『ルート・アイリッシュ』 なぜ2007年なのか?

 【ネタバレ注意】

 2007年、『ルート・アイリッシュ』がこの年を舞台とすることに、ピンと来る人も多いだろう。
 菅原出氏によれば、それは2007年9月16日のお昼前のことだったという。場所はイラクのバグダッド西部、ニソール広場。非常に交通量の多いところである。
 ここで米国民間企業の従業員が1台のクルマに発砲をはじめた。同僚たちも発砲に加わり、運転手と同乗していた彼の母親は死亡。銃を乱射する者もいたため多くの市民が巻き添えになり、17人が死亡、24人が負傷する大惨事になった。

 事件を起こしたのはブラックウォーター社――PMSCsすなわち民間軍事会社(Private Military and Security Companies)の最大手であり、発砲したのはコントラクターと呼ばれる民間兵だ。
 菅原出氏は、このニソール広場の事件の他にも、ブラックウォーター社が起こした数々の「不祥事」を紹介している。
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「2005年5月14日:米軍部隊はブラックウォーターの身辺警護部隊(PSD)が民間人の車両に発砲し、乗車していた父親を殺害、その妻と娘を負傷させた。

 2006年5月2日:路肩爆弾が爆発した地点に向かっていたイラク救急車両の運転手は、ブラックウォーター社武装警備員の“コントロールの効かなくなった小銃乱射”によって殺害されたと目撃者は語った。

 2006年8月16日:南方方面の高速道路レーンで路肩爆弾が爆発した後、北方方面のレーンを通行中の民間車両にブラックウォーター社の社員が発砲し、イラク人一人が死亡。キルクーク市とヒラ市の少なくとも2カ所で、デモに参加していた民間人がブラックウォーター社警備員により殺害された。

 2006年8月22日:路肩爆弾が爆発した直後、ブラックウォーター社の社員が現場で無差別に乱射していたのが目撃された。」
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 さすがに2007年の事件でブラックウォーターの悪名が世界にとどろいたためか、同社はその後たびたび社名を変え、2012年4月現在は平凡なイメージを狙ってACADEMI社と名乗って活動を続けている。

 映画『ルート・アイリッシュ』が描くのは、まさしくこの民間軍事会社の忌むべき実態である。


 それにしても、なぜ彼らはイラクでこれほど傍若無人な振る舞いができるのだろうか?
 それは2004年に連合国暫定当局が発行したOrder17の効力により、民間軍事会社はイラクの法律に従う必要が無く、あらゆる免責特権が認められていたためである。
 劇中でコントラクター(民間兵)たちの会話に「日常茶飯事」という言葉が繰り返し出てくるのも、Order17で守られていたからだろう。
 映画では、民間兵がイラン人の家に踏み込んで乱暴したり、イランの民衆を射殺したりと、恐るべき振る舞いが語られるたびに、「そんなの日常茶飯事だ」というセリフが飛び出してくる。
 オフィシャル・サイトによれば、脚本家のポール・ラヴァーティはイラク戦争に参加した多くの兵士にインタビューを重ね、また戦争の後遺症に悩む元兵士たちをケアする慈善団体コンバット・ストレスを取材したというから、彼らの言葉の中に「日常茶飯事」も出てきたのかもしれない。
 ちなみに、本作においてイラク戦争で失明したクレイグを演じるクレイグ・ランドバーグ自身もまた、イラク勤務中の戦闘で失明した英軍兵士である。

 そもそもイラク戦争の現場に民間軍事会社が深く食い込むことになったのは、この戦争が必要に駆られて行ったものではなく、他の政策オプションがあったにもかかわらず、あえて戦争というオプションを選択したからだという。
 菅原出氏は次のように説明する。
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 あえて「選択」した政策オプションであるから、当時のブッシュ政権としてはなるべく低コストで済ませたい。なぜならばそんなに高いコストや犠牲があるのであれば、なぜわざわざそのオプションを「選択」するのか、と有権者から責められると困るからである。

 そこで当時のラムズフェルド国防長官は、イラクに派遣する兵隊の数を極限まで少なくし、戦争を安上がりにしようとした。そして小規模な軍隊しか派遣しなかったために、戦後治安維持にまわす兵隊の数が足りなくなり、治安が悪化した。治安が悪化したので、米政府職員や民間企業はブラックウォーター社のような民間軍事会社を雇った。そしてこうした民間軍事会社の蛮行が、さらにイラク国民の反米感情を煽り、治安悪化に拍車をかけた。
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 まさに蛮行が蛮行を生み、愚行が愚行を生み出すのだ。
 それはイラクだけにとどまらない。
 たとえば悪名高い民間軍事会社ブラックウォーター社の警備員だったレイモンド・デービスなる人物は、2011年1月27日にパキスタンの街中で発砲事件を起こして、複数のパキスタン人を殺害している。デービスはブラックウォーター社を辞めた後、本作の主人公ファーガスのように自前の会社を立ち上げ、CIAと契約してパキスタンでの活動に従事していたという。
 この事件もまた、パキスタンでの反米感情を上昇させた。


