『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』 儒教vs『ナバロンの要塞』

 前回紹介した與那覇潤著『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』の中でも、私がとりわけ注目したのは次の文である。
---
ヨーロッパの近代というのは、カトリックとプロテスタントがお互い「正義の戦争」を掲げて虐殺しあう16世紀の宗教戦争への反省から生まれたので、道徳的な価値判断を政治行為から切り離そうとする傾向が強い(いわゆる政教分離)。
端的にいえば、たとえば「正しさ」のための政治(戦争)といっても、それは誰にとっての「正しさ」なの? という問い返しが常について回るのが、西洋風の近代社会の本義であったわけです。

  『第5章 開国はしたけれど――「中国化」する明治日本』 158ページ
---

 なるほど、だから日本映画と欧米の映画はアジェンダ設定が異なるのだ!

 以前の記事で、日本のテレビドラマ『CHANGE』の総理大臣や『海猿』の教官は、米国のドラマ『ギャラクティカ』の大統領と考え方が違うと述べた。米国ドラマでは、少々の犠牲を払ってでも全体を生かす道を(苦悩しながら)決断するのだが、日本のドラマや映画ではたとえ合理的でなくても目の前の人を助けるために行動し、それでハッピーエンドになってしまう。これほどまでに問題解決の仕方が異なるのはなぜか、私には疑問だった。
 しかし、ヨーロッパでは長い戦争の経験から、道徳的な判断と現実的な判断を切り離しているのだとすれば納得だ。


 判りやすい例が映画『ナバロンの要塞』である。
 2,000人の連合軍兵士を助けるために、精鋭チームがドイツの大要塞の破壊に赴くこの冒険映画で、最大の見どころはドイツ軍との駆け引きや要塞への潜入ではなく、チームメンバーのグレゴリー・ペックとデヴィッド・ニーヴンがぶつかる場面だ。
 グレゴリー・ペックは将校である。任務遂行を最優先に決断しなくてはならない。ときには傷ついた味方を置き去りにし、ときには無抵抗のスパイを殺さなければならない。
 一方、デヴィッド・ニーヴンは将校になることを拒否し続けている。他のメンバーにコーヒーを淹れてやる優しい男で、目の前の怪我人は放っておけない。そんなデヴィッド・ニーヴンには、グレゴリー・ペックの行為が我慢ならない。傷ついた味方を敵の渦中に置いて行くなど言語道断だ。

 そんな二人はことごとく対立するのだが、これはまさしく政治行為と道徳的な価値判断とのぶつかり合いだ。
 『ナバロンの要塞』の作り手は、政治行為と道徳的な価値判断をそれぞれ登場人物に代表させ、その葛藤の苦しさを観客に伝える。誰もがデヴィッド・ニーヴンの云うことには共感するだろう。しかし彼の云うとおりにしていては、ナバロンの要塞を破壊することはできず、引いては2,000人の兵士が犠牲になる。

 この映画の主人公はグレゴリー・ペックだ。映画はその苦悩を浮き彫りにする。リーダーであること、道徳的な判断を抑えて決断しなければならないこと、道徳的な判断を主張するのは(デヴィッド・ニーヴンが将校になることを拒否しているように)しょせん責任の重さから逃げているのではないかということ。
 そこには、たとえ辛くても道徳的な判断と現実的な判断を切り離そうとする覚悟がある。なにしろ置き去りにされるのは、デヴィッド・ニーヴンにとってはこの任務ではじめて会ったチームメンバーでしかないが、グレゴリー・ペックには旧知の仲なのだ。


 日本の作品に見られないのは、この問題意識だ。
 日本では現実問題への対処は、同時に道徳的でもあることが求められる。それゆえ、禁を破ってでも目の前の遭難者を助けるように指示した教官がもてはやされるのだ。
 それは、お互いが「正義の戦争」を掲げて殺しあうような戦争を経験してこなかったからだろう。同じ16世紀の戦争でも、日本の戦国時代は天候不順による飢饉を生き延びるための食糧の奪い合いだったのだから。

