『ズートピア』 ユートピアかディストピアか?
残念に思ったのが、このイラストだ。

都内の各家庭に配られた「広報けいしちょう」第74号(2016年3月6日発行)の表面に掲載されたものだ。
警視庁がテロ対策を講じるのはとうぜんだから、「情報提供・110番通報のお願い」という記事に異論はない。だが、添えられたイラストが気になった。
イラストには、防犯カメラの位置を確認するいかにも怪しい目つきをした男や、大量の薬ビンを捨てる目つきがおかしい派手な髪型の男が描かれている。その横には男を目撃した可憐な女性や、110番に通報する女性がいる。絵は文章よりも強い印象を残すものだ。この絵は見た者に次のイメージを刷り込みかねない。
・悪事を働くのは男性である。
・女性は悪くない。
・悪い考えは目つきや服装に表れるから、悪人は外見で判断できる。
凶悪なテロ組織「日本赤軍」の最高幹部・重信房子をはじめ、過去、テロ組織には少なからぬ女性が参加していたし、テロリストを指名手配してもなかなか発見できないことを思えば、このようなイメージを広めるのは適切ではないはずだ。
さらに云えば、あたかも女性は陰謀を企むことができないかのように扱うのは女性差別だし、腹黒いのは男性ばかりであるかのように扱うのは男性差別だ。
広報誌を各戸に配布するまでには、おそらく警視庁内で多くの人の意見を反映させ、記載内容を慎重にチェックしたに違いない。警視庁が配るものだけに、一般市民の思い込みを打ち破り、盲点を突くような、ハッとさせるものであってほしい。そう考えていた私は、この広報誌を残念に思ったのである。
以前、あるテレビ番組で、米国の警察官の私生活が紹介された。彼は幼い娘と犯人当てゲームをしていた。娘に何人もの顔写真を見せて、本物の犯罪者を当てさせるのだ。
幼い娘は、凶悪そうな面構えで正面を睨んでいる男を指差した。けれどもそれは不正解。犯罪者は、優しげで温厚そうな人物だった。
警察官は「見た目で判断しないように、幼いうちから学ばせるんだ」と語っていた。
なるほど。何ごとも訓練が必要なのだ。日頃からステレオタイプな思い込みを抱かないように注意しなければ、大人でも幼い子供と同じように間違いを犯すだろう。
とはいえ、すべての人が幼い頃から犯人当てゲームをするわけではない。現実には、私たちがステレオタイプ、偏見、思い込みから逃れるのは至難の業だ。
その難しさを作品の中心に据えたのが、『ズートピア』だ。
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まず驚くのは、『ズートピア』が『ベイマックス』に続く第55作目のディズニー長編アニメーション映画であることだ。
『ベイマックス』の記事で紹介したように、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるジョン・ラセターには二つの使命がある。「伝統的なディズニー映画の新作を作ること」と「別のタイプの映画を探求すること」だ。
その言葉どおり、彼は「伝統的なディズニー映画」として懐かしいプーさんが登場する第51作『くまのプーさん』や、プリンセスストーリーの第53作『アナと雪の女王』を発表する一方、「別のタイプの探求」としてゲーム機を多元宇宙に見立てた第52作『シュガー・ラッシュ』やディズニー初のスーパーヒーロー物の第54作『ベイマックス』を発表してきた。
もちろん、『アナと雪の女王』が古風なプリンセスストーリーに留まらなかったように、一作ごとに工夫が凝らされている。だが俯瞰してみれば、見事に二つの流れから交互に作品が発表されてきた。
となると、『ベイマックス』の次の第55作目は「伝統的なディズニー映画」の系統になるはずだ。そのつもりで映画館に足を運んだ私は驚愕した。『ズートピア』はとても伝統的な、もうディズニーでさえ決別したと思っていた古い古いタイプの映画だった。しかも、ディズニー初の試みにも挑戦している。ジョン・ラセターの二つの使命が一つに凝縮したような、とんでもない野心作だったのだ。
『ズートピア』の舞台は、動物たちが進化して二本足で歩き、服を着て、言葉を喋るようになった世界だ。ウサギのジュディ・ホップスは、生まれ育った農村バニーバロウを出て大都会ズートピアにやってきた新米警察官。キツネの詐欺師ニック・ワイルドやアフリカスイギュウのボゴ署長に翻弄されながら、世界を良くしようと頑張っている。
草食動物と肉食動物が共存するズートピアだが、ジュディはウサギというだけで警察官に向かないと決めつけられ、ニックはキツネだからと嘘つき呼ばわりされる。誰も彼もが外見や出自で判断され、ステレオタイプなレッテル貼りに悩まされている。ズートピアの「共存」とは、実はうわべだけの脆くはかないものだった……。

ミッキーマウスやグーフィーたちも動物なのに二本足で歩いて服を着て言葉を喋っている。でも、彼らの映画が人気を博し、多くの観客を動員したのは、アニメーションが珍しかった20世紀前半の話だ。もはやそんな映画に観客は集まらないし、久しく作られてもいない。
石ノ森章太郎がマンガ『昨日はもうこない だが明日もまた…』を発表して、そんな作品が時代に合わないことを悲しんだのは1961年のことだ。『ジェニイの肖像』を下敷きにしたこの作品の主人公は、絵描きではなくマンガ家志望の貧しい青年。彼が描くのは、動物が服を着て、二本足で歩き、言葉を喋る童話的なマンガだった。戦前のディズニーアニメのようなマンガを描く彼は、世間から相手にされずに食い詰めている。当時、現実にはアクションマンガ『快傑ハリマオ』を週刊少年マガジンに連載していた石ノ森章太郎にしてみれば、「動物が服を着て、二本足で歩き、言葉を喋るような作品」は、クリエイターが世間に相手にされない象徴として相応しいと感じたのだろう。
単に動物たちが活躍する映画であれば、近年も作られないわけではない。たとえばサカナたちの活躍を描いた2003年の『ファインディング・ニモ』は全世界で9億ドル以上を稼ぎだした。しかし、この中の動物たちは二本足で歩いたり服を着たりはしない。人間の知らないところで彼らなりに生きているだけだ。
人気キャラクターのミッキーマウスやグーフィーたちも長編映画の主人公としては時代遅れだ。そんなことは、当のディズニーも判っているはずだ。
それだけに、服を着て二本足で歩く動物たちの映画『ズートピア』には驚かされた。いくら「伝統的なディズニー映画」といっても、これは古すぎる。

