『宇宙戦艦ヤマト2199』の総括と『2202 愛の戦士たち』
以前の記事「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』対談 第二章までを巡って」に、オブチ1号さんからコメントをいただいた。
返事を書いたらあまりにも長くなったので、別の記事にすることにした。
以下は、オブチ1号さんのコメントへの返信として、2202第二章上映後の時点で書いたものである。
【2017年8月15日にいただいたオブチ1号さんのコメント】(抜粋)
オブチ1号さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
オブチ1号さんは『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開当時まだ生まれていなかったとのことですので、少々昔ばなしなど交えながら思うところを書かせていただきます。
これまで『宇宙戦艦ヤマト2199』の記事をいくつも書いてきましたが、近頃、まだまだ大事なことが書き切れていなかったと感じています。
■『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代
一つは、『宇宙戦艦ヤマト2199』のサブタイトルの付け方です。
たとえば第2話のサブタイトル「我が赴くは星の海原」は、明らかに私の好きなSF小説『我が赴くは星の群』(The Stars My Destination)(別題『虎よ、虎よ!』(Tiger! Tiger!))のもじりです。第3話の「木星圏脱出」は『宇宙戦艦ヤマト』の元ネタになったSF小説『地球脱出』(別題『メトセラの子ら』)のもじりでしょうか。第8話「星に願いを」はもちろんディズニーの長編アニメーション映画『ピノキオ』の主題歌ですが、第9話『時計仕掛けの虜囚』はSF小説――というよりスタンリー・キューブリック監督の映画で有名な『時計じかけのオレンジ』です。
このように、2199のサブタイトルにはSF小説、それも70年代に本屋に並んでいたSF小説のタイトルからの借用もしくはもじりが見受けられます。
この傾向は終盤まで続き、第20話「七色の陽のもとに」(=スタニスワフ・レムのSF小説『ソラリスの陽のもとに』)、第21話「第十七収容所惑星」(=ストルガツキー兄弟のSF小説『収容所惑星』)を経て、第25話のサブタイトルは「終わりなき戦い」(=ジョー・ホールドマンのSF小説『終りなき戦い』)となります。
ハヤカワSF文庫(現・ハヤカワ文庫SF)の創刊が1970年で、ハヤカワ・SF・シリーズ(いわゆる「銀背」)が刊行されていたのが70年代中盤までです。1974年にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放映され、その後、数年にわたる再放送の繰り返しを経てヤマトが大ブームになったあの時代、SFやアニメが好きな人は本屋に行くたび、あるいは自分の本棚で、これらのタイトルを目にしていたのです。
■松本零士色
もう一つ重要なのは、松本零士氏へのリスペクトです。
第三章の記事で触れたように、第10話のサブタイトル「大宇宙の墓場」は<太陽の女王号>シリーズの同名タイトルからの借用です。また、第四章の記事に書いたように、第14話「魔女はささやく」は、主人公が"魔女"にたぶらかされて生命の危機に瀕するところから『大宇宙の魔女』へのオマージュと考えられます。いずれも松本零士氏の流麗なイラストに飾られた本でした。セレステラ宣伝情報相のキャラクターデザインが『処女戦士ジレル』に酷似し、ミレーネル・リンケが『大宇宙の魔女』の絵に似ているように、本作は随所で松本零士氏の画業を意識して作られています。
はるか未来の、宇宙の物語でありながら、漢字が多用されているのも松本零士氏らしいですね。林立する摩天楼の中に、デカデカと「中央大病院」という文字が掲げられているのを見たときは、ニヤリとしてしまいました。2199では、佐渡酒造先生が勤務する病院の名前はもとより、計器類の表示にも漢字が溢れていました。
かつて日本には、英語やカタカナ語を多用するほうが先進的という雰囲気がありました(今もそうかも知れません)。
しかし、1982年の映画『ブレードランナー』が人気を博してからは、未来を舞台にしたSF映画の背景等に漢字を散りばめるのは珍しくなくなり、日本でも(オリエンタリズムを込めてか)中華風の未来世界が描かれたりしました。ですが、それ以前から漢字表記が存在する未来世界を頑固に描き続けていたのが松本零士氏です。
劇中に漢字が多々現れる2199は、SF映画としても松本零士氏へのリスペクトとしても、よく考えられていると思います。
もちろん、計器類に漢字が表示されるのは合理的でもあって、現代のパソコン等の電子機器ですら多言語対応しているのに、22世紀末のヤマトのコンソールで、極東管区の乗組員が日本語を選択できないわけはないでしょう。
![さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51uH4OvE2XL._SL160_.jpg)
ストーリー上は不要と思われる第24話「遥かなる約束の地」の美女たちの水泳大会も、この延長線上にあるのでしょう。
松本零士氏の魅力といえば、美しい女性画も忘れてはなりません。今でこそ松本美女の代表はロングコートのメーテルですが、松本零士氏がイラストレーターとして腕を振るった70年代、氏が描くのはもっぱら女性のヌード画でした。『暗黒界の妖精』のカバーアート――祈るように手を組み、顔を上げた裸の女性――は、ほとんどそのままの構図で『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のテレサのポスターに転用されました。
松本零士氏のマンガに登場する女性はよく脱ぎます。脱ぐシチュエーションは様々ですが、ヒロインの女神のような裸体を前にして、男性が圧倒されることが多いように思います。
『宇宙戦艦ヤマト』の女性キャラは森雪ぐらいでしたが、彼女も服が透けたり、アナライザーにスカートめくりされたりとエロチックな場面がありました。2199の作り手たちは、スカートめくりを再現するのは避けつつ、松本零士作品を貫くエロチシズムを現代なりに表現しています(現代の作品らしく、男性陣の水着姿も披露してバランスを取っています)。
『宇宙戦艦ヤマト』以前の松本零士氏の代表作の一つに、『セクサロイド』があります。ヒロインのユキをはじめとするセクシーな美女が入り乱れるとともに、宇宙に移住する「カミヨ計画」や、その計画が頓挫すると新エネルギー物質コスモナイトを巡る「ヤヨイ計画」が描かれるあたり、宇宙に移住する「イズモ計画」や波動エネルギーを利用する「ヤマト計画」が描かれる『宇宙戦艦ヤマト2199』への影響は大きいでしょう。
その他『宇宙戦艦ヤマト2199』では、松本零士氏のもう一つの特徴である戦記物を思わせるドラマも展開されました。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の制作に松本零士氏は参加していません。しかし、2199のスタッフは、松本零士氏を『宇宙戦艦ヤマト』の監督として捉えるだけではなく、70年代から80年代にかけてのアニメブーム、SFブームの立役者としての氏へリスペクトを込めて、氏の多方面にわたる仕事を作中で表現しているのだと思います。
そして、これらの趣向は、名作SFを示唆するサブタイトルとともに、ハヤカワSF文庫や『セクサロイド』や松本零士氏の画集やムックが本屋に並んでいた"あの時代"を思い出させてくれるのです。
■『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した時代
それはまた、『宇宙戦艦ヤマト』が起爆剤となって生み出した時代でもありました。
現在盛んに出版されているライトノベルの源流ともいえるソノラマ文庫が創刊されたのは1975年のこと。その一冊目は石津嵐氏のノベライズ『宇宙戦艦ヤマト』でした。この小説がどれだけ売れたのかは存じませんが、さぞかし好評だったのでしょう。このあと石津嵐氏はソノラマ文庫から『宇宙潜航艇ゼロ』や『宇宙海賊船シャーク』等を刊行し、同じくソノラマ文庫では吉津實氏の『宇宙巨艦フリーダム』も刊行され、ひと頃は『宇宙○艦○○○』と題された作品が花盛りでした。もちろん、『宇宙戦艦ヤマト』のノベライズ、コミカライズも複数の著者の手によりあちらこちらの出版社から刊行されていました。
1977年には『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版第一作が公開され、興行収入21億円のヒットを記録。映画会社にアニメの興行価値を知らしめ、出版社にアニメ雑誌の創刊に踏み出させるなど、数々の伝説を生み出します。
翌1978年は、『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』が日本に上陸して「SF元年」と喧伝されました。これらハリウッド発のSF映画に対して、日本映画界からは(『惑星大戦争』、『宇宙からのメッセージ』という露払いとともに)『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が迎え撃つ形でした。
同時に『宇宙戦艦ヤマト』は爆発的な松本零士ブームを巻き起こし、テレビには松本零士氏が監督や原作やキャラクターデザイン等でかかわるアニメ作品が溢れ、劇場でも1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』に続いて、1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、1979年の『銀河鉄道999』、1980年の『ヤマトよ永遠に』、1981年の『さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-』、1982年の『1000年女王』と松本零士氏がかかわる映画が毎年公開され、そのいずれもがヒットするという未曾有の状況になりました(さすがに1982年後半の『わが青春のアルカディア』で息切れしますが)。
『宇宙戦艦ヤマト』をリメイクすること、しかも松本零士氏の仕事やSFの出版状況に言及しながらリメイクすることは、"この時代"も思い出させてくれます。
■『宇宙戦艦ヤマト』と『宇宙戦艦ヤマト2199』
これらのことから窺えるのは、2199が単に宇宙戦艦ヤマトシリーズを再構築した作品ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代、そして『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した時代の空気をも再現した作品であるということです。
2199を観ることで、当時を懐かしく思い出してまたSFを読む人がいるかもしれません。2199を手掛かりにして、往年の名作SFや松本零士氏の作品に触れようとする人がいるかもしれません。2199は、時代が生み出し、時代を生み出した『宇宙戦艦ヤマト』の足跡をたどり、同じ役割を果たすことを企図されていたのでしょう。
