『ブリグズビー・ベア』 僕たちの映画

ブリグズビー・ベア ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray] まったくもって他人事ではない。
 多くの人が『ブリグズビー・ベア』を観て、深く共感したに違いない。

 映画の紹介文を読むだけだと、ずいぶんエキセントリックな作品に思える。
 ――赤ん坊の頃から25年、有害物質に覆われた地上を避けて、地下のシェルターで両親と三人きりの生活を続けてきたジェームスにとって、子供向けの教育特撮番組『ブリグズビー・ベア』が人生のすべてだった。毎週の新作を見るのはもちろん、過去の膨大なビデオも繰り返し見てきたから、彼の頭にはすべてのストーリーが刻み込まれている。
 ブリグズビー・ベアの言葉は彼の人生訓であり、ブリグズビー・ベアの行動は彼の模範だった。彼の人生の課題は、ブリグズビー・ベアを困らせるサン・スナッチャー(太陽の誘拐犯)を倒すことだった。
 そんな彼の家へ、ある日たくさんの警察官が押し寄せてくる。

 そして彼は告げられるのだ。彼が両親だと思っていた男女は誘拐犯であり、彼が外の世界と接触できないように閉じ込めていたのだと。『ブリグズビー・ベア』は、キャラクタービジネスに長けた偽両親が彼だけのために作った偽番組であり、視聴者は彼しかいないのだと。偽両親が逮捕された以上、『ブリグズビー・ベア』の新作がつくられることはもうないのだと。
 こうして"監禁状態"から"解放"されたジェームスは、本当の父母と妹と暮らす羽目になる。待ち受けていたのは、水泳、カヌー、バスケットボール等のスポーツや外遊びと、それらを押し付ける、もとい一緒の時間を過ごそうとする父や母であった――。

 要約だと伝わりにくいが、映画をご覧になった方はお判りだろう。"監禁状態"のジェームスはとても幸せだったに違いなかった。学校にも行かず、働きもせず、毎日々々特撮番組を見るだけの生活。こんな暮らしを夢見る人は少なくないはずだ。
 かくいう私も、子供の頃は授業が終われば飛んで帰って、テレビアニメと特撮番組を見る生活だった。当時は朝も夕もアニメを放映していたし、特撮番組が週に何本もあったから、時間の許す限りそれらを見ていた。
 私の場合は生活のほとんどがテレビ視聴(ときどき読書)に捧げられていたが、人によってはそれがゲームだったり、フィギュアだったり、アイドルだったり、その他いろんなものに置き換わるだろう。
 いずれにせよ、好きなものにどっぷり浸ったジェームスの生活は理想的な生き方に見える。

 それだけに、"救出"されて、興味のないスポーツや人付き合いといった"現実"を突き付けられたジェームスの戸惑いはよく判る。
 『ブリグズビー・ベア』に夢中で何が悪いのか。なぜ『ブリグズビー・ベア』を卒業しなければならないのか。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン2 ブリグズビー・ベア 光沢プリント 本物の両親にしてみれば、ようやく戻った息子が、よりによって憎い誘拐犯の作った偽番組に夢中になっているなんて堪らないことだったろう。息子の心が、いつまでも誘拐犯に奪われたままのように感じられたに違いない。特撮番組に理解がない彼らは、なんとしてでも『ブリグズビー・ベア』を息子から取り上げ、忘れさせたかったのだ。
 だが、『ブリグズビー・ベア』を見て大きくなったジェームスにとって、『ブリグズビー・ベア』を否定されることはこれまでの全人生を否定されるも同じだった。大事なことは、みんな『ブリグズビー・ベア』から学んで成長したのだ。

 鑑賞中、私は切なくてならなかった。私も親からアニメや特撮を見るなと云われたし、愛読していたテレビマガジンのバックナンバーも捨てさせられた。結局アニメや特撮は卒業しなかったが(好みが変わって、外国作品の比重が大きくなったが)、ジェームスが直面した苦しみ悲しみはよく判る。

