『永遠の0』vs『アメリカン・スナイパー』 三つの危うさ

 クリント・イーストウッド監督の傑作『アメリカン・スナイパー』の記事に、梅茶さんからコメントをいただいた。
 返事のコメントが長文になるのはいつものことだが、あまりにも長いので別の記事にした。
 以下は、梅茶さんのコメントへの返信として書いたものである。

梅茶さんのコメント
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タイトル:自己犠牲の捉え方…

ナドレックさん、いつも楽しく読ませてもらっています。この映画が戦争映画として大ヒットしていることは、たくさんの人々に何かしらの影響を与えているわけで、私は不安に思うことはないのですが、先日、日本アカデミー賞作品賞に選ばれた邦画『永遠の0』が昨年大ヒットし、絶賛や感動の嵐を呼んだ現象に対しては、何故か不安にかられてしまいました。『アメリカン・スナイパー』も、『永遠の0』も、戦争によって傷つく人々を描いている点は似ているのですが、日本人が戦争映画に感無量になってしまう現象と、他の国の人々が戦争映画に涙を誘われる現象と、何が違うのでしょう。どちらも感動的な作品であることに変わりはないのですが、自己犠牲を美徳と感じてしまう自分自身の中の日本人としての危なさを垣間見た気がしてしまうのです。自己犠牲の危なさ…、考えさせられてしまいました。
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アメリカン・スナイパー ブルーレイ&DVDセット 梅茶さん、コメントありがとうございます。

 フフフ。
 触れてしまいましたね、『永遠の0』に。
 ブログ開設以来、山崎貴監督作品を欠かさず取り上げてきた当サイトが、唯一取り上げなかった『永遠の0』。[*]

 梅茶さんが違いを感じられたように、『アメリカン・スナイパー』と『永遠の0』はまるで異なる(およそ正反対の)映画だと思います。
 それを語るには、まず『永遠の0』について述べなければなりませんが、とんでもなく長くなりそうなので、『永遠の0』への詳細な言及は割愛します。以下では、『アメリカン・スナイパー』との差異に絞って書こうと思います。

 『永遠の0』については『宇宙戦艦ヤマト2199』の記事で少し触れたので、まずはこちらをご覧いただければと思います。

 故郷に残した人々のために必ず帰ると云っていた主人公が、戦いの果てに特攻(自殺)を選ぶ……という物語は、同じ山崎貴監督作品『SPACE BATTLESHIP ヤマト』と同じです。太平洋戦争と星間戦争の違いはありますが、作り手のスタンスはほぼ同じなので、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の記事で語ったことは『永遠の0』にも当てはまります。

 戦争と死生についての記事としては、こちらもお読みいただければ幸いです。

 『アメリカン・スナイパー』と『永遠の0』の違いについて語る前に、まだ述べておくべきことがあります。それは、今までブログに書いていないことだと思うので、ここで語っておきましょう。


■『永遠の0』 対 『この空の花 長岡花火物語』

 映画『永遠の0』に戦争の悲劇を見て取って、涙にむせぶ人がいます。今の世の中が多くの人の犠牲の上に成り立っていることを痛感し、生きることの大切さを改めて思う人がいます。反戦を訴えた映画として、大いに共感する人がいます。
 一方で、特攻を美化した作品であると批判する人がいます。戦争賛美の映画であると感じる人もいます。
 なぜこのように意見が分かれるのでしょうか。ヒット作には毀誉褒貶が付きまとうものですが、出来の良し悪しが議論されるならともかく、題材(この場合は戦争)への姿勢の捉え方がそもそも割れています。

 原作者は、自分の小説は特攻を否定したものであるとして、戦争賛美という意見に反発しています。
 たしかに主人公は凄腕の戦闘機乗りでありながら、他の軍人から一歩引いた位置におり、上層部の作戦への批判も辞さない人物です。劇中、南雲長官の采配ではミッドウェー海戦に大敗することを見抜き、上の命令に従う連中を罵倒します。
 私は原作小説を読んでいませんが、映画を観るだけでも戦争への批判、軍上層部への批判を感じました。あの戦争のためにいかに多くの人の人生が狂わされたか、とりわけ特攻で死んだ主人公はいかなる胸中であったことか。そこを考えさせる本作の作り手に、戦争を賛美するつもりはないのでしょう。

 同様の映画は多々あります。
 『永遠の0』を批判する人でも、たとえば『この空の花 長岡花火物語』を反戦映画と位置付けることに反対する人はいないでしょう。2012年公開のこの映画は、大林宣彦監督が長岡の戦争の歴史をぎゅう詰めにした半ドキュメンタリー作品です。役者が演じるフィクションと、実際のインタビュー映像が混在し、長岡の過去を浮き彫りにします。

 よく知られているように、広島、長崎への原爆投下は実験を兼ねていました。原子爆弾という新型兵器がどのような威力を発揮するのか調べるために、米国は広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型の原爆を落として比較しました。それだけでなく、通常の爆弾との威力の差を知るため、原爆と同じ躯体にTNT火薬を詰めた通称「パンプキン爆弾」を他の都市へ落とし、原爆投下との比較ができるようにデータを集めました。勝つ見込みがまったくないのに戦争をやめない大日本帝国は、兵器の実験に恰好の場だったのです。

 長岡はこうした都市の一つです。今さら長岡に爆弾を落としたからって戦況に変わりはなかったと思いますが、長岡は劫火に包まれ、多くの人が亡くなりました。
 ……なんてことは、歴史や戦争に少し興味がある人ならご存知だと思います。この映画はそれを映像技術を駆使して描きました。花火を平和の象徴として取り上げ、花火を見たり打ち上げたりできる平和な世界の大切さを訴えます。

 片や戦闘機で敵に突っ込む男の映画、片や爆弾に逃げ惑う民衆の映画なので、両者の印象はずいぶん違います。『永遠の0』を戦争賛美、特攻美化と批判する人も、『この空の花 長岡花火物語』を指して戦争賛美とは云わないでしょう。
 しかし、私には両作が同じような映画に見えます。『永遠の0』と同じく『この空の花 長岡花火物語』をブログに取り上げなかったのもそのためです。
 もちろん、『この空の花 長岡花火物語』が戦争を美化していると云うつもりは毛頭ありません。戦争のむごさ、悲しさを丹念に描いたこの映画が戦争を賛美しているわけがない。でも、それを云ったら『永遠の0』だって、戦争のむごさや悲しさをたっぷり描いています。おそらく『永遠の0』の作り手は、あんな戦争を繰り返しちゃいけないと強く思いながら映画を作ったことでしょう。

 私が両者を同じだと云うのはそのことです。戦争の悲劇を思い起こし、同じ過ちを繰り返さないことを心に誓う――そんな映画はこの二作に限りません。
 それらの作品に共通しているもの、そもそもの出発点にあるのは何でしょう?
 それは、戦争に反対する物語を、無残な負け戦から説き起こしていることです。爆弾を落とされた、愛する人と引き裂かれた、愛する者を失った、そういう体験から同じ過ちを繰り返さないという教訓を引き出しているのです。
 これは戦争に反対しているのでしょうか? たしかに戦争に反対しているようでもあります。教訓があるように見えます。でも同時に、これらの映画からは「同じ負け戦を繰り返すまい」という教訓も引き出せるのではないでしょうか。人間をミサイルの代わりに突っ込ませるような惨めな戦いはご免だ、制空権を失って全国どこでも好きなように爆弾を落とされる目はまっぴらだ。これらの反省は、戦況を有利に進めれば回避できます。いったい過ちとは何なのでしょうか。戦争をしたことか? 負けるような戦争をしたことか?

 『永遠の0』で主人公が軍を批判する言葉は、負け戦を叱るものばかりです。
 このタイミングで爆弾の換装なんかしたら、敵の標的になってしまうじゃないか。せっかく育てたパイロットに特攻させたら空軍力を失ってしまうじゃないか……。
 観客は思うでしょう。彼の云うとおりにしていれば、負けずに済んだんじゃないか。

 『永遠の0』の作り手も『この空の花 長岡花火物語』の作り手も、戦争に反対しているつもりかもしれません。次は勝とうと発破をかけるつもりではないかもしれません。
 しかし、これらの映画は、戦争反対という教訓だけでなく、負け戦を繰り返すまいという教訓を引き出される可能性を潰せていません。今度は勝とうという方向に議論が流れる可能性が残されたままになっています。
 これを私は反戦を訴える映画だとは思えません。負け戦の惨めさ、悲しさから説き起こしている限り、今度は勝とうという教訓に結び付く可能性が少しでもある限り、それは「戦争反対」ではなく「負け戦反対」です。
 『永遠の0』に危うさを感じる原因の一つはここにあります。

 1970年の映画『激動の昭和史 軍閥』は、この点に切り込んでいました。
 日米開戦前夜から敗色募る終戦間際までを描いたこの映画は、東條英機の言動を中心に、陸軍、海軍、マスコミの行動を多角的に捉えた作品です。経済制裁に苦しみ閉塞感の高まる大日本帝国は、日米開戦に大喜びします。閉塞感が破れたことで、みんな晴々とします。新聞各紙も大衆に迎合して好戦的な記事を書き散らし、部数をぐんぐん伸ばします。

 けれども、華々しい戦果が続くものではありません。半年後にはミッドウェーでボロ負けし、その後も大日本帝国は負け続けます。ここで映画は竹槍事件をモチーフにした新聞社の造反を描き、新名丈夫記者をモデルにした人物・新井五郎を登場させます。若大将シリーズで人気沸騰中の加山雄三さんが演じただけあって、新井五郎は真っ直ぐで血気盛んな正義漢です。
 この新井記者が、前線で負け戦を目の当たりにし、「こんなことになるなんて、戦争を煽った新聞にも責任がある」と反省します。でも、彼はそんな言葉を口にしたがゆえに罵倒されます。こんなことになったから責任を感じるのか、と。「負け戦だからやらなきゃ良かったって云うのか。じゃあ勝ってれば良かったのか。違うだろ、勝ち負けに関係なく戦争しちゃいけなかったんじゃないのか。」と責められます。

 『アメリカン・スナイパー』が『永遠の0』と異なるのもその点です。
 『アメリカン・スナイパー』で描かれるイラク戦争は、米国の負け戦ではありません。フセイン政権を崩壊させたのですから、国家間の戦争に米国は勝利しました。しかし、そこには勝利の喜びも華やかさもありません。泥沼のような混乱と暴力の連鎖が、米国に絡みついています。
 『アメリカン・スナイパー』の主人公クリス・カイルは英雄です。米軍史上最高の狙撃手として記録を打ち立て、山のような勲章を授かりました。みんなは彼を「伝説」と呼び、命の恩人と褒めそやします。それらは本当にあったエピソードです。
 けれど、クリスの気持ちは晴れません。戦場を離れても気が休まらず、恋しいはずの我が家に帰ることもできません。戦場で人を殺し続けた彼は、妻子との穏やかな生活に戻れなくなっているのです。

 ここには負け戦を悔いたり、次は勝とうと考える余地がまったくありません。勝ち負けに関係なく、戦場で壊れていく人間をこれでもかと描きます。ここまで踏み込んではじめて戦争に反対することになると、私は思います。


 『アメリカン・スナイパー』に対して、開戦の是非に言及しないことへの批判もありますが、それも的外れでしょう。
 たしかにイラク戦争は間違っていました。政府内外の人たちの思い込みや保身や欲望が積み重なって、世界最強の国が他国に戦争を仕掛けてしまいました。他国の政府を壊滅させ、その国の人を混沌の中に叩き落としてしまいました。
 それは非難されるべきでしょうが、それを理由に戦争は良くないと主張するのも危険です。誤った情報に基づく間違った判断はたしかに悪い。けれどもそこを強調すると、大義名分が立てば良いのかという疑問が湧いてきます。正確な情報に基づいて慎重に判断した戦争ならば肯定するのか。

 間違った戦争だったと非難すればするほど、大義名分の立つ戦争を否定できなくなります。そのことを『アメリカン・スナイパー』の作り手は理解しているに違いありません。だからイラク戦争の開戦の是非には触れなかった。大きな犠牲が出るから戦争反対と説くだけでは「負け戦反対」になりかねないように、誤った情報に基づく開戦を非難することは正確を期した開戦を肯定することになりかねない。
 開戦に至る過程にかかわりなく、戦争と人間を描ききる。それが『アメリカン・スナイパー』なのです。


■『永遠の0』 対 『ローン・サバイバー』

 梅茶さんが自己犠牲を美徳と感じてしまうこと、それはとうぜんだと思います。
 美徳――人間が肯定的に感じることは、人類が進化の過程で身につけた特質でしょう。数十万年、数百万年の時間の中で、生き残りに有利に作用した性質、少なくとも不利には作用しなかった性質を私たちは備えています。自己を犠牲にすることも、生き残りに役だったに違いありません。
 もちろん犠牲になった本人は、場合によっては死んでしまいます。しかしその犠牲のおかげで集団が生き残るのであれば、人類は絶滅を免れます。鹿のように俊敏でもなければ、狼のように強くもない人間集団が生き残るには、誰かが犠牲になっているあいだに他の者たちが逃げることも必要でしょう。同族を逃がすために囮になる動物は、人間だけに限りません。

 自己より集団を優先させる気持ちが強まると、人間はいとも簡単に死を選びます。
 映画『セデック・バレ』が描いた台湾の霧社事件では、蜂起した男たちの足手まといになるまいと、女たちが自決してしまいます。あまりの苛烈な行動に映画を観ていてギョッとしますが、本邦でも会津戦争の折には屋敷に残った女たちが自決しました。
 彼らにとって、所属する集団があっての自分なのですから、集団の瓦解を目にするくらいなら自分の命なんてどうでもいいのでしょう。

 ですから自己犠牲を美徳に感じて称賛するのは、人間にとって自然な気質だと思います。
 問題はどこまで肯定し続けるかですね。

 戦争の死者はサンクコストです。どんなに悼んでも、惜しんではいけません。
 戦争について語るときに「サンクコスト」という経済学の用語を持ち出すのは不謹慎だと思われるかもしれません。しかし、死者に対する思いとサンクコストに感じる気持ちはよく似ています。
 「サンクコスト(埋没費用)」とは、すでに支払って回収できない費用のことです。映画の途中でつまらないと思っても、払った映画代は返ってきません。一兆円の道路を半分作ったところで経済効果が出ないと判っても、使った5000億円は返ってきません。こういうときはもう回収できない金はあきらめて、これからいくら使う破目になるかだけを考えるべきです。つまらない映画の残りを観ても面白くなりはしないので、家でテレビを見た方がマシかもしれません。経済効果が出ないと判った道路に残りの5000億円投入するのは愚の骨頂です。けれども私たちはそういう決断が苦手です。結局最後まで映画を観てぶつくさ文句を云ったり、道路を完成させてその交通量の少なさが問題になったりします。

 戦争の死者も同様です。悔いても悲しんでも、死んだ者は帰ってきません。
 ですから将来を考える際には、これまでに何人死んだか、どれだけの犠牲を払ったかは考慮せず、今後どれだけの死者が出るのか、将来の死者を減らすにはどうしたら良いのかだけを考えるべきなのです。でも私たちはそういう決断が本当に苦手です。故人の遺志を継ぐんだとか、死んだ者が浮かばれないと考えて、やめられずに犠牲を大きくしてしまいます。

