記されています。

 また、講演会を開いた日本交流基金の人は、かつては臣道連盟事件を取り上げた著者を交流基金から表彰したり、日本へ招待するなんて考えられなかった、いまだからようやくできるし、また作家が日系人でなくブラジル人であったからできたのだ、と話したそうです。
 フェルナンド・モライス氏は執筆に当たり、人を使って日系人100人余りにインタビューしています。
 ヴィセンテ・アモリン監督に「この出来事はガイジンでなければ語れない」と話した人は、この日本交流基金の人やモライス氏のインタビューに答えた人々と似たような気持ちだったのではないかと思います。

 一方、講演会でフェルナンド・モライス氏を攻撃した70代の男性がいたそうです。
 「なぜ、あなたはブラジル日系社会の恥ともいうべき内輪話を取り上げ暴露したのか。それはブラジル社会に日系人の恥をさらすようなものでないか。」「日系人をあそこまで追い込んだのは、日本人の問題ではなく、当時のゼッリオ・ヴァルガス体制、大統領の責任ではないか」
 この男性は、これまで事件について口をつぐんできたのでしょうし、口をつぐんでいるべきだと考えていたのでしょう。
 講演会の聴衆にはこういう人は一人しかいなかったようですが、講演会に足を運ばない人の中にはたくさんいたのかもしれません。
 この男性は発言において「恥」という言葉を使っていますが、「精神的には決して負けていない」と語気を荒げる人のことも考え合わせれば、「屈辱」と感じていたのかもしれません。

Re: Re: ご回答に感謝

クマネズミさん、こんにちは。
こちらにブラジルのニッケイ新聞の記事が掲載されてますのでご紹介します。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36051

深沢正雪記者は、本作のような映画を日系監督が撮れば、ブラジルの右翼の逆鱗に触れて日系人攻撃の材料にされる恐れがある―と述べています。この題材を映画化すれば、当時の官憲に対する批判とならざるを得ず、それはブラジルに暮らす日系人にとってタブーなのだろうと。
なるほどと思いました。
Secret

⇒trackback

  トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

汚れた心

第二次世界大戦直後のブラジル。 サンパウロ州の小さな村で暮らす日系移民たちは、日本からの情報が遮断されていたため、今なお日本軍の勝利を信じていた。 写真館を営む男タカハ...

『汚れた心』 (2011) / ブラジル

原題:  CORACOES SUJOS/DIRTY HEARTS 監督: ヴィセンテ・アモリン 出演: 伊原剛志 、常盤貴子 、菅田俊 、余貴美子 、エドゥアルド・モスコヴィス 、大島葉子 、奥田瑛二 試写会場

「汚れた心」:作られなければいけなかった映画

日本の俳優が多数出演したブラジル映画『汚れた心』。「よごれたこころ」」ではなく「

汚れた心 Coraçoes Sujos

第二次世界大戦で公式に語られることのなかった、日本の歴史の暗部がブラジル映画によって明らかにされた。現地の日系人からは、いまさら昔のことをなんでほじくりかえすのか、とい...

汚れた心

 『汚れた心』を渋谷のユーロスペースで見てきました。 (1)本作は、ブラジルの日系移民に関わる陰惨な事件を描いた作品というので、ブラジルにいたことのあるクマネズミとしては是

映画・汚(けが)れた心

2011年 ブラジル 日本語・ポルトガル語 原題 Dirty Hearts ブラジルで実際にあった事件をもとに、戦争と人間、戦争の狂気といった普遍的なテーマを正面から扱ったヒューマンドラマ...

汚れた心(けがれたこころ)

★★★★★“いい意味で今まで観た映画の中で、最も重苦しく嫌な気分にさせられました”日本の勝利を認めない人は心が汚れていると粛清される。その粛清に手を下す人、自分の近しい...

【汚れた心】敵は我らの中にある

汚れた心~ DIRTY HEARTS ~    監督: ヴィンセンテ・アモリン    出演: 伊原剛志、常盤貴子、余貴美子、菅田俊、大島葉子、セリーヌ・フクモト、エドゥアルド・モスコヴィス、奥
最新の記事
記事への登場ランキング
クリックすると本ブログ内の関連記事に飛びます
カテゴリ: 「全記事一覧」以外はノイズが交じりますm(_ _)m
月別に表示
リンク
スポンサード リンク
キーワードで検索 (表示されない場合はもう一度試してください)
プロフィール

Author:ナドレック

よく読まれる記事
スポンサード リンク
コメントありがとう
トラックバックありがとう
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

これまでの訪問者数
携帯からアクセス (QRコード)
QRコード
RSSリンクの表示