『アメイジング・スパイダーマン2』は、この敵でなければならなかった!

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 サム・ライミ監督の『スパイダーマン3』には、ヒロイン、メリー・ジェーンの恋敵として、グウェン・ステイシーが登場した。そのグウェンが、新シリーズではヒロインになっている。まったく逆の扱いだが、原作ではどちらかといえばグウェン・ステイシーがヒロインでメリー・ジェーンは恋敵だったから、これも新シリーズの原点回帰の表れだろう。
 そして『アメイジング・スパイダーマン2』には、メリー・ジェーンが登場する予定だった。『ファミリー・ツリー』でジョージ・クルーニーの娘を演じたシェイリーン・ウッドリーをキャスティングし、すでに撮影も済んでいたそうだから、実現すれば『スパイダーマン3』と好対照の展開になっただろう。

 『アメイジング・スパイダーマン』でリブートされた新シリーズが、サム・ライミ監督の三部作を意識して、違いを出そうとしていることは随所に見て取れる。
 前作の記事でも述べたように、サム・ライミ版以上に原作を尊重しているのが第一の特徴だ。ヒロインにグウェン・ステイシーを据えたのもその一つだし、スパイダーマンの軽口もまた原作を尊重するがゆえだろう。
 『アメイジング・スパイダーマン2』のスパイディは、前作以上に陽気でお喋りだ。敵に向かって気軽に話しかけ、戦闘中でもジョークを飛ばす。

 1960年代に誕生したスパイダーマンは、それまでの代表的なヒーローであるスーパーマンやバットマンのアンチテーゼだった。スーパーマンやバットマンが立派な大人で、ロビンのような若者を教え導く存在だったのに対し、スパイダーマンは自身が若造で、立派な人格者じゃなかった。いつでも軽口を叩き、ふざけた態度で戦うのも、スーパーマンやバットマンへのアンチテーゼだからだろう。
 だが、アメコミを原作にした映画が、真面目にシリアスに作られることで人気を博す中、サム・ライミ版『スパイダーマン』もジョークを控え気味に映画化された。8億ドル以上の成績を収めたのだから、この映画化は大成功だ。

 けれどもスパイダーマンの軽口が聞けないのは、少しばかり残念だった。
 そんなファンの想いに応えるように、本作のスパイディはふざけっ放しだ。戦闘シーンも軽快で楽しい。
 多くのアメコミ映画がリブートするたびにシリアスに深刻になるのを見るにつけ、アメコミの面白さは他にもあるのにと思っていた私には望外の喜びだ。
 もちろん、本作は単に軽佻浮薄なだけではない。スパイディのノリが軽いのは、やがて直面する辛さ、悲しさを強調する演出でもある。

 サム・ライミ版との第二の違い。それはシリーズの進行が加速されたことだ。
 サム・ライミ監督の旧シリーズでは、ピーターとヒロインが結ばれるのに二作を費やしたが、新シリーズでは一作目で早くもグウェンと恋仲になってしまう。素敵な恋人がいて、悪人退治も順調な本作冒頭のスパイダーマンは、旧シリーズの三作目冒頭に相当しよう。
 グリーンゴブリンことハリー・オズボーンと敵対するのも『スパイダーマン3』と同様だし、ヒロインの恋敵が登場すれば(グウェン・ステイシーとメリー・ジェーンの立場が逆ではあるものの)『スパイダーマン3』を彷彿とさせたことだろう。
 観客の多くはまだ旧シリーズを憶えており、次の展開を予想しているに違いない。だから、観客の予想を上回るスピードでシリーズを進行させ、旧シリーズの知識では追いつけない世界へ飛び出そうとしているようだ。

 旧シリーズの『スパイダーマン3』では、調子に乗ったピーターが暗黒面に堕ちて現実から手痛いしっぺ返しを食らうが、本作のピーターを見舞うのは大切なものの喪失だ。
 サム・ライミ版との第三の、そして最大の違い。それは本作が「持たざる者」の物語であることだ。
 大いなる力を持つ者の大いなる責任を描いた旧シリーズが「持てる者」の物語なのに対し、新シリーズは両親のいないピーターの喪失感を主軸とした「持たざる者」の物語であることは、『アメイジング・スパイダーマン』の記事に書いたとおりだ。
 本作は「持たざる者」の物語を前作以上に強調している。

 本作では、両親がいない喪失感を埋めてくれる存在、愛するグウェンとの別離が主軸となる。グウェンを危険に巻き込むまいと距離を置くピーターの態度に傷ついた彼女は、遂に別れ話を切り出してしまう。
 マーク・ウェブ監督がメリー・ジェーンの登場シーンをカットしたのは残念だが、ピーターとグウェンの関係に焦点を絞った監督の決断は正解だ。青春映画の傑作『(500)日のサマー』を撮ったマーク・ウェブ監督は、『アメイジング・スパイダーマン』に続いて本作も瑞々しいラブストーリーに仕立て上げた。お互いに愛しているのにすれ違いを重ねる二人は、あまりにも切ない。

 そのロマンチックな物語は、カップルがデートムービーとして観るにもうってつけだが、アクション映画やスーパーヒーローの活躍を期待してきた人の中には、美しい恋人とくっついたり離れたりしているピーターに向かって、思わず「リア充爆発しろ!」と叫びたくなる人もいるだろう。
 そこで本作に登場するのが、強烈な非リア充にしてスパイダーマンの最大の敵エレクトロだ。
 彼こそは究極の「持たざる者」。
 誕生日には自分で自分にケーキを買ってあげるしかない一人暮らし。誰も彼の存在を気に留めず、名前すら憶えてもらえない。「♪ハッピーバースデー・トゥ・ミー」と歌う姿は哀れすぎる。そんな彼にとって、人々からヒーローと認知され声援を送られるスパイダーマンはリア充の象徴だ。
 「持たざる者」の苦悩を描いた本作は、もっと持たざる者を登場させることで、そのテーマをよりくっきりと浮かび上がらせた。

