『東京家族』 『東京物語』とこんなに違う

そう公式サイトには書いてある。
1953年に公開された『東京物語』は、映画史を代表する作品として世界で評価される傑作だ。
それを、映画監督としては小津安二郎以来二人目の芸術院会員である山田洋次監督が、モチーフどころかリメイクと呼んで良いほどそっくりそのまま再現するのだから、たいへん注目される。
前作『おとうと』が、市川崑監督の『おとうと』(1960年)にインスパイアされ、市川崑監督に捧げられたように、本作も小津安二郎監督に捧げられている。
制作・配給の松竹は、賢い姉と愚かな弟の映画『おとうと』の公開時に、愚かな兄と賢い妹の映画『男はつらいよ』を髣髴とさせるように宣伝した。本作の宣伝においても、家族の物語であることを強調し、『男はつらいよ』や『家族』等の山田洋次監督作であることを前面に押し出している。
過去の名匠の作品をベースとすること、山田洋次監督が得意とするジャンルであること。配給会社の訴求ポイントは『おとうと』と同じだが、似ているのはそれだけではない。『おとうと』が市川崑監督とも姉弟の交流とも関係なく、終末医療を巡るコミュニティのあり方を描いたように、『東京家族』もまた小津安二郎監督作でも家族の物語でもない要素を含んでいる。
そうでなければ、80歳を過ぎて名実ともに日本を代表する監督が、いまさら過去作のリメイクなんてしないだろう。
■「真似して恥じるところはない」
『東京家族』は三層構造から成っている。
表層にあるのは『東京物語』だ。山田洋次監督はきわめて忠実に『東京物語』を再現している。
広島の老父母が東京の子供たちを尋ねるプロットも、医師の長男や美容院を経営する長女等の人物設定も『東京物語』のままだ。
だが、何より驚かされるのは、小津安二郎監督の特徴的な映画の文体まで再現していることだ。
夏川結衣さんが演じる文子と中嶋朋子さん演じる滋子の会話を短いショットの切り返しで繋ぐところや、セリフをとてもゆっくり喋るところ等、小津安二郎監督をそっくり真似てる。ここまでやるなら、画面のどこかに小津監督が大好きな赤いヤカンでも置いてあるんじゃないかと探したら、あるある、ちゃーんと赤い空き缶がベンチの上に置いてある。
その再現ぶりは山田洋次監督のこれまでの特徴を殺してしまうほどだ。
そもそも、山田洋次監督が『東京物語』をモチーフにすると聞いて、私は強い違和感を覚えた。
山田洋次監督の代表作として誰もが挙げるだろう『男はつらいよ』シリーズの魅力の一つは、作品に満ちた元気の良さだ。寅さんの威勢のいい啖呵や流れるような口上、タコ社長やおいちゃんを巻き込んでの取っ組み合いは、『男はつらいよ』シリーズになくてはならない要素だろう。
寅さんに限らず、『馬鹿まるだし』ならハナ肇さん、『幸福の黄色いハンカチ』なら武田鉄矢さん、『おとうと』なら笑福亭鶴瓶さんのコミカルで生きいきした演技が多いに楽しませてくれる。
ところが、小津安二郎監督はそんな演技を許さない。何十回もテストを繰り返し、役者の視線の動かし方も顔の角度も徹底的にコントロールする。その様子を獅騎一郎氏は「俳優がはじめの「生きのよさ」を失い、小津の「構図」に合わせた行儀のよいロボットのよう」と表現している。[*1]
これほど両監督は違うのだから、山田洋次監督が『東京物語』をモチーフにしても、まったく異なるものになってしまうだろうと私は思った。
ところが先に述べたように、山田洋次監督は見事に小津安二郎を真似してみせた。
山田監督はインタビューに応えて、「『東京物語』は世界一の映画。まねして恥じるところはない。徹底的にまねしようと思った」と語っている。[*2]
しかも、その真似は技巧的なところに留まらない。
與那覇潤氏は、中国戦線に出征した小津安二郎監督が復員後の作品において「日本家族の構図が揺らぐ場面に、つねに中華風のモチーフを採用する」ことを指摘している。[*3]
『東京物語』でのそれは、老父母の安眠を妨げる麻雀の喧騒だ。父母を熱海の旅館に泊まらせれば喜んでくれるだろうと考える子供たちと、子供と過ごしに来たのに旅館にやられてしまう老父母のすれ違いを示す重要なエピソードで、老父母を悩ませるのが中国の遊び「麻雀」だ。
本作はそれをも忠実に再現しており、高級ホテルに泊まった老父母は、廊下を移動する中国人客がやかましくて眠れない。さすがに今どきの高級ホテルで麻雀大会ではおかしいから、再現の仕方としてはこれが精一杯だろう。
さらに、小津ファンならニヤリとするところもある。
『東京物語』と『東京家族』の登場人物を対比させてみよう。
『東京物語』 : 『東京家族』
父 平山周吉 : 平山周吉
母 平山とみ : 平山とみこ
長男 平山幸一 : 平山幸一
長女 金子志げ : 金井滋子
次男 平山昌二 : 平山昌次
三男 平山敬三 : 不在
次女 平山京子 : 不在
次男の結婚相手 平山紀子 : 間宮紀子
少々文字の違いはあるものの、『東京家族』はほぼ『東京物語』の設定をなぞっている。
『東京物語』の時代なら五人兄弟は珍しくなかったろうが、さすがに今は多すぎる感があるので、『東京家族』に三男や次女の設定はない。代わりに、母の許に駆けつけるのが遅れる三男の役どころや、形見の話に腹を立てる次女の役どころ、そして紀子の役どころの一部を次男が引き受けている。
面白いのは紀子の姓が「間宮」であることだ。
『東京物語』の紀子はすでに結婚しており旧姓は不明だが、本作ではまだ結婚前だから平山姓ではない。そこで山田洋次監督は、周吉の娘・紀子が登場する小津作品――いわゆる「紀子三部作」のうち、結婚に至る過程を描いた『麦秋』での紀子の姓「間宮」を、本作の紀子に付けたのだ。
本作が単に『東京物語』のリメイクではなく、小津映画全般を俯瞰した上での取り組みであることを示していよう。
このように、山田洋次監督は小津らしさを再現することに腐心しているように見える。
だが、いなくなった次女・京子は、意外なところに登場する。
■制作は延期された
三層構造のうち、中間層を形作るのは2011年3月11日以降に加えられた要素だ。
公式サイトによれば、本作は当初2011年4月1日のクランクインを予定していたという。
だが、3月11日に東日本大震災が起こり、山田監督は「このまま映画をつくっても現代の日本は描けない」と撮影の延期を決断した。そして脚本に手を加えた上で、2012年3月1日にクランクインしたのだ。
そのため、周吉の友人服部の妻の実家が震災の被害に遭ったとか、昌次と紀子の出会いが被災地でのボランティアだったとか、『東京物語』には存在しない要素が加えられた。
そのうえ、震災後であることを映画の中に深く刻むためだろう、『東京物語』ではほとんどセリフもなかった服部の妻に「京子」という名を与えている(『東京物語』での名は「よね」)。
『東京物語』では周吉の娘である「京子」の名を持ってくることで、周吉とは関係なかったはずの震災被害との距離を縮め、周吉が震災の犠牲者に手を合わせることに必然性を持たせているのだろう。
ただし、『東京家族』の観客には、そんな山田洋次監督の思慮は判らない。服部の妻の名が京子であることすら、多くの観客は気づかないだろう。
震災被害を強調するなら、むしろ平山家に犠牲が出たことにすれば判りやすい。
なにしろ、『東京物語』の次男は戦争で死んでいるのだ。『東京家族』で妻夫木聡さんが演じる次男の昌次は、『東京物語』には登場しない。
