『SING/シング』の素敵な仕掛け
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それはキャラクターたちが個性的だから?
オリジナルを含む62曲もの歌が素晴らしいから?
いずれもそのとおりだが、それだけではない。
シンプルでツボを押さえたこの映画には、とても素敵な仕掛けがある。
長編アニメーション映画にあまり制作費をかけないイルミネーション・エンターテインメントの作品だから、本作も比較的低予算の7500万ドルで作られている。7500万ドル(日本円にして81億円以上)だって邦画よりは巨額だが、ディズニーが一本の長編アニメーション映画に1億5000万ドル以上かけているのに比べればたいへんな差だ。
本作は低予算を様々な工夫でしのいでいる。ブタのロジータがスーパーマーケットで踊る場面はその最たるものだろう。ロジータは広い店内で縦横に踊りまくるが、閉店間際だからスーパーには誰もいない。ディズニーだったらロジータの周りにたくさんの客を配置して、楽しいリアクションを見せたに違いない。
『ミニオンズ』に続いて既成のヒット曲を散りばめたのも、イルミネーション・エンターテインメントらしい。これだけの楽曲を揃えるのに制作費の15%を費やしたというが、それでもオリジナル曲をたくさん作ってアカデミー賞の歌曲賞をとり続けるディズニーとは対照的だ。
あまりにも素晴らしい曲ができたので、その曲を歌うキャラクターを主役に昇格させ、ストーリーもすっかり変えてしまった『アナと雪の女王』は、ディズニーらしさの極北だった。他方、本作はたとえばガース・ジェニングス監督自身が「おそらく誰も聴いたことがない楽曲だと思う」というシュービー・テイラーの「スタウト・ハーテッド・マン」を使用する。ジェニングス監督は大好きなこの曲を使うことで、脳卒中で歌えなくなり、貧困のうちに亡くなったシュービー・テイラーの魅力を今の人に知らしめるとともに、困窮する遺族に金が渡ることを願った。そんなジェニングス監督の選曲の妙を存分に楽しみたい。
そうした工夫や思惑もさることながら、本作の一番の魅力は、何といっても歌のコンクールというコンセプトが瓦解してしまうことだろう。
倒産寸前のムーン劇場の支配人バスター・ムーンは、起死回生の出し物として一般公募による歌のコンクールを企画する。歌さえ上手ければ資格は問わない、大勢が優勝を目指す競技会だ。NHKの『NHKのど自慢』やテレビ東京系で2014年から放映している『THEカラオケ★バトル』と同じような趣向である。これらの番組が何年も人気を保っているのを考えれば、バスター・ムーンの着眼点は悪くない。
オーディションに残ったのは、毎日同じことの繰り返しにうんざりしていた主婦ロジータや、パンクロッカーの少女アッシュら個性的な面々。エリートミュージシャンのマイクは賞金を獲得する気満々だし、ゴリラの少年ジョニーは父を保釈してもらうためにどうしても賞金が欲しい。彼らは本番での対戦に向けて、歌に踊りに磨きをかける。
このまま歌を競う映画にしても面白かったと思うが、とんでもないアクシデントが競技会を頓挫させてしまう。
ここからが本作の真骨頂だ。競技会ができなくなって、出場者たちとムーンはどうするか。
みんなはそれでもステージの幕を開けようとするのだ。賞金は出ない、優勝の栄誉もない、だけどただ歌いたいから、多くの人に歌を聴いてほしいから力を合わせる。
この、競争から協同への転換が実に見事だ。説教臭くなったり、感動の押し売りになったりせず、キャラクター一人ひとりの心情をすくい取った描き方がとても上手い。