2199を観ているあいだ、私はたしかに"あの時代"の息吹を感じました。それがゆえに、とても気分が高揚しました。2199に時間も金も惜しまず付き合い続けたのは、2199が優れた作品であるばかりでなく、この興奮があったからです。
■2199に目を向けなかった人を呼び戻すための2202
他方、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』を作るスタンスは全く違います。
第一に、2199を成功例とは考えていない、という点があるでしょう。2202のシリーズ構成・脚本を手掛ける福井晴敏氏は、2199がBlu-rayとDVDで50万枚を越えるヒットになったことについて意見を求められ、次のように答えています。
---
この点についていうと、今回の「2202」のもとになった「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(以降、「さらば」)は観客動員数が400万人を突破しているんですよね。
(略)
そう考えると「実はまだ潜在顧客の10分の1も取れていない」という考え方もあるわけで、そこを掘っていかないといけないな、というのが今回の作品です。
(略)
「2199」はBD・DVDが50万本売れているとおっしゃいましたよね。
(略)
「ガンダムUC」は190万本でした。一方で「機動戦士ガンダム」、いわゆる「ファーストガンダム」の映画3部作は、「ヤマト」には最後まで勝てませんでした。ということは、「ヤマト」の方がパイが大きいということです。「ガンダムUC」が200万本近く売れているということは、「『2199』の50万本では足りないのではないか、もっと伸びしろがあるのではないか?」と、我々は考えているわけです。
(略)
つまり「さらば」で止まっているような休眠層が相当数いるわけです。
---
2199で掘り起こせなかった休眠層。彼らをいかに呼び戻すかを考えた結果が、より一層旧作(『さらば―』『ヤマト2』)に忠実に作ることなのでしょう。観客動員数400万人、興行収入43億円を記録した『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の動員力を信じて再現すること、それが2202制作の基本にあるのだと思います。
『千と千尋の神隠し』(2001年)の観客動員数2350万人や興行収入308億円、あるいは『君の名は。』(2016年)の観客動員数1898万人以上、興行収入250.3億円といった記録に比べれば、400万人の動員や興収43億円は大きな数字ではなさそうに見えますが、アニメーション映画を観るためにわざわざ映画館に足を運ぶのが珍しかった時代(せいぜい、子供にせがまれた親が小さな子を連れていく程度だった時代)にこれだけの観客を動員したのは画期的なことでしたし、このブレイクスルーがなければ今の日本のアニメーションの興盛はなかったかもしれないのですから。
2202の企画の初期段階で、羽原信義監督と福井氏は「今の時代にあった新しいことをやるべき。ただし、観客が『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶は随所に入れよう」と語り合ったそうです。
福井氏は、「基本的には観た人が「懐かしい!」、「 久しぶりにこれ観た! やっぱこれだよ!」と喜んでもらえる部分と、でも大きな筋の部分で「これどうなっちゃうの?」と先が知りたくなる部分がほどよくブレンドされているのが理想だと思う」とも語っています。
自身、『さらば―』で大泣きしたという羽原監督は、「英雄の丘」のシーンを例に挙げ、「このシーンは、『さらば』と同じカット割で忠実に再現しました。しかも、新しいシナリオで、乗組員の心情はより深く描けていると思います」と述べています。
2199も、現代風にアレンジされつつも、「あ、この場面知ってる!」という映像的な記憶が随所に入っていました。その上でシリーズ全体を再構築し、宇宙戦艦ヤマトシリーズとは直接の関係はない名作SFや松本零士作品にまで言及するという壮大なことに取り組んでいました。
2202は、そういう「余計な味付け」はせず、素材本来の味わいで楽しませる。大きな筋の部分で先が知りたくなるものをブレンドしても、作風は旧作からはみ出さない。2202の作り手は、そんなスタンスで臨んでいるのでしょう。
■『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』らしさ
だから、たとえばサブタイトルの付け方ひとつ取っても、より旧作に忠実です。
旧『宇宙戦艦ヤマト』のサブタイトルは、第1話の「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」に見られるように、感嘆符の多用と命令形が特徴でした。「2201年ヤマト帰還せよ!」ではじまる『宇宙戦艦ヤマト2』も同様です。2202はこれらにならって感嘆符と命令形を採用し、「西暦2202年・甦れ宇宙戦艦ヤマト」(第1話)、「激突!ヤマト対アンドロメダ」(第5話)といった付け方をしています。
私は感嘆符と命令形を多用したサブタイトルが好きではありませんでした。旧作が放映されていた頃は、『マジンガーZ』のサブタイトルが「幻の巨砲ガレンを爆破せよ!!」だったり、『グレートマジンガー』のサブタイトルが「鉄也よ!! 地獄の闇から這い上がれ!!」だったりしました。タイトルにまで感嘆符と命令形を採用した『エースをねらえ!』や『ゼロテスター 地球を守れ!』が作られ、そのサブタイトルにも「鬼コーチにぶつかれ!」や「ゼロバギー変身せよ!」などと付けられていました。私は、やたら感嘆符が多いネーミングに飽き飽きして、無味乾燥に感じていました(だからこそ、ロボットアニメなのに「イセリナ、恋のあと」なんてサブタイトルが出てくる『機動戦士ガンダム』が衝撃的でした)。
ですから、2199の詩情豊かなサブタイトルが、(名作SFへのオマージュを抜きにしても)気に入っていました。
2202でサブタイトルを旧作のような付け方に変えたのは、2202が2199のセンスを受け継ぐよりも旧作のリメイクを目指したものであるという意思表示なのでしょう。
2202からは、松本零士氏を思わせるものも影を潜めました。もともと『さらば―』は『宇宙戦艦ヤマト』に比べて松本零士色の薄い作品でしたが、2202では計器類の漢字表記もめっきり減って、エロチシズムも見られなくなりました。
計器や標識を英語表記にしたのは、そのほうが先進的に見えるという判断なのかもしれませんし、海外セールスに有利であろうとの考えなのかもしれません(『ブレードランナー』や『月に囚われた男』を例に出すまでもなく、英語を使わないほうがカッコイイ・未来的という感覚は、海外発のものなのですが)。エロチシズムの許容範囲や許容量は意見が分かれやすいところですから、幅広い層へアピールするには手を出さないほうが無難なのかもしれません(第三章以降、テレサが服を着てるかどうかが注目ポイントかもしれません)。
その他、アーチストとしての松本零士を想い起させるものが、2202には見当たりません。旧作にないものはリメイク作にもないのが当たり前、なのかもしれませんが、こんなところも2199との断絶を感じさせます。
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最初は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)のリメイクをただ担当してほしいというオファーだったんですけど、せっかくアニメで『宇宙戦艦ヤマト2199』(2012年)を劇場上映したばかりですし、そちらのお客さんを繋ぎとめずに1から単品で作るのはリスキーだろう……というわけで、続編という形で描かせてもらうこととなりました。
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福井晴敏氏はこう述べていますが、続編といっても2199の設定をいくつか残しているだけで、すっかり別の作品になった印象です。
■『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』のゆくえ
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の大ヒットは、時代とシンクロした結果といえるでしょう。ヤマトブームに松本零士ブーム、さらにSFブームが重なって、それらの熱狂が最高潮に達したときに投入されたのが『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』でした。多くの人が宇宙のロマンに酔いしれた時代――1977年12月から1978年2月の『未知との遭遇』の公開直前まで、ピンク・レディーの『UFO』が10週にわたってオリコンチャートの1位をとり続ける、そんな時代でした。
『機動戦士ガンダムUC』のBD・DVDが190万枚以上売れたのは、ガンダムシリーズが30年以上連綿と作られ続け、ファンの裾野が世代を超えて広がっていたためでもあるでしょう。
いかに『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』がヒットしたとはいえ、たびたびのブランクがあるヤマトシリーズが、時代の援護射撃なしに再びヒットできるのか。2199の作風を離れて旧作に近づけることが、本当によりヒットさせる方策になるのか。私には判りません。2202を観ていても、(2019から)変えてしまって良かったのか、(旧作から)変えなくて良かったのか等々、疑問ばかりが浮かんできます。私はまだ2202を咀嚼できていないのかもしれません。
劇中のセリフによれば、加藤翼が発症しているのは遊星爆弾症候群ではなく「宇宙放射線病の二次発症」ですね。
パンフレットや公式サイトには「遊星爆弾症候群」と書かれているのに、誰が、いつ、なんのために「宇宙放射線病」にしたのか、なぜパンフレット等との乖離が生じたのか。詳細はこれから解明されていくでしょうが、私はこのことをとても注視しています。
これについて書き出すと長くなるのですが、もう充分長い文になってしまいましたので、ひとまず筆を置かせていただきます。
『宇宙戦艦ヤマト2199』 [あ行][テレビ]
総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 赤羽根健治
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』 [あ行][テレビ]
監督/羽原信義 副監督/小林誠 原作/西崎義展
シリーズ構成/福井晴敏 脚本/福井晴敏、岡秀樹
キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 麦人 千葉繁 てらそままさき 神谷浩史 田中理恵 久川綾 赤羽根健治 菅生隆之 神田沙也加
日本公開/2017年2月25日
ジャンル/[SF] [アクション] [戦争]
返事を書いたらあまりにも長くなったので、別の記事にすることにした。
以下は、オブチ1号さんのコメントへの返信として、2202第二章上映後の時点で書いたものである。
【2017年8月15日にいただいたオブチ1号さんのコメント】(抜粋)
タイトル: 2202は失われた未来を取り戻せるのか?
