『神々と男たち』 「々」の謎
【ネタバレ注意】
えっ?!
その題名を目にして驚いた。
邦題は『神々と男たち』。原題は「DES HOMMES ET DES DIEUX」、英題なら「OF GODS AND MEN」である。
邦題は原題からの直訳であり、日本でアレンジしたわけではなさそうだ。
しかし、この映画は修道士たちのドラマだと聞いていたのに、ということはキリスト教色が濃厚のはずなのに、なぜこんな題名なのだ?
キリスト教は一神教である。八百万(やおよろず)の神々がひしめく日本とは違うのに、「神々」と複数形なのは何ごとだ?
その疑問は、映画が始まってすぐに氷解する。
映画の冒頭で紹介される、旧約聖書の詩篇82篇6~7節の言葉で判る。
---
わたしは言った。「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ。にもかかわらず、おまえたちは、人のように死に、君主たちのひとりのように倒れよう。」
---
ここでいう「神々」とは、「裁判官」とも訳される。「力ある者」を意味するそうだ。
たとえ「神々」「いと高き方の子ら」と呼ばれるほどの力を持つ者であっても、所詮はただの人間であり、いずれは死ぬだけだ。そして神の裁きを受けることになる。どんなに力のある者でも、悪者どもを利し、弱い者や貧しい者を助けないようでは、神に必ずや裁かれるぞ、ということだ。
この言葉が意味することは、キリスト教徒が圧倒的に多いフランスでは云わずもがなであろうが、日本の観客の大多数にはピンと来ないかもしれない。日本人は、その独特の祖霊信仰も手伝ってか、神様は人間を見守ってくださるありがたい存在だと考えがちだが、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)における創造主は人知を超えた存在であり、心優しいことよりもまず人間とは次元が異なる強大な力を持つのが特徴なのだ。
また、「HOMMES」はたしかに「男たち」と訳せるが、同時に「人々」という意味もあり、詩篇82篇と考え合わせれば、「神々」に対する「人々」のことと解釈するのが自然だろう。
それに「男たち」と訳してしまうと、映画に登場する修道士たちだけを指すように思いかねない。
ここでの「人々」とは、修道士や村人はもとより、テロリストや国軍のような武装勢力も含めた全員が、神の前ではただの人間でしかないこと、神の裁きを待つ身であることを意味しよう。
劇中にも、薬を欲するテロリストに対して、治療を求める者が誰であろうと同じように診察すると告げるセリフがある。
だから『神々と男たち』という邦題は、原題からの直訳としては間違っていないものの、背景にあるキリスト教の知識に疎い観客には、ちと辛い。たとえば、『力を振るう者たちと人々』なんて訳し方でも良かったのではないか。
もっとも、そんなことは邦題を決める際に議論されたに違いない。
おそらく、題名に込められた複数の意味を無理に表現するよりも、『神々と男たち』という言葉のインパクトを重視したのだろう。
それに、題名の意味が伝わるかどうかはともかく、この映画が描くことは、日本人にも馴染みやすい。
映画は、アルジェリアの北西部、アトラス山脈の山あいの修道院が舞台である。1996年当時、アルジェリアでは、クーデターで政権を握った国軍と、これに反発する武装イスラム集団との内戦が続いていた。外国人はテロ攻撃の標的にされ、フランス人の修道士たちもいつ襲われるか判らない。一方の勢力と関係を深めれば、もう一方の勢力から攻撃を受けるだろう。
こんな状況下で、はたして修道院に残って奉仕活動を続けるべきか、それともフランスに帰国するべきか、修道士たちは思い悩む。
フランス人は議論好きだそうだが、本作でも去就に迷う彼らの議論がたびたび繰り返され、それが映画の見どころになる。
当初は、この地を離れようという者や、残って活動を続けようという者がおり、彼らの意見はバラバラだ。ところが議論を繰り返すうちに、彼らの意見は、迫る危険をものともせず、この地に残ることに集約されていく。
修道士たちが拠りどころとするのは信仰だ。神を称え、神の御業を信じる彼らは、暴力に屈せず奉仕活動を続けてこそ心の自由が保たれると考える。
観客は、議論のたびに彼らの信仰が、考えが、先鋭化していく様を見る。そして彼らは、本国の内務省からの帰国命令も無視する決断をする。その先には、武装集団によるテロ事件が待っているにもかかわらず。