 自己犠牲を称えるのは、サンクコストを重視するのと同じです。サンクコストを考慮してはいけないのに、犠牲の尊さを強調すればするほどサンクコストの呪縛に囚われて、やめることができなくなります。
 『永遠の0』の観客は、先の戦争で死んだ者たちを惜しみ、今の生活が彼らの犠牲の上にあると痛感するでしょう。
 その感情は尊いのですが、将来を考えるときに過去の犠牲を考慮しては判断を誤ります。
 『永遠の0』は感動作であるだけに、判断を誤る方向に押しやる力が強いのです。死者は悼むものであって、惜しむものではありません。
 『永遠の0』に危うさを感じる原因はここにもあります。

 『アメリカン・スナイパー』で描かれるサンクコストはSEALsの訓練です。
 教官に口汚く罵られ、しごきにしごかれる彼らは、精神的にも肉体的にも限界を超えることを要求されます。『アメリカン・スナイパー』と同じくSEALsの隊員を主人公にした『ローン・サバイバー』でも描かれたそれは、SEALsに入ることを容易に許さない参入障壁です。だからこそ訓練を乗り越えて隊員になることが誇らしく、同じ訓練を耐え抜いた仲間と強い信頼で結ばれます。
 集団から一人前として認められるための試練という点で、これは宗教的儀式や通過儀礼と同じです。サンクコストをあきらめられない私たちは、苦労して参加した集団から抜けられません。SEALsが最強部隊なのは、能力の高さもさることながら、サンクコストの呪縛によって集団への帰属意識を高め、自己犠牲を厭わない精神を作り上げていることにあるのでしょう。

 ところがSEALsの訓練ではじまる『アメリカン・スナイパー』の軍隊生活は、サンクコストの呪縛を断ち切る方向に進みます。
 もちろん仲間との連帯は大事ですし、仲間の死は悲しくてやるせない。戦友たちの死を目の当たりにした主人公は、亡き友の復讐を果たすべく四回目のイラク勤務に臨みます。敵の狙撃手を倒すことで復讐は果たされますが、それによって多くの敵を引き寄せ、彼は窮地に陥ります。散々な思いをした彼は、これを最後に除隊してしまいます。
 『アメリカン・スナイパー』は敵の狙撃手との対決が西部劇のガンマンの戦いのように盛り上がり、マカロニ・ウェスタン出身のクリント・イーストウッド監督の面目躍如となっています。しかし、復讐心に突き動かされて味方を危険にさらした主人公の行動は、明らかに不適切なものとして描かれます。過去の犠牲に捕らわれながら、これからの行動を判断してしまったからです。

 除隊後のクリスが行うのは、帰還兵の社会復帰の支援です。
 SEALsで叩き込まれたこととは正反対の、一般社会で普通に暮らすための努力です。
 現実のクリスは除隊後も民間軍事会社を立ち上げて戦争にかかわり続けますが、映画はそれを描きません。映画『アメリカン・スナイパー』が重視するのは、戦友たちの死を経験しながらも、戦争から離れた平和な暮らしを築こうとする姿勢だからです。大切なのは、今の生活が兵士の犠牲の上にあるなどとは少しも強調しないことです。戦争の英雄だった主人公は、サンクコストの呪縛や過剰な帰属意識から自己を解放していきます。
 『永遠の0』とは正反対ですね。


■『永遠の0』 対 『蜩ノ記』

 『永遠の0』は感動作であると書きましたが、感動とは何でしょうか。
 辞書には「ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること」とあります。心を揺さぶられ、気分が高揚して涙が出たりすることですね。心のデトックス(解毒)とも云えましょう。感動作を観て大泣きすると、気持ちが晴れやかになります。山崎貴監督はそんな感動作が得意です。

 それに対して、『アメリカン・スナイパー』の特徴は感動させないことです。いえ、感動することはするのですが、観終わった後にずしんと重いものが残り、晴れやかさにはほど遠い。デトックスではなく、これまで以上に重いものを背負わされたように感じます。
 『永遠の0』と『アメリカン・スナイパー』にこのような違いが生じるのは、人間のどこを刺激するべく作られているかが両作で異なるからです。端的にいえば、『永遠の0』は感情に訴えて泣かせる映画であり、『アメリカン・スナイパー』は理性に訴えて考えさせる映画なのです。

 ダニエル・カーネマンが提唱した人間の認知システムの2段階モデルに当てはめれば、『永遠の0』はシステム1をターゲットにした映画、『アメリカン・スナイパー』はシステム2をターゲットにした映画と云えるでしょう。
 システム1は人間が直感的に情報を処理する仕組みであり、脳の一番古い層です。システム2は進化の中で比較的最近できたもので、意識的に推論を行ったりする時間のかかる思考です。

 與那覇潤氏はこの2段階モデルを敷衍して、西洋と東洋の違いを説明しました。条件反射的なシステム1だけに任せていては、対立がエスカレーションして戦争になりかねない。その作動を「抑制する機構」として政教分離や法治国家等の社会的なシステム2をがっちり作ったのが西洋なのではあるまいか。
 一方、東洋ではシステム2的に合理主義をごちゃごちゃこねまわすのではなく、「心即理」をスローガンにした陽明学のようにシステム1を信頼して、人間の素直なまごころをそのまま発揮すれば、自動的にすべてが調和して秩序が成り立つはずだと考えました。
 カーネマンの2段階モデルと與那覇潤氏の説明について、詳しくはこちらの記事を参照してください。

 『永遠の0』はシステム1で行動する映画です。仲間が死んだから悲しむ。帰属する集団のために自己を犠牲にする。集団の敵とは戦う。人類が狩猟採集の時代から数十万年、数百万年にわたって行ってきたことそのままです。心を震わせ、感動する要素が満載なので、高く評価する人も多いでしょう。

 『永遠の0』はキネマ旬報ベスト・テンでこそ26位と振るいませんでしたが、これは戦争という題材が警戒されたのかもしれません。同じキネマ旬報ベスト・テンの選出者は、『永遠の0』とそっくりの別の映画を10位に選んでいます。小泉堯史(たかし)監督の『蜩ノ記(ひぐらしのき)』です。
 戦争映画の『永遠の0』と時代劇の『蜩ノ記』では全然違うじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、両作は集団のために自己を犠牲にして死を選ぶ物語で共通しています。とりわけ印象的なのが、『蜩ノ記』の中盤で岡田准一さん演じる檀野庄三郎が口にする「自然のままに、武士本来の生き方をしたい」というセリフです。これぞまさしく、頭でっかちに合理主義をごちゃごちゃこねまわすのではなく、人間の素直なまごころをそのまま発揮すれば、すべてが調和して秩序が成り立つはずだと考える、「心即理」の表明でありましょう。

 武士本来の生き方とは何でしょう? 武士の務めといえば武装して、戦闘力を高め、敵と戦うことに他ならず、『永遠の0』の戦闘機乗りがやっていることと違いません。なのに、自然のままとか本来の生き方と云われると、警戒を解いて受け入れてしまいます。
 映画の出来はさして変わらないのに、戦争というキナ臭さをまとった『永遠の0』は支持を拒まれ、戦争が前面に出ないだけで、ほぼ同じことを主張している『蜩ノ記』が支持されるのは興味深いです。結局日本人は『永遠の0』や『蜩ノ記』のような話が好きなのです。

 王陽明に説かれるまでもなく、人間の心は集団での生き残りに適した形に進化したと考えられます。人間の素直なまごころをそのまま発揮すれば、すべてが調和して秩序が成り立つことでしょう。狩猟採集時代のような100~200人の部族の中では。帰属する集団以外のことを考える必要はなく、仲間じゃなければ人間だろうと他の動物だろうと殺して食べてしまえばいいのです。話は簡単です。
 ところが集団が大きくなると、顔も名前も知らない連中が増えてきます。数万人、数十万人の人間なんて憶えきれないし、仲間意識を持てません。ましてや数十億人の全人類を仲間扱いして秩序を保つなんて、狩猟採集時代に身に付けた心には荷が重すぎます。
 とりあえず、違う国の人間は仲間扱いしなくても、敵として殺してもいいんじゃないの。人間の素直な心を発露すれば、そう考えても不思議はないでしょう。

 だから『永遠の0』には敵側の描写が一切ありません。
 『SPACE BATTLESHIP ヤマト』と同じです。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』に登場した地球の敵デスラーは、人間性のない、敵対するだけの曖昧な存在(鉱石質生命体の意思集合体)として描かれました。物語を綴るための記号としての敵でしかなく、原作アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の敵のような個性や人間臭さはありませんでした。
 映画『永遠の0』でも、人間は日本人しかいないかのごとき描き方で、米軍、米兵は主人公を脅かし、主人公に殺される記号でしかありません。米兵の人間性は『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の異星人以上に徹底して剥奪され、まともなセリフもありません。近年、これほど一面的な戦争映画も珍しいと思います。
 システム1で処理できることしか描かない。これもまた『永遠の0』の危うさです。

 『アメリカン・スナイパー』も同様に米軍の主人公だけを追った映画ですが、こちらはシステム2を働かせて意識的に推論することを観客に要求します。
 『アメリカン・スナイパー』は人質になったイラク人少年や号泣する親の描写を挿入し、彼の国にも人々の暮らしがあることを知らしめます。テロリストの夫を心配そうに見送る妻の映像は、テロリストだって人の子であり、家庭持ちであることに気づかせます。
 殺し合いの相手にも人生があることに思いを馳せるには、推論する力が必要です。自然に振る舞うシステム1では対応できません。『アメリカン・スナイパー』は映画の節々で観客に推論と考察を要求し、号泣するような感情のたかぶりや、敵愾心を燃やすことを許さないのです。

 音楽の使い方も対照的です。
 音楽の効能の一つは、集団の結束を高め、戦意を高揚させることでしょう。台湾原住民は「かつて部族を挙げて首狩りをする際には、その前に必ず皆で歌った。ごくわずかにでも音が合わないと、『今日は皆の心がそろっていない。戦っても負ける』として、出撃を見合わせた」そうです。
 台湾原住民を例にとるまでもなく、テレビで野球等の試合を見れば賑やかな応援歌には事欠きません。選手やチームを歌で応援するのは、平和を希求し、争いをやめさせるためでは断じてありません。

 『永遠の0』でも佐藤直紀氏の流麗な音楽やサザンオールスターズの主題歌が、観客の気持ちをドラマチックに盛り上げます。音楽は深い感銘を与え、強く心を動すことで聴衆の感情を直撃します。音楽を聴きながら推論を働かせたり考察する人は(プロの音楽家やマニアでなければ)いないでしょう。
 「決戦盆踊り」や「爆弾くらいは手で受けよ」といった戦時中のトンデモ軍歌が流れれば皮肉や風刺が効いて面白いのですが、それではシステム2を刺激してしまいます。『永遠の0』は映像、音楽、物語のすべてがシステム1だけをターゲットにすべくチューニングされているのです。
 
 先の記事でも述べたように、『アメリカン・スナイパー』ではほとんど音楽が流れません。みずから作曲し、音楽にも造詣の深いイーストウッド監督は、音楽の危険性を知っているのでしょう。敵地に乗り込み、テロリストを射殺する映画に音楽を添えたなら、とんでもない好戦プロパガンダ映画に成り果てることが判っているのです。
 システム1だけに流されず、システム2を働かせることを要求する『アメリカン・スナイパー』は、音楽で盛り上げてはいけないのです。観客を音楽の心地好さで酔わせてはいけないのです。

 システム1を信頼して人間の心の動きに身を任せるのか、システム2を働かせてシステム1の作動を抑制させる不断の努力をするのか、『永遠の0』と『アメリカン・スナイパー』の最大の違いはここにあります。

 おそらく映画『永遠の0』の作り手は、意図的に戦争を賛美しようとは思っていないでしょう。巧妙な計算を巡らせたりせず、ごく素直に素朴に、人間のまごころを映画にしたのだと思います。その気持ちが本物だから、多くの観客が共感し、感動したのでしょう。『永遠の0』に涙した観客に、戦争を賛美するつもりはないに違いありません。
 でも、それだけにこの映画は危険です。
 この映画にはシステム1の暴走を止める仕組みがありません。負け戦に反対し(次は勝とうと決意し)、過去の犠牲にこだわり、自己犠牲を称賛することへの歯止めがありません。にもかかわらず感動させ、感情をたかぶらせてしまいます。それが、この映画の危うさの正体だと思います。


[*] この記事を書いた時点では『寄生獣』を完結編のときに取り上げる予定でしたが、『寄生獣』も取り上げないことにしました。

アメリカン・スナイパー ブルーレイ&DVDセット『永遠の0』  [あ行]
監督・脚本・VFX/山崎貴  脚本/林民夫
出演/岡田准一 三浦春馬 井上真央 夏八木勲 田中泯 橋爪功 平幹二朗 山本學 濱田岳 新井浩文 染谷将太 三浦貴大 上田竜也 吹石一恵 風吹ジュン
日本公開/2013年12月21日
ジャンル/[ドラマ] [戦争]

アメリカン・スナイパー』  [あ行]
監督・制作/クリント・イーストウッド
出演/ブラッドリー・クーパー シエナ・ミラー ルーク・グライムス ジェイク・マクドーマン ケヴィン・レイス コリー・ハードリクト ナヴィド・ネガーバン
日本公開/2015年2月21日
ジャンル/[ドラマ] [戦争] [アクション]
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【投稿】ガミラス第二帝国の戦争準備  ガデル・タランとヴェルテ・タラン /『宇宙戦艦ヤマト2199』ガミラス考察補論集1 小説~ガトランティス戦争編~

 当ブログの読者であるT.Nさんから、『宇宙戦艦ヤマト2199』の世界を考察する投稿をいただいたので、以下に公開する。
 豊富な資料を駆使し、小説形式を織り交ぜながらガミラス社会の実像に迫る論考だ。先に公開した投稿「イスカンダルの王権とデスラーの人物像について」の一部を構成するものである。

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『宇宙戦艦ヤマト2199』 ガミラス考察補論集1

思考実験としての続編小説~ガトランティス戦争編~

前回から読む

2. ガミラス第二帝国の戦争準備  ガデル・タランとヴェルテ・タラン

―― 1 ――

「宇宙戦艦ヤマト 2199」からの音楽 「…大した練度じゃないか。見事な艦隊運動だったよ、タラン君」

 大マゼランのとある星域において行われたガミラス正規軍師団と支援軍師団の合同訓練――正規軍師団と支援軍師団の共同作戦が、これからのガミラス軍の標準となる――において、デスラーは指揮した艦隊が、自らの意図した通りに動くのを見て賞賛した。

 「お褒めに預かり光栄です、総統」

 デスラーの賞賛を受けたガデル・タランが応える。彼はガミラス航宙艦隊全軍の訓練に責任を持つ立場だった。その成果を今、彼はデスラーに対し示してみせていた。

 ガミラス国防軍参謀本部の参謀次長であり、ヤマトのバレラス襲来後ヒス・ディッツ政権に属したガデル・タランは、政権が滅ぼされた際デスラーに赦され、元の役職と勤務を安堵されていた。彼は職務に復帰すると、彼同様デスラーに赦されたキーリング参謀総長以下参謀本部の殆どの人間達と共に、デスラー復権以来5年以上の歳月を軍の再建と訓練に捧げ続けてきたのだった。

 ガデルにとって、ガミラス第二帝国で大幅に膨れ上がった軍隊を訓練して精兵に仕立て上げるのは多大な労力を必要とはしても、決して手に負えない難事ではなかった。軍の指揮系統がヤマトのバレラス襲来以前と違い一本化されていたからである。

