『アレクサンドリア』 トホホな言動の私たち

 こんな映画をよく作れたな。
 『アレクサンドリア』鑑賞後の嘘偽らざる感想である。

 映画は、4世紀末、ローマ帝国支配下にあるエジプトの大都市アレクサンドリアが舞台となる。
 この都市の名は誰もが耳にしたことがあるだろう。世界の七大景観に数えられた大灯台で知られるアレクサンドリアは、地中海貿易の中心地であることを活かして各国の書物を収集し、その図書館には70万巻の蔵書があったという。
 70万巻とは畏れ入る。これは、現代の中堅都市の市立図書館や大学図書館並みの量である。そのすべてが学術書であろうこと、そもそも古代において書物の数が少なかったであろうことを考えれば、驚くべき知の集積である。

 帝国の英知を保管する施設といえば、SFファンならアイザック・アシモフが『ローマ帝国衰亡史』にヒントを得て著した『銀河帝国興亡史』の第一ファウンデーションを思い出すだろう。しかし、残念ながらアレクサンドリア図書館は、アシモフの描いたファウンデーションとは異なり、帝国よりも先に崩壊してしまう。
 このアレクサンドリア図書館崩壊のあらましを描いたのが本作である。

 主人公は、アレクサンドリアの哲学者ヒュパティア
 哲学といっても現在の学問領域とは少々異なる。ヒュパティアが考察したのは宇宙の仕組みや真理であり、今でいう数学であり天文学である。現代ならヒュパティアは科学者と呼ばれたかもしれない。
 ヒュパティアは、信仰等を理由に生徒を分け隔てすることなく、数学や天文学を講義したが、新興のキリスト教徒による蛮行は人々の対立を激化させ、彼女も平和に講義を続けることができなくなってしまう。
 映画は、キリスト教徒が図書館に押し寄せ、書物を焼き払ってしまう様を上空から俯瞰して見せる。それはあたかも害虫の群れが草花を食い散らかしているようである。
 やがて、異教徒を圧倒したキリスト教徒は、次にユダヤ人を迫害する。こうして、傍若無人なキリスト教徒のためにアレクサンドリアには暴力が吹き荒れ、かつての高度な学術都市の面影は失われていく。


 私が驚いたのは、本作がスペイン映画ということだ。スペインといえば、国民の75%がカトリックの国である。
 宗教的な対立に、どちらがいいも悪いもないだろうが、本作では、とりわけキリスト教徒の非道ぶりが印象深い。それなのにスペインでこの映画を作った制作陣はたいしたものだと思うし、そのスペインでの興行収入が3千万ドル以上に及んだとは、スペインの観客もたいしたものだと思う。
 もちろん、キリスト教徒だけが悪者なわけではない。本作ではユダヤ人の卑劣な行為も描かれるし、そもそもキリスト教を勃興させたのは奴隷制という差別に対する不満が要因であることも示唆されている。
 付け加えれば、本作で描かれた時代よりさらに後、7世紀になるとアレクサンドリアはアラブ人の勢力下に入り、イスラーム教徒が多数を占めてしまう。アレクサンドリアは今もエジプトの主要都市として栄えているが、もはやキリスト教徒は少数派となっている。
 とはいえ、現在ではキリスト教の信者が全世界で20億人を超え、この世は創世記のとおりに作られたとする創造論を信じる人も多数いる。魔法使いを肯定的に描くハリー・ポッターシリーズをローマ教皇が批判するくらいだ。そんな中、大作映画でこれほどキリスト教徒を悪しざまに描くのは興味深い。
 映画『アンチクライスト』が主に道徳面から反キリストに迫るのに対し、本作は歴史的事実の積み重ねからキリスト教の暗黒面をあぶり出す。

 そこで、アレハンドロ・アメナーバル監督が重視するのは科学である。
 映画はたびたびアレクサンドリアの街を俯瞰するが、並みの俯瞰ではない。地球全体を捉えた超ロングショットから、地中海へズームインし、さらにカメラが近寄ってアレクサンドリアへ、図書館へと迫る。
 そして図書館の中で科学を探求する女性の姿を映し出すのだ。
 アレハンドロ・アメナーバル監督は、公式サイトで次のように語っている。
---
『アレクサンドリア』は、一人の女性と一つの都市、一つの文明社会、また一つの惑星の物語だ。僕たちが皆、共に生きるべき惑星だ。(略)宇宙では、地球はたくさんの星々にまじって回転する小さなボールに過ぎないし、人類はその中にいる小さなアリのようにしか見えない。
---

