『マダム・マロリーと魔法のスパイス』 スパイスの正体は?
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『HACHI 約束の犬』で観客を号泣させたラッセ・ハルストレム監督の作品だけあって、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』は優しさと愛に満ちたハートウォーミングな物語に見える。
南フランスのサン・アントナン・ノブル・ヴァルののどかな風景。マダム・マロリーがオーナーを務めるフレンチ・レストランと、真向かいにできたインド料理店との意地の張り合い、引っ張り合い。若きインド人コックとフランス人料理人のロマンス。次々に映し出される美味しそうな料理の数々。――スティーヴン・スピルバーグ制作、ディズニー配給というブランドからイメージされるとおりの、微笑ましい映画に見える。
原題『The Hundred-Foot Journey(百歩の旅)』を『マダム・マロリーと魔法のスパイス』とした邦題も侮れない。ディズニーのロゴに「魔法」の組合せは、ディズニーの人気の高い日本の観客に強くアピールするだろう。
けれども本作はそれだけじゃない。これは緊迫した現代に作られるべくして作られた作品だ。
舞台がフランスであることにも深く考えさせられる。
これはフランス料理とミシュランガイドの格付けを巡る物語だから、フランスが舞台になるのはおかしくない。だが、フランスは美食を楽しむばかりの国ではない。
2015年1月7日午前11時20分頃、パリのシャルリー・エブド新聞社が黒装束の男たちに襲撃され、マンガ家、編集者、警察官ら12名が射殺された。犯人は「アッラー・アクバル(アラビア語で神は偉大なりの意)」と叫び、シャルリー・エブドがイスラームの開祖、預言者ムハンマドをおちょくる風刺画を掲載してきたことに報復したらしい。これに呼応して別の男がモンルージュで警察官1名を、バンセンヌのユダヤ系食品スーパーで買い物客ら4名を殺害した。シャルリー・エブド襲撃の犯人2名と食品スーパー立てこもりの犯人1名は、フランスの特殊部隊によって射殺された。彼らはイスラム圏からの移民の子供たちだった。
この直前、フランス各地で死傷事件が続発している。12月20日には「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫ぶ男が警察官3人を刃物で切り付ける事件が、翌21日には同じ言葉を叫びながら男が車で通行人に突っ込む事件が、22日にもクリスマスマーケットにバンが突入する事件が起きている。
もちろんムスリム(イスラーム教徒)がみんな暴力的なわけではない。かつて世界を震撼させた日本人テロリストたちが日本全体の代表ではなかったように、シャルリー・エブド襲撃犯たちはムスリム代表でも移民の代表でもない。
シャルリー・エブド襲撃テロを受けて、イスラームの指導者たちは一斉にテロ行為を非難した。殉職した警察官がムスリムであったことから、フランスではムスリムやムスリムの友人家族が「私はアメッド」(殉職した警察官の名で「アメッドの心は死んでいない」の意味)というプラカードを掲げて、警察官の死を悼んだという。
テロ行為は許されることではないが、シャルリー・エブドの挑発的な風刺画を批判する声もある。
米国のディクソン・ヤギ博士は、事件後の反テロ行進を指して「『表現の自由』の名の下にこの風刺新聞が侮辱したのはイスラム教過激派テロリストではなく、15億人のイスラム教徒だ。(略)欧米人が『シャルリエブド』の下劣な風刺画の存在には目をつむり、『表現の自由』にすり替えて声高に叫んでいるのは、まさに『Judeo-Christian-Caucasian Arrogance 』(白人のユダヤ教・キリスト教的傲慢さ)以外のなにものでもない」と指摘する。
フランスでは2011年に通称「ブルカ禁止法」が制定され、公共の場でムスリムの女性がブルカ(全身を覆う衣装)やニカブ(ベール)を着用することが禁じられた。これに対して、同法は信教の自由の侵害であるとしてムスリムの女性が欧州人権裁判所に訴え出た。また、スカーフの着用を理由に解雇されたムスリムの女性が訴える事態もあった。ブルカ禁止法に関しては、違反者の取り締まりをきっかけとして暴動も起きたという(裁判はいずれも原告の敗訴)。
