『東京公園』『インモータルズ -神々の戦い-』『friends もののけ島のナキ』『50/50 フィフテ ィ・フィフティ』 ベスト・オブ・ベスト アワード2011
ムービープラスとユナイテッド・シネマとau one 映画 が共同で実施しているベスト・オブ・ベスト アワード2011。
その4部門に投票したので、内容を紹介する。
投票に当たっては、例によって当ブログで未紹介の作品であることを心掛けた。
すなわち、ぜひ取り上げたい作品であったにもかかわらず、ブログ記事をまとめるには至らなかったことを、ここに懺悔する次第である。
また、対象は2011年に日本で公開された作品に限られることから、私が観たのは2011年ながら、2010年に封切られていた作品(『堀川中立売』等)は対象外となる。
ベスト・ムービー(作品)
『東京公園』
光の織り成す陰影が美しい映画であった。
『東京公園』の題材は、タイトルが示すように「公園」である。映画にするのに、およそこんなに難しい題材はないだろう。
公園のシーンなんて、普通に考えたら間抜けである。それは公園というものが、平和や安らぎや暇つぶしを示唆するからだ。午後の緩やかな陽射しの中、芝生が広がる公園で男二人が激論する情景なんて、間抜けなものにしかならないだろう。世の中には激論するに相応しい場所がいくらでもあるはずだ。
ところが本作は、その間抜けなシーンを撮ることに挑んでいる。これを間抜けに見せないのだから、青山真治監督恐るべし。
そして映画は、午後の陽射しや夜の街灯、室内の照明等、フレーム内に光源を配することで明暗を印象付け、コントロールされた色調と相まって、目に楽しい2時間を紡ぎだす。
映画のフレームに収まるものを徹底的にコントロールした監督といえば、小津安二郎が筆頭に挙げられよう。本作も、まるで小津安二郎風のショットが愉快である。
二人の人物が並んで座り、同じタイミングでグラスを傾けるところ、はたまた二人の会話を正面での切り返しで構成するところ等、小津映画でお馴染みのものであり、懐かしさと楽しさで愉快になった。
あえて本作の欠点を挙げれば、主人公がカッコ良すぎる上に、なぜか周囲が美女ばかりなので、リアリティが損なわれてるように思われる。しかし、それとて小津安二郎監督が美男美女を配したがることを髣髴とさせる。
原作者の小路幸也氏によれば、『東京公園』はキャロル・リード監督の『フォロー・ミー』にオマージュを捧げたものだとか。
しかし、ほとんど三人の登場人物だけで進行する『フォロー・ミー』に比べて、本作はカメラマン志望の主人公と、彼を取り巻く人々との関係がドラマを成す。複数のドラマに共通するのは観察者としての主人公のみであり、登場人物の多くは互いに面識すらもない。
それはあたかも、公園を散策する人々と、それを目にする私たちのようである。
『東京公園』 [た行]
監督・脚本・音楽/青山真治 脚本/内田雅章、合田典彦
音楽/山田勲生
出演/三浦春馬 榮倉奈々 小西真奈美 井川遥 高橋洋 染谷将太 長野里美 小林隆 宇梶剛士
日本公開/2011年6月18日
ジャンル/[青春] [ドラマ] [ロマンス]
ベスト・ディレクター(監督)
ターセム・シン・ダンドワール (『インモータルズ -神々の戦い-』)
映画にどんな魅力を感じるかは人それぞれだろう。
岡田斗司夫氏は映画を構成する三要素として「映像」「物語」「テーマ」を挙げているという。これら三拍子がそろうことを重視するなら、『インモータルズ -神々の戦い-』は失格だ。
しかし私は、映画では映像が最重要だと考えている。
もちろん物語やテーマが充実するにこしたことはないが、それらについては文学等の他の媒体が充実しており、誕生から1世紀ちょっとの映画は今のところ後塵を拝している。もしも現代にフリードリヒ・ニーチェやロマン・ロランが存命だったとして、『ツァラトゥストラかく語りき』も『ジャン・クリストフ』もやはり文章で表現したことだろう。
とはいえ、五感のうちで人間が大きく依存しているのは視覚である。
その視覚に訴える映像を主な要素とするのは映画の強みだ。しかも絵画や写真と違って動きを見せられるし、さらに音響を付けて聴覚も刺激できる。これこそ映画の最大の優位点であり、映画の作り手が活かすべきものだろう。[*]
その意味で、本作は映画ならではの魅力に満ちている。
遠近感を強調した構図、迫力あるアクション、カッコ良さを最大限に考慮した絵作りに、観る者は心躍らされる。
映像にここまでこだわってくれれば、他に何がいるだろうか。
昨年もカメラワークの見事さから『サヨナライツカ』のイ・ジェハンをベスト・ディレクターに推したが、本年も同じ理由からターセム・シン・ダンドワール監督をベスト・ディレクターに挙げたい。
ところで、本作をはじめとして古代ギリシャ及びギリシャ神話に材をとった作品が近年目に付く。
これは、長いあいだ分裂状態だった西洋世界が欧州連合(EU)という形でローマ帝国の版図を復元しようとする時代に、西洋文明の原点を強調し、アイデンティティーを強化する動きにも見える。
ユーラシア大陸の東端にいる私たちには単なる娯楽作品だが、当の西洋人には一段深い「テーマ」があるのではないだろうか。