 注目すべきは、エレクトロが改心したり、救われたりしないことだ。
 アメコミのヴィラン(悪役)は刑務所に入れられたり、死に際して正気に戻ることが多いけれど、哀れなエレクトロは悪役として暴走したまま退治されてしまう。
 一見すると単なるモンスター扱いのようだが、もちろんそうではない。映画の作り手は、非リア充の観客――現実の「持たざる者」たちが、エレクトロに感情移入することを見越しているのだ。そんな観客にとって、エレクトロに良いことが起きたり、エレクトロがリア充のスパイダーマンに理解を示しては、非リア充なイメージがぶち壊しになってしまう。観客の感情移入を持続するには、エレクトロは暴走した「持たざる者」のままでいなければならない。
 ではエレクトロとともに暴走した観客の感情に、持っていき場はあるのだろうか。

 そのために本作は、緻密な展開を用意する。
 美しいラブストーリーを語り、デートムービーとして完成度を高めながら、やがて本作は真の姿を現す。
 エレクトロを退治すればハッピーエンドの万々歳。デートムービーを楽しみに来たカップルへのサービスは、これで充分に果したろう。ここから本作は、「持たざる者」のための映画になる。
 ピーターは友人を失い、恋人を失い、映画の冒頭とはうって変わって大きな喪失感を抱くことになる。少々浮かれたときもあっただけに、その喪失感はなおのこと大きい。
 そしてエレクトロに代わって「持たざる者」の座についたピーターの孤独を描写するショットが延々と続く。
 それは、エレクトロに感情移入していた観客の気持ちを、ピーターに向けさせるための時間だ。非リア充の観客をまずはエレクトロに感情移入させ、その気持ちをピーターが受け継ぐ。そして「持たざる者」であるピーターと、客席の「持たざる者」たちが、一心同体になったとき、事件が起きる。

 サイのような、いかにもやられ役といった風情の敵ライノが、街で暴れ出すのだ。徹底的に魅力がないこの悪役に、観客は誰一人として感情移入することはないだろう。
 観客はみんなピーターの味方だ。そしてスパイダーマンがライノに立ち向かうとき、観客は悟るのだ。闘いとは、持てる者が大切な人を守るためのものばかりではないということを。孤独の中にいる者もまた、闘わねばならないということを。
 エレクトロは、持たざる者であるがゆえに暴走した。だが、持たざる者なら暴走が許されるわけではない。引きこもっていられるわけでもない。持たざる者であってもなお、立ち上がらねばならない。 
 それをスパイダーマンが――持たざる者になってしまったピーターが、身をもって示すのだ。

 メイおばさんは、停電した病院で患者のために闘った。
 空港の管制官たちは、事故を防ぐために全力を尽くした。
 誰もが、今いるところで、自分なりに闘っている。
 そしてスパイダーマンも闘っている。多くのものを失ってしまったのに。それでも闘い続ける。
 これぞ真のヒーローだ。


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監督/マーク・ウェブ
出演/アンドリュー・ガーフィールド エマ・ストーン ジェイミー・フォックス デイン・デハーン サリー・フィールド キャンベル・スコット エンベス・デイヴィッツ コルム・フィオール ポール・ジアマッティ クリス・クーパー
日本公開/2014年4月25日
ジャンル/[SF] [アクション] [アドベンチャー] [青春] [ロマンス]
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【theme : アクション映画
【genre : 映画

tag : マーク・ウェブアンドリュー・ガーフィールドエマ・ストーンジェイミー・フォックスデイン・デハーンサリー・フィールドキャンベル・スコットエンベス・デイヴィッツコルム・フィオールポール・ジアマッティ

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』 映画という耐久試験

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 キャプテン・アメリカは難しいキャラクターだ。
 星条旗を模したコスチューム、「アメリカ大尉」という名前、第二次世界大戦に臨む米国民の戦意を高揚させるために創造された制作意図。米国の愛国心を象徴したキャプテン・アメリカは、世界市場を相手にする現代のハリウッドでは扱いにくいに違いない。
 そんな杞憂を吹き飛ばしたのが、前作『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』だった。映画の制作陣は、あえて茶化した作りにすることで、星条旗みたいな恰好をした愛国男の冒険譚を見事に成立させた。

 そこからさらに深化して、テーマも娯楽性もグレードアップしたのが『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』だ。
 前作のアクションシーンは迫力がなかった。米軍が戦争で暴れまくって、他国の軍をやっつけるなんて映画のアクションに、迫力を持たせるべきかどうかを熟慮した結果だろう。
 舞台を現代に移した本作では、なんといってもアクションの切れがいい。
 空も飛べず、武器らしい武器も持たず、せいぜい盾を投げつけるくらいしかないキャプテン・アメリカにとって、肉弾戦こそもっとも得意とするところだ。格闘家ジョルジュ・サンピエールを傭兵バトロック・ザ・リーパー役に迎えての序盤の闘いは、本作のアクションが半端でないことを知らしめてくれる。
 小気味好いアクションを織り込んだスピーディな展開、過去の因縁が渦巻く二重三重の謀略、誰も信用できない状況でそれでも戦い抜く主人公の活躍は、ロバート・ラドラムのスパイ冒険小説のような無類の面白さを味わわせてくれる。

