『プロメテウス』 エイリアンに反する人類の起源

 【ネタバレ注意】

 『プロメテウス』という題は、20世紀フォックスのCEOトム・ロースマンの発案だ。リドリー・スコット監督によれば、当初『プロメテウス』はジョン・ミルトンの『失楽園(Paradise Lost)』にちなんで『パラダイス』という題であったという。しかしこの題は、あまりにも多くのことを観客に知らせてしまうために変更された。ギリシア神話の神にちなんだ新しい題は、勇気を持って行動したため、ひどい罰を受ける者を表している。

 その『プロメテウス』で描かれるのは、宣伝で流れる惹句のとおりに、「人類は どこから 来たのか。」という問題だ。
 そこに、シリーズ第1作の『エイリアン』とはまったく異なる時代背景がある。

 1979年公開の『エイリアン』は、間違いなくSF映画史に燦然と輝く作品だ。
 未知の技術により、いつかどこかで作られた異星の船。コミュニケーションの断絶したエイリアン。そこには、私たち人類の知るよしもない世界に直面する衝撃があり、何も判らず翻弄される人間の矮小さがあった。SF小説ならともかく、大衆向けの映画でこれほど人間が無力に描かれるのは珍しかったのではないだろうか。
 その衝撃は、旧約聖書の『創世記』において「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と神から祝福されたはずの人間が、実は孤独で卑小な存在でしかないことを知らしめるものだった。
 だからこそ、『エイリアン』はSFだった。(科学的知見によって)伝統的な固定観念を破壊し、文化的・宗教的な足かせから人々を解放し、新たな世界、新たな展望を語るそれは、SFと呼ぶに相応しい作品だった。

 しかし『エイリアン』公開から30年以上の時が流れ、時代が要請するものは変わった。
 アメリカ同時多発テロ事件やその後の戦争の泥沼は、空想のエイリアンを持ち出さなくてもコミュニケーションがいかに難しいかを痛感させた。いまさら破壊するまでもなく伝統はヒビ割れており、かろうじて家族の繋がりが人々を支えている
 このような状況で、クリエイターが進む方向は二つある。それは新しい文化や新しいコミュニケーションを提案する方向と、破壊された伝統を復活させる方向だ。どちらが正しいというものではないし、どちらにも支持する人はいるはずだ。
 そして本作の作り手は後者を選んだのだろう、『エイリアン』で破壊したものを復活させようとするのが、その前日譚たる『プロメテウス』である。


 とりわけ本作が重視するのは宗教だ。
 主人公が身に付けた十字架、亡き父との信仰についての会話、創造主を探す旅、そのいずれもが伝統的宗教――ここではキリスト教の重要性を語っている。
 現代の日本人はあまり信仰心を自覚していないのでピンとこないかもしれないが、宗教には人々を結びつけ、社会を秩序立てる働きがある。
 たとえば伊東乾氏は、かつて虐殺で100万人もの犠牲者を出したルワンダの現状をこう紹介する。
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キリスト教の普及したアフリカ、ルワンダ共和国で中学高校生向けに授業をした際、進化論も遺伝子も子供たちが笑ってしまって、話にならないというケースを僕自身も経験しました。彼らにとっては「人類がサルから進化した、なんて考え方」そのものが滑稽であって、嘲笑の対象でしかない。ただ、そういう科学の理解にとどまる彼らを、私たち日本人は決して笑うことはできないのです。というのも、市民が市民を虐殺する「ジェノサイド」から立ち直る過程にあるルワンダ共和国では、新旧約聖書の倫理が社会をひとつにつなぎとめる決定的な鍵になっており、聖書の内容を相対化してしまうと社会全体が成立しなくなり、怨念には怨念を、という血で血を洗う殺し合いが、また再発しないとも限らない現実があるので、ことは全く簡単ではありません。
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 ルワンダほどではないにしろ、英国や米国も伝統的な価値観を重んじてきた国だ。
 世界価値観調査に基づく価値マップによれば、英語圏の国々は日本よりもはるかに伝統を重視しており、特に米国は世界的に見ても伝統を重んじる方である。
 なにしろ米国の世論調査によれば、進化論を信じる米国人はわずか39%しかおらず、過去10年間に行われた調査においても、44~47%の米国人が、神が過去1万年ほどのあいだに、人間を現在のような形で創造したと信じているというのだ。
 そんな米国の人々にとっては、とても神の創造物とは思えないようなエイリアンが跋扈する宇宙観など不愉快だろう。神は人間にすべての生き物を治めることを命じたのに、人間を打ち負かす生物が登場するなんて、許せるはずがない。
 かつて社会の伝統が盤石だった頃は、そこに一石を投じるSF映画を面白がる余裕もあった。しかし伝統が揺らいで人々が不安を覚えているときに、エイリアン映画をこれまでと同様に送り出すのは難しい。


 だから、本作はエイリアンの位置付けを根本から変えようとしている。
 本作に登場する生物学者は、彼のミッションが創造主の探索にあることを知り、「ダーウィンの進化論を否定するのか」と気色ばむ。
 そう、本作は進化論を否定するのだ。
 もちろん、エイリアンシリーズが人気を博してきた過去を思えば、いきなり『ベン・ハー キリストの物語』のような宗教映画を作っても受けないことは作り手も判っている。だから作り手は、エイリアンシリーズの特徴を残しつつ、緩やかにキリスト教的世界観との融合を図っている。

 今回舞台となるのは、地球から遠く離れた星LV223だ。
 LV223とは Leviticus 22:3、すなわち旧約聖書の『レビ記』第22章3節を指している
 では『レビ記』とは何かというと、これは神が命じたことをまとめた規定集である。この中で、神は古代イスラエルの指導者モーセに人々を集めさせ、モーセを通じて様々な規則を伝えている。
 第22章3節は、神への献げ物についてモーセに語らせた部分だ。
 「彼らに言いなさい、『あなたがたの代々の子孫のうち、だれでも、イスラエルの人々が主にささげる聖なる物に、汚れた身をもって近づく者があれば、その人はわたしの前から断たれるであろう。わたしは主である。』」
 ――旧約聖書 レビ記(日本聖書協会発行1955年版)――

 本作ではこの神の言葉のとおりに、LV223を訪れた調査団の命が絶たれる。神が作った人間の子孫であっても、勝手に近づく者は「断たれる」のだ。
 もちろん、神は誰でも死ぬとは云っていない。
 『エイリアン』がスリリングなのは、誰が犠牲になるか判らない恐怖があるからだが、本作では犠牲になる者と助かる者とのあいだに明確な違いがある。
 それは信仰の有無だ。本作で助かるのは信仰に篤い者であり、信仰を表明しない者は死ぬことになる。それによって『レビ記』の神の言葉はより正確に再現され、映画を観たキリスト教徒が納得できるようになっている。


 物語のはじめから見てみよう。
 まず本作は、どこかの惑星に降り立った異星人――通称エンジニアが、その星に有機物をもたらす場面からはじまる。その星の全生物は、エンジニアのばらまいた物質から誕生したという説明である。
 リドリー・スコット監督によれば、これは必ずしも地球の場面ではなく、エンジニアが宇宙のどこかでガーデニングをしている情景なのだという。

 問題は、物語の中盤に主人公がエンジニアの遺体を調べて発見するものだ。なんとエンジニアのDNAを解析すると、それは私たち人類のものと完全に一致するのである。
 これは本来あり得ないことだ。
 地球で生命が誕生してから40億年ちかい時間が流れている。たとえ地球の生物がエンジニア由来で誕生したとしても、長い時間のうちに自然に発生する突然変異が積み重なり、DNAはどんどん変わってしまう。時間的にも空間的にも遠く隔たったエンジニアと地球人のあいだで、DNAが一致することなどありえない。
 映画の中では、DNAについての詳しい説明はないが、たとえばミトコンドリアDNAで分類すると、現生人類はここ15~20万年のあいだに大きく4つの集団に分かれたことが判明している。
 現生人類同士ですら、たった15~20万年のうちにDNAの違いが生じるのだから、たとえエンジニアが意図的にDNAを作りだしたとしても、自分たちと同一のDNAを維持させるなんてできるはずがない。

 だが、これを説明する方法が一つある。
 エンジニアが地球の生物――少なくとも人類を創造したのは最近のことであって、まだDNAがエンジニアの意図を外れるほどには時間が経過していないと考えれば良い。エンジニアの創造が、せいぜい数万年前とすればどうだろう。
 これは進化論や古生物学を否定する考え方であり、同時に創造論者を喜ばせるものだ。


 ここでとうぜん出てくる疑問は、エンジニアとは神なのか、ということだ。
 その答えは、劇中のセリフにヒントがある。すなわち、神はすべてに超越しており、エンジニアすらも神に創られたと考えれば、エンジニアをどう描こうが神の座は揺るがない。だからエンジニアが人類の創造主だからといって、ただちに彼らを神として崇める必要はない。本作はあくまで創造主を探す旅を描いており、神を探しているのではないのだ。
 こうして映画の作り手は、エイリアンシリーズと創造論との折り合いをつけている。

 特に興味深いのは、エンジニアが2,000年前に死滅したという設定だろう。
 なぜ、よりによって2,000年前なのか。
 これも聖書に照らし合わせれば明らかだ。
 2,000年前といえば、ナザレのイエスが活躍した時代である。エンジニアが2,000年前に死滅したということは、裏を返せばエンジニアの地球訪問は2,000年前まで続き、超科学による「奇蹟」を披露していたことを示している。

 この点については、Movies.com がリドリー・スコット監督に核心を突いた質問をしている。
 「聞くところによれば、エンジニアが地球を滅ぼそうとしたのは私たちが彼らの代表の一人を磔にしたからだ、すなわちイエス・キリストは異星人なのだ、というスクリプトを書かれていたとか。そういう案を検討されていたのですか?」
 リドリー・スコット監督はこれをはっきり認めながら、「私たちは、それはちょっと明確に描き過ぎだろうと思ったんだ」と今回の映画から削った理由を説明している。

 またリドリー・スコット監督は、エーリッヒ・フォン・デニケンの古代宇宙飛行士説から影響を受けたことも認めている。デニケンの説は、聖書や神話が宇宙人の訪問記録であるというものだ。
 70年代にデニケンの説がブームになったのは、カウンターカルチャーの勃興が背景にあろう。人々の信仰する神が実は宇宙人であるという説は、それまでの伝統的な文化に反するものだったから、人々に大きな衝撃を与えたのだ。
 ところが、そんな説が陳腐になり、誰も驚かない現在では、かえって古代宇宙飛行士説が聖書や神話の記述を裏付けるものとして作用するのは皮肉である。
 本作は、古代宇宙飛行士説を唱えると同時に、信仰の重要さにも目配りすることで、人類の孤独を描いた『エイリアン』を、神が祝福してくれるキリスト教的世界観で上書きしているのだ。