[*] 視覚と聴覚を刺激することには、少なからぬ危険も伴う。この点については別の機会に論じよう。
『インモータルズ -神々の戦い-』 [あ行]
監督/ターセム・シン・ダンドワール
出演/ヘンリー・カヴィル ミッキー・ローク ジョン・ハート スティーヴン・ドーフ フリーダ・ピント イザベル・ルーカス ルーク・エヴァンス ケラン・ラッツ
日本公開/2011年11月11日
ジャンル/[アクション] [アドベンチャー] [ファンタジー]
ベスト・アクター(男優)
山寺宏一 (『friends もののけ島のナキ』)
この部門はもう本当に激戦で、誰にしようか迷いに迷った。
候補が多いということは、それだけブログに取り上げなかった作品がたくさんあるということだ。最後まで迷ったのは、松田龍平さん(『まほろ駅前多田便利軒』『探偵はBARにいる』)と染谷将太さん(『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』『アントキノイノチ』)なのだが、大晦日の晩に『friends もののけ島のナキ』を観てしまったために、大ベテランの山寺宏一さんを推すことにした。
山寺宏一さんがベストのアクターだってことはいまさら私が述べるまでもないだろうが、この作品は山寺宏一さんの演じるグンジョーが肝であり、それゆえ作品への貢献も大きい。
他の出演者の演技に対して、時に鋭く切り返し、時に軽妙に受け流す「脇役」としての彼がいたから、最後まで楽しめたといっても過言ではない。
本音を云えば、この素晴らしい作品をネタばらしせずに語ることは不可能と思われ、でもなんとか語りたいので山寺宏一さんに登場願った次第だ。
あえて作品に触れてしまうと、予告編を観て誰もが感じる「『モンスターズ・インク』もどきじゃないか」という点が、とんだフェイクなのだ。もどきだと思われることも計算づくの見事な構成だ。一本取られた。
『friends もののけ島のナキ』 [は行]
監督・脚本/山崎貴 監督/八木竜一
出演/香取慎吾 山寺宏一 阿部サダヲ YOU 加藤清史郎 FROGMAN 新堂結菜
日本公開/2011年12月17日
ジャンル/[ファミリー] [ファンタジー]
ベスト・アクトレス(女優)
アナ・ケンドリック (『50/50 フィフティ・フィフティ』)
泣かせるのだ、セス・ローゲンが。
番組制作の友人がガンだと知って、打ちひしがれるどころか「ガン体験を映画にして楽しんじゃおうぜ」なんて脚本執筆をそそのかすバカ友っぷり。挙句に友人同士で制作を引き受けて、映画にみずから出演もしてしまう。それがよりによってガンの友人を楽しませるバカ友の役だ。
公式サイトで『50/50 フィフティ・フィフティ』制作の舞台裏を読むと、それだけでもう泣けてくる。
映画の中のセス・ローゲンも、友人の前でバカばっかりやっているが、その実とても悩みながらガンの友人に接しているのが泣かせる。
そうなのだ。たとえ不幸な人がいても、悲しみを分かち合ったり、一緒になってうなだれていてはダメなのだ。不幸な人の分までも明るく振る舞い、不幸を吹き飛ばすくらいでないとバランスが取れないのだ。
ならばセス・ローゲンをベスト・アクターに選べば良さそうなものだが、ここはセラピストのキャサリンを演じたアナ・ケンドリック嬢の可愛らしさに1票を投じよう。
役者としては、ブライス・ダラス・ハワードが演じた恋人レイチェル役の方がおいしいと思うのだ。レイチェルの、主人公を気づかっているような気づかっていないような態度、愛しているような愛してないような心情は、素直で判りやすいキャサリン役よりも演じ甲斐があるはずだ。
それは『ガラスの仮面』の劇中劇「ふたりの王女」のようなものだ。温かな光の王女よりも、屈折した闇の王女の方が高評価を得られるのだ。
にもかかわらずアナ・ケンドリックはキャサリン役を実に素直に演じ、可愛らしさを振りまいた。いくらコメディとはいえ、難病物の本作が、明るくお茶目な作品に昇華できたのは彼女のおかげであろう。
ベスト・アクトレスには、『東京公園』で魅了された榮倉奈々さんも挙げたかったが、『東京公園』はベスト・ムービーにしたので、ここはアナ・ケンドリックを推すことにした。
『50/50 フィフティ・フィフティ』 [は行]
監督/ジョナサン・レヴィン 脚本・制作総指揮/ウィル・ライザー
制作/エヴァン・ゴールドバーグ、セス・ローゲン、ベン・カーリン
出演/ジョセフ・ゴードン=レヴィット セス・ローゲン アナ・ケンドリック ブライス・ダラス・ハワード アンジェリカ・ヒューストン マット・フルーワー フィリップ・ベイカー・ホール サージ・ホード
日本公開/2011年12月1日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [コメディ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
その4部門に投票したので、内容を紹介する。
投票に当たっては、例によって当ブログで未紹介の作品であることを心掛けた。
