『運び屋』 90歳は運び屋ではない

史上最高齢にして最大の麻薬の運び屋レオ・シャープに取材したサム・ドルニックの記事「The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule(シナロア・カルテルの90歳の運び屋)」にインスパイアされたクリント・イーストウッド監督の映画『運び屋』は、まぎれもない傑作だ。
レオ・シャープをモデルにした老いた運び屋アール・ストーンを、『人生の特等席』(2012年)以来の主演となるイーストウッドが演じ、麻薬取締局の特別捜査官ジェフ・ムーアをモデルにしたコリン・ベイツには『アメリカン・スナイパー』でタッグを組んだブラッドリー・クーパーを起用。今回は監督と役者としてだけでなく、監督と役者、そして共演者としてタッグを組んでいる。
88歳のイーストウッドは、よぼよぼのくたびれたアール・ストーンを見事に演じた。事業に失敗し、家族に見放された老人にとって金だけが友人や孫を喜ばす方法となり、彼は麻薬の運び屋へ転落していく。
だが、孤独な老人の深刻な物語でありながら、本作は意外にも明るく楽しい印象だ。主人公がドライブ中に歌う陽気なカントリー・ミュージックやバックに流れるラテン系の音楽がとても効果を上げている。イーストウッドを主人公にイメージして脚本が執筆されたという本作は、ひょうひょうとした主人公の人間性と相まって、一貫してすがすがしさが漂う心地好い映画になっている。
イーストウッドが監督しなかった『人生の特等席』は、仕事人間だった父と反目していた娘が徐々に父に理解を示してくれる人情噺だったが、本作はイーストウッドみずから監督するだけあってそんな甘えを許さない。仕事人間である限り父は娘に許されないのだ。そんな父がいかにして家族と新しい関係を築いていくか。そこが本作の見どころの一つであろう。
娘役を演じるのは、クリント・イーストウッドが前妻とのあいだに設けた実の娘アリソン・イーストウッド。約20年ぶりの父からの出演依頼に驚いたという。
本作の日本での公開に際し、立田敦子氏は「7年ほど前、イーストウッドにインタビューした際、自分のやりたい仕事に夢中になって、家族に十分な時間をとれなかった若き日を悔いていた。90歳の孤独な老人アール・ストーンは、まさしくイーストウッドの分身だ。」とコメントを寄せている。
もちろん犯罪映画としても面白い。ひょんなことから世界最強の麻薬密売組織の運び屋になってしまった老人が、じわじわと裏社会の暗部に取り込まれていくサスペンス。標的を彼に絞り込んでくる麻薬取締局の包囲網。
麻薬の運び屋はもちろん悪いことだが、アールの人の良さや哀しい人生を知ってしまった観客は、どうしても彼の身を案じてしまう。

