『人魚姫』 人魚対ヘドラ

人魚姫 (2Lサイズブロマイド付き) [Blu-ray] こういうこともあるのか!
 そう驚いたのは、チャウ・シンチー監督・制作・脚本の『人魚姫』を観終わったときだ。

 例によってヘンテコなヒロインに魅了され、くだらないギャグに大笑いし、存分に楽しませてもらったが、鑑賞してから時間を確かめたら映画の尺はたったの94分。てっきり2時間超えの大長編だと思っていた!

 逆のことはたびたびある。同月に観た『土竜の唄 香港狂騒曲』は、128分もあるのに全然時間を感じさせなかった。面白さとアホらしさのオンパレードを楽しんでるうちに、2時間以上が経っていたのだ。
 一般的には時間を感じさせなくて褒められるのだろうが、94分の中にあれもこれも詰め込んで、それでたらふく満腹大満足になる映画の充実感は半端ではない。

 本作の下敷きになっているのは、云わずと知れたハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』だ。
 二本の足を得て王子のそばにいられるようになったものの、王子の理解を得られずに、王子が隣国の王女と結婚するのを見ているしかない人魚姫。絶望した彼女が、せめて人魚に戻って海へ還るためには、愛する王子を殺し、その血を足に浴びなくてはならない。魔女の短剣を手に、眠っている王子に近づく人魚姫――。

 『人魚姫』を映像化した作品は数々あれど、その多くは人魚姫の恋心に焦点を当てており、彼女が王子暗殺を企んだことは重視していない(あろうことかディズニー映画『リトル・マーメイド』では、人魚姫と王子が相思相愛でハッピーエンドになってしまう!)。
 そんな中、王子暗殺に目を付けるとは、さすがチャウ・シンチーだ。


 本作で王子に当たるのは実業家のリウ。イルカの棲む美しい青羅湾を買い取り、その海を埋め立てて大儲けしようと企んでいる。人魚のシャンシャンは、棲みかを失い、傷ついた仲間たちのために、にっくきリウを殺そうとする。
 ここから物語はアンデルセンの『人魚姫』を逆にたどるように、シャンシャンとリウの恋と、隣国の王女ならぬ美貌のビジネスパートナー・ルオランとの三角関係になっていく。

 『人魚姫』を下敷きにした作品としては異色の構成だが、『リトル・マーメイド』を思わせる部分もある。人魚の物語なのに、シャンシャンを地上に送り出すのは金髪で下半身タコのタコ兄(にい)だ。これは、『リトル・マーメイド』の魔女アースラのデザインを意識したものだろう。そのため、はじめはタコ兄を悪いヤツだと思ってしまいかねないが、これが抜群のコメディリリーフなのだからチャウ・シンチーの計算は巧い。

 チャウ・シンチーの映画は、笑わせるためなら何でもありだ。
 赤いメカが空を飛ぶシーンでは、いきなり『ゲッターロボ』の主題歌が流れる。
 観客が判ろうが判るまいが、面白いと思ったものは突っ込む気概におそれ入る。

 チャウ・シンチー作品にお馴染みのモチーフも健在だ。
 はじめはおかしな外見で素っとん狂なヒロインがだんだん魅力的になっていくところや、富も名声も得た男がもっと大切なものに気づいて変化していくところなど、過去の作品にも見られたものだ。
 映画にしろ小説にしろマンガにしろ、一つの作品を楽しむに留まらず、同じ作り手のものをいくつも続けて鑑賞するのは、単に作品が好きなのではなくて作り手の人間性に惹かれるからだ。チャウ・シンチーの映画がヒットするのは、極め付けの面白さもさることながら、人間の真価は外見や貧富では測れないという彼の強い思いが多くの人の共感を呼ぶからだろう。


 しかも本作は、社会的なメッセージにも貫かれている。映画はのっけから水質汚染、大気汚染の映像を映し出し、自然破壊の酷さを訴える。劇中で仕掛けられる海洋生物を追い払うソナーが、汚水や排水による汚染の暗喩であることは誰の目にも明らかだろう。
 21世紀、中国の環境汚染は凄まじかった。大気汚染のために人々は体を壊し、土壌汚染が農作物を毒し、海洋汚染で漁獲量は激減した。