すなわち、ぜひ取り上げたい作品であったにもかかわらず、ブログ記事をまとめるには至らなかったことを、ここに懺悔する次第である。
また、対象は2011年に日本で公開された作品に限られることから、私が観たのは2011年ながら、2010年に封切られていた作品(『堀川中立売』等)は対象外となる。
ベスト・ムービー(作品)
![東京公園 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/517NL6g09vL._SL160_.jpg)
光の織り成す陰影が美しい映画であった。
『東京公園』の題材は、タイトルが示すように「公園」である。映画にするのに、およそこんなに難しい題材はないだろう。
公園のシーンなんて、普通に考えたら間抜けである。それは公園というものが、平和や安らぎや暇つぶしを示唆するからだ。午後の緩やかな陽射しの中、芝生が広がる公園で男二人が激論する情景なんて、間抜けなものにしかならないだろう。世の中には激論するに相応しい場所がいくらでもあるはずだ。
ところが本作は、その間抜けなシーンを撮ることに挑んでいる。これを間抜けに見せないのだから、青山真治監督恐るべし。
そして映画は、午後の陽射しや夜の街灯、室内の照明等、フレーム内に光源を配することで明暗を印象付け、コントロールされた色調と相まって、目に楽しい2時間を紡ぎだす。
映画のフレームに収まるものを徹底的にコントロールした監督といえば、小津安二郎が筆頭に挙げられよう。本作も、まるで小津安二郎風のショットが愉快である。
二人の人物が並んで座り、同じタイミングでグラスを傾けるところ、はたまた二人の会話を正面での切り返しで構成するところ等、小津映画でお馴染みのものであり、懐かしさと楽しさで愉快になった。
あえて本作の欠点を挙げれば、主人公がカッコ良すぎる上に、なぜか周囲が美女ばかりなので、リアリティが損なわれてるように思われる。しかし、それとて小津安二郎監督が美男美女を配したがることを髣髴とさせる。
原作者の小路幸也氏によれば、『東京公園』はキャロル・リード監督の『フォロー・ミー』にオマージュを捧げたものだとか。
しかし、ほとんど三人の登場人物だけで進行する『フォロー・ミー』に比べて、本作はカメラマン志望の主人公と、彼を取り巻く人々との関係がドラマを成す。複数のドラマに共通するのは観察者としての主人公のみであり、登場人物の多くは互いに面識すらもない。
それはあたかも、公園を散策する人々と、それを目にする私たちのようである。
『東京公園』 [た行]
監督・脚本・音楽/青山真治 脚本/内田雅章、合田典彦
音楽/山田勲生
出演/三浦春馬 榮倉奈々 小西真奈美 井川遥 高橋洋 染谷将太 長野里美 小林隆 宇梶剛士
日本公開/2011年6月18日
ジャンル/[青春] [ドラマ] [ロマンス]
ベスト・ディレクター(監督)
![インモータルズ -神々の戦い-(ターセム・シン、ミッキー・ローク出演) [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/5124i2Y4QLL._SL160_.jpg)
映画にどんな魅力を感じるかは人それぞれだろう。
岡田斗司夫氏は映画を構成する三要素として「映像」「物語」「テーマ」を挙げているという。これら三拍子がそろうことを重視するなら、『インモータルズ -神々の戦い-』は失格だ。
しかし私は、映画では映像が最重要だと考えている。
もちろん物語やテーマが充実するにこしたことはないが、それらについては文学等の他の媒体が充実しており、誕生から1世紀ちょっとの映画は今のところ後塵を拝している。もしも現代にフリードリヒ・ニーチェやロマン・ロランが存命だったとして、『ツァラトゥストラかく語りき』も『ジャン・クリストフ』もやはり文章で表現したことだろう。
とはいえ、五感のうちで人間が大きく依存しているのは視覚である。
その視覚に訴える映像を主な要素とするのは映画の強みだ。しかも絵画や写真と違って動きを見せられるし、さらに音響を付けて聴覚も刺激できる。これこそ映画の最大の優位点であり、映画の作り手が活かすべきものだろう。[*]
その意味で、本作は映画ならではの魅力に満ちている。
遠近感を強調した構図、迫力あるアクション、カッコ良さを最大限に考慮した絵作りに、観る者は心躍らされる。
映像にここまでこだわってくれれば、他に何がいるだろうか。
昨年もカメラワークの見事さから『サヨナライツカ』のイ・ジェハンをベスト・ディレクターに推したが、本年も同じ理由からターセム・シン・ダンドワール監督をベスト・ディレクターに挙げたい。
ところで、本作をはじめとして古代ギリシャ及びギリシャ神話に材をとった作品が近年目に付く。
これは、長いあいだ分裂状態だった西洋世界が欧州連合(EU)という形でローマ帝国の版図を復元しようとする時代に、西洋文明の原点を強調し、アイデンティティーを強化する動きにも見える。
ユーラシア大陸の東端にいる私たちには単なる娯楽作品だが、当の西洋人には一段深い「テーマ」があるのではないだろうか。
[*] 視覚と聴覚を刺激することには、少なからぬ危険も伴う。この点については別の機会に論じよう。
