『ブレードランナー 2049』 流れよ我が涙、と警官は言った
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『ブレードランナー 2049』は2017年に発表されるべき作品だった。前作『ブレードランナー』のテーマと作品世界を受け継ぎながら、本作は来るべき未来を見据えている。
「実はSFって、現実から離れて人間の感情の描写に集中できるという意味で、とても優れた表現形式なんだ。」
本作の主人公を演じたライアン・ゴズリングはこう語る。[*1]
■「人間とは何か」とは何か
前作に主演し、本作にも出演したハリソン・フォードは、『ブレードランナー』が「人間とは何かという問いに答えようとしている。だから文化の違いを超えて世界で成功した」と述べている。
人間とは何か――確かに『ブレードランナー』はその問いを取り上げていよう。だが、考えておかねばならないのは、「人間とは何か」とは何かということだ。

ここでデッカードを悩ませたのは、自分は本当に人間と人造人間を区別できているのかということだ。人間と人間でないものは、客観的に識別できるものなのか。作中では、感情の動きを測定して「人間らしい」反応かどうかを検査するヴォイト=カンプフ・テストが編み出されていたが、デッカードの直感と検査結果は必ずしも一致しない。人間に人間と感じられなかった人間でも、検査結果が人間と出れば人間扱いすれば良いのか。人間のことを人間と感じなかった人間は、人間といえるのか。
この小説が発表されたのは1968年だ。ゲノムの解読など及びもつかず、「人間とは何か」という問いに対してしばしば科学よりも哲学や宗教が答えようとした時代だった。ドラッグやセラピー技法が人間性を変革し、人間の無限の可能性を拓いてくれる、そう思われた時代だった。
1982年公開の映画『ブレードランナー』[*2]は、原作から宗教や人間性の変革に関する部分を削ぎ落とし、シンプルな追跡劇になっている。ここでもデッカードはレプリカントと呼ばれる人造人間を追っているが、彼は人間とレプリカントを正確に識別できており、自分が人造人間ではないかと悩むこともない。一方で、みずからレプリカントと見破ったレイチェルと恋に落ちてしまう。
原作が「周囲や本人が人間だと思っているそいつは本当に人間なのか」という形で「人間とは何か」という問いを突きつけたのに対し、映画は「人間ではないと思われているそいつも人間なのではないか」という形で「人間とは何か」と問いかける。
さらに、人間か否かという問題以上に映画が打ち出すのが、人間ならどう行動するかということだ。
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映画ではレプリカント(ネクサス6型)の寿命が四年と定められている。製造から数年経つとレプリカントも感情を持つようになるので、従順な下僕が欲しいだけの人類は四年で機能停止するように安全装置を仕込んだのだ。ところが、映画の後半に至ると、レプリカントの寿命を伸ばすことは技術的にできないことが明らかになる。彼らレプリカントは、どうやっても四年で死ぬのだ。
この映画の肝は、レイチェルが人間かどうかではない。レイチェルも人間と同じように考え、感じられるかではない。レイチェルとの愛を貫こうとするデッカードの気持ちの問題なのだ。たった四年しか生きられなくて、もうすぐ死んでしまうレイチェル。そんな彼女とのわずかな時間のために、デッカードは仕事も暮らしもすべてを捨てて、レイチェルとの逃避行を選ぶ。お尋ね者として追われることが判っていながら、彼は愛のために生きるのだ。なんと強烈なラブストーリーであることか。
相手が人間かどうかにかかわらず、愛のためならそんな行動が取れるのが人間だ。この映画はそう締めくくられている。
■「人間とは何か」
そして『ブレードランナー 2049』。人間を含めた多くの生物のゲノムの解読が進み、人間が神を創造するメカニズムすら解明された2017年に、この映画は公開された。本作ではもはや人間かどうかを問うこともない。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、自分なりに前作を解釈しながら、現代に相応しく前作のテーマを推し進めている。
当初本作を監督する予定だったリドリー・スコットは、『エイリアン:コヴェナント』(2017年)の監督に専念し、そちらで人造人間テーマを取り上げた。『プロメテウス』で信仰の大切さを説き、『エクソダス:神と王』で旧約聖書の世界を映画化したリドリー・スコットは、『プロメテウス』の続編となるその映画で、神でもないのに創造するのは邪悪なことであるとした。だが、ヴィルヌーヴ監督に引き取られた本作は、およそ正反対の方に向かった。
