外国映画部門への投票 日本インターネット映画大賞 2015年度

 2015年度はいつにもまして映画を観られなかったので投票するなんておこがましてのだが、点数を付けるでも順番を付けるでもなく、日本インターネット映画大賞への投票を通じて幾つかの作品を応援したいと思う。投票のルールに従って点数を配分したが、点数にあまり意味はない。
 優れた作品、面白い作品はたくさんあるが、応援したい気持ちの強さは、必ずしも優秀さ面白さと一致するわけではない。だから、もっと優れた作品があるのに、と思われることは百も承知だ。それどころか、ヒット作やすでに高評価を得ている作品に比べると、そうでない作品にはより一層応援したいバイアスがかかることをご承知いただきたい。

 各作品についてはリンク先をご覧いただきたいが、素晴らしい映画なのにブログで取り上げられなかったものも少なくない。感想を書きかけのものもある。時間が許せば仕上げたいと思う。

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[作品賞投票ルール(抄)]
・選出作品は3作品以上10作品まで
・1回の鑑賞料金(通常、3D作品、字幕、オムニバス等)で1作品
・持ち点合計は30点
・1作品に投票できる最大点数は10点まで
・各部門賞に投票できるのは個人のみ
・ニューフェイスブレイク賞は俳優か女優個人のみ
・音楽賞は作品名で投票
・以上のルール満たさない場合は賞の一部を無効
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KANO~1931 海の向こうの甲子園~(Blu-ray Disc)外国映画用投票テンプレートに従って投票します 』

【作品賞】
 「KANO 1931海の向こうの甲子園」    6点
 「トゥモローランド」    6点
 「エール!」    6点
 「キングスマン」    6点
 「ヒックとドラゴン2」    6点

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【監督賞】 
 [クリント・イーストウッド] (作品名「アメリカン・スナイパー」)

【主演男優賞】
 [ファン・ジョンミン] (作品名「国際市場で逢いましょう」)

【主演女優賞】
 [マリオン・コティヤール] (作品名「サンドラの週末」)

【助演男優賞】
 [ピエール・コフィン] (作品名「ミニオンズ」)
 【コメント】
  ミニオンたちを一人で演じた彼こそ主演ではないかと思うが、クレジット上は九番目なのでここにした。

【助演女優賞】
 [ラフィー・キャシディ] (作品名「トゥモローランド」)

【ニューフェイスブレイク賞】
 [タロン・エガートン] (作品名「キングスマン」)

【音楽賞】
 「コードネーム U.N.C.L.E.

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 この内容をWEBに転載することに同意する。
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【theme : 洋画
【genre : 映画

日本映画部門への投票 日本インターネット映画大賞 2015年度

 2015年度はいつにもまして映画を観られなかったので投票するなんておこがましてのだが、点数を付けるでも順番を付けるでもなく、日本インターネット映画大賞への投票を通じて幾つかの作品を応援したいと思う。投票のルールに従って点数を配分したが、点数にあまり意味はない。
 優れた作品、面白い作品はたくさんあるが、応援したい気持ちの強さは、必ずしも優秀さ面白さと一致するわけではない。だから、もっと優れた作品があるのに、と思われることは百も承知だ。それどころか、ヒット作やすでに高評価を得ている作品に比べると、そうでない作品にはより一層応援したいバイアスがかかることをご承知いただきたい。
 各作品についてはリンク先をご覧いただきたい。

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[作品賞投票ルール(抄)]
・選出作品は3作品以上10作品まで
・1回の鑑賞料金(通常、3D作品、字幕、オムニバス等)で1作品
・持ち点合計は30点
・1作品に投票できる最大点数は10点まで
・各部門賞に投票できるのは個人のみ
・ニューフェイスブレイク賞は俳優か女優個人のみ
・音楽賞は作品名で投票
・以上のルール満たさない場合は賞の一部を無効
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【作品賞】
 「ラブ&ピース」    10点
 「日本のいちばん長い日」    10点
 「天空の蜂」    10点

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【監督賞】 
 [大根仁] (作品名「バクマン。」)

【主演男優賞】
 [渋谷すばる] (作品名「味園ユニバース」)

【主演女優賞】
 [戸田恵梨香] (作品名「駆込み女と駆出し男」)

【助演男優賞】
 [成河] (作品名「脳内ポイズンベリー」)

【助演女優賞】
 [木村文乃] (作品名「ピース オブ ケイク」「イニシエーション・ラブ」「くちびるに歌を」)

【ニューフェイスブレイク賞】
 [森田甘路] (作品名「イニシエーション・ラブ」)

【音楽賞】
 「くちびるに歌を

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【genre : 映画

スター・ウォーズに見る黒澤明6: 物語の終りと後日譚

(前回「ダース・ベイダーとは何者なのか?」から読む)

スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐 スチールブック仕様 [Blu-ray] 前回見たようにスター・ウォーズ・シリーズのオリジナル三部作と前日譚三部作は表裏の関係にある。そこには黒澤映画の表裏も見て取れる。
 ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を発表した1977年は、まだ認識されていなかったかもしれないが。


■三船敏郎 vs. 仲代達矢

 ルーカスが何度も出演を望んだように、黒澤映画の顔といえば『隠し砦の三悪人』『椿三十郎』等々その半分以上の作品で主演を務めた三船敏郎さんだ。三船敏郎さんは、あるときは志村喬さん演じる師の下で、あるときは加山雄三さん演じる若者の師として力強い男性を演じ、黒澤映画のヒューマニズムを象徴する存在だった。

 ところが、黒澤監督が三船敏郎さんを起用したのは、黒澤ヒューマニズムの集大成にして師弟物語の頂点ともいうべき1965年の『赤ひげ』が最後だった。
 このあと、複数の黒澤映画に主演したのは仲代達矢さんしかいない。三船敏郎さんと決別した黒澤明監督は、『椿三十郎』の強烈な悪役・室戸半兵衛(=ダース・ベイダー)で三船敏郎さんと表裏を成した仲代達矢さんを創作の中心に据えた。

 ルーカスが『帝国の逆襲』(1980年)、『ジェダイの復讐』(1983年)でオリジナル三部作を完成させつつあるのと並行して、黒澤明監督は『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)で仲代達矢さんが主演の悲劇を撮り続けた。そこで黒澤監督が描いたのは、周囲の反対にもかかわらず分不相応な立場に就かせてもらいながら、一瞬にしてすべてを失う哀れな男の物語、身近な者に裏切られ、誰も信じられない中で正気を失ってしまう男の物語だ。
 スター・ウォーズ・シリーズを通して黒澤映画をなぞってきたルーカスの前で、師と仰ぐ黒澤明が狂気と絶望に満ちた悲劇の世界を見せはじめたのだ。

 それを目にしたルーカスが発表した、『ファントム・メナス』の少年アナキン(『七人の侍』の勝四郎)が『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー(『椿三十郎』の室戸半兵衛)に変貌する物語――『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』――は、まさにヨーダの反対にもかかわらずジェダイの騎士に就かせてもらいながら、師であり親友であるオビ=ワン・ケノービも愛する妻パドメも信じられなくなって、正気を失い、すべてを失う男の物語だった。
 オリジナル三部作が三船敏郎さんに象徴される1960年代までの黒澤映画であるとすれば、前日譚三部作は仲代達矢さんに象徴される1980年代の黒澤映画といえよう。転換点に位置する『ファントム・メナス』は、1960年代までの黒澤映画の総決算であると同時に、1980年代の黒澤映画の導入部となっている。