 偽の親を演じるのが、よりによってマーク・ハミルだなんて、いかにも泣かせる。米国の多くの青少年は、マーク・ハミルが演じたスター・ウォーズ・シリーズの主人公ルーク・スカイウォーカーから、人生や道徳について学んだことと思う。マーク・ハミルの位置づけは、日本でいえば仮面ライダー1号こと本郷猛役で知られる藤岡弘、さんに当たるだろうか。その彼がジェームスの肩に手を置いて、日々「強くあれ」と語りかけるのだ。もはや、ルーク・スカイウォーカーが自宅にいて、「ダークサイドに堕ちないように心を強く持て」と言われるに等しい。ジェームスへの影響の大きさが察せられよう。
 にもかかわらず、実の親がそんなものは忘れろと言うのだ。そのショックたるや、たいへんなものだろう。


 好きなことを好きであり続ける。ただそれだけなのに、変人扱いされて苦労するジェームスだが、そんな彼の救いになるのが、同好の士の存在だ。
 『ブリグズビー・ベア』の新作が見られないジェームスは、みずから『ブリグズビー・ベア』の続きを作ろうとする。二次創作というやつだ。はじめは彼一人の妄想でしかなかったが、彼の考えに共鳴した映画好きたちが集まり、構想はにわかに現実味を帯びてくる。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン4 ブリグズビー・ベア 光沢プリント この展開に共感する人も多いはずだ。仲間と映画を作ったり、同人誌を作ったり、バンドを組んだりといった活動は、それらを理解しない人が押し付けるどんなものより重要だ。
 本作をつくった監督のデイヴ・マッカリーと、脚本のケヴィン・コステロと、原案・脚本・主演のカイル・ムーニーも、サーグッド・マーシャル中学の頃からの友人であるという。本作のアイデアを最初に思いついたのも、中学時代のことだそうだ。本作の主人公ジェームスの人物像は、ジェームスを演じたカイル・ムーニーに近いのだという。

 ジェームスの熱意は、すでに好きなことを"卒業"していた人の情熱をも呼び戻す。こわもて刑事として登場したヴォーゲルは、映画作りに奔走するジェームスに接して、忘れていた演劇熱を再燃させる。ヴォーゲルがジェームスの映画に出演するうち、ジェームス以上のこだわりで演じるようになるのが微笑ましい。
 ひとむかし前だったら、社会に適合しないジェームスの"矯正"とジェームスの抵抗が映画の題材になっただろうに、本作ではジェームスへの共感の輪が広がり、だんだん多くの人がジェームスに巻き込まれていくのがとても愉快だ。


 社会に適合させられそうになる映画は過去にもあった。名高いところでは、『カッコーの巣の上で』(1975年)や『時計じかけのオレンジ』(1971年)あたりが挙げられよう。
 ただ、それらの映画が社会的・政治的メッセージを帯びていたのに対し、本作はもっと個人的な、趣味・好みといった次元の問題を取り上げている。

 スクールカーストでいえば、社交性に乏しく、趣味の世界に入り込んでるジェームスは、カースト下位層の「ナード」に位置づけられよう。スクールカーストの上位には外交的でスポーツが得意な「ジョック」と呼ばれる男性や「クイーンビー」と呼ばれる女性たちがいる。ジョックとは、2010年代の日本で「リア充」と呼ばれる層に相当しよう。

 このカーストは強固なものだったようで、過去、多くの映画において、主人公(ヒーロー)はスポーツマンタイプの肉体派が務め、室内で趣味に没頭する内向的な人物は脇役に甘んじていた。映画を作る上で、その内容を社会の認識に一致させるのは当たり前の配慮だし、映画をヒットさせるには「リア充」たる層を呼び寄せるデートムービーとしての役割も求められるだろうから、これはとうぜんの設定だろう。
 一方で、ナード出身の監督がナードの観客に向けた映画では、ジョックへの恨みが爆発し、たとえばホラー映画などではチャラチャラした若者が真っ先に殺されるのが定番だった。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン3 ブリグズビー・ベア 光沢プリント 近年はこのカーストに異変が生じているようだ。サム・ライミ監督の『スパイダーマン』(2002年)は、内向的な主人公が暴力的なジョックたちに屈せずに生きていく物語だった。いかにもナードな青年を大作映画の主人公にしたことも、それが大ヒットしたことにも驚いたが、2017年の『スパイダーマン:ホームカミング』に至っては、勉強好きな主人公たちが学園の中心のように描かれ、肉体が取り柄のスポーツマンに活躍の場はまるでなかった。
 STEM教育(Science, Technology, Engineering and Mathematicsを重視した教育)の推進や、非ジョック出身者の社会的成功等もあって、学生に求められることの優先順位が変わってきているのだろうか。