 ガミラス第二帝国成立以前のガミラス軍は、組織面でいくつもの問題を抱えた組織だった。まず第一に、航宙艦隊総司令の肩書きを持つガル・ディッツや同じく中央軍総監の肩書きを持つヘルム・ゼーリックといった名門貴族達が、それぞれ手勢のような部隊を率いて割拠している状態だった。これはガミラス帝国が形成されていく過程で生じた問題だった。
 デスラーの叔父エーリク・ヴァム・デスラー大公の治める「デスラー公国」が他の公国を征服・併合しガミラス大公国を統一していく際、デスラー公国は敵対する公国を滅ぼす一方、帰順した敵(や自国)の大貴族には帰順と引き換えに、相応の役職と権限と特権を与えていったのである。
 その結果、ガル・ディッツは空間機甲師団を始めとする航宙艦隊を(※1)、ヘルム・ゼーリックは植民星守備隊を始めとする軌道航宙軍をという具合にそれぞれが管轄の部隊を自らの手勢のように好きなように動かし――デスラーに睨まれない範囲でという制限はあったが――、各々の振る舞いをデスラー以外の誰にも邪魔できないという状態が生み出されていた。(※2)

 第二に、国軍の要職に就く彼ら名門貴族が権勢を振るうが故に、国制上の最高司令官であるデスラーは国軍を最高司令官として直接指揮できていない状態だった。国家元首であるデスラーは役職的に国家元帥であるゼーリックや航宙艦隊総司令のディッツの上に立ち、彼らの生殺与奪を握る存在であったが、国軍の指揮に関してデスラーは指揮権を独占できていなかったのである。この事はガデルの属する国防軍参謀本部にとっても望ましくない状況だった。彼らの管轄にない部隊が多数存在したからである(例えばディッツは航宙艦隊総司令部を国防軍参謀本部に並列する存在として設けていた)。

 そして第三に、各々好きなように振舞う国軍幹部達の度を越した専横やクーデターの可能性を防ぐため、彼らを監視し恫喝する親衛軍の創設を必要とした事である。ハイドム・ギムレーが率いていた航宙親衛艦隊はデスラーの黙認の下で拡大を続け、ヤマトのバレラス襲来時には国軍に比肩する規模にまで成長していたのだった(※3)。ガミラス国内の資源が、国軍と親衛軍の2つに分散する状態となっていたのである。

(※1)「宇宙戦艦ヤマト2199全記録集 vol.2」の「ガミラス組織図」を見ると、ディッツは明らかに空間機甲師団を「子飼いの部隊」として自らの手勢のように扱っていると思われる。
 その一方で彼は、「航宙艦隊総司令」の立場から、参謀本部管轄の一般師団を「借り受ける」という形式で指揮し、動かしていると考えられる。11話冒頭のディッツがドメルに言ったセリフ「ルントの第八軍を派遣した。グデル旗下の空間機甲軍もそちらに移動中だ」はそうした背景があると考える事ができるのではないだろうか。

(※2)読者の中には「ではゼーリックがバラン星に大マゼランの基幹艦隊を集めることが出来たのは何故か」と疑問を持たれる人がいるかもしれない。それについては次のように考える事ができるだろう。
 ――「宇宙戦艦ヤマト2199全記録集 vol.2」の「ガミラス組織図」を見る限り、ゼーリックは軌道航宙軍を直接指揮する立場にあるが、基幹艦隊に含まれる一般師団や空間機甲師団を直接指揮する立場にはない。そのため、彼は国軍の装備の監察に責任を負う「中央軍総監」としての立場から、「観艦式を行い国軍の状態を確認する」という名目で基幹艦隊をバランに集めたと思われる。そして艦隊に演説を行い、「心ある者よ共に立て(私の指揮下に入れ)」と扇動したのではないかと思われる。

(※3)ヤマト2199第五章パンフレットのハイドム・ギムレーの記述では、「建国時の親衛隊設立にも密かに関与し、やがて長官の地位に就くと、親衛隊を国軍に比肩するほどの軍事力を有する組織へと育て上げた」とある。航宙親衛艦隊は、劇中の描写において第二バレラスが崩壊した際に全滅したように見える事、親衛隊が反乱鎮圧を専らの任務としていた事等から規模としては数千隻程度だったのではないかと考えられる。(親衛隊はその規模故にではなく、国軍と遜色ない装備と組織を備えていた事から、パンフレット等では「国軍に比肩する」と解説されているのではないだろうか。)

 ガミラス第二帝国が成立した後、ガミラス軍の状況は問題がないとは言えなくとも望ましい方向へと改善された。まず、大貴族の多くがゼーリックの反乱事件やヒス・ディッツ政権滅亡の際に粛清され、親衛軍を除く国軍の全ての部隊が国防軍参謀本部の指揮下に移行した。特筆すべきはディッツがいなくなったことで、デスラーが国軍最高司令官と航宙艦隊総司令を兼務し、航宙艦隊の全てが彼の指揮下に入ったことである。今や彼は望めば艦隊を直接率いて戦うことができるようになったのである。
 次にデスラーの親衛軍、特に航宙親衛艦隊はヤマトのバレラス襲来時に全滅して以降再建されず、デスラーの身辺警護を勤める文字通りの親衛部隊と、親衛艦二百隻弱から成るデスラー直属の親衛艦隊にまで規模を縮小された。親衛隊に属し、一時はヒス・ディッツ政権により殆ど解体された国家軍警察や秘密警察、支配諜報局といった機構はデスラーにより国軍幹部を監視するため再び設置されたとはいえ、ガミラス第二帝国はその持てる資源を国軍の拡大のみに振り向けることができるようになったのである。
 ガデルは、ヤマトのバレラス襲来前以上の規模に拡大していくガミラス軍の育成を、誰にも邪魔される事無く行うことができるようになったのだった。

 デスラーが視察に訪れた合同訓練の演目は、部隊毎の機動演習になっていた。ガデルが中心となって訓練を施したガミラスの艦隊が、標的役となった別の艦隊に向かって進んでいく。デスラーが攻撃するよう指示を下すと、標的役に向かって進む一本の太い帯が、何本かの細い帯に分かれていった。行軍隊形から戦闘隊形へと展開したのだ。細い帯たちが、標的役の艦隊を包み込むように広がっていく。標的が包み込まれまいと様々に形を変え、動き回っても帯達は巧みに曲がり、旋回し、標的を捉える。標的を包み込んだ帯達は、小魚の大群の周囲を回遊するサメのように周囲を旋回し、それらはやがて標的を隙間無く覆う一枚の球殻へと姿を変えた。艦艇を円筒状に配置したガミラスの戦闘隊形が、複雑に機動しても隊列を全く崩すことなく標的を捉え、包囲を完成させたことに、デスラーは賞賛の言葉をガデルに与えた。

 ガミラス軍の合同訓練は、部隊毎の機動演習から、やがて敵味方に分かれての模擬戦へと移行した。支援軍師団主体の「前衛」が敵側を包囲しようとする。その前衛の周囲に、突如敵側の別働隊がゲシュタムアウトしてきて逆包囲しようとすると、正規軍師団主体の「後衛」が別働隊を叩いて前衛の脱出を援護し最初の対戦が終了した。
 次は攻守ところを変えて第2戦が始まる。前衛がビーム砲で敵側の動きを止める制圧射撃を行いながら敵側の前面に展開すると、前衛の背後で縦隊を形成した後衛がミサイルの大量発射で敵側の戦列に突破口を開ける。後衛が最大戦速で突入し敵側の戦列の突破に成功すると、最終的に敵側は前方を前衛に立ちふさがれ、後方は後衛に回り込まれて包囲されてしまった。
 再び攻守を変えて第3戦が始まる。前衛が敵側を攻撃し、偽装退却を行う。敵側が逃げる前衛を追撃し、前衛は後衛が待ち受けている地点まで敵側をおびき出すと、突如反転して逆襲に転じた。敵側は気がついたときには後方を後衛に回り込まれ、後衛の攻撃に対応しようにも前方の前衛の攻撃で思うように動けずついに包囲されてしまった。こうして、何回かの模擬戦を行ったところで合同訓練はその日の全ての演目を終了した。 

 演目の終了後、デスラーは訓練の行われた星域での、訓練視察の最後の締めくくりを行うべく指示を出した。

 「これより閲兵と訓辞を行う。閲兵後、訓練の成績優秀者を”デウスーラ”に呼びたまえ」

 観兵式の準備が始まった。これから艦隊の各部隊が整列し、分列行進して閲兵を受けるのである。全軍召集の合図となる勇壮な音楽が全てのガミラス艦の艦内に響き渡った。艦が隊列を組むと、音楽の合間合間に、それぞれ異なるサイレンのような音が艦内に流れる。艦隊機動時に隊列の変更を指示する合図である。何種類ものサイレン音が流れるたびに、艦列が分かれ、一つになり、様々な隊形を形作る。訓練に参加していた1万隻以上の艦艇が見せる行進の光景は、もし見物客がいたならさぞかし壮大な光景に見えた事だろう。こうした艦達の奔流のすぐ傍を、総統の座乗する「デウスーラ三世」は鎮座し、見守るのだった。

 支援軍の創設と、ガミラス帝星における大動員令によって巨大な規模の艦隊を造成したガミラス軍は、デスラーの命によりガデルが中心となって作成した『2202年8月1日規定』と呼ばれる操典(※日付は地球の西暦に換算した数値)で述べられている複雑な機動を修得するために、ガトランティスとの戦争を開始する直前の最後の2年間(つまりヤマトのバレラス襲来後5年から7年の時期)を厳しい教練と監視の下で過ごしていた。大マゼランの7箇所の星域に設けられた野営地で指揮を執っていたのは、兵達の訓練に責任を負うガデルを始めとする上級将校である。この時期の部隊は、艦艇の操作から複数の師団で構成される軍団レベルの機動まで、『2202年8月1日規定』の様々な部分の訓練と学習に時間をかけていた。訓練を確実に高いレベルにまで到達させるために監督官が派遣され、さまざまな戦術機動を行う兵達を視察し、下士官や下級将校に『2202年8月1日規定』についての知識を質問した。これに加えて、旅団レベルでは定期的に会合が持たれており、そこでは旅団長達が操典の戦術機動を達成するための細かいノウハウを議論し研究が行われていた。下級将校と下士官は、このような会合で新たに得られた知識を訓練や演習時に兵士達に伝える事が期待されていた。

 2年にわたる日常的な訓練は、兵士達にとっておそろしく単調なものだっただろう。士気を保つために、デスラーは野営地を訪問する努力を欠かさなかった。帝国の各地を巡回して支援軍兵士の応募の状況や艦艇・軍需品の生産の様子を視察する傍ら、近くの野営地に赴いて訓練を視察し、視察の最後には必ず兵士を慰撫するため壮麗な儀礼で彩られた大規模な軍事訓練観閲を行っていたのである。

 行進が終わると、艦艇の大群が整列する中、訓練の成績優秀者を乗せた連絡艇がデウスーラの周囲に集まり、搭乗者を順次デウスーラへと送り出した。ゼルグード級航宙戦艦よりも巨大な、全長一キロ前後もある艦に乗艦した将兵は、艦橋へと通される。彼らはデウスーラの巨大な艦橋に設けられた玉座の間でデスラー自らの閲兵を受け、直接の訓示を受けるのである。ガミラス帝国の総旗艦として建造されたデウスーラは、デスラーが座乗してガミラス軍を指揮すると同時に政務を行うための特殊な構造を艦の各所に設けていた。艦橋はその最たるもので、軍艦の艦橋としては異様に広い空間に、デスラーの玉座を境にして艦首側を操艦と指揮を行う司令室に、艦尾側を謁見を行う玉座の間としていた。玉座の間いっぱいに整列した何百人もの兵士や将校を、デスラーは一人一人に微かな微笑を投げかけ、時には親しく声をかけながら閲兵し、特に功績をあげた将校達と兵士達にデスラー(鉄?)十字章を授与していった。この種の勲章が大勢に与えられるのはガミラス軍の歴史においても初めての事だった。この事に関して、彼はナポレオンのような言葉をガデルに対し言っていた。

 「兵達を率いるには、飾り物がいるのだ。」

 整列する将兵を一人一人自らの目で点検し終わると、デスラーは玉座のある壇上へと戻り、全部隊の将兵に向けた訓示を始めた。玉座の間に整列する将兵に向かって語りかけるという形式で行われるデスラーの演説は、映像として各艦の艦橋のメインスクリーンや艦内のモニターに映し出され、将兵達は起立・不動の姿勢でこれを聞く。デスラーの訓示の内容は次のようなものだった。まず、「我が軍団」「我が副官」という言葉を用い直説法で兵士に語りかけ、野営地の部隊の最近の状況について熟知しているところを見せた。

 「諸君。我が軍団は、厳しい訓練に従事する傍ら、さらに多くの新兵を加え、部隊の規模を拡大させた。我々は、自らに課せられた課題をこなすだけではなく、新たな戦友を教え導く使命も引き受ける事となったのだ。達成するべき課題に加え、慣習や個々の事情の異なる者達をとりまとめ、精兵とするのがいかに難しい事か。こうしたことは貧弱な演習の言い訳にする事も可能なのだが、しかし、貴官達にはそれは不要だった。なぜなら、私は貴官達に完全に満足しているからだ」

 そして、訓練の内容に言及し、自らもまた戦術機動の知識や、『2202年8月1日規定』の内容に通じている事を示した。

 「…我が軍団は、敵が大兵力で形成する整然とした戦列をいかに崩し、包囲に追い込むかに意を用いてきた。包囲を完成させるためには、一隊が機動する間、別の一隊が射撃で敵戦列の動きを止める必要がある。しかし、これは言うまでも無く難しい事である。高速の機動を旨とする我々は、しばしば敵の戦列の眼前で、部隊を個々の旅団単位で旋回する必要に迫られ、敵の戦列からの集中砲火を浴びる事となるからである。しかし諸君はその難しい任務をよくこなした。一部の隊は戦列からの砲火により隊形が崩れる事を余儀なくされたが、それ以外のものは見事に射撃戦に対応し、戦列を翻弄した。支援軍第18旅団の働きは特筆に価するものである。優勢な敵砲火にも損害を出さず、逆に多数を撃破し機動を成し遂げたのだ。我が旅団長、ダゴンの特別な苦労があった事は明らかである…」

 デスラーの口からは時々批判も出たが、全体としては極めて肯定的な評価を下す。演説全体を通じてデスラーは旅団長達を賞賛する事に気を使い――旅団長には純血ガミラス人だけではなく一等臣民に昇格した元二等臣民が大勢いた――、将兵達に特別な敬意を払った。名を呼ばれ賞賛された将兵は皆一様に姿勢を正し総統への敬意を表した。訓示はやがて、戦いの大義へと話を移していく。

 「諸君。我々がそれぞれの故郷を離れて既に2年余りになる。だが、我々は決して徒(いたずら)に宇宙を放浪していたわけではない。大ガミラス帝国の再建、大小マゼラン諸族の復興。この宿願を果たすためである。…諸君。宇宙は広大である。我々の願いを果たすに足る富と惑星は眼前に広がっている。ゆえに、我々は十分に戦力を増強し、来るべき日に備えなければならない。銀河に揺るぎない足場を築き、蛮族と周辺の星々をことごとく討ち従え、偉大なるガミラス帝国を、再びこの大宇宙の盟主とするのだ!諸君の今までの苦労に感謝し、なお一層の忠誠を期待する。」