ゴリラのジョニーはオーディションの落選者だ。合格したキリンのダニエルではコミュニケーションしにくいと感じたバスター・ムーンが、出場者を取り換えたからジョニーにお鉢が回ってきたのである。かと思えば、オーディションに合格したカエル3人組は、仲違いして途中でいなくなってしまう。にも関わらず競技会の企画は続行されるのだから、出場者は誰でも良かったのだ。誰でもいい……では云い過ぎであれば、歌が格別上手い人に絞り込むより、間口を広げてバラエティに富む参加者を揃えたことがコンサートの成功の秘訣だったのだ。
オーディションでは合格できず、舞台係をしていたゾウのミーナが、素晴らしい歌声で観衆を沸かせるのも本作の見どころだ。
優れた才能はどこに隠れているか判らない。そして、人を魅了するほどの実力(本作でいえば歌の上手さ)の持ち主が、自己アピールに長けていたり、機をみるに敏であるとは限らない。駄目なヤツだと烙印を押されている人が、実はもっとも優れた技能を持っているかもしれないのだ。
本作の魅力は、楽曲の素晴らしさや個性的なキャラクターの面白さに加えて、様々な背景を抱えた多彩な出場者たちが協力し合い、工夫を凝らして、精一杯コンサートを盛り立てる姿への共感にあるのだろう。
もう一つ、本作には大事な点がある。公演は失敗続き、従業員に賃金も払えず、銀行からは返済を迫られ最低最悪の状況にいたバスター・ムーンが、それでもへこたれずに云うセリフだ。
「どん底に落ちるのも悪くはない。もう行き先は一つしかない。上にあがるだけ!」
(When you've reached rock bottom, there's only one way to go, and that's up!)
この言葉は、フリードリヒ・ニーチェが『ツァラトストラかく語りき』に書いた「没落」を思わせる。
ニーチェは、人間が高みを目指すには没落することが必要だと説き、没落する人間とはどういうものか例を挙げて説明した。その例はあまりにも多く、およそ考えられる限りのありとあらゆる人間が何らかの形で取り上げられる。それはすなわち、没落とはありとあらゆる人間に当てはまるということであり、ありとあらゆる人間が高みを目指せるということだ。
「どん底に落ちるのも悪くはない。」そう云い放つバスター・ムーンは、ニーチェの思想を体現するかのようだ。
バスター・ムーンだけではない。本作の登場人物は誰もが期待と希望を挫かれて、失意のどん底にいた。遂には目標だった優勝も、期待していた賞金もなくなってしまう。それでも立ち上がる先にあるのは、もう期待でも希望でもない。歌をうたう行為、ステージを作り上げる行為そのものが、立ち上がることそのものが悦びであり愉しさなのだ。
映画の主人公が優勝したり賞金を得ても、しょせん観客には関係がない。けれども、本作の主人公たちが歌う姿には、共感し、元気づけられること間違いなしだ。
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監督・脚本/ガース・ジェニングス
出演/マシュー・マコノヒー リース・ウィザースプーン セス・マクファーレン スカーレット・ヨハンソン ジョン・C・ライリー タロン・エガートン トリー・ケリー ニック・クロール ジェニファー・ソーンダース ジェニファー・ハドソン ピーター・セラフィノウィッツ
日本語吹替/内村光良 MISIA 長澤まさみ 大橋卓弥 山寺宏一 坂本真綾 田中真弓 大地真央 斎藤司 宮野真守 水樹奈々
日本公開/2017年3月17日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ] [ミュージカル]

【theme : SING/シング】
【genre : 映画】
tag : ガース・ジェニングスマシュー・マコノヒーリース・ウィザースプーンセス・マクファーレンスカーレット・ヨハンソンジョン・C・ライリータロン・エガートン内村光良MISIA
『レゴバットマン ザ・ムービー』はバットマン映画の真打だ!
