『しっぽの声』 成熟度を高めよう

それは、ここに人間の本質が――人の世の何たるかが、もっともきつい形でえぐり出されているからだ。
『しっぽの声』は、まるでマンガ『デビルマン』の後半部分や、平井和正氏の"人類ダメ小説"のように壮絶だ。しかも、それらの作品以上に悲しくおぞましく感じるのは、ここに描かれていることが、現代の日本の現実だからだ。
狭いところに糞尿まみれのまま閉じ込められ、極度の飢えから遂には共食いしたり、自分の体を食べてしまう。病気になったら放置され、ただ苦しんで死んでいくだけ。そんな残虐なことが、今も各地で起きている。
たまたまその運命を逃れても、流通経路に乗せられて、店頭に並べられる。
だが、幼児は体調を崩しやすく、病気になりがちだ。可愛い我が子であれば最大限の看病をしてもらえるかもしれないが、売り物でしかない彼らに手厚い治療や看護は期待できない。治療費や人件費を投入して損益分岐点が上昇したら、店の儲けがなくなるからだ。ある程度は面倒みても、適当なところで打ち切られ、治らない子は冷凍庫に詰められてしまう。カチカチに凍ったら、細かく砕いて、ゴミ捨て場に持っていかれるのだとか。
考えるだにおぞましい、恐ろしい行為だが、こんなビジネスが営まれるのは、大量生産、大量販売を支える購入者がいるからだ。需要があるから供給するのだ。
店頭の買い物客は、その子がどんな環境で産まれたか、どんな経路でここに来たかわざわざ確かめたりしない。売れ残った子や返品された子の末路を気に留めることもない。客がそんな面倒なことをしないから、店側も説明責任を果たそうなどと思わない。それだけのことなのだ。

人はどこまで残虐になれるのか。生き物を商品としてしか見なくなると、いかに粗末に冷酷に扱うか。
大量の犬たちの面倒をみきれずに、飼育崩壊(ネグレクト)に陥った凄惨な現場を前にして、「地獄だ」と漏らした人がいる。その言葉は、この状況を放置してきた日本全体で受け止めねばならないだろう。それは戦場でも大災害の渦中でもない。平穏な日常の一部として、いま私たちの国で起きていることなのだ。
マンガ『しっぽの声』を読む上で、犬や猫が好きか、ペットそのものに興味があるかどうかは実はあまり関係ない。本作の公式サイトに、この作品のテーマが「ペット流通の闇」であると書かれているように、1兆4,720億円ともいわれる日本の巨大なペット関連市場の裏で何が行われているのか、その暗部とそこにうごめく人間たちを本作は描いている。息を呑むような描写の連続だが、目をつぶることは許されない。そんな強烈な作品である。
読者諸氏は、本作が豊富な知見に基づいて、とても思慮深く描かれていることに驚くに違いない。多少なりともペット事情に関心がある人ならなおさらだ。
それもそのはず、動物たちを取り巻く問題の実態がマンガに反映されるように作り手に様々な事例を紹介し、作品に描かれる問題が現状に忠実であるようアドバイスしているのは、公益財団法人動物環境・福祉協会Evaの理事長であり、長年にわたって動物愛護の普及啓発に務めてきた杉本彩氏なのだ。杉本氏は、『しっぽの声』第一巻のあとがきに寄せて、「しっぽを持つすべての動物たちの声なき声とその尊い魂を伝えたいという志のもとに編集長はじめ皆が取り組んでいます。」と綴っている。