昔のディズニー映画を再現したい思いは映画の端々に表れている。本作の詐欺師ニックは1973年のロビン・フッドと同じくキツネだし、映画後半のジュディとニックの服装は1946年のディズニー映画『南部の唄』のブレア・ラビットとブレア・フォックス(東京ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンでお馴染みの善良な「うさぎどん」と意地悪な「きつねどん」)に準じている。
だから本作は、外見や出自で判断されたり、レッテル貼りに悩まされる人間社会を描くため、その比喩として動物たちが共存する世界を創造したのではないのだ。まずいろいろな動物が服を着て言葉を交わす映画を作りたいという思いがあり、そんな動物の世界がどうであるかを突き詰める中で、私たちが現実に直面するような差別や偏見の問題が浮上したのだ。
本作の作り手たちは安易な嘘をつかず、生態の異なる動物たちが同じ場所で一緒に暮らす難しさを正直に取り上げた。それが古臭いはずのアニメーション映画に現代ならではの社会性をまとわせたのだ。
もちろん、見た目や出自、人種や民族、性別で差別するのがいけないことは、ここ数十年繰り返し説かれてきた。それでも本作が描き出す数々の差別や偏見――バカにされるウサギ、疑われるキツネ、肩身の狭い小動物や怖がられる肉食動物――は、今なお現実的な問題だ。移民・難民を排除する動きや民族間・宗派間の対立は、イデオロギーの対立だった冷戦の終結以降、かえって目につくようになっている。いくら強調してもしたりない問題といえよう。
それどころか本作は、ごく最近の差別、いや、これから大きくなるかもしれない未来の差別をも予感させる。犯罪行為の裏にDNAが影響しているのではないかと疑うセリフがあるのだ。
2016年4月2日の毎日新聞は、明治安田生命保険が保険サービスに人の遺伝情報を活用する検討に入ることを報じた。遺伝子検査によって病気のリスクが予測できるようになれば、病気の予防や早期治療に役立つだろう。しかし同時に、「病気になりそうな人」が保険加入を拒まれたり、不利益を被ることがあるかもしれない。米国では2008年に遺伝情報差別禁止法が制定されたが、現に遺伝情報差別が起きているといわれる。他国も遺伝情報差別を禁じる方向で動いているが、日本のように法規制もそのための議論も進んでない国もある。
本作では、DNAが動物を凶暴な行為に駆り立てるかのように発言したことから差別が強まり、表面上は調和を保っていた社会が壊れはじめてしまう。本作のテーマは極めて今日的だ。

近年のディズニー映画は、ようやく偏見を排除した公平な描写が行き届いてきたように思う。さらに踏み込んで、本作では偏見を含まず公平であることを娯楽の域にまで高めてきた。観客も思い当たるだろう差別や偏見の害悪を描くから本作は胸に迫るし、それらの問題に立ち向かう描写が真摯だから共感を覚える。
巨大なシロクマにかしずかれて暗黒街を支配するミスター・ビッグの正体がちっぽけなトガリネズミだなんて、実に皮肉な展開だ。
ミスター・ビッグは1972年の名作『ゴッドファーザー』に登場するマフィアのドン、ヴィトー・コルレオーネをもじったキャラクターだが、本作の作り手が『ゴッドファーザー』をネタにしたのは、それが米国を代表する「移民の映画」だからだろう。イタリアから来た移民とその子供たちの物語を、自身もイタリア系のフランシス・フォード・コッポラ監督がやはりイタリア系のアル・パチーノを起用して撮った『ゴッドファーザー』は、米映画史に燦然と輝く"移民もの"だ。様々な地域の動物が集まるズートピアが、表も裏も移民で構成されていることを示すのにうってつけのモチーフだ。
『ズートピア』を観た子供たちがいつか『ゴッドファーザー』に触れたとき、作り手の胸のうちに思い当たることだろう。
バイロン・ハワード、リッチ・ムーア両監督は、公式サイトにこんなメッセージを寄せている。
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ズートピアの住人たちは、私たち人間のようなもの。
どちらも同じように、性別、年齢、学歴、出身地、見た目…そんな“違い”から生まれる様々な偏見の中で生きています。
もし、その“違い”を個性として認め合うことが出来たら、私たちの人生はもっと豊かになることでしょう。
『ズートピア』の中には、あなたに似ているキャラクターがきっといます。
ぜひ、自分自身を探してみてください。
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主人公ジュディは、キツネを警戒し、ウサギは被害に遭うほうだと思い込んでいた自分を省みる。「そうね。いいウサギもいれば悪いウサギもいるわ。」
世の中には悪事を働く男性もいれば、悪事を働かない男性もいる。
いい女性もいれば、悪い女性もいる。
凶悪そうな善人もいれば、温厚そうな悪人もいるのだ。

映画『ズートピア』で重要なのは、民族、文化、習俗、出身そして外見等の異なる人々が仲良く共存する社会なんて虚構でしかないという認識だ。
ジュディ・ホップスの故郷バニーバロウなら、そんなことを考える必要はなかったろう。同じような人々が同じように暮らしていた。そこにもイジメや力関係はあったけれど、均質な仲間が大勢いたから、そこに埋没すれば平和に暮らしていけた。
しかし大都会ズートピアにはいろんな人たちがいて、いろんな暮らし方をしている。そこかしこで摩擦を起こしながら、かろうじて均衡を保っている。
ズートピアが示唆しているのは、移民が集まるアメリカ合衆国そのものであり、さらには国際社会の姿であろう。
その危うい均衡は、何が保っているのだろうか。
それを考えさせるのが、ズートピア警察署をてんてこ舞いさせる大事件だ。良識ある市民だったはずの肉食動物が、突如狂暴になって他者を襲い出したのだ。狂暴化した肉食動物に咬まれた者も狂暴になってしまう。
この展開はディズニーの長編アニメーション映画ではじめてのものだろう。これはまさしくゾンビ映画のフォーマットだ。「生きている死体」であるゾンビこそ出ないものの、ゾンビ映画の本質を突いている。
ゾンビとは何か。
以前、私は人間とゾンビを隔てるのは理性の有無であると述べた(「『ワールド・ウォーZ』 ラストはもう一つあった」参照)。理性を失うとゾンビになってしまうゾンビ映画の構図は、本作における動物の狂暴化にそっくり当てはまる。狂暴化し、閉じ込められた動物たちは、あたかもウイルスの蔓延を防ぐために隔離された患者のようだ。
ゾンビ映画の真の恐怖は、西洋文明が築き上げた社会秩序の崩壊にある。
人間は放っておいたら無秩序に殺し合いをしてしまうから、社会契約という「抑制する機構」をがっちり作ることでどうにか秩序を維持している、というのが、長きにわたる宗教戦争の末にたどり着いた西洋の考え方だ。それは、人々が理性を喪失すれば、世界が殺し合いに戻ることを意味する。
ゾンビ映画は、西洋の人々が長い歴史を通して懸命に抑え込もうとしてきた悪夢が現出したものなのだ。ダニエル・カーネマンが提唱する人間の認知システムにたとえれば、「抑制する機構」は推論を担うシステム2だ。
他方、東洋では、人間が持つ素直なまごころに従えば自然に秩序が成り立つはずだと考える。人間がもともと備えているもの(認知システムにたとえれば、直感を担うシステム1)への信頼を基礎に置くから、社会を「抑制する機構」を必要としない。社会のあり方が異なるから、日本では米国ほどゾンビ映画が盛んにならない。
先の記事では、池田信夫・與那覇潤共著『「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人』を引用しながら、ゾンビ映画についてこのように整理した。