2012年3月には、サン・アントナン・ノブル・ヴァルを含むミディ=ピレネー地域圏で、ユダヤ人学校の生徒ら7人が殺害される連続銃撃事件が起きた。犯行はムスリム女性のベールの着用を禁止したことへの抗議でもあったという。
2008年にはパリに巣食う移民たちの犯罪組織をこてんぱんにやっつけるフランス映画『96時間』が公開されて大ヒット、シリーズ化もされている。
フランスのイスラム系移民は400万人超と欧州で最も多く、ユダヤ人のコミュニティーもイスラエル、米国に続く世界第3位の規模である。
そんな豊かな人材を擁する国ならではの悩みもあろう。
『マダム・マロリーと魔法のスパイス』はそのフランスを舞台に、しばしば人種差別の問題を取り上げるユダヤ系アメリカ人、スティーヴン・スピルバーグが、奴隷貿易廃止運動を描いた『アメイジング・グレイス』の脚本家スティーヴン・ナイトを起用して、『カラーパープル』の出演や黒人の貧困家庭を描いた『プレシャス』の制作総指揮で知られるオプラ・ウィンフリーと共同で制作した映画だ。
本作が描くのはズバリ移民問題、民族・文化の衝突だ。
一方の主人公カダム一家は、インドからの移民である。一家はまず同じイギリス連邦の英国に移り住んでインド料理店を営むが、安住できなくて欧州を転々とする。英国は「美味いものを食べたければインド料理店に行け」と云われる国だから、一家が英国に定住したら、インド料理で成功しましたメデタシメデタシで終わってしまう。物語は、欧州を旅した一家がクルマの故障に見舞われて、よりによってフランスに居つくところからはじまる。
英国とはうって変わって、フランスは美食の国だ。フランス料理には長い伝統があり、多くの国で最高級のレストランといえばフランス料理だ。
カダム一家がインド料理店を開いた町にも、道を挟んだ向かい側に(たった百歩の距離のところに)マダム・マロリーのフレンチレストランがあった。カダム一家はそんなことにはお構いなしだが、ミシュランガイドの星一つを獲得する名店を営むマダム・マロリーからすれば、電飾をギラつかせて、騒々しいインドの音楽を流して、インド料理の匂いをプンプンさせるカダム一家の店は、目にも耳にも鼻にも不愉快でしかない。
マダム・マロリーとカダム一家は、すぐに激しい嫌がらせ合戦をはじめた。
本作におけるフランス、特にフランス料理は、移民される側の象徴だ。ミシュランの星一つを誇りにするフレンチレストランは、移民が入る余地のない伝統と文化を表している。
対するインド人家族とインド料理は移民する側の象徴だが、マダム・マロリーとの戦いを通して明らかになるのは、移民する側にも伝統があり、文化があり、誇りがあるということだ。移民したばかりだからミシュランの星なんぞ持ってはいないが、料理の素晴らしさではインドだって一歩も引けを取らない。
本作の特徴は、両陣営を均等に描き、一方だけには肩入れしない点である。一人の主人公の視点で描いた方が観客は感情移入しやすいかもしれないけれど、本作はカダム一家の天才料理人ハッサンとパパ、そしてマダム・マロリーと美貌の副料理長マルグリットを均等に描き、観客が双方を等しく愛せるように配慮する。
興味深いのは、舞台になるのが2012年の連続銃撃事件があったミディ=ピレネー地域圏であることだ。
2010年に刊行された原作小説では、プロヴァンス地方のリュミエールが舞台だった。カダム一家がスイスからフランス国境を越えてしばらくしたらクルマが故障してしまい、近くの町に逗留することになる展開は、スイスに近いプロヴァンス地方ならではの設定だ。ところが映画ではスペインに近いミディ=ピレネーに舞台を移したため、スイスからフランスに入ったところで故障する展開が奇異に感じられる。
物語の辻褄を犠牲にしてまで、わざわざ舞台を連続銃撃事件の現場に近いサン・アントナン・ノブル・ヴァルに移したところに、作り手の意志を感じないではいられない。
両陣営はまるで現実の国家のように、異文化同士の摩擦のようにいがみ合ったが、マダム・マロリーがハッサンの才能に気づいたことから映画は急展開する。
対立していた二つの集団は、しばしば共通の困難に立ち向かうことで関係を変えるものだ。マダム・マロリーとカダム一家も協力してミシュランの星を目指すようになる。