 もちろん、ケン・ローチ監督が本作を撮った意図は、反米感情を焚きつけることではない。
 イギリスもイラクに軍を派遣していたし、イギリスの民間軍事会社もイラクでビジネスをしていた。だから本作に登場するのはあくまでイギリス人である。
 オフィシャル・サイトには、ケン・ローチ監督のコメントが掲載されている。「この戦争の最大の犠牲者はイラク人であることも忘れてはいけないと思う。私はアメリカ人の兵士こそが最大の犠牲者であるかのような描き方をしたアメリカ映画にはうんざりしている。彼らだって苦しんできたが、イラク人の苦しみもけっして忘れるべきではない」

 本作は正義漢が悪漢を倒すような、胸のすく物語ではない。
 主人公も、彼に敵対する者たちも、コントラクターもしくは元コントラクターであり、いずれもイラク人の犠牲の上にこんにちがあるのだ。
 そのため、ケン・ローチ監督も脚本家のポール・ラヴァーティも、本作が後味の良い、スッキリした作品になってはいけないことを理解している。
 映画を観た客たちは、重く固いものを抱えながら劇場を後にすることだろう。


 なお、オフィシャル・サイトには、題名となったルート・アイリッシュのなんたるかを説明している。
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それはイラクのバグダッド空港と市内の米軍管轄区域グリーンゾーンを結ぶ12キロに及ぶ道路のことで、03年の米軍によるイラク侵攻後、テロ攻撃の第一目的とされる“世界一、危険な道路”として知られていた。
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 本来、国民の活動の基盤となり、活気に溢れるはずの道路が、通行困難な危険な場所になってしまったのだ。劇中の事件もこの道路で起こる。


 2007年9月16日の17人が射殺された事件を受けて、イラク政府は2009年1月1日にOrder17の無効を宣言し、民間軍事会社から免責特権を剥奪したという。


Route Irish [Blu-ray] [Import]ルート・アイリッシュ』  [ら行]
監督/ケン・ローチ
出演/マーク・ウォーマック アンドレア・ロウ ジョン・ビショップ トレヴァー・ウィリアムズ ジェフ・ベル タリブ・ラスール クレイグ・ランドバーグ ジャック・フォーチュン ナイワ・ニムリ
日本公開/2012年3月31日
ジャンル/[ドラマ] [戦争] [サスペンス]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : ケン・ローチ マーク・ウォーマック アンドレア・ロウ ジョン・ビショップ トレヴァー・ウィリアムズ ジェフ・ベル タリブ・ラスール クレイグ・ランドバーグ ジャック・フォーチュン ナイワ・ニムリ

⇒comment

補足

本文中でたびたび引用させていただいた菅原出氏が、本作に関連した記事を書いている。
本作が描こうとしたイランの実情について整理されているので、一読することをお勧めする。

■民間軍事会社のリアルな実態を描く『ルート・アイリッシュ』
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230342/

No title

しかしまあ、登場人物全員でラグビーができるぐらいのガタイの良い大人ばかり。そいういう映画でした。
それと、これは新自由主義の断面を見せたということですから、祇園精舎とは会わないなあと思いながら。そういえば、映画を観たのにタイトル忘れてしまいましたが、東欧からロンドンに出稼ぎに来ている女性が人材派遣?か何かの会社を始め次々にトラブルを発生させていく、そいう映画を思い出しました。上映は数年前かな。映画大国で日本だけですよねえ、新自由主義に対する映画を作らないのは。

No title

映画の名前、「この自由な世界で」(It's a free world)でした。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
本来は軍隊がするであろうことを民間に任せているという点では、新自由主義っぽいですね。
ただ、イラクに関してはそれ以前に、軍隊を投入すべき局面に投入しないという判断ミスがあります。本文でも触れましたが、一つ前のコメントで紹介した菅原出氏の記事ではより判りやすくまとめられてます。
---
反対者を説得するための一つの方便として使ったのが、「この戦争は難しくない、簡単に終わる、コストもかからない、少人数でできる」というロジックだった。
(略)
「残党のあがきはすぐに終わる。すぐに復興できる」という偽りの前提の下、2003年5月にブッシュ大統領が戦争終結宣言を出し、復興のプロセスがはじまった。通常の紛争の場合、紛争が終結し、治安が回復した後に復興要員が入るのが手順だが、「治安の問題は深刻ではない」というごまかしの想定の下で、復興支援の人たちをイラクに入れてしまった。当然彼らは警護を必要とするが、もともと軍隊は少人数しか送られておらず、復興要員の人たちの安全確保まで人手が回らないから、民間の警備兵を雇うという流れになった。
---

そもそも必要のない戦争をするからこういうことになるわけで。
そう考えると、「そもそも」の部分まで遡らない本作は、観客に「民間軍事会社はあくどいなぁ」と感じさせるだけで終わるやもしれず、それがいささか物足りないところではあります。