彼らは深い信仰を抱いて奉仕活動に従事した。たしかに、村人には彼らの助力が必要で、村人からは引き止められている。
しかし、もしも彼らが死んでしまえば、村人への奉仕活動も閉ざされてしまうのだ。彼らが身の安全を図るのは、必ずしも不信心ではないはずだが、それを妨げたのもまた信仰のなせる業か。
不遜を承知で云うならば、本国から遠く離れた小集団が危険を顧みない思想に染まっていく様子は、カルトや過激派に通じないか。
もちろん彼らの活動は、攻撃的なカルトや過激派とはまったく違う。しかし危険な選択をしてしまう彼らの判断は、あまりにも先鋭化している。
そして日本人も、外部から隔離された集団が危険な方向に進んでしまう事例については心当たりがある。
いささか立場は違うが、戦乱が続く地で活動する医師団は、危険が迫れば迅速に避難するそうだ。
もちろん目の前には治療を必要とする患者がいる。医師がいなくなったら彼らは困る。医師たちが去ると知ったら、とうぜん引き止めるだろうし、暴動だって起こりかねない。
だから、医師たちは秘密裏に姿を消すそうだ。いつもどおりの治療を続けていながら、一夜明けたら医師たちは忽然として消え失せる。
そんなことをするのは医師たちも辛いだろうが、そういう判断をしなければ活動を継続できないのだ。
もしもその判断を、現地に深く入り込んだ医師たちの自主性に任せたら、はたして迅速に避難できるだろうか。
観客は、『神々と男たち』を観ることで、修道士たちが危険な土地に留まることを決意する過程に付き合うことになる。そして、彼らの判断を尊いと感じるかもしれない。彼らの判断に共感するかもしれない。
しかし、そう感じるとしたら、それこそが危険の兆候ではないだろうか。
本作でもう一つ見逃せないのは、フランスとアルジェリアの関係だ。
劇中で修道士はフランス人であるがために非難される。
「フランスの植民地政策のせいだ。フランスが搾取したからだ。」
本作で、フランスの責任を問う言葉はこれだけだ。
たったこれだけと見るべきか、言及したことを評価すべきか。
フランスを初めとした各国の植民地政策のために、アフリカでは部族民族の生活圏とは無関係な国境が引かれ、産業は宗主国に都合の良い偏ったものにされ、宗主国から独立した後も社会的・経済的な不安定さが続いている。
アルジェリアも、フランスとの戦争の末にようやく独立したのだが、経済的にはいまだフランスに大きく依存している。
そしてフランスは、長いあいだアルジェリアとの戦争をなかったことにしていた。
これは1994年のルワンダ虐殺において、ルワンダに駐留していたフランス軍がバレーボールで遊びながら虐殺を見物していたことを、長年にわたって認めようとしなかったことにも通じよう。
本作の公式サイトによれば、フランスでは、2003年より、死亡したクリストフ師の遺族が中心となって、この事件の真相究明のための裁判が行なわれているそうだ。
裁判の行方は不明だが、だからこそ本作の作り手は、すべての人にいずれ神の裁きが下ることを示す文を冒頭に掲げたのかもしれない。
であるならば、100万人に及ぶ死者を出したアルジェリア戦争や、やはり犠牲者が100万人にもなるルワンダ虐殺のことを、神はどのように裁くのだろうか。
『神々と男たち』 [か行]
監督・脚色・台詞/グザヴィエ・ボーヴォワ 脚本・脚色・台詞/エチエンヌ・コマール
出演/ランベール・ウィルソン マイケル・ロンズデール オリヴィエ・ラブルダン フィリップ・ロダンバッシュ ジャック・エルラン ロイック・ピション グザヴィエ・マリー ジャン=マリー・フラン オリヴィエ・ペリエ サブリナ・ウアザニ ファリド・ラービ アデル・バンシェリフ
日本公開/2011年3月5日
ジャンル/[ドラマ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
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その題名を目にして驚いた。
邦題は『神々と男たち』。原題は「DES HOMMES ET DES DIEUX」、英題なら「OF GODS AND MEN」である。
邦題は原題からの直訳であり、日本でアレンジしたわけではなさそうだ。
しかし、この映画は修道士たちのドラマだと聞いていたのに、ということはキリスト教色が濃厚のはずなのに、なぜこんな題名なのだ?