(前略)
これは私の印象でしかありませんが、作り手は「さらば」の衝撃に引きずられている面が強いかと思います。私は「さらば」が公開された当時は生まれてすらいなかったので皆さんが映画館で号泣したという話を聞いてもピンときませんが、その衝撃がすごかったということだけはわかります。その体験が名場面(英雄の丘や発進シーンなど)を完全に再現するという部分に現れている気がします。こうした場面はひどく感情を揺さぶるシーンであって作品の核となる部分でもあると思います。
ただ2199ではたとえこうした名場面であってもただ再現すればいいという作りではなかったと思います。熟考した上で再構築し、シーンとしてまとめる形です。2202では、作品を制作する時間的猶予の問題なのかあえて再現することにこだわっているのかわかりませんが(後者な気もしますが)、再構築する段階まで至っていない気がします。そのため皆様が議論されているような説明できない部分が多く残っていて違和感があるのではないでしょうか。
(後略)
(前略)
これは私の印象でしかありませんが、作り手は「さらば」の衝撃に引きずられている面が強いかと思います。私は「さらば」が公開された当時は生まれてすらいなかったので皆さんが映画館で号泣したという話を聞いてもピンときませんが、その衝撃がすごかったということだけはわかります。その体験が名場面(英雄の丘や発進シーンなど)を完全に再現するという部分に現れている気がします。こうした場面はひどく感情を揺さぶるシーンであって作品の核となる部分でもあると思います。
ただ2199ではたとえこうした名場面であってもただ再現すればいいという作りではなかったと思います。熟考した上で再構築し、シーンとしてまとめる形です。2202では、作品を制作する時間的猶予の問題なのかあえて再現することにこだわっているのかわかりませんが(後者な気もしますが)、再構築する段階まで至っていない気がします。そのため皆様が議論されているような説明できない部分が多く残っていて違和感があるのではないでしょうか。
(後略)
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コメントありがとうございます。
オブチ1号さんは『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開当時まだ生まれていなかったとのことですので、少々昔ばなしなど交えながら思うところを書かせていただきます。
これまで『宇宙戦艦ヤマト2199』の記事をいくつも書いてきましたが、近頃、まだまだ大事なことが書き切れていなかったと感じています。
■『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代
一つは、『宇宙戦艦ヤマト2199』のサブタイトルの付け方です。
たとえば第2話のサブタイトル「我が赴くは星の海原」は、明らかに私の好きなSF小説『我が赴くは星の群』(The Stars My Destination)(別題『虎よ、虎よ!』(Tiger! Tiger!))のもじりです。第3話の「木星圏脱出」は『宇宙戦艦ヤマト』の元ネタになったSF小説『地球脱出』(別題『メトセラの子ら』)のもじりでしょうか。第8話「星に願いを」はもちろんディズニーの長編アニメーション映画『ピノキオ』の主題歌ですが、第9話『時計仕掛けの虜囚』はSF小説――というよりスタンリー・キューブリック監督の映画で有名な『時計じかけのオレンジ』です。
このように、2199のサブタイトルにはSF小説、それも70年代に本屋に並んでいたSF小説のタイトルからの借用もしくはもじりが見受けられます。
この傾向は終盤まで続き、第20話「七色の陽のもとに」(=スタニスワフ・レムのSF小説『ソラリスの陽のもとに』)、第21話「第十七収容所惑星」(=ストルガツキー兄弟のSF小説『収容所惑星』)を経て、第25話のサブタイトルは「終わりなき戦い」(=ジョー・ホールドマンのSF小説『終りなき戦い』)となります。
ハヤカワSF文庫(現・ハヤカワ文庫SF)の創刊が1970年で、ハヤカワ・SF・シリーズ(いわゆる「銀背」)が刊行されていたのが70年代中盤までです。1974年にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放映され、その後、数年にわたる再放送の繰り返しを経てヤマトが大ブームになったあの時代、SFやアニメが好きな人は本屋に行くたび、あるいは自分の本棚で、これらのタイトルを目にしていたのです。
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もう一つ重要なのは、松本零士氏へのリスペクトです。
第三章の記事で触れたように、第10話のサブタイトル「大宇宙の墓場」は<太陽の女王号>シリーズの同名タイトルからの借用です。また、第四章の記事に書いたように、第14話「魔女はささやく」は、主人公が"魔女"にたぶらかされて生命の危機に瀕するところから『大宇宙の魔女』へのオマージュと考えられます。いずれも松本零士氏の流麗なイラストに飾られた本でした。セレステラ宣伝情報相のキャラクターデザインが『処女戦士ジレル』に酷似し、ミレーネル・リンケが『大宇宙の魔女』の絵に似ているように、本作は随所で松本零士氏の画業を意識して作られています。
はるか未来の、宇宙の物語でありながら、漢字が多用されているのも松本零士氏らしいですね。林立する摩天楼の中に、デカデカと「中央大病院」という文字が掲げられているのを見たときは、ニヤリとしてしまいました。2199では、佐渡酒造先生が勤務する病院の名前はもとより、計器類の表示にも漢字が溢れていました。
かつて日本には、英語やカタカナ語を多用するほうが先進的という雰囲気がありました(今もそうかも知れません)。
しかし、1982年の映画『ブレードランナー』が人気を博してからは、未来を舞台にしたSF映画の背景等に漢字を散りばめるのは珍しくなくなり、日本でも(オリエンタリズムを込めてか)中華風の未来世界が描かれたりしました。ですが、それ以前から漢字表記が存在する未来世界を頑固に描き続けていたのが松本零士氏です。
劇中に漢字が多々現れる2199は、SF映画としても松本零士氏へのリスペクトとしても、よく考えられていると思います。
もちろん、計器類に漢字が表示されるのは合理的でもあって、現代のパソコン等の電子機器ですら多言語対応しているのに、22世紀末のヤマトのコンソールで、極東管区の乗組員が日本語を選択できないわけはないでしょう。
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松本零士氏の魅力といえば、美しい女性画も忘れてはなりません。今でこそ松本美女の代表はロングコートのメーテルですが、松本零士氏がイラストレーターとして腕を振るった70年代、氏が描くのはもっぱら女性のヌード画でした。『暗黒界の妖精』のカバーアート――祈るように手を組み、顔を上げた裸の女性――は、ほとんどそのままの構図で『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のテレサのポスターに転用されました。
松本零士氏のマンガに登場する女性はよく脱ぎます。脱ぐシチュエーションは様々ですが、ヒロインの女神のような裸体を前にして、男性が圧倒されることが多いように思います。
『宇宙戦艦ヤマト』の女性キャラは森雪ぐらいでしたが、彼女も服が透けたり、アナライザーにスカートめくりされたりとエロチックな場面がありました。2199の作り手たちは、スカートめくりを再現するのは避けつつ、松本零士作品を貫くエロチシズムを現代なりに表現しています(現代の作品らしく、男性陣の水着姿も披露してバランスを取っています)。
『宇宙戦艦ヤマト』以前の松本零士氏の代表作の一つに、『セクサロイド』があります。ヒロインのユキをはじめとするセクシーな美女が入り乱れるとともに、宇宙に移住する「カミヨ計画」や、その計画が頓挫すると新エネルギー物質コスモナイトを巡る「ヤヨイ計画」が描かれるあたり、宇宙に移住する「イズモ計画」や波動エネルギーを利用する「ヤマト計画」が描かれる『宇宙戦艦ヤマト2199』への影響は大きいでしょう。
その他『宇宙戦艦ヤマト2199』では、松本零士氏のもう一つの特徴である戦記物を思わせるドラマも展開されました。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の制作に松本零士氏は参加していません。しかし、2199のスタッフは、松本零士氏を『宇宙戦艦ヤマト』の監督として捉えるだけではなく、70年代から80年代にかけてのアニメブーム、SFブームの立役者としての氏へリスペクトを込めて、氏の多方面にわたる仕事を作中で表現しているのだと思います。
そして、これらの趣向は、名作SFを示唆するサブタイトルとともに、ハヤカワSF文庫や『セクサロイド』や松本零士氏の画集やムックが本屋に並んでいた"あの時代"を思い出させてくれるのです。

それはまた、『宇宙戦艦ヤマト』が起爆剤となって生み出した時代でもありました。
現在盛んに出版されているライトノベルの源流ともいえるソノラマ文庫が創刊されたのは1975年のこと。その一冊目は石津嵐氏のノベライズ『宇宙戦艦ヤマト』でした。この小説がどれだけ売れたのかは存じませんが、さぞかし好評だったのでしょう。このあと石津嵐氏はソノラマ文庫から『宇宙潜航艇ゼロ』や『宇宙海賊船シャーク』等を刊行し、同じくソノラマ文庫では吉津實氏の『宇宙巨艦フリーダム』も刊行され、ひと頃は『宇宙○艦○○○』と題された作品が花盛りでした。もちろん、『宇宙戦艦ヤマト』のノベライズ、コミカライズも複数の著者の手によりあちらこちらの出版社から刊行されていました。
1977年には『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版第一作が公開され、興行収入21億円のヒットを記録。映画会社にアニメの興行価値を知らしめ、出版社にアニメ雑誌の創刊に踏み出させるなど、数々の伝説を生み出します。
翌1978年は、『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』が日本に上陸して「SF元年」と喧伝されました。これらハリウッド発のSF映画に対して、日本映画界からは(『惑星大戦争』、『宇宙からのメッセージ』という露払いとともに)『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が迎え撃つ形でした。
同時に『宇宙戦艦ヤマト』は爆発的な松本零士ブームを巻き起こし、テレビには松本零士氏が監督や原作やキャラクターデザイン等でかかわるアニメ作品が溢れ、劇場でも1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』に続いて、1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、1979年の『銀河鉄道999』、1980年の『ヤマトよ永遠に』、1981年の『さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-』、1982年の『1000年女王』と松本零士氏がかかわる映画が毎年公開され、そのいずれもがヒットするという未曾有の状況になりました(さすがに1982年後半の『わが青春のアルカディア』で息切れしますが)。
