『愛と誠』 メタメタな大傑作

 奇才アレハンドロ・ホドロフスキーDVD-BOX収録のインタビューにて、注目する映画監督を尋ねられ、三池崇史監督の名を挙げている。
 そのホドロフスキーの代表作『エル・トポ』は、「もしフェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなったであろう」とたとえられる。もちろん『エル・トポ』は「フェリーニの西部劇」でも「クロサワのキリスト映画」でもなく、もっと凄まじい作品なのだが、説明不能の映画の魅力を未見の人に伝えるには、著名な監督を引き合いに出すしかなかったのだろう。

 それにならって三池崇史監督の『愛と誠』をたとえるなら、
  アレハンドロ・ホドロフスキーがミュージカルを撮ったら
  ルイス・ブニュエルが学園ドラマを撮ったら
こうなったと云えるかもしれない。

 ウソです。
 『愛と誠』はもっと凄い傑作だ。『愛と誠』には歌も踊りもあるけれどミュージカルではないし、学園を主な舞台にするけれど学園ドラマではない。

 もともと私は映画を鑑賞するときに、音楽やカットバックの使い方に着目している。
 音楽がまったくない『白いリボン』を撮ったミヒャエル・ハネケ監督は、「音楽を用いるのは自らの失敗を隠蔽する行為だ」と述べている。多くの場合にこれは正しくて、映像の頼りなさやストーリーの説得力のなさを音楽でカバーする映画が実に多い。
 ためしに、映画を見ながら音楽のない状態を想像してみて欲しい。主人公が相棒と旅する映像に往年のヒット曲が流れる場面や、恋人同士が戯れる映像に甘いラブソングがかぶさる場面から音楽を消し去ったら、とても鑑賞に堪えられない退屈な場面と化すのではないだろうか。

 カットバックも同様だ。映画の途中に異なる場面を差し挟むことで時系列を乱し、何か重大なことが進行しているように見せる映画があるけれど、実は単なる思わせぶりに過ぎなくて、ストーリーそのものはごく単調だったりする。
 だから私は映画を見ながら、音楽やカットバックがなくても通用する出来なのか、あるいはそれらが単なるゴマカシを超えて機能しているのか、吟味するように心がけている。

 その点『愛と誠』は、ミヒャエル・ハネケ監督の揚げ足を取るような演出が興味深い。
 本作は主人公太賀誠や早乙女愛が歌わなくても踊らなくても、充分過ぎるほどドラマチックに作り込まれている。そもそも普通は"純愛山河"『愛と誠』に、ミュージカルばりの歌や踊りを付加しようなんて考えないだろう。
 三池崇史監督は『忍たま乱太郎』でも、登場人物が突然歌いだすという演出をしているが(そのためにミュージカル出身の鹿賀丈史さんがキャスティングされたのかもしれないが)、あれは原作がギャグマンガであり、映画もとうぜんコメディを期待されているから、観客はギャグの一環として受け止められた。

 しかし『愛と誠』でそんな演出をしようものなら、この作品を貫く真摯なテーマ「愛は平和ではない、愛は戦いである。武器の代わりが誠であるだけで、それは地上における、最も厳しく激しい、自らを捨ててかからねばならない戦いである。」を、ぶち壊しにしかねない。
 だから本作で音楽を用いるのは、ミヒャエル・ハネケの云うような「自らの失敗を隠蔽する行為」ではない。それどころか、音楽を用いることで失敗しかねない危険な行為だ。

 同時に、本作は歌や踊りを見せることを目的としたミュージカルでもない。小林武史氏による音楽も、パパイヤ鈴木氏の振り付けによる踊りも素晴らしいけれど、それが本作の主眼ではない。
 三池崇史監督の演出力と、宅間孝行氏の脚本の力を持ってすれば、歌も踊りもないドラマチックな『愛と誠』を作ることも可能だったろう。
 にもかかわらず本作が歌や踊りに彩られるのは、一つには60年代から70年代にかけての世相を反映させるためである。

 劇中の時代設定は1972年。原作ファンなら、「あれっ」と思うはずだ。
 週刊少年マガジンに原作マンガが連載されたのは1973年から1976年にかけてであり、この映画は原作よりも過去の時代を舞台にしている。
 かつて『歌姫』で昭和30年代に挑戦した宅間孝行氏にとって、70年代を扱うのであれば原作が連載された73~76年(すなわち、学生運動が終息し、スピルバーグ映画にみんなが夢中になった時代)よりも、学園紛争で盛り上がっていた頃の方が取り組んでみたい題材だったのだろう。
 そこで『ALWAYS 三丁目の夕日'64』が東京オリンピックの開催年を舞台にしたように、本作は札幌オリンピックが開催されあさま山荘事件が起きた1972年を舞台にした。冒頭のナレーションでこの時代を「日本が最も活気に溢れていた時代」と述べてることでも判るように、喧騒に包まれた当時の世相やエネルギーを表現したかったのである。

