『犬を飼うということ ~スカイと我が家の180日~』 違法なのは誰だ?!
【ネタバレ注意】
『犬を飼うということ ~スカイと我が家の180日~』に触れる前に、テレビドラマ『デカワンコ』第5話「前世は犬だった!?」を紹介したい。『犬を飼うということ』第5話の重要性をご理解いただく上で、それが必要だと考えるからだ。
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『デカワンコ』 FILE.5「前世は犬だった!?」
5年前にトイプードルのシロが行方不明になった和田刑事。彼は職務を放り出して、シロを捜し続けていた。
紆余曲折の末、和田刑事は佐倉という家へたどり着く。佐倉家では5年前に拾った犬をタロウと名付けて可愛がっていた。
その犬に和田刑事が「シロ!」と呼びかけると、犬は喜んでやってきた。この犬はシロに間違いない。
和田刑事に駆け寄る「タロウ」を、淋しそう見つめる佐倉少年。
和田刑事はシロを抱きしめながらも、辛い決意をする。シロと一日だけ過ごさせてもらうと、彼は少年に犬を渡すのだった。「5年間愛情を注いでくれた人と引き離せない」と云って。歯を食いしばって立ち去る和田刑事。
捜査一課の面々は、花森刑事からその話を聞くと、しみじみと頷くのだった。
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『デカワンコ』第5話は、和田刑事役の石塚英彦さんの熱演もあって、泣ける「いい話」になっている。
この話を紹介したのは、作品の良し悪しや好き嫌いを述べるためではない。
そこに失踪犬の帰属に関する重大な問題が含まれているからだ。
ドラマは、佐倉家に少年を配し、視聴者の同情が佐倉家に向かうようにした上で、元の飼い主・和田刑事がみずからシロを手放すことにして、意見の衝突を回避している。
しかし、現実にはこうはいかない。
いなくなった犬を必死に捜していた元の飼い主は、とうぜん犬を連れて帰りたい。また、拾った犬とはいえ、それを可愛がってきた現在の飼い主は、いまさら手放したくはない。
そのため双方が衝突することになる。
『デカワンコ』第5話は、理屈や倫理の面からどうあるべきかを追求せずに、大の大人が子供から犬を取り上げることはないことにして、情に流された結末を迎えてしまう。
テレビドラマはたかが娯楽なんだからそれでいい、という意見もあろう。
だが、このようなドラマを広くテレビで放映することによる悪影響も考えられる。
拾ったものを返さない。元の持ち主が困っているのに、自分のものにしてしまう。――これが犬でなかったら、良識に照らし合わせて誰にでも判ることが、愛らしい犬になったとたんに判断がおかしくなるのである。
残念なことに、本来の飼い主による必死の訴えにもかかわらず、犬を返さないという話も耳にする。
では、私たちはどのように行動するべきなのか。
実は『デカワンコ』第5話には幾つもの違法行為がある。
佐倉家は拾った犬を自分たちで飼うことにしてしまった。これは遺失物の横領だ。
警察は、犬や猫に「首輪や鑑札がある場合」又は「拾われる前まで飼われていたと思われる場合」については飼い主の調査をしてくれるので、迷い犬を見つけたら警察に届けるのが道理である。
たとえ首輪や鑑札が見当たらなくても、「拾われる前まで飼われていた」かどうか判らないことはないはずだ。現代の日本では、野生の犬や猫はまず存在しない。何らかの形で人間が介在しなければ、犬も猫も存在し得ないのだ。ましてやトイプードルのような犬種はペットとして飼われていた可能性が高い。犬や猫を特別視するのではなく、当たり前のこととして拾ったものは警察に届けるべきなのだ。
そして、警察の調査にもかかわらず3ヶ月経っても元の飼い主が判明しない場合は、民法第240条により、拾得した者が所有権を得る。もしも和田刑事が愛犬を捜しておらず、警察による飼い主の調査にも引っかからなかったら、3ヶ月後には佐倉家が正式な飼い主になったことだろう。
また、こんな風に思う人もいるかもしれない。
「たとえ佐倉家が警察に届け出なかったとしても、5年も面倒をみたのだから元の飼い主以上に飼う権利があるのではないか」と。
しかし、民法第162条によれば、所有権の取得時効は20年である。20年間、所有の意思をもって、平穏に(誰からも抗議されずに)公然と飼い続ければ、その犬の飼い主になることができる。だが、犬の寿命を考えると、20年の取得時効が成立することはないであろう。
また、民法第162条2項によれば、飼い始めたときに、善意であり、かつ、過失がなかったときには、10年で取得時効が成立することになっているが、犬を拾った時点で警察に届け出ないのは「善意であり、かつ、過失がない」とは云えないだろう。