ここにきて、映画の冒頭からミシュランの星が話題に上っていた理由が判る。料理店を営む者ならだれもが知っているミシュランの星。それは伝統も文化も異なる者でさえ協力しなければ乗り越えられない大きな試練を表すのだ。その過程で両者の感情的なもつれも解消していく。共に闘い、共に喜ぶことが、いがみ合っていた彼らを同志にしていく。
こうして映画は大団円を迎えるかに見えるのだが、作り手たちの思慮深さが発揮されるのはここからだ。
フランス料理にインド料理のエッセンスを持ち込んだハッサンは、時代の寵児となる。彼の新しい料理は旋風を巻き起こし、フランス中の注目を集めた。彼の腕をもってすれば、ミシュランの最高点、星三つも夢ではない。
しかし、フランス料理界の頂点に昇りつめたにもかかわらず、ハッサンはすべてを投げ出してしまう。
ミシュランの星、それをみんなは目指すけれど、しょせんは評価軸の一つに過ぎないことをハッサンは悟るからだ。映画が意味するところは明らかだろう。文化の素晴らしさは一つの物差しでは測れない。その多様性こそが素晴らしさの源泉なのだ。
古い伝統を守り続けるだけではフランス料理もインド料理も発展しない。さりとて新奇をてらうばかりでは、大事なものを置き去りにする。
本当に大切なのは、異なる文化、異なる伝統のどちらをも尊重し、それぞれの良いところを認めながら、両者の出会いがもたらす化学反応を受け入れること。生じる変化を怖がらず、変化を楽しむことなのだ。
「マダム・マロリーと魔法のスパイス」とは、マダム・マロリーが大事にしてきた伝統に、移民が持ち込む異文化というスパイスを加えることを指していよう。そこから生じる変化こそ、これまでの伝統や文化の延長にはない魔法の味わいなのだ。
フランスだけのことではない。
日本でも欧州でも、世界のいたるところで異国・異文化の人々との摩擦が生じ、ヘイトスピーチが飛び交っている。
本作は口当たりの良い映画だが、作り手の訴えにはずっしりとした手応えがある。重いテーマを軽やかに描く手腕に舌を巻いた。
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監督/ラッセ・ハルストレム
出演/ヘレン・ミレン オム・プリ マニシュ・ダヤル シャルロット・ルボン ミシェル・ブラン
日本公開/2014年11月1日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ]

『百円の恋』+(?)=百八円の恋
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斉藤一子(いちこ)は死んでいた。
黒澤明監督の名作『生きる』になぞらえれば、「彼女には生きた時間がない。つまり彼女は生きているとはいえないからである。駄目だ。これでは死骸も同然だ。」というありさまだった。
『百円の恋』が描く「死骸も同然」な暮らしはズルい。
公式サイトのストーリー紹介には「32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた」と書かれている。その自堕落な日々とは、マンガを読んだりゲームをするばかりの毎日だ。
脚本の足立紳氏も監督の武正晴氏も、ちょっとズルい気がする。自堕落の表現としてマンガを読むことやゲームをすることを持ち出すくらいなら、映画館に入り浸ってるとか、映画のDVDを借りてばかりいるシークエンスを描いた方が、映画を見ている客たちにもっとガツンと来ただろう。
マンガやゲームを悪者にしつつ、自分たちが関わる映画には手を突っ込まないのが人間らしいかもしれない。
もちろんマンガやゲームは比喩だから、本当はテレビでも映画でも何でもいい。
要は、一子は受け身でしかないということだ。マンガを読む、ゲームをする、それらを消費するだけだった。
一子の死にっぷりは強烈だ。
劇中、一子が「このブス!」と罵られるように、一子を演じる安藤サクラさんは本当にブスなのだ。
自堕落な日々を描く映画は珍しくない。そこでは美しくも可愛くもない女性の、だらだらした毎日が綴られる。だが、多くの女優さんは美しいし可愛い。自堕落な主人公を演じても、その美しさ可愛らしさは隠しようもない。冴えないヒロインは、しょせん美人女優が冴えないメークをしてるに過ぎない。映画の主演を張る女優さんはとうぜん華があるし、彼女を目当てに足を運ぶ観客は、美人女優の自堕落な演技を楽しむのだ。
ところが斉藤一子のブスはリアルだ。ブスな主人公を「ブス!」と罵倒する映画がとても新鮮だ。
