『映画クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ ~拉麺大乱~』 僕たちの正義

映画クレヨンしんちゃん 爆盛! カンフーボーイズ~拉麺大乱 (アクションコミックス) 【ネタバレ注意】

 これだから『クレヨンしんちゃん』は侮れない。
 あの傑作『映画クレヨンしんちゃん バカうまっ! B級グルメサバイバル!!』の脚本を浦沢義雄氏と共同で担当したうえのきみこ氏が、再びしんのすけたち「かすかべ防衛隊」の活躍を描いたのが『映画クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ ~拉麺大乱(らーめんたいらん)~』だ。

 映画は、『包丁人味平』のカレー戦争編のブラックカレーをブラックパンダラーメンに置き換えたかのようにはじまる。一度食べたらやめられないブラックパンダラーメンを売りさばき、春日部住民を病み付きにさせてしまうのが、闇突拳(やみつきけん)を操る武術家ドン・パンパンだ。彼はさらなる事業拡大のため、地上げ屋を使って春日部の中華街アイヤータウンの土地を我が物にせんと企んでいた。
 ここから話はカンフー映画、たとえばジャッキー・チェンが若かりし頃の映画『ドランクモンキー 酔拳』あたりのパターンに近づき、立ち退きを迫る一派と、アイヤータウンで頑張り続ける正義包子の店主――実は伝説のカンフーの師匠――の老人、そして老人の下で修業するしんのすけたちの戦いの物語になる。

 このままカレー戦争ならぬ中華料理戦争と、カンフーを駆使した悪党退治に終始しても、充分に面白い映画だっただろう。
 ところが、うえのきみこ氏初の単独脚本映画だった『映画クレヨンしんちゃん オラの引っ越し物語 サボテン大襲撃』が『人類SOS!』を下敷きにしながらその先を描いたように、本作も数多のカンフー映画を踏まえながら(カンフーの修行をはじめたマサオが口ずさむのは『プロジェクトA』の主題歌だ)、「その先」を描き出す。
 今回は、どんどんスケールが広がってカンフー映画の域を超え、暴力と平和、善と悪、正義と不義を考えさせる作品になっていく。しんのすけのキャラクターと壮大なテーマが結びついたクライマックスは、実に見応えがある。


 ドン・パンパン率いる武術家たちと戦うために、自分も武術を身につけ、対抗する。それも一つの方法だが、暴力に暴力で応えていては、暴力の連鎖は止まらない。仇討ものや復讐ものの映画が、爽快でありながら今一つしっくり来ないのは、敵を叩きのめすだけでは、暴力を振るわれる苦しみも、暴力を振るう苦しみも終わらないであろうことを予感させるからだ。

 本作がユニークなのは、しんのすけたちが修行するのが「ぷにぷに拳」なる一見ふざけた拳法であることだ。
 体をクニャクニャにして敵の攻撃をやり過ごす技や、倒されても受け身をとりながら減らず口を叩くことで勝ち負けにこだわらない技、そしてケツだけ星人のバカバカしさで相手の戦意を喪失させる技等々。『クレヨンしんちゃん』ならではのくだらなさに満ちていながら、「ぷにぷに拳」は暴力を巧みにかわし、争いを回避することを本質としている。ただ殴り合いになってしまうようなカンフー映画、復讐譚とは一線を画している。

 なかなかやるな。やっぱり『クレヨンしんちゃん』は面白いな。
 「ぷにぷに拳」の修行に励むしんのすけたちを見て、私はそう思ったのだが、そのときはまだ本作の奥深さに気がついていなかった。


笑一笑 ~シャオイーシャオ! 【しんちゃん盤(CD Only)】 アクション仮面の大ファンであり、師匠の一番弟子でもあるランとともに旅をして、遂に「ぷにぷに拳」究極の奥義を前にするしんのすけ。
 世界に平和をもたらすという究極の奥義に胡散臭さを感じたしんのすけは、その奥義を身につけることを拒絶する。だが、世の中を平和にしたい、悪い奴らから人々を救いたいと願うランは、究極の奥義に手を出してしまう。
 やがて激しい戦いの末に、ドン・パンパンを倒すラン。普通の映画ならこれで終わるところだが、暴力と平和、正義と不義をテーマに据えた本作は、「正義」が勝ったその先を描く。

 相手の戦意を喪失させる技をも上回る「ぷにぷに拳」究極の奥義「ぷにぷに真掌」。それは人間の脳内をぷにぷになお花畑にして、理性も知性も失った、ただ隷属するだけの無力無気力な存在にしてしまう恐るべき技だった。
 「ぷにぷに真掌」を振るうランは、ドン・パンパンを倒してブラックパンダラーメンの店を壊滅させるだけでなく、街にはびこる小さな悪をもことごとく潰しはじめた。他人のビニール傘を盗むのは悪、電車内で透かしっ屁をするのは悪、公共の場で映画のネタばらしをするのは悪、足が臭いのは悪、尻が垂れているのは悪。ひとたびランに「悪」と認定されれば、誰も彼もがたちまち「ぷにぷに真掌」の餌食にされた。ランの姿が見えるとあわてて身を隠し、怯えながら生きる街の人たち(個人的には、映画のネタばらしをしたら退治されても同情の余地はないと思うけれど)。