『宇宙戦艦ヤマト』をリメイクすること、しかも松本零士氏の仕事やSFの出版状況に言及しながらリメイクすることは、"この時代"も思い出させてくれます。
![宇宙戦艦ヤマト2199 1 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ivrRwl2fL._SL160_.jpg)
これらのことから窺えるのは、2199が単に宇宙戦艦ヤマトシリーズを再構築した作品ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代、そして『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した時代の空気をも再現した作品であるということです。
2199を観ることで、当時を懐かしく思い出してまたSFを読む人がいるかもしれません。2199を手掛かりにして、往年の名作SFや松本零士氏の作品に触れようとする人がいるかもしれません。2199は、時代が生み出し、時代を生み出した『宇宙戦艦ヤマト』の足跡をたどり、同じ役割を果たすことを企図されていたのでしょう。
2199を観ているあいだ、私はたしかに"あの時代"の息吹を感じました。それがゆえに、とても気分が高揚しました。2199に時間も金も惜しまず付き合い続けたのは、2199が優れた作品であるばかりでなく、この興奮があったからです。
■2199に目を向けなかった人を呼び戻すための2202
他方、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』を作るスタンスは全く違います。
第一に、2199を成功例とは考えていない、という点があるでしょう。2202のシリーズ構成・脚本を手掛ける福井晴敏氏は、2199がBlu-rayとDVDで50万枚を越えるヒットになったことについて意見を求められ、次のように答えています。
---
この点についていうと、今回の「2202」のもとになった「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(以降、「さらば」)は観客動員数が400万人を突破しているんですよね。
(略)
そう考えると「実はまだ潜在顧客の10分の1も取れていない」という考え方もあるわけで、そこを掘っていかないといけないな、というのが今回の作品です。
(略)
「2199」はBD・DVDが50万本売れているとおっしゃいましたよね。
(略)
「ガンダムUC」は190万本でした。一方で「機動戦士ガンダム」、いわゆる「ファーストガンダム」の映画3部作は、「ヤマト」には最後まで勝てませんでした。ということは、「ヤマト」の方がパイが大きいということです。「ガンダムUC」が200万本近く売れているということは、「『2199』の50万本では足りないのではないか、もっと伸びしろがあるのではないか?」と、我々は考えているわけです。
(略)
つまり「さらば」で止まっているような休眠層が相当数いるわけです。
---

『千と千尋の神隠し』(2001年)の観客動員数2350万人や興行収入308億円、あるいは『君の名は。』(2016年)の観客動員数1898万人以上、興行収入250.3億円といった記録に比べれば、400万人の動員や興収43億円は大きな数字ではなさそうに見えますが、アニメーション映画を観るためにわざわざ映画館に足を運ぶのが珍しかった時代(せいぜい、子供にせがまれた親が小さな子を連れていく程度だった時代)にこれだけの観客を動員したのは画期的なことでしたし、このブレイクスルーがなければ今の日本のアニメーションの興盛はなかったかもしれないのですから。
2202の企画の初期段階で、羽原信義監督と福井氏は「今の時代にあった新しいことをやるべき。ただし、観客が『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶は随所に入れよう」と語り合ったそうです。
福井氏は、「基本的には観た人が「懐かしい!」、「 久しぶりにこれ観た! やっぱこれだよ!」と喜んでもらえる部分と、でも大きな筋の部分で「これどうなっちゃうの?」と先が知りたくなる部分がほどよくブレンドされているのが理想だと思う」とも語っています。
自身、『さらば―』で大泣きしたという羽原監督は、「英雄の丘」のシーンを例に挙げ、「このシーンは、『さらば』と同じカット割で忠実に再現しました。しかも、新しいシナリオで、乗組員の心情はより深く描けていると思います」と述べています。
2199も、現代風にアレンジされつつも、「あ、この場面知ってる!」という映像的な記憶が随所に入っていました。その上でシリーズ全体を再構築し、宇宙戦艦ヤマトシリーズとは直接の関係はない名作SFや松本零士作品にまで言及するという壮大なことに取り組んでいました。
2202は、そういう「余計な味付け」はせず、素材本来の味わいで楽しませる。大きな筋の部分で先が知りたくなるものをブレンドしても、作風は旧作からはみ出さない。2202の作り手は、そんなスタンスで臨んでいるのでしょう。
![宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 1 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71ouL0sqV3L._SL160_.jpg)
だから、たとえばサブタイトルの付け方ひとつ取っても、より旧作に忠実です。
旧『宇宙戦艦ヤマト』のサブタイトルは、第1話の「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」に見られるように、感嘆符の多用と命令形が特徴でした。「2201年ヤマト帰還せよ!」ではじまる『宇宙戦艦ヤマト2』も同様です。2202はこれらにならって感嘆符と命令形を採用し、「西暦2202年・甦れ宇宙戦艦ヤマト」(第1話)、「激突!ヤマト対アンドロメダ」(第5話)といった付け方をしています。
私は感嘆符と命令形を多用したサブタイトルが好きではありませんでした。旧作が放映されていた頃は、『マジンガーZ』のサブタイトルが「幻の巨砲ガレンを爆破せよ!!」だったり、『グレートマジンガー』のサブタイトルが「鉄也よ!! 地獄の闇から這い上がれ!!」だったりしました。タイトルにまで感嘆符と命令形を採用した『エースをねらえ!』や『ゼロテスター 地球を守れ!』が作られ、そのサブタイトルにも「鬼コーチにぶつかれ!」や「ゼロバギー変身せよ!」などと付けられていました。私は、やたら感嘆符が多いネーミングに飽き飽きして、無味乾燥に感じていました(だからこそ、ロボットアニメなのに「イセリナ、恋のあと」なんてサブタイトルが出てくる『機動戦士ガンダム』が衝撃的でした)。
ですから、2199の詩情豊かなサブタイトルが、(名作SFへのオマージュを抜きにしても)気に入っていました。
2202でサブタイトルを旧作のような付け方に変えたのは、2202が2199のセンスを受け継ぐよりも旧作のリメイクを目指したものであるという意思表示なのでしょう。
2202からは、松本零士氏を思わせるものも影を潜めました。もともと『さらば―』は『宇宙戦艦ヤマト』に比べて松本零士色の薄い作品でしたが、2202では計器類の漢字表記もめっきり減って、エロチシズムも見られなくなりました。
計器や標識を英語表記にしたのは、そのほうが先進的に見えるという判断なのかもしれませんし、海外セールスに有利であろうとの考えなのかもしれません(『ブレードランナー』や『月に囚われた男』を例に出すまでもなく、英語を使わないほうがカッコイイ・未来的という感覚は、海外発のものなのですが)。エロチシズムの許容範囲や許容量は意見が分かれやすいところですから、幅広い層へアピールするには手を出さないほうが無難なのかもしれません(第三章以降、テレサが服を着てるかどうかが注目ポイントかもしれません)。
その他、アーチストとしての松本零士を想い起させるものが、2202には見当たりません。旧作にないものはリメイク作にもないのが当たり前、なのかもしれませんが、こんなところも2199との断絶を感じさせます。
---
最初は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)のリメイクをただ担当してほしいというオファーだったんですけど、せっかくアニメで『宇宙戦艦ヤマト2199』(2012年)を劇場上映したばかりですし、そちらのお客さんを繋ぎとめずに1から単品で作るのはリスキーだろう……というわけで、続編という形で描かせてもらうこととなりました。
---
福井晴敏氏はこう述べていますが、続編といっても2199の設定をいくつか残しているだけで、すっかり別の作品になった印象です。
![宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 2 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/717nBmncZHL._SL160_.jpg)
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の大ヒットは、時代とシンクロした結果といえるでしょう。ヤマトブームに松本零士ブーム、さらにSFブームが重なって、それらの熱狂が最高潮に達したときに投入されたのが『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』でした。多くの人が宇宙のロマンに酔いしれた時代――1977年12月から1978年2月の『未知との遭遇』の公開直前まで、ピンク・レディーの『UFO』が10週にわたってオリコンチャートの1位をとり続ける、そんな時代でした。
『機動戦士ガンダムUC』のBD・DVDが190万枚以上売れたのは、ガンダムシリーズが30年以上連綿と作られ続け、ファンの裾野が世代を超えて広がっていたためでもあるでしょう。
いかに『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』がヒットしたとはいえ、たびたびのブランクがあるヤマトシリーズが、時代の援護射撃なしに再びヒットできるのか。2199の作風を離れて旧作に近づけることが、本当によりヒットさせる方策になるのか。私には判りません。2202を観ていても、(2019から)変えてしまって良かったのか、(旧作から)変えなくて良かったのか等々、疑問ばかりが浮かんできます。私はまだ2202を咀嚼できていないのかもしれません。
タイトル: 2202は失われた未来を取り戻せるのか?