アールはあまりにも大量に麻薬を運んでいた。麻薬取締局は有能な運び屋がいることに気づき、運搬予定もそのルートも調べ上げてアール逮捕に乗り出していた。なのに、何度試みてもアールは包囲網をくぐり抜けてしまう。
その理由を説明するため、作り手は丁寧に描写を重ねていく。
あるときアールは、クルマのタイヤがパンクして困っている黒人夫婦を助けてやる。一様に感謝する夫婦だが、アールが「俺が"ニグロ"を救うのか、ハハッ」と呟くのを耳にして顔色を変える。夫婦は困惑しながらも、毅然として申し入れる。「今は"ニグロ"とは云わないんですよ。私たちは"ブラック"、あなたは"ホワイト"です。」
この映画の公開時、"ニグロ"は差別的な表現とされていた。
またあるとき、アールはスマホを片手に自動販売機を叩き続ける男への不満を、通りすがりのベイツ特別捜査官に伝えた。「"君たち"は携帯が手放せないのか。」男を捕らえに行くところだったベイツ特別捜査官は思わず聞き返す。「"君たち"?」アールにすれば男もベイツ特別捜査官も同じようような年下の連中に見えたのだが、ベイツにとっては、不審な男とそいつを捕らえようとする自分を同一視するなんて信じられない思いだったろう。
翌朝、アールとじっくり会話するに至ったベイツは、別れ際に感謝の言葉を述べる。「あなたのような人と話せて良かった。」今度はアールが聞き返す番だった。「あなたのような?」ベイツはアールを人生の先輩と見なして感謝の意を表したのだが、アールは自分が何かを代表しているつもりはさらさらなかった。
アールが麻薬を組織のアジトに運んだときは、「ここの住所を誰に聞いた?」と問い詰められる。アールが「刺青のある大男のメキシコ人だ」と答えると、相手は「みんなそうだ」と怒り出す。住所を教えた男はアールに親切にしてくれたのに、アールは彼を一人の人間として見ておらず、名前はおろか彼を特定できるような特徴をなんら挙げることができなかった。
アールのお守り役を命じられた麻薬密売カルテルの二人がアールと一緒に昼食を食べに行ったとき、二人は店中の注目を浴びてしまう。「みんなジロジロ見ている。」訝る二人にアールは説明する。「白ばっかりの店にタコス野郎が二人いるからな。」たしかに老若男女様々な店内の客は全員が白人で、ラティーノは彼らだけだった。
このように本作には、「黒人」とか「ラティーノ」とか「スマホをいじる若い世代」とか「人生の先輩世代」といったステレオタイプの捉え方が横行し、その偏見・先入観が人間の目を曇らせる描写が挿入される。
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『グラン・トリノ』は、アジアからの移民が多くを占めるようになった街に頑固に居座り続ける白人男性が、モン族の少年との交流を通して変わっていく物語だった。白人が「近年増え続けるアジア系移民」とひとくくりにしていた人々だが、実際に接してみるとそこには悩みを抱えた少年がいたり、心優しい娘がいたり、凶悪なギャングがいたりした。とてもひとくくりにはできない、一人ひとりが異なる性質を持つ人間たちだった。
本作でも、単に「強圧的な麻薬密売組織の犯罪者」に思えた男が、話してみると身寄りがなく他に行く当てもないフリオという青年であることが判ったりした。
2010年代、米国ではトランプ大統領の共和党政権がメキシコからの不法移民を防ごうとやっきになっていた。トランプを支持する中高年の白人女性は、次のように述べたものだ。
「今、何が私の身の回りに起こっているか、ですって。私の住んでいる田舎町にまで、肌の浅黒い見知らぬ外国人がどんどん入ってきて、治安が悪くなっているんですよ。トランプさんはこんな状況から私たちをきっと救い出してくれると信じています。」
外国人の増加と治安の悪化は必ずしも因果関係で語れるものではないのだが、こういう考えの人たちがトランプ大統領を支持していた。主人公のモデルとなったレオ・シャープが暮らしたインディアナ州は長年共和党が強い地域で、主人公アールもいかにも共和党を支持しそうな白人だ。クリント・イーストウッド自身、ハリウッドスターにしては珍しくドナルド・トランプに投票すると明言した人物である。
にもかかわらず本作では、メキシコからの不法移民どころか、メキシコの麻薬密売組織の構成員であるフリオと親しくなり、信頼関係を結んでいく様子が描かれる。
フリオより残忍で、いっとき連絡が取れなくなったアールを殺してやると息巻いていたカルテルの殺し屋でさえ、アールが連絡できなかった理由を知るとアールに同情して殺せなくなる。殺し屋たちはただの「運び屋」なら殺せても、家族思いで哀れな身の上の老人は殺せなかったのだ。
「スマホをいじる若い世代」とひとくくりにされていたコリン・ベイツは仕事にかまけて妻との記念日を忘れたことを後悔する優しい男だったし、くたびれた「人生の先輩世代」に見えたアールは現役バリバリの麻薬の運び屋だった。
誰もが一見しただけでは判らない別の顔を持っていた。
ベイツ特別捜査官は運び屋と思しき男に目を付けては次々に尋問したが、どうしてもアールにはたどり着けなかった。アールに会ってもなお、それが彼の追う運び屋とは判らなかった。
彼が目を付けるのはラテン系の恰幅の良い男ばかりで、「人生の先輩」である90歳のくたびれた白人がまさかメキシコのカルテルに見込まれた腕っこきの運び屋であろうとは想像もできなかったのだ。
偏見や先入観に捉えられ、ステレオタイプな見方をしている限り、人間の真の姿には気づかない。
人間は一人ひとりみんな違って、抱える事情も人それぞれ。そこに思いが及んだときに、違う光景が見えてくる。