 ランやしんのすけたちが仲良く修行していたときは、ぷにぷに拳バージョンの『かすかべ防衛隊のうた』が楽しく元気な歌に聴こえた。
 しかし、「ぷにぷに真掌」を会得して、ただひとり「悪」を滅ぼし続けるランが「♪ラブ&ピース…」と歌う『かすかべ防衛隊のうた』は、ゾッとするほど恐ろしい。


 これは歴史上何度も繰り返されてきたことだ。
 古くは18世紀のフランス革命。民衆は身分制度にあぐらをかいた「悪」の王族、貴族を革命で追い落としたが、その後に待っていたのは民衆の「正義」を体現した革命政府による恐怖政治だった。粛清に次ぐ粛清でフランス全土を震撼させた恐怖政治の犠牲者は、4万人にも上るという。

 あるいは、20世紀のロシア革命。貧しい生活に苦しんだ民衆は帝政を終わらせたが、その後に誕生したのは野党の存在すら許さない一党独裁のソビエト連邦だった。


 2010年代の日本では、ヘイトスピーチ(憎悪表現)の増加が社会問題と化していた。排外主義的な考えに染まった者たちが、コリアタウンに行って暴言を吐くという、極めて悪質なことが行われていたのだ。国連でも問題視され、人種差別撤廃委員会規約人権委員会が、このような活動をやめさせるように日本政府に勧告した。多くの議論を経て、2016年5月にはヘイトスピーチ対策法が成立するに至る。
 平和に暮らしている人々に侮蔑的な言葉を投げつけ、彼らへの差別を煽ったりすることが許されるはずがない。これは明らかに「悪」であった(やっている人間は、内輪の論理で自分たちを正当化するのだろうが)。当時、これに対抗しようと立ち上がり、ヘイトスピーチが行われる現場に乗り込んだ人々がいた。ヘイトスピーチが「悪」である以上、これに対抗するのは「正義」のはずだ。
 しかし彼らが行ったのもまた、暴言を吐く人間に暴言を投げつけることだった。さらにはヘイトスピーチをする者と衝突して暴力沙汰になり、挙句に仲間うちでのリンチ事件も明るみに出た。リンチ事件の報に接し、連合赤軍が1972年に起こした山岳ベース事件を想起して、戦慄した人もいただろう。

 『映画クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ ~拉麺大乱~』について考えるとき、本作の制作期間がリンチ事件の裁判の最中であり、映画公開がまさに一審判決の翌月だったことは注目されるべきだ。
 本作がくだんのリンチ事件や反ヘイトスピーチ活動をなぞってるわけではない。重要なのは、本作のテーマが、そこで描かれる内容が、2010年代の日本では切実な問題だったということだ。そしてこれは、2010年代の日本だけのことではない。

 

ジェンカ とめどなく「悪」を退治し続けるランに対抗するため、しんのすけたちが採った手段、それがジェンカだ。
 フィンランドのフォークダンスであるジェンカは、とくにラウノ・レティネンが作曲した『Letkis』の世界的ヒットで知られる。日本でも坂本九さんのカバー曲『レットキス(ジェンカ)』がよく知られている。
 本作では、橋幸夫さんが歌う『ジェンカ』に合わせてしんのすけたちが踊り出す。野原家も踊る。幼稚園の先生たちも踊る。春日部の人々みんなが踊る。踊りの列は、はるか地平の彼方へ続き、世界中すべての人が踊っているのではないかと思わせるほど、歌と踊りが広がっていく。

  ラ ラーンラーラ
  ランランラン
  人生はたのしい

  ラーンラーラ
  ランランラン
  踊ろうよ さぁ ジェンカ

 亜蘭知子氏の詞が歌われる中、「正義」か「悪」かに凝り固まっていたランの心はゆっくりと溶けていき、遂には彼女も踊り出す。

 暴力には暴力で対抗し、暴言には暴言で対抗する。そんな映画や現実にささくれ立っていた観客の心は、楽しい歌と踊りに癒されることだろう。『クレヨンしんちゃん』らしい粋なラストであるとともに、最後はみんなでダンスするのが定番のインド映画からの見事な換骨奪胎といえる。
 ランが「正義」を振りかざす前に、先回りして世界を平和にしようとする子供たち。拳法の大技は使えなくても、毎日コツコツ生きることを大切にするマサオ。私は彼らの姿に深く感動した。
 

 しかし、――私は少し引っかかりを覚えた。
 一つの歌、一つの踊りにみんなの行動が集約され、世界中の誰もが同じダンスを踊り続ける。そのラストで本当に良いのだろうか。
 歌は楽しい。踊りも楽しい。同じ歌をうたい、同じダンスを踊れば、心が一つになったように感じて、全体が調和したようにも思えるだろう。
 だが、平和とは何か、正義とは何かを問う本作がたどり着いた結論が、たった一つのダンスを全員で踊り続ける世界では、自分の意に反するものをことごとく「悪」とみなして成敗したランとどれほど変わるというのだろうか。