 テーマの掘り下げ方もキャプテン・アメリカならではだ。
 軍需産業の社長だったアイアンマンには、企業活動と平和というテーマがある。神話から飛び出したマイティ・ソーは、宇宙規模のファンタジーを見せてくれる存在だ。それに対して軍人であるキャプテン・アメリカの戦いは、国家や政治を背景にせざるを得ない。
 1941年のマンガデビューからしばらくのあいだ、キャップは自由の国アメリカを代表してナチス・ドイツや大日本帝国と戦った。けれども、戦時中はともかく、今や国家を「善い国」と「悪い国」に分類することなどできない。
 では、現代のキャップは、何のために誰と戦うべきなのか。
 それを考えるのは、かつてナチス・ドイツや大日本帝国の中の何を敵視し、米国の何を守っていたかを突き詰めることでもある。

 本作でキャップが対決するのは、前作同様ヒドラである。ナチスを起源とする悪の組織ヒドラが勢力を拡大し、キャップと国際平和維持組織S.H.I.E.L.D.(シールド)を窮地に陥れる。
 というのは表面上のストーリーだ。
 物語が進むにつれ、ヒドラのS.H.I.E.L.D.への侵食ぶりが明らかになる。劇中では「ヒドラとS.H.I.E.L.D.はコインの裏表」と表現されるが、実のところ裏も表もない。両者は一体なのだ。正義のために戦っていると思われたS.H.I.E.L.D.と悪の組織のはずのヒドラだが、そこに区別はあるのだろうか。それが本作の投げかける問いである。

 ヒドラの計画、それは厖大なデータを解析して、彼らにとって脅威になりそうな人間をピックアップし、上空に配置したヘリキャリアからピックアップした2,000万もの人間を抹殺するというものだ。いかにも悪の組織がやりそうな悪巧み――だろうか。
 兄とともに監督を務めたアンソニー・ルッソは、米国が行っている無人機による標的殺害や先制攻撃や、エドワード・スノーデンが暴露したNSA(国家安全保障局)による個人情報の収集等を本作に盛り込んだと述べている。
 米国はパキスタンをはじめ各国の上空に無人機を飛ばし、裁判にかけることも釈明の機会一つ提供することもなく、「テロリスト」と判断した人間を抹殺している。ターゲットを決めるのは米国であり、「テロリスト」だけでなく、「テロリスト」の周辺にいた人間も「テロリストの仲間」として抹殺している。

 米国は、「脅威になりそうな人間」をピックアップする技術にも長けている。
 2013年8月から12月にかけて渡米していた大澤淳氏は次のように語る。
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米国に行く前は、日本のサイバーセキュリティーやサイバーインテリジェンスの世界は、米国の周回遅れぐらいでトラックを走っているんじゃないかと思っていました。ところが、スノーデンのリーク情報がいろいろ出て驚いたのは、実はNSAがグーグルのサーバーを全部丸々コピーして抜いているとか、携帯電話の位置情報を全部調べているとか、米国はそういったレベルでの活動まで手を出しているという現実があることでした。

そして、NSAでは収集した情報を基に、特定のパターンに当てはまる動き方をしている人間を要注意人物としてピックアップしているわけです。ある携帯電話がもし特定の国から入ってきた人間のものであれば、これはテロリストの可能性が高いぞと考える感じです。正直、個人的にはそのような監視活動は、まだずいぶん先になるだろうと思っていたのが、米国では既にやっていた。実感として、日本は4~5周遅れという感じです。
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 日本では企業や公的機関がサイバー攻撃を受けてWebサイトの閉鎖に追い込まれることや、攻撃されても気づかずにWebサイトを運営し続けてしまうことがしばしばある。
 だが、大澤淳氏は、サイバー攻撃への対応も米国ではまったく違うと語る。
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ニューヨークタイムズやコカ・コーラが中国からサイバー攻撃を受けた時などは、FBI(米国連邦捜査局)から企業側に一報がいきました。
(略)
まずNSAが通信を監視していて、明らかに異常な通信があるなとか、どこかからアタックを受けているなといった場合、これは国内警察の刑事マターになるので最初にFBIに伝えられます。そして、FBIが当該企業に警告を発するという形を取る。これは通信を傍受しているからできる話です。つまりインターネット社会を監視している仕組みがあるからこそ、防衛もできるわけです。
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 そして、米国の決断の注目すべき点は、「通信の秘密」や「プライバシーの権利」よりも「社会の安全」を優先していることだという。
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だから、スノーデンのリーク情報が出ても、インテリジェンス自体を批判する記事が大手メディアからほとんど出ないんですね。つまり「NSAはアメリカ人を全部監視して、プライバシーを侵害している、けしからん!!」という話にはならないのです。NSAやCIAの活動は、米国をテロ攻撃から守るために必要だという、コンセンサスがある。特に米国の国民同士の通信をモニタリングするなんて、明らかに憲法違反なのですが、メディアも表立っては批判しない。
(略)
もちろん、通信の秘密やプライバシーを疎かにしていいとは思いません。しかし、通信の監視をしているからこそ、中国からのスパイだと分かるし、サイバー攻撃を受けていることが分かるわけです。
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 したがって、NSAの活動を暴露したエドワード・スノーデンを、厳しく捉える人が多いという。
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当然、政府の仕事に就く時には必ず守秘義務を含んだ契約書にサインするわけです。だから、米国社会ではスノーデンがいくらリベラル的に良い活動をしても、国家と個人契約を結び、報酬を貰って仕事をしていたにも関わらず、それを破った人間だと見る向きが強い。
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 大澤淳氏の云うとおり、注目すべきは"自由の国"アメリカで国民を監視していることよりも、自由を貴んできたはずの米国民が監視社会を受け入れていることだろう。
 もちろん、監視を強めているのは米国だけではない。
 英国、ロンドンでは、トイレの個室の中まで監視カメラがある。
 中国のネット検閲官は200万人に上るというから、日本の国家公務員すべてを合わせたよりも数倍の規模である。