(承前)
翼くんは遊星爆弾症候群にかかっているし、(略)いいところがありません。
(承前)
翼くんは遊星爆弾症候群にかかっているし、(略)いいところがありません。
劇中のセリフによれば、加藤翼が発症しているのは遊星爆弾症候群ではなく「宇宙放射線病の二次発症」ですね。
パンフレットや公式サイトには「遊星爆弾症候群」と書かれているのに、誰が、いつ、なんのために「宇宙放射線病」にしたのか、なぜパンフレット等との乖離が生じたのか。詳細はこれから解明されていくでしょうが、私はこのことをとても注視しています。
これについて書き出すと長くなるのですが、もう充分長い文になってしまいましたので、ひとまず筆を置かせていただきます。

総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 赤羽根健治
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』 [あ行][テレビ]
監督/羽原信義 副監督/小林誠 原作/西崎義展
シリーズ構成/福井晴敏 脚本/福井晴敏、岡秀樹
キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 麦人 千葉繁 てらそままさき 神谷浩史 田中理恵 久川綾 赤羽根健治 菅生隆之 神田沙也加
日本公開/2017年2月25日
ジャンル/[SF] [アクション] [戦争]

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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199】
【genre : アニメ・コミック】
『スパイダーマン:ホームカミング』 過去のシリーズとは大違い!
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2002年に公開されたサム・ライミ監督の『スパイダーマン』は傑作だった。その傑出したシリーズを中止してリブートするなんて、大それたことに違いなかった。
ところが2012年に公開された『アメイジング・スパイダーマン』は、まさにアメイジングな作品だった!その続編『アメイジング・スパイダーマン2』も、涙なくしては観られない傑作だった。
それが再びリブートされた。
前作からたった三年しか経っていないのに、また新しいスパイダーマン映画が公開される。さすがにもう楽しめないだろうと思ったが、とんでもなかった。2017年の『スパイダーマン:ホームカミング』は、スパイダーマンというキャラクターの奥深さを改めて感じさせるものだった。
本作の原題は、邦題と同じく『Spider-Man: Homecoming』。題名に付けられた homecoming には三つの意味が込められているのだろう。
一つには、「帰宅」とか「帰郷」の意味がある。すなわち、『スパイダーマン:ホームカミング』とは、「スパイダーマンが帰ってきた」ということだ。三年ぶりの新作に、多くのファンが喜んだはずだ。
二つ目は、劇中で描かれるホームカミングパーティーのこと。これは、高校や大学で行われる年に一度のイベントだ。このイベントには卒業生や旧職員が招かれるから「ホームカミング」と呼ばれるが、在校生にとっても大切な場であるのは映画を観ればお判りのとおり。本作のクライマックスもホームカミングの夜だ。
そして三つ目が、マーベル・スタジオが制作する一連のヒーロー映画群、マーベル・シネマティック・ユニバースへスパイダーマンが帰ってきたことを指す。
これまでのスパイダーマン映画は、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント傘下のコロンビア・ピクチャーズが制作してきた。しかし、とうとうウォルト・ディズニー・カンパニーの子会社マーベル・スタジオが参画し、アベンジャーズと同じ世界で活躍できるようになったのだ。
本作をつくることが決まる前、ソニーはマーベル・シネマティック・ユニバースとは別にスパイダーマンを中心にした映画の世界を計画していた。スパイダーマンの恋人でもある女盗賊ブラックキャットや、強敵ヴェノム、悪党同盟シニスター・シックスの映画や、『アメイジング・スパイダーマン』の第三弾、第四弾も予定されていた。『アメイジング・スパイダーマン』シリーズに主演したアンドリュー・ガーフィールドの出演契約も済んでいたという。
けれども、『アメイジング・スパイダーマン2』が成績不振に終わると、ソニーはマーベル・スタジオからの提携の申し出を受け入れ、これらの計画をキャンセルしてしまった(かろうじてヴェノムの映画は作られるようだが)。そして誕生したのが『スパイダーマン:ホームカミング』だ。
スパイダーマンはこれまでマーベル・シネマティック・ユニバースに加わっていなかったのだから、「帰郷」と表現するのはおかしいかもしれない。
だが、かつてスタジオを持たなかったマーベルが、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントを口説いてスパイダーマンを映画化してもらい、世界でもっとも売れているマンガX-MENを20世紀フォックスから映画デビューさせ、それらの積み重ねの上にこんにちのアメコミ映画の全盛があるとはいえ、マーベル・スタジオが次々にヒットを飛ばせるようになった今、マーベル・コミックスでもっとも知名度の高いヒーロー、スパイダーマンをみずからのスタジオから世に出せるのは、何より嬉しいに違いない。「ホームカミング」という命名には、その喜びが込められていよう。
そう、本作はみんなが愛するスパイダーマンを、愛情たっぷりに描いた映画なのだ。

原作マンガのスパイダーマンはアベンジャーズのメンバーだったから、映画でアベンジャーズに加わってもおかしくはない。しかし、本作で面白いのは、アイアンマンたちとの絡みよりも、アベンジャーズとは無関係に進行するピーターの学園生活や彼の孤軍奮闘だ。それだけピーター・パーカー=スパイダーマンというキャラクターに魅力があるということだ。
アイアンマンことトニー・スタークや彼の運転手ハッピー・ホーガンの登場も、その活躍で映画を盛り上げるのではなく、大人である彼らとの対比によってまだ15歳のピーターの少年らしさを印象づける。私は『アメイジング・スパイダーマン』の記事で「ピーター・パーカーの低年齢化に反比例するように、大人は大人らしく思慮深くなった」と書いた。本作ではその傾向がますます強まり、前作以上に低年齢化したピーターが、年季の入った大人たちを相手に、文字どおり"大人顔負け"の活躍をして楽しませてくれる。
過去二回のシリーズと比べると、本作の特徴が良く判る。
トビー・マグワイア主演の『スパイダーマン』シリーズは、「持てる者」の物語だった。好きな女の子に相手にされず、いじめられっ子だったピーターが、「大いなる力」を持つ者となり、「大いなる責任」を自覚して、人間的に成長する。そこに観客は共感し、感情移入した。
アンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン』シリーズは、「持たざる者」の物語だった。両親を失い、叔父さんを失い、大切な人・愛する人を失いながら、それでも闘い続ける彼の姿に、観客は涙し、悲しみを共有した。
トム・ホランド主演の『スパイダーマン:ホームカミング』は、そのどちらでもない。本作のピーターは両親のことに触れないし、ベン叔父さんの死も過去のことになっている。スパイダー・パワーを得て動揺する様も描かれない。それどころかスパイダー・パワーを活かしたくて仕方のない彼は、一流校の学力コンテストの主力選手としても尊敬されているし、片想いの相手リズ(後のスーパーヒロイン、ファイアスター)とも上手くいくし、ゼンデイヤ演じるちょっと変わった女の子にも惚れられているみたい。ピーターの学園生活は、スクールカーストの底辺であえいでいた過去作とはうって変わって、けっこう充実している。
端的なのが、ピーターと同じ高校に通うフラッシュ・トンプソンの扱いだ。『スパイダーマン』シリーズでも『アメイジング・スパイダーマン』シリーズでも、フラッシュはピーターをいじめる乱暴者だった。ところが本作のフラッシュは、ピーターを愚弄しようとして空振りしているお調子者だ。学業でも部活でもみんなから一目置かれるピーターに、何とか恥をかかせようとするものの、気がつけばピーターの株が上がるばかり。
過去のスパイダーマン映画は、ピーターの情念や悲しみを丁寧に描くことで観客に感情移入させ、主人公と同一視させることで魅了してきた。
しかし、「大いなる責任」に苦悩したり、喪失の悲しみに捉われることなく充実した毎日を送る本作のピーターを、観客は自己と同一視しないだろう。ときには失敗することもあるこの少年を観客は好感をもって見守るが、彼は決して観客自身ではない。