同じような設定で同じような内容の映画を撮り続けた小津安二郎にとって、次男・ショウジは戦争を語るキーである。
戦争中の1941年に公開された『戸田家の兄妹』では、次男・昌二郎が大陸進出を果たしている。
戦後の1951年公開の『麦秋』で、次男の省二は戦死している。
そして1953年の『東京物語』でも次男・昌二は戦死しており、残された人々はその思い出をどこまで引きずるべきか悩んでいる。
1956年の『早春』の正二は生きてるものの、戦時中を懐かしんで戦友たちと羽目を外し、妻との亀裂が深まってしまう。
少しずつ設定は異なるものの、ショウジが中国戦線を思い出させる人物であることに変わりはない。
『東京家族』でもその設定を引き継いで、次男を震災の犠牲者とすれば、戦後を描いた『東京物語』と震災後を描いた『東京家族』は一層シンクロしただろう。
それをためらわせたのは、災厄との距離感に違いない。
『東京物語』が公開されたのは1953年、敗戦からすでに8年が過ぎている。1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効によりGHQの進駐も終了しており、劇中の人々は戦争を引きずりつつも、新たな生活に踏み出さなきゃいけないと思っている。
けれども、『東京家族』が公開された2013年1月は、東日本大震災から2年も経っていない。次男が犠牲になったとすれば、忘れるとか新たな生活どころではない。それでは震災の影が大きすぎて、『東京物語』からの乖離がはなはだしくなってしまう。
だから平山家からは直接の犠牲者を出さず、昌次は被災地でボランティアをするに留まった。
そして友人の妻の実家という遠い間柄で震災を描きつつ、同時にまったくの赤の他人にならないように「京子」の名を持ってきた。
こうして山田洋次監督は、本作を現代の日本の中に位置付けたのである。
■『東京物語』を上書きする『東京家族』
最後に、本作から『東京物語』の要素と震災の要素を除いたものが、三層構造の深層だ。
震災前に用意された脚本を読んだわけではないから、山田洋次監督が当初どんな要素を『東京物語』に付け加えるつもりだったかは判らない。
しかし、明らかに表層、中間層に属するものを除いてもなお、本作には幾つかの要素が存在する。
一つは世の中への非難だ。愚痴と云ってもいい。
老母は孫が弁当を持って塾へ通うことや将来に夢を抱かないことを憐れみ、ホテルの従業員はお年寄りの礼儀正しさに比べて若い宿泊客がいかにだらしないかを嘆く。そして会話の端々で、「今の時代は……」と世の中が悪くなったことを強調する。挙句の果てに、父・周吉はもう東京へは行かないと断言する。
中には震災後に加えられたセリフもあるだろうが、それにしても本作には愚痴が多い。
そう感じるのは、『東京物語』には世の中への愚痴がないからだ。もちろん楽しいことばかりが起こるわけではない。基本的なプロットは両作とも同じなのだから。
その違いは老父母の会話に端的に表れる。
老父母が、娘や息子は子供の頃の方が優しかったと語り合うシーン。『東京家族』の会話は、子供が冷たいと述べて終わってしまう。
だが、『東京物語』の会話には続きがあるのだ。
父「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃ。ハハハハ。欲ぅ云や 切りァにやァが、まぁええ方じゃよ。」
母「ええ方ですとも。よっぽどええ方でさあ。私らは幸せでさあ。」
父「そうじゃのう。まぁ、幸せな方じゃのう。」
母「そうでさあ、幸せな方でさあ。」
また、父・周吉が旧友沼田と飲み明かすシーン。
沼田は自分の息子が不甲斐ないことや、息子の嫁に邪魔にされることを愚痴り続ける。
『東京物語』の周吉は、息子が立身出世できなかった不満を沼田と共有しながらも、「こりゃ世の中の親ちうもんの欲じゃ、欲張ったら切りがない。こりゃァ諦めにゃならん」と諭す。
「まァ、ええと思わにゃいかんじゃろう」と強調する周吉に、沼田も「そうじゃのう、今どきの若いもんの中にゃ平気で親ァ殺す奴もおるんじゃから。それに比べたらナンボかマシな方か」と答え、あれほど愚痴っていたのに朗らかに笑い出す。
『東京物語』公開時は、現在とは比べものにならないくらい凶悪犯罪が多かったから親を殺す話が飛び出すけれど、それでも二人はにこやかなのだ。
ところが『東京家族』の周吉は違う。
沼田を諭すどころか自分まで不満を口にして、沼田が止めに入るほど興奮する。
そして「どっかでまちごうてしもうたんじゃ、この国は」と愚痴りながら酔い潰れる。
この、世の中の受け止め方の違いが、『東京物語』と『東京家族』を隔てるものだ。小津安二郎監督と山田洋次監督の人生観、哲学の違いでもあろう。
『東京物語』の魅力は、家族といえどもいずれバラバラになってしまう、その事実を受け入れる無常観と寂寞感だ。それは大人の処し方でもある。
『映画 鈴木先生』流に云えば、演じることで変わるのだ。いい教師や優等生を演じ続けるうちに、いつしかそれが演技ではなく、自分の身に付いたものになる。この鈴木先生の言葉のように、『東京物語』の登場人物は、いい嫁、いい舅、いい姑を演じ続ける。そうして調和のある暮らしを成り立たせている。
これに山田洋次監督は異を唱える。現代の子供にだって将来の夢はあるのだが、それは無視して主張する。
山田監督は黙って世の中を受け入れることができないのだ。
山田監督が世の中に対抗する力として期待するのが、『おとうと』でも取り上げたコミュニティである。
『東京家族』は『東京物語』にはない問題提起をしている。いったい誰が独り暮らしになる父の面倒を看るかということだ。
『東京物語』では同居している次女・京子がいたから、深刻な問題にはならなかった。
けれども『東京家族』に次女はいないので、父は独りぼっちになってしまう。
これを解決するのが地域のコミュニティである。お隣さんが世話を焼いてくれること、いざとなれば役所にも期待できることが示唆される。
これは山田監督からの呼びかけだ。本作は家族の物語でありながら、家族が頼りにならないのなら、地域社会の繋がりを深めようと呼びかけているのだ。
もう一つ、山田監督が期待するのが、震災のボランティアに駆けつける若者の力だ。
『東京物語』には登場しない次男・昌次は、山田監督にとって自由に動かせるオリジナルキャラクターである。
山田監督は昌次を、親に認められないはみ出し者として位置付けた。医学博士の長男・幸一が、寅さんの大嫌いなインテリなのに対して、昌次は舞台美術に取り組んでいるものの、確固たる地位を築くには程遠く、その日その日の飛び込みの仕事をやっつけてる状況だ。
だが、その生活は不安定かもしれないが、ボランティアに駆けつけられる柔軟性があるし、何よりも大きな夢に向かって歩んでいる。
長男や長女が父の許を去った後も、いつまでも残って父の家の修繕に努める昌次は、古い外車を捨てられない愛情深い男でもある。大声で叫んだり、号泣したり、感情をぶつけたり、『東京物語』には見られないことを平気でやる男だ。
そんな昌次は『東京物語』の世界には異質だが、山田洋次作品にはお馴染みの人物である。寅さんに連なる彼のような若者こそが、インテリ、ブルジョアによる既存の体制を打破する希望ではないだろうか。
そんな山田洋次監督の考えが、本作からはうかがえるように思う。