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前作の舞台は2019年。『ブレードランナー 2049』はその30年後を舞台にするが、その間、2022年に大停電が起こって多くの記録が失われたことにした。
さらに、レプリカントを製造していたタイレル社が倒産したことにして、新たなレプリカントの製造会社ウォレスを設定する。前作で目を潰されて殺されたタイレル社長に変わり、盲目のウォレス社長を登場させ、タイレル社長のそばにレプリカントのレイチェルがいたように、ウォレス社長のそばにレプリカントのラヴ(Luv)を配する(luvとはloveの視覚方言だが、これがひどく皮肉な命名であることは後で判る)。
こうして、本作は『ブレードランナー』の続編の態をとりながら、前作の開始地点に戻って『ブレードランナー』を語り直す。両作のあいだを取り持つために、わざわざ三つの短編――『ブレードランナー ブラックアウト2022』、『2036: ネクサス・ドーン』 、『2048: ノーウェア・トゥ・ラン』――まで用意して。
もちろん、前作を愛するヴィルヌーヴ監督の心には、タイレル社長が目を潰される場面が焼きついているだろうから、レプリカント製造会社の社長は目が見えてはいけない。本作は続編としてもリメイクとしてもリブートとしても見ることができる、極めてユニークな作品になった。
前作のテーマを掘り下げるため、あえて変えたところもある。
最大の変化は、主人公がレプリカントであることだろう。前作が「人間ではないと思われているそいつも人間なのではないか」と問う物語であったとすれば、本作は「もはや人間(とされているもの)に属するか否かは問題ではない」という事実を突きつける。しょせん人間といえども、細胞内で化学反応が起こり、神経細胞を電気信号が駆け巡る、炭素化合物や水の塊にすぎない。充分に複雑に作れば、人間と同じように反応するものが作れないはずがない。非実在のバーチャルアイドルが人気を博し、AIの棋士が人間のプロ棋士を打ち負かす2017年ともなれば、そのことを現実感をもって受け入れられよう。
では改めて、現代において「人間とは何か」という問いにはどう答えるべきか。主人公はレプリカントであることを自覚しつつ、自分もまた人間(と同じもの)であることを確かめるべくさまよい歩く。
前作を上回る複雑なストーリーは、前作以上に原作者フィリップ・K・ディックの作品世界に近づいたと思う。レプリカントと彼らを狩る捜査官のシンプルな対決だった前作とは異なり、本作ではロサンゼルス市警察と大企業ウォレス社とレプリカント解放運動メンバーの三つ巴の争いが描かれる。それは、人間と超能力者と不活性者の三つ巴の争いを描いた『ユービック』のように、ディック作品にお馴染みの構図だ。
三つの勢力はそれぞれの思惑から行動しているが、いずれの勢力も重視することが一つある。
生殖だ。製造されるのではなく、生殖により増えていくレプリカント。能力においても容姿においても人間とレプリカントに差はないのに、この上レプリカントが生殖までできるようになったら、人間と何が違うというのか。
人間が支配する社会の永続を図るロサンゼルス市警察は、生殖できるレプリカントの存在が許せない。そんなレプリカントを排除し、そのすべての痕跡を抹消しようとする。
ウォレス社は、人間の発展のために、生殖できるレプリカントが必要だと考える。奴隷の主人と同じ発想だ。奴隷が死に絶えたら主人が困る。だから奴隷の持ち主は、奴隷が最低限の健康を保てるようにして、奴隷同士が生殖し、増えることを望んだ。増えすぎたら売ればいいのだ。レプリカント製造会社のウォレスにとって、生殖できるレプリカントは、製造設備に投資しなくても勝手に増えてくれる商品だ。レプリカントが生殖するメカニズムを何としても手に入れたい。
レプリカント解放運動のメンバーにとって、生殖できるレプリカントは希望だ。その存在を推し立てることで、レプリカントが人間と遜色のない存在であることを証明し、隷属を強いられた今の境遇からの解放を目指そうとする。
本作は、「人間とは何か」という問いに対して、表面的には生殖できることを挙げる。『灼熱の魂』で悲劇の中にも失われない親子の愛を描き、『プリズナーズ』では子供のために何もかもなげうつ親を描き、『メッセージ』ではいずれ死ぬと判っている我が子を精一杯愛し、育もうとする親を描いたヴィルヌーヴ監督だから、本作でも親子の情愛を中核に据えてもおかしくない。