 思想・信条の対立と暴力は、せいぜいアリ同士のせめぎ合いにすぎない。
 監督のメッセージは明確である。
 宗教になびかず、科学を信奉するヒュパティアは、キリスト教徒から目の敵にされる。
 そんな彼女は、次のような言葉を残したという。
 「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです


 これは現代の私たちにも思い当たることである。
 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と津波、そして福島第一原子力発電所のトラブルを通じて、私たちはメディアが信用ならないことを痛感した。
 もとよりテレビ番組のコメンテーターは思いつきを口に出すだけで思考停止していると云われてきたが、とりわけある程度の科学的知識を必要とすることについては情報源たり得なかった。テレビに映るキャスターは、デマに惑わされないようにと述べていたが、それはキャスター諸氏の発言にも当てはまることである。伊東乾氏が各種報道に対して「情報の不正確さには、目を覆わざるを得ない」というのももっともだ。

 後年、2011年3月の状況を振り返っても、そのデタラメさは実感できないかもしれない。
 たとえば、東京電力がプルトニウムを測定する機械を持っていないということが、大問題であるかのように取り上げられた。Twitterでも、この事実に対して「意味が分からない」「ネタか」といったツイートが飛び交った。
 東京電力がプルトニウム測定器を持っていないのは、そんな機械が世の中に存在しないからなのだが、2011年3月はこれがニュースになったのである。トホホ。
 何も全国民がプルトニウムの分析方法を知っている必要はない。しかし、妄言を拡散する前に、それが拡散に値することなのか、誰もが一度理性的に考える必要がある。
 買いだめや買い控えに走る前には、それが本当に必要なことなのか、デメリットは生じないのか、依拠する情報の精度はいかほどかを吟味する必要があったろう。
 とりわけ、産業医等による組織的サポートを受けにくい人――自由業、自営業、無職等の人は、不正確な情報で煽り煽られていないか注意する必要があるのかもしれない。


 本作の原題は「Agora」である。アゴラとは古代ギリシアの広場のことであり、人々の集会の場、交流・討論が行われた場所を指す。理性的な言動の象徴といえよう。
 本作が描くアレクサンドリアでは、思想・信条に囚われた人々の対立が激化し、アゴラは機能しなくなってしまった。
 はたして私たちは、ヒュパティアのように理性的に、裏付けのある事実だけを取捨選択して、真理を探求すべく話し合えるだろうか。

[追記]
 本作を、宗教を取り上げた映画、宗教的な対立を描いた映画と見る向きもあろうが、それだけでは原題「Agora」の意味を捉えそこなう。
 本作のテーマの一つはデモクラシーである。日本では一般に民主主義と訳されるが、デモクラシーには衆愚制の意味もある。
 本作は、一方で古代ギリシアの流れを汲む賢人たちによる施政を描く。それは洗練された社会を作り出しているが、奴隷たちの犠牲の上に成り立っており、奴隷をも一個の人間――国家の構成員として見たときに民主主義とは云えない。
 他方、キリスト教徒は神の下の平等を唱えており、(司教による煽動的な言葉があったとはいえ)図書館を破壊するのも、異教徒を虐殺するのも、民衆の意思である。人々が力を持ち、みずからの意思に従って行動するとき、いかに愚かな結果をもたらすことか。

 映画の舞台は4世紀末だが、それから1600年を経て私たちが作り上げたのは、はたして民主主義だろうか、衆愚制だろうか。


アレクサンドリア [Blu-ray]アレクサンドリア』  [あ行]
監督・脚本/アレハンドロ・アメナーバル  脚本/マテオ・ヒル
出演/レイチェル・ワイズ マックス・ミンゲラ オスカー・アイザック マイケル・ロンズデール サミ・サミール アシュラフ・バルフム ルパート・エヴァンス ホマユン・エルシャディ オシュリ・コーエン
日本公開/2011年3月5日
ジャンル/[歴史劇] [ドラマ]
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⇒comment