 また、儒教の影響も見逃せない。
 儒教では徳を備えた者こそ天命により為政者たるとしている。道徳的に優れた者が政治行為をすべしということであり、ヨーロッパの政教分離とは正反対である。
 だから日本では、政治家が不倫したとか、政治資金に関する書類に間違いがあったとか、政治手腕そのものとは関係ないことが政治上の問題であるかのように取り沙汰される。徳を備えていないから為政者としても失格になるという考え方だ。ホルモンの働きに着目すれば、好戦的で浮気性の人物の方がリーダー的資質があるとされているにもかかわらず。
 日本人は政治家に徳を求めるあまり、リーダーとしての資質をないがしろにしているのかもしれない。


 そして政教分離を巡る葛藤が見られない点では、日本の作品だけでなく韓流や華流のドラマ・映画も同様だ。
 韓国や中国の作品でも、主人公は道徳的だ。『レッドクリフ』の劉備も『太王四神記』の好太王も、清廉潔白な道徳家である。もちろん作品によっては悪漢が主人公のこともあるが、たとえば『ギャラクティカ』のロズリン大統領のように、善人なのに民間人を見殺しにさせるリーダーは登場しない。そもそも作品中に、そんなアジェンダが出てこない。

 だから韓国や中国の作品が日本人にウケるのは当然だろう。徳があればリーダーとしても優れていると思う日本人にとって、リーダーとしての決断と道徳のはざまで葛藤する欧米作品の主人公なんてしち面倒くさいだけであり、儒教文化を共有する東アジアの作品の方が親しみやすいのである。

 日本の作品に『ナバロンの要塞』のような葛藤が皆無とはいわない。欧米の映画や小説の影響の下、似たような葛藤が描かれることはある。
 しかし、たとえば『サイボーグ009』が、人情家の009と冷徹な計算に基づいて決断する001との対比からはじまっていながら、やがて登場人物全員が人情家になってしまうように、どうも政教分離が板についていない。


 政教分離が板についていないところに、日本人を暴走させてしまう原動力として登場したのが、「中国由来の政治社会思想・兼・個人の生き方マニュアルだった儒教、なかでも特に「陽明学」」であったという。
 與那覇氏は、陽明学そのものというより、陽明学のエートス、「気分としての陽明学」のもたらしたのが「動機オーライ主義」であると紹介している。「結果オーライ」なら「おわりよければすべてよし」だが、「動機オーライ」な人々は「はじめよければあとはどうなってもよし」と突っ走る。

 そして、同志との彼我一体的な心情的連帯感がすさまじく強力なので、争いのどちらの側に立つかということと、善悪とを混同してしまう。
 與那覇氏は、これが「日本を含めた東アジアと、ヨーロッパの近代とを比較する上で極めて重要な視点」であると述べている。
 云われてみれば、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』以降のヤマトシリーズが敵異星人を一族郎党皆殺しにしてしまったり、『マイウェイ 12,000キロの真実』が「朝鮮人は善人、日本人は悪人」という構図ではじまるのに対し、『大脱走』も『ナバロンの要塞』も「ドイツ兵はすべて悪」なんて描き方はしていないことに、映画ファンは思い当たるだろう。

               

 さて、『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』は日本通史の解説書でありながら、歴史好きのみならず、映画ファンやアニメファンも楽しんで読めるようになっている。著者・與那覇潤氏はたいそうな映画ファンらしく、本書では随所に映像作品が引き合いに出されるからだ。
 歴史上の出来事を映画を例に説明されると、その映像が頭に浮かんできて、イメージを掴みやすい。映画のタイトルをもじった章題「開国はしたけれど」「わが江戸は緑なりき」等も楽しい。
 映画を知らない人も、取り上げられた作品をちょっと見てみようかという気になるだろう。

 もっとも映画の解説が主眼ではないので、黒澤明監督の『一番美しく』のことを「戦時中の工場を舞台に、増産に励む勤労女学生の奮闘ぶりをセミ・ドキュメンタリー風の演出で賛美した国策映画」(54ページ)と「良い子の見方」で断じるなど、一つひとつの作品に詳しく触れているわけではない。

 そんな中で、やや多めにページを割いているのがジャパニメーション、とりわけ宮崎アニメについてである。
 ところが、これがアニメファンには首をひねる内容なのだ。

(つづく)