 本作には、パーティー会場に入り込んだジェームスが、うっかりジョックやクイーンビーとおぼしき男女に話しかけてしまう場面がある。このときは、映画好きのスペンサーがすかさず助けに入り、「あいつらバカだから」と云ってジェームスを引き離した。その後、二度とジョックたちが出てくることはない。ジェームスたちはジョックと対立するでもなく、ジョックに屈せず頑張るのでもなく、もはや彼らなど眼中にないのだ。世の中にはいろいろな人がいるのだから、上とか下とか関係なく、各人が好きなことをしていればいい。
 スクールカーストの厳格さと、映画好きな連中の惨めさを冷徹に描いた2012年の日本映画『桐島、部活やめるってよ』の世界とはたいへんな違いだ。

 『ブリグズビー・ベア』を好きなジェームスは、その性向を変えなくても周りに受け入れられた。受け入れられるどころか、彼の映画作りは多くの賛同を得て、称賛された。
 今の社会に起こりつつある変化は、かくあるべきなのだろう。
 だからこそ、まずは映画『ブリグズビー・ベア』を作ったデイヴ・マッカリーとケヴィン・コステロとカイル・ムーニーと関係者の方々を、全力で称賛したい。


ブリグズビー・ベア ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray]ブリグズビー・ベア』  [は行]
監督/デイヴ・マッカリー  原案/カイル・ムーニー
脚本/ケヴィン・コステロ、カイル・ムーニー
出演/カイル・ムーニー マーク・ハミル クレア・デインズ グレッグ・キニア ジェーン・アダムス マット・ウォルシュ ミカエラ・ワトキンス ライアン・シンプキンス ホルヘ・レンデボルグ・Jr アンディ・サムバーグ
日本公開/2017年6月23日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : デイヴ・マッカリー ケヴィン・コステロ カイル・ムーニー マーク・ハミル クレア・デインズ グレッグ・キニア ジェーン・アダムス マット・ウォルシュ ミカエラ・ワトキンス ライアン・シンプキンス

『バリー・シール/アメリカをはめた男』 主演は断然トム・クルーズ

バリー・シール アメリカをはめた男 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray] トム・クルーズが悪漢を演じるとは!
 観客がそう驚くのを見越した配役なのであろう。トム・クルーズといえば、『ミッション:インポッシブル』シリーズのヒーローや、『ジャック・リーチャー』シリーズのヒーローや、『オブリビオン』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』等のヒーローや、とにかくヒーローやカッコイイ役を数多く演じてきた俳優だ。そのトムが麻薬まみれの(文字どおり頭から麻薬を被った)犯罪者に扮するのだから、意外性はたっぷりだ。

 『バリー・シール/アメリカをはめた男』でトム・クルーズが演じるのは、実在した天才パイロット、バリー・シールだ。彼は航空会社で旅客機のパイロットを務めていたが、類まれな腕を見込まれてCIAにスカウトされる。米国に敵対する中南米の国々に潜入し、航空写真を撮るように要請されたのだ。破格の報酬と、高度な操縦テクニックを持つ彼にしかできないことに惹かれて、シールはこの任務を引き受ける。ここからバリー・シールの非合法な職業人生がはじまった。