では、本作のピーターは何者なのか。
その答えは、スパイダーマンのお馴染みのキャッチフレーズに集約される。彼は、「あなたの親愛なる隣人(Your Friendly Neighborhood)」なのだ。
もっとも、本作のピーターはまだ15歳の少年とはいえ、とても思慮深く理性的だ。
『スパイダーマン:ホームカミング』の最大の見どころは、追いかけていた悪党バルチャーが、よりによって想いを寄せるリズの父親だと判ってからの展開だ。
このときのために、本作では冒頭からバルチャーことエイドリアン・トゥームスが家族思いの人物として描かれていた。家族のため、娘のために働かなければならない彼は、大富豪トニー・スタークの事業と競合して仕事を失い、非合法な道に走らざるを得なくなる。口を開けば家族への思いと金持ちへの恨みごとを繰り返す彼は、観客から同情されやすいキャラクターだ。
注目すべきは、バルチャーの正体を知ったピーターに葛藤も逡巡もないことだ。ピーターは、リズの父親だからと戦うことをためらったり、手控えたりしようとは考えない。
リズと両親の様子を見れば、深い愛情で結ばれた家族であることはピーターにだって判る。父親が犯罪者と知ればリズは嘆き悲しむに違いない。家庭は滅茶苦茶になり、リズの生活は一変してしまうだろう。だから、バルチャーの正体を知ったピーターは顔面蒼白になり、リズへの申し訳なさでいっぱいになる。
それでも彼はバルチャーとの戦いに急行する。なぜならバルチャーは法を犯しているからだ。見逃したり手加減したりすれば、バルチャーはこれからも法を犯し続けるだろう。父親の犯罪を止めなければ、もっとリズを悲しませることになる。そこに迷いがないからピーターは戦える。
ピーターがその判断を即座にできることに(映画の作り手が15歳の少年に即断させることに)、私は感心した。
2002年の『スパイダーマン』に登場したグリーン・ゴブリンは、ピーターの親友ハリーの父親だった。とはいえ、ピーターは親友の父が敵と知って戦ったわけではない。ピーターの愛する人を次々襲った卑劣漢グリーン・ゴブリンとの決戦に臨んだ彼は、相手がハリーの父と知るや戦いを中断してしまう。親友の父と知って戦い続けることはできなかったのだ。
これを思えば、なおのこと本作のピーターの信念の強さが判るだろう。この映画の背景には、規範をより強く明確に打ち出すべしという社会の要請の高まりがあるのかもしれない。規範をより強く明確に打ち出さなければという危機感の高まりがあるのかもしれない。
私たちがどうあるべきかを身をもって示してくれる。それが私たちの親愛なる隣人、スパイダーマンなのだ。
![スパイダーマン:ホームカミング ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/91U9DUSwWhL._SL160_.jpg)
監督/ジョン・ワッツ
出演/トム・ホランド マイケル・キートン マリサ・トメイ ロバート・ダウニー・Jr ジョン・ファヴロー ジェイコブ・バタロン ゼンデイヤ ローラ・ハリアー トニー・レヴォロリ ジェニファー・コネリー ドナルド・グローヴァー グウィネス・パルトロー クリス・エヴァンス タイン・デイリー
日本公開/2017年8月11日
ジャンル/[SF] [アクション] [学園] [青春]

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【genre : 映画】
tag : ジョン・ワッツトム・ホランドマイケル・キートンマリサ・トメイロバート・ダウニー・Jrジョン・ファヴロージェイコブ・バタロンゼンデイヤローラ・ハリアートニー・レヴォロリ
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』対談 第二章までを巡って
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』の劇場公開がはじまった。
2017年2月に『第一章 嚆矢篇』と銘打って第1話~第2話が、同年6月には『第二章 発進篇』として第3話~第6話の特別上映が行われた。
当サイトにデスラー及びガミラスに関する考察を連載されているT.Nさんもまた、2202を観るために足を運ばれた一人だ。T.Nさんと当サイト管理人のナドレックは、今後の連載について相談するかたわら、2202に関して意見を交換した。
旧作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』と『宇宙戦艦ヤマト2』のリメイクでありながら、新作『宇宙戦艦ヤマト2199』の続編でもある『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』。旧作とは何が同じで何が違うのか、2199から何を受け継いだのか/受け継がなかったのか。
波動砲やヤマト出撃の描き方を中心に交わしたやりとりを、ここに公開する。
以下は、第二章公開時点でのメールの往復を対話形式に編集したものである。
2017年2月に『第一章 嚆矢篇』と銘打って第1話~第2話が、同年6月には『第二章 発進篇』として第3話~第6話の特別上映が行われた。
当サイトにデスラー及びガミラスに関する考察を連載されているT.Nさんもまた、2202を観るために足を運ばれた一人だ。T.Nさんと当サイト管理人のナドレックは、今後の連載について相談するかたわら、2202に関して意見を交換した。
旧作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』と『宇宙戦艦ヤマト2』のリメイクでありながら、新作『宇宙戦艦ヤマト2199』の続編でもある『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』。旧作とは何が同じで何が違うのか、2199から何を受け継いだのか/受け継がなかったのか。
波動砲やヤマト出撃の描き方を中心に交わしたやりとりを、ここに公開する。
以下は、第二章公開時点でのメールの往復を対話形式に編集したものである。
![宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 1 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71ouL0sqV3L._SL160_.jpg)
例えば2202第一章の艦隊戦では、艦艇がのそのそと鈍重に動く描写に変更されています。2199のガミラス艦が冥王星沖海戦やドメルのガトランティス討伐戦で高速で疾走していたのとはまったく対象的な描写です。また、ガトランティス艦隊は浮遊大陸程度の狭い範囲に密集したまま散開も機動も行わない。これなら拡散波動砲のように広域を照射できる艦首砲一発で全てを薙ぎ倒せるでしょう。
このように2202は波動砲が非常に効果的な武器であるように描写されています。そこに私は「地球艦隊と波動砲を活躍させたい」という2202の製作者達の情念を強く感じました。
ナドレック:『宇宙戦艦ヤマト2199』のガミラス艦隊は、特に説明がなくても十字型や円筒型の陣形をとっていて、合理的にヤマトを追い込んでいました。だから手に汗握る戦闘が展開されたのですが、2202の第一章と第二章を鑑賞する限り、そういう見せ方はしていませんね。おっしゃるとおり、ガトランティス軍は拡散波動砲でなぎ払ってくれと云わんばかりの状態です。波動砲の威力を印象づけるためだとしても、せっかくの艦隊戦なのにもったいないと感じました。
![宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 2 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/717nBmncZHL._SL160_.jpg)
T.N:また、地球人がガミラス大使にまるでガミラスと肩を並べる大国であるかのような丁々発止の会話を交わす(アンドロメダ級の進水シーンなど)描写があることからも、外敵が来るたびに全滅する情けない旧シリーズの地球と決別したいという製作者達の意気込みをも感じました。
これらの地球と波動砲への情念が前面に押し出された結果、2202は2199で見られた戦いの合理性が影を潜めてしまったと私は考えています。
――第二章でマルチ隊形を敷く波動砲艦隊や建造中の波動砲艦が出てくるが、あの程度の数で星間国家との戦争に勝てると芹沢たちは本気で考えているのだろうか?ガミラスが万単位の艦艇を動員できることをヤマトから報告されているはずなのだが。
そしてザルツ人にあれだけ横柄で傲慢な態度をとるガミラス人が地球人と簡単に仲良くできるのだろうか?ガミラス大使は地球人に「単に我々はイスカンダルの口ぞえがあったから滅ぼさずにおいただけだ」という態度をとるのではないか?