 案の定、公式サイトによれば、「原作の持つ"昭和っぽさ"をいかに料理していくかという課題に突き当たった。そこで白羽の矢が立ったのが、ドラマや映画の脚本家としても活躍する宅間孝行氏」であり、「昭和という時代をそのまま取り込むのではなく俯瞰で見ながらもリスペクトする」ために、宅間孝行氏が昭和の歌を生かすことを提案したという。

 往々にして過去を舞台にすると、史実に正確であろうとしてその年の楽曲を流す作品があるけれど、本作はあの頃を俯瞰するのが狙いだから、選曲は必ずしも厳密ではない。
 1971年の『空に太陽がある限り』や『また逢う日まで』はともかく、映画は1972年が舞台だと云いながら1974年の『激しい恋』ではじまるし、そうかと思えば1963年から放映された『狼少年ケン』の主題歌があったりする。正確な時代考証を期するよりも、みんなの脳裏に焼きついている楽曲を取り上げる方がかえって時代に切り込めるとの判断だろう。


 加えて三池崇史監督が、完成した映像に当時のヒット曲をそのままくっつけることを良しとしなかったのは天晴れだ。
 当時の曲がヒットしたのは、曲単体の完成度が高く、作品として流通する力を持っていたからだ。そこに映像をくっつけても、曲が「主」で映像が「従」になってしまうのは目に見えている。ミヒャエル・ハネケが指摘するように「失敗を隠蔽する」ためにやるのならともかく、映像と音楽が合わさって一つの完成品となることを狙うのであれば、当時のヒット曲をそのままBGMにするなんて到底できない。
 そこで三池監督の採用したのは、登場人物がみずから当時の楽曲を歌うという方法だ。これによりヒット曲は役者の芝居と不可分のものになった。

 そしてこれは、原作マンガの魅力を再現する上でも効果的だ。
 多くの梶原一騎作品に見られるように、『愛と誠』も(太賀誠を除いて)登場人物のモノローグが多い。これをいちいち役者に喋らせればうるさい映画になってしまうが、さりとてモノローグがないと梶原一騎らしさも失われてしまう。
 だから本作は、登場人物が心情を吐露するように歌をうたう。詞の意味が薄くなった近年のJ-POPではなく、曲より先に詞を作っていた頃の歌謡曲をまるまる全部歌うことで、梶原一騎作品の饒舌な登場人物たちを映画らしく再現している。

 とはいえ本作は、モノローグの代わりに歌謡曲が挿入されているだけなので、映画全編にわたり歌とダンスと芝居が融合しているミュージカルではない。感情表現のほとんどは、歌やダンスではなく普通の芝居で演じられている。

 この愉快な演出に、マキノ正博監督のオペレッタ時代劇『鴛鴦歌合戦』を思い出す人も多いだろう。
 岩清水弘を演じた斎藤工さんも「侍が急にジャズを歌ったりする作品もあるので、日本には急に歌が出てくる映画の素地というのがあるんだと思います」と語っている。「侍が急にジャズを歌ったりする作品」とは、もちろん『鴛鴦歌合戦』だ。この傑作を引き合いに出すとは、さすが映画漬けで育ってきた斎藤工さんである。
 『鴛鴦歌合戦』のような作品を熱望していた映画ファンにとって、本作は最高のプレゼントだろう。

               

 さらに注目すべきは、本作が原作マンガを極めて鋭利な刃で解体し、現代風に再構築していることだ。

 それはたとえば岩清水弘の扱いに如実に表れている。原作マンガの岩清水は常にヒロイン早乙女愛を見守り、その高潔な行動に理解を示している。これは『巨人の星』の星明子が電信柱の陰から飛雄馬を見守っていたのと同じで、要はナレーター役なのである。主人公の行動を観察し、その意味するところを言葉にして読者に伝えるナレーションを、劇中人物が担っているのだ。
 そのため、物語上はたいして役にも立たず、そばから観察ばかりしている岩清水は、冷静に考えれば『1・2の三四郎』の岩清水健太郎のようなギャグキャラクターにしかなり得ない。
 したがって2011年に公開された『あしたのジョー』のようにリアルに映画化すると、岩清水弘のようなキャラクターには居場所がなくなってしまう(2011年版『あしたのジョー』では、コメディーリリーフだったドヤ街の子供たちがほぼ一掃されている)。