 こうして締めくくられたデスラーの演説に、全軍の将兵達は「ガーレ・デスラー」「ガーレ・ガミロン」の歓呼で応えたのだった。

 総じて訓練視察におけるデスラーの行動は、訓練中の将兵に敬意を払い、彼らの心を巧みに掴むものと言えた。彼は巨大な規模に膨れ上がっていく国軍、特に航宙艦隊が自分や帝国にとって信頼できる存在になるように一般将兵のレベルから軍を掌握しようと努めていたのである。

 それに加え彼は、将兵を精鋭に仕立て上げると同時に彼らからの支持も獲得できる仕組みを兵の育成システムの中に設けていた。訓練の監督官が下士官や下級将校に『2202年8月1日規定』についての知識を質問するのがそれである。こうする事で、殆どの場合艦艇や機器の操作の習熟のみが求められる下士官や下士官上がりの下級将校に対し、指揮官となるのに必須だが日々の業務をこなすだけでは身に着けることのできない高等用兵の知識――例えばある状況下で敵が何を考えどう動きうるか、それに対しこちらはどのように部隊を動かし戦うか、といった戦術シミュレーションと指揮・統制のノウハウであるが、これは地球であれば軍大学で学ぶ事柄だった――を学ぶ機会を与え、彼らが指揮官に昇進できる道を開いていたのだった。

 この”教育”では、優秀と認められた者は成績優秀者としてデウスーラで閲兵を受け、特に優秀な場合はデスラー十字章を授与されるという仕組みになっていた。この措置は国軍、特に航宙艦隊の拡大を見据えてのものでもあった。今訓練を行う最中にも、続々と新しい艦隊が造成されていた。デスラー十字章は授与された者が指揮官としての将来を嘱望されている事を周囲のものに示す格好の目印だったと同時に、新たに造成された艦隊を指揮する指揮官候補を選抜する装置としても機能していたのである。

 こうした努力や制度の結果、デスラーは新たに造成された正規軍師団や支援軍師団においても一般将兵の支持を獲得するのに成功した。従来から存在している部隊の将兵のデスラー支持は変わらなかったから――大マゼランの会戦に参加した将兵の多くが、下士官は将校に、兵士は下士官に昇進を果たした上に、彼らには指揮官に昇進できる道までもが用意されていた――、今や全ての国軍将兵のデスラーへの支持は揺るぎないものになったと言っても過言ではなかった。デスラーはこうした一般将兵の熱狂的支持と、各惑星社会で広く見られるようになった救済者としての支持を背景に、帝国の基盤を確固としたものにしていったのだった。


―― 2 ――

【Amazon.co.jp限定】宇宙戦艦ヤマト2199 アートキャンバス(深宇宙の魔響) ――惑星ザルツの恒星系。デスラーが視察に赴いた訓練野営地の近傍に位置していたこの恒星系に、訓練の視察を終えたデウスーラが戻ってきた。デウスーラに付随して帝国各地を巡回する大型住居艦を残し、デウスーラは訓練視察へと赴いていたのである。かつての第二バレラスよりは小さいがそれでもデウスーラをはるかに上回る巨艦へとデウスーラが近づいていく。

 「住居艦への接舷10秒前。9、8、7……」

 デウスーラは住居艦へのドッキング・シーケンスに入った。艦橋でオペレーターがカウントダウンを開始する。艦橋の窓を覆い尽くすかのように広がってくる住居艦の巨大な艦影を、玉座に座るデスラーは悠然と眺めていた。オペレーターの「ゼロ」という声と同時に、ずんという音響がデウスーラ艦内に鳴り響き、デウスーラはドッキングを終了した。デスラーと、とある任務のために訓練地から同行したガデルが住居艦に降り立つ。住居艦のデッキでは、ヴェルテ・タランとそのスタッフ達が整列していた。デスラー達を出迎えたヴェルテが言った。

 「総統。ザルツの自治政府代表と”生産施設運営者”代表が面会を求めております」

 デスラーが巡回先で必ず受ける多数の伺候や面会、請願の一つだった。デスラーは指示した。

 「応接の間に通せ」

 「ザー・ベルク」

 ガデルの兄でありヤマトのバレラス襲来後もデスラーの傍で仕え続けたヴェルテ・タランは、デスラー復権後、以前と同じく軍需生産面を統括する軍需省の長官と国防総省のトップを兼任する事となった。彼は元の地位に納まったその日から、ガミラス軍を再建するべく艦艇を中心とした軍需生産と兵器開発の陣頭指揮を執り続けていた。デウスーラ三世を建造し、デウスーラに付随する住居艦が完成すると、自らも住居艦に移り、デスラーやデウスーラと共に帝国各地の生産現場を視察する日々を送っていたのだった。

 デスラーが住居艦内に設けられた「応接の間」に向かうと、既に面会者が控えていた。デスラーはこうした多数の面会者や請願者に会うのに、時と状況によって面会する場所を使い分けていた。デウスーラの艦橋にある「玉座の間」と、住居艦に設けられた「応接の間」や「謁見の間」、そして有人惑星にある迎賓館である。地上でデスラーに会うというのでなければ、面会者達は宇宙船に乗ってデスラーに会いに行くことになるが、その時彼らは必ずデウスーラと大型住居艦、そしてその周囲を固める親衛艦の威容を目にすることとなった。ガミラス第二帝国に住む人々にとって、デウスーラと大型住居艦はそれぞれ帝国の「武の象徴」であり、「統治の象徴」であった。
それと同時に総統であるデスラーにとってのデウスーラと大型住居艦は、帝国各地を隈なく見て回り、帝国を統治していくのに絶対に必要な、「移動する宮廷」であり、何よりも「戦う宮廷」なのであった。

 豪勢な椅子と執務を行える大きな机が置かれた、地球で言う執務室のような風情の「応接の間」において、デスラー総統はザルツの自治政府代表達との面会を行った。彼らの陳情は以下のような内容だった。

 ――宇宙で生産される物品の内、民生品の割合をもう少し増やして欲しい、それが無理なら地上で工場を作るために軍需品の中から機械等の資材を少し分けてもらえないだろうか。そのかわり、支援軍に提供する人員を更に増やす。

 デスラーはヴェルテ・タランに訊いた。

 「タラン、艦艇の生産に余裕はあるのか」

 「ザルツでの生産のノルマは達成できていますが、余剰の品は他の生産が遅れている星の艦艇の艤装に回したい考えです」

 「なら、工兵隊の工作機械と装備の一部を貸与しよう。できるかね?」

 デスラーに訊かれたガデル・タランは可能ですと答えた。デスラーはヴェルテに指示した。

 「貸与している間に君は彼らに与える機械と資材を工面しておきたまえ。…それと」

 デスラーはザルツ人の名誉ガミラス臣民である”生産施設運営者”代表の方を向いて言った。彼はザルツ恒星系の宇宙や地上にある、ガミラスが築いた生産施設の運営者である一等ガミラス臣民や名誉ガミラス臣民達を統括する団体――地球で言えば業界団体がこれに近い―― の代表だった。

 「新たに作られる工場の半数は”他の星からの移民”に、残りは君の星の一等臣民達に与えてやりたまえ。人選は君に一任しよう。自治政府とよく相談して決めよ。自治政府は支援軍の人員提供の拡大枠を、タランと相談したまえ」

 「了解しました」

 デスラーは陳情者達に、新たに工場を作り、その半数を純血ガミラス人移民と少数ながらザルツに来た大小マゼラン諸族の移民――いずれも一等臣民である――に経営させ、残りをザルツ人の一等臣民に経営させるように指示した。ガミラス第二帝国の典型的な施策の一つだった。これから彼ら陳情者達は、移民達が惑星社会で円滑に活動していくのに必要な事――具体的には純血ガミラス人をはじめとする移民達が作る企業に現地住民を雇い入れ、一等臣民権を持つ現地住民との事業提携を通じて移民達が、各々惑星社会に入り込み活動していけるだけの人脈を作るのを後押しする事――を行い、惑星社会で経営をしていくのに適切な人間を選んでいく事になるのである。

 こうしたごく実務的な会話を交わした後で、デスラーは次のような言葉を面会者達にかけ、面会は終了した。

 「君達が帝国に捧げた忠誠と貢献はとても大きい。我々が銀河系で勝利を収めた暁には、君達ザルツの民は多くのものを手にする事ができるだろう。期待していたまえ」

 陳情の内容そのものは、戦時生産の真っ只中にあるガミラスにおいては非常にありふれたものであっただろう。しかしもし仮に、地球から使節が訪れてこの面会の場に居合わせたとしたら、使節はこの会話からガミラス帝国の統治について極めて多くの情報を引き出したに違いない。ザルツ自治政府代表達とデスラーとの間で交わされた会話には、ガミラス第二帝国の社会状況を窺うことのできるいくつもの重要な事柄が含まれていたからである。会話で注目すべき点は2つあった。一つは名誉ガミラス臣民がガミラス帝国において果たしている役割である。ガミラス帝国が惑星社会を支配する上で、名誉ガミラス臣民はどのような立場で、どのような活動をしているのか。そしてもう一つは、本来ならガミラスに征服され彼らに協力的になり得ないはずのザルツの自治政府が、なぜ自ら進んで支援軍兵士にする人間の提供拡大を申し出たのか、という点である。この事について理解するには、ガミラスの植民政策及び同化政策のあらましとその歴史から話をしていかなければならない。名誉ガミラス臣民も支援軍への人員提供も、それらの政策と深い関わりを持っていたからである。

 ガミラスの植民政策と同化政策は一体いかなるもので、どのような歴史を辿ったのか。以下の三つの時期に分けて話をしていきたい。
  • 第一帝国期(ガミラス帝国形成からヒス・ディッツ政権成立まで)
  • 動乱期(ヒス・ディッツ政権成立からガミラス第二帝国成立まで)
  • 第二帝国期(ガミラス第二帝国成立からガトランティス戦争直前の現在まで)
 デスラーとザルツ人の会話が垣間見せた名誉臣民と支援軍の不思議な姿は、実にこの三つの時期を経て形作られていったものなのである。


【第一帝国期――ガミラス帝国形成からヒス・ディッツ政権成立まで】

 かつてガミラス帝星に存在したガミラス大公国を統一し誕生したガミラス帝国は、版図を大小マゼランに拡大していく過程で多数の純血ガミラス人移民を征服した惑星に植民させていった。彼らの多くは元々、デスラーの叔父エーリク・ヴァム・デスラー大公の治める「デスラー公国」がガミラス大公国を統一する際に滅ぼした他の公国の民であり、デスラーとその政権に反感を抱き反乱を企てかねない存在だった。デスラー政権は潜在的危険分子である彼らを移民の形で体よくガミラス帝星から追放し、さらには彼らを懐柔するために征服先の土地や資産を与え、職の提供を行っていったのだった。

 では、彼ら移民達は移住先でどのように暮らしたのか。21世紀初頭の地球よりも遥かに科学技術と工業が発達した世界に生きる彼らは、古代ローマの植民市の住民のように建設された都市で個人商店を営み、あてがわれた農地を耕して暮らす、という(工業化された世界の人間から見て)素朴な生活を送ったりはしなかった。彼らは――21世紀初頭の地球で多くの人間が行っていたように――自らの住む居住地に留まらない、惑星規模の生産・商業活動を行おうとしたのである。

 純血ガミラス人の移民達は、生活の糧を得るため、そして何よりもガミラス政府に後押しされて、移住先の惑星で多数の実験企業を設立した。それらはガミラスの技術で作られる、例えば空中浮遊車のようなガミラス製品を売るディーラーであったり、惑星メランの碧茶といった惑星の特産品を売買する商社であったり、あるいはガミラスの技術に入植先の惑星固有の技術を加え製品開発と製造を行うメーカーであったりした。デスラーとその政権は、こうした純血ガミラス人移民の活動をある二つの政策に巧妙に結びつける仕組みを作り上げた。同化政策と、軍需生産の拡大である。

 ガミラスの同化政策は主に二つの要素から成り立っていた。一つは「政治的な同化」であり、被征服民の二等ガミラス臣民の中から有用な者を一等ガミラス臣民や名誉ガミラス臣民に登用し、デスラー政権を支え帝国を統治する支配エリートに彼らを加える事である。もう一つは「文化的な同化」であり、ガミラス的な生活様式を普及させ惑星社会のガミラス化を促す事だった。平たく言えば、古代ローマが征服地に対して行ったローマ化と同様の「征服地のガミラス化」である。

 では、ガミラスはどのようにしてそれを実現しようとしたのか。かつてのローマは浴場や劇場といった公共施設を建設することで征服地にローマ的な生活様式を広めていったのだが、ガミラスのやり方はそれとは少し異なっていた。ガミラスは征服地にガミラス的な都市を建設もしたのだが、それよりも遥かに、何よりも力を入れた事があった。それは、「ガミラスの技術で作られた工業製品を大量に惑星社会に供給する」という事だった。

 この施策は、ローマ風の同化政策を工業化された世界に適合させたものであると言えた。何故なら、生活空間に工業製品があふれかえる社会において、身の周りの製品の多くがガミラス製品に置き換わる事は、公共建築を行うよりもガミラス的な生活様式を普及させるのにずっと手っ取り早く直接的であり、効果的だったからである。(この状況を私達がイメージするには、例えば私達の家にある車や家電製品、机や棚、食器といった工業製品の数を数え上げ、それらが全てガミラスの製品に置き換わったと想像してみればいいだろう。また、テレビや車や音楽機器といった製品がもたらす娯楽がいかに私達のものの考え方や価値観に影響を及ぼしているかを考えれば、ガミラス製品の大量供給がいかに被征服民の価値観や考えをガミラス風に染め上げ得るものであるかを想像する事ができるだろう。)

 それに加え、工業製品の供給を行うガミラスの同化政策は軍需生産の拡大と極めて相性が良かった。工業製品と生産施設は全て兵器生産に応用できたからである。例えば宇宙で生産された品や交易品を運ぶ船を作る造船所は軍艦を生産する事ができたし、工場で作られる電子部品や資材は艦艇の艤装品に使用できた。このような事情から、ガミラスの同化政策は軍需生産面を統括する軍需省の長官と国防総省のトップを兼任するヴェルテ・タランを中心として展開される事となったのだった。

 同化政策を行うにあたり、ヴェルテが実施した施策は多岐にわたった。まず、土地や資産の取得に関して一等臣民の二等臣民に対する優先権を与え、一等臣民の財産への惑星政府の課税を制限するという「一等臣民の特権」制度を設けた。これはガミラス帝星からの移民達が既に文明と産業が高度に発達した大小マゼラン諸惑星に移住し、事業を起こすために必要な事であった。こうした星々は殆どの場合――21世紀初頭の地球と同様に――惑星全土に現地民が居住していて、惑星政府が移民達に与えうる土地は砂漠や極地といった、人の住むのが困難な場所しかなかったからである。そのため、移民達が事業を行うのに好都合な土地(都市の中心部や、都市近傍の田園地帯など)を取得し、惑星政府が彼らに税を課して「移民達に奪われた」土地や資産を奪回するのを防ぐために「一等臣民の特権」制度は設けられたのだった。