キリスト教は一神教である。八百万(やおよろず)の神々がひしめく日本とは違うのに、「神々」と複数形なのは何ごとだ?
その疑問は、映画が始まってすぐに氷解する。
映画の冒頭で紹介される、旧約聖書の詩篇82篇6~7節の言葉で判る。
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わたしは言った。「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ。にもかかわらず、おまえたちは、人のように死に、君主たちのひとりのように倒れよう。」
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ここでいう「神々」とは、「裁判官」とも訳される。「力ある者」を意味するそうだ。
たとえ「神々」「いと高き方の子ら」と呼ばれるほどの力を持つ者であっても、所詮はただの人間であり、いずれは死ぬだけだ。そして神の裁きを受けることになる。どんなに力のある者でも、悪者どもを利し、弱い者や貧しい者を助けないようでは、神に必ずや裁かれるぞ、ということだ。
この言葉が意味することは、キリスト教徒が圧倒的に多いフランスでは云わずもがなであろうが、日本の観客の大多数にはピンと来ないかもしれない。日本人は、その独特の祖霊信仰も手伝ってか、神様は人間を見守ってくださるありがたい存在だと考えがちだが、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)における創造主は人知を超えた存在であり、心優しいことよりもまず人間とは次元が異なる強大な力を持つのが特徴なのだ。
また、「HOMMES」はたしかに「男たち」と訳せるが、同時に「人々」という意味もあり、詩篇82篇と考え合わせれば、「神々」に対する「人々」のことと解釈するのが自然だろう。
それに「男たち」と訳してしまうと、映画に登場する修道士たちだけを指すように思いかねない。
ここでの「人々」とは、修道士や村人はもとより、テロリストや国軍のような武装勢力も含めた全員が、神の前ではただの人間でしかないこと、神の裁きを待つ身であることを意味しよう。
劇中にも、薬を欲するテロリストに対して、治療を求める者が誰であろうと同じように診察すると告げるセリフがある。
だから『神々と男たち』という邦題は、原題からの直訳としては間違っていないものの、背景にあるキリスト教の知識に疎い観客には、ちと辛い。たとえば、『力を振るう者たちと人々』なんて訳し方でも良かったのではないか。
もっとも、そんなことは邦題を決める際に議論されたに違いない。
おそらく、題名に込められた複数の意味を無理に表現するよりも、『神々と男たち』という言葉のインパクトを重視したのだろう。
それに、題名の意味が伝わるかどうかはともかく、この映画が描くことは、日本人にも馴染みやすい。
映画は、アルジェリアの北西部、アトラス山脈の山あいの修道院が舞台である。1996年当時、アルジェリアでは、クーデターで政権を握った国軍と、これに反発する武装イスラム集団との内戦が続いていた。外国人はテロ攻撃の標的にされ、フランス人の修道士たちもいつ襲われるか判らない。一方の勢力と関係を深めれば、もう一方の勢力から攻撃を受けるだろう。
こんな状況下で、はたして修道院に残って奉仕活動を続けるべきか、それともフランスに帰国するべきか、修道士たちは思い悩む。
フランス人は議論好きだそうだが、本作でも去就に迷う彼らの議論がたびたび繰り返され、それが映画の見どころになる。
当初は、この地を離れようという者や、残って活動を続けようという者がおり、彼らの意見はバラバラだ。ところが議論を繰り返すうちに、彼らの意見は、迫る危険をものともせず、この地に残ることに集約されていく。
修道士たちが拠りどころとするのは信仰だ。神を称え、神の御業を信じる彼らは、暴力に屈せず奉仕活動を続けてこそ心の自由が保たれると考える。
観客は、議論のたびに彼らの信仰が、考えが、先鋭化していく様を見る。そして彼らは、本国の内務省からの帰国命令も無視する決断をする。その先には、武装集団によるテロ事件が待っているにもかかわらず。