![レゴ(R)バットマン ザ・ムービー ブルーレイ&DVDセット(初回仕様/2枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/91Q2lEr6-hL._SL160_.jpg)
『LEGO ムービー』の続編『The Lego Movie Sequel』は2019年までお預けだが、スピンオフ作品のトップを飾って『レゴバットマン ザ・ムービー』が登場だ。それは『LEGO ムービー』の面白さのツボを押さえつつ、『LEGO ムービー』と対をなす、コインの表裏のような作品だ。
『LEGO ムービー』の魅力の一つは、映画会社やシリーズ物の枠を超えた豪華キャラクターの共演だった。バットマンやスーパーマン、グリーン・ランタンやワンダーウーマン等々、DCコミックスのスーパーヒーローが一堂に会す上に、DCには無関係なミュータント・タートルズやハリー・ポッターシリーズのダンブルドア校長や『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフまで登場し、はてはハン・ソロやチューバッカらスター・ウォーズ・シリーズのキャラクターまでもが顔を見せた。
対する『レゴバットマン ザ・ムービー』は、スーパーヴィランの共演だ。ジョーカー、ペンギン、トゥーフェイス、ベインらバットマンシリーズでお馴染みの悪役たちが集結するのに加え、次のような凶悪ヴィランが登場する。
・ハリー・ポッターシリーズの最も危険な闇の魔法使いヴォルデモート卿
・『キングコング:髑髏島の巨神』のキングコング
・『グレムリン』のグレムリン
・『タイタンの戦い』の海の怪物クラーケンと魔物メデューサ
・『マトリックス』のエージェント・スミス
・『ロード・オブ・ザ・リング』の冥王サウロン
・『オズの魔法使』の西の悪い魔女
・『ジョーズ』のホホジロザメ
・『ジュラシック・パーク』のティラノサウルスとヴェロキラプトル
・『ドクター・フー』のダレク族
・『大アマゾンの半魚人』の半魚人
・『魔人ドラキュラ』のドラキュラ伯爵
・『アルゴ探検隊の大冒険』の骸骨剣士
まだまだたくさんあると思う。ちなみに、ここに挙げた作品のうち、本作を制作・配給するワーナー・ブラザースが権利を持つのは『マトリックス』までで、『ロード・オブ・ザ・リング』以降の作品には関与していないはずだが、そんなことはお構いなしの最凶の布陣が楽しい(本作では、マーベルとルーカスフィルムを含むディズニー作品には触れなかったようだ)。
もちろん、DCコミックスのスーパーヒーローたち――ジャスティス・リーグやスーパーフレンズのメンバー等――も大集合してくれて賑やかだ。
ところが、本作は孤独な男の物語でもある。
『LEGO ムービー』の主人公エメットはどこにでもいる平凡な建設作業員だった。王子でも王女でもスーパーヒーローでもない彼のことなんか誰も気に留めない。エメットの存在すら知られていない。『LEGO ムービー』は、哀れで孤独な凡人の物語だった。
対する『レゴバットマン ザ・ムービー』の主人公はもちろんバットマンだ。ゴッサム・シティ一の有名人、ジャスティス・リーグの創立メンバー、誰もが憧れるスーパーヒーローである。
この点だけ見れば『LEGO ムービー』のエメットとは対照的だが、彼もある意味で哀れで孤独な凡人だった。広い屋敷で、たった一人でとる食事。一緒に映画を観る人もいなければ、話す相手もいない。子供の頃から面倒をみてくれた執事のアルフレッドにさえ心を開けず、孤独な生活を忘れようと悪の撲滅に打ち込む日々。みんなと同じように振る舞うことで、実は誰にも相手にされていないことに気づかないようにしていたエメットと、代わり映えしない男だった。
本作は、『LEGO ムービー』の逆を行きつつ、その実、同じ主題を繰り返している、まさに『LEGO ムービー』と表裏一体の作品なのだ。
仕事はそれなりにこなしていても、ときに滑稽でときに哀しいバットマンの日常生活。それは本当に切ない。

『LEGO ムービー』に唖然としたのは、『8 1/2』を顔色なからしめるほど高次の視点から物語を、映画を、「レゴ」を語っていたからだ。
本作も負けてはいない。『レゴバットマン ザ・ムービー』が驚異的なのは、バットマンを主人公にしたまぎれもないバットマン映画でありながら、往年のバットマン映画を批判し解題する、メタ・バットマン映画にもなっているからだ。
「72年も戦ったのに!」
バットマン最大の敵を自認するジョーカーは叫ぶ。
そのとおり、1939年に創造されたバットマンにとって、ジョーカーは最古参の宿敵だ。
アメコミファンも観客もそのことを知っているのに、これまで映画の中では秘密だった。1960年代のテレビドラマや1966年の劇場版でジョーカーはバットマンと戦ったのに、1989年に公開されたティム・バートン監督の『バットマン』はジョーカーの誕生から説き起こし、ジョーカーの死をもって幕を閉じた。ところがジョーカーは、何食わぬ顔で2008年公開のクリストファー・ノーラン監督作『ダークナイト』にも登場し、バットマンとは初対面であるかのように駆け引きした。これらはおかしいことではない。1966年の映画と1989年の映画と2008年の映画はそれぞれ独立に作られたものだから、物語上の関連はない。バットマンとジョーカーが宿敵であることを知っているのは、映画の作り手と受け手だけで、作中人物は知らないというのが暗黙の了解だった。