このように、本来はとうぜんの権利として和田刑事が犬を連れて帰れるのだが、『デカワンコ』第5話ではそれを明確にせず、少年に犬を渡してしまう。
そのため、5年も面倒をみたのなら元の飼い主と同等の権利があると、視聴者を誤解させかねない。
ここでは、便宜上「元の飼い主」と表記したが、元も何も、飼い主は(権利を放棄するまでは)和田刑事ただ一人なのである。
さて、長々とお付き合いいただいたが、ようやく『犬を飼うということ』の話に入れる。
まず、本作の主人公たる本郷家がポメラニアンのスカイツリー(通称スカイ)ちゃんを取得した経緯をおさらいしよう。
スカイは、スーパーの店先にいるところを店長に通報されて、動物愛護センターに引き渡された。動物愛護センターは、動物の愛護及び管理に関する法律第35条2項により、犬・猫の引き取りをその拾得者から求められた場合は拒めないので、スカイは動物愛護センターに引き取られるしかない。
引き取られた時点で、スカイには鑑札も何も付いておらず、飼い主が捜している形跡もなかったので、狂犬病予防法第6条8項により、2日を過ぎたら殺処分されることになっていた。
ここで本郷家が飼うことにしたのだから、それは「善意であり、かつ、過失がない」と云えよう。
このまま平穏に取得時効が成立するのを待てば、スカイは正式に本郷家の犬となるところだった(10年かかるけど)。
ところが、『犬を飼うということ』第5話では、本来の飼い主が捜していることが判ってしまう。
ここで、水川あさみさんが演じる母・幸子が偉い!
子供たちが可愛がっているのは重々承知した上で、情に流されず、飼い主に返さなければならないと諭すのである。
もちろん、幸子が民法等の規定を知っているわけではない。拾ったものは返すという、当たり前のことをしているだけだ。
そしてまた、目の前で泣いている子供だけではなく、どこかで犬を捜している見知らぬ人のことをおもんぱかってもいるのだ。
私たちは、このように行動できるだろうか。
第5話の最大のテーマはここにある。
迷い犬は、どんなに可愛くても、懐いていても、本来の飼い主に返さねばならない。それが正しいことであり、大人は子供に正しいことを伝える責任がある。
もっとも、視聴者はテレビドラマを理詰めで見ているわけではない。
そこで、ドラマの作り手は、視聴者が感情的にも納得できるような仕掛けを用意している。
それが、犬の飼い主が足の不自由な少年であるという設定だ。
可愛がっていた犬をいまさら返すなんて本郷家がかわいそう、そう考えかねない視聴者に、行方不明の犬が戻らなければこの少年こそかわいそうだと思わせるのである。
この仕掛けにより、安易に感情に流されることは食い止められ、視聴者に正しいことをしなければならないと気づかせている。
理屈にのっとって下す結論と、感情に基づく結論とを一致させる見事な脚本である。
驚くべきことに、第5話にはさらに第二、第三のテーマが込められている。
第二のテーマは、人間の事情で犬を手放そうとする身勝手さである。
ストーリー上は、あんなに捜していた飼い主が、スカイが病んでいることを知って慌てて手放す展開になっているが、これは少ない話数に様々なエピソードを盛り込むためのテクニックであろう。テーマとしては、失踪犬捜しと病気の犬を捨てることとは別物である。
本作の第1話には捨てられた犬たちが登場したが、ここに至って捨てる飼い主が登場したわけだ。
その飼い主は、必ずしも残酷な人間ではない。本人は、止むに止まれぬ事情があると思っている。
しかし、それは身勝手な云い分でしかないことを、本作は示している。
そして第三のテーマは、犬が死ぬまで一緒に暮らすということである。
犬や猫は短命だ。
彼らはせいぜい12~16年しか生きないので、ほとんどの場合、私たちは死別することになる。犬を飼うということは、犬を看取ることなのだ。
だが、それは犬や猫に限らない。生きとし生けるものは、人間も含めて皆いつかは死別するのである。
看取るか看取られるかは判らない。
ただ、それを恐れたら暮らしていけないことは確かだろう。
この第三のテーマについては、稿を改めて述べたいと思う。
[注] 文中の法令等は、2011年5月現在の情報に基づいている。
『犬を飼うということ ~スカイと我が家の180日~』 [テレビ]
監督/本木克英、遠藤光貴、橋伸之、木内麻由美 脚本/寺田敏雄
出演/錦戸亮 水川あさみ 田口淳之介 吹越満 杉本哲太 泉谷しげる 久家心 山崎竜太郎 武田航平 鹿沼憂妃 森脇英理子