誤解のないように書いておくが、素の安藤サクラさんはブスではない。インタビュー記事の写真や舞台挨拶の映像を見てもお判りのように、見目麗しい女性である。
けれども『百円の恋』の斉藤一子は、罵倒されてとうぜんなほどのブスなのだ。
安藤サクラという女優を得て、『百円の恋』は類を見ない映画になった。

ロックバンドのクリープハイプが主題歌『百八円の恋』で「誰かを好きになる事にも消費税がかかっていて 百円の恋に八円の愛」と歌った時代。大幅な税収不足が指摘されながら、税率を5%から8%へ増やすだけで大騒ぎになり、さらなる徴税が先送りされた時代。
百円のものを買うと、煩悩と同じ百八になる。『百円の恋』はそんな時代に公開された。
一子がブスな理由の一つは、自分に自信がないからだ。家の中でこそデカい態度だが、外では誰に対してもへりくだっていた。
そんな彼女と周囲との会話がやたらめったら面白い。百円ショップの深夜労働をはじめた一子は、変な店員や変な客のおかしな発言をへりくだってやり過ごす。店員たちは一子を人間だと思って話しかけるが、彼女は"死骸"だから、生きた反応を返さない。脚本の妙と演技の妙とが相まって、奇妙な会話劇が続く。
物語はありがちだ。生きているとはいえない一子が、他者との触れ合いを通して懸命に生きるようになる。その展開は珍しくないけれど、盛り上がり方が尋常ではない。
一子が取り組むのはボクシングだ。
『百円の恋』なんて題だから、どうせヒロインがちょいときれいになって、素敵な恋をするんだろうくらいに思っていた私は、完全にノックアウトされた。これは気合の入ったボクシング映画だ。試合の場面にこれほど熱くなれる映画は、そうそうあるものではない。
しかも素晴らしいのは、試合の勝敗がどうでもいいことだ。
死骸も同然だった一子がボクシングに打ち込むようになると、観客はぐいぐい彼女に引き込まれていく。勝利を目指す一子に感情移入していく。パンチの痛みを我がことのように感じ、一緒に悔しさを覚える。
そんなにも主人公と一体になりながら、味わうのは勝利のカタルシスではない。
「立てよ、この負け犬!」試合で転倒した一子に、いがみ合っていた妹が声援を送る。
一子にとって、これは確かに声援なのだ。これまで一子は負け犬ですらなかったのだから。何の勝負もせずに生きてきた一子は、負けることすらなかった。試合で劣勢になることで、はじめて負けを感じられるようになったのだ。
『大脱走』が脱走の成否を主眼としていないように、『ショーシャンクの空に』が刑務所を出られるか否かを主眼としていないように、本作もまた試合の結果は重要ではない。そこで描かれるのは、勝利を目指して「今日に全力を尽くすこと」の充実感だ。観客はその充実感を共有するからこそ、本作にカタルシスを覚える。
東京国際映画祭の舞台挨拶で、出演の動機を尋ねられた安藤サクラさんは、「戦いたいと思ったからです、私自身が」と答えた。映画前半のたるんだ体から後半の引き締まったボディへの変化に観客は驚きを禁じ得ないが、安藤サクラさんはその肉体改造をたったの十日で成し遂げたという。
仕事がなかった足立紳氏と武正晴監督は、仕事がないなら自分で作ろうと本作の脚本を書き上げたものの、映画化できずに四年の歳月が流れたという。それでも諦めきれずに、新設された松田優作賞に脚本を送り、見事受賞に輝いた。「僕らも実は戦いたかったんで」武監督は云う。「何か勝負できるシナリオを作りたかった。」
今日に全力を尽くしたのは劇中の一子だけではないのだ。驚異の肉体改造を施した安藤サクラさんも、まったく実現の当てがないところから本作をスタートさせた足立紳氏も武正晴監督も、日々力を尽くしてきた。
その作り手の情熱がにじみ出るから、観客は本作に感動する。リングに向かう一子の闘志、その鋭い眼差しは演技を超えて圧巻だ。
ボクシングに打ち込む一子に対して、父は「お前、変わったな」と口にする。一子がうっすら笑ったからだ。死骸同然だった頃の一子は、笑うことがなかった。
映画の終盤で一子は悔し涙を流す。悔しがったり、泣いたりできるようになったのも、彼女が生きた時間を過ごしたからだ。
実は一子が泣くシーンは、2テイク撮られている。
相手役の新井浩文さんの舞台挨拶によれば、1テイク目でグッと来る演技ができたのに、監督はOKを出さなかったという。新井浩文さんがもらい泣きしてしまったからだ。新井さんも、自分が泣いちゃダメだと悟って2テイク目に臨んだという。