Kagemusha - The Criterion Collection (影武者 クライテリオン版 Blu-ray 北米版) 先の記事で、騎馬武者たちが鉄砲隊に圧倒される映画として『乱』を挙げたが、黒澤明には他にも同様のシチュエーションの映画がある。無敵を誇った武田軍が織田・徳川の連合軍と激突し、鉄砲隊の前に無残な敗北を喫する『影武者』だ。『乱』で描かれた草原の合戦(=ナブーの戦い)とは異なり、荒れ果てた土地で騎馬武者や歩兵が討ち取られていく『影武者』の合戦は、『クローンの攻撃』の惑星ジオノーシスの戦いでジェダイの騎士たちがドロイド軍の銃火を浴びて倒れていく様に似ている。『影武者』の合戦が武田家の終りを印象づけたように、ジオノーシスの戦いはジェダイに守られた共和国の終りを予感させるものだった。

 数々のアクション映画を撮った黒澤監督だが、大規模な合戦を描いたのは『影武者』と『乱』だけだ。『クローンの攻撃』、そして『シスの復讐』も、オリジナル三部作には見られない規模の大戦争を展開する。
 物語に『ジェダイの復讐』のような子供向けの要素はかけらもない、沈鬱な悲劇の映画なだけに、観客を惹きつけるには激しい戦闘とアクションのてんこ盛りが必要と考えたのだろう。

 しかし、『クローンの攻撃』『シスの復讐』と『影武者』『乱』を重ねてみれば、もうひと工夫あったのではないかと察せられる。


■悲劇の中の道化師

 『』はシェイクスピアの悲劇『リア王』を下敷きにして、戦国の武将・一文字秀虎と息子たちの愛憎を描いた作品だ。
 銀河共和国の要職にありながら奸計を巡らして共和国を滅ぼすパルパティーンは、一文字家の長男の正室でありながら奸計を巡らして一文字家を滅亡に追いやる楓の方を思い出させる(楓の方は『リア王』の野心家エドマンドに当たろうが、悪党としてのスケールや悪事を後悔しない点で、パルパティーンはエドマンドより楓の方に近い)。
 パルパティーンの仲間でありながら捨て駒にされたドゥークー伯爵は、楓の方に踊らされた挙句に命を落とす一文字太郎であろうか。

 アナキンを愛し続けたパドメが『シスの復讐』の最後で唐突に死んでしまうのも、一文字家でただ一人秀虎を愛し続けた三郎の唐突な死を模したと考えられる。その源流は、ただ一人リア王を愛し続けたコーデリアの突然の死だ。オリジナル三部作のときはレイアに実母の記憶がある(レイアが幼い頃はパドメが生きていた)と設定されていたのに(だからレイアは『ジェダイの復讐』で「本当のお母さん」について語っている)、その設定を撤回してまで『シスの復讐』でパドメを死なせたのは、このタイミングでの死が悲劇の完成に欠かせないからだろう。
 アナキン最大の悲劇は、一文字秀虎やリア王が自分を愛してくれた者(三郎、コーデリア)の死に接してみずからも息絶えるのに対して、彼の場合は瀕死の重傷を負ったのにパルパティーンの手で生かされてしまうことにある。ダース・ベイダーの黒いマスクの下には、三郎の死に接しても死ねなかった一文字秀虎、コーデリアの死に接しても死ねなかったリア王がいるのだ。何たる苦痛!何たる悲劇!
 ここにスター・ウォーズ・シリーズは、シェイクスピア悲劇を上回る悲劇として完成された。


乱 4K Master Blu-ray BOX 『乱』の中盤、主人公一文字秀虎は、身近な者に裏切られた衝撃と悲嘆から狂気に蝕まれてさまよい歩く。とうぜんのことながら、狂気に取りつかれた男の姿を追いかけるだけでは映画にならない。男が正気を失ったなら、その思いを言葉にしたり、降りかかる不幸や気持ちのすれ違いを説明してくれる人間が必要だ。
 『乱』では、ピーター演じる道化の狂阿弥がその役を果たしていた。『リア王』の道化師に当たるキャラクターだ。狂阿弥は芸を見せたりお喋りするだけで戦いの役には立たないが、いつも秀虎のそばにいて不満をぶちまけたり世をはかなんだりすることで、秀虎の状況を観客に知らしめる。

 狂阿弥を見ていると気づくのだ。前日譚三部作にも、戦いの役に立たなくてベラベラ喋っているだけの道化のようなキャラクターがいたことに。あまりの不人気に出番がなくなったジャー・ジャー・ビンクスだ。

 パドメから妊娠を告げられ、困ったような、無理して笑顔を作ったようなアナキン。親友と妻の不義を疑うアナキン。――実験精神に富むルーカスは、『シスの復讐』でスペースオペラに大人の愛憎劇を織り交ぜることに挑戦している。大人向けの恋愛映画だったら何ということもない三角関係も、子供も観に来るスター・ウォーズ・シリーズで取り上げるのは、とりわけ男女関係の描写が得意とは思えないルーカスには苦労があったはずだ。わずかにC-3POのまぬけぶりが場を和ませるが、そこにジャー・ジャー・ビンクスの破壊的なおしゃべりがあれば、もしかしたら狂阿弥に匹敵するポテンシャルでこの一大悲劇をまとめてくれたのではないか。

 道化師のいない悲劇は語りにくい。
 ジャー・ジャー・ビンクスを退場させることになったのは、ルーカスにとって大きな誤算だったかもしれない。


■スター・ウォーズが描いたもの

 黒澤明は「過去の人」になっていた。
 監督デビュー以来、1965年の『赤ひげ』まで毎年のように新作を発表してきた黒澤監督だったが、古巣東宝と対立し、海外進出に失敗し、身近な者に裏切られ、気違い扱いされた挙句、自殺未遂に至る。60年代後半から70年代にかけて発表した映画はわずかに二本。小品『どですかでん』とソ連映画の『デルス・ウザーラ』だ。もはや日本国内で映画を作ることはできなくなっていた。

 『赤ひげ』が三船敏郎さんの出演する最後の黒澤映画になったが、三船さんはその後も黒澤監督と仕事をしたがったといわれる。
 おそらく黒澤監督はかつてのような力強いヒューマニズムに満ちた映画を撮れなくなっていたのだろう。黒澤ヒューマニズムの象徴である三船敏郎さんとは、もう仕事ができなかったのではないだろうか。

 『どですかでん』から10年ぶりの日本映画、時代劇としては『赤ひげ』から15年ぶりに発表された『影武者』は、人々から尊敬され畏怖された武田信玄が実はただの替玉でしかなかったことを描いて、まるで世界の映画祭で賞を取まくった大監督の素顔が無力な老人であることをさらけ出したような映画だった。
 その五年後、1985年にようやく公開できた『乱』は、黒澤監督が製作発表の席で「天の視点から、人間のやっていることを俯瞰の目で描きたい。」と語った作品だ。「天の視点から」ということは、黒澤明はもう地上にはいないのだ。かつて小さな命を救うために市井の人に交じっていくヒューマニストを描いた黒澤明は、今やはるかな高みから愚かで醜い人間界をただ見下ろしている。黒澤監督は、『乱』の主人公秀虎は自分だと漏らしたそうだが、たしかに名声を轟かせた老人が身近な者に裏切られ、発狂し、死んでいく様は、ここ20年の黒澤自身の人生を振り返るようだった。
 ここには、人間の力強さを高らかに謳った黒澤明のヒューマニズムは微塵もない。