 このように『プロメテウス』は、科学的知見に基づいて新たな世界や新たな展望を語るSFではなく、既存の宗教を引用することで、SFに傾倒していた人たちに伝統的文化を思い出させる作品だ。
 その意味で、『エイリアン』の方向性とは反対なのだ。

 ただしリドリー・スコット監督は、単にキリスト教の復古を狙って本作を撮ったわけではないだろう。
 それを端的に示すのは、幼き日の主人公が、父とともに訪れたアフリカで葬列を目にする場面だ。「あの人たちのお葬式に参加しないの?」と問いかけた彼女に対し、父は「信じる神が違うんだ」と答えている。
 英国の出身で、米国で映画を撮っているリドリー・スコットだが、キリスト教だけが唯一絶対の宗教ではないことは充分に理解している。世界中の人々に参加を呼び掛けて制作した『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』で制作総指揮を務めたことからも明らかなように、リドリー・スコットは世界を視野に入れているのだ。

 そんな彼の思いは、『パラダイス』と名付けられるであろう続編によって、より詳細に語られるはずだ。


プロメテウス 4枚組コレクターズ・エディション (初回生産限定) [Blu-ray]プロメテウス』  [は行]
監督・制作/リドリー・スコット
出演/ノオミ・ラパス マイケル・ファスベンダー シャーリーズ・セロン ガイ・ピアース イドリス・エルバ ローガン・マーシャル=グリーン
日本公開/2012年8月24日
ジャンル/[SF] [アクション] [サスペンス]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : リドリー・スコット ノオミ・ラパス マイケル・ファスベンダー シャーリーズ・セロン ガイ・ピアース イドリス・エルバ ローガン・マーシャル=グリーン

⇒comment

遂に日の目を見たもの

 『エイリアン』を作ったのは、頓挫してしまったアレハンドロ・ホドロフスキー版『デューン』↓のメンバーであることはよく知られている。
 http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-191.html

 この幻のプロジェクトの功績の一つは、スイスの画家H・R・ギーガーを映画の世界に引きずり込んだことだろう。『デューン』には結実しなかったが、彼の独特のイマジネーションは『エイリアン』での異星の宇宙船やクリーチャーに活かされている。

 とはいえ『デューン』のためにスケッチされながら、日の目を見なかったデザインも多い。ハルコンネン男爵家の城もその一つで、ドームの上に奇怪な顔が載ったデザインは、デヴィッド・リンチ版の『砂の惑星』とは一味違う不気味さをかもし出している。
 そのデザインを引っ張り出し、異星の構造物として登場させてくれたのは、映画『プロメテウス』の大きな功績だろう。

ムービー

私はホラー映画を見たい

Re: ムービー

ムービーさん、こんにちは。
シリーズ一作目は身も凍るような作品でしたね。
久しぶりにリドリー・スコット監督の登板なので、もしやあの恐怖が甦るかも、と思いましたが、少々趣向が違うようです。

No title

。多様性を認めてきた国(日本など)では進化論は問題なく受け入れられてきていますが、何事にも理論を介在させて白黒つけてすすむことを是とする文化の国では、多様性や最初の生命から人類までという課題ももちろん所与のものでなく議論対象になるのだなあ、と改めて実感です。それもデカルト叔父さんのおかげといえましょうか。
そんなことはわかっていたつもりでしたが、、改めて全てにおいてそうなのかもしれない、と。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
米国在住の上田尊江氏は、米国では「常識」という感覚がなく、何でも議論を要するとおっしゃっています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120725/234873/
日本でのほほんとしている私には、面倒くさそうに感じます。

ただ、日本が多様性を認めてきた国かというと疑問です。日本は同調圧力が強く、議論以前に、独自の意見を表明することが好まれないように思います。
そんな日本で進化論が問題なく受け入れられたのは、日本神話には人間誕生の説明がないからかもしれません。聖書の『創世記』では神が人間を創ったと(二回も)書かれているのに、『古事記』や『日本書紀』には人間誕生のシーンがないのです。日本人の興味は「死んだらどうなるか」という問題にばかりに向けられて、どこから来たかにはトンと無頓着です。仏教も、人間が誕生した経緯よりも「死んだらどうなるか」に重きが置かれた宗教でしょう(インドには別に人間誕生を説明した神話がありました)。

つまり日本には進化論と競合するような思想・信条がなかったため、進化論をすんなりと受け入れたのではないかと思います。

No title

とういうことを為政者側が意図して思想の輸入普及を統制で切る国である、というのなら、それもありえると思いますが、宗教と政治の分離をうたい、宗教色を表にアマリ出せない日本では、為政者側はそのようなことを強くは進められないのではないでしょうか。

基本的に日本に上陸する思想は垂れ流しであり水際で止める作戦は今のところ無いようです。
またわが国政府が宗教というか皇家と神話を守るために動くことも難しいのではと思います。ですので神話感を維持するためにそれと矛盾する説を輸入させないというのは現実には無理だったし、今後も無理なんじゃないでしょうか。

同調圧力が強く、こくみんは右に倣えでも、周りを見渡せば宗教は多様で互いに殺し合いもせず、地と天にはよろずの神々がおわしめせ、思想は輸入したものだらけ。日本の自然も多岐にわたり、多様である。そのれべるでは多様性が十分に確保できていると思います。

近年の日本は排他的になりやすいという正確は保有しているのかもしれませんが、それは本来であれば一つずつなんでも米国のように(米国に限りませんが)議論するとか物事のあり方を追求するということで解決を目指すのが一つのあり方かと。
引用された記事を批判するつもりは毛頭ありませんが、その記事こそ日本にはまだ無いような「社会のあり方」を紹介し輸入しようとする試みかと思います。そういった記事を書いて、それを読む読者が驚いてくれるという「新しさ」があるからです。

それが私たちが昔から続けてきた生き方(対中国、対欧米)、既にあるものから学ぶ(自分で定義はしない、ミッションなどそんな面倒くさいことは自分たちで作らない)。そして、それを推し進めて2000年ぐらいたった結果、江戸時代が誕生した(政権の話ではなく、庶民レベルの工夫の高さ、戦略はトンと駄目でも戦術に長けた偉人たち、武士下級階級に傑物を生み出す、など)。

私は政府陰謀説、コンスピラシーセオリーには面白いお話と思うことはあっても、そちらに傾きません。

この国では、輸入してきた思想や哲学が水際で輸入可能かどうかの判断はなく、勝手に個人が持ち込めるかと。その次が面白くて、持ち込んだ思想や潮流を巡ってわれもわれもともめ始めるのが特徴。もともとその思想(たとえば進化論)が国家レベルや哲学レベルでどう関わるかという構想敵レベルや戦略レベルでは興味が全く内、むしろ、不得意そのもの、視野の外の外、というのがわが国ではないでしょうか。
最近もヤルタ会談の内容をせっかく入手できておきながら、軍参謀本部は握りつぶしていたという事実が発覚しています。ヤルタ会談の結果がどのようなことを日本に引き起こすかという重大さが理解できない、というのが私たちの頭の中なのだと思います。それが昭和の大秀才たちだった参謀に現れてしまった、のかと。

中途半端な記述ですが、旅先なのでごめんなさい。

No title

同じ影像作家なら今は細田監督の方がなんだかすっきり心に響きます。宇宙と人類は繰り返し描かれてきたので御大をもってしても特長を際立たせるのが難しいのかな、と。第二部を楽しみと見るのか、この作品字体を完結したものとして評価するのか、それによって本策の評価も大いに変わりそうです。いまだに印象に残る場面が多々浮かびますが、なんだか人物とエピソードが多すぎてごちゃごちゃ感も強かったです。映画の最後で、関係ない人がみんないなくなり、ようやくそこから話しが始まるのか(アダムとイブ)、と。宗教と争いが好きなのか、そういう題材でスリルを描きたいのか、どっちがご本心なのかはうかがい知れませんが、この次に予定されている作品がこけたらブーイングは必死でしょう(本作品はこういう終わり方をしたわけですから)。

とはいうものの上映中は影像美を味わったと思います。
それでも、宇宙船が倒れるところなど、どうしても「銀河系ヒッチハイクガイド」を思い出してしまい(とくにあの頭でっかちのコンピューターもどきの存在)、ファンは散々いろんな作品を見てしまっているので作り手の苦労がしのばれます。

深いです…!!!

しっかり作品の肉や骨に届いて味わっておられるレヴューに素直に感銘しました。
自分が大御馳走の皮を舐めただけと気付かされましたので、もう一回劇場へ行って参ります。
牙はありませんのでしつこく舐めて、とかしてきます(笑)

この監督の

世界観には、ゆるぎないものを感じさせられました。
最近のリドリー作品には、少々物足りなさを感じていたので、面目躍如と言うか、異星人の始末をきちんとつけないとならないと思っていたんじゃないですかね。

さっさと、一応見ておこう程度の鑑賞だったので、ナドレック論を念頭において、ちゃんと見てきます。
チープ感満載の「エイリアン」はおっかないの苦手な私ですが、好きでした。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
少々説明不足だったかもしれませんね。
魚虎555さんのおっしゃる「レベル」では、我が国はほぼ何でもアリでしょう。思想や理論の普及・浸透を妨げようとする陰謀・謀略などあろうはずがありません。

米国では進化論を排除しようとする勢力が現に存在しますが、私が日本の「同調圧力」と述べたのは、特定の圧力団体を想定したものではありません。
やりとりが噛み合わないのは、たぶん魚虎555さんが「レベル」とおっしゃっているもの(私は「レイヤー(層)」と呼ぶ方が相応しいと思いますけど)が、食い違っているためだと思います。私はもっと下の方、土台に近いところのことを考えていました。

同調圧力をもたらすものは、云ってみれば空気のようなものです。
たとえば、先ごろ放映されたNHKの朝ドラ『カーネーション』に、印象的なシークエンスがありました。
戦争中、兵器等に転用するためどこの家庭も鉄製品を供出しなければなりませんでした。主人公は洋裁店を営んでいるので、家にはミシンがあります。そこで近所の主婦たちがやってきて、ミシンを供出しなさいと迫るのです。洋裁店がミシンを手放したら商売に支障が出るので、主人公は反発します。でも近所の主婦たちは、ミシンを供出しないなんてけしからんと主人公を非難します。
この主婦たちは、主人公をいじめたいわけではありません。政府に命令されてきたわけでもありません。本人たちは良かれと思って、鉄が残っている家庭を回っているのです。

現実にもこんなことがありました。
昨夏、関東では電力不足のために企業も個人も節電に取り組みました。「節電してる?」は挨拶代わりとなり、人々の共通の話題といえば、我が家の節電自慢でした。今年も節電に励んでいるご家庭は多いと思います。
先日、近所の人と話していたところ、その人はおずおずと「節電してますか?」と尋ねてきました。その人は家庭の事情で電気製品を使わざるを得ず、あまり節電できなかったのです。私が「節電できなくても仕方がないですよ」と云うと、その人はホッとしたようでした。
節電しなくたって、何も罰則があるわけではありません(電気代はかかりますが)。使用した電力量を知っているのは電力会社だけであり、誰かに監視されてるわけでもありません。なのに、その人は節電していないのが後ろめたそうでした。

第二次世界大戦が終わり、日本の指導者たちは東京裁判で責任を追及されました。
検察官は、誰が開戦を指示したのか、戦争を推進したのは誰なのかをはっきりさせようとしました。ところが奇妙なことに、日本の指導者たちは揃いも揃って「個人としては反対だった」と答えました。彼らは、三国同盟にも日米開戦にも個人的意見としては反対だったにもかかわらず、その場の空気に逆らえなかったのです。

このような「空気」については山本七平氏の研究がつとに有名ですが、当ブログでも折を見て取り上げたいと思います。


さて、本作はもともとシリーズ化を想定して構想されたそうです。そのため、敢えて一作目では解明しない謎を残すようにしたとか。ヒットして続編の制作が決定したからいいようなものの、ヒットしなかったら観客のモヤモヤした気持ちをどうするつもりだったのでしょう。
それはともかく、CGI全盛のご時世にきちんとセットを作り、CGIに頼らない映像を見せてくれたのは嬉しいところです。リアルな質感や雰囲気が感じられていいですね!