ナバロンの要塞  製作50周年記念 HDデジタル・リマスター版 [Blu-ray]ナバロンの要塞』  [な行]
監督/J・リー・トンプソン  原作/アリステア・マクリーン
助監督/ピーター・イエーツ
出演/グレゴリー・ペック デヴィッド・ニーヴン アンソニー・クイン スタンリー・ベイカー アンソニー・クエイル ジェームズ・ダーレン イレーネ・パパス ジア・スカラ リチャード・ハリス
日本公開/1961年8月15日
ジャンル/[戦争] [アドベンチャー]



中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』 [書籍]
著者/與那覇潤
日本初版/2011年11月20日
ジャンル/[歴史]
ブログパーツ このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録

関連記事

【theme : 紹介したい本
【genre : 本・雑誌

tag : 與那覇潤 J・リー・トンプソン グレゴリー・ペック デヴィッド・ニーヴン アンソニー・クイン スタンリー・ベイカー アンソニー・クエイル ジェームズ・ダーレン イレーネ・パパス ジア・スカラ

⇒comment

Re: もはや亡国は近い。

プチ不眠症さん、こんにちは。

>「正しいこと」と「善きこと」を区別できない。何故なら「何が正しくて、何が善きことか」を命じる絶対者を戴かない伝統文化だからだ

同感です。
『中国化する日本』では、戦国時代でもっとも重要な合戦として、石山本願寺と信長軍の戦争を紹介しています。
これが日本の命運を分ける大戦争だったことは良く知られるところですが、石山本願寺が勝っていれば、日本は一つの宗教・思想の下に人々が集う(他国と同様の)社会になっていたかもしれない。
けれども地域利権集団の大ボスである信長が勝ってしまったために、宗教や思想はどこかに消し飛んでしまった。戦国大名に従っていればとりあえず飢えることはなかったので、そのまま無宗教・無思想が定着してしまうわけです。かくして、それから4世紀以上にわたって、日本人は信じるものを持たない状態が続いています。
4世紀以上続いたくらいですから、これからもずっとそうなのでしょう。宗教の下に統合された他国に呑み込まれない限りは、ですが。

No title

こんちは。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』には、人命を犠牲にしてでもという戦略ばかり出てきます。・・・戦争だからですかねえ。『海猿』は救助のドラマだから、大の虫、小の虫は言いづらいでしょ。ただ、命の優先順序(犠牲になるべき命)みたいなのは話の中に織り込まれていた筈です(正確に機能していたかどうかはもう覚えてない)。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
『坂の上の雲』は読んでないのでどんなシチュエーションか判らないのですが、人命は天秤に載ってないということでしょうか。
ここで取り上げた『海猿』は、羽住英一郎監督、福田靖脚本の2004年の映画のことです。海難救助に当たるのは潜水士でなければならないのに、訓練生の遭難に際して、教官は訓練生を救助に向かわせます。二次遭難のおそれがあるので、訓練生を救助活動に当たらせてはいけないにもかかわらず。
救助する側もされる側も訓練生なので、命の優先順序という話は出てきません。状況としては、救助を待つ2人の訓練生を見殺しにするのか、二次遭難のおそれがありながら10人以上の訓練生を救助に行かせるのか、との判断が求められました。
当然のように全員助かり、禁を破った教官もお咎めなしになります。
好きな映画ですけど、甘い展開だなぁと思いました:-)

分かりやすい

なるほど分かりやすい対立、葛藤、ジレンマを浮き立たせているのが「ナバロン・・」だったわけですね。
同じ仲間の中にも対立させているものを置いて、たんび究極の選択を迫る。見る方もその都度、選択させられていました。グレゴリー・ペックとアンソニー・クインもしかり。
私は、60年ごろの映画の空気と、しょっぱさ全開のはらはらドキドキ感を味わいに行ったもので、深い洞察には到底至りませんでした。
日本人がなかなかできないのがペック将校の決断で、日本人を含む大多数の人たちの思い代表がニーブンなんだろうなあと思います。
でも100年先までの計を考えて判断する人が後者では困るわけで、大多数のわれわれは、恨みながらペック将校に悪者になってもらって、考えなしでついて行く・・・のでしょうね。それじゃあ、ダメじゃん!ですが。