 意外なことに中国では、政府や政治家に批判的なことをネットに書き込んでも検閲に引っかからない。中国でのネットの書き込みとその削除動向を分析したゲイリー・キングによれば、中国の検閲には次のような特徴があるという。
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中国政府が監視しているのは、とにかく「団体行動」であるということです。人を扇動したり、抗議行動に駆り立てたり、政府以外の人間が他人をコントロールしようとする発言は即刻検閲されます。「うちの市長はカネに汚いし、たくさん愛人を囲っている。最低だ」と批判を書き込んだところで、全く問題ありません。しかし、そのあとで「ひどすぎる。抗議に行こう」と発言したら、検閲される。
(略)
もっと言うと、例えば、「うちの町のトップはすばらしい。コミュニティを活性化しているし、我々の市民生活に貢献してくれている。感謝の気持ちを込めてみんなでパーティーを開こう」と発言しても、やはり検閲されます。政府は、自分以外の何ものかが人を動員するのが許せないわけです。
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 計量政治学者であるゲイリー・キングは、ソーシャルメディアの膨大な投稿を、中国政府が読んで検閲する前にダウンロードした。そして、このビッグデータの変化を分析することで、中国政府が何を問題視しているかを明らかにした。
 それは同時に、このようなデータ分析手法を用いれば、米国に居ながらにして各国の動向を把握できるということでもある。
 『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』では、ヒドラのゾラ博士が開発したプログラム――ヒドラにとって邪魔になる人間を識別できるデータマイニングのアルゴリズム――が焦点となる。
 近年のデータ分析手法の進歩からすれば、これは決して絵空事ではない。

 ヒドラが計画したこと――厖大なデータを解析して彼らの脅威になりそうな人間をピックアップすることも、本人に気づかれずに攻撃機を配置して上空から抹殺することも、いま現に世界で行われていることだ。
 違うのは、ヒドラの計画が秘密裏に進められるのに対して、現実の世界の人々は何が行われているかを知っており、それを受け入れている(少なくとも止めていない)ことだろう。


 フィクションの利点は、現実の世界の耐久試験ができることだ。
 製品開発の現場では、通常を上回る負荷をかけて、問題が生じるかどうかテストする。
 フィクションでは、人々が普段から「それくらいは仕方がない」と受け入れていることを、過度に極端に描写できる。それでも受け入れられるのか、本当に受け入れるのか、支障はないのかをあぶり出すことができる。
 「問題はどこで立ち止まるかだ。」と、ジョー・ルッソ監督は語る。「自分の安全のために100人を殺せばいいなら、私たちはそうするだろうか?それが1,000人でもするだろうか?10,000人でもするだろうか?それが100万人ならどうするのか?あなたはどこで立ち止まるのか?」

 本作で私がもっとも好きなシーンは、ヒドラのメンバーがS.H.I.E.L.D.職員に銃を突きつけ、ヘリキャリアを発進させるように迫るところだ。
 ヘリキャリアの発進を許せば、ヒドラの脅威と認識された2,000万人が殺される。発進に抵抗すれば、今ここで自分が殺される。
 アクションの連続の中に、このような葛藤が織り込まれるから、米国のスーパーヒーロー映画は侮れない。
 本作を「スーパーヒーロー映画を装った70年代の政治スリラー」と呼ぶプロデューサーのケヴィン・フェイグの言葉も頷ける。

 劇中、ヒドラのメンバーは、自分たちのやっていることは秩序のためだと主張する。
 秩序を保つために、個人の自由や権利を侵害する。それは悪の秘密結社ではなく、国家が普通に行っていることだ。
 典型的な例が、銃規制の強い日本だろう。敗戦前後、拳銃自殺を試みた東條英機をはじめ、少なからぬ日本人が自殺を図った。銃や刀の所持はそれほど珍しくなかったのだ。この物騒な国を占領するに当たり、GHQは銃砲、刀剣類の所持を禁止した。その後も銃砲の所持が制限された結果、日本は極めて平和になった。
 今の日本で、銃を持つ自由を取り戻そうと訴える人はいないだろう。それどころか、銃を持つ自由がある米国社会を、異常だと感じたりする。

 私たちは常に自由と秩序の落としどころを探っていかねばならない。
 だからこそ本作では、ヒドラを倒してS.H.I.E.L.D.が存続すれば万々歳とはならない。ヒドラがやっていることも、S.H.I.E.L.D.がやっていることも、本質的に違いはないからだ。


 これは観客にカタルシスを味わわせるタイプの映画だから、ヒドラの策略は「自由の番人」と称されるキャプテン・アメリカとアベンジャーズによってはばまれる。現実とは違って。
 その方法は、スーパーパワーでもなくスーパーウェポンでもなく、ウィキリークスやエドワード・スノーデンが行ったような、情報の暴露だった。
 政府職員だったエドワード・スノーデンの行為を厳しく捉える人が多いという米国で、*軍人*キャプテン・アメリカに同じ手段を取らせた作り手の意図は明らかだろう(もちろん、キャップは事前にS.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリーの許可を得ているが)。
 かつて自由の国を代表して全体主義国家と戦ったキャップは、今や自由を守るために自分の国と戦わねばならないのだ。

 映画の終盤、上院小委員会に呼ばれたブラック・ウィドウは意味深な発言をする。
 彼女は、政府関係者のみならず、マスコミのマイクを通じて国民に語るのだ。
 「私たちが必要でしょ。」

 自由と秩序の落としどころはあるのだろうか。


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監督/アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ
出演/クリス・エヴァンス スカーレット・ヨハンソン セバスチャン・スタン アンソニー・マッキー ロバート・レッドフォード サミュエル・L・ジャクソン コビー・スマルダーズ フランク・グリロ エミリー・ヴァンキャンプ ヘイリー・アトウェル マキシミリアーノ・ヘルナンデス トビー・ジョーンズ
日本公開/2014年4月19日
ジャンル/[アクション] [サスペンス] [SF]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

『ダラス・バイヤーズクラブ』のキーワードはこれだ!