『インモータルズ -神々の戦い-』 [あ行]
監督/ターセム・シン・ダンドワール
出演/ヘンリー・カヴィル ミッキー・ローク ジョン・ハート スティーヴン・ドーフ フリーダ・ピント イザベル・ルーカス ルーク・エヴァンス ケラン・ラッツ
日本公開/2011年11月11日
ジャンル/[アクション] [アドベンチャー] [ファンタジー]
ベスト・アクター(男優)

この部門はもう本当に激戦で、誰にしようか迷いに迷った。
候補が多いということは、それだけブログに取り上げなかった作品がたくさんあるということだ。最後まで迷ったのは、松田龍平さん(『まほろ駅前多田便利軒』『探偵はBARにいる』)と染谷将太さん(『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』『アントキノイノチ』)なのだが、大晦日の晩に『friends もののけ島のナキ』を観てしまったために、大ベテランの山寺宏一さんを推すことにした。
山寺宏一さんがベストのアクターだってことはいまさら私が述べるまでもないだろうが、この作品は山寺宏一さんの演じるグンジョーが肝であり、それゆえ作品への貢献も大きい。
他の出演者の演技に対して、時に鋭く切り返し、時に軽妙に受け流す「脇役」としての彼がいたから、最後まで楽しめたといっても過言ではない。
本音を云えば、この素晴らしい作品をネタばらしせずに語ることは不可能と思われ、でもなんとか語りたいので山寺宏一さんに登場願った次第だ。
あえて作品に触れてしまうと、予告編を観て誰もが感じる「『モンスターズ・インク』もどきじゃないか」という点が、とんだフェイクなのだ。もどきだと思われることも計算づくの見事な構成だ。一本取られた。
『friends もののけ島のナキ』 [は行]
監督・脚本/山崎貴 監督/八木竜一
出演/香取慎吾 山寺宏一 阿部サダヲ YOU 加藤清史郎 FROGMAN 新堂結菜
日本公開/2011年12月17日
ジャンル/[ファミリー] [ファンタジー]
ベスト・アクトレス(女優)
![50/50 フィフティ・フィフティ [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PJhfinvHL._SL160_.jpg)
泣かせるのだ、セス・ローゲンが。
番組制作の友人がガンだと知って、打ちひしがれるどころか「ガン体験を映画にして楽しんじゃおうぜ」なんて脚本執筆をそそのかすバカ友っぷり。挙句に友人同士で制作を引き受けて、映画にみずから出演もしてしまう。それがよりによってガンの友人を楽しませるバカ友の役だ。
公式サイトで『50/50 フィフティ・フィフティ』制作の舞台裏を読むと、それだけでもう泣けてくる。
映画の中のセス・ローゲンも、友人の前でバカばっかりやっているが、その実とても悩みながらガンの友人に接しているのが泣かせる。
そうなのだ。たとえ不幸な人がいても、悲しみを分かち合ったり、一緒になってうなだれていてはダメなのだ。不幸な人の分までも明るく振る舞い、不幸を吹き飛ばすくらいでないとバランスが取れないのだ。
ならばセス・ローゲンをベスト・アクターに選べば良さそうなものだが、ここはセラピストのキャサリンを演じたアナ・ケンドリック嬢の可愛らしさに1票を投じよう。
役者としては、ブライス・ダラス・ハワードが演じた恋人レイチェル役の方がおいしいと思うのだ。レイチェルの、主人公を気づかっているような気づかっていないような態度、愛しているような愛してないような心情は、素直で判りやすいキャサリン役よりも演じ甲斐があるはずだ。
それは『ガラスの仮面』の劇中劇「ふたりの王女」のようなものだ。温かな光の王女よりも、屈折した闇の王女の方が高評価を得られるのだ。
にもかかわらずアナ・ケンドリックはキャサリン役を実に素直に演じ、可愛らしさを振りまいた。いくらコメディとはいえ、難病物の本作が、明るくお茶目な作品に昇華できたのは彼女のおかげであろう。
ベスト・アクトレスには、『東京公園』で魅了された榮倉奈々さんも挙げたかったが、『東京公園』はベスト・ムービーにしたので、ここはアナ・ケンドリックを推すことにした。
『50/50 フィフティ・フィフティ』 [は行]
監督/ジョナサン・レヴィン 脚本・制作総指揮/ウィル・ライザー
制作/エヴァン・ゴールドバーグ、セス・ローゲン、ベン・カーリン
出演/ジョセフ・ゴードン=レヴィット セス・ローゲン アナ・ケンドリック ブライス・ダラス・ハワード アンジェリカ・ヒューストン マット・フルーワー フィリップ・ベイカー・ホール サージ・ホード
日本公開/2011年12月1日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [コメディ]


【theme : 2011年映画感想】
【genre : 映画】
tag : 青山真治ターセム・シン・ダンドワール山崎貴ジョナサン・レヴィン山寺宏一アナ・ケンドリック三浦春馬ヘンリー・カヴィル香取慎吾ジョセフ・ゴードン=レヴィット
『フェア・ゲーム』 あなたの正体は?