 黒澤明を師と仰ぎ、その映画を徹底的になぞることでみずからの作品を生み出してきたジョージ・ルーカスは、師黒澤の変わりようをどう思ったのだろう。「人間の道」を説き、勇気と希望に溢れた映画で世界の映画人に影響を与え、自分の映画人生を変えた人物が、今は厭世観でいっぱいになっている。なぜ人間はこうも変わってしまうのか。

スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐 スチールブック仕様 [Blu-ray] そしてルーカスは前日譚三部作を作りはじめた。オリジナル三部作を三船敏郎さん主演の力強い黒澤映画とすれば、仲代達矢さん主演の悲劇の黒澤映画にあたる前日譚三部作を。表と裏、陽と陰、対照的な物語。"選ばれし者"アナキンが変貌していく物語だ。
 以前、私は『ジェダイの復讐』までのオリジナル三部作を「黒澤映画の集大成」だと書いた。しかし、前日譚三部作までを含めてみれば、これは単に黒澤映画の影響とか再現ではない。師弟物語スター・ウォーズ・シリーズは、ルーカスが師黒澤明その人を描いたものなのだ。


■スター・ウォーズの後日譚

 「過去の人」になっていた黒澤明。
 その窮地を救ったのはジョージ・ルーカスだった。
 白井佳夫氏、早川光氏との座談会で、尾形俊朗氏はこう語っている。[*]
---
『どですかでん』から『デルス・ウザーラ』当時には、"過去の人"的なニュアンスで語られる気分が世間にあったと思う。ところが『影武者』になると、今をときめくルーカスやコッポラがこぞって黒澤さんを訪ね、手をさしのべた。そこから黒澤明という神話が復権して、今日に至っているわけです
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 1977年に『スター・ウォーズ』が公開され、世界的な大ヒットを記録した。
 一躍時の人になったルーカスが口にしたのは、黒澤明へのリスペクトであった。これは世間の目を黒澤明に向けさせるのに大きな効果があっただろう。
 ルーカスはフランシス・フォード・コッポラとともに『影武者』の制作に協力し、久しぶりの黒澤映画を実現させた。『乱』ではフランスのプロデューサー、セルジュ・シルベルマンが協力した。次の『夢』の実現には、スティーヴン・スピルバーグが尽力した。黒澤監督は世界の映画人に助けられた。

 黒澤明は1993年に30本目の監督作品『まあだだよ』を発表した。随筆家内田百間を題材に、多くのものを失い、経済的にも困窮した師が、弟子たちのおかげで心安らかな日々を取り戻す様子を描いた作品だ。主人公は黒澤明本人だといわれる。この映画が、黒澤明の遺作となった。
 師弟物語『姿三四郎』でデビューした黒澤明は、師弟物語『まあだだよ』で監督人生を終えた。しかし、弟子を導く力強い師を描いた『姿三四郎』とはうって変わり、『まあだだよ』の師は慕ってくれる弟子たちの力添えでようやく日々を過ごしている。師弟の関係はすっかり変わってしまった。

 スター・ウォーズ・シリーズを通して黒澤明を追いかけたルーカスが最後に直面したのは、老い衰えていく師だったのだ。
 ルーカスはスター・ウォーズ・シリーズの後日譚を作らなかった。作れなかったに違いない。師弟物語を作ってきたルーカスにとって、師の衰えはあまりにも酷なテーマだ。
 1998年9月、黒澤明は88歳で没した。
 翌1999年1月、かつてシリーズは全九作と話していたルーカスは、前日譚三部作の公開に当たって全六作と云い直した。このあとはないと断言した。そして『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』の公開がはじまった。


 実は、ルーカスはスター・ウォーズの後日譚を作ろうとしたことがある。「最近の数作品には非常にコストがかかってしまい、従業員にも会社にも申し訳ないと思い、スター・ウォーズの新作に取り掛かろうと考えた。」と2015年末のインタビューで回想している。公開までに四半世紀を費やした戦争映画『レッド・テイルズ』(2012年)が興行面でも評価の面でも惨敗だった頃だろう。
 結局、『レッド・テイルズ』の公開から九ヶ月後にルーカスは自分の会社とスター・ウォーズ関連の諸権利をウォルト・ディズニー社に売り渡した。それでもルーカスは新作に関与し続けるつもりだったが、ディズニーにストーリーの案を拒絶され、手を引かざるを得なくなった。

 実験映画出身のルーカスのことだから、過去スター・ウォーズ・シリーズが世界に衝撃を与えたように、新作もまた見たこともない映像と見たこともない表現で新しい世界を切り開いたかもしれない。それを観られないのは残念だが、会社のために、申し訳なさから無理に後日譚を作ることもないだろう。

 「何であれ、『ジェダイの復讐』の先に語りたい物語はない。語るべきものは本当に何もないんだ。」
 『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』公開の2008年の時点で、ルーカスはきっぱり云い切っている。
 「スター・ウォーズはアナキン・スカイウォーカーとルーク・スカイウォーカーの物語だ。ルークが銀河を守り、アナキンを救ったときが、この物語の終りなんだ。」

 ルーカスはアキラ・クロサワを悲劇から救い、1990年にはスピルバーグとともにアカデミー名誉賞のオスカーを手渡した。
 これ以上、何を語ることがあるだろう。スター・ウォーズ・シリーズは完全無欠の六部作なのだ。


[*] 『異説・黒澤明』 文藝春秋編 (1994) 文春文庫ビジュアル版

スター・ウォーズ コンプリート・サーガ ブルーレイコレクションスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』  [さ行]
監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス
出演/ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ジミー・スミッツ フランク・オズ テムエラ・モリソン ピーター・メイヒュー ジェームズ・アール・ジョーンズ オリヴァー・フォード・デイヴィス アーメッド・ベスト
日本公開/2005年7月9日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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【theme : スター・ウォーズ
【genre : 映画

tag : ジョージ・ルーカス ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ジミー・スミッツ

スター・ウォーズに見る黒澤明5: ダース・ベイダーとは何者なのか?

(前回「『ファントム・メナス』の主人公は誰?」から読む)

スター・ウォーズ コンプリート・サーガ ブルーレイコレクション これまで見てきたように、スター・ウォーズ・シリーズの主要な登場人物は黒澤映画の中にモデルを求めることができる。にもかかわらず、シリーズ随一の悪役で人気の高いダース・ベイダーについては、黒澤映画の誰に当たるのか敢えて考察してこなかった。考察するまでもないからだ。

 アクション映画やサスペンス映画の傑作をものにしてきた黒澤明監督は、多くの悪役も創造してきた。腹黒いヤツ、ずるいヤツ、臆病なヤツ等々、様々な悪役が登場したが、総じて人間的には薄っぺらで存在感に乏しかった。ヒューマニストの黒澤監督は、あまり悪役の描写に注力する気がなかったのだろう。そんな時間があるなら、優しさや勇気や哀しみを描くほうが大事だったのだ。
 その中で唯一、武芸に秀でて頭脳明晰、行動力もあって主人公に勝るとも劣らぬインパクトを与えるのが、『椿三十郎』の室戸半兵衛だ。

 室戸半兵衛の立場はダース・ベイダーとほぼ同じである。部下を率いて追跡や攻撃の前面に出て活躍するが、黒幕は別にいて、今は黒幕の一人の懐刀に収まっている。主人公の腕を見込んで、黒幕を倒してすべてを自分たちで牛耳ろうと持ちかける。