彼らは深い信仰を抱いて奉仕活動に従事した。たしかに、村人には彼らの助力が必要で、村人からは引き止められている。
しかし、もしも彼らが死んでしまえば、村人への奉仕活動も閉ざされてしまうのだ。彼らが身の安全を図るのは、必ずしも不信心ではないはずだが、それを妨げたのもまた信仰のなせる業か。
不遜を承知で云うならば、本国から遠く離れた小集団が危険を顧みない思想に染まっていく様子は、カルトや過激派に通じないか。
もちろん彼らの活動は、攻撃的なカルトや過激派とはまったく違う。しかし危険な選択をしてしまう彼らの判断は、あまりにも先鋭化している。
そして日本人も、外部から隔離された集団が危険な方向に進んでしまう事例については心当たりがある。
いささか立場は違うが、戦乱が続く地で活動する医師団は、危険が迫れば迅速に避難するそうだ。
もちろん目の前には治療を必要とする患者がいる。医師がいなくなったら彼らは困る。医師たちが去ると知ったら、とうぜん引き止めるだろうし、暴動だって起こりかねない。
だから、医師たちは秘密裏に姿を消すそうだ。いつもどおりの治療を続けていながら、一夜明けたら医師たちは忽然として消え失せる。
そんなことをするのは医師たちも辛いだろうが、そういう判断をしなければ活動を継続できないのだ。
もしもその判断を、現地に深く入り込んだ医師たちの自主性に任せたら、はたして迅速に避難できるだろうか。
観客は、『神々と男たち』を観ることで、修道士たちが危険な土地に留まることを決意する過程に付き合うことになる。そして、彼らの判断を尊いと感じるかもしれない。彼らの判断に共感するかもしれない。
しかし、そう感じるとしたら、それこそが危険の兆候ではないだろうか。
本作でもう一つ見逃せないのは、フランスとアルジェリアの関係だ。
劇中で修道士はフランス人であるがために非難される。
「フランスの植民地政策のせいだ。フランスが搾取したからだ。」
本作で、フランスの責任を問う言葉はこれだけだ。
たったこれだけと見るべきか、言及したことを評価すべきか。
フランスを初めとした各国の植民地政策のために、アフリカでは部族民族の生活圏とは無関係な国境が引かれ、産業は宗主国に都合の良い偏ったものにされ、宗主国から独立した後も社会的・経済的な不安定さが続いている。
アルジェリアも、フランスとの戦争の末にようやく独立したのだが、経済的にはいまだフランスに大きく依存している。
そしてフランスは、長いあいだアルジェリアとの戦争をなかったことにしていた。
これは1994年のルワンダ虐殺において、ルワンダに駐留していたフランス軍がバレーボールで遊びながら虐殺を見物していたことを、長年にわたって認めようとしなかったことにも通じよう。
本作の公式サイトによれば、フランスでは、2003年より、死亡したクリストフ師の遺族が中心となって、この事件の真相究明のための裁判が行なわれているそうだ。
裁判の行方は不明だが、だからこそ本作の作り手は、すべての人にいずれ神の裁きが下ることを示す文を冒頭に掲げたのかもしれない。
であるならば、100万人に及ぶ死者を出したアルジェリア戦争や、やはり犠牲者が100万人にもなるルワンダ虐殺のことを、神はどのように裁くのだろうか。
![神々と男たち [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51UlEmG9HbL._SL160_.jpg)
監督・脚色・台詞/グザヴィエ・ボーヴォワ 脚本・脚色・台詞/エチエンヌ・コマール
出演/ランベール・ウィルソン マイケル・ロンズデール オリヴィエ・ラブルダン フィリップ・ロダンバッシュ ジャック・エルラン ロイック・ピション グザヴィエ・マリー ジャン=マリー・フラン オリヴィエ・ペリエ サブリナ・ウアザニ ファリド・ラービ アデル・バンシェリフ
日本公開/2011年3月5日
ジャンル/[ドラマ]


tag : グザヴィエ・ボーヴォワランベール・ウィルソンマイケル・ロンズデールオリヴィエ・ラブルダンフィリップ・ロダンバッシュジャック・エルランロイック・ピショングザヴィエ・マリージャン=マリー・フランオリヴィエ・ペリエ
⇒comment
邦題の意味
さすがですねー。 そこまで掘り下げておられて。