徳川家康は豊臣家が再建していた方広寺の梵鐘に「国家安康」の文字があるのを問題視した。
国家安康とは、国が平和であるようにということだが、あろうことか家康は、「国家安康」の中には「家康」が「家」と「康」に分断されているので徳川に対する呪いであると云い出したのだ。豊臣家を攻める口実を見つけるための無茶苦茶ないいがかりだ。
いいがかりではあるが、ここから話が大きくなって、豊臣家は家康に滅ぼされてしまうのだから恐ろしいものである。
21世紀になっても、これに負けず劣らず恐ろしい出来事があった。世界一の軍事力を持つ国が、他国にいいがかりをつけて攻め込み、現地の政権を破壊してしまったのだ。
2003年にはじまるイラク戦争の背景には『グリーン・ゾーン』の記事で触れたから、ここでは繰り返さない。
しかしイラク戦争勃発の経緯については、方広寺鐘銘事件以上に後々まで語り継がれることだろう。
『フェア・ゲーム』(格好の標的)は、そのイラク戦争に絡んで起こったプレイム事件を描いた映画である。
原作は、CIAエージェントだったヴァレリー・プレイムの回顧録と、その夫で米国政府に反する主張をしていたジョゼフ・ウィルソンの回顧録だ。
事件の描き方が正確ではないとの異論もあるようだが、本作の価値を大きく損なうものではない。
フィクションの世界では万能のスーパー組織として描かれるCIAだが、実話に基づき慎重に再現された本作では、それが単なる政府の一機関であり、働くのはごく普通の公務員であることが判る。
彼らの職場はおどろおどろしい秘密基地ではなく、ごく一般的なオフィスだ。そこには普通の会議室があり、CIA職員が書類を手にしてダラダラ会議をしている。
公式サイトによれば、本作は主人公のモデルであるヴァレリー・プレイム自身の助言を得ながら作られたそうだ。ヴァレリー・プレイムは次のように語っている。
---
私は実際にCIAで働いていたわ。CIAを描いた映画も観たことがある。でもそれらは多くの場合、現実とはかけ離れていた。けれどこの作品は違った。パソコンの画面や、壁の地図までもが忠実に再現されている。まるで本物のオフィスにいるようだった
---
そして本作は、CIAのエージェントといえども普通の母であり、妻であり、職業人であることを描いている。
なるほど、CIAエージェントの仕事内容はいささか特殊だろう。大っぴらに話せるものではない。
しかし世の中に公言できない仕事はたくさんある。
たとえば国防にかかわる仕事はその最たるものだ。それは軍人(自衛官)だけに留まらない。軍事施設を設計する人、建築する人、軍事システムを開発し納品する人々等、官民多くの人間がかかわっている。戦国の武将藤堂高虎は、城が完成すると抜け道を知る石工左官を口封じのために処刑したそうだが、さすがに今どき工事のたびに人が消えたら大騒ぎになる。殺されていない以上、みんな沈黙を守って仕事しているのだ。
また、軍事に関係なくても国を支える重要施設はたくさんあるだろうし、そこには設備の保守点検に携わる人や清掃業者やゴミ回収業者らも出入りしよう。そこに電気も水道も通っているからには、電力会社や水道局等も接点を持つはずである。にもかかわらず、その所在等が人の口に上らないということは、関係者がみんな沈黙できているのだ。
国防ならずとも、警察官をはじめとする公務員諸氏や、民間でも弁護士や医師、宗教者等々、守秘義務を課せられた職業は多い。
ホテルやレストランの従業員が有名人の宿泊をTwitterに書き込んで処分されたことからも判るように、業務上知り得たことを公言するなんて、多くの場合許されない。職業人であるならば、誰もが少なからず守秘義務を負い、他の人には窺い知れぬところがあるものだろう。
あなたが単なる電気工事のオジサンだと思っている人が、実は秘密基地の配線をしているかもしれないのだ。
ナオミ・ワッツ演じる主人公は、CIAのエージェントらしく特殊な訓練を受けてもいるが、あくまで等身大の一個人として私たちの目に映る。それは、これまでのCIA像を書きかえるものだ。
さらに、映画が描く事件そのものも、計算しつくした大陰謀というよりは、政府内の個々人の功名心や保身の積み重ねであることが伺える。
菅原出氏は、ブッシュ政権が偽情報に喰いついた過程を指して次のように述べたものだ。
---
「陰謀」というよりも、ヒューマンエラーと言った方が正確です。誰かがとてつもない陰謀を仕組んだのではなくて、本当に関係した個人個人のエゴだとか、猜疑心であるとか、競争心だとか、そういった要素が大きかったのです。
---
本作の最大の意義は、「政府」や「国家」という括り方では見えてこない個々人の思惑や行動を描き、それこそが「政府」や「国家」と呼ばれるものの正体なのだと暴露したことにあるだろう。