放映日/2011年4月15日~~6月10日
ジャンル/[ドラマ] [犬]
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『デカワンコ』 FILE.5「前世は犬だった!?」
5年前にトイプードルのシロが行方不明になった和田刑事。彼は職務を放り出して、シロを捜し続けていた。
紆余曲折の末、和田刑事は佐倉という家へたどり着く。佐倉家では5年前に拾った犬をタロウと名付けて可愛がっていた。
その犬に和田刑事が「シロ!」と呼びかけると、犬は喜んでやってきた。この犬はシロに間違いない。
和田刑事に駆け寄る「タロウ」を、淋しそう見つめる佐倉少年。
和田刑事はシロを抱きしめながらも、辛い決意をする。シロと一日だけ過ごさせてもらうと、彼は少年に犬を渡すのだった。「5年間愛情を注いでくれた人と引き離せない」と云って。歯を食いしばって立ち去る和田刑事。
捜査一課の面々は、花森刑事からその話を聞くと、しみじみと頷くのだった。
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『デカワンコ』第5話は、和田刑事役の石塚英彦さんの熱演もあって、泣ける「いい話」になっている。
この話を紹介したのは、作品の良し悪しや好き嫌いを述べるためではない。
そこに失踪犬の帰属に関する重大な問題が含まれているからだ。
ドラマは、佐倉家に少年を配し、視聴者の同情が佐倉家に向かうようにした上で、元の飼い主・和田刑事がみずからシロを手放すことにして、意見の衝突を回避している。
しかし、現実にはこうはいかない。
いなくなった犬を必死に捜していた元の飼い主は、とうぜん犬を連れて帰りたい。また、拾った犬とはいえ、それを可愛がってきた現在の飼い主は、いまさら手放したくはない。
そのため双方が衝突することになる。
『デカワンコ』第5話は、理屈や倫理の面からどうあるべきかを追求せずに、大の大人が子供から犬を取り上げることはないことにして、情に流された結末を迎えてしまう。
テレビドラマはたかが娯楽なんだからそれでいい、という意見もあろう。
だが、このようなドラマを広くテレビで放映することによる悪影響も考えられる。
拾ったものを返さない。元の持ち主が困っているのに、自分のものにしてしまう。――これが犬でなかったら、良識に照らし合わせて誰にでも判ることが、愛らしい犬になったとたんに判断がおかしくなるのである。
残念なことに、本来の飼い主による必死の訴えにもかかわらず、犬を返さないという話も耳にする。
では、私たちはどのように行動するべきなのか。
実は『デカワンコ』第5話には幾つもの違法行為がある。
佐倉家は拾った犬を自分たちで飼うことにしてしまった。これは遺失物の横領だ。
警察は、犬や猫に「首輪や鑑札がある場合」又は「拾われる前まで飼われていたと思われる場合」については飼い主の調査をしてくれるので、迷い犬を見つけたら警察に届けるのが道理である。
たとえ首輪や鑑札が見当たらなくても、「拾われる前まで飼われていた」かどうか判らないことはないはずだ。現代の日本では、野生の犬や猫はまず存在しない。何らかの形で人間が介在しなければ、犬も猫も存在し得ないのだ。ましてやトイプードルのような犬種はペットとして飼われていた可能性が高い。犬や猫を特別視するのではなく、当たり前のこととして拾ったものは警察に届けるべきなのだ。
そして、警察の調査にもかかわらず3ヶ月経っても元の飼い主が判明しない場合は、民法第240条により、拾得した者が所有権を得る。もしも和田刑事が愛犬を捜しておらず、警察による飼い主の調査にも引っかからなかったら、3ヶ月後には佐倉家が正式な飼い主になったことだろう。
また、こんな風に思う人もいるかもしれない。
「たとえ佐倉家が警察に届け出なかったとしても、5年も面倒をみたのだから元の飼い主以上に飼う権利があるのではないか」と。
しかし、民法第162条によれば、所有権の取得時効は20年である。20年間、所有の意思をもって、平穏に(誰からも抗議されずに)公然と飼い続ければ、その犬の飼い主になることができる。だが、犬の寿命を考えると、20年の取得時効が成立することはないであろう。
また、民法第162条2項によれば、飼い始めたときに、善意であり、かつ、過失がなかったときには、10年で取得時効が成立することになっているが、犬を拾った時点で警察に届け出ないのは「善意であり、かつ、過失がない」とは云えないだろう。
このように、本来はとうぜんの権利として和田刑事が犬を連れて帰れるのだが、『デカワンコ』第5話ではそれを明確にせず、少年に犬を渡してしまう。