 『スター・ウォーズ』を観ただけだと、皇帝とデス・スターの司令官グランド・モフ・ターキンとダース・ベイダーの主従関係、指揮命令系統がいま一つ判りにくい。
 けれども、室戸半兵衛が大目付の菊井の懐刀であり、菊井には共謀する次席家老の黒藤らがいることを思えば、帝国側の複雑な構成にも合点がいく。日本の時代劇の観客は、いちいち説明されなくても城主とか次席家老とか大目付の位置付けが、例えば企業の代表取締役、取締役、監査役のようなものだと判る。本来なら命令系統から離れたところで家老たちを牽制すべき大目付(監査役)までが悪事に加担しているから『椿三十郎』の陰謀は根が深いのだが、『スター・ウォーズ』ではこの人間関係を何の説明もなく再現しようとして判りにくいのだ。
 幸いにもシリーズ化できたから帝国側の複雑な設定を活かせたが、『宇宙の7人』が悪のキャラクターを独裁者セイドアに集約したように、単発の映画はシンプルに作るのが一般的だろう。

Yojimbo & Sanjuro - The Criterion Collection (用心棒 & 椿三十郎 クライテリオン版 Blu-ray 北米版) 『椿三十郎』のファンなら、『スター・ウォーズ』のデス・スターにおけるオビ=ワン・ケノービとダース・ベイダーの一騎打ちを観てニヤリとするに違いない。
 これもよく考えると不思議な場面だ。剣を持っているのはオビ=ワン・ケノービとダース・ベイダーの二人だけ。他の人物は銃を撃ったりするものの、実際には一騎打ちの傍観者と化している。銃を撃ち合う相手はストーム・トルーパーであり、ルークもハン・ソロもベイダーを狙って一騎打ちに割り込んだりしない。『スター・ウォーズ』は息もつかせぬストーリー展開で、並行して幾つもの事件が起きながら次から次へと場面が変わっていくのに、ここだけストーリーの流れが止まったようにみんなが一騎打ちの終りを待っている。そもそも、ジョージ・ルーカスがオビ=ワン・ケノービを単独行に出させたのも、ダース・ベイダーとの一騎打ちに持ち込みたかったからだろう。それほどルーカスが重視した、描きたい場面だったのだ。
 これは明らかに『椿三十郎』の一騎打ちの再現だ。若侍たちが見守る中、椿三十郎と室戸半兵衛が対決する、あの有名なシーンである。ルーカスの希望どおりオビ=ワン・ケノービ役のオファーを三船敏郎さんが受けていれば、三船敏郎さんが演じた椿三十郎と仲代達矢さんが演じた室戸半兵衛の一騎打ちの完璧な再現になるはずだった。


 黒澤映画には珍しく、弱みも愚かさも見せない悪役、室戸半兵衛。彼は主人公椿三十郎の個性を浮き彫りにするための、三十郎の対になる存在だから、三十郎と同じく生い立ち等は一切明かされていない。そんなものは明かさなくても、三十郎と半兵衛がいれば映画を進行する両輪になる。

 だが、ヒーロータイプの人物ばかりの黒澤映画にあって、半兵衛は異色のキャラクターだ。いったいどうしてこれほど悪に染まった人間ができあがったのか、知りたくなるのは人情だ。

 残念ながら、そのヒントはどこにもない。
 ――と私は思っていた。多くの人がそう思ったに違いない。
 しかし、ルーカスの目のつけどころは違った。


七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版■『ファントム・メナス』の分岐点

 1954年の発表から半世紀以上を経て、今なお高く評価される黒澤監督の『七人の侍』。それは世界の映画人を魅了してきた。1960年の『荒野の七人』をはじめ、リメイクや亜流は数知れない。
 それほど愛される作品だから、続編を見てみたい人も多いはずだ。あの侍たちのその後を映画にしたら、どんなに面白いだろう。黒澤監督は続編を作らなかったが、リメイク作『荒野の七人』は次々に続編が作られ、第四弾『荒野の七人/真昼の決闘』まで発表された。いずれも、『七人の侍』のリーダー島田勘兵衛に相当するガンマンのクリスが、新たな七人を集めて戦う話だ。

 そうなのだ。『七人の侍』でかっこいいのは島田勘兵衛なんだから、彼のさらなる活躍を見たい。そう発想するのが普通だ。
 七人の中で一番の若輩者、戦いの場では感情に任せて取り乱し、恋の試練におたおたする岡本勝四郎のその後を描こうなんて考える映画人は、世界中でジョージ・ルーカスただ一人だろう。

 『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』で『七人の侍』に再挑戦したもう一つの理由。それは新たな三部作の主人公として、岡本勝四郎を引っ張り出すことだったに違いない。
 前回の記事で、『ファントム・メナス』と『七人の侍』の登場人物が一対一に対応すること、中でも岡本勝四郎はアナキン・スカイウォーカーに相当することを述べた。であるならば、岡本勝四郎こそダース・ベイダーに、室戸半兵衛のような悪の剣士になるはずだ。ルーカスにはそういう発想があったはずだ。

 私は『七人の侍』を何度も観たが、前日譚三部作を通してルーカスに指摘されるまで、そのことに思い至らなかった。岡本勝四郎がダース・ベイダーのようになるほどひどいヤツには見えなかったからだ。
 たしかに勝四郎は未熟者だ。感情に任せて取り乱すことがある。恋をするのもはじめてなのだろう。あとさき考えず突っ走りがちだ。だが、勘兵衛を尊敬する勝四郎は、勘兵衛の指導を受ければ立派な侍になりそうだった。勘兵衛という重しがあるから、勝四郎は心配なさそうだった。

 勘兵衛さえいてくれたら。
 勘兵衛――クワイ=ガン・ジンは死んでしまった。ジョージ・ルーカスは『ファントム・メナス』で島田勘兵衛に当たるクワイ=ガン・ジンを殺してしまった。感情的になって突っ走りやすい若者を、一人で放り出してしまった!

 『ファントム・メナス』でクワイ=ガン・ジンを死なせた意図はそこにあったのか、と私は得心した。
 「ファントム・メナス(The Phantom Menace)」、訳して「見えざる脅威」とは、密かに陰謀を巡らせるダース・シディアスを指しているといわれる。たしかにそれはそうなのだが、ダース・シディアスの計画はアナキンがダークサイドに堕ちることにかなり依存している(メイス・ウィンドゥがダース・シディアスを追い詰めたとき、アナキンがメイス・ウィンドゥ側についていればダース・シディアスの命運は尽きていたかもしれない)。アナキンを見守り、その重しとなり、ライトサイドに導く者がいれば、アナキンも共和国も違う運命をたどったかもしれない。『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』を観たあとなら判る。『ファントム・メナス』のクワイ=ガン・ジンの死が、大きな岐路だったのだ。アナキンのマスターを務めるはずだったクワイ=ガン・ジンの死によって、アナキンを抑える者はいなくなってしまった。それこそが「見えない脅威」だったのだ。

 クワイ=ガン・ジンの遺志を継いでアナキンの師になったのはオビ=ワン・ケノービである。オビ=ワンは『七人の侍』の七郎次に当たる。優れた侍だし、勘兵衛の思いにもっとも忠実な男だが、勘兵衛ほどの器ではない。七郎次に勝四郎を御せるとは思えない。