トホホな自分

お早うございます。わざわざTBをいただき、感謝申し上げます。
さて、今回の記事のタイトルに、「トホホな言動の私たち」とあり、更に記事の冒頭に「こんな映画をよく作れたな」とあるものですから、惚けたクマネズミの頭は、「こんなトホホな映画をよく作れたな」とナドレックさんが書いていらっしゃると思い込んでしまい、それでは映画の何処が「トホホ」とされているのかなと読み進みましたところ、話は全くの逆で、「トホホ」なのは今の「私たち」であり、特にクマネズミのように、チョット見で直ちに誤解してしまうような輩が一番「トホホ」なヤツだ、とおっしゃっていることが分かり、大いに恥じ入っている次第です。
特に、プルトニウム測定に関しては、東電の陰謀説まで信じ込むところでした(政府・東電からの情報には何か裏があるかもしれないと身構えがちにしている者は、今回の測定器のような話をキャッチした場合、かえって逆に、素直に信じ込んでしまうフシがあります!)。
いつもながら大いに勉強させていただけるナドレックさんのブログだな、といたく興奮したところです。

Re: トホホな自分

 クマネズミさん、コメントありがとうございます。
 はじめは本文に不正確な報道の例を幾つも挙げていたのですが、むなしくなって消しました。
 報道だけでなく、巷の言動にも首を捻るものがありますね。
 電力需要の大きい日中に営業し、電力需要が低下する夜間に「節電のため」といって営業を止める店舗・映画館は、いったい何がしたいのでしょう。本当に電力不足の解消に協力するなら、日中は休業して、電力が余ってくる夜間に営業すれば意義があるのですが。
 発電のための燃料そのものが確保できなかったオイルショックと混同しているのでしょうか。

 それにしても、ありますねぇ、陰謀説。情報隠蔽だとか。
 私が見かけた陰謀説モドキには、「東京電力は、プルトニウムを検出してしまった事実を公表できないので、測定器そのものをないことにしてるのではないか」というものがありました。平時の創作としてはともかく、かかる非常時に流布するものではないですね。
 私は先日の記事にも書いたように、陰謀を実行するには高度な知力・胆力・行動力が欠かせないと思います。
 (→ 『SP 革命篇』 早く逝くも悔いなし!
    http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-214.html )
 陰謀説を唱える人がいるのは、政府・東電に高度な知力・胆力・行動力があると、とても期待していることの裏返しなのでしょう。

 別の記事にも書いたように、私は政府や大企業にそこまで期待する気になれません。
 (→ 『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 20年前の幻想の国
    http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-177.html )
 政府・東電の会見や発表内容を見ると、「段取りが悪いな」とか「記者に囲まれるなんて生まれてはじめてなんだろうな、言葉が足りないな」とは感じますが。
 隠蔽するくらい、情報がたくさんあるといいですね。

No title

欧州の事情には詳しくないので、もしかしたら間違っているかもしれませんが、キリスト教的な価値観からの世俗化はアメリカよりもずっと進んでいると思います。

例えば「ライラの冒険」小説をご覧になりましたか。このベストセラー・ファンタジー物語、作者は英人ですが、3巻で明らかになりますが、完全に「キリスト教的な神」の正体暴露的な否定です。

ご存じ、ハリー・ポッター・シリーズではキリスト教的な要素は明示的な否定の対象としてすら出てこない。そのことが逆に暗示的な完全否定になっている、と私は思っていますが。

そういう意味でこの映画は、欧州のスペインだから作ることができた。アメリカでは絶対無理、無理中の無理です。

Re: No title

Max-Tさん、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、米国で作れる映画ではないと思います。
本作は米国でも封切られましたが、ごく少数のスクリーンでの公開で、興行収入は619,423ドルにとどまっています。制作費は73,000,000ドルなのに(T^T)
とはいえ、ポルトガルでの興収は2ヶ月弱で528,700ドル、イタリアでは1ヶ月超で2,296,674ユーロなので、両国の人口が米国より少ないことを考えればまだましではあるものの、好成績とも云いがたいようです。
ですから、人口が約4,700万人のスペインで、3千万ドル以上を稼いでいるのは驚きです。なにしろ、全世界収入が39,041,505ドルしかないのですから、ほとんどスペインだけで稼いでいるわけです。やっぱり自国の映画だからでしょうか。多数の観客を動員したこと以上に、どのような人々が本作に出資したのか興味を覚えます。
(興行収入の出典はこちら→ http://www.boxofficemojo.com/movies/?id=agora.htm http://www.imdb.com/title/tt1186830/business )