本作はもともとジェームズ・キャメロン中心に進んでいた企画をリドリー・スコットが引き継いだものなので、二作目も彼が続投すると思います。公開が待ち遠しいです。

No title

「もともとジェームズ・キャメロン中心に進んでいた企画をリドリー・スコットが引き継いだ」ということ。合点がいきました。あの違和感はそれだったのですね。疑問がひとつ消えました。ありがとうございます。

Re: 深いです…!!!

inunekoさん、こんにちは。
本文からリンクしたインタビュー記事等を読むと、リドリー・スコット監督はエンジニアたちを「ダーク・エンジェル」と表現しています。彼らは天使の位置付けだけど、明るく優しい存在じゃない、ということですね。「パラダイスという言葉は不吉だ」とも発言しているので、次回作では創造主の残酷な面が露にされることでしょう。
さてさて、どんな世界を見せてくれるのか。

Re: この監督の

sakuraiさん、こんにちは。
えぇ!『エイリアン』はチープ感満載ですか。
私は大傑作だと思っているのですが、記憶の中で美化されているかな。

記事に書いたことはあくまで私の与太話なので、面白がっていただければ幸いです。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
オリジナルのエイリアンシリーズを監督した両巨匠は、『エイリアンVSプレデター』が気に入らなかったようです。『エイリアンVSプレデター』の制作を知ってジェームズ・キャメロンは本作のプロジェクトを離れ、リドリー・スコットは『エイリアンVSプレデター』をないがしろにする本作を公開しました。
『エイリアンVSプレデター』をそんなに嫌わなくてもいいと思うんですけどね。

いやいや

すいません。
チープな傑作(?)という意味で、金かけなくてもいいのは作れるという見本のような作品ということです。
言葉足らずでした。
金がなかったら無かったなりに、あったらあったなりに、映画はできるもんだと。

最新の技術

初めまして。エイリアン、エイリアン2は大好きなのですが今作は簡単に着陸、スイスイと快適に探検、エイリアンを腹から摘出した事にあまりショックを受けない、他にもいろいろとエイリアン、エイリアン2の頃よりもリアリティが落ちてしまった様に思いました。最新の映像美は美しかったですが、30年前のエイリアンはノストロモ号内部やLV426を探索の場面など、今見ても全く劣っているとは思えないと思います。(むしろリアルに感じます)。CG等のテクノロジーは映画作りを劣化させてしまうのかもしれないと感じさせられました。愚痴っぽくてすみません。でも観終えた後はすごく熱くなりました。

Re: いやいや

sakuraiさん、こんにちは。
『エイリアン』一作目は、登場人物も少ないし、舞台も限られていますしね。
でも『エイリアン』の制作費は1,100万ドルなので、これは『ジョーズ』を大ヒットさせた実績を持つスティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』の2,000万ドルには及ばないものの、『スター・ウォーズ』と同額であり、大スターを揃えた『メテオ』の1,600万ドルをやや下回るくらいなので、当時としてはそんなに低予算というわけでもないように思います。
『スーパーマン』や『スタートレック』のような超大作には敵いませんけどね。

No title

「プロメテウス」は素晴らしい、映画として筋書きも良くできてますよ。
頭の固い人が難癖をつけるのが気に入らん、進化論やビッグバン理論で終わっていてM理論にも入っていけないような・・・何を求めているのか?

久々に飽きない映画を観ました、ありがとう。

No title

>舞台となるのは、地球から遠く離れた星LV223だ。・・・旧約聖書の『レビ記』第22章3節を指している。 ・・・
>「彼らに言いなさい、『あなたがたの代々の子孫のうち、だれでも、イスラエルの人々が主にささげる聖なる物に、汚れた身をもって近づく者があれば、その人はわたしの前から断たれるであろう。わたしは主である。』」
>この神の言葉のとおりに、LV223を訪れた調査団の命が絶たれる。神が作った人間の子孫であっても、勝手に近づく者は「断たれる」のだ。

なかなか奥が深いですね。そういえば、生き残る女性は十字架を身につけることにこだわっていました。

トラックバックありがとうございます

キリスト教史観で書かれているので楽しくよませていただきました。ただ気になったのがいくつかあったのお聞きしたいのですが、

>未知の技術により、いつかどこかで作られた異星の船。コミュニケーションの断絶したエイリアン。そこには、私たち人類の知るよしもない世界に直面する衝撃があり、何も判らず翻弄される人間の矮小さがあった。SF小説ならともかく、大衆向けの映画でこれほど人間が無力に描かれるのは珍しかったのではないだろうか。

ということですけれども、『エイリアン』以前にも『宇宙戦争』や『禁断の惑星』など私たち人類の知るよしもない世界に直面する衝撃があり、何も判らず翻弄される人間の矮小さがある映画、または人間が無力に描かれる映画は枚挙に暇がないと思うのですがどうでしょう?
またコミュニケーション不可能なモンスターというのも珍しくはないと思うのですが?

>だからこそ、『エイリアン』はSFだった。(科学的知見によって)伝統的な固定観念を破壊し、文化的・宗教的な足かせから人々を解放し、新たな世界、新たな展望を語るそれは、SFと呼ぶに相応しい作品だった。

ということですが、まず『プロメテウス』も『エイリアン』もSF映画であることは自明の理だと思います。そもそもSFとは、未来的な科学技術を強調することで見世物的な〝驚き〟を与えるジャンルの総称であり、人間が自然を支配し、操作し、作り上げたこと(つまりは神の意志に従った結果)の歓び、あるいは驚きを前提としています。
そのため科学賛美を強調する「SF」というジャンルは、極めてキリスト教的なジャンルであるというのが一般論としてありますし、上記のようにアンチ・クライストのような化け物(エイリアン)が登場し、科学によって、あるいは女によって化け物を退治するという構図も極めてキリスト教的と言えます。また欲望的で卑猥な男たちが次々と殺されていくというのもキリスト教的なものです。
『エイリアン』は従来の伝統的価値観にのっとりながら、当時絶頂期であったフェミニズム的要素を取り入れた保守的な作品としてみなされるのが一般的だと思いますがどうでしょう?
そして『プロメテウス』が信仰のある者が助かるということですが、これは映画草創期から描かれる約束事であって、スラッシャー映画にも見られることですから、とりわけ『プロメテウス』が珍しいわけでもないし、回帰しているわけでもないと思うのですがどうでしょう?

>そんな米国の人々にとっては、とても神の創造物とは思えないようなエイリアンが跋扈する宇宙観など、噴飯ものだろう。神は人間にすべての生き物を治めることを命じたのに、人間を打ち負かす生物が登場するなんて、許せるはずがない。

ということですが、キリスト教の方々は、神を信じながらもドラキュラやフランケンシュタインを楽しんできたという歴史を持っています。他にも人間を打ち負かす存在に魅了され、世界終末的な結末にも興奮してきましたが、その辺はどうでしょうか。

それと世論調査の話がありましたが、この辺を日本人はすぐに鵜呑みにしてしまいますが、これはどうも「信じる」「信じない」というほどシンプルな問題ではないですよね(笑)
と言うのも、一般的な欧米人の解釈としては、「キリスト教を信じています。神も信じています。ただ、神は死にました」というのが一般的です(笑)
よくジョークでも使われますが、「私は天地創造を信じています」「では進化論は信じないのですね」「えぇ、もちろんですわ」「では進化論を根拠づける化石が発掘されたことについては?」「もちろん事実だと思いますわ」というのとよく似ています。
進化論を「信じない」のと「認めない」のとは異なりますからね。欧米人から「進化論は信じないけど、事実だと思う」という話は私もよく聞きます。

神話

私は、人類の起源をギリシャ神話からのアナロジーでデフォルメしたものだと思っていました。ところが、「人類を生み出しながら、なぜ滅ぼすのか」という、一神教的な疑問に陥っています。
ギリシャ神話なら、人類を生み出した神の動機と、人類を滅ぼそうとする神の動機の相克を背景にすればいいはずです。アンドロイドを受け入れる人間と、受け入れない人間の対立を描けば意味深くなるのにと思いました。
動機的な相互作用が曖昧になってしまったのは、一神教的な思惑があったからなのでしょうか? 「エイリアン」では、単純に生存本能の対立があっただけです。
リドリー・スコットは、まさか、「エヴァンゲリオン」に刺激されたなんてことはないでしょうね。

Re: 最新の技術

tmさん、こんにちは。
お気持ちは判ります。
『エイリアン』の登場人物は通りすがりの貨物船の乗員でしかありませんが、今回は各分野から選りすぐったエキスパートでしょうから、肝は据わっていたのかも:-)
映像技術はここ30年で飛躍的に向上しましたが、見せ方のセンスは技術の良し悪しとは別なんだと痛感するところですね。

Re: No title

未記入さん、こんにちは。
残念ながらコメントの趣旨がよく判りませんでした。
本作とM理論に何か関係があるのでしょうか?