ボクシングを通して「生きた時間」を味わった一子がはじめて悔しさを感じて泣くシーンだから、長年ボクサーとして試合してきた狩野(新井浩文さん)が一緒に泣いてしまっては一子の涙の意味が薄れてしまう。
父との会話のシーンで一子だけが笑顔を見せたように、泣くのも一子だけなのだ。満足そうに笑ったり、悔しくて泣いたりするのは、能動的に生きた人間の特権だから、ここでは一子のものなのだ。
「痛い痛い痛い……居たい居たい居たい……」
エンドクレジットが流れる中、クリープハイプのリフレインが映画館に響く。
一子の痛みが、熱さが、観客に突き刺さる。
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監督/武正晴
出演/安藤サクラ 新井浩文 根岸季衣 稲川実代子 早織 宇野祥平 坂田聡 重松収 伊藤洋三郎 沖田裕樹 吉村界人 松浦慎一郎
日本公開/2014年12月20日
ジャンル/[ドラマ] [スポーツ] [ロマンス]

日本映画部門への投票 日本インターネット映画大賞 2014年度
私は映画に点数や順番を付けたりしないし、たくさん観ているわけでもないので、日本インターネット映画大賞への投票のお誘いを受けて、どうしたものかと考えた。
だが、点数でも順番でもなく、応援したい作品はあったので、微力ながら投票を通じてこれらの作品の知名度アップに貢献したいと思う。投票のルールに従って点数を配分したが、点数にはあまり意味はない。
優れた作品、面白い作品はたくさんあるが、応援したい気持ちの強さは、必ずしも優秀さ面白さと一致するわけではない。だから、もっと優れた作品があるのに、と思われることは百も承知である。それどころか、ヒット作やすでに高評価を得ている作品に比べると、そうでない作品にはより一層応援したいバイアスがかかることをご了承いただきたい。
各作品についてはリンク先をご覧いただきたい。
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『 日本映画用投票テンプレートに従って投票します 』
【作品賞】
「そこのみにて光輝く」 10点
「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」 10点
「宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海」 10点
【監督賞】
[小池健] (作品名「LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標」)
【主演男優賞】
[山田孝之] (作品名「闇金ウシジマくん Part2」)
【主演女優賞】
[池脇千鶴] (作品名「そこのみにて光輝く」)
【助演男優賞】
[森山開次] (作品名「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」)
【助演女優賞】
[安田カナ] (作品名「銀の匙 Silver Spoon」)
【ニューフェイスブレイク賞】
[上白石萌音] (作品名「舞妓はレディ」)
【音楽賞】
「舞妓はレディ」
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だが、点数でも順番でもなく、応援したい作品はあったので、微力ながら投票を通じてこれらの作品の知名度アップに貢献したいと思う。投票のルールに従って点数を配分したが、点数にはあまり意味はない。
優れた作品、面白い作品はたくさんあるが、応援したい気持ちの強さは、必ずしも優秀さ面白さと一致するわけではない。だから、もっと優れた作品があるのに、と思われることは百も承知である。それどころか、ヒット作やすでに高評価を得ている作品に比べると、そうでない作品にはより一層応援したいバイアスがかかることをご了承いただきたい。
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[池脇千鶴] (作品名「そこのみにて光輝く」)
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[森山開次] (作品名「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」)