- 利益を上げるためだけに、いまだに動物の「生体展示販売」が平然と行われているペットビジネス業界の現実
- 「かわいい」という理由だけで自覚も覚悟もなく、衝動的にペットショップで動物を購入する無責任な飼い主の存在
こういう意見に接すると、「全部が全部そうじゃないでしょ」「100パーセント悪だと云いたいの?」と反論する人がいるかもしれない。
もちろん、本作ではすべての業者が同じように悪いとは云っていない。杉本氏の著書でも、「現実には、真の優良ブリーダー(育種家)ばかりではありません…」「悪質な繁殖業者のなかには…」という書き方で、全部が全部悪いと決めつけることは避けている。
では、全部じゃないから批判するべきではないかといえば、そんなことはない。
こういうときは、成熟度モデルに基づいて考えると判りやすい。
カーネギーメロン大学で考案されたCMMI(Capability Maturity Model Integration)は、組織の能力成熟度を五つのレベルで表したモデルである。
成熟度レベル | 段階 | 特性 |
レベル1 | 初期段階 | きちんとした人もいればダメな人もいる、場当たり的な状態 |
レベル2 | 管理された段階 | 計画的に管理され、特定の人だけに限らず、きちんとできそうな状態 |
レベル3 | 定義された段階 | 何をすべきかが明確になり、全体に浸透した状態 |
レベル4 | 定量的に管理された段階 | 目標と実績が定量的に把握されており、きちんとできることが予測可能な状態 |
レベル5 | 最適化している段階 | 継続的な改善が行われ、環境が変化しても最適化できる状態 |
CMMIはソフトウェア開発組織等の評価や改善のために考案されたモデルだが、その考え方は様々な分野に応用できよう。
悪質・劣悪な業者も優良な事業者も交ざっているペットビジネス業界の現状は、成熟度モデルに照らせばレベル1の初期段階だ。杉本彩氏らが行っている動物愛護の普及啓発は、管理すべきポイントを知らしめて成熟度をレベル2に引き上げようとする活動に当たるだろう。
ペットビジネスに携わる人たちがどう考えているかは知らないが、私のような門外漢からは、失礼ながら驚くほどレベルが低い業界に見えてしまう。

日本マクドナルドの創業者・藤田田氏は、日本人にとって馴染みのないハンバーガーという食べ物を安心して口にしてもらうために、業界横断的な組織「日本ハンバーグ・ハンバーガー協会」を設立し、社外からハンバーグ及びハンバーガーの「規格」と「品質表示」を推進させる制度を作って、業界全体の信頼向上に邁進した。
映画界は、公開前の映画に映画倫理機構の審査を課すことで、観客の年齢層に応じた作品が上映される仕組みを確立している。
これらの仕組みが万全とはいえないかもしれないが、少なくとも他業界が取り組んできたことを念頭に、本書をはじめとするペットビジネス業界に関する文献を読むと、この業界はなんて甘えているのだろう、甘やかされているのだろうと感じてしまう。過去に多くの問題が起きているのに、犬や猫の繁殖・販売に関する規格も第三者評価の仕組みもその表示に関する取り決めも、まったくもって不充分だ。
優良なブリーダーや販売業者各位には、ぜひとも悪質な業者を駆逐するべくご尽力いただきたいと思うし、動物を飼う人は悪質な業者のビジネスを下支えすることにならないように留意しなければならないのだと思う。
さて、杉本彩氏の著書『それでも命を買いますか? ペットビジネスの闇を支えるのは誰だ』は、ペットショップの経営者の告白やペット流通の実態、既得権者が跋扈する政治と行政の実情等が盛り込まれ、たいへん意義深い読み物だ。
だが、杉本氏や寄稿者の思いが強すぎて、すでに同じ思いを抱いている人には大いに共感できるだろうが、そのような思いをまだ持っていない――本書が一番届くべき――人々は付いていけないのではないかと心配だ。
その点、『しっぽの声』は、ペットへの関心の有無にかかわりなく誰もが興味を持って読み進められるように、原作者、作画者、編集者が協力し、練りに練って作っているのがよく判る。
私は、刊行中の二巻まで一気に読んでしまった。この後の展開が気になって仕方がない。
[*] 杉本彩 (2016) 『それでも命を買いますか? ペットビジネスの闇を支えるのは誰だ』 ワニブックス


原作/夏緑 作画/ちくやまきよし 協力/杉本彩
雑誌連載/『ビッグコミックオリジナル』2017年第12号~
ジャンル/[犬]