Re: No title

iinaさん、こんにちは。
日本の映画でも、お守りを大切にする主人公がいますね。
こういうところに作り手の文化的背景が窺えて面白いです。

Re: トラックバックありがとうございます

ヒッチさん、コメントありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ありません。
『文学金魚』の批評もたいへん面白く読ませていただきました。異形の子を孕んでしまい、自分の腹からおぞましいモノが出てくる、という『ザ・フライ』での悪夢を、本作は夢ではなく現実として描写し強烈な印象を残します。私が記事で取り上げなかったその点に着目したボディ・ホラーに関する論考を、とても興味深く読ませていただきました。

ところで、ヒッチさんからいくつか質問をいただきましたが、私こそ教えていただきたいことがございます。不勉強で恐縮ですが、お付き合いいただきたく存じます。

まず、ヒッチさんのコメントや批評を拝見して、どうやら私とはSFの捉え方が違うように思いました。
「SF」と「SF映画」とは分けて論じるべきかもしれませんが、私はSFを映画媒体で表現したものがSF映画だと考えていますし、ヒッチさんのコメントでもSFについて語っていらっしゃいますので、以下、SFのことを中心に進めさせていただきます。

SFとは何ぞや、という議論は私の手には余りますが、一応私の考えは、拙い表現ながらも記事本文に書きましたように「(科学的知見によって)伝統的な固定観念を破壊し、文化的・宗教的な足かせから人々を解放し、新たな世界、新たな展望を語るもの」というものです。
一方、ヒッチさんはSFを「未来的な科学技術を強調することで見世物的な〝驚き〟を与えるジャンル」であり、「科学賛美を強調する」「極めてキリスト教的なジャンル」と述べられています。
SFには多様な面があると思いますが、そのような定義は初めて知りました。

はたしてSFとは、科学賛美を強調する極めてキリスト教的なジャンルなのでしょうか。
たしかにSFが盛んな国では、往々にしてキリスト教徒が多数を占めております。しかし、それはSFがキリスト教的というよりも、産業革命による工業技術の発達とSFの興隆が密接に関わるためであり、産業革命の広まりとキリスト教圏が重なっていたからでしょう。

SFの成り立ちを振り返れば、SFの父ジュール・ヴェルヌは新型爆弾の恐怖を描いた『悪魔の発明』で科学技術の発達に警鐘を鳴らしていました。
H.G.ウェルズは火星に運河があるという説を背景に『宇宙戦争』を執筆しました。神から「すべての生き物とを治めよ」と祝福されたはずの人間が、さらに高等な生物に蹂躙され、食料扱いされる『宇宙戦争』は、19世紀のキリスト教社会に対する痛烈な皮肉でありましょう。
先ごろ映画化された『ジョン・カーター』の原作「火星シリーズ」では、人種差別が合法的な米国社会に向けて、卑劣で腐った白人を高貴な黒人が支配する世界が語られ、人々が絶対視する神の欺瞞も描かれました(映画『ジョン・カーター』がヒットすれば、続編には黒人貴族が登場したはずなのですが……)。

かようにSFはその誕生の頃から強い風刺性と批評性を有しており、各時代の科学的知見をもって旧来の常識に疑問を呈すると共に、その批評性は科学技術そのものにも向けられていたと思います。
それは、科学技術の急激な進展が人々の知見を塗り替えることで生じる驚き、喜び、恐れ等々がSFを発生させたからではないでしょうか。
以前の記事に書いたように、昨今は「恐れ」の部分を強調し、科学技術の発達を否定的に捉える作品が目に付くように思います。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-38.html

また、キリスト教徒が多数を占める国では、当然のことながらSF作家もキリスト教徒であったりするので、キリスト教は多かれ少なかれ文化的背景として個々のSF作品に(「SFに」ではなく)影を落としています。
ですが、それは何もSF作品に限らないでしょう。
クリスチャン・サイエンスを信奉する家庭に生まれたフィリップ・ホセ・ファーマーがしばしば宗教をテーマにしたのも、モルモン宣教師であるオースン・スコット・カードの描く人物が時に宗教的であるのも、作家個人と信仰の関係から来るものであり、SFがキリスト教的とは云えないのではないでしょうか。

これは、キリスト教徒が多数でない国、たとえば日本の事情を考えれば判り易いでしょう。
私が好きな日本のSFは、ありきたりですが『果てしなき流れの果に』や『百億の昼と千億の夜』でして、作者の広い視野には宗教も収められているでしょうが、その作品がキリスト教的とは思いません。
ヒッチさんがキリスト教的な例として挙げた化け物退治や欲望的で卑猥な男たちが殺されるような物語は、神話・説話の時代から世界に存在しており、特にSFとだけ結び付けられるものではないと思います。

このような私の考えについては、「そんな人もいるのか」くらいに思っていただければ結構なのですが、ヒッチさんにお尋ねしたいのは、

>科学賛美を強調する「SF」というジャンルは、極めてキリスト教的なジャンルであるというのが一般論

という点です。
寡聞にしてこの一般論を存じ上げなかったのですが、この論はいついかなる手続きで成立したのでしょうか?
相対性理論に「特殊」と「一般」があるように、世には特殊なものと一般的なものがありましょう。特殊相対性理論が限定的な条件下での事象を扱うことから比較的簡単なのに対し、一般相対性理論はあらゆる事象を扱わなければならないので、より高度に、より難しくなります。
同様に、私のSFについての考えは私だけの特殊なものでしょうから、SFについての一般論にはたいへん興味があります。
この点についてご教示いただければ幸いです。


さて、私の考えの総論は以上のようなものですが、ご質問いただいた点について補足しておきます。

>『エイリアン』以前にも『宇宙戦争』や『禁断の惑星』など私たち人類の知るよしもない世界に直面する衝撃があり、何も判らず翻弄される人間の矮小さがある映画、または人間が無力に描かれる映画は枚挙に暇がないと思うのですがどうでしょう?

>またコミュニケーション不可能なモンスターというのも珍しくはないと思うのですが?

例示された映画『宇宙戦争』や『禁断の惑星』もたしかに人類の知るよしもない世界に直面する話であり、人間は矮小に描かれておりましょう。
ただ、私がとりわけ『エイリアン』に注目するのは、『エイリアン』で遭遇する異星人が文明人ではないからです(『エイリアン』のタイトルロールたるエイリアンは、死せるスペース・ジョッキーのことではなく、ノストロモ号の乗組員を襲う出っ歯の怪人を指すという認識でいいですよね?)。
『宇宙戦争』や『禁断の惑星』の異星人、異星文明が、いかに現代の地球人から見て途方もないものであったとしても、それは高度な文明なのですから、地球人も文明を発達させればいつかは彼らと並び立てる可能性がありました。
しかし、エイリアンは文明を築いた形跡がありません。それどころか、高度な文明を有していたであろうスペース・ジョッキーが、エイリアンのために死亡したようでもある。映画公開時より100年以上未来の文明人であるノストロモ号の乗組員たちも、文明の利器を駆使していながらエイリアンを退治できません。
エイリアンは文明人ではないのに、隠れ潜んだり不意を付いたりと知恵が回るのです。

『宇宙戦争』や『禁断の惑星』のような驚くべき異星文明の役割を、『エイリアン』ではスペース・ジョッキーが担っています。その高度な文明人を非文明人が打ち負かす点で、『エイリアン』は『宇宙戦争』や『禁断の惑星』が与えた衝撃をさらに上回る衝撃を与える作品なのではないでしょうか。

翻って、ゴジラやブロブのような怪獣は、コミュニケーションを取ろうにもそもそも知性がなく、自然の猛威を象徴させたという日本神話のヤマタノオロチや、ギリシア神話でアンドロメダを襲う海の怪物に連なるものでありましょう。それらの怪獣は英雄が退治するものであり、「文明人」対「非文明人」という構図とは一線を画します(ゴジラもシリーズを下ると吹き出しで喋ったりしますが、そこには言及しなくていいですよね。また私がエイリアンシリーズではなく一作目の『エイリアン』に限って論じているのは、『エイリアン2』になるとエイリアンが怪獣扱いされているように思うからです)。

前述のように、私はSF全般がキリスト教的であるとは思いませんが、『エイリアン』はキリスト教的な読み解き方が可能だと考えています。
それは、「科学によって、あるいは女によって化け物を退治するという構図」や「欲望的で卑猥な男たちが次々と殺されていく」という要素からではなく、『エイリアン』が『エクソシスト』に代表されるオカルト映画ブームの直後に位置するからです。
キリスト教徒が悪魔(メソポタミアの魔神パズズ)に襲われる『エクソシスト』は、まさに「キリスト教文明」対「非キリスト教文明」の戦いを描いた映画でしょう。そしてオカルト映画ブームの中で、悪魔を体内に宿してしまうパターンが繰り返し描かれ、とうとう悪霊の胎児が成長する『マニトウ』にまで行き着いた上で、体内から非文明人が生まれる『エイリアン』が登場します。

このポジションは、過去の『宇宙戦争』や『禁断の惑星』とは異なるものだと思います。


>『エイリアン』は従来の伝統的価値観にのっとりながら、当時絶頂期であったフェミニズム的要素を取り入れた保守的な作品としてみなされるのが一般的だと思いますがどうでしょう?

前述のように、私は『エイリアン』がキリスト教的な伝統的価値観を脅かす作品だと捉えており、また、フェミニズム的要素を取り入れたことで当時としては「新しい」作品だと思うのですが、ヒッチさんのおっしゃる「保守的」とはどういう意味でしょうか?
さらに「一般的」とは、どのような状態を指すのでしょうか?


>そして『プロメテウス』が信仰のある者が助かるということですが、これは映画草創期から描かれる約束事であって、スラッシャー映画にも見られることですから、とりわけ『プロメテウス』が珍しいわけでもないし、回帰しているわけでもないと思うのですがどうでしょう?

これは『エイリアン』を伝統的と見るかどうかの違いですね。
私はSFが必ずしもキリスト教的な伝統的価値観を体現するものとは考えておらず、その延長上で『エイリアン』を捉えています。
『エイリアン』を非伝統的と見ているので、映画草創期からの約束事を描く『プロメテウス』は伝統に回帰するものと捉えたわけです。

そもそも今回の記事を書いたのは、『エイリアン』がとてもSFらしかったのに(『エイリアン』が星雲賞を受賞したのは、多くのSFファンがそう感じたからでしょう)、『プロメテウス』にはさほどSFっぽさを感じないことがキッカケでした。
ヒッチさんのおっしゃるようにSFが「未来的な科学技術を強調することで見世物的な〝驚き〟を与えるジャンル」であれば、たしかに「『プロメテウス』も『エイリアン』もSF映画であることは自明の理」でしょう。
ですが、NHKの朝ドラまでが宇宙旅行を描く時代に、伝統的な固定観念の破壊もなく、文化的・宗教的な足かせからの解放もなく、新たな世界、新たな展望を語ってもいない『プロメテウス』は、私にとってのSFではありませんでした。


>キリスト教の方々は、神を信じながらもドラキュラやフランケンシュタインを楽しんできたという歴史を持っています。他にも人間を打ち負かす存在に魅了され、世界終末的な結末にも興奮してきましたが、その辺はどうでしょうか。

ドラキュラやフランケンシュタインの怪物は、神への信仰を強調するものですよね?
ドラキュラが十字架に弱いなんて話は、キリスト教徒でない者にはギャグですが、連綿と続いたドラキュラ人気はそれがキリスト教徒にとって一定の説得力を持つことを窺わせます。
また、生命を創造したヴィクター・フランケンシュタインが、みずから生み出した怪物に翻弄され命を落とす物語は、神の領域に手を出すことを強く批判するものでしょう。
その意味で、『フランケンシュタイン』をSFに含めるならば、キリスト教的でありながら科学技術に懐疑的な作品であるとは云えると思います。