ダラス・バイヤーズクラブ(マシュー・マコノヒー出演) [DVD] 油断も隙もありゃしない。
 『ダラス・バイヤーズクラブ』には、ほとほとしてやられた。
 難病に侵され、余命30日を宣告された男の話だと聞いたから、てっきり涙と感動の余命モノだと思って、舐めていたのだ。

 とんでもなかった。
 実話に材を取った本作は、学もなければ地位も金もない男が、社会を揺るがす映画だった。
 主人公は電気技師のロン・ウッドルーフ。堅気の仕事に就いてるものの、ロデオと賭け事と女とドラッグ三昧の日々を過ごしている。
 ある日突然ぶっ倒れた彼は、病院に運び込まれ、医師からエイズであると告げられる。余命はわずか30日。
 今では考えられないことだが、1985年当時、エイズは治療法が確立されておらず、ゲイのあいだで流行している奇病として恐れられていた。感染経路も一般には理解されず、エイズ患者はただ恐れられるばかりだった。

 劇中のロンは、周囲と同じように偏見に凝り固まった男だった。女をさげすみ、ゲイをさげすみ、エイズ患者をさげすんでいた。
 その彼がエイズにかかったと知るや否や、友人たちはロンに偏見の目を向けた。ロンをゲイ扱いして罵り、ロンを遠ざけようとした。
 実際、エイズにかかったロン・ウッドルーフは、すべての友人を失ったという。
 映画は、偏見に凝り固まっていたロンが、人々の偏見にさらされ、傷つき悩む様子を描く。
 それだけでも見応えのある映画だったと思う。被害者の立場に身を置くことで、変わっていく男。映画の展開としては悪くない。

 だが、彼は静かに死を待つような男ではなかった。
 彼は図書館に通い、エイズについて勉強し、生き延びる方法を探した。そして、世の中には自分が処方されていない新薬や未認可の薬があることを知り、それを投与するように医師に迫った。
 医師は、アメリカ食品医薬品局が認可した薬でなければ投与できない。未認可の薬を投与したら医師を続けられなくなる。
 それでもロンは諦めず、テスト段階の新薬AZTを非合法な手段で手に入れる。映画ではろくでもない薬のように描かれているAZTだが、満屋裕明氏が開発したこの薬は、今もエイズの治療に用いられている。ただ、副作用があるので、本作の主人公のようにモリモリ食べるのはもっての外だ。

 とはいえ、非合法な手段も辞さず、無免許医まで頼るロンのバイタリティーには圧倒される。
 そして観客は、本作が涙と感動の余命モノにはなりそうもないと気付く。
 生きるためとはいえ、次々に法を破っていくロンは、どう見ても感動的な美談の主ではない。

 ここから彼は、ある意味カッコいい男になっていく。
 無免許医の指導の下、体調を回復したロンは、自分と同じようにエイズに苦しみ、余命を宣告された人々に、自分と同じ治療を受ける機会を提供しようとする。
 そこでロンが立ち上げるのが、ダラス・バイヤーズクラブだ。『小さな命が呼ぶとき』の主人公は、難病の娘を治すために医薬品会社を設立したが、ロンが作ったのは外国製の未認可の薬を患者に提供する組織である。
 国内では薬が手に入らないのだから、ロンは世界中に買い付けに行かねばならない。それには元手が必要だ。だから、患者にはきっちり金を払ってもらう。その代わり、政府の認可なんか待っていたらいつまで経っても手に入らない薬を、明日をも知れぬ患者に渡してやる。
 患者たちは、大病院の偉そうな医師なんぞ無視してロンの許へ殺到した。エイズにかかってもピンピンしているロンの存在こそが、クラブが大病院より当てになる何よりの証拠だ。
 クラブのピーク時には、実際に4,000人の常連客がいたという。

 もちろん、ロンのやっていることを政府が認めるわけがない。
 アメリカ食品医薬品局は取り締まりに乗り出し、ロンは法廷で戦うことになる――。
 というわけで、物語はロン個人の闘病生活を超えて、スケールが広がっていく。ありきたりな涙と感動の余命モノを予想していた私は、ダイナミックな展開に圧倒された。

 ロンに政府と戦うつもりがないところもいい。
 彼は反体制的な思想から未認可の薬をばらまいたのではないし、法廷に出たのも売られたケンカを買ったにすぎない。
 ロンは単に政府に邪魔して欲しくなかったのだ。
 余計な口出しをするな。それがロンの云いたかったことだろう。
 ロンもはじめは権威あるものにすがろうとした。大病院を訪れ、医師がテストしている薬を手に入れようとした。
 だがロンは、権威にすがり続けるのではなく、自分で調べ、自分で訪ね歩き、自分で考えた。そうして元気になったのだから、それを他人に勧めて何が悪い。

 アメリカ食品医薬品局の役人や大病院の医師が悪人だったら、彼らの鼻を明かすロンの活躍が痛快だったかもしれない。
 本作はエンターテインメントでもあるので、医師や役人は憎らしげに描かれている。しかし、彼らは必ずしも悪人ではない。
 認可に必要な手続きを踏み、未認可の薬が出回ることを制限し、認可された薬の範囲内で治療する。どれも間違ったことではない。
 間違ってはいないけれど、最善とは限らない。
 認可した薬に副作用が見つかったら、国民は政府を非難するだろう。だから認可に当たっては慎重に慎重を重ねることになる。結果としてなかなか認可できない。
 未認可の薬を放置したために事故が起きたら、国民は政府を非難するだろう。だから未認可の薬を厳しく取り締まることになる。
 医師が未認可の薬を処方したために事故が起きたら、国民は医師を非難するだろう。だから医師は認可された薬しか使わない。
 人間誰しも我が身が可愛いし、非難にさらされたくない。ましてや製薬会社を含めた現在の構造にうま味があれば、わざわざそれを変えたくはない。
 そんな一人ひとりの保身と怠慢と利権の集積が、患者への新薬の投与を妨げている。