でもこの意図するところは日本人には初回ではピンとは来ないでしょうね。
私も今拝読してもわかんないもん。
そうですか。 実際は秘密裏に消えるんですね。
でも後ろ髪を引かれる思いなんじゃないでしょうか。
継続治療の病人もいると思うし・・・。
そこで心を残したら、彼らも彼らの使命を全うできないというのも悲しいことですが。
>しかし、そう感じるとしたら、それこそが危険の兆候ではないだろうか。
ついつい、この映画を崇高だと考えますが、
現実問題生きなければならないですね。 でも思想が勝ってしまう場合もある。
結局は自分で自分を裁いているのかもしれません。
フランスによる植民地時代の残滓などにも言及があって、奥深い映画でした。
でもこの意図するところは日本人には初回ではピンとは来ないでしょうね。
私も今拝読してもわかんないもん。
そうですか。 実際は秘密裏に消えるんですね。
でも後ろ髪を引かれる思いなんじゃないでしょうか。
継続治療の病人もいると思うし・・・。
そこで心を残したら、彼らも彼らの使命を全うできないというのも悲しいことですが。
>しかし、そう感じるとしたら、それこそが危険の兆候ではないだろうか。
ついつい、この映画を崇高だと考えますが、
現実問題生きなければならないですね。 でも思想が勝ってしまう場合もある。
結局は自分で自分を裁いているのかもしれません。
フランスによる植民地時代の残滓などにも言及があって、奥深い映画でした。
Re: 邦題の意味
rose_chocolatさん、こんにちは。
劇中で、修道士たちが村人に「我々は去るかもしれない」と告げるシーンがありますね。村人たちは引き止めます。修道士たちの活動に価値があれば、村人が引き止めるのはとうぜんですよね。
修道士たちは崇高な精神の持ち主だから、引き止める村人を捨てて去れるわけがない。信仰や奉仕を大切にする人であればあるほど、去ることができなくなってしまう。
修道士たちが残ることに決めたのは、彼らがそれだけ立派な人物だったからだと思うのです。
でも、世俗的な私なんぞは、だからこそ危険を回避して欲しかったと思います。第三者が力ずくででも連れ出す必要があったのかもしれません。
悲劇的な結末を迎えることは、村人だって望まないでしょうから。
いろいろ考えさせられる映画です。
劇中で、修道士たちが村人に「我々は去るかもしれない」と告げるシーンがありますね。村人たちは引き止めます。修道士たちの活動に価値があれば、村人が引き止めるのはとうぜんですよね。
修道士たちは崇高な精神の持ち主だから、引き止める村人を捨てて去れるわけがない。信仰や奉仕を大切にする人であればあるほど、去ることができなくなってしまう。
修道士たちが残ることに決めたのは、彼らがそれだけ立派な人物だったからだと思うのです。
でも、世俗的な私なんぞは、だからこそ危険を回避して欲しかったと思います。第三者が力ずくででも連れ出す必要があったのかもしれません。
悲劇的な結末を迎えることは、村人だって望まないでしょうから。
いろいろ考えさせられる映画です。
No title
「神々」の「々」は僕もひっかかりました。
唯一神を信仰としている欧米・イスラムの人の反感を買うのでは...と思ったんですけど、現代もGodsで??となってました。
ナドレックさんの言ってるように「裁判官」という意味があるのですねー。
勉強になりました。
唯一神を信仰としている欧米・イスラムの人の反感を買うのでは...と思ったんですけど、現代もGodsで??となってました。
ナドレックさんの言ってるように「裁判官」という意味があるのですねー。
勉強になりました。
Re: No title
InTheLapOfTheGodsさん、こんにちは。
邦題だけでは何のことか判りませんよね。
人を裁く力は本来は神のものだ、という宗教上の理解がないと、ちょっと辛いですね。
邦題だけでは何のことか判りませんよね。
人を裁く力は本来は神のものだ、という宗教上の理解がないと、ちょっと辛いですね。
No title
アルジェは、「アルジェの戦い」で描かれていた凄い解放闘争で、独立を勝ち取ったのに、確か、その後独裁政権が続き、その後の民主化選挙を行ったら、原理主義が勝ち、民主主義が否定されて、はて、その後が、この映画なんでしょうか?