それゆえ、地域コミュニティという意味でも、若者という意味でも、本作は『東京物語』にはいない隣家の少女ユキの笑顔に収斂するのだ。
山田洋次監督は『東京物語』のプロットを踏襲し、小津安二郎を大いに真似しながらも、その哲学にはくみすることなく、世界に名だたる『東京物語』をアップデートした。
世界はどちらを受け入れるのか。
これは81歳になる山田洋次監督の大いなる挑戦だ。
参考資料
[*1] 獅騎一郎 (2000) 『黒澤明と小津安二郎』 宝文館出版
[*2] 読売新聞 2013年1月18日夕刊
[*3] 與那覇潤 (2011) 『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』 NTT出版

監督・脚本/山田洋次
脚本/平松恵美子
出演/橋爪功 吉行和子 西村雅彦 夏川結衣 中嶋朋子 林家正蔵 妻夫木聡 蒼井優 小林稔侍 風吹ジュン 茅島成美 荒川ちか 柴田龍一郎 丸山歩夢
日本公開/2013年1月19日
ジャンル/[ドラマ]

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『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』の二つの特徴
【ネタバレ注意】
夢のようだ。
以前の記事で書いたようにデスラーが大好きな私としては、白色彗星帝国に居候するデスラーが不憫でならなかった。
時代劇には、しばしばヤクザ一家で用心棒をしている浪人者が登場する。一家の親分から「先生」なんて呼ばれて、一応の敬意は払われるものの、半ば厄介者の捨て駒だ。映画『座頭市物語』に見られるように、この手の「先生」は、主人公と心を通わせつつもろくな最後を迎えない。
ガミラス帝国の総統デスラーともあろう者が、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』においてヤクザの用心棒のごとく白色彗星帝国ガトランティスに食わせてもらっているのが、デスラー好きの私には悔しかった。
その長年の不満を、いきなり吹き飛ばしてくれたのが『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』だ。
第11話「いつか見た世界」は、予想だにしなかったガトランティスとガミラスとの艦隊戦で幕を開ける。名将ドメル率いる小マゼラン方面軍が、ガトランティスの艦船を次々に沈めているのだ。
これもまたヤマトの世界を熟考した結果であろう。
第1話「イスカンダルの使者」の記事に書いたことだが、本作は第1テレビシリーズだけをベースにしているわけではない。第1テレビシリーズには登場しない土方や山南が第1話から活躍することで判るように、ヤマトシリーズ全体を考慮しての人物の再配置が行われている。これは単なるファンサービスではなく、ヤマトの作品世界を見渡して全体としての整合を図る作業である。
そしてそれは登場人物の配置にとどまらず、国家等にも及んでいたのだ。
ガミラスは大マゼラン銀河から天の川銀河に及ぶ大帝国だ。
これほどの版図を有するのだから、同じような恒星間国家であるガトランティスやボラー連邦と接触していてもおかしくない。というよりも、一作ごとに新たな恒星間国家が出てくる旧シリーズのやり方は、出渕総監督の「いくらなんでも今見たらそれはないだろう」と云う部分だろう。
それらをきちんと考えることで、ガミラス帝国の全盛期にガトランティスは何をしていたかを示したのが本作だ。
登場するのは他の国家でも良かったはずだが、ボラー連邦が天の川銀河を版図とし、暗黒星団帝国が二重銀河を拠点とすること等を考えれば、大マゼラン銀河から発したガミラス帝国が接触する相手としては、宇宙を放浪する白色彗星帝国が一番しっくり来るだろう。ガミラス帝国崩壊後にデスラーと因縁が生じる間柄でもあるのだから。
氷川竜介氏はパンフレットのイントロダクションにおいて、ガトランティス艦隊や(元は『宇宙戦艦ヤマトIII』の)次元潜航艇とフラーケンの登場を指して次のように述べている。
---
スタッフが目指そうとしている高みがいよいよ明確となった。それは旧作シリーズ全体を壮大な「ヤマトサーガ」としてとらえ直した上で、もう一度イスカンダルへの「旅」をするならば、どんな光景が再発見できるのかという壮大な挑戦なのだ。
---
まったく同感である。
特に私が嬉しかったのは、ガミラス艦隊がガトランティス艦隊をけちょんけちょんに蹴散らしてくれたことだ。そうなのだ、ドメル健在のガミラス帝国最盛期であれば、ガミラス軍はガトランティスごときに引けをとるものではないのだ。
勢いに乗って、ドメル艦隊をもってバルゼー艦隊を叩き潰して欲しいところだが、それでは悪ノリが過ぎよう。
ともあれ、長年の悔しさはここで一気に解消した。
さて、『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』は、前章と同じようにバラエティに飛んだ4話から構成される。
もちろん目玉は、「宇宙の狼」ことドメルの登場だが、他にも二つの特徴がある。
一つが、松本零士氏へのリスペクトだ。
旧シリーズを尊重する『宇宙戦艦ヤマト2199』からは、これまでも松本零士氏へのリスペクトが感じられたが、第四章ではさらにその感を強くした。
第12話に登場するドメルの妻エリーサを見て、メーテルかと思った観客は多かろう。彼女が「トリさん」ならぬロクロック鳥を肩に留まらせた絵は、実に愉快だ。
また第14話「魔女はささやく」でヤマトを窮地に陥れるセレステラとミレーネル。
宣伝情報相ミーゼラ・セレステラは広いオデコが特徴的で、パンフレットの解説によれば惑星ジレル出身の彼女は<ジレルの魔女>と呼ばれるという。なるほど、彼女はジレルだからオデコが広いのだ。
第10話「大宇宙の墓場」で、松本零士氏がイラストを手掛ける<太陽の女王号>シリーズからサブタイトルを拝借したように、セレステラとミレーネルはやはり松本零士氏がイラストを手掛けたC・L・ムーア作品へのオマージュになっている。
松本零士氏が描いた美女との類似を勘案すれば、セレステラ宣伝情報相が『処女戦士ジレル』、ミレーネル・リンケが『大宇宙の魔女』に相当しよう(「大宇宙の魔女」という表現は、松本零士氏も自作に流用している)。
松本零士氏は『銀河鉄道999』等のマンガ家として、また『宇宙戦艦ヤマト』の監督として知られているが、往年のSFファンにはイラストレーターとしての印象も強い。
第10話のようなサブタイトルの拝借にとどまらず、第14話「魔女はささやく」では、人間の判断力を奪って意のままにする敵との戦いを描き、内容的にもC・L・ムーア作品を髣髴とさせる。
第14話は、旧作で未使用に終わった女性兵士イローゼの破壊工作ネタの発展形であるだけでなく、第1テレビシリーズと、そのころ書店に並んでいたSF小説やそのイラストに魅了された者にとって、懐かしい世界である。
そして、それらを結びつけるのが松本零士氏だ。
第四章を見れば、『宇宙戦艦ヤマト2199』の作り手が、松本零士氏を単にヤマトシリーズのクリエイターとしてではなく、流麗なイラストやマンガで多くの青少年をSFの世界に引きずり込んだ立役者としてリスペクトしているのが感じられよう。
二つ目の特徴は、何が正しいのかという問いかけだ。