 『ジェンカ』のリズムに酔いしれながら、私の心にはモヤモヤするものが残っていた。


 「とりあえず寝て、憶えてたら明日考えます。」


映画クレヨンしんちゃん 爆盛! カンフーボーイズ~拉麺大乱 (アクションコミックス)映画クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ ~拉麺大乱~』  [え行]
監督/高橋渉  脚本/うえのきみこ
出演/矢島晶子 ならはしみき 森川智之 こおろぎさとみ 真柴摩利 林玉緒 一龍斎貞友 佐藤智恵 潘めぐみ 関根勤 廣田行生
日本公開/2018年4月13日
ジャンル/[コメディ] [アクション] [ファミリー]
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【theme : アニメ
【genre : 映画

tag : 高橋渉 矢島晶子 ならはしみき 森川智之 こおろぎさとみ 真柴摩利 林玉緒 一龍斎貞友 佐藤智恵 潘めぐみ

『レディ・プレイヤー1』 こいつはご機嫌だ!

レディ・プレイヤー1(オリジナル・サウンドトラック) 【ネタバレ注意】

 夢のようだ。ガンダムを、メカゴジラを、アイアン・ジャイアントを、スティーヴン・スピルバーグが映画にしたのだ。ガンダムの実写映画化が、よもやこんな形で実現しようとは思わなかった。

 とりわけ、『スター・ウォーズ』の大ブームとライトサーベル(ライトセーバー)の人気を受けて、ビームサーベルを携えた機動戦士ガンダムが登場した歴史を見てきた身としては、そのガンダムがジョージ・ルーカスの盟友スピルバーグの手によって実写映画になったのは感慨深い。ライトサーベルに対する日本特撮界の回答ともいえるレーザーブレードで戦う宇宙刑事ギャバン、そのデザインを引用したロボコップも本作には見ることができる。

 『レディ・プレイヤー1』は、仮想現実の世界のゲームを描いた作品だ。仮想現実の世界《オアシス》(Ontologically Anthropocentric Sensory Immersive Simulation)では、(コインさえあれば)思い描いたものを実現できる。だから《オアシス》には、現実世界で人々が夢見た――が、実現できていない――ものが溢れていた。ガンダムや、バットマンやバットモービルや、キングコングや、『シンバッド七回目の航海』のサイクロプスや、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス等々だ。本作の主人公が乗り回すのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の名車デロリアンだし、ヒロインが駆るのは『AKIRA』の金田仕様のバイクときた。
 『レディ・プレイヤー1』には、観客も作り手もみんなが好きなものがどっさり詰め込まれているから、観ていて楽しいことこの上ない。上映時間は140分とやや長尺の映画だが、ワクワクしっ放し、興奮しっ放しだ。

 前回の記事で、私はスピルバーグには一つの欠点があると書いた。
 もう一つ、世界最高のエンターテイメント作家たるスティーヴン・スピルバーグにも、いかんともしがたいものがある。時間だ。天下のスピルバーグにも時間は等しく有限であり、撮れる映画の本数には限りがある。いかにスピルバーグといえども、すべてのジャンルのすべての映画を作ることはできないのだ。他のクリエイターにとっては、それがせめてもの慰めだったろう。

 ところが本作の誕生で、とんでもないことになってしまった。他のクリエイター諸氏が今後キングコングの映画を撮ろうと思えば、本作のキングコングを超えねばならない。ゴジラ映画を撮るときは、本作のメカゴジラを超えねばならない。ガンダムを実写化するときには、本作のガンダムを超えねばならない。『AKIRA』を実写化するなら、本作のバイクアクションを超えねばならないのだ。
 スピルバーグは、誰もが映画化を夢見るものを片っ端からスクリーンに登場させてしまった上に、スピルバーグの手にかかればそれは最高水準の、見事な映像化だから、他のクリエイターにはたいへんなことだろう。


レディ・プレイヤー1(ソング・アルバム) 開幕早々、1984年の大ヒット曲『ジャンプ』が奏でられることでもお判りのとおり、何でも実現できる仮想現実の世界でありながら、登場するキャラクターやアイテムは1980年代のものが多い。この映画の原作者にして脚本を担当したアーネスト・クラインは、1972年生まれの46歳だ。ちょうど80年代に青春時代を過ごしたわけだから、そこに好きなものが集中するのはとうぜんだろう。
 これは昨今の潮流とも合致している。当ブログで取り上げた『テッド』や『ピクセル』や『アングリーバード』や『怪盗グルーのミニオン大脱走』でも80年代の文化を大きく取り上げていた。80年代の映画や音楽等に触れて育った層が、いまや作り手の中心になり、観客の中でも可処分所得の多い層になっているのだ。