 日本も20世紀に酷い汚染を経験した。東京の空は黒く霞み、各地で公害病が発生した。大気汚染のため喘息になったり、汚染された農作物や魚類を口にして障碍が出たり痛みに苦しんだりした。1970年には、学校のグラウンドで運動していた生徒が集団で喉の痛みを訴えたり、呼吸困難で倒れる光化学スモッグ事件が起きた。これ以降、光化学スモッグ注意報が発令されると、子供たちは急いで屋内に避難したものだ。

ゴジラ対ヘドラ 【60周年記念版】 [Blu-ray] このような状況を背景に、1971年に公開された映画が『ゴジラ対ヘドラ』である。ヘドロの中から生まれたヘドラが、毒性の高い硫酸ミストをまき散らし、ドロドロのヘドロをぶちまける。ヘドラが通ると人々はバタバタ倒れ、ヘドロに埋まってみんな死んでしまう。まさに環境を破壊する汚染物質の塊のような怪獣だった。
 坂野義光監督みずから作詞した「ヘドラをやっつけろ!」では、こんな風に歌っている。

  ヘドロの中から 生まれたヘドラ
  くじらも さめも 皆殺し
  海も さかなも 全滅だ
   ……
  ヘドロの弾丸 猛毒だ
  光る!ヘドラの熱線銃
  走る!ゴジラの放射能
  がんばれ がんばれ 僕らのゴジラ

 1954年に登場したゴジラは原水爆の象徴であり、「放射能」を帯びた巨体で街を破壊する恐怖の存在だった。
 ところが、『ゴジラ対ヘドラ』が公開される頃には「放射能」より公害のほうが切実な問題だったのだろう、ゴジラの「放射能」の力で公害怪獣をやっつけて欲しいと願われるまでになっている。
 同じ頃、テレビでは『宇宙猿人ゴリ』が放映され、公害怪獣ヘドロンやゴミを食べて無限に巨大化するダストマンや公害病を蔓延させる公害人間の襲撃に、公害Gメンとスペクトルマンが対抗していた。

 『ゴジラ対ヘドラ』の公開から少し後、私は海上自衛隊の護衛艦に乗って東京湾を一周するイベントに足を運んだ。
 護衛艦に乗るのははじめてのことで面白かったのだが、護衛艦よりも印象的なのが真っ黒い海だった。快晴にもかかわらず、行けども行けども海は黒く濁ったままで、あまりの汚らしさにイベントの楽しさも半減した。
 こんな海で海水浴なんてできるはずもなかったが、NPOや行政等、多くの方々の水質改善への取り組みのおかげで、2013年の夏に葛西海浜公園の一部において、13日間限定の、東京都内湾では半世紀ぶりとなる海水浴場がオープンした。2016年にはこれが33日に拡大されている。今では東京湾に鮎も戻ってきた。
 こうして海を美しくする努力は続けられているが、それでもあの墨汁を溶いたような海の黒さは忘れられない。


 『人魚姫』が中国で興行収入33億元(591億円)以上の大ヒットを飛ばし、アジア歴代ナンバーワンの記録を打ち立てたのは、本作の並み外れた面白さだけではなく、きれいな空気と海の大切さを訴えるメッセージに多くの人が共感し、切実に感じたからに違いない。
 日本では、環境破壊に怒って海から出てきたのは怪獣だった。公害がヘドラの姿を借りて街を破壊し、人間を苦しめた。
 一方、中国では可憐な人魚がやってきた。彼女もはじめは環境破壊の首謀者の暗殺という物騒な考えを抱いていたが、やがて人間の男性と恋に落ちる。事態に立ち向かう武器は、ゴジラの放射能ではなく、二人の愛の深さだった。

 本作の観客たちが期待するハッピーエンド、それは二人の恋が成就することだけではなく、中国を覆う環境汚染が改善されることだろう。本作が示唆するのは、そのゴールの素晴らしさだ。
 これほど多くの人が本作を支持するのだから、きっとその日は来るはずだ。
 それが半世紀後か数世紀後かは判らないけれど。


人魚姫 (2Lサイズブロマイド付き) [Blu-ray]人魚姫』  [な行]
監督・脚本・制作/チャウ・シンチー
脚本/ケルヴィン・リー、ホー・ミョウキ、ツァン・カンチョン、ルー・ジェンユー、アイヴィ・コン、フォン・チーチャン、チャン・ヒンカイ
出演/ダン・チャオ ジェリー・リン キティ・チャン ショウ・ルオ ツイ・ハーク
日本公開/2017年1月7日
ジャンル/[ファンタジー] [コメディ]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : チャウ・シンチーダン・チャオジェリー・リンキティ・チャンショウ・ルオツイ・ハーク