 本作とは違うジャンルの作品だと思われるだろうが、『フェア・ゲーム』も保身と怠慢を描いた映画だった。実話に基づいたこの映画では、CIAという政府機関に働く一人の公務員が、上司たちの保身と怠慢に阻まれて、理不尽な立場に追い込まれる様を描いていた。

 認可の有無にかかわらず、最善と思う治療法を患者に施そうとしたら、ブラック・ジャックのように無免許で医療行為を行う覚悟が必要だ。実際、本作で死ぬ寸前だったロンを救うのは無免許医だ。
 ダラス・バイヤーズクラブを訪れるエイズ患者からロンが容赦なく金を巻き上げるのも、ブラック・ジャックと同じだ。どの患者も途切れることなく薬を飲み続けなければならないのに、採算を度外視して薬を渡してしまったら、次の仕入れができなくなる。それはロンを頼るすべての患者を見捨てるのに等しい。
 だからロンはクラブを立ち上げ、金が回る仕組みを整えた。
 政府さえ余計な口出しをしなければ、それで良かった。

 ロンとは違う考え方をする人もいるだろう。
 国民の福祉を向上させるためには、政府がしっかりやるべきだと考える人もいるはずだ。
 これはすなわち、小さな政府と大きな政府のどちらを取るかという問題だ。
 保身と怠慢と利権の巣窟になりやすい政府の権限や仕事をできるだけ小さくして、ロンやブラック・ジャックがやることに余計な口を出させないようにするか、ロンやブラック・ジャックのような者の活躍する余地がないほど政府に大きな権限や仕事を負わせるか。

 私見だが、小さな政府を志向した大衆映画を作るのは難しいと思う。政府が小さければ小さいほど、個人が重い責任を負って生きていかねばならないからだ。
 それよりも、平等や連帯を謳う映画の方が口当たりが良いはずだ。
 政府なんかいらないと背を向けるより、ちゃんとやれと政府を弾劾する方が観客には受けるだろう。

 このような政府のあり方の考察を、一人の男の生き様を通して描きながら、本作をエンターテインメントとして成立させた作り手の手腕には舌を巻く。
 だから、実のところ本作において法廷闘争の行方はどうでもいいのだ。政府の口出しが人々にとって邪魔でしかないことが示せれば良いのだから。

 もっとも、米国での議論をそのまま日本に持ち込むわけにはいかない。
 なにしろ日米では政府の大きさが全然違う。人口千人当たり65.5人の職員がいる米国に比べ、日本は人口千人をわずか36.4人の職員でサポートしている。その開きは1.8倍。職員総数で見れば、米国は実に日本の4.4倍もの規模なのだ。他の国と比較しても日本の職員は極めて少なく、職員数に関して云えば日本の政府は小さすぎる。
 にもかかわらず、日本人は歴史的にお上に依存してきた
 保身と怠慢と利権に加えて人手不足が生じているから、政府のあちこちにシワ寄せが及んでいる。その一つが日本の行政、特に中央省庁における「ブラック政府」と呼ばれるほど常態化したサービス残業だろう。


 小さな政府と大きな政府のいずれを支持するかは人それぞれだろうが、ロンはダラス・バイヤーズクラブを運営する上で重要なことを口にする。
 それは「自己責任」だ。
 医師の処方もなく、認可もされていない薬を服用して、もしも事故があってもロンは責任を取れない。「自己責任だからな」とロンは患者たちに必ず告げる。
 それでも彼らはロンの許に押し寄せる。
 政府が責任をもって認可するのを待ってはいられないからだ。どれだけ生きられるか判らない彼らにとって、自分が選んだ薬を飲む自由を奪われるのは、生きる可能性を潰されるのと同じだ。

 もちろん、言葉の使い方を間違えてはいけない。
 「自己責任」とは、自分が何かするときの自由を確保するために、規制や口出しを拒絶するために使う言葉だ。
 困っている人や保護を求めている人に対して、「自己責任だ」と云って突き放すのは見当違いだ。

 政府の干渉を撥ねつける一方で、ロンはかつてさげすんでいた女やゲイやエイズ患者たちと助け合う。孤独な戦いを続けるロンの許に、多くの人が集まってくる。
 そこには、保身もなく利権もなく、ただ必要に駆られた人に必要な手を差し伸べる助け合いがあるばかりだ。

 余命30日と告げられたロナルド・ウッドルーフが死んだのは、7年後のことである。


ダラス・バイヤーズクラブ(マシュー・マコノヒー出演) [DVD]ダラス・バイヤーズクラブ』  [た行]
監督/ジャン=マルク・ヴァレ
出演/マシュー・マコノヒー ジャレッド・レトー ジェニファー・ガーナー デニス・オヘア スティーヴ・ザーン
日本公開/2014年2月22日
ジャンル/[ドラマ]
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『ローン・サバイバー』を絶賛せよ!