 だから、1980年代にオマージュを捧げる映画は多いのだが、本作が他の作品と異なるのは、御大スティーヴン・スピルバーグが監督していることだ。
 80年代、スビルバーグは既にヒットメーカーの名を欲しいままにしていた。70年代の『ジョーズ』と『未知との遭遇』の成功で時の人になったスビルバーグ監督は、1982年の『E.T.』で(当時)映画史上最大のヒットを放つかたわら、プロデューサーとしてロバート・ゼメキスやクリス・コロンバスらを世に送り出し、80年代の文化を牽引していた。
 スビルバーグは80年代の映画や音楽等で育った層ではない。そういった層にオマージュを捧げられる側なのだ。

 そのスピルバーグが、みずから80年代とはかくのごとしという映画を作った意義は大きい。
 オマージュを捧げた作品は、どうしても昔を美化して懐古調になりがちだ。だがスピルバーグにとっては、80年代のキャラクターもアイテムもバリバリに現役なのだ。

 たとえば、真っ赤な溶岩に沈みながら親指を立てるシーン。もちろん元ネタは『ターミネーター2』(1991年)のラスト、ターミネーターが溶鉱炉に沈むシーンだ。普通ならこれは、『ターミネーター2』という素晴らしい作品と、それを生み出したジェームズ・キャメロンへのオマージュと理解されるところだろう。『ターミネーター2』を観て喜んだ、あの体験を懐かしむ気持ちがオマージュを捧げさせるのだ。
 ところが、キャメロンに先んじて評価を確立していたスピルバーグがこのシーンを撮ったとなると話は逆だ。偉大なスピルバーグが、『ターミネーター2』をネタに取り上げてくれたのだ。喜ぶのはジェームズ・キャメロンの側である。

 80年代を中心に、過去の人気キャラクターが続々登場し、その能力を、その特性をいかんなく発揮する本作は、一種のメタフィクションでもあるのだが、当の80年代の文化の中心にいたスピルバーグが監督することで、さらに一階層上のメタフィクションに仕上がった。

 原作にはスピルバーグ作品へのオマージュも存在する。アーネスト・クラインは、「僕はスピルバーグの映画を観て、勉強して育ったんです。」と述べている。
 だが、スピルバーグは自身へのオマージュのほとんどを映画から取り去った。71歳のスピルバーグが自作へのオマージュに溢れた映画を撮ったら、虚栄心の塊と批難されかねないからだ。「私は自作の要素を取り除くか、さもなくば(80年代にオマージュを捧ぐに相応しい)もっと若い監督に任せなければならなかった。」そうスピルバーグは語っている。
 スピルバーグは『1941』(1979年)に自作の『ジョーズ』と『激突!』のパロディシーンを挿入して総スカンを食らったことを忘れていないのでしょう、ともアーネスト・クラインは述べている。


メイキング・オブ・レディ・プレイヤー1 では、スピルバーグみずからこのメタ・メタフィクションを作ることで、どのような効果があったのか。

 一つには、オマージュをオマージュに終わらせなかったことだ。過去の時代――1980年代――を振り返るのではなく、当時から今に至るも現役で活躍するスピルバーグが前面に出ることで、本作を昔好きだったものに執着する愛好家だけの映画に終わらせなかった。

 また、本作に描かれるような映画、アニメ、マンガの愛好家や、仮想現実の世界に浸るゲーマーや、SNSが主なコミュニケーション手段になってしまった廃人諸氏にとっては、いつまでも童心を持つ人物の代表とされるスピルバーグが語りかけることで、本作のテーマが何十倍にも増幅するに違いない。
 《オアシス》の創造者ジェームズ・ハリデー(の知識を転送された人工知能)は、こう語る。
 「私は現実世界の居心地が悪かったから《オアシス》を作った。私は人との繋がり方が判らなかったんだ。だが、死期を悟ったときに、気づいたよ。現実の世界だけが唯一、美味い食事にありつける場所なんだ。現実こそが……リアルなんだ。」

 ゲームも映画もアニメもマンガもSNSも、現実逃避の道具としての面がある。そのことを一番よく知っているのは、たくさんのファンタスティックな映画を作りながら、『フック』や『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』を通して、現実と非現実のあいだで揺らめく人間を描いたスビルバーグその人だろう。

 日本で初めてネット依存専門診療を始めた国立病院機構久里浜医療センターの働きかけが実り、世界保健機関(WHO)が2018年に公表する国際疾病分類(ICD)に、ネット依存のうちのゲーム障害(Gaming disorder)が疾病として記載されることになった。ゲーム障害とは、過度にゲームに没入し、日常生活に支障を来す病のことだ。今後エビデンスが蓄積されれば、ゲームに限らず他のネット依存についても疾病として扱われるかもしれない。

 スティーブン・スピルバーグは、スマートフォンを恐れていると語る。
 「僕が今一番恐れているのがスマートフォンなんだ。要するに人間が目と目を向き合って話す機会をなくしてしまっている。本作のVRでは、アバター同士が目を見て会話をしているから、ずっとスマホを見て下を向いている状況よりはまだマシなんじゃないかと思う。」