日本インターネット映画大賞への投票 2016年度

この世界の片隅に (特装限定版) [Blu-ray] 2016年もあまり映画を観られなかったが、点数を付けるでも順番を付けるでもなく、日本インターネット映画大賞への投票を通じて幾つかの作品を応援できればと思う。
 優れた作品、面白い作品はたくさんあるが、応援したい気持ちの強さは、必ずしも優秀さ面白さと一致するわけではない。だから、もっと優れた作品があるのに、と思われることは百も承知だ。それどころか、ヒット作やすでに高評価を得ている作品に比べると、そうでない作品にはより一層応援したいバイアスがかかることをご承知いただきたい。
 各作品についてはリンク先をご覧いただきたい。

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[作品賞投票ルール(抄)]
■選出作品は3作品以上5作品まで
■選出作品は2015年1月~2016年12月公開作品
■1回の鑑賞料金(通常、3D作品、4DX作品、字幕、オムニバス等)で1作品
■持ち点合計は15点
■順位で決める場合は1位5点、2位4点、3位3点、4位2点、5位1点を基礎点
■作品数で選ぶ場合は3作品各5点、4作品各3.75点、5作品各3点
■自由に点数を付ける場合は1点単位(小数点は無効)とし1作品最大点数は10点まで可能
■各部門賞に投票できるのは個人のみ
■ニューフェイスブレイク賞は男優か女優個人のみ
■音楽賞は作品名で投票
■私(ユーザー名)が選ぶ○×賞は日本映画外国映画は問いません
■日本映画の作品賞もしくは外国映画の作品賞に3作品以上の投票を有効票
■以上のルールを満たさない場合は賞の一部を無効
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殿、利息でござる! [Blu-ray]日本映画

【作品賞】 作品数にて投票
 「この世界の片隅に
 「シン・ゴジラ
 「アイアムアヒーロー
【コメント】
 映画の作り手にも受け手にも難しい題材が「お金」。その題材に珍しくきちんと向き合い、エンターテイメントとして成功した『殿、利息でござる!』や『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』が印象的な年だった。だが、今回は日本の映画史に残る(残す)べき作品としてこの三本を挙げる。

【監督賞】
  [片渕須直] 『この世界の片隅に
【コメント】
 これほどのものを作れることへの驚きと、これほどのものを作れたことへの敬意と、これほどのものを作ってくれたことへの感謝と。

【最優秀男優賞】
  [柄本時生] 『聖の青春』
【コメント】
 『聖の青春』の俳優陣には目をみはった。とりわけ強烈だった柄本時生さんをこの映画の代表として。

【最優秀女優賞】
  [能年玲奈(芸名のん)] 『この世界の片隅に
【コメント】
 声だけでこれほどの存在感を示せることに驚嘆した。余人をもって替えがたい演技であった。

【ニューフェイスブレイク賞】
  [新木優子] 『聖の青春』
【コメント】
 深い業を描いた本作にあって、出演シーンは多くないものの、新木優子さん演じる書店員は清涼な印象を残した。

【音楽賞】
 「TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ」
【コメント】
 対バン映画は数々あれど、本当にバンドが演奏で戦うとは珍しい。ROLLY、マーティ・フリードマン等、豪華なミュージシャンの演奏に狂喜。みうらじゅんさんまで登場して爆笑。

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レッドタートル ある島の物語/マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット作品集 [Blu-ray]外国映画

【作品賞】 作品数にて投票
 「ズートピア
 「アングリーバード
 「ピートと秘密の友達
 「レッドタートル ある島の物語」
【コメント】
 3DCGがリアルになり、アニメーション映画『ズートピア』のウサギも実写映画『ピートと秘密の友達』のドラゴンも同じような現実感を持つ今、アニメーション映画と実写映画を区別することにあまり意味はないと思う。そんな中、人が描いた絵の魅力と、絵が動くことへの感動を思い出させてくれた『レッドタートル ある島の物語』は、特筆すべき作品だ。同じことは日本映画『この世界の片隅に』にも云えよう。

【監督賞】
  [アレハンドロ・G・イニャリトゥ] 『レヴェナント:蘇えりし者』
【コメント】
 真の冒険物を堪能させてくれた。冒険物の真髄がグリット(GRIT: Guts(度胸)、Resilience(復元力)、Initiative(自発性)、Tenacity(執念))であることを改めて実感させてくれた。その辣腕を賞して。