第1テレビシリーズの古代進は独断専行の気味があり、旧第6話「氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ!」で帰艦命令を無視したり、旧第17話「突撃!!バラノドン特攻隊」では沖田艦長が倒れる中、勝手な判断で反撃したりと、規律を外れた行動が見られた。
だが、本作の古代進は冷静な人物として描かれているし、そもそも軍人が上官の命令に反して良いはずがない。
では、命令に従い、ルールを守りさえすれば良いのか。と問うことが、第四章のテーマになっている。
本作の作り手はこの問題を慎重に扱っている。
まず、第11話「いつか見た世界」で、地球とガミラスとの開戦の秘密に迫る。ここにおいて、先に攻撃を仕掛けたのが地球側であること、先制攻撃を拒否した沖田十三は役職を解任されていたことが明かされる。
続く第12話「その果てにあるもの」では、会議の席で島と争い、罰として艦内清掃を命じられた古代に、沖田艦長が先制攻撃を拒否した心中を吐露する。「もしそれが命令であったとしても、間違っていると思ったら立ち止まり、自分を貫く勇気も必要だ。」
その上で、第13話「異次元の狼」の古代は独断で出撃し、ヤマトを窮地から救い出す。
これはたいへん sensitive な問題であり、だからこそ、ここに切り込んだ作り手の本気度がうかがわれる。
アニメが「テレビまんが」と呼ばれた時代の熱血主人公なら、型破りな行動も許されたろう。その結果が吉と出るご都合主義も許されたかもしれない。
だが、軍人が上官の命令に反して行動するなんて、「軍紀の乱れ」以外の何ものでもない。リアルなドラマにはそぐわない。
それが判らない作り手ではないから、旧作の独断専行のエピソードを避けて通っても良かったはずだ。旧第17話「突撃!!バラノドン特攻隊」における古代の独断を再現しなくても、面白い話は作れよう。
けれども作り手たちは逃げなかった。それどころか3話分を費やした。それは本作が戦争を題材としており、主人公が軍人であることに正面から取り組んでいるからだ。
多大な犠牲を出したナチス・ドイツのホロコーストは、少数の人間が暴虐を振るったものではなく、官民の多くの人々が仕事を全うした結果である。では、命令に従い、職務を果たした結果のホロコーストは、正しい行為と云えるだろうか。
山本五十六長官は、日米開戦に反対であるにもかかわらず、真珠湾攻撃を遂行した。米国にダメージを与えた上で早期講和を図る考えだったといわれるが、たとえ思惑どおりの戦果を上げたとしても、開戦しといて講和を結ぶなんてことが本当にできたのか、作家の半藤一利氏は疑問を呈している。
『戦場のメリークリスマス』では、他の兵士と同じように職務を遂行したために、処刑される日本兵が描かれる。そこでは、一人の人間として何が正しいかをとことん考えなかったことが罪なのだ。
先ごろ公開された『レ・ミゼラブル』をはじめ、同様のテーマを取り上げた映画は多い。
本作の主人公たちは、強大な武器を手にしており、その一撃で多くの犠牲者を出すことができる。
だからこそ、云われるがままに武器を振るったり、復讐心という感情の赴くままに行動してはならない。
本作が軍人を主人公とするからこそ、作り手はこの問題に触れないわけにはいかなかったのだろう。
そして作り手たちは被害者の物語にも逃げなかった。
被害者の立場から「○○された」「○○させられた」と訴えるのは居心地がいい。だから争いごと――特に戦争では、各国とも我こそ被害者であると相手を批難する。
だが、争いごとに一方的な被害者と一方的な加害者がいるものだろうか。
命令に従ったがためにガミラスと戦争になり、それがために人類が滅亡の淵に瀕するという設定は、旧作にはない新たな問題提起として、『宇宙戦艦ヤマト2199』をより一層奥深いものにしている。
また、異国・異民族との対立を強調するアメリカ映画が目につく昨今、本作が「理解」と「信頼」を前面に出したことは重要だ。
敵捕虜との交流を描いた旧第13話「急げヤマト!!地球は病んでいる!!」に相当する第11話、古代と島の確執と和解を描いた旧第14話「銀河の試練!!西暦2200年の発進!!」に相当する第12話は、いずれもアクションを抑えた会話劇だが、本作の肝になる回であろう。
ましてや、前述したように旧ヤマトシリーズ全体を勘案しての再配置が行われているとすると、地球人やガミラス人の来歴についても深い配慮が期待される。
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のディンギル人が1万年前に地球から移住した地球人類であることや、ガミラス人が天の川銀河に栄えたガルマン民族の一支族であることからも判るように、ヤマトシリーズの世界観には、はるかな過去に行われた恒星間・銀河間の移住によって現在の星間国家が成立したという考えがある。
第四章では、ガミラス人と地球人に生物としての違いはないことが示された。
「我々はどこから来てどこへ行くのか。」
本作は、ゴーギャンの言葉を模したセリフをガミラス人に語らせている。
これからガミラス人について、地球人について、どのような由来が明らかにされるのか期待は高まる。
それは、7万年前のたった1万人から世界に広まった私たち人類が、今さら異国とか異民族などと呼び合ってしまう現状を考えさせることだろう。
『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』 [あ行][テレビ]
第11話『いつか見た世界』 脚本/出渕裕 絵コンテ/滝川和男 演出/江上潔
第12話『その果てにあるもの』 脚本/出渕裕 絵コンテ/片山一良 演出/うえだしげる
第13話『異次元の狼』 脚本/森田繁 絵コンテ/樋口真嗣、出渕裕、片山一良 演出/南康弘
第14話『魔女はささやく』 脚本/村井さだゆき 絵コンテ/出渕裕 演出/別所誠人
総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾 赤羽根健治
日本公開/2013年1月12日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
夢のようだ。
以前の記事で書いたようにデスラーが大好きな私としては、白色彗星帝国に居候するデスラーが不憫でならなかった。
時代劇には、しばしばヤクザ一家で用心棒をしている浪人者が登場する。一家の親分から「先生」なんて呼ばれて、一応の敬意は払われるものの、半ば厄介者の捨て駒だ。映画『座頭市物語』に見られるように、この手の「先生」は、主人公と心を通わせつつもろくな最後を迎えない。
ガミラス帝国の総統デスラーともあろう者が、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』においてヤクザの用心棒のごとく白色彗星帝国ガトランティスに食わせてもらっているのが、デスラー好きの私には悔しかった。
その長年の不満を、いきなり吹き飛ばしてくれたのが『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』だ。
第11話「いつか見た世界」は、予想だにしなかったガトランティスとガミラスとの艦隊戦で幕を開ける。名将ドメル率いる小マゼラン方面軍が、ガトランティスの艦船を次々に沈めているのだ。
これもまたヤマトの世界を熟考した結果であろう。