 本作は仮想世界の楽しさを肯定しつつ、その端々で、仮想世界に没入しすぎる危険を警告している。
 食事が美味いのは現実の世界――そのバランス感覚を忘れるまい。


レディ・プレイヤー1(オリジナル・サウンドトラック)レディ・プレイヤー1』  [ら行]
監督・制作/スティーヴン・スピルバーグ
原作・脚本/アーネスト・クライン  脚本/ザック・ペン
出演/タイ・シェリダン オリヴィア・クック マーク・ライランス ベン・メンデルソーン リナ・ウェイス 森崎ウィン サイモン・ペッグ ハナ・ジョン=カーメン T・J・ミラー フィリップ・チャオ
日本公開/2018年4月20日
ジャンル/[SF] [アクション] [アドベンチャー]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : スティーヴン・スピルバーグ タイ・シェリダン オリヴィア・クック マーク・ライランス ベン・メンデルソーン リナ・ウェイス 森崎ウィン サイモン・ペッグ ハナ・ジョン=カーメン T・J・ミラー

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』 一刻も早く観よう!

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」オリジナル・サウンドトラック 「この物語には、現代との共通点が、とても多いと考えた。だから、すぐに作って公開したかったんだ。作った年に、公開したかったのさ。」[*1]

 「脚本を読んだのは2017年2月で、すごい迫力で迫ってきました。報道機関が直面している壊滅的な攻撃を思い起こさせ、撮影中だった一つの作品に関する仕事以外はスケジュールを空けて、この映画を撮ることにしました。17年中に完成させるという目標に向かってみながまとまり、自分の作品で最も短期間で完成しました。この映画は私たちにとっての『ツイート』のようなものです。」[*2]

 スティーブン・スピルバーグ監督のその言葉どおり、2016年9月27日に撮影を終えていた『レディ・プレイヤー1』のポスト・プロダクションと並行して『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』の制作は開始され、撮影され、そのポスト・プロダクションを終え、2018年3月の『レディ・プレイヤー1』公開に先駆けて2017年12月には本作の限定公開に漕ぎ着けた。翌年1月には米国で拡大公開されている。つまり、制作陣が猛スピードで作っただけではないのだ。配給会社も興行会社も一丸となり、この映画を一刻も早く観客に届けようと邁進したのだ。
 それだけ、この映画を作らずにいられなかったのだ。その映画人たちの決意と危機感に、身が引き締まる思いがする。

 本作の時代設定は1971年。第37代大統領リチャード・ニクソンの政権下での現実の出来事を追っているが、ニクソン政権によるマスコミへの攻撃や嫌がらせの描写を見れば、誰もが本作公開時のドナルド・トランプ政権によるマスコミへの攻撃や嫌がらせを連想するに違いない。そしてフェイクニュースがはびこり、SNSがそれを蔓延させてしまう「ポスト真実」の時代にあって、事実を国民の目にさらそうとする内部告発者とマスコミ人の人生を賭けた闘いの物語に、深く考えざるを得ないはずだ。
 トランプ政権の発足直後にこの脚本を手にしたスピルバーグが、今すぐこの映画を作らなければと考えたのはとうぜんだろう。

 もちろん、本作は単なるトランプ政権批判ではない。スピルバーグ監督はこうも述べている。
 「人の心を動かす力強い物語で、脚本を2年前に読んでいたらそのときに撮影していただろうし、今から2年後に読んだらそのときに撮っていたでしょう。オバマ政権下でもブッシュ政権下でも通用する映画だと思います。」[*2]
 本作が取り上げた報道の自由と権力の問題、国民の知る権利の問題は、時代と国を超えて普遍的なテーマである。

 「彼らが負ければ、我々も終わりだ。」
 ニューヨーク・タイムズ紙が記事差し止めの仮処分命令を受けたのを見て、ワシントン・ポスト紙の面々が報道に及び腰になる中で、トム・ハンクス演じるワシントン・ポスト編集主幹ベン・ブラッドリーが発した言葉は、ナチズムに抵抗して強制収容所に入れられたマルティン・ニーメラーの詩「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」を思わせて、胸に響く。


 同時に、本作はジャーナリストに矜持を求める映画でもある。
 権力におもねないのはもちろんのこと、読者に受けそうな記事に終始もしない。徹底的に事実を追求し、国民に正確に知らしめる。新聞社といえども営利企業であるから、それは難しいことでもある。

 「質が上がれば、収益はついてきます。」
 ワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハムはそう云おうとして、体が固まってしまう。その難しさがよく判っているからだろう。少し前のシーンで、彼女はブラッドリーに対して、女性が喜びそうな記事を増やすようにと云ったばかりなのだ。

 結局のところ、メディアの姿勢を左右するのは大衆の支持の有無なのだ。本作が描くのは、ワシントン・ポストの社内事情だけではなく、同紙を支持した米国社会だ。同様の覚悟が今もあるのか、現代社会の一人ひとりが問われている。

               

 スピルバーグ監督の凄いところは、この硬派の映画を、政治的主張に凝り固まったお堅いだけの作品に終わらせず、スリルとサスペンスに満ちた抜群に面白い娯楽作に仕上げ、最後には観客を感動させてしまうことだろう。