肉食動物の狂暴化に接した住民たちは、社会秩序の崩壊を予感する。ズートピアではすべての動物が進化して共存できるようになっていたが、実は「共存」できるというお約束を「抑制する機構」にすることで、殺し合いと混乱を抑え込んだ世界なのだ。
共存なんか無理じゃないか、と住民たちが思いはじめた途端に「抑制する機構」は消えてしまい、本当に共存できなくなってしまう。
多様な人々が共存できる社会の構築に努めるズートピアが、現実の米国や国際社会の比喩であるなら、均質な人々が同じように生活すれば良いとするバニーバロウのような地域も現実だろう。必ずしも同じような人々だけが住んでいることを意味しないのだが。実は多様な人々が共存できる社会の構築に後れを取っているだけかもしれないのだが。
合意形成学を専門にする哲学者・桑子敏雄氏によれば、社会的な合意形成に必要なのは建前をぶつけ合う議論であるという。
「ダムができる上流部の人たちが、ダム建設に反対する。ところが、下流部の人たちは、ダムができないと洪水の恐れが増大するし、渇水も怖いから、ダム建設に賛成する――。」
このように利害が異なる者の意見の対立を解消し、合意に至る道を探るのが「社会的合意形成」だ。「本音をぶつけ合う」という言葉はしばしば耳にするが、「建前をぶつけ合う」のを重視するのは実際に合意形成を成し遂げてきた桑子氏ならではの知見だろう。桑子氏によれば、本音とは個人的な、自己中心的なことであり、社会的な合意形成には不向きだという。だから徹底的に建前で議論する。
すると面白いことに、ちゃんとした建前を何度も繰り返し口にしていると、その建前が個々人の本音に変化していくそうだ。発言によって人が変わり、別人のように成長する。反対意見や同意意見をぶつけて議論を深めていくことが、合意形成に繋がるという。
ここで本音をシステム1、建前をシステム2としてみれば、本作をより理解しやすいだろう。
ダムができる上流部の人たちだけ、あるいは下流部の人たちだけが集まるなら、建前で議論する必要はないかもしれない。本音(システム1)で話して暮らせばいい。ちっぽけなバニーバロウのように。しかし、上流部の人も下流部の人も含むより大きな社会に秩序を確立しようとすれば、本音ばかりを云ってはいられない。建前(システム2)を積み重ねなければ社会を構築できない。
本作の主人公ジュディ・ホップスは、「すべての動物が共存するズートピア」なんて建前に過ぎないことに気づいてしまった。その建前は、まだ個々人の本音に変化してはいない。
だが、社会とは建前を積み重ねたフィクションだからこそ、構築するにはみんなが注意深く努力しなければならない。ちゃんとした建前は、何度も繰り返せば個々人の本音に変化するのだから。
そう、繰り返しが大切なのだ。訓練とは同じことの繰り返しだ。
本作がグッと来るのは、その覚悟を決めたジュディの心意気に打たれるからだ。
ディズニーがこれからも繰り返しこのテーマに挑むことを期待したい。
![ズートピア MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71NYVIWkvhL._SL160_.jpg)
監督/バイロン・ハワード、リッチ・ムーア 共同監督/ジャレド・ブッシュ
制作総指揮/ジョン・ラセター
出演/ジニファー・グッドウィン ジェイソン・ベイトマン イドリス・エルバ ネイト・トレンス J・K・シモンズ ジェニー・スレイト オクタヴィア・スペンサー ボニー・ハント
日本語吹替版の出演/上戸彩 森川智之 三宅健太 高橋茂雄 玄田哲章 竹内順子 Ami 芋洗坂係長
日本公開/2016年4月23日
ジャンル/[アドベンチャー] [ファンタジー] [ミステリー] [ファミリー]

【theme : ディズニー映画】
【genre : 映画】
tag : バイロン・ハワードリッチ・ムーアジャレド・ブッシュジョン・ラセタージニファー・グッドウィンジェイソン・ベイトマンイドリス・エルバ上戸彩森川智之三宅健太
【投稿】ガミラス第二帝国の戦争準備 ガトランティス軍とガデル・タラン /『宇宙戦艦ヤマト2199』ガミラス考察補論集1 小説~ガトランティス戦争編~

本稿もまた、先に公開した投稿「イスカンダルの王権とデスラーの人物像について」の一部を構成するものだ。
前回の後半からはじまった「2. ガミラス第二帝国の戦争準備 ガトランティス軍とガデル・タラン」の続きとなる本稿は、軍需国防相である兄ヴェルテ・タランと参謀本部参謀次長である弟ガデル・タランの対話を通して、ガミラスの軍政と用兵の実像を明らかにする。今回は特に、ガミラスとガトランティスの戦争を考える上での五つのポイントの一つ、『機動戦に最適化されたシステム』を持つ従来のガミラス軍についてガデル・タラン参謀次長の口から語られる。
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『宇宙戦艦ヤマト2199』 ガミラス考察補論集1
思考実験としての続編小説~ガトランティス戦争編~
(前回から読む)
2. ガミラス第二帝国の戦争準備

ヴェルテは弟が表示した、かつて自らが開発に関わったそれらの艦艇を真剣な目で見つめていた。その表情を一瞥すると、ガデルは解説を始めた。
「我が軍はクリピテラやケルカピアのような“小型二等航宙装甲艦”を戦力の主体とし、一部の例外を除き全ての艦艇に同等の機動性能を付与している。ガイデロールやハイゼラードといった“航宙戦闘艦”でさえ、“航宙装甲艦”と同等の機動力を発揮できるのだ」
ガデルは大小マゼラン世界に存在する、複数の種類の現代型艦艇について言及した。
一般に大小マゼラン世界では、艦隊戦を行う主要な艦艇は「航宙装甲艦」と「航宙戦闘艦」という二つのカテゴリーに分類されていた。そのうち航宙装甲艦は軍用艦艇として最も一般的な艦種であり、イスカンダル帝国滅亡の時代から存在する「現代型艦艇」の等級である。一方、航宙戦闘艦は後の戦乱の時代に発達した艦種であり、航宙装甲艦よりも重武装・重防御の等級である。そして両者は更に、武装と防御の度合いによって一等、二等と等級分けされていた。(※1)(※2)(※3)(※4)
(※2)「宇宙戦艦ヤマト2199全記録集 vol.2」及び「公式設定資料集[GARMILLAS]」には、各種ガミラス艦艇について次のように記述している。

- クリピテラ級航宙駆逐艦: 「二等航宙装甲艦。ガミラス艦艇で最も建造数が多い」と解説。
- ケルカピア級航宙高速巡洋艦: 「二等航宙装甲艦」と解説。
- デストリア級航宙重巡洋艦: 「二等航宙装甲艦」と解説。
- メルトリア級航宙巡洋戦艦: 「二等航宙装甲艦」と解説。
- ガイデロール級航宙戦艦: 「二等航宙戦闘艦」と解説。
- ハイゼラード級航宙戦艦: 等級についての言及はないが「ガイデロール級の後継艦」と解説。
- ゼルグート級一等航宙戦闘艦: 「大艦巨砲主義を好む中央軍総監のヘルム・ゼーリック元帥主導で建造された」と解説。
- 特一等航宙戦闘艦<デウスーラ2世>: 「新型航宙戦闘艦」と解説。

これらの資料の記述に出てくる「航宙装甲艦」と「航宙戦闘艦」は、ガミラス自身による自軍艦艇の分類であると考えられる。
また、資料の記述を見ると、ガミラスには何故か「一等航宙装甲艦」と称される艦艇が存在しない事に気付く。これは何を意味するのか。筆者は「かつて存在していたが軍制改革により廃止されたのではないか」と考え、この文章において次のような想定を行った。
- 大小マゼラン世界には元々一等・二等航宙戦闘艦と一等・二等航宙装甲艦という四種類の現代型艦艇が存在した。
- 勃興期のガミラスは各種の軍制改革を行い、それにより一等航宙装甲艦が廃止され、二等航宙装甲艦に艦隊装備が一本化された。
(※3)クリピテラ級、ケルカピア級、デストリア級、メルトリア級は全て「二等航宙装甲艦」という同一カテゴリーに分類され、作中では同じ単縦陣に混在して配置されている。この事からこれらの艦は全て同等の機動性能を付与されていると考えられる。