『空飛ぶタイヤ』 三菱自動車 横浜タイヤ脱落母子死傷事故
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『空飛ぶタイヤ』は、三菱自動車が起こした数々の事件・不祥事の中でも、とりわけ痛ましい出来事の一つ、2002年の横浜母子三人死傷事故を題材にした作品だ。
1992年から2004年のあいだに、タイヤハブ破損によって大型車のタイヤが脱落する事故が51件(脱落に至らなかったハブ破損事故を含めると57件)も発生したが、三菱自動車は整備不良と主張し続けていた。そんな中で、母子三人が死傷する悲劇が起きた。
本作に登場する自動車メーカーの社名は「ホープ自動車」だが、ブランドカラーが赤いことや財閥系の企業であること等、三菱自動車の実話がモデルであることはありありとしている。
池井戸潤氏の同名小説の映像化は、2009年のWOWOWでのテレビドラマに続いて二度目である。スポンサーに気兼ねなく作れる有料放送や映画ならではの作品といえようか。
本作の主人公は、長瀬智也さんが演じる中小運送会社の社長、赤松徳郎。私が密かに現代の三船敏郎と目している長瀬智也さんだけあって、中小運送会社の熱血社長を実に力強く、それでいて人間臭い好漢として演じている。
トラックのタイヤ脱落事故の原因が自社の整備不良にあるといわれ、警察に踏み込まれた上に、世間から批難され、銀行には融資を止められて、絶体絶命のピンチに陥りながら、自社の従業員に落ち度がないことを立証しようと歯を食いしばって闘う赤松社長の姿には、人間の尊厳とは何なのかを教えられる。

赤松社長の闘いが表から事件に迫るものだとすれば、裏から迫るのが、もう一人の主人公というべきホープ自動車の販売部カスタマー戦略課長沢田悠太だ。ディーン・フジオカさん演じる沢田課長は、赤松社長とは対照的に大企業の歯車の一人として行動する、クールで理知的な人物として描かれる。
当初は赤松社長をうるさいクレーマー程度に考え、追い払おうとしていた沢田は、ふとしたことから品質保証部の動きに疑問を持ち、車両製造部課長の小牧、品質保証部係長の杉本とともに、事件の真相に切り込んでいく。
自分の属する集団に誇りを抱き、外部の誹謗中傷から自分たちの「共同体」を守るつもりだった沢田が、もしかしたら悪いのは自分たちのほうではないか、外部の人間の云うことに耳を傾けるべきではないかと考えを改めていく過程が見ものである。
本作は三菱自動車をモデルにした自動車メーカーが舞台だが、このような問題は私企業に限らないだろう。人間だれしも身内が可愛い。自分が属する集団は立派で正しく、尊敬される存在であって欲しい。それが企業でも、学校でも、地域の共同体でも国家でも、抱く思いはみな同じだ。
けれども世の中には、完璧で一点の曇りもなく、まったく変化の余地のないほど完成された集団なんてありえない。
もしも集団に、そのやっていることに、誤りが、欠陥があったらどうするのか。
ホープ自動車の常務取締役、狩野威(かのう たけし:三菱自動車の副社長で三菱ふそうトラック・バス株式会社の会長だった宇佐美隆(うさみ たかし)がモデルであろう)がとった手段は隠蔽だった。欠陥を揉み消し、外部からの指摘は突っぱね、あくまで自分たちは正しいと云い張った。
従業員の大多数は欠陥があることなど知らないから、自分たちこそ正しいと信じるし、外部のクレーマーは迷惑な存在としか思わない。どうせ金目当ての云いがかりだろうぐらいにしか考えないのだ。
彼らにとって、自分たちが正しいと主張することが愛社精神なのだろう。
それだけに、品質保証部係長の杉本のセリフは印象的だ。「私はホープ自動車が好きなんです。だから黙っていられなかった。」
彼はホープ自動車を愛するがゆえに、欠陥を認めて、誤りを正し、二度と同じ過ちを繰り返さない集団になって欲しかった。会社が嫌いなのではない。憎いのでもない。好きだからこそ、多くの人が知らない、あるいは目をつぶりたくなる欠陥を白日の下にさらし、社会に対して胸を張れるようにきちんと対処したかった。
本作は、集団内部の告発者の苦悩と、集団の残酷さにスポットライトを当てている。
内部のある者は正々堂々と告発文を発信し、組織に善処を求めた。ある者は情報を外部にリークして、外圧で組織を変化させようとした。いずれも悩み抜いた末の行動だが、その結果として彼らは懐柔策を提示されたり、組織の中で疎んじられたりする。
自分の行為で組織が傷つくかもしれないし、組織の一員たる自分もただでは済まないかもしれないのだ。それでも告発すべきなのか、できるのか。組織を、共同体を愛するとは何なのか。