 三部作を通してのオビ=ワン・ケノービの変化は、よく計算されていると思う。エピソード1の頃はようやくパダワン(弟子)を卒業する若者。エピソード2ではアナキンの師たろうとするも、アナキンとの衝突が目立った。エピソード3でようやく包容力のある人格者になっている。エピソード3での成熟を観れば、オビ=ワン・ケノービといえどもエピソード2では成長過程にあったのだと感じるし、ましてエピソード1でアナキンの教育を引き受けた頃はさぞや未熟だったのだろうと察せられる。成熟したあとのオビ=ワン・ケノービに師事できたルークは幸せだ。
 もちろんアナキンを御しきれなかったのはオビ=ワン・ケノービだけが悪いのではない。ダース・シディアスが一枚も二枚も上手だったのだ。

 ここで、黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』の命題が思い出される。
 誤った者に師事すれば、誤った道に堕ちてしまう。
 オリジナル三部作で姿三四郎の師・矢野正五郎の教えを再現したルーカスは、前日譚三部作を通して正五郎に出会う前の三四郎を、すなわち柔道(ライトサイド)ではなく柔術(ダークサイド)の弟子のままだった場合を突き詰めていく。強いことに慢心し街で大暴れした三四郎に、矢野正五郎が「人間の道」を説かなかったら、この青年はどうなっていたのか。『姿三四郎』冒頭の命題が、スター・ウォーズ・シリーズ全編を覆っている。


スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃 スチールブック仕様 [Blu-ray]■二重らせん構造のスター・ウォーズ

 『ファントム・メナス』の少年アナキン(『七人の侍』の勝四郎)がどのようにして『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー(『椿三十郎』の室戸半兵衛)に変貌したのか。それを描くために、ジョージ・ルーカスは前日譚三部作とオリジナル三部作を対照的なものにした。

 師の違いばかりではない。ルークが成人になるまで家族の許で暮らせたのに対し、アナキンは幼くして母から引き離されてしまう。そして二人は正反対の環境で育つ。

 環境の違いで目に付くのがコルサントだ。オリジナル三部作では頑として登場させなかった銀河の中央、首都惑星コルサントを、前日譚三部作では主な舞台としている。ルーカスが描くコルサントは、多くの場合、緊張を強いる夜だったり、没落を予感させるたそがれだったりする。
 そこは故郷を後にした若者が夢に向けて邁進するところではない。腐敗と怠慢に覆われ、権謀術数が渦巻く世界だ。都会のねじれた生活を強調するため、ルーカスはエピソード1に飛び切り美しい惑星ナブーと賑やかで活気のある惑星タトゥイーンを登場させた。それら辺境の星にいるときのパドメやアナキンは(重責や自由の制限はあるものの)健全だった。エピソード1の明るい二人を見ているだけに、エピソード2や3の都会暮らしがいかにも辛そうに感じられる。

 都会が人間性を歪め、不健康な社会を作るという考えは、多くの創作物に見られる。
 高畑勲氏が演出を務めたテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』では、自然豊かな地方でのびのび育った少女が、都会に行って精神を病んでいく様子が描かれた。『アルプスの少女ハイジ』に場面設定・画面構成とクレジットされた宮崎駿氏は、自身の監督作『未来少年コナン』において、人間性を奪う都市インダストリアと農漁業で大らかに暮らす村ハイハーバーを対比した。高畑勲、宮崎駿両氏の作品では、「都会」と「反都会的な理想の共同体」の対比が重要なモチーフだった。
 故郷を出たがっていた田舎の青年ルークが、遂に都会に行かなまま辺境で過ごすうちにハッピーエンドを迎えるオリジナル三部作。対して、幼いうちに都会に出る機会に恵まれたアナキンが、最悪の悲劇を迎える前日譚三部作。スター・ウォーズ・シリーズでは、二つの三部作が揃うことでルーカスの文明観が明確になる。

 とはいえ、「反都会的な理想の共同体」を夢見た高畑勲氏が、そんなものはない現実に気づいて『かぐや姫の物語』を作ったように、都会の歪みを描いたルーカスも単純に辺境を称賛するわけではない。そこは原始的なパワーがあるかもしれないが、同時にタスケン・レイダー等が跋扈する危険な場所でもある。ルーカスはどちらがいいとは主張せず、六作を通して都会と辺境の性質の違いをあぶり出している。


 両三部作は恋愛においても対照的だ。
 恋愛映画を盛り上げるのは何といっても三角関係だが、ルークとレイアとハン・ソロの三角関係が、ルークとレイアが兄妹だったことで都合よく解消されてしまうオリジナル三部作に対し、前日譚三部作ではオビ=ワン・ケノービとパドメの不義を疑ったアナキンが(現実には不義密通がないにもかかわらず)自分たちを破滅に追い込んでしまう。アナキンの悲劇を観たあとでは、兄妹話で三角関係を解消するオリジナル三部作はいかにも喜劇である。

 恋愛については、ジェダイの掟も障害となる。ジェダイの掟が恋愛を禁じていることが、アナキンとパドメを悩ませるのだ(もちろん障害があればかえって恋は燃え上がる)。
 面倒なジェダイの掟が『クローンの攻撃』で突然出てきたように感じられるが、この設定も『七人の侍』の影響だろう。『七人の侍』では良家の武士岡本勝四郎と農村の娘志乃との、身分・立場が違う中での密かな恋が描かれた。これをスター・ウォーズの世界に反映させるために、ルーカスは恋の邪魔になるジェダイの掟を考案したのだろう。


スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐 スチールブック仕様 [Blu-ray]■「これで自由は死んだわ。万雷の拍手の中でね。」

 対照的な二つの三部作だが、ジョージ・ルーカスの考えは一貫している。それどころかルーカスは、学生時代の1967年に撮った短編映画『電子的迷宮/THX 1138 4EB』から、それを長編化したデビュー作『THX 1138』、そして2005年の『シスの復讐』まで、その訴えるところは変わらない。管理社会の拒絶と人間性の解放だ。

 『THX 1138』は未来の超管理社会で主人公が人間性に目覚める話だった。
 『スター・ウォーズ』と二つの続編の根底にあるのは、画一的な支配を強要する<帝国>からの人々の解放だ。

 一方で前日譚三部作は、徐々に自由を失っていく恐怖を描いている。この三部作で特に重要なセリフは、元老院の採決を目にしたパドメのつぶやきだ。

 So this is how liberty dies, with thunderous applause.
 (これで自由は死んだわ。万雷の拍手の中でね。)

 圧政で人々を苦しめるパルパティーンは、暴力で権力を奪ったのではない。策は弄したが、あくまで多くの人に望まれ歓迎されて、正規の投票を経て銀河帝国皇帝に就任したのだ。人々がみずから自分の自由を奪い、戦禍を招いてしまう。これは過去、そして現在の、現実の世界で起きていることだ。
 このひと言を聞くためにも、前日譚三部作を世界中の人に繰り返し観て欲しいと思う。


 ルーカスはスター・ウォーズ・シリーズ全編を通じて、他者を管理し、自由を奪う者には冷たく、他者を愛しむ者は丁重に扱っている。
 一作目『スター・ウォーズ』で、ルークのおじさん、おばさんが本シリーズには珍しくむごい死に方をするけれど、おじさんはルークの自由を奪い管理する、ルークにとっての最初のハードルだった。

 前回、『七人の侍』の島田勘兵衛がクワイ=ガン・ジンとメイス・ウィンドゥに投影されていると書いたが、劇中での両者の扱いは正反対だ。
 勘兵衛の人格面を反映させたクワイ=ガン・ジンは、その死をみんなに惜しまれ、手厚く葬られる。他方、勘兵衛の指導的な立場や外形的な面を反映させたメイス・ウィンドゥは、アナキンの意志を抑えつけて命令する存在だったから、劇中で極めて冷淡に扱われる。ダース・シディアスとの戦いに敗れた彼は窓の外に吹き飛ばされ、ただ小さく消えるだけなのだ。ジェダイ評議会の長という重要な人物でありながら、その死は誰にも顧みられない。