 やがて、CIAからパナマの独裁者・ノリエガ将軍に向けた物資の運搬もこなすようになったシールだが、抜群の操縦テクニックで国境も地形もものともせずに飛び回る彼の活躍は、別の組織からも目を付けられた。コロンビアの麻薬カルテル「メデジン・カルテル」である。組織を率いる麻薬王パブロ・エスコバルは、ノリエガ将軍に荷物を渡して空っぽになった帰路の飛行機にコカインを積んでいけとシールに命じた。これを引き受けたシールは、CIAからの報酬と麻薬密輸の上がりでみるみる財を成していく。
 さらにCIAの要請で、彼はニカラグアの反政府勢力「コントラ」へ武器を輸送した。米国の期待に反して、コントラに本気で政府を倒すつもりがないことに気づいたシールは、コントラに持たせても無意味な武器を横流ししはじめる。

 CIAはシールにどっさり武器を持たせる。武器を運んだシールはコントラではなく武闘派麻薬カルテルに渡して大儲け。帰路にはカルテルから託されたコカインを満載して米国へ戻りまた大儲け。CIAからは報酬をたんまり貰う。
 こうしてバリー・シールは金の使い道に困るほどの大金持ちになり、あちこちに寄付しまくって地元の名士に納まった。当時シールが稼いだ金は9,700万ドル(約220億円)といわれている。[*]
 なんともふざけた話である。本作は、1980年代に実際にあった出来事に、疑惑としてささやかれたこと等を織り交ぜてこしらえた物語だ(ダグ・リーマン監督は、本作を「真実に基づいた楽しい嘘」と説明している)。

 ここまで読んで気づいた方もおられるだろう。邦題の副題『アメリカをはめた男』は正しくない。バリー・シールはアメリカ合衆国をはめようと悪巧みをしたわけではないからだ。
 シールに違法な偵察飛行を依頼したのはCIAだし、大量の武器を違法に運ばせたのもCIAだ。シールを脅してコカインを運ばせたのは麻薬カルテルだし、シールが運んだ武器を戦いに使わなかったのはコントラだ。
 トム・クルーズが演じるバリー・シールは、ただ請われるままに飛行機を飛ばしてるだけなのだ。

 インタビュー[*]に答えたダグ・リーマン監督の言葉が面白い。
 「僕がこの映画を大好きな理由は、決して麻薬ビジネスの話ではないことだ。バリーにとっては、自分がなにを載せて飛んでいるかはどうでもいいこと。彼は荷物の重量しか気にしていない。もしCIAが彼の飛行機に銃を積みたがっても、麻薬カルテルがコカインを積みたがっても、バリーはそれで構わないのさ。」

 本作のカラーを明確にする上で、主人公をトム・クルーズが演じることは決定的に重要だった。
 他の俳優が演じたらバリー・シールは悪人に見えたことだろう。CIAを欺き、麻薬を密輸し、武器を横流しして大金をせしめる男は、普通に考えれば悪人だ。
 けれども本作を観れば、バリー・シールを悪く描く気がないことは明らかだ。監督の言葉からも、シールを陽気な飛行機バカとして描くつもりだったことが判る。
 そして、どんなに悪事を働いても、それがどんなに重い犯罪行為でも、ちっとも悪い奴に見えず、陽気な兄ちゃんのイメージで押し通せる俳優といえば、世界広しといえどもトム・クルーズしかいまい。

 本作は、徹頭徹尾、犯罪行為がモチーフであり、まぎれもなく犯罪映画だ。にもかかわらず、犯罪者のはずのバリー・シールを悪人らしく描かないとすれば、本作は何を描いているのだろうか。


Ost: Amercan Made Import すべては本作の原題が物語っている。
 『バリー・シール/アメリカをはめた男』の原題は『American Made』、すなわち「アメリカ製」だ。
 バリー・シールの非合法な人生を切り開いたのは政府、コントラのようなやる気のない組織に大量の武器を与えようと考えたのも政府、シールの麻薬密輸を見逃して増長させたのも政府だ。さすがのシールも逮捕はされるが、彼に利用価値ありと認めた政府はすぐさま解放してしまう。シールが世界を股に掛けた犯罪を行い、米国を麻薬禍に陥れ、犯罪組織に武器を渡して武力闘争を激化させたのも、みんなみんな元はと云えば政府が悪い。