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【主演女優賞】
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【助演女優賞】
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『ベイマックス』 期待される日本
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年末に配られた冊子に、面白い一覧が載っていた。
読売新聞の購読者に配られる読売家庭版2015年1月号のディズニー映画特集だ。「時代を超えて愛され続けるディズニー長編アニメーション」と題して、長編映画第1作目の『白雪姫』から最新の54作目『ベイマックス』までがズラリと掲載されているように見えた。
だが、記事本文には「『ベイマックス』まで入れて54作品。心に残る名作ばかりです。」と書かれていながら、作品の一覧には22作しか載っていない。
しかも未掲載の作品は、『バンビ』(1942年)から『シンデレラ』(1950年)までのあいだに作られたオムニバス6本とか、『くまのプーさん』(1977年)から『リトル・マーメイド』(1989年)までのあいだに作られた5本とか、『ライオン・キング』(1994年)から『塔の上のラプンツェル』(2010年)までのあいだの(『リロ・アンド・スティッチ』(2002年)を除く)16本といった具合に、ある時期の作品がまとまって無視されている。
たしかにその時期の作品は、4,400万ドルもの制作費を注ぎ込んで鳴物入りで公開されながら大ゴケ(米国の興行収入は2,128万ドル)した『コルドロン』(1985年)や、日本では公開すらされなかった『イカボードとトード氏』(1949年)や『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)等、なかなか思い出せないものが多い。
「時代を超えて愛され続ける」と書きつつも、ディズニー長編アニメーションの半分も取り上げなかった読売家庭版は、それらが心に残る名作ばかりではないことを如実に示している。
ご存知の方も多いだろうが、ウォルト・ディズニー社の90年以上の歴史には幾つもの激しい浮き沈みがあった。
草創期:『白雪姫』(1937年)が大成功したものの、興行的には後が続かなかった時代
第1期黄金期:ベテランアニメーターの主導の下、『シンデレラ』(1950年)、『ふしぎの国のアリス』(1951年)、『ピーター・パン』(1953年)等の名作を連発した時代
第2期黄金期:1980年に社長に就任していたウォルトの娘婿ロナルド・W・ミラーを追放して経営陣を一新、会長、社長を外部から迎えるとともに、パラマウント映画の製作責任者だったジェフリー・カッツェンバーグを映画部門の責任者に据えて立て直し、『リトル・マーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)といった人気作を送り出した時代。特に『美女と野獣』はアニメーション映画初のアカデミー賞作品賞ノミネートとなるほどの評価を得た。
第3期黄金期:社内の対立からジェフリー・カッツェンバーグがディズニーを去った後、ドリームワークスで『シュレック』(2001年)や『マダガスカル』(2005年)等のヒットを飛ばすカッツェンバーグの後塵を拝していたディズニーは、またも外部の力で立ち直った。2006年に買収したピクサーのエド・キャットムル社長がディズニーのアニメーション制作部門の社長に就き、ジョン・ラセターがチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任したのだ。ラセターの指揮の下、『プリンセスと魔法のキス』(2009年)のような優れたアニメーション映画を生み出すまでになったディズニーは、遂に傑作『シュガー・ラッシュ』(2012年)を世に送り出す。
現在、第3期黄金期の真っ只中にあるディズニーは、自社と子会社のピクサー双方でヒット作を連発している。ピクサーの買収によりジョン・ラセターという強力な人材を得た上に、ピクサー作品のキャラクターをテーマパークで使用することもできた。買収によるシナジー効果が判り易く出た好例だろう。