『フェア・ゲーム』 [は行]
監督・制作・撮影/ダグ・リーマン
出演/ナオミ・ワッツ ショーン・ペン サム・シェパード デヴィッド・アンドリュース ブルック・スミス ノア・エメリッヒ ブルース・マッギル マイケル・ケリー アダム・ルフェーヴル
日本公開/2011年10月29日
ジャンル/[伝記] [サスペンス] [ドラマ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
国家安康とは、国が平和であるようにということだが、あろうことか家康は、「国家安康」の中には「家康」が「家」と「康」に分断されているので徳川に対する呪いであると云い出したのだ。豊臣家を攻める口実を見つけるための無茶苦茶ないいがかりだ。
いいがかりではあるが、ここから話が大きくなって、豊臣家は家康に滅ぼされてしまうのだから恐ろしいものである。
21世紀になっても、これに負けず劣らず恐ろしい出来事があった。世界一の軍事力を持つ国が、他国にいいがかりをつけて攻め込み、現地の政権を破壊してしまったのだ。
2003年にはじまるイラク戦争の背景には『グリーン・ゾーン』の記事で触れたから、ここでは繰り返さない。
しかしイラク戦争勃発の経緯については、方広寺鐘銘事件以上に後々まで語り継がれることだろう。
『フェア・ゲーム』(格好の標的)は、そのイラク戦争に絡んで起こったプレイム事件を描いた映画である。
原作は、CIAエージェントだったヴァレリー・プレイムの回顧録と、その夫で米国政府に反する主張をしていたジョゼフ・ウィルソンの回顧録だ。
事件の描き方が正確ではないとの異論もあるようだが、本作の価値を大きく損なうものではない。
フィクションの世界では万能のスーパー組織として描かれるCIAだが、実話に基づき慎重に再現された本作では、それが単なる政府の一機関であり、働くのはごく普通の公務員であることが判る。
彼らの職場はおどろおどろしい秘密基地ではなく、ごく一般的なオフィスだ。そこには普通の会議室があり、CIA職員が書類を手にしてダラダラ会議をしている。
公式サイトによれば、本作は主人公のモデルであるヴァレリー・プレイム自身の助言を得ながら作られたそうだ。ヴァレリー・プレイムは次のように語っている。
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私は実際にCIAで働いていたわ。CIAを描いた映画も観たことがある。でもそれらは多くの場合、現実とはかけ離れていた。けれどこの作品は違った。パソコンの画面や、壁の地図までもが忠実に再現されている。まるで本物のオフィスにいるようだった
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そして本作は、CIAのエージェントといえども普通の母であり、妻であり、職業人であることを描いている。
なるほど、CIAエージェントの仕事内容はいささか特殊だろう。大っぴらに話せるものではない。
しかし世の中に公言できない仕事はたくさんある。
たとえば国防にかかわる仕事はその最たるものだ。それは軍人(自衛官)だけに留まらない。軍事施設を設計する人、建築する人、軍事システムを開発し納品する人々等、官民多くの人間がかかわっている。戦国の武将藤堂高虎は、城が完成すると抜け道を知る石工左官を口封じのために処刑したそうだが、さすがに今どき工事のたびに人が消えたら大騒ぎになる。殺されていない以上、みんな沈黙を守って仕事しているのだ。
また、軍事に関係なくても国を支える重要施設はたくさんあるだろうし、そこには設備の保守点検に携わる人や清掃業者やゴミ回収業者らも出入りしよう。そこに電気も水道も通っているからには、電力会社や水道局等も接点を持つはずである。にもかかわらず、その所在等が人の口に上らないということは、関係者がみんな沈黙できているのだ。
国防ならずとも、警察官をはじめとする公務員諸氏や、民間でも弁護士や医師、宗教者等々、守秘義務を課せられた職業は多い。
ホテルやレストランの従業員が有名人の宿泊をTwitterに書き込んで処分されたことからも判るように、業務上知り得たことを公言するなんて、多くの場合許されない。職業人であるならば、誰もが少なからず守秘義務を負い、他の人には窺い知れぬところがあるものだろう。
あなたが単なる電気工事のオジサンだと思っている人が、実は秘密基地の配線をしているかもしれないのだ。
ナオミ・ワッツ演じる主人公は、CIAのエージェントらしく特殊な訓練を受けてもいるが、あくまで等身大の一個人として私たちの目に映る。それは、これまでのCIA像を書きかえるものだ。