ローン・サバイバー [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 この映画のことを考えただけで胸が熱くなる。
 米軍の精鋭部隊ネイビーシールズの隊員たちがタリバンの軍勢と戦う本作は、多勢に無勢の戦闘に終始しており、『アラモ』や『300 <スリーハンドレッド>』に通じるものがある。『アラモ』も『300 <スリーハンドレッド>』も、圧倒的多数の敵を前にして、一歩もひるまず戦う男たちのドラマだった。
 だが、『ローン・サバイバー』の真価はそこではない。

 映画はシールズの訓練風景からはじまる。
 世界最強と云われるシールズの訓練は、おそろしく過酷だ。脱落する者も少なくない。
 だからこそ、その訓練に耐え抜いて隊員になった者たちの信頼と絆は強い。
 世界各地の宗教的儀式や通過儀礼は、それを経ることで集団への帰属意識や連帯感を高めるためにあるという。儀式が苦しいものであるほど、そうまでして仲間になった者たちの結束は強まる
 その意味で、シールズの過酷な訓練こそ、世界でもっとも強い絆を醸成するものだろう。

 『ローン・サバイバー』は実話に基づく映画である。マーカス・ラトレルの手記『アフガン、たった一人の生還』を原作にしている。
 タリバンの指導者を暗殺する作戦の一環で、アフガニスタンのタリバンの拠点を偵察していた四人の隊員は、通信状況の悪化から孤立してしまう。彼らの存在に気付いたタリバンは、全力を挙げて彼らを狩る。200人以上のタリバン兵に囲まれるシールズの四人。

 本作は彼らの死闘をたっぷり見せる。
 『アラモ』はアラモ砦にこもった約200人が、千数百人のメキシコ軍と戦う話だ。『300 <スリーハンドレッド>』は300人のスパルタ兵が、100万人のペルシア軍と激突する。それらも手に汗握る映画だったが、本作で戦うのはたったの四人。現実に彼らを襲ったタリバンは数十人だったとも云われるが、多勢に無勢で追いつめられたことに変わりはない。 

 それはもう激闘というよりなぶり殺しだ。
 シールズの隊員たちは善戦するが、ほとんど一方的に狩られるようなものである。銃で撃たれ、岩壁を落下し、血まみれになって転がる彼らの戦いに、アクション物の痛快さはない。
 2時間1分の上映時間のほとんどが戦闘シーンであるにもかかわらず、これはアクション映画ではないのだ。『ゼロ・ダーク・サーティ』のようにアクション映画の骨格に社会派的な衣をまとった映画でもない。
 このなぶり殺しに近い戦闘が延々と描写されるのは、彼らの判断の重さを訴えるためだろう。
 なぜ四人はこれほどの危機に見舞われたのか。
 2014年4月5日現在、日本語版ウィキペディアのあらすじには「山岳地帯で偵察をしていたマーカス・ラトレルら4人の隊員は判断ミスにより、200人以上のターリバーン兵から攻撃される状況に追い込まれてしまう」と書かれている。
 ウィキペディアの書き手があらすじをこのように書いた経緯は不明だが、「四人の判断はミスだったのか?」という問いは、本作の焦点の一つである。

 林の中からタリバンを偵察していた四人は、運悪く地元の山羊飼いに遭遇してしまう。
 四人は山羊飼いの老人や子供を縛り上げた後、上官の指示を仰ごうとするが、通信状況が悪くて無線機も衛星電話も通じない。
 自分たちで判断せざるを得なくなった彼らには、次の選択肢があった。

 (1) 老人と子供を解放する。
   解放したら、山羊飼いたちは必ずや米兵の存在をタリバンに通報するだろう。
   四人はタリバンの軍勢と対峙することになる。
   作戦は失敗し、今後も米軍はタリバンとの過酷な戦いを強いられることになる。

 (2) 老人と子供を縛り付けたまま放置する。
   作戦は継続できるかもしれないが、山羊飼いたちが凍死したり狼に食われるおそれがある。

 (3) 老人と子供を殺害する。
   作戦の継続を妨げる要素は排除できる。
   ただし、老人や子供を殺害した米軍を、世界の世論は許さないだろう。

 どうするべきか、四人の意見は割れる。どれを選択しても誰かの命が犠牲になる。自分たちの命、アフガニスタンの山羊飼いの命、米軍の兵士たちの命、それが彼らの選択にかかっている。
 あなたならどうするだろうか?
 これは実話である。白熱教室のディベートではない。
 ここが前半のクライマックスだ。四人がぞれぞれ何を主張し、どう反論したか。どのような経緯をたどって結論に到達したか。それをなぞるのが本作の重要な部分だ。

 結論だけ記すなら、彼らは山羊飼いを解放し、タリバンの軍勢に狩られることになる。
 これははたして「判断ミス」なのだろうか。山羊飼いの老人や子供を殺せば良かったのか。あるいは縛り付けたまま林に置き去りにすれば良かったのか。


 タリバンとの死闘を描いた後、映画は後半のクライマックスを迎える。
 それは『アフガン、たった一人の生還(原題:Lone Survivor)』という原作本の題名のとおり、マーカス・ラトレル隊員だけが生き残る過程だ。

 なぜ彼は生き残れたのか。
 彼が格別優秀な兵士だったのか。誰よりも不屈の闘志を備えていたのか。

 そのいずれでもない。
 彼は助けられたのだ。たまたま出会ったアフガニスタンの村人に。傷つき、追われる者を見過ごせない村人たちが、村を危険にさらしてまで、言葉の通じない異国の兵士を助け、匿ってくれたのだ。

 私には、この感動をどう表現したらいいか判らない。
 ただただ過酷な殺し合いの果てに、よもやこんなクライマックスが待ち受けているとは思わなかった。
 アフガニスタンのパシュトゥーン人には、パシュトゥーンワーリという掟があるという。その掟は、助けを乞う者がいれば、(たとえそれが宿敵であっても)命をかけて保護しなければならないと定めている。
 紛争が続くアフガニスタンで、村人たちは昔からの掟を誠実に守ったのだ。
 本作の題材は2005年に米軍が実施したレッド・ウィング作戦だが、このときマーカスを助けた村人モハメッド・グーラーブは今も命を狙われているという。