だが、ディズニーの暗黒時代とも呼ばれる1980年代、『コルドロン』の上映館はガラガラで、誰もディズニーのアニメーションを観たいと思っていなかったことや、2000年代の低迷期をピクサー作品の配給によってかろうじて乗り切っていたことを思い返すと、この成功もいつまで続くか危ぶまずにはいられない。
それに、『ヒックとドラゴン』のドリームワークス・アニメーションや、『怪盗グルーの月泥棒』のイルミネーション・エンターテインメント、『アイス・エイジ』のブルースカイ・スタジオ等、手強い競合がひしめいている。
そんな中、さらなる買収が、ディズニーを他のアニメーションスタジオより頭一つ抜きん出た存在にした。
2009年、ディズニーはマーベル・エンターテイメントを買収し、マーベルの豊富なキャラクター資産を手に入れたのだ。これにより、マーベル・スタジオズが制作した『アベンジャーズ』以降の映画はディズニーが配給することになった。
そしてマーベル買収の効果をアニメーション制作にも反映させたのが、2014年公開の『ベイマックス』だ。

マーベルのよりどりみどりの豊富なキャラクター群からは、少年が主人公のコンテンツが提供された。
14歳の少年を主人公にしたのは、これまでの"ディズニーらしさ"の延長だろうが、青少年向けのコンテンツを強化するためにマーベルを買収したディズニーにすれば、今後は『アナと雪の女王』のエルサ(21歳)とアナ(18歳)くらいの青少年を活躍させたいはずだ。
何はともあれ、ディズニーの長編アニメーションでマーベルのスーパーヒーローが題材になるなんて、かつては想像もできなかった。本作はその第一弾となるのだろう。
ピクサーからはストーリー作りの方法論が持ち込まれている。
ピクサー作品は、主人公が「大切なもの」に執着しており、それが失われたために分別のない行動に出てしまうというパターンで作られているそうだが、『ベイマックス』もそのパターンをきちんと踏襲している。
両親のいないヒロにとって、たった一人の兄は大切な存在だ。思慮に欠けるのがヒロの弱点だが、ロボット工学に抜きん出た才能を持つ彼は、兄とともにロボットを研究するべく大学に入ろうとする。だが、大切な兄を失い、仮面の男「ヨウカイ」に襲われたヒロは、復讐のために暴走してしまう。
ピクサー作品と同じパターンを、きれいになぞったストーリーだ。しかもケア・ロボットのベイマックスがいつも冷静に口を挟むから、ヒロの分別のなさが際立つ構造になっている。ジョン・ラセターは、人間と人間でないものとの絆を描く本作が『ヒックとドラゴン』に通じると云うが、ピノキオとその良心役のコオロギの構図をも彷彿とさせる。
そして本作のアレンジの仕方は、いかにもディズニーらしい。
原作のベイマックスはスーパーヒーローらしく筋骨隆々でこわもてのモンスターだが、本作では白くて柔らかい、温厚そうなキャラクターに変更された。マーベル・スタジオズが制作するスーパーヒーロー映画だったら、このようなアレンジはあり得ないだろう。
こうしてディズニーの下で、『トイ・ストーリー3』の感動と『アベンジャーズ』の楽しさを併せ持つ作品が誕生した。
これはジョン・ラセターが云うところの二つの使命――「伝統的なディズニー映画の新作を作ること」と「別のタイプの映画を探求すること」の後者に位置する作品だ。前者を代表する51作目の『くまのプーさん』や53作目の『アナと雪の女王』と、後者の52作目『シュガー・ラッシュ』や54作目『ベイマックス』とが、きれいに交互に発表されているのは、さすがとしか云い様がない。
特にストーリー面で感心するのは、「大切なものに執着し、それが失われたために分別のない行動に出てしまう」というパターンを多重奏にしていることだ。ジョン・ラセターの"Story is King"という哲学は、本作にも徹底されている。
本作の主人公ヒロと、敵対する仮面の男「ヨウカイ」とは、実は似た者同士なのだ。ともに科学の発展に寄与したいと願っていたのに、愛する者を失って、無分別に暴走する。内容が盛りだくさんな本作だけに、敵味方を同じ動機で同じ行動にさせることで、登場人物の心の動きを増幅し、説明不足に陥るのを避けているのだ。ヒロの葛藤を目にすれば、仮面の男の破壊的行動の理由が判る。仮面の男の言動を目にすれば、ヒロの暴走がどんなに危険であるかが判る。
全編を覆うのは大切な人を失った悲しみであり、それは簡単に乗り越えられるものではない。