マア、私は、ダメでした。
ナンカ、最近見た「ツリー オブ ライフ」を見た後のような感じでした。
宗教観の違い、基礎が余りにも大きすぎました。
フランスは、プルカの問題もあり、人気があったようですが、日本じゃ無理な話題ですね。
今になって、こちらでは、公開されました。
マア、私は、ダメでした。
ナンカ、最近見た「ツリー オブ ライフ」を見た後のような感じでした。
宗教観の違い、基礎が余りにも大きすぎました。
フランスは、プルカの問題もあり、人気があったようですが、日本じゃ無理な話題ですね。
今になって、こちらでは、公開されました。
Re: No title
武士さん、コメントありがとうございます。
> その後の民主化選挙を行ったら、原理主義が勝ち、
イスラム原理主義政党が選挙に勝った後、軍部がクーデターを起こし、これに反発する武装イスラム集団との内戦になった状態がこの映画の背景にあります。
本作は、フランスでは受けると思うのです。
激しい戦争を経て自国から独立したアルジェリアが、政情不安な危険な国と化していて、そんな中でもフランス人が暴力に屈せず善行に励む話なわけです。そして誰が見ても善人であるフランス人修道士たちが悲惨な犠牲となる……。この映画で描かれることに限れば、かつての支配者であるフランス人はひたすらいい人、支配を断ち切ったアルジェリア人は危険だったり、フランス人にすがっていたり。
これはフランス人の愛国心がくすぐられるのではないでしょうか。
しかし、同様のシチュエーションの映画が日本で作られれば、やはり日本でも受けるでしょう。しいて云えば、『ビルマの竪琴』が近いでしょうか。戦争をしに行った日本人がいい人ばかりで、現地人に慕われて、信仰を奉ずる。ちょっと似ているかと思います。
そんな点を考慮しても、本作が描くことは普遍的ではないでしょうか。
宗教的な行為やセリフが多いので馴染みにくいのは確かですが、戦乱の中に孤立した人々が極限でどんな選択をするか、という主題は、考えさせるものがありました。
> その後の民主化選挙を行ったら、原理主義が勝ち、
イスラム原理主義政党が選挙に勝った後、軍部がクーデターを起こし、これに反発する武装イスラム集団との内戦になった状態がこの映画の背景にあります。
本作は、フランスでは受けると思うのです。
激しい戦争を経て自国から独立したアルジェリアが、政情不安な危険な国と化していて、そんな中でもフランス人が暴力に屈せず善行に励む話なわけです。そして誰が見ても善人であるフランス人修道士たちが悲惨な犠牲となる……。この映画で描かれることに限れば、かつての支配者であるフランス人はひたすらいい人、支配を断ち切ったアルジェリア人は危険だったり、フランス人にすがっていたり。
これはフランス人の愛国心がくすぐられるのではないでしょうか。
しかし、同様のシチュエーションの映画が日本で作られれば、やはり日本でも受けるでしょう。しいて云えば、『ビルマの竪琴』が近いでしょうか。戦争をしに行った日本人がいい人ばかりで、現地人に慕われて、信仰を奉ずる。ちょっと似ているかと思います。
そんな点を考慮しても、本作が描くことは普遍的ではないでしょうか。
宗教的な行為やセリフが多いので馴染みにくいのは確かですが、戦乱の中に孤立した人々が極限でどんな選択をするか、という主題は、考えさせるものがありました。
No title
「フランス側にすれば、「神の恩寵」と、民主主義をもたらしたのに・・」の気分なのに、ナニやてんの?の世界でしょうか?