【最優秀男優賞】
  [マーク・ライランス] 『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』 『ブリッジ・オブ・スパイ』
【コメント】
 『ブリッジ・オブ・スパイ』でアカデミー助演男優賞に輝くマーク・ライランスは改めて応援するまでもないが、『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』の演技も強調しておきたい。オナラしながら大笑いする彼に癒された。

【最優秀女優賞】
  [マーゴット・ロビー] 『ターザン:REBORN』 『スーサイド・スクワッド』
【コメント】
 美貌といい気品といい、最高のジェーンであった。

【ニューフェイスブレイク賞】
  [サイモン・ヘルバーグ] 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり
【コメント】
 長いキャリアのある人だが、これまで日本では映画俳優としてはあまり認識されていなかったと思う。本作では、そんな彼の大活躍が楽しめる。

オデッセイ [Blu-ray]【音楽賞】
 「オデッセイ」
【コメント】
 作品賞、監督賞、最優秀男優賞のどれで取り上げてもおかしくない傑作だが、音楽の魅力にも注目したい。なんとなく懐かしいヒット曲を流す映画が多い中、極限状態の表現として、隊長の"趣味の悪い"音楽しか残っていないシチュエーションはユニークだった。

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【私が選ぶ最優秀美術賞】
  [林田裕至] (『土竜の唄 香港狂騒曲』 『シン・ゴジラ』)
【コメント】
 現実感と非現実感との距離の取り方が見事。『土竜の唄 香港狂騒曲』のクライマックスの現実離れしたアクションは、異空間のように装飾されたホールの中だから生きた。他方、非現実感の入る余地のない『シン・ゴジラ』。その仕事には感嘆する。

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 この内容(以上の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。
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 以上をこちらに投票した。

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【genre : 映画

『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』 嘘八百のラブストーリー

「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」 【ネタバレ注意】

 なんてチャーミングな映画なのだろう。
 スティーヴン・フリアーズ監督の伝記映画『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』は、裕福なマダムを演じるメリル・ストリープと、事実婚の夫を演じるヒュー・グラントのユーモアたっぷりな演技が楽しめるコメディであると同時に、歌の上手さには定評のあるメリル・ストリープの歌声を堪能できる音楽映画でもある。――劇中では、極めて下手に歌うのだが!


■メリル・ストリープが絶賛する演技

 メリル・ストリープは10代の頃オペラのレッスンを受けており、女優としてデビューしてからもミュージカル映画『マンマ・ミーア!』等で抜群の歌声を披露している。その彼女が"絶世の音痴"といわれる歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンス役に挑むるのだから、面白いったらありゃしない。
 登場人物にも目をみはる。本作はマダム・フローレンスの音楽活動を描くだけでなく、1944年当時に活躍した音楽家や芸術家たち――偉大な指揮者アルトゥーロ・トスカニーニや作曲家コール・ポーターら――が続々登場して賑やかしてくれる。

 圧巻なのが、マダム・フローレンスのピアノ伴奏者コズメ・マクムーンを演じたサイモン・ヘルバーグだ。フローレンスの下手な歌に目を白黒させながら、なんとか平静を保って演奏しようとする彼の演技は笑いを誘う。そんな演技をしながら、本当にピアノを奏でているのだから驚きだ。公式サイトに、メリル・ストリープの称賛の言葉が紹介されている。
 「彼のことはほとんど知らなかったけど、すぐに意気投合したわ。本当に面白くて、頭が良い人なの。サイモンが登場すると、映画がイキイキするわ。彼はコミカルな演技も素晴らしいのに、難しいピアノ曲も弾きこなすのよ。スティーヴンの言う通り、ピアノが弾ける俳優がいなければこの映画は完成しなかったと思うわ。演奏しながら、部屋の中で起こっていることに反応しなくてはならないのだから、サイモンは天才ね。」


■歌唱力がないのに人気がある「アメリカ最初のアイドル

 本作は、"絶世の音痴"でありながらそのことに気づかないまま歌手として活動するマダム・フローレンスと、彼女を傷つけまいと涙ぐましい努力をする夫シンクレア・ベイフィールドの物語だ。
 フローレンスの持つ莫大な財産を背景に、シンクレアは評論家を買収し、メトロポリタン・オペラの指揮者にフローレンスの歌を絶賛させ、絶対にフローレンスが自分の下手さに気づかないようにありとあらゆる手を尽くす。その献身ぶりがおかしくも哀しく、本作を上品なコメディにしている。