 CIAの実態をまとめた『CIA秘録』を読むと、CIAのバカさ、へっぽこぶりに情けなくなるが、その雰囲気を物語仕立てで再現したのが本作なのだ。ここで描かれるのは、犯罪を取り締まり治安を維持すべき政府機関が雁首揃えながら、合成の誤謬で結果的に犯罪者を支援することになってしまう情けなさだ。
 国際的な悪事、紛争が、米国政府の間抜けさゆえに起こっているというのだから、原題『American Made(アメリカ製)』の皮肉は痛烈だ。

 本作の監督ダグ・リーマンは、実話に基づいた『フェア・ゲーム』でCIA、ひいては政府の無能と怠慢をシリアスなタッチで描いていた。本作ではコミカルなタッチに変えたものの、政府の無能と怠慢を描くことには変わりない。そこに共通するのは、徹底した批判精神に他ならない。

 ただし、本作を特徴づけるのは、政府の無能と怠慢を嘆いたり怒ったりするのではなく、おちょくってしまおうという姿勢だ。コミカルなタッチにもかかわらず本作が楽しく笑える映画になっていないのは、本作のやっているのがおちょくりだから。政府をとことんおちょくりながら、これもまた我が国の実態なのだと観客に認識させている。
 「批判」には、悪いところを直視して良くしようとする前向きな意欲があるが、「おちょくり」の背後にあるのは、もはや良くならないという諦観だ。それでも敢えて政府をおちょくるメリットは、さすがに誰もおちょくりの相手を頼りにしようとは思わなくなることだろう。政府が社会の実態を正確に把握し、的確な施策を打ってくれるだろうなんて期待する気が失せてしまう。

 役人が立てる作戦は、しょせんは社会主義国の経済政策のようなものだ。それは間違いと失敗の連続で、間違いを正す力も働かない。
 本作が示すのは、政府のやることなんてどれもこれも裏目に出て、かえって国民の利益を損なってしまうという教訓だ。それは同時に、国民一人ひとりがしっかりしようという呼びかけでもある。

 映画は、米国政府が性懲りもなく「イラン・コントラ事件」として知られる作戦に乗り出すところで終わる。
 イラン・コントラ事件――この大スキャンダルによって、米国政府は国交を断絶していた敵対国のイランに武器を供給し、イランと戦争中の友好国イラクを危機に陥れていたこと、さらに"やる気のない"コントラに資金援助をしていたことが世界に知れ渡るのである。
 もう笑うしかないではないか。


[*] 月刊シネコンウォーカー No.142/2017年10月14日発行


バリー・シール アメリカをはめた男 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]バリー・シール/アメリカをはめた男』  [は行]
監督/ダグ・リーマン(ダグ・ライマン)
出演/トム・クルーズ ドーナル・グリーソン サラ・ライト・オルセン ジェシー・プレモンス ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ アレハンドロ・エッダ マウリシオ・メヒア
日本公開/2017年10月21日
ジャンル/[アクション] [犯罪] [コメディ]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : ダグ・リーマン ダグ・ライマン トム・クルーズ ドーナル・グリーソン サラ・ライト・オルセン ジェシー・プレモンス ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ アレハンドロ・エッダ マウリシオ・メヒア

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』 万人に薦めたい

Mission: Impossible - Fallout (Music from the Motion Picture) その面白さに満足した上、万人に自信をもって薦められる映画は滅多にない。
 だから、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のような作品に出会うとたいへん嬉しい。

 147分の長丁場にもかかわらず、本作は観客の目を釘付けにして離さない。
 作り手たちは、主人公イーサン・ハントを次から次へと危機的状況へ突き落す。任務遂行中の思わぬ事故や、敵味方の計算外の行動、恐るべき奸計と巧妙な罠。まったくもって脱出は不可能(impossible)と思われるこれらの状況を、イーサン・ハントと彼の仲間たちがいかにして突破するかが本作の見どころだ。