 次にヴェルテが行ったのは、多くの土地を征服戦争直後に接収し、そうでない時は相応の価値であるとガミラス側が判断した金額で買い取り――この点ではガミラス政府は二等臣民に対し一定の権利を認めていた――、そうした手段で獲得した土地と宇宙に多数の生産施設(造船所や工場、農業プラントなど)を築く事だった。そしてそれらを、純血ガミラス人移民の実験企業達に運営させた。事業者達はガミラス政府に払い下げられた設備を各々改良し、拡張しながら惑星社会での商業活動を行っていく事となったのである。

 以上のような法制度と施策を整えた上で、ヴェルテは軍需生産の拡大、中でも艦艇の生産能力を拡大していくのに必要な措置を次々と行っていった。特徴的なのは、そのことごとくが民生品の技術改良や大量生産と直接に結び付いていた事である。いくつか例示すると次のようなものが挙げられる。

 例えばガミラスは生産施設を宇宙に建造するにあたり、殆どの場合その位置を大規模な資源採掘が容易な多数の衛星を伴う気体惑星(太陽系で言えば木星や土星のような外惑星がそれにあたる)の傍に定め、一つの”工業宙域”を形成させた。この工業宙域は多数の工場と造船所を集中させた、地上の“工業地帯”を大きく上回る規模を持つものだった――三次元の宇宙空間は二次元の地上よりも施設を大規模にする事が容易にできる――が、こうすることでガミラスは所謂「規模の経済」を惑星社会に対して及ぼす事ができた。つまり、惑星全体の生活風景を塗り替えてしまう程の大量の製品を、その進んだ科学技術による超品質と惑星社会の在来品を下回る価格で供給できたのだった。(※1)(※2)

(※1)ガミラスが”工業宙域”の施策を実現できた技術的要因として、ガミロイドと波動エンジンの存在が挙げられる。有人惑星から遠く離れた工場や資源採掘場では専らガミロイドが働いていて、そこには人間は僅かしかいなかった。宇宙で工場を作る場合、そこで働く大勢の人間をどうやって宇宙で暮らせるようにするかが問題となり、また製造コストを大きく押し上げる要因となるのだが、ガミラスはその問題を回避することができた。
 また、波動エンジンを備えた輸送船は、広大な恒星系内をものの1日で移動し、大量の品を惑星に送り届ける事ができた。(因みにガミロイドのような高度なヒューマノイド・ロボットの技術がなく波動エンジンもなかった地球はガミラスのような工業宙域を木星等に設ける事ができず、大規模な工業施設は殆ど地球の地上に存在していた。そのため、ガミラス侵攻当時の地球の工業力は純粋な規模においてもガミラスが支配していた一星系のそれにすら大きく劣っていたのだった。)

宇宙戦艦ヤマト2199 公式設定資料集<Garmillas>(※2)ヤマト2199劇中の描写を見る限り、少なくともガミラスでは大規模な工業施設や艦隊を収容できるドックは宇宙に存在するのではないかと思われる。地上にある宇宙港の乾ドックは数千隻の艦隊を収容するだけの数はどう見てもない上に、19話で長い事ドック入りしていたり整備中だった空母4隻はドメル達を乗せるために空から降下してきた。この事はガミラスの主要な工業設備が宇宙にある事を示唆している。だからこそデスラーは23話で帝国の戦力造成の心配をすることなくバレラスを破壊しようとする事ができたのではないかと思われる。
 また、ガミラス帝星の静止衛星軌道上で建造された第二バレラス(※公式設定資料集[GARMILLAS]の記述より)を構成する各ブロックは、633工区のように各々がエンジンを備え自力航行できる事から、宇宙の工業施設で製造された後ガミラス帝星の静止衛星軌道に自ら移動して来て連結されたと思われる。(ついでに言えば、全長1500m以上もある惑星間弾道弾も事故で爆発した時の惨状を考えれば宇宙で製造されていると考えた方が自然だろう。)

 この工業宙域の形成は同時に、艦艇の大量生産をも容易にした。宇宙での生産は製品を運ぶための大量の船の需要を生み出し、需要を満たせるだけの船を生産する――建造ではなく、”生産”と呼ぶのがふさわしい規模だった――造船所は恒常的に軍用艦艇を生産できたからである。ヴェルテはこうした工業宙域をガミラスが征服した諸星系に設けていった。

 これ以外にもガミラスでは、艦艇や民生品の生産拡大と技術改良を同時に実現するために「規格の共通化」や「惑星の在来技術の摂取」といった措置が実施されている。ヴェルテは地上や宇宙で生産される電子部品や資材が、艦艇の艤装に直ちに使用できるように各種の規格を定めていった。この「共通規格の制定」は艦艇の生産に寄与すると同時に、新たな移民事業者の業界への新規参入を容易にし、事業者同士が共通の土俵で競争する事を促進した。そして彼は、ガミラスの技術に入植先の惑星固有の技術を加えて製品開発と製造を行うメーカーに対し、資金や制度面で積極的な支援を行った。彼らのもたらした技術的成果は直ちに艦艇や兵器の開発に取り入れられ、メーカーもまた、この措置により惑星社会で受け入れられる製品を作りそれらを社会に浸透させていく事ができたのだった。

 以上のようなヴェルテ・タランの同化政策は、デスラーとその政権に反感を抱き不満を爆発させかねない純血ガミラス人移民を懐柔し、惑星社会のガミラス化を開始するのに多大な成果を収めた。多くの純血ガミラス人移民が事業者や実験企業の勤め人となって経済的な成功を収め富裕になっていき、ガミラス政府は彼らに対し恩を着せる事ができたからである。彼らは、ガミラス政府のおかげで生計を立てる手段だけではなく富をも手にする事ができたのだった。

 政策の後押しを受けた純血ガミラス人移民達にとって、事業で成功を収めるのは容易なことだっただろう。彼らは帝国の国庫から借りた資金で帝国の用意した工場や土地や船を購入し、持ち前の進んだ科学技術を製品作りや交易に発揮する機会を与えられたからである。彼らの作る製品は、ガミラスよりも科学技術の遅れた惑星ではとてつもなく先進的な機能と品質を持ち、しかもその惑星の在来品よりも安価だった。その優位性と利便性は誰の目にも明らかで、「ガミラスの製品など買うな」という運動もそうした事実の前には空しいものでしかなかった。(例えば仮に21世紀初頭の地球がガミラスに征服されたとして、ガミラスが空中浮遊車やホログラムテレビを安価に売り出したと想像してみよう。空中浮遊車は悪路の影響を全く受けず、ホログラムは地球人にとって空想でしか存在しえなかった道具である。それらの品は地球の電気自動車も燃料電池車も、液晶テレビも全て時代遅れにして市場から駆逐してしまうだろうし、不買運動も効果がないのではないだろうか)

 それに加え、波動エンジンを備えた彼らの船が運んでくる諸惑星の珍奇な特産品は、征服地の惑星社会に大きな衝撃をもたらした。その結果、多くの人間がガミラスの移民達から商品を購入するようになっていったのである。惑星社会に住む多くの人間の目には、純血ガミラス人移民の成功は半ば約束されたものであるかのように見えたのだった。

 もっとも、純血ガミラス人移民の経済的成功の要因を国の政策だけに帰する事はできないだろう。彼ら純血ガミラス人は(自分達以外の種族を侮蔑する欠点を持つ一方で)元々非常に進取の気性に富んだ人達であり、その気風はどの惑星でも大いに発揮されたからである。彼らは入植先で故郷にはない文物や技術を貪欲に学び取ると、それらを自らの生活や技術体系へと積極的に取り込んでいった。この彼らの「美徳」は、特にガミラスと同等かそれ以上に科学技術が進んだ惑星において発揮された。彼らは征服地の文物や製品に使われる技術を学び取ると、それにガミラスの技術を加え、最終的に征服地の在来品を凌駕するものを作り出し惑星社会へと供給していったのである。その姿はさながら古代ローマ人のようであった。ローマ人は往々にしてローマ人以外を侮蔑する一方で、敵対した国の技術や文物を貪欲に学び取り、最終的に敵対者を凌駕するものを数多く生み出していったからである。

1/1000 ポルメリア級強襲航宙母艦 (宇宙戦艦ヤマト2199) このガミラス人の「進取の精神」を象徴するものとして、例えばポルメリア級強襲航宙母艦と偵察機FG156スマルヒを挙げる事ができる。「推進用の噴射口はなく、4基の重力制御装置により航行する」ポルメリア級と「翼端に装備した重力バランサーで機体制御を行う」スマルヒ(※公式設定資料集[GARMILLAS]の記述より)は、それぞれ征服地でガミラス人移民が摂取した技術を採用して開発された兵器であったが、両者は使用する技術だけではなくその外観もまた従来のガミラスのものとは大きく異なっていた。噴射ノズルを持たず四方に触手を伸ばしたような姿のポルメリア級は、ガミラス軍が昔から使用してきたガイペロン級航宙母艦と全く異質であったし、キャノピーが存在せず補助翼や姿勢制御ノズルを使用せずに機動を行える(※公式設定資料集[GARMILLAS]の記述より)スマルヒもまた、ツヴァルケ戦闘機をはじめとするガミラスの旧来機と異質な外観と特徴を備えていた。

1/1000 大ガミラス帝国軍 ガイペロン級多層式航宙母艦 シュデルグ (宇宙戦艦ヤマト2199) こういった異形の形状と技術仕様は運用やメンテナンスを行う上で多大なデメリットをもたらし得る(例えばポルメリア級のような形状ではガイペロン級に使用している乾ドックに艦体が収まらない)のだが、にもかかわらず本来非常に保守的であるはずの国軍は、これら「異形の兵器」を採用するだけでなく大々的に使用する事までやってのけた。この事からも、いかに純血ガミラス人が(軍民問わず) 進取の精神に富んでいたかを窺い知る事ができるだろう。このようなガミラス人の気風が生み出した兵器や民生品は、ガミラスと敵対し併合されていった惑星――ガミラスより科学技術が遅れた星だけではなく、同等かそれ以上の星であっても――のそれに対し大きな優位を持つ事となった。例えばスマルヒは地球の戦闘機が全く追従できない機動を見せた(ヤマト2199第2話)が、それはガミラスが征服地で獲得した技術の賜物だった。そして、軍で採用された技術が征服地でガミラス人移民の得た技術的成果のごく一部である事を考えれば、民生品の優位もまた推して知るべしであった。

 こうして、殆ど全ての征服地で大きな技術的優位を持つ事になったガミラスの工業製品は、被征服民の惑星社会に受け入れられていき、その結果として征服地に緩慢な速度ではあったがガミラス的な生活様式と文化が普及していく事となった。しかも、これには軍需生産の拡大もセットとなっていたのである。このガミラスの同化政策の成功を、ヴェルテ・タランはガミラス帝国の建国記念式典において次のような言葉で誇ったのだった。

 「同化政策も順調に進んでおります。帰順を示した者には滅亡ではなく二等臣民としての権利を。これが帝国繁栄の礎となっております」

 しかし、ヴェルテ・タランの同化政策は確かに大きな成功を収めたものの、にもかかわらず帝国が形成された時から抱える問題を完全には解決できていなかった。それどころか、時間の経過と共にその政策は綻びを見せるようになっていく。例えば政権に反感を抱いていた純血ガミラス人移民の場合、多くの者が入植先で富裕になり帝国に恩義を感じるようになっていったが、それでも経済的成功からとりこぼされた人々を中心に依然として少なくない人間がデスラーとその政権に対して反感を抱いたままだった。

 また、諸惑星の社会ではガミラスの事業活動により多くの二等臣民の在来事業者が圧迫されて倒産し、良くても廃業の瀬戸際へと立たされた。多くの場合(21世紀初頭の地球の名だたる巨大企業と同様に)惑星社会の有力者であった彼らは同様にガミラスに不満と反感を抱く二等臣民――ガミラスの企業のために失業に追いやられた人々や、戦争と”札束”で土地を奪われた人間、事業や納税や資産の取得などのあらゆる経済的な事柄で一等臣民たる純血ガミラス人と差別的な扱いを受ける事に憤る人々など、社会のあらゆる階層と階級の人々がガミラスに不満と反感を募らせていた――を糾合し、あるいは焚きつけてガミラスへの反乱を画策するようになっていった。

 この未だに残る”純血ガミラス人移民の反感”や帝国各地で鬱積していく”二等臣民の怒り”といった帝国の諸矛盾は、何かのきっかけさえあればたちまち帝国への反乱が続出する一大要因となった。ヤマトがガミラス帝国に侵入した時点では、その噂が流れただけで各惑星管区で蜂起が相次ぐ程状況は深刻になっていたのだった。

 この時に起きた反乱の中でも惑星オルタリアで起きた蜂起は、帝国の植民と同化政策の矛盾が象徴的な形で現れた事例であっただろう。この蜂起の中心になったのは都市や平野部に住む、オルタリアの経済活動を一手に担う人々であった。一方、経済上は僻地にしかならない山岳地帯の山岳民族は、惑星全土を巻き込む規模となった蜂起の最中(さなか)、蜂起とは距離を置いて戦いの惨禍を避けるために山上へと避難した。蜂起は決起民が首都を包囲し――純血ガミラス人移民が”占拠”し、事業を行っていた場所だった――、脱出した総督が反乱の鎮圧に出動した親衛隊に移民の救助を懇願する事態となった。これに対し親衛隊は無情にも、反乱者だけではなく総督や移民団をも抹殺する措置を採った。帝国や親衛隊にとって、移民はあくまでもオルタリア人同様に反旗を翻しかねない危険分子に過ぎなかったし、移民の保護を求める総督もまた、彼らを率いる「反乱予備軍の頭目」でしかなかったのである。こうして、親衛隊のハイドム・ギムレー長官はオルタリア総督に対し次のように言い放ち、オルタリアの全てを”焼き尽くした”のだった。(※3)

 「帝国と総統に反旗を翻す星は、大ガミラスの版図に存在してはなりません。総統への忠誠に欠けた、あなたもですよ、総督」

(※3)純血ガミラス人移民もろともオルタリアを殲滅した15話の描写は、ハイドム・ギムレーの残忍さゆえの行き過ぎた行為に見えるが、ガミラスの移民政策の歴史的経緯を考えれば帝国支配の徹底を図る上で一定の合理性があったと言えるだろう。親衛隊にとって、いつ反乱を起こすか分からない移民達は助けて帝都バレラスに連れ帰るわけにはいかなかったのである。

 結局のところ、ガミラス帝国で多くの二等臣民が反乱を起こした背景には、「純血ガミラス人しか帝国の受益者になれない」という現実があった。(もっとも、そのように言えばヴェルテ・タランは「帝国は進んだ科学技術による産物と恩恵を全ての人にもたらした」と反論しただろうが。)彼らの帝国への怒りを解決するには、何らかの政治的措置をとる必要があったが、実はガミラスの同化政策にはこの問題への回答が既に用意されていた。それが「文化的な同化」と並ぶガミラスの同化政策のもう一つの要素である、「政治的な同化」だった。