 本作の登場実物は嘘つきばかりだ。
 フローレンスの歌が下手なことは公然の秘密だし、シンクレアは彼女の夫のように振る舞いながら結婚はせず、別宅で密かに愛人と暮らしている。フローレンス自身、病気治療のために禿げた頭をカツラで隠している。

 しかし、フローレンスは幸せそうだ。好きな歌に打ち込んで、みんなから称賛され、愛する夫と過ごす日々に彼女は満足している。スクリーンから溢れるのは、彼女を取り巻く人々の気遣いと優しさだ。彼女は愛すべき人物なのだ。他人への援助は惜しまないし、パッとしない役者のシンクレアが傷つかないように否定的な劇評が載った新聞を彼から隠したりしている(シンクレアが、フローレンスが傷つかないように否定的な音楽評を彼女から隠しているように)。
 中には打算から大富豪のフローレンスに近づく者もいるだろうが、劇中の彼女があまりに幸せそうなので、映画全体からハッピーな雰囲気が伝わってくる。


 しかも、本作には観客が「真実」に打たれる瞬間がある。
 愛人キャサリンとバーに入ったシンクレアが、フローレンスの歌をバカにする客たちの会話を耳にしたときだ。彼は猛然と腹を立て、キャサリンをテーブルに残して抗議に行こうとする。それをキャサリンが制止する。「いま行ったら、私はいないわよ」。それでも抗議に飛び出すシンクレアだが、彼がテーブルに戻るとキャサリンはいなくなっていた。――シンクレアとキャサリンの別れのシーンだ。

 このシーンまでは、シンクレアの真意がよく判らなかった。フローレンスに極めて優しいシンクレアだが、キャサリンとも愛し合っている。彼がフローレンスのそばにいるのは、彼女が大富豪だからではないか。彼はキャサリンのほうをより深く愛しているのではないか。私はそんな風に思ったし、劇中のキャサリンもそう思っていたはずだ。
 ところが、見知らぬ客がフローレンスを侮辱するのを聞いて居ても立ってもいられなくなり、思わず怒鳴り込んでしまうシンクレアを見て、私は――劇中のキャサリンも――シンクレアのフローレンスへの思いが本物であることを知る。だからキャサリンは、彼女の制止に耳を貸さないシンクレアから去ってしまうのだ。嘘ばかりを描いてきた本作が、真実に輝く瞬間だ。

 それからというもの、音楽の殿堂カーネギーホールで歌いたいと云い出したフローレンスの願いを叶えるために奔走するシンクレアを――そんな無謀なことは止めさせるべきなのに――私は応援しながら観てしまった。怖いもの知らずのフローレンスと、彼女の味方に徹するシンクレアの愛情に、深い感動を覚えたのだった。


 映画で描かれるのは1944年のほんの数ヶ月だ。音楽を愛するフローレンスが歌をうたおうと思い立ち、歌の指導を受け、伴奏者としてピアニストを雇い、ホテルでリサイタルを開き、レコーディングを行い、そのレコードをラジオ局に持ち込んで放送してもらい、遂にはカーネギーホールで3000人の聴衆を前に熱唱する。怒涛のごとき展開だ。
 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』は波乱に富んだ物語と、メリル・ストリープとヒュー・グラントとサイモン・ヘルバーグの名演技に酔いしれて、たっぷり2時間楽しめる映画である。

 ――公式サイトの宣伝文句「感動の実話!」の文字は白々しいけれど。
 なぜなら映画の内容は嘘ばっかりだからだ。


The Glory (????) Of The Human Voice (Sony Classical Originals)■マダム・フローレンスに関する事実

 公式サイトにフローレンス・フォスター・ジェンキンスの年譜が載っている。これを見れば、映画とは違う、現実の彼女の人生が判る。

 1868年 0歳
  ペンシルヴェニアで裕福な家庭に生まれる
 1912年 43歳
  歌のレッスンを受け、初めて公の場で歌手としてデビュー
 1930年 61歳
  コズメ・マクムーンを伴奏者として雇い、ホテルのスイートルームで毎週音楽の夕べを始める
 1938年 69歳
  NYのラジオ局で毎週日曜午後リサイタル番組を開始(5ヶ月続く)
 1944年 76歳
  10月25日 76歳にして、カーネギーホールの舞台に立つ


