『海炭市叙景』 故郷の呪縛

 前回の記事では、『冷たい熱帯魚』における希望や救済の否定について述べた。
 同様に希望も救済も雲散霧消し、どんよりとした閉塞感に覆われるのが、『海炭市叙景』である。
 ここで描写されるのは、たとえば会社から解雇されて所属すべき集団を失った男であり、人々が引っ越した後に一軒だけ取り残された老婆であり、妻や息子からコミュニケーションを拒絶されて家の中で孤立する夫である。

 しかし、一方の『冷たい熱帯魚』が、愛や希望や救済を否定しつつも人間の持つ力強さを描いていたのに対し、『海炭市叙景』には力強さやエネルギーはない。人々は、解雇*された*り、取り残*された*り、コミュニケーションを拒絶*された*りして、不本意な運命に翻弄される。
 彼らは認識していないが、そこには実は自由がある。新しい仕事に就く自由、新天地に踏み出す自由、家族にかかずらわずに一人で生きる自由、それらを自由な意思によって選びとり、能動的に生きる余地がある。
 しかし、本作の登場人物たちは、それを自由だとは考えない。みずから踏み出すことなく、運命に耐えながら日々を過ごしている。

 『冷たい熱帯魚』の記事で私はニヒリズムに触れたが、それは2つに分けることができる。
 ウィキペディアの記事を引用しよう。
---
ニーチェによれば、(略)ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。

1. すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。

2. 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。
---

 『冷たい熱帯魚』に見られるニヒリズムが能動的ニヒリズムだとすれば、本作の根底にあるのは受動的ニヒリズムである。
 本作に『冷たい熱帯魚』のような悪人は出てこないが、それは悪人になるだけのエネルギーがないからだ。


 彼らは、あるものに縛られているのだ。がんじがらめに縛られて、エネルギーを失っている。
 それは故郷だ。
 彼らは職を失っても、地域のあり様が変わっても、故郷を離れようとはしない。登場人物の中で唯一東京へ出た青年とて、故郷への思いを捨てがたく抱え続けている。みずからの意思で居座っているように見える老婆でさえ、長年住んだ土地に縛られているのだ。
 彼らは、故郷を離れられないためにみずから閉塞感を作りだし、その閉塞感で自分自身を締め上げている。

 60~70年代の映画であれば、故郷に縛られた人々が、やがて故郷と決別し、新たに旅立つ物語になったかもしれない。
 周りの人々や地域との縁よりも、変化を求めたことだろう。
 池田信夫氏は、無縁社会に関連して次のように述べている。
---
無縁というのは中世では「自由」の意味だった。縁切り寺に飛び込めば公権力の追及も逃れることができ、楽市楽座のように領主が公認した場合もあり、堺のように一つの都市が領主から独立した場合もあった。日本の高度成長を支えたのも、人々の「無縁化」を求めるエネルギーだった。そのころのフォークソングには、地方から東京に出て行く恋人をテーマにした歌が多い。
(略)
高度成長は人々にとっては「故郷喪失」ではなく、希望を求めるリスクテイクだった。
---

 だが『海炭市叙景』の人々は、現状を維持し続けようとする。
 なにも、エネルギーを注いで積極的に維持しているわけではない。ただ、変化を止めているのだ。
 中には、浄水器の販売に乗り出すガス屋も登場するけれど、その新事業は児戯に等しく、何の変化ももたらさない。なにしろガスというインフラ産業の一端を担う彼は、そこから安定した収益を見込めるので、浄水器のような「なくても済むもの」に本気で取り組む必然性がないのだ。その新事業は、二代目社長の見栄と父への反抗でしかない。
 かろうじて生きるエネルギーを感じさせるのは、酒場の女たちだろうか。彼女たちは、客を適当にあしらいながら、したたかに生きている。ろくでもない酔っ払いと、毎夜格闘している。

 こんな登場人物たちを、映画の作り手は肯定する。
 彼らに変化を促すでもなく、意見するでもなく、ただそこに住み続ける彼らを優しく肯定している。


 しかし池田信夫氏は、高度成長とその後の停滞について、実質GDP成長率から次のように述べる。
---
労働人口が生産性の高い都市に移動することによって成長率は上がる。労働生産性の大部分は、こうした労働配分の効率化で説明できるので、人口を地方に分散すると成長率が下がるのは当然である。
---