ガデルが話を続ける。
「また、航宙装甲艦の分野では、我々は(大小マゼラン)諸国軍が配備していた“一等航宙装甲艦”を廃止し、より軽快な“二等航宙装甲艦”のみを採用している。一方、航宙戦闘艦の分野では、我々は幾つかの例外を除き“二等航宙戦闘艦”のみを限定的に配備している」
ガデルは大小マゼラン征服に乗り出した頃のガミラスの艦艇史に軽く触れると、こうした装備が為された意図について言及を始めた。
「我々がこのような兵器体系を構築したのは、ひとえに機動戦の原理により忠実な戦い方を志向したからだ。つまり、機動戦に不可欠の機動力と数で、敵を大きく上回る事を目指したのだ。(※5)
具体的な面から見てみよう。
まず第一に、艦隊の装備を二等航宙装甲艦に一本化する事で、我が軍は主に組織的な機動力で諸国軍を凌駕する事ができた。我々が大小マゼラン統一に乗り出した当時、諸国の艦隊は一等・二等航宙戦闘艦と一等・二等航宙装甲艦の四種類で構成されていた。機動性能の異なるこれらの艦艇は、軍事的には後発であった我々の眼には組織的な機動を妨げる要因に映った(※6)(※7)。その為我々は軍制改革において一等航宙装甲艦を廃止し、 軽防御だが軽快に動ける二等航宙装甲艦に艦隊の装備を一本化した。さらに我々は、航宙戦闘艦の配備を制限し、二等航宙装甲艦の機動に随伴できる、高速の航宙戦闘艦のみを艦隊旗艦用に配備した。これらの措置により、我が軍は諸国軍に対しより容易に高速の機動戦を仕掛けることが可能となった。
続いて第二に、小型二等航宙装甲艦という、それまで(大小マゼラン)世界に存在しなかった艦(※8)を大量配備する事で、我々は圧倒的な数的優位を実現した。ケルカピアや、特にクリピテラはビーム兵装の数を抑える事でエンジンを小型化し、生産コストを大幅に縮小させた点が画期的だった。一方でこれらの艦は、敵の現代型艦艇を撃破するのに十分な砲を装備し、実体弾(※ミサイルと魚雷)の追加装備によりある局面において敵を圧倒する火力を発揮する事ができた。この我が軍の兵装の特色については、また後で述べる」

(※6)ヤマト2199第8話ではレドフ・ヒスがガミラスの領土拡大を説明する場面が出てくるが、それを見るとガミラスはガミラス帝星のみの支配から段階的に大小マゼランを征服していったように見える。この事から、ガミラスはもともと大小マゼラン世界では弱小の勢力であり軍事的にも後発であったのではないかと考えられる。
また、同じ場面から大小マゼランはいくつもの領域に分けられているように見える(ガミラス帝星を除くと大小マゼラン全体で十七領域余り)他、大小マゼラン諸国の存在について作中には次のようなセリフが出てくる。
- 「我が帝国の領内にも、お前達のような青き肌を持たぬ者達がいる。併合した星間国家や植民星の劣等人種である。二等ガミラス人達だ」(第10話 メルダ・ディッツの発言)
- 「私達ジレルの民は人の心を読む力を持っていた。それゆえ、周りの星々から疎まれ、恐れられ、滅ぼされた」(第25話 セレステラの発言)
これらの事例から、大小マゼラン世界には少なくともガミラス以外に他種族を滅ぼすことのできる勢力や星間国家がいくつも存在したと考えられる。よって、筆者はこの文章において大小マゼランの政治勢力について次のような想定を行った。
- 大小マゼラン世界は“列強”と称すべき星間国家がいくつも割拠し、同時にガミラス大公国のような単星系国家や星間航行技術を持たない種族が多数列強諸国と並立する形で存在していた。(その様子はスタートレック、あるいは古代中国の戦国時代と類似していたと想像することが可能だろう。)
- ガミラスは戦国の七雄における秦と同様に、“遅れた弱小勢力”から改革により列強諸国を圧倒する軍事力を持つようになり、ついには大小マゼラン諸国を悉く滅ぼして大小マゼラン世界を統一するに至った。
(※7)この文章では帝国形成以前のガミラスを弱小の存在だったとしているが、そのような勢力が何故大小マゼランのワープゲートという宇宙の重要インフラを昔から管理していたのか。これにはイスカンダル帝国の滅亡後、戦乱が続いた大小マゼラン世界に成立した国際秩序が関係していると筆者は想像している。詳細については後日執筆する別章「3. ガミラス第二帝国のユリーシャ」にて言及する予定。

こうした推論とガミラスに存在しない「一等航宙装甲艦」の事例を考慮すれば、次のような想像をする事が可能ではないだろうか。
「一等・二等航宙戦闘艦と一等・二等航宙装甲艦の四種類の艦艇が存在した大小マゼラン世界では、デストリア級と同程度の大きさの二等航宙装甲艦が地球での「駆逐艦」に相当する最小の艦艇だった。二等航宙装甲艦の中でも超小型のクリピテラ級は新たな分類が行われない程新しい艦艇だったのであり、ガミラスにとっては一つのイノベーションとなる艦であった――」

ガデルは装備面で見たガミラス軍の「従来のシステム」について、その歴史を振り返りつつ解説を行った。ヴェルテは兄である自分の為ではなく、一般軍人向けの講演かと見紛う程整ったガデルの講義を聴きながら、昔の事を思い返していた。実の所ヴェルテは、ガデルと共にかつてガミラスで行われた「軍制改革」に関わった当事者の一人だったのである。
一等航宙装甲艦が廃止され、クリピテラが開発されたガミラスの軍制改革は、ガミラス大公国を統一したエーリク・ヴァム・デスラー大公の死後に行われたものであった。彼の死後勃発した内乱が収拾され、彼の死によって中断されていたガミラスの大軍拡が再開されようとしていた時代。当時のガデル・タランは参謀本部付きの若き佐官であり、ヴェルテは内乱収拾の立役者たるアベルト・デスラーに登用された気鋭のテクノクラートだった。二人はそれぞれ、改革案を作成する用兵側と軍政側の実務担当官として軍制改革に携わった。(※9)
エーリクの死後、ガミラスの動向に神経を尖らせ連合してガミラスを討伐する可能性もあった大小マゼランの列強諸国。それに対し、戦争準備を進めつつ征服意図がないかのように装っていたガミラス。両者の間で虚々実々の駆け引きが繰り広げられる中、軍制改革は計画された。改革の要点は二つあった。一つは戦力の急速な拡充を可能にする「軍システムの簡素化」である。そしてもう一つは諸国軍を打ち破れる「新しい兵器システムの策定」であった。これを行うのに、二人はそれぞれの担当分野で中心的な役割を果たしたのだった。
ガミラスの軍制改革は、次のようなプロセスで策定された。まず最初に、用兵側の立案者としてガデルが「二等航宙装甲艦への艦隊装備の一本化」を提示した。これにより軍のシステムを簡素化し、艦艇数と部隊単位の機動力を増大させる。そして次にガデルは、以前から構想していた自身の用兵理論を軍政側に対し示した。
――諸国軍は複数の艦種と過剰なビーム兵装により資源が浪費され、機動力も失われがちとなっている。これに対し我が方は機動戦の原点に立ち返り、数と良好な機動性能、そして最低限のビーム兵装を以って諸国軍により高速の機動戦を仕掛けるべきである。
これを受け軍政側の立案者であるヴェルテが提示したのが、クリピテラの開発コンセプトだった。
――波動エンジンから直接エネルギーを供給されるビーム兵装の数を抑えれば、エンジンを小型化し生産コストを大幅に縮小する事ができる。また、機動力に悪影響を及ぼさない程度に実体弾(※ミサイルや魚雷の事)を搭載すれば、火力の不足を大幅に補う事が可能である。(※10)(※11)
ガデルは兄の提示したこの“小型航宙装甲艦”という、それまで大小マゼラン世界に存在しなかった艦艇の運用構想を新たに作成した。さらにそれを元に、ヴェルテ達軍政側がデストリアの改造案を提示する。(※12)
以上のような用兵側と軍政側の緊密な対話により、ガミラスの軍制改革は形作られていったのだった。