しかし、それは必ずしも答えではない。本作の主人公が生殖できないロボット(自動機械)であることが、「それだけではない」と語っている。

本作の主人公に名前はない。KD9-3.7というシリアル番号があるのみで、普段は単に「K」と呼ばれる。
ロボットの刑事にアルファベット一文字が付けられるのは、アイザック・アシモフ著『鋼鉄都市』のロボット刑事R・ダニール・オリヴォーに連なる伝統だ。特撮テレビ番組『ロボット刑事』の主人公も「K」だった。『鋼鉄都市』のRはROBOTの頭文字、『ロボット刑事』のKはKIKAI(機械)の頭文字であろう。
では、本作の主人公の名は何を意味するのか。
警察官KD9-3.7、すなわち Policeman KD9-3.7 は、フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick)と同じ頭文字PKDであり、原作者へのオマージュであるといわれる。
一方で、Kのガールフレンドのジョイは、彼のことをジョーと呼び、あなたは特別な存在だという。ジョーとはジョゼフの短縮型で、ジョゼフ(Joseph)とは聖書に登場するヨセフのことだ。ヨセフはラケルがはじめて産んだ子であり、カナンの人々の血を引きながらエジプト側に立ち、それでも飢えに苦しむカナンの人々を救った人物だ。ラケル(Rachel)を英語風に発音すればレイチェルである。主人公がジョーと呼ばれるのは、彼がレイチェルの生殖によって生まれた子供であり、人間側(ロサンゼルス市警察)に立っているものの、レプリカントを苦しみから解放する役割を担っていることを示唆している。
ジョイは恋愛をするようにプログラムされたAIであり、無垢な女性の立体映像を出現させてKに尽くしてくれる。プログラムと判っていても、Kはジョイに癒される。それはまさに萌えキャラの進化形だ。
とてもメタファーとは思えない。少なからぬ人々が、実在の人間との恋愛ではなく恋愛ゲームやアニメやマンガのキャラクターに夢中になり、現実には非力な自分でも実は重要な何者かであると夢想したくなる実社会のような展開が、切なくてやるせない。人間ではなくレプリカントを恋愛対象とした前作から、本作では実体すらないAIを恋愛対象とするまでに変化した。まさに現代の、そしてこれからの社会のラブストーリーといえよう。
映画中盤の、男性(K)が入れ込んでる萌えキャラ(ジョイ)をリアルな女性に否定され、(ラヴに)踏みにじられる展開は涙を誘う。しかもその「リアルな女性」はレプリカントなのだ。
ここには、生殖が伴わなくても愛はあり得るというシンプルな主張がある。実体がないジョイとKとの恋愛に、心を通わせるだけだからこそ純粋なものを感じる人もいるはずだ。
そもそも、生殖できることだけが人間の価値であるはずがない。たとえば同性で愛し合っても子供は生まれないし、何らかの事情で子供を作らない/作れない人もいる。では、これらの人々は人間ではないのかといったら、とうぜんそんなことはない。生殖できないレプリカントを主人公に据えた本作は、はじめから親子の愛や家族の素晴らしさに帰着するつもりはないのだ。


自分は生殖によって誕生した特別なレプリカントであり、レプリカントと人間の立場を覆すほど重要な存在なのだ。そう思いたいKの発想の源流は、彼の愛読書にあったのだろうか。なんと哀れなK。ジョイはKの本の内容を知っていて、彼が喜びそうなことを云っただけなのかもしれない。
「K」とは「キンボート」に由来したのか――。
『ブレードランナー 2049』は、誰も彼も、右も左も生殖できることに価値を置く中で、バーチャルな恋愛と妄想に耽っている中二病の僕に何ができるのか――そういう物語だ。
子供を作らないからといって、子供を慈しまなくていいわけじゃない。世界を変える特別な存在じゃないからといって、何もしなくていいわけじゃない。
Kは行動を起こす。自分なりにできることを。次の世代のためにできることを。レプリカントか人間かなんて、もう彼には問題ではない。親子を引き裂いたり、人を殺したり、そんなことを許さないだけだ。相手が人間かどうかにかかわらず、自分が人間かどうかにもかかわらず、彼は行動する。
ここに至って、もはや「人間とは何か」という問いは空虚でしかない。いわんや、人種、民族、国民をや。そんな問いにこだわるよりも、やるべきことが、やれることが、こんなにもたくさんあるのだから。
自分なりにできることをやって、力尽きるK。
横たわる彼に最後に残るのは、――愛だ。
誰への愛?