 ルーカスの一貫性を考えるとき、オリジナル三部作と前日譚三部作はどこも欠かせない大きな物語の一部なのだと痛感する。

(次回「物語の終りと後日譚」につづく)


スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃 スチールブック仕様 [Blu-ray]スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』  [さ行]
監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス  脚本/ジョナサン・ヘイルズ
出演/ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド ペルニラ・アウグスト クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ジミー・スミッツ フランク・オズ テムエラ・モリソン ダニエル・ローガン ジャック・トンプソン オリヴァー・フォード・デイヴィス アーメッド・ベスト
日本公開/2002年7月13日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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【theme : スター・ウォーズ
【genre : 映画

tag : ジョージ・ルーカス ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド ペルニラ・アウグスト クリストファー・リー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー

スター・ウォーズに見る黒澤明4: 『ファントム・メナス』の主人公は誰?

(前回「『ジェダイの復讐』の終りはあれでいいの?」から読む)

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』を公開したのち、ジョージ・ルーカスには思うところがあったのだろう。
 『七人の侍』をベースに三部作をつくることで、黒澤明をリスペクトしつつ、自己のテーマを前面に打ち出した、はずだった。しかし時間が経てば、やり残したこと、足りなかったことが気になるものだ。そして以前は見通せていなかったものも見えてくる。

 九部作構想を打ち上げたにもかかわらず、スター・ウォーズ・シリーズに関しては休眠同然になってしまったルーカスが、再びこのシリーズに向き合うことにしたのは、相応の問題意識があったからに違いない。その問題を解消することが、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』を作る意義の一つだったはずだ。

 すなわち、『ファントム・メナス』にはじまる前日譚の三部作を観れば、先行するオリジナルの三部作に欠けていたものが浮き彫りになるはずだ。ルーカスをして、オリジナル三部作だけで終わらせるのは片手落ちだと危惧させたもの。オリジナル三部作に加えて前日譚三部作を作れば、(たとえ後日譚三部作がなくても)シリーズは完成だと考えさせたもの。それらがルーカスを突き動かして、新たな三部作を、全六部作を作らせたはずだ。

 単にスター・ウォーズ・シリーズを観るだけでは判りにくいが、これまで述べたようにこのシリーズが黒澤映画をベースにするなら、特に『七人の侍』の再現を目指したならば、『七人の侍』とオリジナル三部作の違いを知ることで、ルーカスのやり残したこと、足りなかったことが見えてくるだろう。

 そう考えて改めて眺めると、オリジナル三部作の問題点に気づく。


■ルークはそこにいなかった

 ジョージ・ルーカスは(米国の他の映画人同様)とても思慮深く、世の中の政治的・社会的側面への関心も強い人だと思う。それは何も政治活動をしているとか、実生活がどうだということではなく、映画の題材の選び方や、作品に込められたメッセージから感じるのだ。そんな人でなければ、人間性と管理社会の問題を取り上げた『THX 1138』のような映画は作らないだろう。興行面での憂いがなければ、ルーカスはこのデビュー作のような映画をずっと作り続けたのではないか。
 そんなルーカスだから、娯楽作のスター・ウォーズ・シリーズといえど政治的にも社会的にもきちんとさせたかったはずだ。手本にした『七人の侍』が、切れのいいアクション映画でありながら、人間性の掘り下げにおいても社会の洞察においても優れた映画であったように。

 それだけに、『ジェダイの復讐』にはいささか気になるところがある。イウォーク族の扱いが、未開種族を見下しているようなのだ。イウォークがC-3POを神様と思い込んだのを利用するのは相手の無知と愚かさにつけ込むようだし、レイアが食べ物を与えて仲良くなるのは動物の餌付けのようだ。そんなつもりではないのだろうが、原始的なパワーを強調しようとしてイウォーク族を未開に描き過ぎている。

七人の侍 クライテリオン版 Blu-ray 北米版 『七人の侍』の農民と侍の関係はまるで違う。もちろん立場や技能の違いはあるが、農民と侍それぞれの至らないところや浅はかなところを描いた上で、両者の溝を埋める過程が丁寧に描写されていた。だから侍の「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」という言葉に重みがある。

 ルーカスもはじめは判っていたはずだ。ルークがウーキーの部族長と決闘し、相手に勝って種族の信頼と支持を勝ち取るという初期構想は、未開種族の無知につけ込んで焚き付けるのではなく、相手の文化を異質だが対等のものとして尊重することだったに違いない。
 背景にベトナム戦争があるというなら、最後は二つの社会の融和を描かなければならなかったのに、『ジェダイの復讐』はそこまで踏み込めなかった。


 ルークの扱いも上手くない。
 初期構想ではルークがウーキーの信頼と支持を勝ち取り、帝国攻撃を率いるはずだった。けれども『ジェダイの復讐』ではルークとイウォーク族にほとんど交流がない。複数の事件が並行して進む緊迫感を好むルーカスは、『ジェダイの復讐』でもエンドア上のシールド発生機破壊作戦と第2デス・スター内のルークとダース・ベイダーの対決を並行して描いたからだ。このためルークは、イウォーク族がシールド発生機を襲撃する場からいなくなってしまった。

 ルークを農夫出身にしたことが活かされていない。『七人の侍』では、菊千代が侍と農民のあいだを取り持ち、彼の農民出身という設定が欠かせないものになっていた。『七人の侍』に照らして考えれば、お姫様育ちのレイアは未開種族との接し方が判らず、裏街道で生きてきたハン・ソロも勝手が判らず、辺境の諸種族とやりとりして暮らしていたルークだけがイウォーク族と交流できる……という展開が期待されるところだった。


 『七人の侍』の三部構成、すなわち仲間が集まり敵との戦いに盛り上がる第一パート、旅を経てキャラクターの心情や悩みを掘り下げた第二パート、戦いの中で人々の命運が決まる第三パートを、そのまま当てはめて三部作にしてみたものの、総じて『七人の侍』の緻密で完璧な構成には及ばなかった感がある。
 ルーカスほどの人が、これらの問題に気づかないはずはない。

 そこでルーカスは『七人の侍』に再挑戦した。
 『ファントム・メナス』で。


スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス■メイス・ウィンドゥがハゲてる理由

 ジョージ・ルーカスが前日譚三部作の脚本執筆に取りかかったのは1994年である。『ジェダイの復讐』の特別篇が公開された1997年には『ファントム・メナス』を撮影しているから、特別篇の改変は『ファントム・メナス』の内容を固めた上で行われたのだ。
 『ジェダイの復讐』の特別篇でいったん『七人の侍』らしさを薄めたのは、この後でルーカスなりの『七人の侍』を提示する目途が立っていたからだろう。