上でおっしゃる「坂の上の雲」ですが、人命を軽んじる戦略であったにも関わらず、打開の道がなく、そこからの転換をして行った過程が後半だったように思います。
司馬が描いたのは、プロとしての軍人、明治の男の気慨だと思ってます。戦争のロマンを求めちゃいけませんが、正義という言葉が空虚に聞こえなかった頃の戦争かもしれないです。

映画は、なかなか面白かったですよ。突っ込みどころも満載でしたが、「大脱走」のような完璧さはなく、どっかゆるいところや、うそくさいところがまた60年代っぽくていい。
船が遭遇する嵐の場面は、さすがの迫力。あれをセットで撮ったとはすごい!と思いました。
今だと、すぐにVFXでしょうからね。

Re: 分かりやすい

sakuraiさん、こんにちは。

>でも100年先までの計を考えて判断する人が後者では困るわけで、大多数のわれわれは、恨みながらペック将校に悪者になってもらって、考えなしでついて行く・・・のでしょうね。それじゃあ、ダメじゃん!ですが。

それが、戦国~江戸時代に定着した日本人の考え方ですね。
身分制度OK! 侍の地位が1番高いことは認めるから、我々しもじもを引っ張っていってくれ、という考え方。
今や身分制度はなくなりましたが、みんなが侍として百年の計を考えるのではなく、みんなが百姓として引っ張っていってもらおうとしています。不満があっても、自分が引っ張る側に回るのではなく、直訴する相手を探して文句をぶつけようとする。
こうして書くと、なんだかトホホって思います。

No title

>リーダーとしての決断と道徳のはざまで葛藤

まさしく「冷たい方程式」ですね。

ワクチンを届けるためとはいえ、目の前のイタイケな少女を見殺しにするしかない男みたいな登場人物、確かに日本人には好かれないタイプかも。もちろん、そこに「冷たい方程式」の主人公の葛藤も存在するわけですが…。

Re: No title

ピンクスレイドさん、コメントありがとうございます。
おぉ、冷たい方程式!
このようなアジェンダは、何度目にしても気持ちのいいものではないと思います。にもかかわらず、西洋の人たちは、似たようなアジェンダを設定した作品に繰り返し取り組みますね。
そういえば、クリントン大統領の不倫騒動に関してだったと思いますが、市民が大統領の不倫を気にしていないことを報じる記事を読んだ記憶があります。市民たちは、不倫なんてリーダーとしての能力には何の関係もないと答えていました。
普段からリーダーとしての決断と道徳のかかわりについて思考トレーニングを積んでいる結果でしょうか。

No title

>市民が大統領の不倫を気にしていない

ギリシャ神話じゃ、神々の王様ゼウスからして、浮気しまくりで、それでも王様の地位は揺るがない。アーサー王の奥さんを寝取ったランスロットも、それを理由に、とんでもない奴だとは言われていません。

>少々の犠牲を払ってでも全体を生かす道を(苦悩しながら)決断
>たとえ合理的でなくても目の前の人を助けるために行動

前者は父性原理によるものであって、後者は母性原理によるものです。

グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』で、継母が、「このままじゃ、みんな飢え死にしちゃうよ。子供たちを森に捨ててしまおう」と提案する場面がありますが、みんな死ぬより二人だけでも生き残るほうがいいというのは、父性原理そのものです。「子供たちを森に捨てるなんて、そんなことできるわけない」と父親は反対するけれど、結局は継母のいいなりになる。まさに苦渋の決断って感じですかね。

単純な思考トレーニングというより、欧米人の意識の深層に深く根付いているものじゃないかと思います。

どちらが間違ってると言うことはできないし、たぶん両方正しい。

Re: No title

ピンクスレイドさん、こんにちは。
今の私たちから見るとグリム童話にはひどい話が多いですが、日本を含めた世界各地に間引きや子殺しの例はありますね。
子殺しは端的な例ですが、「人権」が西洋で発明されたのが比較的最近(ここ数世紀)のことであり、ましてや日本は「人権」の概念を輸入してからまだ1~2世紀にしかならないので、なかなかアジェンダとして認識されないのかもしれません。