第1話「イスカンダルの使者」の記事に書いたことだが、本作は第1テレビシリーズだけをベースにしているわけではない。第1テレビシリーズには登場しない土方や山南が第1話から活躍することで判るように、ヤマトシリーズ全体を考慮しての人物の再配置が行われている。これは単なるファンサービスではなく、ヤマトの作品世界を見渡して全体としての整合を図る作業である。
そしてそれは登場人物の配置にとどまらず、国家等にも及んでいたのだ。
ガミラスは大マゼラン銀河から天の川銀河に及ぶ大帝国だ。
これほどの版図を有するのだから、同じような恒星間国家であるガトランティスやボラー連邦と接触していてもおかしくない。というよりも、一作ごとに新たな恒星間国家が出てくる旧シリーズのやり方は、出渕総監督の「いくらなんでも今見たらそれはないだろう」と云う部分だろう。
それらをきちんと考えることで、ガミラス帝国の全盛期にガトランティスは何をしていたかを示したのが本作だ。
登場するのは他の国家でも良かったはずだが、ボラー連邦が天の川銀河を版図とし、暗黒星団帝国が二重銀河を拠点とすること等を考えれば、大マゼラン銀河から発したガミラス帝国が接触する相手としては、宇宙を放浪する白色彗星帝国が一番しっくり来るだろう。ガミラス帝国崩壊後にデスラーと因縁が生じる間柄でもあるのだから。
氷川竜介氏はパンフレットのイントロダクションにおいて、ガトランティス艦隊や(元は『宇宙戦艦ヤマトIII』の)次元潜航艇とフラーケンの登場を指して次のように述べている。
---
スタッフが目指そうとしている高みがいよいよ明確となった。それは旧作シリーズ全体を壮大な「ヤマトサーガ」としてとらえ直した上で、もう一度イスカンダルへの「旅」をするならば、どんな光景が再発見できるのかという壮大な挑戦なのだ。
---
まったく同感である。
特に私が嬉しかったのは、ガミラス艦隊がガトランティス艦隊をけちょんけちょんに蹴散らしてくれたことだ。そうなのだ、ドメル健在のガミラス帝国最盛期であれば、ガミラス軍はガトランティスごときに引けをとるものではないのだ。
勢いに乗って、ドメル艦隊をもってバルゼー艦隊を叩き潰して欲しいところだが、それでは悪ノリが過ぎよう。
ともあれ、長年の悔しさはここで一気に解消した。
さて、『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』は、前章と同じようにバラエティに飛んだ4話から構成される。
もちろん目玉は、「宇宙の狼」ことドメルの登場だが、他にも二つの特徴がある。
一つが、松本零士氏へのリスペクトだ。
旧シリーズを尊重する『宇宙戦艦ヤマト2199』からは、これまでも松本零士氏へのリスペクトが感じられたが、第四章ではさらにその感を強くした。
第12話に登場するドメルの妻エリーサを見て、メーテルかと思った観客は多かろう。彼女が「トリさん」ならぬロクロック鳥を肩に留まらせた絵は、実に愉快だ。
また第14話「魔女はささやく」でヤマトを窮地に陥れるセレステラとミレーネル。
宣伝情報相ミーゼラ・セレステラは広いオデコが特徴的で、パンフレットの解説によれば惑星ジレル出身の彼女は<ジレルの魔女>と呼ばれるという。なるほど、彼女はジレルだからオデコが広いのだ。
第10話「大宇宙の墓場」で、松本零士氏がイラストを手掛ける<太陽の女王号>シリーズからサブタイトルを拝借したように、セレステラとミレーネルはやはり松本零士氏がイラストを手掛けたC・L・ムーア作品へのオマージュになっている。
松本零士氏が描いた美女との類似を勘案すれば、セレステラ宣伝情報相が『処女戦士ジレル』、ミレーネル・リンケが『大宇宙の魔女』に相当しよう(「大宇宙の魔女」という表現は、松本零士氏も自作に流用している)。
松本零士氏は『銀河鉄道999』等のマンガ家として、また『宇宙戦艦ヤマト』の監督として知られているが、往年のSFファンにはイラストレーターとしての印象も強い。
第10話のようなサブタイトルの拝借にとどまらず、第14話「魔女はささやく」では、人間の判断力を奪って意のままにする敵との戦いを描き、内容的にもC・L・ムーア作品を髣髴とさせる。
第14話は、旧作で未使用に終わった女性兵士イローゼの破壊工作ネタの発展形であるだけでなく、第1テレビシリーズと、そのころ書店に並んでいたSF小説やそのイラストに魅了された者にとって、懐かしい世界である。
そして、それらを結びつけるのが松本零士氏だ。
第四章を見れば、『宇宙戦艦ヤマト2199』の作り手が、松本零士氏を単にヤマトシリーズのクリエイターとしてではなく、流麗なイラストやマンガで多くの青少年をSFの世界に引きずり込んだ立役者としてリスペクトしているのが感じられよう。
二つ目の特徴は、何が正しいのかという問いかけだ。
第1テレビシリーズの古代進は独断専行の気味があり、旧第6話「氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ!」で帰艦命令を無視したり、旧第17話「突撃!!バラノドン特攻隊」では沖田艦長が倒れる中、勝手な判断で反撃したりと、規律を外れた行動が見られた。
だが、本作の古代進は冷静な人物として描かれているし、そもそも軍人が上官の命令に反して良いはずがない。
では、命令に従い、ルールを守りさえすれば良いのか。と問うことが、第四章のテーマになっている。
本作の作り手はこの問題を慎重に扱っている。
まず、第11話「いつか見た世界」で、地球とガミラスとの開戦の秘密に迫る。ここにおいて、先に攻撃を仕掛けたのが地球側であること、先制攻撃を拒否した沖田十三は役職を解任されていたことが明かされる。
続く第12話「その果てにあるもの」では、会議の席で島と争い、罰として艦内清掃を命じられた古代に、沖田艦長が先制攻撃を拒否した心中を吐露する。「もしそれが命令であったとしても、間違っていると思ったら立ち止まり、自分を貫く勇気も必要だ。」
その上で、第13話「異次元の狼」の古代は独断で出撃し、ヤマトを窮地から救い出す。
これはたいへん sensitive な問題であり、だからこそ、ここに切り込んだ作り手の本気度がうかがわれる。
アニメが「テレビまんが」と呼ばれた時代の熱血主人公なら、型破りな行動も許されたろう。その結果が吉と出るご都合主義も許されたかもしれない。
だが、軍人が上官の命令に反して行動するなんて、「軍紀の乱れ」以外の何ものでもない。リアルなドラマにはそぐわない。
それが判らない作り手ではないから、旧作の独断専行のエピソードを避けて通っても良かったはずだ。旧第17話「突撃!!バラノドン特攻隊」における古代の独断を再現しなくても、面白い話は作れよう。
けれども作り手たちは逃げなかった。それどころか3話分を費やした。それは本作が戦争を題材としており、主人公が軍人であることに正面から取り組んでいるからだ。
多大な犠牲を出したナチス・ドイツのホロコーストは、少数の人間が暴虐を振るったものではなく、官民の多くの人々が仕事を全うした結果である。では、命令に従い、職務を果たした結果のホロコーストは、正しい行為と云えるだろうか。
山本五十六長官は、日米開戦に反対であるにもかかわらず、真珠湾攻撃を遂行した。米国にダメージを与えた上で早期講和を図る考えだったといわれるが、たとえ思惑どおりの戦果を上げたとしても、開戦しといて講和を結ぶなんてことが本当にできたのか、作家の半藤一利氏は疑問を呈している。