――現代の将校らしい分別のある2199の古代なら、波動砲を作ったところで戦争に勝てないと地球の首脳達にハッキリ指摘するのではないか。田畑と地上の工場が絶滅した地球は確実に深刻な困窮状態にあるはずで、古代は「目先の軍備を整えるのではなく、百年の大計を立てて今目の前で飢えている人々の為に波動エネルギーを使うべきだ」と主張するのではないだろうか?
2202の描写に関して、私は上記の疑問を感じています。2202は地球のかっこいい姿を描写しようとするあまり、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』で描写されたおごり高ぶる地球の愚劣さが非常に薄められる内容になるのではないかと懸念しています。
![さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51uH4OvE2XL._SL160_.jpg)
ナドレック:『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』の作り手は、必ずしも地球をかっこよく描きたいと考えているわけではないと思います。
旧作(『さらば―』『ヤマト2』)の地球は繁栄に酔い、驕っているようでしたが、2202では地球が軍備拡張路線をひた走る様子が強調されています。旧作に比べると、おごり高ぶる者の愚劣さが薄められたように感じられますが、これは古代たちヤマトクルーの描き方との対比からやむを得ないのだと思います。
平和に溺れて惰眠をむさぼり、危機が迫っているのに取り合おうしない人々に見切りをつけ、わずかな有志が立ち上がって、強大な敵に戦いを挑む……という話は、松本零士氏の得意とするところで、『さらば―』に先行するマンガ版『宇宙海賊キャプテンハーロック』もそういう話でした(アニメ版の『宇宙海賊キャプテンハーロック』は、打倒ハーロックに全力を挙げる切田長官なるオリジナルキャラクターを登場させてしまい、ハーロックの仲間以外は全員愚劣で惰眠をむさぼっているという重要な設定を台無しにしてしまいましたが)。

対して、古代進をはじめとする宇宙戦艦ヤマトのクルーたちは、軍人・軍属です。軍の指揮命令系統に組み込まれており、これに反することは許されません。
にもかかわらず、彼らはテレサのメッセージに呼応して、勝手にヤマトで出撃してしまいます。これは国家に対する反逆です。目的のいかんに関わらず、軍人がもっともやってはいけないことです。
勝手に行動する軍人に関して、日本人は苦い記憶を持っています。
1932年5月15日、18人の青年将校らが方々を襲撃して時の首相を殺害。結果的に政党政治を終わらせてしまいました。
1936年2月26日には、政治の腐敗を正し、貧困に苦しむ人々を救済しようと青年将校らが決起し、総勢1,483人があちこちを占拠して多くの人を殺しました。
中国大陸では関東軍が満州事変を引き起こし、陸軍統制派は日中戦争を拡大させ、遂には米英各国との全面戦争をもたらして、大日本帝国を滅亡へと追いやりました。
この軍人たちは何も悪事を働こうと企んだわけではありません。腐敗し国を危うくする(と彼らには見える)政党・政治家よりも、自分たちの行動のほうが国にためになると考えたのでしょう。
軍が勝手に行動したといっても、必ずしも軍が孤立していたわけではありません。満州事変後、勝ち戦のうちは世論は軍の味方でしたし、逆に、政争に明け暮れる政党のほうが民衆から愛想を尽かされていたといいます。
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『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』や『宇宙戦艦ヤマト2』が世に出た当時、私はこの相似に思い至りませんでした。
強烈だったのは、やはり『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』です。石原慎太郎氏を原案に迎えたこの映画は、ABCD包囲網に苦しむ日本の姿を投影したと云うだけあって、1930~1940年代の状況そのままです。惑星アマールは中国大陸、地球人が入植をはじめたアマールの月は満州、敵対する大ウルップ星間国家連合はABCD包囲網かつ連合国、大ウルップ星間国家連合の中でも最大の国SUSはスーパーUS(米国の拡張版)といえるでしょう。
アマールの月への入植(満州の権益)を邪魔された古代たち(関東軍)が、地球(本国)の了解もなしに戦端を開くのは、満州事変を思わせます。大ウルップ星間国家連合の一員であるアマールが、本当はSUS率いる星間国家連合から独立したいと願っていて、星間国家連合と戦うヤマトに(自分も連合の一員でありながら)共感するという流れは、中国を含むアジア諸国に攻め込みながら、大東亜戦争はアジア解放のためだったという言説の宇宙版といえましょう。
満州事変を起こした関東軍を肯定したかつての世論の亡霊のような面が、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』にはありました。
『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』ほどあからさまではないにしろ、上層部の意向を無視して戦いはじめる軍人を英雄視する傾向が、宇宙戦艦ヤマトシリーズにはしばしば見受けられます。
そして『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』を念頭に置いて振り返るとき、その嚆矢にして最たるものが『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のヤマト出撃だったことに気づくのです。

ナドレック:『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクのみならず、シリーズ全体の再構築を目指した『宇宙戦艦ヤマト2199』は、この問題にも切り込みました。第11話から第13話にかけて、現場の軍人が勝手に判断することの是非を問うたのです。
ただしそれは、戦おうとしない人々に見切りをつけて自分たちだけで決起する話ではなく、上層部から下された戦闘命令に応じないで、戦いを避けようとする話でした。たとえ命令に反してでも、ときには立ち上がらない勇気が必要なのではないか。そう問いかけた『宇宙戦艦ヤマト2199』は、暴走する軍部を称賛する傾向を持つ旧シリーズへの明らかな反論でした。
しかも、地球ではもっぱらガミラス側が戦争をはじめたとされていたのに、実は先に戦端を開いたのは地球側であることを暴いたエピソードによって、開戦のきっかけには欺瞞があることも指摘しました。
このエピソードは、満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が、本当は関東軍によって起こされたものなのに、中国軍の犯行と発表されて日本中それを信じていたことが念頭にあったに違いありません。
戦争の愚かさ、欺瞞をよく知る2199の作り手は、宇宙戦艦ヤマトシリーズに見え隠れする戦前の軍部を肯定する雰囲気を払拭し、後世のために新しい物語を紡ごうと、このような作り込みをしたのでしょう。
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ナドレック:『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』及び『宇宙戦艦ヤマト2』のリメイクを作る上で、ヤマト出撃に至る経緯の描き方が難しいことは、2202の作り手も判っていたはずです。『さらば―』『ヤマト2』の序盤のかっこよさは、立ち上がろうとしない人々に見切りをつけてわずかな有志が決起する心意気にありましたから、そこから大きくは変えにくい。けれども、旧作どおりにすれば、国家に反逆して戦争に乗り出す軍人を肯定的に描くことになってしまいます。それは今の時代にあり得ないでしょう。
この難題に取り組むため、2202の作り手は様々な工夫を凝らしています。
まず、亡き者の幻影が現れて、ヤマトクルーの多くに「ヤマトに乗れ」と告げます。思いもかけない死者の言葉に、古代たちはひどく悩みます。
作り手たちは、スピリチュアルな展開にした上で、死者のサンクコスト(ここでやめたら死んでいった者に顔向けできないと思ってしまう人情)を喚起する手法を使って、観客の感情を揺さぶったのです。
また、『ヤマト2』で描かれたヤマト発進を阻止しようとする地球防衛軍との攻防戦を強化し、アクションシーンの躍動感で観客を高揚させて、観客から違法行為の是非を考える冷静さを奪います。
とっておきの変更は、ガミラス帝国がヤマトの行動を擁護することです。旧作ではヤマトクルーの孤独な反乱でしたが、本作では外国政府がお墨付きを与えることにより、地球連邦政府が狭量なだけで宇宙全体から見ればヤマトクルーのほうが正しいと感じられるように演出しました。
T.Nさんのおっしゃるように、2199からの流れで考えれば、他民族への蔑視がはなはだしかったガミラス人が簡単に古代たちの肩を持つのは不自然です。それでも敢えてガミラス帝国を物語に絡ませたのは、古代たちの行動に無理があるところを説明するデウス・エクス・マキナとしてガミラスを活用するためでしょう。ガミラスの駐地球大使ローレン・バレルや地球駐在武官クラウス・キーマンが物語の要所々々で古代たちの行動を正当化してくれなければ、とてもじゃないけどこの物語は成立しなかったはずです。2202は、2199が残してくれたガミラス帝国との友好関係という要素を最大限に活かしているのです。
さらに、テレサからのメッセージの受信とガトランティスとの戦いを切り離して描くことで、ヤマト出撃は戦いのためではなく、困っている人を助けに行くためという描き方にしています(ここは『ヤマト2』よりも『さらば―』に近い)。