 以前、私は、スピルバーグ監督の欠点は映画を面白くし過ぎるところだと書いたことがある。スリルやサスペンスで盛り上げずに、落ち着いたトーンでじわじわ胸に迫るようにすればいい映画でも、スピルバーグはつい観客をワクワクさせてしまう。それがやり過ぎだと感じることがあったのだ。
 けれども本作は、そんなスピルバーグの特徴が活きた映画になっている。硬派な題材と、政府や銀行・法律家との闘いと、刻一刻と迫る新聞発行の締め切りとが入り混じって、絶妙なサスペンスを醸し出す。
 近年のスピルバーグ監督作の中でも、ズバ抜けた面白さだろう。


ペンタゴン・ペーパーズ 「キャサリン・グラハム わが人生」より また、メリル・ストリープ演じる社主キャサリン・グラハムを主人公に据えた本作は、女は靴やドレスの記事を読んでればいいとされていた時代の、女性の戦いの物語でもある。専業主婦だったキャサリン・グラハムが、男性役員と対立しながら経営者として成長していく様が、本作のもう一つの見どころだ。

 スピルバーグをして「すごい迫力」と云わしめた脚本を書いたリズ・ハンナ、プロデューサーのエイミー・パスカル、クリスティ・マコスコ・クリーガーらとの仕事も、スピルバーグには充実していたようだ。
 公式サイトには、彼のこんな言葉が紹介されている。
 「グラハムが自身の声や個人的な責務を見い出していく様には勇気づけられる。私自身も、毎日現場で素晴らしい女性たちに囲まれて光栄だった。(略)皆が才能にあふれている。とてもエキサイティングな撮影だった。」


 羨ましいのは、本作のマクガフィンとなるのが「ペンタゴン・ペーパーズ」、すなわち非公開の政府文書であることだ。政府内で文書がきちんと保管されており、本作では文書公開の是非は争われても、文書の存在の信憑性については疑う余地がない。
 奇しくも日本は、本作が公開された2018年、財務省の決裁文書が改竄されていた事件で揺れに揺れていた。政府内に存在する文書が存在しないとされていたりと、文書の扱いの軽さ、ずさんさには目を覆うものがあった。そんな我が国では、本作のような文書を巡るサスペンスは作れそうもない。

 ともあれ、この映画がいま作られたことに――スピルバーグが「すぐに作って公開したかった」と云うその時代に生きて、いま観ることができたことに、心から感謝したい。


[*1] 「スピルバーグが「ペンタゴン・ペーパーズ」を「すぐに公開したかった」理由とは?」 2018年3月23日 映画.com

[*2] 「言論の自由は崖っぷちに スピルバーグ、米国のいま語る」 2018年3月6日 朝日新聞デジタル


「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」オリジナル・サウンドトラックペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』  [は行]
監督・制作/スティーヴン・スピルバーグ
脚本/リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー
出演/メリル・ストリープ トム・ハンクス サラ・ポールソン ボブ・オデンカーク トレイシー・レッツ ブラッドリー・ウィットフォード アリソン・ブリー ブルース・グリーンウッド マシュー・リス
日本公開/2018年3月30日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス] [伝記]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : スティーヴン・スピルバーグ メリル・ストリープ トム・ハンクス サラ・ポールソン ボブ・オデンカーク トレイシー・レッツ ブラッドリー・ウィットフォード アリソン・ブリー ブルース・グリーンウッド マシュー・リス

『ブラックパンサー』 持てる者の義務

ブラックパンサー MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 「危機にあって、賢者は橋を架け、愚者は壁を作る。」
 (In times of crisis, the wise build bridges, while the foolish build barriers.)


 マーベル・シネマティック・ユニバースの18作目『ブラックパンサー』は、史上最高のスーパーヒーロー映画と呼ばれるだけあって、前代未聞の傑作だ。
 マーベル・シネマティック・ユニバースの他の作品との絡みは抑え気味で、予備知識なしでも楽しめる。波瀾万丈のストーリーと魅力的なキャラクター、そのうえ躍動感あふれるアクションに満ちて、娯楽映画としても申し分ない。記録的なヒットを飛ばすのもとうぜんだろう。


■反転した構図

 中でも特筆すべきなのが、「常識」を覆す世界観だ。
 かつてアフリカは暗黒大陸と呼ばれ、未開の地として扱われた。長きにわたる奴隷貿易や植民地化、また内戦・紛争等に悩まされたアフリカには、現在も後発開発途上国と位置づけられる国が多い。
 けれども、本作の舞台ワカンダ王国は、最貧国と呼ばれるエチオピアや南スーダンに接しながら、世界最高の超文明を誇っている。アフリカは貧しく遅れているという思い込みを、鮮やかに引っ繰り返してくれるのだ。

 しかも、未知の土地に踏み込む白人の物語といえば、アラン・クォーターメンやインディ・ジョーンズを主人公にした作品のように、高度な知識や技術を持った文明人たる白人が、野蛮で遅れた土人を相手に冒険するのが定番だったのに、本作の白人キャラ、エヴェレット・ロス捜査官は、ワカンダの進んだ科学と技術に戸惑うばかり。