『レゴバットマン ザ・ムービー』の登場人物たちは、そのお約束を破ってしまった。ジョーカーは長年戦い続けたバットマンとのあいだに特別な関係を求めるし、執事アルフレッドはバットマンことブルース・ウェイン を「2016年も2012年も2008年も2005年も1997年も1995年も1992年も1989年も、1966年でさえも代わり映えしませんな」とたしなめる(これらはすべてバットマン映画の公開年だ)。作中人物は知らないはずのコミック・ブックとバットマン映画の歴史を、彼らは平然と口にする。
パロディだから――では済ませないのが、本作の恐るべきところだ。
悪人といえども殺さないのが(日本のヒーロー物と比較したときの)アメコミの特徴だ。そこには倫理上の理由もあるだろうし、マーケティング上の理由もあるだろう。ともあれ、多くの悪役が逮捕されたり禁錮刑に処されたりしながら、命は奪われずに済んできた。機会が来れば、彼らはまたヒーローとの戦いに身を投じた。
けれども、アメコミを原作とした映画は、この特徴をきちんと受け継いでこなかった。
1989年の『バットマン』でジョーカーは死んでしまうし、1992年の『バットマン リターンズ』でペンギンも死んでしまう。2005年の『バットマン ビギンズ』ではラーズ・アル・グールが死に、2008年の『ダークナイト』ではトゥーフェイスが、2012年の『ダークナイト ライジング』ではベインが死んでしまった。
大人向けの映画では、子供向けマンガの倫理は踏まえなくて良い――ということではなかったはずだ。大ヒットした1978年の『スーパーマン』は悪の天才レックス・ルーサーを殺しはしなかったし、1980年の『スーパーマンII 冒険篇』でもゾッド将軍らは氷の裂け目に突き落とされるだけ、1984年の『スーパーガール』のセレナも幽閉されるだけだった。2000年の『X-メン』はマグニートーを捕らえて終わり、2003年の『X-MEN2』のストライカーも殺されはしない。
かと思えば、2013年の『マン・オブ・スティール』のスーパーマンはゾッド将軍を殺してしまった。
『レゴバットマン ザ・ムービー』が、過去のバットマン映画に言及しつつ、バットマンとジョーカーたちの関係が永続的なものであることを示すのは、過去作の批判にもなっている。多くの悪役を殺した過去のバットマン映画の存在を認めればジョーカーだって死んでいるはずなのに、それらを劇中では現実の出来事として扱い、一方でバットマンとジョーカーの途切れることのない戦いの日々を振り返るのだから、痺れるほど皮肉な設定だ。
『レゴバットマン ザ・ムービー』では、犯罪者たちはアーカム・アサイラムに収容され、人知を超えた魔物たちもファントムゾーンに幽閉されるだけで生き長らえている。
罪を犯した者は社会からの退場を迫られる。しかしそれは命を奪うことではない。世界のどこかには居場所があり、なんぴとたりとも世界から退場させられることはない。
少なからぬアメコミ映画がないがしろにしてきたそのことを、本作は改めて強調している。
本作のクライマックスは、世界を救うためにスーパーヒーローもスーパーヴィランも関係なしに手を繋ぐところだ。比喩ではなく、文字どおり力一杯に手を繋ぐ。
そしてバットマンは悟るのだ。これまで粛々と悪人と戦うばかりで、悪人もまた人間であり喜怒哀楽や自尊心があるとは考えもしなかった。そんな自分のほうが、人間らしさを失っていたことに。悪を懲らしめるのは生き甲斐にはなり得ず、優先すべきは人と繋がり、家族を作ることなのだということに。
バットマンにとっては、悪を倒したり陰謀を粉砕するよりも、誰かと食卓を囲んだり、一緒に映画を観ることのほうがはるかに難しかった。
本作を観て、身につまされる人もいるだろう。
嬉しいのは、劇中で1960年代のバットマンのテーマ曲が流れることだ。サム・ライミ監督やマーク・ウェブ監督のスパイダーマン映画で、1960年代のテレビアニメ『スパイダーマン』のテーマ曲が流れたのと同じ趣向だ。
過去の作品への敬意と愛情に溢れていて、生半可な気持ちでバットマンを取り上げたのではないことが伝わってくる。
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監督/クリス・マッケイ
出演/ウィル・アーネット ザック・ガリフィアナキス マイケル・セラ ロザリオ・ドーソン レイフ・ファインズ ジェニー・スレイト ヘクター・エリゾンド マライア・キャリー チャニング・テイタム ビリー・ディー・ウィリアムズ
日本語吹替版の出演/山寺宏一 子安武人 沢城みゆき 小島よしお
日本公開/2017年4月1日
ジャンル/[コメディ] [アドベンチャー] [ファミリー]