> ご存じ、ハリー・ポッター・シリーズではキリスト教的な要素は明示的な否定の対象としてすら出てこない。

ハリー・ポッター・シリーズは映画を観ているだけなので詳しいことは判りませんが、SFやファンタジーでは現実世界の要素全般を出さないことがあります。たとえば、驚いたときに"My God!"と叫んではキリスト教的なので、"My Space!"なんてセリフになったりします。
Max-Tさんがおっしゃるのは、それとは違うことなのでしょうか。

『ライラの冒険』は面白そうですね。機会を見つけて読んでみようと思います。

いい映画でしたね。

>こんな映画をよく作れたな。
まさにまさにその通りです。
砂で天文学するところとか、ラストなんて、演出の勝利と言いますか・・・。

女性で才能がある人は昔から虐げられる対象ですね。
男によってつぶされるのも昔から変わりません。

Re: いい映画でしたね。

rose_chocolatさん、こんにちは。
そうですね、これは女性蔑視を取り上げた映画でもありました。

ちょうど

震災の後のころだったのですね。なるほど!
私は、これほど見事にいろいろな立場、宗教観、政治的な立ち位置、そして男と女を表してるもんだと、感心しました。
さすが、アメナバール。。。てか、それほど前作が好きだったわけではないのですが、今回は恐れ入りました。
キリスト教の不寛容さが一番印象的になってはいましたが、もちろんそれだけではない。
やはり私が強く感じたのは、女性に対する畏れではなかったかと。
アゴラという題名がいいですよね。
彼らが失くしてしまったのは、アレクサンドリアという街であるとともに、集う場を失くしたんだと・・・と言うことが何より損失だったのだと痛感しました。
あの引きのショットがお見事でした。

Re: ちょうど

sakuraiさん、こんにちは。
本当に、いろいろな立場等を盛り込んだ作品でしたね。
女性に対する畏れ、ですか。なるほど。私は差別とか蔑視という風に捉えていて、「畏れ」ということに思い至りませんでした。
私は実のところ男女の社会的地位の変遷がよく判っていません。邪馬台国は女王を戴いていたのに、なぜ女系社会にならなかったのか、とか。判りやすい情報があればご教示ください。

No title

こんちは。
主人公のヒュパティアが授業中「劣っているのは奴隷や無教養な人」と奴隷ダオスの前で言い放ったりするところが描き方が公平でうまいなあ、と思いました。

Re: No title

ふじき78さん、こんにちは。
そうなんですよね。入浴のシーンでも、奴隷たちに感情があるなんて思ってもみない態度が印象的でした。
とてもバランスの取れた映画だと思います。

感動しました!

 偶然に借りて見ました。ベンハー以来というと変ですが大作だと思います。ブッシュが「テロとの戦い」を「十字軍」などと言って物議をかもしましたがアメリカのファンダメンタリストと呼ばれる聖書の一言一句を真実だと考えてブッシュの戦争を支持した人たちへの批判はあるでしょう。オバマは現在シリアに対して外国の軍事介入は避けるべきと言っているようですが実際には介入もしそうです。しかしイラン核施設に対するイスラエルの爆撃は支持するでしょう。アメリカの中東への支配や介入に対する明確な批判はありそうです。
 どなたかが書いているように黒装束のキリスト教徒たちは見た目にも恐ろしく血に飢えたように描かれてそれだけでもこれまでにない異様な感じを与えます。さらにどなたか書いていますがこれがスペイン映画でスペインでヒットしたことも考えさせます。スペインこそ異端審問で狂信カトリックの支配者が異教徒を虐殺した歴史の国です。その国民的反省がありそうです。しかし私が思うのは歴史のこの「一場面」ではこれも「真実」だろうと思うのですがインドヨーロッパ語族-白人はこういう宗教共同体同士の非寛容な殺戮が多いです。
 だからこの場面についてアジア人のパレスチナ人とかユダヤ人が白人のギリシァ人やローマ人よりも狂信的で暴力的だったと考えるのは行き過ぎになると思います。歴史の場面ではどんなケースもあり得ると思います。そして大事なことは寛容と平和でしょう。

Re: 感動しました!

riviereさん、コメントありがとうございます。
これは4世紀を舞台にした映画ですが、おっしゃるとおり現代への鋭い批評に貫かれていますね。

ところで宗教共同体同士の非寛容な殺戮は、白人のみならず世界のどこの国でもあることだと思います。そもそも宗教というものが、集団の同質性を高め、他の集団との戦闘に備えるための仕掛けであるとも考えられます。だから多くの宗教は、集団内の者を慈しみ、他集団の者は排除することを教義にします。
集団内の者を慈しみ、他集団の者を排除するのは、人間の本質でもありますから、とどのつまりは宗教色の濃淡にかかわらず「寛容と平和」を実現することが人類共通の大命題ですね。
本作が突きつけているのは、まさにこの命題なのだと思います。