 「被征服民の二等ガミラス臣民の中から有用な者を一等ガミラス臣民や名誉ガミラス臣民に登用し、デスラー政権を支え帝国を統治する支配エリートに彼らを加える」というガミラスの「政治的な同化」政策は、政治的な地位だけではなく経済的な恩恵をも登用した者にもたらすものだった。何故なら、一等臣民や名誉臣民に登用された者は、純血ガミラス人移民と全く同様に事業者としての優遇を受ける事ができたからである。ガミラスの一等臣民事業者への政策がいかに彼らに富をもたらしたかを考えれば、もし諸惑星の有力者達を登用し(ガミラスの)工場等の資産を与え事業を行わせれば、彼らを富裕にし純血ガミラス人移民達と全く同様に懐柔する事が可能であると考えられた。そうなれば同じ「帝国の受益者」として彼らを帝国の統治に積極的に協力させ、「二等臣民の怒り」が糾合されて危険な事態に至るのを回避する事ができる。経済的な観点から見れば、ガミラスの同化政策には、「ガミラスの事業活動に被征服民を加える事で彼らの経済的な不満を緩和する」という要素も含まれていたのである。

 とはいえ、「被征服民を支配エリートに加える」ガミラスの「政治的な同化」政策は、帝都バレラスを中心に純血ガミラス人の猛反発を招き反乱を引き起こしかねない危険な政策でもあった。ガミラス帝国では純血ガミラス人の他種族に対する蔑視や差別が非常に一般的であり(※4)、ジレル人のミーゼラ・セレステラを除く中央政府閣僚の殆ど全員は純血ガミラス人以外の種族を登用する事に否定的だった。例えばガル・ディッツやガデル・タランは(多分に反乱を恐れて)軍中に二等臣民を僅かな数しか加えなかったし、二等臣民の部隊を規模や装備の面で決して優遇しなかった。純血ガミラス第一主義者だったヘルム・ゼーリックに至っては「政治的な同化」政策を憂い、貴族社会の復権を目指して反乱すら起こしている。被征服民の登用は、(特に第二帝国成立以前の)ガミラス帝国では唯一デスラーのみが行い得た事であった(※5)。

(※4)例えばメルダ・ディッツは10話の古代や山本との会話で二等臣民を劣等種族と言い放っている。21話の強制収容所所長はザルツ人を「帝国に寄生する劣等種族」と呼んでいたし、デスラーの女性衛士達も25話でジレル人のセレステラを「魔女」と侮蔑していた。作中で「他種族への差別をしない」とされていたドメル軍団でさえ、フォムト・バーガーは20話でザルツ人に対し面と向かって「信用できない」と言い放っているし、当のドメルまでもがセレステラを「あの女は魔女だからな」と侮蔑している(19話前半のハイデルンとの会話より)。また、19話と20話で活躍したザルツ人の第442特務小隊はパンフレットの説明によれば「常に激戦地に送られ戦い続け、いつしか精鋭と認識されるようになった」にもかかわらず、結局誰一人として一等ガミラス臣民に取り立てられる事はなかった。 

(※5)デスラーが被征服民の登用を行った要因として、彼が被征服民ばかりか純血ガミラス人にも数多くの敵を抱えていた事が挙げられる。いつクーデターを起こすか分からない名門貴族が国軍で跋扈し、デスラーやその叔父に祖国の公国を滅ぼされ反感を抱く者が大勢いるのが一等臣民の殆どを占める純血ガミラス人の実情だった。こうした状況下でデスラーは、自らの政権を確固としたものにするために種族や出自を問わず自分に忠実な人間を選抜し、政権を支える集団を作る必要に否応なく迫られていたのだった。

 デスラーはジレル人のミーゼラ・セレステラをはじめとする多くの被征服民や二等臣民を閣僚や一等臣民、そして名誉臣民に登用しているが、ヤマトのバレラス襲来以前の時期には、登用は機会を窺いつつ慎重に行われていた。何故なら、下手に大勢の二等臣民を登用すればゼーリックのような反乱が起きかねない上に、征服地の惑星社会の住民の支持を受けやすい元二等臣民の事業者が純血ガミラス人移民の事業者を競争で打ち負かし、せっかく懐柔した移民達が反政権側に逆戻りしかねなかったからだった。(この事から、同化政策の中心者だったヴェルテ・タラン自身は被征服民の登用に消極的だった。)従って、この時期に登用された人数は比較的少数にとどまり、二等臣民の反乱の抑止効果も限定的なものにならざるを得なかったのである。

 ガミラスの植民・同化政策が一定の成果を収める一方、同じ政策が生み出した矛盾に帝国は効果的に対処できない。この状況に劇的な変化が起きたのは、ヤマトのバレラス襲撃に端を発したガミラスの大動乱以降の事であった。


【動乱期――ヒス・ディッツ政権成立からガミラス第二帝国成立まで】

 ヤマトのバレラス襲撃によりガミラスが大動乱の時代を迎えると、大小マゼラン世界のあらゆる様相と同様に、ガミラスの植民及び同化政策を巡る状況も大きな変化を遂げる事となった。その過程は、帝国とそこに住む人々にとって苦痛に満ちたものであったが、概ね次のように進んでいった。

 まず、ヤマトのバレラス襲撃によりデスラーが死んだとされてヒス・ディッツ政権が成立すると、デスラー(と親衛隊)によりかろうじて抑えられていた帝国の諸矛盾が一挙に噴出し、帝国は瓦解の危機を迎えた。デスラーと帝星政府に反感を抱いたままだった純血ガミラス人移民は船を強奪してガミラス帝星に帰ろうとしたり、武器を作り帝星政府に反旗を翻す事までした。一方、ヤマト出現以来相次いでいた二等臣民の蜂起も激化して行き、ついには(ヤマトとの戦いで九死に一生を得たデスラーが潜伏していた銀河系を除く)帝国全土で大規模な反乱の嵐が吹き荒れる事態となった。

 この時期に起きた移民や二等臣民の蜂起は、究極的には”デスラーの死”がもたらした避けられない結果であったかもしれなかった。しかし、ヒス・ディッツ政権は蜂起の沈静化に失敗し、逆にそれらを帝国の手に負えないほどの規模に拡大させてしまった。その要因としては、次のようなものが挙げられた。

 第一に、ヒス・ディッツ政権は帝国に反感を抱く純血ガミラス人移民に対しその反感を解消する有効な手段を見出し得なかった。彼らはヴェルテ・タランが行った以上の方策をついに考え出す事ができなかったのである。

 第二に、ヒス・ディッツ政権は親衛隊に代わる暴力装置を設置しなかった(というよりも設置する前に政権が滅亡したという方が正確かもしれない)。帝国の同化政策で懐柔されなかった純血ガミラス人移民にとって、彼らを監視し、逆らった者の抹殺も辞さなかった恐るべき親衛隊が消えた事は、正に反乱を起こす千載一遇のチャンスであった。ヒス・ディッツ政権が強権を振るわないのを見た彼らは、各地で申し合わせたかのように一斉に反乱に立ち上がったのだった。

 そして第三に、ヒス・ディッツ政権はデスラーが登用した名誉臣民と一等臣民の身分降格を行い、二等臣民全体の激しい怒りを買う事態を招いた。バレラスを破壊しようとしたデスラーを否定する事で出発したヒス・ディッツ政権は、デスラーに登用された元二等臣民達の忠誠心を疑い、彼らが同郷の二等臣民を政治的に糾合し得る存在である事を危険視して――実際、デスラーは征服地の有力者を登用する事が多かったため政権側の危惧はあながち的外れというわけではなかった――、登用者に与えられた身分と(工場等の)資産を剥奪した。この措置は元々、二等臣民の蜂起の多発に直面したヒス・ディッツ政権が反乱の拡大防止のために行ったものであったが、それがさらなる反乱の激化に繋がってしまったのである。デスラーに登用された名誉臣民と一等臣民は、他の二等臣民達にとって自分達の境遇を改善する言わば「希望の星」になっていた事を政権は看過していた。

 以上のヒス・ディッツ政権の限界と失政の結果、ガミラス支配下の諸惑星の多くは、純血ガミラス人移民が逃亡したり決起する傍らで、二等臣民の反乱者がガミラスの工場を強奪し抵抗する移民と紛争状態になるという支離滅裂な状況へと落ち込む事となったのである。

 こうした騒乱は、ガトランティス軍が大マゼランに侵攻してくるに及んでついに頂点に達した。ガトランティス軍による大規模な劫略や奴隷狩りが行われ、そのさ中「純血ガミラス人を殺せば命だけは助かる」という流言飛語が飛び交い、それを信じた原住民が移民達と凄惨な殺し合いを繰り広げるという、正に地獄としか言いようのない惨禍が諸惑星の社会に現出したのだった。

 ガミラス帝国が混乱と惨劇の果てに滅び去ると誰もが絶望する中、帝国を救い、人々を文字通りの意味で救済したのがデスラーであった。

 大マゼランの会戦でガトランティス軍を破り大マゼランからガトランティスを一掃したデスラーは、帝国中を覆い尽くした惨禍を鎮めるために、ガトランティス軍とその奴隷船から助け出した諸惑星の臣民達――これには二等臣民だけではなく純血ガミラス人移民も含まれていた――の前で、自分こそが大小マゼラン全ての民の生活を守る存在である事を訴えた。そしてヒス・ディッツ政権に”デスラーの息のかかった者達”と危険視され身分降格された名誉ガミラス臣民や一等臣民を復位させ、同政権に対し反旗を翻した二等臣民の多くを赦し、純血ガミラス人移民が移民先で得た資産をあらためて安堵していった。

 このようにして戦争の惨禍と混乱を収拾し、二等臣民や純血ガミラス人移民の生命と財産を守ったデスラーは、二等臣民の支持だけではなく純血ガミラス人移民の全面的な支持をも獲得する事に成功した。戦争の勝利により、デスラーはようやくにして”反乱予備軍”の純血ガミラス人移民全てに、自分に刃向かうよりもその支配を受け入れた方がましだと、認めさせる事ができたのだった。

 その上でデスラーは、それまでを上回る規模の、帝国全体の何千という臣民(純血ガミラス人、二等臣民を問わず)を帝国の支配エリートである名誉ガミラス臣民に登用し、さらにそれを遥かに上回る数の二等臣民に一等臣民権を授与していった。そして登用した臣民達に土地や生産施設等の資産を与え、大規模な植民を開始した。

 これは純血ガミラス人に対して行ったのと全く同じ施策だった。つまり、デスラーが「二等臣民の怒り」に対して提示した解決法は、彼らのうち特に危険な階層や有用な者(例えば反対勢力を糾合しうる惑星の有力者や貧困者など)に自身と家族の暮らしを支える手段を与え、富を得られるようにすると同時に彼らの多くを純血ガミラス人移民と全く同じ立場にしてしまう、ということだったのである。これを行うのに、ガトランティス軍により無人の地となった惑星や土地、所有者のいなくなった工場が数多くあった事は幸いした。大量の登用者に与える物には困らなかったのである。そして破壊しつくされ無人となった土地への入植は、大量の工業製品と仕事の需要を生み出す事となった。

 規模を拡大した植民と並行して、昇格した一等臣民や純血ガミラス人の移民達が植民先の惑星社会で円滑に活動するため、デスラー復権からガミラス第二帝国成立にかけての時期にそれまでの制度をより発展させた仕組みが整えられていった。この新しい仕組みで重要な役割を担ったのが、デスラーに登用された大勢の一等臣民達と、諸惑星の名誉ガミラス臣民達であった。


【第二帝国期――ガミラス第二帝国成立からガトランティス戦争直前の現在まで】

【Amazon.co.jp限定】宇宙戦艦ヤマト2199 アートキャンバス(宇宙駆ける艦) ――こうして、これまで度々「帝国の支配エリート」という言葉と共に言及してきた名誉ガミラス臣民について、ようやく説明できるところまで来た。この節の冒頭でデスラーが面会したザルツ人の名誉ガミラス臣民を思い出してみよう。彼は面会に際し、惑星ザルツ自治政府代表と同席していた。この事が示すように、彼ら名誉臣民はデスラーを頂点とする帝国政府と惑星社会の橋渡しをし、帝国の惑星支配の中核となる人々である。では、名誉ガミラス臣民は惑星社会においていかなる地位であるのだろうか。 また、ガミラス帝国が惑星社会を支配する上で、名誉ガミラス臣民はどのような活動をしているのだろうか。

 一般に名誉ガミラス臣民とは、次のように定義される身分である。

 「名誉ガミラス臣民は一等ガミラス臣民より上の”デスラーの朋友”と称すべき身分で、帝国の支配エリートはこの名誉ガミラス臣民と一等ガミラス臣民の高官・将軍・首長といった上層部とで構成される。名誉ガミラス臣民は種族を問わずデスラー個人に認められた者のみがなることができ、その登用や解任はデスラーの一存で決められる。名誉ガミラス臣民は一代限りの身分であり、その子供は一等ガミラス臣民となる。」

 デスラーは純血ガミラス人だけではなく幅広い出自や階層の人々から名誉ガミラス臣民を登用したが、登用された人々は多くの場合帝国に貢献したと認められた人間か、あるいは貢献できると思われた人間だった。具体的には、戦いや研究や事業で功績を挙げた者や諸惑星の有力者等である。彼らは登用後、総統への忠誠と引き換えに名誉臣民の”権利”として個々の事情に応じガミラス社会で名誉とされる職や財産を与えられた。例えばガミラス帝国建国記念式典の日に名誉臣民となったヒルデ・シュルツの事例では、彼女はまだ幼く勤労者としての経験がない事から彼女にはイスカンダル皇女や政府要人の付き人というガミラス社会において名誉とされる役職が与えられている。また、惑星社会の有力者――21世紀初頭の地球は名だたる巨大企業が社会の有力者となっていたが、それと同様に諸惑星の有力者も惑星有数の事業者である事が多かった――が登用された場合、登用された者には農場プラントや工場等のガミラスの生産施設が一代限りの財産として無償で与えられた(※6)(※7)。

(※6)同様に生産施設を与えられた一等臣民の場合、施設は有償であり殆どの場合帝国の国庫から資金を借りて購入していた事から、この点が名誉臣民と一等臣民の違いであるといえた。

(※7)工業宙域に代表されるガミロイド主体の工業生産は、ガミラスの経済を地球とは全く異なるものにしていた。宇宙でガミロイドが資源採掘し、製品を作り、ガミロイド自身の保守部品もガミロイドが作るという生産サイクルには、人件費をはじめとする費用が全くと言っていいほどかからない。必要なのは工場をゼロから作ったり設備を追加したりするための設備投資だけで、それ以外では費用を気にせずひたすら生産を続けることが可能である。
 そのためガミラスでは、地球では大問題とされる「過剰生産設備」がどの星系でも平然と行われていた。つまり、本来の需要を上回る数の工場を建造し、過剰に生産される分は全て兵器生産に廻していたのである。むしろガミラスでは、最初から民需をはるかに上回る数の工場を建造し、その一部を一等臣民や名誉臣民に与えていたと言う方が実態に近いかもしれない。
 そしてガミラスには、ガミロイドが働き通常は兵器を生産している国有工場の生産ノウハウの改善や、工作機械の改良を行わせるために人間の事業者に工場を与え事業を行わせるという発想も存在していた。大勢の事業者に試行錯誤を行わせ、その中で成功したモデルを選び出して国有工場に適用していたのである。

 このように名誉臣民には社会の有力者から比較的下位の者まで含まれていたが、ガミラスの統治を語る上で重要なのは前者の事例である。惑星社会の有力者でありガミラスから生産施設を与えられた名誉臣民は(これまで純血ガミラス人移民が莫大な富を築いた経緯を説明してきたように)、それにより巨大な富を獲得した。ガミラスの科学技術を用いる事業者として、彼らは惑星社会の経済的支配者の一員となったのである。