 成長率が下がった影響を、人々は被っているのだが、それでも本作の人々は故郷に住み続ける。
 なぜなら、希望も救済もないようでいて、一つ大きなものがあるからだ。
 それは、沈没するのはみんな一緒という安心感である。

(つづく)

海炭市叙景 Blu-ray BOX(Blu-ray Disc)海炭市叙景』  [か行]
監督/熊切和嘉  脚本/宇治田隆史
出演/谷村美月 竹原ピストル 加瀬亮 三浦誠己 山中崇 南果歩 小林薫 村上淳
日本公開/2010年12月18日
ジャンル/[ドラマ]
ブログパーツ このエントリーをはてなブックマークに追加

【theme : 邦画
【genre : 映画

tag : 熊切和嘉谷村美月竹原ピストル加瀬亮三浦誠己山中崇南果歩小林薫村上淳

⇒comment

No title

「いぬの映画」とコラボして「海炭市叙景だワン」という題名にして、登場人物がみんな犬を飼ってるという設定にしたら、もうちょっとニヒルじゃなくなってよかったのかもしれないワン。

Re: No title

>ふじき78さん

そんなことをされたら、DVDを買っちゃうワン!

根が前向きってか

よく明るい。。と言われます。
決して、自分は明るい人間だとは思ってないです。
ただ、後ろ向きに考えないってよりも、黙っていられない。。。自分はそれだけなんですよね。
一番出来ないのが、ボーっとすること。ホントはしたいんですが出来ない。
常に何か行動しているおかげで、明るいと言われてるんだろうな。。と思っております。
それが無理から出ていることでも、いいようにとることにしてます。
今改めて考えると、この映画を見たのは地震の前でよかったなあと思いますわ。
やはり、あれおかげで人生観変わりました。やれることはやった方がいい。
自分の生き方はうざったいかもしれないけど、これで行こう!と再認識した次第です。。。ただし体力が続く限り。

Re: 根が前向きってか

sakuraiさん、こんにちは。
前向きですね。脱帽です。
太平洋側ではないとはいえ、地震の影響は大きいでしょうに、ブログを拝見してると力強さが伝わってきます。
地震のおかげで考え方が変わった、何があるか判らないんだから小さいことは気にせず突き進もう、と前向きになられた方は多いですね。
私も見習わないと。
Secret

⇒trackback

  トラックバックの反映にはしばらく時間がかかります。ご容赦ください。


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

『海炭市叙景』(2010)/日本

鑑賞劇場 : ユーロスペース『海炭市叙景』 公式サイトはこちら。いくつもの文学賞候補(芥川賞5回、三島賞)に推されながらも遂に受賞はならず、1990年に自死した函館市出身の作...

海炭市叙景

『海炭市叙景』は90年に自らの命を絶った不遇の小説家・佐藤泰志の故郷である函館をモデルにした“海炭市”を舞台に、そこに生きる人々の姿を描き出す未完の連作短編小説です。その佐藤泰志の幻の傑作『海炭市叙景』が、ついに映画化...

海炭市叙景 #3

’10年、日本 監督:熊切和嘉 製作:菅原和博、前田紘孝、張江肇 原作:佐藤泰志 『海炭市叙景』 脚本:宇治田隆史 撮影:近藤龍人 音楽:ジム・オルーク 美術:山本直輝 編集:堀善介 谷村美月   : 井川帆波 竹原ピストル : 井川颯太 加瀬亮    : 目...

海炭市叙景

1990年に41歳で自殺した函館出身の作家・佐藤泰志の未完の連作短編集を映画化。海炭市という架空の地方都市を舞台に、そこで懸命に生きる人々の姿をリアルに綴ったオムニバスタイプのヒューマンドラマだ。監督は北海道出身で『ノン子36歳(家事手伝い)』の熊切和嘉...

「海炭市叙景」

 現在の日本社会を覆う閉塞感をヴィヴィッドに描出した力作である。原作は佐藤泰志の連作短編集。佐藤は函館市出身の小説家で、若い頃からその達者な筆力でさまざまな文学賞の候補になるが、とうとう芥川賞にも三島由紀夫賞にも(最終選考には何度も残るものの)届かず...