このガデル達の改革案が受け入れられるまでには様々な紆余曲折があった。しかし最終的にはガデルの用兵理論を読んだデスラーが賛意を示した事で軍制改革は実施された。その進展と歩調を合わせるように、ガデルは参謀次長へと出世の階段を駆け上がり、ヴェルテは軍需国防相へと抜擢され、それぞれに手腕を振るう事となった。こうして、ガミラスは列強諸国を圧倒する軍事力の造成に成功し、諸国軍を次々に打ち破っていったのだった。
ヴェルテはこうした昔の自分と弟の事績を振り返り、自分達がかつて創ったシステムを今再び作り直す事にある種の感慨を覚えていた。
“――万物は流転する、か。”
ヴェルテは昔読んだ哲学書の一節を心の中でそらんじた。(※13)
物事には全て栄枯盛衰のサイクルがある。いかなる仕組みや制度も永遠に成功を収め続ける事はない。逆にそれらは成功を収める程、状況が変われば身を滅ぼす桎梏(しっこく)にすら成り得る。故にシステムを司る者は、絶えず自らを疑い適切な改変を施す知性と情熱を持たなければならない――。
歴史書や哲学書、そして自らの政治的体験から形作った彼自身の信条を思い浮かべながら、ヴェルテは弟が次の話を始めるのを待っていた。
(※10)映画「星巡る方舟」ではメガルーダ追撃の際、ヤマトの速力を上げるためにショックカノンや波動防壁の使用を制限し、その分のエネルギーを推力に回す描写がある。このことから波動エンジンのエネルギーは、攻撃力(ビーム兵装)と防御力(防御シールド)と推力に割り振られ、出力が一定ならば、これらの要素のどれかを増やせば別のどれかが減る関係にあると考えられる。こうした作中から窺える波動エンジンの性質をもとに、「クリピテラはビーム兵装を意図的に省く事で小型低出力のエンジンでも高機動を実現している」という想定をこの文章では行っている。
(※11)劇中に見られるような高速の機動を信条とするガミラス艦は、燃料タンクを必要としない波動エンジンの効能やガミロイドの使用による乗員及び居住スペースの節約により、艦内スペースの殆どをエンジンに充てていると想像できる。その為もしエンジンを小型化できれば、艦のサイズと生産コストを直接的かつ大幅に縮小できると考えられる。
(※12)デストリアはいくつかの外見的特徴から、大小マゼラン世界の伝統的な現代型艦艇の形状を良く残していると考えられる。
また、この事からデストリアはガミラスに古くからある艦艇に改造を施して生まれたと筆者は想定している。(※図1参照)

(※13)ヤマト2199第12話において、ヴェルテは「我々はどこから来て、どこへ向かっていくのか」と聖書に由来すると思われる言葉を述べている。
――イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。」
(ヨハネによる福音 第8章 14節)
ヴェルテは聖書の記述と類似したガミラスの哲学書の一節を引用したと思われるのだが、この文章における彼の「万物は流転する(ヘラクレイトス)」という発言もまた、それに類似したガミラスの哲学書を引用したと思って頂けたら幸いである。
ガミラス軍の「従来のシステム」について語るガデルの講義は、装備面での解説から編制面での解説へと移っていった。
「…では次に、編制面から従来の我が軍のシステムについて解説する。我が軍の艦隊編制は、簡単には次のようになっている。第一に、我が軍は五隻程度の戦隊二個を一個小隊と為し、複数個の小隊を一個中隊と為している。第二に、中隊は小隊を任意に配置する事で一つの隊形を形成している。第三に、我が軍は二個中隊を一個大隊と為し、中隊同士で援護する事としている。なお、各中隊に属する小隊の数は固定されていない。各中隊にはそれぞれ、作戦時に任意の数の小隊が配属される。その数は、通常は二の倍数個である事が多い」(※14)
- ガミラスは五隻程度の戦隊二個を一個小隊としており、小隊が陣形を形成する基本単位になっている。
- ドメル軍団の布陣で「五隻程度の縦隊が縦に二つ並ぶ」様子が示しているように、 ガミラス軍は基本的に二つの隊が互いに援護しながら戦うようになっており、中隊や大隊の編制にもそれが反映されている。

ガデルはホログラムボードに簡単な図を表示しつつガミラスの艦隊編制の基本について解説した。彼は更にその特色について話を進める。
「この『小隊の組み換え』を行うシステムは、我々を含めた(大小マゼラン)諸国軍に共通のものであった。しかし、我々は過去の軍制改革において次のような仕組みをこれに付け加えた。
それは常設の師団と旅団を設け、作戦時に旅団へ複数個の大隊を任意に配属させるようにした事だ(※図3参照)。この仕組みでは、旅団長は与えられた大隊から小隊を抽出し、各中隊に任意に配属させる(※図4参照)。これは旧来のシステムをより大規模にしたものだ。旧来のシステムでは、小隊の組み替えは一個大隊の中だけで完結しており、組み換えは大隊長の裁量で行われていた。これに対し我々は、小隊の組み換えを旅団長が行う事で大隊の枠にとらわれない大規模な組み換えを可能とした。その結果、我が軍は諸国軍と比べ遥かに自由に中隊の規模を変え、多様な隊形を作る事ができた」(※図5参照)(※15)



ガデルはガミラスの“師団システム”について述べると、ホログラムボードに大小マゼラン諸国軍の艦艇を表示した。それらは一等・二等航宙戦闘艦と一等・二等航宙装甲艦の四種類に区分されて並べられている。ガデルはそれらを軽く指し示し、兄に注目を促すと話を続けた。
「…このような(諸国軍と異なる)仕組みを設ける事ができたのは、以下の理由による。
一つは、艦隊の装備を二等航宙装甲艦のみに統一した事だ。それにより我々は、複数の艦種の混在で生じる不具合を回避できた。即ち、機動時に隊形を崩壊させる事なく、自由に中隊の規模を変えられたのだ。一方、四種類の艦艇が存在した諸国軍は、機動時に中隊の隊形が崩れないよう艦種毎に大隊を設け、『旅団による小隊の組み換え』を行う事はなかった。(※図6参照)