 もう一度問おう。
 四人の隊員が山羊飼いたちを解放したのは、「判断ミス」だったのだろうか。

 一つ確実なのは、もしも四人が山羊飼いたちを殺していたら、米軍は激しい非難にさらされたろうということだ。米軍の「誤射」や「誤爆」で民間人が犠牲になっていることは、これまでも批判されてきた。ましてや、丸腰の老人と子供を目の前にして射殺したと知れたなら、どんなに非難されただろう。
 米軍が事件の隠蔽を図れば、それこそウィキリークスの恰好の餌食であったろう。

 生還したマーカス・ラトレルの手記が出版され、ベストセラーになったのも、こうして映画化されたのも、人々が四人の行動を称え、共感し、感動したからだろう。
 4,000万ドルというハリウッド映画としては低予算の本作を完成させるために、監督・脚本のピーター・バーグや主演のマーク・ウォールバーグやテイラー・キッチュが自分の報酬を削ってまで取り組んだのも、この事実を多くの人に伝えたい気持ちに溢れたからだろう。

 最後に映画は、隊員たち本人の肖像と階級と年齢を映し出す。
 ここでまた、私は打ちのめされた。
 もじゃもじゃの髭で人相も定かでなかった隊員たちは、まだ22歳や25歳の若者だった。四人を率いたマイケル・マーフィ大尉ですら29歳でしかない。
 米国にいた頃の、髭もなくサッパリとした写真の彼らは、ほんの青二才にしか見えない。

 この若者たちが、これほど過酷な判断を迫られ、命を落としていったのか。
 そう思うと、私は目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。
 私には、ただ彼らを称えることしかできない。


ローン・サバイバー [Blu-ray]ローン・サバイバー』  [ら行]
監督・制作・脚本/ピーター・バーグ  制作/マーク・ウォールバーグ
出演/マーク・ウォールバーグ テイラー・キッチュ エミール・ハーシュ ベン・フォスター エリック・バナ アレクサンダー・ルドウィグ ジェリー・フェレーラ アリ・スリマン
日本公開/2014年3月21日
ジャンル/[サスペンス] [戦争] [アクション]
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【theme : 戦争映画
【genre : 映画

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『スター・トレック vs スター・ウォーズ クリンゴン帝国の逆襲』 制作決定!

 スター・トレックシリーズの監督J・J・エイブラムスがスター・ウォーズの新作の監督に抜擢されたときから噂は飛び交っていたが、遂にスター・トレックシリーズとスター・ウォーズシリーズのクロスオーバー作品が制作されることになった。監督はもちろんJ・J・エイブラムス。
 ロイターが報じるところによれば、『スター・トレック vs スター・ウォーズ クリンゴン帝国の逆襲』という仮題が発表された本作は、ディズニーと20世紀フォックスの共同プロジェクトであり、史上最高の制作費三億ドルを注ぎ込む超大作になるという。
 両シリーズのお馴染みのキャラクターが一同に会する大冒険は、世界中のファンを熱狂させることだろう。

 しかも、本作は単なる番外編的な位置付けではない。
 物語は、五年に及ぶ深宇宙探査の旅を続けるエンタープライズ号が、クリンゴン帝国に襲われた宇宙船を救助することからはじまる。なんと、その船こそは、デス・スターの設計図を携えてヤビンの基地を目指すミレニアム・ファルコンだったのだ!

 公開されたイメージボードには、ダークサイドに誘惑されるカーク船長や、オビ=ワン・ケノービにジェダイの奥義を学ぶスポックが描かれており、『スター・トレック イントゥ・ダークネス』の続きと、『スター・ウォーズ』一作目(エピソード4 新たなる希望)ががっぷり組んだストーリーになる模様だ。

 気になるキャストには、J・J・エイブラムス版スター・トレックの面々が再結集するとともに、『スター・ウォーズ』のオリジナルキャストも揃うという。
 もちろん、40年前のオリジナルキャストが、若々しいルークやハン・ソロを演じるのは不可能に思えるが、『スター・ウォーズ』一作目のデータから作成したデジタル・スキンを俳優に被せることで、現在のマーク・ハミルやハリソン・フォードが公開当時の面影でルークやハン・ソロを演じることが可能になるという。
 オビ=ワン・ケノービを演じたアレック・ギネスはすでに死去しているため、ユアン・マクレガーが演じるオビ=ワンにアレック・ギネスのデジタル・スキンを被せるようだ。

 まさに夢のようなプロジェクトだが、不安要素もある。
 J・J・エイブラムス監督は、自分と名前が似ていることからジャー・ジャー・ビンクスを登場させたいと主張しており、これがスタッフの猛反対に遭っているという。
 米国では、ジャー・ジャー・ビンクスの登場に反対する署名運動も起こっており、プロジェクトの行方は予断を許さない。


 ……なんてことがあると面白いなぁ。

スター・ウォーズ トリロジー リミテッド・エディション (初回限定生産) [DVD]スター・ウォーズ』  [さ行]
監督・脚本/ジョージ・ルーカス
出演/マーク・ハミル ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー アレック・ギネス ピーター・カッシング アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー ピーター・メイヒュー デヴィッド・プラウズ ジェームズ・アール・ジョーンズ フィル・ブラウン
日本公開/1978年6月30日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー]


スター・トレック [Blu-ray]スター・トレック』  [さ行]
監督・制作/J・J・エイブラムス
脚本・制作/ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン
出演/クリス・パイン ザカリー・クイント ゾーイ・サルダナ ジョン・チョー サイモン・ペッグ カール・アーバン レナード・ニモイ ブルース・グリーンウッド クリス・ヘムズワース
日本公開/2009年5月29日
ジャンル/[SF] [アクション] [アドベンチャー]
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