誰でもない。世界への、それは愛。
[*1] 月刊シネコンウォーカー No.142/2017年10月14日発行
[*2] 『ブレードランナー』の七つのバージョンのうち、『ブレードランナー 2049』を作る上でドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が意識したのは、オリジナル劇場公開版(US劇場公開版)とファイナル・カットだそうだ。
たとえば、デッカードが隠し持っていたスピナー(空飛ぶパトカー)は、ファイナル・カットにはないオリジナル劇場公開版のラストでレイチェルとの逃避行に用いたものだろうし、タイレル社長が目を潰される場面はオリジナル劇場公開版(US劇場公開版)にはないから、ファイナル・カット等のバージョンを見ていないと盲目の社長というイメージの出どころが判らない。
本稿もこの両パーションを踏まえて執筆する。
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監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演/ライアン・ゴズリング ハリソン・フォード アナ・デ・アルマス シルヴィア・フークス ロビン・ライト マッケンジー・デイヴィス ジャレッド・レトー レニー・ジェームズ カルラ・ユーリ デイヴ・バウティスタ ショーン・ヤング エドワード・ジェームズ・オルモス バーカッド・アブディ
日本公開/2017年10月27日
ジャンル/[SF]

【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
tag : ドゥニ・ヴィルヌーヴライアン・ゴズリングハリソン・フォードアナ・デ・アルマスシルヴィア・フークスロビン・ライトマッケンジー・デイヴィスジャレッド・レトーレニー・ジェームズカルラ・ユーリ
『彼女がその名を知らない鳥たち』 あなたも知らないかもしれない
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公式サイトの作品紹介でも、「嫌な女・十和子、下劣な男・陣治、ゲスな男・水島、クズすぎる男・黒崎」「共感度0%、不快度100%」と謳っている。こんな宣伝の映画は滅多にないが、本当だから仕方がない。
いつもトゲトゲしい十和子に感情移入する人はいないだろうし、その十和子から軽蔑される陣治(じんじ)も不潔で甲斐性がなくて好きになれない。食事中に靴下を脱いで、足の指のあいだをボリボリ掻いているなんて、十和子でなくても一緒にいたくない下品な男だ。松坂桃李さんが演じる水島や、竹野内豊さんが演じる黒崎も、嘘つきで卑怯者で、せっかくのハンサムが台無しな最低男だ。
俳優陣の演技の素晴らしさと、映像の切れの良さと、ストーリーのテンポの良さで、飽きることなく観ていられるが、共感度0%、不快度100%の映画は正直しんどい。
と、思っていたのだ。ラストの直前までは。
『彼女がその名を知らない鳥たち』を観終えた今、十和子が哀れで、愛おしくてならない。陣治の優しさに、度量の大きさに感動せずにいられない。なんという映画を観せてくれたのだ。
ことごとく不快で下劣に感じられた陣治の行動が、振り返ってみれば目一杯考え抜いた彼なりの愛し方だった。不快過ぎて、こんなの見たくないと思っていた出来事の数々が、今はとても感動的な大切な場面に思える。
この反転の見事さ、巧みさ。
そして、思いを馳せるのだ。陣治が十和子と暮らした五年の歳月に。それがいかに幸せであったろうかと。
十和子に罵倒され、毛嫌いされる日々なのに、彼には生き甲斐があっただろう。その愛の形が正しいかどうかは判らない。でも、とてつもない愛を抱いて、とことん尽くしていることに、彼は満足だったはずだ。
「僕、知っとるんです。十和子を幸せにできるの、僕だけやて。」
陣治だけが断言する言葉に、嘘偽りはなかったのだ。
これは汚らしいマンションの一室で育まれた、美しい愛の物語だ。

十和子が天井から落ちる砂を幻視するシーンや、現在の十和子が過去の回想の中に入り込むシーンを目にして、こういうイメージシーンは感情を表現し易いけれど、安易に使うとリアリティを損なうな……などと考えていた。そのシーンの目的が、リアリティを損なうことにあるのに気づかなかった。これらのシーンで十和子の精神的な不安定さを描いておくことの必要性が、まるで判っていなかった。
映画を観終えた今にして、細部に至るまで緻密に考え抜かれた演出だったことに感心している。
特筆すべきは、相手によって態度が豹変する十和子の多面性を極めて自然に表現した蒼井優さんと、狂気と愛のはざまのギリギリのところを演じた阿部サダヲさんの演技の確かさだ。そして、それを引き出した白石監督の手腕。もう一度映画を観直せば、二人の演技はすべてが違って見えてくるだろう奥の深さ。
ときにネタばらしになることを恐れずに感想を書く私でも、さすがにこの映画の内容を書くのは気が引ける。だから、できる限り曖昧に、ぼんやりした書き方のまま本稿を終えたいと思う。
本作は共感度0%、不快度100%、なのに噛めば噛むほど愛おしい。
彼女がその名を知らない鳥たち――。十和子はそんな鳥がいることさえ知らずに生きてきた。はたして、私たちは周りの鳥たちをどれだけ知っているだろうか。
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監督/白石和彌
出演/蒼井優 阿部サダヲ 松坂桃李 竹野内豊 村川絵梨 赤堀雅秋 赤澤ムック 中嶋しゅう
日本公開/2017年10月28日
ジャンル/[ミステリー] [ロマンス]