 1944年の数ヶ月どころではない。彼女は歌手として32年もの活動歴があり、コズメ・マクムーンを伴奏者としてからでも14年が経っていた。ラジオのレギュラー番組まで持っている。大富豪が自分の実力を自覚せずに暴走した、という程度の話ではない。堂々たるキャリアの持ち主だ。

 しかも彼女の伴奏者を務めるのは、コズメ・マクムーンがはじめてではない。最初の伴奏者は、演奏中にわけ知り顔で聴衆にニヤニヤしたため首になっている。(映画と違い)彼女は賢くて、自分の歌が嘲笑されていることを知っていたといわれる。

 シンクレアが愛人キャサリンと別れることもなかった。彼らの関係はずっと続き、フローレンスが亡くなった翌年には結婚している。
 そんなシンクレアをフローレンスはどう思っていたのか、彼への遺産はたったの1万ドルだった。


■「ポスト真実」時代のラブストーリー

 オックスフォード辞書は、2016年の「今年の言葉」に「ポスト真実(post-truth)」を選出した。
 これは「客観的な事実よりも、感情や個人的信条に訴えるほうが世論の形成に影響する状況」を意味する形容詞だという。政党や政治家が事実からかけ離れた主張で人気を集めたこと等を受けて、2016年に急激に使われるようになった言葉だ。

 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』は政治的な映画ではないが、劇中で描かれるのはまさに客観的な事実よりも感情や個人の思いを重視する姿勢だ。しかも、映画そのものが、実在の人物に材を取りながら事実とは異なるストーリーで観客を感動させ、心地好くさせるものだった。
 劇中でただ一人、ニューヨーク・ポストのコラムニスト、アール・ウィルソンが、フローレンスのリサイタルを辛辣にこき下ろすが、観客の目には彼が無粋で危険な人物に映っただろう。

 そう、事実は無粋なのだ。事実はせっかく盛り上がった熱狂に水を差し、興醒めさせてしまいかねない。
 客観的な事実を示すよりも感情や個人的信条に訴えるほうがウケがいいのは、今にはじまったことではない。津田正太郎氏は「『ポスト真実』という言葉からは、それ以前には真実が人びとにきちんと伝達されていたという含みが感じられる。だが(略)以前には真実がみなに共有されていたと想定するのは難しい。何が真実かをめぐっては、ずっと以前から様々な対立が存在していたからだ。」と指摘する。

 本作では、とうとう自分への辛辣な評を目にしたフローレンスが、ショックのあまり倒れてしまう。それが真実の破壊力というものか。

 これは映画だから、感動したり心地好く観られたりすればそれでいい。実在の人物や現実の出来事を扱っていても、それはあくまで作り手の思いを具現化するための材料に過ぎない。
 ただ、本作のベースには誰にも否定できない事実がある。1944年10月25日、フローレンスがカーネギーホールを満席にして、3000人の聴衆の前で歌ったことだ。
 フローレンスは劇中で(現実にも)、こんな言葉を残している。

 "People may say I couldn't sing, but no one can ever say I didn't sing."
 (人々は私が歌えてなかったと云うかもしれない。でも歌わなかったとは云えないわ。)

 最後の最後によりどころとなるのは、厳然たる事実なのだろう。


「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」マダム・フローレンス! 夢見るふたり』  [ま行]
監督/スティーヴン・フリアーズ
出演/メリル・ストリープ ヒュー・グラント サイモン・ヘルバーグ レベッカ・ファーガソン ニナ・アリアンダ
日本公開/2016年9月24日
ジャンル/[ドラマ]
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【theme : イギリス映画
【genre : 映画

tag : スティーヴン・フリアーズメリル・ストリープヒュー・グラントサイモン・ヘルバーグレベッカ・ファーガソンニナ・アリアンダ

『ピートと秘密の友達』 このドラゴンは友達ではない

ピートと秘密の友達 ブルーレイ(デジタルコピー付き) [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 ドラゴンのエリオットが可愛いのだ。この映画の魅力はそこに尽きる。

 物語の原型は、ディズニーが1950年代に権利を取得した未発表原稿だという。それが1977年に『ピートとドラゴン』として映画化され、2016年に再び映画化されたのが本作『ピートと秘密の友達』だ。

 しかし、本作の設定は1977年の旧作とは驚くほど異なっている。1977年版のピートは、ゴーガン一家に奴隷のようにこき使われる少年であり、エリオットに助けられて港町まで逃げてくる。もっぱら海沿いの町が舞台となり、ドラゴンを捕まえようとする詐欺師やら、ピートを追ってきたゴーガン一家との騒動が描かれる。