 『ファントム・メナス』はとても丁寧に『七人の侍』をなぞっている。
 『ファントム・メナス』と『七人の侍』のストーリーを簡単に追ってみよう。

『七人の侍』『ファントム・メナス』
野武士集団に狙われた農村。村人たちは相談の上、侍を雇うため町に向かう。通商連合の攻撃対象にされた辺境の惑星ナブー。アミダラ女王らはナブーの窮状を訴えるために銀河共和国の首都コルサントに向かう。
村人は、町で雇った侍を村に連れて帰る。旅の途中で加わった者も入れて、侍は七人だった。アミダラ女王らは、護衛の名目のジェダイの騎士クワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービをナブーに連れて帰る。旅の途中で加わったアナキンらも一緒だった。
七人の侍は、侍を警戒する農民たちの理解を得て、ともに戦う準備をする。一行は、ナブーの水棲人グンガンの理解を得て、ともに戦う準備をする。
野武士集団に比べれば貧弱な装備ではあるが、農民たちは善戦し、雇った侍とともに勝利する。バトル・ドロイド軍団に比べれば貧弱な装備ではあるが、グンガンたちは善戦し、ジェダイの騎士や地上人とともに勝利する。
戦いの犠牲になった者を弔い、村人たちは賑やかに田植え唄をうたう。戦いの犠牲になった者を弔い、グンガンの賑やかな音楽に乗せて水棲人と地上人の平和共存を宣言する。


 こうして俯瞰してみると、『ファントム・メナス』の奇妙な構成にも得心する。
 クワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービは『ファントム・メナス』の冒頭で惑星ナブーに到着しているのに、いったん首都コルサントに戻り、また惑星ナブーに赴く。なんだか銀河を行ったり来たりしてるように感じるのは、本来は首都コルサント(町)で登場すればよいジェダイの騎士(侍)を最初に出してしまったからだ。
 『新たなる希望』では映画開始から20分も主人公を出さないという斬新な手法に踏み切ったルーカスも、さすがに映画開始からアミダラ一行が帰途につくまでの一時間半もクワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービを出さないわけにはいかなかったのだろう。

 しかもオリジナル三部作でオビ=ワンが「アナキンと出会ったとき、彼はすでに名パイロットだった」と口にしてしまっているから、九歳なのに名パイロットという不合理を説明するためにポッド・レースのシークエンスを必要とした(オビ=ワンは「戦闘機の名パイロット」とは云ってないから、ポッド・レースでもOK)。となると、映画の前半が盛り沢山になるので、ますますクワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービを早く出しておかねばならない。
 スター・ウォーズの世界と『七人の侍』を融合させようとするルーカスの苦労がしのばれる。


スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 登場人物も『七人の侍』にならっており、両作での行動やラストの立ち位置を見れば、登場人物がほぼ一対一で対応していることが判る。
  • 優れた知恵者で武術も一流、リーダー格の島田勘兵衛は、ジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジン。
  • 島田勘兵衛と付き合いが長く、その片腕となって活躍する七郎次は、クワイ=ガン・ジンのパダワン(弟子)であるオビ=ワン・ケノービ。
  • 一行の中の最年少、まだ未熟者で員数外として扱われもしたが、戦いではちゃんと役に立つ岡本勝四郎は、ジェダイになることを反対されたアナキン・スカイウォーカー。村に逗留した勝四郎が、村の娘と恋仲になるところも、アナキンとアミダラの恋に反映されている。
  • 寡黙ながら腕が立ち、いつもそばにいて敵を倒してくれる久蔵は、ナブー王室警備隊のパナカ隊長であろう。
  • アミダラは勝四郎と恋仲になる現地の娘でもあるが、道中や戦いにおいては、思慮深く人望の厚い片山五郎兵衛。
  • 戦いの腕はいま一つだが、ムードメーカーとして存在感のある林田平八はR2-D2。

 面白いのは、私がもっとも好きなキャラクター島田勘兵衛が、『ファントム・メナス』では二人の人物に投影されていることだ。知恵が回り、包容力もあり、誰からも信頼される人格面はクワイ=ガン・ジンに、侍たちのリーダーとしての立場や剃髪、服装等の外形的な面はメイス・ウィンドゥに託されている。
 おそらくルーカスも島田勘兵衛に思い入れがあり、勘兵衛に相当する人物を是非とも出したかったのだろう。だが、勘兵衛ほどの人格者がジェダイの騎士たちの中心にいれば、アナキンがダークサイドに堕ちるはずがない。そこでルーカスは、勘兵衛の人格面と外形的な面を分離し、人格面のキャラクターは存分に活躍させた上で重要な伏線として丁重に葬り(この伏線については次回述べる)、外形的な面のキャラクターを勝四郎(アナキン)に厳しく当たる存在として残したのではないか。

 時代劇を見渡しても、出家せずに剃髪している武士のヒーローは島田勘兵衛くらいだろう。武士は髷が結えないほどハゲてきたら隠居するのが慣わしだったそうだから、ハゲ頭のまま活躍したらおかしいのだ。それなのに躊躇なく剃髪するところに勘兵衛の凄さがある(勘兵衛がなぜ剃髪したかは『七人の侍』の序盤で明らかになる)。
 スター・ウォーズ・シリーズには無毛のエイリアンもいるから判りにくいが、人間(地球人型)のジェダイでハゲているのはメイス・ウィンドゥだけだ。『ファントム・メナス』の撮影時は毛があったサミュエル・L・ジャクソンに、わざわざ頭を剃らせたところに、勘兵衛の影響が見て取れる。

 さて、前回説明したように、『七人の侍』の主人公は三船敏郎さんが演じた菊千代だ。
 登場人物の対応を見ていくと、もう彼しかいないだろう。
 『ファントム・メナス』の真の主人公はジャー・ジャー・ビンクスなのだ。


■ジャー・ジャー・ビンクスは三船敏郎!?

 もちろん前日譚三部作を通しての主人公はアナキン・スカイウォーカーだ。
 しかし、九歳の彼にもそれなりの見せ場はあるものの、こと『ファントム・メナス』に限れば、物語を引っ張るのはクワイ=ガン・ジンやアミダラだ。そしてルーカスが重要なテーマという「発展途上の社会が先進社会に立ち向かう様子」を体現しているのがジャー・ジャー・ビンクスだ。

ブロマイド写真★『スター・ウォーズ/EP1』ジャー・ジャー・ビンクス/驚く 『ファントム・メナス』におけるジャー・ジャー・ビンクスの位置づけは、『七人の侍』における菊千代にそっくりだ。
 菊千代は侍ではない。だから勘兵衛は菊千代を仲間にするつもりではなかったのだが、なりゆきから行動をともにすることになる。へらず口をたたいてばかりの菊千代は、とんだ邪魔者だ。
 勘兵衛たちは農村に到着するが、農民にすれば勘兵衛たちも野武士と同じ侍。容易に打ち解けるものではない。そこで両者のあいだを取り持ったのが菊千代だ。農民と侍の接点となる菊千代がいたおかげで、生き方も考え方も違う両者が共闘することになる。
 この内容は、勘兵衛をクワイ=ガン・ジンに、農民をグンガンに、菊千代をジャー・ジャー・ビンクスに置き換えれば、そのまま『ファントム・メナス』になるだろう。

 『ジェダイの復讐』と『ファントム・メナス』との違いは、同じように原住民の力を借りて戦いながら『ファントム・メナス』が相手の文化を尊重し、二つの社会の融和を強調していることだ。『ファントム・メナス』がグンガンの族長ボス・ナスの「Peace!」という言葉で締めくくられることからも、ルーカスがこれを重視しているのが判る。
 その大事なテーマの体現者であり、かつて出演を熱望した三船敏郎さんに相当するキャラクターが、主人公でなくてなんだろう。