それから、モウ一つ、映画の中で、「殉教は避けたい」と云う台詞がありましたが、結果的には殉教でした。
この辺が、フランスでは一番受けたところなんでしょうか?
スイマセン、取り留めのない話を書いて。
それから、モウ一つ、映画の中で、「殉教は避けたい」と云う台詞がありましたが、結果的には殉教でした。
この辺が、フランスでは一番受けたところなんでしょうか?
スイマセン、取り留めのない話を書いて。
Re: No title
武士さん、こんにちは。
> 「殉教は避けたい」と云う台詞がありましたが、結果的には殉教でした。
最初は常識を持って行動していたのに、孤立した閉鎖集団が徐々に常識的な判断を失って危険を意識できなくなってしまう……。そんな風に私は捉えましたが、宗教に殉じるほど彼らは純粋さを増したのだ、と見る向きもあるでしょう。
彼らが完全に被害者であることが、受ける要因の一つなんでしょうね。
> 「殉教は避けたい」と云う台詞がありましたが、結果的には殉教でした。
最初は常識を持って行動していたのに、孤立した閉鎖集団が徐々に常識的な判断を失って危険を意識できなくなってしまう……。そんな風に私は捉えましたが、宗教に殉じるほど彼らは純粋さを増したのだ、と見る向きもあるでしょう。
彼らが完全に被害者であることが、受ける要因の一つなんでしょうね。
No title
複数の力があるものの象徴・・・おかみさんかな。人類の長きにわたって種が途絶えずに入れるのは妻が夫をコントロールしてるからです。だから「おかみさんと男たち」というのが本当の題名。
ああっ、合コン映画だったのか!
その合コンでは「王様ゲーム」ならぬ「神様ゲーム」が行われるという(それらしい事を書いてるけど何か中身がないぞ)。
ああっ、合コン映画だったのか!
その合コンでは「王様ゲーム」ならぬ「神様ゲーム」が行われるという(それらしい事を書いてるけど何か中身がないぞ)。
Re: No title
ふじき78さん、こんにちは。
この作品に「合コン映画」とコメントするとは、さすがです。
神様ゲームって面白そうだなぁ。
この作品に「合コン映画」とコメントするとは、さすがです。
神様ゲームって面白そうだなぁ。
ありがとう
う~ん これは深いブログですね。スレをする方々のコメントも深い。勉強になりました。どうもありがとうございます。
Re: ありがとう
いちごさん、こんにちは。
本作にコメントされるとは渋好みですね:-)
私もブログにいただくコメントで教えられることも多いです。
本作にコメントされるとは渋好みですね:-)
私もブログにいただくコメントで教えられることも多いです。
No title
「神々と男たち」の々に疑問を抱いて、このブログに流れ着いたものです!
私はこの映画にいまいち共感できなかったというか、どう評価すべき映画なのかわからなかったのですが、ナドレックさんの考察が、私が感じていたモヤモヤを見事解消してくださいました
とっても参考になりました
ありがとうございました
私はこの映画にいまいち共感できなかったというか、どう評価すべき映画なのかわからなかったのですが、ナドレックさんの考察が、私が感じていたモヤモヤを見事解消してくださいました
とっても参考になりました
ありがとうございました
Re: No title
未記入さん、こんにちは。
『神々と男たち』の「々」に「ん?」と思わせて注目させられれば、邦題としては成功ですね:-)
とてもモヤモヤする映画ですが、本作の場合はそのモヤモヤが大切ではないかと思います。
スカッとした爽快さは望めない世界ですからね。映画を観た人がモヤモヤを抱きながらいろいろ考えることが、作り手の狙いなんでしょうね。
『神々と男たち』の「々」に「ん?」と思わせて注目させられれば、邦題としては成功ですね:-)
とてもモヤモヤする映画ですが、本作の場合はそのモヤモヤが大切ではないかと思います。
スカッとした爽快さは望めない世界ですからね。映画を観た人がモヤモヤを抱きながらいろいろ考えることが、作り手の狙いなんでしょうね。
⇒trackback
トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。【TIFF2010】『神々と男たち』(2010)/フランス
原題:OfGodsandMen/DESHOMMESETDESDIEUX監督:グザヴィエ・ボーヴォワ出演:ランベール・ウィルソンマイケル・ロンズデールオリヴィエ・ラブルダンフィリップ・ロダンバックジャック・エルラ...