そのため、5年も面倒をみたのなら元の飼い主と同等の権利があると、視聴者を誤解させかねない。
ここでは、便宜上「元の飼い主」と表記したが、元も何も、飼い主は(権利を放棄するまでは)和田刑事ただ一人なのである。
さて、長々とお付き合いいただいたが、ようやく『犬を飼うということ』の話に入れる。
まず、本作の主人公たる本郷家がポメラニアンのスカイツリー(通称スカイ)ちゃんを取得した経緯をおさらいしよう。
スカイは、スーパーの店先にいるところを店長に通報されて、動物愛護センターに引き渡された。動物愛護センターは、動物の愛護及び管理に関する法律第35条2項により、犬・猫の引き取りをその拾得者から求められた場合は拒めないので、スカイは動物愛護センターに引き取られるしかない。
引き取られた時点で、スカイには鑑札も何も付いておらず、飼い主が捜している形跡もなかったので、狂犬病予防法第6条8項により、2日を過ぎたら殺処分されることになっていた。
ここで本郷家が飼うことにしたのだから、それは「善意であり、かつ、過失がない」と云えよう。
このまま平穏に取得時効が成立するのを待てば、スカイは正式に本郷家の犬となるところだった(10年かかるけど)。
ところが、『犬を飼うということ』第5話では、本来の飼い主が捜していることが判ってしまう。
ここで、水川あさみさんが演じる母・幸子が偉い!
子供たちが可愛がっているのは重々承知した上で、情に流されず、飼い主に返さなければならないと諭すのである。
もちろん、幸子が民法等の規定を知っているわけではない。拾ったものは返すという、当たり前のことをしているだけだ。
そしてまた、目の前で泣いている子供だけではなく、どこかで犬を捜している見知らぬ人のことをおもんぱかってもいるのだ。
私たちは、このように行動できるだろうか。
第5話の最大のテーマはここにある。
迷い犬は、どんなに可愛くても、懐いていても、本来の飼い主に返さねばならない。それが正しいことであり、大人は子供に正しいことを伝える責任がある。
もっとも、視聴者はテレビドラマを理詰めで見ているわけではない。
そこで、ドラマの作り手は、視聴者が感情的にも納得できるような仕掛けを用意している。
それが、犬の飼い主が足の不自由な少年であるという設定だ。
可愛がっていた犬をいまさら返すなんて本郷家がかわいそう、そう考えかねない視聴者に、行方不明の犬が戻らなければこの少年こそかわいそうだと思わせるのである。
この仕掛けにより、安易に感情に流されることは食い止められ、視聴者に正しいことをしなければならないと気づかせている。
理屈にのっとって下す結論と、感情に基づく結論とを一致させる見事な脚本である。
驚くべきことに、第5話にはさらに第二、第三のテーマが込められている。
第二のテーマは、人間の事情で犬を手放そうとする身勝手さである。
ストーリー上は、あんなに捜していた飼い主が、スカイが病んでいることを知って慌てて手放す展開になっているが、これは少ない話数に様々なエピソードを盛り込むためのテクニックであろう。テーマとしては、失踪犬捜しと病気の犬を捨てることとは別物である。
本作の第1話には捨てられた犬たちが登場したが、ここに至って捨てる飼い主が登場したわけだ。
その飼い主は、必ずしも残酷な人間ではない。本人は、止むに止まれぬ事情があると思っている。
しかし、それは身勝手な云い分でしかないことを、本作は示している。
そして第三のテーマは、犬が死ぬまで一緒に暮らすということである。
犬や猫は短命だ。
彼らはせいぜい12~16年しか生きないので、ほとんどの場合、私たちは死別することになる。犬を飼うということは、犬を看取ることなのだ。
だが、それは犬や猫に限らない。生きとし生けるものは、人間も含めて皆いつかは死別するのである。
看取るか看取られるかは判らない。
ただ、それを恐れたら暮らしていけないことは確かだろう。
この第三のテーマについては、稿を改めて述べたいと思う。
[注] 文中の法令等は、2011年5月現在の情報に基づいている。

監督/本木克英、遠藤光貴、橋伸之、木内麻由美 脚本/寺田敏雄
出演/錦戸亮 水川あさみ 田口淳之介 吹越満 杉本哲太 泉谷しげる 久家心 山崎竜太郎 武田航平 鹿沼憂妃 森脇英理子
放映日/2011年4月15日~~6月10日
ジャンル/[ドラマ] [犬]


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ずっと号泣しっぱなし~~(ノ_<。)ビェェン
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