2004年のリコール隠しの発覚後、三菱商事から転籍して三菱自動車の再建に取り組んだ益子修CEOは、2016年の燃費不正事件を振り返り、会社の弱点について次のように述べている。
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会社というのは面白いもので、問題の原因が自分の中にではなく外にある場合、ものすごい力を発揮します。
私自身も実際に体験してみて分かったことですが、リーマンショックや東日本大震災、タイの洪水、円高……。この10年間で本当にたくさんの危機に直面してきましたが、いずれも一致団結して乗り越えることができました。
(略)
でも会社というものは、自分で自分の問題を解決するのはものすごく弱い。
(略)
社内調査で私自身、(燃費不正を起こした)何人もの社員にインタビューをしました。そこで「ああ、そうか」と思ったのは、ある社員にこう言われた時です。「益子さんは、先輩から『これ(燃費の測定方法)はこういうふうにやるんだぞ』と言われて、『それは本当に法規に適合したやり方ですか?間違ってないですか?』と指摘できますか?」と。
(略)
事を荒立てたくない。今やっていることを否定したくない。事なかれ主義。こうした考え方を生んでいたのが、MMC(三菱自動車:引用者注)の中で長い時間をかけて形成されてきた「たこつぼ文化」だったのではないかと思います。若い時から「上司には『できない』ではなく『答え』を持ってこい」と教育されてきたと聞いています。
このこと自体は全面否定できません。部下が常に「できない」と言っていたら、何も進歩しませんから。ただ、「工夫して答えを探してみなさい」は分かるけど、「できないとは絶対に言うな」になってしまうのが良くなかった。
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益子CEOは会社について述べているが、他の組織でも同様のことが云えるだろう。
競技会では大活躍する強豪チームが、チーム内のハラスメントに関しては長いあいだ手を打てずにいた話など、しばしば報じられるところだし、行政機関等には自分で自分の問題を解決できない例がゴロゴロしているだろう。
だが、ことを荒立てなければ平穏にやり過ごせるほど世の中は甘くない。
三菱自動車がリコールを隠しているあいだに、横浜では若い母親が、山口ではトラック運転手が死亡するなど、痛ましい事件が続発した。
「欠陥のあるクルマは動く凶器だ。それを放置することは犯罪だ。」
劇中のセリフが耳に残る。
本作では、ホープ自動車を指して「財閥系だ」「相手が大きすぎる」と表現されたが、あくまで赤松運送と比較してのことであって、実際にはこんな組織が巨大企業として存続できるはずがなかった。もともと完成車メーカーとしては小規模だった三菱自動車は、2016年の燃費不正事件をきっかけに三菱グループとは関係のないルノー=日産アライアンスに買収された。
自分たちが間違っている、そう認められない者の末路であった。
さて、映画を作るには多くの人や組織の協力が必要だ。
本作のエンドクレジットには、多くの協力先の名前が並ぶ。
取材協力、衣装協力、撮影協力等々の会社の中に、もしも三菱自動車の名前があったなら、あぁ三菱自動車は過去を冷静に客観視できるようになり、本当に生まれ変わったんだなと、感心されたに違いない。
![空飛ぶタイヤ [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/81JIc4YrcuL._SL160_.jpg)
監督/本木克英 脚本/林民夫
出演/長瀬智也 ディーン・フジオカ 高橋一生 深田恭子 岸部一徳 笹野高史 大倉孝二 寺脇康文 ムロツヨシ 中村蒼 小池栄子 阿部顕嵐 和田聰宏 升毅 佐々木蔵之介 谷村美月 浅利陽介
日本公開/2018年6月15日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス]

【theme : ヒューマン・人間ドラマ】
【genre : 映画】