神々と男たち
Des Hommes et de Dieux
監督: グザヴィエ・ボーヴォワ(Xavier Beauvois)
出演: ランベール・ウィルソン(Lambert Wilson)/マイケル・ロンズデール(Michael Lonsdale)/オリヴィエ・ラブルダン(Olivier Rambourdin)/フィリップ・ロダンバッシュ(Philippe Laudenbac
神々と男たち・・・・・評価額1600円
1996年、アルジェリアの寒村で7人のフランス人修道僧が消え、後に遺体となって見つかった。
当時のアルジェリアはイスラム過激派の台頭によって内戦状態に陥り、外国人の襲撃が相次いでおり、殺された僧たち...
神々と男たち
1996年にアルジェリアで起きた武装イスラム集団によるフランス人修道士誘拐・殺害事件を映画化。命の危険に恐怖し、逃げ出したい気持ちとの間で揺れる修道士たちの心の葛藤を描いた作品だ。主演は『華麗なるアリバイ』のランベール・ウィルソン、監督は俳優でもあるグ...
『神々と男たち』で汝、隣人を愛せるかもしれないよ。
今回は2010年のカンヌ国際映画祭で次席にあたるグランプリを受賞した『神々と男たち』という映画の感想です。
観に行った映画館はシネスイッチ銀座。映画の日だったこともありほぼ満席でした。公開...
映画「神々と男たち」それでも神は沈黙を守るのか
「神々と男たち」★★★☆
ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデール、
オリヴィエ・ラブルダン、フィリップ・ロダンバッシュ出演
グザヴィエ・ボーヴォワ監督、
101分 、2011年3月5日公開
2010,フランス,マジックアワー、IMJエンタテインメント
(原作:原題:DE...
(今日の映画)神々と男たち
神々と男たち(2010/仏)
『神々と男たち』
神に仕えし身にあらば、彼らはみな神々である。
しかしながら死する時は、人として死ぬであろう。
白鳥の湖の昂ぶる旋律にいざなわれし、神々の晩餐に。
『神々と男たち』 DES HOMMES ET DES DIEUX
2010年/フランス/120min
監督:グザビエ・ヴォーヴォワ
...
神々と男たち
1996年にアルジェリアで起きた武装イスラム集団によるフランス人修道士の誘拐、殺害を描く。アルジェリアのキリスト教修道院ではフランスから派遣された修道士たちが地元のイスラム教徒のアルジェリア人たちと良好な関係を結びながら慎ましやかに生活していた。修道士の中...
神々と男たち
【DES HOMMES ET DES DIEUX/OF GODS AND MEN】2011/03/05公開 フランス PG12 120分監督:グザヴィエ・ボーヴォワ出演:ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデール、オリヴィエ・ラブルダン、フィリップ・ロダンバッシュ、ジャック・エルラン、ロイック・ピション...
神々と男たち
アルジェリアで実際に起きた原理主義者によるフランス人修道士誘拐・殺害事件を題材にした作品。
内戦のさなか、質素に穏やかな共同生活を送っていた修道士と地元民たち。ところがイスラム過激派によるテロが激化し、フランス政府からは帰国命令が。帰るべきか、留まるべ...
『神々と男たち』を新橋文化で観て、静寂と不協和音ふじき★★★
五つ星評価で【★★★心洗われる映画だが、洗われる心が洗いきれないほど汚れている】
静かな映画だ。
カンヌ・グランプリ映画だそうだ。さもありなん。
ただ、不快な静けさ ...