『戦場のメリークリスマス』では、他の兵士と同じように職務を遂行したために、処刑される日本兵が描かれる。そこでは、一人の人間として何が正しいかをとことん考えなかったことが罪なのだ。
先ごろ公開された『レ・ミゼラブル』をはじめ、同様のテーマを取り上げた映画は多い。
本作の主人公たちは、強大な武器を手にしており、その一撃で多くの犠牲者を出すことができる。
だからこそ、云われるがままに武器を振るったり、復讐心という感情の赴くままに行動してはならない。
本作が軍人を主人公とするからこそ、作り手はこの問題に触れないわけにはいかなかったのだろう。
そして作り手たちは被害者の物語にも逃げなかった。
被害者の立場から「○○された」「○○させられた」と訴えるのは居心地がいい。だから争いごと――特に戦争では、各国とも我こそ被害者であると相手を批難する。
だが、争いごとに一方的な被害者と一方的な加害者がいるものだろうか。
命令に従ったがためにガミラスと戦争になり、それがために人類が滅亡の淵に瀕するという設定は、旧作にはない新たな問題提起として、『宇宙戦艦ヤマト2199』をより一層奥深いものにしている。
また、異国・異民族との対立を強調するアメリカ映画が目につく昨今、本作が「理解」と「信頼」を前面に出したことは重要だ。
敵捕虜との交流を描いた旧第13話「急げヤマト!!地球は病んでいる!!」に相当する第11話、古代と島の確執と和解を描いた旧第14話「銀河の試練!!西暦2200年の発進!!」に相当する第12話は、いずれもアクションを抑えた会話劇だが、本作の肝になる回であろう。
ましてや、前述したように旧ヤマトシリーズ全体を勘案しての再配置が行われているとすると、地球人やガミラス人の来歴についても深い配慮が期待される。
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のディンギル人が1万年前に地球から移住した地球人類であることや、ガミラス人が天の川銀河に栄えたガルマン民族の一支族であることからも判るように、ヤマトシリーズの世界観には、はるかな過去に行われた恒星間・銀河間の移住によって現在の星間国家が成立したという考えがある。
第四章では、ガミラス人と地球人に生物としての違いはないことが示された。
「我々はどこから来てどこへ行くのか。」
本作は、ゴーギャンの言葉を模したセリフをガミラス人に語らせている。
これからガミラス人について、地球人について、どのような由来が明らかにされるのか期待は高まる。
それは、7万年前のたった1万人から世界に広まった私たち人類が、今さら異国とか異民族などと呼び合ってしまう現状を考えさせることだろう。
![宇宙戦艦ヤマト2199 4 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41xuu66OJTL._SL160_.jpg)
第11話『いつか見た世界』 脚本/出渕裕 絵コンテ/滝川和男 演出/江上潔
第12話『その果てにあるもの』 脚本/出渕裕 絵コンテ/片山一良 演出/うえだしげる
第13話『異次元の狼』 脚本/森田繁 絵コンテ/樋口真嗣、出渕裕、片山一良 演出/南康弘
第14話『魔女はささやく』 脚本/村井さだゆき 絵コンテ/出渕裕 演出/別所誠人
総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾 赤羽根健治
日本公開/2013年1月12日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]


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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199】
【genre : アニメ・コミック】
『ブラック・ブレッド』『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』 ムービープラス・アワード2012
ムービープラスが実施しているムービープラス・アワード 2012。
その4部門に投票したので、内容を紹介する。
投票に当たっては、例によって当ブログで未紹介の作品であることを心掛けた。
すなわち、取り上げたい作品であったにもかかわらず、ブログ記事をまとめるには至らなかったことを、ここに懺悔する次第である。
作品賞
『リンカーン弁護士』
「未紹介の作品」と云いつつ前回紹介済みの作品で恐縮だが、前回の記事は元々本記事の内容だった。『リンカーン弁護士』の紹介文を書いていたら長くなってしまったので、独立した記事にしたものである。
したがって、この作品については前回の記事を参照されたい。
『リンカーン弁護士』 [ら行]
監督/ブラッド・ファーマン
出演/マシュー・マコノヒー マリサ・トメイ ライアン・フィリップ ジョシュ・ルーカス ジョン・レグイザモ マイケル・ペーニャ フランシス・フィッシャー ボブ・ガントン ブライアン・クランストン ウィリアム・H・メイシー
日本公開/2012年7月14日
ジャンル/[サスペンス] [ドラマ] [ミステリー]
監督賞
ツイ・ハーク (『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』)
『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』は、『リンカーン弁護士』に勝るとも劣らない面白さだ。娯楽性に関してはこちらが上だろう。
題名からして島田荘司氏のミステリー小説『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』を髣髴とさせ、とんでもない奇想を期待させる。はたしてミステリーファンの納得するものかどうかはともかく、本作は人体発火のカラクリを上手くサスペンスに活かしながら、唐朝の探偵ディーの活躍をアクション満載で描いていく。
見る者を圧倒する巨大な仏塔「通天仏」のスペクタクル感といい、地の底や深い森までも舞台にするスピーディーな展開といい、観客を一瞬たりとも退屈させない。
各キャラも立っていて、物語から退場するキャラクターがもったいなくて仕方がない。キャラクターを退場させたらシリーズ化できないじゃないか。
これだけ楽しませてくれたツイ・ハーク監督に敬意を表したいと思う。
『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』 [あ行]
監督・制作/ツイ・ハーク アクション監督/サモ・ハン
出演/アンディ・ラウ リー・ビンビン ダン・チャオ レオン・カーフェイ カリーナ・ラウ
日本公開/2012年5月5日
ジャンル/[ミステリー] [アクション]
男優賞
ジョージ・クルーニー (『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』)
本当なら、『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』 のジョージ・クルーニーは、監督賞で言及すべきである。だが、前述のように監督賞にはツイ・ハーク監督を選んでしまったので、いささか筋違いだが男優賞にジョージ・クルーニーを挙げた。