>それと世論調査の話がありましたが、この辺を日本人はすぐに鵜呑みにしてしまいますが、これはどうも「信じる」「信じない」というほどシンプルな問題ではないですよね(笑)

世論調査も何も、日本人は何でも鵜呑みにしますね:-)
でも、せめて物事は数字に基いて考えたいところです。数字のない議論は個人的な経験談の域を出ませんし、その妥当性を他者が検証することもできません。

ところでヒッチさんは「欧米人」という括りで書いてらっしゃいますが、「欧米」はいささか範囲が広すぎるのではないでしょうか。
私も「東洋」と比較するときには「欧米」とか「西洋」と表現することがありますけど、宗教や価値観について述べる際には、せめて「ヨーロッパ・カトリック圏」と「ヨーロッパ・プロテスタント圏」と「英語圏」くらいには区別したいと思います。これは記事本文からリンクを張った世界価値観調査に基づく価値マップでの分類ですが(すいません、世論調査で)。
英語圏に比べるとヨーロッパ・カトリック圏はずっと世俗的で、ローマ教皇ですら進化論を否定してはおりません。ヨーロッパ・プロテスタント圏はさらに世俗的です。
他方、英語圏はこれら二つの文化圏に比べて伝統的であり、特に私が紹介した米国は英語圏の中でもより伝統的な傾向にあります。もちろん、創造論を信じているのは米国人の44~47%とのことですから、ギリギリ過半数ではありません。それでも他の先進国からすると、ギョッとする数字だと思います。
またリンクをたどっていただければ判るように、米国人が進化論を信じるか否かは教育の程度に大きく左右されます。少なくとも大卒以上では過半数の人が進化論を信じており、大学院の卒業生になれば大半の人が進化論を信じています。
というわけで、ヒッチさんが「進化論は信じないけど、事実だと思う」という話をよく聞かれるのは、もしかしたらヒッチさんの接する人の文化圏や教育の程度に関係する可能性もあると思うのですが、いかがでしょうか。

Re: 神話

zombieさん、こんにちは。
本作は題名が「プロメテウス」ですから、誰しもギリシア神話との関連を考えますよね。
でも記事冒頭に書いたようにこの題名は後から付けられたものなので、ギリシア神話にはあまりこだわらなくていいのかなと思います。
「一神教的な思惑」というか、英米では文化的バックボーンとしてのキリスト教は無視できないでしょう。

どうなんだろう

信仰心の篤い者が生き残っている?
プロメテウスのノヴェライズではショウは無神論者であると書かれていますよ。最終的に生き残ったのが無神論者のショウと信仰心の無いアンドロイドのディヴィッド8だからなぁ~

DNAが完全に一致っていう部分も、そもそも地球人と体長や目の構造、など遺伝子の表現型が明らかに異なるので、誇張表現であって恐らくDNAの基本構造が一致したって意味じゃないかな~

信仰心が有る人、無い人、誰でも気にせず見れるようにダブルミーニングな作りになっているんだと思う。大抵の映画がそうであるように思えるし~

Re: どうなんだろう

通りすがりさん、こんにちは。

>プロメテウスのノヴェライズではショウは無神論者であると書かれていますよ。

それはそうでしょうね。
人類が神により1万年前に創られた確信しているような創造論者だったら、3万5千年前の遺跡を研究したり、宇宙船に乗って創造主に会いに行ったりしないでしょうから。
だからこそ十字架を大写しにしたり、意味ありげな映像を配置しているのでしょう。

ダブルミーニングというか、誰もが楽しめるように配慮しているんでしょうね。

No title

コメントの返信ありがとうございました。

全てにお応えしていると大変なに長くなってしまいますし、直接お話しできない分、誤解などが生じてしまいますので、ここは私が述べたかったことをまとめておきます。

まず私が「一般的」という言葉を使ったことについてです。ここでの一般的とは、先行研究のことをさしています。
つまり映画研究においてすでに「SF映画とは何か」やSFの特徴や魅力、キリスト教との関連について語られていますので、今回のコメントではそれらを参照したまでです。
ちなみにSF映画が科学技術を賛美しているというのは、科学技術の発展を批判的に見る作品であっても根底では「科学技術の発展」=「科学賛美」の世界が前提となっている、という哲学的な論からの参照です。
またSFがキリスト教的というのは、産業革命がキリスト教的という論に基づいています。これはキリスト教史でもしばしば登場する定説なので、これ以上の説明は割愛します。
それとSF映画の定義ですが、これは『フィルム・スタディーズ辞典』の「SF映画」の項を見ていただければと思います。

私がコメントで申し上げたかったことの根底には、ナドレックさんの文章があまりに断定的で、先行研究や他の意見を一切排除する勢いにあふれていた、という想いがあります。

例えば、
「そんな米国の人々にとっては、とても神の創造物とは思えないようなエイリアンが跋扈する宇宙観など、噴飯ものだろう。神は人間にすべての生き物を治めることを命じたのに、人間を打ち負かす生物が登場するなんて、許せるはずがない。」
「SFに傾倒していた人たちに伝統的文化を思い出させる作品だ。」
など、言いたいことはわかるのですが、私には、本当にそんなに断定できることなのか、という疑問が浮かんでしまいました。
解釈の内容は自由なのですが、文章として掲載する限り、ある説得力がものを言いますし、あくまで一つの解釈であって、作品を読解する方法論の一つにすぎない、という低姿勢の思いがないと、根拠のない自己発散になってしまう危険性があると私は思っています。

なのでSF映画やキリスト教観、『エイリアン』への評価にしても、個人的な視点で述べると非常に誤解を生むと思いますし、誤った認識を与えてしまう可能性があると思うのです。

これはナドレックさんだけでなく、私も常々気をつけなければいけないと思っている事柄です。
ただナドレックさんの述べていることは面白い解釈だと思いますし否定しているわけではありません。ただ、あまりに多くの側面や考え方、意見を考慮せずに大胆に論じているところがあると思います。もちろん、それがナドレックさんの文章の面白さの一つだとも思うのですが。

無神論者…

はじめまして、プロメテウスの解説、興味深く読ませていただきました。
無神論者で思い出しましたが、コンタクトというSF映画でも腑に落ちなかったのですが、
神を信じるか否かで、主人公はワープ装置に乗れませんでした。
結局2号機に乗れたんですが、余分に付けた座席が外れる事故を、
ネックレスを取ろうとして助かるシーンがあり…十字架?お父さんの形見だったか
記憶にありませんが、主人公が父子家庭に育った娘であるところも似ていますね。
…現実でも無神論者はロケットに乗せてもらえないんでしょうか。

Re: No title

ヒッチさん、こんにちは。
再度のコメント、感謝致します。
コメントを拝見して、新たに気づくものがありました。ありがとうございます。
ご紹介いただいた『フィルム・スタディーズ事典』の「SF映画」の項は、sense of wonder を「驚きの感覚」と訳したりと翻訳に気になるところはあるものの、『SF百科図鑑』の映画の章と読み比べたら面白いと思いました。

至らぬ点もあるかと思いますが、今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。

Re: 無神論者…

annyob1さん、こんにちは。
カール・セーガン原作の『コンタクト』という映画がありましたね……。すみません、ジョディ・フォスターがきれいだったことしか憶えてませんe-330

長いあいだ後進地域だったヨーロッパで科学が発展したのは、宇宙には普遍的なものがあるとするキリスト教の信仰が背景にあり、万有引力の法則で知られるニュートンも宇宙の体系は万物の主により生み出されたと考えていたそうです。
しかし時代が下れば事情も異なり、カール・セーガンは懐疑主義者として知られ、科学を「悪霊がさまよう闇の世界を照らすろうそくの光」と表現しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3#.E7.95.A5.E6.AD.B4

その彼が『コンタクト』で伝えたかったのは……あぁ、思い出せませんm(_ _)m

>現実でも無神論者はロケットに乗せてもらえないんでしょうか。

無神論者か否かは宇宙飛行に関係ないと思いますが、どうなんでしょう。
逆に宇宙飛行士が宇宙で聖書を朗読したことに対して、無神論者から「国家公務員は公の場で宗教的な祈りを捧げるべきではない」と訴訟を起こされたり、そのためにアポロ11号で月に降りたエドウィン・E・オルドリンJr.は月で聖餐式を行ったことをひた隠しにしたり、ということはあったそうですが。
http://blogs.yahoo.co.jp/gdd329bbiq/19904824.html

昨晩また…

丁寧なコメント返信ありがとうございます。
もう一度あの映像体験がしたくて、昨晩吹き替え版でじっくりと映像のみに集中してきました。
ブルーレイのBOXセットも企画されているようなので、私のようなファンも
世界にたくさん居るのでは…元祖エイリアンではアンドロイドが平凡パンチを凶器に
したのが話題になりましたが、今回は登場人物も黒人だけでなく東洋人も
キャスティングされていて、食事をするときに箸を選ぶシーンなどもありました。
彼も覚悟決めていたんですね。最後逃げ出さなくてよかったです。

Re: 昨晩また…

annyob1さん、こんにちは。
吹き替えはいかがでしたか。
私はノオミ・ラパスが日本語を話すのを見たら笑ってしまいそうに思いましたが、そんなに違和感ないものでしょうか。
最後は特攻じゃなくて、別の手があれば良かったなぁと思います。

違和感ありました…

吹き替え、違和感ありましたね。
広告戦略上のことなんでしょうが、
コアなファンにとっては(逆にミーハーですね)
そんなこと、気にはしないのですが…
ブレードランナーでも、変な日本語が流れたり
漢字が間違っていましたし、ブラックレインでも
日本人俳優が出ていなかったら、もっと大変なことに
なっていたでしょう。
スコット監督は完璧主義と思っているのですが、
突然こだわりがすっ飛ぶところも多々ありますね。
日本人の声優チェックなど気にはしていないんでしょう。

2度目で印象に残ったのは、船長のキャラクター説明は、
わりと丁寧に描かれていたかもです。
ツリーを飾るとか、骨董品のアコーディオンを演奏しながら、
疑惑の彼女にロボットかと聞くシーンなどですが、
元祖エイリアンの大企業の正社員船長とは違うようです。

エイリアン2では頼りないと思っていた軍の隊長は、
最後エイリアン道連れに自爆してますし…。

そこで最後の特攻のシーンを考えてみました。
船長は元軍人(エンジニアの生物兵器を直感してます)、
お供のやたら賭けにこだわっていた二人(船長の命令に忠実)は
元部下で、過去船長に命を助けられて恩義を感じている…
こんなんで、どうでしょうか?