 だが本作は、ギャグキャラクターにしかなり得ない人物を排除するのではなく、作品のトーン全体をギャグキャラクターを受け入れられる方向にシフトさせることで、主要な登場人物の居場所を確保した。
 だいいち梶原一騎作品の登場人物は誰も彼も味付けが濃すぎて、冷静に考えればギャグキャラクター寸前である。早乙女愛の猪突猛進ぶりは、太賀誠ならずともハタ迷惑であろうし、怪物・座王権太とツルゲーネフを愛する高原由紀も実写化するには個性的過ぎる。
 にもかかわらず、彼らがいなければ『愛と誠』たり得ないのだから、作り手は難しい舵取りを迫られたものだ。

 脚本に宅間孝行氏が起用されたのは、この舵取りの巧さを見込まれたからでもあるだろう。
 氏の代表作『歌姫』もまた、ギャグ満載の純愛物でありながら、ラブコメとは一線を画した骨太の感動作だった。ギャグとシリアスを変幻自在に行き来する舞台劇で鍛えられた宅間氏だからこそ、このような物語をまとめ上げられるのだろう。

 実のところ、本作に関する予備知識を持たず、出演者すら知らずに鑑賞した私は、映画が進行するにつれて座王権太をどう描くのかが心配になった。
 人間離れした巨体とパワーを持った怪物権太は、CGIや特殊メイクでも駆使しないと原作どおりには描けない。しかしモンスター映画じゃないのだから、そこまでやると作品が破綻するのは必至だ。となると、『怪物くん』でフランケンを演じた格闘家チェ・ホンマンとか、とにかく一般の役者じゃない人を起用するしかない。
 ところが本作では、驚いたことに座王権太を伊原剛志さんが演じている。伊原剛志さんは184cmの長身ではあるものの、あくまで普通の体格だ。

 もちろんその演技力は、並の人間とは違う権太を演じるのに不足はないが、問題になるのは高原由紀だ。
 由紀は美しさと知性と権力と財力と、およそ人が持てるすべてのものを有しており、その点で早乙女愛に似た境遇だ。ただ一つ、性格だけが早乙女愛とは正反対で、高原由紀の冷酷さが、天使のような早乙女愛とのコントラストになっている。
 それと同時に、由紀と権太は美女と野獣というコントラストも形成している。
 権太は醜く凶暴だが必ずしも悪意はなく、美しいが悪魔のような由紀とすべての点で正反対だ。
 こうして由紀と権太のペアが登場することで、愛と誠のペアに備わっているものと欠けているものを浮き彫りにするのが『愛と誠』という作品だ。
 そのため、醜くないし巨体でもない伊原剛志さんが権太を演じると、必然的に由紀の設定も変わらざるを得ない。

 本作の高原由紀は、特別に美しいわけでも知性があるわけでもない、悲しい女として登場する。一見すると原作マンガとはずいぶん雰囲気が違う。
 しかしそれは、座王権太から怪物的な醜さや巨大さを除いたことに比例させて、由紀から過度な美しさや知性を削った結果であり、権太とのコントラストは保たれている。
 したがって、愛と誠のペアとの対比としての由紀と権太のペアの位置づけも保たれる。

 本作の作り手は、権太は巨体で醜いとか、由紀は美しいが冷たいといった表面的なことにはこだわらず、一度すべての要素を解体し、作品の中で登場人物が占めるポジションとテーマとの関連性を掘り下げた上で、映画として表現できる形で再構築している。
 だから、権太に原作の面影がなかろうと、由紀がどんなに改変されようと、愛と誠とのコントラストとして必要な言動から外れない限り、これは原作に忠実な映画化だ。

 他の人物やエピソードの数々も、原作とは違うようでいて、その本質を外してはいない。
 原作の過剰な表現が現代ではギャグに見えるなら、いっそギャグにしてしまう。原作のストーリー展開が現代では無茶に見えるなら、いっそ無茶な話にしてしまう。
 この映画は原作至上主義で無批判に映画化するのではなく、さりとて時代性の異なる原作に照れて面影がないほど変えてしまうのでもなく、セルフパロディになることを厭わずに、作品の本質に迫ろうとする。
 そのメタな(高次な、超越した)アプローチは、マイク・ホッジス監督の『フラッシュ・ゴードン』にも通じるものだ。

 原作を一度解体し、徹底的に掘り下げた時点で、本作はメタな『愛と誠』になっている。
 そして現代では通用しない要素を排除するのではなく、ギャグに見えることを自覚した上で再びその衣をまとうのは、さらにメタな行為だ。劇中、歌って踊る人物を他の人物たちが呆れたように取り巻く様は、作中人物もメタな(高次な、超越した)視点を共有していることを示していよう。
 だからこの作品は、普通の映画化に比べると二段階も高次元にある。普通の映画だと思って観に来る観客の度肝を抜く、メタメタな傑作なのだ。