本作の男優陣はみんな魅力的で、主演のライアン・ゴズリングも、彼を雇うフィリップ・シーモア・ホフマンも、味のある役どころだ。
一男優の活躍としては『ぼくたちのムッシュ・ラザール』のフェラグ等も挙げられるが、本作の男優陣を監督兼助演のジョージ・クルーニーに代表してもらった。
『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』 [さ行]
監督・制作・脚本/ジョージ・クルーニー
脚本/グラント・ヘスロヴ ボー・ウィリモン
出演/ライアン・ゴズリング ジョージ・クルーニー フィリップ・シーモア・ホフマン ポール・ジアマッティ マリサ・トメイ ジェフリー・ライト エヴァン・レイチェル・ウッド
日本公開/2012年3月31日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス]
女優賞
マリナ・コマス (『ブラック・ブレッド』)
2012年の女優賞は何といっても『ふがいない僕は空を見た』の田畑智子さんだ。魔法少女のコスプレも、彼女の丸みを帯びた顔と大きな瞳には驚くほど似合っており、実に素敵である。
ただ、本記事は未紹介の作品を対象とするため、『ふがいない僕は空を見た』については先の記事をご覧いただくとして、ここでは『ブラック・ブレッド』を取り上げたい。
『ブラック・ブレッド』も、ポイントとなるのは『リンカーン弁護士』同様にカネである。
『リンカーン弁護士』の記事では、人と人との結びつき方の違いから、愛情がベースの世界とカネが基本の世界があると述べた。
橘玲氏はこれらを同心円状の空間として整理している。
私たちの周りには、家族や恋人からなる半径10メートルくらいの愛情空間がある。その周りには親しい友だちからなる半径100メートルほどの友情空間があり、さらにその周囲に年賀状をやりとりするような「知り合い」の空間がある。ここまでをひっくるめて政治空間と呼ぶ。
政治空間の外には、「他人」の世界が広がっている。そこにいるのは名前くらいなら知っているかもしれないが、普段は気にかけることのない人々であり、かろうじて貨幣を介して繋がっている(買い物先の店員とか)。これが貨幣空間だ。世界のほとんどは貨幣空間だが、私たちにとって価値があるのは政治空間、とりわけ愛情空間である。
『ブラック・ブレッド』の主人公は、愛情空間に包まれて生きてきた少年アンドレウ。
舞台は内戦を制したフランコが支配する1940年代のスペインだ。内戦が終結したとはいうものの、国を二分して国民同士が争った傷跡は深く、いまだ人々のあいだには憎しみや怨嗟が渦巻いている。
そして一つの殺人事件をきっかけに、アンドレウの周りの空間も恨み辛みや欺瞞に満ちていく。人と人のあいだにあるのは愛情だけではなかったのだ。
橘玲氏はこれを次のように説明する。
---
政治空間には愛情や友情だけではなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのどろどろとした感情が渦巻いている。恋愛から戦争まで、人間ドラマのすべては政治空間で繰り広げられる。
---
だが、アンドレウが知るのはそれだけではなかった。
彼は、世界のほとんどが貨幣空間であること、大切に思っていた愛情空間ですらカネに侵食されていることに気づいてしまう。
小さな愛情空間と広大な貨幣空間は、様々な作品で取り上げられるテーマだ。たとえば『クリスマス・キャロル』は、愛情空間が消え去って、貨幣空間に直接身をさらしていた主人公が、自分の周りに愛情空間を復活させる物語とも云えるだろう。
本作は逆に、堅固だと思っていた愛情空間が実は薄っぺらで、自分は貨幣空間の真ん中にいることを理解していく物語だ。
だからアンドレウは、貨幣空間に適応して生きることを選択する。カネは信条や理想をも上回り、世の中を動かす強い力を持っているのだから。
…と、作り手は考えているように思えるが、私はあまり賛成できない。
カネでものごとが解決できるなら、世の中はもっと簡単だろう。実際には思想信条や感情的な好悪が強すぎて、カネだけではどうにもならないことが多いように思う。
しかし、鉄壁だと思っていた愛情空間の崩壊を目にした少年が、愛情によらない別の世界に踏み出す過程は、観客にも多かれ少なかれ憶えがあるのではないだろうか。
そんな『ブラック・ブレッド』からは、従妹のヌリアを演じたマリナ・コマス嬢に注目したい。
ヌリアは純朴なアンドレウ少年よりも大人びて、謎めいた美少女として登場する。ところが物語の進行につれてアンドレウはヌリアを追い越すほどに大人びていき、やがてヌリアの方がアンドレウに振り回されてしまう。彼女は、アンドレウの成長を測るバロメーターなのだ。
そのため、アンドレウ役のフランセスク・クルメが線の細い少年なのに対し、マリナ・コマスは目鼻立ちのはっきりした、凛々しさを感じさせる少女である。
やや暗いトーンの本作において、彼女の美しさは清涼剤といえよう。
『ブラック・ブレッド』 [は行]
監督・脚本/アグスティ・ビリャロンガ
出演/フランセスク・クルメ マリナ・コマス ノラ・ナバス セルジ・ロペス
日本公開/2012年6月23日
ジャンル/[ドラマ] [ミステリー]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
その4部門に投票したので、内容を紹介する。
投票に当たっては、例によって当ブログで未紹介の作品であることを心掛けた。
すなわち、取り上げたい作品であったにもかかわらず、ブログ記事をまとめるには至らなかったことを、ここに懺悔する次第である。
作品賞
![リンカーン弁護士 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51FkwaBIB3L._SL160_.jpg)
「未紹介の作品」と云いつつ前回紹介済みの作品で恐縮だが、前回の記事は元々本記事の内容だった。『リンカーン弁護士』の紹介文を書いていたら長くなってしまったので、独立した記事にしたものである。
したがって、この作品については前回の記事を参照されたい。
『リンカーン弁護士』 [ら行]
監督/ブラッド・ファーマン
出演/マシュー・マコノヒー マリサ・トメイ ライアン・フィリップ ジョシュ・ルーカス ジョン・レグイザモ マイケル・ペーニャ フランシス・フィッシャー ボブ・ガントン ブライアン・クランストン ウィリアム・H・メイシー
日本公開/2012年7月14日
ジャンル/[サスペンス] [ドラマ] [ミステリー]
監督賞
![王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件 スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/615HdBuX2VL._SL160_.jpg)
『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』は、『リンカーン弁護士』に勝るとも劣らない面白さだ。娯楽性に関してはこちらが上だろう。