次に二つ目は、我々が巨大な数の艦艇を動員できた事だ。元来大小マゼラン随一の人口と金属資源を有する我々は、政治的統一によりそれらを戦争に動員する事が可能となった。 我々はこの利点を活用するべく軍制改革を行い、巨大な数の艦隊とそれらを効率的に動かせる仕組みを実現した。それがクリピテラの開発であり、常設師団と旅団の創設であったのだ。一方資源に乏しく、更に艦種の多様化と重装備化で限りある資源が分散する状態となっていた諸国軍は、我々と比べずっと少ない艦艇しか動員できなかった。この事は編制にも反映されており、殆どの場合諸国軍は複数の大隊をその都度集めて一個艦隊を編成していた。彼らはそもそも、常設の師団を必要とするだけの兵力が無かったのだ」
ガデルはガミラス軍と大小マゼラン諸国軍の相違が生じた要因について述べた。その中でガデルが挙げた「ガミラスの人口と資源」は、ヴェルテとガデルという二人の兄弟にとってガミラスを語る上で欠くことのできない事柄であっただろう。なぜならそれらは、ガミラスの歴史を決定付けたと同時に二人が世に出る事を可能ならしめた要因だったからである。
元来ガミラス帝星は、金属資源が希少な大小マゼラン銀河においては例外的に、希少金属(レアメタル)を代表とする恵まれた金属資源を有する惑星だった。(※16)ガミラス人は有史以来、その資源を狙う大小マゼラン諸族と戦い、交易し、貢納する歴史を重ねてきたのである。そしてガミラス帝星は、その陸地面積の大きさと、波動エネルギーを使用した食料プラントの恩恵により極めて膨大な人口を擁する事が可能だった。(※17)ガミラス人は長い時間をかけ、金属を採掘し地下の居住空間を広げ、互いに争いつつも数を増やしていった。こうして、時代が下りエーリク・ヴァム・デスラーがガミラス大公の地位に就いた頃には、ガミラスは大小マゼラン随一の人口と資源を有する勢力に成長していた。その宿痾ともいうべき政治的分裂が克服されれば、ガミラスは大小マゼランの覇者となるだけの力を持つまでになっていたのである。(※18)

また、ガミラスの資源に関して「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」では、暗黒星団帝国がガミラス帝星で希少金属(ガミラシウム)を強奪同然の形で採掘し、それを見た旧作デスラーが激怒して戦闘を行う場面が出てくる。
これらの事から、この文章では「ガミラス帝星は金属の乏しい大小マゼランでは例外的に金属資源、特に希少金属(レアメタル)を豊富に産出し、それ故に多くの種族から狙われる存在だった」と想定している。

(※18)科学書では、ガミラス帝星の地形について次のように推論している。
――惑星地形としてのガミラスの最大の特徴は地表が二重構造になっているともいえる点です。緑の外殻地表に対し、円形に近い窪地が多数あり、それらは底部が黄色く見えます。この地形は地球と全く異なるばかりでなく、イスカンダルともかなり異なっていてガミラス独特のものと言えます。
(中略)
しかしながら、ガミラスの窪地は単なる盆地ではありません。広い範囲にわたって広大な地下空洞で相互に繋がっているのです。その天井は平らな岩盤層のようです。空洞の広さを考えると、極めて強固な岩石である必要があります。地球上で強いて似たものを探すと溶結凝灰岩が思い当たります。これは、火砕流の堆積物が大量に積み重なり、その下層が溶解・圧縮してできた岩盤です。日本では大隅半島で広範に見られます。
もしそうならば、ガミラスは広い範囲にわたって表面が火山灰に似た大量の粉砕物で分厚く覆われた時代があったことになります。全面が強烈に加熱圧縮された溶結凝灰岩で覆われた後、巨大隕石が衝突し多数の巨大クレーターができたというのがガミラスの基本的な地形の起源なのでしょうか。イスカンダル文明の過去を考えると、ガミラスで大規模破壊兵器が使用された疑いが出てきます。
(半田利弘 「宇宙戦艦ヤマト2199でわかる天文学」 誠文堂新光社 P.154~P.157)
科学書の推論に基づいて考えれば、ガミラスには極めて活発なマグマの活動があったことになり、結果として極めて豊かな鉱床が形成されたと想像できる。(詳しくは鉱床学を参照の事。)また、地下の空洞は侵食でできたにしてはあまりにも巨大である事から、元々存在した空洞部分を人工的に掘削して広げたのではないかと思われる。
筆者はこうした資料の記述と推論を元に、文章に記述したようなガミラスの地理条件と歴史の想像を行った。
このガミラスの潜在力を自覚し、どのようにして顕在化させるかについて多くのガミラス人がエーリクの時代に議論を戦わせていた。ヴェルテとガデルは、そうしたガミラスの知識人達の流れを汲む一人であった。
巨大な人口と資源を生かし、長きに渡り大小マゼランの列強諸国に従属してきたガミラスを(大小マゼラン)世界の覇者と成す。その為にエーリクはガミラスの知識人層の後押しを受けてガミラスの政治的統一を成し遂げた。そして彼の死後、ガデル・タランは軍事面から、ヴェルテ・タランは軍政面からガミラスの人的・物的資源を生かす取り組みを構想し軍制改革において実現させた。実にガミラスの軍制改革は、こうした時代状況とタラン兄弟の個性によりはじめて成し得た事であった。
ガデルの講義に耳を傾けていたヴェルテは、弟が「ガミラスの人口と資源」について言及するのを聞くと、あらためて自らの過去とガミラスの現代史について思い返したのだった。
ガミラス軍の「従来のシステム」について語るガデルの講義は、この項の最後の部分へと移っていった。
「…以上、ここまでは装備と編制の二つの面から、従来の我が軍のシステムについて説明を行った。次はこの項の最後の締め括りとして、我々が従来のシステムでどのように諸国軍を破ったか、それについて解説を行う」
そのように言うとガデルは、大小マゼラン世界において広く行われてきた機動戦の姿について言及を始めた。
「まず最初に、諸国軍について簡単に述べておこう。我々が軍制改革で生み出した従来のシステムは、これまで述べたように幾つかの点で諸国軍を凌駕するものだった。しかしこのシステムは、それだけで勝利を確定させた訳ではない。諸国軍に対し実際に勝利を収めるには、更に戦場においていくつかの工夫を要したのだ。
我が軍の従来のシステムは、ある意味では(大小マゼラン)世界の軍隊の歴史的変化に逆行するものだった。イスカンダル帝国が滅び機動戦が戦いの主流になると、艦艇は次第に重武装・重防御のものへと変化していったからだ。小国が群立し、資源が分散した世界で競う諸種族は、結局どの種族も敵を数で圧倒できる資源を確保する事ができなかった。そのため限られた資源を少数の艦につぎ込み、戦闘力を向上させる事で敵を上回ろうとするようになっていったのだ。
その結果、機動性能はそこそこだが重武装・重防御の航宙戦闘艦が誕生し、昔からある航宙装甲艦と組み合わせて戦う手法が発達を遂げた。機動力と数に優れる航宙装甲艦が敵の動きを止め、打撃力に優れる航宙戦闘艦が止めを刺すという用兵が一般的となったのだ。(※19)
…この図を見てもらいたい。これは現代の機動戦における典型的な艦隊機動を表したものだ」



解説を中断すると、ガデルはホログラムボードに一枚の図を表示した。艦艇を表す赤と青の記号がそれぞれ縦一列に並び、単縦陣を形成している。ガデルは図に軽く触れると図を変化させた。赤と青の“艦隊”が、互いに相手を有利な位置に捉えようと機動を始める。両者は遠方から接近してすれ違うと、相手の後ろを取ろうと互いに追尾を始めた。戦いは反航戦からドッグファイトへと変化したのである。
青と赤の艦隊は少しの間、互いに相手の尻尾を追いかけるように旋回していたが、突如青艦隊の艦艇が一斉にUターンした。青艦隊の進行方向が逆向きになる。そして、青艦隊の尻尾を相変わらず追いかけようとしていた赤艦隊に対し、“丁の字”の態勢となった。赤艦隊は青艦隊の懐に飛び込むのを避けようと彼らと併進する方へ急ターンする。結果、両者の機動は最終的に同航戦へと収束していった。(※図10参照)