 また、名誉臣民は”デスラーの朋友”という立場を利用してガミラス当局に自らが推薦した二等臣民の一等臣民への昇格(※8)を優先的に審査してもらえた事から、彼らの元には惑星社会から大勢の人間が集まる事になった。何故なら、二等臣民から昇格した一等臣民が同じ二等臣民を推薦した場合、純血ガミラス人の掌握するガミラス当局はあまりに多くの二等臣民が雪崩を打って自らと同じ一等臣民になる事を恐れてなかなか審査を進めたがらなかったからである。そのため、ガミラスにおける政治的有力者であり経済的な庇護者にもなれる名誉臣民の下に、我こそは一等臣民に推薦・登用してもらおうと多くの能力と野心を持つ人間が集まり、党派が形成されていった。その結果、名誉臣民はその経済力と相まって絶大な権勢を惑星社会で持つ事となり、しばしば惑星の自治政府を容易に動かせる存在となったのである。

(※8)4話のシュルツとゲールの会話から判断すると、二等臣民から一等臣民への昇格は一等臣民の推薦が必要であると考えられる。ただし、23話のノラン・オシェットの「(デスラー砲破壊の阻止を)総統が知れば自分は一等ガミラスになれる」とのセリフをみると、デスラーが認めれば一等臣民の推薦がなくても一等臣民に昇格できると思われる。

 しかし、この絶大に見える名誉臣民の富と権勢は、ひとえにデスラーの信任によって成り立つものでもあった。もし彼の信任を失い名誉臣民の身分を廃されると、その富と権勢はたちまち散逸してしまったのである。したがって、彼らは文字通りデスラーの信任を得続けるために、帝国の政策と支配の第一線に立つ事となった。いくつか例示すると次のようなものが挙げられる。

 まず、彼らは与えられた生産施設で事業を行う一方、それらを絶えず改良し、拡張していく事が期待された(これを行わせるがために、デスラーは惑星社会の有力な事業者を名誉臣民に登用する事が多かった)。彼らはヴェルテ・タランの指導の下、ガミラスの技術に惑星社会固有の技術を取り入れ発展させるというガミラスの技術改良政策と軍需生産拡大の実践者となったのである。(※ガミラス第二帝国成立以前は、これが主要な役割だった。)

 そして、デスラーがガミラスに復権しガミラス第二帝国が成立すると、彼ら名誉臣民は前述の役割に加え惑星社会におけるガミラスの事業者達の指導的存在となり、一等臣民の移民達(純血ガミラス人だけではなく他の大小マゼラン諸族も含まれていた)が植民先の惑星社会で円滑に活動していけるように数々の施策を実施するようになった。その際特に注意が払われたのは、惑星社会で排外主義が力を持ち移民と彼らの事業が排斥されないようにする事だった。これを行う上で重要となったのが、一等臣民権を持つ現地住民の存在である。移民達が現地住民と事業提携を行い、惑星社会で排斥の対象とされない製品作りと販売が行われるように様々な措置が採られた。例えば移民側が作る部品と現地民側が作る部品を混ぜて一つの製品にする、移民側が作った製品を現地民側が現地のロゴをつけて販売する、現地民側がデザインしたものを移民側が製造する、といったものである(つまり、私達21世紀初頭の地球でもごく普通に行われている手法をガミラスも行ったといえる)。

 これらの措置を推奨し行わせる一方、名誉臣民は(ガミラスの技術政策の一環で)現地民事業者と移民事業者の技術交流を主導した。この施策は現地住民と移民の双方に利益をもたらした。現地住民はガミラスの科学技術を習得でき、移民は惑星社会で活動するためのコネと人脈、及び現地の固有技術を得られたからである。そして、これらの事業提携や技術交流を推奨し、時に強要するために「一等臣民より上の身分にしてデスラーの朋友」という名誉臣民の地位は大きな効果を発揮した。名誉臣民はここでもガミラスの技術改良政策と、ガミラス第二帝国の掲げる「多種族の統合」という理念の実践者となったのだった。

 以上のように、名誉ガミラス臣民は帝国の政策を惑星社会で推進する主体となったのだが、彼らにはさらにもう一つの重要な役割があった。惑星の自治政府とデスラーの仲介役となる事である。ヤマトのバレラス襲撃以前、デスラーはよく”お忍びで”帝国各地を視察し――15話のガミラス政府閣議の場面において、ヴェルテ・タランは視察で不在の総統に関して「総統の気紛れはいつもの事だよ」と述べている――、視察先で登用した名誉臣民や一等臣民から征服地の現状をつぶさに聞いていた。これにより各地で鬱積していく”二等臣民の怒り”についてよく把握し、ガミラスに復権した際にそれを大きく緩和する施策を行い得た経験から、彼はガミラス第二帝国の成立以降、諸惑星の自治政府と頻繁に交渉をもつ機会を設けていた。名誉臣民はその仲介役を担っていたのである。

 名誉臣民が仲介するデスラーと惑星自治政府の交渉は、時間が経過するに従いガミラス第二帝国が諸惑星を統治するための重要な仕組みとなっていった。ことに、ガトランティスとの戦争の準備の進展と共にその重要性はさらに増す事となった。彼は支援軍へ人員を提供するように諸惑星を説いて回っていたからである。

 支援軍を創設するにあたり、デスラーは諸惑星の自治政府に対し、支援軍はガミラス第二帝国が掲げる「多種族の統合」の理念を具現化したものである事、兵士は最終的に一等臣民権を与えられる事、そして戦争に貢献した惑星は征服地の入植により多大な富を得られる事、という三つの点を強調して支援軍創設への協力を要請した。反応は上々であり、中でもザルツをはじめとするいくつかの惑星は自治政府が率先して人員募集を行う程の協力振りを見せた。

 いくつもの惑星自治政府が支援軍への人員提供に積極的だったのは、やはりこれまでのガミラスの移民政策の成功が大きく関係していたと言わなければならない。ガミラス帝国が大小マゼランを統一して此の方、ガミラスによって送り込まれた一等臣民の移民達が入植先で莫大な富を得て富裕になってゆくさまを多くの二等臣民達が見ていた。多くの二等臣民にとって一等臣民権を得る事は、ガミラス帝国で経済的成功を収める第一の条件と思われるようになっていたのである。(※9)

 惑星自治政府達の支援軍への協力の度合いは、大量の人間が一等臣民となった惑星ほど強まる傾向があった。諸惑星の自治政府はその殆ど全てが第一の政治目標として、差別的な待遇の改善と純血ガミラス人に奪われた土地や資産の奪回を目指していたのだが、大量の人間が一等臣民に登用された惑星では、その目標の多くが達成されると、惑星の外に目を向け宇宙へ進出していこうとする気運が高まるようになっていったからである。その動機はやはり、ガミラスの移民事業に触発された富への渇望であった。支援軍に大量の人間を送り込み、一等臣民権を得た元兵士達を征服地に入植させて事業を行わせれば、彼らの故郷の惑星社会はガミラス帝星のように多大な富を得る事ができる。ガミラス帝国は一等臣民に収入の一部を自らの生まれた星へ貢納として納めるよう法で定めていたため(※10)、支援軍への人員提供は惑星社会と自治政府にとって半ば将来の富が約束された事業と捉えられていた。端的に言って、大量の人間が一等臣民となった星々は、自分達が収奪される側からガミラス帝星同様に収奪を行える立場になったという事に気付いたのだった。

(※9)ヤマト2199の4話において、一等臣民に推薦してやろうというグレムト・ゲールの言葉にザルツ人のガンツは憧憬の表情を浮かべていたが、そこには二等臣民にとって一等臣民権がいかに魅力的であるかというガミラス帝国の事情を見て取る事ができるのではないだろうか。

(※10)一等臣民の出生惑星への貢納は、移民が行っていた故郷の家族への仕送りに着想を得て作られた制度である。この制度の下では、例えば純血ガミラス人移民は自らの生まれたガミラス帝星に貢納し、植民先で生まれた世代は植民した惑星に貢納する事となる。この制度によって、各地に移民を送り出したガミラス帝星には莫大な富が流入する事となった。また、この制度は大量の人間が一等臣民に登用された惑星では彼らが生み出す富を惑星社会に還元する役割を果たした。これによって以前は純血ガミラス人移民に収奪されるばかりだった富の多くを、惑星社会は取り戻す事ができたのだった。

 惑星ザルツは、こういった星々の中でも特に典型的な事例の一つであると言えた。ヤマトがバレラスに襲来する以前から少なくない数の義勇兵をガミラスに提供していたザルツは、(ガミラス帝国建国記念式典においてヴァルケ・シュルツの忠誠ぶりをデスラーが見た事もあって)デスラーの注目を受けた事で彼がガミラスに復権して以来、彼と深い関わりを持つようになっていた。彼によって非常に多くの者が一等臣民に登用されガミラスの事業者となり、「帝国の受益者」の一員となることのできたザルツは、ガミラス帝星同様に帝国の各地へと移民を送り出すと共に支援軍へも社会ぐるみで大量の人間を送り出すようになっていったのである。全ては総統への忠誠を示すため、そして自らの星の発展のためであった。


 ……以上が、ガミラスの植民・同化政策のあらましと歴史である。ここまで俯瞰する事ではじめて、この節の冒頭で総統とザルツ人が交わした会話の意味を理解する事が出来るだろう。ガミラス第二帝国において、名誉臣民とはいかなる存在であるのか。そして、被征服民であるはずのザルツ人が何故自発的に支援軍の人員提供を申し出たのか。

 ガミラス第二帝国における名誉臣民は、総統に忠誠を誓い帝国の国力増強政策を推し進める主体だった。そしてそれは、彼らが移民と惑星住民、総統と惑星自治政府の橋渡しをする事で実現されていた。その意味で名誉臣民とは、まさしくガミラス第二帝国の掲げる理念、「多種族の統合」の実践者であった。

 そして、名誉臣民を媒介とした結びつき以外にも、総統とザルツは支援軍を通じて相互依存の関係を築き上げていた。総統は兵士を欲し、ザルツは富を得るための征服地を欲していたのである。

 「多種族の統合」の理念の下、富を得る機会を「帝国の恩恵」として諸惑星の人間に巧みに配分する事――。これこそが、総統デスラーがガミラス第二帝国を築き上げ、さらにはガミラスを再び宇宙に覇を唱えんとする存在にする事のできた秘訣であった。


 ――ザルツ人とデスラーの面会が終了した後。ヴェルテ・タランはデスラーに面会した自治政府代表及び生産施設運営者代表と実務の打ち合わせに入っていた。まず彼らザルツ人達からザルツの経済の現状を細かく聞き取り、ザルツに提供する機械等の資本財の量について交渉する。それがまとまると、ヴェルテは支援軍に新規に提供される人員の数についての交渉を始めた。

 交渉を行いながらヴェルテは、ヤマトのバレラス襲来以前のガミラスを思い返していた。当時彼は帝都バレラスで、今と同じくガミラスの軍需生産拡大の指揮を執り続けていたが、軍需国防相として内心ではガミラスの拡大政策に危惧の念を抱いていた。ガミラス帝星だけで軍隊の需要を満たし続ける事ができるのか、と。しかしその解決のために被征服民と交渉する事になるとは夢にも思っていなかった。ヴェルテは総統が復権されてからのガミラスは確かに変わったと思った。

 ヴェルテの感慨通り、ガミラスの兵員を巡る状況は変わっていた。ガトランティスとの戦争を目前とする頃までにザルツをはじめとするいくつかの惑星は、帝国の尖兵、あるいは共犯者として、ガミラス帝星と並ぶ主要な兵士の供給源となっていた。ガミラス帝国の戦力造成に責任を持つヴェルテにとっては、この状況は願っても無いことだっただろう。航宙艦隊を例にとると、彼の長年の政策努力によりガミラス帝国は、デスラーがガトランティス軍を破り復権した時点で年間1万2000隻を超える戦闘艦艇を生産し前線に送り出す工業力を有していた。ガトランティス軍の侵攻を受けた後でさえこれだけの生産能力を有していた事は全く驚くべき偉業であると言えたが(※11)、旧来のガミラスは帝国中で続々と生産される艦艇に乗せる人間を用意する事ができないでいた。極端な事を言えばガミラスは、「乗る人間のいない艦艇がゴロゴロしている」という状態だったのである。総統デスラーの支持基盤は叔父のデスラー大公から受け継いだデスラー公国に限られ、兵士の供給も殆どそこに依存していた。兵士となる人間の不足が、旧来のガミラス帝国の大きな泣き所となっていたのである。

(※11)この数字は駆逐艦、巡洋艦、戦艦といった大きさの異なる艦艇を単純に合計したもので、生産される艦種の割合によって多少上下するものでもある(例えば駆逐艦の割合が大きければ数値は上昇するし、戦艦の割合が大きければ数値は下がる)。ガミラスで生産される戦闘艦艇数の大雑把な目安程度と御理解頂きたい。
 また、この数字には惑星間弾道弾や要塞等の巨大構造物や、輸送船等の大型船舶の生産は含まれていない。戦力的に全く優遇されていなかったはずの太陽系攻略軍が巨大な惑星間弾道弾を多数格納できる巨大基地や、無人環境改造プラントのような艦艇よりずっと大きい巨大建造物を短期間で建造した事からも、ガミラスは戦闘艦艇だけではなくこれらのものを同時に生産していけるだけの工業力を有していると考えられる。(艦艇よりも遥かに巨大であるにもかかわらず使い捨ての惑星間弾道弾の事例を見ると、ガミラスにとってはプラントや船の船体といった大型構造物の製造は極めて容易な事で、それよりも波動エンジンの方が遥かに製造の難易度が高いのではないかとも思われる。)
 この巨大な工業力こそガトランティスが奴隷と並んで垂涎してやまない”獲物”であった。ガミラスはガトランティスの侵攻により小マゼランと銀河系の工業施設を失い、工業力の大部分が存在した大マゼランでは工業施設を殆ど無傷で防衛する事に成功していた。

 しかし、今やこの帝国の弱点も、ガミラス第二帝国の体制が固まるにつれ大きく改善されるに至った。支援軍とデスラーがガミラス帝星で発した大動員令により、ガミラスは必要な兵員を調達する目処をつける事ができた。ヴェルテはデスラーと共に帝国各地を巡回しながら、ガミラスの同化政策が着実に実を結んでいる事を実感していた。ヴェルテが行ってきた数々の施策は、デスラーの手でさらに形を整えられ、ガミラス第二帝国に再び大規模な戦争を行えるだけの力をもたらしつつあった。あとは、帝国の同化政策の成果を自らの目で確認し、それらを最大限に活用する努力を続けるのみである。

 ガミラスの軍需面での戦争準備は、一つの完成形を迎えようとしていたのだった。


 
―― 3 ――

【Amazon.co.jp限定】宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 アートキャンバス(発艦!α2) ――ザルツ人とデスラーの面会が終わったその日の夕刻。デウスーラと大型住居艦はザルツ恒星系の工業宙域に移動していた。外惑星の周囲を漂う多数の造船所や工場の中からある施設に向かって、住居艦は接近していく。輸送船や工作船といった多数の宇宙船が飛び交う中、住居艦はザルツの工業宙域で建造中だったその”施設”の前でゆっくりと速度を落とすと、やがて静かに動きを止めた。