さらに、映画が描く事件そのものも、計算しつくした大陰謀というよりは、政府内の個々人の功名心や保身の積み重ねであることが伺える。
菅原出氏は、ブッシュ政権が偽情報に喰いついた過程を指して次のように述べたものだ。
---
「陰謀」というよりも、ヒューマンエラーと言った方が正確です。誰かがとてつもない陰謀を仕組んだのではなくて、本当に関係した個人個人のエゴだとか、猜疑心であるとか、競争心だとか、そういった要素が大きかったのです。
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本作の最大の意義は、「政府」や「国家」という括り方では見えてこない個々人の思惑や行動を描き、それこそが「政府」や「国家」と呼ばれるものの正体なのだと暴露したことにあるだろう。
![フェア・ゲーム [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51xBiTNvSiL._SL160_.jpg)
監督・制作・撮影/ダグ・リーマン
出演/ナオミ・ワッツ ショーン・ペン サム・シェパード デヴィッド・アンドリュース ブルック・スミス ノア・エメリッヒ ブルース・マッギル マイケル・ケリー アダム・ルフェーヴル
日本公開/2011年10月29日
ジャンル/[伝記] [サスペンス] [ドラマ]


tag : ダグ・リーマンナオミ・ワッツショーン・ペンサム・シェパードデヴィッド・アンドリュースブルック・スミスノア・エメリッヒブルース・マッギルマイケル・ケリーアダム・ルフェーヴル
『光のほうへ』 優れた映画を観る辛さ
2011年はデンマーク映画に痺れた年だった。
『アンチクライスト』、『未来を生きる君たちへ』と傑作続きのデンマーク映画だったが、特にKOパンチを食らったのが『光のほうへ』だ。とても優れた映画だから、それに相応しい言葉で表現しなければと考え続けたものの、遂に私は半年経っても記事にできなかった。
正直に告白しよう。私はこの映画の魅力を書き表すにはまったくの力不足だったのだ。
それでも、この映画の素晴らしさの片鱗なりとも書いてみよう。
『光のほうへ』を観てつくづく感じるのは、優れた映画を観ることの辛さである。
ここには何の救いもない。温かい家庭もない、篤い友情もない、充実した仕事もない、ただただ犯罪に決別できない心の弱さと、孤独に染まった暮らしがあるばかりだ。114分のあいだ、そんな映像がひたすら続く。
観ていても楽しくない。ワクワクしない。面白いとも云えない。
けれどもこれは優れた映画だ。主人公の悲惨な人生はまことにリアルで、作り物として距離を置くことができない。観るのが辛いのに、目が離せない。
たとえば『アンチクライスト』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白いわけでもない。しかしそこには美があった。陶酔するほどの不道徳と、悪の美しさに満ちていた。
『未来を生きる君たちへ』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白い映画とも云いがたい。しかしそこには大きな問題提起があった。この世界と私たちについて考えざるを得ない投げかけがあった。
けれども本作にはそれすらない。ただ剥き出しの、過酷な人生があるばかりだ。
映画は二人の少年がまだ乳飲み子である末弟の面倒を見るところからはじまる。
母親は酒飲みで、兄弟たちの面倒をみない。少年たちはそんな母を毛嫌いし、自分たちだけで乳児を育てようとしているのだ。
だが、それはうまくいかなった。少年たちに悪気はなかった。けれども、酒を飲み、末弟をほったらかしにしていた彼らは、結局のところ大嫌いな母親と同じことをしていたのだ。彼らはそれを嫌がっていたはずなのに、人間の駄目な部分が連鎖してしまう悲劇。
それからずっと、兄弟はまっとうに生きられない。その荒んだ暮らしとやるせなさを、映画は容赦なく描出する。
高福祉で知られるデンマークでありながら、こんな影の部分を抱えているのか――そういう感想を抱く人もいよう。
しかし、これは国家の福祉レベルとは関係ない。
人間には駄目なところがあり、更生できるチャンスをみすみす自分で潰してしまう。それはどこの国でもどんな社会でもあり得るだろう。
けれど、そんな彼らでも親子の情は持っている。守ろうとする愛情がある。
わずかに垣間見えてくるものが、すがりつきたいほど貴重に思える。
本作の原題は「SUBMARINO」。水の中に潜ってしまい、浮かぼうにも浮かび上がれない兄弟たちの苦しみを表していよう。