 派手なアクションが売り物の本シリーズだが、他のアクション映画と一線を画すのは、アクション以上に緻密な計略やどんでん返しの連続が知的興奮をもたらすからに他ならない。あるときは原作のテレビシリーズ『スパイ大作戦』(1966年~)のような知略機略で難局を打開し、またあるときは息もつかせぬ壮絶なアクションで観客を圧倒する。そのサスペンスとアクションのさじ加減が堪らない。

 その上、前作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』で古典的なパターンを踏襲したクリストファー・マッカリー監督は、本作で再び監督・脚本に就任すると、またも温故知新というべき古典的なネタを披露してくれた。
 厳重に警護された護送車の襲撃とか(1971年の『ルパン三世』第1テレビシリーズの第6話「雨の午後はヤバイゼ」等を思い出す)、仕掛けられた爆弾の配線を切って爆発を食い止めるとか(1974年の『ジャガーノート』以来の伝統)、懐かしいネタが続出だ。
 フランスのせせこましい道を疾走するカーチェイスは、アンリ・ヴェルヌイユ監督のフレンチ・アクション『華麗なる大泥棒』(1971年)あたりを思わせる。そういえば、『華麗なる大泥棒』をはじめ数多くのアクション映画に主演したジャン=ポール・ベルモンドも、トム・クルーズと同じくスタントマンに頼らず、アクションをみずからこなすのを売りにしていた。


 今回残念だったのは、ジェレミー・レナー演じるウィリアム・ブラントが登場しないことだ。アベンジャーズシリーズスケジュールと競合して出演できなかったのだが、実はジェレミー・レナーの登場シーンは三日もあれば撮影できたかもしれなかった。クリストファー・マッカリー監督は、映画冒頭のプルトニウム引き渡しのシーンで、ブラントを死なせるつもりだったのだ。仲間の一人を死なせれば、怒りに燃えるイーサン・ハントの復讐劇として映画を盛り上げ易いと考えたのかもしれない。
 だが、ジェレミー・レナーが「三日分のギャラをもらってブッ飛ばされに行くなんてご免だ」と断ったために、この案は没になった。ありがとうジェレミー・レナー。

 もともと『スパイ大作戦』は、固定のメンバーで回すドラマではなく、そのときどきのミッションに応じた最適なエキスパートが集まって作戦を遂行する作品だったから、ブラントが一回くらい休んでもおかしくはない。イーサン・ハントの元ネタであろう、マーティン・ランドーが演じた変装の名人ローラン・ハンドも、はじめの頃はレギュラーメンバーではなかった(そもそも『スパイ大作戦』のメンバーは政府機関の所属ではなく、本業を別に持つ民間人で、ミッションのために都度招かれた人々だった)。

映画 ミッション インポッシブル フォールアウト 映画 ポスター 42x30cm ヴァネッサ・カービー [並行輸入品] ブラントの代わりといっては何だが、本作には興味深い人物が加わっている。劇場版第一作『ミッション:インポッシブル』に登場した武器商人マックスの娘、ホワイト・ウィドウだ。
 ヴァネッサ・レッドグレーヴが演じたマックスは、第一作でイーサン・ハントにCIAの極秘情報を盗ませようとした張本人である。本作でもイーサン・ハントは、ヴァネッサ・カービー演じるホワイト・ウィドウのせいで無茶な作戦を実行する破目になる。劇中でホワイト・ウィドウとマックスの間柄を匂わせるのは、ホワイト・ウィドウが口にした亡き母に関するスピーチくらいだが、こんな風にシリーズを通して人間関係が広がっていくのは面白い。

 


 さて、物語が進行するにつれて、どんどん限界を超えた解決不能な状況に陥ってしまいながら、それでも任務を遂行しようとする主人公の奮闘は、まさにミッション:インポッシブル(不可能作戦)の名に相応しい。
 だが、何をもって「不可能な状況」と見るかは、主人公の特性に大きく左右されるだろう。主人公の知力・体力・技能等に応じて、可能か不可能かの境目は変わるはずだ。