題名からして島田荘司氏のミステリー小説『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』を髣髴とさせ、とんでもない奇想を期待させる。はたしてミステリーファンの納得するものかどうかはともかく、本作は人体発火のカラクリを上手くサスペンスに活かしながら、唐朝の探偵ディーの活躍をアクション満載で描いていく。
見る者を圧倒する巨大な仏塔「通天仏」のスペクタクル感といい、地の底や深い森までも舞台にするスピーディーな展開といい、観客を一瞬たりとも退屈させない。
各キャラも立っていて、物語から退場するキャラクターがもったいなくて仕方がない。キャラクターを退場させたらシリーズ化できないじゃないか。
これだけ楽しませてくれたツイ・ハーク監督に敬意を表したいと思う。
『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』 [あ行]
監督・制作/ツイ・ハーク アクション監督/サモ・ハン
出演/アンディ・ラウ リー・ビンビン ダン・チャオ レオン・カーフェイ カリーナ・ラウ
日本公開/2012年5月5日
ジャンル/[ミステリー] [アクション]
男優賞
![スーパー・チューズデー ~正義を売った日~ [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51XcSpHumIL._SL160_.jpg)
本当なら、『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』 のジョージ・クルーニーは、監督賞で言及すべきである。だが、前述のように監督賞にはツイ・ハーク監督を選んでしまったので、いささか筋違いだが男優賞にジョージ・クルーニーを挙げた。
本作の男優陣はみんな魅力的で、主演のライアン・ゴズリングも、彼を雇うフィリップ・シーモア・ホフマンも、味のある役どころだ。
一男優の活躍としては『ぼくたちのムッシュ・ラザール』のフェラグ等も挙げられるが、本作の男優陣を監督兼助演のジョージ・クルーニーに代表してもらった。
『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』 [さ行]
監督・制作・脚本/ジョージ・クルーニー
脚本/グラント・ヘスロヴ ボー・ウィリモン
出演/ライアン・ゴズリング ジョージ・クルーニー フィリップ・シーモア・ホフマン ポール・ジアマッティ マリサ・トメイ ジェフリー・ライト エヴァン・レイチェル・ウッド
日本公開/2012年3月31日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス]
女優賞
![ブラック・ブレッド [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PySdFHohL._SL160_.jpg)
2012年の女優賞は何といっても『ふがいない僕は空を見た』の田畑智子さんだ。魔法少女のコスプレも、彼女の丸みを帯びた顔と大きな瞳には驚くほど似合っており、実に素敵である。
ただ、本記事は未紹介の作品を対象とするため、『ふがいない僕は空を見た』については先の記事をご覧いただくとして、ここでは『ブラック・ブレッド』を取り上げたい。
『ブラック・ブレッド』も、ポイントとなるのは『リンカーン弁護士』同様にカネである。
『リンカーン弁護士』の記事では、人と人との結びつき方の違いから、愛情がベースの世界とカネが基本の世界があると述べた。
橘玲氏はこれらを同心円状の空間として整理している。
私たちの周りには、家族や恋人からなる半径10メートルくらいの愛情空間がある。その周りには親しい友だちからなる半径100メートルほどの友情空間があり、さらにその周囲に年賀状をやりとりするような「知り合い」の空間がある。ここまでをひっくるめて政治空間と呼ぶ。
政治空間の外には、「他人」の世界が広がっている。そこにいるのは名前くらいなら知っているかもしれないが、普段は気にかけることのない人々であり、かろうじて貨幣を介して繋がっている(買い物先の店員とか)。これが貨幣空間だ。世界のほとんどは貨幣空間だが、私たちにとって価値があるのは政治空間、とりわけ愛情空間である。
『ブラック・ブレッド』の主人公は、愛情空間に包まれて生きてきた少年アンドレウ。
舞台は内戦を制したフランコが支配する1940年代のスペインだ。内戦が終結したとはいうものの、国を二分して国民同士が争った傷跡は深く、いまだ人々のあいだには憎しみや怨嗟が渦巻いている。
そして一つの殺人事件をきっかけに、アンドレウの周りの空間も恨み辛みや欺瞞に満ちていく。人と人のあいだにあるのは愛情だけではなかったのだ。
橘玲氏はこれを次のように説明する。
---
政治空間には愛情や友情だけではなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのどろどろとした感情が渦巻いている。恋愛から戦争まで、人間ドラマのすべては政治空間で繰り広げられる。
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だが、アンドレウが知るのはそれだけではなかった。
彼は、世界のほとんどが貨幣空間であること、大切に思っていた愛情空間ですらカネに侵食されていることに気づいてしまう。
小さな愛情空間と広大な貨幣空間は、様々な作品で取り上げられるテーマだ。たとえば『クリスマス・キャロル』は、愛情空間が消え去って、貨幣空間に直接身をさらしていた主人公が、自分の周りに愛情空間を復活させる物語とも云えるだろう。
本作は逆に、堅固だと思っていた愛情空間が実は薄っぺらで、自分は貨幣空間の真ん中にいることを理解していく物語だ。
だからアンドレウは、貨幣空間に適応して生きることを選択する。カネは信条や理想をも上回り、世の中を動かす強い力を持っているのだから。
…と、作り手は考えているように思えるが、私はあまり賛成できない。
カネでものごとが解決できるなら、世の中はもっと簡単だろう。実際には思想信条や感情的な好悪が強すぎて、カネだけではどうにもならないことが多いように思う。
しかし、鉄壁だと思っていた愛情空間の崩壊を目にした少年が、愛情によらない別の世界に踏み出す過程は、観客にも多かれ少なかれ憶えがあるのではないだろうか。
そんな『ブラック・ブレッド』からは、従妹のヌリアを演じたマリナ・コマス嬢に注目したい。
ヌリアは純朴なアンドレウ少年よりも大人びて、謎めいた美少女として登場する。ところが物語の進行につれてアンドレウはヌリアを追い越すほどに大人びていき、やがてヌリアの方がアンドレウに振り回されてしまう。彼女は、アンドレウの成長を測るバロメーターなのだ。
そのため、アンドレウ役のフランセスク・クルメが線の細い少年なのに対し、マリナ・コマスは目鼻立ちのはっきりした、凛々しさを感じさせる少女である。
やや暗いトーンの本作において、彼女の美しさは清涼剤といえよう。
『ブラック・ブレッド』 [は行]
監督・脚本/アグスティ・ビリャロンガ
出演/フランセスク・クルメ マリナ・コマス ノラ・ナバス セルジ・ロペス
日本公開/2012年6月23日
ジャンル/[ドラマ] [ミステリー]


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