ガデルが解説を再開する。
「この図のように、現代の機動戦は艦隊が絶えず高速で動き、互いに高度な機動を駆使し合う。この機動戦に勝利するために発達したのが、複数の艦種とゲシュタムジャンプを駆使する手法だった」
ガデルはホログラムボードに別の図を表示し、解説を続けた。
「…手順を説明しよう。まず、二等航宙装甲艦が敵艦隊、殆どの場合敵も同じ二等航宙装甲艦だったが、ともかくそれらと接触し、同航戦の態勢に持ち込む。次に航宙戦闘艦が敵艦隊の針路上にゲシュタムアウトし、同時に一等航宙装甲艦が敵艦隊の真横を併進するようにゲシュタムアウトする。一等航宙装甲艦が敵に圧力を加えゲシュタムジャンプで逃げないようにする間(※20)、航宙戦闘艦は大火力を以て敵を先頭から順次撃破していく。(※図11参照)

以上のような戦い方が広く(大小マゼラン)世界で行われ続けていた。こうした用兵は、敵味方共に大軍を用意できず、数十から数百隻程度という小規模な艦隊同士が戦う条件下では極めて有効な手法だった。大軍を用いずとも、効率的に敵を壊滅に追い込めたからだ。しかし、この戦い方が長きに渡り行われ続けた結果、世界の軍隊は一つの陥穽へと陥っていった。一方が複数の艦種とゲシュタムジャンプで攻撃すれば、当然敵も同様の手段で反撃する。その過程で航宙戦闘艦同士の戦いが生じ、それに打ち勝つために不毛な性能競争が続く事となったのだ。
航宙戦闘艦はビーム兵装と装甲が強化されていき、機動性能を維持するためにエンジンも大型化した結果、生産に莫大なコストがかかるようになった。そしてそれを支援する一等航宙装甲艦も、同様にビーム兵装と装甲が強化され、コストが増大していった。その結果、我々(ガミラス)が諸国と戦う時代にはどの国も、数が揃わず機動力もバラバラな戦力を抱える有様となっていた。かつてイスカンダル帝国を破った機動戦の原理が、半ば忘れ去られた状態となっていたのだ」
大小マゼラン世界の機動戦の変遷について述べたガデルは、最後にガミラスと戦った諸国軍が陥っていた“大艦巨砲主義”への批判とも取れる発言を行った。
“…ゼルグートの時と同じような話し方をしている”

かつて“大艦巨砲主義”を好んだヘルム・ゼーリック中央軍総監の主導で建造されたゼルグート級(※21)は、元々列強諸国が配備していた一等航宙戦闘艦に対抗する為に計画された艦艇だった。ガデル達の軍制改革により計画が破棄され、後になってゼーリックにより三隻のみ建造されたこの艦は、かつてガミラスで激しく争われた軍の路線対立の残滓とも言うべき存在だったのである。(※22)(※23)ゼルグート級についてガデルは、軍制改革が行われた時も、それが建造された時も舌鋒鋭く批判を繰り返していた。この時の口ぶりと、今目の前で講義を行っている弟の口ぶりが似ているようにヴェルテには感じられた。
(※22)資料の記述によればゼルグート級は最新鋭の艦艇という事になっているが、その割にはデウスーラ二世のように砲身付きのカノン砲塔を装備せず、大きさの割りに魚雷発射管も少ないというデストリア級と類似した古めかしい仕様になっている。これは本級の基本設計が(デストリア級と同様に)かなり古い為であると想像する事ができるのではないだろうか。

- メルトリア級について「新型の三連装陽電子カノン砲塔を装備し」と記述される。
- ハイゼラード級について「ガイデロール級航宙戦艦の火力等を増強した後継艦であり、カノン砲塔の装備により攻撃力が向上した」と解説される。
ガデルの講義は大小マゼラン諸国軍の姿から、いよいよ“従来のガミラス軍”そのものへの言及へと移っていった。
「では、こうした諸国軍に対し、我が軍はどのように戦ったのか。戦うにあたり我々は、まず最初に敵の要(かなめ)となる部分の破砕を目指した。その要とは何か。それは、我々の装備と同じ二等航宙装甲艦の部隊だった。
今一度、諸国軍について述べたあたりを思い返してもらいたい。諸国軍は機動戦に勝利する為、複数の艦種とゲシュタムジャンプを駆使する用兵を行った。しかし、それが成り立つには一つの条件があった。『二等航宙装甲艦が敵を釘付けにできる事』だ。動き回る敵を同航戦の態勢に持ち込んではじめて、諸国軍は効果的な位置に航宙戦闘艦や一等航宙装甲艦をゲシュタムアウトできたのだ。もし、この前提が崩れたらどうなるだろうか。二等航宙装甲艦が壊滅し、敵を釘付けにできなくなれば航宙戦闘艦などは只の動きの鈍い標的と化してしまう。我々はその状態の実現を目指したのだ。
敵の二等航宙装甲艦を破る為に、我々は何をしたのか。…この図を見てもらいたい。これは我が軍が採った典型的な戦い方を示したものだ」
そのように言うとガデルは一枚の図をホログラムボードに表示した。二つの艦隊と思われる記号の群れが同じ方向へ併走している。ガデルが図を変化させると、一方の“ガミラス艦隊”の縦隊が前後に分かれ、もう一方の“諸国艦隊”の方へと同時に向きを変えた。進路を変更し並列の状態になった二つのガミラス艦隊は、諸国艦隊の縦隊へ向けて“トの字”の態勢で突入し、諸国艦隊の隊列を寸断してしまった。(※図12参照)

ガデルが解説する。
「この図のように、我々は敵に積極的に近接戦闘を挑み、敵の縦隊戦列を寸断した。そうする事で、我々の艦艇は敵艦の砲火の脆弱な部分や死角に入り込み、集中砲火を浴びせて敵艦隊を壊滅させていった。(※図13参照)

この敵の縦隊戦列への突入は本来、成功すれば効果は絶大だが実行は難しい行為であるとされる。突入するまでの間、砲火の脆弱な艦の正面を敵の最も強力な火線に晒す事になるからだ。その為諸国軍は余程優勢でない限りこれを行う事はなかった。しかし我々は、小型航宙装甲艦の配備によりこの一見困難な用兵を可能とした。
諸国軍が苦手としていた縦隊戦列への突入を我が軍が容易に行えたのは何故か。それは、我々の艦隊が大量の実体弾を装備していた為だ。ミサイルや魚雷といった実体弾はそもそも、弾道が直進するビームと違い味方の頭越しの射撃が可能である為、縦隊が進行方向へ大火力を投射するのに適している(※図14参照)。それ故に諸国軍もまた、我々と同様に実体弾を各種艦艇に装備させていた。しかし、我々は小型航宙装甲艦の配備により圧倒的な数的優位を確保した結果、実体弾の装備数でも敵を圧倒する事となった。 この図を見てもらいたい」