監督・制作/クリント・イーストウッド
出演/クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー ローレンス・フィッシュバーン マイケル・ペーニャ アンディ・ガルシア ダイアン・ウィースト タイッサ・ファーミガ アリソン・イーストウッド
日本公開/2019年3月8日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス] [犯罪]

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『レゴ ムービー2』 またもやサイコー!!

凄いことだ。傑作『LEGO ムービー』の続編『レゴ ムービー2』もまた傑作だった。『レゴバットマン ザ・ムービー』、『レゴニンジャゴー ザ・ムービー』と並んで、レゴ映画にハズレがないことを立証したのだ。
『LEGO ムービー』は一回こっきりしか使えない仕掛けをほどこした重層的なメタフィクションだった。『シュガー・ラッシュ』がゲーム中のキャラクターを擬人化した映画だったように、『絵文字の国のジーン』が絵文字を擬人化した映画だったように、てっきりレゴの人形を擬人化した映画だと思って見ていたら、現実世界のフィン少年(日本語吹替版ではエメット少年)の物語になってしまったので仰天した。この突拍子もないストーリーをバカバカしく感じさせず、爽快感と感動に満ちた映画に仕上げてしまうのだから、作り手たちの手腕はたいしたものだった。
けれども、同時に思ったものだ。この手は二度と使えないだろうと。種が割れてしまった以上、続きを作るのは無理だろうと。
だから、『LEGO ムービー』のヒットを受けて続編制作が報じられたとき、どうやって物語の続きを成立させるつもりだろうかと首を捻ったものだった。
まったくの杞憂であった!
レゴ社が幼児向けに販売している、パーツが大きいデュプロブロック。そのデュプロで作られたデュプロ星人の登場で終わった前作のラストシーンから『レゴ ムービー2』ははじまる。
前作のラストから途切れることなく話が続くのは『インクレディブル・ファミリー』等でも見られる手法であり、前作のラストが気になっていた観客の興味に応えてくれる誠実な続け方だ。
本作の背景にあるのは、フィン少年と妹ビアンカの抗争だ。その結果、あの整然としたブロック・シティは崩壊し、荒れ果てたボロボロシティになってしまう。
長い戦いと膠着状態の後、カラフルなパーツの宇宙船とスマートな人形が登場したことで、物語は大きく転がり出す。成長したビアンカがデュプロを卒業し、女児向けの玩具レゴ フレンズを手に入れたのだ。

中盤から登場する新キャラクターのレックスは、クリス・プラットが声を当ててるものだから、銀河の守護者(それはマーベルの映画だ)である上にヴェロキラプトルを手なずけてもいる(それはユニバーサルの映画)。コナーやリプリー(20世紀フォックス)も出てくるし、『ダイ・ハード』(これも20世紀フォックスの映画)でブルース・ウィリスが演じた主人公ジョン・マクレーンを実際にブルース・ウィリスに演じさせたり、アクアマンをジェイソン・モモア本人に演じさせたりと、もうやりたい放題だ。
さらにはスターゲイトならぬステアゲイト(階段の出入口)を通って外宇宙に飛び出すわ、前作のワンダーウーマンに加えてデザインが異なるレゴ フレンズのワンダーウーマンやデュプロのワンダーウーマンまで参入するわで大騒動になっていく。
しかも、エメットたちを待ち受ける"わがまま女王"といったら!
主人公エメットもヒロインのルーシーもワンダーウーマンらヒーローたちもレゴブロックのセットに付いてくる人形なのに、"わがまま女王"は自身もブロックなのだ。
子供の頃、レゴではなくダイヤブロックで遊んでいた私は、レゴに小さな人形があることを羨ましく思いつつも、なぜキャラクターもブロックで組み立てないのか不思議に思ったものだ。
"わがまま女王"――英名Queen Watevra Wa'Nabiは、まさにそんな疑問に答えるキャラクターだ。"Watevra Wa'Nabi"とは"Whatever I wanna to be(私がなりたいもの何でも)"のもじりであり、ありし日のフィン少年がビアンカにブロックを渡したときの言葉"It can be whatever you want it to be(これはお前が望む何にでもなるんだよ)"の具現化したものであった。自在に姿を変える彼女を前にして、次々に軍門に降っていくエメットの仲間たち。