先日、見てきました。

 はじめまして、
先日、公開終了日、ぎりぎりに見てきました。
 結果からいうと、満足の一本でした。
エイリアンのシリーズは、どれも、リドリースコットの手を離れた
作品ばかりだったので、
 エイリアン・ワールドのリドリースコットによる、正当なシリーズ物と
私は、捉えました。
 エイリアンに出てきた、エイリアンじゃない宇宙人(本作でのエンジニア)
が、実は、スーツを着ていたというアイデアは既に知っていたので、
あんまりサプライズはなかったものの。
 後で、色々宗教的にも、SF的にも考察が可能な
よく出来た脚本だったと思いました。
 デザイン的(プロダクションデザイン全般)には、プロメテウス号
以外は、もう一つだったかな、、。
「エイリアン」から、「ブレード・ランナー」もプロダクション・デザインに
は凝るリドリースコットなので、、。
 エイリアンについての設定というか、"いきさつ"なんかは、
一応、破綻なく納得いくものでしたが、
 エンジニアと人類の関係、
エンジニアの目的、またエンジニアそのものについての
設定の作り込み方は、ちょっと未消化でした。
最初から、続編を意識したかのような、内容でした。
 
 ナドレックさんにとっては、もう過去の作品になるかもしれませんが、
コメントを書き込ませるぐらいの作品だったと思い
お許しください。

Re: 違和感ありました…

annyob1さん、こんにちは。

> 船長は元軍人(エンジニアの生物兵器を直感してます)、
> お供のやたら賭けにこだわっていた二人(船長の命令に忠実)は
> 元部下で、過去船長に命を助けられて恩義を感じている…

その設定、イイですね!
たしかに本作の船長は人間臭くて、理詰めで考えるよりも行動しちゃう雰囲気があり、最後の特攻に説得力を持たせていましたね。
あの三人の前日譚も見てみたい気がします:-)

外国映画が描く日本は、いまだに日本人が見ると変だったりしますが、まぁお互い様なんでしょうね。
日本映画を世界で大ヒットさせて、日本人が描いた日本を各国の観客に見せればいいのでしょう。

Re: 先日、見てきました。

才さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
リドリー・スコット監督らのインタビュー記事を読むと、本作はわりと早い段階から続編(というか新シリーズ)を作れるように考えていたようですね。
なので、本作だけでは消化不良になるのもやむを得ないでしょう。

プロダクション・デザインは、たしかに『エイリアン』や『ブレードランナー』にはじめて接したときのような衝撃はありませんが、先のコメントに書きましたように『デューン』で日の目を見なかったデザインを生かしてくれたのは良かったなと思います。

No title

目から鱗が落ちました
ありがとうございます

No title

上の者ですが、米国のブルーレイで未公開映像を観ました。
削除シーンや差し替えシーンの数々には、冒頭の滝のシーンで登場人物が増えていたり、ウェイランドとエンジニアの間で会話があり何故エンジニアーが怒ったのかがとても明快になっており、ナドレックさんのおっしゃっている推測が見事に的中しております。スゴイです。
削除/差し替えシーンはどれも本編に挟まっても違和感ないぐらい完成度が高く、本作はもともとこれらがあって方向性のある伏線で作っていたのに最後の最後でぶった切った感じになっていて、それが本作の不出来な感じの原因なんだと思いました。
ブレードランナーもディレクターズカットが何度も作り直されたりしてますし、これも監督の計算の内なのかどうなのか…

Re: No title

未記入さん、コメントありがとうございます。

> ナドレックさんのおっしゃっている推測が見事に的中しております。

ブログに書いたことは、監督等のインタビュー記事も参考にしています。参照記事にはリンクを張っていますので、そちらもご覧いただければと思います。

> ブレードランナーもディレクターズカットが何度も作り直されたりしてますし

本作もディレクターズカット版が作られたりするかもしれませんね。
続編公開後に、全体を再編集し直したりして……。

No title

コミュニケーションがいかに難しいかというよりも
人類が劣化して昔は出来たコミュニケーションが今は人相手に出来ない
それは理解しあう姿勢が無いから

No title

「同調圧力」と言うのか分からないけれど
どちらか一方をえこひいきする傾向がとても強いと思います
例えば、もしも一方を善とするならもう一方を悪として絶対に訳も聞かずにたたこうとします
ミシンの話でもそうですが善悪観念が一方的で相手に耳を貸さないと思います
犯罪者がいるとみんなで厳罰にしろとの大合唱
欧米何かでは、犯罪者になった側にも耳を傾けようとする人もいます
これがいじめっ子に対する日本的行為だと思います
関係持ってそうな人を殴って暴力事件を起こしたり

体罰でも、体罰が悪だったらみんなで体罰を肯定する人をやっちまおうぜって雰囲気になりますし
体罰肯定が今の正義だったら否定する人をやっちまおうぜって雰囲気になります

「同調圧力」と言うか、相手の個人の否定が大好きな気がします
正論を持ち出して誰かを否定する正義感
否定されるとそれがないと困る弱者なんかには格好の的になります
鬼の首を取ったかのように

相手を個人個人理解する気持ちの無さではないでしょうか
ミシンの話でも本当は自分に相手に対する理解や思いやりが無いのに
ミシンを出さないその相手が思いやりが無い事にされてしまう

もしも自分の理解できない相手と出合った時にそれを理解しようとする気持ちを持っていればそうはならないでしょうけど
でも自分の理解できない相手と出合った時、周囲の常識を使っていかに相手を否定するかを考えます
ネット的にいえばいかに論破するかを考えます

No title

さらに思う事は、日本は人生がベルトコンベアのレールのようです
生まれたらまず、この年齢になったらこの年齢の多数派の常識である物事を求めたり、その立場になり
次のこの年齢に達したら、これをしてこれを求める
全てが支配されているかのように決まっていて
それ以外の行動が許されない
仮にそこから逸脱したものを求めたり、みんながその時点で手に入れてるものを持っていなかったりすると、とたんにおかしな目で見たりする

日本では多様性どころか一つのパターンしか許していないと思います


多様性に見えるのは一つのパターンを何本も持ってるから
健常者だったらこのレール
身体障害者だったら、このレール
知的障害者だったらこのレール
発達障害者だったらこのレール
お金の無い世帯だったらこのレール
お金持ちだったらこのレール
男だったらこのレール
女だったらこのレール
お年寄りだったらこのレール
若者だったらこのレール

それぞれのレールがあってそのレール毎に予定された行動なら認められ
それ以外の行動はどんな小さな事でも、変人扱いされる

昔は障害者のレールなんて無かったから、障害者というだけで変な目で見られた
現在障害者というレールが出来たので、障害者は障害者のように装う事で障害者として見られる
野口英世の手がああだった時のみんなの態度と、現在のそういう人に対する態度
の違い

でもレールなのでもしも障害者のレールにいなかったら障害者も変人扱いされる

そういうのがもっとも出るのは健常者だったりする
健常者はこの年でこうなって、この年でこれを求めるものだ
それ以外は変人で排他されても仕方ない

それが日本人の一般的な感覚

障害者が当時変な目で見られたのは、健常者のレールの上にいて周囲の健常者と同じじゃないから

でも、新たに障害者のレールというレールが出来てそこを歩いている事が自然になったから逸脱していないものとして見られる

外人が日本人に日本人から離れた行動をとって多めに見られるのは外人と言うレールだから



予定されたレールの上にいる前提で、別の道にいるなら新たにレールを引かなければいけない
そしてその新たなレールに沿って動かなければいけないのが日本の多様性

海外での多様性とは、もともと人と人は違うものだから、人と違うのは当たり前でその人個人を見るものだ

同じ「身障者を認める」でも根本的に意味が違う
日本のは認める路線が一つ追加されただけ
海外のは多様性を認めたものの一つ
視点が逆
日本のは多様性を認めないために、路線を追加しているだけで
そもそも逆

Re: No title

未記入さん、こんにちは。
連続してコメントをいただいたのは、同じ方ですよね。

たしかに日本人は多様性への理解が浅いでしょう。
それは日本人に限らないことで、どこの国でも人間なんてそう大差ないんじゃないかと思います。
そもそも人間は多様な考え方を認めるようにはできていませんし、長いあいだその必要もなかったのでしょう。
たとえば、縄文時代の集落である三内丸山遺跡。ここに人々は1500年も住んでいました。1994年に平安建都1200年の記念行事がありましたが、1200年なんて目じゃありません。ゴミ捨て場ですら1000年間同じ場所でした。何十世代もの人々が、ゴミ捨て場の位置すら変えずに小さな集落に暮らし続けたのです。はたして、ここに多様性があったでしょうか。
人類は誕生以来そのほとんどの期間において、数十~百人程度の集団で過ごしてきました。とうぜん集団の中は全員知り合いです。他の集団は敵、あるいは食料です。自集団は一致団結して他集団と戦い、食ったり食われたりしていました。団結を乱すような者がいれば戦いに負けるかもしれないので、独自の宗教や儀式等で結束を固め、異質な考え方を排除しました。宗教や儀式が違うのは敵の印です。攻め滅ぼさなければなりません。
戦いから逃げ出したり降参したりと、多様な行動を許す集団は、一丸となって攻めてくる集団に勝てるはずがありません。とっとと淘汰されてしまったことでしょう。すなわち、現存する私たちは、団結力のある、戦争に勝ち抜いた者たちの子孫であり、そういう特質があるからこそ今まで生き延びてこられたのです。
文化や歴史により程度の違いはあるでしょうが、同じ人類である以上、私たちは基本的に多様な考え方に非寛容なんだと思います。
――こんなことを考えさせてくれる進化心理学の本は面白いです。とりあえず入門書を手に取ってみてはいかがでしょう。

もちろん地域ごとの違いはあります。
たとえば――激しい宗教戦争を通して、意見の対立が戦争に結びつくことを経験した欧州。2世紀ほど前に突如建設したために、人々が共有する「習慣」や「常識」がない米国。他国との接触が限定的で、異なる意見に揉まれることなく、平和にのほほんとしてきた日本(1世紀ほど戦国時代がありましたが、あれは意見の対立ではなく、天候不順による食糧不足から生じた食糧の奪い合いでした)。――というところでしょうか。
それぞれ異なる背景がありますから、その言動に多少の違いはあると思います。

過去、日本と欧米を比べて日本人の特殊性に注目する日本人論がありましたが、実のところ日本人の特徴とされることはタイをはじめアジアの人々にも同じように見られることだったりします。西洋社会からすれば、日本は自分たちとの*差異*を知らねばならない相手でしたから、「欧米とはここが違う」という日本人論がはびこりました。その過程では、欧米と同じこと、アジアの他の国にも敷衍できることへの注目が欠けていたのかも知れません。
――という論を、橘玲氏が著書『(日本人)』の中で展開しています。これもなかなか面白い本です。