 再映画化に当たってはこれらの要素があらかた削られ、ピートは自動車事故で両親を亡くし、たまたまドラゴンの住む森に取り残された設定だ。少年はエリオットに保護されて、人間と接することなく六年も森で暮らし、野生児として成長する。ターザンや『ジャングル・ブック』の主人公モーグリを彷彿とさせる生い立ちだ。
 興味深いことに、ディズニーは『ピートと秘密の友達』と『ジャングル・ブック』を並行してリメイクしている。


■『ジャングル・ブック』との類似と相違

 同じウォルト・ディズニー・ピクチャーズが、本作に並行して『ジャングル・ブック』も実写映画化し、同じ2016年に公開するとは大胆だ。これは両作の外観に似たところがあろうとも、その本質は違うことを会社が理解していたからだろう。『ジャングル・ブック』がジャングルの物語に終始し、村の人間はほとんど関わらないのに対し、本作では人間の町と森とが等分に描かれて、ピートは二つの世界を媒介する役目を果たす。
 それどころか、2016年版の『ジャングル・ブック』は、同じウォルト・ディズニー・ピクチャーズの1967年版アニメーション映画や1994年版実写映画には存在した人間の描写をわざわざ削り、物語がジャングルに終始するように見直している。それらを考え合わせれば、2016年の『ジャングル・ブック』と『ピートと秘密の友達』は、明確な方針の下で棲み分けが図られたものかもしれない。

PETE'S DRAGON 『ピートと秘密の友達』でピートとエリオットが直面するのは、旧作のような詐欺師やならず者一家ではなく、森を伐採する林業従事者たちであり、木が伐られ、人間が森に入ってくることが彼らにとっての危機となる。
 ピートの味方になってくれるのは、1977年版では灯台守の親子だったが、本作では森林保護官のグレースとその父親だ。舞台は森と製材所のある町に限られ、緑色のドラゴンは《森=自然》の象徴として機能する。ピートを保護するエリオットは、すなわち人間を育む大自然であり、エリオットを傷つけたり捕まえたりすることは自然の破壊に他ならない。

 だから自然を保護しましょう、という主張で終わらないところが本作の巧みな点だ。ピートを襲う狼や熊をエリオットが追い払っくれることから判るように、ピートが生きてこられたのはエリオットのお陰であり、人間は保護される側なのだ。ここには人間がしばしば忘れがちな、自然に対する畏敬の念が込められている。

 聖書によれば、神は人間の誕生を祝福して「海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と云ったそうだが、本作を貫く精神は自然崇拝が色濃く残る日本の観客にこそしっくりくるかもしれない。


■その結びつきは友情なのか?

 とはいえ、自然と人間というテーマは、本作ではあくまで通奏低音として流れるにとどまる。『ピートと秘密の友達』の主眼は、ピートとエリオットの強い愛情と、彼らを引き裂く運命だ。ピートは町の住民の好意によって、エリオットは町の住民の欲望によって、住み馴れた森から連れ出されてしまう。

 本作の原題『Pete's Dragon』を邦題では『ピートと秘密の友達』としているが、エリオットを友達と呼ぶのは正確ではあるまい。1977年版のエリオットは、ピートがゴーガン一家から逃れて落ち着き先を見つけるまでのあいだともに行動するだけだったが、本作のエリオットは五歳のピートを保護して、六年も一緒に暮らしたのだ。エリオットは紛れもなくピートの家族である。二人を結ぶのは、友情というより愛情と呼ぶべきだろう。

PETE'S DRAGON そのエリオットの存在感が本作の肝だ。
 1977年版『ピートとドラゴン』は実写とアニメーションを融合させた作品だった。『メリー・ポピンズ』に代表されるディズニーお得意の技術だが、『メリー・ポピンズ』がジュリー・アンドリュースら俳優の演じる人物がアニメの世界へ入っていく趣向だったのに対して、『ピートとドラゴン』では実写ドラマの世界にセルアニメのドラゴンが出没した。絵に描かれたドラゴンは実写の世界で浮いており、まるで異世界からの闖入者だ。
 そんなドラゴンならいずれ実写ドラマの世界から姿を消しても、観客は違和感を覚えないかもしれないが、CGIで生み出された本作のエリオットはまるでスクリーンの中で生きているようだ。フサフサした毛並みも、ピートにじゃれつく仕草も愛らしく、顔立ちこそ1977年版を受け継いでひょうきんながら、ピートと一緒にいるときの幸せそうな様子には感情移入せずにいられない。