 たとえば、『トータル・リコール』(1990年)における囚われの主人公が脱出するシークエンスは、とても印象的だった。
 アーノルド・シュワルツェネッガー演じる主人公は、椅子に手足を固定され、完全に体の自由を奪われていた。状況を打開しようにも、主人公には秘密兵器もなければ特殊能力もない。この場に駆け付けてくれる仲間もいない。まさに絶体絶命の大ピンチ、脱出は不可能と思われた。
 ところが、シュワルツェネッガーは「ウガーッ!」と力むと、なんと手足の拘束具をブチブチと引きちぎって、立ち上がってしまうのだ。頭脳プレーもなければ、テクニックもなんにもない。ただ力任せにちぎるだけ。
 筋骨隆々のシュワルツェネッガーならではの、彼にしかできない脱出方法だった。それだけシュワルツェネッガーの筋肉には、観客の反論を許さない説得力があったのだ。現在これができるのは、ドウェイン・ジョンソンくらいだろう。
 かように、何が可能で何が不可能かは、主人公(と演じる俳優)の特性によって変わってくる。

 では、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントにとっての不可能な状況とは、いったい何か。
 25,000フィート(7,620メートル)もの高さの飛行機から飛び降りる高高度降下低高度開傘か(トム・クルーズはこのスタントを一年かけて練習した)、ビルからビルへ飛び移りながらの追跡か(このときトムはビルにぶち当たって足首を骨折し、七週間撮影に戻れなかった)、ヘリコプターを強奪しての襲撃か(ヘリコプターを操縦するため、トムは2,000時間の飛行訓練を行った)。
 いずれも、とてつもなく危険で遂行不能としか思えないことばかりだが、あえて云うなら、イーサン・ハントでなくてもアクション映画の主人公なら直面したかもしれない状況だ。


【映画パンフレット】ミッション:インポッシブル/フォールアウト Mission: Impossible - Fallout 本作のイーサンをもっとも苦しめ、彼を特徴づける過酷な状況。それは倫理感、道徳感とのせめぎ合いであろう。
 激しい銃撃戦や肉弾戦を繰り広げる本作では、敵味方ともに死傷者が出る。その中で、イーサンが暴力の矛先を誰に向けて誰に向けないのか。その悩ましい選択が彼を苦しめる。
 容疑者を拷問すればたやすく真相に近づけそうなとき、主人公がアッサリ拷問する映画もある。手っ取り早い方法だが、それだと観客は安易な暴力シーンを見せられるだけだ。拷問せずに真相を得ようとすれば、途端に難度が高くなる。だが、そこに挑むのが「ミッション:インポッシブル」シリーズだ。

 映画によっては、本当に相手を殺して良いかどうか深く考えずに、とっとと殺してしまう作品もある。『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013年)では、ニューヨーク市警察の刑事がロシアに行って敵対する相手を殺しまくった。ニューヨーク市警察の刑事だろうが何だろうが、ロシアでは一旅行者でしかないのだから、ロシア当局に捕まってしかるべきだが、彼は自首もせずに帰国してしまう。
 『エクスペンダブルズ』(2010年)では、米国の傭兵たちが他国に行って現地の兵士を殺しまくった。たとえ兵士たちに命令している黒幕が腹黒いヤツだとしても、個々の兵士は職務に忠実に働いているだけなのに、傭兵たちはお構いなしに外国兵を殺していた。

 ハリウッド映画は、規範意識や因果応報といった点についてよく考えて作られていると思う。殺される人間はあらかじめ何かしら悪いところが描かれていたり、善いことをした人間はなにがしかの救いを得たりするように作られている。けれども、ここに挙げたように逸脱した作品も少なくない。こういう作品の場合、観客は、派手なアクションを見せるためには仕方ないのだろうと割り切って付き合うことになる。それはつまり、割り切れる人間だけで楽しむ作品になってしまうということだ。