そして現在の私たちが抱えている問題の一つは、不特定多数の人とコミュニケーションを取れるようになってしまったことかも知れません。
私たちには、数十~百人程度の、全員顔見知りの村落に適応した能力しかないのに、世界のどこにでも気軽に訪問できるようになり、名前も顔も知らない不特定多数とネット越しにコミュニケーションが取れてしまう。これは人類史上初の試練です。インターネットでは、世界中の数十億人と繋がっていますし、それこそ多種多様な考え方に溢れていますから、数十人の頃のように異質な考え方を排除するなんてできません。でも異質な考え方を排除することは、私たちが数十万年かけて身に付けた特質であり、ちょっとやそっとでは変わらない。
そのジレンマが、これから私たちが向かいあう相手なのかも知れません。

No title

日本と外国とは明らかに違いがあると思います
それは違和感を感じる程
日本人はまず話している相手の話を聞かないですよね?
最初からどう対応するかは決まっているから話そのものは何かいい加減に聞いていて、受け入れる相手に内容の矛盾もお構いなしに受け入れます
でも、受け入れないと最初から決まってる人が話してもどう否定するかばかりに気が回る
外国の人は相手の話を聞いて理解してから判断する気がします

日本や韓国等のアジア諸国の中にある意思のようなもの、海外の国の中にある意思のようなもの
感じ取れます
明らかに違うと思います
違和感
日本人やアジア系の感動する話は薄っぺらいようなそんな気がします
病気で死ぬ前に感動的な行為をしたみたいな話が日本では感動して受けます
でも欧米では、「あなたをこんなに愛しているんだ」「とっても大切なんだ」と言う意思を伝える感動話が受けます
求めるものが明らかに違いますよね?
日本は物質的に何かあればそれでいい感じ
海外では心が大切

日本は相手の心なんて理解する必要が無い(=従うか逆らうかで受け入れるかを決める)かのようです
そういうのが相手を個人個人として認めない体質なのではないでしょうか?

日本人は何かが違うと思います
何でしょう?



平和の続いて来た日本といいますが、日本はそんなに気楽だったでしょうか
日本が一見争いが無いかのような歴史を歩んできたのは、お上に下のものが常に屈してきたからだと思います
ヨーロッパではもしも宗教的対立が起きれば双方は対等の立場だから争いになったのだと思います
日本はと言うとキリスト教が来ても完全に弾圧されて何もいえない状態だったはずです
農家も水のみ百姓のように一方的に支配される人たち、一揆も弾圧されて
お上には一度も勝てた事が無いのです
天皇家もずっと続いています
滅びずに
ヨーロッパの対立はその相手と相手の立場が対等だったり意見が言えた事がよかったのではないでしょうか

アジア人は確かに同じ傾向があると思います
でも欧米の人たちは傾向が違い生ますよね?
明らかに

アジア系全般的に支配側が強いと思います
欧米系は支配される側も強いと思います


そして不寛容なアジア系
寛容な欧米系
ではないでしょうか?

例えば、海外では死刑に対して反対の流れですね
でも、日本は主に死刑賛成の運動が起きますよね

ちょっと離れてみると気持ち悪い程日本人の意見はみんな一致していますよ


コミュニケーションで欧米人と日本人で一番違うのは
話をする時、相手を個人個人としてみるか、見ないかではないでしょうか

多様な考え方を認めるようにはできていないかもしれない
でも、理解しようとはするでしょう?

日本人は内容も確かめず最初から否定する為の理屈をこねます
欧米では相手のは話をまず聞いて受け入れるかどうかを決めます
もしも受け入れない時も相手を排除しようとしたりはしないでしょう
日本では何とか(その意見を)否定して排除しようとします
身内だったら粘着して考えを変えようとするか、無視する
ちょっと意見が違うだけでそうなります
意見が違うままの人が違うまま認め合え安いのは欧米だと思います
欧米ではそういう教育をしていますよね?
だから目指している先が日本と欧米では違うと思います
日本では、個人を否定してみんなで同じ意見を持つ事
欧米では、相手を個人として認め合う事
それぞれ目指しています

もしも原発事故の影響で食べ物が売れないならみんなで食べましょうという正義が出回ります
それに対して放射能があるかもしれないというのは自分勝手で許されない事になります

日本では他人に対する従属性が強いと思います
他人のする事から好き嫌い望みに至るまで全て、従う必要があります
日本人は「~しなければいけない」義務によって一生を終えてる気がします
日本人は幼い頃から「言う事を聞きなさい」「言った事だけ聞いてればいいの」と指示されます
そして自分で考えを持つと反抗とみなされ大人たちはしつけに悩みます
こんなにいう事を聞かない子供にどうしたら言う事を聞いてもらえますかと
だから自分の意思を持たないように育てられるのです

そういえば出来ない事を無理に強要して殺してしまった事件が結構ありますよね
その昔はアレルギーでも学校給食無理強いがあったみたいです
相手の意向を認めず無理やりと言うのは日本人の特有の行動ではないですか?
これは戦争のあった間では特にあったと思います
そして現代でも平然と
支配して何やれと全てを思い通りに操って用が済んだら捨てる
これは子供でも大人でも
日本人は働きすぎだとされていますよね
逆らう事の出来ない体制が出来ているからではないでしょうか

日本人体罰が問題になるとみんな一斉に体罰をした学校をたたき始めます
でもその同じ集団が子供が甘やかされてると言うとみんな一斉に体罰をどんどんしなさいといいます
しかもその殆どの人が前と自分が矛盾している事に気がついていないようです
同じような矛盾はいたるところにあります



だから欧米では異質なものでも受け入れる事を善として
日本では排除する事を善とする
根源の価値観の違い
善悪が逆の世界では同じ行動でも、魔がさしたり、誘惑に負けるからその悪い事をする
のと、そのいい事が正しい事だから良かれと思ってする
程の差があると思います

Re: No title

未記入さん、こんにちは。
こんな場末のブログへアクセスするのにTorを経由し、ハンドルすら残さないのは、さぞかしご苦労をされてきたのだとお察しします。
ただ、会話が噛み合ってないようですし、そもそも話題がずれ過ぎました。
この記事は映画『プロメテウス』に関するもので、コメント欄は作品について語り合うために設置しています。投稿する際は『プロメテウス』に関連する内容としていただきたく、またできれば読者にとって有意義な情報を提供するものであると幸いです。

と、これで終わらせてしまうと読者にとって何の情報提供もないものになってしまうので、一つだけ付け加えます。
未記入さんは、日本ではお上に下のものが常に屈してきたとおっしゃいますが、こんな事例があります。
備中国新見荘という荘園で1334年に作成された『地頭方損亡検見ならびに納帳(常用漢字にない字は平仮名にします)』には、正月二日に代官が百姓たちへ酒や肴を大盤振る舞いした記録があります。百姓に事無く年貢等を納めてもらうためには、代官側の経費で百姓に酒を飲ませることが大事だったのです。
同じころの若狭国太良荘の地頭代は、正月の酒宴の酒を百姓に渡さず、酒かすの汁しか与えなかったことを理由の一つとして、百姓によって追放されています。
この事例は網野義彦著『歴史を考えるヒント』に紹介されていますが、武家社会においても行いの悪い主君を家臣が監禁する「主君押込」という慣行がありました。
はたして、日本ではお上に下のものが常に屈する構図だったのでしょうか。

No title

もうちょっとだけお話したいです
会話が噛み合ってないまま終りにするのはいやなので
会話が噛み合ってから終えたいです



日本ではお上に下のものが常に屈する構図だったのでしょうか?
この場合、家臣が上なんですよね
善悪を決めたら、相手の言う事(言い分)なんて聞かずに一方的に悪にする
裁ける側が上ですよね
一度上下関係が出来たら上には逆らえない
日本は「同調圧力」があるってかかれましたよね
必ず正義になる側と悪になる側が日本にはいます
それで正義側は空気なんですよね
そして悪い側を正当に排除する

もしこれが相手も受け入れると言う立場だったら、相手の言い分も聞きます
そして相手に自分の言い分も言います
そしてお互い説得しあいます

相手がある行動に至ったのには、相手なりの理由があるはずですから
そこを理解しあうと言う考えが欠落していると思います

必ず敵と味方という構図が出来ます

だからただの日常会話でも、意見を言うだけでけんかになる事も日本ではしばしばあります
一般的な日本人にとって重要なのは敵か味方か
自分を肯定するか否定するか
なので

その相手が望む結果を出す為のアドバイスだったとしてもその人の言った事にただ同意しているだけでいないといけない

話をしているようで話を聞かないのが日本人だと思います
話をしているのは自分にとって同意する相手か、否定する相手かを区別する為だけのものです

主君と家臣でも主君が強ければ反抗する家臣を悪者として成敗する
家臣が強ければ主君を成敗する
強い側に絶対服従
どんな言い分があろうと、聞かないから、さもその相手が最悪の悪魔のような存在でそうされても仕方が無いかのように暴力を正当化します

どちらかが善どちらかが悪
どちらかが勝つどちらかが負ける
どちらかの意見が聞き入れられるともう一方は否定される
そう考えています
お互いの意見がお互いの利益のために協力する
理解し合う
そういう事が無い


米国では「常識」という感覚がないとかかれていますよね
相手が何を考えてるかを理解しようとしていると言う事ですよね
では日本では、相手が何を考えているかは理解しようとはしない
そうなります

えびはおいしいと言う常識
ではえびアレルギーの人が食べないでいると自分の出したえびが食べれないのか
と怒り出します
アレルギーが一般に理解されるようになるまでは平然とそういう状況だったはずです

障害者を認めてもらうには相手に自分が強者として認めるように押し付けなければいけないですよね
だから団体を作って「こうしろ」と圧力をかける

決して、強い側、上に立つ側が、相手に理解を示そうとするから理解が生まれる事がない
上に立つものの倫理と言うものがない
上にたったらやりたい放題
そして下のものも上のものに何かを強いる為に上のものになる
だからいつも関係が無理強いや命令や強制

ミシンの一例だってそうですよね
強制

必ず相手が従うしかない状況を作り出すから、従うのであって

日本人は理解しあうと言う事を一番の苦手とします

敵か味方かにする事で理解すると言う面倒な行為をしないでも社会が成立するようになっています
空気を読んで自分を殺している分には社会の一員として効率が良いと思います
でもそれについていけない人がいたら平然と悪役として成敗しますね
アレルギーで食べられない人だってアレルギーが認められなければ悪者です
日本では何か無理強いして命を落とす事件が多いですよね
当然と言う理由で嫌がってる事を無理強いする
その後おぼれてしまう




代官が百姓に酒を与え、百姓は文句を垂れず畑を耕して年貢を納めている分にはうまい事いきますが
どちらかが拒否したら悪者として追放されます
役割を演じているのです
その人たちの話には必ず相手の事情というものは出てこないですよね
必ずどちらが悪い、どちらが強制
お酒を怠ったから成敗だ
年貢を怠ったから成敗だ
もしかしたらお酒を出す事の出来ない理由があるかもしれない
もしかしたら年貢を納められない理由があったかもしれない
でもそうは考えない
そうするのが常識で出来ないはずは無い
出来ないのは相手が悪い
相手には断罪される理由がある
そうするのは当然で、そうされるのも当然
赤の他人である相手が