 これはすなわち、文明が「進んでいる」とか「遅れている」という状態が、一時的なもの、相対的なものでしかないことを表している。

 人類発祥の地であるアフリカには、もともと高度な文明が存在したし、近年の発展も目覚ましい。たまたまここ数世紀はヨーロッパの躍進が目立ったからといって、それを過去も未来も不変のものと捉えるのは大間違いなのだが、一度広まった思い込みは簡単には覆せない。
 本作は、そんな「常識」に囚われた世間に反省を促している。


ブラックパンサー (オリジナル・スコア)■三つの選択肢

 こうして、これまでの映画とは反対の構図を示したところで、本作がテーマにしたのは、持てる者は持たざる者にどう接するべきかということだ。

 こんにち、先進諸国は、貧しい国からの移民や、紛争地域からの難民への対処に悩まされている。もしかしたら自分たちの豊かな生活が損なわれるかもしれないのに、門戸を開くべきなのだろうかと、疑問に思う人もいるはずだ。
 ところが本作では、真に進んだ文明を持ち、豊かさを謳歌しているのはワカンダだけだ。ワカンダから見れば、欧米もアジアも幼稚な技術しか持たない遅れた国である。
 かくして、観客が属するのが先進国かどうかは相対化され、誰もが一歩引いた客観的な立場から問題を俯瞰できるようになる。

 そして、三つの考えが示される。

 一つは、先王をはじめ、これまでワカンダ王国の人々がとってきた態度だ。すなわち、壁を築いて外部の人間を拒み、自分たちだけが豊かな生活を謳歌し続けるというもの。
 難民を大量に受け入れたり、他国の膨大な困窮者に関わっていたら、自分たちの生活まで破壊されかねない。そう考える人は、現実に少なくあるまい。
 これまで先進国の多くがこのような態度をとってきたし、こうした主張をますます強める人もいる。本作が公開された2018年は、他国とのあいだに文字どおり壁を作る、難民受け入れを制限すると主張したドナルド・トランプが、第45代米国大統領に就任して政権を担った時代だった。

 二つ目は、先王の弟やキルモンガーらの主張。困難な状況にある人々を放っておかず、その決起を助けようというものだ。キルモンガーらには彼らなりの正義がある。利他的でもある。世の中を良くしようという情熱に突き動かされた彼らは、同志を得て勢力を拡大する。
 だが、ときに暴力に訴えてでも世界を変えようとする考えは、現実の過激派、テロリストに通じるものだ。
 かつての大日本帝国にも、白人の支配からアジアを解放しようと考えた人がいたかもしれないが、2000万人以上といわれる犠牲者を出した戦争の釈明にはなるまい。

 三つ目は、本作の主人公にしてワカンダ国王、ブラックパンサーことティ・チャラの考えだ。ティ・チャラは、先王のように他国の人々の苦しみに目をつぶって自国の繁栄だけを考えることはできない。さりとて、キルモンガーの急進的な意見に与する気もない。
 本作は、悩み、迷うティ・チャラが、どのように決断するかが最大の見どころだ。

 本作の特徴は、悪人がいないことである。
 中盤に登場する武器商人のユリシーズ・クロウこそ絵に描いたような悪人だが、クロウが物語に占めるウエイトはそれほど大きくない。
 クライマックスはティ・チャラとキルモンガーの戦いであり、それは一つの正義と別の正義のぶつかり合いだ。見応えあるアクションの連続だが、本作の戦闘シーンは、ティ・チャラと同胞たちの心の葛藤を視覚的に表した比喩でしかない。
 だから、この物語の結末はキルモンガーを倒すことではない。ワカンダが外国での福祉施設づくりに乗り出すことであり、ティ・チャラが国家元首として国連で行う演説だ。

 「我が国は、物陰から眺めているのはやめます。もうそんなことはできません。そんなことをすべきではないのです。私たちは、お互いをこの地球の仲間として扱う手本になりましょう。
 今や、これまで以上に、分断の危機が私たちの生存を脅かしています。大切なのは、分断よりも繋がり合うことです。
 危機にあって、賢者は橋を架け、愚者は壁を作ります。私たちは一体となって、互いに助け合う方法を見つけなければならないのです。」

 壁は有刺鉄線やコンクリートでできたものだけではない。ティ・チャラが乗り越えねばならなかったのは、彼と人民の心の中の壁だった。

 あらゆる自然現象と同じく、富もまた偏在する(放っておくと偏りが生じることを、物理学では「ゆらぎ」という)。その偏在に抗い、いかに偏りを解消するか。そこにこそ人間の英知が試される。

 偏りが起こるきっかけは様々だ。たまたま資源があった、たまたま環境に恵まれた、たまたま富を集めるのに適した遺伝子を持って生まれた。いろいろな要因があるだろう。
 本作では、たまたま鉱物ヴィブラニウムを含む隕石が落ちてきたことが、ワカンダの発展の基礎となった。ワカンダ人は、超文明を築けたのがヴィブラニウムのおかげであることを――ヴィブラニウムがなければ貧しく遅れた国だったかもしれないことを――知っている。それを知っているということが、彼らの正義の源なのだ。