 殺すか殺されるかの大事件を扱っているから、本作のイーサンとて何人もの悪人を殺さねばならない。
 それでも、死闘を演じる前に「殺すしかないのか、本当に他の手段はないのか」を考えていると思しき「間」が入るのが本作の特徴だ。たとえば敵のヘリコプターに乗り込んだイーサンは、機内の敵を見つめて一瞬動きが止まる。他のアクション映画だったら、アクションの流れを止めてしまうこのような「間」は極力省くものだ。
 本作のイーサン・ハントは、悪人でない限り誰も傷つけない。暴力を避け、犠牲を最小限にするための知恵を惜しまない。
 そういう人間だから、他者が犠牲になるのを避けようとするあまり、ときに自分の首を絞めてしまうことになるのだが、観客は彼がこの難局をどう切り抜けるのかいよいよもって興味をそそられる。倫理的に正しいことをしようとする努力が、作品の面白さを増している。
 倫理的、道徳的に高いレベルで納得できて、しかもその切り抜け方が面白い。だから、本作は万人に薦められるのだ。


映画 ミッション インポッシブル フォールアウト 映画 ポスター 42x30cm トム クルーズ [並行輸入品] ただし、そんなイーサンの姿勢が夢物語であろうことは、映画の作り手たちも知っている。

 不可能と思えることを遂行しようとするイーサンに、CIA特殊活動部隊のウォーカーは「無謀すぎる!(Hope is not a strategy!)」と云って反対する。
 「Hope is not a strategy.(希望は戦略ではない。)」という言葉は、アメリカンフットボールのコーチ、ヴィンス・ロンバルディが云ったとされる他、米上院軍事委員会でヒラリー・クリントン上院議員が口にしたり、ビジネス書の題名にも使われたりするなど、スポーツや軍事やビジネス等の幅広い分野において、ちゃんとした戦略を練らずに行動する人を戒める言葉として知られている。
 この言葉を投げかけられるイーサンは、米国社会では思慮不足で愚かしいと見なされることだろう。

 だが、思慮深いはずの人々が現実に行うことが、善いこととは限らない。
 米上院情報特別委員会は、CIAがおぞましい拷問を行っていたことを明らかにした(CIAは「拷問」ではなく「強化尋問技術(enhanced interrogation techniques)」と呼ぶそうだが)。同委員会の調査によれば、いくら拷問しても効果的な結果は何も生んでいなかったにもかかわらずだ。
 米軍や米民間軍事会社は、戦闘員と非戦闘員との区別すらうやむやなまま、イラクやパキスタン等の人々を「テロリスト」又は「テロリストの仲間」として殺してきた。シリアでは「誤爆」を繰り返し、多くの犠牲者を出してきた。
 そして米国では、市民を守るべき警察官によって多くの人が殺されている罪もないのに射殺され、怪我を負わされている。
 思慮深く、戦略的であるべき人の行動がこれだ。この始末だ。

 何とか暴力は避けよう、犠牲を最小限にするために知恵を絞ろう、一人でも多くの人を助けよう。そのために最後の最後までベストを尽くす。イーサン・ハントが示すのは、そういう姿勢だ。
 彼は現代アメリカの、いや全世界の人々にとっての、行動規範になるだろう。
 目の前のたった一人も、ここにはいない世界各地の人々も、等しく大切に思い、守ろうとする。そんなイーサン・ハントの姿を通して作り手たちが訴えたかったもの。それこそが、いま世界が必要としているものなのだ。


Mission: Impossible - Fallout (Music from the Motion Picture)ミッション:インポッシブル/フォールアウト』  [ま行]
監督・制作・脚本/クリストファー・マッカリー
出演/トム・クルーズ ヘンリー・カヴィル ヴィング・レイムス サイモン・ペッグ レベッカ・ファーガソン ミシェル・モナハン アンジェラ・バセット アレック・ボールドウィン ヴァネッサ・カービー ショーン・ハリス
日本公開/2018年8月3日
ジャンル/[アクション] [サスペンス] [アドベンチャー]
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【genre : 映画

tag : クリストファー・マッカリー トム・クルーズ ヘンリー・カヴィル ヴィング・レイムス サイモン・ペッグ レベッカ・ファーガソン ミシェル・モナハン アンジェラ・バセット アレック・ボールドウィン ヴァネッサ・カービー ショーン・ハリス

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