ガデルはホログラムボードにデストリア級とクリピテラ級、そして諸国軍の二等航宙装甲艦の図像を表示し、ヴェルテに指し示した。
「今ここに、二隻の敵の二等航宙装甲艦があったとしよう。我々はこの二隻の艦と概ね同じコストで、デストリア一隻とクリピテラ四隻を配備できた(※24)。それぞれの戦力を比較すると、ビーム兵装は同等である一方で実体弾では大きな差がつく。敵の二等航宙装甲艦は殆どの場合、デストリアと同程度の数の魚雷発射管を装備していたが、クリピテラは艦前方に投射できるものだけで四門の魚雷発射管と、八門のミサイル発射管を装備しているからだ。仮に敵艦の魚雷発射管をデストリアと同じ四門とすれば、単純計算で敵と我が方との間には六倍半もの差がつく事になる(※図15参照)。我々はこの圧倒的な実体弾の火力を利用する事で、敵の縦隊戦列への突入を容易なものとしたのだ」

“低コストで数を揃えられる”特性を巧みに利用したクリピテラ級の効能について述べると、次にガデルはガミラス艦隊と諸国軍艦隊の図を表示した。それを変化させつつガデルは、「従来のガミラスのシステム」が用いた用兵について詳しく言及を始めた。
「我々が採った戦い方について、具体的に説明しよう。我々は次のように雷撃と敵艦隊への近接戦闘を組み合わせた。
まず、我が方の艦隊は同航戦の態勢で敵艦隊に接近する(※図16参照)。射撃戦の始まる距離(※8000km程度)まで近づいた所で、我が方は魚雷を敵の進路上へと発射する。この最初の雷撃で敵の機動が鈍る間(あいだ)、我が方は各中隊の隊列を敵に向け、並列の状態で敵戦列への突入を開始する。(※図17参照)


次に我が方は、各中隊の隊列を敵に対し斜めの態勢で接近させつつ、魚雷とミサイルの第二撃を敵の隊列に向け発射する。敵の砲火が実体弾への対処で分散する隙に、我が方は一気に敵の隊列へと突入する。(※図18参照)

突入に成功し、敵の隊列を横切る際、クリピテラはミサイルを敵艦の直上や直下へと発射し止めを刺す。
その後、我が方は敵の寸断された隊列に十字砲火を浴びせつつ、(敵の)縦隊戦列を蛇行するように横断を繰り返す。そしてビーム砲を用い、敵艦を順次撃破する。(※図19及び図20参照)


以上のようにして、我々は敵の二等航宙装甲艦を壊滅させていった。
敵の用兵の要となるそれら(二等航宙装甲艦)を撃破した後、我々は次に何を行ったのか。それは、敵軍全体の包囲・殲滅だった。我々は敵の二等航宙装甲艦の残存部隊や一等航宙装甲艦、そして敵戦力の中核となる航宙戦闘艦の覆滅を目指したのだ。
殆どの場合、その機会は容易に訪れた。我々が敵の二等航宙装甲艦を撃滅している最中に、敵は主戦力を投入してきたからだ。
今一度、表示された図を見てもらいたい。敵からすれば、危機に瀕した二等航宙装甲艦を救うのに二つの手段が有り得た。一つは交戦中の我が方に近接戦闘を挑み撃滅を試みる事。そしてもう一つは、我が方と距離を置きつつ味方の脱出を援護する事だ。
いずれの手段を採るにせよ、我々はこうして現れた敵の主力をことごとく包囲し、敵全軍を壊滅させていった。
…この図を見てもらいたい。これは我々が行った包囲の一例だ」
そのように言うとガデルはホログラムボードに表示されていた図に手をかざした。ガミラス艦隊に隊列を寸断され、蹂躙されている諸国軍の二等航宙装甲艦部隊の図が、二つの同じ図に分かれる。ガデルはそれぞれに手を触れると、順番に図を変化させていった。
最初の図。味方を救う為に諸国軍の主力がワープアウトし、ガミラス軍に突入する。すると混戦状態となった両軍の周囲にガミラスの大部隊がワープアウトし、両軍を丸ごと包囲した。包囲陣は短時間の内に縮小して諸国軍を圧迫し、その間に包囲陣内部のガミラス軍は包囲を抜け出す。包囲陣内部の諸国軍が壊滅していく間、包囲陣を抜け出したガミラス軍はその周囲を周回し、包囲を抜け出そうとする諸国軍の残存部隊を次々に襲い全滅させていった。(※図21参照)

二番目の図。交戦中の両軍の近辺に諸国軍の主力がワープアウトし、ガミラス軍と距離を置きつつ味方の脱出を援護しようとする。するとガミラス軍が諸国軍主力の近辺にワープアウトし、一等航宙装甲艦部隊と航宙戦闘艦部隊をそれぞれ個別に包囲してしまった。(※図22参照)

ガデルはガミラスが行った「包囲」について言及した。
「図に示した包囲を行うのに、従来の我が軍のシステムは十分な効果を発揮した。
例えば『機動戦における包囲』に必要な『数』は、軍制改革の成果により常に十分に用意できた。諸国軍は大抵の場合、戦場に数百隻から千隻程度、稀に連合して数千隻の兵力を戦場に展開したが、対する我々は複数の師団を動員する事で数千隻から一万隻の兵力を恒常的に展開できた。
そして包囲を成す為の『機動力』では、艦種を統一した我々の艦隊は常に諸国軍を凌駕できた。
さらに、我々の艦隊は師団と旅団のシステムにより、包囲を行うのに最適な布陣を戦場で素早く構築できた。特に『旅団による大規模な小隊の組み換え』は、航宙戦闘艦や一等航宙装甲艦を個別に包囲し、撃滅する隊形の構築を容易なものとした。(※図23及び図24及び図25参照)



一方、諸国軍はこうした我々の包囲に対し、対抗する術を持たなかった。高価で強力な航宙戦闘艦への注力ゆえに『数』で不足し、多様な艦種を抱えるが故に機動力に劣り、更にそれらが柔軟な隊形の構築をも妨げた。
結論として、従来の我が軍のシステムは、『機動戦の原理を追及する』という一点において、諸国軍のシステムを完全に凌駕していたのだ」
イスカンダル帝国の滅亡後、独特の歴史的変化を遂げた大小マゼラン諸国の機動戦をガミラスの考案した機動戦が凌駕し打ち破った。そのように話を纏めると、ガデルは今夜の講義の最初の項目について総括を行った。
「…以上、ここまでは従来の我が軍のシステムについて、その装備や編制、戦い方を俯瞰して述べた。(兄さんが)既知の事柄についていささかくどいまでに説明したが、それにはきちんとした理由がある。それは、これから述べるガトランティスとの戦いで我が軍のシステムがどのように機能しなくなったのか、その過程と理由を述べるのに必須であったからだ。
これまで説明したように、従来の我が軍のシステムは同じ機動戦を行う諸国軍に対しては極めて有効に機能した。それはひとえに、我が軍のシステムが機動戦の原理により忠実であった為だ。その意味で我々は正に、その論理を極限まで追求したという事ができるだろう。

今夜の講義の第一項目について語り終えると、ガデルは一息つき、続いて次の項目へと話を進めていった。
「それでは次に、第二の話題、『戦争の変化をもたらした敵、ガトランティス』について解説する。かつて我が軍を破り滅亡の淵へと追いやったガトランティス軍とは、そもそもいかなる軍隊であるのか。これまでに判明した限りでは、ガトランティス軍は我々と全く異なる兵器システムを有し、全く異なる戦い方をする軍隊だった。彼らと我々の相違点とは何か。ここではそれについての説明を行う」
そのように前置きを述べると、ガデルはガトランティス艦のいくつかをホログラムボードに表示した。
(「ガミラス第二帝国の戦争準備 ガトランティス軍とガデル・タラン(その2)」につづく)

総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/山寺宏一 井上喜久子 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]

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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199】
【genre : アニメ・コミック】