 「住居艦の新規ブロック、接続準備開始せよ」

 住居艦の周囲を飛び交う作業船と、住居艦内の各所に放送が鳴り響いた。これから住居艦に新たなモジュールが接合されるのだ。新規の居住区画と、エンジン区画が追加され、さらに住居艦は巨大になっていく。ガミラスの巡洋艦が小さく見えるほどの巨大な塊が住居艦へと接近していった。その光景を作業者だけではなく、住居艦に住む多くの人間がモニター越しに見ていた。ある者は作業の監督としてそれを見守り、残りの者は純粋な興味からその光景を眺めている。そうした住民の一人、ヴェルテ・タランは弟のガデル・タランや副官達と共に、会議室の大きなホログラムモニターの前に陣取り、作業を見守っていた。

 「壮観な光景だな、兄さん」

 「技術屋の楽しみだよ、こういうのを眺めるのは」

 素直に感嘆するガデルに、ヴェルテは軽く笑みを浮かべて言った。モニターには、垂直に切り立ったブロックと住居艦の巨大な接合部分が映し出されていた。それはさながら、巨大なフィヨルドの両岸にそびえる断崖絶壁を眺めているような情景である。作業者でなくとも、眺める人全てを圧倒するような壮大さがそこにはあった。

 「帝国の各地でブロックを継ぎ足しているのだろう?最後には第二バレラスよりも大きくなるのか?」

 「最終的にはな。だがそれはまだまだ先のことだ。今は総統と我々が移動しながら政務を行えるよう機能を拡充している最中だ。こいつ(住居艦)は言わば移動する政庁であり、都なんだよ、ガデル」

 モニターに見入るガデルに対し、ヴェルテが簡単に説明した。

 総統が宇宙を長期間巡回しながら生活するためという名目で建造された大型住居艦は、基本形が完成するとデウスーラと共に帝国各地を巡回しつつ、各地で建造されるモジュールとのドッキングを繰り返していた。新規にモジュールが接合され区画が拡張されていくのに伴い、ヴェルテ・タラン直卒の軍需省と国防総省を皮切りに兵器開発局などの政府機関が次々とバレラスから住居艦へと異動してゆく。ガトランティスとの戦争を目前に控えた今(※ヤマトのバレラス襲来から7年後)では、政府機関の多くが住居艦に移され、艦は事実上の「帝国の都」と言ってよい程の様相を持つまでになっていた。公式にはあくまで総統が帝国を巡回するための非常措置であるという説明が為され、今でもガミラス帝星は首都星でありバレラスも帝都のままであった。しかし、それにしては大型住居艦は「帝都」としての機能と形式を整えつつある。総統はバレラスに戻るつもりはないのではないか、という噂がそこかしこで聞かれるようになっていた。

 ヴェルテの話を聞きながらガデルは住居艦が完成したらバレラスはどうなるのかと内心で思ったが、その事は口には出さずにおいた。かつてバレラスを破壊しようとしたデスラーの所業の是非に話が飛びかねない話題である。建設的な会話になるとは思えなかったし、そんな事よりも考えなければならない課題が山積していた。今日は重要な事を兄と打ち合わせしなければならないのだ。

 密かに忙しく考えを巡らせていたガデルの顔をヴェルテが一瞥する。ヴェルテは弟が何を考えているか敢えて訊くことなく彼に言った。

 「ではガデル、本題に入ろう」

 ヴェルテに促され、会議室にいた全ての人間が席に着いた。長大なテーブルを間に挟み、片側をヴェルテとそのスタッフ達が、反対側をガデルと副官達が陣取り互いに向かい合う。全員が着席したのを確認すると、ヴェルテが口を開いた。

 「では諸君。これより、デスラー砲搭載艦の運用シミュレーションについての説明会を執り行う」

 デスラー砲、即ち波動砲の運用についての打ち合わせ――。これこそがガデルが考えていた”課題”の正体であった。ヴェルテが話を続ける。

 「総統の座乗艦と親衛艦に搭載されたデスラー砲は、皆が知っての通り”宇宙を引き裂く”危険性を有している。それを回避する技術は長年の努力にもかかわらずついに発見される事なく、我々はデスラー砲搭載艦が多数配備される現状を迎える事となった。戦争を目前に控え、我々はデスラー砲を安全に使用するための運用シミュレーションを実施した。今日はその解析結果についての報告と、用兵側からの質問及び討議を行うものとする」

 ヴェルテはその場にいた者全員に、会議の主旨を話して聞かせた。

 ヤマトがバレラスを襲ってから7年の歳月が経つ。ガミラスではデウスーラ二世に史上初めて搭載された波動砲は、その後実用化されていくつかの艦艇に装備される状況となっていた。その艦艇の一つが総統の座乗するデウスーラ三世である。デウスーラ三世には、改良が施され機能と信頼性が向上した大出力の波動砲(ハイパーデスラー砲と呼称)が装備されていた。デスラーは帝国の武の象徴として、デウスーラに最大最強の兵器を搭載する事を欲したのである。デウスーラに座乗するとさらに彼は、自身が率いる戦力として、波動砲装備の親衛艦二百隻弱から成る親衛艦隊の創設へと踏み切った。彼はガトランティスとの戦争に向け、ガミラス軍への波動砲の限定配備を断行したのだった。ヴェルテとガデルが行うこの会議は、現状では親衛艦隊のみに装備された波動砲の運用を確立するための、極めて重要な会議であった。

 「では、まず最初に、用兵側から示された親衛艦の運用を今一度確認しておきましょう」

 会議の進行役を務めるヴェルテ側スタッフの一人が議題を提起した。続いて別の一人が説明を始める。

 「親衛艦は四隻で一個小隊と為し、これが基本的な運用単位となります。さらに四個小隊は一個中隊と為し、大規模艦隊戦の際は一個中隊が親衛艦隊から各軍へ増援として分派されます。分派された中隊は味方の突撃縦隊の前面に展開し、デスラー砲を発射、敵の戦列に破口を開けます。突撃縦隊は破口が形成され次第ミサイルの一斉射で破口を拡大し、突破口を形成、突撃に移ります。親衛艦はデスラー砲発射後、突撃に追従せず、エネルギーを充填、次の使用に備え待機。親衛艦の基本運用は以上のもので間違いないでしょうか」

 「それで間違いない」

 ガデルはヴェルテ側スタッフの説明に答えた。では続いてシミュレーション結果の提示に移りますとスタッフが述べると、テーブルの中央にホログラム映像が現れた。そこには十六隻の親衛艦から発射される波動砲のビームが円錐状に広がっていく様子が映し出されていた。円錐の内外の空間が赤、橙、青と色分けされている。

 「これはデスラー砲が空間に与える負荷を示したものです。負荷の高い順に白、赤、橙、青と表示され、空間が裂けるほどの負荷が集中した箇所は白で表示されます。映像で示したケースは用兵側で想定している艦の間隔と、ビームの照射範囲でデスラー砲を使用したものです。映像を見ての通り白い箇所は見られません。標準的な使用では宇宙が引き裂かれる危険性はないと言えます。さらに艦の間隔とビームの照射範囲を変えてみます」

 このように述べた後、説明するスタッフが別のスタッフに指示を出す。するとホログラムの映像が様々に変わる。これは艦の間隔を狭めてデスラー砲のエネルギーが狭い箇所に集中した場合、これはデスラー砲を拡散状態での使用から極端に収束させた状態での使用に切り替えた場合、という具合に様々な波動砲の使用条件でシミュレートした結果がホログラムに表示され、スタッフが説明を加える。いずれのケースでも”宇宙が引き裂かれる”結果は示されなかった。

 「では結論として、一個中隊で使用する限りどのように使用しても宇宙が引き裂かれる心配はない、という理解で良いか」

 ガデルがスタッフに訊いた。

 「一個中隊で一回斉射する限りにおいては問題ないとシミュレーション結果では予想されます。ただし」

 ガデル達に説明していたスタッフが先ほどまで彼らに見せていた映像の一つを再び表示する。

 「デスラー砲を極度に収束させ一点に向け集中発射した場合、目標点の空間の負荷はご覧のように非常に高くなります。もし一個中隊以上の艦で同じ射撃をした場合、あるいは一個中隊で何度も同じ射撃をした場合、空間の負荷は臨界点に達し空間断裂が発生する、つまり宇宙が引き裂かれる可能性が極めて高くなります」

 「一箇所でデスラー砲を安全に使用できる数は一個中隊まで、それも過度に集中しない射撃を二、三回のみということか」

 「味方の安全を第一に考える場合そうなります。仮に戦場で危機に陥り一個中隊以上の艦艇数でデスラー砲を使用するとした場合でも、二個中隊までが限度でしょう。それ以上の数では全く安全が保障できない、というのが小官の見解です」

 ガデルとスタッフのやり取りが一段落したのを見計らって副官の一人が質問した。

 「一箇所で使用できるデスラー砲が一個中隊までなら、大規模な会戦で複数の軍と親衛中隊が行動する場合中隊と中隊の距離はどれぐらいとれば良いのか」

 「会戦に際し一個軍(※此処での「軍」は、編成の単位としての「軍」である)が展開する標準的な範囲と同じ距離をとれば、複数の中隊がデスラー砲を使用しても相互に影響はないと考えられます」

 この質問を皮切りに、ガデルの副官達が次々と質問を始めた。

 「大部隊、例えば一個軍がゲシュタムアウトした直後にデスラー砲を使用した場合、空間に与える負荷はどれぐらいか」

 「デスラー砲を使用する毎に空間が受ける負荷がどのように変化するか、相関関係を示したものを提示頂きたい」

 「デスラー砲使用後やゲシュタムアウト直後のように空間が不安定になる状況でデスラー砲の斉射を行う場合、デスラー砲の出力と照射範囲を変えれば安全は保たれるのか。そうであるなら、相関関係をプロットしたものはあるか」

 質問の多くは様々な状況でデスラー砲を使用した場合の空間にかかる負荷と、その時に使用する波動砲の望ましい出力と照射範囲に関するものだった。ガミラスの波動砲はデウスーラ二世に装備された最初期のものから一貫して出力と照射範囲を任意に変更できる機能を付与されていたが(※1)、ガデル達用兵側はそれを惨劇をもたらすことなく波動砲を使用するのに利用しようとしていたのである。

(※1)ヤマト2199第23話でデスラーは総統府に突き刺さったヤマトに対し、デスラー砲を「出力を絞って」使用しようとしていた。この事から、ガミラスの波動砲は開発当初から出力と照射範囲を任意に変更できる仕様になっていると考えられる。

 専門的な数値の飛び交う質疑応答がしばらく続いた後、会議は次の議題へと移行した。ある意味では用兵側が最も確認しておかなければならない事項、波動砲がもたらす危険そのものについてであった。

 「これまでの質疑応答により、デスラー砲の運用に関して満足できる回答を頂いた。礼を申し上げる。では次の確認事項として、デスラー砲の危険性についてお聞きしたい。もし宇宙が引き裂かれた場合、その規模はどれだけのものになるのか」

 副官の質問に今まで答えていたスタッフ達とは別のスタッフが回答した。

 「デスラー砲による空間断裂の規模は、使用されたデスラー砲の数により規模が大きく変わってくると考えられます。しかし、最も小規模な場合でも最終的には一つの恒星系を丸ごと飲み込む規模になると思われます。また、断裂が広がる速度ですが、これについては不確定要素が多く正確な予測は困難です。ただ断裂の最終的な規模を考えると、断裂発生からごく短時間で会戦を行っている敵味方両軍を飲み込む規模に広がるのではないかと思われます」

 「空間断裂は最大でどれぐらいのものになると考えられるか」

宇宙戦艦ヤマト2199でわかる天文学: イスカンダルへの航海で明かされる宇宙のしくみ 「おそらくは数光年の規模にまで拡大すると思われますが、どこまで広がるかは予測がつきません。しかし被害の深刻さを考えると単純な大きさはもはや問題にならないかもしれません。島宇宙の中心にある巨大質量ブラックホールをも遥かに上回る規模になることは確実だからです。巨大質量ブラックホールが島宇宙を回転させる程の影響力を星々に及ぼしている事を考えると、ブラックホール同様空間に開いた穴である空間断裂は周囲の恒星系にも巨大な影響をもたらすでしょう。下手をすれば島宇宙全体の空間や星々が破壊される事になるかもしれない、というのが小官が懸念している事です」

 惨事が起きれば全軍が星系ごと消滅し、あまつさえ島宇宙までもが巻き添えとなる。この回答にガデルと副官達は腕組みをして考え込んでしまった。彼らの顔は皆明瞭に次のように語っていた。

 ”…ある程度予想はしていたがここまで危険とは――”

 細心の注意を払えば惨劇をもたらすことはないが、一旦それが起きるととてつもない規模となる。不測の事態が当然のように起こる戦場で波動砲をうまく活用しきれるのか。ガデルは内心で葛藤した。こうならないために兄のヴェルテと様々な手段を今講じているが、それでうまくいくだろうか。最善を尽くしているはずという思いと本当に波動砲を使用してよいのかという不安が心の中でせめぎあい、ガデルは少しの間沈黙し熟考を続けたのであった。

 やがて、ガデルは口を開いた。

 「デスラー砲の危険性は数値では表せないほどのものである、そういう理解で良いか」

 「はい。願わくば、閣下。デスラー砲の運用には細心の注意を払って頂きたく存じます」

 ガデルの問いにスタッフは直言とも諫言ともとれる回答をした。彼の口から飛び出た遠慮のない物言いに副官の何人かが「立場をわきまえよ」という顔をしたが、ガデルは意に介さなかった。ガデルは少し考えを巡らせるとスタッフに言った。

 「分かった。こちらも惨劇をもたらさないよう最善を尽くそう。では、最後に」

 ガデルが会議の最後の議題を述べた。

 「以上の質疑で示されたデスラー砲のデータを元に、親衛艦隊はデスラー砲の実射訓練を行うものとする。訓練を行う数個中隊の親衛艦にデスラー砲の運用シミュレーションを”学習”させてもらいたい。時間はどれだけかかるか」

 親衛艦の戦術コンピューターに波動砲の運用シミュレーションの結果を入力し、様々な状況に応じて適切な波動砲の出力と照射範囲を自動で算出できるようにする作業の事だった。スタッフが答える。 

 「ソフトウェアを艦に学ばせ艦自身が適切に使いこなせるようにするのに1日頂けますでしょうか」

 「よかろう。では明後日、我々は三個中隊を率い大マゼラン外縁部にてデスラー砲の実射訓練を行うものとする。会議が終了次第ただちに作業にとりかかってもらいたい」

 「ザー・ベルク」

 会議は最後のまとめに入った。今まで会議の様子を見守っていたヴェルテが言った。

 「本日の会議はこれで終了とする。用兵側にはシミュレーション結果の検証のため、デスラー砲発射時の空間負荷の実測データを後日渡してもらいたい。我々はそれを元にシミュレーションモデルを改良し、より正確な予測が立てられるようにする。その上で再び会議を開催するものとする」

 「了解した」

 ヴェルテの言にガデルが答えた。二人は立ち上がって歩み寄ると、会議の終了のしるしに握手を行った。その場にいた者達も立ち上がり、めいめいに握手する。

 こうして、ガミラスの波動砲の運用を巡る最初の会議はここに終了したのだった。

(「ガミラス第二帝国の戦争準備  イスカンダル帝国の興亡史」につづく)

【Amazon.co.jp限定】宇宙戦艦ヤマト2199 アートキャンバス(浮遊大陸脱出)宇宙戦艦ヤマト2199』  [あ行][テレビ]
総監督・シリーズ構成/出渕裕  原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広  キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/山寺宏一 井上喜久子 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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【genre : アニメ・コミック

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