ピートと秘密の友達 オリジナル・サウンドトラック ドラゴンが出てくる映画といえば、近年では『ヒックとドラゴン』という傑作がある。この作品は猫の動きを取り入れて、ドラゴンの可愛らしさと凶暴さを表現していた。
 一方、本作のエリオットは、クンクン臭いを嗅いでまわったり、うなだれての上目遣いで見つめたりして、明らかに犬を参考に描かれている。ピートとエリオットの関係も人間と犬のものに等しい。ピートに従順で、ときに体を張ってピートを守るエリオットは、ピートへの愛情に溢れている。エリオットの名前も、ピートが持っていた絵本の犬の名前から付けられている。
 犬と人間の愛情は多くの映画で描かれており、本作はその流れに連なるものといえるだろう。ただ、犬の大きさが尋常ではなく、人家で飼うことが不可能なのだ。

 やがてピートとエリオットに別れが訪れる。
 六年も暮らしたのに今さら別れるのは理不尽に感じられるが、本作では誰に強制されるでもなく、自分たちが別れなければならないことを理解する。
 そのとき観客は気づくのだ。これが犬や猫との別れに当たることを。犬や猫と人間が生涯をともにすることはできない。彼らの寿命は14、15年くらいしかないから、どんなに愛情を注いでも人間を残して逝ってしまう。
 劇中でドラゴンの寿命は明らかにされないし、グレースの父が若い頃に見たドラゴンがエリオットであるなら、その寿命は犬や猫よりはるかに長いかもしれない。だから死別という形にはならないものの、どんなに愛しくてもいつか別れてしまうことを示唆する点で、本作は極めて現実的だ。

 彼らの別離が死に別れでないことは、本作を後味の良い映画にしている。
 死に別れを目にするのが辛いのはもちろん、死に別れなくても、人間が飼っていた動物を森に放すような映画だったら、人間の身勝手さが鼻についたことだろう(最期まで面倒をみるのが飼い主の責務だから)。
 本作では、もともと独りで生きられるドラゴンが人間の子を保護していたのであり、人間の子を受け入れる家庭が見つかったのでドラゴンが身を引く展開になっている。
 ファンタジーだから描ける穏やかな別れ方だ。


■多くの人が見たかった光景

 けれども、本作の真髄はそのラストにある。

 後日、ピートは新しい家族とともにドラゴンが住むという北の地を目指す。
 父と母と娘とピートの四人家族のうち、血が繋がっているのは父と娘だけでも、そんなことは関係なく、ピートにとっては大切な家族だ。
 北極星に導かれてたどりついた地に、エリオットはいた。他のドラゴンたちもいる。彼らは軽々と宙を舞い、楽しそうに遊んでいた。悲しい別れを経験したピートは、元気そうなエリオットを見て笑顔を浮かべる。
 それはまるで虹の橋のたもとにいる動物たちを思わせる。

 「虹の橋」は、世界中で親しまれている作者不詳の詩である。
 天国の手前には虹の橋があり、寿命の短い犬や猫たちは人間より先にそこに行っている。彼らはそこで遊びながらも、人間が来るのをずっと待っている。やがてあなたも虹の橋に行くときが来て、橋のたもとで動物と再会を果たす。もう二度と離れることはない。あなた方は一緒に虹の橋を渡っていく……。
 こんな内容が綴られた詩は、いろんな言語に訳されて広まり、ペットを亡くした悲しみに暮れる人の癒しとなっている。

 『ピートと秘密の友達』のラスト、羽の生えた犬のような彼らは、人間が来たことを喜ぶように飛び回る。
 その平和で幸せそうな様子は、見る者の気持ちも穏やかにしてくれる。
 それは虹の橋がどんなところかを、ちょっと早めに覗かせてもらったような光景だ。
 「虹の橋」に癒された人が見たかったであろう光景が、そこには広がっている。


ピートと秘密の友達 ブルーレイ(デジタルコピー付き) [Blu-ray]ピートと秘密の友達』  [は行]
監督・脚本/デヴィッド・ロウリー  脚本/トビー・ハルブルックス
出演/オークス・フェグリー ブライス・ダラス・ハワード ロバート・レッドフォード ウェス・ベントリー カール・アーバン ウーナ・ローレンス
日本公開/2016年12月23日
ジャンル/[ファンタジー] [アドベンチャー]
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【genre : 映画

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