『赤毛のアン』30周年

ところで、1987年に『ハチ公物語』を監督したのは神山征二郎氏。その神山氏が脚本を書いたテレビアニメ『赤毛のアン』(1979年)が、本放映から30年を経てANIMAXで放映中である。
はじめて『赤毛のアン』を目にしたとき、その新しさは衝撃的であった。
第1話、アンを迎えに来たマシュウが、駅の階段で靴の泥をぬぐう。
ちょっとした仕草だが、こんな仕草をわざわざ作画してテレビアニメの枠で放映するのは、たいへん珍しいことだった。
マシュウのちょいと驚いた表情、少しばかり困った表情、アンがおしゃべりの最中に視線をそらせるところ。こんなこまごました表情はストーリー展開に必ずしも必要ではない。だからそれまでのアニメではきちんと描いていなかった。
さらに、青い絵の具に白い絵の具を滲ませたような雲、そして雲だけのカット(画面にキャラクターが映っていない)も珍しかった。
そして主人公アンを演じる山田栄子の朗読のような長ゼリフ。感情を抑えた羽佐間道夫のナレーション。
これらもテレビアニメでは聞いたことがないものだった。
驚きのうちに、ストーリーを全然進めることなく第1話は終わってしまう。
表情や仕草や景色を丁寧に描いていくと、ストーリーを進める余地などないんだという、これまた衝撃。
アンが喜ぶと花びらが降り注ぎ、妖精たちが踊りだす。
とても「クサく」なりそうな演出なのに、画面は美しく展開する。
改めて『赤毛のアン』のクレジットを見ると感嘆する。
監督は高畑勲氏、場面設定・画面構成に『未来少年コナン』を終えたばかりの宮崎駿氏、絵コンテは『機動戦士ガンダム』を制作するとみの喜幸(現・富野由悠季)氏、キャラクターデザイン・作画監督は後に『耳をすませば』を監督する近藤喜文氏。
『赤毛のアン』の完璧さに突っ込みどころがないのも、もっともである。
これほど素晴らしい『赤毛のアン』だが、実はしばしばこの作品を好きではないという人がいる。
作品の質にケチを付けるわけではない。ただ、好きになれないという。
その理由は、現在BSフジで放映中の前日譚『こんにちは アン ~Before Green Gables』と比べてみれば判りやすいのではないか。
アンがグリーン・ゲイブルズ(緑の切妻屋根の家)に引き取られる前を描いた『こんにちは アン』で、アンは明らかに不幸な境遇にあり、アンが少々風変わりでも視聴者はアンに同情を寄せる。
それに対して、『赤毛のアン』でのアンは、マリラの厳格なしつけを受けつつも決して不幸なわけではなく、どちらかといえば激情家で夢見がちなアンに周囲が振り回されている。
周囲を振り回す主人公は多くの作品に登場するが(オバケのQ太郎とか)、彼らが好かれるのは愛嬌やユーモアがあるからだ。アン・シャーリーには、愛嬌もユーモアも乏しい。
どうもこのあたりが好き嫌いの分かれるところなのだろう。
だが、ここはひとつアンの成長につきあってもらいたい。
いつしかアンに変化が訪れ、我々はそれを寂しく思うのだ。マリラと一緒に。
さて、衝撃的な『赤毛のアン』において、その音楽もアニメファンには驚きだった。
主題歌・挿入歌は三善晃氏、挿入歌と劇音楽は弟子筋である毛利蔵人氏が作っているのだが、無知な私はお二人とも知らなかった。
二人とも『赤毛のアン』の前にも後にもアニメにはかかわっていないので、アニメファンにとっては突然超新星が輝いてすぐに消え去ってしまったようなものである。
後に、合唱をやっている友人が三善晃氏の曲を練習していたことから、私はそのフィールドを知った次第である。
お二人の音楽について私ごときが書き綴るのは大それたことだが、あえて表現させていただけば、『赤毛のアン』の音楽の特徴は上品さである。
アンや友人ダイアナら"小さな貴婦人"たちの、つつましやかでありながら伸び伸びとした世界を、音楽が形作っている。
テレビアニメ『赤毛のアン』を好きな人も、そうでない人も、まったく知らないという人も、この音楽にはぜひ耳を傾けてもらいたい。
ところでANIMAXの放映でひとついただけないのは、第1話の放映から「厚生省児童福祉文化賞受賞」というクレジットを付けていることだ。
受賞したのは本放映開始からしばらくしてのことであり、とうぜん第1話にこのクレジットはなかった。
アニメ専門チャンネルとして、こだわってほしいところである。

監督/高畑勲
出演/山田栄子 北原文枝 槐柳二 高島雅羅 井上和彦
日本公開/1979年1月7日~1979年12月30日
ジャンル/[ドラマ] [ファミリー]