今日、録画で見ました。

良かった!見終わってから、だれがブログを書いていないかしら、とサーフィンをしましたら、こちらに。的確な感想が書かれていて、これまた嬉しくなりました。
1600年前の歴史では、武器は刃物と石でした。時代は下って、私たちの時代は強力な武器を持っています。そして、後始末も出来ない放射能というものを、さも便利だと洗脳してアチコチに使っている、のが現況。数百年後の人たちが鳥瞰すると、後始末も出来ない怖いものを平気で使っている、超「向こう見ず」に見えるのではないかしら、そう思いながら見ていました。
こちらでも、原発事故に繋がる話題もあって、共感です。

Re: 今日、録画で見ました。

街中の案山子さん、コメントありがとうございます。
数百年後の人たちが今の私たちを振り返るとき、どのように思うのでしょうね。

それに関連して私が思い出すのは、ギリシャ神話のプロメテウスです。プロメテウスは人間に火を教えたため、神に罰せられます。
人間が火を使い始めてから数十万年経ちますが、多くの動物にとって火は恐怖の的です。おそらく私たちの先祖も火を恐れながら生活していたであろうことを、プロメテウスの神話は伝えています。ところが、今でも毎年火事が起こって多くの人命、家屋が失われているにもかかわらず、火の使用を禁止しようという意見は聞かれません。それは長い年月を経て、「火が燃える」という現象に私たちが慣れたからでしょう。おかげで私たちは、冬に暖を取り、夜に灯りを点し、バイキンの心配なく食物を口に入れることができるようになりました。火をおこすなんて、数百万年前には恐るべき暴挙に見えたことでしょう。

街中の案山子さんが「放射能」と書かれているのは、「放射性物質」のことですね。「放射能」とは物質が放射線を出す能力のことであり、放射線を出す物質は「放射性物質」と呼びます。
実のところ放射性物質は単なる物質であって、安全も危険もありません。その物質の性質に応じた取り扱いが必要なのであり、その物質を危険にするも安全にするも取り扱う人間次第です。その意味で、火や自動車と同じですね。

原子力発電所も同じではないでしょうか。
日本に原発は55基ありますが、東日本大震災とそれに伴う津波によって東京電力の福島第一原子力発電所には被害が生じました。他方、福島第一原発よりも震源域に近い東北電力の女川原子力発電所にはほとんど被害がなく、周辺住民の避難所として活躍しました。この違いは、人間の取り扱いの差によるのではないでしょうか。
ところが各種メディアを見ると(個人のブログやTwitterも含めて)、一律に危険だの安全だのと云っているものが多いように思います。
放射性廃棄物の処分のことも含めて、私はこのような十把一絡げの扱いには懐疑的です。

福島第一原発については、池上彰氏と齊籐誠氏の対談記事が興味深いです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120416/231067/

本作の主人公ヒュパティアは、裏付けのある事実だけを取捨選択して真理を探求しようとしました。
このことを、私たちも見習いたいものです。

スペイン料理とスペイン映画

この作品もゲオで借りるにはかなり待つ必要が・・・
芸術系というかメッセージ性のある映画は本数も少ないし

主人公を演じるレイチェルワイズは途中で殺されたりする役とか・・・・
美人なのに報われてない

スペイン映画ってかなり凝っているというか中身が濃い
邦画の「儲けりゃ中身は問わない」みたいな作品とは違い


だから日本人の口に合わない場合も多数なんでしょうね
エンディングは決まってとは言わないが・・・・・・・・・・・・
(私にはめちゃめちゃ好みですが)

この作品を見たときは丁度 オウムの一連の逮捕劇でも終末だったので
「宗教」の恐ろしさを一瞬思い出しました。

なんか支離滅裂ですが 終わり

Re: スペイン料理とスペイン映画

すわっと 優優さん、こんにちは。
スペイン料理は、美味しいのに大雑把な感じで楽しいですね。
きっとスペイン映画にもしょうもない作品はあるのでしょうが、そこは配給会社がフィルタリングしてくれているのでしょう。