愛と誠 コレクターズ・エディション 期間限定生産(2枚組) [Blu-ray]愛と誠』  [あ行]
監督/三池崇史  脚本/宅間孝行
出演/妻夫木聡 武井咲 斎藤工 大野いと 安藤サクラ 伊原剛志 余貴美子 市村正親 加藤清史郎 一青窈 前田健 真樹日佐夫
日本公開/2012年6月16日
ジャンル/[青春] [ロマンス] [ミュージカル] [アート]
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⇒comment

真意が

良くわかんないのですよ、監督の。
本当にナドレックさんが解体したような深い深いものをしのばせて作ったのか、確信犯的におちゃらけてるのか。。
私的には、計算しつくして作ってるようには感じられなかったのですが、それを見る人に好きなように解釈してもらって楽しんでる・・・と言う風にも見えます。
一年で作る映画の数を見ると、一本一本にそんなにエネルギー費やせない本数ですよね。
とはいいつつ、昭和のど真ん中、もろにこの世代としては、一緒に口ずさんでいたのは言うまでもないです。

Re: 真意が

sakuraiさん、こんにちは。
いただいたコメントに返事を書いていたのですが、いささか長くなったので別の記事にしました。
長文で恐縮ですが、よければご覧ください。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-344.html

No title

こんにちは。

完成度の高い歌唱やダンスなど本格的ミュージカルを期待すると見事に肩透かしをくらいますが、今作でのささやかな歌や踊りは、おっしゃるように演技表現の延長線上に位置していたと思います。
だから、登場人物が歌いだしても物語が完全には止まっていないし、緩やかに物語が語られていたのが印象的でした。つまりは、普通に描写するようなシーンをミュージカル風にして、心理描写やキャラクター説明、場面展開をちゃんとやっているんですよね。この力技は三池監督ならではのような気がします。
やはり、この作品はミュージカル映画ではないと思います。

Re: No title

Questさん、こんにちは。
ミュージカル映画でも、必ずしも歌や踊りで物語が完全には止まるわけではく、それは作品によりけりですね。
ただ、ミュージカルを期待すると肩透かしなのは確かですし、作り手もそれを期待して欲しいわけではないのでしょう。公式サイトのプロダクションノートを読むと、三池監督は「歌のうまさにはこだわっていない。下手でも役になりきって思いを伝えようと歌ったときに生まれるものに、興味がある」とおっしゃってますので、歌をうたわざるを得なくなったときに役者が見せる表現が狙いなんでしょうね。

映画として表現できる形で再構築

こんばんは。
ナドレックさんのレビューとても読みごたえがありました。

>作品の中で登場人物が占めるポジションとテーマとの関連性を掘り下げた上で、
映画として表現できる形で再構築している。

これがこの映画の魅力ですね。
原作ありきのものに
映画はどうアプローチするか、
そのお手本を見せてくれた気がします。

Re: 映画として表現できる形で再構築

えいさん、こんにちは。
えいさんが書いてらした「脚本は、もっとぶっ飛んでいて、監督が押さえた」ところ、興味ありますねー。
オリジナル脚本のまま、このキャストで舞台化しても面白いと思います。どんなにぶっ飛んでいても、舞台なら観客はみんな受け止めてくれるんじゃないでしょうか。

おっしゃるとおり、本作は原作物へのアプローチの、一つの手本になると思います。

No title

岩清水弘はぼくらウラナリくんの代表選手だから表面上、活躍しないのは寂しい。

「岩清水弘、君の為なら死ねる」これだけでももうちょっと押し切ってほしかった。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
とりあえず岩清水弘の見せ場として土下座シーンがあったから良いかと。
原作の岩清水弘は中学三年生で命がけで愛を愛するんですよね。たいした男です。

愛子と鬼二

はじめまして。
http://blog.goo.ne.jp/daitou8/e/c9060044d5a3cff68e1cabd37ddbfdad

「愛と誠」のミュージカルは、結構よく出来ていると思いました。武井咲の演技がいいですね。早乙女愛は、原作では、スポーツ万能ということになっていますが、それは、梶原一騎が早乙女愛を完全な女としたかったからですが、女は、スポーツなんかしない、出来ない方が、かわいいと思っています。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/aiko-oniji.html

Re: 愛子と鬼二

浅野浩二さん、コメントありがとうございます。
武井咲さんの演技はいいですね。原作の完璧な美人ではなく、そこから半歩ずれたようなキャラクターを楽しく演じてくれました。
昔のマンガにはスポーツ万能のキャラクターがよくいましたが(今はあまりマンガを読まないので知りませんけど)、原作の早乙女愛の場合は「非の打ちどころのない彼女がなにゆえ……」という状況を読者に理解させる上でスポーツ万能という設定が必要だったんでしょうね。スポーツだけでなく、勉学も人望もすべてにおいて完璧という設定でしたから。
それはさておき、スポーツする女性も素敵だと思います。
Secret

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