ワイルド・ガールことルーシーや他の住民たちが荒涼としたボロボロシティに適応して、すっかり粗暴でネガティブな言動になってしまっても、エメットは相変わらずマイペースで凡庸なまま生きている。いや、「凡庸」と書いたけれど、みんなが粗暴になって力を張り合っているときに、一人だけ昔どおりの平々凡々な生き方をしているエメットは、もはや特異な存在だ。
世間のみんながいきり立っても同じほうには流されず、平凡であり続けること。それは巷に溢れる処世術には反するかもしれないが、その生き方こそがこのシリーズ最大の魅力だ。
ところが、本作のエメットは柄にもなくスーパーヒーローのごとき大活躍で事態を変えようと試みる。
その心意気や良し。
だが、結果は裏目に出て、みんなを絶望の淵に突き落とすことになる……。
前作に続いて脚本を担当したフィル・ロードは、次のように述べている。
「前作では“すべてはサイコー”というメッセージを伝えることが出来たが、本作では“すべてがいつもサイコーなわけじゃない”ということを認めているんだ。続編ではあらゆるものにトライして、素晴らしいものにしていこうというメッセージが込められている。」
さて、『レゴ ムービー2』がなんといっても最高なのは、そのエンドクレジットだ。最高に楽しくて、膝を叩きたいほどだった。エンドクレジットに合わせてベックが歌う「Super Cool」は、こんな歌詞なのだ。
「クレジットの部分が最高だ。一番魅力的なのは映画のクレジットだ。偉業をなした人の名を見逃さないようにしよう。」そしてプロデューサーやスタッフの名を上げて「あなたが作ったから見たかったんだ……。」
そうそう、本当にそのとおりだ。
私はエンドクレジットを読むのが大好きだ。誰が出演していたのかクレジットを読んではじめて気がつくこともあるし、重要な役に思えた名前がクレジットの登場順では後のほうであるのを知って劇中の印象が変わることもあれば、スタッフ名や献辞から裏事情に思いを馳せたり、ロケ地や物品提供の協力者を知っていろいろ納得することもある。もちろん、エンドクレジットに興味がない人は場内に長居しないで帰れば良い。だが、エンドクレジットを最後まで読みたいのは私だけではないだろう。
エンディングの曲は、そんな「明るくなるまで場内に残る派」の気持ちを歌い上げてくれて大いに共感する。
その上エンドクレジットのあいだスクリーンに映し出されるのは、人形ではなくブロックで組み立てられたキャラクターたちだ。エメットもルーシーも、どんなスーパーヒーローも可愛いキャラクターもブロックで表現できる。まさに"Whatever I wanna to be(私がなりたいもの何でも)"だ。
本作が行き着くのは、あなたがなりたいもの作りたいものは、なんだってきっとできるという肯定感だ。地位や職業のことではない。エメットのように明るく生きることも、ルーシーのように勇気をもって毅然と生きることもできる。心の持ち方は自由自在。前作で自由に創造する素晴しさを謳ったこのシリーズは、本作で自由に生きる素晴しさを謳い上げる人間讃歌となったのだ。

監督/マイク・ミッチェル 脚本・制作/フィル・ロード、クリストファー・ミラー
出演/クリス・プラット エリザベス・バンクス ウィル・アーネット ティファニー・ハディッシュ ステファニー・ベアトリス ウィル・フェレル
日本語吹替版の出演/森川智之 沢城みゆき 山寺宏一 斉藤貴美子 坂本真綾
日本公開/2019年3月29日
ジャンル/[コメディ] [アドベンチャー]

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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
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