今の日本の関係を見てもそのままですよ
「相手が」何かするのが当然で、出来なければ悪い
相撲でそれが出来ないから逃げ出した弟子は暴行されます
暴力だからこれは目立つ
でも、何だって同じです
過労するまで働かされるのだってそう
その人がそれをするのは当然だから

米国の人が相手を動かす為にする事は理解する事と頼む事
日本人が相手を動かす為にするのは当然だと言う理由と強制
異議申し立てる権利は無い
基本は

逆に日本人は「当然」の権利を得ないと相手を何も動かす事が出来ないんですよね
日本人はそうしなきゃいけないからそうするのであって
たいていは義務感だけで生きています
一生の殆どを義務感で行動します
だから日本人の殆どはいつもため息ばかりしています



上に屈するとは常に力の強い方が正しい事になり弱い方が屈する事です

Re: No title

未記入さん、こんにちは。
会話が噛み合ってないということを、どのようにお考えですか。
私なりに、なぜ未記入さんのコメントが判りにくいのか考えてみました。


(1)論点が明確になっていない

自分の思いを書き連ねるだけでなく会話として成立させるには、自分と相手の意見の同じところと違うところを明らかにして、何を会話のゴールにするかをハッキリさせる必要があります。
お互いの意見に違いがあることを両者が理解するのを目指すのか、お互いの意見に一致する点があることを明らかにするのを目指すのか。その相違点、同意点とは何なのか。
そこを最初に書いていただけると良いと思います。


(2)言葉が明確になっていない

正義とか悪とか、上とか下という言葉は様々に受け取れますから、定義をハッキリさせるべきですし、できれば使用を避けた方がいいでしょう。
「お上に下のものが常に屈してきた」と「力の強い方が正しい事になり弱い方が屈する」が同じ意味とは、普通は思わないでしょう。大辞泉によれば「お上」とは「政治を執り行う機関。為政者」のことですので、百姓がお上にはなりません。
あとから云いかえれば済むことではないので、言葉を発する前に、それが意味のブレなく受け手に届く表現かを今一度推敲されることをお勧めします。


(3)対象が明確になっていない

コメントの中にスケールの異なることや内実の異なることが混ざっているため、何について意見しているのか判りません。
これを区別するには、まず書き手がスケールの違いや内実の違いを理解する必要があるので、すぐには区別できないかも知れません。しかし、ここを明確にしないと、そもそも何について書いているのか受け手に伝わりません。
内実が異なる例としては、未記入さんのコメントの次のことが挙げられます。

>必ず敵と味方という構図が出来ます

これは1954年にオクラホマ大学が行った集団間競争の実験が表すものですね。
『(日本人)』の88ページをご覧ください。

>強い側に絶対服従

これは集団内における序列の話ですね。
犬でもチンパンジーでも集団内には序列があります。生物の世界で珍しいことではありません。
たった二人の人間のあいだでも、序列は生じ得ましょう。たとえ地位や資産や体力が同じでも、会話するときのハミング音(500ヘルツより低い周波数の音)によって、私たちは直感的に支配する側とされる側に分かれます。
http://www.tachibana-akira.com/2012/09/4761

>米国では…相手が何を考えてるかを理解しようとしていると言う事ですよね

北アメリカの大学生とアジアの大学生に対する実験の結果は逆のことを示しています。
これは文化的な違いに関する問題ですね。『(日本人)』の115ページをご覧ください。

スケールが異なる例としては、アジア系と日本人、欧米と米国人の混乱が挙げられます。
アジア全般について語っているかと思えば、いつのまにか主語が日本人になっている。欧米と米国の使い分けもはっきりしない。これでは何について論じているのか受け手に伝わりません。


(4)論拠が明確になっていない

意見を述べる際は、その根拠や出典を明らかにしましょう。
未記入さんの具体的な経験に基づくのであれば、それを知らない人には経験内容を説明しないと理解できません。考えの基になる書籍や研究論文があるなら、書誌名等を記しましょう。
そうすることで、未記入さんの意見が誤解や思い違いに基づくものではないことが受け手にも伝わります。
単に「明らかに」とか「そうなります」と書いても、他人には明らかではないのです。


(5)背景が明確になっていない

上の(4)にも関連しますが、未記入さんの背景が判らないとコメントの受け取りようがありません。
未記入さんが「米国の人が……、日本人が……」と書いてるのは、日本人の未記入さんが数人の米国人に接した感想かも知れません。あるいは米国人の未記入さんが数人の日本人に接した感想かも知れません。読み手は、なぜ未記入さんがこのような考えを抱くに至ったかをまったく知らないので、読んでも意図が判らないのです。

もちろん経歴を披露してくれというわけではありません。ここでも具体的に参考文献等を挙げていただくことが理解の一助になるでしょう。
たとえば、本記事の先のコメントで『フィルム・スタディーズ事典』を紹介されたことがありました。あいにく翻訳が原書の魅力に追いついてないようで、事典を名乗るのはどうかと思う本でしたが、私はこの本を買って読んだ上でコメントを返しました。当然ですよね。見知らぬ者同士がWeb上で意見を交換するのですから、少なくとも知見の基になったものを紹介したり、それを読むことで理解を深めなければ、知見の上に構築されたコメントを理解できるはずがありません。

また私が與那覇潤著『中国化する日本』を取り上げた際は、当該書のみならず参考文献まで目を通した上で記事を書きました。書き手の意見を理解するには、少なくとも書き手が言及した文献の理解も欠かせないと考えたからです。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-312.html

未記入さんは、私が紹介した本を読まれましたか。そういう準備もなしにコメントを続けることを、私は「会話が噛み合ってない」と感じます。

次に挙げるのは、これまで当ブログで紹介してきたものですが、これらを読んで会話のフレームを形作るための知識基盤を共有していただければ幸いです。
 橘玲 『(日本人)』 幻冬舎
 石川幹人 『人は感情によって進化した』 ディスカヴァー・トゥエンティワン
 與那覇潤 『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』 文藝春秋
 網野義彦 『歴史を考えるヒント』 新潮社

これらの本を私が熱烈に支持しているわけではありませんが、少なくとも会話の前提となる知識を得ていただく上では格好の書です。いずれも多くの文献を紹介しており、さらなる読書への水先案内になってくれるはずです。
これらをお読みになった上で、なお会話を続けたいとご希望であれば、ブログに設置したメールフォームに投稿してください。
すでに映画『プロメテウス』とはまったく関係のないやりとりになっていますので、本記事へのコメントはご遠慮願います。

No title

うわあ、この大議論の後にコメントを付けるのは気がひけるなあ。

「プロメテウス」だと、みんな真剣に議論を戦わせていつ果てるともなく血みどろで終わらないから、ちょっと気が抜ける「プロメテウちゅ」って可愛い名前で公開したらよかったと思います。

もとい、遺伝子が同じ(もしくは類似)という事の一番のメリットは同族とみなせる範囲であるなら性交・出産が出来るという事。エンジニアに乱暴されるセロンが見たかったなあ。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
観たかったなぁ、「プロメテウちゅ」。宇宙を旅して出会ったのがハム太郎だったら衝撃でちゅ。

遺伝子が同じということの一番のメリットは、安心して食べられる……。
Secret

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プロメテウスは久しぶりのリドリー・スコット監督作品として相当に期待していたのだが、連作を意識したのかストーリーが飛躍しすぎて楽しめなかった。映像的には素晴らしかったので...

映画「プロメテウス」を観てきました…エイリアンとの関係考察(ネタバレ注意)

今さらですが、映画「プロメテウス」を観てきました。 「エイリアン」のリドリー・スコット監督ということで、予告編で初代「エイリアン」に搭乗した謎の宇宙船らしき物が登場し

映画:プロメテウス

 エイリアンシリーズの起原となるプロメテウス。予告編を見ただけでもう虜。公開が楽しみで仕方のなかった作品の1つです。

プロメテウス

科学者エリザベスは、古代遺跡に残されたサインを元に、人類の起源を探るべく宇宙船プロメテウス号に乗り、ある惑星に到着する。

「プロメテウス」

リドリー・スコット監督の最新作、「プロメテウス」(Prometheus)を見まし

プロメテウス

【監督】リドリー・スコット 【出演】ノオミ・ラパス/シャーリズ・セロン/マイケル・ファスベンダー/ガイ・ピアース/イドリス・エルバ/ショーン・ハリス/レイフ・スポール 【公開日

プロメテウス

「プロメテウス」監督:リドリー・スコット出演:ノオミ・ラパス(『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」)マイケル・ファスベンダー(『X-MEN:ファースト・ジェネレーション ...

映画『プロメテウス3D』を観て

12-71.プロメテウス3D■原題:Prometheus■製作年・国:2012年、アメリカ■上映時間:124分■字幕:戸田奈津子■観賞日:9月1日、TOHOシネマズ渋谷 □監督・製作:リドリー・

プロメテウス

リドリー・スコット監督自身が、自ら「エイリアン」の前日譚を描くという事で少し興奮気味に借りてきました。 世間では酷評だったようなのですが、あれだけいわれていた「人類誕生

プロメテウス

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆」  知ってどうするんです?  多分、そこが人間とロボットの違いなのかも。  公開時からいろいろ賛否両論だった映画。『エイリアン』や『アメリ

『プロメテウス』(2012)

幾つもの古代遺跡に共通する壁画を発見した考古学者のエリザベスは、これを宇宙からの招待状だと捉える。ウェイランド・コーポレーションはこの”人類の起源を探る旅”に出資、エリ...

プロメテウス IMAX-3D/ノオミ・ラパス

そんなに先行公開を早くから何回もやるのであればさっさと本公開してしまえばいいのにと思うのですが、大作揃いの夏休みですからね、きっとスクリーンの割当の都合なんでしょうね ...

『プロメテウス』『ボーン・レガシー』を新橋文化で観て、プロメ見逃さんで本当に良かったよふじき★★★★,★★(Pはネタバレ気味)

◆『プロメテウス』 五つ星評価で【★★★★う、おもろいやん】 ポスター図案のモアイ像みたいなでっかい顔がなんだろうと思いつつ、そうか、あれは単に図案だったか。エイリ ...

『プロメテウス』

プロメテウス [DVD] by G-Tools 予告だけ見たことがあって、人類の起源とは・・・みたいな壮大なストーリーなのかなと思って、見ました。 が、よくあるSFパニック映画で、最終的にはエイリアンが出てきて終わるという。。 で、調べてみたらエイリアンシリーズのエピソードゼロ的な位置づけだったのですね。 それはそれで納得ですが。 吹き替えで見たのですが、主人公の女性が...
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