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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
tag : クリス・マッケイウィル・アーネットザック・ガリフィアナキスマイケル・セラロザリオ・ドーソンレイフ・ファインズ山寺宏一子安武人沢城みゆき小島よしお
『パッセンジャー』 宇宙の白熱教室
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哲学をテーマにしてこれほど面白い作品に昇華できるとは、まったくもって脱帽だ。
哲学を語るにはSFがもってこいであることも、観客の興味を惹くにはロマンスが極めて有効であることも、改めて実感した。
『パッセンジャー』は、実に見事な映画である。
この物語は、マイケル・サンデルが『これからの「正義」の話をしよう』で提示した問いに似ている。政治哲学者サンデルは、次のように問いかけて道徳的ジレンマに関する問題提起をした。
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あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
どうすべきだろうか?
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これは軽々しく答えを出せる問いではない。しかし、人は個人としても、組織としても、あるいは国家としても、こういう問題に直面することがあるかもしれない。
マイケル・サンデルはその本の中で「こうしたジレンマについて考えることによって、個人生活や公的場面において、道徳に関する議論がどう進むものかがわかってくる。」と述べている。
『パッセンジャー』も同じである。本作は倫理に関わる問題を出し続けることで、人はどうあるべきかを考えさせる作品だ。
『パッセンジャー』の舞台は全長1キロメートルの宇宙船の中に限られる。5000人の乗客を乗せて、120年の旅をする移民宇宙船。冬眠状態の乗客が目覚めるのは目的の星に到着する四ヶ月前、のはずだった。
ところが、人工冬眠ポッドの故障から、ジムは早めに目覚めてしまう。到着の90年も前に。たった一人で。
ここから本作は、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」も顔負けの難問を連発していく。
 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/A1497KB9dAL._SL160_.jpg)
(2)あなたは乗客を起こす手段を手に入れた。誰かを起こせば、あなたの孤独を終わらせることができる。その人と語らうことも、手を取り合うことも、愛し合うことだってできるかもしれない。しかしそれは、社会から隔絶された人生に他人を巻き込み、その人の将来を滅茶苦茶にすることでもある。あなたは他人を起こすだろうか。
(3)他人を起こしてしまったあなた。起こされた人はあなたを怒り、憎むかもしれない。あなたは起こしたことを正直に話して詫びるだろうか。それとも秘密にし、嘘でごまかすだろうか。
(4)他人に起こされたあなた。他人のせいで、あなたの人生は滅茶苦茶になってしまった。他人がそんなことをしたのは深い孤独の果ての出来心だったのだが、あなたはその人を許せるだろうか。
(5)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。あなたなら全滅を食い止めることができるが、代わりにあなたの命はないだろう。それでもあなたは実行するか。
(6)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。他者を犠牲にすれば、あなたと残りの乗客は助かりそうだ。だが、犠牲となった他者の命はないだろう。あなたはそれを実行するか。
(7)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。他者を犠牲にすれば、あなたと残りの乗客は助かりそうだ。だが、犠牲となった他者の命はないだろう。犠牲になるのはあなたを起こしてあなたの人生を破壊した人だ。あなたはそれを実行するか。
(8)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。他者を犠牲にすれば、あなたと残りの乗客は助かりそうだ。だが、犠牲となった他者の命はないだろう。犠牲になるのはあなたが愛した人だ。あなたはそれを実行するか。
その人を死なせて生き残っても、あなたには90年の孤独が待ち受けている。それでもあなたは実行するか。
(9)冬眠状態に戻る方法が見つかった!これで他の乗客と同じように目的地に行き、社会の一員として生活できるだろう。ただし、眠りに戻れるのは一人だけ。残された者は孤独のうちに死ぬしかない。戻るか、残るか、あなたはどちらを選択する?