だからこそ水面は明るいと思いたい。いつか浮上できると思いたい。『光のほうへ』という邦題は、そんな受け手の気持ちを代弁している。
浮上できるかどうかは判らない。本作は、安易な救いを見せたりはしない。
しかし、それでも捨てようとしない愛情がある。いや、これから愛情に育つかもしれない兆しがある。
それを目にすることができただけで、私たちは幸せだ。
『光のほうへ』 [は行]
監督・脚本/トマス・ヴィンターベア 脚本/トビアス・リンホルム
原作/ヨナス・T・ベングトソン
出演/ヤコブ・セーダーグレン ペーター・プラウボー パトリシア・シューマン モーテン・ローセ
日本公開/2011年6月4日
ジャンル/[ドラマ]
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『アンチクライスト』、『未来を生きる君たちへ』と傑作続きのデンマーク映画だったが、特にKOパンチを食らったのが『光のほうへ』だ。とても優れた映画だから、それに相応しい言葉で表現しなければと考え続けたものの、遂に私は半年経っても記事にできなかった。
正直に告白しよう。私はこの映画の魅力を書き表すにはまったくの力不足だったのだ。
それでも、この映画の素晴らしさの片鱗なりとも書いてみよう。
『光のほうへ』を観てつくづく感じるのは、優れた映画を観ることの辛さである。
ここには何の救いもない。温かい家庭もない、篤い友情もない、充実した仕事もない、ただただ犯罪に決別できない心の弱さと、孤独に染まった暮らしがあるばかりだ。114分のあいだ、そんな映像がひたすら続く。
観ていても楽しくない。ワクワクしない。面白いとも云えない。
けれどもこれは優れた映画だ。主人公の悲惨な人生はまことにリアルで、作り物として距離を置くことができない。観るのが辛いのに、目が離せない。
たとえば『アンチクライスト』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白いわけでもない。しかしそこには美があった。陶酔するほどの不道徳と、悪の美しさに満ちていた。
『未来を生きる君たちへ』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白い映画とも云いがたい。しかしそこには大きな問題提起があった。この世界と私たちについて考えざるを得ない投げかけがあった。
けれども本作にはそれすらない。ただ剥き出しの、過酷な人生があるばかりだ。
映画は二人の少年がまだ乳飲み子である末弟の面倒を見るところからはじまる。
母親は酒飲みで、兄弟たちの面倒をみない。少年たちはそんな母を毛嫌いし、自分たちだけで乳児を育てようとしているのだ。
だが、それはうまくいかなった。少年たちに悪気はなかった。けれども、酒を飲み、末弟をほったらかしにしていた彼らは、結局のところ大嫌いな母親と同じことをしていたのだ。彼らはそれを嫌がっていたはずなのに、人間の駄目な部分が連鎖してしまう悲劇。
それからずっと、兄弟はまっとうに生きられない。その荒んだ暮らしとやるせなさを、映画は容赦なく描出する。
高福祉で知られるデンマークでありながら、こんな影の部分を抱えているのか――そういう感想を抱く人もいよう。
しかし、これは国家の福祉レベルとは関係ない。
人間には駄目なところがあり、更生できるチャンスをみすみす自分で潰してしまう。それはどこの国でもどんな社会でもあり得るだろう。
けれど、そんな彼らでも親子の情は持っている。守ろうとする愛情がある。
わずかに垣間見えてくるものが、すがりつきたいほど貴重に思える。
本作の原題は「SUBMARINO」。水の中に潜ってしまい、浮かぼうにも浮かび上がれない兄弟たちの苦しみを表していよう。
だからこそ水面は明るいと思いたい。いつか浮上できると思いたい。『光のほうへ』という邦題は、そんな受け手の気持ちを代弁している。
浮上できるかどうかは判らない。本作は、安易な救いを見せたりはしない。
しかし、それでも捨てようとしない愛情がある。いや、これから愛情に育つかもしれない兆しがある。
それを目にすることができただけで、私たちは幸せだ。
![光のほうへ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/514GqHa2ipL._SL160_.jpg)
監督・脚本/トマス・ヴィンターベア 脚本/トビアス・リンホルム
原作/ヨナス・T・ベングトソン
出演/ヤコブ・セーダーグレン ペーター・プラウボー パトリシア・シューマン モーテン・ローセ
日本公開/2011年6月4日
ジャンル/[ドラマ]