 本作は、米国のみならず中国でも英国でも韓国でも、各国で大ヒットしている。2018年4月15日現在、米国歴代興行収入第3位世界歴代興行収入第10位を記録し、2013年公開の『アナと雪の女王』を抜き去っている。
 多くの国の人々がこの映画を支持しているのは喜ばしい。

 スティーブン・ピンカーは人類史を振り返り、長い歳月のあいだに人間の暴力は減少していると述べた。その原因の一つが、活版印刷の発明による書籍の普及だ。書籍を通じて他者の行為や考えを知るようになって、人々のあいだに共感の輪が拡大し、人道主義が広まったという。
 映画もまた、他者の行為や考えを知り、思いを共有するのに有効な手段だろう。映像や音響を通して情報を伝達する映画は、印刷物以上に強い影響をもたらすかもしれない。
 それだけに、世界中の観客がティ・チャラの言葉に耳を傾け、その理念に触れているかと思うと心強い。

 残念ながら、日本の客足は今一つだが。


【映画パンフレット】 ブラックパンサー■ロールモデルとしての映画

 ティ・チャラが、自分たちの持てるものを他の国々と分かち合うつもりだと発表したとき、ワカンダの実態を知らない"先進国"の代表が質問した。
 「農業国のあなた方が何を分かち合うというのです?」
 ここでいう農業国とは、農業が発達した国という意味ではない。国の産業が農業くらいしかなく、その農業も他国が注目するほどのものではない国という意味で使っている。

 ティ・チャラが分かち合おうと云っているのは、彼らの進んだ科学技術だ(資源ではない。ライアン・クーグラー監督は、ワカンダのヴィブラニウムをコンゴ民主共和国の鉱物コルタンになぞらえたという。希少な鉱物が武装勢力の資金源になり、紛争が長期化しているコンゴ民主共和国。その悲劇をよそに、コンゴ民主共和国の資源を手に入れた外国は、希少な金属をスマホやパソコン等の電子機器、工業製品に利用して繁栄を享受している。ワカンダの設定は、コンゴ民主共和国を取り巻く構図を逆転させたものでもある)。
 これが本作のもう一つのテーマである。

 本作は、科学技術の重要性を印象づけるために、エヴェレット・ロス捜査官に重傷を負わせる。
 このままではロスが死ぬ。ロスを救えるのは、ワカンダの医療技術だけだ。
 そのためティ・チャラは、禁を破って外国人ロスをワカンダに運び込み、門外不出の技術を使って、瞬く間にロスを回復させた。

 この展開には重要なメッセージが込められている。
 豊かな自然や農作物も大事だが、火急の際に人の命を救うのは、まず第一に科学技術であるということだ。ワカンダの人々が豊かな暮らしを送れるのも、優れた科学を有するからだ。それがあるから、彼らは世の中を変えることができるのだ。

 これは、各国がSTEM教育に力を入れている状況に呼応しよう。「stem」とは「幹」とか「茎」といった意味だが、ここでは Science, Technology, Engineering and Mathematics の頭文字で、科学・技術・工学・数学を指す。もちろん、これらの分野だけを学べばいいわけではないが、その大切さは本作を観れば実感できるだろう。


 国際学力調査の結果によれば、少なからぬ国で、女子よりも男子のほうが科学や数学の成績が良い。これは男女の能力差というよりも、その国の社会的価値観が影響しているといわれる。
 マーベル・シネマティック・ユニバースには多くの天才科学者・発明家が登場してきた。アイアンマンことトニー・スターク、インクレディブル・ハルクことブルース・バナー、初代アントマンのハンク・ピム等々。天才外科医のドクター・ストレンジもいた。
 だが、彼らはことごとく男性だった。男の子が憧れる、模範とする科学者・発明家のヒーローはいたが、女の子にはいなかった。かろうじて、マイティ・ソーの恋人ジェーン・フォスターが天文物理学者(天才物理学者ではない)だったくらいだ。

 けれども、本作に至ってようやく女性の天才科学者が登場した。ティ・チャラの妹シュリ王女は、多くの女性のロールモデルになることだろう。


ブラックパンサー MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]ブラックパンサー』  [は行]
監督・脚本/ライアン・クーグラー
脚本/ジョー・ロバート・コール
出演/チャドウィック・ボーズマン マイケル・B・ジョーダン ルピタ・ニョンゴ ダナイ・グリラ マーティン・フリーマン ダニエル・カルーヤ レティーシャ・ライト ウィンストン・デューク フォレスト・ウィテカー アンディ・サーキス アンジェラ・バセット
日本公開/2018年3月1日
ジャンル/[SF] [アクション] [アドベンチャー]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : ライアン・クーグラー チャドウィック・ボーズマン マイケル・B・ジョーダン ルピタ・ニョンゴ ダナイ・グリラ マーティン・フリーマン ダニエル・カルーヤ レティーシャ・ライト ウィンストン・デューク フォレスト・ウィテカー

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