おっしゃるとおり「宗教」は恐ろしいかもしれません。
けれども、宗教のお陰で保たれる平安もあると思います。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教等の体系立った宗教は戒律や教えを持っているので、人々に秩序をもたらし、平安を与えます。この秩序とは、人々のいさかいを鎮め、民衆を方向付けるものでもありましょう。
この方向が、自分の向かうところと合わないときに、人は「宗教」を恐ろしいと感じ、本作のような大きな衝突に発展するのかもしれません。しかしそれは必ずしも「宗教」が衝突させているのではなく、もともとぶつかるものだったのではないでしょうか。

同時に、日本のように体系立った宗教による秩序がない世界の恐ろしさもあります。
そこにももちろん宗教はあるのですが、アニミズムに毛が生えたようなものなので、信仰している日本人自身が自分たちの宗教をきちんと自覚していない。そこではあらゆるものを神や妖怪扱いするので、いまだに石ころからパワーをもらおうとしたり、何かの物体を恐ろしいと感じる人が後を絶ちません。
そしてキリスト教やイスラム教の世界なら法王やカリフ等がトップダウンで秩序をもたらすのに、それがないので人々がいったん宗教的熱狂に浮かれ出すと止めようがない。何かを恐れる気持ちがどこまでも伝播していったり、オウム真理教のような新興宗教に絡め取られてしまったりします。

この映画の作り手は、科学的な目で探求することで、こういった問題に立ち向かおうと提案していますが、それがはたしてどこまで有効に機能するのか、楽観はできません。

観ました!

ばりばりカトリックのスペインで、よくこんな映画が出来たと、本当に驚きです。

なかなか見ごたえのある映画でしたが、ヒロインが追い詰められていく中で、もう少し周りの人たちが、何か出来たのではないかと思いました。自分が窮地に立たされている事を察知する事が出来ていれば、もう少し反応も違ったかも知れません。宗教の恐ろしさと共に、学術界の頑迷さも、描かれていたように思います。

ところで、『アレキサンドリア』は、アラビア語では『イスカンダリア』となります。つまり、『イスカンダル』とは、あの『アレクサンドロス大王』のアラビア語読みだったのです。(ちなみに『ガミラス』の方は、『カーミラ』のアレンジ名)

Re: 観ました!

ICAさん、コメントありがとうございます。

> 学術界の頑迷さも、描かれていたように思います。

そうですね。昔も今も学術界は妙なところなのかもしれません。
アカデミズムを取り上げた興味深い記事があります。少々長いですが、一気に読ませます。
http://www.tachibana-akira.com/2012/06/4388

学術界には関係ない人も、「○○教授がこう云ってる」と、まるで○○教授の発言に権威があるかのように紹介してしまうことがあります。でもよくよく確認してみれば、○○氏はたしかに教授職に就いているけど、発言した分野については何の専門性も持っていなかったり(あるいは齧っただけだったり)します。なのに、紹介した方もされた方も、教授の云うことだから信憑性があると思ってしまいがちですね。
気をつけたいものです。

> ところで、『アレキサンドリア』は、アラビア語では『イスカンダリア』となります。

『宇宙戦艦ヤマト』のSF設定を担当した豊田有恒氏のネーミングですね。他にも豊田有恒氏のネーミングが窺われるものにラジェンドラがありますね。
豊田有恒氏はアラビア語ではではなくインド語として紹介していたと思います。
「ラジェンドラ」は日の目を見ないかと思いましたが、『宇宙戦艦ヤマトIII』で戦艦名として採用されて良かったです。
Secret

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五つ星評価で【☆☆☆正しい人の受難は悲しい】 古代都市アレクサンドリア、 それなりに調和の取れていた文化都市が 宗教対立から正しさを失ってしまうまで。 正しさを主張 ...

アレクサンドリア

レイチェル・ワイズさん主演。なかなかどうして、歴史スペクタクル(今もこの呼び方するのかな?)な作りで好感がもてました。 実在の女性天文学者ヒュパティアの数奇な運命がメインに描かれています。キリスト教の異教排斥の凄まじさは異端審問や魔女狩りでもわかるとお...

アレクサンドリア レイチェル・ワイズ

2009年 スペイン 西暦4世紀のローマ帝国末期時代。大都市アレクサンドリアが舞台のスペクタクル史劇。 キリスト教徒による異教の排斥が行なわれた時代に実在した一人の女性哲学者
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