本来これはおかしなことです。上官の制止命令を振り切ってまで行きたいのなら、せめて辞表を出して軍人の身分を返上し、民間船をチャーターすべきです。
2017年8月現在、12人の日本人がスパイ容疑で中国当局に捕らわれています。けれどもその全員が本当にスパイだと思っている人はいません。権力基盤の強化と軍事力増強を進める習近平政権下の中国で、スケープゴートにされたのだと見られています。一刻も早い解放が望まれますが、だからといって、たとえば現役自衛官が無断で駆逐艦を動かして邦人救出に向かうようなことは許されません。もしもそんなことをすれば戦争になります。日本政府は全力で彼らを止めるでしょう。止めねばなりません。
本作では、古代が長広舌をふるって、助けに行くことの尊さや意義を力説する一方、彼らが軍人であり、動かそうとしているのが軍艦であることには触れないようにしています。古代たちを邪魔立てするのは憎々しい芹沢虎鉄なので、観客はどうしたって古代たちに理を感じるようになっています。
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旧作の地球上層部は、繁栄に酔って堕落している設定でした。しかし、愚劣なようでも彼らは平和的な存在でした。他方、軍艦を奪って決起するヤマトクルーは、上層部よりも好戦的です。これではどうあがいても、暴走する軍人を肯定する物語になってしまいます。
この構図を反転させたいがため、2202では旧作以上に地球連邦の軍拡路線を強調したのではないでしょうか。
上層部は再軍備に余念がない一方で、古代たちはあくまで救援に向かいたいだけであるとするならば、好戦的なのは連邦政府で、古代たちは相対的に平和な存在に見えるはずです。旧作に比べて地球の描き方が変わったのは、物語の骨格を継承しつつ、古代たちを好戦的な反逆者に見せないための処置なのだと思います。
だから、救援に向かうべきという古代の意見がなぜ却下されたのか、劇中ではハッキリした説明がありません。旧作では、上層部に立ち上がるだけの気概がないということが明白でしたが、2202ではその理由が使えない以上、説明できるはずがないのです。
ナドレック:実は、旧作のように、立ち上がろうとしないだらしない政府と、高い志を持って立ち上がる者たちの対立の構図にしたほうが、物語としては判りやすくなります。何しろ戦前の日本人は、この構図を受け入れて関東軍にやんやの喝采を送ったのですから。
けれども、2202の作り手は、物語を変えずに構図だけ変える苦しい舵取りを選んだようです。
変え方はいろいろあったはずです。先に述べたように、古代たちが軍人を辞めて民間船でテレザートに向かうことも考えられます。地球連邦防衛軍の上層部が古代の進言を聞き入れて、正式にテレザート救援を命ずることもできたはずです。こうすれば、古代たちが反逆者になることは避けられます。あるいは、古代の意見を却下したのは芹沢で、藤堂長官の知るところとなって許可が出た、という展開だって考えられました。
他の作品ならいざ知らず、ヤマトのリメイクに携わる人たちは、みずからがヤマトのファンで、オリジナルが発表されてからの40年間、ヤマトのことを考え続けてきたのでしょうから、ありとあらゆる可能性を吟味し尽しているはずです。そして、40年のあいだに培った世界観、歴史観、人生観と様々な知見のありったけを注いで導き出した妥当な解が、いま観客の前に提示されているはずです。
ですから、その作品を納得して受け止めたいところです。
しかし、私にはどうもしっくり来ません。ヤマトの出撃に関していえば、結局は暴走する軍人をいかにして肯定するかに腐心しているように見えてしまいます。

ナドレック:気になるのはそれだけではありません。
たとえば、封印を解かれてしまうヤマトの波動砲。
芹沢が波動砲艦隊計画を推し進めるのはともかくとして、ヤマト自体の封印の解除をクルーが受け入れてしまうとはどうしたことでしょう。
もちろん、これからの長丁場、ヤマトが波動砲を封印したままでいるとは思っていませんでしたし、作り手としては、たとえばアンドロメダの拡散波動砲では敵わない敵をヤマトの収束波動砲が粉砕する爽快感等を再現したいところかもしれません。ですから、どこかの時点で何らかの形でヤマトの封印が解かれることは覚悟してましたが、よもやこうもアッサリ済まされるとは予想だにしませんでした。
2199で波動砲が封印されたのは、単に強大な兵器というだけではなく、宇宙を引き裂いて大きな災厄をもたらすおそれがあったからです。こういうアイデアは、SFでは珍しくありません。たとえば、エドモンド・ハミルトン著『スター・キング』の超兵器ディスラプターは、宇宙を消し去って敵味方関係なく滅ぼしてしまうため、滅多なことでは使えないように封じられていました。波動砲も、敵も味方もお構いなしに壊滅させる最終兵器だからこそ、使ってはならなかったのです。もちろんそれは、現実のICBM等の比喩でもあります。
波動砲の封印は、おそらくその復権のためでもあったのだろうと思います。はじめて作品に登場したとき、あまりの威力に誰もが恐怖した波動砲も、やれ拡散波動砲だ新波動砲だ拡大波動砲だトランジッション波動砲だとエスカレーションするうちに、単なる凄い主砲に成り下がってしまいました。それを再び誰もが恐怖する最終兵器の座に据え直す。これも2199の作り手の狙いであったでしょう。
そう考えると、封印しなければならないほどの兵器であることを知るヤマトのクルーたちが、封印を解くことにさしたる葛藤もなく、むき出しの波動砲に恐怖しない2202の展開に、2199との断絶(というか落差)を感じてしまいます。
さらに云えば、波動砲とは菊の御紋に当たるものでもあります。
旧シリーズ制作時にヤマトのデザインを検討した際、西崎義展プロデューサーが強く主張したのが戦艦大和の艦首にある菊の御紋を宇宙戦艦ヤマトにも付けることでした。けれども、松本零士氏は軍国主義の象徴のような大和の菊花紋は付けたくない。「絶対に必要だ」「絶対に付けない」と意見が対立する中、デザインのクリーンナップを担当していた宮武一貴氏が「じゃあ、菊の御紋に見えれば良いんですよねってことで、(艦首の)菊の御紋をそのまま引っ込めた」。これにより、普段はただの穴だけど、正面を向いたときだけ砲口内の施条が花びらのようになって菊花紋に見えるデザインが誕生しました。これが波動砲です。
この穴に蓋をすることで、シリーズ史上はじめて菊の御紋が見えないように――ようやく松本零士氏の当初の希望どおりに――したのが2199でした。
この蓋を取ってしまう――それもアッサリと――ことに、私は動揺しました。
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ナドレック:命令を無視して出撃したヤマトの行動を、結局追認してしまう司令長官の態度も問題です。
旧作をなぞったのだといえばそれまでですが、暴走する軍人を止めるどころか後から認めてしまうのは、満州事変を容認してしまった若槻内閣や犬養内閣、あるいは日中戦争を拡大させないと云っていたのに結果的には戦争拡大に加担してしまった近衛内閣を思わせます。
ユーモアでいっぱいのファンタジー『モンスターズ・ユニバーシティ』ですら、素晴らしい活躍をしても規則に反した主人公たちはちゃんと退学処分になったのに、多くの規律に違反した古代たちを咎めず、うやむやにしてしまう流れには、歴史に学んだのだろうかと疑問を抱かずにはいられません。
劇中で軍拡を批難するセリフを繰り返すのは、作品が軍国主義的にならないようにとの配慮からでしょうけれど、それで充分といえるのかどうか……。
第三章以降の展開で、私の感じるモヤモヤが晴れれば良いのですが。
T.N:私の思考実験小説は、これからガデルとヴェルテの対話が進むにつれ、「再軍備だ、拡散波動砲だ」と息巻く地球が如何に愚劣なことをしているかが浮き彫りになるようにしたいと考えています。戦争の姿に関して、2202と私の小説は同じ2199を基にしたとは思えないほどの違いが出てくることでしょう。
二次創作としての限界はありますが、2202とはまったく異なる「もう一つのヤマト」を作るべく精進を続けたいと思います。今後もお付き合い頂けますようよろしくお願い申し上げます。
ナドレック:よろしくお願い致します。
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第1話『西暦2202年・甦れ宇宙戦艦ヤマト』 絵コンテ/榎本明広 演出/加戸誉夫
第2話『緊迫・月面大使館に潜行せよ』 絵コンテ/アミノテツロ 演出/上坪亮樹
日本公開/2017年2月25日
『宇宙戦艦ヤマト2202 第二章 発進篇』
第3話『衝撃・コスモリバースの遺産』 絵コンテ/二瓶勇一 演出/川崎ゆたか
第4話『未知への発進!』 絵コンテ/加戸誉夫 演出/加戸誉夫
第5話『激突!ヤマト対アンドロメダ』 絵コンテ/中村里美 演出/矢野孝典
第6話『死闘・第十一番惑星』 絵コンテ/榎本明広 演出/星野真
日本公開/2017年6月24日
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シリーズ構成/福井晴敏 脚本/福井晴敏、岡秀樹
キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 麦人 千葉繁 てらそままさき 神谷浩史 田中理恵 久川綾 赤羽根健治 菅生隆之 神田沙也加
ジャンル/[SF] [アクション] [戦争]

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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2202】
【genre : アニメ・コミック】