 しかし、ジャー・ジャー・ビンクスは大失敗だった。架空のキャラクターなのに第20回ゴールデンラズベリー賞の最低助演男優賞を受賞した上、2006年のアンケートでは映画史上もっとも不愉快なキャラクターの1位に選ばれてしまった。これほど嫌われるキャラクターも珍しい。
 『七人の侍』の菊千代は嫌われるどころか人気者なのに、いったいこれはどうしたことか。

 失敗の理由は、ジャー・ジャー・ビンクスがブロンだったからだ。
 ブロンといっても、エスエス製薬のクスリでもフランスの地名でもない。ここでいうブロンは、星新一氏の小説『リオン』に出てくる果物のことだ。植物学者がブドウとメロンを掛け合わせて、メロンのように大きな実がブドウのようにたくさんなる果物を作ろうとしたが、できたのはブドウのように小さな実がメロンのように少ししかできない果物だった、という切ない話だ。與那覇潤氏が「二つのもののいいとこ取りをしようとして、悪いところの組合せになってしまう」ことの例えとして、しばしば持ち出す話である。

 ジャー・ジャー・ビンクスが何からできているかというと、一つはもちろん『七人の侍』の菊千代だ。もう一つはルーカスがDVDの音声解説で明かしている。喜劇王バスター・キートンだ。
 なるほど、ジャー・ジャー・ビンクスの滑稽な動きは、バスター・キートンそのものだ。特にクライマックスの戦いで、斜面を転がる大きな玉に追いかけられるシーンは、『キートンのセブン・チャンス(キートンの栃麺棒)』の再現だ。キートンが斜面を逃げ回るところは抱腹絶倒の名場面。高畑勲・宮崎駿コンビも『ルパン三世』第20話「ニセルパンを捕えろ!」でそっくりそのまま再現している。

 ルーカスとしては、三船敏郎さんが演じて強烈な印象を残した菊千代と、喜劇王と呼ばれたバスター・キートンを混ぜることで、最強の人気者を誕生させようとしたのだろう。
 しかし、へらず口をたたきながらも戦いではしっかり活躍する菊千代と、普段は寡黙で目立たないが失敗続きで笑わせるバスター・キートンを混ぜた結果、お喋りがうるさい上に失敗ばかりで役に立たない最悪のキャラクターができてしまった。これほどひどいブロンの例はまたとあるまい。

 エピソード2以降になると、ジャー・ジャー・ビンクスの出番は哀れなほど減ってしまう。
 不人気ゆえの処置だろうが、少々擁護しておくと、二つの社会の架け橋となる彼の(菊千代としての)役割は『ファントム・メナス』をもって終わっていたから、もとより出番は削減可能だったのだ。


隠し砦の三悪人■さらなる黒澤映画への傾倒

 『ファントム・メナス』の下敷きになった黒澤映画は、『七人の侍』だけではない。

 アミダラ一行の脱出行では、一作目『スター・ウォーズ』と同じく『隠し砦の三悪人』を取り入れている。
 『隠し砦の三悪人』の雪姫は正体を隠して村娘に扮し、身代わりを立てて行動したが、『スター・ウォーズ』のときはこの要素だけ取り入れていなかった。『ファントム・メナス』のアミダラは雪姫を真似て侍女に扮し、影武者を立てて行動する。

 『スター・ウォーズ』の初期の草稿では、雪姫が村娘から姫らしい格好に戻ったように、見違えるようにきれいになったレイア姫が登場するラストが考えられていたようだが、完成した『スター・ウォーズ』では少々着飾っただけだった。身分を隠さないレイア姫に、雪姫のような劇的な変化は難しかったのだろう。
 『ファントム・メナス』ではこの構想も復活して、映画の最後に美しく着飾ったアミダラが登場する。

Kagemusha - The Criterion Collection (影武者 クライテリオン版 Blu-ray 北米版) 1977年公開の一作目のときは影武者の設定を使わなかったルーカスが、1999年の『ファントム・メナス』から積極的に使うようになったのは、プロデューサーとして関わった1980年の『影武者』の影響も考えられる。黒澤監督にカンヌ国際映画祭グランプリ(現パルム・ドール)をもたらした『影武者』によって、ルーカスは影武者というモチーフの重要性、すなわち身代わりを立ててでも我が身の保全を考えなければならない権力者の責務と、権力者のように振る舞っても実際には何の力もなく使い捨てになる影武者の悲哀を認識したのではないか。『スター・ウォーズ』のレイア姫は銃をぶっ放して活躍するだけだから影武者なんていらないが、アミダラの政治家としての側面を強調するには効果的なモチーフだ。


 また、起伏の激しい草原におけるグンガンの騎馬武者たちと通商連合のドロイド軍の戦いも、時代劇映画の合戦シーンの再現だろう。のぼりや羽をつけた騎馬武者たちが鉄砲隊と対峙する時代劇は幾つもあるが、合戦の場が草原であることや、ロケ地になかった丘をわざわざ合成して丘に囲まれた合戦場を演出していることから、これは1985年の黒澤映画『』を意識したに違いない。槍や投石で戦うグンガンたちが、大小の火器で武装したドロイド軍に圧倒されていく様は、騎馬武者たちが鉄砲隊に圧倒される『乱』を見事になぞっている。

乱 4K Master Blu-ray BOX 『七人の侍』のストーリーを追いながら、クライマックスの戦いを大軍が激突する『乱』に差し替えるなんて、ルーカスの発想には恐れ入る。
 『七人の侍』は、題名のとおり七人の侍が農民と協力して四十人の野武士集団と戦う話だ。四十という数は、手強いけれど、もしかしたら七人で食い止められそうな気がして絶妙だ。ただし、『七人の侍』の内容ならこれでいいが、七人対四十人ではスケールの広げようがない。そこをわきまえずにリメイク作『宇宙の7人』(1980年)のようにわずか七人のおかげで悪の帝国を倒せたりすると、不自然さが目立ってしまう(それなりに面白い映画だったが)。
 その点、ルーカスのバランス感覚はさすがである。

 VFXスーパーバイザーのデニス・ミューレンは、丘の上にドロイド軍が出現するシーンの音声解説で「ジョン・フォードの映画が元だ」と述べている。同じような映像は黒澤明監督の『七人の侍』や『乱』にも見て取れる。優れた着想は時代を超えて受け継がれているということだろう。


 『ファントム・メナス』は『七人の侍』に再挑戦した上に、『隠し砦の三悪人』や『乱』や、おそらく『影武者』をも織り交ぜて、黒澤映画のエッセンスを凝縮した作品だ。エピソード4~6の三本でやったことを一本にぎゅう詰めにした、実に面白い映画なのだ。

 ところが、『ファントム・メナス』で『七人の侍』をおさらいしたことには別の意味もあった。
 「ファントム・メナス(The Phantom Menace)」、訳せば「見えざる脅威」とは、密かに陰謀を巡らせるダース・シディアスを指しているといわれるが、おそらく題名の意味するところはそれだけではない。

(次回「ダース・ベイダーとは何者なのか?」につづく)


スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』  [さ行]
監督・制作総指揮・脚本/ジョージ・ルーカス
出演/リーアム・ニーソン ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ジェイク・ロイド サミュエル・L・ジャクソン イアン・マクディアミッド ペルニラ・アウグスト ヒュー・クァーシー ブライアン・ブレッスド アーメッド・ベスト アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー テレンス・スタンプ レイ・パーク フランク・オズ キーラ・ナイトレイ オリヴァー・フォード・デイヴィス ワーウィック・デイヴィス
日本公開/1999年7月10日
ジャンル/[SF] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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