ところで魚虎555さんのおっしゃる"新自由主義"に合うかどうか判りませんが、邦画だと『ハゲタカ』が近いかもしれません。当ブログでは取り上げませんでしたが。

>「この自由な世界で」

これはケン・ローチ監督が本作の前の前に撮った作品ですね。

No title

今日はどの映画館も満員状態で映画鑑賞をあきらめました(涙)。込んでいる映画館でみてもろくなことありませんから。小規模から中規模の劇場だと殆ど段差がなく、椅子も悪く、なんであんな作り方するのか理解できません。

ナドレックさんがご紹介されていた菅原氏のエッセイは読みました。シーア派とスンニ派、なるほどです。「ワールド・オブ・ライズ」のCIAでこぼこコンビ、デカプリオとラッセル・クロウ、そして、ヨルダン諜報部長官を演じたしびれる大人のマーク・ストロング(ミーハーですが、この役の彼は格好よかった)、ハリウッド俳優と堂々と渡り合うゴルシフテ・ファラハニを反射的に思い出してました。監督(リドリースコット)も、現地の人の視点ということを随所で述べていたような(監督コメントで)。

まあ、そうは言っても「ワールド・オブ・ライズ」も「グリーン・ゾーン」もアメリカ人向けのアメリカ主体の反省ものです。その程度でしょう。ただ、ハリウッド作品だしメリハリはあった。

ケンローチの今回の作品は、メリハリがあり、俗っぽい描写とびっくりした終わり方で、これってハリウッド化なの、と思い面喰いました。メッセージは伝わってきた気がします。ただ映画としてどうなのかという思いはあります。ラグビーチームを作れるなあ、ぐらいしか印象に残っていません。実に勿体無い気がします。でも、そのうち監督コメントを確認してみるつもりでいます。

あまり納得できなかったのでネットで調べてみたら監督さん自身は左翼だそうで(知らなかった。。。)、日本の右翼系から表彰・賞金授与されるという話が出たときき迷ったものの結局受け、賞金はナ○○ネさんたちが進めた団体分割に抵抗して戦っている団体に寄付して、回りには「ナ○○ネさんたちからお金をもらってそれを、ナ○○さんたちと戦っている組織に寄付するのっていいよね、と言ったとか。ああ、左翼ですねえ、知らんかった。

アスこそ、裏切りのサーカス(題名が恥ずかしい)、を観たいと思いつつ。

Re: No title

魚虎555さん、こんにちは。
ゴールデンウィーク(黄金週間)という言葉はもともと映画業界が使いはじめたものですから、この時期は映画館が盛況であってほしいものです。
残念ながら、私が足を運んだ映画館は満席とはいきませんでした。
ケン・ローチ監督の表彰の話は、高松宮殿下記念世界文化賞のことですね。このエピソードは、ご教示いただくまで知りませんでした。その主張の是非はともかく、ケン・ローチは面白いことをしますね。
この賞は、ノーベル賞が対象としていない分野に授与することでノーベル賞を補完することを狙っているそうで、賞そのものの発案もなかなか上手いと思います。もっと人口に上りやすい愛称を付ければいいのに、と思わないではないですが。

いつもながら

じゃりじゃりと後味の悪い、眉間にしわよる作品でしたが、こういう作品をいつまでも作り続けていたかければならない!という現実が悲しすぎます。
ローチ作品を見るたびに思うのですが、きっと監督も後味のよい、さわやかな作品を作りたいんじゃないでしょうかね。

Re: いつもながら

sakuraiさん、こんにちは。
救いのない話しですよね。映画の中で安易な救いは描かないぞ、ということでしょう。
ただ、ケン・ローチ監督の前作『エリックを探して』は、なかなか愉快で爽やかな作品だと思いますがいかがでしょう。

エリック

見た時に、いつも救いのない話ばっかり撮ってるもんで、たまには爽やかな「ヤッター!」って言えるのを撮りたいんじゃ・・・と思った覚えがあります。
ホントは楽しいのを撮りたいのに、こういう映画を撮らざるを得ない世の中に、まったくもうです。

Re: エリック

sakuraiさん、こんにちは。
まさしく「ヤッター!」って映画でしたね。
それでも前半のシビアな描写は息苦しいほどでした。

No title

「ルート・愛ティッシュ」なんて風俗通りかよ。そんな風に思った私が悪うございました。

しかし、罰則がないと、どんな悪い事でもしちゃうんですかね、人間は。西洋の罰の文化に対して、日本の(東洋のか?)罪の文化とも言われますが、主人公は最後、罰されずとも罪
自覚する。西洋も東洋もない土地での事件だだったからかもしれない。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
本作から風俗を発想するとはさすがですね!

> 西洋の罰の文化に対して、日本の(東洋のか?)罪の文化

ルース・ベネディクトは、西欧は「罪の文化」、日本は「恥の文化」としましたが、それとは別でしょうか?
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