私は並列する父性原理と母性原理というよりも、生存環境と歴史の違いから生じた差異のように思います。
戦争が打ち続き、常にこのようなアジェンダに直面している社会と、比較的平和で、歌を詠んでいれば済む社会とでは、思考が違ってしまうのだろうと。
それぞれの社会に接点がなければ、それぞれのやり方を推し進めれば良いのでしょうが、そうはいかないのが現代のやっかいなところです。

なお「母性」なるものは、日本では大正末以降、特に戦時下に社会的要請から「作られた」という意見があります。
http://www.gepr.org/ja/contents/20120326-01/
なるほど、母親なんだから子の食と健康に責任を負わなきゃいけないという呪縛が、世の中の女性を追い詰めているのかもしれません。

政治家のスキャンダルは海外も一緒でしょ
アメリカでもオバマが机に足をのせたことがやたら批難されましたし
変に西洋を儒教的とされるものがないと思い込むと痛い目見ますよ

Re: タイトルなし

名無しさん、こんにちは。
カーネマンの認知モデルを援用するなら、動機オーライ主義をよしとする心情は全人類共通のシステム1に当たるでしょう。そして、意識して政教分離を心がけるのはシステム2であろうと。
システム1はすべての人が有しているから、もちろん西洋人だって儒教的なもの、動機オーライ主義的なものは持っているわけです。
ポイントは、それを押さえ込むような形でシステム2を働かせているかどうかですね。もちろん、個人や所属集団によってもバラツキがありますけど、その程度は洋の東西によっても異なるのではないでしょうか。

……というのは、ほぼ『「日本史」の終わり』の受け売りですが:-)

『「日本史」の終わり』において、與那覇潤氏は次のように述べています。
---
私が一番怖いのは、その「建て前(法律)と実態のギャップ」にシステム1的な民意がガバッと入ってきて、力ずくでギャップを埋めようとすることですね。
それが今後の日本のリスクだと思う。「何がなんでも建て前に合わせるべきだ」と称して、実際のところは非科学的で不合理な施策が行われたり、「目をつけられた人」だけが血祭りにされたりといった、恣意的な法運用が煽られる危険がつねにある。
おそらく中国の人たちはこのギャップに慣れているから、重慶の事件(元市長の逮捕)だって、「ああ、またやってますねえ」みたいな感じだろうと思うのですが、日本人だと本気で「小沢許せん」とか思っちゃうわけじゃないですか(笑)。権力闘争の問題だろうと突き放して観察することができず、純粋な正義感から、検察が不起訴と言っても検審を通して意地でも起訴してやるとか、そういう社会がもうできつつある。
---

要は程度問題ということなのでしょう。

カーネマンの認知モデルについては、こちらの記事で取り上げてますのでご笑覧ください。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-433.html

ところで、痛い目って何でしょうか。
Secret

⇒trackback

  トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

『ナバロンの要塞』をトーホーシネマズ府中8で観て、なかなかふーんふじき☆☆☆

五つ星評価で【☆☆☆天下の名作だけど、個人的には普通。映画の展開がなかなかルパン的】    特殊技能を持った軍人チームがナチスのナバロン要塞を破壊しに行く戦争映画。 ...

目線は悪か無いけど、非常に雑:中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史作者: 與那覇 潤出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/11/19メディア: 単行本 本書は歴史書であって、現在の日中関係を述べた本ではない。 タイトルはあえてセンセーショナルにつけているので、まずそこに注意。 次に、本?...

ナバロンの要塞

とりあえず見たかったノルマ達成。
最新の記事
記事への登場ランキング
クリックすると本ブログ内の関連記事に飛びます
カテゴリ: 「全記事一覧」以外はノイズが交じりますm(_ _)m
月別に表示
リンク
スポンサード リンク
キーワードで検索 (表示されない場合はもう一度試してください)
プロフィール

Author:ナドレック

よく読まれる記事
スポンサード リンク
コメントありがとう
トラックバックありがとう
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

これまでの訪問者数
携帯からアクセス (QRコード)
QRコード
RSSリンクの表示