本作は、みずからの命を賭した極限状態での選択を迫り続ける。
マイケル・サンデルの設問には、気をつけなければいけないことがある。
冒頭に掲げた路面電車の例では、前方の五人の作業員も待避線の一人の作業員もあなたにとって縁もゆかりもない人だ。どちらかが犠牲になっても、あなたは(道徳的な心の問題を除けば)痛くも痒くもない。
サンデルは政治哲学者だから、このような設問にするのもとうぜんだろう。政治家や学者は、危機に瀕する市民一人ひとりと親しいわけではない。見知らぬ誰かが犠牲になるかもしれない中で、どう決断すれば国や社会にとって最善なのかを問うていく必要がある。
だが、現実は机上の演習問題ではない。前方の五人にも待避線の一人にも、家族もいれば友人もいる。犠牲になるのはあなたの親しい人、愛する人かもしれない。もしかしたらあなたは運転士ではなく、待避線の一人かもしれない。
多くの映画が、そんな極限状態の葛藤を描いてきた。『ナバロンの要塞』では目の前の怪我人一人を救うか、遠くの2000人を救うかという葛藤が描かれたし、『ギャラクティカ』では親しい少女を含めた数隻の船を救うのか、5万人の大船団を危険にさらすのかという葛藤が描かれた。本作のモルテン・ティルドゥム監督もまた、前作『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』において、家族が乗る船団を救うか、船団は見殺しにして他の多くの国民を救うかという葛藤を描いた。
そして本作は、徹底的に突き詰めたシチュエーションを用意して、どう決断しても自分か愛する人のどちらかが犠牲になるような、究極の葛藤を描いている。
116分にわたって次々出てくる道徳的な問いかけは、一つひとつがとてつもなく重い。観客の中には、本作に「疲れる」人がいるかもしれない。
劇中の「答え」に違和感を覚える人もいるだろう。連続する問いかけに対し、主人公たちは何らかの答えを出して次のステージに進んでいくが、その答えは必ずしも唯一無二の正解ではない。あくまで物語を進行させるための、一つの回答例に過ぎない。観客によっては、劇中の答えのいずれかを不道徳と感じるかもしれない。
いくらアクションやロマンスで味つけしても、これら難問への疲れや不道徳な印象から映画に否定的な感想を抱く人が出てくる可能性がある。
だが、それはそれで良いのだと思う。そのような反応も、本作が観客の心の深いところにずっしりと重いものを投げ込んだ証左であろうから。
日本の小学校では2018年度から、中学校では2019年度から、新しい教科「道徳」が設けられる。
文部科学大臣によれば、この教科は「考え、議論する道徳」を目指すのだという。
本作のような作品こそ、考え、議論するための教材に打ってつけだろう。
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監督/モルテン・ティルドゥム
出演/ジェニファー・ローレンス クリス・プラット マイケル・シーン ローレンス・フィッシュバーン アンディ・ガルシア
日本公開/2017年3月24日
ジャンル/[ロマンス] [SF] [アドベンチャー]

【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
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