それでも、ヒロと仮面の男の対比が気持ちの整理の付け方を示す。やっていることはほとんど変わらないヒロと仮面の男だが、二人の行く末を分けるのは悲しみを分かち合える仲間の有無だ。ヒロの周りには一緒に悲しんで、ときには教え諭してくれる仲間がいた。だからヒロはギリギリのところで暴走を止められた。
チームのヒーロー物である本作の特徴を、巧く活かした展開だ。
しかもこのチームには、ディズニー映画らしく「教育的配慮」も施されている。
原題の『Big Hero 6』のとおり、本作は6人のヒーローが活躍するアクション物だが、彼らの中には誰一人として他の星で生まれた超人や偶然クモに噛まれた者はいない。超能力に頼るのではなく、勉学に勤しんで理学・工学を学び、その研究成果でスーパーパワーを実現する。至って真面目な学生たちなのだ。しかも大学の場面では、科学する喜びや技術開発の楽しさも存分に描かれる。
主人公のヒロだけはロボット工学の天才という設定だが、彼とて努力を惜しむわけではなく、大学進学のために知恵を絞って工夫を凝らす様子が描かれている。ちゃんと勉強して、みんなで協力しながら難題を解決する彼らの姿は、子供に観せる映画として申し分ない。
もちろん大人の観客も深い教訓を読み取るだろう。しかも彼らの活躍は、科学者にして冒険家のドック・サヴェジと5人の仲間≪ファビュラス・ファイブ≫の伝統に連なる、正統派ヒーローチームとしても非の打ちどころがない。
さて、『ベイマックス』にはもう一つ、日本の観客には見逃せない要素がある。
主人公ヒロ・ハマダは日系人、舞台は東京とサンフランシスコを混ぜ合わせた架空の都市「サンフランソウキョウ」、ヒロの部屋の時計にはショーグン・ウォリアーズとして米国デビューも果たしたボルテスV(ファイブ)そっくりなロボットの絵、さらには鈴をモチーフにしたというベイマックスの顔のデザイン等々、そこここに日本を連想させるものが散りばめられている。『カーズ2』の舞台となったきらびやかな東京をも凌ぐ、賑やかに発展した世界である。
読売家庭版に掲載されたインタビューによれば、本作の共同監督を務めたドン・ホールとクリス・ウィリアムズは、「この映画は日本へのラブレター」と述べ、「この映画で日本文化に恩返しをしたい」(クリス・ウィリアムズ監督)、「日本のポップカルチャーは、キュートなキャラクターに敬意を払っている。ロボット『ベイマックス』も間違いなくその範疇に入る」(ドン・ホール監督)と語っている。
インタビュー記事は「ディズニーが日本文化に魅せられて、これほど"日本愛"を表現したのは初めてのことだそう。なんだか誇らしくもあります。」と結ばれているが、誇ってる場合だろうか。
劇中の天才少年ヒロはもとより、兄のタダシもベイマックスを発明するほど優秀な研究者であり、ポップカルチャーのみならずロボット開発においても世界をリードする日本人像が描かれる。
しかし、ポップカルチャーの先兵たるアニメーション映画に関していえば、『ベイマックス』は11月7日に公開されてから2ヶ月も経たずに3億ドル以上の興行成績を叩き出したが、日本でこれほど稼ぐ映画が作られたことはない。
科学技術の分野に目を向ければ、日本の理系専攻率は他国に比べて男女ともに極めて低い。その上、研究資金の大幅な不足も指摘されている。
ディズニーが魅せられた日本文化とやらは、本物なのだろうか。買い被られた幻想ではないだろうか。
期待されるほどの文化を日本から発信できるのか、問われるのはこれからだ。
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監督/ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ 製作総指揮/ジョン・ラセター
出演/スコット・アツィット ライアン・ポッター ジェームズ・クロムウェル T・J・ミラー ジェイミー・チャン デイモン・ウェイアンズ・Jr ジェネシス・ロドリゲス ダニエル・ヘニー マーヤ・ルドルフ
日本語吹替版の出演/菅野美穂 川島得愛 本城雄太郎 小泉孝太郎
日本公開/2014年12月20日
ジャンル/[アドベンチャー] [コメディ] [ファミリー] [SF]

【theme : ディズニー映画】
【genre : 映画】
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