「海炭市叙景」

地味な映画。 その地味さがいい。 造船所をリストラされた男とその妹、妻が夜の仕事に出ている男とその息子、仕事がうまくいかないガス屋の跡継ぎ、立ち退きを拒否する老女。そこいらへんにいるような人間たちのすすけたような生活の点描。 地べたにへばりついているよう...

海炭市叙景(かいたんしじょけい)

北海道にある海炭市という架空の都市が舞台。 撮影は函館市。 12/15に放送された笑っていいともに登場した 谷村美月さんの話によると、自分のパートは1週間ぐらいで 撮影が終了。 エンドロールでは谷村...

『海炭市叙景』をユーロスペース1で観て、谷村美月ちゃんに萌え萌えだけど映画は普通な男ふじき☆☆☆

五つ星評価で【☆☆☆しっとりだけど普通】    『クロッシング』ってタイトルでもよかったかな。 とりあえず、谷村美月ちゃんがかーいーの。 五つのエピソードからなる ...

海炭市叙景(2010)

わたしたちは、あの場所に戻るのだ。 1月8日、京都みなみ会館で鑑賞。「森崎書店の日々」の後、観た作品です。このタイトルに惹かれて行きました。それと加瀬亮君が出演しているのもあって、、、、。もちろん海炭市という名前の地名はありません。舞台となったのは、北...

『海炭市叙景』は冷暖房設置済みだよ。

 そういえば「画期的!!」「分かりやすい!!」「人生観が変わった!!」「永遠の生命を手に入れたような心地すらする!!」と大好評の声が散々寄せられている当ブログの「アイドル映画評価」ですが、ほ...

「海炭市叙景」東京国際映画祭・コンペティション部門出品作品

「海炭市叙景」★★★☆ 谷村美月、加瀬 亮、 小林 薫 、南 果歩、竹原ピストル、三浦誠己、 山中 崇出演 熊切和嘉 監督、152分、 2010年 日本 | 配給:[スローラーナー] (原題:Sketches of Kaitan City )                     →  ★

熊切和嘉[監督]『海炭市叙景』(2010年)を観てきた。

○熊切和嘉[監督]『海炭市叙景』(2010年)を観てきた。 先週末に熊切和嘉[監

海炭市叙景

わかるけど、もっと前を向いて進めないもんかなああ。。。

海炭市叙景

DVDにて観賞 解説 5度芥川賞候補に挙がりながら、41歳で自殺した作家・佐藤泰志の遺作を 映画化したオムニバス・ストーリー。 北海道・函館をモデルにした架空の地方都市を舞台に、さまざまな事情を 抱えた人々が必死に生きる姿を描く。 監督は『ノン子36歳(...

海炭市の信さん

「海炭市叙景」 「信さん・炭坑町のセレナーデ」 

mini review 11552「海炭市叙景」★★★★★★★☆☆☆

5度芥川賞候補に挙がりながら、41歳で自殺した作家・佐藤泰志の遺作を映画化したオムニバス・ストーリー。北海道・函館をモデルにした架空の地方都市を舞台に、さまざまな事情を抱えた人々が必死に生きる姿を描く。監督は『ノン子36歳(家事手伝い)』の熊切和嘉。『アウ...

海炭市叙景/谷村美月、竹原ピストル、加瀬亮

劇場予告編を観て郷土愛が感じられていいなぁと思ったのですが、その後に見聞きした話によれば物語の舞台となった函館市の人々の熱烈な要望に応えて『ノン子36歳(家事手伝い)』 ...
最新の記事
記事への登場ランキング
クリックすると本ブログ内の関連記事に飛びます
カテゴリ: 「全記事一覧」以外はノイズが交じりますm(_ _)m
月別に表示
リンク
スポンサード リンク
キーワードで検索 (表示されない場合はもう一度試してください)
プロフィール

Author:ナドレック

よく読まれる記事
最近のアクセス数
スポンサード リンク
コメントありがとう
トラックバックありがとう
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

これまでの訪問者数
携帯からアクセス (QRコード)
QRコード
RSSリンクの表示